August 2012

August 22, 2012

父親とベースボール」という、ただでさえややこしいシリーズの最後のしめくくりの記事を書いているところなので、余計なことに頭を使いたくない。
だが、ホワイトソックス戦のヤンキースバッテリーの配球が、あまりにも幼稚で腹が立つので、しかたなく中断して、書きたくもない記事を書いている。


ハッキリ言わせてもらって、
こんな低レベルの配球の話を、なぜいま書かなきゃならないのか。時間の無駄もいいところだ。こんな簡単なミスを繰り返しているというのに、すぐに対策が打てないというのも、まったく理解できない。

ヤンキースバッテリーはなぜ、もっときちんと対戦相手のスカウティングをきちんと頭に入れ、なおかつ、度胸をすえて、バッターと対戦しないのか
(この記事は、いま現在進行中の第2戦を横目で見つつ書いているのだが、ケビン・ユーキリスアウトコース低めの球を満塁ホームランされたところだ。ヤンキースバッテリーには、「おまえら、アホか」と言いたい。7回裏のベッカムとワイズのヒットも、どちらもアウトコース。8回裏のピアジンスキーの三塁打も、ベッカムのタイムリーも、アウトコース。原因がわからないほうが、どうかしてる)

いまのヤンキースのバッテリーは、工夫も無ければ、度胸も無いのだから、打たれて当たり前だ。

第1戦:New York Yankees at Chicago White Sox - August 20, 2012 | MLB.com Classic

第2戦:New York Yankees at Chicago White Sox - August 21, 2012 | MLB.com Gameday



多くを語る必要はないだろう。
以下のデータを見てもらいたい。

ヤンキースバッテリーは、ランナーがたまってピンチになるとか、配球に困るとかすると、必ずといっていいほど、アウトコースいっぱいの球を投げてくる。そこを「アウトコースの球が大好物」のホワイトソックス打線に痛打されている、ただそれだけなのである。
「アウトコースなら打たれずに済む」とでも思っているのかもしれないが、自分がいま対戦しているのが、「アウトコースだけを待って、大きく踏み込んでくる特殊な打線のチーム」なのを忘れている。


ホワイトソックスの打者は、たしかにホームランの打てる打者が揃っている。だが、「どんなコースでも打てる器用なバッター」が揃っているわけではない。
例えば、死ぬほど低打率のホームランバッター、アダム・ダンが、「インコースが死ぬほど苦手な、偏ったバッター」であることくらい、調べりゃ、誰だってわかる。(コースと球種に大きなムラがある、得意不得意がハッキリあるからこそ、アダム・ダンは低打率なのだ)
このムラのあるバッターに、どういう理由で最も得意なアウトコースの球を投げるのか?

左打者アダム・ダンのホットゾーン左打者アダム・ダンの
ホットゾーン

インコースが真っ青な、左打者アダム・ダン。

右打者ケビン・ユーキリスのホットゾーン右打者ケビン・ユーキリスの
ホットゾーン

インコースが真っ青なユーキリス。左打者アダム・ダンをきれいに裏返したようなほーとゾーンなのが、ひとめでわかる。


他のバッターにしたって、彼らのホットゾーンをちょっと調べてみればわかるように、ホワイトソックス打線に「どんなコースでも打てる器用なバッター」など揃ってはいない。
むしろ、ホワイトソックス打線は「インコースの球を腕をたたんで振り抜けるようなバットコントロールの器用さが無いために、腕をおもいきり伸ばしたまま、力いっぱいバットを振り回せるアウトコースだけを待ち続けている不器用なバッター」がズラリと並んでいるだけである。


同じホームランバッターでも、ホワイトソックス打線のように、アウトコースの得意なバッターばかりではなくて、インコースを得意にしているスラッガーはたくさんいる。また、テキサスのように、「低めを大得意にしている打線」もある。(このことについては一度書いたことがある)
Damejima's HARDBALL:最終テキサス戦にみるロブ・ジョンソンの「引き出し」の豊かさ (1)初球に高めストレートから入る

例えば、テキサスのジョシュ・ハミルトンは、常にインコースを待っていることはわかりきっている。また、ボストンのエリドリアン・ゴンザレスは、常にインコースから真ん中に流れるフロントドア・2シームの失投を待っている。イチローがホームランを打つ場合も、たいていはインコースだ。
インコースが苦手でアウトコース待ちをしているアダム・ダンと比較すれば、ホームランバッターの待ち球にそれぞれ違いがあることは、小学生でもわかる。

だからこそ、ジョシュ・ハミルトンをうちとる場合、追い込んでおいて、アウトコース低めに逃げる変化球を投げておけば、簡単に三振がとれるのだし、そのアウトコース低めの変化球の苦手なハミルトンに、何も考えずにインコースのストレートを投げようとするシアトルのピッチャーや、ラッセル・マーティンはアホだと、このブログでは常に言い続けてきているのである。


(以下、2012年8月20日ヤンキース対ホワイトソックス戦から)

2012年8月20日 5回裏 ドウェイン・ワイズ ホームランアウトコース高め
シンカー


5回裏
ドウェイン・ワイズ
ホームラン
(投手ガルシア)


2012年8月20日 5回裏 ケビン・ユーキリス シングルアウトコース高め
スライダー


5回裏
ケビン・ユーキリス
シングル
(投手ガルシア)


2012年8月20日 5回裏 ピアジンスキー タイムリーアウトコースいっぱい
シンカー


5回裏
ピアジンスキー
タイムリー
(投手ラパダ)


2012年8月20日 5回裏 ダヤン・ビシエド タイムリーアウトコース低め
4シーム


5回裏
ダヤン・ビシエド
タイムリー
(投手チェンバレン)


2012年8月20日 6回裏 ゴードン・ベッカム ホームランアウトコース高め
4シーム


6回裏
ゴードン・ベッカム
ホームラン
(投手チェンバレン)


2012年8月20日 7回裏 アラミス・ラミレス ホームランアウトコースいっぱい
スライダー


7回裏
アラミス・ラミレス
ホームラン
(投手ローガン)


2012年8月20日 8回裏 アダム・ダン ホームランアウトコースいっぱい
シンカー


8回裏
アダム・ダン 
ホームラン
(投手デレク・ロウ)


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おまけ
2012年8月21日ホワイトソックス戦

2012年8月21日 ケビン・ユーキリス 満塁ホームランアウトコースいっぱい
4シーム


5回裏
ケビン・ユーキリス
満塁ホームラン
(投手ノバ)
New York Yankees at Chicago White Sox - August 21, 2012 | MLB.com Classic

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おまけ
2012年8月27日トロント戦

2012年8月27日 トロント戦9回表 ラスムス 3ランHRアウトコース低め
スライダー

9回表
コルビー・ラスムス
逆転3ランホームラン
(投手ソリアーノ)
Toronto Blue Jays at New York Yankees - August 27, 2012 | MLB.com Classic


August 20, 2012

イチローと黒田
“If he’d been a Yankee for a number of years, who knows how many home runs he might have hit,”
by Joe Girardi, manager of NewYork Yankees


チケットソールドアウトの大観衆48,620人で膨れ上がったヤンキースタジアムで、イチローが2打席連続ホームランの活躍。黒田がキレのあるシンカーとスライダーを駆使して、8回を112球(75ストライク)、4安打1失点の好投をみせて12勝目。ボストンとのカードを勝ち越した。
Boston Red Sox at New York Yankees - August 19, 2012 | MLB.com Wrap

NY Times
Hiroki Kuroda Lifts Yankees Over Red Sox - NYTimes.com

NY Daily News
Hiroki Kuroda outduels John Beckett, Ichiro Suzuki adds two home runs as Yankees beat Boston Red Sox 4-1 at the Stadium - NY Daily News

Newsday
As a Yankee, the Ichiro of old returns

NewYork Post
Ichiro Suzuki, with two home runs in win over the Boston Red Sox, proves to be prime-time player - NYPOST.com
"He’s a prime-time player, even if he’s no longer a player in his prime. The curtain call brings him one step closer to True Yankeedom. Next stop, the postseason?"



CBS local
Hartnett: Ichiro Suzuki Has Found His Perfect Stage At Yankee Stadium « CBS New York

CBS local
Baseball fans have heard the speculation about Ichiro Suzuki for years.“If he really wanted to, Ichiro could hit __ home runs every year. It’s just that he wants to concentrate on getting hits and getting on base.”(一部省略)

That’s just a fallacy.

But if he was really a home run hitter, he would have hit them. He wasn’t choosing to hit singles instead of home runs. Nobody would do that.

Steve Silverman: Ichiro Move Paying Big Dividends For New York Yankees « CBS New York

Boston Herald
Yankees veterans Derek Jeter (three hits, two doubles) and Ichiro (two homers, curtain call) did most of the damage, and were the difference.
Josh Beckett not worth it - BostonHerald.com

Boston.com
Boston Red Sox - Beckett done in by Ichiro; Red Sox lose to Yankees - Boston.com



1本目のホームラン動画(YES)
ホームランボールをキャッチした人が抱き合って喜んでる姿がいい。このシーンは、2本のホームランをまとめた動画にない部分。
NY Yankees | Ichiro launches a solo home run to right field - Video

カウント1-2が苦手なのは、大半の打者がそうであって、なにもイチローだけの特徴ではない。
普通のバッターは、2ストライクをとられると、ほとんど全てのバッターが打者不利の状態になって、打率が大きく下がる。(投手が勝負せざるをえないフルカウントは打者有利)

だがイチローの場合は、他の打者が不利になるカウント0-2や、カウント2-2であっても、関係なく、ハイアベレージの打率をあげてきた。たとえ2ストライクをとったからといって、ピッチャーはイチローに対して有利になれるわけではないのだ。
これを言葉でいうのは簡単だが、非常に驚異的なことだ。天才イチローだからできることで、たとえ安打製造機と呼ばれるような高打率のバッターでさえ、2ストライク以降にはマトモな打率では打てていない。

カウント別打率(キャリア通算)
(左からマウアー、アブレイユ、ジーター、イチロー
0-2 .241 .174 .223 .253
1-2 .218 .212 .205 .225
2-2 .255 .238 .219 .279
3-2 .311 .275 .277 .319

なぜ、あらゆるバッターがカウント1-2で極端な投手有利状態になってしまうのか? それについては、ここでは書かないが、MLBでの配球論の基本が、「4球目で打者をうちとれるように設計されている」ことと、もちろん深い関係がある。


2本目のホームラン動画(MLB公式)
2本目のホームランを打ってダグアウトに帰ってきたイチローを待っていたのは、スタンドからの鳴り止まぬ「イチローコール」。これは、活躍した選手がダグアウトから出てくるのを催促する、いわゆる「カーテンコール」というやつ。イチローは、ヤンキース移籍後、初のカーテンコールを経験した。
Home Runs | BOS@NYY: Ichiro's second homer extends Yankees' lead - Video | MLB.com: Multimedia

1本目、2本目をまとめた動画(MLB公式)
Baseball Video Highlights & Clips | BOS@NYY: Ichiro blasts two home runs in win over Sox - Video | MLB.com: Multimedia

試合後ロッカールームでインタビューを受けるイチロー(YES)
イチローが試合終了直後にロッカールームで着換えている最中にインタビューを受けた動画は、非常に珍しい。間違いなく、ある種の珍品(笑) 
ちなみに、こんな場所にまでレポーターが入り込んでインタビューしているのは、単に、今日のゲームが全米中継だったため。全米のMLBファンが、照れまくるイチローを観たことだろう(笑)
Video Highlights & Clips - YESNetwork.com | Ichiro discusses his two-home run performance - Video

August 17, 2012

表の意味と裏の意味が異なる記号の羅列について、解読(デコード)を試みる場合、鍵(キー)が必要なことがある。例えば、インターネットを通じてデジタルデータをやり取りする際に暗号化されたデータを読む場合、解読キーによるデコードが必要になる。


以下に、前回記事のおまけとして、ランディ・ニューマンの1972年の曲、"I Think It's Going To Rain Today" の歌詞について、顔を黒く塗った人物が歌い踊るミンストレル・ショー(Minstrel Show)の登場人物、ステレオタイプのアフリカ系アメリカ人である田舎者Jim Crow(ジム・クロウ)と、都会者Zip Coon(ジップ・クーン)を「解読キー」として、デコード、つまり訳詩を試みてみた。

ミンストレル・ショー、ジム・クロウなどについての詳細は、以下の記事を参照:Damejima's HARDBALL:2012年8月5日、父親とベースボール (6)アフリカ系アメリカ人史にみる「都市と田舎の分離」。ミンストレル・ショーの変質と、「ジム・クロウ」誕生
1900年のMinstrel ShowのポスターMinstrel Showのポスター
(1900年)

Minstrel show - Wikipedia, the free encyclopedia

Jim CrowJim Crow

Zip CoonZip Coon

"I Think It's Going To Rain Today"

Broken windows and empty hallways
A pale dead moon in the sky streaked with gray
Human kindness is overflowing
And I think it's going to rain today

Scarecrows dressed in the latest styles
With frozen smiles to chase love away
Human kindness is overflowing
And I think it's going to rain today

Lonely, lonely
Tin can at my feet
Think I'll kick it down the street
That's the way to treat a friend

Bright before me the signs implore me
To help the needy and show them the way
Human kindness is overflowing
And I think it's going to rain today

(ブログ注:ニーナ・シモンは一部歌詞を変えて歌っている chase love away→keep love away treat→createなど)






月の色と翌日の天気との関係に関することわざ
タイトルに "rain" という言葉があるこの雨を歌った歌の最初のパートに、pale moon (青白い月)という言葉があるが、これは、月の色と天気の関係に関する英語のことわざからきている。
Pale moon does rain, red moon does blow: white moon does neither rain nor snow.
「青白い月なら雨になり、赤い月なら風が吹き、白い月だと雨も雪も降らない。」
参照例:Weather Wiz Kids weather information for kids

この歌詞を訳す人は案外多いが、今のところ、この「月の色で天気を予測することわざ」に触れた上で訳した人を、ただのひとりも見かけたことがない。これに触れないのは、明らかな失態としか言いようがない。


ことわざの主旨は、「月の色によって、翌日の天気が予測できる」というものだが、当然ながらソングライターの本当の意図が天気の予報にあるわけはない。
結論を先に言えば、「人間の将来、未来というものは、肌の色によって決まってしまう」という「人種差別」に対する絶望感が、ランディ・ニューマンの "I Think It's Going To Rain Today" の歌詞の裏テーマである。

この解釈が正しいと考える理由を、以下に書く。


曲のタイトルはなぜ
tommorowでなく、"today" なのか

月の色によって翌日の天気を予測することわざからアイデアを得た、というだけなら、この曲のタイトルは、"I Think It's Going To Rain Tommorow" でいいはずだ。
Tommorowなら、タイトルの意味は「夜のうちに見た月の色が青白かったので、明日はきっと雨だろう」という、あたりさわりのない「天気予報の曲」であることになる。

だが、実際にはこの曲のタイトルは違う。"I Think It's Going To Rain Today" だ。ならば、これは単なる天気予報の歌ではない

つまり、この曲の登場人物が月を見た「時間帯」は、夜9時とか10時ではなくて、「12時を越えて、日付の変わった深夜に、月を眺めて」いるのである。しかも「今日も雨だろ・・・」と溜息まじりの呟きをしていることからして、「眠れぬ長い夜」であることが想像される。
この曲が表現したかった深夜の情景が、単なる天気予報ではなく、「絶望感」なのは明らかだ。

この人物は、どんな理由から夜更けに起きているのか。
なぜ眠らないのか、眠れないのか。
なぜ深夜に月を眺めるのか。
どういう感情のもとに月を眺めているのか。


曲のテーマは "Color"だ。
この曲のテーマが本当に「肌の色、つまり人種」なのかどうかは、ひとまず置いておくとしても、この曲を作ったランディ・ニューマンが「月の色によって明日の天気がわかる」ということわざを示したことは、この曲が「色」をテーマにしているというメッセージなのは、まず間違いない
というのも、それほど長くはないこの曲には、「色」にまつわる単語がいくつも登場していて、明らかにこの曲のキーワードになっているからだ。このうち、黒を意味するcrowという単語は、scarecrow(案山子)という単語の内側に巧妙に「隠されて」いる
pale 青白い
grey 灰色
crow カラス(=黒)


"scarecrow" (案山子)は
何を、何から遠ざけているのか

scarecrowという言葉は、「scare(怖がらせる)と、crow(カラス)」という、2つの単語を組み合わせてできた合成語だ。だから「黒いカラスを怖がらせることで、農産物が食われないように遠ざけておく、農業の道具」が、scarecrowだ。
2番目のパラグラフで、chase love away(愛を遠ざける)と歌われていることからしても、scarecrowという言葉は「何かを、何かから遠ざけていることを表現している」ことの比喩であり、掘り下げるべきポイントは「誰が、誰を、何から遠ざけているのか」という点にある。


遠ざけられているもの
それはcrow=blackbird=Jim Crow

Jim Crow(ジム・クロウ)は、ミンストレル・ショーにおけるアフリカ系アメリカ人の田舎者キャラクターだったが、ブラックフェイス・パフォーマーの歌い踊る "Jump Jim Crow" という曲の大ヒットによって、アフリカ系アメリカ人全体をさす言葉として意味が拡大していき、さらに19世紀後半には、アメリカ南部の元奴隷州で次々に作られた有色人種隔離政策の法体系の総称「ジム・クロウ法」として意味が転用された。
Jim Crowというキャラクターが、いつ、何を元にできあがったのかは歴史的に不詳となっているが、以下に挙げた証拠によって、黒い鳥 blackbird の一種である "crow" (カラス)にイメージの源泉のひとつがあることは明らかだ。

例えば、寸劇としても演じられた"Jump Jim Crow" の当時のシナリオに、次のようなシーンがある。田舎者のアフリカ系アメリカ人Jim Crowに、侮蔑をこめて "Blackbird" と呼びかける一節である。
Quickset: Hark ye, Mr. Blackbird!
Jim Crow: You don't appear to hab much more edicumcation dan oder man. My name, Sar, am Crow, not blackbird.
ブログ注:田舎者キャラクターJim Crowは、きちんとした英語が話せないという設定にある。だからJim Crowの台詞は、英語のたどたどしさを揶揄して、わざと赤ん坊のような英語として書かれている。普通の英文に直すと、こうだ。 You don't appear to have much more education than any other man. My name is Crow, not blackbird, Sir.)
Jump Jim Crow: Lost Plays, Lyrics, and Street Prose of the First Atlantic ... - W. T. Lhamon - Google Books

資料:Jump Jim Crow: Lost Plays, Lyrics, and Street Prose of the First Atlantic ... By W. T. Lhamon

以下の辞書には、crowあるいはblackbirdという言葉が、アフリカ系アメリカ人の蔑称として使われた、とある。
Even before that, crow (n.) had been a derogatory term for a black man.
Online Etymology Dictionary


歌詞に戻る。
こうした証拠の数々から、scarecrowが農作物から遠ざようとしている「黒いカラス」とは、Jim Crow=田舎者のアフリカ系アメリカ人であることは、ほぼ明らかだ。同じ方向性の論考はアメリカにもある。
the "crow" and even the raven represented us as African people(中略)
To keep us, the crows - discourage from eating away at and taking away what is naturally ours.
The majority of crops in America are grown in the south, this is where most of our Ancestors worked on plantations. Jim "Crow" was also in the south. Laws that kept us segregated and limited, just as crows are limited from the Farmer's crops. But there is a reason why.
Why Do They Make Scarecrows? | Black People Meet | African Americans | Destee


"scarecrow" は、白人を意味しているのか?
「scarecrowが、黒いカラス、つまり、Jim Crow(=田舎者のアフリカ系アメリカ人)を、農作物から遠ざようとしている」とすれば、次に問題になるのは、 "scarecrow" が「白人」を意味しているのかどうか、という点だ。

この点については、2番目のパラグラフに以下のようにハッキリ歌われている。結論から言えば、scarecrowは「白人」の比喩ではない。
Scarecrows dressed in the latest styles
With frozen smiles to chase love away
「着飾って」という特有の表現から、scarerrowが象徴しているのは、ミンストレル・ショーにおける野暮ったい田舎者Jim Crowと対照的なキャラクター、着飾った都会人のアフリカ系アメリカ人の象徴、Zip Coonだ。


"pale" という言葉のレイシズム的響き

pale moon
この歌の中における「白人」の位置は、「pale moon(青白い月)」と表現されている。
高い空の上でJim Crowとscarecrowのいる下界を見下ろしている月は、「手の届かない存在」であり、地上で畑の番をしているscarecrowとイコールになるわけはない。

"pale" という言葉は、肌の色をさす言葉として使われる場合、特殊な意味をもつ言葉になることがある。

日本人は、白人の肌の色というとどうしても、whiteというフラットな言葉をすぐに連想してしまうが、肌の白さには、実は、もっと何段階もの細かい「白さについての分類」がある。
この場合、pale(青白い)という表現は、「青白く見えるほど、抜けるように白い」という最上級の「白さ」を表わす表現として使われる。
ブログ注
資料:Human skin color - Wikipedia, the free encyclopedia
このリンクは、「肌の色に関する分類」を示した英語版wikiの資料である。見てもらうとわかるとおり、白い肌が "pale" と強調されて表現される場合、そこにレイシズム的な意図が含まれていることがわかる。
だからこそ、レイシズム的な誤解を受けるのを避けたい場合、 "pale" などと言わず、単に "white" と、毒のない表現をとるほうが無難なわけだ。
この歌詞をつくったランディ・ニューマンは、あえて "pale" という言葉を使うことで、逆に人種問題にスポットライトを当てようとしているのである。



この詞を訳すときの難関、
"Human kindness is overflowing"とは
どういう意味か

この部分が、この歌詞を訳す場合につまづきやすい最大の点だ。つまづく理由は、この歌詞の背景にあるアフリカ系アメリカ人の歴史に関心を持たないまま直訳しようとするからだ。

例えばこういう異口同音の日本語訳が、あちこちのウェブサイトに並んでいる。
「人間の優しさがこぼれている」
「人のやさしさが、世界にあふれれば」
「人間の優しさが溢れ出し」
「人の優しさが溢れてるな」
どれもこれも、日本語として前後の歌詞とつながっていないし、この曲の情景をまったく説明していない。
この曲が表現した情景が、「深夜の絶望感」なのは明らかなのに、「優しさがこぼれている」なんていうセンチメンタリズムな訳になるわけがない。


英語の苦手な人にとって
"kind" とは、「種類」という意味である

"kind" というのは、最も教科書的な意味は「種類」だ。
だから、"Human kindness" という表現は、表向きは、シェークスピアのっ戯曲『マクベス』にある "Milk of human kindness" という有名な表現を踏襲しているようにみせかけていても、裏では、「人間を『種類』に分ける考え方」、つまり、「人種差別」を意味していると考えるのが妥当というものだ。

19世紀初頭から半ばにかけて、南部から北部へ奴隷の逃亡を助けたUnderground Railroadのことを歌詞に歌うとき、「鉄道」にまつわるさまざまな言葉を使って、逃亡の方法や、北部への憧れは表現された。
当時、南部のアフリカ系アメリカ人奴隷は、まだ英語の読み書きができなかったくらいだから、たとえ暗号とはいえ、難解な言葉で表現したのでは、歌の意味を理解することができない。
だからこそ、Underground Railroadに関する暗号は、せいぜい逃亡する奴隷を鉄道になぞらえて、passengerとかbaggageと表現する程度のレベルの、「わかりやすい暗号」にとどめなければならなかった。

ランディ・ニューマンは、こうしたアフリカ系アメリカ人の歴史の前例にのっとって歌詞を作っているはずだ。

だから、"Human kindness" という歌詞を、難解に解釈する必要はどこにもない。「kind=種類」という小学生的な理解で十分、と考えるのは、それが理由だ。


ここまでの諸点を考慮し、
この乱暴なブログらしい日本語訳(笑)を最後に記しておく。

アフリカ系アメリカ人であるニーナ・シモンが、アフリカ系アメリカ人に関係すると思われるこの曲の歌詞のあちこちを、あえて別の言葉に換えて歌うことで、別の歌にしようとしている意味も、この訳からなら、汲み取ることができるだろうと思う。
ニーナ・シモンは、この刺激的な「裏の意味」をもつ歌の社会性を、あえて個人的なブルース感情に変えて歌うことで、アフリカ系アメリカ人の過去の歴史にとらわれない普遍的な歌として完成しようとしたのである。素晴らしい歌姫である。


壊れた窓 ガランとした通路
青白いヤツらは 無表情な月みたいに 高見の見物
そこらじゅう 人種差別だらけ
今日もたぶんロクなことがねぇ

都会の奴ら 俺たちと同じアフリカ系のクセに
気取った服なんか着やがって
冷たいつくり笑い浮かべて オレたちを寄せ付けない
そこらじゅう 人種差別だらけ
今日もたぶんロクなことがねぇ

ひとりじゃ さみしいから
中身の空っぽなやつでも 足元にひざまづかせて
通りにでも蹴り出してみるか
それが いけすかないヤツに対するやり方ってもんだ

アタマのいいヤツが 指図してきやがる
困ったやつ助けて 行くべき道を教えてやれ と
(でも オレ自身が困ってるのに
 行くべき道が オレにわかるわきゃない)
そこらじゅう 人種差別だらけ
今日もたぶんロクなことがねぇ

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以下に、比較する意味で、このブログによる「裏の意味」を考慮しない訳もあげておこう。どれほど表の意味と裏の意味が違うかがわかると思う。


壊れた窓 ガランとした通路
白髪交じりで空にかかる 青白い無表情な月
あふれかえる思いやり
今日はたぶん雨

流行のスタイルを身にまとったスケアクロウ
愛を寄せ付けない凍った笑顔
あふれかえる思いやり
今日はたぶん雨

寂しいものだね ひとりは
足元の空き缶
通りに蹴り出してしまおう
それが友達に対するやり方ってもの

明るい信号機が私に懇願する
愛に飢えた者を助け 道を示してやれ と
あふれかえる思いやり
今日はたぶん雨

August 14, 2012

ハワイ文化のひとつ、Hula(フラ)は、日本人なら誰でも一度くらいは見たことがあるために、とりあえず知っている、わかっていると思われがちだ。

だが、それは正しくない。

Hulaの現代的な分類には、現代的なおおまかな分類からいっても、古典であるHula Kahiko(フラ・カヒコ)と、19世紀以降に欧米文化の影響を受ける中で出来ていったHula ʻauana(フラ・アウアナ)の、2種類がある。
そして、かつて日本で「フラダンス」と言われていたもののは、フラ・アウアナの亜流のようなフラである。(ちなみに、フラという言葉そのものにダンスという意味が既に含まれている。だから「フラダンス」という日本的表記は、いわば「盆踊りダンス」といっているようなものだから、おすすめしない)

この2種類の区別ができたのは、有名なフラ・コンテスト、Merry Monarch Festival(メリーモナークフェスティバル)が、2つのカテゴリーを設けたことからきている。
The Official Web Site of Merrie Monarch Festival - Hilo, Hawaii

フラの基本的な歴史をわかっている人は、Hula KahikoとHula ʻauanaの区別をフラの基本的知識と考えるが、日本の一般常識としてみると、残念ながら、フラに分類が存在することはいまだにほとんど知られていないと考えるのが正しいだろう。
なぜって、フラ教室で実際にフラを習っている人たちの中にすら、フラ・カヒコを知らない、見たことがない人がいまだに実在するからだ。
ブログ注:
フラの分類はなにも2種類だけと限らない。
古典フラは、研究者によっては、さらに細分化された分類が存在する。また、現代のフラ・カヒコのスタイルを古典とすることに対して異議を唱える人もいる。
というのも、文字のなかったハワイ文化においてフラは、人から人へと継承され続けてきたわけが、古典フラのスタイルの一部が喪失してしまった哀しむべき時代があったために、すべての古典が現代に伝わっていないからだ。
ネイティブ・ハワイアンがフラの古典を喪失した原因は、欧米人宣教師によるフラの禁止や、欧米からもたらされた疫病によるネイティブ・ハワイアンの人口減少などにより、フラの歴史に断絶が生じ、貴重な口伝(くでん)が途絶えてしまったことにある。
だから、伝承喪失のダメージを考慮せず、「今のフラ・カヒコは必ずしも太古のフラのスタイルではない」と非難だけを行うことには、何の意味もない。だが、まぁ、とりあえず細かすぎる話は一時置いておこう。


日本でこうした事態を招いた原因のひとつは、フラが最初に日本に紹介されたときに、当時「フラダンス」と称された「踊り」が、実際には「フラ・アウアナ」とタヒチアンダンスの混じった雑種だったにもかかわらず、「あれがフラなのだ」と思い込みが出来上がってしまったからだ。(それはベンチャーズとビーチボーイズとホノルルだけで、それをビーチカルチャーと思いこんだ大昔の団塊世代のステレオタイプ文化の弊害でもある)
日本では、フラの古典である「フラ・カヒコ」がいまだに浸透していないにもかかわらず、日本人は最初に出会った「フラダンスと称する、混じりっけの多い踊り」を、「フラそのもの」と思いこみ続けてきた。

だがそれは、簡単にいえば
欧米人のフィルターのかかったフラ」でしかない。


日本では、マニアと専門家以外には、フラの古典のスタイルやネイティブ・ハワイアン(=ハワイの先住民)の歩んだ苦難の歴史がほとんどといっていいほど知られず、また、フラ・カヒコとフラ・アウアナが区別されていないくらいなのだから、かつてフラとハワイ語が欧米人によって禁止され、衰退しかかった時代があったことは、なおさら知られていない。

フラがなぜ禁止されていたのか、どういう種類のフラが禁止されていたのかを知ることは、フラとハワイをより深く理解することにつながるわけだが、そのすべてをここで書ききることはもちろん無理だ。興味をもったら、ぜひ一度調べてみてもらいたい。
フラが禁止された理由は、キリスト教的倫理観をもつ欧米人の宣教師がフラのもつセクシャルな裏の意味を嫌った、と説明されることが多いわけだが、もちろん、そんな単純な説明だけで説明が終わるほど、フラの歴史の底は浅くない。

まぁ、こむつかしい歴史やヘリクツは後回しでいい。(必ずしもYoutubeに落ちている動画だけが原典資料とは限らないのが困るが)とりあえず映像でフラ・カヒコを確かめてみるのがてっとり早い。(ここでリンクを挙げておくといいのだろうが、それだけがオリジナルのフラだと思われかねないので、やめておくことにした)
ひと目みれば、日本でこれまで「これがフラだ」と思い込まれてきたものが、実はステレオタイプのフラであり、実は何層ものフィルターのかかった「擬似ハワイ」でしかないことが、一瞬でわかると思う。


1960年代以降進んできたハワイアン・ルネサンスと、その一環としての古典フラ復興には、この「父親とベースボール」で書いてきたアフリカ系アメリカ人の公民権運動も関わっている。
ハワイのネイティブな文化の復興と、メインランドでのアフリカ系アメリカ人の公民権運動とのかかわりのストーリーは実に興味深い話ではあるわけだが、なにせ書けばまた長くなるし、いつか触れることにして、ここでは先を急ぐことにする。


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chant(チャント、詠唱)は、グレゴリオ聖歌の曲名などでよく聞く言葉なだけに、キリスト教文化の流れで知っている人が多いわけだが、chant はハワイにも存在するし、また、日本の「祝詞」(のりと)や「木遣」(きやり)、仏教の「声明」(しょうみょう)もある種のチャントであることを思うと、チャントは世界中にさまざまな名称とスタイルで存在する。






ハワイ文化における chant は "Mele"(メレ)という名称で呼ばれ、Mele を伴ったフラを "Mele Hula" (メレ・フラ)という。


Mele には、ダブル・ミーニング、つまり、「表の意味」と、「裏の意味」が存在する。また、フラの踊りそのものにも、表の意味、裏の意味があり、どの意味を強調して踊るかによって、踊り方が変わる。

こうした「裏の意味」を、ハワイの言葉では、"kaona"(カオナ)という。

例えば、「喜び」という表の意味をもつ言葉が、裏では「セックスにおけるオーガズム」を意味したり、あるサイトの挙げる例によれば、「noho paipai(揺り椅子)」という表現は、裏では、揺り椅子が男性で、女性が腰掛ける様子、つまり「男女が1つに組み合わさって揺れ動いている」というセクシャルな意味になるらしい。(kaonaはセクシャルな意味だけとは限らないが、詳細は専門サイトに譲る)


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こうした歌における「ダブル・ミーニング」(codeといってもいい。映画『ダヴィンチ・コード』でいう「コード」である)は、18世紀のアメリカの奴隷時代のアフリカ系アメリカ人が作ったスピリチュアル(霊歌)にも存在する。
奴隷時代のアフリカ系アメリカ人を南部から北部に逃がすための秘密の手段として、Underground Railroad(地下鉄道)が存在していたことは、既に書いてきたが、Underground Railroad時代のアフリカ系アメリカ人が歌ったスピリチュアル(霊歌)の歌詞には、表向きの宗教的な意味とは別に、裏の意味があったといわれている。
Damejima's HARDBALL:2012年8月5日、父親とベースボール (6)アフリカ系アメリカ人史にみる「都市と田舎の分離」。ミンストレル・ショーの変質と、「ジム・クロウ」誕生

裏の意味を歌の中に隠す必要があった理由は、2つある。

当時のアフリカ系アメリカ人は、英語の読み書きができなかった。(彼らに読み書きを教えることは法律で禁止されてもいた)
そして、当然ながら、奴隷として買われてアメリカに連れてこられたアフリカ系アメリカ人が、自由になる方法であるUnderground Railroadの利用法について教え合ったり、北部脱出についての憧れを公言することは、タブーの中のタブーだった。
(ちなみに、スピリチュアルに隠されたUnderground Railroadに関する秘密のコードと、フラにおける裏の意味「カオナ」とでは、根本的な性質の違いもある。スピリチュアルに隠されるコードはレジスタンスのための暗号なわけだが、フラの「カオナ」は元々ハワイ文化にあった先天的要素であり、欧米人によるフラの抑圧を避けるためにレジスタンス的な意味で後天的に発生したわけではない)
Songs of the Underground Railroad - Wikipedia, the free encyclopedia

例えば "Go Down Moses"という曲は、表の意味だけ見れば、旧約聖書に基づいた信仰の歌にみえるが、裏には次のようなUnderground Railroadに関する意味が隠されているとされる。
Go Down Moses

Go down, Moses/’Way down in Egypt Land,
Tell Ole Pharaoh To Let My People Go
When Israel was in Egypt’s land/Let My People Go
Oppressed so hard they could not stand/Let My People Go
Thus said the Lord bold Moses said/Let My People Go
If not I’ll smite your first born dead/Let My People Go

Moses:旧約聖書の登場人物モーゼ=ハリエット・タブマンのような地下鉄道のconductor(車掌=案内役)
pharaoh:エジプトの王様ファラオ=slave owner(南部の奴隷所有者)

An Analysis of the Message of the Negro Spirituals… « COASTLINE JOURNAL


また自由が得られる北部を意味する歌詞もある。
"Now Let Me Fly" という曲の歌詞にでてくる "promised land" は、表向きはヘブライ語聖書の「神がイスラエルの民に与えると約束した土地」を意味する「約束の地」のことだが、裏の意味としては、南部の奴隷が目指す北部の土地を意味しているといわれている。
他にも、鉄道になぞらえて、北部に逃亡をはかる南部奴隷を、passengers(乗客)あるいはbaggage(荷物)といいかえたり、逃亡途中で身を隠す協力者の家をstation(駅)、stationの家主をstationmasters(駅長)などと表現した。

もちろん歌に裏の意味をこめるだけでなく、“I have sent via at two o’clock four large and two small hams.”(2時に4つの大きなハムと、2つの小さなハムを送った)というメッセージを電報で伝えることによって、「4人の大人と2人の子供が、こんどそちらに行くからよろしく」というメッセージを伝えるような、文字に頼った伝達方法もあった。
The Underground Railroad : Write a Secret Letter : Scholastic.com


スピリチュアルにおけるコードの例には、後世に無理矢理解釈されたものがまったく無いわけではないから、こうしたサンプルの真偽については、きちんとした検証も必要だ。
だが、細かい歴史的な真偽の検証はともかく、これまで黒人霊歌(スピリチュアル)として知られてきた音楽を、「アフリカ系アメリカ人の宗教的信仰心の深さの表われ」とだけ思い込むのは間違っている。(日本に入ってきた当初、フラであると思いこまされてきたものが、実は必ずしも古典フラではなかったことと共通点が多い)


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こうしたダブル・ミーニングの例は、なにも古典フラや、アフリカ系アメリカ人の古典であるスピリチュアルだけに限らない。
ランディ・ニューマンは、『トイ・ストーリー』、『レナードの朝』、『カーズ』などの映画音楽を作曲した1943年ロサンゼルス生まれのシンガーソングライターだが、彼の曲にもダブル・ミーニングの曲がある。

1972年の"Sail Away" (セイル・アウェイ)は彼の評価を決定づけた代表曲だが、典型的なダブル・ミーニングがみられる。
この曲の歌詞は、表向きは大西洋の三角貿易においてアメリカへ奴隷を「買い付け」し、「発送」している奴隷商人がアフリカ人たちに向かって、「アメリカでの夢のような暮らしの素晴らしさを言い聞かせる」という設定になっているが、もちろん、言うまでもなく、「裏の意味」は180度異なっている。


"Sail Away" が「三角貿易における奴隷の売買」を歌った歌であることを示す決定的な証拠は、歌詞にあるCharleston Bayという単語だ。

三角貿易には、いくつかの種類があるが、イギリス、アメリカ、アフリカの間で行われた大西洋の奴隷貿易においては、ヨーロッパの繊維製品・ラム酒・武器、アメリカの砂糖や綿花、そしてアフリカの奴隷が交易された。
Charleston Bay(チャールストン・ベイ)は、大西洋に面したサウスカロライナ州の奴隷貿易港・綿花積み出し港で、アフリカからの奴隷を積んだ奴隷船は、まずチャールストン・ベイに到着し、ここの奴隷市場でセリにかけられ、全米各地に運ばれていき、また、アメリカ南部の奴隷プランテーションで生産された綿花は、チャールストン・ベイからヨーロッパに送られていた。
まさにサウスカロライナ州チャールストンという街は、奴隷貿易、綿花貿易の拠点として、「イギリスと、アメリカ南部プランターの互恵関係」「奴隷制の存立と、三角貿易」を象徴する場所そのものだった。

だからこそ、南北戦争が勃発したのが、このチャールストンだったのは、偶然どころか、歴史の必然だった。1861年4月12日の午前4時30分、南軍がチャールストン沖のサムター要塞(Fort Sumter)の北軍に向かって砲撃を加えたことによって、南北戦争の火蓋が切られた。(「サムター要塞の戦い」)
ちなみに、チャールストンは歴史的にドイツ移民の多い街のひとつとしても知られている。

サムター要塞の戦い(1861年)サムター要塞の戦い
(1861年)


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In America, you get food to eat
Won't have to run through the jungle and scuff up your feet
You just sing about Jesus, drink wine all day
It's great to be an American

Ain't no lions or tigers, ain't no mamba snake
Just the sweet watermelon and the buckwheat cake
Everybody is as happy as a man can be
Climb aboard little wog, sail away with me

Sail away, sail away
We will cross the mighty ocean into Charleston Bay
Sail away, sail away
We will cross the mighty ocean into Charleston Bay
(以下略)
RANDY NEWMAN - SAIL AWAY LYRICS




ランディ・ニューマンにこうした明白なダブル・ミーニングの歌詞があるわけだが、どういうわけか彼の曲の歌詞解釈には首をひねるようなものがある。

例えばブログ主の好きなNina Simone(ニーナ・シモン)もカバーしている "I Think It's Going To Rain Today" という曲がある。こんな歌詞だ。
(下の動画は、上がランディ・ニューマン、下がニーナ・シモン。ニーナ・シモンは一部歌詞を変えて歌っている chase love away→keep love away treat→create)

Broken windows and empty hallways
A pale dead moon in the sky streaked with gray
Human kindness is overflowing
And I think it's going to rain today

Scarecrows dressed in the latest styles
With frozen smiles to chase love away
Human kindness is overflowing
And I think it's going to rain today
(後半部省略)





けっこう有名な曲だけに、この歌の歌詞を日本語訳しているサイトは、けっこうたくさんある。
だが、そのほとんど全てが、この歌のダブル・ミーニングをまったく把握しないまま訳しているため、まるで意味の通らない言葉の羅列にしかなっていない。
例えば、何度も繰り返し歌われているHuman kindness is overflowingという部分は、「優しさが満ち溢れている」などと訳すサイトが大半なのだが、こんなふうに訳していたのでは、この曲がいったい何のことを歌っているのか、さっぱり見当がつくわけもない。
「優しさが満ち溢れている。明日は雨だろう」と言われても、なんのことやら、さっぱり日本語として意味が通じない。

この歌詞の真意についての、このブログ的解釈については、次回書く。
それには、アフリカ系アメリカ人のステレオタイプとして出来上がったミンストレル・ショーの田舎者Jim Crowと、都会人Zip Coonの関係が深く関わって、歌詞に織り込まれている。
Damejima's HARDBALL:2012年8月16日、父親とベースボール (番外編) (2)ランディ・ニューマンの曲 "I Think It's Going To Rain Today"の真意を、「田舎者ジム・クロウ、都会者ジップ・クーン」を解読鍵としてデコードする

August 11, 2012

NY Daily News紙のMark Feinsandは、ヤンキースのビートライターだが、今日のトロント戦で5打点を挙げて活躍したイチローについてのジョー・ジラルディのコメントを早々と紹介してくれている。
Damejima's HARDBALL:2012年2月22日、beat writerの「ビート」とは、「受け持ち区域」のこと。



“There’s always an expectation here – whether it’s fair or not – that when you get traded for here, you’re supposed to really come and help. Some guys are going to feel that heat, and I don’t think it’s really bothered him. I think he’s probably been through a lot in his life that’s really helped him in this situation.”
Joe Girardi

Mark Feinsand's post on New York Yankees | Latest updates on Sulia


これを、こんな風に訳してみた。

「ヤンキースにトレードされてきたからには、期待というものは常に存在するし、チームの力になってくれることを心底から期待される。それがフェアなものであれ、そうでないものであれ、ね。
そのことをプレッシャーと感じる選手もいる。だけど僕はイチローがそれで思い悩むとは思わない。彼が人生において酸いも甘いも経験してきた、そのことが、いまのシチュエーションにおいて、本当に彼に力を与えていると思う。」


heatという単語をどう訳すか、ちょっと迷った。

食べ物が「辛い」ことを、 "hot" と表現することは、ホット・チリ・ペッパーズではないけれど、日本でもかなりポピュラーな表現になってきている。
だが "heat" という言葉を耳にして、「熱」ではなくて、即座に「辛さ」、「プレッシャー」へと発想を転換していくのには、たいていの場合、時間がかかる。


野球で三塁手のことを「ホットコーナー」といったりもするわけだが、サードの守備は、強烈な打球が飛んでくることを避けられないだけに、常に派手なエラーを犯す危険性にも晒されている。

アスリートの中には、そういうホットな場所に立つことを「目立つから嬉しい!」と思える人もいれば、「もう勘弁してくれ」と尻込みするプレーヤーもいる。また、「目立つのが大好きなクセに、下手クソなプレーヤー」というのも、掃いて捨てるほどいる。

ホットな場所に立つことにつきものの、選手の内面的な興奮や高揚感、圧迫感やプレッシャー、メディアやファンからの批判や非難、そういったポジティブな面とネガティブな面のすべてが集まる場所と人間を、同時に、「たったひとつの言葉」で表現するとしたら、それがジラルディのheatというひとことに集約されている。
英語というのは、ときに非常に素晴らしい表現力があって、ことに、こういう「コト」をひとまとめに抽象的なまま端的に表現する能力については、日本語にない優れた表現力を発揮することがある。


ちなみに、今日ジラルディは点さの離れたゲーム終盤にブルペン投手を注ぎ込んだ。このことは、ファンやビートライターから、けっこうな数の批判を集めたようだが、ブログ主は、そうは思わなかった。

彼は石にかじりついても勝ちたいのだが、勝ちたいのと同時に、チームにもうすこし「ファイトする習慣」を根付かせたいのだと、かねがね思っている。
だからこそ今日のトロントとのゲームで、ちょっと気の抜けた守備とバッティングをみせた一塁手のケイシー・マギーと、プレーにインテリジェンスの無かったアンドリュー・ジョーンズを、ゲーム終盤に代えた。また、気の抜けたピッチングをしそうなブルペン投手も、彼らが打たれる前にどんどん変えていった。



たしかに、彼らを代えなくても、ゲームに勝てたのかもしれない。
でも、それではダメなのだ。
それは俺の考える勝ちではない。

と、考えたジラルディの発想は、非常によく理解できる。


ヤンキースという大看板を背負っているジョー・ジラルディが、イチローといえども最初から簡単に認めるわけはないことは、イチロー自身が一番よく知っていて、だからこそ必死にプレーしているのだと思う。
そして、移籍以降のイチローの守備、走塁、打撃、練習風景、あらゆる点を観察しつつ、10数試合使ってみたジラルディが「イチローを認める発言」をしたのだから、イチローファンとしては、ちょっと嬉しく思っていいと思うのである。


イチローは非常にファイトしており、しかも、技術がある。
そうジラルディは認めはじめているのだと思う。




August 10, 2012

デトロイトとの最終戦のアンパイアの布陣は、こんな感じ
まぁ、なんつか、なんとなくジョー・ジラルディの退場(5回目)も起こりうるような、問題児アンパイア軍団ではある(笑) 実際、球審の判定の片寄りにも泣かされ続けたシリーズでもあった。

HP: Todd Tichenor
1B: Tony Randazzo
2B: Bob Davidson
3B: Tim Welke
New York Yankees at Detroit Tigers - August 9, 2012 | MLB.com Box

Damejima's HARDBALL:Todd, Tichenor を含む記事

Damejima's HARDBALL:2011年8月13日、退場データのみを扱った個性的サイトにみる「トラブルメーカーのアンパイアは、やはり退場者数も多い」というデータ。

Close Call Sports は、前にも一度紹介したが、アメリカのプロスポーツの「退場処分」だけを集めたサイトで、Pitchf/xデータで名高いBrooks Baseballと並んで、ブログ主のお気に入りのサイトのひとつ。どのアンパイアが、今年何回退場させているか、なんてことも簡単に調べられる。
これだけニッチな出来事にこだわりぬいたサイトというのも、なかなかない。ケタはずれのデータマニアの数多くいるアメリカならではのサイトといえる。
当然ながら、今日のジラルディの退場もさっそく記事になっている。
Close Call Sports: Ejection 114: Tim Welke (1)


今日の試合を見てなかった人のために書いておくと、

If Ichiro keeps doing things like this, #Yankees fans will be very, very happy: atmlb.com/QJG0h0

— New York Yankeesさん (@Yankees) 8月 9, 2012
">イチローのタイムリーなどでヤンキースが2点をリードして迎えた5回裏、先発黒田アレックス・アビラに2ランを打たれてしまい、同点になった。
その後、アウト2つとシングルで、2死1塁。ここでアンディ・ダークスに、アウトコース低めのシンカーを、レフト線にタイムリ・ツーベースを打たれた。

このツーベースは、物理的には、よく見るとオンラインであり、「フェア」という判定自体は結果的には正しい。

だが、いけないのは、三塁塁審Tim Welkeが、判定に迷って、途中で判定を変えたことだ。

MLB公式サイトの動画ではわかってもらえないのが残念だが、Tim Welkeは、最初にファールのジェスチャーをした。それから右腕を直覚にした不可思議なポーズ(これは以下の写真を参照)になったまましばらく硬直して、それから急に判定を変え、激しく「フェア」のジェスチャーをした。
途中でコールを変えられたら、レフトが誰であっても対応なんてできない。

動画:Baseball Video Highlights & Clips | NYY@DET: Girardi tossed for dirsputing a call - Video | MLB.com: Multimedia
2012年8月9日 判定をくつがえすTim Welkeにとまどうイバニェス

ヤンキースのレフトは今日は、ラウル・イバニェスで、運の悪いことに、守備の天才イチローではなかった。
イバニェスは、当然ながら、塁審のファウルのジェスチャーを見ていたから、初動が遅れ、おまけに、ボールが手につかずにもたついてしまい、結果的に1塁ランナーがホームインしてしまった、というわけ。


Tim Welke というと、今年5月2日のドジャース対ロッキーズのゲームで、ジェリー・へアストンの三遊間のゴロをダイビングキャッチした三塁手からの送球が、右へ大きくそれたので、塁を離れて腰をかがめてボールをキャッチした一塁手トッド・ヘルトンの足が明らかにベースから離れていたにもかかわらず、「アウト」判定をするという誤判定事件を起こしている。
May 2, 2012 Los Angeles Dodgers at Colorado Rockies Play by Play and Box Score - Baseball-Reference.com
2012年5月2日ドジャース対ロッキーズ戦のTim Welkeの誤審

2012年5月2日ドジャース対ロッキーズ戦のTim Welkeの誤審 2

2012年5月2日ドジャース対ロッキーズ戦のTim Welkeの誤審 3

Tim Welke makes one of the worst calls you’ve ever seen in baseball | Big League Stew - Yahoo! Sports

このときの判定について、後日のゲームでTim Welkeはへアストンに謝罪するのだが、性格のいいへアストンは「あの角度じゃ見えなかっただろうし、しかたがないよ」と謝罪を受け入れている。
"He said he was sorry," Hairston said. "He's been a really good umpire for a long time and, you know what, obviously because of the angle he didn't see it.
Hairston receives apology from umpire | dodgers.com: News


まぁ、いろいろな意見があるだろうが、このへアストンの一件にしても、性格の悪いブログ主に言わせれば、わざわざ「一塁手の足が見えづらいポジションにいるTim Welke」が悪い。
写真から見るかぎり、このときTim Welkeのとったポジションは、基本の「三塁手の送球に対して直角となる位置」ではなくて、セカンドの守備位置寄りの、やや斜め前方の角度から見ている。そのため、そもそも最初から一塁手の足は見えにくい。
これは、おそらく、クロスプレーを予測して、体を目一杯伸ばして捕球するであろう一塁手のファーストミットに、いつボールが収まるのかを見きわめたいという理由でそうしているのだろうが、だとしたら、一塁手のトッド・ヘルトンの前足があれほど深い角度で折れ曲がっていることから、ヘルトンの左足がベースから大きく離れていることを類推すべきだ。もし、そうでないなら、もっと違う角度、つまり、ヘルトンの足も見える角度から判定すべきだろう。

今日のレフト線のオンラインの当たりの判定を迷ったことも考え合わせると、もしかしてTim Welke、遠くがあまりよく見えてないんじゃないか? とさえ思わせるフシがあった。


アーマンド・ガララーガの完全試合をぶち壊したジム・ジョイスの例の世紀の大誤審にしても、アンパイアの位置から見ると、1塁主とランナーは多少重なって見える(下の写真)。だが、同じシチュエーションを、こんどは1塁スタンド側から見ると、ランナーがアウトであることに異議を挟む余地はない。
つまり、1塁塁審は必ずしもベストポジションにいてくれるとは限らないのだ。
だが、ファーストミットにボールが収まる瞬間のタイミング中心にだけ見て判定していればすむのなら、アンパイアなんていらない。1塁塁審はもっと頭と足を使って、自分がファーストのプレイを見る角度を工夫すべきだ。
アーマンド・ガララーガの完全試合を壊したジム・ジョイスの誤審 1

アーマンド・ガララーガの完全試合を壊したジム・ジョイスの誤審 2



だが、まぁ、そんな細かいことより、大事なことは、ジョー・ジラルディが「ファイト」していることだ。彼はいま、「ファイトする選手」を求めてもいる。

ヤンキースというチームは、非常にテンションが高く、いわば「高気圧なチーム」であると同時に、どういうものか、気圧の非常に高い自転車のタイヤ、例えばロードレーサーの固いチューブラータイヤにピンホールが開いて圧力が抜けていってしまうように、突如として気の抜けたプレーが続くことが往々にしてある。
それは例えば、タイムリー欠乏症、内外野の守備の乱れ、粘りのないバッティング、気の抜けた併殺打の山、バッテリーの単調でワンパターンな配球などが、それにあたる。これらの「低気圧ヤンキース」は、このチームが打撃重視で構成されたチームであることとは関係ない。単に意識の問題だろう。
Yankees Beat Tigers, but Anxiety Persists - NYTimes.com


ジョー・ジラルディがいま選手に求めていることは、おそらく細かいミスを減らすことじゃなく、単純に、ファイトすること、最後まで諦めないことだ。たぶんその結果としてミスも減ると思っているんじゃないか。
ファイトすることの大事さはよくわかるし、イチロー移籍以降でいうと、デトロイト戦ではだいぶ改善されてきた。
チーム全体でいえば、タイムリーが出るし、バッティングに粘りも出てきて、無気力な併殺打も減ってきた。
イチローにしても、バッティング面で打点が増えているのはもちろん、捕れるとは限らないのに、ホームランを追いかけてコメリカパークのフェンスによじのぼっているのも素晴らしい。


いまヤンキースの低気圧さがいまだに表れていて気になるのは、内外野の守備の乱れと、単調でワンパターンな配球という守備面くらいだ。

もしイチローが2人いてくれれば、ヤンキースのライトとレフトを同時に守れるのにと思っている日本のイチローファンはきっと多いことだろう(笑)

ファイトする姿勢を選手に伝える方法のひとつとして、気にくわないプレーにデカい声で抗議して退場してみせる、というシンプルな手法は、ブログ主はたいへんに好きだ。監督という職業の人は多少は熱くなれるようでなくちゃ、と思う。


3ボールで四球になっても、何をされても、黙ったまま負けている西海岸の無口なヘボ監督より、100万倍マシだ。

Damejima's HARDBALL:2011年7月9日、Sam Holbrookのミスジャッジで試合は台無しになったと、語ったエリック・ウェッジは、「気づいた」のか。それとも、「気づかない」のか。

Damejima's HARDBALL:2011年7月24日、みずから牙を抜いて相手にさしだしてチームに「負け犬メンタリティ」をたっぷり塗りこめた「負け犬指導者」エリック・ウェッジの「3ボール四球黙認事件」を批判する。

Damejima's HARDBALL:2011年7月26日、無死満塁の押し出しのかかった判定で、球審ボブ・デービッドソンの問題判定に泣かされたアダム・ケネディ。抗議すらしない弱気なエリック・ウェッジ。




イギリスの400mランナー、デレク・レドモンドは、1988年ソウルオリンピック出場を怪我でフイにするが、親子で努力を重ね、1992年のバルセロナオリンピックで優勝候補の一角として陸上男子400mに出場したが、レース途中、突然ハムストリングの故障にみまわれ、走れなくなる。
だが、やがてデレクは静止を振りきって立ち上がり、足をひきずりながらゴールを目指した。ゴール前100mでは、係員の静止を振り切ってコースに飛び出してきた父ジム・レドモンドが息子に肩を貸し、親子は65000人の観衆のスタンディング・オベーションの中、ゴールラインを越えた。
このときの光景は後に、2008年北京オリンピックのVISA cardのコマーシャルに採用され、俳優モーガン・フリーマンがナレーションを務めた。デレクは陸上引退後もアスリートとして、バスケットと7人制ラグビーのイギリス代表選手となった。また父親ジムは、2012年ロンドンオリンピックの聖火ランナーのひとりに選ばれた。


August 06, 2012

都市にはプロのベースボールがあり、そして田舎にはない。
このことを念頭に置きながら、以下の記事で、19世紀以降に起きたアフリカ系アメリカ人の南部からの脱出によって生じる「都市と田舎の二極分化」についてまとめてみる。


いまなぜアフリカ系アメリカ人は「都市」を去ろうとしているのか。

もし野球好きのアフリカ系アメリカ人が、昔と変わらずベースボールを楽しみ続けようと思うなら、南部に帰ってしまうよりは、北部や西海岸の都市部に住み続けるほうが、ファンも球団も都合がいいに決まっている。
だが、以下に見るように、彼らがかつて田舎(南部)を逃れて都市(北部)に脱出してくるのに払った犠牲と、せっかく出てきた都市で味わわされた疲労感や失意を頭に入れてモノを言わないかぎり、彼らに対してうかつに「都会にいてくれ」「田舎に帰るな」「MLBをよろしく」などと、軽々しいことは言えないのである。


アフリカ系アメリカ人にとっての「都市と田舎の二極化」が生まれる上で考慮しておかなければならないポイントは、3つほどあると考えた。

Underground Railroad(地下鉄道)
1810年から1850年の間に、3万人から10万人程度を助けたといわれる奴隷逃亡を助けるための秘密組織

1830年代に誕生した田舎者の象徴としての「ジム・クロウ」
都会の軽い見世物として生まれた「ミンストレル・ショー」におけるステレオタイプの田舎者キャラクターである「ジム・クロウ」が、1950年代にミンストレル・ショー自体が人種差別色を強める中で、アフリカ系アメリカ人全体を意味する差別的キャラクターに変質していき、さらには、1876年から1964年と、約90年間にもわたって存在した南部における人種差別的な法律の総称「ジム・クロウ法」に、その悪名が受け継がれていく流れ

Great Migration
1910年代から1970年代にかけ、南部のアフリカ系アメリカ人累積約600万人が、アメリカ北部や中西部、さらに西部へ移住したといわれているGreat Migrationの流れ

(ブログ注:19世紀の初頭、南北戦争前のアメリカがまだ奴隷制を維持し、Underground Railroadが機能している同じ時代に、ヨーロッパではギリシア独立戦争(1821-1829)があった。
18世紀末にヨハン・ヴィンケルマンの「白いギリシア」の流行によってギリシアをヨーロッパのルーツとほめそやす流行があったヨーロッパでは、当然ながら「自分たちの文化的ルーツであるギリシア独立を助けよう」という支援の声が上がった。
ヨーロッパにおける「白いギリシア」という価値観の流行とギリシア独立戦争、アメリカの変質、それぞれの関連性を詳しく調べてみたくなるところだが、いまは話が複雑になるだけなので置いておく。
ギリシアを西ヨーロッパ文明のルーツと考えるフィルヘレニズム(=親ギリシア主義、ギリシア愛護主義など、さまざまな訳語がある)、あるいはロマン主義によって、詩人バイロンをはじめ、たくさんのヨーロッパ人が義勇兵として参加したが、それらの人々の中には、現実に訪れたギリシアが、フィルヘレニズムによって描かれた想像上のイメージと大きくかけ離れていることに気づいて、落胆した者もいた。
それはユーロ圏の愛すべき駄々っ子のような存在となりつつある現在のギリシアと非常にダブるところが多い。また、現在のEUにおいて、その駄々っ子を助けようと先導しているのが、かつてヴィンケルマンが『白いギリシア』を流行らせたドイツである点は、非常に興味深い)


さて、アフリカ系アメリカ人の北部への移動の様子は、南北戦争の前と後とで、どう変わったのだろう。


南北戦争前
Underground Railroad(地下鉄道)

Underground Railroadを利用した北部脱出ルート北部への脱出ルート
I’ll Fly Away, O Glory! ― Outlaws of the Underground Railroad « Kasama

Underground Railroadを利用した北部脱出ルート北部への脱出ルート(別資料)
Underground Railroad Webquest

南北戦争前の、あらゆる自由のないアフリカ系アメリカ人奴隷には、奴隷制のない北部(あるいはカナダ)への秘密の脱出手段があった。それがUnderground Railroad(地下鉄道)である。

Harriet TubmanHarriet Tubman
(ハリエット・タブマン)
奴隷の両親の下に生まれ、ペンシルベニアに逃亡。自由になった後は、Underground Railwayの「conductor」(車掌=案内役)として逃亡を手伝う。1850〜1860年には約19回南北を往復、約300人の逃亡を助けた。4万ドルを超える賞金がかけられたが、結局一度も捕まらず、その功績により「女モーセ」「黒人のモーセ」(Black Moses) とも呼ばれた。

これは、1810年頃から1850年までの約40年間にさかんだった秘密組織で、奴隷制廃止論者や北部諸州の市民たち、あるいは先に逃亡して自由を得た奴隷たちが運営に関わって、数多くの奴隷が北に逃げるのを手助けした。うまく逃れることができたアフリカ系アメリカ人奴隷は、アメリカ北部の都市、あるいはカナダで自由になることができた。
(ちなみに、残念ながら1850年に逃亡奴隷の返還を規定する「逃亡奴隷法」が制定され、せっかく逃亡に成功しても元の場所に連れ戻されるようになったため、Underground Railroadは下火になっていった)
Underground Railroad - Wikipedia, the free encyclopedia
ちなみに、「鉄道」というネーミングはあくまで「逃亡ルート」という意味の比喩であり、鉄道を利用して逃亡するという意味ではない。またハリエット・タブマンの果たした「車掌」という役割も、あくまで「案内役」という意味の比喩。Underground Railroadについてはこのブログで一度書いたことがある。詳しくはWiki等を参照。
Damejima's HARDBALL:2011年6月6日、2011ドラフトでシアトルがヴァージニア大学の投手Danny Hultzenを指名したので、昔のAtlantic Coast Conferenceでの「Frank McGuireの苦い話題」について書いてみた。



南北戦争後
Reconstructionの挫折から、Great Migrationまで

南北戦争が北軍の勝利に終わって、公式に移動の自由を得たはずのアフリカ系アメリカ人だが、彼らは、1910年代以降になって、ようやく北部や他の地域への大量移住を開始しはじめた。既に紹介したGreat Migrationである。
Damejima's HARDBALL:2012年7月3日、「父親」とベースボール (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。

南北戦争が「1865年」に終わっているのに、北部への移住Great Migrationがさかんになりはじめたのが、南北戦争終結から40数年もたった「1910年代」というのは、なにか変だと気がついた人は、歴史のセンスがある。これら2つの出来事の間に、あまりにも長く不可解なズレがあるのはどうしてか。

この「40数年間の長いギャップ」には、
もちろんちゃんとした理由がある。

南北戦争が終わる頃から合衆国連邦政府は、奴隷制廃止についての修正第13条、市民権を定めた修正第14条、元奴隷にも参政権を与える修正第15条と、次々に合衆国憲法を改正する一方、南部の奴隷州を北部の流儀に基づくこうした新しいアメリカの自由なシステムになじませようと、かなり積極的に努力を重ねた。
これがアメリカ史でいうところの、 "Reconstruction" レコンストラクションである。(詳しくはWiki等を参照 レコンストラクション - Wikipedia)。

だが、レコンストラクションは、南部の強い抵抗にあう。
最後には連邦政府内部の強硬派が南部を軍事的占領までして、なんとか手なづけようと試みたのだが、たいした効果を上げることができないまま、やがて連邦政府は南部のふるまいを監視する作業を諦めてしまうことになった。

南部の奴隷州は、南北戦争敗北で奴隷制は放棄させられたが、レコンストラクションの拒否には成功したのに気を良くして、やがて、奴隷制に代わる新たな人種差別な州法を相次いで制定して、有色人種に対する「隔離政策」を開始した。
つまり「奴隷制」による人種差別が、南北戦争には「隔離政策」という新たな手法による人種差別に変更に変わって、アフリカ系アメリカ人の束縛が継続されたのである。
このレコンストラクション挫折以降に、南部で次々に生まれていった有色人種隔離政策に基づく人種差別的な州法の総称を、「ジム・クロウ法」という。ネーミングの元になったのは、ミンストレル・ショーの田舎者キャラクター、「ジム・クロウ」である。
ジム・クロウ時代の看板
「ジム・クロウ法」時代の白人(white)有色人種(colored)の使うトイレを分けていることを示す看板(写真)アラバマ、ミシシッピ、ジョージア、ルイジアナ、ノースカロライナ、ワイオミングなどでは、州法によって、病院、バス、電車、レストラン、結婚、交際、学校などについて、アフリカ系アメリカ人を中心とした有色人種が白人と同じ一般公共施設を利用することを禁止・制限した。
また、投票権(franchise)についても、アフリカ系アメリカ人の投票を阻止する数々の制約が設けられていた。非常に重い「投票税(Poll Tax)」、読み書きの試験、grandfather clause (=祖父条項。南北戦争が終結する1865年の2年後、1867年よりも前に祖父または父親が投票権を持っていた人にのみ投票権を与えるという南部の州憲法条項で、1890年頃から1915年まで存在した。当然ながら、アフリカ系アメリカ人の祖父や父親は奴隷だったのだから投票権は持っていない。最初からそのことがわかっていて、アフリカ系アメリカ人の投票阻止のために制定された悪法)などによって、アフリカ系アメリカ人の投票は阻止された。
北部の州でも投票税(Poll Tax)は存在したが、ニューヨーク州では先頭を切る形で1901年には廃止された。逆に、テキサス、アラバマ、ヴァージニア、ミシシッピの各州では、1960年代の選挙法改正まで投票税は存在していた。

南北戦争の南軍敗北で解放された「はず」のアフリカ系アメリカ人だったが、彼らの法的、政治的、経済的、社会的な平等を、恒久的に実現するはずだった連邦政府の理想は、19世紀末のレコンストラクションの失敗で一度挫折を味わわされていたのである。


都市と田舎

18世紀初頭のUnderground Railroadによる亡命にしても、20世紀初頭以降のGreat Migrationによる移住にしても、当然のことながら、すべてのアフリカ系アメリカ人が一斉に北や西に移住したわけではなく、南部にそのままとどまり続けた人々も大勢いる。
このことは、「都市のアフリカ系アメリカ人と、田舎のアフリカ系アメリカ人への、二極化」につながった。(もっと詳しくいうなら、都市、都市に遅れてやってきた人、田舎の3種類)
この「都市と田舎の二極化」は、同じアフリカ系アメリカ人同士の間に、収入や洗練の度合、意識の差、さまざまな「すれ違い」を発生させた。

「すれ違い」は、例えば「北部への移住を決断した人と、南部に残ることを選択した人」との間にあったのはもちろんだし、また「先に北部に亡命や移住を果たした人と、後から遅れてやってきた人」との間にも存在した。
早くから北部に脱出して、苦労を重ねて都市に定着し、それなりの洗練に達していた人たちにしてみれば、遅れて都会に流入したばかりのアフリカ系アメリカ人は、(言葉は悪いが、あえて使うと)野暮ったい田舎者に見えた部分があったようだし、また逆に、後発の人々から見た都会のアフリカ系アメリカ人は、気取って見えてしかたがない部分が少なからずあったらしい。

この「都市と田舎」2つのタイプのアフリカ系アメリカ人の見た目の違い、意識の差は、後で書くミンストレル・ショーの2つのキャラクター、「ジム・クロウ」と「ジップ・クーン」に少なからず反映されていたと言わざるを得ない。
(同じような「すれ違い」は、アフリカ系アメリカ人同士の間だけでなく、白人同士、たとえば、植民地アメリカ時代から先住していた白人と、アメリカ独立後に遅れてやってきた後発の白人移民の間にも強く存在していたようだが、ここでは話が複雑になりすぎるのを避けるために触れないことにする)



こうした「アフリカ系アメリカ人における、都市と田舎という二極化」は、例えば、1950年代から1960年代のアメリカを席捲した「公民権運動」にも反映している。

マルコムXが、都市を基盤にして、妥協の少ない過激な主張を繰り返したといわれるのに対し、マーティン・ルーサー・キング牧師は、田舎を基盤に、比較的な穏健なトーンで権利を主張した、といわれている。

Malcolm XマルコムX
Malcolm X
Martin Luther King, Jr.キング牧師
Martin Luther King, Jr.


19世紀初頭から20世紀初頭、100年という長い歳月をかけて進行していったように見えるアフリカ系アメリカ人の「都市と田舎の二極化」は、歴史という大きな潮流の上でみれば、それ自体はどんな国でも起こりうることであって、止むを得ない性格のものだ。
だが、アフリカ系アメリカ人社会のこうした二極化を、人種差別の助長に利用しようとする人々に「つけいる隙」を与えることにもなった部分もあることは否めない。


minstrel show(ミンストレル・ショー)と呼ばれる、顔を黒く塗った白人が演じる見世物において多用され、流行した、「都会人」を表わす「ジップ・クーン」と、「田舎者」を表わす「ジム・クロウ」という、2人のキャラクターも、その例のひとつだ。

Jim Crow田舎者
ジム・クロウ
Jim Crow

Zip Coon都会者
ジップ・クーン
Zip Coon


これらの登場人物は、誇張され、型にはまったstock character(ストックキャラクター)、ステレオタイプであることに最大の特徴がある。
ミンストレル・ショー自体は、後に衰退することになったが、ミンストレル・ショーが生み出した「ステレオタイプなアフリカ系アメリカ人のイメージ」は、1950年代になってもブラックフェイス・パフォーマーによってヴォードヴィルやドラマで普通に演じられ続けた。

映画、演劇、ショー、文学において、アフリカ系アメリカ人をステレオタイプでしか表現しないという習慣に対する気分の悪さは、かつて日本人が大昔のアメリカ映画やコミックでは、常に「眼鏡をかけ、前歯が出ていている」「クビからカメラをぶら下げている」「忍者の格好をしている」などという、東洋のイメージがごちゃまぜになったような、わけのわからないステレオタイプでしか表現されていなかったことを思い出すと理解できる。

Denzel Washingtonちなみに、ニューヨーク州生まれで、熱心なヤンキースファンでもあるデンゼル・ワシントンは、かつて1970年代後半に、まだ駆け出しの新人俳優だった頃、同じアフリカ系アメリカ人の名優シドニー・ポワチエから、『君のキャリアは最初の3〜4本の出演作で決まる。自分がいいと信じる役が来るまで待つべきだ』とアドバイスされ、いくつかの『黒人らしい』役を断った」(出典:Wiki)という。
演技論はこのブログの専門外だが、アメリカのショービジネスで、アフリカ系アメリカ人俳優に、彼らの才能の有無に関係なく「ステレオタイプなアフリカ系アメリカ人的な、つまらない、誰でもできる演技しか求めない」という悪い習慣のルーツは、このミンストレル・ショーではないかという気がしてならない。
(逆の意味でいえば、アフリカ系アメリカ人の視点で作られているといわれるスパイク・リー映画に登場するアフリカ系アメリカ人の演出や設定にも、ステレオタイプ感がないでもないが、とりあえず置いておこう)


ミンストレル・ショーの変遷を理解するには、たいへんに長ったらしくて複雑な歴史をひもとく必要があるので書ききれない。詳しくはWikiでも読んでもらいたい。
かいつまんで特徴だけ挙げてみる。

ミンストレル・ショーは、顔を黒く塗ってステレオタイプのアフリカ系アメリカ人を演じてみせるブラックフェイス・パフォーマーにルーツをもつ。顔を黒く塗った白人が、踊り、音楽、寸劇を交えたショーを演じたほかに、時代によってはアフリカ系アメリカ人自身が演じることもあった。
以下のリンク先のなかほどの部分に、1929年のミンストレル・ショーにおける録音とされる音源へのリンクがあるので、当時の気分を多少味わえる。この音源が本当に1929年のものかどうかまでは確かめようもないが、できた当初のミンストレル・ショーが、人種差別とはそれほど関係のない、悪気のない、たわいないミュージカルというか、コミックショーみたいなものであったことがわかるのは貴重だ。
こういう明るい雰囲気のショーが、いつのまにやら人種差別の道具になってしまうのだから、人間というものはある意味、怖い。
Blackface! - A History of Minstrel Shows
ミンストレル・ショーにおけるブラックフェイス・パフォーマーは、当初こそメインの出し物だったが、後にだんだんと舞台の片隅に追いやられていくことになったが、やがてミンストレル・ショーは1850年代には人種差別的な見世物という色彩を強めていった。



ブラックフェイス・パフォーマーのひとりで、1930年代に "Jump Jim Crow" という曲を大流行させたのが、Thomas Dartmouth Rice (トーマス・ダートマス・ライス 1808-60)だ。
ニューヨーク生まれの白人の彼が、顔を黒く塗って演じたアフリカ系アメリカ人の田舎者Jim Crow(ジム・クロウ)が歌う、"Jump Jim Crow" というナンバーの大ヒットによって、トーマス・ライスはミンストレル・ショーにひっぱりだこになり、"Jim Crow Rice" とも呼ばれるようになった。

ちなみに、実は「ジム・クロウ」というキャラクターがいつ発明されたか、という点そのものは、アメリカでも諸説あってハッキリしていない。
日本のWikiには「ジム・クロウという名はJump Jim Crowに由来する」と明記されていて、あたかもトーマス・ライスがこのキャラクターを発明したかの印象を与える記述がされているが、それは正確ではなく、「ジム・クロウ法という南部の人種差別的な州法の総称が、トーマス・ライスの "Jump Jim Crow" という曲に由来する」と断定する資料は、アメリカにはない。
確かなのは、「ジム・クロウ法という南部の人種差別的な州法の総称が、ジム・クロウというキャラクターに由来する」ということと、「ジム・クロウが、ミンストレル・ショーのベーシックな田舎者キャラクターだった」こと、この2点だ。
資料:The Strange Career of Jim Crow - The late C. Vann Woodward - Google ブックス



「ジム・クロウ」は当初、単なる「田舎のみすぼらしい黒人」を戯画化したキャラクターにすぎず、軽いコミカルな見世物のキャラクターのひとつに過ぎなかった。

だが、ミンストレル・ショーが興行的な成功と、 "Jump Jim Crow" という曲の大ヒットに、南部戦争前のアメリカ社会の「差別的な気分」との融合が起きたことで、やがてこの "Jim Crow(ジム・クロウ)" という言葉は、ミンストレル・ショーの狭い枠を飛び超えて、アメリカ社会全体に拡散していくことになる。
「ジム・クロウ」は、1930年代に「アフリカ系アメリカ人全体を指す代名詞」になり、さらに1870年代以降には、かつての南部の奴隷州で行われていた有色人種隔離政策のための州法の総称、Jim Crow law(ジム・クロウ法)」として定着した。
As a result of Rice's fame, Jim Crow had become a pejorative meaning African American by 1838 and from this the laws of racial segregation became known as Jim Crow laws.
「(ジム・クロウを演じた)ライスが名声を博した結果、『ジム・クロウ』は1838年までにアフリカ系アメリカ人を軽蔑する意味をもち、さらには、この言葉によって人種差別法が『ジム・クロウ法』という名前で知られることにもなった」
Jump Jim Crow - Wikipedia, the free encyclopedia





ちなみに、日本でフォークダンスの曲として知られている「オクラホマ・ミキサー」(Oklahoma mixer)には、実は、歌詞の違うバリエーションが数多くある。

その中のひとつに、"Natchez Under the Hill(丘の下のナチェス族)や、"Do Your Ears Hang Low?"(君の耳は長く垂れてるかい?)に並んで有名な、"Turkey in the Straw"(藁の中の七面鳥) がある。
"Turkey in the Straw"(藁の中の七面鳥)は、実は、ジム・クロウ法の語源になった "Jump Jim Crow" をヒットさせたトーマス・ライスと同じ、顔を黒く塗って歌い踊るブラックフェイス・パフォーマーのひとり、George Washington Dixonなどが歌ってヒットさせた曲。

またこのメロディは、さらに辿っていくと、かつてミンストレル・ショーでしばしば演奏されていたという、ある人気の曲に行き着く。
それが、ほかならぬ、ミンストレル・ショーにおける都市のアフリカ系アメリカ人キャラクターのテーマソング、 "Zip Coon" である。("Old Zip Coon" とも呼ばれる)

つまり、日本人はミンストレル・ショーの人気曲 "Zip Coon" にあわせてダンスを踊っていた、というわけだ。やれやれ。


人が普段、意識しない隙間にも、文化というやつは染み込んできているのである。





August 05, 2012

イチローのヤンキース電撃移籍の衝撃で間隔があいたが、「父親とベースボール」という書きかけの記事の続きを書いておこうと思う。かなりめんどくさいが、やりかけた以上、しかたがない。


いうまでもなく、この種の問題は見た目より遥かに奥が深い。
もちろん正解など出ない。

だが、この問題は、当事者であるアフリカ系アメリカ人にとって重要なだけではなくて、歴史に疎いこと、そして、歴史と、単なるロマンや神話や観光とを分別し整理する能力が無いこと、この両方によって損をこうむることが少なくない我々日本人にとっても、無視することのできない重要な問題が含まれている予感がある。
やたら頭を下げてばかりいるのをやめて、背筋を伸ばしてプライドを保つためには、「自分の土俵から、世界の歴史を把握し直しておく作業」が、今は非常に大切な時代になってきている。
「歴史、特に世界とのかかわりなんてものは、ただただ小難しいだけだから、わからないままほっておいたって、どうせ現実の暮らしには困らない」なんていう、のほほんとした時代は、とうの昔に終わっている。オリンピックでの審判の不手際に対する抗議ではないが、他人に何かとやかく言われても、ひとことどころか、二言も三言も言い返せるくらいでないと、これから困ることになる。
そのためには、相手に足元を見られるのではなくて、逆に、常に相手の足元を見透かす必要があり、そのためにも歴史というものに無関心でいるのはもったいない。


歴史というのは、人の暮らしの「背骨」、昔の木造帆船でいう「竜骨」のようなものだ。
古代フェニキア人やヴァイキングが海の主になれたのは、古代エジプトで発明されたと思われる「竜骨」の発明によって船の構造を強固にでき、そのことで船体を巨大化し、さらに大きな帆を張ることもできたからだ。東インド会社のガレオン船や、映画パイレーツ・オブ・カリビアンに登場する海賊船も、まったく同じ。竜骨のある洋船は、竜骨が無い和船に比べて構造が強く、大洋さえ越えることができ、その広大な行動力こそが海の制覇と飛躍に繋がった。

(ちなみに、「竜骨の発明時期」に関してさまざまな記述がネット上にあるが、紀元前数千年前の古代エジプトの船に既に竜骨があったことは、壁画から明らかだ。
また、英語版Wikiでは、古代エジプトに歴史的起源をもち、木造帆船において「竜骨」といわれてきた構造材の歴史にまったく触れないまま、ヨットなど、今の船でいう「センターボードとしてのKeel」を説明することで、昔の竜骨が今のkeelと同じものであるかのように扱っているが、その解説はまったく正しくない。
昔からの木造帆船でいうところの「竜骨」とは、船底の中央を縦に貫通する非常に大きくて強い部材であり、文字どおり船の「背骨」にあたる中心構造材だ。
だが、今のヨットなどでいう「keel」とは、いわばサーフボードでいう「フィン」のような脇役的存在であり、古代フェニキアや古代エジプトに起源をもつ「竜骨」という骨太の訳語には、まるでふさわしくない。一刻も早く「keel」と呼ぶのを止め、「センターボード」とでも呼称を変更してもらいたいものだ)

古代エジプトのハトシェプスト女王がプント交易に使った船古代エジプトのハトシェプスト女王がプント交易に使った船
木造帆船の典型的な「竜骨」クレーンに吊り下げられた「竜骨」。1745年9月12日に座礁して沈没し、近年再現されたスウェーデン・東インド会社所属の「イエーテボリ号」(2003年進水)のもの。
最近のヨットでいう”keel”(実際にはセンターボード)現在ヨットで "keel" と呼ばれているものが、これ。 "keel" という呼称で呼ばれるのは、単に昔の名残りに過ぎない。かつてのkeelが持っていた構造上の重要性を失ったこの部材に、keelという言葉を使うのは、誤解を呼ぶだけで、どうみても正しくないし、ふさわしくない。どうみても、「センターボード」と改名してくれたほうが、いらぬ誤解を生じないのは明らか。


どうせ誰も正解が出せない問題なら、正解が出せないことくらい、気にする必要などない。こじんまりしたつじつま合わせをして、無理にまとめる必要もない。
むしろやるべきことは、風呂敷を広げられるだけ広げておいて、せめて、その広げた風呂敷のどこかに、奥の奥にある問題の一端を少しでも多く引きずり出しておくことだろう。そのほうがずっと有益だし、またブログ主の能力の乏しさにもふさわしい。


再開にあたって、ここまで書いてきた4つの記事の、意味や繋がりについて、自分なりにまとめ直しておこう。



出発点は、こういう話だった。

1940年代のジャッキー・ロビンソンの加入以降、MLBにおけるアフリカ系アメリカ人の存在は、プレーヤーとしてその優れた運動能力を轟かせ、ファンとしてプレーヤーを支えてきた。アフリカ系アメリカ人は、選手、ファン、GMや監督・コーチ、さまざまな立場からMLBを支える原動力のひとつとなってきたのである。
だが、現在のところ、アフリカ系アメリカ人とベースボールの距離は、ジャッキー・ロビンソン加入直後の熱をすっかり失って、遠く離れてきてしまっているように思える。
それはなぜなのか?


とりあえず考えられる要因は、アフリカ系アメリカ人にみられる「異常に高いシングルマザー率」。このブログでは、家庭における「父親の不在」が、アフリカ系アメリカ人の意識とベースボールとの距離を広げてしまう直接の原因になっているのではないか、と考えた。
これは、「野球という文化は、どこの国でも父親が子供に伝えていく家庭的な文化である」というブログ主の基本発想からきている。同じような指摘は、アメリカのサイトにもみられる。
Damejima's HARDBALL:2012年6月29日、「父親」とベースボール (1)星一徹とケン・バーンズに学ぶ 『ベースボールにおける父親の重み』。

この「父親の不在という、家庭の構造変化が影響している」という仮説は、すぐ次の壁に突き当たる。なぜ「アフリカ系アメリカ人家族の構造、コミュニティの屋台骨は、これほど大きく揺らでしまったのか?」という新たな疑問だ。

現代のアフリカ系アメリカ人を取り巻く社会環境は複雑だ。「古くからある人種問題」は、公民権運動の成果などによって、見た目だけは解消されたように見えるが、もちろん根本的な解決には至っていない。その上、インナーシティなどにみられる都市問題などもからまり、現実のアフリカ系アメリカ人は結果的に、新旧入り乱れた重層的な社会問題の束縛を受けている。

それを貧困や失業などからありきたりに説明することはたやすいが、それでアメリカという国全体が経験してきた喜びと苦しみの両方が入り混じった歩みを謙虚に学んだとはいえない。なにも、アメリカを全否定するために、こんなことを書いているわけではないのだ。むしろ、深く理解して、対等にモノを考えていくことが大切だから、やっている。


南北戦争が終わって移動の自由を得たアフリカ系アメリカ人の一部は、南部での奴隷生活を逃れ、北や西の都市への移住、いわゆるGreat Migrationを開始した。移住先の都市で彼らは、「ベースボールというアメリカ文化」と新たに遭遇し、経験し、夢中になった。

独立戦争や南北戦争の尊い犠牲によって、アメリカはイギリス(およびヨーロッパ諸国)の束縛から自由になり、その結果、北部の都市で近代的な経済成長が始まって、やがて経済成長につきもののサバーバナイゼーション(郊外化)が進行していく。
これを、南部の隷属を脱出して北へ向かったアフリカ系アメリカ人の立場からみると、アメリカ市民として北部の都市に安住し、南部では味わえなかった人並みの自由や豊かさを得るはずだったわけだが、やがて「ゲットー」や「インナーシティ」といった都市問題にからめとられたことで、南部で奴隷として味わった隷属とはまた別種の「新たな冷遇」の時代を迎えることになった。
アメリカに古くからある人種問題と、20世紀以降に新たに発生した都市問題が複雑にからまりあう中、アフリカ系アメリカ人は新たな冷遇と不自由さを経験する。

そしていつしか、かつて保持されていたアフリカ系アメリカ人特有の家族同士の絆や、アフリカ系住民同士のコミュニティの緊密な係わりは崩れていく。そして、自由と豊かさを求めて都市に移住したはずのアフリカ系アメリカ人の中に、南部に回帰する者も現われはじめる。
こうした「南部回帰」の流れの中で、アフリカ系アメリカ人と野球との間にできはじめた「ギャップ=距離感」は必ずしも縮まっていく方向にはない。

Damejima's HARDBALL:2012年7月3日、「父親」とベースボール (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。

Damejima's HARDBALL:2012年7月6日、「父親」とベースボール (3)サバーバナイゼーションと都心荒廃を、アフリカ系アメリカ人の移住が原因のwhite flightと説明するレトリックの呪縛を解く。


アフリカ系アメリカ人が経験してきた苦難の道のりについて記述する行為は、往々にして、人種差別の善悪についての道徳的判断に終始してしまうことが多い。
だが、人種問題のような、モラルを最初から無視した問題について、モラル面からの反論や価値判断を試みることは、方法として有効とはいえない

ならば、こうした問題を、「根=root」の所在を明らかにすることで「根を枯らす=葬り去る」という意味でいうなら、アフリカ系アメリカ人冷遇の歴史を招き続けてきている「白という色を絶対的なものとする価値観」が、いつ、どこで、生まれてきたのか、という問題について把握しておく必要がある、と考えた。


白という色を絶対とする近世の歴史観」を見直す流れが、近年の歴史学でようやく根付きつつある。アメリカ国内はじめ、さまざまな研究者の努力によって、近世以降にできあがった「白という色を絶対とする近世の歴史観」が生産されてきた「発生源」「動力源」は、特定されつつある。
例えばマーティン・バナールの著書『ブラック・アテナ』のように、「白という色を絶対とする歴史観」をくつがえすこれまでになかったタイプの古代史研究が発表されたことによって、18世紀のヨーロッパが必死になって作り上げた「白を絶対としたがる歴史観」の捏造ぶりが明らかになりつつある。(だからといって、逆に黒を絶対的なものとしても、意味がない)
Controversies in History: Black Athena Debate

例えば、近年の科学技術の進歩によって、「イギリスの誇る大英博物館に収蔵されている「白いと思われ続けてきた古代ギリシア彫刻」の表面には、実は、かつてオリジナルな彩色がほどこされていた」ことが判明している。
また、大英博物館で、本来は彩色されていた古代ギリシア彫刻の表面を、人為的に削って「もともと白い彫刻だったようにみせかける」インチキな彩色除去作業が、なんと100年もの長きにわたって行われてきたという、スキャンダラスな行為も明らかになった。

こうした「白色礼賛主義」に基づいて行われた歴史捏造のルーツのひとつに、18世紀ドイツの歴史家ヨハン・ヴィンケルマンの著作にみられた古代ギリシア芸術の「白さ」に対する礼賛がある。
ヴィンケルマンの誤った著作に強い影響を受けた人々によって、「白いギリシアこそ、唯一無二のヨーロッパの文化的ルーツである」という歴史観は、日々拡張されていき、やがて、大英博物館でのギリシア彫刻の彩色除去作業のような「歴史的事実を完全に無視した、無理矢理な証拠固め」すら行われるようになった。
Damejima's HARDBALL:2012年7月16日、「父親」とベースボール (4)アメリカにおけるドイツ系移民の増大。18世紀ドイツの美術史家ヨハン・ヴィンケルマンが欧米文化のルーツとして捏造した「白いギリシア」。


そうなると、知りたくなるのは、ひとつには、「白いギリシアという価値観が、果たしてアメリカにも持ち込まれたのかどうか」という点であり、2つ目には、「白いギリシア」という価値観がアメリカに持ち込まれたとするなら、それはアフリカ系アメリカ人の冷遇とどういう関係にあるのか、という点だ。

「白いギリシア」という価値観は、ドイツで生まれ、イギリス(当時イギリスはドイツ系王朝であるハノーヴァー朝だった)が世界貿易の主導権を握った近世のヨーロッパで固められていった。
このブログでは、「アメリカにおけるアフリカ系アメリカ人に対する人種差別が、あまりにファナティックなレベルに行き着いてしまう原因のひとつは、ヨーロッパ移民(その中には、独立戦争でアメリカと戦ったイギリス国王ジョージ3世が、ドイツの親戚筋で買い付けてアメリカに大量に持ち込んだドイツ人傭兵も含まれる)が独立後のアメリカに持ち込んだ『白いギリシア』という価値観に、ルーツのひとつがある」との仮説を立ててみた。

建国前のアメリカは独立国ではなく、ヨーロッパ諸国から送り込まれる集団的な移民がネイティブ・アメリカンを大地の片隅に追いやりながら住みついた「植民地」として出発している。アメリカが国家として独立するのは、18世紀末にイギリスとの独立戦争が終わって以降のことだ。
こうしたアメリカ独立の過程において、アメリカが「価値観」という面においても、イギリスの価値観から決別、独立できたか、というと、とてもそうは思えない。
むしろ逆に、アメリカは、イギリスからの独立に前後して、ヨーロッパの価値観から抜け出すのではなくて、むしろ、当時のヨーロッパの閉塞した貴族的価値観(もっと詳しくいってしまえば、フィルヘレニズムや、イギリス経由のドイツ的価値観)に急速に染まった面が、少なからずあるように見える。

つまり、「自由を尊び、のびやかに、おおらかにふるまう開拓者的な気質」は、アメリカのオリジナルな長所として、たしかにアメリカが古き良き時代から受け継いできた資産、遺産だと思うが、残念なことに、別の面には、「やたらとセコい、自己愛に満ち満ちた部分」も存在する。
この「自己愛成分」は、最初から植民地アメリカに存在していたのではなくて、18世紀の独立戦争に前後して、当時の「白いギリシアという価値観が大流行していたヨーロッパ」から、はからずも吸収してしまったものであるように見えるのだ。
独立戦争は、それまでとても牧歌的だったはずのアメリカに、「なにか異常にアクの強い、自己愛成分」をもたらした。
(こうした「アメリカの理想の劣化」については、「ミンストレル・ショーの変質」をテーマに、別記事として近いうちに書く →Damejima's HARDBALL:2012年8月5日、父親とベースボール (6)アフリカ系アメリカ人史にみる「都市と田舎の分離」。ミンストレル・ショーの変質と、「ジム・クロウ」誕生


したがって独立戦争以降のアメリカには、常に「二面性」が感じられる。
ひとつは、「自由さと開放感を求めるおおらかな部分」、もうひとつが、「自己愛に満ちた、制約好きな部分」だ。
この「ものすごく自由で、ものすごく不自由なアメリカ」という「アメリカの二重性」は、そうなるに至った経緯や理由まではわからないが、明らかにいまやアメリカの奥深くに二面性として共存してしまっている。
やがて、この「二面性」は南北戦争を導くことになるわけだが、北軍と南軍の軋轢は、単に経済上の利害を代表しているのではなく、実は「アメリカの精神構造上の二面的分裂」を表現しているものと思われる。
こうした分裂は、実は南北戦争の終結によっては、ほとんど解消されることはなかったし、だからこそ、奴隷制が建前上は無くなった南北戦争後も、隔離政策という形でアフリカ系アメリカ人の苦境が残存し続けることになった。


アメリカという国は、最初「ヨーロッパの出張所のようなもの」として誕生しているわけだが、やがて成長を遂げたことで、イギリスから分離独立することに成功した。その成長過程においてアメリカは、さまざまな「異質な成分」を内部に取り込んできた。
「人種」という「成分」からみれば、アメリカに流入したのは、なにも三角貿易によってアメリカにもたらされた肌の黒いアフリカ系アメリカ人だけでなく、ヨーロッパからの白人移民も大量に入ってきている。
そうした白人移民がアメリカに持ちこんだのは「アメリカ起源でない、閉鎖的な自己愛の匂いの強い文化」だった可能性が大いにある。
「白人移民の文化」が本来おおらかだったはずのアメリカ文化にもたらした強い悪影響について、アメリカ史家はもっと明確に究明すべきだろう。(もしかすると、今のアメリカの「ある部分」は、「本来のアメリカではない、アメリカ」になっている可能性すらある)

また「独立戦争から南北戦争までの時代のアメリカを支える財政基盤」について、当時の世界史からみて根本的なのは、アフリカ系アメリカ人に隷属を強いたアメリカ南部のプランテーションの生み出す農産物の収益ではなくて、むしろ、イギリスが東方貿易で得た金や銀のような「ヨーロッパとアジアとの間の貿易」がベースなのは、明らかだ。言い換えると、「18世紀におけるアジアの重要性は、アメリカで起きていた人種間のトラブルの推移よりも、はるかに重要な位置を占めていた。
通常のアメリカ史には、ヨーロッパとの関係はさんざん書かれている割には、「アフリカ系アメリカ人を無給の働き手として経営されるプランテーションは、ヨーロッパ側から見れば、それは単に数あるサブシステムのひとつに過ぎなかった」という視点が欠けている。
アメリカ通史においてこれまでほとんど無視され続けてきた「ヨーロッパとアジアの関係」は、もっと重く扱われていいし、建国時代のアメリカと、遠いアジアとの関係は、アメリカ通史の一部にもっときちんと埋め込まれるべきだ。(この点についても、そのうち別記事を書く)



散漫な話のわりにこみいっていて申し訳ないが、ここらへんが「父親とベースボール」というシリーズが今のところ到達している「大風呂敷」である。

もし「自由」という美徳がアメリカの培ってきた美徳のひとつであり、独立戦争、南北戦争で多大な犠牲を払ってまで樹立しようとした理想のひとつであるとして、その美徳の良さをすっかり劣化させつつアメリカの内部に二面性を定着させたのが、ヨーロッパ由来で輸入された「白さへの信仰」だとするなら、それは大変に残念なことだ。

たいへん入り組んだ話なので、野球ファンにはまったく興味がないと思う(笑) だが、シアトルという田舎からニューヨークという都市にイチローが移籍せざるをえなかったことのアメリカ史的な本質を誰もやらないような角度からきちっと辿る意味でも、ブログへのアクセス数の激減などおかまいなしに書き続けてみるつもりだ。

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  • 2014年10月31日、PARADE !
  • 2013年11月28日、『父親とベースボール』 (9)1920年代における古参の白人移民と新参の白人移民との間の軋轢 ヘンリー・フォード所有のThe Dearborn Independent紙によるレッドソックスオーナーHarry Frazeeへの攻撃の新解釈
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年6月1日、あまりにも不活性で地味な旧ヤンキースタジアム跡地利用。「スタジアム周辺の駐車場の採算悪化」は、駐車場の供給過剰と料金の高さの問題であり、観客動員の問題ではない。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年6月29日、『父親とベースボール』 (1)星一徹とケン・バーンズに学ぶ 『ベースボールにおける父親の重み』。



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