September 2014
September 30, 2014
「フリー打撃では左中間に打て」師からみた彼の長所は「左中間への強い打球」だった。師として、そして、彼らしいバッティングの状態になんとか戻してやりたいと願う親心からのアドバイスだった。
2008年10月3日、タンパベイ時代、トロピカーナ・フィールドでのALDS(ア・リーグ地区シリーズ)第2戦。カウント1-1からのストレート系を左中間へ運んだ値千金の逆転2ラン。5回裏に1-2と負けていたタンパベイが、この2ランで逆転してそのまま逃げ切り、対戦成績を2勝0敗としてALDS勝ち抜けに王手をかけたという、価値ある一発。
ピッチャーは、当時ホワイトソックス(現在はトロント)のエースだったオールスター5回出場の名左腕、マーク・バーリー。
Game data:October 3, 2008 American League Division Series (ALDS) Game 2, White Sox at Rays - Baseball-Reference.com
2009年8月30日、これもタンパベイ時代、コメリカパーク。初球の92マイルのストレート系を打ったソロホームラン。ピッチャーはデトロイトの不動のエース、オールスター6回出場の剛腕右腕ジャスティン・バーランダー。
バーランダーはこのゲームに勝って15勝目。19勝9敗という素晴らしい成績でシーズンを終え、同年のサイ・ヤング賞はザック・グレインキーに譲ったものの、サイ・ヤング賞投票3位に入った。
Game data:August 30, 2009 Tampa Bay Rays at Detroit Tigers Box Score and Play by Play | Baseball-Reference.com
2010年4月13日、ピッツバーグ時代のAT&Tパークでのホームラン。カウント2-1からの4球目、ストレート系。ピッチャーは、サンフランシスコの2002年ドラフト1位、オールスター3回出場の好投手、右腕マット・ケイン。
Game data:April 13, 2010 Pittsburgh Pirates at San Francisco Giants Play by Play and Box Score | Baseball-Reference.com
岩村のMLB時代の動画リスト:Search Results | MLB.com Multimedia | MLB.com
2010年ピッツバーグに移籍した岩村は、同年4月付けの記事でこんなことを言っている。
「ツーシーム対策のために、グリップ位置を変えた」このインタビュー、正直にいうなら、前向きな印象よりむしろ、「MLB投手の2シームに手を焼いている」という「動く球に対する岩村の苦手意識」のほうが伝わってくる。
出典:岩村明憲語る「弱いチームは小差で負ける」 [メジャーリーグ] All About
そこでFangraphのデータをみてみる。案の定、ピッツバーグ移籍後の岩村に対してピッチャーが投げた球種は、タンパベイ時代に多かったシンプルな速球が大きく減り、かわりに、シンカーと2シームが急増している。
Akinori Iwamura » Statistics » Batting | FanGraphs Baseball
彼の出場ゲームを年間100試合とか見た上での判断ならともかく、彼の試合をちゃんと見ていないブログ主が偉そうにモノを言うわけにはいかないのだが、上の3つの動画がどれも「ストレート系を打ったホームラン」であることからも推察できるように、各種データから普通に判断するなら、MLB時代の彼の「狙い」は、「得意な4シーム」、特にアウトコースに狙いを絞っていたこと、「外にボールを呼び込んで、柄の長い鎌で遠くの雑草を刈りとるようなイメージで、バットでボールを強烈にひっぱたいて、強い打球をレフト方向に打つ」という彼独特の狙いがあったこと、そのために「スイングスピードの速さ」や「強いスイング」に非常にこだわっていたこと、などがうかがえるように思える。
ただ、カーティス・グランダーソンやプリンス・フィルダーなどについて何度も書いてきたように、スカウティングの発達している近年のMLBでは、「打席に入る前に狙いを絞り切っているタイプの打者の意図」は、遠からず投手側にバレる。
おそらく岩村明憲も、MLBを経験して数シーズンたってから、「ストレートに滅法強い」という彼のバッティングの長所がスカウティングされ、それ以降、急速に増えた2シームや高速シンカーなどの「球速があって、ストレートに見えるが、最後に鋭く動く球種」に悩まされるようになり、強いライナー性のフライを打ちたい彼自身の意図に反して、数多くのゴロを打って悪戦苦闘する日々があったに違いない。
しかし、だ。
そんな細かいこと、どうでもいい。
なぜなら、こんな個性ある選手を嫌いになんかなれないからだ。
「左中間」にこだわりぬいた打者人生。
それが岩村という個性だ。ヤクルトが彼と再契約しないと発表したからには、彼の今後がどうなるか、たしかに予断を許さない。だが、来シーズン、彼がどこでプレーしようと、彼らしい野球人生の成功と成就を願っている。
2009年3月23日、ドジャースタジアムでの第2回WBC決勝、延長10回表の1死2塁の場面で、この試合8番にいた岩村が放ったレフト前ヒット(次打者イチローが決勝の2点タイムリー)が忘れられない。
「あれがライト前でなく、『レフト前』だったのは、ずっと『左中間』にこだわりぬいてきた彼独特のスイングの賜物だったのさ。偶然なんかじゃないんだぜ?」と、遠い将来、岩村のことを知らない若い野球ファンが増えた時代になったら教えてやりたいと思っている。
September 28, 2014
2012年9月28日、3000安打達成のための「38歳」という最初の壁。これからのイチローの数シーズンが持つ、はかりしれない価値。次の3000安打達成者予報。 | Damejima's HARDBALL
当時はイチローより通算ヒット数の多い打者が、既に3000安打を達成していたジーター以外にも、Aロッド、オマー・ビスケール、イヴァン・ロドリゲス、ジョニー・デーモン、チッパー・ジョーンズと、5人もいたが、イチローと、ドーピングで資格停止になっているAロッドを除いて、全員が引退した。
あのとき名前を挙げていた選手たちが、その後どうなったのか。ちょっと見てみたい。
2012年9月時点での3000安打達成候補選手
(カッコ内は 2012年当時の年数/年齢/通算安打数/年平均安打数)
Derek Jeter (18年 38歳 3296本 180本/年)達成済
----------------------------------------------
Alex Rodriguez (19 36 2894 186)ステロイダー
Omar Vizquel (24 45 2876 157)出場機会減
Ivan Rodriguez (21 40 2844 181)引退
Johnny Damon (18, 38) 2769 154 出場機会減
Chipper Jones (19, 40) 2724 142 引退予定
Ichiro Suzuki (12 38 2597 213)
Albert Pujols (12 32 2241 183)
Michael Young (13 35 2224 168)年齢に問題
Adrian Beltre (15 33 2218 145)
Paul Konerko (16 36 2177 165)年齢に問題
Juan Pierre (13 34 2140 176)
Carlos Beltran (15 35 2058 136)ペース遅い
Jimmy Rollins (13 33 2020 152)ペース遅い
Miguel Cabrera (10 29 1773 175)
Carl Crawford (11 30 1642 149)トミージョン手術
Mark Teixeira (10 32 1579 157) ケガがち
上は、2012年に書いた「3000安打達成候補者リスト」だ。当時のリストには、2014年9月末時点で引退している選手の名前が多数ある。デレク・ジーター、オマー・ビスケール、イヴァン・ロドリゲス、ジョニー・デーモン、チッパー・ジョーンズ、マイケル・ヤング、ポール・コネルコ、ホアン・ピエール。
引退した選手たちをリストから除いてみると、こうなる。
Alex Rodriguez (19 36 2894 186)ステロイダー
Ichiro Suzuki (12 38 2597 213)
Albert Pujols (12 32 2241 183)
Adrian Beltre (15 33 2218 145)
Carlos Beltran (15 35 2058 136)ペース遅い
Jimmy Rollins (13 33 2020 152)ペース遅い
Miguel Cabrera (10 29 1773 175)
Carl Crawford (11 30 1642 149)トミージョン手術
Mark Teixeira (10 32 1579 157) ケガがち
3000安打候補はさらに減らすことができる。
なぜなら、いまイチローより年齢が低い選手たちの「選手としての失速ぶり」がハッキリしてきているからだ。2012年版予報の時点ではわからなかったことだが、2014年9月末時点でいうと、ジミー・ロリンズ、カルロス・ベルトラン、カール・クロフォード、マーク・テシェイラなどの3000安打達成は、たぶんないだろう。(それにしても、最近の選手はどうしてこうも怪我で休んでばかりの選手が多いのだろうか)
そんなわけで「2014年版 3000安打達成予測」は、こうなった。
次の3000安打達成者予測 2014年9月版
(カッコ内は達成時の年齢)
2015 イチロー(41歳 打席数によっては2016年)
2016
2017 ベルトレ(38歳)プーホールズ(37歳)
2018
2019 ミゲル・カブレラ(36歳)
2012年版との比較でいうと、ヤンキースとジョー・ジラルディの姑息な飼い殺しのせいで2013年と2014年のイチローの打席数が故意に抑制されたために、2015年の打席数によっては、イチローの3000安打達成年度が1年繰り下がって、2016年になる可能性が出てきた。もちろん、イチローがフルシーズン出場できれば、100数十本くらいのヒットくらいは2012年からの予定通り「2015年」に打ててしまうことは、いうまでもない。
また、2014年に素晴らしいペースでヒットを量産し、9月末時点で通算2600安打を越えたエイドリアン・ベルトレの3000安打達成年度が、1年繰り上がって、最近DL入りが多くなったアルバート・プーホールズと同じ2017年に達成できる可能性が濃厚になってきた。
2012年当時、こんなことを書いた。2012年の状況は、2年たった2014年の今も、まったく変わっていない。
「こうして並べてみると、2010年代中期に3000安打を達成できそうな打者は、イチロー、ただひとりしかいない。」
何度も書いてきたように、3000安打というのは、「38歳以降にどれだけ打てるかで、達成できるかどうかが決まる」という大変に厳しい記録なのだ。平均年180本くらいのハイペースだったジーターですら38歳での達成だというのに、ジーター以下のペースでヒットを打っている打者は、38歳を前に引退してしまうようでは、3000安打達成は絶対に達成できない。
なにはともあれ来年のイチローが楽しみだ。
ありとあらゆる記録を塗り替えてもらいたい。
September 24, 2014
あれはヤンキースがシーズン終盤に失速して2位ボルチモアの強烈な追い上げを食らい、あわてふためいたシーズンだった。何度も書いてきたことだが、ラウル・イバニェスとイチローの奇跡的な活躍が、足がほとんど止まりかけていたヤンキースの背中を押して前進させ、食い下がるボルチモアをなんとか振り切って地区優勝を果たしたのだ。
この何年もの間、実は、ヤンキースのスタメンはたいした仕事をしてこなかった。だからこそ、いつも夏にあわてて選手を補強し、そういう「後からやってきた選手」が想定以上の活躍でもしないかぎり、地区優勝なんかできない。ヤンキースはそういうチームだっだ。
2012年9月20日、『イチロー・ミラクル・セプテンバー』全記録(1)9月19日トロント・ダブルヘッダー全ヒット。東海岸が初体験する「ゲップが出るほどのイチロー体験」のはじまり、はじまり。 | Damejima's HARDBALL
2012年9月28日、『イチロー・ミラクル・セプテンバー』全記録(2)9月21日オークランド戦以降の「魔法」 〜イチローがアメリカで「ウィザード」と呼ばれる理由。 | Damejima's HARDBALL
あの2012年は、いうまでもなく「ヤンキースの主力選手全体が、投手・野手に関係なく衰えてしまい、なおかつ、短期での自力復活は全くありえない」ことが明確になったシーズンだったわけだが、2012年あたりでは、たとえそれを声を大にして言ったとしても、ちゃんと耳に入って理解できる人はまだ少なかった。
というのも、当時はまだ「グランダーソン、Aロッド、スウィッシャー、テシェイラ、この4人だけでもホームランを120本以上打てるんじゃないか」だのなんだの、ありもしないことを信じ込みたがっている「現実を直視できない、頭の悪い人」が、GMや監督はじめ、ヤンキース関係者にも、NYメディアにも、ヤンキースファンにも、山のようにいたからだ。
そういう人たちは、例えばグランダーソンやAロッドがシーズン終盤の勝負どころでまったく働かず、ポストシーズンのデトロイト戦ではついにスタメンから外れされて、ベンチからゲームを眺めている、なんて光景をまるで想像もしてなかったし、そうしたみじめったらしい光景を見た後ですら「来年こそ彼らはやってくれる。そうに違いない」程度に思っていた。
もちろん、2012年だけでなく、2013年も2014年もずっとそうだったわけだが、彼らのような使えないスタメンを見切るタイミングが遅れた原因は、いつものように「決断力の無い監督ジラルディの判断の遅さ」だった。
その後、当然のことながら、2012年の選手の大半はこの2年の間に、ほとんどが引退するか、移籍した。
2012年シーズン後にラッセル・マーティン、ラウル・イバニェス、ニック・スウィッシャー、フレディ・ガルシア、ラファエル・ソリアーノなどがいなくなり、さらに2013年終了後にはマリアーノ・リベラ、アンディ・ペティット、カーティス・グランダーソン、ロビンソン・カノーなどがいなくなった。
野手で残っているのは、ガードナー、ジーター、イチロー、テシェイラくらいのものだ。
移籍した選手で、2014年にマトモに活躍できたのはロビンソン・カノーくらいしかいないが、ヤンキースはその「ヤンキース在籍選手のうち、今後とも主力として長期的に活躍できるであろう、ほんのわずかな選手であるはずのロビンソン・カノー」にどうしたものか再契約を提示しなかったために、ヤンキース生え抜きで、ヤンキースと再契約するつもりが十分あったのカノーを心底怒らせ、落胆させた。
ヤンキースがデトロイトに4連敗した2012年ALCSの第1戦と第4戦、2つのスタメン表は、2000年代ヤンキースの末路を象徴するデータだと思う。(数字は2012ポストシーズンの打率などの打撃成績)
2012ALCS 第1戦
Jeter .200
Ichiro .353
Cano .056 18打数1安打
Teixeira .200 .
Ibanez .231
A-rod .111 9打数1安打
Swisher .250
Granderson .000 11打数ノーヒット
Martin .143
第4戦
Ichiro
Swisher
Cano
Teixeira
Ibanez
Chavez
Martin
Gardner
Nunez
ALCS第1戦にあった、ジーター、グランダーソン、Aロッドの名前が、第4戦のスタメン表にない。ジーターは怪我、残り2人はスランプで、スタメンを外れていた。そして10月のロビンソン・カノーに精彩はない。
ジーターにとっての2012年終盤は、足首のケガを押してチームのために出場し続けた辛いシーズン終盤だったわけだが、デトロイトとのALCS第1戦でついにチームメイトの肩を借りなければ歩けないほどの状態になり、途中交代せざるをえなかった。その後のジーターは第2戦以降も出場できず、チームのポストシーズン敗退をベンチから見守った。
この途中交代のときのジーターの「まるでジーターらしからぬ様子」について、イチローがコメントしている。
Usually Derek is the most upbeat person, always saying “Get ‘em tomorrow, another game tomorrow” stuff like that, always a real positive influence. But that night was the first time that I saw him say, “I don’t have a game tomorrow.” Seeing Derek Jeter like that was a moment that I’ll never forget.
「普段のジーターはすごく楽天的。どんなときでも 『明日がある。だから明日また頑張ろうぜ』みたいなフレーズで、チームメイトにほんとにポジティブな影響を与えてくれる。でもあの夜(=デトロイトとの2012ALCS)、そんな彼が「僕には明日ゲームがない・・・」と言うのを初めて見た。ああいうジーターを見たことは、僕にとって忘れられない瞬間だった」
Sweeny Murti: Favorite Derek Jeter Stories From The Yankees Clubhouse « CBS New York
翌2013シーズンのジーターは、足の怪我が十分治りきっていないにもかかわらず、「復帰してはDL入り」を何度も何度も繰り返し、キャプテンらしからぬ「焦り」を隠そうとはしなかった。
この2013年の「復帰を焦るジーター」は、イチローファン視点だけから正直に言わせてもらうと、彼が復帰するたびに、打順から守備位置からなにから、現場の選手起用が非常に混乱する、とても迷惑な存在だった。
カーティス・グランダーソンは、オースティン・ジャクソンのようなデトロイト時代のプレースタイルから、ヤンキース移籍後に「インコースのストレート系だけをフルスイングする」などという極端な手法で一躍ホームランバッターに変身を遂げたわけだが、そうした彼の極端な狙い打ちが他チームにスカウティングされ、通用しなくなったのが明確になったのが、この2012年だった。
Aロッドは、ドーピング問題が発覚してその後のシーズンを棒に振ることになった。
今思えば、ジーターの「シーズン」は、あの「2012年ALCSの途中退場」で終わっていたのだ、と思う。そしてたぶん、彼自身それを当時からわかってもいただろう、と思う。(ちなみに「シーズン」という言葉には、「旬」とか「最盛期」という意味もある)
誰もいなくなったのを見届けて、最後に自分が出て、ドアを閉める。それもキャプテンとしての仕事だと思うから、彼はこの2年の「余白」を頑張ってきたに違いない。
お疲れ様、デレク・ジーター。
さよなら。
デレク・ジーター。
September 22, 2014
フィル・ヒューズはア・リーグで「最も初球ストライク率の高いピッチャー」で、同時にまた「カウント0-2に追い込む率が最も高い投手」である。
にもかかわらず、どういうわけか「打者ひとりあたり、最も多くの球数を投げるピッチャーのひとり」でもある。(2013年6月14日現在)
要するにフィル・ヒューズは、「初球に必ずといっていいほどストライクを投げる」し、「バッターを追い込むのが、誰よりも上手い」が、同時に、「どんなバッターにも、必ず4球以上投げてしまう」という、勝負どころで真っ向勝負に行けない、典型的な「ひとり相撲」タイプのピッチャーだということだ。
ヒューズは打者を追い込んむところまではいいが、そこからがダラダラ、だらだら、やたらと長い。バッターを追い込んだら、彼は、必ずといっていいほどアウトコース低めあたりに「釣り球のつもりの変化球」、シンカーやスライダーを投げたがる。
ところが、この釣り球、まるで効果がなくて、バッターは余裕で見逃してくる。だから、せっかくカウント0-2にしたのにボールばかり増えて、うっかりすると、0-2からフルカウントにしてしまうことも、けして少なくない。
引用元:2013年6月15日、本当に「初球はストライクがいい」のか。打者を追い込むだけで決めきれないフィル・ヒューズの例で知る「初球ストライク率が高いからといって、 必ずしも防御率は下がらず、好投手にはなれない」という事実。 | Damejima's HARDBALL
そのフィル・ヒューズ、ミネソタに移籍してからは見違えるようにピッチング内容が良くなっているわけだが、その「変身理由」を彼自身がFangraphに語っている。
Phil Hughes Finally Found the Right Breaking Balls | FanGraphs Baseball
非常に面白い記事なので具体的な部分は元記事を読んでもらうとして、要点を箇条書きにしてみる。
●「ストライクゾーンで勝負する」と、自分に言い聞かせて投げている
●投げ方を変えた4シームが垂れなくなったことによって、ライジング・ファストボールともいうべき、威力あるストレートに変わった
●しっくりいってなかったスライダーを投げるのをやめた
●カーブのリリースポイントを変えて威力を高め、試合で多用
●カットボールを使うカウントを変え、決め球に使う
記事を見たらビックリすると思う。ボールの握り方から、球種を使うカウントに至るまで、「自分の手の内」をかなり具体的にさらけだしたインタビューだからだ。
MLBの先発投手が、まだシーズンが終わったわけでもないのにこれほどまでに自分のピッチングの具体的な部分を喋るのは、とても珍しい。ヒューズはよほど今の自分に自信があるのだろう。
2013年に書いた記事で最も重要な指摘は、「フィル・ヒューズは、初球からストライクを積極的に投げ込んで打者を2ストライクの状態に追い込むという点だけは、ア・リーグトップの才能のある先発投手だが、同時に、彼は残念ながら『せっかく追い込んだ打者をまるでアウトにできないダメ投手』でもある」という点だった。
こうした意味不明なことが起きていた原因は主に、「2ストライクと追い込んだ後に、最初からボールとわかっている球(特にスライダー)を連投して、自分でカウントを悪くすること」にあった。ヤンキース時代のヒューズのアウトコースの釣り球は、打者に常に余裕で見逃されていた。
ちょっと2013年、2014年のカウント別データ(被打率、与四球数、K/BB)を見て比較してもらおう。
まず、2013年。本来フルカウントというのは投手有利、打者不利のカウントのひとつだが、2013年のフィル・ヒューズは、2ストライク後の被打率がどれもこれも高すぎた。フルカウントでの被打率などは「3割」に届きそうな、ありえない数字になっている。
フィル・ヒューズ 2013年
After 0-2 .245 8四球 K/BB 8.63
After 1-2 .276 15四球 K/BB 4.87
After 2-2 .273 22四球 K/BB 2.36
full count .292 26四球 K/BB 0.58
Phil Hughes 2013 Pitching Splits | Baseball-Reference.com
こんどは同じデータを、ミネソタ移籍後の2014年でみてみる。あらゆる点で、2014年のフィル・ヒューズが「2013年とは別人」なのがわかる(笑)
フィル・ヒューズ 2014年9月21日現在
After 0-2 .175 2四球 K/BB 53.00
After 1-2 .197 5四球 K/BB 21.80
After 2-2 .197 8四球 K/BB 6.13
full count .143 10四球 K/BB 1.30
Phil Hughes 2014 Pitching Splits | Baseball-Reference.com
次に、ヒューズの使っている球種を2013年と2014年で比べてみる。以下のごとく、今年のヒューズはスライダーをまったく投げなくなり、チェンジアップも減り、かわりにカットボールが増えていて、まさに彼がFangraphのインタビューで語ったとおりの内容になっている。
かつてシアトル時代のダメ捕手城島もそうだったが、「打者を追い込んで、後は、アウトコース低めのスライダーをボールゾーンに投げてさえいれば打者はうちとれる、などというような低脳でワンパターンな配球など、MLBでは通用しないのである。
Pitch Type(球種)
2013 FB 61.5% SL 23.8% CU 8.6% CH 5.4%
2014 FB 64.2% CT 21.0% CU 14.6%
Pitch Value(球種ごとの効果)
2013 FB -13.4 SL -4.8 CH -5.1
2014 FB 11.6 CT 1.3 CB -2.3 -2.2
Phil Hughes » Statistics » Pitching | FanGraphs Baseball
フィル・ヒューズの使う球種を過去にさかのぼると、彼がスライダーを多投するようになったのは2013年のことだが、「スライダー多投」は彼のピッチングを悪化させただけに終わっている。
2014年のヒューズを変身に導いたピッチングの改善が、果たして彼単独の判断によるものなのか、それとも、ミネソタのピッチングコーチの助力によるよるものなのかは、このインタビューだけではわからない。
ただ、まぎれもない事実としていえることは、ヤンキース時代にフィル・ヒューズが長年抱えてきたピッチングの『あからさまな欠点』を、ヤンキースのスタッフではいつまでたっても修正できなかったのに、他チームに移籍したら、1シーズンもかからずに修正できた、ということだ。
このことからわかるのは、2010年11月からヤンキースのピッチングコーチをつとめてきたラリー・ロスチャイルドがどれほど「無能な投手コーチ」であるか、そして、ただでさえ数が少ないヤンキースはえぬきのプロスペクトの才能も欠点も、その修正方法も見抜けないまま、安易に他チームに放り出してしまうGMブライアン・キャッシュマンが「見る目のないマヌケなGM」だ、ということだ。
September 20, 2014
今はコンテンダー(=優勝争いできるチーム)の主力選手となっている彼らだが、その2人がかつてシアトルでどういう扱いを受けていたか、今となっては忘れてしまった人もいることだろう。
言うまでもなく、この2人の有望選手が「シアトルを出た理由」は偶然などではなく、背景に今も変わらず続く「シアトルの若手育成能力の無さ」と、「ジェネラル・マネージャーの無能ぶり」がある。
アダム・ジョーンズとフィスター、2人に関していうと、2004年以降のセンターの選手起用における失敗、そして2000年代から近年まで一貫して行われ続けた「FA補強の失敗の連続と、有望先発投手の放出の連続」の両方が深く関係している。
アダム・ジョーンズ移籍の背景にある
シアトルの「2000年代センター問題」
アダム・ジョーンズは2008年2月8日、エリック・ベダードとの交換トレードで、クリス・ティルマン、ジョージ・シェリル、現在広島で活躍中のカム・ミッコリオ(来日後の登録名は「ミコライオ」)などとともにボルチモアに移籍した。
その後、ゴールドグラブ 3回(2009、2012、2013)、シルバースラッガー 1回(2013)、オールスターゲーム選出 4回(2009、2012、2013、2014)と活躍し、今ではゴールドグラブの常連だったエンゼルス時代のトリー・ハンター的な「ア・リーグを代表するセンター」であり、押しも押されもしないボルチモアの中心選手だ。
シアトル時代のアダム・ジョーンズは2003年MLBドラフトで1位指名(全体37位)を受けたプロスペクトだが、当時を知らない人は「ドラフト1位なんだし、さぞデビュー前はシアトルの秘蔵っ子として大事に扱われていたのだろう」と思い込んでいるかもしれないが、当時を知っている人なら、そんなこと考えもしない。
なぜなら、シアトル時代のアダム・ジョーンズはかなりいい加減な扱いを受けていたからだ。
シアトル時代のAJのメジャー経験は、彼が20歳、21歳の2006年、2007年の2シーズンだが、いずれも夏以降に申し訳程度にちょろっと使われただけにすぎない。
しかも、使われたといっても、2006年の9月以降と、2007年のかなりの部分が「代打」「代走」「守備固め」としての出場で、とてもとても「次世代のチームを担うトッププロスペクトとして華々しく扱われた」とはいえないどころか、むしろシアトル時代のアダム・ジョーンズは「単なる外野のユーティリティの若造」程度の軽い扱いしか受けていなかった。
2006年の出場ゲーム:Adam Jones 2006 Batting Gamelogs | Baseball-Reference.com
2007年の出場ゲーム:Adam Jones 2007 Batting Gamelogs | Baseball-Reference.com
こうしたアダム・ジョーンズのひどい扱いの背景には、2000年代中期のシアトルのチーム編成が極度に迷走していたことが原因の、「センター」のポジションの不安定さがある。
2000年代初期、シアトルのセンターは、グリフィーとのトレードでシンシナティからシアトルにやってきて、2001年、2003年にゴールドグラバーとなった、センターの名手マイク・キャメロンがいたから非常に安定していたが、そのキャメロンがFAでメッツに去ると一気に不安定化してしまう。
アダム・ジョーンズがメジャーデビューした2006年にしても、ブルームクイスト、ジェレミー・リードなど計8選手がセンターを守ったことでわかるように、2000年代中盤になってもシアトルのセンターはまったく固まっていなかった。
翌2007年になると当時のシアトルの無能GMビル・バベジは、FA外野手のホセ・ギーエンを連れてくる。
だが、このギーエン、なんとセンターを守れない外野手だったため、2007年はライトの魔術師イチローがセンターに回って、センターでもゴールドグラブを獲り、ギーエンはライトを守った。
だが、結局ギーエンは1年プレーしただけでいなくなってしまい、翌2008年になるとセンターが固定できない2006年の状態に逆戻りしてしまい、再びジェレミー・リードなど4人が交代でセンターを守った。
2000年代終盤には無能GMジャック・ズレンシックがお気に入りのフランクリン・グティエレスをセンターに固定したが、そのグティエレスにしても体質のあまりの弱さと打撃の平凡さ、肩の弱さから結局失敗に終わったことは知っての通りだ。
こうしたセンター守備の右往左往ぶりは、シアトル・マリナーズというチームが「これまでいかに理解不能なことばかりしてきたか」という証拠のひとつだ。
誰しも思うことだが、シアトルがそれほどまでにセンターの起用に四苦八苦していたのなら、なぜドラフト1位ルーキーの若いアダム・ジョーンズを大事にして、センターに固定して育てればよかったのだ。
だが実際には、今も昔も若手育成能力の皆無なシアトルは、AJにマトモなプレー機会を与えず、挙句の果てに無能GMたちの選手獲得の失敗の連続で先発投手が足りなくなったために、後のゴールドグラバーを先発投手獲得のコマにして安売りしてしまうのだから、開いたクチがふさがるわけもない。
ちなみに、2000年中期にシアトルの外野の「控えの控え」だったチュ・シンスがライトのポジションでメジャーデビューできなかったのは、同ポジションにイチローがいて邪魔したからだなどと、「とんでもない嘘八百の言いがかり」をつける人がいる(笑)
わかりきったことを解説するのも馬鹿馬鹿しいが、まず、これは当然の話だが、2004年にジョージ・シスラーのシーズン最多安打記録を更新して波に乗りまくるイチローのレギュラーポジションを奪う可能性が、当時シアトルの外野の控え選手だったアダム・ジョーンズ以下の存在で、「控えの控え」に過ぎないチュ・シンスにあるわけがない。
次に、以上の記述でわかると思うが、イチローとイバニェスが固定されていた2000年代中期のシアトルの外野のポジションで、控え選手がレギュラーを得られる可能性があったポジションは、「キャメロンがいなくなって以降、適任者がいないセンター」であって、「ライト」ではない。
その「センター」にしても、本来なら最も適任者であるはずのアダム・ジョーンズですらロクに守らせてもらえないほど、当時のシアトルのチーム編成は「若手を育てる能力もなく、才能を見抜く目もまるで持ちあわせていなかった」のだから、当時の控え外野手アダム・ジョーンズ以下だったチュ・シンスが、2006年当時のシアトルで「空いているセンター」を守れる可能性など、無いに決まっている。
また、ホセ・ギーエンが入団したことでイチローがセンターに回り、ライトに空きが生じていた2006年には、ギーエンの成績次第でアダム・ジョーンズやチュ・シンスなどの若手にもライトを守るチャンスが生じた可能性もないではなかったわけだが、実際には実現していない。
なんせ当時のシアトル・マリナーズは、センターが本職なはずの自前のプロスペクト、アダム・ジョーンズにすらセンターを守るチャンスをやらなかったくらいだ。といって、シアトルはチュ・シンスをセンターに回すわけでもなく、「センターが守れない」ホセ・ギーエンを連れてきてしまい、天才外野手イチローのいたライトにギーエンを置いてしまうのだから、これら全てはチーム編成の責任であり、と同時に、単にチュ・シンスに外野のレギュラーポジションを奪いとるのに必要な「アダム・ジョーンズより上であるという評価」がされるほどの実力がなかっただけのことでもある。
ただ、勘違いしてはいけないと思うのは、ドラフト時のアダム・ジョーンズの評価は、ジョー・マウアーやスティーブン・ストラスバーグ、ブライス・ハーパーのような「その年のドラフトの目玉選手」だったわけではないし、全米トップテンの評価だったというわけでもない、ということだ。
彼はあくまで、2003年ドラフト全体37位の、それも「補足指名」による1位指名選手であって、2003年ドラフトで1位指名されたのは「37人」だったから、1巡目37位のアダム・ジョーンズは「2003年のドラフトで最も最後に指名された1巡目指名選手」なのだ。
もう少し詳しく書くと、2002年ドラフトでのシアトルは、イチローが入団した2001年にぶっちぎりの勝率で地区優勝していたために、上位指名権を持っていなかった。そのためシアトルは「全体28番目」というかなり遅い順位で、当時高校生だったJohn Mayberryを1位指名した。
だが、そのMayberryが入団拒否し、スタンフォードに進学してしまったために、シアトルに「1位指名選手が入団しなかったことへの補償」として「補完指名権」が発生した。それが翌2003年ドラフトでの「アダム・ジョーンズの全体37位指名」だ。
この「補完指名権」は「最初の30人の指名を終わった後で行われる補足的な1位指名」なわけだから、実質的にアダム・ジョーンズは2巡目以降の指名レベルだった、といえなくもない。
MLBドラフトにおける「1巡目指名」
実際のMLBドラフトの1巡目指名では、必ずしも30球団が1人ずつ、合計30人が順に指名されるわけではない。
さまざまな理由から上位指名権が移動したり、補完指名権が発生したりすることによって、結果的に複数の1位指名権を所有するチーム」が出現することが多い。
したがってドラフト1巡目の最初の30人の指名においては、ひとつのチームが2人以上の選手を指名することもあれば、逆に「その年に1位指名権を全く持たないチーム」も出現することになる。(例えば2002年ドラフトでは、オークランドが1巡目で8人を指名して『マネーボールドラフト』と呼ばれた)
上位指名権が移動する例:
これは既に改正された古い制度だが、かつては、有力選手がフリーエージェントで他チームに流出すると、元の所属球団(=流出球団)が、FA選手を獲得した球団が所有しているドラフトでの「上位指名権」や「補完指名権」を獲得できるという制度があった。
この場合、どのFA流出選手にどの順位のドラフト指名権が付随するかは、その選手の「格付け」や、流出球団の地区順位・年棒調停など、諸条件によって決まる。(FA選手の格付けは、スポーツ選手の格付け専門機関であるElias Sports Bureauによる。「タイプA」、「タイプB」など、タイプという呼称が使われる)
ダグ・フィスター移籍の背景にある
シアトルの「若手先発投手の安売りセール」
ダグ・フィスターは、ビル・バベジが2006年ドラフト7巡目で指名し、ジャック・ズレンシックが2011年にチャーリー・ファーブッシュ、チャンス・ラフィン、キャスパー・ウェルズなどとのトレードで、デビッド・ポーリーとともにデトロイトに放出した。
シアトル在籍最後のシーズンとなった2011年前半は「3勝12敗」という惨憺たる成績だったが、これはERA3.33、WHIP1.171という数字が示すように、フィスターはいいピッチングをしていたが、単に貧弱すぎるシアトル打線の援護がないために勝てなかった、ただそれだけのことであり、事実7月末に移籍した先のデトロイトでフィスターは、「8勝1敗、0.839」という驚異的な数字を残し、地区優勝を経験している。
数字に弱い無能なGMズレンシックは、フィスターがタイガース、さらにはナショナルズと、彼が地区優勝チームの主力ローテ投手のひとりとして活躍できるほどのポテンシャルを持っていたことを、シアトル在籍時の簡単な統計数字から読み取る能力すら持ち合わせていなかった。デトロイトへのトレードは安売りそのものであり、このトレードは空前の大失敗といえる。
このフィスターのトレードについても、アダム・ジョーンズのトレードの背景に、2000年代のシアトルがセンターの選手起用で重ねたミスがあるのと同様に、その背景に「シアトルが2000年代中期以降ずっと続けてきたローテ投手陣の構築失敗」がある。
もっと具体的にいうと、「自軍のマイナー上がりの才能ある投手の軽視」と、「トレードによる先発投手放出の連続」だ。
2001年にMLB史上最高の116勝を挙げ、最強だったはずのシアトルが「地区最下位に沈む弱さに急激に下降した」のは、2004年のことだ。この2004年の直前、2003年11月にはビル・バベジがシアトルのGMになるという「事件」(笑)があった。
2004年はバベジがGMに就任して最初のシーズンであり、このときはまだ誰も「バベジが史上最悪のGMのひとりであること」に気づいてはいなかった(笑)
2000年代中期にシアトルが地区最下位に沈むようになった理由のひとつはローテ投手陣の極端な弱体化だが、シアトルの選手層、特にローテ投手の顔ぶれを「2000年代初期」と「2000年代中期」で比べてみると、そこに『非常に大きな違い』があることに誰でも気づかなくてはならない。
シアトルの選手層の「質的」変化
2000年代初期:多くがドラフトで獲得して自前で育成した選手や、シアトルでメジャーデビューした選手で形成
2000年代中期以降:FA選手との契約や、若手選手の放出によるトレードに依存し、ドラフト後の育成でほとんど収穫なし
例えば、2004年のローテ投手には、メッシュ、ピニェイロ、ライアン・フランクリンなど、シアトルで育ってきた投手たちの名前が並ぶ。フレディ・ガルシアにしても、MLBに入ったのはドラフト外でヒューストンだが、メジャーデビューはシアトルだ。
このことでわかるように、2000年初期のシアトルの選手層には、「シアトルで育った選手」に可能な限りこだわって、なおかつ、勝ててもいたという大きな特徴がある。
もちろんシアトルでメジャーデビューしているイチローも、シアトル市民にとってみれば「シアトルで育った新人」のひとりだ。
2001年の116勝シーズンにシアトルの観客動員がMLBトップに輝いた理由は、単に「勝ち数が多かったこと」だけが理由ではなくて、「シアトルゆかりの選手が数多くいるチームで優勝できたこと」にあることは、地元メディアですらきちんと語ってこなかった。
(だから「FA偏重になって負け続けた時代に、観客が離れていっている理由」を誰も気づかなかったし、地元メディアすらきちんと指摘しなかった。彼らは「勝てばそのうち観客は戻るさ」くらいに思っていたと思う)
参考記事:2013年3月1日、「イチローは僕のヒュミドールなんだ」 〜 マイク・モースだけにしかわからない「『イチローのいるシアトル』の甘く、ほろ苦い香り」 | Damejima's HARDBALL
「幸福な2000年代初期」に対して、
「不幸な2000年代中期以降」は、なぜ起こったか。
例えば2007年、2008年あたりのローテ投手をみると、ウオッシュバーン、ホラシオ・ラミレス、バティスタ、ジェフ・ウィーバー、バティスタ、シルバ、ベダード、イアン・スネルなどであり、ヘルナンデス以外の先発投手の獲得のほとんどが「FA選手」だ。(一部は自軍の有望選手との交換トレード)
野手にしても、リッチー・セクソンやエイドリアン・ベルトレが典型だが、FA選手との契約と、その失敗例が掃いて捨てるほどある。
当然ながら、FA選手との契約にはカネがかかるし、それだけでなく、彼らは成績が最悪になっても契約で守られ、マイナーに落としたりスタメンを外したりすることが簡単にはできないことが多い。だから彼らが活躍しても、しなくても、若手の出場機会は減ることになる。
チーム財政が苦しければ、新たな選手獲得の予算が限られてくるチーム側としては、FA選手が期待はずれに終わったときに、さらに新たな選手を獲得してくるためには、若手をトレードの「エサ」にするしかなくなる。
こうして、「金銭と、ドラフトの上位指名権という犠牲を払って高額契約したFA選手が期待外れに終わる。チームはドラフトでいい選手がとれず、予算の自由度も減り、こんどは既存の若手をエサに選手を獲ってこようとする。そのFA選手がまた期待外れに終わると、また別のFA選手に手を出す。そうして失敗し続けた上に、ドラフト上位指名もできない年度が続く」という、「典型的な悪循環」が生まれる。
実際、こうした「FAでシアトルに入団した先発投手」のほとんどは、前例がないほどの大失敗か、それに準ずる程度の平凡な成績に終わり、その一方で、シアトルが放出した有望選手たちは、ようやくゲームに出場できる機会を得て経験を積んだ結果、大きく成長を遂げるという、シアトル特有の奇妙な現象が2000年代中期以降に生まれることになった。
「放出した選手が必ずといっていいほど活躍する」という奇妙な現象はけして「偶然」などではないのである。
参考記事:2013年6月2日、GMズレンシックの仕業によるシアトル・マリナーズ 「2013年版 ポジション別 崩壊目録」 (2)投手編 | Damejima's HARDBALL
こうしたバベジ時代、ズレンシック時代共通の「FA重視、ドラフト軽視、若手育成軽視」のチーム編成手法は、2000年代初期までの「強い地元チーム」に熱狂してきたシアトルのファン心理を急激に冷めさせ、チームから著しく遠ざける結果をまねいた。
その後、MLBのスタメンクラスの実力もない若手選手に機会を与えるフリをしてイチローを追い出す口実にしたズレンシックとエリック・ウェッジの悪質な戦略は、成功もしないし、観客もそれを評価せず、観客はますますスタジアムから離れる結果になった。
(だからこそ、「シアトルで育ったイチロー」がデイブ・ニーハウスにとっての『ラスト・マリナーズ』だったわけだ。参考記事:2010年11月15日、デイブ・ニーハウスにとっての「ラスト・マリナーズ」。 | Damejima's HARDBALL)
こうしたFA選手偏重の選手獲得、選手起用によって、2000年代のシアトルからアダム・ジョーンズ、ダグ・フィスター、ブランドン・モローなどの若手(あるいはマイク・モース、ラファエル・ソリアーノのような活躍が期待できる選手)が次々に離れていく一方で、給料が高い割に成績がふるわないFA選手ばかりがチームにたまっていき、それとともにチームの観客動員は2万人のラインに向かって一直線に下降していった。
こうして眺めてみると、2000年代中期以降の「FA重視、若手軽視、育成軽視のシアトル・マリナーズ」は、ある意味で、「コア4」の時代が終わりつつあるのがわかっているのに、若手を育てもせず、ステロイドのインチキ野球に頼り続けながら他チームから大物FA選手を集め続けて没落していったニューヨーク・ヤンキースの2000年代中期の軌跡と、まったくもって瓜二つだ。
September 18, 2014
Since Ichiro’s @Yankees debut in July 2012, he leads team in games (350), hits (301), and steals (46). Yanks at Rays―7 pm on @YESNetwork.
— Elias Sports Bureau (@EliasSports) 2014, 9月 17
September 14, 2014
映画 " The Secret Life of Walter Mitty " を見ていて思ったことは、これまで悪いものと良いもの、両方の歴史がある多様性が 「アメリカらしさ」 だと思ってきたが、それはやはり間違ってない、ということだった。
アメリカには、差別、暴力、貧富、有害な食品、政治的な陰謀、その他、考えつく限りの種類のあらゆる不幸が充満している。
だが、その反面、アメリカは非常に多くの善良さに満ちてもいる。
例えば、アメリカのネガティブな部分を多くの人が知っている理由は、それではいけないと考えたり、追求したり、研究したり、もっとマシなものにしようと行動したりしている人たちが、アメリカにたくさんいるからだ。それもまたアメリカだ。
例えば、ものすごく体によくない食品を開発しては庶民に食わせ続けているのもアメリカだし、エロコジカルなライフスタイルや新しいアウトドアスポーツなんかを次々と開発して暮らしをイノベーションするのもまたアメリカ。ステロイドを使いまくった奇妙な肉体を作りあげたがるのもアメリカなら、ストイック過ぎるほどの極端なベジタリアンを生みだすのもまたアメリカ。
第二次大戦の際に日系アメリカ人だけを財産をとりあげた上に収容所に強制的に閉じ込めてしまうのもアメリカなら、そういうことはよくないと主張するコロラド州知事ラルフ・ローレンス・カーのような人が現れるのもアメリカ。
マーティン・バーナルは欧米にはびこっている白人優位主義を根底から覆すような著作『黒いアテネ』を発表したが、彼のような研究者に研究の場を与えたのもまたアメリカだ。
ブログ主も、アメリカのネガティブな面を批判したりすることがある。だが、だからといってアメリカそのものを否定する気にはまったくならない。
なぜなら、多様性、多義性こそがアメリカだからだ。悪がはびこるゴッサムシティだけがアメリカではないし、また、「正義」だけがアメリカ」なのでもない。どんな国、どんな権威にも必ず、腐敗や、体によくない商品のひとつやふたつ、あるものだ。
こうした多様性の中で
アメリカのジャーナリズムは育てられてきた。
上に挙げたグラフィックは、実は、ネット検索で過去のLIFEの表紙を検索したページをスクリーンショットに撮っただけの画像だ。
何も手を加えていない。それでも
なぜか、ひとつの「アート」になっている。
なぜ「表紙を並べただけのモザイク」が「アート」になるのか、といえば、理由はハッキリしている。モザイクのパーツである表紙のひとつひとつがとても丁寧に作られ、「アート」として成立しているレベルにあるからだ。
もし1回1回の表紙を作るとき、手を抜いてどうでもいいものを作ってきていれば、長い年月を経過して全ての表紙を並べてみたとき、すぐにわかる。粗末な、汚いデザインは、すぐにわかる。
だが、LIFEはそうではない。
それはアートディレクターが素晴らしいから、ではない。そうではなく、LIFEの「姿勢」が終始素晴らしかったからだ。
この「自分の姿勢、フォームを、自分が理想と考えている形で長期にわたって保ち続ける」こと。
これが、ジャーナリズムだ。
簡単なことではない。
よく、「ジャーナリズムは正義だ」と勘違いしている人がいる。
だが、正義なんてものは「立ち位置」によってコロコロ変わる。だから、正義に頼る者は弱い。足元がグラグラするものに頼って天狗になっているだけだから、やがて転んで泣きをみる。自分なりの「姿勢」がどこにも無い未熟者のくせに正義だけは好き、なんてのが、一番始末に悪い。
ジャーナリズムとは、「姿勢」だ。そして、
LIFEの表紙には「彼らの姿勢」が映しだされている。
だからこそ、LIFEは「押しも押されぬジャーナリズム」だったのだ。LIFEが正義だけを報道しようとしたからジャーナリズムだったわけではない。
アメリカにはLIFEがあった。この事実は、ただそれだけで、アメリカにおけるジャーナリズムという「姿勢」の存在を意味している。
September 13, 2014
だが、「閑古鳥が鳴くセーフコ」などと平気で嘘を書く「記者」とやらのいい加減な記事に腹がたつから、いちおう書いておく。
世論誘導のためなら嘘の報道もする、ジャーナリズムの片鱗すらない朝日新聞じゃあるまいし、もうちょっときちんと事実を調べてから書く能力は記者にはないのか、といいたい。
【MLB】マリナーズがプレーオフ進出のチャンスも、閑古鳥が鳴く客席… (ISM) - Yahoo!ニュース
Baseball Referenceのデータによると、今年のMLBの観客動員数は、全体としていえば、9月11日時点で2013年より約40万人、減少している。
Change in Baseball Attendance 2013 to 2014 | Baseball-Reference.com
この減少を招いた主原因はハッキリしている。フィラデルフィア・フィリーズとテキサス・レンジャーズの大幅な観客数減少だ。フィリーが57万人、テキサス34万人と、2チームで約90万人も減っている。
もちろん理由がある。
地区順位の低迷だ。
フィリーは、2007年から2011年まで5年連続地区優勝を成し遂げて、2012年には、1試合あたり44,000人もの観客を集める超人気球団に成長し、ナ・リーグ1位、ならびにMLB全体でもヤンキースまでも抑えて観客動員数1位を記録した。
かつては、ロイ・ハラデイ(引退)、クリフ・リー(60日間のDL中)、コール・ハメルズ、ロイ・オズワルト(移籍)、カイル・ケンドリックなど、錚々たる先発投手陣を擁して勝ちまくったわけだが、いかんせん主力選手の若返りに失敗。地区順位が低迷すると、一気に観客数は激減した。
2012 National League Attendance & Miscellaneous | Baseball-Reference.com
テキサスは、ア・リーグ西地区のお荷物球団だった2000年代初期の低迷が嘘のように、2011年、2012年と、2年続けてワールドシリーズに進出。2013年には、ヤンキースに迫る1試合あたり38,000人もの観客動員に成功し、ア・リーグではヤンキースに次ぐ2位、MLB全体でも5位の人気チームに躍り出た。
だが、それも真夏の夜の夢で、人気絶頂だった2012年が結果的にテキサスの転機となる。なかでも、シーズン序盤から地区首位を快走しておきながら、シーズン終盤の低迷から、ボブ・メルビン率いるオークランドに奇跡的な逆転地区優勝を許してしまったことは、あってはならないミス、痛恨の極みであり、これがチーム崩壊に向かうキッカケになった。
2012年オフ、ずっとチームのシンボルだったマイケル・ヤングがチームを去るのをテキサスは結局慰留もせず、さらに2013年オフになるとチームに内紛が起きて、人気社長だったノーラン・ライアンがチームを去り、またチームの大黒柱のひとりだったイアン・キンズラーがデトロイトに行ってしまい、チームは「中心」を失った。
そして、チーム建て直しを図りたいGMジョン・ダニエルズが補強したプリンス・フィルダーやチュ・シンスといった選手の獲得が失敗に終わると、一気に観客の心はチームから離れたのである。(とはいえ、テキサスの観客動員数はいまだにシアトルの1.5倍以上ある。シアトルのチーム運営が10年以上失敗続きだったことを思えば当然の話だ)
2013 Major League Baseball Attendance & Miscellaneous | Baseball-Reference.com
こうした「一時の人気絶頂ぶりから転落したチーム」があった一方、人気を回復しつつあるチームも、もちろんある。
例えば、全体としての観客動員数でいうと、ミルウォーキー、シアトルが、それぞれ20万人程度、観客を増やしているし、それよりもMLBファンとして腰を抜かすほど驚かされるのは、かつてあれほど人気がなかったオークランドが、なんと今シーズンに限っては「16万人」も観客動員を増やし、観客動員増加数ランキング第3位に入っていることだ。当然これも、オークランドがかつての黄金時代のような地区優勝できるチームに復活しつつあることが理由だ。
Change in Baseball Attendance 2013 to 2014 | Baseball-Reference.com
今シーズンはオークランドの他にも、マイアミ、ピッツバーグ、ヒューストンなど、「これまで観客が少ない少ないと長年言われ続けてきたチームで観客が増加している」のがひとつの特徴で、マイアミなどは、ずっと2万割れしていた「1試合あたりの観客数」が今年2万人の大台を回復するにまでに回復してきている。
これらは明らかに、かつての不人気球団、低迷球団が、ボールパークの新設をしたり、チームが優勝争いに加わったりしたことで、人気がやや改善傾向にあることの証だ。
他にたとえばヤンキースでいうと、昨年同時期に比べて13万人以上観客を増やして、1試合あたりの観客数もア・リーグで唯一4万人以上をキープしてリーグトップを走っているように、MLB全体としての観客動員はむしろ改善傾向がみられる。
もしフィラデルフィアとテキサスでの90万人もの観客激減がなければ、他のMLB28球団合計の観客動員数はむしろ「2013年より増加傾向にある」、これがMLBの観客動員の基本傾向であることを、まずは頭に入れてほしい。
基本データすら調べない無能な記者の書くことなど信じてはいけない。
フィラデルフィアとテキサスを除いたMLB全体の観客動員が微増傾向にあることをふまえた上で、シアトルを見てみる。
シアトルの「ホームゲームの観客数」が1試合あたり1万数千人と低迷しだしたのは、別に今に始まったことではない。
チーム、GMジャック・ズレンシック、監督エリック・ウェッジ、地元紙シアトル・タイムズのジェフ・ベイカー、スティーブ・ケリーあたりが共謀してチームのレジェンドであるイチローをヤンキースに追い出してから、シアトルの観客動員数は激減している。
関連記事:2012年7月25日、この10年のヤンキース戦の観客動員データから明らかになった、セーフコ・フィールドのファンは「イチローを観るためにスタジアムに通い続けてきた」という子供でもわかる事実。 | Damejima's HARDBALL
MLBに詳しい人なら誰でも知っていることだが、MLBで「1試合あたり観客2万人」というのは不人気球団のボーダーラインなのだが、シアトルの観客動員はこの「1試合あたり2万人」すれすれの数字を、2012年、2013年と2年も続けて記録した。
これまでギリギリ2万人を割らずに済んできたのは、単に、4万人近い観客が集まるア・リーグ人気チームとのビジターでの対戦(例えばアーリントンでのテキサス戦、ヤンキースタジアムでのヤンキース戦など)が、シアトルの観客動員数にカウントされているからに過ぎない。
4万入るビジターゲームの数字までカウントされているのに「1試合あたりの観客動員数」が2万人を切りそうになる、ということは、「シアトルのセーフコ・フィールドでの1試合あたりの観客動員数が2万人を大きく割り込んでしまい、毎試合1万ちょいしか入らない状態が、常態化している」という意味にほかならない。
関連記事:2011年9月16日、球団のドル箱であるヤンキース戦ですら1試合あたり観客2万人を切る事態を招いた無能GMズレンシック。もはや「内側に向かって収縮する白色矮星」のシアトル・マリナーズ。 | Damejima's HARDBALL
イチロー追い出しによって観客に見放されたシアトル・マリナーズはこの数年、フェリックス・ヘルナンデスの人気を煽ることで人気回復を図ろうとキャンペーンを続けてきた。だが、それは成功しなかった。
関連記事:2011年6月29日、興奮しやすい性格を抑えこむことでサイ・ヤング賞投手になった選手を、なぜ黄色い酔っ払い軍団を作ってまでして奪三振を煽り立てる必要があるのか。 | Damejima's HARDBALL
かつて何度もこのブログで解析したように、彼が投手として素晴らしい選手であるのはたしかだが、ヘルナンデスは、若い頃からそうだが、「数字をもっていない選手」だ。彼の登板ゲームだからスタンドが満員になるといった、地元での爆発的人気をもった選手ではないことはハッキリしている。
だから、今のシアトルのホームで1万数千人という観客数は、ヘルナンデスの好成績とはまったく無関係で、ひとえに「ロビンソン・カノーに頼りきったチームがワイルドカードを争っていること」のみが理由で、それ以外にない。それを「閑古鳥が鳴いている」と表現するのは正しくない。
シアトルの1試合あたり1万数千人というホームゲームの惨憺たる観客数は、「イチロー移籍直後のスタンドのガラガラぶりから、これでも多少増えた」というべき、そういう数字なのである。
September 12, 2014
結局「デッドボールを受けた側」のマイアミに、合計4人もの退場者を出し、マイアミは監督どころか、監督退場後、臨時に指揮をとっていたベンチコーチ(=日本でいう『ヘッドコーチ』)まで退場になった。
Gameday:Miami Marlins at Milwaukee Brewers - September 11, 2014 | MLB.com Classic
MLB Ejections 181-184: Kellogg, Bellino (3-5, 7; Marlins x4) | Close Call Sports & Umpire Ejection Fantasy League
ブログ主の意見を最初に書いておくと、2つあって、ひとつは球審ジェフ・ケロッグが、ファイアーズがスタントンにぶつけた後、その代打で出てきたリード・ジョンソンへの初球にもインハイのスピードボールを投げた、その時点で、ファイアーズを即時退場処分にし、現行のMLBルールの範囲内で、マイアミ側の「激しい怒り」に一定の理解を示す「事態沈静化のための判断」をすべきだったんじゃないか、ということ。
2つ目に、MLBにも日本のような「危険球で一発退場」という制度を導入すべきなんじゃないか、ということを言いたい。
なんでもかんでも日本よりMLBのルールが正しいわけじゃないし、MLBのルールが変更になることに別に何の問題もない。例えばバスター・ポージーの大怪我によってMLBの本塁突入のスライディングが一部制限されるようになったような例があるように、スタントンの死球がルール改正につながってもいいと思う。
MLBの現行ルールの下では、球審が「頭部への危険球を投じた投手を一発退場させない」という判断を下すこと、それ自体は間違っていない。
というのも、MLBには日本のような「危険球で一発退場」というルールがないからだ。「危険球で一発退場」というのは、日本のプロ野球のローカルルールだ。
だが、ここでもう少し考えてもらわなくてはならない。
MLBには、「報復死球」(=デッドボールをぶつけられたチームが、その後のイニングで相手選手に故意に死球をぶつける報復行為)という考えがごく当たり前のようにある。しかも、「報復死球」はかなりの頻度で実行もされる。(もちろん報復死球を頭部めがけて投げるような、思慮の足りないことはしない)
その一方でMLBアンパイアは、この当然のように行われている「報復死球」に対して、まったく容赦しない。明らかな「報復死球」を行ったチームのピッチャー、監督は一発退場になる。
従って現行のMLBルールでは、「死球をぶつけた側」に退場者が出るのではなく、結果的に「死球をぶつけられた側」に「報復死球による退場者が出る」という仕組みになってしまっているといえる。
たしかに「程度の軽い死球」の場合なら、こうした現行ルールでも機能する。
投手に悪意はない。打者にもたいした怪我がない。それなら、一発退場させるほどの処分は必要ないし、また、アンパイアが報復死球を絶対的に抑止するという考えも間違ってない。
だが、今回のスタントンのような危険な死球の場合は、話が違っている。MLBの現行ルールは十分に機能せず、アンパイアによるゲームのコントロールが失われることが、スタントンの件で明らかになった、と思うのである。
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話をスタントンのケースに一度戻す。
試合では、MLB現行ルールどおり、スタントンの顎に危険なデッドボールをぶつけた投手ファイアーズは、退場にならず、そのまま投げ続けた。
ちなみに、日本のメディアではきちんと触れられていないが、ファイアーズが投げたスタントンへの顎へのデッドボールを、球審ジェフ・ケロッグは「スイングストライク」と判定している。このため、スタントンが病院に運ばれた時点で、カウントは0-2になっている。(ブログ主はこのストライク判定自体も間違っていると考える。この間違った判定は、以下の騒動の伏線になった)
ここで投手ファイアーズはよせばいいのに、スタントンの代打で出てきたリード・ジョンソンへの初球に、またしても「インハイの危ないストレート」を投げたのである。
これがいけなかった。
カウント0−2で代打に出てきたリード・ジョンソンは、このインハイの明らかなボール球をのけぞるように避けた。のけぞったためか、「結果的に」バットが回ってしまい、「ハーフスイングした形」になっている。
さらにジョンソンは、「手に当たった」というジェスチャーをして痛がってみせた。つまり「デッドボールだ」とアピールした。(だが、ビデオで見ると実際には当たっていない)
この日の球審は、MLBアンパイアの重鎮のひとりで、正確なコールをすることで知られるジェフ・ケロッグだったが、動画を見るとわかるが、ケロッグは即座にファーストを指差している。彼は最初「デッドボール」とコールしたのだ。(ところが、後で判定が変わり、「チェックスイング」だったとしてジョンソンは三振になった)
ジョンソンが手に当たったジェスチャーをしたこともあり、マイアミ側にたまっていた「スタントンのデッドボールに対する怒り」に火がついた。マイアミベンチから選手がホームプレートに集まってきて、それに呼応してミルウォーキー側からも選手が次々と集まってくる。一触即発の事態だ。
動画:Video: Tempers flare in 5th | MLB.com
この騒動の責任をとらせる形で、球審ケロッグは、マイアミの監督マイク・レドモンドと、血相変えて大声で怒鳴りちらしていたマイアミの三塁手ケイシー・マギーを退場処分にした。
ケイシー・マギーは、死球で起き上がれないチームメイトの横にずっとしゃがんで心配していたから、チームメイトに瀕死の死球を投げつけた投手がその後も平然とインハイに投げてきたことがよほど腹にすえかねたのだろう。正義感の強い彼らしい行為ではあった。
球審が一度デッドボールと判定した打者リード・ジョンソンだが、後に判定が覆えり、「チェックスイング(=日本でいうハーフスイング)」だったとして、ジョンソンは空振り三振になった。
スタントンのデッドボール時点でのシチュエーションは、走者が2人いるマイアミ側のチャンスの場面だったのだが、2アウトでカウント0−2だった。
ケロッグによるジョンソンの判定が「デッドボールから、空振り」に変更されたことで、「デッドボールで満塁のチャンス」になるはずが、「ジョンソン空振り三振、チェンジ」になってしまい、マイアミ側のチャンスは騒動の末、潰されてしまった。
もちろん、主砲スタントンに大怪我させられただけでなく、その代打に出した打者にも「インハイの危ない球」を投げられ、さらには、その危ない球を避けたところ「チェックスイング」と判定され、三振でチェンジ、では、マイアミ側の激しい怒りがおさまるわけはない。
6回裏のミルウォーキーの攻撃で、カルロス・ゴメスに危険球を投じたとして、投手アンソニー・デスクラファニ、監督の退場処分後、指揮していたマイアミのベンチコーチ、ロブ・リアリーの2人が退場処分となった。いわゆる「報復死球」というやつで、これでマイアミのベンチには監督もベンチコーチもいなくなってしまった。
こうした経緯でわかるように、球審ジェフ・ケロッグが一時ゲームのコントロールを喪失していることは明らかであり、彼の一連の判断が「マイアミ側に一方的に不利だ」とマイアミ側に受け取られてもしかたがない。
たとえMLBに日本のような「危険球で一発退場」というルールがないにせよ、リード・ジョンソンへの初球にインハイを投げた時点で、ミルウォーキーの投手マイク・ファイアーズを退場処分にすることは、「MLBの現行ルールの範囲内で」できることなのだから、球審ジェフ・ケロッグはまずファイアーズを退場にすべきだった。
もしファイアーズが退場になっていれば、マイアミのベンチから選手が出てくることは防げたはずだ。
さらにいえば、スタントンへの危険球は選手生命に関わるレベルのものだけに、「危険球で一発退場」というルールをMLBでも導入してしかるべきだと思う。
もし、スタントンのデッドボールの時点でファイアーズが一発退場になっていれば、マイアミ側の怒りに油をそそぐような事態にはなっていなかった。
とにかく凄い試合だった(笑)
Tampa Bay Rays at New York Yankees - September 11, 2014 | MLB.com Classic
タンパベイ先発のアレックス・コブが好投して、4点ビハインドのシャッタアウト状態のまま、8回1死まで来たときにゃ、「こりゃノーヒット・ノーランあるかも」なんて思わせたわけだが、ここで打率2割しかない伏兵クリス・ヤングが2球目をセンターにツーベースヒットで、ノーヒッター達成をブレイク!
おおおぉぉ・・・
でも、まぁ、普通ここまででしょ。
次のバッターは、打てるわけもないドリュー。この選手がスタメンに居座っているのは、もちろん無能なジョー・ジラルディの贔屓によるもので、単なる選手起用ミス。だが、ここはさすがに代打マーティン・プラド。
かたやタンパベイ監督ジョー・マドンは、ここで先発アレックス・コブからブラッド・ボックスバーガーにスイッチしたのだが、代打プラドがレフトスタンドに2ランホームラン! スコアは2−4。
なおも、エラーと死球で1,2塁のチャンスが続いたが、案の定、最近のエルズベリーと同じで、まったく打てる気配がないマーク・テシェイラが、インハイのカットボールを空振りして三球三振。8回裏終了。
ま、こんなもんだろうな・・・。
あとはズルズルっと負けるだけだろ。
9回裏。スコアは2−4のまま。タンパベイのピッチャーは、負けのこんでいるタンパベイにあっても今シーズン17セーブを挙げているクローザーの速球派左腕ジェイク・マギー。
ま、終わりだろうね、なんて思ってると、いきなりチェイス・ヘッドリーの顔面にデッドボール。無死1塁。
ここで左腕が大得意な左打者、イチロー登場、すかさずセンターにライナーの二塁打!!! 無死2、3塁。さすが、左腕に強いイチロー。
ほらな。イチローを左腕先発のゲームでも使いなさい、無能なジョー・ジラルディ。
おおお。なにかあるかも・・。
と、思ってると・・・
クリス・ヤング、サヨナラ3ラン!!
まぁ、元が勝てる試合じゃなかっただけに、驚いたのもあるけどね(笑)
実は、ヤンキースタジアムでチェイス・ヘッドリーが顔面にデッドボールを受けたほぼ同時刻に、ミルウォーキーのミラー・パークで行われてるミルウォーキー対マイアミ戦で、今期絶好調でナ・リーグ二冠を維持してるジャンカルロ・スタントンが顔面にデッドボールを直撃されてたのね。
2つの「顔面へのデッドボール」は時間にしてわずか数分(感覚的には1分以下)しか違わなかったから、ほんとビックリ。
どうやらツイッター情報によるとスタントンの怪我は、血が打席の外にまで飛び散るのが見えたほど酷いものだったらしく、彼はとうとう起き上がることができず、ストレッチャーにのせられたままボールパークを後にした。(ちなみに、動画で倒れたスタントンを横にしゃがんで介護しているスキンヘッドの選手は、元・楽天で、今はマーリンズで活躍中のケイシー・マギー)
どうやらベンチにいた選手や監督コーチがスタントンの容態が気になって、全員ダグアウト裏に行っちゃった時間帯があったらしく、ベンチが空っぽになってしまい、一時ゲームが完全に停止するほど混乱したらしい。
いくら大怪我した選手がでたとはいえ、ベンチが空になるなんて話、MLBでも聞いたことがない。
Umpires have lost control of brewers-marlins game. Awful job. Wouldn't blame marlins if they got on bus and left the field
— Jon Heyman (@JonHeymanCBS) 2014, 9月 12
スタントンは、これからのMLBを支えていく若い実力あるスタープレーヤー。それだけに、何もないといいけど、こればっかりは祈るほかない。
I wish all luck goes to Giancario. Please bless him.
— damejima (@damejima) 2014, 9月 12
September 08, 2014
上の図は、最初の図が「アメリカの人口分布」で、2つ目が「アメリカ国内の地域別インターネット普及度」だ。
なんとも見事に一致している。
MLBのようなプロスポーツが20世紀初頭にまず東海岸で発達し、徐々に西に普及を進めていった理由も、ひと目でわかる。アメリカという国の東西の環境の違いは、実はこの100年くらいの間、ほとんど変わっていないのだ。
人が多い場所、つまり、濃密な情報空間がある場所ほど、インターネットは普及する。
「そんなこと、わかりきってるだろ。いまさら何いってんのサ」と思うかもしれないが、ブログ主などはこうしてまざまざと視覚化されてみると、ちょっと考えさせられるものがある。
出典/図1:Infographics news: Mantras: Joe Lertola's maps
図2:以下のツイート
Pinged all devices on the Internet, here's a map of where they're located :) pic.twitter.com/G3fiNcKCul
— John Matherly (@achillean) 2014, 8月 28
1980年代以降に「交通」という独特の概念を用いて人間の社会を語ろうと試みたのは、哲学者柄谷行人だが、当時の彼が語った「交通」が、今の「集積度の高い半導体のような機能をもつ巨大都市」や、「自分のスマートフォンの中に、自己と他人のコミュニケーション手段と、その結果であるメッセージやログをごっそり詰め込んだまま、毎日持ち歩いている都市住民たち」と、どの程度一致しているのかはともかく、少なくともいえるのは、インターネットの発達は、他のあらゆる商業要素と同じように、人口の集積とまったく切り離せない関係にあるということだ。
もっと平たくいえば、他のあらゆる商業要素と同じで、インターネットは商業原理にのっとって発達してきた、ということだ。ネットだけは例外、なんてことはない。
どこかの安易な発想でモノを語りたがるコンサルタントや大学教授さんが言うように、「田舎に都会ほどの情報量や店が豊富なわけではないが、今はネットがあるのだから、通販や、ネット上でのコミュニケーションを通じて、田舎に足りないものを補完して、都会に向けて情報発信すればよろしい。新しい時代の到来だ! イェイ!」などと、つい安易に思ってしまいがちだが、それは嘘だ。
現実世界では、「便利な場所はますます便利になり、不便な場所はますます不便になる」ように、とりあえずはできている。人間世界のエネルギーは、水の流れとは違って、常に「低いところから高いほうへ」流れ、田舎は、地理的条件とは無関係なはずのインターネット空間からすら、置き去りにされつつあるらしい。
都市住民にとってインターネットの価値は、いちいち他人に説明されなくたって、誰もが毎日の暮らしの中で理解している。
だが、では「老衰していく田舎にとって、インターネットが本当はどういう役割を果たすべきものなのか」という設問については、誰か本気で答えを出してくれているのだろうか。ちょっと心配になってしまう。
日本の場合、単純なたとえ話で申し訳ないが、(それがマクドナルド社自身の企業戦略として正解かどうかは別にして)都会のマクドナルドはコンセントだらけなのに、田舎のマクドナルドではコンセントが見つからない。このことに「田舎のネット環境の劣悪さ」が象徴されている気がしてならないのだが、どうだろう。
思うに、田舎はまず、充電フリー環境を充実させる意味で、まずは地元のマクドナルドに(もちろん地元のカフェでもいい)コンセントを果てしなく増設してもらう(あるいはコンセントを開放してもらう)ことから始めてみてはどうかと、真剣に思う。
人口を増やすなんてことは簡単には実現できない。だが、コンセントを増やすくらいのことは手軽に実現できる。
この「充電フリーの場所が常に身近にあること」は、フリーWifiなどと並んで、ネットの発達にとっては案外重要なことだ。もしブログ主が地方の市長かなにかだったら、コンセント大増設で増えるマクドナルドの電気代くらい、税金から補助してやるんだが(笑)
「コンセントに、もっと自由を」
by damejima
あらゆるアウトドアにいっても、携帯があるだけでいろんなことができるのは確かだけど、じゃあ携帯が十分に使えるのはどういう場所かといえば、電気があって、ネットがつかまえられること。この2つ。この2つがなきゃ、携帯はただの箱になっちゃう。だからコンセントとフリーWifiは必要。
— damejima (@damejima) 2014, 9月 10
September 05, 2014
Teix is 1-10 against Uehara. That one hit? A home run.
— Mark Teixeira Fan (@MarkTeixeiraFan) 2014, 9月 5
上のツイート、ホームランを打つ直前のものだと思う。(そして、下のツイートが試合後)予言者かよ、あんた(笑)なお、マーク・テシェイラはこれでジョー・ディマジオを抜いて、通算ホームラン数歴代80位(362本)。
Boston Red Sox at New York Yankees - September 4, 2014 | MLB.com Classic
Teixy is now 2-11 against Uehara with both of his hits being home runs. #TeixyFunFacts 😄😄
— Mark Teixeira Fan (@MarkTeixeiraFan) 2014, 9月 5
マーク・テシェイラの
同点ホームラン
6球目のスプリットが落ちていない。
チェイス・ヘッドリーの
サヨナラホームラン
これも6球目。ヘッドリーに対する6球のうち、5球がスプリット。意地になって投げたのだろうが、やはり同じ球種を続けていると落ちない。
Uehara spoke only briefly to the Japanese writers. "This is my fault. Everything was my fault," he said.
— Pete Abraham (@PeteAbe) 2014, 9月 5
これまで何度も何度も書いてきたことだが、投手というものは「同じ球種、同じコースを続けていると、ミスが起き、必ずといっていいほど、コースが甘くなる。よくある典型例。
September 04, 2014
朝日新聞が、彼らの従軍慰安婦に対する批判姿勢の根拠のひとつとなっていた過去記事が実は無根拠なものだったことを認めたことで傷のついた自分の体面、体裁をとりつくろうために、「黒塗り」、あるいは、「掲載拒否」という間違った手法で、他人の意見を公(おおやけ)の場所で封殺してみせた。
この、「黒塗り」などという思慮に欠けた行為を、そんなことをやりそうにないと「思われて」いた朝日新聞が、誰よりも先に、先頭切ってやってのけたことの意味の重さは、けして軽くない。
安易なヒューマニズムにすがって生きのびてきた朝日新聞のようなメディアは、この事件で、「今後誰かの意見が『黒塗り』される道に通じるドアを、自らの手で開けたこと」に気づいていない。
彼らは、自分たちが今の今、やってのけた間違った行為こそが、「自由というものの死」、「ジャーナリズムとしての死」であることに、彼ら自身が気づいていないし、気づこうとしていない。
朝日新聞が、自社の体面をとりつくろうことに必死なあまりに、「黒塗り」「掲載拒否」などという間違った行為でジャーナリズムとしての矜持を自ら放棄することは、他のジャーナリズムにも自由と権利の上での損害を与える行為であり、それどころか、日本における言論の自由そのものに「消えない傷」をつけたのであって、許されることはない。
朝日新聞は、「黒塗りという行為が公然と行われる可能性を、メディアとして自らの手で開いたこと」、「他人の言論を封殺する悪質行為が公然と行われることに、格好の口実を与えたこと」について、公式に謝罪すべきである。それができなければ、彼らの元から弱々しいジャーナリズムは、これで終わりだ。
September 02, 2014
彼は、駄作しか作れない、親の七光りなだけの、ダメな田舎の公務員そのものみたいな凡人なのだが、人をやる気にさせる天才でもある鈴木プロデューサーの意図が当たって、この言葉が生まれた。たぶん、若くして凡人であるのが確定したまま生きながらえるという「不幸な幸運」に恵まれてきた彼にとって、この言葉こそが、生まれて初めての「自分のカラダから発した言葉」、つまり、「作品」になっていると思う。
彼のような「自分というものをまるで持たないまま、カラダだけオトナになった人間」は今の時代、掃いて捨てるほど、うじゃうじゃいる。
そういう人にとって「初めて『自分というものを持たない自分』というものが、存在としてハッキリと見えて、さらにそれを自分なりの言葉によって言い表すことができた」ことは、「初めて自分の目でモノが見えるようになったこと」を意味している。この「自分の目」というやつが、「作家」の原点になることは、いうまでもない。
彼は、彼の対極の存在であり、作家以外の何者でもない自分の父親の仕事ぶりについて、こう表現した。
「自らスタジオを持って、自らの原作、原案で物を作る」
この凡才がいわんとしたことをいいかえるなら
「自分のイメージする世界」ってやつを自前で持ち、それを「物語」に変換し、イチから始めて完成までもっていけるだけの、夢とエネルギーと発想と技術を持てる人こそ、「作家」といえるてな意味のことを言っているわけだ。
この発言は認識としてまさに正しい。
「物語」というものは、起承転結という「紆余曲折」、「流れの変化」、「ドラマチックな原因と結果のつながり」のことだと普通思われているわけだが、そうした「川の流れを、山奥の源流から、海に流れ込む河口まで書き上げるような、トータルな行為」をやり遂げることによって、いったい何が生まれてくるのか、といえば、それこそカラマーゾフの兄弟に代表されるような、「世界」というやつにほかならない。
そう。だから
「作家」とは、のことをいうのだ。つくる世界の大きさや色・形は関係ない。
「世界」を自分だけで作り上げることができる人
小説家と企業家はつまるところ同じ「職能」だ。
なぜかといえば、ビジネスとは、資金を用意することでも、スタッフを育てあげることでも、モノやサービスを提供してお金を得る行為そのものでもなく、結局のところ、スティーブ・ジョブズがそうであったように、経営者が「自分のイメージした世界観を、実世界においてカタチあるものにしようとする執念」が、本来の経営者の仕事というものだからだ。
小説家と同じく、「自分の世界」を石にかじりついてでも「人に見えるカタチ」に仕上げようとする固い決意を持てた人が、本来の意味での経営者だ。人に見えなければ、何の意味もない。
(作家・百田尚樹は以下のインタビューで、「世界観」というものについて、「同じ世界観で書いたら、作家として停滞する」、「人をコストとのみ考えがちな、いまの経営者にも読んでもらいたいんですよ」などと言っていて、なかなか面白い。 ベストセラー作家 百田尚樹インタビュー(1)とにかく読者を楽しませたい | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所)
やっと平凡な自分が置かれてきた立場について「目が覚めた」宮崎吾郎氏を、野球でたとえるなら、「彼のような人間が映画監督をする、というのは、守備を免除されたDHが打席に立つような、不完全な状態だった、といえる。
本来は、堂々たる作家タイプである彼の父親がそうであるように、守って打って、投げて走って、ベースボールの全てを自分のプレーを通じて描き切ってこそ、「世界を描きあげる作家」たる「完全体」として完結したキャリアを全うすることができた、といえるのである」という話になる。
そしてベースボール100年史において、「世界を描ききった作家タイプ」といえるプレーヤーは、そうは多くない。たしかに「ただ野球ができるだけ」でも凄いことではあるが、それだけでは「世界の作り手」として物足りない。
それにしても、鈴木プロデューサーという人はやり手だ。これだけ平凡な人を、外に武者修行に出すことで、「自分に足りないものが何だったのか」を自ら悟らせてしまうのだから。
どうみても宮崎吾郎氏は「作家になれっこないタイプ」である。だが、そういう「作家になれっこないタイプの人」に限って、「自分に何が足りないのかすらわかってないままモノを作っているのが周囲からミエミエなのに、それでも、舌ったらずなものを作品と称して世の中に発表させてもらってきた、運がいいだけの凡人」のまま、自分が作ったわけでもない与えられた場所に居座り続けるのが、世の中というものだ。
それよりも、「自分に足りないものをハッキリ自覚することができた凡人」になったほうが、たとえほんのわずかではあったとしても、「作家」に近づいた(というか、オトナへの階段を上り始めた)といえるのではないか、と思う。