October 2015

October 29, 2015

フォルクスワーゲンの検査不正事件は、実に多くのことを考えさせてくれた。

思うにこの事件は、よくある経済界の不正事件のひとつではなく、むしろ「この300年ほどの間、ヨーロッパを中心に維持されてきた「コンセプチュアルなハーメルンの笛」である「近代ドイツの神話主義そのものの終焉」なのだと思う。

Pied Piper of Hamelin

少し長い話になる。


最も狭い目でフォルクスワーゲン事件をみると、今回の検査不正はヨーロッパで十分すぎるほど普及していた「ヨーロッパのクリーンディーゼル」という 「神話」 の崩壊 を意味するわけだが、もっと広い歴史から眺めると、「ドイツが18世紀から19世紀にかけて大量製造してきた数々の神話の終焉」 につきあたる。
(「神話」と表現したのは、ヨーロッパのディーゼル車が「クリーンさ」を標榜しておきながら、実際にはロンドンやパリの大気をびっくりするほど汚していたからだ。クリーンディーゼルは実際には「クリーン」ではなく、ただのキャッチフレーズに過ぎない)


もう少し詳しく書く。この記事でいう「近代ドイツの神話主義」とは、大雑把に以下のような流れをさす。

18世紀から19世紀にかけ、ドイツは数々の「神話」を人為的につくりだし、流布させてきた。

こうした「ドイツ製神話」のいくつかは、「価値のものさし」として、世界史、特にヨーロッパ史を根本から捻じ曲げるほどの巨大な影響力を持った。

ドイツの「神話製造手法」は、アンリ・ファーブルの自然観察がそうであったように、「世界の文化や歴史、自然などをありのまま、フラットに観察し、対象そのものに内在している法則性を穏やかに発見していく行為」では、まったくない。ぜんぜん違う。

むしろ彼らの手法は「はじめに『理論』ありき」だ。
つまり、彼らはまず最初に、自分たちドイツ人が最も快適さを感じ、最も都合がいい『法則性』を設定し、その「法則性」の説明にとって都合のいい「事例」を古い歴史や自然から収集してくる。
そうして固めた「法則性」と、その事例にあたる「自分たちに都合のいい文化や自然、風土」を、彼らは、自分たちの「ルーツ」、自分たちの「美学」と呼ぶことにしたのである。


まだわかりにくいかもしれない。なので、「近代ドイツ製の神話」の具体例をいくつか挙げてみる。

このラインアップをみれば、世界、特にヨーロッパの美意識や価値観がいかに「近代ドイツ製の神話主義」に影響され、振り回されてもきたかがよくわかるはずだ。
(注:もちろんいうまでもないことだが、東大でドイツ美学について講演を行ったことがあるほどドイツ美学の強い影響下にあった森鴎外や、日本大学芸術学部内にデザイン専攻科を作った山脇巌など、明治期日本の例を見るとわかるように、明治維新後の文化のすべてをドイツに右へ倣えしたわけではないにしても、日本における建築、デザイン、教育、法律、文学など、各方面に「ドイツ製神話主義」の影響がある。例えば、ドイツの有名カリグラファー、ヤン・チヒョルトの意匠をパクッた「佐野研二郎パクリ事件」、新・国立競技場のデザインに失敗したザハ・ファディドを起用しようとした安藤忠雄のミニマリズムにいたるまで、近代日本は「近代ドイツ神話主義」と無縁ではなかった)

白いギリシア」という「欧州白人の民族的起源に関する神話」の製造
18世紀ドイツの美術史家ヨハン・ヴィンケルマン(1717-1768)が、『ギリシア芸術模倣論』(1755年)や『古代美術史』(1764年)で古代ギリシア芸術を絶賛、目指すべきは古代ギリシアの模倣と説き、ヨーロッパ全土に「ギリシアブーム」を起こした。(ドイツ美学のルーツはイマヌエル・カント『判断力批判』だと思われがちだが、『判断力批判』の刊行は1790年であり、ヴィンケルマンの一連の著作のほうがはるかに年代的に先行していることに注意すべきだ)
後に起きた「実際には白くなかったギリシア彫刻の表面の彩色を、大英博物館内で秘密裡に削りとって、白色に変える」という「大英博物館エルギン・マーブル事件」の背景にも、この「白いギリシア」信仰があった。
参考記事:2012年7月16日、『父親とベースボール』 (4)アメリカにおけるドイツ系移民の増大。18世紀ドイツの美術史家ヨハン・ヴィンケルマンが欧米文化のルーツとして捏造した「白いギリシア」。 | Damejima's HARDBALL

黄金比」という「美の法則性に関する神話」の製造
19世紀ドイツの物理学者、哲学者グスタフ・フェヒナー(1801-1887)が、1876年に刊行した『美学序論』において、「人々は黄金比を好む」と統計的に示したことが契機となって、「人間の作ったパルテノン神殿も、自然界のオウムガイの螺旋も、黄金比でできている。黄金比こそ、美の法則だ」というような「黄金比信仰」が、デザイン界や建築界を中心に広がった。
だが、実際のオウムガイの螺旋が黄金比ではないことをはじめ、かつて黄金比の例として説明されてきたエピソードの大半が単なる「俗説」に過ぎないことが指摘されはじめて、いまや黄金比信仰は廃れつつある。

コーカソイド」という「神話的人種分類」の製造
「コーカサス系の人種」という意味の「コーカソイド」(Caucasian race または Caucasoid)は、ドイツの哲学者クリストフ・マイナース(Christoph Meiners, 1747-1810)が1785年の著作 "The Outline of History of Mankind" で使った用語で、旧約聖書でノアの息子たちがたどり着いたアララト山のある「コーカサス地方」にちなんでいる。このことからわかるように、「コーカソイド」はキリスト教文化を背景にした人種分類だ。
ドイツ人医師ヨハン・ブルーメンバッハ(Johann Friedrich Blumenbach, 1752-1840)は、1779年に人類を5つに分類、さらに1790年代に白、黄、茶、黒、赤の「5つの色」による分類手法を提起した際、「白=コーカソイド」と定義した。
だが今日では、こうした人種分類自体にそもそも科学的根拠がないとする考えも登場してきている(Wiki)

社会主義」という「神話的社会理論」の製造
19世紀プロイセン(現ドイツ)の哲学者、思想家 カール・マルクス(1818-1883)が『資本論』(1867年)において後の社会主義国家の原点となる資本主義批判を展開。その結果、20世紀以降の世界のあちこちに社会主義を標榜する国家が誕生する結果となった。
だが、それら社会主義の国々の多くでは、社会全体への富の適正な再配分が行われるどころか、むしろ逆に、特権階級の出現、富の独占、不正や収賄の横行など、マルクスが資本主義の歪みとして批判したのと同じ事態が起こり、正常な経済発展が途絶する、ないしは、歪んだ拝金主義の横行がみられて、事実上、大半の社会実験は頓挫した。


かつて記事にしたが、「大英博物館エルギン・マーブル事件」の背景にあるヴィンケルマンの「白いギリシア」の根本に「歴史の捏造」があったように、ここに並べた近代ドイツ製神話の数々は、いずれも根本に「問題」をはらんでいる。 (というか、遠まわしに言ってもしかたがない。「問題」というのをもっと具体的にいえば、捏造、誇張、事実の糊塗、誤謬、人間の本性についての認識の誤りなどである)


これらの神話主義が「問題をはらむ」理由は、これらの事例すべてが「ある種の理想主義だから」、ではない。
人間の暮らしに理想をかかげる、という発想は、ソローの森の生活、サリンジャーの隠遁生活、タラウマラ族のマラソン、テレビアニメのサザエさん、ロハス、無農薬、ヴィーガン、理想がなければ人間らしくないといえるほど、どこの国、どんな時代、どんな地域にも存在する普遍的行為だ。
問題はそこではない。


問題は、人間がつくったものでしかない理論を「美化し、陶酔し、さらには神格化しようとしたがる高揚した感覚」にある。


ここに並べた「近代ドイツの神話群」は、見た目には相互の関係は存在せず、別々のジャンルの話だと思われがちだ。

しかし、これらすべては「裏で通底するもの」を持っている。
例えば「マルクス主義」だが、一見すると、クリーンディーゼルとは無縁に思え、また、古代ギリシアの建築や彫刻、美学史、人類学などとも「まったく無縁の存在」にみえる。
だが、よく観察してみると、その根底に流れる「ユートピア主義」には、「白いギリシア」や「黄金比」などとまったく共通の「18世紀から19世紀に近代のドイツが大量生産した理論に含まれる、理想主義、耽溺、陶酔、神話主義」が十分すぎるほど溢れ返っている。
(だからドイツでナチズムが登場した当初に社会主義を名乗ったのは偶然ではない。ナチズムは政治思想というよりは、一種の「美学」だからだ。こうした神話主義への陶酔は、右だの左だのという単調な政治分類とまったく関係なく、あらゆる局面に存在する)


わかりにくいので、もう少し言い換える。

「近代ドイツの神話主義」の特徴は、「ヒトがアタマの中で考えた、ある種の『美学』とか『美意識』である」、という点にある。それは近年フォルクスワーゲンなどが唱えてきた「ヨーロッパのクリーンディーゼル」においても同様だ。

神話主義の出発点にあるのは、ある種の耽溺や陶酔、ロマン主義であって、自然や人間史そのものでもなければ、検証や実証でもなく、また技術、財政でもない。
それが実在するのか、それは本当に実現可能なのか、実現のための技術的裏づけや財政的裏づけがあるのか、それはそもそも人間の本性に根ざしたアイデアなのか。そうした実務的な問題点を問い詰め、その解決方法を具体化するとか発見するとかする前に、ワーゲンのクリーンディーゼルがそうだったように、「さっさと見切り発車してしまう」点に、神話主義の非常にはっきりした特徴のひとつがある。


こうした近代ドイツの神話主義の特徴をさらに短くまとめるなら、
人間を神の領域に可能なかぎり近づけようとする理念的試み
といっていい。


間違えてはいけないのは、ここでいう「神の領域」の場所や方向性というのは、世界中の誰にでもあてはまる「普遍」などではない、ということだ。それは単に「特定のヒトたちがアタマの中で考えだした、単なる造形」に過ぎないのであり、そもそも多くの誤りを含んでいる。

こうした「人間を神の領域に可能なかぎり近づけようとする試み」に、当初は悪意はないのだろうとは思う。

だが、近代に生産された神話主義はたいていの場合、ただの「理屈マニア」とか、「ヘリクツ大好き」というレベルでは終わらないし、終われないのである。
なぜなら、「観念の中で人間を神の領域に近づけようとするプロセス」にたずさわることそのものが、「セレブリティという発想の導入」という「選抜行為」、「選抜意識」を、非常に誘発しやすいからだ。

神話主義がやがて、「特定の人間だけが、神の領域に近づくことができる」という発想に腐敗し、さらに「特定の人間は、神の領域を独占してもかまわない」とか、果ては「自分こそが神だ」とかいう危険な発想に堕していくのにそう時間はかからないのが、これまでの人間の歴史の哀しさというものだ。
ほっておけばヒトは、自分勝手に我田引水的な方向に解釈を修正し、理想をなしくずしに堕落させ、努力を忘れ、努力を必要としない「特権」を発明し、さらに不正をはたらいて、特権を維持しようとする。そういう「脆弱さ」は、「近代人が普遍的にもっている欠点」である。

ヨーロッパ近代において民衆は、王権を排除し、「王様だけが世の中を支配する構造」を否定してきたわけだが、その次に訪れたのは、必ずしも「誰もが公平に扱われる世の中」などではなく、むしろ「誰もが王様になりたがる世の中」でしかなかった部分が多々あることを忘れてはならない。
これは「モダニズム以降の世界」がずっと抱えてきた「なかなか直らない欠陥」のひとつだ。トロイの木馬がOSの脆弱性を突くように、モダニズムはこれまでその脆弱性を何度となく突破されている。


そもそも「近代に誕生したユートピア発想」というものは、バラ色の未来だの、「人畜無害」「温厚」「安全」だのと、ポジティブなイメージ満載でイメージされるが、それは非常に大きな「誤解」だ。
例えばカルトやテロの典型的発想は、「ユートピアは現状の醜悪きわまりない『現実』を破壊することで、はじめて実現される」というものなのだ。
つまり、近代のユートピア発想の実態は、穏やかそうにみえる表層とはうらはらに、その裏に「破壊衝動」 や 「不正」 が隠されており、異質な裏表が一体となった、いわば 「ジキルとハイド的思考」 なのだ。

また、近代人の思考方法や生活形態は、今のところとても未熟で、理想追求型社会に長期間耐えられるようにはできていない。
これからのよりよい未来を築く上で最も必要なアイデアは、社会を驚かすような建築物でも、トリッキーなデザインでも、革新的な社会変革理論でもなく、単に「人間の内面性そのものをもっと改善すること」ではないかと言われることが多々あるのは、そのせいだろう。


近代ドイツの神話主義は、ある種の「ハーメルンの笛吹きそのもの」であり、ドイツはこの「笛を作って、吹いてまわる行為(=他人を従わせる『理屈』をつくって、それを輸出する行為)」が大好きだ。と、同時に、近代ヨーロッパは「ドイツ製のハーメルンの笛を聴くこと(=輸入)が大好き」だった。
(注:かつて書いたように、今のイギリス王朝は「ドイツ系」であり、アメリカ独立戦争において、独立を阻止したいイギリスはドイツ人傭兵を数多くアメリカに持ち込んだ。さらに今のアメリカで最も多いのがドイツ系アメリカ人であることも、頭の隅に入れておくべきだろう。
参考記事:2014年12月5日、シェークスピアも予期できなかった、527年後の復讐劇。21世紀版 『リチャード3世』。 | Damejima's HARDBALL
参考記事:2012年7月16日、『父親とベースボール』 (4)アメリカにおけるドイツ系移民の増大。18世紀ドイツの美術史家ヨハン・ヴィンケルマンが欧米文化のルーツとして捏造した「白いギリシア」。 | Damejima's HARDBALL


蛇足だが、映画『地獄の黙示録』をドキュメンタリー映画だと思っている人も多いかもしれないが、あれはイギリス人作家ジョセフ・コンラッドのアフリカを舞台にした文学作品 『闇の奥』 をフランシス・コッポラがヴェトナム戦争に翻案した作品であって、戦争ドキュメンタリーではない。
コッポラ版では、戦場で19世紀ドイツの音楽家リヒャルト・ワーグナーの『ワルキューレの騎行』を聞きながら戦争行為をするという「設定」がウケたわけだが、少なくとも白人側の「自らを神話化しようとする行為」を描くにあたって、コッポラが近代ドイツ神話主義を育んだ19世紀のドイツ音楽を選んだことは、非常に意図的で明晰なチョイスであったといえそうだ。

フォルクスワーゲンの直近10年間の株価推移
フォルクスワーゲンの10年間の株価推移

October 26, 2015

MLBもあとはKC対NYMのワールドシリーズを残すのみで、やることは何もない(笑)暇なので、日本シリーズのデータを眺めてみた。ちょっと気になることがあった。


まず、大づかみに言うと、いまソフトバンクがホームで連勝し、早くもヤクルトを圧倒しかかっているわけだが、データだけ眺める限り、ソフトバンク側のヤクルト打線に対するスカウティング「だけ」が正確で、ヤクルト側のそれは「雲をつかむように曖昧かつワンパターン」で、両者にはすでに雲泥の差がついているようにしか見えないのだが、どうだろう。
例えば、ヤクルトの投手側の対応で「なるほど」と思わせられた点は、ただひとつ、「ソフトバンクの中軸のひとりである柳田に、インハイのボール球でポップフライを打たせるという攻めを発見していること」という点くらいで、あとは「何もない」のである。
対してソフトバンク側は、どうも「ヤクルト打線の欠点をすべて把握して戦っている」ように見えるのである。


なぜこんなに「戦いの中身に差がついている」のだろう。

ブログ主は「配球」についつい目がいくわけだが(笑)、なんせ日本シリーズのデータを見るまで、ヤクルトの正捕手が相川でなく中村悠平という選手であることを知らなかったくらい、いまの日本野球にうとい(笑)
まして、彼が『世界野球プレミア12』代表に選出されるほど将来が期待されている日本でも指折りの若手キャッチャーであることなど、まったく知らなかった(笑)無知のくせに記事を書いて、ほんとうに申し訳ない(笑)


それにしても、中村悠平の出すサインの「リズム」に、「昔どこかで嗅いだことのあるデジャビュ感が非常に強くする」。このことに、ちょっと驚かされた(笑)
おそらく同チームの先輩・相川や、例のダメ捕手さんにも通じる「同じ系統のなにか」(笑)を持っているからだと思うのだが、それでも、以下の記事にみられるように、日本の野球メディアや評論家には「中村悠平のリードのセンスの良さ」が「絶賛」されているようだから、わからないものだ。

これはいよいよブログ主の時代は終わったのかもしれない(笑)


さて、冗談はさておき、以下の4月22日神宮球場のヤクルト対巨人戦のスポニチ記事を見てもらおう。
3対2とヤクルトのリードで迎えた6回表、一死満塁でバッターは長野だ。カウント2-0から、ストライクが欲しい3球目にシンカー。これを長野が空振りすると、続く4球目5球目もシンカーで、結局長野は「3球連続の空振り」で三振に打ち取られた、らしい。

この「3球連続シンカー」というリードが、「意外性のある、センスのいいリード」と絶賛されている。

ブログ注
これまで何度も書いてきたことだが、もしこれがMLBなら「カウント2-0」のような「ボール先行カウント」は「典型的なファストボール・カウント」なのだから、「投手がストレート系を投げる確率」は非常に高いと断定できる。
参考記事:2013年3月8日、Fastball Count、あるいは日米の野球文化の違いからみた、WBCにおける阿部捕手、相川捕手と、田中将投手との相性問題。 | Damejima's HARDBALL
だが、なにせ上の記事が扱っているヤクルト対巨人戦は「日本のプロ野球」の話なのだから、たとえ「ボール先行カウント」であっても、「投手が変化球を投げてくる確率はけして低くない」と思うが、どうだろう。
また、問題は他にもある。「バッターが、アウトコースの変化球に超弱い長野だ」という点だ。この長野というバッターが外の低めの変化球に泳いで簡単に凡退するクセのある非常に安っぽい打者であることは、いまや子供だって知っている。追い込んで「外の変化球」さえ投げておけば、このバッターは泳いだスイングで簡単に空振り三振か、内野ゴロに凡退してくれる。そういう打者を変化球で三振させたとしても、それを絶賛する必要がどこにあるだろう。


上の記事に中村悠平のこんなコメントがのっている。これだけを読むと「なるほど」とか思いかねないが、日本シリーズ第1戦の結果に照らして読むと、非常に辻褄があわないことがわかる。

「高校のリードはシンプルで、打者が合っていない球を続けるのが基本でした。でもプロは1球目に遅れても同じ球を続けたらドンピシャのタイミングで打ち返されることも珍しくない。前の反応を鵜呑みにはできないし、同じ球を続ける時はより慎重にならないとダメ」

「リードに正解はないけど、抑えるポイントとしてはっきりしているのはインコースの使い方。どれだけバッターに内を意識させられるかで攻め方の幅も大きく変わってくる」
【プロ野球】解説者たちが絶賛した好リード! 好調ヤクルトに中村悠平あり|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Baseball (ライター:谷上史朗)


4月にこういうコメントをしていた中村悠平捕手だが、この日本シリーズ第1戦で彼は、以下にみるような目に遭って、敗戦を喫している。ぜひ、上の記事と下の記事を連続で読んでもらいたい。

1回裏・李大浩の二塁打
カウント1-0から、2球目・3球目と「同じ変化球」を連投。2球目こそ空振りだったが、3球目はライト線に軽打され、ツーベース
4回裏・松田のソロホームラン
カウント1-1からの3球目は、内角に食い込むスライダーで、しっかり腰を引かせた。だが直後の4球目、松田は、けして甘いコースではない「外角低めのシンカー」に踏み込んでホームラン
ヤクルト中村が得た2つの収穫 デホの駆け引きと松田の決め打ち ― スポニチ Sponichi Annex 野球 (ライター:山田忠範)


ブログ主の考えでは、上の2つの「事件」のうち、「第1戦で、松田にアウトコース低めの変化球をホームランされた」ことは、中村悠平が「自分の手の内の引き出し」がまったくプロに通用していないことがはじめて彼自身にもわかって、萎縮した、という意味で、ヤクルトの日本シリーズにとっての「致命傷」になったと思う。
その理由を以下のデータから感じとってもらいたい。「日本シリーズ第2戦」における松田選手への配球だ。

ヤクルトバッテリーは第1戦で松田に「インコースに捨て球を投げてえぐってみせた直後に、勝負にいった弱点であるはずの『アウトコース低めシンカー』をホームランされている」わけだが、その後、中村悠平が「松田のインコースにまったく配球しようとしていない」ことは、このデータからして明白だ。
(7回裏オンドルセクが2球目にたった1球、松田のインコースを突いているのだが、これは明らかに単なるカウント稼ぎの意味しかなく、勝負球ではない。勝負は次の3球目、ありきたりなアウトローのフォークだった)

20151025日本シリーズGame2 4回裏 小川 vs 松田4回裏
2ランホームラン直後
無死走者なし
センター前ヒット

20151025日本シリーズGame2 5回裏 秋吉 vs 松田5回裏
2死満塁
三振

20151025日本シリーズGame2 7回裏 オンドルセク vs 松田7回裏
1死2、3塁
レフトフライ


中村悠平が「松田のインコース」に絶対に配球しようとしない理由は、子供でもわかる。「データ上、松田が『右投手のインコース』に非常に強いバッター」だからだ。
と、同時に、「データ上、松田は『右投手のアウトコース』の球で合計43三振もしているバッター」でもある。だからアウトコースばかり投げて「逃げ」たがる。(データ例:松田 宣浩【ソフトバンク】 コース別(ゾーン別)打率・成績


だが、である。

現実の野球では、どうだ。

ヤクルトバッテリーは、「データ上、アウトコース低めでうちとれるはずの松田」に、その「アウトコース低め」を「ホームランされている」のである。


その理由は、これまた子供でもわかる。

「インコースをえぐってみせた直後に、『アウトコース低めの変化球』を勝負球として投げてくることが、打者・松田にバレていた」からだ。
そして中村悠平は、第1戦でホームランされて失敗しているわりに、第2戦でもまったく同じ配球をしている。第2戦の5回裏、満塁の場面で「ど真ん中に入ってしまった投球ミスのまっすぐ」をタイムリーされなかったのは、単にバッター松田が「びっくりして打ち損じた」、ただそれだけのことだ。

ちなみにソフトバンクの柳田も、松田と同じ「データ上、インコースの得意なバッター、インコースを苦手にしないバッター」だが、にもかかわらず、ヤクルトの投手のインコースで凡退してくれている。
これは、インコース好きの柳田にインハイの「ボール球」を振らせることに「たまたま」成功しているからだけのことであって、もし中村悠平が意図的にインコースに「ストライク」を集中したら、柳田もインコースを打つようになる。


リードに「絶対」なんてものは、「ない」。
なぜなら、好調時のプロは、たとえ苦手球種、苦手なコースであろうと、「来るのがわかっている」なら、その球をヒットやホームランにできてしまうからだ。
「インコースをえぐってみた」程度のことで鼻高々になって、どうする。「ああ、次は『アウトコースの変化球』だろうな。このキャッチャー、ものすごく単純なタイプだからな」くらい、誰でも考えるのが、『プロ』(とプロの観察者)というものだ。高校野球だの、直らない欠点をもっている二流打者・長野などと一緒くたに語ってもらっては困る。

先日のALCSで「あらかじめ左足を引いておいて、だが体はまったく開かず、わざとヘッドを遅らせてインコースを打ちぬいた」トロントのホセ・ボティースタのホームランの素晴らしいフォームじゃないが、中村悠平には当分「世界レベルのプロの凄さ」は「理解不能」だと思う。



まぁそんなわけで、「こういうパターン配球をすれば打者はひっかかってくれるだろう」なんて鉄則なんてものは「ない」にもかかわらず、強情に同じ「自分の好きな配球パターン」を繰り返したがる中村悠平が「名捕手」だとは、ブログ主には到底、まるっきり、思えない

よくいわれるように、「仕事」というものは「自分のやりたいことをする」ことではなく、「相手が『してもらいたい』と望むことを探りあて、それを実際にやってあげる」ことだ。
それと同じく、「配球」というものの極意は、「自分の好きな、あるいは自分の得意な配球パターンやセオリーをくりかえし実行すること」ではなく、また「相手のデータ上の弱点を突くこと」だけでもなく、「相手の予想や期待に絶対につかまることなく、飄々と裏切り続けること」にある。

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