November 2018
November 04, 2018
この秋、最も強く意識したことは、
今にして思うと、なんでこんな簡単なことを今まで気づかなかったのだろう。
野球はチームスポーツなのだから、選手個人個人のプレー分析だけで、ゲーム結果が評価できるはずもない。にもかかわらず、「チームのチカラ」の判定は、評価の表面に現れてはこない。
(もちろん、言うまでもないことだが、個別のチームは内部に「他チームのチカラを分析した非公開データ」をたくさん持っているはずだが、それらは色々な意味で「一般化」されてはいない)
ボストンが地区優勝監督であるジョン・ファレルをクビにして、ワールドシリーズを勝ったヒューストンからアレックス・コーラを監督に迎えたが、これはつまるところ、「チームのチカラ」を向上させるための策であり、この他に類を見ない試みは、2018年のワールドシリーズ優勝で早くも結果が出た。
真逆のケースでいえば、テキサスが強かった2010年代初頭に、短期決戦の才能が皆無なロン・ワシントンが監督としてワールドシリーズ制覇を2度も逃している例がある。このケースではテキサスは解雇どころか、ワシントンに2015年までの契約を提示して、結局チームの「プライムタイム」を無駄にした。テキサスには、ボストンのような才能、つまり、チームのチカラを見極める才能がまったくなかった。
NPBの広島が、この3年間リーグ連覇を達成しながら、一度も日本シリーズを勝てていない。これもロン・ワシントンとほぼ同じで、「短期決戦におけるチームのチカラの欠如」が原因だが、監督はクビになっていない。
この短い紙幅と足りないアタマで、「チームのチカラ」とは何か、そして、それを測定する方法論を論じきるのは無理な話だが、少なくとも言えることは、OPSにみられた打率軽視のホームラン主義はむしろ「チームのチカラ」の向上にとってマイナスであることがハッキリした、ということである。
日本シリーズ2018において広島は、非常に低打率の打者ばかりが並んでいる低調な打線において、必死になって盗塁しようとしたわけだが、そういう行為には意味がない。
なぜなら、たとえほんのわずか盗塁が成功したとしても、次の打者にタイムリーが出るような打線状態ではないからだ。
2018年のヤンキース打線にしても、「アダム・ダン的な低打率ホームランバッター」ばかり並べたわけだが、そんな「確率の低いことに命をかけるギャンブル戦略」でタイムリーが頻繁に出るわけはない。当たり前の話だ。
参考記事:2014年10月20日、やがて悲しきアダム・ダン。ポスト・ステロイド時代のホームランバッター評価の鍵は、やはり「打率」。 | Damejima's HARDBALL
レギュラーシーズンは、他チームをロクに分析しもしない、あるいは、分析できていてもそれを確実に実行する能力のある選手がいない、あるいは、分析の必要性はわかってはいるが資金が無い、そういう「チグハグなチーム」を、シーズンの半分以上のゲームで相手にする。
だから、ヤンキースのような「100年前のベーブ・ルース時代そのままの、あまりにも古くさい編成」や、ロン・ワシントンや広島のような、「選手頼み、運頼みのチーム運営」でも、なんとかなってしまう。
だが、ポストシーズンはそうはいかない。
ポストシーズンでは、相手の戦力分析くらい、どこのチームでもやる。また先発投手のレベルも上がる。
当然、(普通なら)主力打者の打撃は封じられ、お互いの打線が低調に推移することになるから、先発投手の出来や、継投タイミングなどがゲームを大きく左右する最大のポイントになる。
打線では、レギュラーシーズンで大活躍した主力打者でも、弱点ばかり突かれるポストシーズンでは絶不調に陥ることがよくある。かわりに、分析のメインの対象にならないダークホース的な選手が意外な活躍をみせることも多い。調子の最悪なレギュラー打者(例えば広島の菊池)を上位打線に残すべきか、残すとしたら、どんな仕事をさせるかもポイントのひとつになる。
こうして眺めたとき、「互いのストロングポイントを封じあう」のが当たり前のポストシーズンにおいて、ゲームを左右する「チームのチカラ」のかなりの部分が、「戦略決定者の状況判断能力」なのがわかる。(決定者は監督とは限らない)
選手個人のチカラ以外の、「チームのチカラ」に関する議論が必要なときにきていると思うし、数字で知りたいとも思うわけだが、同時に、それは簡単ではないとも思う。
たしかに、あの監督は継投が上手いとか、選手からの信頼が厚いとか、あのジェネラル・マネージャーはトレードが上手いとか、そういう「印象論」には意味がないが、では、何を対象に、どう測定して、どう語るか。それは簡単なことではない。また、セイバーメトリクスもそうであるように、数字にできたからといって、数字の根本に錯誤があれば、その数字は客観的ではない。数字にも「洗練」「見直しの繰り返し」が必要なのだ。
今の自分にできることが、例えば日本シリーズの個々の場面で、「チームのチカラ」に関する状況判断の正しさや間違いを、根拠を挙げつつ指摘することくらいしかないのは、たいへん残念だ。
誰それのポストシーズン継投成功率は何パーセントだとか、トレードへの投資がチームにもたらした貢献度が何パーセントとか、そういう「誰でも思いつく簡単なことを手始めに、「チームのチカラに関する分析」だけでなく、「チームのチカラにかかわる人間たちの能力判定」がもっと進むべきだと思う。
野球ファンにとって、「データ」といえば、「個人データ」、つまり、選手のプレーを分析したデータに過ぎず、それはゲームを決めているすべての要素ではまったくないということだ。
当たり前なのだが、野球に必要なチカラが、「個人のチカラ」と「チームのチカラ」の2つだということに、あらためて気づかされる。
— damejima (@damejima) 2018年10月28日
そして、データ、データと、もてはやすクセに、「チームのチカラ」の測定はほとんどされてないことに気づいた。たいていのデータは「個人のデータ」なのである。
今にして思うと、なんでこんな簡単なことを今まで気づかなかったのだろう。
野球はチームスポーツなのだから、選手個人個人のプレー分析だけで、ゲーム結果が評価できるはずもない。にもかかわらず、「チームのチカラ」の判定は、評価の表面に現れてはこない。
(もちろん、言うまでもないことだが、個別のチームは内部に「他チームのチカラを分析した非公開データ」をたくさん持っているはずだが、それらは色々な意味で「一般化」されてはいない)
ボストンが地区優勝監督であるジョン・ファレルをクビにして、ワールドシリーズを勝ったヒューストンからアレックス・コーラを監督に迎えたが、これはつまるところ、「チームのチカラ」を向上させるための策であり、この他に類を見ない試みは、2018年のワールドシリーズ優勝で早くも結果が出た。
今年のボストンの打撃スタイルは、ホームラン数こそ全体9位だが、ダスティン・ペドロイア不在にもかかわらず、打点、得点でMLBトップ、打率でもMLBトップ。そして三振数1253は全体5位の「少なさ」と、中身が濃い。
ボストンが、思い切りのいい監督交代で、チーム内のケミストリーとオフェンスの質を劇的に変え、「より多くのヒット、より多くのタイムリーを打っていくことで、着実に打点を稼ぐヒューストン流に転向した」ことは明らかだ。
出典:2018年10月10日、2018年MLBの「チーム三振数」概況 〜 もはや時間の問題の「1600三振」。 | Damejima's HARDBALL
真逆のケースでいえば、テキサスが強かった2010年代初頭に、短期決戦の才能が皆無なロン・ワシントンが監督としてワールドシリーズ制覇を2度も逃している例がある。このケースではテキサスは解雇どころか、ワシントンに2015年までの契約を提示して、結局チームの「プライムタイム」を無駄にした。テキサスには、ボストンのような才能、つまり、チームのチカラを見極める才能がまったくなかった。
NPBの広島が、この3年間リーグ連覇を達成しながら、一度も日本シリーズを勝てていない。これもロン・ワシントンとほぼ同じで、「短期決戦におけるチームのチカラの欠如」が原因だが、監督はクビになっていない。
この短い紙幅と足りないアタマで、「チームのチカラ」とは何か、そして、それを測定する方法論を論じきるのは無理な話だが、少なくとも言えることは、OPSにみられた打率軽視のホームラン主義はむしろ「チームのチカラ」の向上にとってマイナスであることがハッキリした、ということである。
「打率」というものを称揚するひとつの理由は、それが「単なるヒットを打つ能力を示すだけの数字」ではないからだ。きちんとミートする能力は、「さまざまなシチュエーションに対応する複合的な能力の高さ」も意味することが多い。
— damejima (@damejima) 2018年10月28日
日本シリーズ2018において広島は、非常に低打率の打者ばかりが並んでいる低調な打線において、必死になって盗塁しようとしたわけだが、そういう行為には意味がない。
なぜなら、たとえほんのわずか盗塁が成功したとしても、次の打者にタイムリーが出るような打線状態ではないからだ。
ソフトバンク工藤監督の連続バント、スクイズによる得点には、きちんと意味がある。あれだけ両チームが「打率が非常に低い」中で戦っているという認識があれば、下位打線の打順でもあるし、タイムリーを期待しても無意味だ普通ならわかる。
— damejima (@damejima) 2018年11月3日
2018年のヤンキース打線にしても、「アダム・ダン的な低打率ホームランバッター」ばかり並べたわけだが、そんな「確率の低いことに命をかけるギャンブル戦略」でタイムリーが頻繁に出るわけはない。当たり前の話だ。
参考記事:2014年10月20日、やがて悲しきアダム・ダン。ポスト・ステロイド時代のホームランバッター評価の鍵は、やはり「打率」。 | Damejima's HARDBALL
レギュラーシーズンは、他チームをロクに分析しもしない、あるいは、分析できていてもそれを確実に実行する能力のある選手がいない、あるいは、分析の必要性はわかってはいるが資金が無い、そういう「チグハグなチーム」を、シーズンの半分以上のゲームで相手にする。
だから、ヤンキースのような「100年前のベーブ・ルース時代そのままの、あまりにも古くさい編成」や、ロン・ワシントンや広島のような、「選手頼み、運頼みのチーム運営」でも、なんとかなってしまう。
だが、ポストシーズンはそうはいかない。
ポストシーズンでは、相手の戦力分析くらい、どこのチームでもやる。また先発投手のレベルも上がる。
当然、(普通なら)主力打者の打撃は封じられ、お互いの打線が低調に推移することになるから、先発投手の出来や、継投タイミングなどがゲームを大きく左右する最大のポイントになる。
打線では、レギュラーシーズンで大活躍した主力打者でも、弱点ばかり突かれるポストシーズンでは絶不調に陥ることがよくある。かわりに、分析のメインの対象にならないダークホース的な選手が意外な活躍をみせることも多い。調子の最悪なレギュラー打者(例えば広島の菊池)を上位打線に残すべきか、残すとしたら、どんな仕事をさせるかもポイントのひとつになる。
こうして眺めたとき、「互いのストロングポイントを封じあう」のが当たり前のポストシーズンにおいて、ゲームを左右する「チームのチカラ」のかなりの部分が、「戦略決定者の状況判断能力」なのがわかる。(決定者は監督とは限らない)
選手個人のチカラ以外の、「チームのチカラ」に関する議論が必要なときにきていると思うし、数字で知りたいとも思うわけだが、同時に、それは簡単ではないとも思う。
たしかに、あの監督は継投が上手いとか、選手からの信頼が厚いとか、あのジェネラル・マネージャーはトレードが上手いとか、そういう「印象論」には意味がないが、では、何を対象に、どう測定して、どう語るか。それは簡単なことではない。また、セイバーメトリクスもそうであるように、数字にできたからといって、数字の根本に錯誤があれば、その数字は客観的ではない。数字にも「洗練」「見直しの繰り返し」が必要なのだ。
今の自分にできることが、例えば日本シリーズの個々の場面で、「チームのチカラ」に関する状況判断の正しさや間違いを、根拠を挙げつつ指摘することくらいしかないのは、たいへん残念だ。
誰それのポストシーズン継投成功率は何パーセントだとか、トレードへの投資がチームにもたらした貢献度が何パーセントとか、そういう「誰でも思いつく簡単なことを手始めに、「チームのチカラに関する分析」だけでなく、「チームのチカラにかかわる人間たちの能力判定」がもっと進むべきだと思う。