July 29, 2009

トロント第2戦は、大試合である。
いろいろなプレーヤーの、「これから」が、かかっている。
負けたくはない。だが大炎上の可能性もある。
信じるしかない。

ひとりで緊張していてもしょうがない。ちょっと、このブログのことを書いてみる。



このブログをやるきっかけをふりかえってみると、やはりそれはジェイミー・バークなのだと思う。

バークは2007年シーズン、正捕手城島の控え捕手をつとめた。チームはこのシーズン、2位にはなったが、バークの勝率、CERAともに城島より良かった。チームのいわゆる貯金というやつを稼いだのはむしろバークのほうだった。
だが、この頃まだそういうことに耳を貸す人もあまりなく、人々はアメリカで日本で、ひさびさの地区2位という結果に酔った。

2008年になってバークは、どういうわけか、あまりいい成績を残せなかった。ただ、2007年にバークがした仕事の残りは、かわりにジェフ・クレメントが引き継いだ形になり、2007年のバーク同様、マクラーレン辞任の時期以降の一時期には正捕手として城島よりはるかに良い勝率を残した。だが、そのクレメントも膝の故障のため戦列を離れ、チームはシーズン100敗をし、クレメントは2009年開幕時にはマイナーで気持ちを腐らせた。

だが2009年クレメントの仕事を引き継ぐ男が現れた。ロブ・ジョンソン。城島をしのぐ仕事ぶりで、彼は城島を控え捕手に追いやった。

だからある意味、ロブ・ジョンソンのいまの仕事は、バーク、そしてクレメントの仕事を引き継いだ、ということになる。



よく、控え捕手になった城島を、ロブ・ジョンソンと比較する人がいる。本当に失礼な人間がいるものだと思っている。
ロブ・ジョンソンを持ち上げたいから、ではない。理由はほかにある。

ジェイミー・バークは2007年には最初の1ヶ月はOPSが1.000を越えていたり、2009年でいえば、ヘルナンデスと組んだバッテリーの防御率がロブ・ジョンソンを超えていたりする、ちょっと不思議な中年おじさんである。だが、そんなデータなどより、もっと、ずっとずっと大事なことを、ジェイミー・バークは達成してみせた。

それはこういうことだ。
バークは、正捕手城島が休んだゲームをまかされていたわけだが、たとえそれが豪腕ヘルナンデスでれ、当時まだローテ投手だったバティスタや、ホラシオ・ラミレス、若いフィアベント、ベク、誰であれ、「裏ローテだから勝てるはずがない」とか、「今日はたまたまヘルナンデスがまわってきたから勝てて運がいい」とか、そういう意味のわからない気持ちの浮き沈みを、ゲームでまったく感じさせたことがない。


そう。
控え捕手として、城島と比べるべきなのは、最高の控え捕手ジェイミー・バークだ。バークを越えてから文句を言え、と、言いたいのである。

バークは2007年はじめに炎上王ウィーバーをまかされたときも、「こんな先発投手、負けてあたりまえ」などと、そんな気分をまきちらしながらゲームに臨んだりはしなかった。ロブ・ジョンソンも今年まだ控え捕手だった時代、炎上王シルバのボールを受けていたことがあったが、シルバにさえ1年ぶりの勝ち星を演出したりしたものだ。

バークは控え捕手であることで腐ったりすることはなかったし、マイナーで練習を怠ったりもしていない。

いつぞや、城島が今年最初のDL入りをしたときに、バークがマイナーから上がってきた日のゲームのある光景をいまも忘れない。
打席に立った彼が、ファーストに向かって走ったときの、あの、早さ。(もちろん彼なりの、という意味の早さであって、イチローのホンモノの速さとは違う)2007年に鈍足で知られていた彼が、長い時を経てフィールドに帰ってこれるまでの長い時をどう過ごしていたか、それがわかる走塁だった。
問題なのは、凡打だったかヒットか、そんなことではなくて、彼がグラウンドだかジムだかでやったダッシュの本数だった。



ジェイミー・バークは、たしかに年齢のせいもあり、おそらく正捕手としてシーズンいっぱいプレーし続けていくのは無理なのだろう。
だが「控え捕手として」という条件なら、誰がなんといおうと、彼バークは「世界最高クラスの控え捕手」だ。今シーズンだって、CERA3.00前後という素晴らしい数字を残して、ひっそりマイナーに落ちていった。
CERAだの、勝率だの、そんな木っ端のようなデータだけで言うのではない。そんなものは彼の結果を表した、ただの数字の羅列に過ぎない。
そうではなく、彼の、ゲームに対する静かな湖の水面のような抑えた情熱の価値、控え捕手としてのプライドあるゲームぶりが、なぜわからないのか、と言うのである。



控え捕手城島が成すべき仕事がいまあるとすれば、それはロブ・ジョンソンと対比した何か、であるはずがない。
世界最高の控え捕手、ジェイミー・バークの、あの、2007年に見せたひたむきさ。2009年にコールアップされるまで耐え抜いたバークの、腐らないで気持ちを維持して努力し続けたひたむきさ。2009年にコールアップされてから、黙々と城島の復帰までチームを支え、マイナーに去っていったバークのひたむきさ。
そういったものを越えないまま何年もプレーしておいて、いまさら控え捕手のどこか不満か。

シアトルの控え捕手とは、バークにしてみれば、彼の築いた「名誉あるポジション」であって、城島のような不名誉なプレーヤーにはふさわしくない。


野球の勝ちに、表ローテの1勝も、裏ローテの1勝も、関係ない。1勝は1勝。控え捕手の最初の仕事、最初の目標は、「最高の控え捕手になること」だと、バークが教えてくれた。

世界最高の控え捕手、バーク。
たとえ彼に可能な究極の目標が、正捕手の座でなく「最高の控え捕手になること」であったとしても、僕は彼を応援することをやめようとは思わない。






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