August 2018

August 28, 2018

以下のツイートについて、ブログでもう少し足りない言葉を付け足しておきたい。




まず最初に注釈。

大嫌いな言葉のひとつに、「持続可能な」というモノの言い方がある。
この記事での「連続性」という造語においては、「持続可能な開発」だの、「持続可能な環境」だのという意味は、まったく、これっぽっちも、含まれない。注意して読んでほしい。強く明記しておく。


「持続可能な」というモノの言い方は、ひとえに「1970年代世代と、いまだにその影響下にある人々が、みずからの思考やの破綻を誤魔化すときに、使ってきた方法」のひとつで、実際には、単なる「妥協点の模索」という曖昧な意味しか持たず、厳密な定義など存在しない。
例えば70年代までにあった過剰なエコロジーブームと先進国における環境に配慮しない開発は、両者が両者とも限界を示した。そのため、彼らはしかたなく、ただ環境保護だけ、または、ただ開発だけに走るのではない「妥協点」を、ちょっと耳障りのいいスローガンとして示してみた、ただそれだけにすぎない。これはいわば「道端の交通標識」に過ぎず、中身は何もない。

80年代以降もエコロジストは、持続可能という言葉と社会批判を場面に応じて都合よく使い分けてきたが、それは、エコロジストの主張では世界がうまく回っていかないことが判明したために作り出した「新しいカラクリ」であり、それは「70年代まで大流行していた左翼思想に、まったく現実性がないことが、80年代以降判明した現象」に似た意味でしかない。



さて、ここから本題。

社会には、「連続性」が不可欠だ。

ここでいう「連続性」とは、最初に書いた「持続可能な」などという陳腐な話ではない。
人間という生物の生存維持シェルターである「社会」は、「連続性そのもの」であり、「連続性」は社会が自己再生産能力を有する連続性をもったシェルターであるための絶対条件である。

この「連続性」は、どこにでもある平凡な家庭、どこの国にもある企業が持つ連続的な「自己再生産能力」をだいたい意味する。
親が子を産み、育て、人が再生産されるプロセスがあるからこそ、社会は「連続性」を維持できている。その単純だか崇高な事実の重要性については、他人と議論する必要など、まったく感じない。



しかしながら、ツイッターでも例を挙げたように、残念なことに、現代社会は多くの「非連続性」に侵食され続けている。


例えば「同性愛」である。
この現象が「社会の平凡さに、どれほど依存して成り立っているか」は、議論を必要としない。たとえその同性愛カップルがどれほど文化的であろうと、関係ない。彼らが「社会の連続性にどっぷりと依存し、連続性の恩恵を受けていること」にまったく変わりはない。


ただ、なにも同性愛や同性婚を撲滅すべしなどと、物騒なことを主張しているわけではない。
そうではなく、「あなたがたは『社会の平凡な連続性』に依存して成り立っているだけの浮草にすぎないこと」を自覚して行動すべきであり、権利ばかり振りかざしてもらっては困る、自分たちのコミュニティにばかり籠らず、『連続性』に明確な形で貢献すべきだ」と言いたいだけである。

だから社会維持の方法論のひとつとして、ブログ主は「同性婚と一般の結婚とは社会的に意味が違うよ」ということを明確に示す制度があっていいと考える。

もう少し具体的に言えば、「ある意味の『差額』みたいなものを徴収させてもらいますよ」というアイデアが存在するほうが、社会的には正しいと思う、ということだ。

例えば、同性愛カップルがあえて養子をとって自分たちの子供として育ててくれるとしたら、国や自治体は「よく決意してくれました」と応援する意味で支援金を贈って支えるべきだと思うし、逆に、同性婚は認めるが「同性婚税」のようなものを別途納入してもらうという自治体があってもいい。他にも、一定のボランティア参加を義務づけて地域社会への参加や交流を促すとか、アイデア次第で、いろいろ「同性婚者の社会の連続性への貢献を義務化する制度」を考えられると思うのだ。

そういう過程で自治体ごとに「制度の違い」ができてくれば、アメリカの州ごとの制度の違いに対する人々の反応と同じで、より負担の緩い自治体に行きたい人はそこに引っ越せばいい。全国のすべての制度がすべて同じである必要など、どこにもない。個人の多様性は最大に認めるべきと主張するが、自治体の多様性は絶対に認めない、全国一律の制度が必要だ、などというワガママきわまりない発想につきあう必要などまったくない。
同性婚の人たちが集中して活性化する自治体が出現すればそれはそれでいいし、そのことが災いして人口が減少し衰退する自治体があれば、それはそれで結果を受け入れるしかない。


「連続性」の侵食の例は、他にも数多くある。

例えば「引きこもり」は、かつての「家庭を持つ」という当たり前のように思われ、実行されてきた幸福の尺度から距離を置く現代的な現象のひとつだ。
もちろん、人が「引きこもり」になるからには、何かやむにやまれない事情があってのことだろう。だが、だからといって、それも文化のひとつだ、しかたない、などと認めるのでなく、ある種の「病」と判定すべきであり、社会の連続性に復帰してもらう方法を模索してもらうべき、というのがブログ主の考えだ。


また、「老人中心社会」も、やはり社会の「連続性」を損っている。

若い世代に「老人のための費用負担」ばかりさせ、他方では、老人ばかりが資産を抱え込んでいて、オレオレ詐欺にばかりひっかかり、クルマを運転すればアクセルとブレーキすら踏み間違え、他人を轢き殺す、というような社会は、やはりどうかしている。
若い世代にこそ、身を立てるための十分なチャンス、例えば教育、技能習得、起業のための資金など、さまざまなチャンスを与え、若い世代の疲弊をもっと真剣に、そして全力で、防止すべきだ。


ロリコン」とかいう現象も、「連続性の侵食」とけして無縁ではない。


結婚できない神父が同性の少年にセクハラするのは、もちろん犯罪だが、見方を変えれば、これほど「社会の平凡な連続性から遠いところにある行為」もない。

ロリコンというのは、「国際的な精神疾患の診断基準にも記載のある『性嗜好障害(パラフィリア)』のひとつで、れっきとした医学的な診断名」らしいが、ロリコンの追い求めるエデンの園は、カトリックの神父が密かに行ってきた悪事と同じくらい、その人を「社会の平凡な連続性から遠ざけている」と思うのである。
(また、あるロリータ趣味の女性のブログによれば、「ロリータは絶望的なほど、男ウケが悪い」らしいが、「社会の平凡な連続性から遠ざけている」という意味では、ロリコン男とロリータ趣味の女性には、どこかしら共通点みたいなものがあるのかもしれない)


ここに書いたことはどれも真っ当な論理の帰結に過ぎない。こんな単純な話を読んで、ウヨクだの保守だのとレッテルを貼るのは他人の勝手だが、そんな間違ったレッテルなど、ブログ主にはまったく関係ないし、気にとめる理由などない。

こんな当たり前のことをまったく突き詰めもせず、将来の日本を考えもせずに、自虐史観、コミュニズム、ジャーナリズム、エコロジーなど、そのときどきの流行の社会観に浮かれて、非連続性ばかり称揚してきた能無しの世代の人間たちが、どれほど馬鹿で、どれほど文化人ぶった、カッコつけのアホウばかりだったか、呆れるばかりである。



社会は、ひとつの生き物だ。

人間の個体と同じで、病をこじらせると元気がなくなる。「連続性」の大事さに配慮もせず、どこかで習い知っただけの新しい考え、新しい趣味、新しい流行とやらに熱中して、社会を病気にするのはもうやめてもらいたい。

社会はもっと、ごく普通であることの意味を評価すべきだし、ごく平凡な笑顔のある家庭の重要さを認めるべきだ。

August 05, 2018

2016年に、イチローブライス・ハーパーの打撃フォームを比較してこんな記事を書いた。

2016年4月27日、「手打ち」と「イチロー」の違い。MLB通算2943安打にみる今シーズンのイチローのコンタクト率が異常に高い理由。 | Damejima's HARDBALL

イチローとブライス・ハーパー フォーム比較



ブライス・ハーパーの打撃フォームでは、以下の連続写真でわかるように、「カラダがバットと一緒に旋回」している。これは別に珍しいことではない。

ブライス・ハーパーのバッティング・フォーム



こんどは、2018年8月3日に大谷が1試合2ホームランを打ったゲームの「2本めのホームランのフォーム」と、ブライス・ハーパーを比べてみる。

大谷とブライス・ハーパー比較


言わなくてもおわかりだろう。
大谷は「イチロー風」に、「カラダを旋回させずに」スイングしている。ピッチャーはクリーブランドのマイク・クレビンジャーだが、彼が「あっ」と思った瞬間には、実はもう、とっくに「スイングは終わって」いて、ボールは左中間スタンドに一直線に向かっているのである。


ついでだから、イチローと大谷も並べてみる。
両者とも、「カラダがバットと一緒に旋回しない」ことがわかる。

大谷とイチロー比較



ただ、バットに当てた後、ここからが
大谷は、イチローと違う。

大谷のフォロースルー


試合後、マイク・ソーシアが2本めのホームランについて、「まるで右のプルヒッターみたいな打球」とコメントしているが、それは、こと「打球の質」については、まったくそのとおりなのだ。

というのも、2本めのホームランでは、ミート後に「腰が大きく開いて」、バットを振り切ったときには「カラダ全体がセンター方向を向いて」いるほど、カラダが開いているからだ。こういうフォロースルーはイチロー風ではない。
こういう「大きなフォロースルー」や「腰の開き」は、「右のプルヒッターによくありがちな、大きなフォロースルー」だ。
だから、打球の質も「右のプルヒッター風」になる。(こうした大きいフォロースルーは、大谷がMLBに行ってから始まったのではなく、日本でプレーしているときから既にこうだった)


だから、言ってみれば大谷は、「バットに当てるまでは、左打者イチロー風に」、そして、「バットに当ててからは、右のプルヒッター風に」スイングしたのである。なんとも器用な男だ。


本来なら、左バッターの右足は、右バッターの左足より、外旋しにくい。だから、左バッターの打ち方と右バッターの打ち方は違ってくるのが普通だ。右バッターは概して「腰が開きやすい」のに対して、左バッターはそれほど「腰を開かないまま」で打つことができる。


だが、大谷は、「右バッターと左バッターをミックスしたように打つ」ことができるのである。

このことは、大谷のスイングスピードの速さもあって、スローで見ないとわかりにくい。通常の速度でになにげなく見ているだけだと、大谷が右のプルヒッターがよくやるように、大きく腰を開いて打ったように見えるのである。


この「ミックスした打ち方」が、「意図的なもの」であることは、以下の記事の記述から、間違いない。

「試合前のフリー打撃では、早めに始動して右足を着地し、内側からバットを鋭角に振り下ろす動作を繰り返した。」
ソース:大谷に変化する勇気、イチロー式ダッシュ導入2桁弾 - MLB : 日刊スポーツ


ただ、上の記事では、「イチロー風のダッシュ」などと、くだらない点に着目して記事を書いているのだが、そんなことはどうでもいい。
「右足を、打撃フォームの非常に早いタイミングで着地し、スイングを早めに起動して、腰を開かないままバットを振り切っておくこと」が、「イチロー風」なのだ。

damejima at 07:03
大谷翔平 

August 04, 2018

ホームゲームを57ゲーム消化した時点でのマイアミ・マーリンズのホームゲーム観客数は以下のようになっている。
2017年 総数1,184,305人 1試合平均 20,777人
2018年 559,131人 9,809人

2018 Major League Baseball Attendance & Team Age | Baseball-Reference.com


総数で「625,174人」減り、1試合平均でも「10,968人」減っている。と、いうより、簡単にいえば、「観客数が半減した」のである。


こうなった理由は、言うまでもない。
デレク・ジーターが、チームをなんのメドもなく、無意味に解体したからだ。
2017年12月22日、ジェフリー・ローリアとまるで変わらないファイアーセールでマイアミ・マーリンズ再崩壊をまねいたデレク・ジーター。 | Damejima's HARDBALL


これを、ジェフリー・ローリアが悪名高いファイヤーセールをやってチームを解体した2012年の翌年、「2013年の観客数の減少ぶり」と比べると、今のマイアミの惨状はもっとハッキリわかる。

2012年シーズン終了時点 観客総数2,219,444人 1試合平均 27,401人
2013年 1,586,322人 19,584人


2012年にローリアがあの悪名高いファイヤーセールをやった翌年、マイアミの観客総数は「633,122人」も減った。

対して2018年は、57試合消化時点の観客減少数はまだ「56万人減」にとどまっているが、これからまだ24試合ものホームゲームを消化するわけだから、「1試合につき、1万人ずつ観客減少数は増えていく」ので、2018年終了時点のマイアミの観客減少数は、「56万人プラス24万人」で、なんと「80万人の大台」にのってしまうことになる。



別の角度から見てみる。

2013年の観客減少数は、1試合あたり「7,816人」の減だが、この減少数は、前年の1試合平均観客数27,401人の「28.5%」に過ぎない。

対して、2018年の観客減少数は、1試合あたり「10,968人」であり、これは前年の52.8%減という、とてつもない減少率なのである。

つまり、ローリアのファイヤーセールでは、観客の「4人に1人」が呆れて球場に来なくなったが、ジーターのファイヤーセールでは、残ってくれていた観客のうち、「2人に1人」が呆れて球場に来なくなったのである。



これを異常事態と思わないとしたら、どうかしている。もし来シーズン、1試合あたり5000人程度の平均観客数になったら、MLB機構はデレク・ジーターに辞任を要求すべきだ。当然である。

ハワイ移民150周年
No Ichiro, No watch.

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