USメディア、アメリカのスポーツ記者

2019年1月22日、殿堂入りしたロイ・ハラデイの「義理堅いフォロワー」。
2018年4月24日、批評根拠が明示されない煽り記事を掲載し続けるシアトル・タイムズと、それを受け売りして印象操作している日本メディア。
2018年1月26日、FA市場を凍りつかせたデレク・ジーター。
2014年9月17日、ヤンキースに移籍後、出場ゲーム数、ヒット数、盗塁数で、イチローがチーム1位、というエライアスのデータ。
2014年9月13日、「姿勢」が、ジャーナリズムだ。
2014年7月16日、今季引退するジーターに「打ちやすい球を投げた」と発言したアダム・ウェインライトの顔面蒼白。
2014年4月7日、下降線をたどらない限り分析が開始されないアメリカ。
2014年2月2日、内野手の整備を通じてテキサスをポストシーズン常連チームに押し上げることに貢献したマイケル・ヤングの「キャプテンシー」は、内野崩壊とカノー流出を食い止められないデレク・ジーターの見かけ倒しのキャプテンシーよりはるかに優秀だ。
2013年9月30日、シアトル・タイムズのスティーブ・ケリー退社、ジェフ・ベイカー異動、そして、マリナーズ監督エリック・ウェッジ退任。
2013年7月8日、スタークが「1996年以来の5試合連続HRなし」というけれど、96年ヤンキースはそもそも少ないホームラン数でワールドシリーズに優勝したチーム。
2013年1月25日、「本来のアメリカと比べると、今年のアメリカは小粒だ」、という意見の、あまりの「小粒さ」。
2012年6月11日、「見えない敵と戦う」のが当り前の、ネット社会。
2012年5月22日、1イニング3者連続ホームランの最初の2本を、なんと連続キャッチした20歳の男の「途方もない運」。
2012年3月30日、「スポーツ・イラストレイテッドで書く」という夢を実現し、卒業していく Joe Posnanski。
2012年3月26日、ありがとう、シアトルのビートライターたち。
2012年2月22日、beat writerの「ビート」とは、「受け持ち区域」のこと。
2012年2月2日、Hutch賞を受賞したビリー・バトラーが「お手本にした」と語るマイク・スウィニーの素晴らしい足跡。スウィニーの苦境を救った「タンデムの自転車」。
2012年1月29日、 「ヘスス・モンテーロが将来ヤンキースのキャッチャーになると思ったことは、まったくない」 ヤンキースにとってモンテーロが最初からトレードの駒にすぎなかったことを示すボストン新監督ボビー・バレンタインのコメント。
2011年11月22日、MLB時代のダメ捕手城島を「NPBの野手獲得の代表的失敗事例のひとつ」としたSI.comのTom Verducciの記事の訳文を正す。
2011年6月24日、「ライナーが多いとヒットも多いはずだが、ハンリー・ラミレスやイチローは例外」と分析をあきらめた(笑)ニューヨーク・タイムズの記事。
2011年2月18日、「目」をダメにする「数字というメガネ」。
2010年12月29日、ケン・バーンズの"The Tenth Inning"が日本の元日に放映されるらしい。
2010年10月19日、気になるのは、シアトルの新監督に決まった元クリーブランドのEric Wedgeと、2007年からクリーブランドのフロントに入ったKeith Woolnerの関係。
2010年10月19日、やっぱりデレク・ホランドは、いい。ALCS Game 4。
2010年9月15日、イチローにケチをつけようとして大失敗したRob Dibbleと、イチローを賞賛したRob Neyer、「2人のRob」のどちらが「いまどきの記者」か。
2010年9月10日、「例の」ピーター・ギャモンズがショーウォルターとオリオールズについて、ちょっといい記事を書いたので、困った、という話。
2010年4月2日、野球のプレーに大きなジェスチャーが取り入れられたのは、いつなのか。あるいはダミー・ホイの歴史的意義。
2010年3月27日、ウオッシュバーンの「出戻り」契約の中途半端な現状をあえて記事にしてくれたJim Streetの心温まるライティング・スタイルに感謝の言葉を。
2009年12月20日、年を越す前に今年4月23日のU.S.S. Marinerのナンセンスな城島擁護記事を笑っておく。
2009年11月30日、Bleeding Blue and Tealの終焉を見送る。
2009年8月24日、ジャーナリスト気取りのクセに認識不足だらけのシアトル地元記者のイチローへのやっかみを笑う。
2009年8月3日、とあるアメリカ人の描く「トレードに直面した野球選手の旅」
2009年7月25日、議論するまでもないダメコラムニストに、勝者と敗者、どちらがここを出て行くべきか、勝手に答える。Everyone knows which should go out of here in baseball, winners or losers.
2009年6月15日、ニューヨークタイムズはCERAの観点から、捕手ポサダの能力に疑問を投げかけた。
2009年3月31日、ベイカーはさっそく城島の上達しない語学力を「ジョー」と呼んで皮肉った。
2009年2月28日、シアトル関係者は城島のWBC参加をどう感じているのか、ベイカーが記事にした。
2008年9月7日、フィアベントはマイナー時代からラヘアと2人で鍛えた「バックドア・ピック」を決めた。
2008年7月23日、リグルマンは「城島の不調はクレメントとは無関係だよ」と苛立ち気味に話した。

January 23, 2019

Roy Halladay(@RoyHalladay)さん  Twitter
ロイ・ハラデイの「2017年11月5日で止まったままのツイッターアカウント」には、いまだに6万4千人ものフォロワーがいる。例えば有名MLBライターのひとり、Jason Starkなども、いまだにフォローしている。理由はいまさら言うまでもない。


自分は、というと、いまはフォローしてない。「好きなプレーヤーだからツイッターをフォローする」という習慣自体が自分にないからだと思う。例えば、もしイチローがツイッターをやっていたとしても、もしかするとフォローしないかもしれないのである。
自分の場合、ツイッターでのフォローはあくまで情報収集が目的だ。フォロー対象は、あくまでKen Rothentahlなどの有名なMLB情報源であり、申し訳なくは思うが、自分をフォローしてくれたMLBファンを相互フォローすることは、ほとんどない。
ちなみに、言い訳がましく書いておくと、Ken RosenthalやJon Heyman、HardballTalk、Bob Nightengaleなんかも、ロイ・ハラデイのアカウントを今はフォローしてない。


いまもハラデイのアカウントをフォローしている人の中には、Jason Starkのほか、引退したMichael Youngや、MLBライターのPeter Gammonsなどがいる。マイケル・ヤングのこういう義理堅いところが好きだ。ちなみに、マイケル・ヤングのフォロワーは4万6千人あまりなので、既に鬼籍に入っているロイ・ハラデイより約2万人ほど少ない(苦笑)



さきほど、ロイ・ハラデイのツイッターをひさしぶりに覗いて、「殿堂入りおめでとう」と言ってみた。いわば「ツイッター墓参り」である。

彼がどういう野球選手で、どういうプレーをしたか、知らないまま野球を見ている人がいたら、どう説明したらいいだろう。よくわからないが、「初めてのポストシーズンのゲームでノーヒット・ノーランをした投手なんだぜ」とでも言えば、少しは興味をひくのだろうか。

そんな短すぎる言葉で彼の本当の偉大さや魅力が伝わるわけはない。本当なら彼がデビッド・オルティーズを手も足も出ないまま三振させた打席の配球なんか見てもらいたいところだが、そういう単純なきっかけで生前の彼に対する興味があらためて湧いてくれたらいいなと思う。

2017年11月7日、大投手 ロイ・ハラデイ。 | Damejima's HARDBALL

メジャーと日本の配球論の差異から考える「城島問題」 『damejimaノート』 序論:2009年9月30日、大投手ハラデイの「配球芸術」を鑑賞しながら考える日米の配球の違い | Damejima's HARDBALL

damejima at 21:10

April 25, 2018

"Maybe number of hits is enough for narrow person in view."  〜 Ken Burns

とりあえず、まずはBBWAA全米野球記者協会)宛にツイートしておいたのだが、最近のシアトル・タイムズのイチロー記事の「失礼さ」は、いくらなんでも目に余る。
自分は「根拠が何も示されない、あるいは、スポーツのデータやセオリーとなんの関連性もない、『個人の好き嫌い』のみに基づくヘイト記事によって、アスリートの尊厳を傷つける行為」を、「スポーツ・ジャーナリズム」だ、だから許される、などと、看過したりはしない。

今後も必要であると感じたら、しかるべき相手にツイートして意図を伝達するなり、ブログ記事を書くなりして、反撃する。



最初に確認しておくが、2018年3月に何度かツイートしているように、ブログ主は2018シーズンのイチローのシアトル復帰について「賛成していない」。

だが、だからといって、自分と根本的に立場の異なる「イチローのシアトル復帰を諸手を挙げて喜ぶファン」たちを、無根拠に批判したり、ディスったり、煽ったりは、一切してこなかった。また、かつてのシアトル・マリナーズの若手再建路線が大失敗に終わったことについても、(それは、ただ単に「めんどくさい」という理由からではあったが)特に強い批判を加えてはこなかった。


だが、このところの「イチローの去就」をめぐると「自称」している記事群と、それを書いている三流ライターたちの「無礼さ」「無神経さ」は目に余る。
それらはもはや「スポーツ記事」でも「ジャーナリズム」でもなく、単なる個人の「好き嫌い」でしかない。「嫌い」という日本語を英語に直訳した場合、「ヘイト」という言葉になるわけだが、こういう「無根拠さ」こそ「ヘイト」と呼ぶにふさわしい。


最初に、日本のメディア記事の「印象操作」について書く。

まず最初に確認しておいてもらいたいことは、このところ「イチローの退団」「イチローのDFA」うんぬんを扱った記事を日米で頻繁にみかけるわけだが、こうした「煽り記事」を必死に生産しているのが、「球団」ではなく、「シアトル・タイムズを筆頭にしたローカルメディアの一群のライターたちに過ぎない」、ということだ。
今後どういう展開になるかはわからないが、少なくとも2018年4月段階でいえば、「シアトル・マリナーズの球団サイド」が(水面下での動きはともかく)表だって「イチローはシアトルにはもはや必要ないから、早くいなくなってほしい」などと表明した「事実」は、どこにもない。

にもかかわらず、日本のスポーツメディアの一部は、彼らの情報源が「シアトルのローカルメディアが連発するヘイト記事」の「聞きかじり」でしかないことすら明示しないまま、あたかも「イチローがシアトル・マリナーズを退団させられるのが、球団の公式な規定路線になっている」かのような無礼な報道を、2018年4月に、複数回にわたって掲載している。

これは明らかに印象操作であり、無責任かつ無根拠な情報の垂れ流しである。



次に、シアトル・マリナーズ球団のイチロー獲得における「責任」について書く。

これは既にツイートしたことの繰り返しだが、ブログ主は、イチローをシアトルに呼び戻した人間には「責任」があると考えている。
なぜなら、ブログ主が2018年3月に行った「Twitterの投票機能を利用した調査」の結果でも明らかなように、「イチローのシアトル復帰を心から喜んだファンが、日本にも、アメリカにも、そして他の国にも、非常に数多く存在する」ことが明らかだからだ。


言うまでもないが、もし「シアトル以外」の他のMLB球団が、イチローを一時的にロスターに入れ、「怪我をしている外野手の復帰まで、ギャップを埋めてもらう」というケースなら、特にエモーショナルになる責任論は発生しない。

だが、ことマリナーズについては、話が違う。

イチローの復帰に対するファンの過剰なまでの反応に、球団が責任を負うことになるのは明らかだ。
「もしシアトルがイチローを呼び戻すようなことをすれば、ファンの間でどういう反応が起こるか」は、マリナーズ経営陣も、そして、無反省なローカルメディアも、あらかじめ理解しておくべきであり、そして、これが他のなにより重要なことだが、「一度契約したならば、それを単に理解するだけでは足りず、イチローとの再契約という行為がもたらすさまざまな結果をも『受け入れる覚悟』でコトに臨まなければならなくなる」、そういう「特別な行為」だったはずだ。

もし、そうした「世界のMLBファンに反応を起こさせることに対する『責任』を負う羽目になる覚悟」が「ない」のなら、シアトル・マリナーズはイチローを呼び戻すようなことをすべきではなかった。

だが実際には、FA市場に外野手などいくらでもいたにもかかわらず、あえて「イチローとの契約」に踏み切ったのだから、当然ながら、マリナーズ側に責任は「ある」のである。
イチローとの契約という「ファンの期待を煽る行為」にあえて踏み切ったシアトル・マリナーズには、イチローのシアトル復帰に賛成か反対かに関係なく、ファン感情を「明瞭な理由なく破壊する」ような無礼な行為は許されないし、あえて契約にふみきったレジェンドに対して、最低限のリスペクトにすら欠けた、ぞんざいな扱いはけして許されない。

そして、事実、2018年4月のイチローは、実際にシアトル・マリナーズの外野のギャップを埋め、スタジアムに客を呼び戻すようなプラスの働きをしたし、他方、ここがこの項目の最も重要な点のひとつだが、シアトル・マリナーズは、(少なくとも契約以降、4月段階まで)球団としてイチローに対する無礼な言動は「なかった」のである。
むしろ、シアトル復帰に賛成しなかったブログ主にすら、むしろマリナーズは今回「イチローをとても丁重に扱っていた」ようにみえている。

だからあらためて確認しておくが、イチローのDFAを必死に主張しているのは、球団ではなく、シアトルのローカルメディアである。このことをファンはよく確認しておくべきだ。


次に、復帰に賛成したファンの「安易さ」について。

今でもブログ主はイチローのシアトル復帰に賛成ではない。そのブログ主に言わせれば、イチローファンのマジョリティや、マリナーズファンとやらの大半がイチローのシアトル復帰を万歳三唱して喜んだ行為は「あまりにも安易だ」と考える。

なぜなら、シアトル復帰というドラマに酔いたいだけの彼らは、「イチローという、50歳現役を目指すアスリートにとって、何が最も良い選択なのか」をきちんと見据えていないからだ。
今回シアトルがイチローをロスターに加えた理由は、「レギュラー外野手が怪我で開幕に間に合わないから」というシンプルなものでしかない。「レギュラー外野手が戻ってくればイチローの立場が微妙なものになること」は、「最初からわかりきって」いたのである。
(もちろんブログ主は、だからといって、マリナーズ側がイチローという選手をぞんざいに扱っていいなどとは、まったく思わないし、また、シアトルの「怪我していたレギュラー外野手」が「イチローより優れている」なんてことは、まったく、1ミリも、思わない)

にもかかわらず、ブログ主のTwitterでの調査で明らかなように、大多数のイチローファン、マリナーズファンは、「イチローのシアトル復帰」を無条件に喜んだのである。ブログ主に言わせれば、それはあまりに「安易」すぎる。
イチローがシアトル退団に追い込まれた2011年から12年にかけ、球団から受けた酷い扱いや、シアトル・タイムズを筆頭にしたローカルメディアの悪質で無根拠なヘイト・キャンペーンを考えれば、シアトル復帰など考えられないとブログ主は思うわけだが、もし今回も、「世間の自称イチローファン」や「マリナーズファン」とやらが、自分たちのレジェンドがローカルメディアに酷い扱いを受けている事実を、「ふたたび」放置し、看過するなら、それはファンとして、あまりに無責任だ。


最後に、シアトルのローカル・メディアの「無礼さ」について書く。

怒りを通りこして、呆れかえる話だが、あるライターがイチローについて「チケットを売るためのサクラ」などと書いたらしいが、無礼にもほどがある。
イチローと契約することを決めたのは、他ならぬ、「シアトル・マリナーズ自身」である。だからローカルメディアがイチロー獲得に同意できない点があるなら、まず「球団を批判すべき」なのであって、ファンの目に触れる公式な場所でマスメディアが無根拠にイチローに対する無礼きわまりない発言をする権利は、どこにもない。
発言に責任がともなうのが、ジャーナリズムというものだ。もし、そういうヘイト発言をどうしてもやりたいなら、シアトルの三流ライターたちはマスメディアを退社し、個人ブログでも始めて、そこでやるべきだ。

アスリートはプレーするために存在するのであって、「チケットやジャージーを売るために存在している」わけではない。もし「レジェンドをチケット販売にだけ利用しようとする、ゲスすぎる球団」があるとしたら、「そういうゲスな球団にまとわりついて、メシを食ってる」のは、おまえら、ローカルメディアのほうだ


彼らがイチローのシアトル復帰にあたって今回のような無礼きわまりない態度をとるであろうことは、一部の熱心なイチローファンなら誰もが予想していた。
なぜなら、彼らは前回2012年のシアトル退団のときにも「まったく同じイチロー・ヘイト・キャンペーン」をやってのけたからだ。(ありもしない襲撃計画だのをでっち上げることまで彼らはしたのである。このことは球団が公式に否定している)

「海外の報道を受け売りしているだけの日本メディア」しか見ていない無知な「自称MLBファンたち」がそうした事実を知らないとしても、それは彼ら自身の責任であって、ブログ主の責任ではない。



前回のイチローのシアトル退団以降に、シアトル・マリナーズは、GMジャック・ズレンシックの首を切り、監督エリック・ウェッジの首を切り、シアトル・タイムズはかつてのマリナーズ記事責任者を配置転換し、一部ライターが退社した。
それらの一連の事実は、かつてシアトル・マリナーズがやった「方針転換」とやらが「巨大な失敗」だったこと、そして、その方針転換を支持し、無批判な態度に終始して失敗を助長したシアトル・タイムズをはじめ、シアトルのローカルメディアが大きな間違いを犯してきたことを意味する。

そうした数々の間違いをあえて刺激的な批判記事にもせず、看過してやったにもかかわらず、シアトル・タイムズがかつてのようなイチロー・ヘイト・キャンペーンを続けるなら、こちらも、球場のリニュアルなどを含めた球団の2012年以降の政策の大半が「いかにして巨大な失敗」に終わってきたかの批判も含め、それ相応の対応をとるつもりだ。


既にツイートしたことの繰り返しになるが、アスリートのプレイについての批判は、それがきちんとした根拠、データ、論理を示したものであるなら、それを攻撃しようなどとは思わない。
だが、シアトル・タイムズのやっていることは、2012年に彼らがやったことと同じで、何の根拠もデータもなければ、なんの倫理もなく、アスリートに対するリスペクトの欠片すらない。


自分はそういう「無秩序な、マナーに欠けた行為」を
許容したり、看過したりしない。


過去の参考記事:
2009年8月24日、ジャーナリスト気取りのクセに認識不足だらけのシアトル地元記者のイチローへのやっかみを笑う。 | Damejima's HARDBALL

2010年9月20日、シアトル・タイムズのスティーブ・ケリーが、"The Tenth Innning"のケン・バーンズと共同監督のリン・ノビックが行った「イチローインタビュー」について当人に取材して書いた記事の、なんとも哀れすぎる中身とタイトル。 | Damejima's HARDBALL

2012年6月11日、「見えない敵と戦う」のが当り前の、ネット社会。 | Damejima's HARDBALL

2013年9月30日、シアトル・タイムズのスティーブ・ケリー退社、ジェフ・ベイカー異動、そして、マリナーズ監督エリック・ウェッジ退任。 | Damejima's HARDBALL

damejima at 05:33

January 27, 2018

2018年冬のFA市場が「凍りついて」いる。

スプリングトレーニングを目前に控えているというのに、有力FA選手の契約先が決まっていない。そのためFA選手の間には、「契約が決まるのを待っていてはカラダを作れないから、FA選手だけで集まって自主的なスプリングキャンプをやる」なんて案すら検討されているという話さえある。


FA市場が凍りついた理由については、これまでいくつかの意見があったが、そのほとんどは的を得たものではなかった。

例えば2017年暮れに、主にマスメディアのライターによって「作られていた意見」は、こんな感じの主旨だ。
少しでも好条件を引き出そうと
代理人が球団となかなか契約しないことでFA市場が停滞した

これについては、「説明」が必要だ。

「代理人」といっても、「今年の有力FA選手の多くを抱える代理人」は、クソ高い契約をしたがることで有名な、あのスコット・ボラスであり、なにも代理人業界全体がFA市場を停滞させているわけではない。

にもかかわらず、MLB関連メディアのライター、例えば、ESPNのバスター・オルニーのような半端なライターが、「代理人」などと、曖昧な書き方で書いたから、読んだ人には、まるで「代理人全体が共同してFA市場を停滞させる、または、停滞を批判している」かのような誤解が生じた。

そのボラス、年が明けたあたりから「FA市場停滞は、オレのせいじゃないぜ」とばかりに「反撃」に出た。ボラスとの契約に応じようとしない球団側をこんなふうに攻撃しはじめたのである。

「チームを強くしよう」という意思がまるでない球団がある。
それはベースボールそのものへの冒涜だ。

この話も、「説明」が必要だ。説明するのも馬鹿馬鹿しい話だが、いちおう説明だけはしておこう。

最初に結論を言えば、スコット・ボラスごときが球団全体をボロカスに言い、自分がベースボールの守護神ででもあるかのようにふるまうのは、まったくもってお門違いだ。

MLBに30もの球団があるとはいっても、すべてのチームがワールドシリーズ優勝を真剣に狙っているわけではない。例えば、「再建中のチーム」はワールドシリーズ出場なんて狙っていないのが当然だし、また、「常に限られた低い予算の中でしか戦えないチーム」もけして少なくはない。

だから、「スコット・ボラスが抱え込んでいる『高額契約が確実視される有名FA選手』と、契約交渉できるチーム」なんてものは、「最初から『予算を潤沢に持っているチーム』に限定されている」のである。説明するまでもない。

もっとハッキリ言うと、「ボラスの有力FA選手と交渉を持つチーム」は、最初から、NYYやLADのような金満チームに限られているのである。
そうした「予算を潤沢に持っているチーム」は、当然ながら「毎年のように地区優勝にからむ」し、「毎年のようにワールドシリーズ優勝をもくろんで」もいる。だからこそ、予算を潤沢に持っているチームは、「チーム強化」を毎年のように懲りもせずやっている。


だから、スコット・ボラスが「チームを強くしようという意思がない球団がある」などと奥歯にモノがはさまった発言をしたからといって、MLBの球団全体の姿勢をボロカスに言っていると考えること自体、間違っている。
ボラスは、実際には、NYYやLADを代表とする「カネを持っている球団」に遠回しにケチをつけているだけなのだ。
もしボラスが「カネがある球団は、もっとカネを使って、金持ちらしくふるまえ」とでも言いたいのなら、誤解をまねくような曖昧な言い方などせずに、NYYとLADを「名指しで批判」すればいいのだ。馬鹿馬鹿しい。


むしろ、ブログ主が、クチの減らないスコット・ボラスと、ボラスと交渉したがる金満球団の、両者に聞きたいのは、
「予算を潤沢に持っていて、チーム強化を毎年のようにやっているチーム」が、近年ワールドシリーズを勝てているのか。

という点だ。この肝心な点を抜きにいくら議論しても、何の意味もない。

たしかに、カネを持っている球団は、地区優勝には毎年からむ。10年か15年に1回くらいなら、ワールドシリーズにも手がかかることだろう。

しかし、だ。

「毎年200M(=2億ドル)以上ものカネをかけて球団を強化し続けている金満球団だけ」がワールドシリーズに出ているか、勝てているか、というと、そうではない。

むしろ、事実は逆だ。

カネを使う前にアタマを使って、10数年に一度のチャンスをモノにした球団だけがワールドシリーズを勝ってきた、それが「この10数年のMLB」だったのではないのか。

(ちなみに、アタマを使うというのは、なんでもかんでもOPSを指標にするかわりに、なんでもかんでもWARでモノを考える、というアホな意味ではない。それが証拠に、「近年にワールドシリーズを勝ったチームのWARの合計」は、けして高くない。つまり、
今のWARなんてものに、それほど正確さなんてものはない
ということだ。このことは稿をあらためて書く)



上の2つの意見パターンは、マス・メディアとボラスがお互いに攻撃しあっているように見えても、実のところは、「お互いが、攻撃対象を巧妙にボカしたり、ズラしたりして、遠まわしの、あたりさわりのない攻撃をしあっているかのように『みせかけている』だけの、毎年のようにやってきたワンパターンなやりとり」にすぎない。
 
マスメディアが、こういう「ワンパターンな、みせかけだけの、やりとり」をしてお茶を濁している間に、「実際の」FA市場は本格的に凍りついた。

そんなとき、Yahoo.comのJeff Passanがこんなソースを提示してくれた。


以下のような意見には、スポーツ専門メディアやスコット・ボラスのウソっぽい世論操作にはない説得力がある。
PITやMIAがチーム再建のために有力選手を大量に放出しているが、そのことがFA市場を冷やしている。


例えば、マイアミ・マーリンズのデレク・ジーターは、チーム予算削減を理由に、ジャンカルロ・スタントンはじめとする外野手3人と、1番打者でセカンドのディー・ゴードンを放出した。
有力外野手が3人も同時に放出された、ということは、当然ながら「デレク・ジーターがFA市場の「外野手の就職先」を、一挙に3人も減らしたという意味になる。
おまけに、PITが放出したアンドリュー・マッカチェン外野手だ。


ならば、だ。
例えばスコット・ボラスが抱えるJ・D・マルティネスのような「高額条件のFA外野手の就職先がなくなってしまう」のは、当然の話だ。

加えて、J・D・マルティネスを「超高額な長期契約がとれる一流外野手」として扱うこと自体、そもそも間違いだ。
マルティネスの打撃成績が一流クラスといえる数字だったのは、「まだ、ほんの短期間」にすぎない。加えて、マルティネスは守備がうまくない。なにより、盗塁が数多くできるような俊足ではないので、センターが守れない。これが痛い。
マルティネスが決まらないうちに、より安いオースティン・ジャクソンがSFGに決まったのも、無理はない。ジャクソンの打撃成績にしても、過去の成績すべてを眺めれば、マルティネスと同じく、去年たまたま数字が良かっただけの眉唾ものともいえる数字なわけだが、なにせ、センターがアホほど広いコメリカ・パークで長年センターを守った経験があるのが大きい。第4の外野手は守備が上手くないと獲得する意味がない。


ストーブリーグが開幕して早々にトレードされたジャンカルロ・スタントンを獲ったヤンキースにしても、話は同じだ。
ただでさえ贅沢税が気になるチームで、ペイロールは常に天井付近にある。なのに、ハンパなマルティネスと違って「本物のスター外野手」であるスタントンを獲ったから、高額の費用を長年にわたって捻出し続けなければならない。(スタントンがアーロン・ジャッジと並んで、どのくらい三振しそうかについては、稿をあらためて書く)

スコット・ボラスにとってヤンキースは「カネをたくさん持っている上得意の交渉相手」なわけだが、スタントンを獲った時点で、高額な外野手など、もう獲れない。
そのうえスコット・ボラスが抱える先発投手ジェイク・アリエッタや、(彼のエージェントはボラスではないが)ダルビッシュなど、高額なFA先発投手にかけるカネなど、どこにもない。せいぜい「低い額でいいなら、おいで」と、粉かけるくらいが関の山だ。(だからこそヤンキースはダルビッシュに「期限つきの低額オファー」なんてものをこっそり出して、あわててひっこめるような「無様なマネ」をした)

つまり、
デレク・ジーターがスタントンを放り出したことによってヤンキースの「自由に使えるカネのレンジ」が大幅に狭まり、そのことによってFA市場の「高額先発投手の売れ行き」にも影響が出た、ということだ。(もちろん、ゲリット・コール放出の影響もあるが、市場全体を凍りつかせるほどゲリット・コールは一流じゃない)



スコット・ボラスはマス・メディアと「馴れ合いの批判合戦」などやっている暇があるなら、デレク・ジーターに苦情電話をかけるべきだ。

damejima at 21:56

September 18, 2014

いいね。こういうデータこそ、日本のメディアは発掘すべきなんだけどね。まぁ、無理だろうな。



damejima at 07:42

September 14, 2014

cover of LIFE Magazine

映画 " The Secret Life of Walter Mitty " を見ていて思ったことは、これまで悪いものと良いもの、両方の歴史がある多様性が 「アメリカらしさ」 だと思ってきたが、それはやはり間違ってない、ということだった。

アメリカには、差別、暴力、貧富、有害な食品、政治的な陰謀、その他、考えつく限りの種類のあらゆる不幸が充満している。

だが、その反面、アメリカは非常に多くの善良さに満ちてもいる。
例えば、アメリカのネガティブな部分を多くの人が知っている理由は、それではいけないと考えたり、追求したり、研究したり、もっとマシなものにしようと行動したりしている人たちが、アメリカにたくさんいるからだ。それもまたアメリカだ。

例えば、ものすごく体によくない食品を開発しては庶民に食わせ続けているのもアメリカだし、エロコジカルなライフスタイルや新しいアウトドアスポーツなんかを次々と開発して暮らしをイノベーションするのもまたアメリカ。ステロイドを使いまくった奇妙な肉体を作りあげたがるのもアメリカなら、ストイック過ぎるほどの極端なベジタリアンを生みだすのもまたアメリカ。
第二次大戦の際に日系アメリカ人だけを財産をとりあげた上に収容所に強制的に閉じ込めてしまうのもアメリカなら、そういうことはよくないと主張するコロラド州知事ラルフ・ローレンス・カーのような人が現れるのもアメリカ。
マーティン・バーナルは欧米にはびこっている白人優位主義を根底から覆すような著作『黒いアテネ』を発表したが、彼のような研究者に研究の場を与えたのもまたアメリカだ。


ブログ主も、アメリカのネガティブな面を批判したりすることがある。だが、だからといってアメリカそのものを否定する気にはまったくならない。
なぜなら、多様性、多義性こそがアメリカだからだ。悪がはびこるゴッサムシティだけがアメリカではないし、また、「正義」だけがアメリカ」なのでもない。どんな国、どんな権威にも必ず、腐敗や、体によくない商品のひとつやふたつ、あるものだ。


こうした多様性の中で
アメリカのジャーナリズムは育てられてきた。


上に挙げたグラフィックは、実は、ネット検索で過去のLIFEの表紙を検索したページをスクリーンショットに撮っただけの画像だ。

何も手を加えていない。それでも
なぜか、ひとつの「アート」になっている。


なぜ「表紙を並べただけのモザイク」が「アート」になるのか、といえば、理由はハッキリしている。モザイクのパーツである表紙のひとつひとつがとても丁寧に作られ、「アート」として成立しているレベルにあるからだ。

もし1回1回の表紙を作るとき、手を抜いてどうでもいいものを作ってきていれば、長い年月を経過して全ての表紙を並べてみたとき、すぐにわかる。粗末な、汚いデザインは、すぐにわかる。


だが、LIFEはそうではない。

それはアートディレクターが素晴らしいから、ではない。そうではなく、LIFEの「姿勢」が終始素晴らしかったからだ。

この「自分の姿勢、フォームを、自分が理想と考えている形で長期にわたって保ち続ける」こと
これが、ジャーナリズムだ。


簡単なことではない。

よく、「ジャーナリズムは正義だ」と勘違いしている人がいる。
だが、正義なんてものは「立ち位置」によってコロコロ変わる。だから、正義に頼る者は弱い。足元がグラグラするものに頼って天狗になっているだけだから、やがて転んで泣きをみる。自分なりの「姿勢」がどこにも無い未熟者のくせに正義だけは好き、なんてのが、一番始末に悪い。


ジャーナリズムとは、「姿勢」だ。そして、
LIFEの表紙には「彼らの姿勢」が映しだされている。
だからこそ、LIFEは「押しも押されぬジャーナリズム」だったのだ。LIFEが正義だけを報道しようとしたからジャーナリズムだったわけではない。

アメリカにはLIFEがあった。この事実は、ただそれだけで、アメリカにおけるジャーナリズムという「姿勢」の存在を意味している。

damejima at 05:43

July 17, 2014

今年のMLBオールスターでは、ナ・リーグ先発アダム・ウェインライトが、「今季限りでの引退が予定されているデレク・ジーターの打席で、彼に打ちやすい球を投げた」という意味の発言をした。
もちろん後になってウェインライトは躍起になって否定したがったが、もう後の祭り(笑)まぁ、真意がどうであれ、しっかり記録に残させてもらうことにする。





Adam Wainwright admits, then denies he served fat pitch to Jeter - MLB - Sporting News

Adam Wainwright says he gave Derek Jeter easy pitches to hit in all-star game - The Washington Post

ウェインライトの発言はよくあるジョークのひとつさ、と、思いたい人は思えばいいし、そうでないブログ主のような人は、ツイッターで#JeterSC というハッシュタグでも検索してみるといいと思う(笑)

去年のオールスターも、同じように引退が予定されていたマリアーノ・リベラが「おこぼれ的感触のオールスターMVP」をもらったわけだが、あれといい、今年のジーターといい、オールスターがただの『ショーケース』(花試合)になりつつあるのは、本当に迷惑。

まぁ、見ないから別にいいけどさ。



damejima at 06:40

April 08, 2014

このオフの最も大きなトレードといえば、プリンス・フィルダーとイアン・キンズラーなわけだが、フィルダーの調子が冴えないことから、分析好きなメディアが一斉にフィルダーに食いつき始めた感がする。

例:
Prince Fielder Losing His Edge Against Righties - Baseball Analytics Blog - MLB Baseball Analytics

Prince Fielder's hitting woes - Beyond the Box Score

これらの論議を眺めて思うのは、論議が正しいとか正しくないとかよりもむしろ、「成績が下降してからしか分析しようとしないアメリカのスポーツメディアのダメさ」だ。


フィルダーが2013年の
Prince Fielder Hot Zones - ESPN



damejima at 16:45

February 03, 2014

引退したマイケル・ヤングについて、FoxNews.comのライターが "Michael Young: A poor man's Derek Jeter " と題する記事を書いている。日本語に訳せば、「劣化版デレク・ジーターのマイケル・ヤング」という意味だ。
Rounding Third: Michael Young: A poor man's Derek Jeter | Fox News


書いたやつは出てこい。と、言いたい。馬鹿野郎
どこを見てモノを言ってるんだ。わかってないにも程がある。

ヒットの本数や打率などを比べる程度の議論で、何がわかる。こういうくだらない記事を書くときに限って無記名記事にしやがる。引退する名プレーヤーの業績を矮小化する記事を書くときくらい、記名記事にしやがれ。

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マイケル・ヤングはデビュー当時、二塁手だった。

彼が1997年ドラフトでMLBに入ったのは、テキサスではなくトロントだ。トロントのマイナーでセカンドを守り、その後トレード移籍したテキサスで二塁手としてメジャーデビューを果たした。
ヤングのMLBデビュー時、テキサスのショートには守備でも名手と評価されていたアレックス・ロドリゲスがおり、ヤングはAロッドとの二遊間守備から多くを吸収した。


2004年、マイケル・ヤングは志願して遊撃手になった。

彼は2008年まで腐ることなくショートを守り、2008年についに遊撃手としてゴールドグラブを手にした。また彼は、遊撃手だった2004年から2007年までの間、4シーズン連続でシーズン200安打を達成して気を吐いた。

彼が遊撃手に志願したのは、ヤンキースとのトレードでショートを守るAロッドが去り、かわりにヤンキースの二塁手だったアルフォンソ・ソリアーノがテキサスにやってきたからだ。
マイケル・ヤングはチームのためを思い、二塁手から遊撃手へのコンバートを志願した。テキサス在籍中のソリアーノは2004年〜2005年にセカンドを守り、その間、何の問題も起こさなかった。
その後ソリアーノは2006年、トレードでナショナルズに移籍するが、そこで大きなトラブルを起こしている。外野手へのコンバートというチーム方針を嫌がって出場拒否したのだ。ソリアーノは結果的にコンバートを受け入れたが、この2006年のトラブル以降、緊急措置で守備する場合を除いて、ソリアーノがMLBで内野守備につく機会そのものが消滅した。


2006年、二塁手ソリアーノがトレードでいなくなったが、マイケル・ヤングは二塁手に戻れなかった
というのも、テキサスがセカンドをまかせたのは、もともと二塁手だったマイケル・ヤングではなく、新人イアン・キンズラーだったからだ。
だが、マイケル・ヤングは腐ることなく、二塁手の先輩として、打力は十分だが守備に不安のあるキンズラーに、さまざまな守備面のアドバイスを惜しまなかった。(ブログ主に言わせれば、「劣化版デレク・ジーター」といえるのは、マイケル・ヤングではなく、守備に不安のあるイアン・キンズラーだ)


2009年、マイケル・ヤングは三塁手になった。新人エルビス・アンドラスに遊撃手を譲ったのだ。
度重なるコンバートに、さすがのマイケル・ヤングもブチ切れて、チームにトレードを志願した。だが、最終的にはヤング側が折れた。
それでも彼は、ストレスのたまる2009シーズンに打率.322を打ち、6年連続オールスターに出場を果たしている。さすがというほかない。


2011年、マイケル・ヤングはDHになった。チームが名三塁手と名高いエイドリアン・ベルトレを獲得してきたからだ。
当然のことだが、忍耐強いマイケル・ヤングの堪忍袋はもはや完全にブチ切れてしまい、チームにトレードを強く志願した。だが、またしてもヤング側が折れることで事態は決着した。それでも彼は、2011シーズンに自己最高打率.338、キャリア6度目のシーズン200安打となる213安打をマークしている。
その後、マイケル・ヤングは2011年2012年と、40試合前後で一塁手としてスターターをつとめるなど、DH兼内野のユーティリティという立場に甘んじることになった。
Fangraphなどでみると彼の守備評価点はマイナス79.4と、MLB最低クラスになっているが、これは主にDH兼ユーティリティに回された2011年以降の数字があまりにも悪いためであって、彼の守備が最悪なわけではない。
(ちなみに、同じ2000年から2013年でライトの守備をみると、グティエレス68.3に続いてイチローが67.0で第2位。グティエレスの数字はほとんどがセンターとしての評価だから、ライトではイチローが1位。少なくともイチローが引退したとき、守備でデレク・ジーターと比較されることは全くありえない)


2012年、マイケル・ヤングは、ついにテキサスを去った。

マイケル・ヤングが去る直前、テキサスの内野陣は、キンズラー、アンドラス、ベルトレと、まさにヤングの長年の忍耐が育んだラインアップとなり、チームは2010年2011年と、2度のワールドシリーズ進出に成功した。
だが、マイケル・ヤングのいなくなった2012年のテキサスは、シーズン終了直前、予算の少ないオークランドに地区優勝をさらわれることになった。そしてテキサスは結局二塁手イアン・キンズラーをデトロイトに手放した。

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テキサス・レンジャーズというチームは近年、2010年・2011年と、2シーズン続けてワールドシリーズに進出し、ア・リーグ屈指の有力チーム、ポストシーズン常連チームのひとつとみなされるようになってきたわけだが、こうしてあらためて振り返ってみれば、テキサスの攻守の戦力の基礎となる内野の不動のレギュラーたちが、ひとつにはマイケル・ヤングの度重なる妥協のおかげで整備できたことは、火を見るより明らかだ。


例えば、これと同じ意味の検証を、ヤンキースの内野陣の崩壊とデレク・ジーターについて見てみてもらいたい。そうすればマイケル・ヤングが「劣化版デレク・ジーター」などではないことなど、簡単にハッキリする。

参考記事:
Damejima's HARDBALL:2013年8月5日、「生え抜きの成長、黄金期、ステロイド、そして衰退」 正しいヤンキース30年史。

Damejima's HARDBALL:2013年9月19日、「2000年代中期までのドラフト上位指名の成果」と、「2010年代の選手層の厚み」との関係。「もともと育ちの悪かった植物」に、突然、大量の肥料を与えだしたヤンキース。

Damejima's HARDBALL:2013年9月25日、ポジション別wOBAからみた平均的なチーム編成と、かつてのヤンキースの特殊構造との比較。その「アドヴァンテージ」を実はまるで理解していなかった2013ヤンキースの編成の崩壊。

Damejima's HARDBALL:2013年10月5日、「2012年9月」に表面化していた長期的問題に対する対応を完全に間違えたヤンキース。

よくデレク・ジーターをほめちぎりたがるヤンキースファンやメディアのライターがいるわけだが、マイケル・ヤングの引退までのチームへの献身ぶりやチーム成績の向上ぶりと比較するなら、近年のデレク・ジーターの「キャプテンシー」なるものが、近年のヤンキースの内野の崩壊ぶりでわかるように「実は、チームの結束にとって、それほど効果はなかった」ことが明確にわかるはずだ。

そもそもジーターのショート守備の評価は低い。それは足の怪我が原因で衰えたのではなく、怪我をする前からそうだ。ゴールドグラブ受賞歴にしても、疑問を呈する専門家は多かった。だが、それでもジーターはショートに居座り続けてきた。

ヤンキースでは、チームが長年に渡って活躍を続けるための骨格として、特に守備面で重要な役割を果たすはずの内野手に、「レギュラークラスの実力を持った生え抜き内野手」が、(カノーを除いて)結局ほとんど育っていない。さらに言えば、「若手の育成システム」そのものがほとんど崩壊している。そのため、今後チーム内で内野手を育て上げることはほとんど不可能な状態にある。

2013シーズン中に、ジーターの足の故障が完全に癒えきっていないのは明らかであったにもかかわらず、度重なる無理な復帰と休養の繰り返しによって、チーム低迷に拍車をかけた

ポストシーズンを逃した2013シーズン後、「レギュラークラスの生え抜き内野手」としてヤンキースの唯一の貴重品だったはずのレギュラー内野手ロビンソン・カノーの流出阻止において、キャプテンであるジーターの存在はほとんど役に立たなかった。コア・フォーというお題目も、カノーにとっては結局のところ「オマージュ」であり、「追憶」でしかなかった。


もう一度、ハッキリ書いておく。

マイケル・ヤングがチームに「残した」功績は、無記名記事を書くライター風情に劣化版デレク・ジーターなどと公然と呼ばれるような、スケールの小さいものではない。
「マイケル・ヤングがテキサスに残していったもの」は、在籍時の守備貢献だけでも、在籍時のバッティングの数字だけでもない。移籍選手がチームに残してくれたものだってあるのだ。

そんなことさえわからずに、「マイケル・ヤングがデレク・ジーターに勝っていたのは、アヴェレージ・ヒッターとしてヒットを打つ能力だけ」なとと、軽はずみな文章を書くライターに、敬意など必要ない。

damejima at 09:47

October 01, 2013

イチローをシアトルから追い出すための空気を作り上げることに奔走した主な人物のうち、3人が、同じ2013年に相次いで事実上シアトル・マリナーズのもとを去る。このことがいったい何を意味するのかは、まだ何もわからない。
だが、これらの人物の異動が見えない糸で「近い将来に起きる、まだ見えない動き」に繋がっているのは、たぶん間違いないだろうと思っている。


ひとりは、このブログがおおっぴらに「野球音痴の無礼な老人」と呼んできたシアトル・タイムズのコラムニスト、スティーブ・ケリーだ。
シアトル・タイムズの定年が何歳なのかは知らないが、2013年2月、63歳でシアトルタイムズを退職している。最後のコラムは書かないと言っていたらしいが、実際には、ファンに対してこんな悪態をついている。
"The reader comments section, it's a free-for-all," Kelley says. "The level of discourse has become so inane and nasty. And it's not just at the Times, it's ESPN, everywhere - people, anonymous people, take shots at the story, writers, each other. Whatever you've achieved in that story gets drowned out by this chorus of idiots."
Seattle News and Events | Steve Kelley, Seattle Times Sports Columnist, Leaving 'to
どうやらこの人、自分が的外れなコラムばかり書いておいて、それを読んだ一般人から読者コメント欄を使って否定されたり、批判されまくったりすることによほど嫌気がさしていたらしい(笑)ザマーミロとしか、言いようがない。

ちなみに、この人のことは2010年に一度書いたことがあって、この人間の下種な人物像はイチロー追い出し騒動以前からわかっていた。興味があれば読んでみてもらいたい。いかにスティーブ・ケリーが「ケツの穴の小さい人物」か、イヤというほどわかる(笑)
資料記事:Damejima's HARDBALL:2010年9月20日、シアトル・タイムズのスティーブ・ケリーが、"The Tenth Innning"のケン・バーンズと共同監督のリン・ノビックが行った「イチローインタビュー」について当人に取材して書いた記事の、なんとも哀れすぎる中身とタイトル。

また、この人にはこんなユニークな(笑)コラムもある。
What should Mariners do with declining Ichiro? | Steve Kelley | The Seattle Times
このコラムがユニークなのは、記事内容ではなく、「公開された時間」だ。記事の冒頭あたりに
Originally published June 19, 2012 at 8:02 PM
とある。午後8時過ぎに公開されている。

実はこの日、マリナーズは、チェイス・フィールドで午後6時40分開始のゲームの真っ最中で、試合は結局3時間59分かかって午後23時39分に終わっている。
つまり、この野球音痴の俗物は、まだゲームの真っ最中の「午後8時」にシアトル・タイムズのサイトで、いきなり記事を公開しているわけだ。そして重要なことは、記事がアップされたとき、イチローは「2打数2安打」だったことだ(笑)
ケリーじいさんはおそらく、「この日に絶対公開してやる!」と心に決め、あらかじめ記事を書いておき、アップロードするのを手ぐすね引いて待っていたのだろう(笑)なんとも俗物らしいやり方だ(笑)
だが、おじいちゃんが、この日のゲームをまるで見ないで記事のアップロードだけしたために、イチローがヒットを第1打席から続けて2本も打ったことで、せっかく書いたとりとめのない記事の信憑性が無くなってしまい、赤っ恥をかくことになった(笑)残念(笑)


2人目は、シアトル・マリナーズのビートライター、ジェフ・ベイカーだ。新会社でスポーツに関する調査をする、という発表が、9月14日にあった。
ならばシーズン終了など待たず、ブログをスパッと閉鎖するのかと思いきや、9月末段階ではいまだに、ああでもないこうでもないと、貧しい内容のブログを細々書き続けているのだから、ほんと、わけがわからない。
たぶん、ホームランを180本以上も打ちながら目を覆いたくなる得失点差で借金生活という馬鹿野球を披露したシアトル・マリナーズの総括でもやるつもりなんだろうが、もう誰もベイカーにそんなこと期待してない。さっさと去れ。往生際の悪い男だ。
Geoff Baker moves to new enterprise, investigative role in sports | Mariners | The Seattle Times


3人目は、監督エリック・ウェッジ
最近のウェッジがどんな采配ぶりで、どんなことを言っているのか、興味が無いのでさっぱり知らなかったが(まぁ、資料など集めなくても、だいたい想像どおりだろうから、どうでもいい)、シーズン終了を目前にしてウェッジの側からチームを去るとかいう、わけのわからない話が耳に入ってきた。
当初の話では、ウェッジの希望する複数年契約をチームが承認してくれないので辞める、と報道されていた。

ウェッジの辞任理由を聞いて呆れかえったファンは、おそらくとても多かったことだろう。
そりゃそうだ。マリナーズが「再建」と自称するシーズンを、これまで何シーズン過ごしてきたのか、もう忘れるほどの年数が経ったが、スタジアムを狭くしてホームランを200本近くにまで増やしておきながら、一方でチームのシーズン三振数記録と1試合の観客動員数のチーム最低記録を更新するような「馬鹿野球」をやらかして、チームをシーズン90敗させた無能な監督が、あまつさえ「複数年契約を要求する」なんて話は、アタマがおかしいとしか批評しようがない。



そうした世間の辛辣な反応ぶりにウェッジが慌てたのか、それともシアトル・タイムズが慌てたのかは知らないが、「こんどマリナーズ番を外されることになった、ウェッジのお友達のご親切なベイカーさん」が、ウェッジから辞任の真の理由を聞きだしてきたとかいう「体裁」をとって、「ウェッジは、彼が望んだ複数年契約が実現しないから辞める」という既報を否定する記事をわざわざ書いた(笑)
Eric Wedge: I wouldn’t take five-year contract extension from Mariners | Mariners blog | Seattle Times

ベイカーが言うには、「ウェッジの語った辞任の真相」は、複数年契約が実現しなかったことが理由ではなく、「球団とウェッジの方針が違っていること」が原因であり、「ウェッジが本来望んでいるチーム編成の方針は、これこれだ」と、ベイカーはやけに熱心に書いている(笑)

「若手メイン」
「だが、ヴェテランもいて欲しい」
「全盛期の選手も複数年契約で欲しい」

なに、欲張ったこと、言ってんだっつうの(笑)
馬鹿も休み休み言えって。その、どこが「若手中心」なんだよ、ばーか(笑)都合いいことばっか言ってんじゃねぇっての(笑) 大物FA野手も獲ってこいってか? そんな選手、シアトルなんか行くわけねぇし、まかり間違って獲れたとしても、そんときにゃ「若手中心」になるわきゃねぇ。馬鹿かよ。


と、まぁ、言葉は汚いが簡単に言うと
そもそもこの記事、「これまで何年もかかって追求してきたが、これっぽっちも実現しなかったことを、いまだに将来にわたる目標ででもあるかのように書いている」だけなのだ。


軽く記事を読んでしまうと、「ベイカーがウェッジから聞いた、ウェッジのやりたいチーム方針」とか称するものがあって、「ウェッジは若手中心の方針でやっていきたい。なのに、チーム上層部が許してくれない。それはどうなんだ?」という話に聞こえる。

だが、よく読むと、ベイカーの書く「ウェッジのやりたい方針」というのは、とっくにこれまで数シーズンに渡って、GMジャック・ズレンシックと監督エリック・ウェッジの2人が現場で指揮し、スティーブ・ケリー、ジェフ・ベイカー、ラリー・ストーンなどシアトル・タイムズのライター陣が、メディアとして率先して民意を操作するかのような記事で後方支援してきた「2013年までに大失敗を繰り返してチーム方針そのもの」を意味しているのだから、笑うほかない(笑)


まぁ、ジェフ・ベイカーやラリー・ストーンといったシアトル・タイムズのビートライターたちが、過去にどんな記事を書いて、ジャック・ズレンシックとエリック・ウェッジが現在のようなできそこないの野球チームを作るのを支援してきたかを知っていれば、このロジックのループした記事を笑わずにいられないはずだ。

過去数年、彼らはオフシーズンになると、やれプリンス・フィルダーだの、アップトンだの、シアトルが獲れる可能性など100万%ないFA選手の獲得をネタにして、不毛なマスターベーション記事を書いてきた。
だが、フランチャイズプレーヤーのイチローを故意に追い出したシアトル、地元のコアな観客が見離しつつあるシアトル、金の無いシアトル、シーズン90敗してスタンドはガラガラでチーム史上最低観客数を更新したシアトル、選手のプライドより地元の能無し新聞記者のほうを大事にしてきたシアトル、生え抜き選手のほとんどを安売りしたシアトル、もしヒューストンが地区に編入されなかったらダントツ最下位だったシアトルと、契約してくれるような奇特な「全盛期の大物フリーエージェント」など、間違っても、誰ひとり、いるわけがない。
自分を大事にする権利を得たFA選手が、ヴェテラン選手を若い選手の「踏み台」にしたがるシアトル、選手を大事にしないシアトル、カネも人気も無いシアトル、ポストシーズンに出られる可能性のないシアトルと、契約するわけがないのである。


つまり、だ。
「若い選手中心でいきたい。だが、ヴェテランも必要で、できたら全盛期の大物選手を複数年契約で・・・・」なんていう、「欲の皮の突っ張ったクソガキみたいなヘリクツ」は、最初からそもそも「中身のない空論」なのだ。

そもそも、ウェッジが「全盛期にあるヴェテランが必要だ。ぜひ欲しい」なんていう分不相応な主張をするのは、今に始まった話ではない。それはズレンシックやウェッジと、彼らを支持してきたシアトル・タイムズのアホウな記者どもが、これまで主張し続けてきたことのひとつであって、しかも、それが実現する可能性が全くないことは、この数シーズンの惨状によって嫌というほどわかりきっているのである。(たとえばプリンス・フィルダーのような大物FA選手がシアトルと契約するわけがない)
上に挙げた記事は、そうした過去の「失敗に終わったことが明確な自分たちのこれまでの主張」を、それがあたかも「ウェッジが近未来に実現させようとしている、シアトル・マリナーズのための未来ビジョン」ででもあるかのように、ロジックをこねてみせて、その「ウェッジの未来ビジョン」とやらをマリナーズが認めないからウェッジは辞任する、などと、話をこねくりまわしただけのことだ。


今のシアトルの現状で、「ウェッジのやりたい方針」とやらを採用して出来上がるチームなんてものは、「若手に、脇役になってくれるヴェテランと全盛期にあるヴェテランを上手に混ぜた、フレッシュで、なおかつ頼りにもなるチーム」になるわけがない。
できあがるのは、単に「大物FA選手など獲れっこない弱小チームが、しかたなく若手を大量に使いつつ、そこに、どうにか獲ってきた単年契約のヴェテランや、キャリア終盤のヴェテランを加えてシーズンを出発するが、いつのまにか若手が消えてヴェテラン中心になってしまい、そこに雑なプレーしかできない若手が添えられているだけの、わけのわからない、始末に負えないチームができあがる」という不幸な顛末へのプロセスでしかない。

当然、この「エリック・ウェッジ的 大失敗プロセス」は、「若手メインでやろうとして失敗」、「そこにヴェテランを加えて、さらに失敗」、「有力なフリーエージェント選手の獲得にも失敗」という、何段階かの失敗プロセスを経ながら、泥沼の破局へ向けて失態が積み上がっていくことになる。


要するに、上で挙げたジェフ・ベイカーの記事に最初から中身などない。
なぜなら、「今あるシアトル・マリナーズ」は実は、もう既にコンセプト上は『ウェッジのやりたい方針どおりに作ったチーム』になっているからだ。
その「既にエリック・ウェッジ的につくられたチーム」が『とりかえしのつかない失敗作』になっている事実が既にあるにもかかわらず、上で紹介したベイカーの記事では、「監督ウェッジは、『シアトル・マリナーズがオレのチーム方針に沿ってチームを作ろうとしてない。だから辞めるしかない』と言っている」という主旨で記事を書いているのだから、「なに馬鹿なこといってんの」と言うしかない(笑)

ベイカーの記事に書かれた「ウェッジのやりたいチーム編成方針」とか称するものは、現実におし進めようとしてみれば、結局は、どこから手をつけても、どんな道をたどっても、いま、現実に目の前にある「単年契約のヴェテランを中心に、そこにめぼしい若手が添えられているだけの、2013シアトル・マリナーズ」にしか行き着かない。
あたかも「ウェッジの脳内には、将来実現する理想のビジョンがある」みたいな書き方をベイカーがした理由は、単にこれまで実現するはずのないビジョンを掲げて大失敗してきた自分たちの体面を保つためだけのためにジェフ・ベイカーが記事を書いている、それだけのことだ。
だから、記事の内容がまったく辻褄が合わないし、虫のいいことばかり書いている。

いつになったらシアトル・マリナーズの「再建」とやらが始まるのか、早く教えてもらいたいものだ(笑)


ちなみに、ちょっとだけヤンキースについても書く。
「若手中心と称してスタートし、単年契約のヴェテランをとっかえひっかえ踏み台として使っているだけの、ホームラン狙いで三振がやたらと多い、資金に余裕のない球団」が今のシアトル・マリナーズだとして、そんな支離滅裂で中心の無いシアトルと似たようなチーム方針を8月末以降にとりだして、勝率をいたずらに下げ、ポストシーズン進出を取り逃がすところまで行ったのが、2013年終盤のヤンキースであり、ジラルディだったという部分を忘れてはいけない。
このことはよほど肝に銘じておかないと、リベラだけでなく、やがてはジーターもいなくなるヤンキースが、近年マリナーズがやらかしてきたミスの大半を経験することによって、「第二のマリナーズ化」する羽目になる。
八百屋じゃないんだから、単純に若手をスタメンに並べて、チャンスだけ与えておけば、どんな才能の無い若手でも成長するだろう、などと思ったら、大間違いなのだ。

damejima at 04:18

July 09, 2013

ESPNのシニアライター、ジェイソン・スタークのツイートによれば、もしカンザスシティ初戦でヤンキースにホームランが無ければ、5試合連続ホームランの無いゲームとなり、「1996年6月」以来の出来事らしい。
ホームランの無かった4試合のうち、3試合に勝っているというのに、神経質な人だ(笑)

人はメンタルの非常に弱い動物だ。

「1996年6月以来」とか、ちょっと人に言われると、それだけでデータに弱い人などは、「ああ、1996年も貧打だったのか・・・・。いったい地区何位だったんだ? 4位くらいか・・・?」などと思ってしまう。


だが、1996年ヤンキースにとって、「5試合連続でホームランがない」という記録をつくった「1996年6月」は、実際には、「18勝11敗、勝率.621」と、このシーズンにおける「最も勝率の高かった月」である。
しかも、だ。月別ホームラン数が最も多かったのが8月の40本、月別チーム打率が最も高いのが7月の.294であるにもかかわらず、シーズンで最も勝率がよかったのは「6月」で、この「1996年6月」は、チームホームラン数が最も少なく、かつ、チーム打率が最も低い月だったのだ。
1996 New York Yankees Batting Splits - Baseball-Reference.com


簡単なことだ。
野球はホームランの数で決まるのではない
たったそれだけのことだ。


1996年ヤンキースの総ホームラン数は「162本」しかない。
これは、2012年ア・リーグでたとえると、リーグ平均「179本」に達しない数字であり、この年に貧打の汚名をほしいままにしたシアトルの「149本」とそれほど大差ない。
1996 American League Season Summary - Baseball-Reference.com
1996年ア・リーグのチームホームラン数トップは、ボルチモアの「257本」だから、ヤンキースは約100本もの大差をつけられている。リーグ最下位だったミネソタから数えて、下から3番目のホームラン数なのだ。
個人単位でみても、チーム最多のホームランを打ったバーニー・ウィリアムスでさえ29本で、30本打てたバッターはひとりもいない。


この「ホームランが打てない1996年のヤンキース」、
シーズン最後にどうなったか。

2位ボルチモアに4ゲーム差をつけて地区優勝。ALDSでテキサス、ALCSでボルチモアを蹴散らし、ワールドシリーズで4勝2敗でアトランタも退けてワールドチャンピオンになっているのである。

もういちど書いておこう。
野球はホームランの数で決まるのではない

勝てばいい。それだけのことだ。

近年のヤンキースの黄金時代を築いたのは、バーニー・ウィリアムス、若いデレク・ジーター、シンシナティから来たポール・オニール、シアトルから来たティノ・マルチネス、ボストンから来たウェイド・ボッグスなど、ハイアベレージで打てて、しかもそれが長期に持続できる選手たちが一堂に会したことによって生まれた90年代後半ヤンキースの「濃密な」野球スタイルであり、2000年代以降にステロイド・スラッガーをズラリと並べ、毎年200本以上ホームランを打ちまくったわりに、わずか1度しかワールドシリーズを勝てなかった「まやかしの」ヤンキースではない。(もちろん2013年ヤンキースが1996年ヤンキースと同じだ、などと野暮なことを言うつもりはない。選手層の厚みがあまりに違いすぎる)


ちなみに、1996年ヤンキースで、キャッチャーとしてワールドシリーズ優勝を経験したのは、他の誰ならぬ、現監督ジョー・ジラルディ、その人だ。
ジラルディはコロラドから移籍してきた1996年にヤンキースでワールドシリーズ優勝を経験。その後4シーズンの在籍中に運よく3度のワールドシリーズ優勝を経験している。
Joe Girardi Statistics and History - Baseball-Reference.com


人はキャリアによってつくられる。
こうしてあらためて眺めてみると、ジョー・ジラルディの経験にある「ヤンキース」とは、ホームランがそれほど打てなくてもワールドシリーズに勝ち続けられた90年代のヤンキースの黄金期であるだけに、ブログ主ですら、監督としての彼の野球にときとして「あまりの小ささ」を感じ、その「細かさ」を不満に思ったりするのも、ある意味、彼ならではのキャリアのなせる業かもしれない。

damejima at 07:58

January 26, 2013

このあいだ、(たしかHardball Talkというアカウントのツイッターだったと思うが)、「今年のヤンキースは、まるでジュニア・ハイスクールみたいだぜ」と皮肉っているツイートだか記事だかを見た記憶がある。
ああいう論調自体はよくあるものだし、たわいない世間話だから、別に気にもしないし、記事まで読んで時間をムダにするような馬鹿なことはしない。一部の人たちにしてみると、「本来のヤンキースは、こんな小粒なチームじゃない」、とでも言いたいのだろう(笑)

「本来のヤンキース」ねぇ・・・(笑) ぷっ(笑) 
追記この記事を書いた数日後に、アレックス・ロドリゲス、ジオ・ゴンザレスなどが関与したとみられるPED事件が報道された 90年代中期の「大粒な」ヤンキース(笑)はステロイダーばかりだったわけだ


よほどWBCが気にいらないとみえるCBSあたりも、たぶん似たようなことを考えているに違いない(笑) そんな無駄なことを考えていて時間が惜しくないのかね、とも思うが、そういう的外れな行為が好きでしかたないのなら、無理に止めはしない(笑) 中古のホームランバッターを並べた時代遅れの野球について論文でも書きたいのなら、好きなだけ考えたらいい。
(アメリカのスポーツメディアの中には、野球殿堂入り投票の件についての意見でもわかるとおり、ステロイド時代のMLBを是認する考え方も、一部にではあるにしても、根強く残っている)


こんどの第3回WBCの各国メンバーについても、やれ「小粒」だの、やれ「アメリカは本気じゃない」だの、「WBCは消滅する」だの、もう、無意味なことを書きたくて書きたくてしかたない「小粒な」書き手が、メディアやネットに掃いて捨てるほどいる(笑) 
まぁ、たぶん、つい先日引退した某選手や某選手を徹底的に贔屓しまくっていた記者さんたちとファンが、変わっていく時代に能力的についていけずに「終わって」しまい、そういう「もう居場所の無い人たち」がイライラしながら必死に書いているんだろうけども(笑)、そんな「終わった人たち」がこの先どうなろうと、どうでもいい。

そもそも「時代とズレているのが、自分のほうであること」に気づきもしないで、よく、ああもうるさいことを書き続けられるものだ。

それぞれの記事や書き込みのトーンをちょっとながめればわかることだが、たいていの場合 「そもそもMLBが、この2年で大きく世代交代しつつあったこと」を全く知らないか、まるで意識に入れないままモノを書いている。

例えばこんどWBCアメリカ代表になったと聞くジャンカルロ・スタントンだが、「ジャンカルロ・スタントン? 誰だ、それ? 23歳? 若いな」なんて言ってるようなレベル(笑)で日頃MLBを見ている(と自称している)ような人間に、いまのアメリカ代表の外野手のレベルが語れる訳もない。(マイク・トラウトが出ないなら、アメリカ代表は本気じゃない、小粒だ、なんてのも実に些細な話でしかない)

まぁ、ロクにゲームも見てないクセに、「記事を書くのが仕事だから、イヤだけど、しかたなく、自分の頭の中にある古い情報だけを頼りに、紙面を埋めるだけ」なのが、日本のスポーツ記者とその郎党だから、しかたないといえば、しかたない。そんなモノを語るに値しないレベルの人間でも、メディアでライターがやれたり、ネット掲示板で大きな顔して書き込みできたり、起業できたりするのが、今という時代なのだ。

そりゃ、ソニーもパナソニックも、ダメになるわけだ。



23歳でとっくにスターになっているジャンカルロ・スタントンの迫力あるプレーすらほとんど見たことが無い人間は、MLBでアフリカ系アメリカ人が減少しつつある問題と、その問題がMLBにおけるアメリカ人プレーヤー全体のレベル低下をもたらしつつある問題など、知りもしないし、また、アフリカ系アメリカ人選手減少の背景のひとつともなっている「サラリーの安いドミニカやヴェネズエラの選手たちの、プレーレベルのめざましい向上ぶりや、選手数の爆発的増加という現状」を、WBCアメリカ代表に関する議論の素材にしたりもしない。
また、去年のドラフトでかなりの数のチームが、例年指名が集まるはずの「アメリカの大学生プレーヤー」をスルーしたことの意味にも気がつかつこうともしない。
(さらにいうなら、MLBのアメリカ人選手とMLBの観客動員が抱える諸問題は、なにもMLBだけの問題ではなくて、ひいてはアメリカ社会、特に中間層の抱える社会問題が背景にあって直結しているわけだが、ここで論じる話でもない)
Damejima's HARDBALL:2012年5月18日、「アメリカでの非白人比率の増大傾向」と、「MLBプレーヤー、ファン両面の人種構成の変化」との複雑な関係。

Damejima's HARDBALL:2012年6月6日、アメリカでアフリカ系アメリカ人の平均寿命が伸び、白人との差が縮小した、というニュースを読む。

Damejima's HARDBALL:2012年6月11日、MLBにおけるアフリカ系アメリカ人プレーヤーの減少について書かれたテキサス大学ロースクールの記事を訳出してみた

Damejima's HARDBALL:2012年6月18日、代理人業として大卒選手の優秀さを声高に叫ばざるをえないスコット・ボラスですらオブラートに包みつつも認めざるをえない「他のスポーツへの流出」の具体的な意味。

Damejima's HARDBALL:「父親とベースボール」 MLBの人種構成の変化

たぶん頭の悪い年寄りと、年寄りに飼われている頭の悪い若造どもは、いまだにMLBではバリー・ボンズとマーク・マグワイアのような「ステロイダーのホームランバッターが並んでいる姿が、本来のアメリカだ」とでも思っているのかもしれない(笑)。ほんと、古臭い (笑) これじゃ、いまも変わらずアメリカ人全員がバカでかいアメ車に乗っていると思っているのと、まったく変わりない(笑) 今は2013年だっつうの(笑)



普段からMLBを追っかけている人なら、あらためて人から指摘されなくとも、2000年からの10年間のMLBと、この2年間のMLBでは、中心選手が変わったことは理解できているはずだ。(もっとも、この2年のMLBの世代交代は、自然に世代交代が進んだだけではなく、オールスターの不自然な選出結果を見てもわかるように、やや強引に人為的、政策的に世代交代が行われたことは明白だが、それはここで論じる話でもない)
Damejima's HARDBALL:2011年7月3日、「ここまでするか」と感じる、2011年オールスター投票の作為。

Damejima's HARDBALL:2011年7月8日、デレク・ジーターのオールスター欠場という事態を招いた「歪んだファン投票結果」に怒りを覚える。

Damejima's HARDBALL:2011年7月10日、600万票以上得票したプレーヤーが何人もいるにもかかわらず、20%以上プレミア価格が下がっても、いまだに4000枚以上売れ残っている今回の「恥ずべき」オールスターのチケット。

Damejima's HARDBALL:2011年7月18日、去年より低かった2011MLBオールスターの視聴率 (2)700万票以上集めた選手すら出現したオールスターの「視聴率が下がる」現象は、どう考えても納得などできない。


例えば、キャッチャーで言うと、2000年のオールスターファン投票で他を圧倒して1位になったのは、イヴァン・ロドリゲスマイク・ピアッツァだったわけだが、その後、ジェイソン・バリテックホルヘ・ポサダラッセル・マーティンなどを経て、ジョー・マウアーブライアン・マッキャンアレックス・アビラなどが登場し、さらに、いま誰もが知っていなければならない名前といえば、バスター・ポージージョナサン・ルクロイなどの若いプレーヤーになっている。
今回の各国WBCメンバーが、これまで2回行われたWBCと比べて小粒になったのかどうか、なんていう「小粒な議論」で、「アメリカ代表どころか、MLBを、どんなタイプの選手が代表するようになったか」を語れるわけがない。(そういう意味では、ステロイダー疑惑のライアン・ブラウンは、WBCに出てほしくないし、出るなら血液検査を受けてからにしてもらいたい)



「時代がまるで見えてないくせに、大上段なだけの意見」なんてものは、円安に為替のトレンドが舵を切ったのさえわからないままFXをやっているようなものだ。そしてそれは、スティーブ・ジョブズの発明品の数々が、どれもこれも「電話ではなく、パソコンの利便性から発生していることの意味」に気づきもしないで産業を牛耳っているつもりになっていたどこかの会社のようなものでもある。


今年のアメリカ代表で、「自分がプレーを見たことがない選手の数」を数えてみてはどうだろう(笑) もしかすると、自分がどのくらいMLBから遠ざかっているかがわかる、かもしれない(笑)

damejima at 11:01

June 12, 2012

ネット掲示板などでよく使われる常套句のひとつに、「見えない敵と戦う」という言葉がある。


使い方としては、主に疑問形で使われる。
例えば、「なにかを批判している人間」に向かって、「見えない敵とでも戦ってるのか?」などという具合に、揶揄(やゆ)するのに使う。単に、からかっているだけで、反論があるわけではない。

表面ヅラだけを見ると、「おまえのしている批判は、単に自分自身で作り出した幻影と戦っているだけなのであり、それはただの幻想にすぎない」と諭しているように見えるから、実に論理的な説得じゃないか、とか思うかもしれないが、実際には、そういう使い方をされることは、ほとんどない。
たいていの場合、「見えない敵とでも戦ってるのか?」と発言したがる人間の真の目的は、相手を軽くいなしているかのような印象を周囲にみせつけることによって、手間をかけることなく、むしろ手抜きして、その批判がいかに無意味であるかを見せつけておこう、という、底の浅い論理的なテクニックであることが少なくない。
まぁ要するに、情報操作のための常套句のひとつだ。


ブログ主はむしろ、いま世界がはまりこんでいる21世紀という、このやっかいな世界というものは、むしろ「見えない敵と戦う」のが当たり前のバトルフィールドとして誕生していると、常に思ってブログを書いている。


例えば、1999年の映画 『マトリックス』。
(関係ないが、この映画がジャン・ボードリヤールの著書『シミュラークルとシミュレーション』を参考にした、という意見もあるようだが、ブログ主はむしろ、フリードリヒ・ニーチェの『ヴェール』、あるいはらっきょの皮を1枚1枚剥いていくようなジャック・デリダ的論理構造を元ネタに発想されていると感じる)

matrixという単語は、もとは『子宮』を意味するラテン語からきている。映画「マトリックス」の根底には、「環境とは、『情報という羊水』で満たされた、一種の『誕生前の子宮』である」という見解がある。
キアヌ・リーブス演じる天才クラッカー、ネオが巻き込まれる「見えないものに対する戦い」は、まず「人工の情報と情報操作で満たされた子宮」であるカプセルから抜け出すことから始まる。
カプセルから出て「真の意味の誕生」を迎えたネオのその後の戦いは、実にシンプルで、「カプセルから抜け出さなければ永遠に見ることのなかった本当の世界=リアルを、いかに可視化していくか」という、その1点に尽きている。





よく、この映画をバーチャルリアリティとのからみで説明する人がいるが、この映画のアンチ・バーチャルな立場は、1990年代やたらと流行したバーチャルリアリティ礼賛とは、根本的にスタンスが違う。


例えば資格試験の初級シスアドの模範解答などを見ると、バーチャルリアリティについて、「コンピュータで模倣した物体や空間を、コンピュータグラフィックスなどを使用して実際の世界のように知覚できるようにすること」などと模範解答が書いてあるわけだが、そんな回答では、「社会環境のもつ仮想性の理解」としては、いくらなんでも底が浅すぎる。

人間を取り囲む情報空間というものは、もともとバーチャルだ。別に、手間暇かけてコンピューター・グラフィックを大量に生産し、人間を取り囲めるほどの仮想空間を作らなくても、紙だろうが、言葉だろうが、ヒットソングだろうが、ステマだろうが、材料の質にあまり関係はない。
人間が所属する「環境」というものは、共有されればされるほど、常に模擬的で曖昧な関係、錯覚などが大量に含まれてしまうのが、むしろ普通で、なにもインターネットとPCが登場してはじめて、世界がバーチャルな空間に変わったわけではないのだ。

人間の感受性そのものに、もともとバーチャルな特性が備わっているのだから、たいていのメディアは、その人間の感覚の特性を逆手にとって利用しながら存在している。


映画 『マトリックス』の立場が「アンチ・バーチャル」だからといって、アンチ・コンピューターを標榜しているわけではない。
『マトリックス』は、なにも「コンピューターを全て廃棄して、原始に帰ろう」と言っているわけではないし、また、「他人は信用するな」とか、「社会は欺瞞に満ちているから破壊せよ」と言っているわけでもない。
むしろ、ある意味コンピューターくらい人間的な道具、人間の特性をうまくつかまえた道具もないわけで、そこを勘違いしたままのクセに、あらゆる物事に白黒をつけて話しているつもりのヒトが、いつまでたってもいっこうに減らない。
Apple logo
例えば、Appleほど、人間らしくてオリジナリティのあるパソコンを開発したメーカーはないし、だからこそ彼らは商業的に大成功をおさめたわけだけれども、彼らの着眼のオリジナリティを執拗に批判したがる人に限って、奇妙なことに、「自分こそは、常にオリジナリティを大事にしてきた」と自称したがる人であることが多い。
「電気がもったいないから、野球を全て中止せよ」などと、根拠もなしに激しく主張したがる人にしても、自分自身では「ヒューマニズム的な発言をしている」と固く信じこんでいる。(こういう安易なヒューマニズムが18世紀あたりの発明品であることは言うまでもないが、短く説明するのは難しい)



そもそもわかっていなければならないのは、
かつて「世界」というものが「個人からは、見えないのが当たり前」だった、ということである。

「見えない」からこそ、新聞や書籍が万能であると思われ、また世界の良心の代表であると思われていたかつての「紙の時代」には、「特別なチャンスを持てた個人」、例えば、社会学の学者や、ジャーナリスト、作家、旅行家、探検家、宗教家などが、自分のいる社会を抜け出して、外の世界を観察し、「外界のありさま」を紙の上で語ることで、特殊な地位を得ていた。だからこそ、かつて「旅」は、布教やジャーナリズムであると同時に、征服と領土拡張のスキルでもあった。

例えば、「小説家」という仕事でいうと、江戸文化の影響がそこらじゅうに残っていた明治時代中期の日本には、まだ「近代的な家族関係」などというものは存在していなかったが、こと純文学作家だけは別で、まだ庶民の海外渡航が難しかった時代にあって、夏目漱石であれ、森鴎外であれ、欧米文化に触れる機会を持てた彼らは、「まだ開国したばかりの日本には存在しない、近代的な人間関係というもの」を想像して、作品という人間関係の図式を書きあげた。庶民である読者は「彼らの私小説などに表現された、いかにもありそうな人間関係。だが、実は、まったく架空の、近代的な日本の人間関係や家族関係というもの」を、私小説として味わいながら、近代的な人間関係を「バーチャルに学習」し、さらに、現実の暮らしにおいて「近代を実演してみせようとした」のである。

夏目漱石

つまり、実在する人間関係を写し取って小説という作品が書かれたのではなくて、むしろ逆で、作品に描かれた仮想の近代生活を、現実生活のほうが模倣することで、日本の近代が出来上がっていったのである。

テレビアニメの「サザエさん」なども、まさにこの「バーチャルな近代の学習行為」にあたる。
大正期に入り、現実社会に近代的な人間関係が根付き始めると、全盛期の純文学に期待された「人々が学習するための近代的な家族空間を建築する役割」が消滅し、純文学の社会的必要性が消滅していったことはいうまでもない。ただ、その後も 「テレビで 『サザエさん』を見て、『家族の幸せ』とはどういうものか習ぶような『学習習慣』」 は日本の人々の間にこっそりと残された。


1999年に公開された『マトリックス』にいまも存在価値があると思うのは、今のようなネット社会の誕生を10数年も前に予告したとかいう、くだらない意味ではなくて、むしろ「見えない相手との戦いのはじまり」を告知していた、という点にある。
当時提示された「見えない敵との戦い」の手法は実に単純で、「安易に信じこむのを止めるところから始める」というものだったが、そのシンプルさの有効性は、いまなお輝きを失っていない。

『マトリックス』が出来た1999年は、日本で「個人が、自分だけのためのウェブサイトを作ることのできるツールの全てが出揃った時期」にあたっている。
最初はあくまで個人から他者への情報発信だけがメインだったが、この流れはやがて個人同士がネットでつながることを目的にする流れを生んでいき、mixi、ツイッター、フェイスブックが生まれ、個人のつぶやきとマスメディアはより等価な立場になっていく。


かつて「紙の時代」には、「見えない敵と接触する」ための手段は、ごくごく限られた人に可能だった。だからこそ、「世界の記述」は、紙から得られる知識を広範にもつとともに、並外れた想像力や行動力を持った「特別な個人」だけに可能な、特別な仕事だった。
それにくらべて、「ネット社会」は、むしろ、「誰でも、全体を観ようと思えば、端っこくらい、見えなくもない便利な世界」であり、近代的な家族関係の現実社会への定着が、私小説の必要性を抹殺したのと同じように、ネットは、かつて隆盛を誇った「紙の時代」を終わりにさせようとしている。もはや学者や新聞や作家のいうことだけを鵜呑みにする必要はどこにもない。言いたいことは、自分で調べ、自分で考え、自分で発言すればいい。


だが、そのかわり、困ったことがある。
個人はいまや、かつて社会学の学者や、ジャーナリスト、作家、旅行家、探検家だけが担っていた「見えない世界との戦いや、世界の記述」という責任の重さを、個人の肩に背負わされるようになってきているからだ。
野球でいえば、スポーツジャーナリスト風情や評論家程度の話をすべてマトモに受け取る必要など、どこにもない時代だとは思うが、そのかわり、自分なりの意見を発言しようと思えば、山積みになっている情報から自分なりの基準や根拠を編み出す必要はある。

便利なことに、少なくともネットには、情報だけはいつでも誰でもアクセスできる状態で目の前に山積みされているわけだから、氾濫する情報の中から「知見という織物を編み上げる技術」さえあれば、誰でも意味のある情報を生産できる。(例えばこのブログ程度のことは、ネットに落ちている以上の素材など、まるで扱ってないのだから、書こうと思えば、誰でも書くことができる

いまや問題なのは、情報収集量の多さではなくて、「情報を編む視点の独自性」や「情報の編みかたの上手さ」、そして「性格のしつこさ」だ(笑)
「見えない敵」と戦ってみることは、自分の置かれた場所や、自分のポジションについて理解を深め、また、つまらない人間に騙されないようにする行為でもあるから、誰もが、大いに調べて、データとデータの間に自分だけの「つながり」をつけて、好き放題に意見を言えばいい。


こうしていま個人は「かつて見えなかったものを、見ようとする行為」を新たに課せられ、日々戦っている。
何もしないで下手糞な批判ばかりしている「情報ニート」に、そのめんどくさい日常を「見えない敵と戦っている」などといちいちうるさく言われる筋合いなどない。
どうせ的はずれなのがわかりきっている他人の話やマスメディアなど読んでいるくらいなら、自分で何か書いたほうがマシな時代なのだ。

Reality or Truth

捕捉:
いろいろと調べてみたにもかかわらず、残念ながら詳細がわからずじまいなのだが、現在、マトリックス3部作、および、ターミネーターについての著作権については、アメリカでの6年にもわたる長い裁判を経て、作家・脚本家Sophia Stewartなる人物の“The Third Eye”という作品にある、ということになっているようだ。
たいていの有名人にはWikipediaに項目があるものだが、どういうわけか、このSophia Stewartの項目がみあたらない。そして、なぜひとつの作品が2つの映画の原作として著作権を主張できたのかについても、ウェブ上に説明がほとんどみあたらない。いちおう注意書きとして記録しておく。
UPDATE: Matrix & Terminator Creator Sophia Stewart Won Landmark Trial | Clutch Magazine

Sophia Stewart filed a $150 million dollar malpractice lawsuit against her former attorneys | New York Paralegal Blog

Black Author wins Copyright Case for Matrix movie « Jason Skywalker's Blog

damejima at 19:10

May 23, 2012

5月21日にグレートアメリカン・ボールパークで行われたシンシナティ対アトランタ戦で、非常に珍しい、というか、途方もない「ファンの記録」が生まれた。
Atlanta Braves at Cincinnati Reds - May 21, 2012 | MLB.com Classic


4回裏に「3者連続ホームラン」が生まれたのだが、なんと、この3者連続ホームランの最初の2本のホームランのボールを、左中間にいた同じ大学生の男が「連続してキャッチ」したのだ。
誰もいないガラガラの外野スタンドならいざ知らず、周囲にファンがそれなりに密集した状態での達成なのだから、よくこんなことが出来たものだと感心してしまう。


ファンの立場からすれば、スタジアムでホームランボールをキャッチすることだけでも、めったにあることじゃないし、嬉しい出来事だ。
2度ホームランをキャッチした経験がある、というだけでも、日本のブログなどでも記事にして自慢している人もいるくらいの珍しいことであり、なかなかおいそれとできることじゃない。達成している人は、よほど運がいいと思う。

まして、それが1試合に2個なら、もうそれだけでニュースになってもいいくらいの出来事だ。

だが、この男性の場合、
2連続キャッチ」なのだから、これはもう凄まじい。

しかもそのホームラン自体も、「3者連続ホームラン」のうちの、最初の2本。しかも1本目のホームランは、シンシナティの投手Mike Leakeが放ったキャリア初本塁打なのだから、おそれいる。
いくら長いメジャーの歴史とはいえ、もうこんなことは2度と起こらないんじゃないだろうかと思えるし、他人事ながら、この人、一生分の運を使い切ってしまったのではないかと心配になる(笑)
Lucky Cincinnati Reds fan snags balls on back-to-back homers - ESPN


これがどのくらい凄い出来事か、ちょっと数字を挙げてみよう。

あるサイトが東京ドームを例に、「ファンがホームランボールをキャッチする確率」を計算している。
記事によると、ホームランボールをキャッチする確率は、東京ドームの場合で、約3836分の1(0.026%)程度で、たとえ毎試合ゲームに通っても、3836試合、約60年かかる、らしい(笑) 
ホームランボールをキャッチする確率は? [野球・メジャーリーグ] All About

オハイオ州シンシナティにあるグレートアメリカン・ボールパークの収容人員は42,059人だが、実質収容人員47,000人弱といわれる東京ドームと比べて少し少ないが、めんどくさいので、仮にグレートアメリカン・ボールパークと東京ドームの外野の収容人員は「ほぼ同じ」としておこう。

すると、ホームランボールを2個連続でキャッチするのに必要な年数は、いったい何年くらいだろうか。

仮にホームランボールを1個をキャッチするのに必要な試合数を、東京ドームと同じ「3836試合」とすると、MLBは日本のプロ野球より年間試合数が多いわけだから、3836÷162≒23.68年。毎日球場に通っても、ホームランボール1個キャッチするのに、「約24年」もかかる計算になる。

これが、ホームランボール「2個」のキャッチなら、どうなるか。
もし連続でキャッチできるかどうかを全く問わず、そして、たとえ「24年間に1回は、必ずキャッチできる」と仮定したとしても、2個キャッチするのには最長で24年×2、なんと「48年」もかかってしまう計算になる(笑)

もちろん、この「48年」という数字にしても、「どんなに時間がかかってもかまわないから、ホームランボールを2個キャッチする計算」でしかない。「2個を連続でキャッチする計算」ではないのだ。


問題の「2個連続でホームランボールをキャッチする計算」が果たして、24年×24年=576年になるかどうか、なんだか頭が混乱してきてよくわからなくなってきた(笑)
少なくとも言えるのは、2個続けてホームランボールをキャッチするなんて出来事は、おそらく300年とか、500年とかという単位でしか起こらない出来事だろうということだ。



ちなみに、MLBでの連続ホームラン記録は、「4者連続」で、これまでMLBの長い歴史の中でもわずか7回しか達成されていない。(そのうち、2度達成に加わった唯一のプレーヤーが、J.D.ドリュー。2006年にドジャースで、2007年にボストンで達成している)
List of Major League Baseball home run records - Wikipedia, the free encyclopedia
MLB4者連続ホームラン記録


日本での連続ホームランは、MLBよりひとり多い5者連続ホームランが日本記録で、1971年5月3日にあの東京スタジアムで達成された。(ロッテ対東映、10回表。ロッテ佐藤元彦投手から作道烝、大下剛史、大橋穣が3者連続ホームラン、代わった佐藤政夫投手から、張本勲、大杉勝男が連続ホームランで、5者連続を樹立)
なお、4者連続ホームランは、50年大洋(大沢清、藤井勇、平山菊二、門前真佐人)、76年阪神(中村勝、掛布、ラインバック、田淵)、83年西武(立花義家、スティーブ、田淵幸一、大田卓司)、86年ヤクルト(若松勉、レオン、ブロハード、広沢克巳)の4度達成されているらしい。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:東京スタジアム を含む記事

damejima at 10:10

March 31, 2012

有力スポーツメディアとして君臨してきたスポーツ・イラストレイテッドから、去年CBSに移籍したJon Heymanに続いて、またひとり、有力ライターが去ることになったようだ。
セイバーメトリクス系ライターのJoe Posnanskiが、USA TODAYとMLBが新たに作るスポーツメディアに移籍するらしい。

I've written this before -- my dream, from the time I was just starting out in this business, was to write for Sports Illustrated.
以前書いたこともあるが、僕の夢、この仕事を始めたときからの僕の夢はね、スポーツ・イラストレイテッドに記事を書くこと、だったんだ。

Joe Posnanski is Leaving Sports Illustrated | The Big Lead

移籍に関するPosnanski自身のブログ記事
Joe Blogs: Old News

USA TODAYの新スポーツメディア: PR Newswire: USA TODAY Sports Media Group, MLB Advanced Media to Partner on Product Development Venture


1961年生まれのJon Heymanは、ニューヨークのNewsday紙でヤンキースのビートライターとして出発し、2006年の7月から2011年12月までSports Illustratedのライターを務め、その後CBSに移籍して現在に至っている。
1967年生まれのJoe Posnanskiは、1996年10月から2009年8月までKansas City Starで働き、2007にCASEY Awardを受賞。その後Sports Illustratedのライターになった。
Heymanが、Inside Baseball、FoxのKen Rosenthalのような、いわゆる野球の内幕に通じた「情報通タイプ」であるのに対して、Posnanskiは、セイバーメトリクス系のライターで数字に強く、Fielding Bible Awardsの選考委員もやっているし、また、長編の読み物も書くジャーナリスティックな能力もある「作家タイプ」だ。

Posnanskiは、「彼のようなプレーヤーを、他に見たことがない」と高く評価する記事を書いたことがあるイチロー・ファン。
Seattle Mariners' Ichiro Suzuki is one-of-a-kind player - Joe Posnanski - SI.com
セイバーメトリクス関係者でも、イチローに対する評価は人それぞれに違うが、Posnanskiは良き理解者のひとりといっていい。フランクリン・グティエレスがライトのポジションでFielding Bible賞を初受賞した2008年でも、Posnanskiの評価はイチロー2位、グティエレス3位と、イチローをグティエレスより高く評価している。

Fielding Bible Awards投票における
Joe Posnanskiのイチローの守備評価と受賞結果

2006年 1位(ライト) Fielding Bible受賞
2007年 7位(センター)
2008年 2位(ライト)
2009年 1位(ライト) Fielding Bible受賞
2010年 1位(ライト) Fielding Bible受賞
2011年 圏外(ライト)

スポーツ・イラストレイテッドは、スポーツ記事を書く者にとって、夢の「メジャーリーグ」であり、また、スポーツ選手にとっても、自分の写真がスポーツ・イラストレイテッドの表紙を飾ることは、夢であり、成功の証だ。ライターとしてのメジャーリーグを卒業できる位置にまで上り詰めたJoe Posnanskiの今後の活躍に期待したい。
Joe Posnanskiがスポーツ・イラストレイテッドのライターになれた理由は、彼のライターとしての能力以外に、Rob Neyerもそうだが、近年セイバーメトリクスという分析手法が野球の世界でポピュラーになるとともに、セイバー手法をもとに書けるライターが、モノ書きの世界で占める地位が大きく向上した、という背景がある。


OPS批判シリーズ記事で書いたことだが、例えば、OPSなどという指標は、それが開発された当時は斬新で、信奉者が急増したかもしれないが、今となって良く点検してみれば、長打信仰から生まれた単なる「デタラメ」でしかなく、野球という現実にまるでフィットしていない。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:指標のデタラメさ(OPS、SLG、パークファクターなど)
映画『マネーボール』が扱った世界というのは、現実の野球においてはとっくに賞味期限の切れた、カビくさいネタであり、この映画がまったくアカデミー賞で相手にされず、おそらく日本でも興行として「大コケ」しただろうと推測されることは、ブログ主に言わせれば当然の話だ。

かつて野球で、誰もが数字に弱く、勘や感性が重視されていた時代に、たとえ雑な数字であっても、大威張りに野球を語れて、それが元で出世できた時代など、もうとっくの昔に終わっている。 
今は誰でも数字くらい扱える。数字のウソも見抜ける。
もともとジャーナリスティックな能力に恵まれているPosnanskiは別として、セイバーメトリクスがらみで記事を書けるからといって、これからの時代も、その書き手がより良いポジションに行けるとか、他人から一目置いてもらえるとか、ブログ主はまったく思わない



このブログでのJoe Posnanski関連記事

2009
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2009年3月30日、スポーツ・イラストレイテッドのJoe Posnanskiが、「非自責点」について語ったのを読んで、「日米の自責点の考え方の差異」についても勉強してみる。

2010
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年3月26日、The Fielding Bible Awards選考委員で、2007年CASEY Awardを受賞しているスポーツ・イラストレイテッドのJoe Posnanskiがイチローを絶賛した記事の翻訳を読んでみる。

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年3月26日、スポーツ・イラストレイテッドの表紙を4度飾ったイチローの扱いの変遷から、「イチローがにもたらしたMLB新世紀」を読む。

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年9月16日、ちょっと忘れっぽくなっているらしいピート・ローズ氏が、かつてスポーツ・イラストレイテッドの Joe Posnanskiに語ったことの覚え書き。

2011
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年2月18日、「目」をダメにする「数字というメガネ」。


イチローが表紙に登場する
スポーツ・イラストレイテッド(4回)


スポーツ・イラストレイテッド2001年5月28日号表紙
スポーツ・イラストレイテッド2002年7月8日号表紙
スポーツ・イラストレイテッド2003年5月5日号表紙
スポーツ・イラストレイテッド2004年10月4日号表紙

damejima at 10:53

March 27, 2012

Mariner Moose


日本で地震のあった2011年の翌月の4月、アメリカで竜巻の酷い被害が出て、MLBも支援を行った。
April 25–28, 2011 tornado outbreak - Wikipedia, the free encyclopedia

MLB, MLBPA team up for $200,000 in tornado relief | MLB.com: News

このブログでも、以下のリンクつきバナーを制作して、しばらくブログのトップに貼っておいた。
Tornado Relief

あのとき、日本のスポーツ新聞の記者さんたちが被害の現場まで行って取材して記事を書いた、という話は、残念ながら、ついぞ聞かなかった。あの竜巻の起こったのは、2011年3月11日の日本の津波被害による原発事故のほんのすぐ後のことで、この竜巻によって、アラバマにあるブラウンズフェリー原子力発電所外部電源を喪失し、ディーゼル発電機により冷温停止した、というのに、だ。
この事故のことは、日本ではほとんど記憶されていない。

ついでの取材なのかもしれない。だが、たとえそうであってとしても、シアトルのビートライターたちが、東北の津波被害の現地にわざわざ出向いて取材してくれていることについて、日頃いくら彼らのことを時にきつい表現で非難することがないではないブログ主とはいえ、心からの感謝を述べないわけにはいかない気持ちにさせられる。野球の上での批評や非難というものは、単に野球の上だけでの意見の相違の意味しかない。

2011年アメリカの竜巻被害
2011年アメリカの竜巻被害


ありがとう。ビートライターたち。
ありがとう。シアトル。
オークランドの選手たちも、ありがとう。


マリナー・ムース!




右はアレックス・リディ


damejima at 12:51

February 23, 2012

MLBについての英語サイトを眺めることの多い人は、たまにbeat writer (ビート・ライター)という言葉に出くわすことがあると思う。


beatという言葉には、「叩く」とか、マイケル・ジャクソンの名曲Beat It!で有名になった「逃げる」とかいう意味以外に、「受け持ち区域」とか「担当エリア」、あるいは転じて「専門ジャンル」という意味がある。

例えば、シアトルを舞台にした『Police Beat』(2005年)
というタイトルの映画がある(ブログ主はその映画自体は見てない)。
この映画の主人公は担当エリアを自転車で巡回する警官なのだが、ここでいうbeatとは、警官にとっての「担当エリア」を指している。(なんでも、警官が自転車に乗って担当エリアを巡回するカジュアルな行動スタイルを近年全米に広めたのはシアトルの警官が発祥らしい)

またジャーナリストの最高の栄誉のひとつであるピューリッツァー賞には、2006年までPulitzer Prize for Beat Reportingという部門があった。
記者にも、例えば医事記者、政治記者のように、特定の専門ジャンルを掘り下げるタイプの記者が存在するわけだが、ここでいうbeatは記者の「専門分野」という意味で、特定分野=beatについて取材して記事を書く記者のことを、beat reporterと言ったりする。
The Pulitzer Prizes | Beat Reporting



だからMLBでいうbeat writerは、日本のスポーツ新聞やテレビのスポーツニュースでいう「番記者」に近い意味になる。この場合、beatは、「ローカルメディアのスポーツ記者の担当チーム」ということになる。

ただ、beat writerが、日本でいう「番記者」と完全にイコールかというと、ちょっと違う。

というのも、
日本のプロ野球の「番記者」というと、日本全国をカバーするキー局や全国紙から派遣された番記者もいれば、球団それぞれの地元のメディアの番記者もいて、ローカルと全国メディアの間の役割分担がハッキリしていない。

(ちなみに世界の新聞購読者数ランキングでは、ベスト5を日本の新聞が独占(読売、朝日、毎日、日経、中日)している。日本人は世界でダントツの新聞好きなのだ。世界5位の中日新聞ですら、全米ベスト2社、Wall Street JournalやUSA Todayの倍以上の購読者層をもつ。例えば中堅ローカル紙のSeattle TimesやSan Francisco Chronicleは、そのUSA Todayの7分の1以下の規模なのだから、日米で新聞の発行規模にいかに大差があるかがわかるし、また、メディアとしての権威は新聞社の規模には比例しないこともわかる 笑)

それに対して、
MLBでいうbeat writerは、基本的に「ローカルメディアの記者」とイコールになる。

全米における新聞別購読者数ランキング List of newspapers in the United States by circulation - Wikipedia, the free encyclopedia
例:SFジャイアンツ  サンフランシスコ・クロニクル
  ロイヤルズ     カンザスシティ・スター
  レッドソックス    ボストン・グローブ
  フィリーズ      フィラデルフィア・インクワイラー
              (エンクワイラーとも表記される)

だからbeat writerは、「特定チームの取材を担当する、ローカルメディアの記者」ということになる。
他方、ESPNやFOX、CBSのような全米をカバーするメディアは、それぞれのチームの細かい情報集めはローカルメディアにまかせて、自分たちはMLB全体を担当する。日本の大手スポーツ新聞のように、野球チーム全部をカバーできるだけの人数の番記者を雇って番記者として張りつけるようなことはしない。


例を挙げると、シアトルのローカルメディアであるSeattle Timesの記者であるGeoff Bakerは、シアトルの、それもMLBシアトル・マリナーズだけを追いかける典型的なbeat writerだが、MLB全体を扱う立場にある全米メディアのライター、FOXのKen Rosenthalは、beat writerではない。
Ken Rosenthalのツイッターの使い方を見ていればわかるように、全米メディア所属のライターは、チーム個別の細かい情報提供はローカルのbeat writerたちが発信するツイートのリツイートなどでまかなって、(それを集約したり、情報を補ったり、意見をつけ加える作業はしつつも)、基本的に自分たちはMLB全体に関係する情報を取材し発信する。(もちろん必要と感じれば、ローゼンタールが直接ズレンシックに電話取材してツイートしたりするように、個別チームを直接取材する場合もある)


ちなみに、以前ツイートしたことだが、ローカルメディアの野球ライターが、本来の職分であるローカルの野球の仕事を忘れて、例えばスーパーボウルのような、全米レベルの、それも畑違いのスポーツのトピックに興奮して、自分の個人的な興奮を一日中ツイートしまくるなんていう行為は、ジャーナリストとして非常にスジ違いな行動だと思う。
beat writerには、beat writerが本来守るべき狭いテリトリーがあってしかるべきだ。
beat writerのツイッターのアカウントというのは、スポーツにとって既にひとつのメディアになっていて、「ローカルに強味を持つbeat writerからしか得にくいスポーツの情報」を集める戦力のひとつになっている。
だから、全米で誰も彼もが似たり寄ったりなことをつぶやく大イベントの個人的感想を発信する必要など全くないことを、beat writerは自覚すべきだ。個人的な感想をどうしても言いたいのなら、個人用のアカウントでも作って、そっちでやってもらいたい。
また、全米メディアのライターであるRob Neyerのマネーボールに関するしつこいツイートが揶揄されるのも、似たような理由だ。彼が興行成績がさえないくせにゴールデングローブを獲りたがっている映画マネーボールの関係者にプロモーションを依頼されてツイートを繰り返しているのかどうかは別にして、才能ある彼のツイートに常に求められているのは、あくまで全米メディアとしてのMLBの情報であって、中身の薄っぺらな映画の個人的感想などで貴重な情報空間であるツイートを埋め尽くすべきじゃない。
damejimadamejima
こういう日でも、誰かに返事するとき以外、基本的に野球のツイートしかしないケン・ローゼンタールを尊敬したい。これが全米を相手にするライターとローカルライターの違いでもある。読みたいのは興奮して当たり前のスーパーボウルだの、飲んだワインがうまいだの、そんなくだらない話ではない


「beat writerと、全米メディアのライターとの間の、立場の違いや役割分担」は、もうおわかりのように、「独立した体系をもつアメリカの州それぞれと、合衆国連邦政府との間の独特の関係」に通底している。
だから、アメリカでの「州と連邦政府との関係」が、日本の「県と国との関係」と同じではないように、アメリカのbeat writerと日本の番記者の微妙な立ち位置の違いには、2つの国の文化や歴史の違いが背景にあるわけだ。
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damejima at 11:57

February 04, 2012

第47回Hutch賞の受賞セレモニーで、ビリー・バトラーは、カンザスシティ・ロイヤルズの先達で、同じカソリックでもあるマイク・スウィニーが行ってきたスタジアム外での偉業に触れて、次のようなスピーチを行った。

このスピーチを紹介したMLB公式サイトの記事タイトルには、「人のかしこまった様子」を表すhambleという言葉が使われているが、この言葉はバトラーがマイク・スウィニーから受け継いだ何かをとてもよく表していて、このスピーチにふさわしい優れた言葉のチョイスだと思う。 (公衆の前でのスピーチの言葉だから、いちおう敬語の文章として訳してみた)

"Mike Sweeney was the portrait of what you want to be as a man," Butler said. "He does everything right, so to win this award after he's won it means a lot to me. ... ."

マイク・スウィーニーは、人としてこうありたいという、お手本でした。彼は、彼にできるあらゆる正しい行いをしていました。だから、(自分に先立って2007年にこの賞を受賞している)彼の後に続く形でこの賞を受賞できたことは、私にとって、とても意味のあることです。」
Billy Butler humbled, thankful for Hutch Award | MLB.com: News

Sweeney wins 2007 Hutch Award | MLB.com: News



マイク・スウィニー

こんなところで彼の名を聞くことができるとは。喜ばしいことだ。
だが、スウィニーの野球におけるスタッツの高さはわかっていても、彼の「人間としてのスタッツの高さ」を、正直言うとこの記事を読んで調べるまで知らなかった。いまさらながら申し訳なく思い、この記事を書いている。

ビリー・バトラーはこんなことも言っている。

"One of the joys of playing baseball is to be able to give back as much as possible. It's almost the least you do, because without fans, baseball isn't anything."

バトラーの言葉を直訳するのは簡単だ。だが、直訳するだけでは何の意味もない。バトラーの発言は短いものだが、その意図の背後にある歴史を遡っていくことはなかなか膨大な作業になる。そして、それを読み解く作業は、解釈する人それぞれの生き方のバックグラウンドに、大きく左右される。
ならば、単純に日本語に訳すより、原語のまま頭に入れるほうがずっとマシだ。

例えば、バトラーの言うgive backという言葉はもちろん、「与えられた恵みを、やがて地にかえす」行為をさす。
スポーツには「恵まれた才能」という、よく使われる言葉があるが、「恵まれた」という言い方は、「誰がその恵みを与えたのか」という主語が曖昧なままの、ぼんやりとした言葉使いなわけで、ホームインしたとき、天を見上げて十字を切る国の野球選手たちにしてみれば、「誰によって、才能という恵みが自分にもたらされたのか」は、言葉にするまでもない自明のことだろう。
また、without fans, baseball isn't anythingという部分にしても、彼が「野球にgive backする行為を含ませることで、野球というものが意味のあるもの、価値あるものになることができる」と言外で言っていることを思えば、背後にworthという意識が非常に強く働いていることは明らかだ。

英語にworth one's saltというイディオムがあるが、これはworth one's pay(給料にみあった働きをする)というイディオムと同じ意味で使われる。
塩と給料が同じ意味で使われるのには理由があって、salaryという言葉は語源として、もともとラテン語のsalarium、さらに言葉を分解すれば「塩」を意味するsalというラテン語から来ていて、古代ローマ時代の兵士の給料が、現代のように紙幣や貨幣ではなく、「塩」で支払われていたという歴史的なバックグラウンドがあるからだ。

だが、「地の塩」という言葉があるように、中世ヨーロッパの人々の意識の中で、「saltは、自分が働いて得た稼ぎであるが、それを日々の暮らしの中で消費して終わるだけではなく、社会へ還元することによって、そこに新たに、worth=自分の価値が生まれてくる」と、saltとworthを結びつけて考える意識が生まれた。(こうした「地の塩の解釈」それ自体が、おそらくは中世以降、近代における解釈だろうとも思うが、それはともかくとして)
saltとworthの結合の意識はやがて、起業や投資などによって社会を繁栄に導く経済行為の正当性や倫理の感覚としても発展を遂げ、それがアメリカにも流れこんで発展していくわけだが、こうした人間の意識の変化がいかに経済や社会の発展に寄与したかを知るには、単に「サラリーの語源は塩だ」と知るだけではとても足りない。それはまさにマックス・ウェーバーが名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で描こうとした世界であり、(ビリー・バトラーとマイク・スウィニーはプロテスタントではなくカソリックではあるにしても)それはアメリカがどういう風に成り立ってきたかという歴史の理解にも結びつく。
(「地の塩」という言葉の解釈にしても、古代ローマ時代における「塩」の意味を知るだけではなく、14世紀以降にラテン語聖書を英語に訳すに至った経緯や、産業革命とのかかわりをふまえると、単に中世以降に成立した英語の訳文をそのまま日本語に直訳すれば済むというわけではなくて、むしろ本来なら最低でも英語訳以前のラテン語段階くらいまでは遡って解釈するような慎重さが必要になると思うが、その長い話をここで書き切ることなど到底できない)


マイク・スウィニーは、1991年ドラフトで10巡目(全体262位)でカンザスシティに指名され、1995年のセプテンバーコールアップでメジャーデビューしている。初ホームランは、1996年8月12日にジェイミー・モイヤーから。
1999年に殿堂入りしたカンザスシティ黄金期の名リードオフマン、ジョージ・ブレットが引退したのは93年で、スウィニーのメジャーデビューはその2年後だから、スウィニーのデビュー時には、1980年代まで続いたロイヤルズの全盛期は既に終焉していた。
2010年に引退したスウィニーは、2011年ロイヤルズのホームパーク、カウフマン・スタジアムでのオープニングゲームで始球式を行っているが、そのとき捕手として球を受けたのは、ホール・オブ・フェイマー、ジョージ・ブレットだった。
Mike Sweeney Statistics and History - Baseball-Reference.com

Mike Sweeney » Statistics » Batting | FanGraphs Baseball

ことにスウィニーが素晴らしい打撃成績を挙げたのは、腰痛が持病になる前の1999年から2005年で、7シーズンの平均打率が.313、打点97、OBP.383。2000年と2002年には、wOBAがなんと.400を越えている。後輩ビリー・バトラーも真っ青の凄まじい打撃成績だ。この間、5回のオールスター選出も当然の話。
ちなみにイチローに関して話題になるシーズン200安打だが、スウィニーも一度だけ2000年に206安打を打っている。(この年のトップはANAのダーリン・エルスタッドの240本、2位がジョニー・デーモンの210本)
1999年から2005年の間の彼の平均ホームラン数は23本だが、OPSのデタラメさを批判した記事で何度も指摘している通り、平均打率で.313を打ってくれて、同時にホームランを20本以上も生産してくれる素晴らしい打者が、このブログでいう「OPSで甘やかされた低打率のハンパなスラッガー」なわけはない。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:指標のデタラメさ(OPS、SLG、パークファクターなど)

2000 American League Batting Leaders - Baseball-Reference.com

Sweeney purchases full-page ad to thank fans, organization - MLB - ESPN


マイク・スウィニーが運営するThe Mike and Shara Sweeney Family Foundationの活動については、非常に多岐に渡る事業が行われていることもあり、このブログであれこれ不正確なことを言うより、自分でウェブサイトを参照して確かめてもらいたい。
The Mike and Shara Sweeney Family Foundation - Mike Sweeney, Kansas City Royals 1B
一例だけ挙げておけば、都市のスプロール化による都心部の退廃が問題化して久しいカンザスシティのダウンタウンにおいて、ドラッグ売買に使われるような治安のよくない空き地を買い取り、野球場として整えて提供する、というようなことも行っている。
Sweeney has impact on life in KC | royals.com: News


彼の腰痛前のスタッツを眺めていると、もし腰痛さえなかったら彼がいったいどんなプレーヤーになっていたことかと思うが、The Mike and Shara Sweeney Family Foundationで、マイク・スウィニー自身が書いているところによれば、彼が野球のキャリアにおいて最も追い詰められた気持ちになったのは、むしろ腰痛ではなく、メジャーデビュー後なかなか芽が出なかった時代に経験した「トレードの噂による心痛」らしい。
Mike's Story - The Mike and Shara Sweeney Family Foundation - Mike Sweeney, Kansas City Royals 1B

スウィニーはデビュー当初、強打のキャッチャーとしてデビューしており、まるでかつてのジェフ・クレメントや、今のヘスス・モンテーロのような立場にあったわけだが、打撃が開花したのは1999年に一塁手にコンバートされて以降のことで、その後オールスターに5回出場を果たすまでの素晴らしい選手になったわけだが、それでもデビュー後数年は芽が出ず、スウィニー自身の言葉を借りると、「もしトレードされたら、という『仮定』の問題ではなくて、それはもう、いつトレードされるのかという『時期』の問題」だったらしい。

傷ついていた彼の心がいかに立ち直ることができたかについては、これも拙い日本語訳によって、彼の最も伝えたい「ストーリー」を妨げたくはない。
(彼は、自分の半生を綴る文章で、I believe there is power in a story. Jesus told a lot of stories. と語り、「ストーリー」と出会う大切さを説いている。彼の言うstoryとは、単なる「物語」というより、「必然的な出会い」に近い)

どうか、英語の苦手な人も自分の自助努力で、彼の大切にしている「ストーリー」を読んでみてほしい。タンデムの自転車、つまり、2人乗りの自転車がマイク・スウィニーが与えてくれた「インスピレーション」と「心の平安」についてのノンフィクションが、彼の穏やかで開放的な性格そのまま、てらいのない語り口で綴られている。 (マイク・スウィニーがカンザスシティ・ロイヤルズを去らなければならなくなった2007年にスウィニーの出した新聞広告と、ラストゲームのドラマについても、どこかで目にする機会を持っていただければ幸いだと思う)
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サヨナラホームランを打ったイチローを出迎えるマイク・スウィニー


damejima at 09:25

January 30, 2012

以下は、ESPNニューヨークの記事。
バレンタインいわく、「僕はヘスス・モンテーロがやがてヤンキースの正捕手になるだなんてこと、考えたことがない」そうだ。

どうだ(笑)
1月18日にアップしたダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2012年1月18日、打者より投手。そういう時代。で、「(ヤンキースが)ヘスス・モンテーロを放出したってことは、ヤンキースがモンテーロの将来性を既に見きわめ、見限ったのだ、ということくらい気づくべきだ。」と書いたが、まったく当たっていた。

もちろん、先日とりあげたESPNのジェイソン・スタークの記事(下記リンク)の内容とも見事に一致している。モンテーロは最初からヤンキースのトレード・ピースだったのである。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2012年1月20日、ESPNの主筆ジェイソン・スタークが、MLBにおけるピネダ放出を疑問視する声、ズレンシックのトレード手法の「狭量さ」に対する他チームGMの不快感、モンテーロの慢心ぶりへの関係者の不快感を記事にした。

そりゃそうだ。
下記の記事にもあるように、モンテーロは2011年9月に1ヶ月だけメジャーでプレーしているが、出場した18ゲームの大半(15ゲーム)は、DHとしての出場であり、マスクをかぶったのはわずか3ゲームにすぎない。
もしヤンキースがモンテーロを「シーズン通して」使う気があるなら、そして、「正捕手として」本当に使えるのなら、シーズン終了間際にこういう「チラ見せ」なんかせず、シーズン最初からキャッチャー兼DHとしてきちんと使う。それが「次期正捕手候補」としての正当な使い方だ。
Jesus Montero 2011 Batting Gamelogs - Baseball-Reference.com

おまけに、ヤンキースは去年のポストシーズンでも、モンテーロを1度しか使っていない。(ALDS Game 4 デトロイト戦 10-1でヤンキース勝利) しかもその出場は、デッドボールを受けたDHポサダの代打に過ぎず、単にDHとしての出場であって、キャッチャーとしては出場していない。ヤンキースはポサダにかわるキャッチャーとしてドジャースからラッセル・マーティンを獲っているのだから、当然の話だ。
守備に不安のある新米キャッチャーを、1試合1試合が真剣勝負のポストシーズンでマスクをかぶらせるわけがない。
New York Yankees at Detroit Tigers - October 4, 2011 | MLB.com Classic

下記の記事、もうちょっと捕捉が必要かもしれない。

ボビー・バレンタインは、ボストンの監督になる直前の2011年11月から、ニューヨーク生まれの往年の名投手オーレル・ハーシュハイザーなどとともに、ESPNのSunday Night Baseballという番組のコメンテイターをつとめていた。
下記の記事で、「1月中旬、こんなことを言っていた」という記述があるのは、番組を見たわけではないが、おそらく「1月中旬のSunday Night Baseballの番組中で、こんなコメントをしていた」という意味だろう。

ちなみにハーシュハイザーが引退したのは2000年のことだが、引退前年の1999年は地元ニューヨークのメッツでプレーしていて、そのときの監督がバレンタインだった。(バレンタインがメッツの監督だったのは、1996年から2002年まで)
バレンタインの故郷コネティカット州スタンフォードはニューヨーク中心部から北東へ約36マイル(およそ57km)で、ニューヨークの衛星都市、昔の言葉でいえばベッドタウンだから、同じニューヨーク郊外のバッファローで生まれているハーシュハイザーとは、出身地がほぼ同じという関係でもある。




Bobby V. not surprised by Montero trade - Yankees Blog - ESPN New York

Seeing the Yankees trade their young catcher, Jesus Montero, didn't come as a surprise to new Red Sox manager Bobby Valentine.
ヤンキースが若いキャッチャー、ヘスス・モンテーロをトレードするのがわかっても、レッドソックス新監督ボビー・バレンタインにとってそれは驚きではなかった。

"I thought that was kind of in their plans," Valentine said on Sunday at Rippowam Middle School in his hometown of Stamford, Conn. "He helped their plans come to fruition by the way he played that last month of the season. I didn't really ever think he was going to be their catcher of the future but maybe."
バレンタインは日曜に、故郷コネティカット州スタンフォードのRippowam Middle Schoolで語ってくれた。「モンテーロがシーズン最後の1ヶ月にプレーしたことは、ヤンキースのプランが実を結ぶのに一役買ったね。僕は、将来モンテーロがおそらくヤンキースのキャッチャーになるだろうなんてことを、まるで考えたことがない。

Valentine, who is never one to shy away from giving his opinion, previously didn't seem that impressed that the Yankees acquired touted rookie pitcher Michael Pineda from Seattle in exchange for Montero.
バレンタインは、自分の意見を言うのを尻込みしたりする人間ではない。ヤンキースがモンテーロと交換に有望ルーキー、マイケル・ピネダをシアトルから獲得したことにも、好印象を持っているわけではないらしい。

"Pineda, when I saw him in the first half (last season), he looked unhittable. In the second half, he looked OK," Valentine told reporters in mid-January. "I don't know. (Seattle) saw a lot of him, and they traded him."
1月中旬バレンタインはレポーターに、「ピネダは、昨シーズンの前半戦に見たときには、とても打てそうに思えなかった。だけど後半戦になったら、打てそうだったね。」と話していた。「シアトルがピネダの力量をどの程度確かめたのかわからないけど、彼らはピネダをトレードした。」

While Valentine said the trade didn't surprise him, he did not elaborate on why. The Yankees also traded away reliever Hector Noesi in the deal and received a minor league pitcher.
バレンタインは、このトレードに驚いてはいないと発言していたが、その一方で、このトレードが行われた理由については詳しいコメントをしていない。ヤンキースはこのトレードでリリーバーのヘクター・ノエシを放出し、マイナーのピッチャーを獲得している。


"I don't know," Valentine said when asked if he thought Montero was going to be used as a trade chip in the future. "I don't know what the Yankees are doing, I think Brian (Cashman) is a real smart guy, one of the great managers in the game of baseball, and I don't know what his plan was."
モンテーロが将来トレードのピースとして使われると思うかどうか尋ねたところ、バレンタインは「私にはわからない」と答えた。「僕にはヤンキースが何をしようとしているか、わからない。ブライアン(=ヤンキースGMキャッシュマン)は実に頭のいい男で、野球界の偉大なGMのひとりだけど、僕には彼がどんなプランを持っているのかなんてことまではわからない」


damejima at 18:38

November 23, 2011

来シーズンは、動向がまだ不明のダルビッシュはじめ、青木中島川崎チェン福原など、かなりの数のNPB在籍選手が来シーズンのメジャーデビューに向けて準備している(あるいはMLB側が調査している)ようだが、評価の高いダルビッシュを除くと、MLB側がNPBの選手を評価する基準は、もう、かつて松坂井川が大金で移籍した時代ほど高くはない。 (というか、明らかに下がっている)

それはそうだろう。彼らも、「たくさんの失敗」を経て「懲りている」のである。もちろん、ダメ捕手城島も、その失敗例のひとつだ。
そのことをスポーツ・イラストレイテッドのTom Verducciがまとめた記事があちこちで引用されているのだが、その中に城島について書かれた部分が少しだけあるので、以下に記録として残しておく。

この記事については既に翻訳がネット上に存在しているわけだが、いかんせん、残念なことに、城島について触れた部分の翻訳が、極めてよろしくない。きちんとした記録として残しておくためには、原文を貼っておしまいにするか、自分で訳し直すしか方法がないので、しかたなくちょっと作業して記事を作ることにした。やれやれ。


Lack of success by Japanese stars opens debate about next wave - Tom Verducci - SI.com

原文(原文の一部)
Aoki has drawn some comparisons to Suzuki for his style of play, though he has not been that kind of impact player. Other than Suzuki and Matsui, many position players from NPB have been less than advertised as major leaguers despite major financial investments, including infielder Kaz Matsui ($20.1 million for three years), catcher Kenji Johjima ($24 million, three years), outfielder Kosuke Fukudome ($48 million, four years) and Nishioka ($9.25 million, three years).

One talent evaluator said the track record of such players has been so poor that his club devalues NPB players at least one level from their established level in Japan, saying, "If you're looking at everyday position players you probably think of them as fourth outfielders or utility players for the most part. Whatever role they had there, we downgrade and then see if that's a fit for us."


当ブログ訳
アオキは、イチローとプレースタイルにおける類似点をいくつか指摘されてきているが、彼がイチローのようなインパクトのあるプレーヤーだったわけではない。イチローとマツイ以外、内野手のカズ・マツイ(3年20.1M)、キャッチャーのケンジ・ジョージマ(3年24M)、外野手のコウスケ・フクドメ(4年48M)、ニシオカ(3年9.25M)を含め、NPBから来た野手の大半は、多大な投資によって獲得されたにもかかわらず、メジャーリーガーとして額面どおりの活躍を見せることはなかった。(ブログ注:advertised=表示価格と実際の活躍が釣り合わない、つまり「期待はずれに終わった」という意味)
あるスカウトによれば、これまでの日本人野手のこうした期待はずれな成績から、彼の球団では、NPBの野手評価を、彼らが日本で確立していた評価のレベルから、少なくともワンランク下げて考えるようになった、という。「日本ではスタメンだったとしても、おそらく、たいていの場合、外野手の控えか、ユーティリティ程度に考えないといけないと思う。たとえ彼らが日本でどんな地位にあったにせよ、我々はいったんそこから割り引いて考え、それからその選手が我々に必要かどうか、判断している」



同じ文について、別サイトでの訳に、こんなのがある。

「アオキのプレースタイルは、よくスズキと比較される。しかし彼はそれほどインパクトの有る選手ではない。スズキとマツイ以外のNPBからきた多くの野手は、メジャーリーガーとして多額の投資をしたにも拘わらず、その効果はもう一つだ。内野手のカズ・マツイ(3年、20.1百万ドル)、キャッチャーのケンジ・ジョージマ(3年、24百万ドル)、外野手のコウスケ・フクドメ(4年48百万ドル)、そしてニシオカ(3年9.25百万ドル)らだ。
ある評論家は、これらの選手の悲惨な成績が、NPB選手に対するそのチームの評価となり、日本でプレーする選手の評価につながっていると言った。曰く「もし君がレギュラーでプレーする選手を見ても、彼らを第4の外野手か、ユーティリティプレーヤーが良いところだと思うだろう。彼らが、そこでポジションを与えられて、それが私たちにフィットしていると思えても、グレードダウンになる」
ダルビッシュがメジャーで成功する鍵とは? - Can I talk about MLB? - Baseball Journal (ベースボールジャーナル) - livedoor スポーツ


原文、あるいは当ブログの訳文と比べて読んでもらえばわかるが、正直こんないい加減な訳では、ほとんど原文の意図がわからない。

原文には、近年では日本人野手についてdevalue at least one level (最低でもワンランク評価を下げる)のが普通になったと、これ以上ないくらいハッキリ書き、downgradeという単語も使っているのに、こんなわけのわからない機械翻訳みたいな日本語に訳したのでは、原文の単語の意味もわからず、また、文章全体の意図もまるで理解できないまま訳しているとしか思えない。
MLB関係者が、イチロー以降の野手たちの「失敗ぶり」が原因で、日本人野手の評価をNPB在籍時代からワンランク割り引いて考えるようになっている、という話は、この原文の最も重要な論旨のひとつである。
また、メジャーでダメ捕手城島が「日本人野手獲得の失敗の、代表例のひとつ」と考えられていることも、こんな訳では曖昧になってしまう。

当ブログ訳では、talent evaluatorを、「どこかの球団の内部の人間」である、という意味で、「スカウト」と訳した。talent evaluatorというのは、NFLなどでも聞く職業だが、野球の場合、「戦力分析家」とか訳して何のことだがわかりにくくしてしまうくらいなら、単純に「スカウト」と訳したほうが混乱を防げる、と考えた。
これを、別訳のように「評論家」などと訳してしまうと、後半部分のコメントを寄せたMLB関係者は「どこのチームにも直接属さない、外部の人物」ということになってしまって、その後の「his club(彼の所属球団)」という一節および文章全体とまったく意味が通じなくなる。
「評論家」と訳した後者は、明らかに、talent evaluatorがどんな位置にいる人物かわからないまま訳しているために、文章後半の主語weとかyou、あるいはhisやusという言葉が、具体的に何を指すのか、ほとんどわかっていない。


別に他人の訳文をけなしたいわけではないのだが、曖昧にされたくないことなので、いたしかたない。



damejima at 12:52

June 25, 2011

ニューヨーク・タイムズにちょっとイチローのことを触れた記事があった。書いたのは、Derek VanRiperという、なんとなくオランダ系を思わせる名前のRotoWire所属のライターだ。
Fantasy Focus: Batted-Ball Types - NYTimes.com

RotoWire、というのは、Fantasy系の情報を広くスポーツメディアに提供しているウィスコンシンの会社で、提供先は、ESPN, Yahoo! Sports, FoxSports.com, NASCAR.com, NFL.com, NBA.com, and Baseball Prospectusと、大手スポーツメディアの大半はこの会社の提供する情報やライターを使っているといっていい。
シアトルのGMジャック・ズレンシックが、マリナーズの統計分析部門をまかせているTony Blenginoという男も、もとはRotoWireで野球のスタッツに関する記事を書いていたライターで、ズレンシックがミルウォーキーにいた頃から使っている。
下記の記述で見るかぎりは、ズレンシックの数字趣味(笑)は、昔からのものではなく、かなり付け焼刃風のようだ。
"I've always had that statistical information in addition to scouting," said Blengino, a former baseball stats writer for RotoWire, whose first job out of college was as a CPA. "It's an aspect I brought to Jack when we were in Milwaukee together. That's where my core is. That's where I started."
Mariners | Mariners plan department devoted to statistical analysis | Seattle Times Newspaper

ニューヨーク・タイムズの話に戻ろう。
この記事の本来の話題は、去年コロラドで24歳で大ブレイクし、シルバースラッガー賞とゴールドグラブを同時受賞し、打率.336で首位打者にもなったCarlos Gonzalezの今シーズンのバッティングの話。

ライターDerek VanRiperいわく、「Baseball Referenceによれば、今年のナ・リーグではライナーの70%以上がヒットになるらしいが、今年のCarlos Gonzalezの打撃数値がイマイチなのは、去年は20%以上もあったライナー率が、今年低下していることにある」とか、そういう趣旨のことを言いたいらしい。
       ゴロ フライ ライナー(ライナー率)
2010年  194  167  95(20.8%)
2011年  101  76   39(18.1%)
(2011年6月24日現在)
Carlos Gonzalez » Statistics » Batting | FanGraphs Baseball

アンタねぇ・・(笑)もっともらしいように書いてるけど、実にくだらない(笑)日本にもよくいるよな。こういう、「ライナーこそが野球」とか勘違いしてるヤツ(笑)
「ライナーが減ったから、ヒットが減った」んじゃなくてねぇ、単純に、活躍した翌年だから他球団にスカウティングされ、その結果、ライナーも含めてバットの芯で打たせてもらえなくなって、ヒット自体が減ったってだけでしょうが(笑)フライも減ってるのは見てないのかね。まぁ、いいんだけどさ(笑)


まぁ、ヘボいライターさんのテキトーすぎる分析など、本当はどうでもいい。問題は、そのあとだ。

このしょっぱいライターさんは、「ライナーはヒットになる確率が非常に高い。ライナーが減るとヒットも減る」とかいう(笑)出来損ないのギミック(笑)を披露しつつ、Carlos Gonzalezに関してダラダラ、ダラダラ書いたあとで、「ライナーはヒットになる確率が非常に高い」という世紀の大発見(爆笑)に「あてはまらない打者4人」を挙げているのだが、こちらのほうがむしろずっと面白い。

ハンリー・ラミレス   FLO (14.3/55.1/30.6)
イチロー        SEA (18.1/60.9/21.0)
アレックス・リオス  CWS (19.1/45.0/35.9)
ケイシー・マギー    MIL (13.8/53.2/33.0)
(数字は、ライナー/ゴロ/フライのそれぞれの率)


イチローに関する記述で、ほほぉ、と思ったのは、「2011年のゴロ率が約60%と高く、これはあの262本のシーズン最多安打を打った2004年の63.7%に次いで、キャリア2位のパーセンテージ」だという記述。なるほど。ゴロが多いから不調というわけではないのだな。ふむふむ。そこだけは、教えてくれてありがとう(笑)

Derek VanRiperは次のように書いて、イチローについての詳しい分析を諦めている(笑)
The usual rules do not apply to Ichiro.
「イチローには、普通のルールはあてはまらない」
そんなことはね、最初からわかってます。アナリスト業界の親玉ビル・ジェームズ親父も、イチローについてはとっくに、アンタとまったく同じこと言ってサジを投げてますって(笑)


シルバースラッガー賞を2回受賞しているフロリダのスラッガー、ハンリー・ラミレスが、ホームラン数の割りには「ライナーが少なく、ゴロの多い打者だ」というデータもちょっと意外。面白い。
Hanley Ramirez Statistics and History - Baseball-Reference.com


(ちなみに、これはイチローのゴロ/フライ/ライナーのそれぞれのBABIPについて書かれたFangraphのDavid Golebiewskiによる記事。Ichiro’s Silent Season | FanGraphs Baseball
Baseball NationのRob Neyerも、この記事を参考に今シーズンのイチローの不振について記事を書いているくらいの記事で、数字がわかりやすく、説得力もある。
ただ、イチローの数字上、最もBABIPが低下しているのは、Rob Neyerが「イチローの走力低下」を指摘している「ゴロ」ではなく、むしろDerek VanRiperがヒットの源泉だと思っている「ライナー」だ。これまで7割以上がヒットになってきた「ライナー」が、今シーズンは5割ちょっとしかヒットになっていない。これはもしかすると、ゴロやライナーが野手の正面をついているのは、守備のシフトもあるのかもしれない。)






damejima at 03:49

February 19, 2011

大事なのは、野球そのもので、数字などではない。

たしかに数字という道具は便利だ。「野球の見えづらい部分に、より正確にピントをあわせるためのメガネ」や、「自分なりに野球を測定するための定規」、「野球を別の角度から見るための双眼鏡」になってくれたりする。
だが、忘れてならないと思うのは、どこまでいっても「メガネや定規は、野球そのものではない」ことだ。ボールはバットでなら打てるが、定規では打てない。


いままで、こういう当たり前のことは、誰かが説明しなくてもハッキリしていた「はず」だった。
だが、これだけ数字が幅をきかせる時代になってくると、いつのまにやら「数字をいじくること」が、ヒットを打つことと同等だとか、それより偉いとか、大きな勘違いをするようにもなってくる。人間ってのは、ほんとうにそういう「心の弱い動物」で、困ったものだ。


数字という「メガネ」をかけてモノを見ることに慣れると、いつのまにか「裸眼」で野球を見れなくなってしまう。

そうすると、もう、その人の「目」はダメだ。

「メガネをかけ続けるようになって、目をダメにした人」の意見は、時代を牽引しない。むしろ、発展にフタをして、成長に邪魔をするようになる。(もちろん、ここで言いたいのは、「たとえばなし」である。メガネをかけた人たちを差別しているわけではない)



イチロー好きなスポーツライターJoe Poznanskiは、数字だけにとらわれないライターだとは思っているし、好感をもっている。
だが、だ。「500の四球は、350本のヒットに相当する」なんていう雑すぎる論点から、「打率.280で四球をたくさん選んだバッターは、打率.320のバッターに匹敵する」なんてことを軽々しく、公共の場(この場合はSI.com)に書いてはいけない。
たまにはJoe Poznanskiも「メガネ」をはずしてみるべきだろう。師匠のビル・ジェームズのような「Fielding Bibleの投票で、ロクにゲームに出てないのに、自分のお気に入りの選手だからという、くだらない理由だけでジャック・ウィルソンに高い点数を入れてしまうほど、耄碌したメガネ親父」のことなど忘れて野球を見るべきだ。
Joe Posnanski » Posts Trading 500 for 325 «


ブログ主は複数の理由から
500個の四球が、350本のヒットと「同じもの」だ、「同等」だ、
なんて思ったことは、一度たりとも、ない。四球はヒットとは根本的に違う性格のプレーである。

数字は、ヒットを打ったり、カーブを投げたりはしない。ヒットを打つのはバッターで、カーブを投げるのはピッチャーの仕事である。数字は、盗塁したり、ファインプレーしたりもしない。
数字も、数字を扱う人も、ヒットを打つことより偉くなんかない。


打率.280あたりで四球をたくさん選んだバッターは、打率.320のバッターにも匹敵する、なんて与太話は、「メガネ親父の好きな、つまらない『数字の上のお遊び』」だということくらい、瞬時に見抜けなくてはいけない。
こういうくだらないギミックは毎日のようにメディアに大量に流布され続けているわけだが、こういうのを見ても、まるで疑問も抱かず、即座にうなづいてしまうほどアタマが弱ったら、ブログ主は野球ブログなんてやめたほうがマシだと思っている。






damejima at 06:14

December 30, 2010

このブログでは何度も取り上げてきたケン・バーンズ"The 10th Inning"を、元日にNHK BS1で放映するらしい。もちろん日本語版としての放映、ということになる。

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年9月9日、盗塁とホームランの「相反する歴史」。そしてイチローのメジャーデビューの歴史的意義。

この番組を見るなら、このグラフを頭に入れておいてから見るといいと思う。パワー(たとえばホームラン数)と、スピード(これは盗塁だけに限らないが)の相関関係は、MLBの歴史に強く影響しているからだ。もちろん、このところずっと書いてきた「MLBストライクゾーンの変遷と現状の混乱ぶり」にも強く影響している。
メジャーの歴史における盗塁とホームランの関係



メジャーリーグ ~アメリカ社会を映す鏡~
原題:Baseball The 10th Inning
放映時間はすべて日本時間
第1回 2011年1月1日 午後2:00~2:50
第2回 2011年1月1日 午後3:00~3:50
第3回 2011年1月1日 午後4:00~4:50
第4回 2011年1月1日 午後5:00~5:50

(再放送)
11年1月4日 火曜 午後11:00~11:50
11年1月5日 水曜 午後11:00~11:50
11年1月6日 木曜 午後11:00~11:50
11年1月7日 金曜 午後11:00~11:50

1回目は1日に4本連続して放映してくれるわけだが、再放送は4日間に分けて放映される。そのため、再放送を見る人は4日間続けてテレビの前にいなければならない(もしくは、4日間続けて録画しなければならない)これはめんどくさい(笑)
見る人は是非、元日にまとめて見るのが正解だろう。


2010年秋に放映された"The 10th Inning"は、もうとっくにDVD化されて、アメリカの書店の棚にも普通に並んでいたりしていたわけだが、日本語版については、こうしてテレビで放映されるということは、発売予定がないということだろうか?(もしくは商売大好きなNHKが、元日の放映後にDVDとして発売するつもりかもしれないが)

たくさんあるドキュメンタリー作家ケン・バーンズの秀作のうち、野球に関するものは、ほかに"Baseball"があるが、これにしても、アマゾンでの検索結果を見る限り、英語版(このDVDはスペイン語のナレーションをチョイスできる)は日本国内でも入手できるが、日本語版は出ていないようだ。


ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:MLB史におけるイチローの意義、ケン・バーンズ

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年10月10日、"The Tenth Inning"後編の語る「イチロー」。あるいは「アラスカのキング・サーモンはなぜ野球中継を見ないのか?」という考察。

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年9月11日、イチローも登場するらしい9月末公開のスポーツドキュメンタリー"The Tenth Inning"を作ったケン・バーンズの横顔。彼の考える「MLB史におけるイチロー登場の意義」は、このブログと同じ。

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年9月20日、シアトル・タイムズのスティーブ・ケリーが、"The Tenth Innning"のケン・バーンズと共同監督のリン・ノビックが行った「イチローインタビュー」について当人に取材して書いた記事の、なんとも哀れすぎる中身とタイトル。






damejima at 15:16

October 20, 2010

2002年から元クリーブランドの監督をしていたEric Wedgeが、ワカマツに代わるシアトルの新監督に決まったらしいが、あまり関心はない。監督が誰になろうと、シアトルのチーム体質の弱さを決めている要因は「全く野球と関係ないところ」に存在しているからだ。


それにしても、
Eric Wedgeが「どういう人物か」を安易に話題にしたがる人に限って、やれ彼がかつてミルトン・ブラッドリーと揉めたことがあるだの、なんだの、そういう、どうでもいいことばかり気にしている。ほんと、ブラッドリーとの関係など、どうでもいい。


そんな、どうでもいいことより、むしろブログ主が非常に気になっているのは、2002年からクリーブランドの監督になって、最優秀監督賞まで貰ったことのある、このEric Wedgeの「本当の手腕」はどの程度のものなのか?ということと、Eric Wedgeと、2007年5月にクリーブランドのフロントに入ったアナリストのKeith Woolnerとの関係である。


その話をするためには、ちょっと最初に
クリーブランドの歴史を振り返ってみないといけない。

中地区5連覇、ワールドシリーズ進出2回に輝いた90年代のクリーブランド黄金時代の監督は、元シアトル監督でもあったマイク・ハーグローブだが、この90年代のクリーブランド黄金期は、このチームの順位を順にさかのぼるだけでわかることだが、2000年にハーグローブの後を引き継いだ「赤鬼」チャーリー・マニエルが監督を辞めた2002年に、まるで巨大なマーリン(カジキマグロ)が針にかかって張りつめていた釣り糸が、突如ブチ切られるように、まったく突然に終わっている。ここがまず問題だ。


Eric Wedgeがクリーブランドの監督に就任したのは、マニエルの後の2002年10月だが、チームはしばらく低迷が続いた。低迷の理由はしばしば「かつての主軸打者マニー・ラミレスや、ジム・トーミが移籍していなくなったから」と説明されている。
こういう、日本の出来損ないのウィキみたいな説明ぶりでクリーブランドの低迷を説明するやり方が、どうにも納得がいかない。
主軸の強打者が3人いれば馬鹿みたいに勝てるが、彼らが抜けると、昨日までの強さが嘘のように、突然弱くなるのが当たりまえ」みたいなアホらしいモノ言いが、非常に気にいらない。


じゃあ、何か。

クリーブランドは、アル中のアルバート・ベルジム・トーミマニー・ラミレスの「バットだけで勝てた」、とでもいうのか。

90年代から2001年にかけてのクリーブランドには、彼らのような強打のクリンアップ以外に、常に複数のゴールドグラバーがいて、チームを支えていた。そのことを忘れてもらっては困る。
ベネズエラ出身メジャーリーガーの英雄といえば、ルイス・アパリシオだ。アパリシオはフェリックス・ヘルナンデスが受賞したルイス・アパリシオ賞の元になったベネズエラ伝説のショートストップである。(資料:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2009年11月18日、フェリックス・ヘルナンデス、ルイス・アパリシオ賞受賞。
そのアパリシオが絶賛し、アパリシオがもっていたいくつかの記録を塗り替えたのが、かつてクリーブランドの黄金時代を支えたベネズエラのもうひとりの名遊撃手オマール・ビスケール(クリーブランド在籍1994-2004)。そして、ビスケールの相棒が、名二塁手ロベルト・アロマー(1999-2001)。さらに、90年代に5年連続盗塁王になったケニー・ロフトン(1992-96、98-2001)がクリーブランドにいた。
彼らゴールドグラバーの堅い守備もあったからこそのクリーブランド黄金時代であることも、忘れてもらっては困る。
守備は強いチームの野球の、非常に大事な要素である。
(ちなみに、最初シアトルの選手だったビスケールは、グリフィー・ジュニアと同じゲームでメジャーデビューしている。だがシアトルが、ドラフトで全米1位だったアレックス・ロドリゲス(当時はもちろん三塁手ではなくショート)を指名したことで、ビスケールはクリーブランドに移籍することになった)


ちょっと興奮して話が脱線した(笑)
問題は大きくは、3つある。


第一の問題;
Eric Wedgeが、才能ある若手選手に恵まれて優勝した、ラッキーなだけの監督」である可能性


最初に問題にしたいのは、Eric Wedgeが2002年10月にクリーブランドの監督に就任して、しばらくは低迷が続いて、何年かしてからようやく実現した「一時的なクリーブランドの復興(2005年の中地区2位、2007年の中地区優勝)が、本当にEric Wedgeの手腕のおかげだったのかどうか?」だ

2000年代前半のクリーブランドには、投手に、CCサバシアクリフ・リーファウスト・カーモナ、野手にグレイディ・サイズモアトラヴィス・ハフナービクター・マルチネスと、有望選手が揃っていて、彼らはみな「開花寸前の名花」だった。
まだあまり調べてないのだが、サバシアやクリフ・リーがまだ若手だったあの当時Eric Wedgeは「主軸打者の抜けてしまったクリーブランドで、若手育成を成功させ、チームを復興させた名監督」とでも絶賛されていたのかもしれないが、彼らの多くが結果的にメジャーの看板選手として大成した現在から振り返れるなら、意味は変わってくる、と思う。
Eric Wedgeは単に、「ありあまるほどの才能をもった多数の若手選手に恵まれただけの、ラッキーなだけの監督」だった可能性も、十分すぎるくらいある

むしろ、当時これだけの有望選手がズラリと揃っていたのに、たった1回しかポストシーズンに進出できなかった、1回しか地区優勝できなかった、そういう監督だ、という言い方だって、できなくはない。例えば2008年なども、サイ・ヤング賞投手とシルバースラッガー賞の打者がいるというのに、チームは81勝81敗の地区3位に甘んじているのである。
どうも「ラッキーな監督」という話で説明できてしまいそうな気がしてならないのが、ちょっと怖い。なんせ、来シーズンはこの人がイチローのいるチームの指揮をとるのである。


第二の問題;
「サイバーメトリストによる現実の野球チームにおける『野球実験』」の諸問題


Keith Woolnerは、VORP(Value Over Replacement Player)の考案者であり、知っている人も多いだろう。MIT(マサチューセッツ工科大学)出身で、2007年5月に野球のシンクタンクBP(Baseball Prospectus)からクリーブランドのフロント入りして、以降、得意分野である分析や予測を担当しているらしい。
Eric Wedge - Wikipedia, the free encyclopedia

で、ここから、
いろいろと考えなければならないことがある。

まずKeith Woolnerがフロントに加わったことが、「2008年クリーブランドの迷走」にどの程度影響しているのか、あるいは、してないのか。それが知りたい。

クリーブランドは、クリフ・リーがモノになってきた2007年に、2001年以来の中地区優勝を果たした。
だが翌2008年には、クリフ・リーがついにサイ・ヤング賞投手になり、グレイディ・サイズモアがシルバー・スラッガー賞とゴールドグラブを同時受賞しているにもかかわらず、周囲から「謎の不振」といわれる、原因のよくわからない低迷、というか、チーム運営の大失敗を犯して、81勝81敗の3位に低迷している。その結果が、クリフ・リー、ビクター・マルティネス放出に繋がった。
それ以降も、クリーブランドの低迷は、近年の中地区でのミネソタ独走状態を見てもわかるように、けして修正されているわけではない。
List of Cleveland Indians seasons - Wikipedia, the free encyclopedia

この自滅現象、最近どこかで見たような気にならないだろうか?

ブログ主はこの「2008年クリーブランドの迷走」に、Keith Woolnerがどう関わっているのかが妙に気になる

この2010シーズンのシアトルにおいて、GMズレンシックが犯した歴史的大失敗は、「超守備的野球チーム編成という『野球実験』の大失敗」であり、また「机上理論そのままに、野球チームを編成してみる、という『チーム編成実験』の大失敗例」でもある。
この「2010年ズレンシックの『野球実験』の歴史的大失敗」を見てもわかることだが、例えばプロの球団がアナリスト(それがサイバーメトリストであれ、シンクタンクであれ、何であれ)の知恵を借りるとして、「アナリストの考え方や助言を、野球の現場の運営や判断に役立てること」と、「アナリストの考え方そのものでできたチームを作ってみること」あるいは「アナリスト自身がチーム運営にあたること」とは、大きく意味が異なる

だから、もしかすると突然起こった「2008年クリーブランドの迷走」においても、「2010年ズレンシックの野球実験の歴史的大失敗」と同じような背景や事件があったりはしなかったのか?と、疑念を多少抱くわけだ。

もし仮にだが、「2008年クリーブランドの迷走」の裏で、なにか2010年シアトルの野球実験の歴史的大失敗と似た「なにかしらのアナリスト主導の野球実験」が行われていた、もしくは、「ベースボールの現場指導者と、現場に机上の理論を持ち込もうとするアナリストの激しい衝突」が存在していたとしたら、あれほど有望選手を抱えていたクリーブランドが2008年に突然歯車が狂いはじめた理由が、すこしは説明できそうな気がしてくるのである。

こうした仮説が該当する事実の片鱗でも見えてくれば、2007年春にクリーブランドのフロントに加わったアナリストKeith Woolnerの影響がわかってくるのだが、今のところはまだ、ただの仮説でしかない。
(「2010シアトルの野球実験」の失敗の教訓は、本来、関係者が十分わきまえて来年に向かわなければならないわけだが、ズレンシックと球団首脳は自分たちの失敗を、まるで認めていない。むしろ「俺たちは正しい」くらいに思っているように見える)


第三の問題;
Eric Wedgeは、理論的に野球をすることや、野球実験の意味を認めているのか?拒絶感はないのか?」という問題


2002年から監督をやっているEric Wedgeと、2007年にフロントに入ったKeith Woolnerの関係については、まだよく調べていない。可能性は無限にあって、2人の関係は非常にうまくいっていたかもしれないし、うまくいってなかったかもしれない。
いまのところ、例としては、こんな記事がある。
Statman Begins: Keith Woolner and the Indians | '64 and Counting: Scene's Sports Blog
だいぶ長いし、どうにも読みづらい記事だが、ひとことで言って、監督のEric WedgeとフロントのKeith Woolnerがうまく折り合っていたとは到底思えない記事だとは思う。
もちろん、人間関係というものは、記事ひとつで全て推測できるほど簡単なものではないので、記事ひとつみつけたくらいで結論は出さない。

いまのところ気になるのは、チームの専属アナリストKeith Woolnerとの軋轢やストレス(ストレスはうまくいっている人間同士の間にもあるものだ。珍しくない)の中で「Eric Wedgeが、「分析重視の野球をやる」というチーム運営方針に、どういう感想を抱くに至ったか、それにどのくらい賛意をもっているか」という点だ。

もし仮にだが、Eric Wedgeが「アナリストの野球には、もうウンザリだ。あいつらの言うことなんか聞きたくない。アナリストは野球のボールにも触ったことがないクセに」とでも思っているとしたら、今後も野球実験をするつもりでいるように見えるズレンシック、そしてシアトルのフロントオフィスの監督選びは、そもそも、出発点からして根本的に間違った人選をしていることになるのであるが、来シーズン、いったいどうなるか。


もし来シーズンが、歴史的大失敗の今シーズン以上の破滅的シーズンになるとしたら、いくらアナリストの分析や理論を押し付けようとしても、この「かなり個性的で、熱血な監督」のコントロールはきかなくなる。
当然の話だ。






damejima at 17:35
たぶんロン・ワシントン自身、打たれるのがわかっているトミー・ハンター先発のGame 4を楽勝できるとは思っていなかっただろう。
Texas Rangers at New York Yankees - October 19, 2010 | MLB.com Gameday


ALCSのGame 1で、(ALCS=ア・リーグのリーグ・チャンピオンシップ。ナ・リーグのチャンピオンシップはNLCSと略す)、テキサスが逆転負けした原因は、終盤にちょっとヤンキース打線に打たれたくらいで動揺した監督ロン・ワシントンの弱気にあった。
あのとき彼が投入しまくったブルペン投手はことごとく打たれていったが、たった一人だけ動揺してない投手がいた。

それがデレク・ホランド
今日のGame 4でも、実にいい感じ。

あれからロン・ワシントンは、ダレン・オリバーを勝ちゲームの最重要な場面で使わなくなった。また、Game 1でスタメンマスクだったキャッチャーのマット・トレイナーを使っていない。ロン・ワシントンは、Game 1の失敗ですぐに「頭を切り替えた」わけだ。


シアトルというチームをブログ主が嫌いなのは、「チームに何か致命傷になる欠陥が見えたとしても、シーズンが実質終わるまで、まるで対策しない」からだ。
たとえば、2010年の「打線の問題」がそうだ。バッティングに致命的な問題があることくらい、春にはわかっていたが、シアトルは何も手を打たなかった。
そして100敗しておいて、何かするのかと思えば、無能なGMが「どうだ、この俺がマイナーを充実させたんだぜ。すごいだろ。へへっ。」とか、馬鹿なことを言い出す始末。
まるで何をやらせても動きのニブい、太り過ぎのド田舎の公務員みたいなチームだ。


そんなどうでもいいことより
デレク・ホランドだ。

いつも彼にしてやられているシアトルファンはよくわかっているわけだが、ホランドは「クール」な印象がある。どこかクリフ・リーに通じる雰囲気がある。表情がとにかく変わらないのがいい。
Game 1の記事で、好投していたCJウィルソンの終盤のピンチで、投げさせるべきセットアッパーは、どうみてもダレン・オリバーダレン・オデイではなくて、ホランドだ」と言ったわけだが、それはデレク・ホランドの「クールさ」が理由だ。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年10月15日、まさしく監督の経験の差が出たテキサスのリーグ・チャンピオンシップ第1戦。ロン・ワシントンの「乱心」。

クールなホランドなら、Game 1の、あの酷く追い詰められた場面でも、それほど動揺はしないと予想できた。
今日のGame 4でも、ホランドはアテにできないのが最初からわかっている先発のトミー・ハンターをロングリリーフ(3回2/3)して、ヤンキース打線を見事に沈黙させた。十分すぎる仕事だ。テキサスの今日の勝ちは、デレク・ホランドのおかげである


デレク・ホランド
ア・リーグ西地区のゲームを見るとき、ちょっと名前を覚えておいてほしい投手のひとりである。






damejima at 13:30

September 16, 2010

なんだろうね。いったい。


日本のスポーツ紙に限らずメディアの一部に、どうかしてイチローのことをこきおろしそうと、無駄に日夜奮闘しているアホな層があるのはわかっているが、それにしたって、アメリカの記事をリメイクして、しょうもない記事を書くくらいしか能がないのは、どういう頭の悪さなのかと思う。
そんなことでイチローの業績の輝きがどうかなると本気で思っているのだろうか(笑)


野球賭博にかかわったとしてMLBを永久追放になり、2004年の自伝で賭博への関与もハッキリ認めているピート・ローズが、どこでどう遠吠えしようが、彼を永久追放にしているはずのシンシナティ・レッズが、わざわざMLBの許可をとって彼のことを表彰までしてピート・ローズを復権させようと画策しようが、そんなもの、ほっとけばいいのである。

そういえば、かつて、イチローがメジャーデビューする年、2001年2月20日に「イチローが首位打者とったら裸でタイムズ・スクエアを裸で走ってやる」とか大見得を切って、大恥かいた記者がいた。かつてESPNにいたRob Dibble(ロブ・ディブル)だ。
実はディブルという男、「ピート・ローズと同じシンシナティ・レッズでピッチャーとしてデビューし6年在籍していた元メジャーリーガー」である。こうしたシンシナティ・レッズ関係者が、いかにピート・ローズを擁護したがっているか、復権させたがっているか、あるいはイチローを目の敵にする理由も、これでわかるだろう。


その「恥かき男」、その後どうなったか、
知らない人も多いだろう。

Rob Dibbleはその後、2008年にFOXと契約するためにESPNを辞め、さらに2009年にはMASN(Mid-Atlantic Sports Network、ワシントン・ナショナルズとボルチモア・オリオールズが所有するネットワーク Mid-Atlantic Sports Network - Wikipedia, the free encyclopedia)と3年契約をかわして、ナショナルズ担当キャスターになった。
だが今夏に、女性に対する性的差別発言で問題になっただけでなく、こともあろうに、MASNを所有するワシントン・ナショナルズの期待のホープ、ステファン・ストラスバーグに関する暴言(ケガをして登板できないでいるだけなのに、Rob Dibbleはストラスバーグが登板しないことを4文字系の汚い言葉で批判した)を吐いて、MASNにクビにされたのである。
(この事件はMLB公式サイトでも記事になった。TV analyst Dibble won't make road trip | MLB.com: News 公式サイトまでもが記事にしたことで、今後ボブ・ディブルがMLB関連の要職につけるとは思えないが、先行きは不明)

ま。ピート・ローズと彼の擁護者たちがどうあがこうが、「彼のヒット数は、もう1本たりとも増えることはない」(笑) ほっておくことだ。



さて、アメリカのグーグルで、Rob のあとに一文字、n という単語をを入力してみてもらいたい。
検索候補の筆頭にあがってくるのは、Rob Neyerという名前である。「Rob Nなんたら」という名前の人が全米に何百万人いるかは知らないが、その中で最も世間に名前を知られているのがRob Neyer、というわけなのである。
それが、セイバーメトリクス創始者ビル・ジェームズが、the best of the new generation of sportswritersと賞賛するESPNのRob Neyer(ロブ・ナイアー)だ。
彼はFielding Bible Award(フィールディング・バイブル賞)の選考委員のひとりでもある。
Rob Neyer - Wikipedia, the free encyclopedia

Rob Neyerの個人サイト
RobNeyer.com | Baseball Writing, Baseball Books and Baseball History
Fielding Bible 2009の選考委員の顔ぶれ
Fielding Bible Award 2009

野球専門記者であるRob Neyerは、つい最近イチローの業績を賞賛する記事を書いている。彼にいわせれば、「もしもイチローがカリフォルニア生まれなら、ピート・ローズの記録を抜いていた。だから、イチローの記録は、日本時代も含めて、賞賛されていい」ということになっている。(ちなみに、彼は別にピート・ローズの記録を貶す主張をしたことがあるわけではない。むしろデレク・ジーターと比較して、ピート・ローズを賞賛する記事を書いたことさえある)
If Ichiro had been born in California ... - SweetSpot Blog - ESPN
この記事は「もしもイチローがカリフォルニア生まれなら」と、ちょっと風変わりなタイトルなのだが、なぜカリフォルニアと限定しているのか?誰も書かないので、書く(笑)
確かめたわけではないが、たぶんこれは、アメリカ人なら大抵知っている1965年のビーチ・ボーイズの大ヒット曲「カリフォルニア・ガールズ」にでてくる「素敵な女の子がみんなカリフォルニア・ガールズだったらいいのにね」という歌詞をもじったものだ。
だから「カリフォルニア」という地名を挙げたことに、たいした意味はない。「もしもイチローがアメリカ生まれなら、ピート・ローズの記録なんて問題なく抜いていたさ。そうだろ?」とでもいうような意味だ。

今は有名ライターのひとりになったRob Neyerだが、ライターとしての評価を固めるまでには紆余曲折があった。それにはいくつか理由がある。
Rob Neyer - encyclopedia article about Rob Neyer.
Neyer's statistical analysis often finds him at odds with many, though not all, ESPN writers, who prefer more "traditional" types of baseball writing and generally eschew newer statistics such as OPS+, VORP, and WARP.


Rob Neyerは、2001年に「デレク・ジーターなんて、守備はたいして上手くない」という主旨の話を公言して、ヤンキースファンを激怒させた(笑)
セイバーメトリクス的なデータに慣れた今のMLBファンにしてみれば、「ジーターの守備には、ちょっとしたポカが多い」という話は、納得する人も多い。
だが、2001年当時のメジャーファンおよびスポーツメディアにしてみれば「デレク・ジーターは守備の名手で、ゴールドグラブあたりまえ。ジーターの守備を貶す?ありえない!」というのが常識だったわけで、そりゃ、許しがたい暴言であっただろう(笑)

去年、勝利数がたいしたことがないザック・グレインキーがサイ・ヤング賞を獲ったが、これもほんのちょっと昔なら、グレインキーの成績を「所属するカンザスシティ・ロイヤルズのチームとしての弱さ」を考慮して補正することなどなく、単純に防御率や勝利数だけで判断されて、グレインキーではなくCCサバシアか誰かが受賞していたことだろう。
それくらい、ちょっと昔と、今とでは「選手の評価基準が違ってきている」わけで、その評価基準を一変させつつあるのがセイバーメトリクスなのだ。Rob Neyerのようなセイバー系のライターの発言力は年々強まりつつある。


ただ、セイバー系ライターの発言力が強くなるのを、アメリカの野球記者全員が全員、歓迎しているわけではない。
2007年に、Rob Neyerと全米野球記者協会(BBWAA)との間にトラブルがあった。要約していえば、「Rob Neyerのような『記事を発表するホームグラウンドが、新聞ではなくて、インターネットであるような新世代の記者』は、実際にボールパークに行って、全米野球記者協会が規定する数のゲームを見ていない。だから、彼らが殿堂入り選手の投票、サイ・ヤング賞やリーグMVPの選考といったBBWAAの重要事項に関わるのは、どう考えてもおかしい」という異論が出たためだ。
まぁ、たぶん、BBWAAに昔からいる新聞記者系の人々にいわせれば、「おまえら、気にいらねぇな。いい気になってんじゃねぇぞ」という、単純なやっかみがあるのだと思う。この件の決着は、2008年にRob Neyerら、セイバー系ライター側の勝利に終わっている。
Baseball Writers Association of America - Wikipedia, the free encyclopedia


新聞に頼らない新世代の野球記者であるセイバー系ライターたちは、データにも、メジャーの歴史にも詳しいが、彼らはのきなみイチローの業績を「オンリーワンな存在」と高く評価している。
同じRobはRobでも、イチローにケチをつけようとして大失敗したRob Dibbleと、イチローを賞賛したRob Neyer、どちらが「いまどきの記者か」。
考えなくてもわかるだろう。






damejima at 20:28

September 11, 2010

うーん。困ったなぁ(笑)どうしよか(笑)
これ、とてもいい記事なんだ。ショーウォルターに関して、ここを読みたかったっていう部分が書かれてる。

でも、さ。書いたのが、
「例の」ピーター・ギャモンズじいさんなんだわ。
まぁ、だから人に読むのは是非すすめたいんだけど、ちょっと心情的には「困ったな」と(笑)思うわけ。彼のことは別に持ち上げたくないが、この記事自体は読んでほしい記事なわけね。
Buck making young Orioles believe again | orioles.com: News


ピーター・ギャモンズは、ついこのあいだツイッターで「イチローがボビー・バレンタインをマリナーズ次期監督に就任させるようにオーナーに要請した」たらなんたら、嘘八百を書いて、イチローを超激怒させた、まさに、その人なわけでねぇ(苦笑)

ギャモンズじいさんは、元はボストン・グローブの新聞記者からキャリア始めて、今ではアメリカのWikiにも長々と経歴が紹介されるほどのアメリカの超有名スポーツ記者のひとりで、1945年生まれの65歳。Peter Gammons - Wikipedia, the free encyclopedia
あの日本野球史上の偉人イチローをもってして「僕でも顔と名前を知っているような影響力の大きな人」とまで言わせるおヒトなわけです。(もちろん、日本ではギャモンズはただの無名のジジイですけどね(笑))

スポーツ・イラストレイテッドでカバーストーリー書いたとか、全米向けのスポーツ番組にしこたま出たとか、ESPNでブログもってるとか、2005年7月に野球記者殿堂入りを果たしたとか、経歴について書き出せばキリがないくらいの人なわけだけど、一番大きいキャリアはたぶん1988年にESPNに入ったこと、だろうね。
ESPNの看板をしょってるだからこそ、彼は『ベースボール・トゥナイト』とか、『スポーツセンター』とか、そういう全米向け超有名スポーツ番組に長年出演できてたわけで。まぁ、アメリカのスポーツ好きにしてみたら「毎日顔と名前を見るスポーツ系有名人」だったわけ。
ただ、彼がベースボール・トゥナイトでやってた仕事そのものは、噂話を扱うInside Pitchというコーナーで、彼の立ち位置は「アナリスト」ではなく、一段低い「レポーター」なわけです。だからまぁ、ときに根も葉もない噂rumorを流したりもする程度のランク、くらいに考えたほうがイライラしないですむと思う。

で、ショーウォルターの記事。
これ、ギャモンズの肩書きを注目してもらうと、MLB.com Columnistとなってます。ここポイントです(笑)彼がMLBのコラムニストに「なっちゃった」経緯はアメリカのWikiにも書いてある。要は、彼は去年、20年もいたESPNを「辞めた」わけです。
After 20 years with ESPN, on December 8, 2009, Gammons announced that he would leave ESPN to pursue "new challenges" and a "less demanding schedule.
Peter Gammons - Wikipedia, the free encyclopedia
なぜ彼が辞めたのか? んー・・・。自分から辞めたのか、辞めさせられたのか、ちょっとわからないなぁ。定年みたいなものなのかな?と最初思ったけども、正直どうでもいいことなんで、だからくわしく調べてない(笑)
ピーター・ギャモンズがESPNを辞めたときの
ESPN側のなんともそっけない記事

Peter Gammons leaving ESPN baseball after 20 years - ESPN


ピーター・ギャモンズのボルチモアに関する記事が「いい記事」だと思うのは、
「バック・ショーウォルターがボルチモア・オリオールズの何を、どうやって変えたのか?」という、誰もが知りたい点に、きちんとフォーカスしてることがひとつ。ありそうでいて、こういう記事、探すと無かったんですよ。
もうひとつは、「ヤンキースとの3連戦で、あえて勝った最初の2ゲームではなくて、ウィータースがホームランを打ったが逆転負けした第3戦の『チームの将来にとっての意味の重要さ』にフォーカスした
この2点で、この記事を推薦したいわけです。


マット・ウィータースは、このブログにとっても実は忘れられない、いつもどこかで気にかけてる選手のひとりです。
このブログは主に「キャッチャーの仕事」、つまり「投手と捕手の関係性」「野球にとってのキャッチャーの仕事の意味」にフォーカスして書いてるわけですが、「城島問題」が起こってた時期に、ちょうど、「1983年生まれ世代」のカート・スズキロブ・ジョンソンなんかよりさらに下の世代の、マット・ウィータースとか、テイラー・ティーガーデンのようなキャッチャーたちがデビューしはじめていて、彼らがデビューしたてのプレーぶりは、このブログではほとんど記事にはしないけども、いつも視野に入ってるプレーヤーたちなわけです。
それと、マット・ウィータースのルックスとバッティングフォーム、チームでの立ち位置が、シアトルのマイケル・ソーンダースに似てると思えてしかたがない(笑) いつも「ああ、この2人、顔も背丈も、スイングも、チーム内の立場も似てるなぁ」と思ってゲームを見てるわけです。

だから、ピーター・ギャモンズがボルチモア対ヤンキースの第3戦をとりあげて、
「負けは、した。
 負けはしたけど、そんなこと、どうでもいい。
 マット・ウィータースがホームランを打った。そのことがでかいんじゃないか。先発ブラッド・バーゲセンが、ヤンキースみたいな強打のチームに全投球の69.3%ものストライクを投げこんだ。このチームの将来を背負う選手が自信を持てた。そのことがでかいんじゃねぇか!!
 これがボルチモアなんだあああ、ボケぇええええええええ!!!」
とか、叫ぶのを聞くと、ですね
ブログ主としては、「そうだ、そうだぁああああ」とか思って、思わずコブシを突き上げてしまうわけです(笑)

そう。
そのとおりなんですよ。ボルチモアは負けるのが不思議なくらい才能ある選手が揃ってる。
マット・ウィータースにも、ニック・マーケイキスにも、ブライアン・ロバーツアダム・ジョーンズブライアン・マットゥースケビン・ミルウッドにも、足りなかったのは、技術でも、体力でもなくて、「自信」だったんですね。(でも、イズトゥーリス君は、もっと守備を練習しましょうね)

オトナ、特に過去に一度自信を持ってた人は、けっこう一度自信を失うと取り戻せないもんです。それで病院に通うハメになる人は、MLBにも、ザック・グレインキー、ミルトン・ブラッドリーほか、いっぱいいます。
そういう人に「自信を取り戻させる能力」なんて誰にでもあるわけじゃあないんですよ。監督は精神科医じゃないですからね。
どうみても、バック・ショーウォルターの「自信を取り戻させる能力」は「彼だけがもつ特殊能力」なわけなんですが、知りたかったのは、
そのショーウィルターが「選手に、いつ、どこで、どういう風に声をかけているか」でした。
それが、この記事にはしっかりと、しかも簡潔に書かれているんですよ。

だからギャモンズ、困ったジジイではありますけど、
いい記事なんです。

Wieters gets a green light and hits a huge Yankee Stadium homer. Markakis remembers he is one of the best players in the league. Bergesen throws strikes. Oh, those are the Orioles.
by Peter Gammons






damejima at 05:58

April 03, 2010

先日NHK-BS1で、野球のアンパイアが大きな身振りでストライク、セーフ、アウトなどの判定結果を表したり、ベンチとプレーヤーの間でブロックサインが使われたり、つまり、野球に身体を使ったジェスチャーによる意思伝達システムが導入されるようになったのはいつなのか、というアメリカ制作のドキュメンタリー番組を放送していて、なかなか興味深かった。
BSの番組は再放送されることが多いから、そのうちまた放送するのではないかと思う。機会があったら、なかなか面白い番組だったので、見るといいと思う。


番組で紹介しているのは、2つの説。ダミー・ホイ Dummy Hoy起源説と、Bill Klem ビル・クレムを起源とする説。


ダミー・ホイ

ダミー・ホイ Dummy Hoy (William Ellsworth "Dummy" Hoy 1862年5月23日-1961年12月15日) は、メジャー史上3人目の聴覚障害をもったメジャーリーガーで、1888年から1902年までプレーした。イチローがシーズン安打記録を破ったジョージ・シスラーより前の時代の人といえば、その古さがわかるだろう。デビューした1888年には盗塁王になっている。
Hoy became the third deaf player in the major leagues, after pitcher Ed Dundon and pitcher Tom Lynch.
Dummy Hoy - Wikipedia, the free encyclopedia
野球ができた頃、アンパイアは最初は大きな動作はなく、声だけでボール/ストライクのコールをしていたらしい。だが3歳のときの髄膜炎がもとで聴覚障害のあったホイはそれを聞くことができない。そのためアンパイアが一定の動作で判定を伝えるように配慮し、それが審判スタイルとして定着していった、というのが、普通に言うダミー・ホイ起源説だ。
だがBSの番組では、ホイのために、アンパイアではなく、サード・コーチャーがボール/ストライクのコールをサインで伝達した、それが他のチームでも真似されていき、野球のブロック・サインの起源になった、というような、多少違う説明だったと思う。


ちなみに、聴覚や言語の障害を表す英単語や、野球選手のニックネームについて、少し話をしておかなければならない。
deaf 聴くことに障害がある
dumb 喋ることに障害がある
ホイの本名はあくまでWilliam Ellsworth Hoyであって、ダミー・ホイではないわけだが、これはベーブ・ルースの本名がGeorge Herman Ruthというのと同じで、それ自体は特に珍しくはない。
ホイのニックネームになっているdummyダミーという単語は、ほかにも聴覚障害のあったダミー・テイラーという投手がいた例があるように、聴覚障害をもったメジャーリーガーに共通して使われた。
dummyという単語の起源は、「モノいわぬ」という意味のdumbという言葉にあるわけだが、聴覚障害のあったダミー・ホイは、たしかにdeafではあったが、ゲーム中にフライを捕球するプレーで大声を上げて他のプレーヤーに知らせていたように、けしてdumbであったわけではない。
要は、dummyという単語は「トンマな」というような揶揄する意味を含んで使われていたわけである。当時の時代背景において、それがどのくらい侮蔑的な意味だったか推し量るのは容易ではないが、見ず知らずの他人に軽々しくクチにしていい単語ではないのは間違いない。
(なお、一部サイトでDammyと表記しているのを見たが、それは明らかに誤記で、Dummyが正しい)


ビル・クレム (William Joseph Klem、1874年2月22日 - 1951年9月1日)は、1905年から1941年までナショナル・リーグでアンパイアを務め、近代ベースボールの審判スタイルを確立した人。審判として初の野球殿堂入りを果たしている。
例えば、両手を横に大きく広げる動作で「セーフ」を意味するコールをするスタイルを発明したのはこの人で、手を使った判定ジェスチャーを初めて野球に取り入れたといわれている。


さて、この2人のどちらが果たして起源なのか。番組でも断定はしていない。
だが、2人のプレー時期を比べると、ホイのほうが時代が古いことや、ビル・クレムがメジャーのアンパイアとしてデビューする前の1900年前後の新聞記事に、既に「ダミー・ホイのために考案されたサインというシステムを他のチームでもやるようになった」という意味の記事がいくつも出ていることから、少なくともブロックサインについてはダミー・ホイ起源説に分があるように感じた。
また、アンパイアが大きなジェスチャーとともにボール/ストライクのコールを行うになった起源については、どうもアメリカの専門家の間でも意見が分かれているらしく、正確なところはまだまだわからないらしい。






damejima at 16:46

March 28, 2010

最初にことわっておくと、2010シーズンに関するウオッシュバーンのシアトルとの契約は、どうせなるようにしかならない。関心を持って注視してきたし、ウオッシュバーンがシアトルに戻れることを願ってもいるが、もともとマリナーズには 「ねじれたことをするのが大好きなヒト、ストレートなドラマを喜べない不幸なヒト」が両肘かけの椅子に座っていらっしゃるようだし、そもそも先のことなど、どうなるかわからない。
だから、こればっかりは、契約が決まらないうちに外野があれこれ言ってもはじまらない。
Jarrod Washburn Posts -- FanHouse

契約、とかいうやつは、必ずしもヒトの想いに沿うように出来ていないし、スムーズに全体を進ませる方向には案外行かないように出来ている。(出来の悪い契約なら、なおさらだ)そのせいか、この「契約」とかいうやつ、ときどきスポーツをおそろしくつまらなくする。
ダメ捕手城島とMLBシアトルマリナーズの無意味な契約も、今にして思えばシアトルのベースボールを4年の長きにわたって本当にかき回し、台無しにした。


2010年から初めてシアトルマリナーズのゲームを見始めるファンの方だって、中にはいるかもしれないから、ウオッシュバーンって誰?と思う方もいるかもしれない。
そうした方にば、2009シーズン中に月間最優秀投手賞を受賞し、準パーフェクトゲームも達成している、気のいい、釣り好きの中年ピッチャーが初夏まで在籍していたことを、ぜひ教えてあげたいと思う。
だが、好成績でありながら、しかも、ウオッシュバーン自身が何度もマスメディアに「絶対に移籍したくない。シアトルにいたい」と公言し続けていたにもかかわらず、その彼が、チームが金に困っているわけでもないのに、なぜ他チームにトレードされたのか。先発投手が余っていたどころか、むしろ先発投手たちに疲れが出てくる夏の、それも、秋のプレイオフ進出の最後の可能性を探っていた2009年7月末に、それも、トレード期限ギリギリに、なぜ他チームに売られなければならなかったのか。

それを、説明するのは、たいへんに長い話になるし、不可解な部分、不愉快な部分も多い。

こんなこと、友達に聞いたって、誰も説明してはくれない。きちんと筋道をたてて、話の流れを追えるのは、あの、悪質な城島問題について終始きちんとした姿勢を貫いたこのブログだけなわけで、世の中にちゃんと説明してくれる材料はほとんどない。
とはいえ、やたらと長たらしい文章ばかりが多く、記事量も膨大で、事実関係の複雑ななこのブログの話題をたどる面倒な作業を、ヒトに無理強いするわけにもいかない。
まぁ、ウオッシュバーン放出のまとめだけでも、今年のどこかで、気が向いたときにでも、一度まとめてみるから、そのときまで待ってもらえるとありがたい。待てないヒトは、カテゴリーをまとめ読みするしかないだろう。日付で話の最低限の前後関係が追えるように、このブログでは(一部の例外を除いて)記事にすべて日付をふってある。



シアトルマリナーズ公式サイトで記事を書いているJim Streetは、2009シーズンの7月末に不意にトレードされたウオッシュバーンが、8月になってトレード先のデトロイト・タイガースの先発投手として、マリナーズとゲームをするためにセーフコにやってくることになったとき、ファンのためにアットホームな記事をしたためてくれた、とても心の温かい奇特な男である。
Johnson to face former batterymate | Mariners.com: News

内容は、トレード後のウオッシュバーンがデトロイト・タイガースの先発投手として、8月のセーフコのゲームに先発することになり、キャッチャーのロブ・ジョンソンとひさびさの再会を果たす打席で、投手として打者ロブ・ジョンソンに『ドルフィン』という変化球を投げるかどうか、という話がメインである。
なぜなら、『ドルフィン』は、ウオッシュバーンとロブ・ジョンソンがコーチの助言も交えながら、共同開発した彼ら独特の変化球(大きなスローカーブ)だからである。ドルフィンの成立経緯については、一度SPI電子版がロブ・ジョンソンにインタビューして、とてもいい記事を書いたので、そちらを読むといい。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2009年7月6日、ロブ・ジョンソンが準完全試合を達成したウオッシュバーンの新しい魔球「ドルフィン」と、その開発にいたるコラボレーションについて大いに語った。

Jim Streetは、ウオッシュバーンのトレード自体に文句をつける記事を書くのではなく(公式サイトのライターがそういう記事を書くのは無理だろうし)、トレードによって違うチームに分かれた2人にそれぞれ話を聞き、フィールド上で再会を果たすバッテリーの小さなドラマを、ユーモラスかつアットホームに記事にしてみせてくれた。
結果的に誰もハッピーにならなかったこのトレード事件の背景には、ファンの意向など無視の、ねじれきったオトナの事情が垣間見えるわけだが、そこはあえて割り切り、Jim Streetが公式サイトのライターとして可能なギリギリの線として、彼らバッテリーへの愛情を「再会」というドラマで表現した、という感じに、かねてから思っていた。なかなか誰にでも真似できる行為じゃない。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2009年8月20日、シアトル公式サイトのジム・ストリートはロブ・ジョンソンとウオッシュバーンの「フィールドでの再会」をユーモラスに記事にした。


さて、そのアットホームな再会になるはずだったゲームだが、結果はまぁ、下記の記事でも読んでおいてほしい。酷いものだ。先発マスクは誰が選んだのか城島で、しかもサヨナラ負け。ロブ・ジョンソンの出番はなし。再会のドラマもへったくれも無し。すべて台無し。
これを見ても、2009年までのシアトル・マリナーズがいかに、あさはかな誰かさんの強い影響下にあって、どれだけいびつに歪んでいたか。この一件からだけでも伝わってくる。こんなことが数年も続いては、チームがガタガタにならないわけがない。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2009年8月20日、シアトル公式サイトのジム・ストリートはロブ・ジョンソンとウオッシュバーンの「フィールドでの再会」をユーモラスに記事にした。 →だが無粋なチームの監督さんがスタメンマスクに選んだのは、なぜか「城島」 →最悪の「サヨナラ負け」(失笑)



その心温まる筆致を持つJim Streetが2010年、こんどは、デトロイトとの契約が切れた後、所属先が決まらず、浪人状態になっているウオッシュバーンと、主戦投手として獲得してきたサイ・ヤング投手クリフ・リーの思わぬ故障による開幕出遅れで、春先の先発投手が足りなる気配のシアトルとの間の、なんともギクシャクとした交渉(交渉までいっているかどうかも不明だが)のあらましについてまとめ、記事にしている。
Washburn, agent shopping for deal | Mariners.com: News

中身はいつもの淡々としたスタイルである。公式サイトの記事らしく、無駄な主観を交えることを極力控え、シアトルの台所事情、そしてウオッシュバーン側の代理人であるボラスのもくろみなど、契約の要件をさらりとまとめている。


ブログ主としては、Jim Streetが、シアトルにとっては、喉に刺さった魚の骨のようなこの扱いに困る話題をあえて記事にしてとりあげてみてくれたことは、Jim Streetの立場でできる、彼なりのウオッシュバーンに対する精一杯のエール、という風に受け止め、この記事を何度も何度も丁寧に読んだものだ。
さすがに、イチローの守備マニアのJoe Posnanskiのように、夕食前に23回も続けてイチローのビデオを回したりはしないが(笑)、それでも数回は続けて読んだ。


ありがとう、ジム。Sincerely I thank you, Jim.
こんどこそ、誰もがハッピーな契約になれたらいいと、僕も思う。もしウオッシュバーンがシアトルに来ることがあるのなら、こんどこそは、苦味のない、気持ちのいい環境でやらせてあげたいものだと思う。






damejima at 09:22

December 21, 2009

ちょうどFielding Bibleメジャー1位に挙げたロブ・ジョンソンのDefensive Runs Savedデータについての記事(ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2009年12月20日、セイバーメトリクスで始まった「捕手の守備評価の新基準」。ロブ・ジョンソン、Defensive Run Saved キャッチャー部門でメジャー1位の評価を受ける。)を書いたところなので、ついでにちょっと、2009年シーズン中のメディアにおける「ロブ・ジョンソンの過小評価」について書いてみようと思う。

サンプルは、U.S.S. Marinerの4月の記事だ。

U.S.S. Marinerは、もちろん、日本のマリナーズファンにも知られたシアトルの地元ウェブ・サイトである。たいていのマリナーズ関連サイトがリンク先に挙げている。そんなことは重々承知だ。
このサイトでもシアトル・マリナーズに関する情報を得たい人のために、ブログのデフォルトのリンク集以外に、Twitterによるリンク集であるのdamejima's MLB Twitter Linkhttp://twitter.com/damejima/mlb)もストーブリーグの時期用に新たに備えて、さまざまなリンク先を挙げてあるが、U.S.S. Marinerについては、あえてデフォルトのリンク集ではレギュラーのリンク先に挙げてない。
理由はある。意味もなく城島を持ち上げては、無意味にロブ・ジョンソンを叩くような姿勢がどうにも歪んでいて、公正さに欠けると何度も感じたからである。データとして、または論調として、感銘を得られるものがあまりないなら、読む必要がない。


このサイトがかつて4月に書いていた記事を例に挙げておく。最初から結論ありきで、無理のあるデータを元に無理のある結論を導こうとする視野の狭さによって、彼らはのちのち恥をかくことになった。
Rob Johnson’s Catching | U.S.S. Mariner

この記事でのU.S.S. Marinerの狙いと手法は、こうだ。
ロブ・ジョンソンと城島で、「投手別の被OPS」を挙げて両者を比較し、「城島がキャッチャーをやったほうがいい投手もたくさんいるじゃないか。どうだ。」と、言いたいわけである。

呆れてモノがいえない。

捕手のリード能力を「被OPS」だけを使ってどうこう言うこと自体、本当にどうかしている。どうかしていると思うが、そこはまあ100万歩譲って、たとえそれを良しとしたところで、4月23日なんていう日付でこんな程度の低い記事を書くあたりが、まったくもってメディアとしてダメすぎる。
4月23日といえば、シーズンが始まってわずか一ヶ月である。打者でいえば、まだシーズン打率4割とか3割後半を超えるような打者がゴロゴロいたりする。それはそうだ。シーズンがたった一ヶ月しかたっていないのでは、サンプル数が少なすぎる。
そんなあまりに短すぎる期間のデータを元に、投手をリードするキャッチャーの能力を、しかも、被OPSだけをネタにしてとやかく言う記事を書いているようでは、センセーショナルなだけのイギリスあたりのタブロイド紙や、イチローの悪口を書くことに血道をあげているこのところの日本の悪質な夕刊紙と変わらない。


2009年4月、といえば、コネ捕手城島が肉離れで戦列を離れた後のロブ・ジョンソンが、先発ゲームで、ローランド・スミスの代役としてローテ投手に急遽起用されたジャクバスカス先発3ゲームの3敗を除くと、7勝2敗、勝率.778、先発投手のQS率77.8%、CERA2.14と、ちょっとビックリするような好成績を挙げた月である。
U.S.S. Marinerにとやかく言われる数字ではない。
(ジャクバスカス先発ゲームを除いたのは、本来セットアッパーのジャクバスカスがローテーション投手を務めたからだが、もし、その3敗を含めたとしても、なお勝率は.588、QS率66.7%と、十分に評価できる)
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2009年4月、ロブ・ジョンソンは先発投手の防御率2.85で4月を乗り切った。

にもかかわらず、どうしても城島を持ち上げたいU.S.S. Marinerが「ロブ・ジョンソンより城島がいいのだ」とか無理に言いたいがために挙げたデータはこうだ。(太字はロブ・ジョンソン先発のほうがいい被OPSを残っている投手)

ロブ・ジョンソン(4月23日時点)

Felix: 27 PA, .638 OPS
Bedard: 56 PA, .448 OPS

Washburn: 68 PA, .608 OPS
Silva: 0 PA, NA(登板なし)
Jakubauskas: 43 PA, .931
Rowland-Smith: 0 PA, NA(登板なし)
Morrow: 11 PA, .282 OPS
Aardsma: 11 PA, .273 OPS

Corcoran: 18 PA, .914 OPS
Batista: 12 PA, .817 OPS
Kelley: 12 PA, .727 OPS
Lowe: 15 PA, .533 OPS
White: 17 PA, .301 OPS


城島(4月23日時点)

Felix: 56 PA, .702 OPS
Bedard: 22 PA, .747 OPS
Washburn: 12 PA, .000 OPS
Silva: 51 PA, .836 OPS
Jakubauskas: 17 PA, .639 OPS
Rowland-Smith: 20 PA, .733 OPS
Morrow: 15 PA, .500 OPS
Aardsma: 15 PA, .298 OPS
Corcoran: 16 PA, .648 OPS
Batista: 13 PA, .615 OPS
Kelley: 4 PA, .500 OPS
Lowe: 7 PA, .452 OPS
White: 0 PA, NA(登板なし)


これが2009年のシーズン終了時にはどうなったか。
投手のイニング数が増え、主力投手、勝ちゲームのセットアッパー、クローザー、その全てにおいて、ロブ・ジョンソンのマスク時の被OPSが勝っていったのである。

Rob Johnson(シーズン終了時点)
Seattle Mariners Player Splits: Rob Johnson - Baseball-Reference.com
Felix: 723 PA, .571 OPS
Bedard: 285 PA, .610 OPS
Washburn: 417 PA, .552 OPS
Silva: 22 PA, .914 OPS

Jakubauskas: 178 PA, .856 OPS
Rowland-Smith: 26 PA, .359 OPS
Morrow: 82 PA, .878 OPS
Aardsma: 151 PA, .456 OPS
Corcoran: 34 PA, 1.035 OPS
Batista: 106 PA, .686 OPS
Kelley: 62 PA, .825 OPS
Lowe: 154 PA, .675 OPS
White: 126 PA, .513 OPS


城島(シーズン終了時点)
Seattle Mariners Player Splits: Kenji Johjima - Baseball-Reference.com
Felix: 134 PA, .904 OPS
Bedard: 40 PA, .734 OPS
Washburn: 63 PA, .774 OPS
Silva: 99 PA, 1.029 OPS
Jakubauskas: 182 PA, .726 OPS
Rowland-Smith: 375 PA, .690 OPS
Morrow: 136 PA, .789 OPS
Aardsma: 106 PA, .642 OPS
Corcoran: 37 PA, .758 OPS
Batista: 176 PA, .865 OPS
Kelley: 110 PA, .729 OPS
Lowe: 130 PA, .605 OPS
White: 100 PA, .664 OPS


もちろん、ロブ・ジョンソンが世界最高の捕手だ、などと言うつもりはない。だが2009シーズン中も含め、彼の献身的なプレーぶりに対する行き過ぎた過小評価は、今見ると、あまりの狭量さに失笑する。
ロブ・ジョンソンの2009年中のチーム貢献度の高さについては、シーズンが終わり、コネ捕手が日本に逃げ帰った今、正当な評価を受けるべきだ、と考えるし、日米を問わず、誤った過小評価ばかり下し、無理やりにコネ捕手を持ち上げる画策ばかりしてきたメディアや評論家などは猛省すべきだと考える。
こうした失笑もののバベシ時代の古ぼけた買い物に過ぎないコネ捕手城島擁護を目的にした歪曲記事はU.S.S. Marinerだけでなく、日本のダメ・ライターや日本の解説者にも散見されたわけだが、それらの記事のほとんど全てが今シーズンに恥をかいた。

自業自得である、と言っておきたい。






damejima at 21:16

December 01, 2009

冬の到来とともにマリナーズにまつわるひとつの物語が終わりを告げた。Jon Shields氏のBleeding Blue and Tealである。山里の村落が雪に閉ざされるかのような新聞不況でSPIが潰れた今年、こんどはBleeding Blue and Tealが去っていく。
Bleeding Blue and Teal | Pro Ball NW

彼がこのブログを始めたのは、2007年10月だという。このdamejimaブログは2008年5月からだから、半年くらい先輩になる。Bleeding Blue and Tealはなにか、昔から家にあったよく馴染んだ食器や家具のように、もっともっとずっと前からやっているサイトのような気がしていたのは、気のせいだったようだ。

ブログ主Jonが、なぜ止めようという気になったのか、なんとなくブログ閉鎖の文面を読まなくてもわかる気がした。ブログもやっていると、一気に疲れがくることがあるものだ。
一度彼はブログタイトルを変えている。たぶん自分の中のやる気というか、熱、みたいなものを、もう一度、熱したかったのだろう。

しかし、一度冷えたオーブンはなかなか温まらないものだ。ブログをやっている者として、よくわかる。


このブログにしても、いままで投稿した記事数は、いま見たら、323あった。毎日書いても1年かかるわけだ。シーズンオフは書くペースが落ちるわけだから、シーズン中はそれこそ毎日でも書いている計算になる。どこからそんな熱意が沸いてくるのか、自分でもよくはわからない。Jon Sieldsはどのくらいの数の記事を書いたのだろう。そして、記事に書かないところで、どんなことを感じて毎日を暮らしていたのか。


とにもかくにも、お疲れ様。Jon。
たまには、スタジアムでビールを飲みながら、好きなプレーヤーの名前を書いたプレートでも大きく掲げて大声を出すのもいいんじゃないかな。

僕は、彼がどのプレーヤーが心の底から好きで、誰が嫌いなのか、最後までわからなかった。そういう良識ある筆致がBleeding Blue and Tealのスタイルなのだろうし、それがシアトル市民に広く受け入れられてきた理由でもあるだろう。
まさに、好きなものはとことん好きで、嫌いなものはとことん嫌いと書くこのサイトとは正反対だった気がする。(苦笑)

さぁ。寒い夜だ。
ジャック・ダニエルでも飲もう。






damejima at 21:43

August 25, 2009

それにしても、城島のコバンザメ記者Nといい、ウオッシュバーンのトレードを必死になって煽って実現させた、このシアトル地元紙のジャーナリスト気取りライターといい、スポーツライターはどうしてこうもダメで、モノを見る目のない輩が多いのだろう。


ポストシーズン進出の可能性がなくなったチームで、しかもセプテンバー・コールアップ直前になっているのに、今頃になってチーム打撃がどうたらこうたらだの、メディアとして、まったく意味がない。
そろそろ新人をメジャーに上げてきて来年に向けてメジャーの守備と打撃に慣れさせなければいけないこの時期だが、コネ捕手城島はじめ、シーズンの順位争いがまだ片付かない春から夏にかけてはたいした数字を残せなかった戦犯のベテランを、まるで「2008年のシアトルのように」9月以降も使い続け、彼らが自分の帳尻をあわせのためだけを目的に、必死にホームランや長打を狙うのを、地元メディアとしてほめちぎりたいとでもいうのか。

そういう、悪夢の大失敗シーズンのクセに若手の育成にも失敗した2008年のような馬鹿馬鹿しいチーム運営を、今年もまたシアトルにさせたいのか。


何年もメジャーにいながら、プレーオフ進出の見込みのないチームにとってのセプテンバー・コールアップの目的も理解できず、メジャーの仕組みもわからず、チームを100敗させておいて、秋が近づいたチームが若手だらけになったのを「タコマーズ」と皮肉った馬鹿すぎる2008シアトルの正捕手ではないが、この記者も馬鹿としかいいようがない。


グリフィーにDH枠を独占させるような馬鹿なチームマネジメントをして、中心選手に順番にDHを与えて疲労回復を図る機会すら与えずに疲弊困憊させているシアトルだが、イチローがふくらはぎの張りを訴えて、次のゲームへの出場ができるかどうかわからないという、日本のファンがそれでなくてもイライラしているこの時期に、地元メディアのシアトル・タイムズのベイカーが馬鹿丸出しでイチロー批判めいた記事を書いた。

いつもなら、自分が記事を書くときには、そのデータを挙げるか、根拠として原文のリンクを出しつつ記事を書くことにしているのだが、今回かぎりはあまりに内容が馬鹿らしくて、こんな酷い原文、とても訳す気にならない。
全部読みたい好事家は、自分で勝手に読み通してほしい。あまりにも酷いことがわかると思う。

書いたご本人、いつもジャーナリスト気取りのようだが、いやいや、いやいや。ありえない。あんたは、ただのシアトルにコネがあるから生きていられる御用聞き程度だ。
Mariners Blog | Mariners are worst in AL at scoring baserunners; failing more than 2008, 2004 squads | Seattle Times Newspaper


このジャーナリスト気取り、超限定されたシチュエーションを2つあげつらって、重箱の隅をつつきたいらしい。
ひとつは、たぶんBRS%。
(たぶん、というのは、Baseball Referenceのデータを流用して人を批判しているクセに、「このデータです」とベイカーが特定してないからだ。このBRS%、打点に限らず、その打者の打席でランナーが得点できた率、という、なんとも曖昧なデータなのである)
それと、もうひとつ、「無死か1死でランナーがサードのシチュエーションで、ランナーに得点をさせる率」。

この程度のトリビアルなデータの羅列で「シアトルの得点力の無さの原因」を探れて、しかも無駄に文字を書いて金にできるなら、誰だってメジャーのアナリストかコーチになれる。
こんな記事を書いてよく恥ずかしくないものだ。


このジャーナリスト気取りが言うには、BRS%のリーグアベレージが15%で、イチローが13%だとかいい、また、2つ目の「2アウト以下、サードでの得点率」では、イチローが30%しかないと胸を張りつつ、どうもイチローが仕事をしてないように書きたくてたまらないようだが、こんなデータで「打者の得点力」を測る馬鹿がどこにいる。

2008年に大失敗した城島をまたもや正捕手にすえて5月に大失敗し、また失敗した城島を7月に正捕手に戻しかかり、さらにマトモに打てもしないグリフィーなぞにDHを独占させてチームの主力選手を疲労困憊させ、主力投手のウオッシュバーンを安売りしてしまうチームマネジメントもチームマネジメントで酷いものだ。
だが、メディアとしてそんなチームマネジメントの酷さをこれっぽっちも批判せず、疲れ切ったイチローをムチ打つかのような記事を意気揚々と書いてジャーナリスト面する阿呆が「スポーツ・ジャーナリズム」とは、城島を正捕手に戻すチームマネジメントと同じくらい、ちゃんちゃらおかしい。




ベイカーのこの記事のくだらなさはいくらでも反証が出るだろうし、日本のメジャーファンなら誰しも、その人なりに何十、何百という種類の反論ができることだろうから、あえてここでその全部を網羅するような無駄なことはしない。あまりにも馬鹿すぎる記事に、そこまで丁寧に反論する義理はない。


そもそも今シーズン、イチローが「無死か1死でランナー3塁」というシチュエーションの打席がいくつあったか。

たったの23打席である。

20かそこらの数のシチュエーションのパーセンテージをあげつらって、イチローについて何か言えたつもりになるスポーツライターなど、ただの馬鹿である。BRS%のイチローの数字だとて、キャリアでは15%であって、リーグ標準レベルの数字をほぼ9年、きっちり残してきている。



ベイカーはそもそも、今シーズンがはイチローにとって、たいへんに特殊な年になりそうなことがわかってない。

イチローが打席に入ったときに塁上にいるランナー総数は例年350ちょっとくらいが年平均だが、今年は、あと1ヶ月少々のシーズンを残して、わずか248だかしかないのである。あと何打席あるかわからないか、100打席としても、その全部にランナーがいるなどということはありえないから、今シーズンのランナー数はどうみても、300ちょっとくらいしかいかないだろう

こんなことになった理由は、チームマネジメントに理由があり、イチローの責任ではないのは当然だ。
このチームは2009シーズン、「イチローの前にランナーを出して、いろいろ柔軟に策を講じる戦術」ではなく、むしろ「イチローの前でイニングが終わってしまう打線」を、意味不明にずっと続けてきた。
そんなこともきちんと抑えずに、ヘボいライター風情にあれこれ言われても、まるで意味はない。
下位打線の打率を他のシーズンと比較してみたことはないのだが、2009シーズンの9番打者に「打率の最も低い打者を常に置き続けた」のは間違いない。その打線システムで、イチローの得点生産力にケチをつけるなど、もってのほかだ。

このブログでも、また、数多くのイチローウオッチャーさんたちが言ってきたように、永遠の1番打者イチローが主力であるシアトルというチームにおいては、「9番打者」は本来特別な打者だ。
かつては好打者のベタンコートが9番に座り続けていた時代が長かったわけだが、その意味をワカマツは考慮することなく、結局9番には当時はまだ調子の出なかったセデーニョや、まだメジャーに慣れないソーンダースなどを置いて、打者としてのイチローを「塁に出る役割に限定して使い倒してきた」。それでイチローの打席からランナーの絶対数を減らし、打点の絶対数を減少させたのは、チームの失敗であって、イチローの責任ではない。



また、こんな走力と得点のデータもある。
イチローが走力を生かして、味方の得点を増やし、味方の中軸打者の打点を増やしてやっているというデータ群であるが、シアトルのジャーナリズム気取りのスポーツライターはこんなところも見てないのだから困る。

例えば「そのプレーヤーがランナーとして1塁にいて、二塁打が出た。このケースで、生還したケースはどのくらいあるか」というデータがある。
イチローの場合、9回のそうしたシチュエーションで、生還したケースは7回もある。言ってみれば、得点圏でない走者シチュエーションでの長打を、「イチローの傑出した走力」が、「イチロー自身の得点」と「打者の打点」に変えているわけだ。

このデータ例では、シアトルで足のあるほうといえるグティエレスさえ、6回のうち2回しか生還してない。イチローがダントツで、その次は最高でもベルトレの10回中4回程度。ベイカーがなにかともちあげたがるブラニヤンなどは8回中2回しか生還してないし、ロペスも11回中2回、グリフィーも7回中2回。大半の選手が2回程度しか生還してない。
つまり、ロペス、ブラニヤン、グリフィーのような走者は、1塁にいて2塁打が出たとしても、ほとんどホームには帰ってこれない。だが、イチローだけは悠々とホームに帰ってこれるのである。
言い方をかえれば、今年のような9番にある程度出塁できる打者を置かないノーマルな打順システムにおいては、イチローは「自身の打点は伸びないが、走力を生かして、あとの打者にツーベースが出ればホームに帰ってくる仕事では他の打者の打点を増やしている」のに対して、ロペス、ブラニヤンなどは、「たまにイチローを返すのが仕事で、打点を増やしてもらっているが、自分自身はホームランでも打たない限り、生還できるかどうかわからない」のだ。
例年100得点を記録してきたイチローの今年に限っての得点の伸び悩みをみれば、彼ら「イチローを還すのが仕事のバッターたち」が、どれほど仕事をできているか、できていないか、小学生でもわかりそうなものだ。



また別の例で、「プレーヤーがランナーとして2塁にいて、シングルヒットが出たときに、生還できた数」を調べると、イチローの場合、19回のうち、12回(63%)も生還し、12得点を挙げている。このケースでの生還数は、もちろんチームトップである。この数字に近い数字なのはグティエレスで、13回中8回生還(61.5%)で、イチローには及ばない。

この数字、他のプレーヤーはこうなっている。
ブラニヤン  13回中 7回   53.8
ロペス    14回中 6回   42.9
グリフィー  7回中 3回   42.9
これらのプレーヤーは、たとえ2塁にいても、シングルヒットでは必ずしもホームに還って来れるものでもない、ということがよくわかるだろう。(そもそもグリフィーがセカンドにいるシチュエーション自体が、4番DHにしては少なすぎる)彼らは打点を稼ぐ「バッター」にはなれても、後続打者にとっては打点のチャンスとなる「ランナー」にはなれず、チャンスを摘み取っている。



イチローはバッターとして得点に貢献してもいるが、ランナーとしても貢献している。こんなことは、ファンなら誰でもわかっていることだ。イチローのランナーとしての走力、というのは、打点とは違う意味で、ある種の得点力であることは、子供でもわかる。野球は次のベースを獲る競技だから、「ベース」ボールなのである。
「ランナーとしてのイチローが1塁にいて、ブラニヤンやロペス、グリフィーが二塁打を打ったケース」では、もちろん打点はイチローではなく、打者のほうにつく。「イチローが2塁にいて、彼らがシングルヒットを打ってイチローが走力でシングルヒットを得点に変えたケース」でも同じだ。打点や、シュチュエーション打撃での数字が上がるのは、ブラニヤンやロペス、グリフィーのほうで、イチローではない。
だが、数字を見てもわかるとおり、実際には、極端に言えば1塁から二塁打で長躯ホームインしたり、2塁からシングルヒットで生還できるのは、半分はイチロー(やグティエレス)の仕事であり、彼らにしかできない仕事なのだ。
むしろイチローのほうに打点をつけたいくらいの話なのである。


今年のイチローの得点の低さを見てもわかる通り、イチローが2塁や3塁にいても、イライラするほどホームに還ってこれないシーンを何度見たことか。シアトルの地元のジャーナリスト気取りも、程度の低い記事ばかり書いていい気になるな、と言いたいものだ。



なお、ちなみに、このダメ・スポーツライターのあげる2つのデータで比べると
BRS%
ロブ・ジョンソン 15%
城島        9%

「無死か1死でランナー3塁」の打席での
ランナー生還率(打点に限らない)

ロブ・ジョンソン 41%
城島       43%

ロブ・ジョンソンのほうがチームバッティングに優れている。(そもそもシチュエーション数が少なすぎて比較にならない。とはいえ、BRS%は城島の場合、年々低下の一途。)






damejima at 02:46

August 05, 2009

ある日本人作家の言葉をもじって言うなら
人生も野球と同じように、上手な人と下手な人がいる。
だが問題は人生の下手な人にも明日はやってくるが、
野球の下手な選手には明日がない、ということだ。



下の文章はBaseball Referenceという、有名なMLBのデータベースサイトでみかけた記事にリンクとしてあったもの。引用した人は、日頃データとばかり向き合っているせいか「考えさせられるものがあった」と話した。
アメリカは広くいろいろな人が住んでいる。投手のスライダーにもいろいろあるように、あながちドライな人ばかりでもない。いろんな考えの人がいる。

struggle、という言葉は野球記事に頻繁にでてくる単語で、「不調の」という意味で使われ、訳されることが多い。
だがstruggleは「もがき苦しみながらも、努力する」という意味でもあり、けして悪い意味ばかりでもなく、struggleという単語にもいろいろ意味がある。

僕は野球記事にでてくるstruggleという単語を見かけるたび、いつも「不調の」という意味で読むより、むしろついつい「もがいているが、なかなか調子が上がってこない」とか、「不調だが、なんとかしようと頑張っている」という意味で読んでしまう。辻褄が合わなくなると、もう一度読み直す。

どんな状況におかれたとしても、結局ベースボールプレーヤーも我々も、不調さを悩む暇があればstruggleすることで道を開くわけだが、野球選手のstruggleする姿はあまり目にすることがない。目にすることがないから、人が気にかけなくなる、という面もある。

下の記事は、そんな忘れられがちな他人のstruggleに気づいて、光をあてた人の書いた話だ。訳してみたくなった最初の頃はウオッシュバーンやクレメントのトレードでセンチメンタルな気分があったことは認めるが、いまはこう思ってもいる。

どこにいてもウオッシュバーンはウオッシュバーン。クレメントはクレメント。
さよならのない人生だけが人生なら、旅をする意味はない。
旅しない人生だけが良い人生ならば、そんな人生はつまらない。


Life is like a baseball game. When you think a fastball is coming, You gotta be ready to hit the curve. - The Path of Thorns
人の一生は野球の試合に似ている。
速球が来ると思うなら、
カーブを打つ準備もしていなくてはならない。


To the vast majority of the fans, players are simply components that affect the representation and winning capabilities of their hometown teams. If they under-produce, most don’t care if they’re dumped just like that. If they’re expendable, who cares if they’re gone, so long as they fill in a hole in the roster? Few of us stop to think what that means to the player. How it determines the rest of his season, his career, and the life of his family is rarely fathomed.
大半のファンにとって「野球のプレーヤー」は、地元球団の見栄えの良さや勝つ可能性に影響してくる「パーツ」にすぎない。大部分のファンは、もし結果に満足がいかなければ、プレーヤーがなんの前触れもなく放り出されようと気にかけない。使い捨てプレーヤーならば、たとえいなくなっても、だれかがスタメンの穴をふさいでくれる限り気にとめることもない。それ(=トレード:ブログ注)がプレーヤーにとってどんなことを意味するか、私たちはほとんど立ち止まって考えたりはしない。選手の残りシーズンやキャリア、彼の家族の人生にどんな風にケリがつけられてしまうか、滅多に考慮されることはない。

I got a chance to talk about this topic with a former Major League Baseball player. I did not get a chance to ask his permission to use his name, but I will say he was once a member I valued on my beloved Cubs, and someone who has gone through this very thing.
私はこの話について、ある元メジャーリーガーと話す機会を得た。私は彼の名を明かす許しを得ることはできなかったが、彼がかつていとしいシカゴ・カブスに在籍し、まさにこういう目にあった人物だということくらいは言っておきたい。

He mentioned a few things I did not think of – the idea that if you’re performing well and get dealt, you feel secure because there’s a better chance you’ll stay with that team, and find yourself a new home and a new exciting fan-base. But if you get traded for under-producing, as I mentioned above, you stress more because of the new equation you’re brought into; that is to say, your new role with the team. You may have been a beloved member of team A, but to team B, you sit on their bench and watch a team you may hardly know play without needing you as much. I can’t imagine the loneliness, or the uneasiness. Yes, ballplayers are millionaires these days, who will be financially stable anywhere once they hit this level, but they’re also human beings who may find job relocation following a business lunch or a thirty-second phone conversation. And all a player can do is wait.
彼は私は思いがけないことを言った。
もし、好調時のトレードなら、トレード先で腰を落ち着けてプレーが続けられるチャンスがより大きくなること、、新しいホームチーム、新しい熱心なファン層が得られる期待で、選手は心強い気持ちになれる。
しかし、すでに話したように、結果が伴わない状態でのトレードだと、自分が新しく組み込まれるチームの戦略、つまり、新チームでの新しい役割の中で、プレーヤーは強いストレスを感じる。Aというチームではチームの一員として愛されたかもしれない。だが移籍先のBというチームでは、そうならないかもしれない。あまり自分を必要としてないチームでプレーをベンチに座って眺めることになるかもしれない。

私はそういう孤独や、居心地の悪さを想像できない。なにせ最近の野球選手はみんな金持ちだ。どこのチームであれ、そこそこのレベルで一度活躍できたら、経済的には安定するだろう。
しかし彼らは、ビジネスランチの後や30秒かそこらの電話で自分のトレードを知らされる、そういうたぐいの人種でもある。プレーヤーにできることは、待つこだけだ。

The player I interviewed made another mention – how their children have to say goodbye to their friends, how their wives are left behind to figure out their mandatory new living situation. Some players who are traded still have several years left under their current contract, and may not see many warm days at their current home again. New schools, new estate, new ways of life – including a new dreary apartment or shared house to those players still unproven. Many wives have to say goodbye to the house they made their own with the player they wedded, to the friends they’ve grown attached to, to the happy life they had where they were. As much as a player is a mere soldier in a battalion, trudging through a million-mile season, they have to be nomadic and well-prepared if they’re to make it through a long and hard career.
私がインタビューした元選手はこんな話もしてくれた。
友達に別れを告げなければならない子供たち。強制的に新しくなってしまう生活環境に馴染めずに取り残される奥さん。トレードされる選手の中には、数年の契約を残している選手もいる。だが、彼らは今住んでいる家ではもう暖かい暮らし味わえないかもしれない。新しい学校、新しい家、新しい生活スタイル・・・。まだ行く末の定まらない選手たちに貸し出される物寂しいアパートや借家での生活を強いられる、というケースもある。多くの妻たちは、結婚して自分たちで建てた家、親密さを育くんできた友人、彼らがいた場所での幸福な人生に、別れを告げなくてはならない。
野球選手は、100万マイルもの果てしないシーズンを、重い足取りで歩き通す単なる軍隊の一兵卒ではあるだけに、長くて困難なキャリアをなんとか切り抜けていくつもりなら、遊牧民的かつ用意周到でなければならないのだ。

For every game that has to be won, a birthday is missed. For every RBI scored, and anniversary is missed. For every loss taken, a player’s lover says goodnight to an empty pillow. These players, these soldiers, these pawns, have a job to do, a talent to use, a unilateral skill to answer to, and each of the thirty teams has a vast game of chess to play without getting a checkmate. For each piece lost, one step forward needs to be taken. Each piece on the board needs to be in a certain place in order to win. Only the chess you and I play have tangible and unfeeling pieces…to thirty front offices right now, they change lifelines. And business in this old game never feels colder, or more surreal, in the heated Summer than it does today.
勝たなければならないゲームのために誕生日は忘れられ、挙げなくてはならない打点のためには記念日も忘れられてしまう。負けが刻まれるたび、そのプレーヤーの恋人は、からっぽの枕に向かって「おやすみ」を言う羽目になる。
兵士であり、チェスの「歩」であるプレーヤーたちには、やらなければならない仕事があり、使うべき才能と、期待に応えるための一方的な技能をもっていて、そして、30チームすべては、チェックメイトのない巨大なチェスゲームである。部品がひとつが失われるごとに、必ずひとつの前進が要求される。 ゲームボード上の各部品は、勝利のために一定の場所にいることを要求される。われわれがプレーするこのチェスゲームは唯一、触れることはできるが感情をもたない部品で行われている。
30ものフロントオフィスがたった今、彼らの生命線に変更を加えようとしている。 夏真っ盛りの今日(=トレード・デッドライン:ブログ注)ほど、この伝統のゲームにおけるビジネスが、よりクールに、そしてよりシュールに感じられる日はない。

New friends are made, old friends hug or shake hands, promises to keep in touch are made briefly, and a bus, or plane, awaits their fate. The fate of the player, their wives and lovers, their children, their family, their friends. Bags are hurriedly packed, goodbye kisses are known to be salty with the tears breaking between lips, retrospect is administered, and a fresh new start shows itself as a sharp right turn. Whether a player is meant to stay with the team for three months or three years, depending on their contract, a new significant chapter must begin. Even if they wanted to go, they leave a whole life behind them – and maybe a teammate, wife or lover that just doesn’t want to see them go.
新しくできる友人。旧友と交わすハグや握手。これからも連絡を取り続けようと、そそくさと交わされる約束。バスや飛行機が運命を待ちうけている。プレーヤーの運命、そして妻や恋人、子供、家族、彼らの友人の運命も。大急ぎで梱包される鞄。別れのキスの塩辛さ。頬の涙が唇と唇の間で流れを変えるように、新鮮なはずの再スタートは、急なカーブとして本性を露わにしていく。プレーヤーが3カ月、あるいは3年、チームと一緒に帯同できることになっていようと、いまいと、契約にそってプレーヤーは新しい重いページをめくらなければならない。たとえ誰かが一緒に行くのを望んでいようと、プレーヤーたちは去っていく。人生のすべて、チームメートや、彼の旅立ちをとても見ていられない妻や恋人などをあとにして。






damejima at 01:38

July 26, 2009

ポリシー。プライド。
決めるべき基準を自分の内側にもたない者にとっては、何度も何度もテストしないと得られないモノのようだが、基準さえ明確なら、それを得ることは別になんの努力も必要なく、簡単に手に入る。

「勝者」を残し、
努力もせず、結果も出していない「敗者」を捨てる。
基本は、ただそれだけのことだ。


「敗者」の側のプレーヤーの失敗の連続で、チームが困窮、低迷するだけでも腹立たしいが、そのことでかえって、「勝者」の側にいるプレーヤーが、本来いるべき場所、切実に存在したいと望んでいる場所から追われ、整理されるだろうなどと、この期に及んで、まだそんな馬鹿げたストーリーへの誘導を考える人間が、アメリカにも、日本にも、まだ残っているようだ。

今期のチームで努力して結果を出し続けてきた者が苦労して、自分のチーム残留とチームのために、勝利を確保し続ける一方で、潜在的な実力すらないことが判明した者、または、努力の基本姿勢をみせなかった者たちが、ゲームも、シーズンも、まだ終わってもないのに未来を諦めてしまい、ただただ無気力に敗北を増やしている。
こうした分裂した現状の末路を予測するにあたって、「チームは敗北に慣れた敗者ばかりをかき集めて、ここに残し、勝者を売りに出すだろう」、などと書くことが、どれだけ真実味がないか、プライドに欠けた文章か、考えなくてもわかりそうなものだ。

にもかかわらず、負けを増やした側、最後に与えられたチャンスの慈悲を生かせなかった者、つまり「敗者」が、これからもチームに残ることを許され、むしろ、勝ちを増やした側、潜在的だった実力をいかんなく発揮して結果を出した側、つまり現状の「勝者」は、チームに残ることを許されず、「売りに出される」だろう、などと、くだらない考えを文字に書いてはそれを金に換える、そんな人間がメディアを気取っていることには反吐が出る。


今シーズン去るべきだったプレーヤーのリスト、その最初の数行に書かれている名前は、去年の100敗した惨憺たる2008シーズンの終了時から本来既に決まっていた。
だが、そのプレーヤーたちの大半は、どういうものか、よほど甘い人生を送ってきた人間の判断のせいか、ぬるいヒューマニズムのせいか、なんだか知らないが、2009年シーズン開幕に再度チャンスを与えられた。


しかしながら、だ。
彼らのほとんどは、その判断の甘い人間の与えた2009年のチャンスすら生かすことができず、再び、同じ過ちを繰り返した。


本来は、「城島はじめ、彼ら敗者に再度チャンスを与えるという決定自体、その大半が間違っていた」と結論するのが正しい。言うまでもない。
例えば城島の例で言うなら、100敗シーズンの2008年の責任はもちろんだが、それどころか、チーム加入以来これまで、投手陣へのあらゆる投資を無駄にさせ続けてきた責任の根源であり、最悪の2008シーズンの翌2009シーズンの開幕時にまたしても正捕手に戻す、などという選択自体が、重大な過ちだった。

そんな間違った判断をするから、チームの一部の力でなんとか勝ちを拾っている最中に、「本来連勝やスイープできる可能性の高いカード」「勝てるはずの投手」に負けをマダラ模様に点々とつけながらシーズンを進めてしまい、結果的に、チーム全体として中途半端な勝率に苦しむ羽目になっている。


だが、百歩譲って、彼ら不良債権、つまり、「本来はとっくに去っているべきなのに、なぜか2009開幕時にスタメンで出してもらえたプレーヤーたち、本来今年はここにいるべきでないプレーヤーたち」に、ほぼ共通して再度チャンスを与えたことを、「公平性」という美名(または契約社会とかいう詭弁)の名のもとに許容するにしても、2度目のテスト結果、お情けのテストの結果は、既に出ている。
2008年最悪の結果を招きながら、本来いるべきでない場所を2009年も占めることを許されたプレーヤーの大半は、2009年に新たなチャンスを与えられたにもかかわらず、同じ過ちを再度繰り返すという、本来ありえない、恥ずべき行為を人前で見せた。

この2008年の失敗を慈悲で許した上での、2度目のたび重なる過ちを許していては、それはもうベースボールではない。


そういう「2度目の失敗を犯した敗残者」の対極に、今年チャンスをモノにし、結果を出し、チームを押し上げる仕事をしているプレーヤーたちがいる。シアトル・マリナーズには、いま、そういう、勝者と敗残者が混在している。

勝者と敗者、どちらをとるか。
説明する必要など、ない。
トレード期限の時期のルーティーン記事など、くそくらえ。

えりすぐりの敗残者ばかり残して寄せ集め集団にすることがチーム再建?その程度の詭弁すら一笑に付すことができなくて、どこがポリシーで、どこがジャーナリズムだというのだ。

馬鹿馬鹿しいにも、程がある。






damejima at 03:55

June 18, 2009

打撃はいいが、捕手としての能力について長年疑問符がつけられ続けていたヤンキースのポサダについて、ニューヨークタイムズがCERAデータを元にストレートな疑問符を投じた。
論調の基礎になっているのは「投手の成績はキャッチャーによって決まってしまう部分がある。それはゲームの結果にも影響する」という、このブログではおなじみのというか、当たり前の話。単細胞な城島オタクはともかく、知ったかぶりのメジャー通の言うような「メジャーではキャッチャーは壁」などという紋切り型のデタラメは、USメディアでは通用しない子供の戯言であることが示された。
記事ではバーネット投手が具体例をあげながら、キャッチャーによって変わる投球内容についての証言も行っている。
Analysis - Yankees’ Pitching Problems May Be Linked to Catching - NYTimes.com

翻訳はとりあえず以下を参照。
「捕手失格」DH埋まり…ポサダ問題でヒデキピンチ! - 夕刊フジ
(ただし、上記の夕刊フジの記事は多少問題がある。夕刊フジが大半を引用しているニューヨークタイムズの元記事と照らしつつ、注意して読むべきだ。
夕刊フジは記者が主観で「ポサダはもともとキャッチングに問題があった」などと書いた直後にNYタイムズの記事の翻訳を切れ目なしに並べて書いているが、これだと、あたかもNYタイムズの記事が「ポサダのキャッチング」を批判したように読めてしまう。
だが、原文を読めばわかることだが、これは夕刊フジ記者の主観による書き足しであって、NYタイムズの記事は「ポサダのCERAがあまりにも悪い原因はキャッチングにある」などとは書いていない。
むしろNYタイムズは移籍してきたバーネット投手が「ストレートを投げるようなカウントで、カーブを投げて様子をみる」などと話した例をあげて、配球の話をしている。
夕刊フジでは、このバーネットの「配球」についての証言部分が省かれてしまっている。)



元記事を読む前にCERAの数値の意味をおさらいして、またヤンキースの蚊抱える「ポサダ問題」と、シアトルの「城島問題」の類似性や、ポサダのキャリアスタッツなどについて触れてみる。


5点台のCERAの捕手というのは、例えばポストシーズン争いたけなわの2007年7月中旬の例でいうと、WSNのシュナイダー、TBのナバーロ、TEXのレアードと、わずか3人しかいない。これら3チームともこの時点でそれぞれの地区の最下位だったことからわかるように、5点台のCERAは捕手としてまったくダメ。異常に強力な打線でも持たないかぎり、5点台の正捕手をもつチームは地区最下位あたりをさまようことになる。
シアトルでいうなら、城島はキャリア4.86と、毎年5点前後の酷い数字を残すダメ捕手だが、2009年6月16日時点で5.57と酷い数値のキロスは捕手としてはとっくに失格。デーゲームで使う意味すらなくなっている。
CERA 5点を大きく越えるようなキャッチャーはチームにクビにされたくなければ、CLEのビクター・マルチネス(打率.340 CERA 6.10)ではないが、人並み以上の打撃成績で酷い守備面をフォローしければならない。人並みの打撃成績なら、チームとして使う意味はまったくない。

逆に3点台は優秀なキャッチャーの勲章だ。
3点台の捕手は、キャリア3.78のラッセル・マーティンのように、打撃はたいしたことはないがキャッチャーとして優れた数字を残す名捕手タイプということになることがほとんどだ。キャリアCERA 3.91で、加えて打撃も素晴らしいジョー・マウアーのような攻守に優れたスーパースターは、規格外、別格なのだ。、
ロブ・ジョンソンはメジャートップの成績で、2009年6月16日時点での2.73という数字は、毎年1人でるかでないかの驚異的な数字。名捕手への道を歩む能力を十分に感じさせている。



さてポサダだが、今年のCERA6.31はあまりにも酷い。これではゲームにならないし、投手陣から不満が出るのはわかる。
もちろん今年5月最初の12ゲームで88失点した城島のように、1試合平均7失点8失点するような最低のキャッチャーは、NYYで進退が議論されるポサダ以下で、議論にすら値しない。ゲームに出る資格がそもそもないし、メジャーに存在する意味もない。
ただポサダのキャリアCERAは4.44で、キャリア4.86の城島よりかなりマシの及第点クラスだから、ポサダの不調が今年1年だけなのかどうか、判断が難しい。だが37歳という年齢でキャリア終盤の彼について、来年以降の成績改善にニューヨーク市民が期待しているわけではなさそうである。
ポサダのキャリアスタッツ
Jorge Posada Stats, News, Photos - New York Yankees - ESPN

一方、控え捕手のセルベリ、モリーナ、キャッシュらが受けたときのCERAは平均3.81で、6.31のポサダと1ゲームあたり2.5点もの差がある。ヤンキースの3捕手それぞれのCERAを取り出すと、4.18、3.66、3.49と多少の幅はあるが、それでも4点前後の好データの範囲に全員が収まっている。
これはちょうどシアトルで2点台のロブ・ジョンソンや、それに準じる数値のバークと、数値の酷い城島キロスの間に2点以上の差があるのと似ている。
カテゴリー:2009投手ERA「2点の差」

NYタイムズの記事では、バーネットの登板ゲームで、ポサダのマスクのときだけ被打率が.330と跳ね上がっていることを指摘しているが、このことについて、バーネット自身も現場の投手として、アーズマが証言したのと同じように、「捕手が違うと投球内容が変わってくる」という意味のことを、例をあげながら証言しているのが興味深い。
2009年5月24日、デイビッド・アーズマが「ヘルナンデスがロブ・ジョンソンと組むゲームと、城島と組むゲームの大きな違い」を初めて証言した。

シアトルの例で言うと、このブログでも、ロウの登板ゲームでの同じ32球の内容について、ロブ・ジョンソン城島の配球の違いについて触れたことがある。
2009年5月12日、切れた城島は先発全員安打を食らい、予想通りゲームをぶち壊した。(ロブ・ジョンソン・城島の32球の配球比較つき)


当然のことながら、「メジャーでは配球は全て投手が決め、キャッチャーは壁でしかない」などというのは、ただの迷信でしかない。

捕手によって、配球は変わる。
ニューヨークタイムズの指摘を待つまでもない。


One unsettling fact for the Yankees is the difference when Jorge Posada catches. With Posada behind the plate, the Yankees' pitchers have a 6.31 E.R.A. The combined E.R.A. with Francisco Cervelli, Jose Molina and Kevin Cash is 3.81.

Posada has caught four starts by Chien-Ming Wang, whose job status is now evaluated on a game-by-game basis. Even removing those starts, the staff's E.R.A. with Posada is still high, at 5.47.

Posada, 37, has handled many exceptional pitchers in his career. Although some, like Randy Johnson and Mike Mussina, have preferred other catchers, Posada does not have to apologize for his résumé. Posada takes his job seriously and is an emotional engine of the team.

Yet Burnett, in particular, seems to struggle with him. In Burnett's four starts pitching to Posada, opponents have batted .330. In nine starts with the other catchers, the average is .223.

When he lost a six-run lead in Boston in April, Burnett questioned the pitch selection, though he blamed himself, not Posada. Asked Sunday about the difference in pitching to the rookie Cervelli, Burnett gave a careful but revealing answer.

“I think it's just a matter of ― I don't know if it's the catcher ― but we threw curveballs in fastball counts, we had them looking for something and they had no idea what was coming, I don't think,” Burnett said. “That's huge.”







damejima at 04:52

April 02, 2009

シアトルタイムズのベイカーは、以前にマリナーズの社長リンカーンへのインタビューを通じて、城島の契約延長が野球の実力からではなく日本からの異例のトップダウンで決まったことをスッパ抜いた男だが、WBCからキャンプに合流した城島を「ジョー」と呼んで皮肉る記事をさっそく書いた。地元メディアは城島の正捕手復帰など、まったく望んでいないのである。
Just an average "Joh''
http://blog.seattletimes.nwsource.com/mariners/2009/03/31/just_an_average_joh.html

(資料)城島契約延長問題の発端記事を読むには
2008年5月13日、地元記者ベイカーは長い重要な記事を書いた。
(資料)城島契約問題全体の流れを掴むには
時系列にそって「城島問題」を読む。

日本の英語も読まない城島オタなどが、城島のことを「ジョー」などと呼んでメジャー気分だか、外国気分だかに浸って悦にいっているようだが、とんでもない。きちんとこの記事あたり読めばわかる。シアトルの地元の番記者たちは、FoxESPNといった全米メディアの記者も含め、メジャー最低プレーヤーなのにクビにならず、むしろ高給をとりはじめたコネ捕手のことをハッキリ見下して嫌っている。親しみをこめてJohなどと呼びかけた記事など書いたりはしない。

ただ、この記事、ベイカーが多少2重に読めるように細工している。なので、中学生英語でサラッと読んでしまうと意味はわからない。巧妙な細工の種明かしは後日にでもするとして、ちょっとヒントだけ並べておこう。

(ヒント1)
記事タイトルの、Just an average "Joh"
きちんと全文のはしばしに隠された意味の「つながり」に気がついた上でないと、このタイトルの意味からしてわからないだろう。
例えば、中学生英語で「平均的に英語をこなせるジョー(と、ベイカーが親しみを込めて呼び、城島の努力を誉めたたえた)」などと訳したのでは、ベイカーに陰で腹を抱えて笑われる。anという、数を示す冠詞がついていることで、johという単語を「城島」と直訳してはいけないことくらいの程度のことくらい、いくら中学生英語でも、わからないのでは話にならない。ベイカーがJohという単語に、別のものをかけて書き、読む人間の英語力を、城島の英語同様に、思い切りコケにしているのである。

このブログでは、とりあえずこのタイトルを「まさに、どこにでもいる新参モノ。」とでも訳しておくことにする。理由は以下にあげるヒントにもある。まずは自分の頭を使って原文を読んでもらいたい。

(ヒント2)
下記の部分、読んでいて、ちょっとひっかかる箇所がある。そう。grunted for effectという部分だ。なにも、わざわざ使わなくてもよさそうなgruntという単語を使っている。これが記事タイトルを読み解く最も大きなカギだろう。gruntとは、通常は「豚などの動物がブーブーうなる」というような意味だが、ここではおそらく違う。

This morning was a landmark event of sorts in that I had my first conversation, in English, with catcher Kenji Johjima. He was walking by where Jim Street of MLB.com and I were standing and I said "How are you?''
"I'm very good, thank you,'' he said.
At which point, my brain went "Huh?''
Normally, Johjima would respond to such a greeting with a smile and a well-meaning nodding of his head, usually with a word like "good'' grunted for effect.
"That's the first conversation I've ever had with you in English,'' I told him.

(訳)今朝ちょっと画期的な出来事があった。キャッチャー城島健司と初めて「英語で」会話したのだ。僕がMLB.comのジム・ストリートと立ってたら、脇を彼が通りかかった。「調子どう?」と言ってみた。彼は「まぁまぁだよ。ありがとう」と言った。
そのとき僕の脳は「はぁぁぁぁ???」となった。だって通常、彼はそういう(欧米流の)挨拶には、(あまり反応しないことが多いが、反応したとしても)笑みを浮かべつつ善意の意味でクビをタテに振って(日本式に無言の会釈で)返すのが通例だし、good程度の単語をわざとボソっと言うのも普通にある。「これって、君と僕が話した今までで最初の英語の会話だよね」と、僕は彼に言った。


(おまけ1)
この部分に出てくる「オライリー・ファクター」はアメリカのFOXでトップといわれる人気番組のことで、ビリー・オライリーはその番組のたいへん早口のキャスター。外国人の就労ビザをわざわざたとえ話に持ち出してきたのにも、もちろん意味はある。
この部分、城島を誉めていると読める人はよほどのお人好し。後半の文章など、メジャー4年目だか5年目だかにして挨拶程度しかできない城島の英語をひどく馬鹿にしていて笑える。

Now, I don't want to pretend Johjima is fluent enough to go on The O'Reilly Factor and get in a heated debate with ole' Billy about foreign work visas. But it was clear he understood the questioning and was able to phrase his answer so that we understood.
(訳)Johjimaがオライリー・ファクターに出て、ビリー・オライリーと外国人の就労ビザについて激論するほど(英語が)流暢だと言うつもりはない。しかし彼が質問を理解し、私たちにわかる答えを(初めて)言葉にできたのは明らかだった。


(ヒント3)
この部分にも、(ヒント1)のgrunt for effect同様に、使い方のわざとらしい単語がある。fire backである。べつにfireという単語でなくてもよさそうな部分だ。
Joh、grunt、fire、こうしてつながりのある単語を並べていけば、そろそろ意味もわかることだろう。ちなみに、英語にはfire for effectという言葉もある。
なお、後半部分で「城島は基礎英語は学んだ」と言いながら、すぐに大きくけなしているのはもちろん、「ようやく挨拶程度の英語くらいはできるようになったか」と皮肉った上で、「中南米系のスペイン語圏の野手も投手もたくさんいてスペイン語も飛び交うシアトルで、英語の挨拶程度すらやっとこさ4年も5年もかけて学んでいるようでは、捕手としてはどうしようもないわな?」という意味。

Don't get me wrong. I'm not one of those "Speak English!'' types who demands instant translation from everyone who comes over here. Johjima is a resident of Japan. Try putting yourself in his place and attempting to speak Japanese in a year or two if you went over there to play baseball six months a year. Yes, he has to understand the basics. And he does. He did last year. But as someone who speaks rudimentary Spanish, I can tell you there's a difference between me understanding one word of every three that Jose Lopez says to Yuniesky Betancourt and being able to fire back a thought or two of my own without having to think about it and write it down first.
(訳)誤解しないでもらいたい。僕は、ここに来るプレーヤー全員に簡易通訳を要求するような、「英語の国なんだから英語を話せ!」的なタイプの人間じゃあない。Johjimaは日本の住人である。彼の立場に立ってみたらいいし、そして1年か2年、1年につき6カ月野球をしに日本に行って日本語会話を試してみたらいい。ただ彼は基礎は理解しなければならない。そして彼はそうした。去年彼は基礎は学んだ。
だがしかし、(アメリカ人であってスペイン語ネイティブではない私ベイカーだが、取材に必要なため勉強して)初歩のスペイン語を話す者のひとりとしていわせてもらいたい。
(ベネズエラ出身でスペイン語を話す)ホセ・ロペスが(キューバ出身で、やはりスペイン語を話す)ユニスキー・ベタンコートに話す(スペイン語の会話の)言葉の3分の1しかわからない(=もう何年もアメリカにいて、仕事にどうしても必要なクセに、社交辞令で言ってもその程度の英語力しかない日本語ネイティブの城島の英語会話の能力や努力)と、考えをまとめてから話すだの、まず書きとめてからだのではなく、自分の考えのひとつやふたつ即座に言い返せる能力(=スペイン語ネイティブでなくても、仕事にどうしてもスペイン語が必要なので勉強して実用レベル程度には達している自分ベイカーやメジャーの取材記者たちの外国語会話能力や、スペイン語を話すプレーヤーがたいへんに多いメジャー各球団で、スペイン語が話せるように努力しなければならず、そして会話もかなり当たり前にできるようになっている他チームの英語圏キャッチャーたちの外国語会話能力。つまり、メジャーでごく普通に求められる外国語会話能力の実用レベル)とでは、まるで意味が違う。
(ブログ注:一部誤訳があったため訂正。大意には変更ありません。ご指摘に感謝します。2009年6月6日日本時間)



では、種明かしは、また明日。




damejima at 03:08

March 01, 2009

http://blog.seattletimes.nwsource.com/mariners/2009/02/28/ms_tell_beltre_no_wbc.html

Mariners GM Jack Zduriencik told us moments ago that it's a decision he tried not make, given how badly Beltre wanted to play in the WBC. But in the end, he said, he felt he had to step in and do what was best for the ballclub.

"If it was up to him, he'd be going,'' Zduriencik said. "We need this player and we need this player badly to be a very competitive club this year.''(中略)
Zduriencik has allowed every other M's player wishing to play in the tourney to do so. The M's had stated that it would be totally up to the player, even though some, like Kenji Johjima and Carlos Silva, are coming off horrible seasons and need to re-establish themselves this year.
(簡訳)ほんの少し前のマリナーズGMジャック・ズレンシックは、ベルトレがWBCでのプレーをどれほど渇望しているかという話題を振られて、(彼を行かせるかどうか)自分では決めたくない決断だと(記者である)我々に語っていた。だが結局のところ彼は、その問題に介入し、球団にとっての最善の判断を下すべきと感じたようだ。
「もし彼(ベルトレ)の判断にまかせたなら、WBCに行っただろうね。」とズレンシックは言う。「我々にはこのプレーヤーが必要なんだ。今年非常に競争力があるクラブにするために、どうしても必要なのさ。」(中略)
ズレンシックはトーナメントでプレーしたがっている他のどんなマリナーズのプレーヤーにも、それを許した。たとえそれが城島やシルバのように、最悪のシーズンを過ごし、今年は彼ら自身の手で再起する必要があるプレーヤーであったとしても、マリナーズは、WBC参加はすべてプレーヤー次第だと、ずっとコメントし続けてきた。


短い中で2度も使われているbadlyという単語がキーポイント。センテンスの中で同じ単語を使うことを嫌う英語表現においては、これは珍しいことで、当然故意に使われているはずだ。
needとかwantという動詞と一緒に使われる場合のbadlyは、「bad=悪い」とかいう意味では無く、願望の強さ、それもかなり強い願望を強調するために使われる。つまり、いうなれば「あまりにも熱望しすぎて気分が悪くなる。それくらい、切望している」というような意味である。

badlyが2度使われたのは、「ベルトレがWBCに出たい気持ち、それもbadlyだろう。だが、マリナーズが彼を出したくない気持ちも負けず劣らずbadlyなのだよ」と、球団とベルトレ、両者の異なる強い願望が同等に強い一方で、方向性がまったく逆で矛盾した困った事態を、badlyという単語をわざと両者ともにまたがって使って表現したのである。



メジャーのWBC参加において、故障を抱えている選手の辞退は当然ながら、移籍したばかりの選手のようなケースでも、WBCへの参加は、球団側からではなく選手側から辞退することが多い。

前年GGを獲得したベルトレは「どうしても今シーズンも活躍してもらわないと困る」と明言されて引き止められたが、一方で、あまりにも酷いシーズンを過ごした城島やシルバは「君次第だ」と自主性にまかされた。
もちろん、代わりになる選手のいないプレーヤーと、城島のような、そうでない期待されないプレーヤーの差であることは言うまでもないし、球団の期待度がベルトレと城島では違い過ぎる。

しかし、このベルトレのWBC引きとめの例でもわかるように、「参加はプレーヤー次第」と表向きは言いながら、「行くのは選手の勝手だ。それもアメリカ流の自主性ってやつだろ」と選手側が判断するしたら、それは大間違い、完全な勘違いだ。
オトナの慇懃さ、遠まわしな言い方は、日本でも英語圏でも変わりない。理由は簡単だ。相手を尊重した公式発言をするのが礼儀だからである。だから管理者側は「プレーヤー次第だよ」と言う。
しかし、その言葉を表面だけ真に受けて「じゃ、WBC行きます。よろしく」と簡単に言って許されるプレーヤーと、そうでないプレーヤーがいる、というのは、アメリカでも日本でも、野球でもビジネスでも、同じことなのだ。

頭の悪いダメ選手のためにもう少し言い足すと、オトナは「行くか行かないか、決めるのはプレーヤー次第。全部まかせたから、行きたいなら行ってきなさい」などと言うわけはない。
本来は「自分が行っても許されるプレーヤーか、そうでないプレーヤーか、それくらい自分で判断できるだろう?自分のすべきことを、自分で判断してくれ。それがプレーヤー次第ということだ」というのが、正確な中身である。
実績のない選手が自主性とかいう分不相応な言葉を使って、勘違いしてはいけないのである。

城島のWBC参加自体、シアトルでまったく歓迎などされていないことは言うまでもないが、かといって、今期の戦力として多くの改善を期待されているわけでもない。チームにとって、いまやその程度の存在なのだ、ということが、この記事からわかるのである。
そして、自分がどう行動すべきだったかも、城島はわかっていない。せいぜいお祭りに参加したつもりになって、はしゃいでいるのがお似合いのプレーヤーである。





damejima at 15:37

September 08, 2008

フィアベントがラヘアとのコンビで3回に1塁ランナーのAロッドを誘い出したトリックについて、タイムズがさっそく記事にしたので紹介しておく。「このプレーは何年もかけてラヘアとの間で研究してきた」と、当のフィアベントが発言して、バックドア・ピックと、すでにネーミングまであったことを話している。

やれやれだ。

何がやれやれかって?このピックオフプレーについての、日本メディアであるMajor.jpの記事だ。まるで息を吐くように嘘をつく。嘘をつくなよ、城島。そしてそれを鵜呑みにして記事にする現地の日本人記者。ほんとうに、やれやれ、だ。ネットで現地メディアが読める時代で、ほんとうによかった。
なんでも自分の手柄にしてしゃべらないと気がすまない、というのは、専門書を読めばわかるが、ある種のではなく、立派に心の病気である。どうりで投手がついてこないわけだ。

ちなみに、バックドアはもちろん「裏口」という意味だが、いろいろ英語表現に出てくる。ネットセキュリティの話題ででてくるバックドアは、パソコンへのハッキングを裏口からするテクニックのことだ。だから、バックドアという言葉には、「こっそり」という副詞的な意味あいが既に含まれている。

Making A-Rod look bad
http://blog.seattletimes.nwsource.com/mariners/2008/09/07/making_arod_look_bad.html
The low point for A-Rod came in the third inning when first baseman Bryan LaHair sneaked in behind him, and Ryan Feierabend fired over a pickoff throw to catch Rodriguez off base. Rodriguez got in a rundown, and eventually Derek Jeter, the runner on second, had to commit to third, and thrown out to end the threat.

It was a nifty play, one that Feierabend and LaHair have perfected over the years in the minor leagues. Feierabend called it a "backdoor pick" and said the key is not an inattentive runner, but an inattentive first-base coach.

"If you have a coach at first base not paying attention and more worried about the hitter, you're going to catch a lot of guys at first base,'' Feierabend said.



これが、嘘つきメディアのMajor.jpにかかると、こんな大本営発表の提灯記事、ニセ報道になる。腹をかかえて笑うというより、こんな嘘を書いてよく正気でいられるものだ、と、びっくりする。Aロッドを歩かせただけで、「城島、狙い通りのけん制 サインプレーでピンチを脱す」と、くるのだから、笑える。

城島、狙い通りのけん制 サインプレーでピンチを脱す
http://mlb.yahoo.co.jp/headlines/?a=16533
マリナーズがサインプレーでピンチを脱した。5回2死一、二塁で一塁走者のA・ロドリゲスをけん制のわなにはめた。いったん一塁手がベースから離れA・ロドリゲスのリードを誘い、一塁手が再びベースに戻って逆を突く作戦。挟殺の間に三塁を狙った二塁走者のジーターを、三塁でタッチアウトに。

一番のヤマ場だったと認めたこの場面でのサインプレーについて、城島は「Aロッドとは勝負したくなかった。そこまで考えた上で(四球で一、二塁に)したプレーだった」と得意げに説明した。(シアトル共同)



damejima at 19:28

July 24, 2008

なんとも皮肉っぽい文章だ。
いつものように仮定法過去が何度も使われ、いつものように見た目ほどは、わかりやすくない。ただ、それを頭に入れて読まないと、リグルマンとライターのうわっつらしか見えない。

例えば、最後のBut nobody enjoysから始まるセンテンスだが、けして城島に同情的に書いているわけではない。
むしろ「ヒトが苦しむ姿をみせられても、それを見てファンが楽しいと思うかい?そんなわけないだろ?」「1週間程度の好調期すらないのなら、契約延長を返上したらどうなんだ?」というキツイ本音を、わざとダブルミーニングで読めるように書いている。
もちろん、冒頭の7月の連敗についての城島の責任についても軽いものだ、なんてことはライターは露ほども思ってなどいない。そこを読みこまないと、原文を読む意味がない。

それはリグルマンのコメント部分にしても同じだ。言外に「やけに城島の不調をクレメントのせいにしたがってるヤツがいるようだけど、何を勘違いしてる?クレメントが上がってくる前から、城島は不調だったろ?これからもクレメントでいくよ」と、歯に絹をきせぬ言葉づかいに直して読めば、どういう意図で言ってるかくらい、いくら馬鹿な城島オタでもわかるだろう。

両者とも、言いたいことは同じだ。
城島の不調へのイラだち、それと、いつまで不調でいるんだ、自分のことくらい自分でなんとかしろよ、プロだろ?と苦言を呈しているのである。

Mariners squander chances
http://seattlepi.nwsource.com/baseball/371987_mari24.html
Johjima wasn't the only reason the Mariners dropped a 6-3 heartbreaker to the Red Sox in 12 innings. But he was a significant factor in their fifth consecutive loss and 12th loss in 19 July games.
(中略)
"He has struggled," Riggleman said. "If I rationalized it by saying his playing time has suffered since Clement has come up, that would be part of it. But he was struggling before Clement was called up.

"He's got a lot of pride and he's agonizing over what's happening, but the fact is he's just struggled with the bat."
Johjima, in fact, is in the deepest funk of his career. A .299 career hitter in Japan and a .289 career hitter in the U.S., Johjima is down to .203 for the season after his hitless Wednesday.

It's not making it any easier for him to come to the ballpark each day.

"Baseball is my job, so I'm here every day," he said. "But I never thought of it as fun. When I'm doing well, I enjoy doing this job."

But nobody enjoys a constant bitter struggle, which is what Johjima is locked in now. He signed a three-year contract extension back in April, but he'd probably give that back for a week in which his old offensive game reasserted itself.


城島だけが、12イニングにも及んだレッドソックスとのゲームを、6−3で落とすという痛恨の敗北の原因ではない。だが7月の19ゲームで、5回目の連敗、そして12回目の負けを喫するに至ったについては、際立った原因となっている。(中略)

「城島はずっともがき続けてきてるよ」とリグルマンは言う。 「もし私がそれを、クレメントのメジャー昇格で城島のプレー時間が影響を受けた、そういう理屈づけで説明するなら、いくらか解説になると思うかもしれない。でもね、マイナーからクレメントが呼ばれる前からすでに、彼は苦しんでたんだよ。」
「彼はプライドが高いから突然の出来事に苦しんでる。でもね実際は、彼はバッティングについて四苦八苦してるだけなんだ。」

実際、城島はキャリアで最も深い落ち込みの中にある。城島は日本での通産打率.299、そしてメジャーでの通産打率.289の打者だが、水曜のノーヒットのあと、シーズン打率は.203にまで落ちている。

いまの彼は、毎日球場に来ることで気楽な気分にはなれないだろう。

「野球は僕の仕事。だから毎日球場にいる。」と彼は言う。「野球を楽しみと考えたことはないけど、プレーが順調なら、仕事でも楽しめるんだろうけどね。」

しかしだ。城島が今とらわれているような、終わることのない苦闘を楽める者などいない。城島は4月に3年の契約延長にサインしたが、もし1週間でも、昔のような攻撃的なゲームぶりを取り戻せるなら、契約延長を返上しさえするだろう。

damejima at 21:28

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