July 2013

July 30, 2013

タンパベイ投手陣のメジャーデビューは、大半が2011年に集中している。このことはタンパベイ・レイズが生え抜きの若い投手たちの才能を、意図的かつ集中的に開花させ続けてきたことを示している。
2011新人王ジェレミー・ヘリクソンマット・ムーアアレックス・コブジェイク・マギー。すべて2005年以降の数シーズンのドラフトで獲得した選手たちばかりだ。他にクリス・アーチャーアレックス・トーレスにしても、ドラフトこそ他チームだが、メジャーデビューはタンパベイなので、まぁ、タンパベイ育ちといっていい。
若い才能をいっこうに開花させることができないで安物買いばかりしているヤンキースと比べると、正直な話、2つのチームの選手育成能力には既に雲泥の差がついている。


いまのタンパベイは、デビッド・プライスの影が薄くなるほどの投手王国ぶりで地区首位を争っているわけだが、これが誰の功績なのかは、このチームに詳しくないので、よくは知らない。
投手王国ができあがる原動力は、たいていの場合、ピッチングコーチに有能な人材がいる場合が多いわけだが(あるいは投手コーチ出身の監督)、今のタンパベイのピッチングコーチは、とりあえずヒューストン・アストロズが2005年にワールドシリーズ進出したときのピッチングコーチであるJim Hickeyだ。
2005年当時のアストロズの先発3本柱は、ロイ・オズワルト、ロジャー・クレメンス、アンディ・ペティットだが、うち2人がステロイダーなだけに、「ジム・ヒッキーが投手コーチとして有能だから、ヒューストンが投手王国だった」と断言するわけにはいかない気がする。


むしろ気になるのは、タンパベイのマイナー、Durham Bullsの育成能力の高さと、そこでピッチングコーチをやっているNeil Allenの存在だ。


簡単にいってしまうと、「今のタンパベイにとってのDurham Bulls」は、「かつてのヤンキースにとってのColumbus Clippers」なのだ。

ヤンキースという「老朽化しつつあるビルディング」で、長期間にわたってチームの屋台骨を支える「構造材」になってきたのは、バーニー・ウィリアムズのほか、リベラ、ジーター、ポサダ、カノー、ペティット、王建民などの「1990年代の末から頭角を現した、当時の若い才能」なわけだが、彼らを育ててメジャーに送り出し続けたのは、2006年までヤンキースの傘下だったColumbus Clippersだ。
ジーターが最も数多くClippersのゲームに出たのは1995年の123試合だが、当時のヤンキース監督はバック・ショーウォルター。この年が彼のヤンキース監督としての最終年で、ショーウォルター時代のマイナーの若手が、「ショーウォルター後」のヤンキース黄金時代を作った。(ちなみにジョー・トーリ時代の1999年から2001年までClippers監督だったのは、元・日本ハム監督で、現ドジャースのベンチコーチ、トレイ・ヒルマンだったりする。どうりで、マッティングリーがベンチコーチに据えるわけだ)
資料:List of Columbus Clippers managers - Wikipedia, the free encyclopedia

一方、タンパベイは、マイナーであるDurham Bullsで、ゾブリスト、ロンゴリア、ジェニングス、ロバトンなどの野手、ムーア、ヘリクソン、コブ、トーレスなどの投手と、現在のタンパベイの主力となる選手の大半を自前で育て上げてきた。
つまり、いってみれば、かつてのヤンキースがColumbus Clippersの輩出した若い選手によって黄金期を形成したように、今のタンパベイは若手の登竜門であるDurham Bullsによって強化が図られているわけだ。

なぜヤンキースが1979年から2006年まで、約30年間の長きに渡って傘下に置いてきたColumbus Clippersを手放してしまったのか、理由は知らないが、「1990年代代末のColumbus Clippersにあったような育成能力」は、いまでは「Durham Bullsに、お株を奪われている」といっても過言ではない。
近年ヤンキースとタンパベイの地区順位が急速に逆転しつつある原因も、近視眼的なトレードの成功不成功などという単純な話ばかりではなくて、マイナーの育成能力の差が原因になって起こる「生え抜き選手の実力差」がそのまま「チームの実力差」になって表われてしまっている部分が大いにあると考えないわけにはいかない。
資料:New York Yankees Minor League Affiliations - Baseball-Reference.com


Durham BullsでピッチングコーチをやっているNeil Allenは、かつてヤンキース傘下だった時代のColumbus Clippersのピッチングコーチだった人で、王健民に彼のトレードマークとなったシンカーを教えたのも、この人だ。また彼は、2000年にStaten Island Yankeesのコーチ、2005年にはヤンキースのブルペン投手コーチをつとめている。
つまり、ヤンキースのマイナーの投手コーチが、今はタンパベイのマイナーの投手コーチ、というわけだが、単なる偶然とも思えない。かつてヤンキースの若い才能あるピッチャーを育てたのがNeil Allenだとすれば、彼に投手育成能力があるのはもとより、ことヤンキース投手陣に関しては「配球のクセからなにから、あらゆることを知り尽くしている」彼が、「情報源」として機能していると考えないわけにはいかない。こんな人物がライバルチームにいたんでは、ヤンキース投手陣の「手の内」がタンパベイ・レイズの内側でデータ的に丸裸にされているとしても、まったく驚かない。
資料:Chien-Ming Wang Has A Secret (cont.) - Albert Chen - SI.com


まぁ、余談はさておき、所用で見られなかった7月28日のイチローの4安打を、Durham Bulls育ちのタンパベイのピッチャーたちの配球パターンと照らし合わせながら、データで振り返ってみたい。




まず大前提として抑えておかなくてはいけないのは、「タンパベイ投手陣の持ち球と配球パターンには、ひとつの共通性がある」ことだ。
彼らの大半は、「速度と重みのあるストレート系」と「チェンジアップ(あるいはカーブ)」というコントラストのある持ち球で、アクセントの強い緩急を使ってくる
あくまで想像だが、彼らが同じ持ち球と配球パターンをもつのは、おそらくタンパベイの若い投手がDurham Bullsという「同じ場所」で育てられていることと関係があるだろう。
それはともかく、基本的にどの投手も「ストレートとチェンジアップによる緩急」を使いたがることは、タンパベイと対戦するときに必ず頭に入れておかなくてはならない基本事項だ。


イチローの4安打は、面白いことに、以下の打席データでわかる通り、まったく共通したストライクを打っている。どれもこれも全部『真ん中低めのストレート系』を打っているのである(第4打席はアウトローだが)。
データで見るかぎり、ピッチャーたちは「自分で意図してそこに投げた」というより、「ファウルでチェンジアップをカットし続けながら、自分の打ちたいストレートをジッと待つイチローに、まるで誘導されるかのように、真ん中低めのストライクを投げさせられた」というほうが正確だろう。これだから、野球は面白い。

2013/07/28 イチロー4安打第1打席(マット・ムーア)第1打席
投手:ムーア
2死2塁
イチロー第1打席で先発ムーアは、アウトコースに、1球おきに4シームとチェンジアップを投げ分けている。この球種の使い方は、「典型的なタンパベイの投手の配球パターン」だ。
2013年版のムーアの球種をみると、前年までと比べ、カーブ、チェンジアップの量が増えて、むしろストレート系が減りつつある。ムーアの「生命線」は、徐々にだが、「変化球」のほうにシフトしつつあるかもしれない。もしかすると、ムーアはチェンジアップでイチローをうちとりたいと考えていたかもしれない。

生でゲームを見ていないのが、かえすがえすも残念だが、第1打席のイチローが4球目のチェンジアップを空振りするのを見て、なぜムーアが「変化球をもう1球続けてみよう」と考えなかったか、そこが不思議だ。マイク・ソーシアならチェンジアップの後に、ボールになるインローのカーブを、たとえワンバウンドしてもいいから投げさせそうな気がする。

「2球目のチェンジアップ」がワイルドピッチになってしまったことで、
おそらくムーアは、立ち上がりの変化球のコントロールに自信がなくなったのだろう。加えて、得点圏にランナーが進んでしまったことで、ムーアのマインドに「変化球勝負への気後れ」が生じていたのは、たぶん間違いない。
「何を言ってるんだ。4球目にもチェンジアップを投げているじゃないか」という人がいるかもしれないが、それはむしろ逆で、「4球目のチェンジアップは、本来はボールにして空振り三振させるつもりだったのが、意図に反してストライクゾーンに行ってしまい、イチローに強振されて、ビビッた」と考えるほうが、辻褄が合う。
タンパベイのピッチャーの大半に「ストレートか、チェンジアップか、という球種選択をするクセ」があることを考えると、ここでは打者は「ストレート」に球種を絞ることができる。

2013/07/28 イチロー4安打第2打席(マット・ムーア)第2打席
投手:ムーア
2死ランナーなし
第1打席でアウトコースを攻めてイチローにタイムリーを浴びてしまったムーアは、第2打席ではインコース攻めに方針を変えた。
3球目がファウルで、「カウント1-2」。このカウントは、以前書いたことがあるように、イチローのカウント別打率では最も数字が悪い。
ここで4球目、ムーアはインハイに、彼の持ち球としては珍しく「スライダー」を投げている。この球の「意味」が問題だ。おそらく、3球目のスライダーをストライクにするつもりは最初からなく、一度インコースでのけぞらせておいて、次の球をアウトローにでも投げる布石と考えるのが普通だろう。
「ストレートか、チェンジアップか」というタンパベイ投手の「配球グセ」からして、5球目には、低めのストレートかチェンジアップが来るのは、ほぼ間違いない。

2013/07/28 イチロー4安打第3打席(アレックス・トーレス)第3打席
投手:トーレス(交代直後)
先頭打者
タンパベイの監督ジョー・マドンは、このイニングの頭から有能なセットアッパー、アレックス・トーレスをリリーフさせた。
彼も、ムーアやヘリクソンと持ち球はまったく変わらない。配球の基本パターンは「ストレートか、チェンジアップか」だ。トーレスはインコースを続けて、あっさりイチローの苦手な「カウント1-2」に追い込んだ。
Durham Bullsでコントロールを改善してもらったトーレスは、ここから真ん中低め、アウトロー、インロー、アウトハイと、丁寧にコーナーに投げ分けた。だが、イチローは徹底して「チェンジアップをカット」して、「ストレートの見極め」にかかっている。
タンパベイの投手の基本的な配球方針が「ストレートか、チェンジアップか」であるなら、「チェンジアップを徹底的にカットして、ストレートに絞るバッティング」は非常に的確な対応だ。やがてトーレスは投げる球のなくなってしまい、判で押したように、ムーアが既に2本のヒットを打たれている「真ん中低めのストレート」を投げてしまうことになる。

2013/07/28 イチロー4安打第4打席(ジェイク・マギー)第4打席
投手:マギー(交代直後)
先頭打者
ジョー・マドンは、またしてもイチローの打席の前にピッチャーを変えてきた。こんどの投手は、球威のあるスピードボールを投げるジェイク・マギーだ。
彼はムーアやトーレスと持ち球が少し違っていて、4シームを主体に、今シーズンからは2シームを多く混ぜるようになってきている。だが、イチロー第4打席でのマギーは、その2シームを使わず、4シームだけで押してきた。

ひとつ、よくわからないのは、イチローが第4打席で「初球のほぼ真ん中の4シーム」をあっさり見逃していることだ。
まぁ、イチローが初球を見逃すこと自体はよくある光景ではあるわけだが、この打席では最初の3球を振らず、またしてもイチローの苦手な「カウント1-2」に追い込まれている。5球目にしても、アンパイアによってはストライクコールされても不思議ではない球だが、これも振ってない。
ピッチャー側からすると、追い込んでおいてボールになるスライダーや2シームを振らせるという、よくある配球パターンを使ってもよさそうなものだが、ジェイク・マギーがそういう気分にならなかった理由はよくわからない。ヤンキースのブルペン投手は「やたらとボール球のスライダーを振らせたがる」わけだが、どうやらタンパベイのピッチャーは「あくまでストライクを積極的にとりにいくピッチング」が信条のようだ。
イチローはアウトローのストライクを、ヘッドをきかせて、ものの見事にセンターに弾き返した。


こうして4つの打席を並べてみると、ジョー・マドンとタンパベイ・バッテリーが、イチローに対して、タンパベイ投手陣の得意な緩急を使った配球、2度の投手交代、ストライクで押していくピッチングで、必死にイチローの苦手な「カウント1-2」を作り続けて、力ずくで抑え込みにかかっていたことが、よくわかる。

まぁ、ジョー・マドンもこれで、ちょっとは懲りただろう(笑)次回の対戦では少しはマイク・ソーシア風にボール球を振らせにかかってくるかもしれない。楽しみだ。

July 26, 2013

ル・モンド紙によれば、1998年にツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアをダブル優勝したイタリアのサイクリスト、マルコ・パンターニの98年ツール・ド・フランス総合優勝時の検体を、「現在の技術」で調べたところ、EPO(エリスロポエチン)が検出され、彼が「やはり」血液ドーピングをしていたことが明らかになった、という。
今回の再検査では、総合2位のヤン・ウルリッヒ(ドイツ)にもEPOの痕跡があり、3位のボビー・ジュリッチ(ボビー・ジュリック)の検体からも疑わしい値が検出されていて、ランス・アームストロングより以前から既にツール・ド・フランスが「ドーピングまみれ」だったことが、あらためて立証された。

1998年ツール・ド・フランスの表彰式で並ぶ3人のドーピング使用者
Tour de France 1998
左からウルリッヒ、パンターニ、ジュリッチ


あえて「やはり」という表現をとったのには理由がある。

現在に至るまで、かつて自転車界のヒーローだったパンターニをあくまで弁護しようとする人が存在する。彼らは、主に以下のような主張を繰り返してきた。

主張A)パンターニは、ドーピングをやってない。
主張B)当時の自転車界はEPOが禁止されていない時代だった。だからパンターニは法的には無実。

誰が読んでもわかることだが、2つのロジックはまったく両立しない。
片方で「パンターニは、ドーピングなんて下劣なことはやってない」という「優等生的な潔癖さ」を主張しつつ、他方では「当時のルールでは、EPOは禁止されてない。だからパンターニのEPOは、法的には何の問題もない」と、まるで脱法ドラッグを覚えた優等生が自己弁護するかのような「世間ズレした、世渡り感覚」を主張している。

まるで一貫性も、整合性もない。
都合の良いことばかり言ってんじゃねぇよ、としか言いようがない。


彼らの主張を流し読みした人はたぶん、「当時はドーピングを規制するルールがそもそも無かったのか」とか、「当時はEPOを規制するルールがまったく無かったわけだから、EPOはいくらやっても合法だったんだろう」などと誤解する可能性がある。


だが、それはまるで事実に反している。

当時のUCI(国際自転車競技連合)は、血液中に占める血球の容積の割合を示す数値であるヘマトクリット値を規制していた。

なぜ当時のUCIが、EPOそのものではなく、ヘマトクリット値を規制していたかといえば、ひとつには、当時の技術ではEPOそれ自体を正確に検出できなかったからだ。

EPOを使ったドーピングでは、「EPO」という「手段」を使って、血液が持っている機能を人工的に上げて(それがヘマトクリット値の上昇という現象に現れる)、超人的な持久力を得るという「結果」を得ていた。
だから、EPOによるドーピングを摘発する場合、やり方は「2種類」考えられる。
1)ドーピングの「手段」であるEPOの使用そのものを発見し、摘発する規制(ドーピング摘発技術の進化により、現在ではこれが可能になった)

2)ドーピングの「結果」であるヘマトクリット値の異常を発見することで、結果からさかのぼってEPO使用を摘発する規制


ここまで説明すれば誰でもわかると思うが、「1998年当時は、EPOについてのドーピング規制はなかった」という主張は根本的に間違っている。
当時はまだ検体からEPOそのものを検出する技術がまだ開発されていなかったから、やむなくドーピングの「結果」である「ヘマトクリット値の上昇」という別の指標を使うことで、ドーピングを犯している選手を摘発していたという、ただそれだけのことだ。
これはドーピングの巧妙化にともなって、ドーピング物質そのものを検出するのではなく、ドーピングの隠蔽に使われる利尿剤の検出を行って、結果的にドーピングを摘発するのと同じ考え方だ。


現実にマルコ・パンターニは、1999年ジロ・デ・イタリアでヘマトクリット値が当時の規制値をかなり超えた「52」を示して、出場停止処分になっている。(これは自転車界を直接管轄するUCIによる自発的な摘発ではなく、イタリア当局による抜き打ちの検査によって摘発された。UCIは当時も今もドーピング摘発に及び腰であり、そのなまぬるい体質が自転車界を長くドーピングまみれにしてきた原因になってきた)

99年のジロにおけるパンターニの摘発は立派に「当時の技術レベルにおける、まがいもないドーピング摘発」であって、「当時はEPOに関する規制がなかった」という主張も、「パンターニは法的に問題ない」という主張も、どちらも事実とはいえない。当時のEPOに関する規制手法としては精一杯だったといえる「ヘマトクリット値による規制」に、パンターニは違反し、みずからの不正によって失格したのである。

そして今回、明らかになったのは、以前からわかっていた1999年のドーピングではなくて、その前年1998年のツール・ド・フランスでのドーピングであり、しかも、今回はヘマトクリット値の異常ではなく、EPOそのものがハッキリ検出されている。
加えていえば、2006年7月のコリエレ・デッラ・セーラ紙(Corriere della Sera, イタリア)によると、パンターニは、スペインのドーピングスキャンダルで有名なフエンテス医師と関係をもち、2003年にはEPOのみならず、成長ホルモン、アナボリック・ステロイド、更年期障害に関するホルモンを「ダース単位」で買い、多額の代金を支払ったとみられると指摘されている。
The doctor gave 'PTNI' more than 40,000 units of EPO, seven doses of growth hormone, thirty doses of anabolic steroids and four doses of hormones used to treat menopause.
Latest Cycling News for July 4, 2006 www.cyclingnews.com - the first WWW cycling results and news service

これでマルコ・パンターニのドーピングは、濡れ衣でもなければ、疑惑でもなく、れっきとしたドーピングそのものだったことが、あらためて立証された。彼が駆け上がったのは、フランスやイタリアの風光明媚な山岳ではなく、ドーピング物質で固められた、どす黒い山だ。


チームぐるみのドーピング事件であるランス・アームストロング事件では、アームストロングと同じチームの選手からも多くのドーピング処罰者が出ているが、「1998年以降、選手キャリアの大半ほでドーピングしていた」と自白しているオーストラリアのマット・ホワイトは、「1998年当時のイタリアのドーピング状況の酷さ」について、オーストラリアのテレビ番組でこんなことを言っている。
「イタリアに渡ったとき、あまりにもドーピングがおおっぴらだったので、非常に驚いたが、仕事をキープするには、自分もPEDをやらないと話にならない、と思った。イタリアに着いたその日のうちにドーピングをやった。非常識な話ではあるが、それくらい当時のイタリアではドーピング薬物が広く出回っていた」


ちなみに、1998年ツール・ド・フランスで、マルコ・パンターニに続く2位になったドイツのヤン・ウルリッヒは、昨年2012年に、これまでずっと否定し続けてきたドーピングスキャンダルへの関与を認めるコメントを出して謝罪している。
このウルリッヒは、パンターニがダブル・ツールを達成する1998年の前年、97年に、それまでたいした実績がないまま出走したツール・ド・フランスで突如として優勝し、一躍ドイツのヒーローになった人物で、ドイツに爆発的な自転車ブームを引き起こしたドイツのヒーローだった。

だが、2006年スペインでの有名なドーピング・スキャンダル『オペラシオン・プエルト』への関与が疑われ、2006ツール・ド・フランスの出走前日にチームを解雇され、事態は一変した。
ウルリッヒは、当時からずっと一貫して関与を否定し続けてきたが、2012年2月にスポーツ仲裁裁判所によってドーピングが確定し、2005年5月以降の成績は抹消され、ウルリッヒ当人もドーピングの事実を認める謝罪コメントを発表した。

ウルリッヒのオペラシオン・プエルトへの関与で抹消された成績は、「2005年5月以降」のものだが、今回の1998年の検体の検査結果によって、オペラシオン・プエルトよりずっと前から既にウルリッヒがEPOによるドーピングに手を染めていたことがわかったわけだ。
1997年に実績のないウルリッヒが突如としてツール・ド・フランスに優勝したことを、ドーピング以外でどんな説明がつくというのだろう。あらたなドーピングが判明した以上、ウルリッヒの成績抹消は、さらにさかのぼって、1990年代の成績についても抹消されるべきだ。


EPOが検出された18名

マルコ・パンターニ(イタリア)
ヤン・ウルリッヒ(ドイツ)
ローラン・ジャラベール(フランス)
ジャッキー・ドゥラン(フランス)
ローラン・デビアン(フランス)
エリック・ツァベル(ドイツ)
イェンス・ヘップナー(ドイツ)
マリオ・チポッリーニ(イタリア)
エディ・マッツォレーニ(イタリア)
アンドレア・タフィ(イタリア)
ニコラ・ミナーリ(イタリア)
ファビオ・サッキ(イタリア)
アブラハム・オラーノ(スペイン)
マルコス・セラーノ(スペイン)
マヌエル・ベルトラン(スペイン)
イェルン・ブライレヴェンス(オランダ)
ボー・ハンバーガー(デンマーク)
ケヴィン・リヴィングストン(アメリカ)

July 23, 2013

かつてツール・ド・フランスを7連覇したアメリカのランス・アームストロングがようやくドーピングを認め、ツールにおける栄光のすべてを剥奪されたばかりだが、MLBでも、ようやくミルウォーキーのライアン・ブラウンがステロイド使用を認めて謝罪し、今シーズンの残り試合すべての出場停止という処罰を受けた。2013シーズン、この卑怯者の姿を見ることは、もうない。

だが、ライアン・ブラウンが今までどれだけいけしゃあしゃあと潔白を主張し続けてきたかを思いだすと、とても彼の謝罪を受け入れる気になどならないし、そもそも処罰が軽すぎる。
なにせこの選手はドーピングしつつ、リーグMVPを獲得したのだ。そのタイトルを剥奪することを、まず処罰の出発点にするのがスジというものだ。
(2011年MVPで次点だったマット・ケンプも同意見らしい。 Ryan Braun should lose MVP award, Matt Kemp says - ESPN Los Angeles

Ryan


この事件の経緯をちょっとまとめておきたい。

2011年10月ライアン・ブラウンのステロイド検出
2011年10月19日、ミルウォーキー対アリゾナのNLDS(ナ・リーグ地区シリーズ)で提出されたライアン・ブラウンの尿検体から、ステロイドの一種であるテストステロンが検出。50試合の出場停止が仮決定され、この時点で誰もがライアン・ブラウンは「クロ」だと了解した。
だが、ライアン・ブラウン側は辣腕の弁護士を雇い、ドーピングそのものの真偽を論議するのではなく、法的手続き、いわゆるdew processの不備を突くという戦略にでた。
ドーピング検査の検体は、適正な手続きにおいては「採取後、すぐに検査施設に発送」しなければならない。だが、ライアン・ブラウンの検体採取が土曜の夜だったため、係員は「週末で、発送業者はもう営業が終わっているだろうから発送できない」と考え、週が明けに発送するつもりで尿検体を自宅に持ち帰り、自宅の冷蔵庫で約48時間保管した。
ライアン・ブラウン側の弁護士は、「48時間の間に誰かが検体にドーピング薬物を混入してないと、誰が証明できる?」と、論点をずらすことで、テストステロン検出自体は事実だったにもかかわらず、処罰をきりぬけることに成功した。実際には 検体容器は3重に封印されていたため、封を切らずに外からドーピング薬物を混入するのは、ほぼ不可能だった。

このままうやむやになるのかと思われた「ライアン・ブラウン事件」だが、2013年、思わぬところから新展開があった。

マイアミ・ニュータイムズによるバイオジェネシス告発
ローカル紙マイアミ・ニュータイムズが、複数の有力選手がマイアミのクリニック「Biogenesis」からドーピング薬物を提供されていたと実名入りでスクープ報道したが、そこに、ほかならぬライアン・ブラウンの名があった。

この「バイオジェネシス事件」では、メルキー・カブレラの代理人に関係しているJuan Carlos Nunezという人物が、重い処罰をまぬがれるための証拠を捏造する目的で、第三者のウェブサイトを買収して、架空の薬物販売サイトにつくりかえ、あたかもそのサイトから購入した商品に意図せず禁止薬物が紛れ込んでいたように見せかけようとした。だが、ウェブサイト買収そのものがすぐにバレて、この卑劣な証拠捏造は失敗に終わった。

MLB代理人レビンソン兄弟の関与疑惑
今回のスキャンダルに名を連ねる選手の多くが、ブルックリンに事務所を構えるレビンソン兄弟の代理人事務所ACESと代理人契約を結んでいる。またメルキー・カブレラに関して、偽の薬物販売ウェブサイトを立ち上げて証拠捏造を図ろうとした人物も、身元はレビンソン兄弟の関係者だったりする。

かつての「ミッチェル報告」でドーピング薬物の供給者として摘発されたのは、元メッツ職員カーク・ロドムスキーや、元ヤンキース・トレーナーのブライアン・マクナミー(クレメンスやペティットに薬物を渡していた人物)だが、元ステロイダーのポール・ロ・デューカは「自分にロドムスキーを紹介したのはレビンソン兄弟」とメディアに明言しており、MLB機構も、ロドムスキーとレビンソン兄弟の関係を明らかにするために聞き取り調査を行ったりしている。

だが、レビンソン兄弟の関与を示す指摘が数多くあり、レビンソン兄弟が事件全体に関与しているのではという疑惑が常に取り沙汰され続けているにもかかわらず、現時点ではまだ決定的な確証には至っていない。


資料:レビンソン兄弟が代理人をつとめる選手リスト
(太字は、マイアミのクリニックの事件に関与したといわれる選手)

アレン・クレイグ
グラント・バルフォア
ジェイソン・モット
ジオ・ゴンザレス
ジョナサン・パペルボン
ジョニー・ペラルタ 追記:出場停止
ジョン・ジェイソ
ジョン・バック
ショーン・ビクトリーノ
スコット・ローレン
ダスティン・ペドロイア
デビッド・ライト
ナイジェル・モーガン
ネルソン・クルーズ 追記:出場停止
ヒース・ベル
プラシド・ポランコ
ブランドン・インジ
ブランドン・フィリップス
ブランドン・リーグ
ヘクター・ノエシ
ヘスス・モンテーロ 追記:出場停止
ホアキン・ベノワ
マイケル・ピネダ
マイケル・モース
マット・ハリソン
ミゲル・カイロ
メルキー・カブレラ
ラウル・イバニェス
フランシスコ・セルベリもかつてレビンソン兄弟を代理人にしていた 追記:出場停止


司法取引 plea bargaining
ちなみに、こうした大規模なドーピング事件では、事件の処罰が決まっていく初期段階で公式に謝罪した人物に世間の非難は集中するわけだが、だからといって、必ずしもその人物に厳罰が下るとは限らない。
というのは、『24』や『Major Crimes』などのドラマシリーズのファンならよくおわかりのように、アメリカでは司法取引が発達しているからだ。なんでも一説によると、起訴された事件のなんと8割が司法取引で結審しているらしい。
かつて「ミッチェル報告」で、カーク・ラドムスキーが選手リストを提供したのも、ミゲル・テハダが虚偽証言とヒト成長ホルモン摂取を認めたのも、アンディ・ペティットがいつのまにか現役復帰して登板できているのも、元はといえば彼らが司法取引に応じたからだし、バイオジェネシス事件でも、ライアン・ブラウンの処罰期間が来シーズン開幕以降ではなく、2013シーズンで終わるように繰り上げられているのは、ライアン・ブラウンが、往生際の悪いアレックス・ロドリゲスと違って、はやめに司法取引に応じたからだ。
司法取引に応じたライアン・ブラウンが、自分以外の選手のドーピングについて、どの程度まで証言しているかはわからないが、ここまで来るとあとは連鎖的に捕まっていくのが「アメリカらしさ」というものではある。
しかしながら、たとえ司法取引に応じて捜査に協力していようとも、ライアン・ブラウンのやったことは許されない。彼の穢れた2011年のリーグMVPは絶対に剥奪されるべきだと思う。

July 22, 2013

Lou Gehrig
仏頂面のゲーリッグより遥かに魅力的な
微笑んでるゲーリッグ。

MLBキャリア通算ヒット数ランキング(2013/07/21)

イチロー・スーパーカウントダウン、後半戦はイベントが続く。MLB通算2700安打日米通算4000安打の達成。さらには、デビュー13シーズンでのピート・ローズ越え歴代1位2023試合出場と続く。

既に書いたように、イチローが「日米通算4000安打を達成するとき」というのは、同時に、「ルー・ゲーリッグを超えるMLB通算2722目のヒットを打ったとき」でもある。
ちなみに、某アメリカのスタッツに詳しいライターが、ついこの間そのことにようやく気付いたらしく、ビックリしたようにツイートしていたのには笑った(笑)


ルー・ゲーリッグが、あの有名な「今日の私は地上で最も幸せな男です」という引退スピーチを行ったのは、1939年7月4日セネタースとのダブルヘッダーだ。

Lou Gehrig



『偶然と必然』ジャック・モノー『偶然と必然』という名著で世界を驚かせたのは、フランスのノーベル賞学者ジャック・モノーだが、イチローが日米通算4000安打を打つことと、ルー・ゲーリッグの通算安打数を超えることが同時に起こることが、どれだけ「偶然」とは思えない不思議な出来事か。「たまたまゲーリッグがそこにいただけで、別に誰だってよかっただろう。そんなの、ただの偶然だ」と思う人がいるかもしれないが、日本野球の歴史をひもとくと、「日本のプロフェッショナル・ベースボールから生まれたイチローが越えていく壁が、『ゲーリッグ』であること」に、とても「偶然」と思えないある種の歴史的必然があることがわかる。


詳しく書くと長くなるのでやめるが、黎明期の日本野球を常にインスパイアし続けたのは、日米野球で垣間見る大リーガーの「高い壁」であった。
たとえば「1934年日米野球」が、日本野球史を塗り替えるほどの決定的なインパクトがあったのは、17歳のエース沢村栄治の快投で、それまでは遥か彼方にかすんでいたMLBの高い壁が、ほんの一瞬にせよ、間近に、それもピントがあって垣間見え、難攻不落の壁にとりつく「足がかり」すら感じられたからだ。

1934年当時の日本では、ベーブ・ルース人気から、彼の一挙手一投足が話題になったわけだが、あの年の日米野球の来日メンバーの実際の打線の中心は、当時すでに現役引退目前だったキャリア終盤のベーブ・ルースではなく、キャリア全盛期にあったルー・ゲーリッグであり、11月20日の草薙球場のゲームで沢村栄治から決勝ホームランを打ったのが、引退間際のルースではなく、ゲーリッグだったのにもちゃんと「必然」がある。

だから、イチローの4000安打達成が、同時に「ルー・ゲーリッグ越え」のMLB通算2722本目の安打でもあるという「歴史」には、単なる偶然ですまされない「必然」があるのだ。


Lefty O'Doul日本野球への貢献によって日本の野球殿堂入りしているレフティ・オドゥール(フランク・オドゥール)が日本で知名度が高い理由のひとつも、彼が、沢村栄治の投げた1934年日米野球と、1934年に匹敵するインパクトがあったとも評される1949年日米野球の両方に関係しているからだ。
オドゥールは、1934年日米野球では、サンフランシスコに移転する前のニューヨーク・ジャイアンツの選手として来日。翌1935年の全日本チームのアメリカ遠征でも、なにくれとなく日本チームの世話を焼き、チームに "Tokyo Giants" というニックネームをつけた。そして1949年日米野球では、彼がジョー・ディマジオを育てたマイナーのサンフランシスコ・シールズ監督として来日し、長年に渡って日本野球を鼓舞し続けた。


オドゥールが長年監督をつとめたサンフランシスコ・シールズの本拠地シールズ・スタジアムは、一度書いたように、ニューヨークにあったジャイアンツが、ドジャースとともに西海岸移転したとき、新本拠地キャンドルスティック・パークが完成するまで、一時的に本拠地にしていたボールパークだ。
Damejima's HARDBALL:2012年3月21日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」  (3)キャンドルスティック・パーク、ドジャー・スタジアム、シェイ・スタジアムの開場

大映の永田雅一氏は、そのキャンドルスティック・パークを模範として、東京・荒川区に東京スタジアムを作り、まだ基盤の弱かった戦後の日本プロ野球の発展に力を尽くした。
Damejima's HARDBALL:2012年3月23日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」  (4)夢の東京スタジアムの誕生

Damejima's HARDBALL:2012年3月30日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」 (5)番外編 元祖「安打製造機」 榎本喜八にとっての『故郷』、東京スタジアム。


西本幸雄さんは、永田雅一氏がオーナーをつとめる大毎オリオンズ監督として1960年リーグ優勝を果たし、その後、阪急近鉄と、優勝経験の無かったチームを2つも優勝に導くことで日本野球史の流れを大きく変えた。
また西本さんは、上田利治、仰木彬、梨田昌孝、チャーリー・マニエル、山田久志、福本豊などの選手・指導者を育てることでパ・リーグ隆盛の礎を築き、そのパ・リーグから、野茂、イチロー、ダルビッシュなどのMLB挑戦者が現れ、現在に至っている。
Damejima's HARDBALL:2011年11月25日、「名山」、西本幸雄。指導者を育てた指導者。

こうした出来事の全てを単なる偶然と片付けるだけの勇気は、ブログ主にはない。

July 21, 2013

先日、今年6月にデビューしたドジャースのヤシエル・プイグがインコースの「ボール球」を故意に狙うことで長打を量産していた、という記事を書いたばかりだが(Damejima's HARDBALL:2013年7月16日、ヤシエル・プイグは、これから経験するMLBの「スカウティング包囲網」をくぐりぬけられるか?)、バッティングについて、いまだに「ストライクだけを振れ、ボールを振るな」なんていう野球道徳モドキを、「バッティングの理想」だと思い込んでいる人は多いものだ。

くだらない。

そんな話、現実の野球に即さない、ただの「決めつけ」に過ぎない。絵に描いた餅ほどの価値すらない。なのに、多くの人の脳には、いつのまにかそれが誰もが守るべき野球常識ででもあるかのごとく脳内に組み込まれてしまっている。困ったものだ。


そんな空論、ブログ主は信じてない。
なぜなら「現実の野球」では、
ボールですらヒットにできるくらい、多様なスイングができる打者だからこそ、他人よりはるかに高い打撃成績が残せている
という事実があるからだ。
さまざまなコース・球種を打てる『スイングの多様性』を持った打者」にとっては、「その球がストライクか、ボールか」なんてことは最重要事項ではない。多様なスイングを持った選手に対して、やれストライクだけを振れだの、ボールを振るなだの、そんなせせこましい平凡な道徳モドキを押し付けても、なんの意味もない。


ひとつ例を挙げてみる。ミゲル・カブレラだ。
ネット上で誰にでも入手できる資料から、彼のバッティングに2つの事実がわかる。
1)ミゲル・カブレラは、ほぼあらゆるコースが打てるスイングを持っている。これは他人がおいそれと真似できない。

資料:Fangraphのミゲル・カブレラの驚異的なPlate Coverageについての2013年5月の記事 Miguel Cabrera’s Ridiculous Plate Coverage | FanGraphs Baseball これは各種のHotZoneデータをみても明らか。

2)同時に、ミゲル・カブレラはMLBでも有数の「ボール球をヒットにしているバッター」でもある。

資料:ミゲル・カブレラは「ボール球を打って、wOBAの高かった打者ランキング(2009-2011年)第9位 Baseball's Best, Worst Strike Zone Fishermen - Baseball Analytics Blog - MLB Baseball Analytics


この2シーズン、ミゲル・カブレラはMLBでずば抜けた打撃成績を残している。その理由は上の資料から明らかなように、彼が「ストライクだけを打ち、ボール球を全く打たないから」ではない

むしろ、逆だ。

「現実の」ミゲル・カブレラは、「自分の得意コースだけしかヒットにできない平凡な打者」ではなくて、多少ゾーンから外れた球でもヒットにできる能力があるからこそ、三冠王をとれるようなハイパーな打撃成績を残せるのだ。
彼のような打者を、「自分の得意コース・得意球種以外は、まるで打てない打者」や、「ステロイドでフルスイングできる筋肉を人工的に作っておいて、自分の得意球種だけを待ち続けるだけのインチキ打者」と同じだと思ってはいけない。彼のようなバッターを「ストライクだけ打て。ボールを打つな」などというくだらない常識で縛る必要など、どこにもない。


2013シーズン上半期のデータでみても、ミゲル・カブレラは、Z-Swing%、「ストライクゾーン内の球を振る率」においてア・リーグ2位であると同時に、O-Swing%、ボール球を振る率でも第20位に入っていて、なおかつ、ボール球を振ったときのwOBAがとても高い

O-Swing% 2013 1st Half - American leagueボール球を振っている打者ランキング
2013ア・リーグ

資料: PITCHf/x Plate Discipline | FanGraphs Baseball
Data generated in 07/18/2013


ミゲル・カブレラは、あらゆるコースをヒットにしようと積極的にスイングする狩人的バッターだ。
彼の打撃成績がずば抜けているのは、彼がボール球を含めて、ありとあらゆるコースを打てるだけの多様なスイングを持っているからだ。

もしミゲル・カブレラが、ピッチャーが自分の得意な球を投げてくれることだけをひたすら「待ち」続けているような、平凡な「バッティングセンター的バッター」だったら、打率.350を超え、同時に長打を量産するハイパーな打撃スタッツを残せるわけがない。


いちおう誤解の起きないように書いておくと、「才能があろうとなかろうと関係ないから、なんでもかんでも打て」と言っているわけではない。「多様なスイングができる選手が、あらゆるゾーンをスイングすることには、何の問題もない」と言っているのだ。
もしスイングの引き出しが少なく、自分の得意コースにボールが来るのを待つだけの「バッティングセンター的バッター」が、必死に得意でないコースに手を出し、さらにはボール球を必死にチェイスしたところで、ジョシュ・ハミルトンのようになるだけだ。


不思議なことに、ジョシュ・ハミルトンのZ−Swing%は、2013シーズン前半を終わってア・リーグ1位(77.6%)だった。
つまりハミルトンは、ア・リーグで「最もストライクを振っている打者」なわけだが、「ストライクを振れ、ボールを振るな」論からいえば理想的であるはずの彼の打撃成績が(前半終了間際に多少改善がみられたにせよ)高額サラリーを考えれば、あいかわらず破滅的に酷いのは、なぜなのか。

これだけ「ストライクを振ろうという意志がはっきりしているハミルトン」が打てない理由をきちんと突き詰めると、それは、彼が「外角低めのボール球に手を出して空振りするから」でもなければ、「選球眼が悪いから」でもなく、彼が「自分の得意コース、得意球種だけに限定された、特定のスイングしかできないこと」、これに尽きる。(そして、その事実はいまや、数多くのチームに知れ渡った)

このジョシュ・ハミルトンや、2012シーズン終盤のカーティス・グランダーソンのような、「自分の得意コース、得意球種に特化したスイングだけを用意して、ひたすら投手がそこに投げてくれるのを待っているようなタイプの打者」は、ミゲル・カブレラのような「ボール球すらヒットにできるような多様性をもったバッター」、つまり、あらゆるスタッツに数字を残せる柔軟性のあるバッターにはなれない。



野球ファンはよくこんなことを言う。
「絶好球だけ振っていればいいのに」
「ボール球は振らずに四球を積極的に選び、ストライクだけスイングしてヒットにしていれば、それが最も効率がいいんだから、そうすべきだ」

「みせかけだけの数字全盛」の嫌な時代のせいか、したり顔でこういうことを言いたがる人が大勢いるわけだが、本当に馬鹿馬鹿しい。そんな話、現実の野球に何の根拠もない。
絶好球だけ振れ、なんて、言葉でいうのはたやすいが、対戦するピッチャーが、打席で必ず1球は絶好球や自分の得意コースを投げてくれるのならともかく、打てる球が1球も来ないなんてことは、ザラにある。得意コース、得意球種が来るのをひたすら待っているような「待ち」の態度で高額サラリーがもらえるとでも思っているのか、と言いたくなる。


「ストライクだけを振れ、ボールを振るな」なんていう発想は、たとえ話でいうと、「儲かることがわかっているときだけ、投資しろ。それが最大の効率を生む」なんていう現実味のまるでない投資セミナーの教官の訓話みたいなものだ。こんな発想、どこにも現実味などない。
儲けられるタイミングがわかれば、誰も苦労しない。いつ儲け時が来るのかがわからず、しかも儲け時が来たときの対応が限定されている人間だからこそ、目の前を儲けどき(絶好球)が素通りしてしまってから気がついて後悔したり(見逃し)、とっくにトレンドに乗り遅れているのに慌てて投資を始めたり(振り遅れ)するのだ。



野球史からみても、「ストライクだけを振れ、ボール球を振るな」なんて話は、単なる「願望」、単なる「ひとりよがりな道徳感」、「机上の空論」に過ぎない。

なぜって、野球というスポーツにとって「ストライクゾーン」というものが本来「二次的」なものだからだ。
よく頭を使って考えれば子供でもわかるが、「ストライクゾーン」は、「バッターがスイングしなかった球」を、ストライクかボールか判定し、分類しておく、そのためだけに存在している二次的ルールに過ぎない。もしバッターが来た球を必ず打つとしたら、ストライクゾーンはそもそも必要ない。

実際、ベースボール黎明期のルールでは、「打者が投手に投球のコースを指定していた」。そもそも野球というゲームは「球を打つことを前提としたゲーム」として創作され、出発しているのだから、当時としては当然のことだった。

野球というゲームはその出発点からして、「球を見逃す」という「二次的行為」に、ほとんど何の価値も置いていない。
それどころか、当初はむしろ、「見逃すことにできるだけ価値をもたせないようにしよう」と明確に考えていた。野球黎明期の「四球」は、現在のような「ボール4個で、四球」というルールではなく、「9ボール」とかにならない限り、打者に「ヒットを打ちもしないで、無条件にファーストにいく権利」なんてものを与えなかった。


それが、いつのまにか、「バッターがどの球を打つべきか」を判断するためにストライクゾーンがあるだの、ストライクを打つことにだけ価値があるだの、「効率」を優先して考えることが野球だ、などと勘違いする馬鹿が増えすぎて、かえって野球の効率を下げ、なおかつ、野球をつまらなくした。

そういう、目的と手段を取り違えた、おかしなコンセプトばかり追求してきた人たちは、近年、悪びれもせず、彼らの終着駅に行き着いている。
それは、要約するなら、「できるかぎり無駄の少ないスイングで、できるだけたくさんの得点を得て、しかも、優勝したい」などという、手段のともなわないまま結果だけを求める、欲望丸出しのつまらないコンセプトだ。セイバーメトリクスの最もつまらない部分も、それにあたる。


「最小限だけスイングして、最大の得点効率を得よう」なんていう矛盾した、うまくいきもしない試みは、むしろ、かえってチーム総得点が地を這いずるほど低い、非効率的なチームを量産し続けた。

というのは、ちょっと考えればわかることだが、最小限のスイングで、できるかぎりたくさんの得点を得ようという発想は、いつしかまわり回って、結果的に「長打偏重主義」に行き着くしかないからだ。

そういうみせかけの効率重視の発想が生産してきたのは、次のような代物だ。
「特定のコースのストライクだけを狙い続けて、ほんのたまにホームランにするだけ」しか能がない打者。得点効率がけして高くないのに、守れない、走れない、超低打率で、サラリーだけ高いコストパフォーマンスの悪いスラッガー。「典型的な質の悪いDHタイプ」の打者。そして、そういう偏った打者ばかり並べた非効率的な打線。ボロボロの守備。守備の酷さをフォローするために、「攻撃専用選手と守備専用選手を同時に抱え込む」という財政上のムダ。効率の悪いサラリー構成によって産みだされる、チームのムダな投資による財政効率の低下。そして、くる日もくる日もワンパターンな野球。ワンパターンなゲームに飽きたガラガラのスタンド。
そして、「最も高い効率を実現できると主張し続けたものの、実態は、まるで非効率で魅力の無い野球を生産していること」を覆い隠すために生みだされたのが、かつての「OPS」とそのさまざまなバリエーションを含む「長打重視のデタラメな計算をする指標群」だ。
Damejima's HARDBALL:指標のデタラメさ(OPS、SLG、パークファクターなど)


「できるだけ少ないスイングで、できるだけたくさんの得点を得たい」なんていう、つまらないコンセプトは、かえってチームの得点効率を下げただけではなくて、才能の乏しい打者が自分のスイングをより向上させることで、自分の打撃能力を開発し続けようとする向上心を失わせてもいる。
もし、得意コース、得意球種だけをひたすら待って長打さえ打っていさえすれば、たとえそれが「ほんのたまに打てる長打」でしかなくても高額サラリーが得られるとなれば、当然、選手という生身の人間のモチベーションは下がり、アスリートとしての向上心が失われるに決まっている。

選手が向上しないなら、プロによる高度なプレーを期待してスタジアムに詰めかけるファンが満足するわけはない。好みにそぐわない低次元のプレーばかり見せられれば、スタンドはガラガラになり、やがてチームの財政運営もうまくいかなくなる。


「ストライクを振れ、ボールを振るな」というみせかけの道徳は、あたかもそれが最高の効率を追求する手段であるかのように見せかけているが、野球のもつ歴史的経緯を無視して効率アップをはかったつもりでも、結果的にはかえって非効率的な野球を生み出し、選手の向上心を失わせ、「非常に低確率の長打狙い」で楽をして長期契約と高額サラリーを獲得できる安易な手法を生み出しただけ、という側面がある。
そういう野球が見た目にも魅力がないことは、いつもスタンドがガラガラで低打率にあえぐどこかの球団の不人気ぶりを見れば、誰の目にも明らかだ。


話が非常に遠回りしたが、「現実の野球」にとって大事なことは、「ストライクを振れ、ボールを振るな」なんていう、実は中身の空っぽな道徳モドキではなくて、「より多くのコースを打てる対応力の高いスイングを持つ」ように向上心を持つ選手が出てくることだ。そんな当たり前のことができない選手でも高額サラリーが得られるような、なまぬるいMLBでは困る。
「たったひとつのコースしか打てないスイング」だけで成功できるほど、世の中、甘くない。「自分の得意コース得意球種だけを待っている打者」なんてものが延々と成功し続けられるほど、MLBは甘くない。そういうことを証明してくれるような、厳しいMLBでなくては困るのである。


だから言いたいのは
ボールを 『見よう』 とすることから始めるな」 そして、「打てるかどうか、感じようとしろ。 『あ、打てる』と感じたら、ストライクだろうが、ボールだろうが、かまわないから、間髪入れず、迷わずひっぱたけ」ということだ。
原始的なように思うかもしれないが、これが最も簡単で、見ていてエキサイティングな、変わらぬ野球の鉄則だと思っている。(もちろん打てないコース・球種を減らす練習をしてないのでは話にならない。練習はしていて当たり前)

打者が打席に入るのは、ヒットを打つためであって、電卓で計算するためではないのだ。

July 20, 2013

アメリカのサイトの記録によると、1934年11月20日、アメリカチームは早朝に東京日比谷の帝国ホテルを出て静岡に向かった。当時、日本にはまだ東名もなければ、新幹線もない。この日のプレーボールは午後1時だ。東京駅駅舎をバックにしたベーブ・ルースの白黒写真が残されているが、もしかすると鉄道で静岡に向かったのかもしれない。
ハワイを経由して日本にやってきた彼らは、神宮球場での2試合を皮切りに、函館、仙台、富山、横浜を回り、静岡の後は、名古屋、大阪、小倉、京都、大宮、宇都宮で試合が予定され、上海とマニラでもゲームがあった。
1934 Tour of Japan Schedule and results


イチローのキャリア通算2722本目のヒットは、日本の野球にとっての「記念碑」だ。たとえ話でいうのではなく、その日は本当に赤飯を食おうと思っている。めでたい日には赤飯を食う。これが日本の決まりごとだ。だから、それでいいのだ。
日米通算4000安打という偉業。それは同時に「ルー・ゲーリッグという選手のもつ記録のひとつを、日本人選手が超える日が来た」という事実でもあり、野球のなかった国で野球という新たな文化を根付かせ、育ててきた日本野球にとって、1934年草薙球場の、あの惜敗から数えて79年、日本野球発展のひとつの「記念碑」なのだ。

MLBキャリア通算ヒット数ランキング(2013/07/17)


かつて日本では1908年以来「日米野球」が行われていた。ベーブ・ルースをはじめ多くの殿堂入り選手が含まれたオールアメリカン、あるいはサンフランシスコ・シールズのようなマイナーのチームまで、さまざまなパターンで構成されたチームが来日したが、黎明期の日米野球では、日本にまだプロがなかったために実力差が激しく、アマチュアで構成された日本側が常に完膚無きまでに叩きのめされ続けた。
参考記事:Damejima's HARDBALL:2012年3月21日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」  (2)ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム、シールズ・スタジアムの一時使用と、チェニー・スタジアムの建設

1934年日米野球は、当時のMLBオールスター級ともいえる豪華さで、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、チャーリー・ゲーリンジャー、ジミー・フォックスなど後に殿堂入りする有名選手がズラリと顔を揃えていた。
かたや迎え撃つ日本側は、プロができる直前の時代であり、沢村栄治(旧字体:澤村 榮治 背番号8)にしても、ヴィクトル・スタルヒン(背番号31)にしても、当時はまだ高校中退したばかりの10代のアマチュアだった。
17歳の沢村は日米野球の最初の登板で11本のヒット、3本のホームランを浴びた。1934年日米野球での沢村の通算スタッツは、28回2/3を投げ、自責点25、ERA7.85。被安打33、被ホームラン8、25三振、25四球。全体としていえば、まだまだメジャーに通用する成績ではなかった。

沢村栄治(澤村 榮治)

だが、79年前のあの日、昭和9年(1934年)晩秋11月20日の草薙球場では全てが違った。沢村栄治はゲーリンジャー、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ジミー・フォックス、MLB史に残る名選手たちを撫で斬りに4連続三振に仕留め、8回1失点の快投をみせた。

▼昭和9年11月20日 日米野球(静岡・草薙球場)
全日本 000 000 000=0
全  米 000 000 10X=1

この日の沢村栄治の快投は、日本中の人々に、もしかすると日本人も野球で強くなれるのかもしれないとの期待を抱かせ、日本プロ野球設立への大きなきっかけを作った。
黎明期の日本野球の最高峰は大学野球だったが、プロとしての日本野球の歴史の第一歩は、あの晩秋の草薙球場でのデーゲーム、沢村栄治の力投から始まっている。

あわや勝利投手かという快投をみせた17歳の日本のエース、沢村栄治から、容赦なく決勝ホームランを放ってみせたのは、当時31歳の4番打者ルー・ゲーリッグだ。ゲーリッグの存在は、いってみれば、当時まだプロの存在しない日本野球のレベルでは、沢村栄治の伝説の快投をもってしても越えられない「メジャーの高い壁」だった。

沢村が打たれたのは、カーブを投げる際、唇が「への字」に曲がる癖を見抜かれたためといわれている。「ドロップ」と呼ばれた伝説のカーブを真芯にとらえたゲーリッグの打球は、ライナーとなって草薙球場のスタンドに消えていった。



1934年の伝説の沢村栄治の快投、ルー・ゲーリッグのソロ・ホームランから、79年。野球には両者を記念した沢村賞、ルー・ゲーリッグ賞ができ、そして数えきれないほどの野球選手が登場しては消えていった。
長い長い歳月を経て、17歳の沢村栄治が越えられなかったルー・ゲーリッグの記録のひとつを、21世紀にMLBのグラウンドに現れた日本人イチローが越えていこうとしている。

思えば、イチローはさまざまな経緯と試練を経て、いつのまにかルース、ゲーリッグと同じヤンキースのピンストライプを着て野球をやっている。ファンと、そして当のイチロー本人がどう考えようと、イチローにはいやおうなくピンストライプを着る運命が待ち構えていたのかもしれない。そんなふうに思えてくる。これが日本野球の記念碑でなくて、他の何が記念碑だ、と思う。


アメリカ遠征を経て日本でプロになった沢村栄治は、19歳になった1936年秋に甲子園で日本野球史上初のノーヒットノーランを達成。3度のノーヒットノーランを含む輝かしい栄光の日々を経験したが、兵役でキャリア中断を余儀なくされ、さらに手榴弾投げで肩を壊して、最後はオーバースローで投げることですらままならない悲惨な状態になり、1944年シーズン前に解雇され、引退した。同じ1944年の暮れ、12月2日に屋久島沖で戦死。27歳。

アメリカ遠征中の沢村栄治
アメリカ遠征中の沢村栄治(後列左から2人目。前列最も左側がスタルヒン)


こころざし。

沢村栄治のみならず、野球をこころざし、野球で生きることを仕事として選んで燃焼しようとした果てしない数の人々が越えようとしてきた壁が、ついにひとつ、乗り越えられようとしている。そうした、数えきれないこころざしに対し、このヒットが生まれたら報告しておきたい。

草薙球場から79年。
日本野球はとうとうここまで来ましたよ、と。

赤飯スタンプ


July 17, 2013

ヤシエル・プイグ2013打率・全投手・全球種Yasiel Puig Hot Zones - ESPN
data generated in 07/16/2013


これは6月にデビューしたドジャースの新星ヤシエル・プイグの、2013シーズン、全投手全球種のホットゾーンだ。これでは投手は投げるコースがない。いわゆるPlate Coverageはパーフェクトに近い。
資料:Miguel Cabrera’s Ridiculous Plate Coverage | FanGraphs Baseball

だが、そんな彼でも、ちょっと詳しく見ていくと、「特徴」はすぐに見つかる。彼が圧倒的に強いのは、「インコース」と「スピードボール」なのだ。

特にインコースの強さはずば抜けている。たとえ内側に少々食い込み過ぎた球でも、それを長打やヒットにできる能力が彼にはある。

1)長打のほとんどは、「インコース」が多く、「真ん中」も打てる。アウトコースの長打は少ない

2)得意球種はスピードボール。特に苦手だろうと推測できる球種は見当たらないが、外のボールになる変化球に多少苦手意識がある可能性はある

ヤシエル・プイグ2013長打・全投手・全球種2013シーズン長打
全投手・全球種のHotzone

さすがにアウトコース低めを長打にすることはできないらしい。アウトコースの得意なボルチモアのマニー・マチャドとはタイプがまったく異なる。


ヤシエル・プイグ2013速球打率・全投手2013シーズン打率
全投手・スピードボールのHotzone

この選手は、速球に本当に強い。速球に関しては、選球眼もある。これでは、ピッチャーはたとえ低めに速球を集めたつもりでも、やられてしまう。
どうしてもストレートを投げたければ、高めの釣り球でも投げるしかないのだろうが、コントロールをミスるだけでやられる怖さがあるから、なかなか投げにくい。「投げにくいなぁ、怖いなぁと、ビビりつつ置きにいった高めの釣り球」なんてものは、コントロール・ミスしやすいし、スピードがなくて垂れてストライクになった日には、目も当てられない。


最近10試合のデータがこちら。
急激にホットゾーンが減少したのがハッキリわかる。

ヤシエル・プイグ最近10試合・全投手・全球種最近10試合の打率
全投手・全球種のHotzone

あいかわらず打てているのは、「インコースのボール球」と「アウトロー」で、内と外の両極端なコースに分かれている。
バッティングデータが揃ってきて、相手投手にもともと苦手意識のあったアウトローを攻められるようになってきて、なにくそ、関係ねぇぜとばかりに、そのアウトローを集中的に打ち返そうとしている間に、調子全体を落としつつあること」が、よくわかる

実は、7月のプイグは、54打数15安打で、二塁打3本、ホームラン1本と、普通の「いい打者」になり、さらにオールスターブレイク前の4試合に限ると、16打数4安打で、長打は1本も打てていない。
Yasiel Puig 2013 Batting Splits - Baseball-Reference.com

ボルチモアのマニー・マチャドは、プレートから離れて立って、アウトコースの球に踏み込むことで二塁打量産に成功したが、同じようにプレートから離れたスタンスで構えるヤシエル・プイグは、あえて踏み込まずに、どうやらそのままの位置でスイングすることでインコースを打ち、長打を量産したようだ。

少なくとも、プイグが長打に関して「インコースを狙い打ちしている」ということがわかった以上、ヤシエル・プイグが6月のような驚異的な長打量産ができなくなるのは、おそらく間違いないと思う。

まぁ、熱心なスポーツファンの間では、このテレビ局にスポーツ中継をやる資格などあるわけもないことは、前々から繰り返し言われ続けてきているわけだが、本当にこの「フジテレビ」というところは、どこまで性根が腐ってるんだと、心の底から思わせる野球中継が、7月14日にあったらしい。


7月14日(日本時間7月15日)のヤンキース対ツインズ戦は、2013シーズン前半の最終戦だったが、どうやら珍しいことに地上波のフジテレビで放送したらしく、ネット検索してみると、「2013年7月15日放送 2:20 - 4:00 フジテレビ」という「摩訶不思議」な文字列がみつかる。

開始時間が「2:20
終了時間が「4:00

あいかわらずスポーツを馬鹿にしてんのね。
さすが、フジテレビ(笑)

系列新聞社も含めて常にイチローを軽んじることに必死になってきた歴史があるクセに、いざプロモーションとなると注目度の利用しようとするその最低な姿勢は、「寄生」としか表現のしようがない。
あまりに馬鹿馬鹿し過ぎて、本当は文字にする価値すらない話題なわけだが、あまりMLB中継に詳しくないせいで、この放送時間設定の「意味するところ」「くだらなさ」が理解できない人もいるだろうから、説明だけ残しておくことにした。
以下を読めば、最初からこのテレビ局が、マトモに「MLB」「野球」というスポーツを中継しようなんて気がサラサラないこと、また、MLBの日本人プレーヤーの現役レジェンド、イチローのヤンキースでの雄姿を真摯に伝えようなんて気がまるで無いことは、この意味不明な中継時間設定だけでもわかるというものだ。


1回裏イチローの打席が終わってから放送開始
なんとイチロー第1打席は「録画」で、しかも「ハイライト」


MLBのゲームで、「日本時間2時過ぎ」のプレーボールの場合、ふだんNHKのBS1で視ているタイプのMLBファンなら、中継が「2時5分」あたりに始まることはよく心得ているはずだ。つまり、例えばヤンキースタジアムのゲームなら、相手チームの先頭打者がちょうど打席に入る直前に放送が始まるわけだ。まぁ、無駄のない中継ぶりが、いかにもNHKらしい。

フジテレビが今回やった「2時20分から中継開始」という意味不明な行為の意味は、「1回表を中継するつもりは、最初からまったく無い」という意味なのはもちろん、それどころかこれは「もしも1回裏ヤンキースの攻撃で、1番か2番で打つはずのイチローの打席がリアルタイムで放送できなくても、別に気にしない」という意味だ。

実際、某巨大掲示板の過去ログや資料サイトの記録などからみて、放送が開始されたのは、1回裏のイチローの打席が終わってしまった後のようだ。
しかも彼らは、NHK・BS1がやっているように、すぐにスタジアム映像を放送し始めたわけではなくて、まず「スタジオでのグダグダした、MLBファンなら誰でもわかっているレベルのくだらない会話」を流した後、ようやくスタジアムの映像に切り替えたらしい。
当然ながら、スタジアム映像にきりかわった時に、すで1番イチローの打席は終わっている。この、スポーツってものを小馬鹿にした、ろくでなしのテレビ局がイチローの第1打席を流したのは、それからさらに後のCM明けで、「録画」で、しかも、「ハイライト」で流したというのだから、見下げた根性の持ち主だ。
資料例:MLB2013|2013/07/15(月)放送 | TVでた蔵
この人たちの性根が腐りきってるとつくづく思うのは、後から第1打席のハイライトを流したことだ。後でイヤイヤ録画を流すくらいだから、フジテレビ側は「『この放送を見ているのは、ほとんどがイチローファンなのだ』ということを認識している」わけである。まったく往生際の悪い話だが、まだまだこの程度で話は終わらない。


試合そのものを放送せず、延々と対談シーン挿入
そして5回裏を待たずに中継終了


この中継でフジテレビは、リアルタイムでゲーム進行中だというのに、肝心のゲームそのものをほったらかしにしたまま、ゲームとまるで関係のない対談シーンを延々と挿入した、というのだ。アイドルが歌ばかり歌っているスポーツ中継より、はるかにタチが悪い。

さらには、ゲームがまだ終わってないどころか、まだ5回で、しかも、まだホームのヤンキースの5回裏の攻撃が始まってもないというのに、5回表ミネソタの攻撃を最後に中継を終了した、というのだから呆れるしかない。

このゲームの7回裏にはイチローがホームランを打っているわけだが、説明するまでもなく、この物事の要点ってものをまるで心得ない礼儀知らずなテレビ局は5回表で中継を打ち切っているわけで、ホームランシーンを中継してないどころの騒ぎじゃない

もちろんブログ主は、あの強烈なライナーをリアルタイムで見ている。Twitterのタイムラインを調べてもらえばわかる。


現役イチローへの注目度を流用し、注目度が低く期待できないコンテンツを無理に現役MLBファンに見せただけの、くだらないフジテレビ

深夜に始まるヤンキースのデーゲームを日本で見るのは、普段から常にイチローのゲームをおっかけているファン、ヤンキースのファンのほかに、「休日だし、珍しくメジャーの試合が地上波でタダで見られるらしいから、たまには見てみるか」という人、いろいろいるだろう。・・・・・・などと、フジテレビ(と、この番組の企画書をフジに押し付けた人間)は考えたのかもしれないが(笑)そんな、ありもしない推測をマーケティングだと思っているのだとしたら、馬鹿馬鹿しいにも程がある。

ふだんから深夜に起きている習慣のない人は、深夜2時にわざわざ起きて、たった1時間半程度しかやらない「ハンパ過ぎる野球中継」など、見るわけがない。また、いつも深夜まで起きているような人にしても、いまどき連休の深夜にテレビで暇つぶししているわけもない。このテレビ離れが叫ばれるインターネット時代に、連休の、それも深夜に、地上波で暇つぶしする人間なんて、そうそういるもんじゃない。
年間100試合以上ゲームを見るブログ主も含めて(笑)、長年MLBで活躍してきたイチローのファンで、「今日はMLBでの2000試合目の出場ゲームだから、記念に見ておこう」というモチベーションでもなければ、この特殊な時間帯に、他に誰が見るというのだ(笑)


食べたくもないものを、食事に何の通告もなく混ぜて無理矢理に試食させる行為は、まさにグロテスクな、ある種の暴力だ。オリンピックの試合でゲーム終了後に政治的なメッセージを書いたボードを掲げてグラウンド内を走り回る行為と、たいしてかわりない。
それは例えば、本来は野球の試合を見るために地下鉄の駅からスタジアムに向かって歩いている人たちに、場違いなサッカーの集客チラシを配っている必死な行為と、まるでかわりない。(実際、今年の第3回WBCでは、「WBC、ぼくらも応援してます」とか、ひきつった笑いを浮かべてテレビの露出を必死にかせぐサッカー選手たちの憐れな姿があったらしいが)


対談とやらに本当に自信があるなら、なにもイチロー人気に(彼らがいつもやっているように)寄生しなくても、もっといい時間帯、ゴールデンでもプライムでもどこでも好きな時間に、放送枠なりCM枠なり好きなだけ確保して、「独自に」プロモーションすればいい。特定の野球ファンしか起きているはずのない深夜2時に、必死になってブザマな姿を晒す必要が、どこにあるというのだ。

普通の人が起きていられるわけでもない時間帯に、わざわざ強行しなければならないほど、最初から注目度の低い、自信のないコンテンツなら、最初から作らなければいい。無理矢理プロモーションするために、必死のフジテレビは、ブザマ、かつ、滑稽としかいいようがない。

July 16, 2013

イチローの出ないオールスターにまるで興味がわかない。
たまには冷たいカフェオレでも飲みながら、古巣シアトルに戻ったラウル・イバニェスの凄い記録の話でも書こう。


1972年6月2日生まれのイバニェスは、今年41歳。前半戦で24本のホームランを打っている。凄まじい記録だ。

何度も書いているように、去年2012年のヤンキースがかろうじて地区優勝できたのは、Aロッドグランダーソンがスタメンすら外されるほど全く打てなくなり、スウィッシャーも下降線、テシェイラは8月27日を最後にDL入りで9月は不在、怪我を押して頑張ってくれていた最後の頼みの綱のジーターすら欠場してしまうという非常事態の中、イバニェスとイチローの神がかり的なバッティングがあったからだ。
その功労者イバニェスと再契約せず手放して、では外野手は獲得しないのか、と思えば、LAAでくすぶっていたバーノン・ウェルズなんぞを獲得してきてしまうのが、ヤンキースGMブライアン・キャッシュマンという男なのだが、イバニェスが鬱憤を晴らすように打ちまくり始めたのは、2013年5月以降のことだ。


41歳のシーズン、前半戦だけで24本のホームランというのが、どのくらい凄い記録かは、以下の図を見るとわかる。
バリー・ボンズの名前がランキング内にチラホラある。だが、ステロイダーの記録をマトモに扱う必要を感じないから、こういう扱いにしてある。以下の記述では、バリー・ボンズという選手の記録は「無いもの」として記述していることを了解されたい。


39歳以上のシーズンホームラン歴代記録
39歳以上のシーズンホームラン歴代記録
data generated in 07/14/2013 via Batting Split Finder - Baseball-Reference.com(以下同じ)

39歳以上のメジャーリーガーで、最も多くのホームランを打ったのは、MLB記録755本をもつハンク・アーロンの「45本」だ。
アーロンは、最後に40本を打った「39歳」の1973年と、翌1974年の2シーズンは外野守備についているが、ミルウォーキー・ブリュワーズに移籍した1975年以降は、ほぼDHで、ホームラン数も20本以下に落ちている。だから、「39歳での40本」が、ホームラン・キングとしての彼の「最後の輝き」といえる。


さて、ラウル・イバニェスだ。
41歳の今年、前半戦だけで「24本」のホームランを打った。

守備負担のないDHだったエドガー・マルチネスが、キャリアの曲がり角である「39歳」以降に打った最多のホームラン数は、2003年40歳での「24本」だから、守備も曲がりなりにこなしつつ、同じホームラン数を打った41歳のイバニェスは、既にエドガー晩年を超えている。
Edgar Martinez Statistics and History - Baseball-Reference.com
ちなみにイバニェスは、ヤンキースでの2012年後半戦に、シアトルでの2013年前半を加えると、「32本」のホームランを打っている(図でのLast 365daysという項目がそれにあたる。シーズンをまたいだ数字だから参考記録ではある)。これはテッド・ウィリアムズウィリー・メイズの晩年を超えた数になっている。

このランキングを、「40歳以上」、「41歳以上」と、さらに年齢を限定していくと、41歳で24本のホームランを打つことの意味がより鮮明になってくる。

40歳以上のシーズンホームラン歴代記録
40歳以上のシーズンホームラン歴代記録


41歳以上のシーズンホームラン歴代記録
41歳以上のシーズンホームラン歴代記録


数字を眺めた結果、41歳ラウル・イバニェスの2013シーズン後半の大目標が、次のような極めて具体的で、数少ないターゲットであることがわかってくる。今シーズンが彼の輝かしい勲章のひとつになることは、おそらく間違いない。

ラウル・イバニェス 2013年 41歳 24本(前半戦終了時)
Raul Ibanez Statistics and History - Baseball-Reference.com
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Ted Williams 1960年 41歳 29本
Ted Williams Statistics and History - Baseball-Reference.com
Darrell Evans 1987年 40歳 34本
Darrell Evans Statistics and History - Baseball-Reference.com
Hank Aaron 1973年 39歳 40本
Hank Aaron Statistics and History - Baseball-Reference.com


July 15, 2013

7月14日ミネソタ第3戦、1番センターで先発出場したイチローは、ソロ・ホームランを含む3安打2打点2得点と活躍、ついにMLB通算2000試合出場を達成すると同時に、MLB史上2人目の「デビュー後13シーズンでの通算2000試合出場」達成者となった。
この「2000試合出場」という記録は、それ自体も、2013年7月14日現在歴代達成者数が234人しかいない稀有な記録だが、達成条件をさらに厳しくして、イチローと同じ「デビュー後13シーズンでの達成」に限定すると、達成できたのは、MLB史上ピート・ローズただひとりしかいない。いかにイチローのこれまでのキャリアが安定したものだったか、よくわかる。

ホームラン動画:Longest Drives | MIN@NYY: Ichiro launches a solo homer to right field - Video | MLB.com: Multimedia


ちなみに、1位ピート・ローズの記録は「2022試合」。
イチローがピート・ローズすら抜き去り、「デビュー後13シーズンにおける出場試合数」におけるMLB歴代1位に輝くまで、あと23試合ということになる。8月中には抜くことだろう。いよいよ焦点は彼のキャリア通算ヒット数「4265本」になってきた、ということでもある。

デビュー後13シーズンでのMLB通算出場試合数
イチロー、デビュー13シーズン通算2000試合出場達成
data generated in 07/14/2013 via Batting Split Finder - Baseball-Reference.com(2013年7月14日ミネソタ第3戦を含む)


MLB歴代 通算出場試合数記録
Career Leaders & Records for Games Played - Baseball-Reference.com

現役選手の出場試合数記録
Active Leaders & Records for Games Played - Baseball-Reference.com


ちなみに、「デビュー後13シーズン」というスパンで打ったMLB通算ヒット数を歴代記録で調べてみると、イチローが2013年7月14日2000試合出場時に打った「2696本」という記録は、現時点で既にMLB歴代1位の記録、つまり「ワールドレコード」であり、もちろんこの記録は今シーズン終了まで伸び続ける。

デビュー後13シーズンでのMLB通算ヒット数
デビュー後13シーズンのMLB通算ヒット数(2000試合)

この「デビュー後13シーズンのヒット数ランキング」に登場する選手たちは、野球賭博で永久追放になり殿堂入りが不可能なピート・ローズと、殿堂入りが確実視されているが、いまだ現役で記録が伸び続ける可能性が残されているイチローとデレク・ジーターを除くと、ベスト10全員が野球殿堂入りを果たしている。
Paul Waner 1952年殿堂入り(RF 83.33%)
Al Simmons 1953年(LF 75.38%)
Hank Aaron 1982年(RF 97.83%)
Stan Musial 1969年(LF 93.24%)
George Sisler 1939年(1B 85.77%)
Wade Boggs 2005年(3B 91.86%)
Richie Ashburn 1995年(CF Veterans Committee)

現在2700本に迫っているイチローの「デビュー13シーズンにおけるMLB歴代1位のヒット数」を、今後抜く可能性が残されているのは、イチローが既に歴代1位である以上、現役選手だけだが、現役でめぼしい数字は、デレク・ジーター2356本、アルバート・プーホールズ2334本、マイケル・ヤング2230本の3人に絞られる。

現役3選手すべての記録が、現時点でイチローの「2696本」という数字から約300本以上も離れていること、さらに、イチロー自身がいまだバリバリの現役で、数字を今シーズン後半に伸ばし続けること、さらに、MLBの若い選手たちの中にこの4選手に迫る数字を残せそうな選手が出てくる可能性などを総合的に考慮すると、イチローの「MLBデビュー後13シーズンでの安打数記録」が、MLBにおける Unbreakable Record のひとつとなるのはおそらく間違いない。


ついでに、「デビュー後14シーズンでのMLB通算ヒット数」も調べてみる。
まだデビュー後13年目のシーズン途中にあるイチローの「2696本」が、既にMLB歴代3位につけている。これまでの歴代1位であるPaul Wanerの「2799本」までは、13年目のシーズンの後半を残した今の時点で、既に「103本差」だから、来シーズンにイチローが、「「デビュー後14シーズンでのMLB通算ヒット数」においても「MLB歴代1位」になることは、ほぼ間違いない。

デビュー後14シーズンでのMLB通算ヒット数
(図中イチローのみ13シーズン途中の数字)
デビュー後14シーズンのMLB通算ヒット数(イチローのみ13シーズン)


このブログでかつて、「38歳」という年齢が「年齢による衰えの始まるキーポイントだ」という意味のことを何度か書いた。
時代を隔ててしのぎを削りあってきたポール・ウェイナーとピート・ローズだが、彼らの通算ヒット記録が明暗を分けたのも、「38歳以降のヒット数」である。

「37歳以降」に打ったヒット数比較
5人のホール・オブ・フェイマーが37歳以降に打ったヒット数

ポール・ウェイナーは、デビュー後ずっと3割を打ち続けた素晴らしいバッターだが、飲酒の悪癖があったらしく、13シーズン目の1938年(35歳)に初めて3割を割った原因も飲酒といわれている。球団から禁酒を言い渡された翌1939年の14年目のシーズンに、36歳で151本のヒットを打ったものの、それを最後に37歳以降は打撃成績を落とし、そのままキャリアを終えている。
対してピート・ローズは、デビュー15年目から18年目にあたる1977年〜80年、36歳から39歳にかけて「795本」ものヒットを量産することで、ヒット数関連記録で常に先行されていたポール・ウェイナーを抜き去った。彼はさらに40代以降もしぶとく「699本」のヒットを積み上げている。結局、30代後半からの10年間で積み上げた「約1500本」が、球聖タイ・カッブの通算安打数記録を塗り替える「4256本」の原動力になった。
参考記事:Damejima's HARDBALL:2012年9月28日、3000安打達成予報。これからのイチローの数シーズンが持つ価値。

そうした「ヒットの鬼」といえる歴代の選手たち、タイ・カッブ、ピート・ローズ、ポール・ウェイナーでさえ、「39歳以降」にシーズン200安打を達成できていない。39歳以降に達成できたのは、ポール・モリターサム・ライスの2人だけで、40代での達成となると、長いMLBの歴史の中でも、サム・ライス、ただひとりしかいない。
心ひそかに、イチローが39歳以降にシーズン200安打を達成できる日が来ることを祈りたい。

「37歳以降」のシーズン200安打達成者リスト

37歳 Zack Wheat (221本)
    Tony Gwynn (220本)
    Ty Cobb (211本)
38歳 Pete Rose (208本)
    Jake Daubert (205本)
    Sam Rice (202本)
39歳 Paul Molitor (225本)
40歳 Sam Rice (202本)


July 13, 2013

以下の記事はミネソタ遠征中に書かれたニューヨーク・ポスト紙Kevin Kerman氏の記事の訳出だ。長くはないが良い。いや、大変良い。今年読んだ野球記事の中で、今のところベストワンかもしれない。(2番目は2009年交通事故で亡くなったニック・エイデンハートにちなんで、ジェレッド・ウィーバーが産まれた自分の子供に『エイデン』と名付けた話)
元記事:Kevin Kernan: Robinson Cano, Ichiro Suzuki bond on New York Yankees despite different backgrounds, together help lead Yanks to 7-1 win over Minnesota Twins - NYPOST.com


ロビンソン・カノーは、いつもダグアウトで微笑んでいる。

だが、この記事からは、ドミニカからアメリカに渡ったひとりの男が、野球選手として、打席やダグアウトでは見せない沢山の感情が、言葉の裏側にきちんと聞こえてくる。とりわけ、彼が「言いようのない寂しさ」にひっそり耐えながらプレーしていることが、彼の言葉の端々から痛々しく伝わってくる。
この記事を訳したのは、イチローが登場するからではない。読んでもらえばわかる。

怪我人の続出で、ロビンソン・カノーがヤンキースでずっと一緒にプレーしてきた兄貴分たちが彼の目の前から消え、それでも頑張り続けなくてはならない立場にあるカノーが耐え続けている「寂しさ」は、けしてセンチメンタリズムではない。
それは、いわば、誰も到達しようと努力してこなかった高みを独り目指すイチローがずっと抱え込んだまま野球をやるしかない「孤高」と似た何かであり、誰かが解決してやれるような種類のものでは、まったくない。


読むにあたって頭にいれておいてほしいことがある。
契約最終年を迎えたカノーが、今年4月に代理人スコット・ボラスを解任し、新たに音楽プロデューサー、ジェイ・Zのロック・ネイションと契約したことだ。

スコット・ボラスはいうまでもなく、超高額契約をまとめることで有名な辣腕である。カノーもかつて、それなりに高額な4年30Mの契約を手にしている。(もちろんその金額は、今現在の彼の価値からみると、あまりに安すぎるが)
「ボラス解任」がどういう意味を持つのか、真意はどのメディアにもわかってはいないが、少なくとも、契約最終年という重要な年に代理人を解任したことは、「俺が自分の将来に望むもの。それはカネではない」という、ロビンソン・カノーからの強烈なメッセージなのではないか、と思う。

怪我人続出によって、契約の半分がゴミになりつつある苦境のヤンキースだが、ロビンソン・カノーとの再契約成功が今後の球団経営にとってどれほど必須なことなのか、誰もがわかっている。カノーとの再契約交渉がどの程度すすんでいるのか、憶測や推測が飛んでいるが、今のところヤンキース側が安心できるような状況にはないようだ。


ブログ主にしてみると、正直、ステロイド告白以降のAロッドなど、顔も見たくないと常々思っている。
だが、高校卒業後、2001年からずっと変わらずヤンキースに在籍し続けてきたロビンソン・カノーにとっては、ジーターがそうであるのと同じように、Aロッドもやはり「変わらぬ兄貴分」なのだ。この記事を読んであらためて痛感した。Aロッドがステロイダーであろうとなかろうと、打てようが、打てなかろうが、カノーは彼らを頼りに異国で頑張ってきたのだ。(だからといって、Aロッドのステロイドを許す気にはまるでならないが)


ロビンソン・カノーはいま、ヤンキースのクリンアップを事実上独りで背負って立っている。だから、ほとんど「マスト」に近い形で、出塁し、打点も挙げなくてはならない。
そういうきつい立場にある彼が、バッティングの上で参考にしているのが、自分の直前の打順で打つイチローのバッティングであり、あるいは、ダグアウトで笑わせてくれる同僚として頼りにしているのが、メディアが考えているより、ずっと明るくてお茶目な性格のイチローなのだ、というのが、以下の記事の趣旨だ。

ロビンソン・カノーはたぶん、本当に自分がヤンキースと長期契約すべきか、毎日プレーしながら、毎日迷っているのだろうと思う。もし、いまチームにイチローがいなかったら、彼の来年以降の契約に関する決断は、今頃どうなっていただろうか。

ロビンソン・カノーとイチロー



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Worlds apart, Ichiro, Cano come together
イチローとカノー。
別世界にいた二人が、ひとつになる日。

Ichiro Suzuki marveled over the success of Robinson Cano. He talked about Cano’s amazing plate coverage and stunning power.“Usually, when you have that kind of power, you can’t cover as much as he can”, Ichiro told The Post.
ロビンソン・カノーの成功ぶりに目を見張っているイチローがニューヨーク・ポストに、彼のあらゆるコースを打つ驚異的な能力と衝撃的なパワーについて語ってくれた。
「まぁ、普通あれだけパワーがあるとね、彼みたいにあらゆるコースを打てたりしないもんだよ。」

He then smiled and said there is only one area where Cano can improve.
彼は、そんな(あらゆるコースを打てる)カノーにも、まだたったひとつだけだが、まだ改善可能な部分があることを指摘して、ニヤリとした。

“If he can get a better personality, he can become a better player” Ichiro joked through translator Allen Turner. “I want him to look at me and my personality.”
「もしアイツが性格さえもっと良かったらねぇ・・・、もっといい選手になれるのに(笑)」と、イチローは通訳アレン・ターナーを通じてジョークを飛ばした。「彼にはオレを見習って欲しいよ、まったく。」(記事一部省略)

When Ichiro’s comment was passed along to Cano, the superstar let out a laugh.
このイチローのコメントをカノーに伝えると、スーパースターは声を上げて笑った。

“That’s Ich. That is the side of him people don’t see. I love that he is so much fun to be around,”Cano said.
「イチらしいな(笑) みんな、彼のそういうとこ、わかってないからな。彼は一緒にいて楽しい奴なんだぜ?」とカノーは言う。(記事一部省略)

Cano admitted the Yankees struggles have been tough to deal with.
カノーは、ヤンキースがいますぐ苦戦続きを解消できる状態でもないことを認めた。

“I play the game because I love to win,” Cano said. “It's not about numbers, it’s about winning.”
「僕がプレーするのは、勝つことが好きだからだ。」とカノー。「(お金とか記録とか)数字のことを言ってるんじゃなく、勝つことそのものの話さ。」

Cano said playing without Jeter and A-Rod has taken its toll. The injuries keep coming with Hiroki Kuroda now dealing with a sore left hip flexor.
カノーは、ジーターとAロッドが不在のままプレーせざるをえないことは大きな損失だ、と言う。怪我人はまさにひっきりなしで、今は黒田が左股関節屈筋に痛みを抱えている。

“You have to understand you don’t have the same lineup you used to have,” Cano said. “That’s why I try my best to win. If you don't succeed, you are not going to help the team win. If you don't get the hits, you are not going to win.
「チームが昔と同じメンバーで戦ってるわけじゃないってことを、よく理解すべきなんだ。」とカノーは言う。「僕がいまプレーにベストを尽くして勝とうとしてるのは、それが理由さ。成功してなければ、チームを勝利に導こうという気にならないだろうし、また、ヒットを打ってなかったら、勝とうって気にもならない。」

“People say this guy worries about his numbers,” Cano said of himself. “That's not true. I know I have to succeed to help us win games. Jeter is a guy who gets on base a lot. Alex drives in runs. We miss those guys.”
カノーは自分自身についてこんなふうに言う。
「よく『ロビンソン・カノーは、数字のことばかり気にしてる』って言う人がいる。でも、それは真実じゃない。僕は、自分が(ジーターやAロッドがこれまでやってきたような)多くのゲームに勝利するのを支える立場を継承すべきだということを、よくわかってる。ジーターは、たくさん出塁する選手であり、アレックスはたくさん点を入れる選手だ。僕らは、彼らのような選手を欠いたままゲームしてる。(だから自分カノーは、出塁もして、打点も稼がなくちゃならない)」

“They are like family to me. It's like your own family. If they are not around you miss them. It's tough. You want to have them back as soon as possible.”
「ジーターやアレックスは僕にとって家族みたいなもんなんだ。自分自身のほんとの家族みたいな、って意味でね。もし家族が周りにいなかったら、寂しく思うだろ? そりゃ、こたえるよ。可能な限り早く戻ってきてもらいたいと思う。」

That is why he appreciates having Ichiro around.
いまカノーが自分の周りにイチローがいてくれることに感謝しているのは、それが理由だ。

“He’s always laughing, he’s having fun,”Cano said. “He really knows the game and knows how to play. I mean over 200 hits for 10 seasons, who does that? I love that he never wants to come out of a game. He is just like me in that way.”
「彼はいつも笑ってて、野球を楽しんでる」とカノー。「彼は野球を本当によく知ってて、どうプレーすべきかも、よくわかってる。10年連続200安打だよ? 誰も真似なんてできない。彼がゲームをけして諦めないことのもいいね。彼はその点で僕と似てる。」

Ichiro was on base three times last night with two singles and an RBI.
イチローは昨夜、2本のシングルヒットで3度出塁し、打点もあげた。

“He understands his swing and does not try to do too much,”Cano said. “He goes with the pitch and that has helped me, watching what he does. You have to understand what kind of player you are to succeed.”
カノーは言う。「イチローは自分のスイングってものがよくわかってて、無理にあらゆることをやろうとはしない。彼は様々な投球にあわせてスイングしてくれるから、僕は、彼が投球にどういうふうに対処したか観察して(そのあとで打席に入れるから)、とても助かってる。成功したければ、自分がいったいどんなタイプのプレーヤーなのか理解してなきゃって思う。」

Cano, 30, understands who he is as a player. Same goes for Ichiro, 39.
ロビンソン・カノー、30歳。自分がどういうプレーヤーなのか、彼はよく理解している。同じことが、39歳イチローにも言える。


蛇足だが、文中でロビンソン・カノーは何度もSucceed、あるいは、Successという単語を使っている。めんどくさいので「成功する」と直訳した箇所もあるが、彼が言いたいのはどちらかというと「継承する」「後を継ぐ」という意味だろう。もちろんそれは、彼の兄貴分であるジーターやAロッドがやってきた仕事や立場を「継承する」、という意味だ。

彼は、基本的には、古巣であるヤンキースを離れる気持ちなど最初から毛頭ないとは思う。ただ、だからといって、カノーの心にまったく迷いがないわけでもないはずだ、とも思う。人間は簡単じゃない。
もし迷いの生じる原因がほんのわずかあるとしたら、それは、「ヤンキースがあまりにも勝てない」とか、「ダグアウトの中に、彼の気持ちを受け止めて、わかってくれるチームメイト、同じ目線で一緒に戦ってくれるチームメイトが、いない」というケースだろう。


最近、ゲーム開始直前のダグアウトで、イチローがいろんな選手にさまざまなアプローチで接触し、士気を高めあっているシーンが目立つ。
あれは、イチローはイチローなりの「空気」の作り方で、寄せ集めのままだったヤンキースを少しづつ「ひとつのチーム」にまとめあげる作業に加わっているのだと思って見ている。
こうしたイチローの地味な作業が、チームを支えるきつい作業に耐えているロビンソン・カノーの心にも間違いなく届いていることが、このインタビューから、とてもよくわかる。


なお、Plate Coverageという単語の意味については、次の記事が参考になる。ミゲル・カブレラはやはり天才だ。マイク・トラウトが彼に追いつくのは、まだまだ先のことだろう。
Miguel Cabrera’s Ridiculous Plate Coverage | FanGraphs Baseball

July 12, 2013

7月11日カンザスシティ第3戦に1番センターで先発出場、タイムリー、ファインプレー、盗塁などと縦横に活躍したイチローは、これでMLB通算1997試合出場を達成。
関連記事:Damejima's HARDBALL:2013年7月11日、イチローのOver-The-Rainbow Catch!!!!!

これで、MLB史上ピート・ローズただひとりしか達成していない「デビュー後13シーズンでの通算2000試合出場」達成まで、あとわずか3試合となり、さらに、ピート・ローズを抜き去って歴代1位となるまで、あと26試合と迫った。

歴代2位だったエディ・マレーの「1980試合」に肩を並べたのが、ついこのあいだだった気がするのに、もうエディ・マレーの記録がはるか後方になりつつある。
現役でいるということ、そして、代打、代走、DHというレベルの現役ではなく、あくまでレギュラーでゲームに出て、攻守走を全てこなすレベルの現役であることの凄さを、あらためて感じないわけにはいかない。

デビュー13シーズンでのMLB通算出場試合数

デビュー13シーズン通算2000試合出場まで、あと3試合
data generated in 07/11/2013 via Batting Split Finder - Baseball-Reference.com(カンザスシティ第3戦を含む)

参考記事:Damejima's HARDBALL:2013年6月24日、イチローMLB通算出場試合数「1980試合」到達。過去にピート・ローズだけしか達成していない「13シーズン・2000試合出場」まで、あと20試合。「ピート・ローズ越え」歴代1位まで、あと43試合。(誤データ修正版)


MLB歴代 通算出場試合数記録
Career Leaders & Records for Games Played - Baseball-Reference.com

現役選手の出場試合数記録
Active Leaders & Records for Games Played - Baseball-Reference.com



ジーター復帰戦で1番センターという、今の彼自身とチームに最も似つかわしいポジションでプレーしたイチローが、バックスクリーン前まで飛んだ大飛球をバスケットキャッチする「ウィリー・メイズ風キャッチ」を決めてくれた。
シアトル時代のスプリングトレーニングでのスーパーキャッチも含め、こうしたキャッチはこれまでにも何度か決めているわけだが、このキャッチのみに関して言うなら、捕球寸前、ほんのわずかだが、体の角度をライト側に変え、「回り込む」ことに成功しているのが素晴らしい。
あれほど余裕を持てない背走のさなかでも、最後に「回り込む余裕」を持てるのが、やはり10-Times-Gold-Glover、イチローというプレーヤーなのだ。
Suzuki catch helps secure Yanks’ win - NYPOST.com


センターの奥行きが120mちょっと(ヤンキースタジアムは408フィート=約124.4m)の今の時代の外野手と、センターの奥行きが483フィート(約147m)もあった縦長のポロ・グラウンズでプレーした1954年ワールドシリーズのウィリー・メイズとでは、要求されるプレーの質が決定的に違っていることについては、2年半ほど前にブログに書いている。詳しくはそちらを読んでもらいたい。
Damejima's HARDBALL:2011年1月9日、シーズンオフらしく、MLBのポジション別ゴールドグラブ受賞回数でも眺めながら、ウィリー・メイズとイチローの時代の違いを考えてみる。

Polo GroundsPolo Grounds

Polo Grounds, Eighth Avenue at 159th Street, 19401940年頃のポロ・グラウンズ
資料:A Little More New York in Black and White (photos and commentary)


July 09, 2013

打者を追い込んだ。

ならば、次はどうするか。
ボール球を振らせるのか。
あくまでストライクを投げ抜くのか。

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追い込んだ場面に限らず、バッターをうちとるために、「ボール球で釣る」のか、そうではなく、「ストライクでねじふせるのか」という手法の差には、その投手の投球哲学のあり方が如実に反映される。

実は、好投手といわれる投手でも、そのほとんどは常識の域を出ない。ほどほどのストライク。そして、ほどほどの釣り球。

なぜなら、なにも哲学なんてもの持たなくてもバッターはうちとれるからだ。彼らを平凡な投手から隔てる差は、たいていの場合、追い込んだ後に投げるボール球をどれほど打者が振ってくれるか、にかかっている。カウントを整えて、釣り球。ファウルさせて、釣り球。その繰り返し。常識から完全に抜け出して固有の哲学をもとうとする投手は、ほんのわずかしかいない。

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だが、野球の歴史に名前を残すのが誰か、
となると、話は違ってくる。

歴史に名前を残すのはいつも、哲学、投球フォームなど、「他の投手に無い独自のスタイル」を追求し、なおかつ、並外れた結果も残すことに成功したピッチャーのほうだ。

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バッターを追い込んだあと、誰がみても最初からボールとわかる軌道のアウトローの変化球ばかり投げて、カウントを自分から悪くしてしまい、自滅していくピッチャーは、それこそ掃いて捨てるほどいる。そういうワンパターンなサインばかり出したがるキャッチャーも数かぎりなくいる。
そういう選手たちが観客に見せられるのは、結局のところ、平凡すぎる打たれることへの恐怖心だけで、天賦の才や常識を超えた哲学を追求するどころか、配球常識すら欠けている。無駄に増える球数。無駄に長い野手の守備時間。見ているファンの欠伸。何もいいことはない。

ヤンキースでいえば、悪いときのフィル・ヒューズもそうだ。
彼本来の能力には非凡な才能の片鱗がみられる。常識にとらわれない稀有なピッチャーを目指せる可能性もある。なんせ、ア・リーグで最も初球にストライクを投げられるようなピッチャーだ。才能がないわけがない。
だが、どうしたものか、彼の投球数はけして少なくならない。

ヒューズには、打者を追い込んだあとに彼が世界にアピールすべき「自分だけの哲学」がどういう形なのかが、まだ見えていないからだ。彼が自分だけの哲学を見つけてキャリアを終えることができるかどうかは、まだ誰にもわからない。
参考記事:Damejima's HARDBALL:2013年6月15日、本当に「初球はストライクがいい」のか。打者を追い込むだけで決めきれないフィル・ヒューズの例で知る「初球ストライク率が高いからといって、 必ずしも防御率は下がらず、好投手にはなれない」という事実。

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そのピッチャーが、どのくらい非凡なピッチャーなのか、それを知るのに何をしたらいいだろう。
登板そのものを見てわかる人は、それでいい。だが、目で見てわかる才能の無い人は、「数字」を見る必要がある。

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以下に、「マリアーノ・リベラクリフ・リーの投球哲学が、いかに特別なものか」を示すグラフを作ってみた。

このグラフは、「ボール球を振らせている率」の高い投手が、いったい「どれくらいの割合でストライクゾーンに投げているか」を示している。
ア・リーグで「ボール球を振らせている率」の高い20人の投手、マリアーノ・リベラとクリフ・リー、ついでにヤンキースの投手数人をマッピングしてある。(© damejima)

O-Swing%とZone%

X軸:O-Swing%(ボール球を振らせる率)
Y軸:Zone%(ストライクゾーンに投げる率)
青い点:O-Swing率の高いア・リーグ先発投手ベスト20
ソース:Fangraph(データ採集日:2013年7月5日)

なかなか面白い。こんなことがわかる。
青い点、すなわち、2013ア・リーグで「ボール球を振らせる率の高い投手ベスト20」のほとんど全員は、「非常に狭いエリア」に固まって存在している。そして、その大半は「ア・リーグ奪三振ランキングベスト20」とダブっている。

一部例外を除き、大半の投手の数値は似たり寄ったりであり、全投球に占めるストライクは42〜46%、「32〜35%前後のボール球」をバッターに振らせている。
つまり「ボール球を振らせることのできる率の高い優秀な投手」のほとんどは、「奪三振数の多い投手」でもあり、しかも彼らの投げるストライクとボールの比率はかなり共通した数値になる。

この数字と事実は覚えておいて損はないと思う。投球術を考える上でたいへん興味深い。MLBにおける先発投手のストライクとボールの模範的な比率は「2:1」だが、それは「ストライクゾーンに投げている球が66パーセントを占める」という意味ではないのである。

ただし、これが役に立つのはごく常識的な投球術の模範回答を知る、という意味においてだ。これが達成できたとしても、天才にはなれない。

このグラフは、とりわけ「打者から多くの三振をとる」という行為を目指すピッチャーにとって、「ボール球を振らせること」がいかに重要かを示している可能性があるわけだが、それだけでなく、もしかすると、彼らのような奪三振系ピッチャーの投球術には、実は思ったほど相互に差異はなく、似たり寄ったりであることを示唆している可能性がある。
つまり、好投手になれるかどうかは、単に「ボールになる変化球を振らせる」というような「常識的な投球術」を実際に実行できる能力だけで決まってしまうかもしれない、ということだ。(もちろん、「模範解答が実行できる」ことだけでも十分に「秀才」だ。だがそれだけでは「天才」と呼ぶことはできない)

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ところが、まるで常識にあてはまらないピッチャーが
MLBには常に存在する。


例えば、マリアーノ・リベラというと、登板時の天衣無縫なイメージから「他の投手に真似のできない特別な変化をする独特のカットボールで、どんどんストライクをとっていく真っ正直なピッチャー」であるかのように思われやすいが、実際には違う。

いくら一流の奪三振王といわれる投手たちでも、ボール球を振らせる率はほぼ「33%前後」と、一定の数字に収まることがほとんどだ。しかし、リベラだけはこれが「44%」もあって、他のどんなピッチャーより高い。
なのに、どういうわけか、ストライクゾーンに投げる率は、データ上、わずか「41.3%」しかないのである。(他の投手は44%前後)
つまり、「数字で見るマリアーノ・リベラ」は、「どんな一流投手より多くの『ボール球』を投げ、しかも、誰よりも多く『ボール球』を振らせているピッチャー」なのだ。


また、グラフのはるか上のほうに名前があるクリフ・リーだが、彼はボールを振らせる率こそ人並みだが、ストライクゾーンに投げる率が、なんと「56.6%」にも達している。キャリア通算でみても、「58.3%」とずば抜けている。これは凄い。
つまり、クリフ・リーは、リベラとは180度正反対の方向性のピッチャーで、「鬼のようにストライクばかり投げこむピッチングを信条としているピッチャーであり、打者がボール球を振って凡退してくれることなど、最初からまるで期待していない投手だ」ということだ。
実際にマウンドに立つクリフ・リーは「心臓に毛のはえたような強気の投手」というイメージだが、これは彼のデータに見事に合致する。数字からみた彼は「3球に2球はストライクゾーンに投げる」ほど、ストライクに固執している。

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ボール球を振らせて凡退させるマリアーノ・リベラ。
ストライクで強引にねじふせるクリフ・リー。

平凡な選手が嫌いなブログ主としては、どちらも好みのピッチャーだが、では、このところ好投をみせつつあるフィル・ヒューズデビッド・ロバートソンといったヤンキースの若手投手は、いったい何を目指しているのだろう。


2人に共通の特徴がある。
ボール球をスイングさせる率の低さ」だ。

これは、一流投手になるための条件として、致命的だ。奪三振数ランキング・ベスト20の投手たちに比べ、数ポイントは低い。どうりで彼らのピッチングがいつも苦しいわけだ。
つまり、ヒューズとロバートソンの投げるボール球は、「バッターが振ってくれないボール球」なわけだ。

同じボール球でも、ボールを振らせる魔王マリアーノ・リベラや、奪三振率の高いピッチャーたちが投げるボール球は、「バッターが振ってくれるボール球」であり、当然ながら両者のピッチングには非常に大きな差が出る。

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フィル・ヒューズは、一度書いたように、「ア・リーグで最も初球にストライクを投げてくるピッチャーだが、今回作成したグラフ上でみると、実はサイヤング賞投手バートロ・コロンにかなり特性が近い。
バートロ・コロンは、クリフ・リー型の「ストライクにこだわる投球哲学を持った投手」で、だからこそ、コロンとクリフ・リーの2人が、サイ・ヤング賞投手になれたわけだが、データでコロンに近い数値をたたきだしているヒューズが、「常識にそわない自分だけのストライクを多投するピッチングスタイルを追求しつつ、日々マウンドに上がり続けていること」は明白だ。

ならば、これから彼の選ぶべき道は、「2つ」。

ヒューズがもし将来コロンになりたいのなら、ストライクを増やすことよりも、もう少し「ボール球を振ってもらえるようにする工夫」をすべきだし、彼がもしクリフ・リーになりたいのなら、「なにがなんでもストライクだけを投げぬける強いハートを持て」という話になる。
彼の課題は「彼自身が今後、誰を目指したいか」によって、かなり変わってくる。


他方、ロバートソン。
彼には2つ、特徴がある。第一に「あまりストライクを投げない」。そして第二に、奪三振数の多い先発ピッチャーたちに比べ、「ボール球を振ってもらえてない」。彼はピッチングのとき、いつも眉間に皺が寄っているが、原因はこんなところにある。ストライクは投げないわ、ボール球を振ってもらえないわでは、なんだか気の毒にさえなる。

彼は2012年にはカットボールばかり投げたがっていた。たぶん当時の彼は、コロンにタイプが似ている「ストライク・マニア」フィル・ヒューズが目指しているものとは全く違い、「カットボールでボール球を振らせて凡退させるマリアーノ・リベラ」を目指していたのだろう。だから、あえて彼はストライクを投げないで、カットボールを多投するピッチングスタイルをとってきたのではないか、そう思うわけだ。

だが、どうだろう。
ロバートソンがリベラになれるだろうか?

つい最近の彼が、カーブを多投するようになって大変身を遂げつつあることは、誰の人生にも必要な、素晴らしい「あきらめ」だと思う。マリアーノ・リベラのような、あれだけボール球を振らせることができるピッチャーは、彼の背番号と同じで、たぶんもう現れない。
ロバートソンはリベラにはなれない。もっとストライクを積極的にとっていき、球種も増やしていくほうが、彼のためだ。

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こうやって考えていくと、野球というのは本当に興味が尽きない。

「ボール球を振らせることのできる投手」と簡単にいうが、その多くは「ゾーンにストライクを数多く投げ、ゾーン内で勝負する投手」なのだろうか。それともストライク率とは無関係なのか。そして、ストライクゾーンで勝負してくる投手のストライクは、どれくらい打たれているのか。

ついでだから、「ストライクゾーンに投げる率であるZone率」と、「ストライクゾーンに投げた球をバットに当てられる率であるZ-Contact率」の関係をちょっと調べてみた。(青い点が、ストライク率の高いア・リーグ投手ベスト20)

ZONE%とZ-Contact%


このグラフでも、いろいろな投手たちのピッチングスタイルの違いがわかる。

例えば、マックス・シャーザーと、ジェレミー・ガスリーの2人は、ストライク率が似た投手だが、ガスリーのほうがはるかにコンタクト率が高い。つまり、同じストライクでも、シャーザーのストライクはバットに非常に当てにくく、他方、ガスリーのストライクは当てやすい、ということだ。
これは、かつてボルチモア時代のガスリーの被ホームラン率がア・リーグで3本指に入るほど高かった事実にピタリと一致する。かつての彼の欠点は、ストライクを投げることではなく、「ストライクにキレがないことだった」ということがわかる仕組みになっている。

このガスリーと同じ「ストライクを多投し、同時にストライクのコンタクト率が異常に高い」という特徴をもつのが、ミネソタのスコット・ダイアモンドだ。
2012年に防御率3.54で12勝9敗と、飛躍が期待されたが、2013年は防御率5.52、5勝8敗と低迷。2013年のHR/9は1.5で、リーグ平均の1.1よりずっと高い。つまり、ただほどほどのストライクを投げる常識的な投球術を続けているだけで活躍し続けられるほど、MLBは甘くない、ということだ。


2つ目のグラフにおいても、クリフ・リーのストライク率の異常な高さと、マリアーノ・リベラのストライク率の異様な低さは、群を抜いている。
いかに彼らが、他の投手とはまったく違うピッチング哲学を持った投手であることかが、このグラフからもよくわかる。
リベラのZ-Contact%、つまり、ストライクのコンタクト率は、マックス・シャーザー並みに低い。上で「リベラは、たくさんのボール球を投げ、そのボール球を振らせている特殊な投手だ」と書いたが、ストライクにしても、打者にやすやすとコンタクトされる安っぽいストライクではない、ということだ。
クリフ・リーのストライクにしても、あれだけ数多くのストライクばかり投げているのに、このコンタクト率で済んでいることは、彼のストライクが並みのレベルではない質の高いストライクであることを示している。

ESPNのシニアライター、ジェイソン・スタークのツイートによれば、もしカンザスシティ初戦でヤンキースにホームランが無ければ、5試合連続ホームランの無いゲームとなり、「1996年6月」以来の出来事らしい。
ホームランの無かった4試合のうち、3試合に勝っているというのに、神経質な人だ(笑)

人はメンタルの非常に弱い動物だ。

「1996年6月以来」とか、ちょっと人に言われると、それだけでデータに弱い人などは、「ああ、1996年も貧打だったのか・・・・。いったい地区何位だったんだ? 4位くらいか・・・?」などと思ってしまう。


だが、1996年ヤンキースにとって、「5試合連続でホームランがない」という記録をつくった「1996年6月」は、実際には、「18勝11敗、勝率.621」と、このシーズンにおける「最も勝率の高かった月」である。
しかも、だ。月別ホームラン数が最も多かったのが8月の40本、月別チーム打率が最も高いのが7月の.294であるにもかかわらず、シーズンで最も勝率がよかったのは「6月」で、この「1996年6月」は、チームホームラン数が最も少なく、かつ、チーム打率が最も低い月だったのだ。
1996 New York Yankees Batting Splits - Baseball-Reference.com


簡単なことだ。
野球はホームランの数で決まるのではない
たったそれだけのことだ。


1996年ヤンキースの総ホームラン数は「162本」しかない。
これは、2012年ア・リーグでたとえると、リーグ平均「179本」に達しない数字であり、この年に貧打の汚名をほしいままにしたシアトルの「149本」とそれほど大差ない。
1996 American League Season Summary - Baseball-Reference.com
1996年ア・リーグのチームホームラン数トップは、ボルチモアの「257本」だから、ヤンキースは約100本もの大差をつけられている。リーグ最下位だったミネソタから数えて、下から3番目のホームラン数なのだ。
個人単位でみても、チーム最多のホームランを打ったバーニー・ウィリアムスでさえ29本で、30本打てたバッターはひとりもいない。


この「ホームランが打てない1996年のヤンキース」、
シーズン最後にどうなったか。

2位ボルチモアに4ゲーム差をつけて地区優勝。ALDSでテキサス、ALCSでボルチモアを蹴散らし、ワールドシリーズで4勝2敗でアトランタも退けてワールドチャンピオンになっているのである。

もういちど書いておこう。
野球はホームランの数で決まるのではない

勝てばいい。それだけのことだ。

近年のヤンキースの黄金時代を築いたのは、バーニー・ウィリアムス、若いデレク・ジーター、シンシナティから来たポール・オニール、シアトルから来たティノ・マルチネス、ボストンから来たウェイド・ボッグスなど、ハイアベレージで打てて、しかもそれが長期に持続できる選手たちが一堂に会したことによって生まれた90年代後半ヤンキースの「濃密な」野球スタイルであり、2000年代以降にステロイド・スラッガーをズラリと並べ、毎年200本以上ホームランを打ちまくったわりに、わずか1度しかワールドシリーズを勝てなかった「まやかしの」ヤンキースではない。(もちろん2013年ヤンキースが1996年ヤンキースと同じだ、などと野暮なことを言うつもりはない。選手層の厚みがあまりに違いすぎる)


ちなみに、1996年ヤンキースで、キャッチャーとしてワールドシリーズ優勝を経験したのは、他の誰ならぬ、現監督ジョー・ジラルディ、その人だ。
ジラルディはコロラドから移籍してきた1996年にヤンキースでワールドシリーズ優勝を経験。その後4シーズンの在籍中に運よく3度のワールドシリーズ優勝を経験している。
Joe Girardi Statistics and History - Baseball-Reference.com


人はキャリアによってつくられる。
こうしてあらためて眺めてみると、ジョー・ジラルディの経験にある「ヤンキース」とは、ホームランがそれほど打てなくてもワールドシリーズに勝ち続けられた90年代のヤンキースの黄金期であるだけに、ブログ主ですら、監督としての彼の野球にときとして「あまりの小ささ」を感じ、その「細かさ」を不満に思ったりするのも、ある意味、彼ならではのキャリアのなせる業かもしれない。

July 06, 2013

7月5日のボルチモア戦でイヴァン・ノバがみせてくれたクリス・デービスの三振パターンは、実はだいぶ前、2012年の夏過ぎくらいからわかっていた。

クリス・デービスは、追い込んでおいて、
ベースの真上に変化球をタテに落とせば
確実に三振させられる。

だが、解決できていない、やっかいな問題は
「決め球を何にするか」ではなく、別のところにある。

いくら彼の打席のビヘビアを観察しても、いまだにクリス・デービスを打者不利なカウント(できたら0-2か1-2)に追い込む確実な投球パターン、つまり、初球から3球目あたりまでをどう構成したらいいかが、さっぱり見えてこないのだ。

2013年7月5日ボルチモア戦クリス・デービス三振2013年7月5日の
三振パターン

真ん中低めのカーブ

2012年秋のクリス・デービスの三振パターン2012年秋の
三振パターン

真ん中低めのスライダー


今わかっているクリス・デービス攻略手法のポイントは
追い込むこと」に尽きる。

まず、クリス・デービスの今シーズンのスピードボールに対するHot Zoneを見てもらいたい。
ほとんどのコースが真っ赤に染まっている。まぁ、驚くくらいこのバッターはスピードボールに強いのである。

2013全投手・スピードボール・打率 Hot Zone
クリス・デービス 2013全投手・スピードボール打率
Chris Davis Hot Zones - ESPN

ところが、である。こんなデータがある。
同じクリス・デービスの「2ストライクをとられた後の、スピードボールに対する打率」である。

2013全投手・2ストライク後のスピードボール打率
クリス・デービス2013全投手2ストライクにおけるスピードボール打率

どうだろう。とても同じ打者とは思えないほど差がある。
結論を先に書いておこう。

「初球や、打者有利なカウントでのクリス・デービス」と「2ストライクとられて追い込まれた後のクリス・デービス」は、全くの別人である。クリス・デービスは、追い込まれると別人のように打てなくなる

最初は経験則でも、あとで彼の「カウント別・打撃データ」を見れば、一目瞭然に裏がとれる。クリス・デービスは追い込んだ後でなら、彼が滅法強いはずの速球を投げても案外大丈夫だったりするのだ。(もちろんどうせ投げるなら「真ん中低めに、タテに落ちる変化球」のほうが望ましい)

クリス・デービスのカウント別バッティングスタッツ
ソース:Chris Davis 2013 Batting Splits - Baseball-Reference.com

念には念を入れて、クリス・デービスの、ビハインドとアヘッド、つまり投手有利カウントと打者有利カウントにおけるHot Zoneを調べておこう。鮮やかな結果がでる。

アヘッドカウント打率
2013全投手全球種
クリス・デービス 2013全投手アヘッドカウント全球種打率

ビハインドカウント打率
2013全投手全球種
クリス・デービス 2013全投手ビハインドカウント全球種打率


どうだろう。鮮やか過ぎるほどの差がでる。
クリス・デービスは「ビハインドカウント」では、急激に低めの球が打てなくなるというか、もっと正確にいうと、低めのボール球に手を出して、凡退してくれることが、ハッキリわかる。


ただ、問題がひとつだけある。

へたをすると三冠王に手がとどきかねないクリス・デービスを、ピッチャーはどう配球したら「投手有利なカウント」に追い込めるのか?
という点だ。
去年から今まで、ずっと観察を続けているにもかかわらず、直感でも、データ上でも、「これだ!」と手のひらを打てる的確な結論がなかなかみえてこない。(一時期「アウトコース高めの2シーム」がいいかなと思っていたが、この球を流し打ちでホームランにするのを見て、これじゃないと思った)


ただ、ヒントはつかんでいる。
ひとつのヒントは「初球」にある。

クリス・デービス2013全投手初球スピードボール打率


理由はまったくわからないが、データ上、彼が初球をヒットにしやすい球種は、どういうわけか、彼が最も得意なはずの「速球」ではなく、カーブ、チェンジアップといった、「スピードを抑えた大きく曲がるボール」であることがわかっている。


だから、今のところわかっていることを書いておくと、クリス・デービス攻略に必要な発想は、次のようなことになる。

クリス・デービスと対戦する投手がもつべき発想は、
カウントによって投げていい球種が変わるという発想。

まず初球は、いくら彼が「初球」と「速球」を鬼のように得意にしているバッターだからといっても、打たれるのを怖がって「カーブ」、「チェンジアップ」など、遅めの変化球で初球に安易にストライクを取りにいってはいけない。
むしろ、初球こそ、勇気をもって彼の最も得意なはずの速球を投げるべき。初球に限って(なぜそうなのか、理由不明だが)彼はスピードボールをあまりうまくミートできない。

運よく「打者有利なカウントに一度もならないうちに」クリス・デービスを追い込むことに成功できたら、後は簡単だ。ホームプレートの真上にタテに落ちる変化球を投げて、三振してもらうだけ。(もちろん、いくら追い込んでいるとしても、コントロールミスして真ん中に投げたりしてはいけない)
ただし、この「法則」にも条件がある。彼を打者不利カウントに追い込むプロセスで、「打者有利なカウントにしてしまったとき」には成立しない。打者有利カウントになったら、よほど警戒して次の球を投げないとやられてしまう。

残念ながら、彼から「2ストライク目を奪うための正確な方法論」は、いまだ確立されていない。




イヴァン・ノバがボルチモア戦で好投したときにみせたマニー・マチャドへの配球がなかなか良かったことを書いたことだし、ついでに、アダム・ジョーンズが苦手なアウトローの変化球を三振して、ダグアウトに帰ってから、かぶっていたヘルメットを脱いで、それをバットで打とうとし、さらにはバットを壁にたたきつけて悔しがったシーンの「意味」も記録に残しておこう。
Baltimore Orioles at New York Yankees - July 5, 2013 | MLB.com Classic


今年からテキサスからアナハイムに移籍した左バッター、ジョシュ・ハミルトンが、追い込まれてからアウトローの変化球を投げられると、ほぼ間違いなく空振り三振してしまう悪いクセがあることは、既に2012年のポストシーズンに、ミゲル・カブレラとの比較で書いている。
だから、移籍したハミルトンがエンゼルスにとって巨大過ぎる不良債権になることは最初から予想できていたし、この「欠陥があることが最初からわかっているバッター」を、例えばシアトルが獲得しようとしていたことを聞いたときには鼻でせせら笑ったものだ。
Damejima's HARDBALL:2012年10月6日、2012オクトーバー・ブック 「平凡と非凡の新定義」。 「苦手球種や苦手コースでも手を出してしまう」 ジョシュ・ハミルトンと、「苦手に手を出さず、四球を選べる」 三冠王ミゲル・カブレラ。


アダム・ジョーンズにも、このハミルトンと同じクセがある。追い込まれると、ボールになるアウトローの変化球を追いかけて空振りしてしまうクセがあるのである。
(このクセは、BJアップトンにもある。だから彼の凋落も予想できた。Damejima's HARDBALL:2012年9月17日 アウトコースのスライダーで空振り三振するのがわかりきっているBJアップトンに、わざわざ真ん中の球を投げて3安打させるボストンの「甘さ」
インコースの連投でファウルを打たされて追い込まれ、最後はアウトコース低めの変化球(カーブ、スライダー)を完全に泳いだスイングで空振り。これが何十回も見てきたアダム・ジョーンズの典型的な三振パターンだ。

アダム・ジョーンズはクレバーなプレーヤーだから、自分の欠点をとっくにわかっている。誰よりもよくわかってはいるが、修正することができない。それが長年プレーを果てしない練習によって自分の体の奥底に滲みこませているプロならではの悩みだ。
だから、アダム・ジョーンズは悔しさのあまり、バットを壁に投げつけた。

2013年7月5日ボルチモア戦アダム・ジョーンズ三振7回表 三振




不思議なのは、度重なる凡退でバッティングの欠陥を他チームに見抜かれてしまったハミルトンが打率が2割ちょっとしかないほどバッティングが壊滅したのに、同じような欠点をもつアダム・ジョーンズが、ハミルトンのように低迷してないことだ。
彼は、低迷どころか、むしろ打率.291、ホームラン15本、二塁打22本を打っていて(7月5日現在)、ボルチモアの4番に座り続けている。

これはどうしたことだろう。
いつも不思議に思って彼の打席を見ている。

今だから正直に言えば、アダム・ジョーンズの「アウトローの欠陥」がわかっていたから、今シーズンの彼の打撃成績はハミルトン同様、低迷するものと予想したのだが、そうはならなかった。
そして、残念なことに、どのチームの投手もアダム・ジョーンズを完全には抑え込めない理由が、いまだにわからない。


ただ、とはいえ、
多少ボンヤリとした「推定」がないこともない。


それは、ボルチモアというチームがとっている「他チームにスカウティングされにくい、独自の『オセロ的』な打線構成手法」だ。

マニー・マチャドが、実は「アウトコース低めに異常にこだわることで数字を残しているバッターであること」は既に書いたが、では、そういう2番バッターにアウトローを打たれたばかりのピッチャーが、そのあとに出てきたボルチモアの3番とか4番打者に「アウトローを集中して投げる気になる」だろうか? ならないと思う。

つまり、2番に「アウトローに異常に強い打者を置いていること」が、アダム・ジョーンズに対するアウトロー攻めを回避させているのではないか、と思っているわけだ。(もちろん、それですべてを説明できるとも思えないが)

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こうした「タイプの違う打者を、まるでオセロの盤のように、交互に配置する」という「ボルチモア独特のオセロ的な打線構成手法」は、ボルチモアの監督がバック・ショーウォルターにかわってからというもの、ずっと見せられてきた。


例えば2012年ボルチモア打線のある試合のスターティング・オーダーをみてもらいたい。

左 マクラウス
右 ハーディー
右 ジョーンズ
両 ウィータース
右 レイノルズ
右 マチャド
左 デービス
右 フォード
右 アンディーノ

黒い太字で書いたのは、ストレートに非常に強いバッター
赤い太字で書いたのは、どちらかというと変化球に強いバッターだ。

「見た目」では「特殊なジグザグになっている」ようには見えない。だが実際には、(あくまで仮説だが)2012ボルチモアの上位打線は「まるでオセロの盤のように、ストレートに強いバッターと、変化球に強いバッターを、交互にならべて」作られていた。

ボルチモア打線が、相手チームの打線のスカウティングをまるでしないまま投げてくれるような、データを活用しない雑なチームと対戦すると、特に「持ち球の種類の少ないブルペン投手」をやすやすと攻略できる。そういうシーンを、2012シーズンの終盤にはよく見たものだ。
この2012シーズン終盤のボルチモア独特の打線の組み方を、仮に「ボルチモア・オセロ打線」とでも呼んでおくことにすると、その「メリット」は何だろう。


「オセロ打線」の狙いは、
いわば漁業でいう「定置網」だ。

ボルチモアの定置網にかかるのは、特徴の異なる打者ごとに配球や攻め方を変えようとせず、どんなバッターにも同じ配球をしようとする単調なチーム、単調なバッテリーだ。そういうチーム、バッテリーは、残念ながら、MLBにも非常に数多く存在する。

例えば、2012ヤンキースの正捕手だったラッセル・マーティンもそうだった。かなりのゲーム数を集中してみさせてもらったが、結論からいうと、彼は相手チームのスカウティングをほとんど頭に入れず、ピッチャーにワンパターンな配球しかさせていなかった。
彼は、例えば、ランナーが出るとアウトコース低めに球を集めることくらいしか考えない。また、ゲームの中での組み立てにしても、「最初の2巡目くらいまではアウトコースを使い、3巡目からインコースを混ぜる」とか、「2巡目までストレートを中心、3巡目からは変化球を混ぜる」程度の、誰でもやっていることしかしていなかった。
だから、例えば「アウトコースがアホみたいに得意なバッター」がズラリと揃っているホワイトソックスやトロントなどとのゲームであっても、スカウティングをまったく考慮せず、何も考えずに「アウトコース低めの変化球のサイン」ばかり出しては打たれまくって、ヤンキースは簡単に負けていた。
参考記事:Damejima's HARDBALL:2012年8月20日、アウトコースの球で逃げようとする癖がついてしまっているヤンキースバッテリー。不器用な打者が「腕を伸ばしたままフルスイングできるアウトコース」だけ待っているホワイトソックス。


仮に「ボルチモア・オセロ打線」という仮説が正しいとして、こういう打線と、「打者ひとりひとりに対応することを全く考えないバッテリー」が対戦すると、投手はどういう目に遭うか。「配球の単調なラッセル・マーティンのヤンキースが、ボルチモア・オセロ打線と対戦するケース」をシミュレーションしてみよう。

ストレートを打たれまくる序盤

ヤンキースバッテリーはゲーム開始前に、たいていのチームの先発投手がそうであるように、ゲーム序盤のまだ球にパワーがあるうちは「ストレート」で押していくと決め、まずは、とことんストレート系で勝負する。
すると、どうなるか。
ストレートに強い1番マクラウスにストレートを打たれ、2番ハーディーはうちとるが、ランナーはセカンドに進塁。そこでストレートに鬼のように強い3番アダム・ジョーンズに、よせばいいのにストレート勝負、タイムリーを浴びる。スライダー打ちのうまい4番ウィータースは凡退させたが、インハイの好きな5番レイノルズに、インハイのストレートでのけぞらせるつもりが、逆にホームランを食らう。インコースが苦手な6番マチャドは打ち損じてくれるが、ストレートに強い7番クリス・デービスに痛打され、大量失点。

変化球に強い打者に打たれまくるゲーム中盤以降

序盤にストレートを打たれまくって困り果てたラッセル・マーティンは、打者3巡目以降に「変化球中心の組み立て」に変えることにした。
すると、どうなるか。
1番マクラウスは凡退させたが、2番ハーディーに低めのカットボールをヒットされる。3番アダム・ジョーンズは彼の苦手なアウトローのスライダーで泳がせて空振り三振させたが、4番ウィータースには「アダム・ジョーンズと同じように投げたはずのアウトローのスライダー」をタイムリーされてしまう。
スライダーを投げさせることにもビビったマーティンは、サインに困り、ゲーム序盤にインハイのストレートをホームランされている5番レイノルズに、こんどは「アウトコースのカーブ」を投げてみる。だが、球種にこだわりのないレイノルズに空振りさせるつもりのカーブをタイムリーヒットされて、ゲームは完全に劣勢に陥る。


「オセロ打線」というコンセプトは、持ち球の種類が少ないブルペンピッチャーには特に効果的だろうと思う。
というのは、「ストレート系を打てる打者」と「変化球を打てる打者」を交互に並べた「オセロ打線」との対戦では、その投手の中心球種が何であれ、持ち球の種類の少ない投手が投げる場合、オセロ打線は「どこかでは必ずその投手の中心球種を得意とするバッターが登場してきてしまう仕組み」になっているからだ。(だから「定置網」なのだ)

例えば、2012ヤンキースのブルペンピッチャーには、持ち球の種類が極端に少ないタイプが多かった。当時カットボールしか投げようとしていなかったローバートソン(今シーズンはカーブが持ち球に加わって改善した)、スライダーしか投げられないコディ・エプリー(オフに放出)、ストレートばかり投げようとするローガン(彼は今も変わらない)などだ。
だから、ヤンキースのブルペン投手がボルチモア戦で投げると、たとえ先頭打者をうちとれたとしても、2人目か3人目の打者に、ほぼ必ずといっていいほどつかまってしまう。
(ただ、たとえ当時のヤンキースが、この『ボルチモア・オセロ打線』の仕組みに気づいていたとしても、対処のしようがない。というのは、ブルペンピッチャーの数は限られているわけだから、すべてのブルペン投手をワンポイントで使うわけにいかないからだ。根本原因は「ヤンキースのブルペン投手の球種が少なすぎること」にある)
2012ヤンキースは、ストレートしか投げられないブルペン投手、あるいはスライダーしか投げられないような、柔軟性に欠けるブルペン投手ばかりゲーム終盤に投入していたのだから、2012年9月に地区優勝を逃しそうになるほどヤンキースがボルチモアに追い上げられたのも無理はなかった。


どうだろう。仮説ではあるが、得意球種(あるいは得意コース)の異なる打者を交互に並べるオセロ打線の効果や面白さが、わかってもらえたらいいが、と思う。

左右の打者を交互に並べるのが「ジグザグ打線」だが、それだけが打線の組み方ではないことを、ボルチモアGMダン・デュケットと監督バック・ショーウォルターは証明してみせたのである。
このオセロ打線は、たとえ打率のあまり高くない打者ばかり集めたチームであっても、十分に得点圏シチュエーションを作り、たくさんの得点を生みだすことが可能だということを証明してみせた。それが、2012年ボルチモア・オリオールズだった、というわけだ。


ちなみに、こうした打線を組むに至った「理由」は何だろう。

もちろんあくまで想像でしかないが、「ボルチモア・オセロ打線」が組まれた根本的なモティベーションは、「安定したバッターで、ストレートに滅法強いが、短所も多数あるアダム・ジョーンズ」と、「一見ストレートに強そうに見えるが、実は変化球を打つタイプであるマット・ウィータース」を、3番4番に並べて固定する、そのことだけのために考え出された、とブログ主は見ている。(もちろん、2012シーズン終盤になって左の好打者ニック・マーケイキスを怪我で欠いたことで、他に1番に適した野手が見つからなかったことも関係しているだろう)

もし、ボルチモアのメインピースであるジョーンズとウィータースを、3番4番として固定した形で地区優勝を飾りたいボルチモアが、同時に「ジグザグ打線」にこだわろうとすると、どうなるか、考えてみる。
右左の順序の関係上、(本来1番に適任なのは左バッターであることが多いが、ここではそれを無視していうと)「1番を打てる右打者」が必要になるが、当時のボルチモアには「1番バッターとしてのバッティングができるシュアなバッター」は存在しなかった。
ショーウォルターは、右のアンディーノライモールドを1番に置いてテストもしたが、この右バッター2人は、左のマーケイキスのバッティングには遠く及ばないことはハッキリしていたし、そもそも彼らではバッティングが雑すぎて1番には向かない。(だからシーズンオフにアンディーノを見切って放出した)

左右を気にせず考えると、2012ボルチモアの1番に最もふさわしかったのは明らかに左のマーケイキスだが、その彼が怪我で戦列を離れてしまい、ポストシーズンで1番を任されたのは、やはり左のマクラウスで、右打者を置くことはできなかった。

他チームから獲得するにしても、良質の1番バッターは、価格は安くないし、そもそも市場にほとんど出回ってない。
予算面でかなり無理して打線をジグザグ化してみたところで、ペイロールが打者偏重になることでボルチモア投手陣が薄くなってしまえば、ボルチモアの長年の課題である「投手陣立て直し」という最重要課題の達成に支障をきたしてしまう。

ボルチモアGMダン・デュケットは実際にはどうしたか。
価格の高くない「ストレートに強いパワー系打者」を獲得してきて(テキサスのクリス・デービス、Dバックスのマーク・レイノルズ、アトランタのネイト・マクラウス)、アダム・ジョーンズと一緒に並べて「打線の骨」にした。
そして、その太い骨と骨の間に、変化球に強い野手(生え抜きのウィータース、マチャド、アンディーノなどと、ミネソタから獲ってきたJJハーディー)を「オセロの盤」のように交互に挟みこんで「打線の肉」とし、「骨と肉」が交互に組み合わさった、立体的な「オセロ打線」を組み上げた。

相手投手攻略と、自軍の打線の特徴のカモフラージュのために、左右のバッターを交互に並べる「ジグザグ打線」ではなく、得意球種(あるいは得意コース)の異なるバッターを交互に並べる「オセロ打線」。
この仮説がもし本当に2012ボルチモア打線の構成意図だったとしたら、打線戦略として斬新だし、単調な配球しかしないバッテリーを抱えるチームと対戦する戦略として非常にリーズナブルだったと思うのである。



ちなみに、2012ボルチモア打線が「ストレートに強いアダム・ジョーンズと、変化球に強いマット・ウィータースを軸に、ストレートに強い打者、変化球に強い打者を交互に並べることで、「相手チームの投手のあらゆる配球パターンに対応できる打線を作った」とするなら、デトロイト打線は、「あらゆるコースに滅法強いミゲル・カブレラと、アウトコースに強いプリンス・フィルダーを軸に、「インコースに強い打者をズラリと並べていることに特徴がある。
これもまぁ、ひとつの「オセロ打線」といえなくもない。インコースだけとか、アウトコースだけとか、決まったコースだけ攻めていても、デトロイト打線は沈黙してくれないのだ。

2012ALCSのGame 1、Game 2で、ヤンキースバッテリーは、打順2巡目まではデトロイト打線のアウトコースを攻めきって完全に沈黙させていたにもかかわらず、ゲーム終盤になって、自分からインコースを突く配球に変えて自滅するという大失態を、2ゲーム続けて敗退した。
デトロイト打線がインコースに強い打者が揃ってる、そのくらいのこともわからないで、自分からインコース攻めに切り替えて打たれているラッセル・マーティンには、つける薬がなかった。
このキャッチャーは、ボルチモアの「オセロ打線」にさんざんやられまくったクセに、「自分たちがなぜこれほどまでに、ボルチモア打線につかまってしまうのか」、ちっとも探究せず、こんどはインコースに死ぬほど強いデトロイト打線、例えば、オースティン・ジャクソンデルモン・ヤングに、インコース勝負を挑んでは打たれまくったのである。(あれだけ得意不得意がはっきりしているオースティン・ジャクソンが低迷せず、いまだに3割とか打てるのは、それだけ「ぬるいチーム」「ぬるいバッテリー」が多数あるという証明でもある)


こういう「アタマを使わないチーム、アタマを使わないバッテリーを、カモにする」のが、「オセロ打線」という定置網戦術の狙いだと思う。
「オセロ打線」が組まれていることは、見た目ではわからない。それだけに、他チームに気がつかれにくく、スカウティングされにくい。スカウティングされにくいことは、今の情報戦時代の野球にとって、最大のメリットである。

この「それぞれの打者の欠点と長所をあらかじめ把握し、長所の異なるバッターを交互に並べることで、お互いの欠点をカバーしあう打線にする」というボルチモアならではの新発想は、2013年のボルチモア打線でも立派に機能していて、それが「アウトローに明白な欠点をもつアダム・ジョーンズ」の凋落を防いでいるのではないか。そんなふうに思うのである。

ボルチモア第1戦は、イヴァン・ノヴァが、リードされている気楽さもあって、ゲーム後半に素晴らしいピッチングをみせ、ヤンキースがサヨナラ勝ちした。

このゲームの収穫は、大雑把なピッチングしかできなさそうに思われていたノヴァが、なんと「スカウティングどおりのピッチングでボルチモアの強力打線を封じ込めた」をみせたことだ。これは非常に大きい。(先制点を与えなければ100点満点だった)
今日のノヴァのクレバーさは、例えば、「アウトコースマニア」のマニー・マチャドに対して、彼の得意でないインコースでうちとるか、そうでない場合でも、まず初球にインコースを見せておいてからアウトコースを投げていることだ。「なにがなんでも最初から最後までアウトローのスライダー連投」などという馬鹿な配球は、今日のノヴァは一度もやってない。
Baltimore Orioles at New York Yankees - July 5, 2013 | MLB.com Classic


2013年7月5日ボルチモア戦マニー・マチャド凡退1回表 レフトライナー

2013年7月5日ボルチモア戦マニー・マチャド9回表凡退9回表 ショートゴロ


MLBの先発ピッチャーは、サンフランシスコ、オークランド、ボストンなど、データ活用のうまいチームならば、クローザーも含め、ピッチャーが細かなスカウティングデータ通りに打者の弱点を効果的に攻めてくることも少なくない。

だが、たいていのチームの場合は、「そのピッチャーがもっている『非常に狭い、ワンパターンな配球パターン』どおりにしか投げようとしないし、投げられもしない。そもそも、打者ごとに柔軟に配球を変えて投げられる器用さ自体を、もともと持ち合わせていない」ことがほとんどだ。
だから、ゲームを見ていると、弱いチームに限って「なんで、このバッターの最も得意なコースに投げるのかね?」と首をひねるシーンを、イヤというほど見せられる。


ヤンキースはどうか。

ヤンキースの大半のピッチャーは、残念なことに、「バッターのスカウティングと無関係に、自分の投げたい球を投げている」、そういうチームだ。(「スカウティングどおりに投げる能力」がないのではない。そういう「能力」自体はあるのに、実行してない)

だから、「このバッターに、なぜその球種、そのコースに投げてしまうのか?」とイライラする場面がけして少なくない。
この傾向は、野手に怪我人が大量に出て、投手陣の頑張りで貯金を作ってきたといわれることの多い2013シーズンであっても、別にかわりない。
これだけ貧打の状態でも勝率が5割を割らないのは、上位打線の3人、ガードナーイチローカノーが踏ん張っていること、もともとレベルの高い持ち球を持っている先発投手をそろえているから、だけであって、もしヤンキースの投手陣の配球がもっとテクニカルなものだったら(あるいはキャッチャーのサインがもっとクレバーだったら)勝てる試合はもっとあったし、勝率はこんなに低くない。


例えば、ボルチモアの伸び盛りの2番打者、マニー・マチャドは、ESPNのHot Zoneでもわかるとおり、「アウトコース、それも低めが、馬鹿みたいに強いバッター」だ。
これは、彼が打席の中でホームプレートから離れて立っていることから、バットを振らなくても最初から推定できた。例えば日本のプロ野球巨人の長野もその典型だが、インコースに苦手意識があるバッターというものは、えてしてプレートから離れて立って、強烈に踏み込んできて打ちたがるものだからだ。


マニー・マチャド
2013年全ゲーム 全投手・全球種・打率 Hot Zone

2013マニー・マチャド全球種コース別全打率
Manny Machado Hot Zones - ESPN


ヤンキースの右投手は、カウントが打者有利になったとか、強打者との対戦だとかいうと、すぐにビビッてしまい、まるで頭を使わずに、簡単に「右バッターのアウトローにスライダー」を投げてしまう。

これは右投手の悪いクセだ。

この、右投手のアウトローを狙い打ちすることでハイアベレージを挙げているのがわかりきっているマニー・マチャドに対してですら、「安易にアウトローのスライダーを投げてしまうような右投手」は、ハッキリ、「頭が悪い。馬鹿だ。」と言わせてもらう。

ちょっとはアタマを使え、と言いたくなる。

2013年直近30ゲーム
右投手・スライダー・長打 Hot Zone

2013最近30ゲーム マニー・マチャド右投手スライダー長打



ついでだから、マニー・マチャドの左投手に対するバッティング傾向も書いておこう。以下のデータを見ればわかるが、彼は、右投手のアウトローだけでなく、左投手のアウトローにも強い。一目瞭然だ。左投手でも、右投手と同様に、このアウトコース好きのバッターに、何の工夫もなくアウトローの球を投げてはいけない。

もちろん、右投手左投手それぞれに、「アウトコース好きのマニー・マチャドが、インコースを打てている球種」というのも、わずかながら存在する。「右投手のストレート」、「左投手のスライダー」が、それにあたる。これらの球種はインコースに投げても打たれる。
だが、それらは単に「例外」であって、投手があらかじめ「例外」として把握しておき、投げなければ何の問題も起きない。

マニー・マチャドのような「傾向のハッキリしている打者」に打たれるのを防ぐことは、どんな投手でもできる。それをしないのは、単に投手とチームの怠慢としかいいようがない。

2013直近30ゲーム 左投手・全球種・長打
2013直近30ゲーム マニー・マチャド左投手全球種長打

2013全ゲーム 左投手・スピードボール・打率
2013全ゲーム マニー・マチャド左投手スピードボール打率

2013全ゲーム 左投手・カーブ・打率
2013全ゲーム マニー・マチャド左投手カーブ打率

2013全ゲーム 左投手・チェンジアップ・打率
2013全ゲーム マニー・マチャド左投手チェンジアップ打率


July 05, 2013

イチローの「日米通算4000安打達成」は、同時に、「ルー・ゲーリッグの通算安打数を越えるMLB通算2722目のヒットを打ったとき」でもある。

ミネソタ遠征で絶好調のイチローのMLB通算安打数は、7月4日ミネソタ第4戦の3本のヒット(シングル、二塁打、三塁打)を加え、2685本
これに日本での「1278本」を加えた日米通算安打数は、「3963本」となり、日米通算4000安打達成まで、あと「37本」と、ついに秒読み体制に入った。

MLB通算安打数
日米通算4000安打まで、あと37本
Career Leaders & Records for Hits - Baseball-Reference.com

参考記事:Damejima's HARDBALL:2013年6月5日、イチローがMLB通算2655安打達成し、テッド・ウィリアムズを抜いたことで得られた「確信」。さまざまな議論があることを承知していても、やはり誰もが書かずにいられない『4000本の栄光』。



ちなみに、イチローのメジャーデビューから現在に至る「27歳から39歳までの通算ヒット数」2659安打(2013年6月12日段階)で、これは、MLB通算安打数記録「4256本」のタイトルホルダーであるピート・ローズが、同じ「27歳から39歳まで」の間に打ったヒット数「2658本」を既に越えており、「同年代における安打数の比較」においては、イチローは既に通算安打数歴代1位の座をピート・ローズから奪い去っている

27歳から39歳までの間に打った通算ヒット数ランキング
(2013年6月12日現在)
27歳から39歳までの間に打った通算ヒット数ランキング 20130612
Provided by Baseball-Reference.com : Batting Split Finder Generated 6/12/2013

7月4日ミネソタ第4戦に1番センターで先発出場し、2点タイムリースリーベースなど、3安打2打点と活躍したイチローは、これでMLB通算1990試合出場を達成。

これでイチローが、MLB史上ピート・ローズただひとりしか達成していない「デビュー後13シーズンでの通算2000試合出場」達成まで、あと10試合、さらに、ピート・ローズを抜き去って歴代1位となるまで、あと33試合と迫った。

デビュー13シーズンでのMLB通算出場試合数
デビュー13シーズン通算2000試合出場まで、あと10試合
data generated in 07/04/2013 via Batting Split Finder - Baseball-Reference.com(ミネソタ第4戦を含む)

参考記事:Damejima's HARDBALL:2013年6月24日、イチローMLB通算出場試合数「1980試合」到達。過去にピート・ローズだけしか達成していない「13シーズン・2000試合出場」まで、あと20試合。「ピート・ローズ越え」歴代1位まで、あと43試合。(誤データ修正版)


MLB歴代 通算出場試合数記録
Career Leaders & Records for Games Played - Baseball-Reference.com

現役選手の出場試合数記録
Active Leaders & Records for Games Played - Baseball-Reference.com


イチローは既に、この記録におけるMLB歴代2位だったホール・オブ・フェイマー、エディ・マレーの「1980試合」を抜き去り、単独の歴代2位に躍り出ていた。
あと33試合の出場により、イチローがMLB歴代1位ピート・ローズの「2022試合」を38年ぶりに塗り替え、「デビュー後13シーズンにおけるMLB史上最多試合出場プレーヤー」となる日が、刻一刻と迫っている。

2点タイムリースリーベース動画
Video: Ichiro's two-run triple | MLB.com Multimedia

2013年7月4日2ラントリプル

この日の活躍まとめ動画
Video: Ichiro's big day | MLB.com Multimedia

July 03, 2013

先日、MLBアンパイアとしては若い50歳代のTim Tchidaが引退を決意した理由のひとつが、バッターのファウルチップがアンパイアのマスクを直撃する衝撃が長年積み重なったことによる首などの慢性的な怪我だった、という記事を書いたが、膝の怪我で休養している別のアンパイア、43歳のBrian Rungeにも怪我による引退の噂がある、と書いた。
Damejima's HARDBALL:2013年6月12日、アンパイア寿命を脅かす 「ファウルチップの脅威」。近年のデータ主義野球の浸透による「ピッチャーの平均投球数の増加」と、アンパイアの疲労。

ところが、そのBrian RungeがMLBがアンパイアに対してランダムに行う薬物検査に落ち、その結果トリプルAのアンパイアに降格処分になったと、MLBが発表した。
てっきり膝の怪我が周囲の同情を集めているものとばかり思っていただけに驚いた。(かわりにChris Conroyがメジャーのアンパイアに昇格)
AP NewsBreak: People familiar with situation say MLB umpire Runge let go after drug violation | Fox News

MLB dismisses umpire for drug violation - MLB - SI.com

彼の薬物検査からどんな薬物が発見されたのかは公表されていないが、MLBアンパイアのトリプルA降格がかなり重い処分なのは間違いない。World Umpires Association代表をつとめるJoe Westもコメントを拒否しているほどだ。(シーズン途中の降格は2000年以来らしいが、そのときの降格理由は「怪我」であり、やむをえない理由だから、今回とは意味が違う)

憶測でモノを言ってもはじまらないが、Rungeは、祖父から親子3代にわたってMLBアンパイアをつとめてきた家系で、よほどのことがなければ職を失うとは考えられない。その彼が公表できない理由で、しかもシーズン途中で降格処分になったのだから、ただごとでない理由による降格なのは、おそらく間違いない。


イチロー線引き退場事件

Brian Rungeは、イチローがアウトコースの判定に怒ってベース脇にバットで線を引いて、MLBでは初の退場処分にさせられたときの球審であることは何度も書いてきたが、彼はさらに、2012年4月21日ホワイトソックスのPhillp Humberがシアトル戦で完全試合を達成したゲーム、そして同年6月8日こんどはそのシアトルが複数投手によるノーヒット・ノーラン、combined no-hitterを達成したゲームの、両方の球審でもあった。
参考記事:Damejima's HARDBALL:2012年6月8日、複数投手によるノーヒット・ノーラン、combined no-hitter達成!記念すべき試合の決勝点はイチロー!

完全試合とcombined no-hitterの両方で球審だったBrian Runge


July 02, 2013

Steinway & Sons

1853年にマンハッタンで産声を上げたスタインウェイ社を傘下にもつSteinway Musical Instrumentsが投資ファンドに身売りすることになったと聞いて、すぐ聴きたくなったのは、エリス・マルサリスのソロだ。
だが困ったことに、一度聴きたいと思いだすと、なにがなんでも聴きたくもなるにもかかわらず、どうしたものか、あったはずのディスクがどうしても見つからない。しかたないから、頭の中に残っている彼の音を思い出しながら書く。

Ellis MarsalisEllis Marsalis
1934年
ニューオーリンズ生まれ

聴きたかったアルバムはたぶんSolo Piano Reflectionsというアルバムだと思うが、なぜまたスタインウェイの身売りのニュースを聞いて彼の音を思い浮かべたかというと、たぶん理由はエリス・マルサリス独特の「音質」にある。

太く乾いた、
それでいて優しい、
明晰な「低音」。


他の人はどうかわからないが、ブログ主にとってスタインウェイのピアノの音質イメージは、エリス・マルサリスのような「太く乾いた、それでいて優しい、クリアな低音」なのだ。

演奏中のエリス・マルサリススタインウェイを演奏中のエリス・マルサリス。


他のピアニストで、「エリス・マルサリスと同じ系統の音だ」と感じるのが誰のどの音か、ちょっと思い出してみると、グレン・グールドのシェーンベルク、セロニアス・モンクのソロアルバム "Solo 1954" (=いわゆる『ソロ・オン・ヴォーグ』)、あるいは、ニーナ・シモンのNina Simone in Piano! など。
(ピアニスト以外のジャンルでは、ジョニー・キャッシュの歌声や、レイナード・スキナードの "Sweet Home Alabama" のイントロのギターの低音弦のリフにも、同じような「太く乾いた感じ」がある)


スピーカーでも、ロジャースのように薄くできた外箱(エンクロージャー)自体が音楽に共振して鳴ることで良い音が出るように設計されているタイプもあれば、エンクロージャーを堅牢に作って、箱鳴りをむしろ期待しない設計のものもある。
現代のピアノの祖先にあたるチェンバロのような楽器の構造は前者と同じで、楽器自体が鳴り響くために耳ざわりなほどの華やかな音が出るが、スタインウェイはどちらかといえば後者の発想でできているため、コンサートホールのような広大な空間でもくっきりと聞き取れる明晰な音が出せるらしい。
だから、同じバッハの曲でも、バッハ自身が中世の宮廷でチェンバロで弾いたのと、グレン・グールドがカーネギーホールでスタインウェイを、それもテンポも変えて弾くのとでは、別の曲に聞こえてしまうほど違う音が鳴るわけだ。


スタインウェイの製造は、ニューヨークとドイツのハンブルクで行われているが、それぞれに構造も違っているらしい。グールドが好んで弾いたのはニューヨーク・スタインウェイだ。(晩年にはヤマハも弾いた)
グールドはトロント生まれのカナダ人、モンクはノースカロライナ州生まれだが、2人ともスタインウェイのあるニューヨークと縁が深いピアニストだ。

グールドが、レコーディングに関する終身契約をしたのは、1955年1月11日のニューヨーク公演をディレクターが聴いたからだし、若いグールドの才能を認めたバーンスタインが彼を急遽フィーチャーして演奏させたのは、カーネギーホールのニューヨーク・フィルだった。
セロニアス・モンクも、生まれこそニーナ・シモンと同じノースカロライナだが、6歳くらいで家族とともにニューヨークに移住しており、亡くなった後でニューヨークのFerncliff Cemeteryという墓地に埋葬されているくらいだから、ニューヨーク育ちといっていい。キャリア初期に仕事にありついたジャズクラブも、ニューヨークのMinton'sだったりする。

ちなみに、Ferncliff Cemeteryには、Over the Rainbowのハロルド・アーレンやSmoke Gets in Your Eyesを書いたジェローム・カーン(2人ともニューヨーク生まれ)、バルトークなどの音楽家のほか、ジェームズ・ボールドウィンコーネル・ウールリッチなどの作家、ネルソン・ロックフェラー、ジョセフィン・ベイカーの入店を拒否した1951年の『ストーク・クラブ事件』で有名なナイトクラブオーナー、シャーマン・ビリングスリー、数えきれない俳優女優、たくさんの有名人が眠っている。

ちなみに、この2人のピアニストが亡くなったのは、グールドが1982年10月4日で脳卒中(50歳)、モンクが1982年2月17日で脳梗塞(64歳)だ。つまり2人の不世出のピアニストが奇しくも、同じ年に同じ脳の病で亡くなっている。


思い付くまま書いてみたが、自分が「『アメリカらしさ』を感じる音」のある部分が、実は「スタインウェイ独特の明晰さで作られた音」であることがわかって、ちょっと面白い。


追記:




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