August 2015

August 27, 2015

詳しいデータは自分で調べてもらいたいが、MLBでは右投手と左投手の先発登板割合がだいたい 3:1 になっている。


すると、どういうことが起きるか。

全試合の4分の3を占める右投手登板ゲームで大量の貯金を作れたチームが、地区優勝、あるいは、ポストシーズン進出を決める」ことになる。2015年でみても例外はない。
2015年「対右投手貯金」ランキング
太字は8月27日現在の地区首位チーム

STL 33
KCR 27
PIT 23
CHC 17
LAD 13
NYM 11
HOU 10
TOR 9

2015 Major League Baseball Standings & Expanded Standings | Baseball-Reference.com


この現象を、めんどくさいので短く「右投手貯金」とでも呼んでおこう。


この「右投手貯金」現象、
逆に「自軍ローテ投手視点」から見てみると、どうなるだろう。

MLB全体の登板割合が「右:左=3:1」ということは、ひとつのチームのローテ投手5人でみると、「右3人、左1人」が基本パターンで、あと1人がそのチームの投手事情やスタジアムの構造によって、右が左かが決まるというような投手構成が想定される。だから「右4人、左1人」か、「右3人、左2人」かはチーム事情とかによるわけだ。

上で見たように、地区優勝するようなチームは「大量の『右投手貯金』を作って、逃げ切ろうとする」わけだから、逆の視点から言うと、「自軍の右投手(3人か4人程度)には、絶対に負け越してもらっては困ることになる。とりわけ、同地区ライバルとの対戦カードでは、右投手先発ゲームでは絶対に負け越したくない。
一方「左投手(1人か2人)は、勝率5割程度でも、まぁ、しょうがないかな」という話になる。

短くまとめると、こんなふうになる。
自軍の右腕投手:負け越したら地区首位にはなれない
自軍の左腕投手:勝率5割程度で十分


さて、典型例として、多くの「右投手貯金」を作ることに成功しているセントルイスの投手陣を見てみる。
まさに「方程式どおり」の布陣と成績だ。右腕の4人、特にワッカ、マルティネスの2人で「自軍の右投手貯金」を大量に貯めこんだ。唯一の左腕ガルシアは勝率5割程度だが、これで十分。セントルイスは「右投手貯金」の稼ぎ頭マイケル・ワッカを手放すことは永遠にないと思う。いい人材を育て上げたもんだ。
右 マイケル・ワッカ 15勝4敗
右 カルロス・マルティネス 13勝6敗
右 ジョン・ラッキー 11勝8敗
右 ランス・リン 10勝8敗
左 ジェイミー・ガルシア 6勝4敗

カンザスシティはどうだろう。
複数年契約の左腕バルガスのDL入りで、右のジョニー・クエトを獲ったため、今は典型的な「右投手の多い構成」になってはいるが、もともと絶対的な右ピッチャーがいない。そのため「右投手貯金」はできていない。だが、貯金の大半を同地区ライバルのホワイトソックス(10勝3敗)から挙げていること、これが非常に大きい。また、同地区の全チームに勝ち越していることも地区首位に大きく貢献している。いわゆる全員野球的な勝ち方。
右 エディンソン・ボルケス 11勝7敗
左 ジェーソン・バルガス 5勝2敗 DL
右 ジェレミー・ガスリー 8勝7敗
右 ヨーダノ・ベンチュラ 9勝7敗
左 ダニー・ダフィー 7勝6敗
右 ジョニー・クエト 2勝3敗(トレードで獲得)

次にヒューストン
サイ・ヤング賞候補の左腕ダラス・カイケルがいるため、右3人、左2人。同地区TEXに4勝8敗と負け越しているのが困りものだが、SEAに9勝4敗、LAAに8勝5敗と、カンザスシティと同じく同地区相手に貯金を作ることで地区首位を守っている。
「大量の右投手貯金」を作ってくれる右腕が2人もいるセントルイスと違って、ヒューストンの「右投手貯金」はマクヒューひとりだけだが、そのかわり左腕ダラス・カイケルがいる。この「左腕でも稼げること」が、チームに絶大な効果がある。他チームなら勝率5割程度でしかたないはずの「左投手」が「大量の貯金をもたらして」くれる上に、左腕投手には負けたくない他チームに多大な打撃を与えてくれるわけだから、ダラス・カイケルの存在は実に大きいのだ。ア・リーグのサイ・ヤング賞はこの人だろう。
右 コリン・マクヒュー 14勝7敗
左 ダラス・カイケル 15勝6敗
右 スコット・フェルドマン 5勝5敗
左 スコット・カズミアー 7勝8敗
右 ランス・マキュラーズ 5勝4敗

トロントは、珍しく左投手寄りのチーム。
右のハッチソンは12勝2敗と勝ち星こそ多いが、内容は良くなく幸運に恵まれただけの結果で、実際に頼りになるのは、むしろエストラダとバーリー。そこでGMアンソポロスが不振のデトロイトからプライスを獲ったところ、プライスが8月の月間最優秀投手を受賞する勢いで連勝してくれて、チームは8月ほとんど負けなかったため、NYYから首位の座を奪えた。プライスがシーズン後にいなくなったら、おそらく来期は右のローテ投手を大金かけて獲ることになるだろう。
右 ドリュー・ハッチソン 12勝2敗
左 マーク・バーリー 13勝6敗
右 マルコ・エストラダ 11勝8敗
右 アーロン・サンチェス 6勝5敗
右 R.A.ディッキー 8勝10敗
左 デビッド・プライス 4勝0敗(トレードで獲得)

ドジャースは「本来なら」左投手に寄ったローテ。
同地区のCOL、ARI、SDPから大量の貯金を稼いでいるのはいいが、ひとつ気になるのは、最大のライバルであるSFGに3勝9敗と大きく負け越していること。2015年のカーショーはジャイアンツ戦に3回登板して、0勝2敗と勝てていない。打線も、AT&Tパークでは打率.211と酷い。右のグレインキーだけが頼りという感じで、なんともこころもとない。先発に左右の軸があるヒューストンより、ある意味、たよりない。
右 ザック・グレインキー 14勝3敗
左 クレイトン・カーショー 10勝6敗
左 ブレット・アンダーソン 8勝8敗
右 カルロス・フリアス 5勝5敗
左 アレックス・ウッド 2勝2敗(トレードで獲得)


August 25, 2015

イチローの記念すべきメジャー10000打席が目前に近づいたわけだが、「ヒット1本あたり打席数」でみると、通算安打数歴代1位のピート・ローズが約3.727(小数点以下第4位を四捨五入、24シーズン)に過ぎないのに対し、イチローが3.421打席(MLBのみ、15シーズン弱)で、この両者のみの比較では、もちろんイチロー圧勝なのだ。


よく、イチローのヒット数が多い理由について、「1番打者は打数が多いのだから、ヒット数も多くて当然だ」などと、知ったかぶりに「間違ったこと」を公言するアホウをネット上でたまに見かけるわけだが、以下に挙げるランキングを見れば、そうした発言の馬鹿さがひとめでわかる。

イチローの通算ヒット数が多い理由は、1番打者だからではなく、「他の誰よりも効率的にヒットを積み重ねてきた打者だから、通算ヒット数も多くて当然」というのが正しい答えなのだ。


ちなみに球聖タイ・カッブは、3.123(24シーズン)という超絶的な数字である。ヒット数が多いだけでなく、ヒット生産のペースがMLB歴代No.1のありえないハイペースなのだ。

一方、ピート・ローズの「通算15890打席」はMLB記録であり、ピート・ローズとタイ・カッブは、プレー期間こそ「24シーズン」で同じだが、こと「打数だけ」で比べると、なんと「2806打席」も、ローズのほうが多い。
ピート・ローズ 15890打席(MLB記録)
タイ・カッブ 13084打席
差異 2806打席

こうした事実から、なぜ永久追放者ピート・ローズが、長らくタイ・カッブが持っていたMLB通算安打記録を上回れたのか、理由がわかる。
単にピート・ローズは「打数」が果てしなく多かった、だから球聖タイ・カッブの通算ヒット数を上回れた、ただそれだけに過ぎないのである。

イチローが毎日1番を打っていた時代の年間打数が約700だったわけだが、それでいうと「2806もの打数の差」というと、「イチローのようなレギュラーの1番打者が、4シーズン打つくらいの打数にあたる数字」なのだ。
そりゃ打席に立つことそのものに必死だったピート・ローズのほうが、ヒット生産効率歴代1位のタイ・カッブより、ヒットの実数だけは多くなるのも当然の話といえる。


ついでだから、以下に「3000安打達成者」の「ヒット1本あたり打席数」を、ヒット数上位に限ってまとめてみた。(小数点以下第4位を四捨五入 ジョージ・シスラーは3000安打未達成だが入れておいた)
このランキングからも、なぜタイ・カッブが「球聖」と呼ばれるのかがよくわかる。また、かつてイチローの前のシーズン安打記録保持者ジョージ・シスラーが、3000安打未達成ながらも、球聖タイ・カッブに迫る神がかり的な安打製造機だったこともよくわかる。タイ・カッブもシスラーも、伊達に長くMLB記録保持者だったわけではないのだ。
タイ・カッブ 3.123
(ジョージ・シスラー 3.205 3000安打未達成)
ナップ・ラジョイ 3.226
トニー・グウィン 3.256
キャップ・アンソン 3.298
トリス・スピーカー 3.413
ポール・ワナー 3.416
ホーナス・ワグナー 3.435
イチロー 3.437
(2016年6月19日現在)
ロッド・カルー 3.456
スタン・ミュージアル 3.503
デレク・ジーター 3.637
ポール・モリター 3.666
ジョージ・ブレット 3.686
ハンク・アーロン 3.697
ピート・ローズ 3.727
ウィリー・メイズ 3.806
ロビン・ヨーント 3.848
エディー・マレー 3.936
デイブ・ウィンフィールド 3.974
カル・リプケン 4.046
クレイグ・ビジオ 4.086
カール・ヤストレムスキー 4.092
リッキー・ヘンダーソン 4.369


上のMLB歴代ランキングから「約100年前、20世紀初頭の選手たち」を除いてみる。すると、近代のMLBにおいて「3.5以下の数字を残した選手」は、トニー・グウィン、イチロー、ロッド・カルー、わずか3人しかいないことがわかる。
トニー・グウィン 3.256
イチロー (2001-2010のみ) 3.270
イチロー (通算) 3.421
ロッド・カルー 3.456
以下 スタン・ミュージアル 3.503

近代野球における投手の質的発達、新たな変化球の開発、投球術の進化、圧縮バットの禁止、飛ばないボール、加えて、2000年代以降の打撃スカウティング技術の発達、飛球分析に基づく守備のポジショニングなど、さまざまなバッティングをめぐる環境変化を考えると、イチローが残してきた数字はまさに「近代野球の頂点に君臨する数字」といえるだろう。

August 21, 2015

東京スタジアムのゴンドラシート今はなき東京スタジアムのゴンドラシート

参考記事:2012年3月30日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」 (5)番外編 元祖「安打製造機」 榎本喜八にとっての『故郷』、東京スタジアム。 | Damejima's HARDBALL


最初にあげた画像は、テネシー州ナッシュビルのファースト・テネシー・パークだ。音楽の街ナッシュビルにちなみギターの形をしたスコアボードがあることで有名だったハーシェル・グリア・スタジアムが老朽化したため新設された。
Best Minor League Baseball Stadiums To Catch A Game « CBS New York
score board of Herschel Greer Stadiumハーシェル・グリア・スタジアムのスコアボード



ハーシェル・グリア・スタジアムにしても、ファースト・テネシー・パークにしても、この美しさでメジャーの球場ではなく、トリプルAのスタジアムなのだから本当に参ってしまう。

こういう素晴らしいボールパークは、「新・国立競技場のザハ案」とか「パクリスト佐野研二郎の東京五輪エンブレム問題」とか、本当の意味でのデザインができない、わかってもいない「デザイン音痴なデザイナーたち」が作った、「勘違いだらけのスポーツデザインもどき」でキリキリ舞いさせられている我々日本人に、本当のスタジアム建築、本当のスポーツデザインとは、何かを、ピンポイントで教えてくれる。


「スタジアム建築」で、最も大事なこととは、何だ。
MLBのボールパークを見ればわかる。

スタジアム建築で最も大事なことは、
フィールドが素晴らしく美しく見えること」だ。

下に例として挙げたのはハーシェル・グリア・スタジアムの「外観」だ。びっくりするほど簡素で、うっかりするとアメリカの片田舎の小さなドラッグストアかスーパーマーケットと間違えかねない。
だが、中に入ったとたん、素晴らしい「野球の空気」が一瞬にしてあなたを包み込んでくれる。

これこそが「本当のスタジアム」だ。

Herschel Greer Stadiumの簡素な外観


スタジアム建築にとって大事なことは、「施設の外観」ではない。

フィールドこそがプレーの場であり、
人はフィールドでのプレーを見にやって来る。

ならば、
「内部のフィールドこそが最も美しく見える場所として作られている」のでなければ、それはスタジアムとは言えない
のである。


新・国立競技場のザハ案のメディア報道でわかることだが、「スタジアムの美の真髄」を理解できていない馬鹿モノたちは、建築家だけでなく、審査員やメディアも含めて、マトモなスタジアムを作った経験も、見たこともないくせに、「鳥瞰図」だけでスポーツのスタジアムをデザインし、議論した「つもり」になっている。本当に馬鹿馬鹿しいかぎりだ。

鳥瞰的にスタジアム全体を見て、外見がどれだけ個性的に見えるか」なんてことは、ほんと、どうでもいい。

クソくらえだ。

そういう「見てくれの個性にこだわる上っ面な安物のデザイン」は、ラブホテルでも、成金の別荘でもいいから、スポーツ以外の場所でやってもらいたい。


こんな簡単なことを気づかないまま来た日本の「スタジアム文化」は、いまだに発達途上だ。NPBの球場にしても、セントラルリーグを中心に、アメリカの80年代クッキーカッター時代の画一的な球場をコピーしただけの「人工芝ドーム球場」(東京ドーム、名古屋ドームなど)が点在している。
参考記事:2010年8月21日、ボルチモアのカムデンヤーズは、セーフコのお手本になった「新古典主義建築のボールパーク」。80年代のクッキーカッター・スタジアムさながらの問題を抱える「日本のスタジアム」。 | Damejima's HARDBALL

日本はそろそろ、「美しいフィールドを持った球場」を作ることの意義を真剣に考えるべきだ。



August 18, 2015

イチロー球聖タイ・カッブを越える日米通算4192安打目のヒットを献上してくれたジョン・ラッキーの記録をあれこれ調べていたら、イチローと関係ない「妙なこと」に気付いた(笑)

2002年にアナハイムからメジャーデビューして、もう14シーズンもメジャーリーガーをやってるジョン・ラッキーだが、彼がキャリア通算で「最も多く死球をぶつけた相手」が、どういうわけか、5回ぶつけたデレク・ジーターだったのだ。


この「通算5回」、多いか、少ないか。
気になりだすと止まらない。


ためしに、ジョン・ラッキーと同じように、「2000年代に活躍した有名ヴェテラン先発投手」の「ひとりの打者に対する最多与死球数」を何人か調べてみた。(カッコ内は、最も多く死球を与えたバッター名)

2個
バートロ・コロン (トリー・ハンター)
ヨハン・サンタナ (パブロ・オズーナなど2人)
ロイ・ハラデイ (オルティーズなど6人)
クリフ・リー (マイク・ナポリなど4人)

3個
ザック・グレインキー (カルロス・クエンティン)
CCサバシア (オルティーズ、エルズベリー)
A.J.バーネット (ジョン・ジェイなど2人)
コール・ハメルズ(Aロッド)
フェリックス・ヘルナンデス (イアン・キンズラー)

4個
C.J. ウイルソン (カノー、ビクター・マルチネスなど4人)
ランディ・ジョンソン (リード・ジョンソンなど2人)
ジャスティン・バーランダー (ケイシー・ブレイクなど2人)
ジェイミー・モイアー (オルティーズなど5人)

5個
ペドロ・マルティネス (カルロス・ギーエン)
ジョン・ラッキー (デレク・ジーター)

7個
ティム・ハドソン (チェイス・アトリー)


結果的にいうと、どうやらジョン・ラッキーの「デレク・ジーターに5回の死球」は「かなり多い」部類に入るようだ(笑)現役投手の与死球ランキングでみても、ジョン・ラッキーは3位に入っているから、もともと死球の多い投手ではある。(1位A.J.バーネット 141、2位ティム・ハドソン 122、3位ジョン・ラッキー 112)
アナハイムでデビュー以来、赤色のユニフォームのチームにばかり在籍してきたジョン・ラッキーだが、彼がステロイダーのAロッドを毛嫌いしていることは2012年のコメントで知っているが、同じヤンキースのジーターも嫌いだったのかどうかまでは、ちょっとわからない(笑)

蛇足だが、上のリストに載っている投手で、「MLB歴代通算与死球数ランキング」の上位にいる投手は、ランディ・ジョンソン(190 5位)だけで、他の投手は歴代ランキング20位までには入っていない。ランディの死球の多さは、若い頃ひどいノーコンだったせいかもしれない。
参考記事:2010年1月6日、豪球ノーコン列伝 ランディ・ジョンソンのノーコンを矯正したノーラン・ライアン。 ノーラン・ライアンのノーコンを矯正した捕手ジェフ・トーボーグ。 捕手トーボーグが投球術を学んだサンディ・コーファクス。 | Damejima's HARDBALL
データ:Career Leaders & Records for Hit By Pitch | Baseball-Reference.com


では、ひとりに何回以上ぶつけると、
多い」といえるのだろう。

データを眺めていると、コントロールのいいロイ・ハラデイやクリフ・リーなどのように、ひとりのバッターに通算2度ぶつけること自体が珍しい名投手も何人かいる。だから、「ひとりの投手が、特定のバッターに通算3度以上死球をぶつけることは、そうそう滅多に起こることではない気がしてくる。
実際、与死球数の多い投手たちのデータを見ても、「3回以上ぶつけている相手」はそんなにたくさんいるわけではない。
例えばジーターに5回ぶつけているラッキーだが、次に多くぶつけたバッターは「3回」なのだ。まぁ、だからこそ「ジーターに5回ぶつけている事実」が「目立つ」のだ(笑)


そこで現役バッターで、「最も多く死球をぶつけられた選手」を調べてみたが、これはもうダントツでAロッドとチェイス・アトリーの2人なのだ(笑)3位を40個以上引き離している。
被死球王」の彼らは、いわれてみれば2人とも死球での骨折経験がある。まぁたぶん原因は、「他の選手たちに好かれてないこと」だろうと思う(笑)
ちなみに、現役投手での通算与死球数2位ティム・ハドソンなどは、チェイス・アトリーになんと「通算7回」もぶつけている。これなどはもう「偶然」というレベルを越えている(笑)

現役通算被死球数

1位 Aロッド 175
2012年フェリックス・ヘルナンデスの死球で手の甲を骨折。この試合は、イチローがヤンキースに移籍した直後のセーフコでのヤンキース戦で、ヘルナンデスは骨折したAロッド以外に、ジーターとイチローにもぶつけていて、明らかに「故意」だった。
2位 チェイス・アトリー 173
2007年オールスターでの死球で手首を骨折

参考:3位以下の現役選手・被死球ランキング
リード・ジョンソン 134、アラミス・ラミレス 127、リッキー・ウィークス 127、AJピアジンスキー 127など


被死球王アレックス・ロドリゲスに「過去に3回以上死球をぶつけたことのある投手」を調べてみた。なんと、3回ぶつけた投手が6人もいる(笑)のには驚いた(笑)投手たちに嫌われているステロイダーらしいデータだ。
ただ、6人の投手の中にラッキーは入っていない。どうやらラッキーはAロッドが嫌いだからといって、Aロッドに繰り返しぶつけたりはしていないようだ(笑)
Aロッドに3回以上ぶつけた経験のある投手

コール・ハメルズ 11打数3死球

ラモン・オルティズ
CJウィルソン
ジェレミー・ガスリー
松坂大輔
マイク・ウッド 13打数3死球2HR


6人の投手のうち、コール・ハメルズは、アレックス・ロドリゲスとたった11打数しか対戦していないのに3回もぶつけている(笑)
3回のうちの1回は、2009年ワールドシリーズ第3戦でのもので、この試合でAロッドは2度の死球とホームランを記録して、シリーズ通算でも3度ぶつけられている。フィリーズはなかなか容赦ない。

November 4, 2009 World Series Game 6, Phillies at Yankees | Baseball-Reference.com

コール・ハメルズは2012年5月6日に、当時若干19歳だったブライス・ハーパーとの初対戦で、いきなり初球に93マイルの速球をぶつけているわけだが、こうして過去のデッドボール歴を眺めると、ハメルズという投手の性格がなんとなくわかってくる(笑)
コール・ハメルズは、Aロッドといい、ブライス・ハーパーといい、「ここぞというときには、ためらいなくぶつけてくるピッチャー」なわけだ。
ちなみに初打席で死球出塁したハーパーはホームスチールを成功させ、ハメルズにすかさずリベンジした。試合直後ハメルズ本人が「故意死球」だったことを認めたため、彼は5試合の出場停止処分になった。




当ブログからコール・ハメルズに
死球王」の名称を贈っておこう(笑)


そういえば、2005年7月の対マーリンズ戦で頭部に死球(92マイルの速球 投手:Valerio De Los Santos, Marlins)を受けて負傷し、7年後の2012年に、1日だけマーリンズとメジャー契約してMLB出場を果たしたアダム・グリーンバーグのケースも、ハーパーと同じ「メジャー初打席での死球」だった。

グリーンバーグのメジャー復帰は、リハリビに耐えてメジャー復帰を目指している彼の熱意に応える形でマーリンズが1日かぎりのメジャー契約を申し出て実現した。
R.A.ディッキーに3球三振にうちとられた彼を、スタジアムの観客はスタンディングオベーションでたたえ、試合後グリーンバーグは素晴らしい言葉を残しスタジアムを去っていった。

「人生にはカーブが来るときもあれば、僕みたいに後頭部へ92マイルの速球が当たることもある。でも、僕は立ち上がった。自分の人生は素晴らしい」  アダム・グリーンバーグ




「初打席に死球を受けた新人選手」は日本にもけっこういる。牧田明久(楽天 2005年公式戦)、會澤翼(広島 2007ウエスタンでのプロ初打席)、江越大賀(阪神 2015年公式戦)、デニング(ヤクルト 2015年公式戦)、近藤弘基(中日 2015年オープン戦)。
これらの日本国内の事例が2015年に集中しているのは、ちょっと気になる。おかしな「流行」でなければよいが、と思う。

グリーンバーグへの死球が、コール・ハメルズがブライス・ハーパーにぶつけたのと同じ、いわゆる "Welcome to the Big League" 的な意味だったのかどうかまでは、ちょっとわからないが、少なくとも新人の初打席にぶつけたい投手は「コントロールのかなりいい投手」でなければならない、ということだけは言っておきたいと思う。

August 15, 2015

東京五輪のエンブレム問題の本質は、佐野研二郎という人間が、どれほど無能でコネ依存症か、とか、そのデザイン手法そのものがどれほどいいかげんなものか、だけではない。(もちろん、それらも重要な批判要素ではあるが)
もっと本質的な問題は他にもあって、ひとつが広告出稿量の多いスポンサーと大手広告代理店の制作部門との長年の慣れ合いによって育てられてきた「日本の広告デザイン業界」の慣れ合い体質とコネ体質で、日本のデザインパワーそのものも低下していることだと、ブログ主は考える。(もちろん、そういう日本の質的な混濁を丁寧に是正していくことは、ひとつの「日本の再構築、リ・コンストラクション」になる)


なぜ「日本のデザイン業界内のズブズブ慣れ合い体質」が生まれ、「広告賞の空洞化」や「虚構の談合スターシステム」が生まれてきたのか、その背景について、ブログ主の考えを以下に書くわけだが、ひとまずここまでの「東京五輪エンブレム問題の経緯」を整理しておかないとこの問題の発端を理解できないだろうから、まずそちらからまとめておこう。

東京五輪エンブレム問題
1)佐野研二郎のデザインした東京五輪エンブレムが、ベルギーのリエージュ劇場のシンボルマークに酷似していると、ネット上で指摘。該当デザインを制作したベルギーのデザイナーが関係機関に提訴。
2)佐野研二郎が記者会見し、パクリを完全否定
3)佐野のパクリ完全否定がネット上での怒りに油を注ぎ、「パクリ行為の元ネタ探し」が激化することで、佐野作品多数に「剽窃とみられる行為」がかなり多数散見されることが判明。

サントリーのトートバッグ問題
4)東京五輪エンブレムそのもののパクリ行為の真偽がまだ決していない中、ネット民が「サントリーのプレミアムグッズ(トートバッグ30種類)について、かなりの数のデザインにパクリ行為がある」と指摘
5)サントリーが、30種類のトートバッグのデザインのうち、8つのデザインを差し替えると突如発表。後日、佐野研二郎サイドがパクリ行為を認める


東京五輪エンブレムの決定経緯は、組織委員会が故意に回答を避けているらしく、詳細が判明していない。
わかっている点は、あの見苦しいザハ案の新・国立競技場と同じように、2014年9月に応募が始まったという「コンペ」の形式で、104件の応募の中から決まったという程度のざっくりした概略でしかない。

その「東京五輪エンブレムのコンペ」とやらだが、
以下のような「応募条件」があった。

五輪組織委員会が指定する7つのデザインコンペのうち、
2つ以上で受賞しているデザイナー

東京ADC賞
(ADC=アート・ディレクターズ・クラブ 選考委員例:浅葉克己)
TDC賞
(TDC=東京タイプディレクターズクラブ 理事長:浅葉克己)
JAGDA新人賞
(JAGDA=日本グラフィックデザイナー協会 会長:浅葉克己)
亀倉雄策賞
(亀倉雄策=1964年東京オリンピック時のポスター等を作った日本の歴史的なデザイナーのひとり。選考委員:浅葉克己)
ニューヨークADC賞(東京ADC賞の元ネタになった賞)
D&AD賞(英国の広告賞。1962年創設)
ONE SHOW DESIGN
(カンヌ、クリオ賞と並ぶ世界の三大広告賞といわれる賞)

「7つのうち、2つ」という応募資格が、ミソだ(笑)
下の3つは「海外の賞」だから、リクツからいうと「海外で仕事している外国人デザイナーで、海外の賞のみ2つ以上とった人」でも応募はできる。(だが、なぜか理由はわからないが、「外国人の応募」は非常に少ない)
他方、「4つの国内の賞」のうち2つをとっていれば、たとえ「海外での評価がまったくない国内のデザイナー」でも応募はできる。別の言い方をすれば、国内の賞を2つとれていない人間は、才能があろうがなかろうが、応募そのものができない。(ちなみに浅葉克己氏は、国内の4つの賞すべてに関わっている関係者のひとりだ 笑)


では、「国内の4つの賞のうち、2つをとること」は、どういう「難易度」にあるのか。
結論を先に言えば、特に「国内の賞の4つのうち、2つをとること」は、「ある立場にいる人たち」にとってはさほど難しくない。

以下のリンク先に、大手広告代理店・博報堂が2015年に海外の広告賞であるD&ADで、9つの賞を受賞したというニュースリリースがある。 博報堂グループ、D&AD 2015で9賞を獲得 | 博報堂 HAKUHODO Inc.
どんな「スポンサー」がD&AD賞を受賞したのか見てみると、9つの受賞作品のうちに、こういう「変わったスポンサー名」がある。
広告主:東京コピーライターズクラブ

これ、どういうことかというと、デザイナー系の業界団体に「アートディレクターズクラブがある」のと同じように、広告の文字部分の制作を担当するコピーライターの業界団体に「東京コピーライターズクラブ」というのがあって、そこが「広告主」になっている、ということだ。

コピーライターの協会が「広告主」?
意味が理解できない人のために、もう少し詳しく説明しよう。

広告クリエイターの業界団体は各年度の代表的な作品を年鑑として発行し、販売もしている。そのブックデザインは、「身内の仕事」なだけに、デザイナー側にしてみれば「かなり自由にデザインさせてもらえる、おいしい仕事」のひとつ、という位置づけになる。
だから上のリリースの意味は、9つのD&AD賞受賞のうちに、「身内の年鑑のブックデザイン」という「おいしい仕事」があり、それを担当したのは「大手広告代理店・博報堂内のデザインチーム」だった、という話なわけだ。
では、そういう「おいしい仕事」は、誰でも手を挙げればやらせてもらえるのか? 考えれば誰でもわかる(笑)もしコピーライタークラブが業界全体のスキルアップを目的としているならば「デザインを公募」しているはずだ。

こうした事例を「どう評価するか」は、人による。
ブログ主はこう見る。

こういう「身内仕事」の場合、それだけが目的ではないにせよ目的のひとつは明らかに「賞をとらせることによる、大手代理店内の自社クリエイターへの箔(ハク)づけ」であり、別の言い方をすれば、これは単なる「賞とりハクづけ行為」だ。

つまり、業界内の身内であるコピーライターズクラブが「広告主」となって『デザイナーが比較的自由にデザインできる場所』を作ってやることで、「広告につきものの、広告主の制約やビジネスの制約」がほとんどない場所がひとつでき、そこではデザイナーは他人の制約の少ないデザインができることになる。
こうした「賞とりパターン」は、なんせ「身内の広告」を作るのだから、大手広告代理店に直接・間接に所属するクリエイター特有の「特権」なのだ。(こういう「北京ダック的な賞とりパターン」ですら広告賞がとれないようなクリエイターは、はるかに制約の多い一般広告での広告賞受賞など、そもそもありえない)


だが、広告制作とは本来、「一定の制約が課せられた環境」で制作されるのが当然のジャンルであるはずだ。
したがって「本来の広告賞」とは、こうした「ハクをつけるのための、身内のデザイン遊び」を評価対象にするのではなく、「現実の広告として、課せられた制約をこなし、メディアで実際に広告として使われたデザインワーク」にのみ与えられてしかるべきだ。
広告賞が「非現実的な仮想のお遊び」をことさらに評価すべきではなく、「現実のビジネスに寄与したデザインワークのみ」に限定して与えられるのでなければ、足腰の強い広告クリエイターなんてものは育たない。


話をさらに進める。
こうした「賞とり北京ダック行為」を支援しているのは、なにも、広告クリエイターの業界団体だけではない。むしろスポンサー(業界内でいう「クライアント」)そのものが、そうした「賞とりチャンス」をクリエイター側に提供することが多々ある。
例えばだが、「ほんのごくわずかな機会でしか使われない」のに、60秒とか長い尺をとった企業CMや、15段とか見開きとかいった広いスペースを用意した新聞広告などがそれにあたる。それは広告というより、「お祭り」に近い。
(実際には、大量の広告出稿をしてもらっているスポンサーに対する「お中元やお歳暮」のような意味で、大手広告代理店側がメディアからスペースを格安で(下手するとタダで)用意し、社内クリエイターに制作させ、それをスポンサーに提供して「カッコいいお祭り」を演出し、その裏では広告賞もゲットして自社クリエイターのハクづけをする、というような手法がとられるに違いない。簡単にいえば「広告賞談合」だ)

そうした「賞とりタニマチ行為」ができる (というか、したがる)スポンサーというのは、ほとんどの場合、「日頃から大手広告代理店に大量に広告を発注する、代理店にとっての 『お得意さん』 であり、そうしたお得意さん企業は往々にして内部に「宣伝部」を持ち、かつて広告クリエイターを企業内部に常時在籍させてきた歴史もあるような、「クリエイティブに理解のあるスポンサー」であることがほとんどだ。
(通常、広告に多額の予算を割けないような企業では、独立した宣伝部など存在せず、総務部とかに「おまけ」のような形で広報セクションがあって、そこが広告も担当する、というような中途ハンパな状態にあることがほとんどだ)

こうした「広告タニマチ的スポンサー」にしてみれば、広告賞の受賞は「その企業がクリエイティブに理解のある、クリエイティブな企業だという印象を広める」ことによって企業イメージ向上につながるだけでなく、将来有望な広告クリエイターの発掘・育成にもつながるなど、「たくさんのメリット」がある、ということに、いちおうはなっている(笑)


だが、話はここで終わるわけではない。

ここで説明した意味での「賞とり」は、「大手広告代理店の内部に所属しているタイプのクリエイター」にとっては、単なる「名誉」というより、むしろ「必須の仕事のひとつ」だからだ。

調べてみると、「大手広告代理店が自社内部のクリエイターに積極的に「賞とり」をさせ、ハクをつけさせて、それを売り物にする行為」は、広告制作業がブームになるずっと前から行われてきた行為らしい。
つまり大手広告代理店は長年にわたって「賞をとれるチャンス」を自社の社員に向けて提供し、「ハクつけ行為」を行ってきた、ということだ。

それほど長くもない日本の広告クリエイター史だが、これまでいくつかの時代の変遷があった。
古くは一般企業内に置かれた宣伝部に所属する企業内クリエイターが活躍した時代(例:サントリー宣伝部時代の開高健)があり、また70年代から80年代にかけては「フリー」とか「フリーランス」と呼ばれる雑草タイプの制作者が才能を輝かせた時代もあったが、それらの時代は長い目でみるとあくまで「短期的に生じたアダ花的現象」にすぎなかった。

日本クリエイター史において一貫して続いてきたのは、むしろ「大手広告代理店所属のクリエイターが、会社に賞を獲得させてもらった後で独立し、事務所を構えて大手広告代理店の仕事をさらにこなし続けることによって、受賞数がさらに増える」という、「大手広告代理店所属クリエイター賞とり北京ダック・スターシステム」だ。

これは、「マラソン」でたとえるなら、市民ランナー出身の川内君(彼も学連選抜で箱根駅伝には出ているが)がトップランナーになってマラソン界に風穴を開けたような現象は、こと「広告クリエイターの世界」では、ほんの短い時代にあった「わずかな例外」であり、ほとんどの場合は、箱根駅伝出身のエリート駅伝ランナーたちが企業ランナーの「席」を占め続けているのと同じような現象が、広告クリエイターの世界にもまったく同じようにある、というような意味になる。


たとえが適切でないかもしれないが、箱根駅伝出身のエリートランナーが「駅伝練習のおまけとしてマラソンを走る現象」が、必ずしも日本のマラソンを強くしなかったのとまったく同じように、サントリーのような「広告タニマチ」が広告クリエイターに、あからさまな賞とりチャンスを与え続ける「広告クリエイター北京ダック行為」は、けして日本のクリエイティブパワーを育ててはこなかったことが、今回の佐野研二郎・東京五輪エンブレム問題で明らかになった、というのがブログ主の意見だ。


たしかに、サントリーに代表される「広告業界のタニマチ企業」は広告黎明期において「広告を文化にかえた旗手」ではあった。それはたしかだ。
(だが、当時のサントリーの広告の評価は、単に当時の開高健の個人評価を企業評価にすりかえていただけのものに過ぎないという点もぬぐえない。なぜなら、かつてのサントリーのウイスキーの味そのものは、「開高健の書く広告コピー」や、「彼自身が登場するCMから受ける印象」ほど「美味いものではなかった」からだ。だからこそ、当時のサントリーの酒、例えば「ダルマ」は、いまや日本の酒屋にも一般家庭にも残っておらず、広告史に当時の広告だけが残った結果になっている。「商品が消え、広告だけが歴史に残る」ような広告が「優れた商品広告」なわけはない

だが、日本の広告の歴史と、「クリエイターの登場パターン」を継続して見ていくと、「企業の広告タニマチ行為が、多数の有能クリエイターを生み出してきた」とは、まったく、全然、言えない。

むしろ、「広告タニマチ行為」は単に、タニマチ企業と大手広告代理店とのズブズブの慣れ合いを生み、それにクリエイター業界団体上層部を加えた広告業界全体の狭いコネ体質をより一層強化することにしか繋がっていないことは、今回の佐野研二郎という「自分のアタマと手を使ってデザインするという、基本能力そのもののが完全に欠如した無能デザイナー」の登場で明らかになったと、ブログ主は断定せざるをえない。

佐野自身と、佐野と同じ自称デザイナーたちがやっている「自称デザイン行為」(実際には剽窃そのもの)は、Pinterest (https://t.co/ZwRpsM5pLe =ネット上の画像収集ツール) のような「ネットツール」を使って、ネット上から元ネタ画像を掘り起こし、それにちょっと加工だけして、スポンサーに「自分の作品と称して」提出するという単純で卑劣な手法だ。
もちろん五輪エンブレムも同じ手法で制作された可能性がある。可能性があるからこそ問題にもなっている。こうした「剽窃常習者の作ったオリジナリティに欠けた加工品」が、日本を代表するデザインのひとつとして世界に発信されることなど、けして許されない。


これから何度でも書くが、いまの日本が迎えているのは「再構築、リ・コンストラクションが必要とされる時代」だ。
佐野という「北京ダックみこし」をかつぎ上げてきたのは、「ただのコピー・ペーストに過ぎない剽窃行為を、文化だの、クリエイティブだのと呼んで、鼻高々になっているような、無能すぎる人間どもの、見かけ倒しで慣れ合いだらけの風土」だ。こういうまがいもの、ニセモノ、カッコつけこそ、日本から消えてなくなるべきだし、今後ブレイクすべき形骸化したシステムだと思う。
本当の意味での世界レベルのデザイナーを育成したければ、今の古臭くて機能してない慣れあいの談合スターシステムを排除しないとダメだろう。

「賞をとったデザイナーを起用」したら、その広告が「クリエイティブになる」なわけではない。そんなことくらい気づけないようでは、その企業(あるいは、コンペやオリンピック)は馬鹿で、文化がわからないと言われてもしかたがない。
もともと内輪で回しているに過ぎなかった「賞」を「コンペの応募資格制限」に使うという行為は、そのコンペの質を維持し、高めるのに役立つはずはない。それはむしろ、「談合スターシステムにのっかっただけの無能デザイナーを保護するための参入障壁を設けている」に過ぎない。





August 11, 2015



ダサい新・国立競技場ザハ・ハディド案と安藤忠雄
東京都観光ボランティアのダサいユニフォーム
ダサい東京五輪エンブレムと佐野研二郎


上に挙げた、新・国立競技場、東京都観光ボランティアのユニフォーム、東京五輪エンブレム、3つの「デザイン」は、以下の3つの点において共通点がある。

1)「場」に対する不似合いさ
デザインは、目的に沿うものである必要があるわけだが、3つのデザインそれぞれが「ダサい」という印象を人に与える原因のひとつは、「」に「あっていない」ことだ。
新・国立のザハ案は明治の森という「場」に「あっていない」し、東京都観光ボランティアのダサいユニフォームは東京という街の現在の空気に「あっていない」し、佐野研二郎のエンブレムは日本がいま目指す方向性にも、東京五輪そのものにも、「あっていない」。

2)時代に対する共有感の無さ
3つのデザインは、方向性において相互に統一感がない。このことは逆説的な意味でいうなら、共通点でもある。つまり、3つが3つとも、「いまという時代への共有感」がまったくなく、デザインコンセプトの共有もディレクションの共有もほとんどされておらず、ただそれぞれがてんでんバラバラに存在しているに過ぎない。

3)非コンペティティブな選考方法
上の項目で指摘したように、3つのデザインには意匠における共通性はないが、その一方で、「決定の仕方」だけはソックリであり、「コンペ(=競争、競合)」とは名ばかりの「非コンペティティブな選考方法」で決定されたことに著しい特徴がある。
ザハ案は安藤忠雄のほぼ独断で決まっただろうし、残り2つも、コンペとは名ばかりの密室での談合みたいなもので決まったに過ぎず、そこには、閉塞しきっているマラソン界に市民ランナー川内優輝が突然登場して「常識を塗り替えた」事実にみられるような、「時代の転換を感じさせる驚き」は、カケラもない


なぜ、日本を代表するイベントのひとつとなろうとしている2020東京五輪に、こういう、場にあっていない、不揃いな、非コンペティティブなものが、提案され、決定されかかっているのだろう。
原因を簡単にいえば、いまの日本の内部には、「場に沿うものを作りだすことの大事さを忘れた」、「不揃いで、バラバラな」、「競争原理が働いていない非コンペティティブな部分」が、多々ありすぎるからだ。

逆に言えば、外野フライを追うイチローのように、2020東京五輪に真っ直ぐ向かうために必要なのは、「場に沿うこと」だったり、「方向を揃えること」だったり、「コンペティティブな競争」だったりする。


1964年の東京五輪には、高度経済成長という時代のキーワードがあり、五輪そのものが日本が先進国の仲間入りをするイベントであるという共通理解があったことなど、「なぜいま五輪を開催するのかについての、全国民共通の理解」があった。
だから、当時の亀倉雄策をはじめとするデザイナーは仕事はしやすかったはずだ。なぜなら、当時の日本では「日本そのものをシンプルに、強く描写する」という、わかりやすいデザインコンセプトが明確に共有できていたからだ。


だが、2020東京五輪においては、上の3つのデザインを眺めてもわかることだが、どれを見ても、今の日本を共有できていない。つまり、今の日本が目指すものについて、理解もされていなければ、新しい発見も提示されていない。

誰も彼もコンセプトが無いまま作っているのだから、
作品はどれもこれも弱いし、ダサい


では、いま日本で起きている最大のモメンタムは何だろう。


日本はひとつの「大きな転換期」を迎えている。それはディスカバー・ジャパンという、1970年代のキャンペーンと似ているようでいて、根本からして違う。
いま求められているのは、1970年代に流行した「忘れられかけている日本の良さの再発見」ではなく、「日本の内部的な再構築、reconstruction:リコンストラクション)」だからだ。

こう書くと、わかる人には何のことを言っているのか、説明しなくてもわかるわけだが、「わからない人と、わかりたくない人」には、まったく理解されない。
少なくとも東京五輪のデザインについて言えることは、最初の3つの小手先のデザインとそれを決定した人たちは、「今の日本が向かっている方向をわからない人」や「今の日本をわかりたいと、そもそも思わない人」だということだ。
そういう基本的なことを、理解できない人、理解したくない人が、グランドデザインに関わってはいけないのである。ピント外れなものしか作れず、梯子を外されるのは当たり前だ。


もう一度書いておこう。
これからの日本が迎えようとしているのは、「再構築の時代」だ。

日本が再構築に向かうことが意に沿わない人は、グランドデザインから退場してもらって、まったくかまわない。自分の位置が時代からかけ離れているからといって、桑田佳祐のようにデザインに黒々とした暗黒を塗り込むような心の暗い人に、時代をデザインすることなど、できはしないし、やってもらっては困る。


1964年よりもはるかに複雑な今の時代の「気分」を「明るく描ける人」をなかなか思いつかないのが困るが、少なくとも、再構築に通じるドアのノブを最初に回したのは、宮崎駿の映画「風立ちぬ」であったと、ブログ主は確信している。
なので、このブログとしては、2020東京五輪のグランドデザインとか演出は、彼、宮崎駿に任せてみるべきではないか、と提案しておきたい。
参考記事:2013年9月2日、空を飛ぶ夢。 | Damejima's HARDBALL

あの作品におけるご本人の意図は、もしかするとブログ主の思うところとはまったく違うところにあったかもしれないが、少なくとも、「天の岩戸」のように錆びたドアを押し開き、長く狭い場所に閉ざされていた戦後日本をオモテに出したのは、あの作品の空気に満ちている「何か」だった気がしてならないのだ。






August 07, 2015

二段モーションのピッチャーが、地方大会では見過ごしてもらえたのに、全国大会では何度も注意を受けた、というニュースを見たが、当然のことだ。なんでこんな当たり前のことがニュースになるのか、さっぱりわからない。
二段モーション禁止が「ルール」なのだから、注意されるのが当たり前というものだろうに。ルールの統一も、へったくれもない。


2020東京オリンピックのエンブレム問題もそうなのだが、こういう「ローカルで許されていた行為が、パブリックな場所に出てみたら、それが「許されないこと」なのがわかること」は、数多くある。
例えばエンブレム問題でいうと、「日本国内向けの仕事における、海外広告作品からのパクリ行為」は日本のデザイン業界内ではきわめて公然と、やって当たり前の行為のように行われているわけだが、それが世界向けの仕事となると、初めて、それが「許されない行為」であることに気づき、日本人デザイナーのオリジナリティの無さがバレたりする。

「田舎の交通ルールの酷さ」も同じだ。

田舎の世界観は、なんでもかんでも「クルマ中心」だ。
だから田舎のドライバーの頭の中は「勘違いだらけ」であり、一時停止なんてしなくていい、停止線なんか関係ない、右折だろうと左折だろうと好きなタイミングで曲がっても許される、必要なら歩道に駐車してもいい、などと、自分勝手に思いこんでいて、実際そういう危険な行為をところ構わずやっている。
(田舎では税収を増やしたいがための目的で、子供を増やそうだの、子供の笑顔があふれる町づくりだのとタテマエを言うわけだが、その割に、子供が重大な交通事故に巻き込まれる原因のひとつである「田舎の交通マナーの酷さ」はいつも放置されている)


だが「大都市」で(東京でもニューヨークでも、どこでもいいが)そういうマナーに欠けた運転をしていたら、どうだろう。あっという間に違反が積み重なって、免許などすぐ無くなってしまう。

なぜなら、都市の交通ルールは、田舎のルールとは違うからだ。

例えば、都市で横断歩道を渡ろうとしている人がいたら、クルマは右折だろうが左折だろうが関係なく100パーセント待たなくてはならない。田舎のように「人の通行をさえぎってでもスキをみて強引に曲がる」などという馬鹿な行為は許されない。

他にも、電車の切符を買うとき、エスカレーターに乗るとき、「都市には田舎にはない都市特有のルール」がある。

つまり、「人の移動に関するルール」は、都市に非常に多いのである。

理由? 簡単だ。
都市は「人が密集している場所」だからだ。

かつて5000人ものランナーが主催者の不手際でスタートできなかった富士山マラソンのずさんさについての記事でも書いたことだが、都市では「人のスムーズな移動が常に確保されていること」が、他のなによりも大事な優先事項なのであり、都市では「人の移動を妨げる行為」を「社会的に迷惑な行為」であるとみなす「都市特有のルール」が成立している。
したがって、クルマは「人の移動を妨げること」は許されない。
参考記事:2013年1月27日、マラソンブームに便乗した、あまりにもずさんな「富士山マラソン」から、「日本の新しい景観美」に至る、長い道のり。 | Damejima's HARDBALL

それは道徳によって決まるルールではない。
多くの人が集まって生きている都市特有の掟(おきて)なのだ。


「人の移動に関する都市特有の掟」は、他にもある。
例えば、切符の買い方がわからないクセに行列の先頭で係員に質問もせずオロオロしている田舎の人は、後ろから「何してんだバカヤロー」と怒鳴られてもしかたがない。それがお年寄りだろうと、子供だろうと、そんなこと関係ない。たとえカラダが不自由であっても、だからといってレストランに無理な注文をつけて「俺を抱きかかえて店内に入れろ」などとゴネたりする馬鹿げた迷惑行為は許されない。慣れない人が地下鉄に乗って出入り口付近に突っ立って、他人がドアから降りるのを邪魔するのも、ご法度だし、人が移動するためにある地下街の通路でベビーカー並べた主婦が立ち話、なんてのも許されない。

簡単にいうなら都市では、立ち止ってもらっては困る場所で、ヒトは勝手に立ち止まってはいけないのだ。それは急かしているのでもなければ、世知辛いのでもない。


考えてみると、田舎の人はやたらと「公共のルール」を決めたがるが、不思議なことに、その一方で、同時に「公共的な場所の決め事なんてものは、自分の好き勝手なタイミングや、自分の都合で破ってもかまわないものだ」と、勝手に決めつけてもいる。
ルールを守るかどうかは、要するに「自分の気分次第」なのだ。


話が飛びすぎたが(笑)、二段モーションのルールをもっと厳密にしろ、なんて話をするがいるかもしれないが、ルールさえ決めれば二段モーションがなくなるとでも思っているのだろうか。
ルールをたくさん作っては、それと並行してルールをなし崩しに破るのが得意なのが、田舎の人特有のメンタリティというものなのであって、いくら二段モーションのルールを全国的にとり決めたところで、地方大会の人の目を盗んで行われる狡賢い(ずるがしこい)二段モーションという行為は、なくなったりしないだろう。


よく「都市は非人間的だ」なんていう間違ったことを、よく考えもせずに言い切って、それがヒューマニズムだなどと勘違いして鼻高々になっている人がいるわけだが、その考えは根本からして間違っている。

人が密集している都市だからこそ、「ヒトに沿ったルール」が成立しているのである。

勘違いしている人が多いが、「街の掟(おきて)において、人間くさい」のは、田畑とクルマとご都合主義が中心で、ルールがルールとして自立しておらず、ヒトへの配慮がまるで足りない田舎ではなく、「人が密集し、ヒトのマナーの集積によってヒトのためのルールができていて、ルールがルールとして自立していて、なおかつ、ルールがヒトをきちんと拘束できてもいる「都市」のほうなのだ。

August 05, 2015

coastal upwelling


「海岸に沿って強風が吹くと、沿岸の海水温が下がる」、coastal upwelling(沿岸湧昇)という現象がある。上のイラストは、そのメカニズムを「北半球の東向きの海岸」を例に書いてみたものだ。イラスト内の数字は、以下の説明文の数字にそれぞれ対応している。

) 北半球の東向きの海岸で、南西あるいは南から強風が吹く
) 「コリオリの力」の作用で、沿岸にあった表層の「暖かい海水」が、沖に向かって流され、沿岸の海水が減る
) 減った沿岸の海水を補給するために、より深い場所にあった「冷たい海水」が沿岸の表層に向かって湧き上がってくる


日本の有名サーフィンスポットというと、宮崎や外房のように「東向きの海岸」も少なくないわけだが、こうした「東向きの海岸」で南風が吹くと(=岸から見て「強い風が右から左に吹く」と)海水温が非常に下がって、夏なのにフルスーツ(手首、足首まである寒いとき用のスーツ)でないと寒くてサーフィンできないようなことすらある。

こうしたcoastal upwelling(沿岸湧昇)という現象を起こす元になっているのは、地球の自転からくる「コリオリの力」というやつだ。


「コリオリの力」の作用方向は知っての通り、北半球と南半球とでは真逆になる。だから、「upwellingが起きる条件」は、東向きの海岸と西向きの海岸でまったく逆になり、また北半球と南半球でも真逆になる。
例えば、カリフォルニアのような「北半球の西向きの海岸」では、東向きの海岸である日本の外房とは真逆で、「北風」でupwellingが起きる。また、カリフォルニアと同じ西向きでも、南半球のペルーの海岸では、北風ではなく「南風」によってupwellingが起きる。


upwelling zone
画像出典:Upwelling - Wikipedia, the free encyclopedia

世界にある湧昇域を地図で見てみると、日本を含めた漁業が盛んな国にはたいてい広大な湧昇域がある。これは、upwellingによって深い海の栄養やミネラルが海の表層に湧き上がることでプランクトンが繁殖するために、海の生態系が非常に活発になって、漁獲量が増大するからだ。


長すぎる前置きだったが(笑)、こんなことを書いたのは、今年4月に茨城県鉾田市で起きたカズハゴンドウイルカのストランディングの原因のひとつが、もしかすると、この「coastal upwelling(沿岸湧昇)」かもしれないなどと、ふと思ったからだ。


upwellingは、深層の栄養の豊富な海水を表層に持ち上げる。
そのため、それにつれて植物プランクトンが爆発的に増え、動物プランクトン、プランクトンを食べるアジやイワシなどの小魚、小魚を狙う海の鳥たち、小魚を食べるマグロ、カツオ、カジキ、サメ、イルカ、果てはクジラまでが沿岸域に集まって、沿岸に広大な生態系が一気に形成されるらしい。

今年4月にストランディングの起きた茨城の海岸は、もともと強い南風でcoastal upwelling(沿岸湧昇)が起きやすい東向きの海岸線なわけだが、もし4月に「季節外れの強い南風」が吹いたときがあったとすると、時期外れなcoastal upwelling(沿岸湧昇)が起き、イルカのエサとなるような海の小さな生物たちが急激に増えて、イルカがエサを求めて茨城沖に集まったのかもしれない、などと思ったのだ。

加えて、下記記事で書いたように、今年の春は、茨城沖に冷たい海流である親潮が入り込んでいる年だったわけだから、春先の茨城沖で数年に一度しかないイワシ祭りがあったとしてもおかしくないような気がしたのである(笑)
参考データ:2015年5月14日、「デマ」は常に「真実」よりも目に触れやすい場所に置かれ、見えやすい、という事例。 〜 カズハゴンドウイルカのストランディングに関するデマと科学の差 | Damejima's HARDBALL

まぁ、素人が想像で書いていることだから、真偽はあまり気にしないでもらいたい(笑)
ともかく言えるのは、茨城や千葉など外房のサーファーが「今年の夏は海水がやけに冷たい」などと愚痴をこぼしているのをネットで見かけたら、その年は寿司屋で安いイワシやアジを死ぬほど食うべき年だ、ということだろう(笑)


つまらない冗談はともかく、このupwelling(湧昇)という現象は、世界の気候に大きな影響をもたらしているので、知っておいて損はない。

例えば、赤道付近では、東寄りの風である貿易風によってequatorial upwelling(赤道湧昇)という現象が起きている。
コリオリの力によって赤道の北半球寄り海域では「北に向かう海流」、南半球寄りでは「南に向かう海流」が発生して、一方で表層の海水が減ったしまった赤道付近では、深い海から冷たい海水が湧き上がってくる、というわけだ。赤道だから海水が暖かいわけでもないのだ。

エルニーニョ現象やラニーニョ現象という言葉をよく聞くわけだが、その年のエルニーニョがどのくらい強く発生するかも、「風の強さ」が関係している。これも風の強さがupwellingの強さに関係しているからなのだ。

追記
この記事を書いてからネットを見ていたら、こんなニュースがあった。4月にカズハゴンドウのストランディングがあった茨城県鉾田市の沖で4mを超える大型のサメが確認され、近隣の海水浴場が遊泳禁止になっているという記事だ。
茨城県沖にサメ2匹を確認 鉾田市などは海水浴場を遊泳禁止に - ライブドアニュース
もちろんこのニュースも、upwellingによって説明できる部分がある。つまり、茨城の沿岸でcoastal upwelling(沿岸湧昇)が起きると、プランクトンと小魚が多くなる。そのため、小魚を食べる大型魚、さらには普段なら見られないイルカや大型のサメが沿岸周辺に集まることになるわけだ。

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