日本国内のメディア

2019年1月9日、「MLBで通用するセカンド、ショートは、30本ホームランが打てるタイプ」とかいうのは空想に過ぎない。
2015年2月3日、サッカー日本代表監督ハビエル・アギーレ解任の背景にある「2011年のサッカーにおける世界的な八百長摘発」と、それをあえて見なかったものとしてきた日本のスポーツメディア。
2014年11月13日、2008年Yahoo.com記事の表現を「あたかも自分が聞いてきた」かのように根こそぎパクった丹羽政善の2010年日本経済新聞記事を発見。
2014年9月12日、基本データすら調べない「記者」なんてものの書くことを鵜呑みにしてはいけない時代。 〜 イチロー追い出し後、惨憺たるホームゲームの観客数にあえぐシアトルの「正しい位置づけ」。
2014年9月3日、朝日新聞は、「言論の封殺が公然と行われる可能性を、自らの手で開いたこと」について、公式の場で謝罪すべきである。
2014年8月4日、誰もが読めていない「空き家の増加」というニュースの本質〜日本における「文字読み文化」の衰退
2014年7月14日、なぜ「漁港にある寿司屋なら間違いなく旨い、とは言えない」のか、そして、なぜ「地方の若者が都会で寿司屋や野球選手になる」のかについて。
2013年7月16日、イチロー人気に寄生したフジテレビのグロテスクなプロモーション視聴強要行為。スポーツ中継の資格なし。
2011年7月26日、この9年間というもの、シアトル・マリナーズという野球チームがとってきたチーム編成戦略はずっと間違い続けてきた、という事実。年がら年中よその国のドラマばかり垂れ流し続けてきた某テレビ系新聞の「デタラメ記事」を笑う。
2011年7月22日、くだんの女子サッカーワールドカップ全体の視聴率は、カレッジ・ワールドシリーズの平均視聴率とほぼ同じか、それ以下。
2011年3月29日、「被災地」という言葉で東北だけをイメージさせようとするプロパガンダ。 そして、都市生活バッシング。
2011年3月20日、極論に惑わされず、きちんと議論すべき日本の球場の電力消費。
2010年1月5日、ランディ・ジョンソン引退を喜ぶ。 理由:この冬の間に西新宿で見られる確率アップ(笑)
2009年12月10日、新聞各紙の「ショーン」・フィギンズの名前表記を正す。
2009年1月5日、「迷文」で名を馳せたMAJOR.JPが閉鎖
2008年12月16日、ファンは城島にWBCの主軸を期待していないことを意思表示した。
2008年9月7日、城島はまたもや「×××・×××××」と、悪寒のするような無責任さで自軍を皮肉った。

January 09, 2019



上に挙げたリンクは、ダイヤモンド・オンラインに2019年1月7日掲載されたクソ記事である。クレジットは「清談社 福田晃広」となっているが、「2000試合以上を取材してきたMLBアナリスト古内義明」に話を聞いたという体裁になっている。カノーの所属球団が間違っていることからしてライターはMLBに詳しくない人間だろうから、情報の責任の所在は実質、古内某ということになる。

その古内なる人物、記事中で、こんな「わけのわからないこと」を言っている。
「日本人内野手で、今後もし可能性があるとすれば、スピードがあり、中距離打者以上のパワーがある二塁手かと思います。たとえば、ホセ・アルトゥーベ(ヒューストン・アストロズ)やロビンソン・カノ(シアトル・マリナーズ)のような、シーズンでホームランを30本ほど打てるタイプですね。ただ、今の日本のプロ野球界で、その条件に合う選手を見つけるのは正直厳しいです」


何を根拠にこういうわけのわからないことを言ってるんだ。と、言いたくなる。


まずは総論の間違いだ。

セカンドからいこう。

MLBの100年を超える歴史の中ですら、「30本ホームラン打てた2塁手」なんて、「のべ39人」しかいない。複数回達成者がいるので、選手数はその半分くらい、たった「20数人」しかいない。その「20数人」にしても、ロジャー・ホーンスビーのような古い時代の記録を除くと、大半が「2000年以降」の記録で、おまけに飛ぶボールなどでホームランが無駄に量産される「ホームランと三振の時代である2010年代」の例が多く含まれている。

つまり、MLBの、どの時代、どの選手を見て、そういう「空想」をしたのか知らないが、「ホームランを30本ほど打てるタイプしかMLBの二塁手になれなかった時代など、MLBのどこを探しても存在しないのである。


個々の例についてもみてみる。

「30本打てる内野手の例」としてホセ・アルトゥーベが紹介されている。だが彼は24本打ったシーズンが2度あるだけで、30本打ったことなど、一度もない。なのに、「30本打てるタイプ」に挙げるのは、どうかしている。彼の「シーズン平均ホームラン数」は、いまのところ「14本」。これは「歴代のホームランを打てるタイプの二塁手」より10本は少ない。だから、アルトゥーベはそもそも「30本打てる二塁手」というカテゴリーには到底入らない選手なのである。

カノーはたしかに、2度「シーズン30本以上のホームラン」を記録している。だが、こいつはアレックス・ロドリゲスやバリー・ボンズと同じ、「ステロイダーのクソ野郎」であって、その記録は詐称にすぎない。そして、その「ステロイド・ホームランのカノー」ですら、シーズン平均は「24本」に過ぎない。


近年「ホームラン30本打った二塁手」でいえば、挙げるべきなのは、達成2回のカノーより、2000年代後半に3回記録したチェイス・アトリーやアルフォンソ・ソリアーノだが、上の記事はアトリーもソリアーノも名を挙げていない。
アトリーのシーズン平均も「22本」で、ロビンソン・カノーとたいして変わらないが、ステロイダーでないだけマシというものだ。ちなみにイアン・キンズラーも、カノーと同じ2回、30本を達成しているが、シーズン平均は、アトリーと同レベルの「22本」で、30本には到底届かない。

「30本打たないとメジャーの二塁手になれない」などという設定はまったくのデタラメだ。


他の基本的な間違いも指摘しておこう。

最初に挙げた記事が配信されたのは「日本時間1月7日6:00」のようだが、その時点でカノーはとっくにシアトルの選手ではない。印刷媒体なら印刷後にトレードされたと言い訳もできるが、電子版は直そうと思えばいくらでも直せたはずだ。だらしないにも程がある。

また、日本の二塁手には、30本をそこそこコンスタントに打っている山田哲人がいるわけだが、どういうわけかこの記事は触れていない。これも解せない。自分は山田哲人がMLBで活躍できると思ったことはまったくないが、だからといって、「今の日本のプロ野球界には、30本打てる内野手はひとりもいない」と、上から目線で決めつけるのはおかしい。



次にショートについて。

総論はセカンドと同じである。
MLB100年の歴史で、「30本ホームラン打てたショート」なんてものは、奇しくもセカンドと同じ、「のべ39人」しかいないのである。この「のべ39人」には、カノーの先輩で、同じステロイダーのクソ野郎であるアレックス・ロドリゲスや、ミゲル・テハダなどの「ステロイダーのニセ記録」が含まれているから、リアルな達成者となると、もっと少ない。

個々の選手でみると、「ホームラン30本」は、例えばデレク・ジーターは一度も達成していない。ジーターに似たバッターで、同じ3000安打達成者でもあるロビン・ヨーントも達成してはいない。カル・リプケンはジーターより遥かに長打力があったバッターだったが、リプケンですらわずか一度しか30本を達成していない。

30本を2度達成したショートは、例えばノマー・ガルシアパーラ、トロイ・トロウィツキー、ジミー・ロリンズ、近年ではフランシスコ・リンドア、マニー・マチャドなどがいる。
ホームラン20本台後半の記録も、これら「30本を2度達成している選手」が達成した記録であることが多いために、ショートのハードルをもっと下げて、「25本以上」としたとしても、そのメンバーは「30本以上」とほとんど同じ顔ぶれにしかならない。

逆にいえば、30本打てるホームランバッターではないのにメジャーのレギュラーのショートになった選手なんて、掃いて捨てるほどいるし、むしろ、そちらのほうが「普通」だ。


これは余談だが、こうしてMLB全体を眺めたとき、「この2010年代に限って、ホームランを30本打ったセカンド、ショートが何人も出現しているのであるわけで、そのことは、「今のMLBが『三振かホームランかという異常な時代』であることの証拠」そのものである。
「2010年代に限ってホームランを30本打ったセカンド、ショートが何人か同時に出現した」ことは、その選手たちの実力がどれも「殿堂入りレベル」だから、ではなく、「飛ぶボール」とか、カノーのように隠れてステロイドをやって隠蔽薬を使っているせいだとしか、自分は思わない。


総じていえば、MLBのセカンドとショートを「ホームラン数」を基準にして「レギュラーとして通用するレベル」を設定するなら、「ホームラン30本」なんてものは、「殿堂入りレベルの選手」か、「ステロイダー」の記録でしかなく、それらはいずれも「特殊な例」でしかない。
「ごく普通のレベルのMLBのレギュラーのセカンド、ショート」を、ホームラン数でハードル設定するとしたら、20本どころか、なんだったら高打率ならという条件つきで「ホームラン15本」程度でまったくかまわない。実際デレク・ジーターがそうなのだ。

「MLBのセカンド、ショートは30本打てるのが当たり前」なんて話は、単なる空想に過ぎない。




damejima at 20:42

February 04, 2015

国際サッカー連盟と契約のある世界的な八百長監視機関が日本サッカー連盟に活動自粛を警告していたにもかかわらず、活動を続けてきたサッカー日本代表監督ハビエル・アギーレがスペインでの八百長関与疑惑で解任されたわけだが、彼の八百長関与が取り沙汰されているゲームは、「2011年」のスペイン1部リーグ最終節、レバンテ対サラゴサ戦で、この「2011年」という部分にちょっとした意味がある。

というのは、この「2011年」という年が、下記に示す大量の事例でわかるとおり、「サッカーに蔓延し続けている八百長事案が大量に摘発されたり、裁判が始まったりした、サッカー八百長摘発元年」ともいえる年だったからだ。
アギーレ八百長関与疑惑の概要:
2011年当時、アギーレ率いるスペイン1部リーグのサラゴサは2部降格危機にあったが、最終節で(レバンテに2―1で勝ち、1部残留を決めた。(「降格危機チームがリーグ最終節の奇跡的な勝利で危機をのがれる」なんてのは、サッカーの典型的な八百長パターンのひとつ)
報道によれば、試合前までに、サラゴサ会長、アギーレ監督、選手に、総額96万5000ユーロ(約1億2900万円)にのぼる不自然な金銭のやりとりがあり、スペイン検察はアギーレの銀行口座においても「計8万5000ユーロの振り込み」があった後「引き出された」という口座記録を確認している模様。事件の告発状は既に裁判所に受理され、40人以上が告発されている。

もし、仮に野球のWBC監督が在任中に八百長事件で捕まったら、世間はどう思うか。そういう風にちょっと考えればわかることなわけだが、日本代表監督が八百長事件にからんだ可能性があるとして在任中に辞任させられる、なんてことは、間違いなく「事件」そのものなのだが、さっぱり自覚のない人が大勢いる。

それどころか、不思議なことに、「2011年という年が『サッカー八百長大量摘発イヤー』だった事実」、あるいは、2013年にユーロポール(欧州警察機構)が、ワールドカップ予選や欧州チャンピオンズリーグなどを含め、大小680試合ものゲームに八百長疑惑があり、15カ国425人が関わっていると指摘したこと、これらの事実をきちんと念頭に置いて、世界のサッカーが既に八百長まみれであることを、今回のアギーレ辞任騒動にきちんと関連づけて解説した日本のスポーツメディアを(下記の産経のようなごく一部の例外を除いて)ほとんど見ないのである。


ナショナルチームの現役代表監督が八百長で訴訟を起こされて辞任なんてことが起こる原因は、ランス・アームストロング事件が明らかになっても何も変わらない自転車業界や、リタ・ジェプトゥーの資格停止などケニアのドーピング・スキャンダルをあえて看過してこれまで通りの通常営業を続けようとしている世界のマラソン業界などもそうであるように、それでなくても低下しつつあるサッカー人気が不祥事によってさらに低下するのを心底おそれる日本サッカー協会とメディアが、サッカーに蔓延し続ける賄賂、ドーピング、八百長といった不正の数々にあえて目をつぶったまま、ポジティブなニュースのみを扱い続けようと故意にやってきたところに、そもそもの問題があった。

サッカー界で近年発覚した主な八百長事件
(以下2011年発生事例赤字で示す)

中国 33人が永久追放、協会幹部も重い懲役刑
2002年日韓ワールドカップでもレフェリーを務めるなど、中国サッカーにおける第一人者といわれていた有名レフェリー、陸俊(ルー・ジュン)を含む4人が、収賄などで禁固刑実刑判決を受けた。
ルー・ジュン審判員は、1999年〜2003年の複数の試合で、一方のチームにのみ有利な審判をした見返りに、計81万元(日本円で約1000万円相当)の賄賂を受け取っていた。ルー審判員は収賄で禁錮5年6月と10万元の個人財産没収、他の3人は3年6月から7年の禁錮刑。
こうした賄賂事件には、同国トップリーグ「サッカー・スーパーリーグ(中国超級聯賽)」に所属する「上海申花(Shanghai Shenhua/上海申花聨盛足球倶楽部)」を含む複数のクラブが関係したといわれ、2013年に中国サッカー協会は、33名を永久追放、25人を5年間の資格停止するとともに、上海申花の2003年のリーグ優勝の剥奪と100万元の罰金、2013シーズンのリーグ戦での勝ち点マイナス6からのスタートとしたほか、合計12ものクラブを処分した。

サッカーの闇賭博が横行している中国では、当局が2009年から摘発に乗り出し、2年もの長期捜査によって複数のサッカー協会幹部を含むクラブ首脳から、監督・選手に至るまで、50名以上の逮捕者を出し、2011年12月から逮捕者の裁判が開始された。
サッカー協会幹部がらみの裁判では、2012年に相次いで厳罰が言い渡されており、元・中国サッカー協会審判員委員会主任、張建強が懲役12年、元・同協会副会長、楊一民が懲役10年6カ月、元サッカー協会副会長で国家体育総局サッカー管理センター主任の南勇が懲役10年6カ月などとなった。
 
韓国 41人が永久追放、韓国選手10人に1人が八百長に関与
2011年7月に元代表選手を含む50数人にも及ぶ元・現プロサッカー選手が、サッカーくじを悪用した八百長に関与したとして起訴。この「50数人」という人数は、外国人を除くと約600人が所属している韓国Kリーグ所属プロ選手の「ほぼ1割」。「選手約10人に1人が八百長に関与した」計算になる。
同国検察は、2010年6月〜2011年4月の21試合について、選手が故意に試合に負けて金銭を受け取った事実を確認したとし、複数の代表経験者を含め、国内リーグの看板スターまでもが買収や脅迫によって八百長にかかわったことが判明。2013年1月に国際サッカー連盟は、Kリーグ41人の選手を永久追放した。
Kリーグ八百長事件 - Wikipedia

2002年ワールドカップ韓国対イタリア戦の疑惑の審判
エクアドル人のバイロン・モレノ

モレノは、八百長試合が確実視されている2002年W杯の韓国対イタリア戦で、イタリアのトッティに2枚のイエローカードを出して退場させ、延長戦でもイタリア起死回生のゴールを「オフサイド」と判定し、イタリア人の激怒をかったことで超有名なエクアドル人審判。
同2002年エクアドル1部リーグのLDUキト対バルセロナSC戦の後半ロスタイムにホームチームが同点にするまで延々と笛を吹かず、異常に長いロスタイムをとった件で、20試合の資格停止。さらに資格停止から復帰直後の3試合目、こんどは同国リーグ第13節クエンカ対キト戦で主審としてアウェイの選手にばかり3人にレッドカードを出して、モレノは1試合の出場停止処分となって、直後に審判を引退した。
なお引退後のモレノは2010年9月にニューヨーク・ケネディ国際空港でヘロイン大量所持容疑で逮捕され、懲役30ヵ月の刑で服役。2012年12月にエクアドルに強制送還されている。

アルゼンチン人監督エクトル・クーペルの関与した
アルゼンチンとスペインでの八百長

アルゼンチン人監督エクトル・クーペルはかつてスペインのバレンシア(1999〜)、イタリアのインテル(2001〜)、スペインのマジョルカ(2004〜)などの監督を歴任した人物だが、2012年1月イタリア検察当局の取り調べに対して、アルゼンチンとスペインのリーグ戦2試合ずつ、合計4試合での八百長関与と、イタリア・ナポリのマフィアから20万ユーロを受け取ったことを認めた。

イタリア 八百長が恒例行事のセリエA
2010年ナポリ対サンプドリア戦での八百長で、ナポリ主将DFパオロ・カンナヴァーロ、DFジャンルカ・グラーヴァに6カ月の出場停止処分、GKマッテオ・ジャネッロに3年3カ月の出場停止が言い渡され、ナポリに勝ち点2剥奪と7万ユーロの罰金が科された。この八百長試合の結果、サンプドリアはチャンピオンズリーグ予選出場権を手にした。
2011年8月には、かつてアタランタ主将だった元イタリア代表クリスティアーノ・ドニが、アタランタ所属時の八百長で逮捕。3年半の資格停止処分になり、アタランタにも勝ち点マイナス6の処分が下された。同選手は主にイタリア・セリエAに所属した選手だが、2005-2006シーズンには八百長事件関与を認めたアルゼンチン人監督エクトル・クーペルが監督をつとめていた時代のスペイン1部リーグ・マジョルカに所属していた。
2012年04月には、DFアンドレア・マジエッロが八百長でイタリアの捜査当局に逮捕。同選手はASバーリに所属していた2011年に、対レッチェ戦(2-0でレッチェ勝利)で故意にオウンゴールを行ったことで報酬18万ユーロを受けとったと供述した。
(ちなみに、深刻な財政難に悩むセリエAは、2016年からチーム数と選手数の縮小に踏み切る予定で、1部リーグは20チームから18チームに縮小される)

トルコ フェネルバフチェなどの処罰
イスタンブール警察が行った大規模な八百長捜査で30人以上が逮捕。その中には、トルコの最有力チーム、フェネルバフチェの会長、有力チームのひとつトラブゾンスポルの副会長や、ウミト・カランら現役3選手が含まれ、他にも解説者も含めた関係者多数が取り調べを受けた。
現地報道では、「2008年から2010年までのリーグ戦の少なくとも17試合」で八百長が行われていたと報道。フェネルバフチェとベジクタシュによるスーパーカップがキャンセルとなり、またリーグ戦開幕が1カ月延期となった。また、フェネルバフチェはチャンピオンズリーグへの出場停止処分を受けた。

トルコでの国際試合2試合における
審判6名(ボスニア人、ハンガリー人)の永久追放

2011年にトルコで行われた、エストニア対ブルガリア、ラトビア対ボリビアの2試合の国際親善試合は、ゴールすべてがペナルティーキックによるという疑惑だらけの試合だったが、国際サッカー連盟の調査の結果、ボスニア人審判シニシャ・ズルニッチら3名と、ハンガリー人審判クリスティアン・セレメツジら3名、計6名のレフェリーが永久追放になった。

ベルギー ポール・ピュトの証言
2013年に川島永嗣が所属していたベルギー・リールセの元監督ポール・ピュト氏がフランス・フットボール紙に「ベルギーで八百長を強要された」と証言。同氏は2005年にベルギーで発覚した八百長問題に関わったとして一時永久追放処分を受けた経験があり、後に控訴審を経て3年に減刑された経験をもつ。

ドイツの「ブンデスリーガ・スキャンダル」
ドイツ2部リーグ審判ロベルト・ホイツァーが大規模な八百長への関与を自供したことがきっかけで明るみになったスキャンダル。クロアチアの犯罪組織につながるギャンブルビジネス関係者が裏で糸を引いていたといわれ、2004年に行われた13試合が八百長の対象となった。ホイツァーはじめ、Dominik Marks、Torsten Koopなどの審判と、ヘルタ・ベルリンの3選手、賭けを行うカフェの関係者などが処分され、ホイツァー自身にも永久追放と懲役2年5カ月間が言い渡された。
Bundesliga scandal (2005) - Wikipedia, the free encyclopedia

赤道ギニア アフリカネーションズ・カップ
アフリカネーションズ・カップ準々決勝で、ホスト国の赤道ギニアがチュニジアと対戦し、1点ビハインドで迎えた試合終了間際の後半アディショナルタイムに赤道ギニアが得たPKによって延長に突入、延長で赤道ギニアがさらに追加点を挙げ勝利した事件。
アフリカサッカー連盟(CAF)は赤道ギニアに不審な勝利をもたらしたモーリタニア人主審ラジンドラパルサド・シーカーンに6か月の活動停止を言い渡し、アフリカサッカー連盟におけるトップレフェリーの地位を剥奪。同審判は国際試合で笛を吹けなくなった。

ガーナ 2004年アテネ五輪の対日本戦
ジャーナリスト、デクラン・ヒル氏の著書『黒いワールドカップ』で明かされた2004年アテネ五輪のガーナ対日本戦の事件。日本戦を前にガーナは2試合を終え2位で予選勝ち抜けに有利な状況にあり、加えて最終節は既に予選敗退が決まり消化試合となっている日本との試合だった。当然、賭けのオッズは「ガーナ勝利」、「ガーナ勝ち抜け」に傾いたが、実際の試合は1-0で日本勝利に終わり、ガーナは総得点でイタリアを上回れずに3位に転落、予選敗退した。この八百長事件に日本側は関与しなかったが、ガーナ代表主将のスティーヴン・アッピアーが大会中に八百長フィクサーから金銭を受け取ったことを認めているという。

南アフリカ W杯前の親善試合
2012年12月、南アフリカサッカー協会会長カーステン・ネマタンダニ、同協会CEOデニス・マンブルを含む5名が八百長に関与したとして逮捕。2010年ワールドカップ前の数週間に南アフリカチームが行った国際親善試合(タイ、ブルガリア、コロンビア、グアテマラ)において、アジアの八百長関係者の利益となるよう、試合結果を操作した可能性があるとされた。(タイ戦は4-0、グアテマラ戦は5-0、コロンビア戦は2-1でそれぞれ勝利、ブルガリア戦は1-1で引き分け)
この事件が発覚したのは、フィンランドでの八百長事件で有罪判決を受けたシンガポール国籍のインド系住民ウィルソン・ラジ・ペルマル容疑者がFootball 4U Internationalという名義の会社を舞台に起こしていた八百長事件の数々をFIFAが精査する中で、同容疑者が2010年5月にワールドカップ直前の南アフリカで行われた南アフリカ対コロンビア戦でニジェール人審判を買収した八百長事件に、南アフリカサッカー協会の関与が判明したことによるもの。

産経WESTが以下の記事で羅列した
フィンランドギリシア等の八百長
【サッカーなんでやねん】中国系実業家も暗躍する八百長シンジケート…アギーレ疑惑は序の口、世界サッカー包む深い闇(1/3ページ) - 産経WEST
フィンランド アジア系黒幕の逮捕
同国ゴシップ紙が、2005年にフィンランド国内リーグのクラブの株式を取得したアジア系実業家が黒幕となって行われた2007年の八百長で、同国選手が故意に負けて1万ユーロを受領したと認めるインタビューを掲載。2011年には国際的な八百長シンジケートの黒幕の一人として、シンガポール国籍のウィルソン・ラジ・ペルマル容疑者が逮捕され有罪となり、他にも選手9人がトレーニング中に拘束される事態に発展した。
ギリシア オーナーによる脅迫と買収
国内クラブのオーナーが脅迫や買収の罪で告発され、2013年に4年6カ月の実刑判決。

同記事は他にイングランドハンガリーでの八百長事件を指摘。

ユーロポールが2013年に指摘した
ヨーロッパ・サッカーにおける八百長


ヨーロッパ全域で行われた380試合と、南米やアフリカで行われた約300試合、合計680試合が捜査対象。八百長疑惑がもたれている試合の中には、ワールドカップの予選(アフリカ2試合、南米1試合)と、欧州チャンピオンズリーグ関連の試合が含まれており、ヨーロッパでの380試合は15カ国425人の選手・審判が関与したとみられている。

UEFA関連の試合で八百長疑惑をかけられたのは2試合。うち1試合は過去3〜4年以内にイギリスで開催された試合らしいともいわれたが、詳細は判明していない。一部報道では、ハンガリーのブダペシュト・ホンヴェードが、UEFAヨーロッパリーグ予選のフェネルバフチェ(トルコ)との試合で八百長を行った疑いを持たれているとの報道もあった。また、ヨーロッパの380試合のうち、79試合がトルコ、70試合がドイツ、41試合はスイスで行われたという説があるが、これも定かではない。

ユーロポールの会見によれば、1年半にわたるかつてない規模の八百長捜査が行われ、「シンガポールに拠点を置く犯罪組織による組織的犯罪」との見方が示された。その犯罪組織は、八百長によって推定800万ユーロもの利益を上げ、また選手などに報酬が賄賂として支払われたと報道されており、賄賂最高額はオーストリアで支払われた14万ユーロとみられている。


「八百長が行われやすい試合」、というのは、サッカーというスポーツのシステム上、確実にある
なぜなら、現状のサッカーのシステムそのものが「そういう風にできている」からだ。そして、厳しく言わせてもらえば、サッカー界はその「システムそのものの欠陥に原因があることがわかりきっている腐敗」を、システムの変更という形で改善してはこなかった。だから、現在の八百長の蔓延は、サッカー界の隅々にまではびこる不正の数々をこれまでずっと見過ごし続けてきた歴史がまねいた結果だ。

「八百長が起こりやすい試合」は、パターンがはっきりしている。

最も多いのは、その試合の勝利が「クラブの収入を左右する試合」での八百長だ。
例えば「1部リーグに残れるかどうかが決まる試合や、「チャンピオンズリーグに出られるかどうかが決まる試合」がそれにあたる。(前者の例が、アギーレが関与したといわれている2011年スペイン1部リーグ最終節レバンテ対サラゴサ戦。後者の例:2010年セリエA ナポリ対サンプドリア戦)
元アルゼンチン代表MFマティアス・アルメイダが「セリエAのリーグ優勝がかかった2001年パルマ対ローマ戦で、パルマはわざとローマに負けてやり、ローマが優勝した」と証言しているように、「リーグ優勝が決まる試合」ももちろん例外ではない。
サッカーではシステム上、1部リーグに残留するかどうか、あるいは、チャンピオンズリーグに出られるかどうかで、「クラブの収入」がとてつもなく違ってくる。だから、こうしたケースでの八百長は、「クラブ主導」で行われる。
このケースの中でも、とりわけ八百長が多発するのは「1部リーグ陥落のかかった試合」だ。特に、対戦カードの負けてもらう側のクラブが「すでに降格が決まっている」あるいは「すでに残留が決まっている」ケースなら、なおさら八百長が行われやすい。「すでに降格や残留が決まっているチーム」には負けてやることになんのデメリットもないのだから、八百長が成立しやすいのも当然だ。

2つ目のケースは、国際親善試合だ。
「親善試合はガチの試合じゃないんだし、八百長など必要ないだろう」と思うかもしれないが、それは甘い。
スポンサー頼みのビジネスモデルしか成り立たないサッカーという世界では、「あっという間に結果が出て終わってしまう本番での勝ち負けよりも、むしろ親善試合でこそ、いいところを見せておいて、本番に向けた期待感を煽り続け、スポンサーやファンの関心を長期にわたって維持しておくこと」のほうが、はるかに重要なのだ。説明するまでもない。だからこそ日本代表だって、「弱い外国のチームとやたらと親善試合をやって、大勝するところばかり世間に見せつけたがる」のである。
だから、このケースでの八百長は、多くが「ホスト国のサッカー協会主導」で行われる。

3つ目のケースは、サッカー特有の「賭け」にまつわるケースだ。
これは上に書いたフィンランドや南アフリカ、ドイツの例をみればわかるとおり、賭けに深くかかわる「アンダーワールドの人物」が主導して審判や選手を買収し、試合結果を左右する。


このように、不正がおこりやすい試合には「特定のパターン」がある。
だから、アギーレのような「未知の人物」を監督に採用する場合の「不正関与の有無」を吟味する調査の方法論は、まずは監督キャリアにおいて「リーグ降格をかろうじてまぬがれた『きわどい経験』」、あるいは、「リーグ降格をかろうじてまぬがれたチームが奇跡的に残留を決めた試合で、対戦相手の監督をした経験」の有無を調べ、そうした経験が無ければ次の調査に向かい、もしあるなら、その試合の得点経緯がどのくらい信頼に足るものであるか、ビデオでも見て検討してみるだけのことだ。もちろん、「チャンピオンズリーグに進出することが決まったゲーム」「リーグ優勝が決まったゲーム」などについても調査対象にすべきだろう。

このくらいのこと、誰だって思いつくし、時間もかからない。

しかし、日本サッカー協会はそんな単純なことすらやらなかった。(スペインリーグにいたアギーレを選んだ責任者はおそらく、スペイン通の原博実だろう)
それが単純に人を信用しすぎた結果なのか、もっと深刻な意味があるのかは別にして、あれだけ賄賂とドーピングと八百長にまみれたスポーツだというのに、サッカー協会も取り巻きメディアも、サッカーの「汚れぶり」にまったく自覚がないかのようにふるまっているのには困ったものだ。

2011年にあれだけの数の八百長が指摘され、さらに2013年にはユーロポールにサッカーにおける大規模な八百長の存在を指摘されたにもかかわらず、一切マトモには報道してこなかった日本のスポーツメディアにも多くの責任がある。
彼らはそもそも、度重なる大規模ドーピングスキャンダルに業を煮やしたヨーロッパで、スポーツをめぐる刑罰(八百長だけでなく、ドーピングも含む)が、多くの国(例えばドイツ、オーストリア、スペイン、イタリア等)で「刑事罰」として重罪化されつつあったこと自体を知らなかったし、知ってからも他人事のように軽視し続けてきた。
もともとスポーツメディアが「スキャンダルを大規模報道しないまま看過して、故意に風化させようとするケース」はけして少なくないわけだが(例:近年のヨーロッパにおける大規模なドーピングスキャンダルの大半、最近の英国競馬・オーストラリア競馬等における大規模ドーピングの発覚、ロシア、ケニアなどの陸上競技における集団的・組織的なドーピングなど多数)、それにしたって、いくらなんでも無自覚すぎる。

FIFAからのスポンサー離れ、世界的に深刻なサッカークラブの財政難、サッカー大国といわれてきたブラジルでのサッカーの不人気ぶり、Jリーグ人気の壊滅などを見ても、まだ、ワールドカップ誘致の際の贈収賄も含め十数年発覚し続けてきた数々の不正(賄賂、ドーピング、八百長)を看過しても大丈夫だ、世界的な人気スポーツだから問題ない、などと寝言を言い続け、やることといったら、「次の代表監督が誰なのか」ばかりで、問題点も責任も、誰も指摘しないのだから、これではスポーツ・ジャーナリズムなんてものはサッカーには存在しないと断定されてもしかたがない。当然だろう。

damejima at 20:23

November 14, 2014

「年度」を覚えておいてほしいのだが、2010年7月日本経済新聞のスポーツ記事に、「2000年代MLBオールスターで、ア・リーグ名物として出場選手間だけで知られていた、イチローの試合前スピーチ」について、かつてダメ捕手城島の提灯持ちライターだった丹羽政善が書いた「イチローを巡る球宴のジンクスと後半戦の変化」という「妙な」記事がある。

丹羽はこの記事で「2010年オールスターでイチローは例のスピーチをやった」という証言コメントを、「たまたまスタジアム内の通路を通りかかったオルティーズ」を呼び止めて、あたかも「自分の耳で直接聞いた」かのような「芝居じみた書き方」をして紙面をかせいでいる。(具体的表現については以下の引用を参照)

だが、それはウソだ。

なぜなら、丹羽の2010年の記事は、表現と構成の酷似ぶりから判断して、この記事が書かれた2年以上も前、2008年7月に、アメリカの検索サイトYahoo.comのJeff Passanが、まったく同じネタである「オールスターでのイチローの試合前スピーチ」について書いた記事をパクって書いたのが明らかだからだ。

よく恥ずかしげもなく、こういう記事を掲載するものだ。

元記事のどこをどの程度パクったのかは細かい検証が必要なわけだが、少なくとも、2010年日経記事のいう「2010年オールスターで、丹羽という日本人ライターが、イチローが恒例の試合前スピーチをやったという話を、通りすがりに、デビッド・オルティーズから聞いた」という部分については、「まったく架空の話である可能性」すらあるといえる。

なぜなら、この「イチロー本人ではない他の選手から、『伝聞』で聞いた話」の「根幹部分」が、そもそも「過去の他人の書いた記事からパクっている」からだ。「伝聞記事が事実として成立するための根幹部分」が「パクリ」である以上、パクリ部分を事実のみに沿って謝罪した上で訂正し、パクリが行われた事実関係を正して襟を正すことをしない限り、記事は全体として信憑性を失う。当然のことだ。


では以下に具体的表現を採集しておこう。

まずは2010年丹羽の記事から。無駄な改行とタイトル類は省略してある。また、太字加工はブログ側添付によるもので、元記事にはない。
 13日行われたオールスターの試合後、なぜか薄暗い球場の裏通路をレッドソックスのデビッド・オルティスと並んで歩くことになった。下から見上げれば、193センチ104キロの彼の巨体は他の者を押しつぶしそうな威圧感がある。

その威圧感に圧倒されながらも、なんとか確認したかったのはオールスターのジンクスについて。イチローが出場した昨年までの過去9年、2002年の引き分けを除けばすべてア・リーグが勝利を収めてきた。それをア・リーグの選手に言わせれば、こういうことになる。

イチローが試合前にスピーチをしているからだ

始まりははっきりしないが、毎年のようにイチローを担いだのが、このオルティスだったのだという。

「イチローが、言いたいことがあるそうだ」と。

今年はどうだったのか? 足早に歩く彼に聞きたかったのはそれだけだったが、前日のホームランダービーを制した大男は白い歯を見せていった。

「今年もやったぜ。最高だったよ」

「なんと言ったのか?」との問いには、「“Bleep … bleep bleep … National League …bleeeeeeeeep … National - bleep」と、書き表すことのできないようなスラングを並べた。

ありきたりのフレーズではなく

「本当に?」と聞き返せば、「ガハハハハ」と笑っただけでイエスともノーとも言わなかったが、少なくとも、「ナ・リーグをやっつけようぜ」という、ありきたりのフレーズではなかったようだ。


では、次に、Yahoo.comのJeff Passanが、2008年に「イチローのオールスターのゲーム前に行うスピーチについて」書いた記事を引用する。

出典Ichiro's speech to All-Stars revealed - Yahoo Sports

A whisper here. A story there. Something about the greatest pregame speech since Rockne invoked the Gipper, one laced with profanity and delivered to the American League All-Stars every year.

"It's why we win," David Ortiz said.
(中略)

"That's kind of what gets you, too," Minnesota first baseman Justin Morneau said. "Hearing him say what he says. At first, I talked to him a little bit. But I didn't know he knew some of the words he knows."

The exact words are not available. Players are too busy laughing to remember them. Ichiro wouldn't dare repeat them in public. So here's the best facsimile possible.

"Bleep … bleep bleep bleep … National League … bleep … bleep … bleeeeeeeeep … National – bleep bleep bleepbleepbleep!"

"If you've never seen it, it's definitely something pretty funny," Morneau said. "It's hard to explain, the effect it has on everyone. It's such a tense environment. Everyone's a little nervous for the game, and then he comes out. He doesn't say a whole lot the whole time he's in there, and all of a sudden, the manager gets done with his speech, and he pops off."


以下に、「2010年丹羽の記事」が、構成と表現を含めて「2008年Jeff Passanの記事」からのパクリと断定する根拠をいくつか抜粋して示しておこう。
太字で示した「Bleep以下の部分」は、記事間でパクリが行われた決定的証拠である。
もっと詳しく言うなら、コミックでよくやるようにアルファベットの e を重ねて、bleeeeeeeeepと、音を伸ばすことを表現した部分の「eの数が、9つであること」まで同じだ(失笑)
また "National League" という表現の後に、"National" と省略表現をもってきた部分も、まったく同じ。開いた口がふさがらないほどのパクリぶりだ。だが、これだけでは終わらない。

くわしく読めばわかることだが、2008年Yahoo.com記事における「Bleep以下の太字部分」は、ジャスティン・モーノーのコメントについて書かれたパラグラフの中盤あたりに置かれた表現であり、筆者Jeff Passanは「Bleep以下の太字部分」を、モーノーの発言だとか、オルティーズの発言だとか、「誰が発言した言葉なのか」を明示していない
それはそうだろう。説明するまでもないことだが、この部分は「筆者Jeff Passanが選手たちから聞いたイチローのトラッシュ・トークを、もし放送コードに抵触しないように書いたとすると、これほど『ビープ音』だらけになるほど過激な内容だ」という意味で、Jeff Passanが、「誰がリークしたのか」については曖昧にボカしつつ、ジョークに逃げている部分なのだから、当然だ。
その「2008年製造のジョーク」が、どこを、どういう経緯を経ると、「2010年にデビッド・オルティーズ本人から聞いた発言を、曖昧にボカした表現」になるというのか。しかも「単語の選択までそっくり」に(笑) やることがあまりに安易すぎる。

丹羽は前振り部分で、「イチローの試合前スピーチとア・リーグのオールスター連勝をリンクさせる発言をした人物」について、「ア・リーグの選手に言わせれば」と、その発言をしたのが誰なのかについて「具体的に指摘するのをわざと避ける」奇妙な表現をとっている。
かたや、その2年前、2008年のJeff Passan記事では、「オルティーズの発言」であることが「明記」されている。

オルティーズが「オールスターでア・リーグは連勝できてるのは、イチローの試合前スピーチがあるからさ」と語ったコメントは、2008年には全米メディアで記事化されていることでわかるように、2000年代終盤には日米問わず多くの人が知っていた。
もう少し詳しく言うと、この発言の発信源が、ほかならぬ丹羽が取材した「はず」のオルティーズであることは、日米のイチローファン、日米のMLBファンの一部、アメリカのMLBメディアの一部においては、2010年どころか、その数年前から既に有名で、2010年時点でいえば、すっかり定着した感があった話なのだ。

それを2010年にもなってビートライターが曖昧に表現するのは、明らかにおかしい。まして「多忙なオルティーズと立ち話できるほど親しい、MLB通の人物」が、「オルティーズ本人から直接聞いたコメント」をもとに記事を書くというのに、わざわざ「ア・リーグの選手に言わせれば」などと「名前をボカして書く」こと、そのこと自体が、辻褄が合わなさ過ぎる。(もっといえば、イチロー本人に『今年はスピーチ、やりましたか?』と聞けばいいだけのことなのである)

どうみても、過去に何度か記事になっている話題を、新たに「オルティーズから直接聞いたという体裁」にして、2010オールスターのネタ記事として書こうとしていて、オルティーズ本人がとっくの昔にした発言をわざわざ冒頭に引用したのでは、「実はこの話題が、とっくの昔からあったネタで、しかも既にまったく同じ内容で記事化されているネタの、『使い回し』であること」が、MLBに詳しくない人の多い経済新聞の読者にさえバレてしまう。それを無理矢理避けようと記事構成をこねくりまわした結果、「ア・リーグの選手に言わせれば」などという、「おかしな表現」が生まれたに違いない。


ここまでハッキリした「パクリ」「使い回し」をやった理由について、考えられる言い訳としては「ビープ音として表現するジョークについてはパクったが、オルティーズから聞いたことは事実だ」という程度だろう。

だが、考えてみたらいい。丹羽の記事における「Bleep以下の表現」については、ライター本人がしつこいほど「書き表すことのできないようなスラングを並べた」だの、「『本当に?』と聞き返せば、「ガハハハハ」と笑っただけでイエスともノーとも言わなかった」だのと、「自分の耳で聞いた臨場感」を徹底して主張しているのだ。そんな「レベルの低い言い訳」が通用するわけがない。


かつて、2013年8月に、このブログが『Debby Wong事件』と呼ぶ捏造事件があった。
関連記事:2013年8月31日、『Debby Wong事件』 〜スポーツ・カメラマンDebby Wongが、「まったく別の場面のイチローの写真」を「イチロー4000安打の写真」としてUSA Todayに供給し、USA Todayが記事として公開していた事件。 | Damejima's HARDBALL

当時USA Todayの契約カメラマンのひとりだったDebby Wongが、イチローの日米通算4000安打達成時に、「まったく別のゲームのイチローの写真」を、「4000安打達成時の写真」としてUSA Todayに供給し、USA Todayが記事の一部として公開した、という事件だ。
この事件は当時全米報道写真家協会で大きな議論を呼んだ。USA Todayは「捏造の事実」が明らかになるやいなや、即刻Debby Wongとの契約を打ち切った。Debby Wong事件はジャーナリズムの問題として、けして小さな事件ではなかったのである。
(ちなみに同年2013年9月には日本の共同通信社でも、ホームランのシーンを撮りそこなったカメラマンがまったく別のゲームの写真を配信するという、同種の捏造事件があった)

丹羽が2010年日本経済新聞に書いた「2010年オールスターの試合前にイチローが例年どおりスピーチをした」という話が、もし捏造ならば、Debby Wong事件に比肩する「ジャーナリズムとしての問題」である。


最後に少し手の内を明かしておこう。

2年の隔たりをもって書かれた2つの記事の「相似性」がわかったのは、今年ツイッター上でたくさんリツイートされて話題になった「イチローのスペイン語によるトラッシュトーク」について書くために資料をあさったからだ。
2つの記事は、書かれた年にそれぞれ単独に読んだ記憶はある。だが、2つの記事を並べて読んだことはこれまで一度もない。だからかつては「2つの記事の相似性」に気づかなかった。


丹羽の記述を鵜呑みにすると、イチローがオールスターに出場するようになった2000年代のMLBオールスターでは、いつそれが開始されたのかは定かではないにしても、2010年まで連綿と、「一度も途切れることなく」イチローの英語による試合前スピーチが行われたことになる。

だが、それはブログ主の「記憶」とは違う

ブログ主の「うろおぼえの記憶」によれば、たしか「イチローのこれまでの10回のオールスター出場のうち、たった一度だけ、それまで恒例といわれ続けてきた試合前スピーチを『やらなかった』シーズンがあり」、そして、その「イチローがスピーチをしなかったオールスター」は、「出場選手だけが密かに楽しんでいたイチローの試合前スピーチが、記事化されて有名になって以降、2010年までのオールスターの、どれかだ」と、長い間思ってきたのである。

ネット検索の結果を見るかぎり、2008年Jeff Passan以外にもごく少数ながらこの件について書かれた記事はあるようだが、少なくとも2008年にJeff Passanの記事がある以上、「イチローが試合前スピーチをやらなかったオールスター」が存在する可能性があるのは、おそらく「2008年、2009年、2010年のどれか」だ。
当時「え? イチロー、今年は例のスピーチ、やらなかったのかよ・・・」と非常に残念に思ったのを、よく覚えているので、単なる「記憶違い」とはまったく思わない。

この「うろおぼえ」を「事実」にして記事にとりかかるべく資料をあさったわけだが、探し方がよくないのか、確証となる資料が(そして、反証となる資料も)いまだにみつかっていない。(もちろん、「うろおぼえの記憶」が間違いだとわかったとしても、丹羽の記事がパクリをやっていることは事実なのだから、批判を取り下げたりはしないし、この記事を削除するつもりもない)


スペイン語のトラッシュトークについて楽しく書いて、笑顔で今シーズンの出来事を振り返るつもりが、こういう硬いことを書かざるをえないハメになった。精神的に大変にくたびれる作業だが、まぁ、しかたない。
従軍慰安婦問題についての捏造記事を数十年にもわたって「事実」と主張し続けて国益を大きく損なってきたのは朝日新聞はじめとする新聞ジャーナリズムだが、丹羽の2010年記事の内容が本物であるかどうかは、スポーツ・ジャーナリズムがジャーナリズムとして成立するために、Debby Wong事件同様の、大事な問題だと思っている。

というのも、2010年の丹羽の記事が扱っているのは、他に類似資料、比較資料が少ない話題だからだ。もし放置すれば、後世のファンやスポーツ史研究にとっての「根底資料」のひとつになりかねない。ならば事実が曖昧なまま、ほっておくことはできない。




damejima at 11:01

September 13, 2014

いまだにあの無能なジャック・ズレンシックがGMで、心底嫌いなシアトル・マリナーズのことを持ち上げる義理など別にない。まったくない。
だが、「閑古鳥が鳴くセーフコ」などと平気で嘘を書く「記者」とやらのいい加減な記事に腹がたつから、いちおう書いておく。
世論誘導のためなら嘘の報道もする、ジャーナリズムの片鱗すらない朝日新聞じゃあるまいし、もうちょっときちんと事実を調べてから書く能力は記者にはないのか、といいたい。
【MLB】マリナーズがプレーオフ進出のチャンスも、閑古鳥が鳴く客席… (ISM) - Yahoo!ニュース


Baseball Referenceのデータによると、今年のMLBの観客動員数は、全体としていえば、9月11日時点で2013年より約40万人、減少している。
Change in Baseball Attendance 2013 to 2014 | Baseball-Reference.com

この減少を招いた主原因はハッキリしている。フィラデルフィア・フィリーズとテキサス・レンジャーズの大幅な観客数減少だ。フィリーが57万人、テキサス34万人と、2チームで約90万人も減っている。

もちろん理由がある。
地区順位の低迷だ。

フィリーは、2007年から2011年まで5年連続地区優勝を成し遂げて、2012年には、1試合あたり44,000人もの観客を集める超人気球団に成長し、ナ・リーグ1位、ならびにMLB全体でもヤンキースまでも抑えて観客動員数1位を記録した。
かつては、ロイ・ハラデイ(引退)、クリフ・リー(60日間のDL中)、コール・ハメルズロイ・オズワルト(移籍)、カイル・ケンドリックなど、錚々たる先発投手陣を擁して勝ちまくったわけだが、いかんせん主力選手の若返りに失敗。地区順位が低迷すると、一気に観客数は激減した。
2012 National League Attendance & Miscellaneous | Baseball-Reference.com

テキサスは、ア・リーグ西地区のお荷物球団だった2000年代初期の低迷が嘘のように、2011年、2012年と、2年続けてワールドシリーズに進出。2013年には、ヤンキースに迫る1試合あたり38,000人もの観客動員に成功し、ア・リーグではヤンキースに次ぐ2位、MLB全体でも5位の人気チームに躍り出た。

だが、それも真夏の夜の夢で、人気絶頂だった2012年が結果的にテキサスの転機となる。なかでも、シーズン序盤から地区首位を快走しておきながら、シーズン終盤の低迷から、ボブ・メルビン率いるオークランドに奇跡的な逆転地区優勝を許してしまったことは、あってはならないミス、痛恨の極みであり、これがチーム崩壊に向かうキッカケになった。
2012年オフ、ずっとチームのシンボルだったマイケル・ヤングがチームを去るのをテキサスは結局慰留もせず、さらに2013年オフになるとチームに内紛が起きて、人気社長だったノーラン・ライアンがチームを去り、またチームの大黒柱のひとりだったイアン・キンズラーがデトロイトに行ってしまい、チームは「中心」を失った。
そして、チーム建て直しを図りたいGMジョン・ダニエルズが補強したプリンス・フィルダーチュ・シンスといった選手の獲得が失敗に終わると、一気に観客の心はチームから離れたのである。(とはいえ、テキサスの観客動員数はいまだにシアトルの1.5倍以上ある。シアトルのチーム運営が10年以上失敗続きだったことを思えば当然の話だ)
2013 Major League Baseball Attendance & Miscellaneous | Baseball-Reference.com


こうした「一時の人気絶頂ぶりから転落したチーム」があった一方、人気を回復しつつあるチームも、もちろんある。

例えば、全体としての観客動員数でいうと、ミルウォーキーシアトルが、それぞれ20万人程度、観客を増やしているし、それよりもMLBファンとして腰を抜かすほど驚かされるのは、かつてあれほど人気がなかったオークランドが、なんと今シーズンに限っては「16万人」も観客動員を増やし、観客動員増加数ランキング第3位に入っていることだ。当然これも、オークランドがかつての黄金時代のような地区優勝できるチームに復活しつつあることが理由だ。
Change in Baseball Attendance 2013 to 2014 | Baseball-Reference.com

今シーズンはオークランドの他にも、マイアミピッツバーグヒューストンなど、「これまで観客が少ない少ないと長年言われ続けてきたチームで観客が増加している」のがひとつの特徴で、マイアミなどは、ずっと2万割れしていた「1試合あたりの観客数」が今年2万人の大台を回復するにまでに回復してきている。
これらは明らかに、かつての不人気球団、低迷球団が、ボールパークの新設をしたり、チームが優勝争いに加わったりしたことで、人気がやや改善傾向にあることの証だ。


他にたとえばヤンキースでいうと、昨年同時期に比べて13万人以上観客を増やして、1試合あたりの観客数もア・リーグで唯一4万人以上をキープしてリーグトップを走っているように、MLB全体としての観客動員はむしろ改善傾向がみられる。
もしフィラデルフィアとテキサスでの90万人もの観客激減がなければ、他のMLB28球団合計の観客動員数はむしろ「2013年より増加傾向にある」、これがMLBの観客動員の基本傾向であることを、まずは頭に入れてほしい。

基本データすら調べない無能な記者の書くことなど信じてはいけない。



フィラデルフィアとテキサスを除いたMLB全体の観客動員が微増傾向にあることをふまえた上で、シアトルを見てみる。

シアトルの「ホームゲームの観客数」が1試合あたり1万数千人と低迷しだしたのは、別に今に始まったことではない。
チーム、GMジャック・ズレンシック、監督エリック・ウェッジ、地元紙シアトル・タイムズジェフ・ベイカースティーブ・ケリーあたりが共謀してチームのレジェンドであるイチローをヤンキースに追い出してから、シアトルの観客動員数は激減している
関連記事:2012年7月25日、この10年のヤンキース戦の観客動員データから明らかになった、セーフコ・フィールドのファンは「イチローを観るためにスタジアムに通い続けてきた」という子供でもわかる事実。 | Damejima's HARDBALL

MLBに詳しい人なら誰でも知っていることだが、MLBで「1試合あたり観客2万人」というのは不人気球団のボーダーラインなのだが、シアトルの観客動員はこの「1試合あたり2万人」すれすれの数字を、2012年、2013年と2年も続けて記録した。
これまでギリギリ2万人を割らずに済んできたのは、単に、4万人近い観客が集まるア・リーグ人気チームとのビジターでの対戦(例えばアーリントンでのテキサス戦、ヤンキースタジアムでのヤンキース戦など)が、シアトルの観客動員数にカウントされているからに過ぎない。

4万入るビジターゲームの数字までカウントされているのに「1試合あたりの観客動員数」が2万人を切りそうになる、ということは、「シアトルのセーフコ・フィールドでの1試合あたりの観客動員数が2万人を大きく割り込んでしまい、毎試合1万ちょいしか入らない状態が、常態化している」という意味にほかならない。
関連記事:2011年9月16日、球団のドル箱であるヤンキース戦ですら1試合あたり観客2万人を切る事態を招いた無能GMズレンシック。もはや「内側に向かって収縮する白色矮星」のシアトル・マリナーズ。 | Damejima's HARDBALL


イチロー追い出しによって観客に見放されたシアトル・マリナーズはこの数年、フェリックス・ヘルナンデスの人気を煽ることで人気回復を図ろうとキャンペーンを続けてきた。だが、それは成功しなかった。
関連記事:2011年6月29日、興奮しやすい性格を抑えこむことでサイ・ヤング賞投手になった選手を、なぜ黄色い酔っ払い軍団を作ってまでして奪三振を煽り立てる必要があるのか。 | Damejima's HARDBALL
かつて何度もこのブログで解析したように、彼が投手として素晴らしい選手であるのはたしかだが、ヘルナンデスは、若い頃からそうだが、「数字をもっていない選手」だ。彼の登板ゲームだからスタンドが満員になるといった、地元での爆発的人気をもった選手ではないことはハッキリしている。


だから、今のシアトルのホームで1万数千人という観客数は、ヘルナンデスの好成績とはまったく無関係で、ひとえに「ロビンソン・カノーに頼りきったチームがワイルドカードを争っていること」のみが理由で、それ以外にない。それを「閑古鳥が鳴いている」と表現するのは正しくない。

シアトルの1試合あたり1万数千人というホームゲームの惨憺たる観客数は、「イチロー移籍直後のスタンドのガラガラぶりから、これでも多少増えた」というべき、そういう数字なのである。

damejima at 14:35

September 04, 2014

急を要することだからブログ上で言わせてもらう。


朝日新聞が、彼らの従軍慰安婦に対する批判姿勢の根拠のひとつとなっていた過去記事が実は無根拠なものだったことを認めたことで傷のついた自分の体面、体裁をとりつくろうために、「黒塗り」、あるいは、「掲載拒否」という間違った手法で、他人の意見を公(おおやけ)の場所で封殺してみせた。
この、「黒塗り」などという思慮に欠けた行為を、そんなことをやりそうにないと「思われて」いた朝日新聞が、誰よりも先に、先頭切ってやってのけたことの意味の重さは、けして軽くない。

安易なヒューマニズムにすがって生きのびてきた朝日新聞のようなメディアは、この事件で、「今後誰かの意見が『黒塗り』される道に通じるドアを、自らの手で開けたこと」に気づいていない。
彼らは、自分たちが今の今、やってのけた間違った行為こそが、「自由というものの死」、「ジャーナリズムとしての死」であることに、彼ら自身が気づいていないし、気づこうとしていない。


朝日新聞が、自社の体面をとりつくろうことに必死なあまりに、「黒塗り」「掲載拒否」などという間違った行為でジャーナリズムとしての矜持を自ら放棄することは、他のジャーナリズムにも自由と権利の上での損害を与える行為であり、それどころか、日本における言論の自由そのものに「消えない傷」をつけたのであって、許されることはない。


朝日新聞は、「黒塗りという行為が公然と行われる可能性を、メディアとして自らの手で開いたこと」、「他人の言論を封殺する悪質行為が公然と行われることに、格好の口実を与えたこと」について、公式に謝罪すべきである。それができなければ、彼らの元から弱々しいジャーナリズムは、これで終わりだ。

damejima at 08:07

August 05, 2014

日本の「空き家率」の推移
7月末に、日本中で空き家が増えているというニュースを見た。

総務省が7月末に発表した「2013年住宅・土地統計調査(速報)」によると、全国の空き家数は前回調査(2008年)に比べて8.3%(63万戸)増えて820万戸となり、空き家率は前回より0.4ポイント上昇して、過去最高の13.5%となった。

総住宅数は前回比5.3%(305万戸)増の6,063万戸。別荘などの2次的住宅数は41万戸で、2次的住宅を除いた空き家率は12.8%だった。

ついこのあいだ漁港の鮨が旨くないという話を書いたばかりだが、ついでに、「都市と地方」という意味で繋がりのあるこのニュースについても、「読み方」の間違いを指摘してみたいと思う。
2014年7月14日、なぜ「漁港にある寿司屋なら間違いなく旨い、とは言えない」のか、そして、なぜ「地方の若者が都会で寿司屋や野球選手になる」のかについて。 | Damejima's HARDBALL

こういう記事と数字を目にすると、自分で自分の脳を使わない人は、すぐに「日本中で空き家が急増している」だのなんだのと勝手に思い込み、情緒的な安っぽいヒューマニズムを発揮しようとしてしまう。
だが、記事をよく読んで、自分のアタマで考えてみればわかることだが、実際には、この記事は「都市でも地方でも日本全体で空き家が増えている」とまでは言ってない。「空き家が増えている特定の場所」があるのである。

誰も彼もこのニュースの読み方を間違っている。原因はおそらく「行間をちゃんと読みこむという日本らしい文化」が、いまや本当に衰退しつつあるからだ。

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東日本大震災の直後、「電気が足りないのだから、野球のナイターはやめろ」などとヒステリックに叫んだ短絡的なヒューマニズム馬鹿が数多くいた。
だから、こういうニュースについても、すぐに「空き家が増えるのはよろしくない」から対策を進めろだの、「空き家に入居する人への家賃補助制度を創設しろ」だの、「長期に空き家になっている家を取り壊すための条例や予算を制定しよう」だの、「空き家をできるだけ埋める運動をしよう」だの、ピントの外れたことばかり言い出す人が雨後のタケノコのように現れる。
だが、そのどれもこれもが、このニュースの本質を読み違えた、場当たりでスジ違いな意見ばかりで、まったく日本らしい「文字読み文化」はどこにいってしまったのだ、と言いたくなる。

ピント外れな新聞記事の一例:空き家対策 国と地方で本腰入れよ | 社説 | コラム・連載・特集 | 中国新聞アルファ


いいだろうか。

何よりも先にまず気づくべき点は、単純に
人の住んでいた家が、なぜ簡単に『空き家化』してしまうのか?」という点だ。


仮に、ある家に高齢の居住者Aさんが住んでいるとしよう。

たとえ居住者Aさんが亡くなったとしても、Aさん家族が同居している場合なら、家は相続人である家族に引き継がれる。だから、家がやすやすと『空き家化』することはありえない。(田畑の場合でも、それが相続人の誰かに引き継がれるなら『空き家』にはならない)

なんとも当たり前の話をしているように聞こえるかもしれない。だが、安易に空き家を論じてばかりいる人の視野には、この「家族が同居していない独居の持ち家だからこそ、主(あるじ)を失ったとき、家が『空き家化』していくのだ」という最も基本的な視点がポッカリと抜け落ちている。


アタマは生きている間に使わなければ意味がない。
次に、「同居していない家族」とは、いったい誰のことで、そして彼らはどこに住んでいるのかを考えるべきだ。

「同居していない家族」とは、当然ながらその大半は家の所有者Aさんの「息子B」や「娘C」を意味する。彼らは、その家で育った時期があったにせよ、今となっては親と同居してはいない。

なぜか。

答えは簡単。
田舎から都会に移住したからだ。

彼らが次男、次女であれば、都市部に住みたがる傾向はかなり強いだろうし、少子化社会の昨今なら、子供は1人か、多くても2人しかいないわけだから、たとえ長男・長女であろうと田舎を出て都会に住みたがる。


さて、さらに想像を逞しくしていかなくてはならない。
それは、老いた所有者Aさんが亡くなったとき、その「家」は誰のものになるかという点だ。

もちろん、息子Bや娘CはAさんの家のすべて、または一部を相続する。だが、相続はするのだが、「都会に移動した田舎人」であるBやCが、その田舎の家に住むことは、もはやない

これが、『空き家化シナリオ』の大筋だ。
(実は、日本の田舎から本気の農家と田畑が実は消滅しつつあることや、地方の一般家庭が片手間で家庭菜園をやっている半端な農家みたいな家ばかりになってきている理由、田舎に住んでいるのにどういうわけか不労所得で食っている人間が急増している理由なども、大半がこれで説明がつく)


やがて空き家は放置される。もしくは、親の住んでいた空き家を壊してアパートに建て替えたり、相続した休耕田や畑にアパートを新築したりする息子、娘たちもいることだろう。

ここで気づくべき大事な点は、相続された家(あるいは田畑)の所有権、あるいは、その土地に建てたアパート等の家賃収入が、「どこに住む、誰のふところに入るのか」という点だ。

もうおわかりだろう。

家の所有権にせよ、アパートの家賃収入にせよ、それらはすべて、都市あるいはその周辺に住む「相続者のふところ」にころがりこむのであって、さらにいえば、それらはやがて「都市に住む地方出身住民の不労所得」になっていく。
説明するまでもないだろうが、もはや住む人のいない「空き家」、耕す人のいない「草ぼうぼうの田畑」は、実は地方自治体にとって「その土地には無縁の、異物のような存在」になっているのである。(そしてもちろん、その土地と、相続人BやCとの「縁」も切れている)

どうだろう。
かつて田舎町に存在していた「家」という資産が、時間の経過とともに、都会に移り住んだ子孫たちの「不労所得」に化けていくこと、そしてその一方、田舎の家屋や田畑が「空き家化」していく仕組み、地方自治体の税収が減退し、衰退し続けていく図式が少しはアタマに思い浮んだだろうか。

言い方を変えるなら、「田舎の空き家化した家屋や、草のはえまくった田畑や空き地」は、実はもう「田舎の一部」ではなくなることが多いのである。
それらは、もはや「都会に住むことを選択した田舎出身の相続人が、遠く離れた場所で所有する遊休資産のひとつ」にすぎない。いうまでもないことだが、たとえ相続人がそこに小洒落たアパートを建てて家賃収入を得たとしても、その税収は地方自治体ではなく、都会の自治体の財布におさまることになる。
だから、地方自治体がそうした根も葉もない遊休資産をいくら大事にする制度を作ったとしても、その結果、地方自治体の税収が増えたり、地方文化が栄えたりすることはない。

こうした「田舎を、都会に住む相続人がリモートコントロールしているような、とてつもなく形骸化した田舎システム」のもとで、「形骸化した田舎」は健全に機能しているわけはない。

いま、人の目に見えているもの、
それは実は、もはや「田舎」ではないのだ。
ただの「田舎のぬけがら」だ。


こうした「空き家化シナリオ」が推論として正しい証拠として、最初に挙げた総務省の空き家調査において、東京・神奈川・埼玉の3都道府県が「空き家率が著しく低い県」に属していることを挙げておきたい。
つまり相対的にいえば、大都市周辺で空き家はそれほど増加などしていないのである。

こうした「田舎のぬけがら化現象」をしっかりアタマに入れた上で、あらためて、空き家に入居した人に家賃補助をしよう、なんていう話を考えてもらいたい。
それは、ただでさえ四苦八苦しつつある地方自治体の税収の一部を、都会に住む相続人にくれてやり、彼らの納税行為を通じて都市の税収を増やすような、チグハグな結果にしかならないことが容易にわかるだろう。
その他の空き家対策を進めよう、なんて話にしたところで、多かれ少なかれ、この複雑な問題の本質をはき違えたまま論じているに過ぎない。


今日のニュースで、朝日新聞がかつての慰安婦問題とやらで犯したミスの一部(というか、事実の捏造)を認めたという話があったばかりだが、汚職がバレかけて東京都知事を辞職した元ジャーナリストの猪瀬直樹のだらしなさといい、安易なヒューマニズムのくだらなさには本当に辟易させられる。

安易なヒューマニズムが、どれだけこの国の「文字を読む文化」をダメにしてきたことか。

新聞に限らず、出版にしても、大学などにしても、自分たちのヒューマニズムこそが日本の精神文化を保護・育成してきたとか勘違いしている人はは多い。
もし情緒的で安易なヒューマニズムをふりかざすことがジャーナリズムであり、さらには日本の文字文化の根幹だというなら、詩人などにしたって、みんながみんな習字をやって「人はそれぞれ大切だ、人生いろいろある。がんばろう」だのなんだの、安易に書きなぐっていさえいれば、人から詩人と呼んでもらえることになる。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
そんな安易なヒューマニズムをふりかざすだけしか取り柄が無い詩人の、どこが詩人か。


「文字という文化」はそんななまぬるいもんじゃない。
ほんと、舐めるのもいい加減にしてもらいたい。

damejima at 21:33

July 15, 2014

食材の鮮度さえよければ、あとは何もしなくても、旨いよ。
てなことを言う人が、たまにいる。

エコロジー話題満載の前向きすぎるブログを全くつまらないと感じるのと同じくらい、どうもああいう言葉が好きになれない。なぜなんだろう。



鮮度が重要に思える寿司(鮨あるいは鮓)の場合でも、「鮮度が命」という法則はけしてあてはまらない。もしそれが本当なら、「漁港で食う寿司」はもっと旨くなければおかしいし、いつまでたっても「銀座が日本一」なんて時代が続くわけはない。

スティーブ・ジョブズが東京・銀座の超有名店、すきやばし次郎を贔屓にしていたことは彼の有名なエピソードのひとつだが、銀座にヒラメやアナゴが泳いでいるわけではない。なのに、銀座では「うまい鮨」が食える。「魚がとれる場所に近ければ近いほど、うまい寿司屋がある」わけではないのだ。

歴史的な視点だけでいえば、「寿司という食い物はもともと『都市文化』であり、海から遠くて新鮮な魚が手に入りにくい江戸時代の都市で生まれたから」などと説明すれば、話のほとんどは済んでしまう。鮮度保持の技術がなかった時代に魚介類をおいしく食べようと思ったことから、酢や昆布で締めるとか、醤油に漬けたり、煮たりする各種の調理技術が開発されたわけだ。

もっと短く言えば、
寿司を食うという行為は、主に
技術を味わっている」のだ。


しかし、いまでは冷凍・冷蔵技術が発達している。ならば、いつでもどこでも新鮮な魚が手に入るようになったはずだから、日本中どこでも「職人の技術すら凌駕する、鮮度の高さで勝負できる旨い寿司」が食えるようになったはずだ。
だが、江戸文化に端を発した寿司の銀座中心主義がおちぶれて、より海に近い場所でこそ、旨い寿司が食えるような時代が来たかというと、そんなことはない。
かえって鮮度抜群の魚が手に入るはずの海岸地方や漁港の寿司がダメな場合が(自分の経験では)あいかわらず多い。(ただし全ての漁港を回ったわけではないので(笑)、正確にはわからない)


この「漁港の寿司が案外ダメなことが多い理由」は、なんだろう。

ひとつには、「漁港の寿司のちょっとした不味さが、鮮度とは無関係」だからだ、という気がする。
たとえば、酢を合わせてもいない「ゴハンのままのゴハン」を大量に手にとって、ぎゅうううううっとチカラいっぱい、それこそ握り締めるように握って、その上に鮮度抜群の魚の切り身をのっけると、それは「旨い寿司」になるか。もちろん、ならない。
また、海岸で釣りをして、その魚をその場で捌いて食うような食べ方をすれば、それが一番うまい魚の食い方か、というと、そうでもない。肉でも魚でもタンパク質が適度に分解された「食べごろ」というやつがあるから、生簀(いけす)のある店で板前さんが目の前で捌いたばかりの魚の切り身で作った寿司が、世の中で一番うまい寿司になるわけではない。


同じように「地産地消」なんていう言葉もあるけれど、これも昔はもっともな言葉だと思っていたが、今は信用していない。

なぜって、よく地産地消をウリにした地方のレストラン、なんてものもあるわけだが、それはたいていの場合「東京などの有名店で修業した人が、わざわざ田舎に作った店」であることがほとんどだからだ。つまり、詳しく表記するなら、「地方の鮮度のいい魚や野菜を出す、地方発の店」があるわけではなくて、「産地の鮮度のいい食材を調理する腕を持った『都会帰りの調理人』が、たまたま田舎で出している店」なのだ。


これは自分勝手な言い分ではあるが、もし「漁港の寿司屋に足りないもの」が、『鮮度以外の何か』とか、『技術』なのだとしたら、それがハッキリ自覚できないと『地方の、それも、鮮度とイキのいい若い人が都会に出ていくのを止められるわけはない』などと思ったりする。

『鮮度』というやつは、ほおっておくと価値が落ちるばかりだ。だから、てっとりばやくカネに変えるには、そっくりそのまま都会に出荷するしかない。しかし、鮮度のいい魚を安い価格で都会に発送し続けているような昔の漁協的発想だけでは、地方の寿司屋は旨くはならない気がする。また、旨くもない漁港の寿司にリピーターはつかない。

鮮度のいい農産物や魚介類を『魅力ある商品』に変えてくれる魔法みたいな意味の「技術」が「多くの場合、都会だけにある」ものだとしたら、そりゃ、そういうものを学ぼうとする若い情熱の流出を止められるわけはない。
都会で寿司屋になった地方の若者だって、聞いてみたら「できたら生まれ育った場所で腕のいい寿司屋になりたかった」と思っているかもしれない。だが残念なことに、漁港には鮮度のいい魚はあっても、それを素晴らしい商品にかえる『技術』がないことが多い。材木は何をしなくても、いつのまにか素晴らしい家具になっているわけではないのだ。


どういうわけか知らないが都会の寿司屋というやつは、多少味がまずくてもなかなか潰れなかったりするわけだが、他方、これもどうしたものかわからないが、もっと旨くなる余地があるはずの地方の漁港の寿司屋も、なかなか旨くはならない。なぜなんだろう。

にもかかわらず、自分のこれまでの発想を捨てることもせず、これまで築いてきたポジションや利権を捨てることも、他人に分け与えることもせず、ただただ「地方の若い人が都会に出ていくのを止めなければ」なんてことばかり考えている地方のオトナは、あいかわらず減ることがない。
地方のオトナたちは「地方にだって、いくらでも旨いものや楽しみがあるっていうのに、なぜここらへんの若い人たちは都会にばかり出て行きたがるのだろう?」なんて的外れなことを、毎日考えていたりする。


そうそう。

優秀なプレーヤーほどMLBに行くのをああだこうだ言う人がいなくならないのにも、似たところがある。そういう発想の人に限って、「日本野球に、本当は何が足りていないのか」を、あまり真剣に考えようとしてない。

damejima at 15:38

July 17, 2013

まぁ、熱心なスポーツファンの間では、このテレビ局にスポーツ中継をやる資格などあるわけもないことは、前々から繰り返し言われ続けてきているわけだが、本当にこの「フジテレビ」というところは、どこまで性根が腐ってるんだと、心の底から思わせる野球中継が、7月14日にあったらしい。


7月14日(日本時間7月15日)のヤンキース対ツインズ戦は、2013シーズン前半の最終戦だったが、どうやら珍しいことに地上波のフジテレビで放送したらしく、ネット検索してみると、「2013年7月15日放送 2:20 - 4:00 フジテレビ」という「摩訶不思議」な文字列がみつかる。

開始時間が「2:20
終了時間が「4:00

あいかわらずスポーツを馬鹿にしてんのね。
さすが、フジテレビ(笑)

系列新聞社も含めて常にイチローを軽んじることに必死になってきた歴史があるクセに、いざプロモーションとなると注目度の利用しようとするその最低な姿勢は、「寄生」としか表現のしようがない。
あまりに馬鹿馬鹿し過ぎて、本当は文字にする価値すらない話題なわけだが、あまりMLB中継に詳しくないせいで、この放送時間設定の「意味するところ」「くだらなさ」が理解できない人もいるだろうから、説明だけ残しておくことにした。
以下を読めば、最初からこのテレビ局が、マトモに「MLB」「野球」というスポーツを中継しようなんて気がサラサラないこと、また、MLBの日本人プレーヤーの現役レジェンド、イチローのヤンキースでの雄姿を真摯に伝えようなんて気がまるで無いことは、この意味不明な中継時間設定だけでもわかるというものだ。


1回裏イチローの打席が終わってから放送開始
なんとイチロー第1打席は「録画」で、しかも「ハイライト」


MLBのゲームで、「日本時間2時過ぎ」のプレーボールの場合、ふだんNHKのBS1で視ているタイプのMLBファンなら、中継が「2時5分」あたりに始まることはよく心得ているはずだ。つまり、例えばヤンキースタジアムのゲームなら、相手チームの先頭打者がちょうど打席に入る直前に放送が始まるわけだ。まぁ、無駄のない中継ぶりが、いかにもNHKらしい。

フジテレビが今回やった「2時20分から中継開始」という意味不明な行為の意味は、「1回表を中継するつもりは、最初からまったく無い」という意味なのはもちろん、それどころかこれは「もしも1回裏ヤンキースの攻撃で、1番か2番で打つはずのイチローの打席がリアルタイムで放送できなくても、別に気にしない」という意味だ。

実際、某巨大掲示板の過去ログや資料サイトの記録などからみて、放送が開始されたのは、1回裏のイチローの打席が終わってしまった後のようだ。
しかも彼らは、NHK・BS1がやっているように、すぐにスタジアム映像を放送し始めたわけではなくて、まず「スタジオでのグダグダした、MLBファンなら誰でもわかっているレベルのくだらない会話」を流した後、ようやくスタジアムの映像に切り替えたらしい。
当然ながら、スタジアム映像にきりかわった時に、すで1番イチローの打席は終わっている。この、スポーツってものを小馬鹿にした、ろくでなしのテレビ局がイチローの第1打席を流したのは、それからさらに後のCM明けで、「録画」で、しかも、「ハイライト」で流したというのだから、見下げた根性の持ち主だ。
資料例:MLB2013|2013/07/15(月)放送 | TVでた蔵
この人たちの性根が腐りきってるとつくづく思うのは、後から第1打席のハイライトを流したことだ。後でイヤイヤ録画を流すくらいだから、フジテレビ側は「『この放送を見ているのは、ほとんどがイチローファンなのだ』ということを認識している」わけである。まったく往生際の悪い話だが、まだまだこの程度で話は終わらない。


試合そのものを放送せず、延々と対談シーン挿入
そして5回裏を待たずに中継終了


この中継でフジテレビは、リアルタイムでゲーム進行中だというのに、肝心のゲームそのものをほったらかしにしたまま、ゲームとまるで関係のない対談シーンを延々と挿入した、というのだ。アイドルが歌ばかり歌っているスポーツ中継より、はるかにタチが悪い。

さらには、ゲームがまだ終わってないどころか、まだ5回で、しかも、まだホームのヤンキースの5回裏の攻撃が始まってもないというのに、5回表ミネソタの攻撃を最後に中継を終了した、というのだから呆れるしかない。

このゲームの7回裏にはイチローがホームランを打っているわけだが、説明するまでもなく、この物事の要点ってものをまるで心得ない礼儀知らずなテレビ局は5回表で中継を打ち切っているわけで、ホームランシーンを中継してないどころの騒ぎじゃない

もちろんブログ主は、あの強烈なライナーをリアルタイムで見ている。Twitterのタイムラインを調べてもらえばわかる。


現役イチローへの注目度を流用し、注目度が低く期待できないコンテンツを無理に現役MLBファンに見せただけの、くだらないフジテレビ

深夜に始まるヤンキースのデーゲームを日本で見るのは、普段から常にイチローのゲームをおっかけているファン、ヤンキースのファンのほかに、「休日だし、珍しくメジャーの試合が地上波でタダで見られるらしいから、たまには見てみるか」という人、いろいろいるだろう。・・・・・・などと、フジテレビ(と、この番組の企画書をフジに押し付けた人間)は考えたのかもしれないが(笑)そんな、ありもしない推測をマーケティングだと思っているのだとしたら、馬鹿馬鹿しいにも程がある。

ふだんから深夜に起きている習慣のない人は、深夜2時にわざわざ起きて、たった1時間半程度しかやらない「ハンパ過ぎる野球中継」など、見るわけがない。また、いつも深夜まで起きているような人にしても、いまどき連休の深夜にテレビで暇つぶししているわけもない。このテレビ離れが叫ばれるインターネット時代に、連休の、それも深夜に、地上波で暇つぶしする人間なんて、そうそういるもんじゃない。
年間100試合以上ゲームを見るブログ主も含めて(笑)、長年MLBで活躍してきたイチローのファンで、「今日はMLBでの2000試合目の出場ゲームだから、記念に見ておこう」というモチベーションでもなければ、この特殊な時間帯に、他に誰が見るというのだ(笑)


食べたくもないものを、食事に何の通告もなく混ぜて無理矢理に試食させる行為は、まさにグロテスクな、ある種の暴力だ。オリンピックの試合でゲーム終了後に政治的なメッセージを書いたボードを掲げてグラウンド内を走り回る行為と、たいしてかわりない。
それは例えば、本来は野球の試合を見るために地下鉄の駅からスタジアムに向かって歩いている人たちに、場違いなサッカーの集客チラシを配っている必死な行為と、まるでかわりない。(実際、今年の第3回WBCでは、「WBC、ぼくらも応援してます」とか、ひきつった笑いを浮かべてテレビの露出を必死にかせぐサッカー選手たちの憐れな姿があったらしいが)


対談とやらに本当に自信があるなら、なにもイチロー人気に(彼らがいつもやっているように)寄生しなくても、もっといい時間帯、ゴールデンでもプライムでもどこでも好きな時間に、放送枠なりCM枠なり好きなだけ確保して、「独自に」プロモーションすればいい。特定の野球ファンしか起きているはずのない深夜2時に、必死になってブザマな姿を晒す必要が、どこにあるというのだ。

普通の人が起きていられるわけでもない時間帯に、わざわざ強行しなければならないほど、最初から注目度の低い、自信のないコンテンツなら、最初から作らなければいい。無理矢理プロモーションするために、必死のフジテレビは、ブザマ、かつ、滑稽としかいいようがない。

damejima at 03:16

July 27, 2011

夕刊フジとかいうメディアが、こんなことを書いてくれたらしい。ありがたい。
「イチローを中心に進められてきた最近10年のマリナーズのチーム編成は、結果的に失敗といわざるをえない。」
イチロー怒られた!マ軍崩壊で強まる「放出論」 (夕刊フジ) - Yahoo!ニュース

「自分はマリナーズのことを何も知らないで書いています」という事実を、これだけハッキリとわからせてくれる記事というのも、そうはない(笑)

ありがたいねぇ(笑) こんなクチの悪いブログでも、今まで遠慮してあげてきたのに(笑)。まぁ、これをきっかけに、年がら年中よその国のドラマばかり垂れ流し続けている、他国の資本ばかり入ったおかしな某テレビ系列のメディアを、これからは心おきなく「名指し」で批判させてもらおう(笑)無能な記者さん、ありがとう。アンタはとても使える記者だ(笑)



あのチーム破壊王、ビル・バベシがシアトルのGMだった時代のチームコンセプトは、「右のフリースインガーを集める」というもので、日本から城島、キューバからベタンコート、そしてFA選手からセクソン、エイドリアン・ベルトレ、はえぬきからロペスを、スタメンに並べた。
守備マニア、ズレンシックがGMの現在のチームコンセプトは、「超守備重視と称して、守りに湯水のごとく金を注ぎ込む」というものだ。



右のフリースインガーを集める
守備に湯水のように金を注ぎ込む


バカかよ、2人とも(笑)


イチローは左バッターだ。バベシが来るよりずっと前、2001年からシアトルのスピードスターだったイチローには、2003年11月にシアトルGMになったバベシの敷いた「右のフリースインガー路線」は、まったく何の関係もない。

また、ズレンシックがシアトルに来たのは2009年だから、2008年から5年契約を結んでいるイチローは、ズレンシックの「投手を含め、守備にムダに金を注ぎ込こめるだけ注ぎ込む超守備的路線」とは、まったく何の関係もない。
もっと詳しくいえば、ズレンシックが、ジャック・ウィルソンやフランクリン・グティエレス、フェリックス・ヘルナンデス、ショーン・フィギンズに金を湯水のように注ぎこんだチーム編成戦略の破滅的崩壊は、2001年以来持続してきた高い実績により、たとえどこのチームと契約しようと長期高額契約が約束されていたイチローとは、まったくなんの関係もない。


今まで言わなかったが、
この際だから、ハッキリしておこう。


バベシとズレンシックの掲げた2つのチームコンセプトは、方向性が違うように見えるだけで、実は、まったく同じ性格のものだ
なぜなら、この2人が提案した2種類のチーム編成コンセプトはどちらも、「セーフコというホームスタジアムのパークファクター」はじめ、チーム編成の前提条件あるいは制約条件に、最初からまるでフィットしておらず、チームの問題点を、助長させるだけで何も解決しない「超ダメ・コンセプト」だからだ。

ビル・バベシは、「右打者に圧倒的不利で、ホームランの出にくい広いホームパークなのに、大金を大量の右打者を雇い入れることに投じる」という矛盾した投資戦略をとって大失敗し、クビになった。
ズレンシックは、フランクリン・グティエレスやジャック・ウェルソンに複数年契約をくれてやって、守備に大金を投資し、加えて「価格の安い投手でも、手の内がバレないうちなら、他のスタジアムよりもいいコストパフォーマンスが見込める投手に有利なスタジアム」なのに、フェリックス・ヘルナンデスに長期契約の大金をくれてやり、結果的に「守りに、金を湯水のように使った」ことで、貧打をより助長し、ペイロールの硬直化をまねいた。
それだけでなく、ズレンシックは、自分の発案したチームコンセプトの政策的破綻によって2年連続でチーム・バッティングの破滅的破綻を招いた責任があるにもかかわらず、破綻を糊塗する若手起用に走り、歴史的貧打と2年連続のチーム大破綻を引き起こした。


こうしてみると、誰でもわかるだろう。
フリースインガー右打者マニア、ビル・バベシ就任の2003年から、守りに金を湯水のように使う守備マニア、ズレンシックが2年連続で大崩壊した2011年まで、この「9年間」というもの、シアトル・マリナーズという、金はあるが肝心の球団経営は素人のチームがとってきたチーム編成戦略は「9年もの間、ずっと間違い続けている」


何度も言わないとわからない人もいるだろう。
もう一度言っておく。

この9年間というもの、シアトル・マリナーズというチームがとってきたチーム編成戦略は、イチローと無関係に、ずっと間違い続けてきている。


「コンセプトレベルから9年間ずっと間違え続けてきた」シアトル・マリナーズという野球チームは、「イチローと無縁のチーム編成ばかりしてきた球団」であると、何の迷いも無く断言できる。
イチローはシアトル・マリナーズにおいて、ともすると周囲の「パークファクターにあわない、間違った編成コンセプトで集められた 大勢の『本来、彼らのほうが場違いな選手たち』」から孤立し、その選手たちがやがて例外なく全滅していく中で、プライドと個人記録達成を心の支えにしながら、ひとりだけ違うレベルでプレーし続けてきて、その結果、毎年のようにゴールドグラブを受賞し、毎年200本のヒットを打ち、毎年オールスターに出場してきた。
こんな基本的なことすら、某フジ系列の、知識の欠けたマスメディアの記者は理解していない。


きちんとしておかないと、今後も間違える人が出てくるだろう。もう一度ハッキリ言っておく。

イチローはシアトル・マリナーズにおいて、多くのシーズンを「パークファクターや貧打など球団の課題を解決するどころか、まったく間違った編成コンセプトで集められた 大勢の『場違いな選手たち』」に囲まれたまま、野球してきた。「城島問題」は、その一角に過ぎない。


この際、断言させてもらっておく。

9年もの長きにわたって、チームづくりをコンセプト段階からして間違え続けながら、ミスばかりしてきたこの素人経営球団が、メジャー球団としての「メンツ」をどうにかかろうじて保ってこれたのは、イチローの存在があったおかげだ。

イチローという存在は、もともとこのチームの9年間のチームづくりの失敗とは何の関係もなく、高い実績を残してきたレジェンドであり、どこの国の、誰であろうと、そしりを受けるいわれなど、どこにもない。


イチローの2008年の契約更新にあたっての条件は、金額ではなく、むしろ「勝てるチームづくり」だったはずだ。
本来、メジャーのさまざまな記録更新がかかった記念すべきシーズンになるはずの2011年のシーズンを、チームにあわない編成コンセプトで2年も続けて破綻させ、果ては連敗記録まで作って意気消沈させるチームにして、レジェンドの記録達成の邪魔ばかりしている球団サイドのほうこそ、イチローと日本のファンに謝罪すべきだ。






damejima at 22:05

July 23, 2011

どうも、黙っていられない性分なので困る(笑)
もう視聴率なんてくだらないものに触れるのはやめておこうと思っているのだが、勘違いして騒いで、イチイチ野球にからんでくるアホウを見かけると、どうも黙って見過ごせない性格なのである。

これは、例のサッカー女子ワールドカップの視聴率データで、元ソースはニールセンだ。決勝の視聴率の高さばかりもてはやされまくったわけだが、実は、決勝を除くセミ・ファイナルまでの全ゲームで、視聴率が1%(およそ150万世帯くらい)に達したのは、わずか5試合しかないことは、ほとんど誰も知らない。
アメリカのゲームが3試合(予選コロンビア戦、クオーターファイナル・ブラジル戦、準決勝・フランス戦)で2%ちょっと、そして、クオーターファイナル・日本対ドイツ、準決勝・日本対スウェーデンで、1%ちょっと。
それ以外のゲームの視聴率はすべて1%に満たない
2011 FIFA Women’s World Cup on ESPN & ESPN2 (June 26-July 13, 2011) « Son of the Bronx

2011女子ワールドカップ全視聴率(決勝のぞく)


勘違いしてもらっても困るが、別に日本の女子サッカーの快挙をこきおろす意図などない。ただ、ああいうニュースをネタにイチイチ野球にナンクセをつけようとする馬鹿や、きちんと現実を伝えようともせず、むしろ、ねじ曲げて意識操作するような記事や番組を作ってアブク銭を儲けようとするメディアのあさましさが気持ち悪いから書くだけのことだ。


話は簡単。
あのサッカー大会、アメリカで視聴率が高かったのは、優勝候補の自国アメリカの出場ゲームなのだ。
そりゃそうだ。自国のスポーツが出て勝ち進めば、どこの国の住民だって、たとえ普段はそのスポーツのファンでなかろうと、ルールさえわからくても、関心が集まるのは当たり前。
日本でもこれまで、カーリング、ソフトボール、同じような現象はいくらでもあった。ルールさえ知らない人でも、自国のスポーツの快進撃を見ればやはり胸が熱くなる。それはそれでかまわない。

また自国アメリカ以外で、最も高い視聴率を叩きだしている国(といっても、1%だが)が、「日本」であることは、アメリカのメディアでも決勝の前から十分に認識されていた。(記事例:Ratings: Sounders/Timbers, World Cup, San Francisco Giants | Sports Media Watch
だから、アメリカの視聴者にテレビの電源を入れさせたモチベーションは「今回の大会でそこそこ強敵といえる日本がいいゲームをするチームであることは既にわかっている。だが自国アメリカは、その日本に一度も負けたことがない。だから、世界大会の決勝という絶好の舞台で、強敵を軽く一蹴し、自国アメリカが優勝するドラマチックな展開をテレビで見たい」とかいうシンプルな話だったのは明らか。

だが、日本のマスメディアの書きっぷりは、例によって、まったく違う(笑)「なでしこジャパン、ESPNのサッカー中継の歴代史上最高視聴率!」(笑)
ESPNとESPN2の違いもわからないクセに、あたかも日本の出場試合が予選段階からずっと高視聴率が続いていたみたいに書くのが、こういう記事タイトルのミソ(笑)だが、上に挙げておいた全試合の全米視聴率資料を見てもらえばわかる。
決勝を除けば、予選の視聴率が1%を超えたことはほとんどない。自国アメリカのゲームですら3%を超えない。


そもそも全米視聴率1%レベルのスポーツというのは
どのくらいの規模のスポーツに相当するのか?

ちょうど近いのが、何度か記事を書いたカレッジ・ワールドシリーズ(CWS)だ。
2000年代後半以降、ESPNは、カレッジの野球をメジャースポーツイベントのひとつに育成していこうとしているらしく、プライムタイムでの放映に踏み切ったりなどして力をいれてきている。
資料によれば、今年のCWSの平均視聴率は「1.6%、およそ223万人」。これは一昨年から視聴率が下がってしまった昨年2010年の「1.2%、155万人」という数字から、43%急上昇したことになる。

ESPN and ESPN’2s coverage of the College World Series finals averaged a 1.6 rating with 2,233,000 total viewers in 1,618,000 households.
The network saw increases across the board in all three categories (1.2 rating, + 33 percent/1,558,000 viewers, +43 percent/1,220,000 households, +33 percent) over last year.
ESPN Posts Audience Growth During 2011 College World Series Coverage - SportsNewser


ちなみに、あえてソースは書かないが、2011年カレッジ・ワールドシリーズの視聴率について、以下のようなコメントをしているサイトを見たのだが、今のカレッジ・ベースボールのトレンドの変化を把握せずに書いていると思われるので、ちょっと欠陥を指摘しておきたい。
ちょっと的はずれな記述が生まれる原因はたぶん、「カレッジ・ベースボールの重心が、かつてのように、西の太平洋岸のカリフォルニア、アリゾナ、あるいはルイジアナ、テキサスといった大学から、サウス・アトランティック(アメリカ南部のうち大西洋岸の州)のノースカロライナ、サウスカロライナなどに移りつつある」という点を、きちんと意識して書いていないことだろう。

どのスポーツでもそうですが、出場チームの地元の人口規模が決勝シリーズには直接的に影響します。今回は両校ともSEC校ということで地域的に偏っている分不利だったかもしれませんが、その割には健闘という感じでしょう。(中略)GatorsはともかくGamecocks の方はカレッジスポーツでブランドアピールが強い学校とは言えません。それでも二年前の好カードのシリーズに近い数字を出したので健闘と評価したいところです。


この文中で「2年前の好カード」というのは、近年最も視聴率のよかった2009年決勝のLSU対Texasをさしている。Gatorsはフロリダ大学、Gamecocksはサウスカロライナ大学の愛称。
前にも一度書いたが、近年のルイジアナは、CWSを4回制覇した90年代の黄金時代ほど強くはない。日本語で「古豪」という言葉があるが、「かつての強豪」っぽくなったルイジアナ大学が9年ぶりに優勝したのが、2009年のCWSだ。
College World Series - Wikipedia, the free encyclopedia

また決勝での対戦カードについて「両校ともSEC校ということで地域的に偏っている分不利だったかもしれませんが、その割には健闘という感じでしょう」「Gamecocks の方はカレッジスポーツでブランドアピールが強い学校とは言えません。」という部分も、どうも寝ぼけた書き方だ。
この記事、まさかとは思うが、そもそも去年2010年の優勝校がサウスカロライナだということをわかってなくて書いているのではないかとさえ思える。
今年のセミファイナルに駒を進めたのが、ダニー・ハルツェンを擁して快進撃を続けるヴァージニア大学、近年の全米ドラフト2位ダスティン・アックリーの出身校で、今年もセミファイナルに上ってきたノースカロライナ大学と、ベスト4がサウス・アトランティックの大学ばかりで占められていることの意味も、あまりわかってなさそうな気がする。
資料記事:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年6月21日、今月末に決まる2011カレッジ・ワールドシリーズの行方と、近年のカレッジ・ベースボールの勢力地図の「大西洋岸シフト」。


今年のオールスターでサウス・アトランティックの州の視聴率が急激に跳ね上がったわけだが、こうしてカレッジ・ワールドシリーズの視聴率アップに貢献しているのも、当然のことながら、サウス・アトランティックの熱心な野球ファン、ということになるのだろう。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年7月18日、去年より低かった2011MLBオールスターの視聴率 (2)700万票以上集めた選手すら出現したオールスターの「視聴率が下がる」現象は、どう考えても納得などできない。






damejima at 03:19

March 30, 2011

このブログはじまって以来のまとまりのない記事だ。指摘したいポイントが多すぎるため、しかたない。地震関連の記事はここまでにして、これからは野球の話に戻ろうと思う。(1行抹消:好きなようにやるさ 笑)


素朴な話だが、あなたは
被災地」という言葉が、いったい「どこの場所」のことを指すと思っているだろうか。

「被災地」を「東北3県のみ」に限定する感覚というか、プロパガンダがある。ブログ主は、これにまったく同意しない。
「がんばれ東北」というスローガンを押し付けてくる公共CMやイベント、誰がいつどこで作ったのかわからない「がんばれ東北」のフラッグ、芸能人やスポーツ選手の「がんばれ東北」発言、すべてに賛成しないし、同意もしない。

「がんばれ」という言い方そのものの精神的副作用を問題視しているせいもあるが、もし百歩譲って「がんばろう」という言い方を使うにしても、納得して受け入れることができるのは「がんばろう日本」であって、「がんばれ東北」ではない。

これが、この長くてまとまりのない記事の前提だ。


ようやく決着したセ・リーグの開幕問題だが、批判がはじまった発端そのものは、ひどく簡単だ。精神的な焦りからか、ドーム球場の使用やナイターにこだわった一部の野球人が、世論の反応を読まずに行ったミスリードである。
あらかじめ、首都圏以外の球場、あるいはデーゲームへの変更を手配しつつ、リーグあるいは野球界全体として取り組む寄付と節電に関して決め事を世間に大々的に発表しておいて、あとはプレーヤーから被災者に届けるメッセージCMでも流しておけば、何も問題はなかった。だから、ミスリードに批判があったこと自体は、いたしかたない。

だが、その初動のミスにつけこんで、執拗に批判をくりかえし、批判の輪を執拗に拡大させ、野球そのもののバッシングにまで広げていこうとした行為は、ドームのナイター開催批判とはまったく別次元の話である。度を過ぎた野球のバッシングは、そもそも、ある種の悪質なプロパガンダを含んで、野球を節電スケープゴートに仕立て上げようとする世論誘導行為である。(もちろん都市のバッシングも同じ)

ああいうアンフェアな批判の根底にある独特の感覚には、いくつか特徴がある。
1)「都市」と「田舎」の対立図式
2)「首都圏」と「東北」の立場の違いを強調した煽り
3)「東北」こそ真の被災地であり、「首都圏」は被災地ではない、とする意識誘導
4)「首都圏」は寄付や節電に励み、被災地=東北を助けろという、負担の一方的な押し付け

福島にある某スポーツのトレーニング施設は、福島に原発をつくる見返りに東京電力が出した金でつくられ、その建設費は最終的に首都圏の消費者の電気料金に上乗せされたという話を、最近ネットでみかけた。某スポーツにまったく関係ない世帯も含めて、首都圏の消費者に、その特殊なトレーニング施設の建設費を負担させたわけで、理不尽きわまりない。
関係ない人にまでコスト負担させておきながら、一方で、「身銭」はまったく切らない人たちの、こういうゴリ押し感覚の底辺にあるのは、たぶん「福島原発の生産する電力は首都圏で使い果たすのだから、原発建設の見返りとして福島に作るスポーツ施設の建設費くらい、首都圏で負担するのが当然」という歪みまくった発想だろう。馬鹿馬鹿しすぎて言葉にならない。
「被災地」をイメージ的に「東北の津波被害」に限定するロジックを繰り返し繰り返しテレビでプロパガンダしながら、首都圏に負担を押し付けるスキームは、かつて首都圏の電気料金に原発の見返りのスポーツ施設の建設費を上乗せした感覚にそっくりだ。


首都圏だって十分被災地だという単純な理由で、ブログ主は、「被災地」という言葉で「東北3県」だけをさす、そういう感覚を否定している。
また今回の地震のネーミングは「東日本大震災」で問題ないにもかかわらず、いつまでたってもメディアによって表記が確定されないのも、根底には「東日本全体を被災地としてしまうと、なにかと不都合なこともある」というおかしな発想が邪魔をしている、と考える。

また、「首都圏」の住人は「募金すべき人」なのであって、募金を「もらう」のが「被災地」、そういう人、つまり被災者は首都圏にはいない、などと決め付ける、馬鹿げたメンタリティも否定する。
どこをどう間違うと、募金を「する」か「もらう」かで、その場所が被災地かどうか「仕分け」できるのか。
首都圏は、「目に見えやすい被害」があまりなく募金能力が温存できているから、首都圏で募金を集める行為自体は、やればいい。だが、だからといって「首都圏が被災地でない」ことにはならない。そこが、いつのまにか、はきちがえられている。
首都圏は、「募金すらできない被災地ではない」のは確かだが、あくまで「募金可能だが、被災地でもある」、ただそれだけのことだ。


「首都圏を被災地として見ない偏った発想」。
これが、野球の開幕時期についてのバッシングの背景にある、と思う。

公共CMや大臣が、「買占めはやめよう」「節電しよう」と発言する場合、あきらかに、「首都圏」が名指しされている。また、有名人の誰かが「被災地のことを思え」とか発言する場合の「被災地」は、逆に、首都圏をさしていない。
つまり、彼らの言う「首都圏」は、「買占めをして、電力を大量消費して水を買い占めている、ワルモノの巣窟」(笑)であって、「被災地」ではないのだろう(笑)

こういう「都市」と「田舎」、「首都圏」と「被災地」を故意に分離し、被災地のひとつであるはずの都市に負担だけを求める歪んだ感覚が、彼らの野暮ったい表現や、悪質な仕分け感覚にあからさまに現れている。


そもそも今回の地震の被害と影響は、いくつかの次元に分かれている。
「被害」と「影響」は分けて考えるべきだが、いずれにしても災害は日本中、世界中に被害と影響を広げつつあることくらい、誰でもわかりそうなものだが、なのに、どういうわけで「被災地は東北3県、首都圏は節電もしないで買占めばかりしている」などという印象操作をするのだろう。よほど、被害を津波などの狭い定義の範囲におしとどめておきたい人がいるとしか思えない。原発から放射能が漏れていることが確定している現在、それは悪あがきにすぎない。

地震
→津波被害(人、家屋、企業、家財、他)
→避難所でのモノ不足(水、食料、医薬品、灯油、ガソリン、衣料、他)
→→原発事故
→→→放射線被害
→→→→環境被害(土壌、水、海、空気、生態系、他)
→→→→首都圏でのモノ不足(水など)
→→→計画停電
→→→→停電による被害(個人、企業、自治体、他)
→→→→個人のあらゆる面での消費減退
→国内企業の経済的被害(製造業、農業、漁業などの生産性低下や操業停止、水田の塩害、他)
→→外国人の国外退避、外国人観光客の減少
→→外国の産業への影響(自動車部品、農産物、他)
→→外国のエネルギー政策への影響(ドイツ、アメリカ、タイ、中国、オーストラリア、フランス、スイス、他)
→→→→→避難所関連コスト(物資供給、避難所維持、仮設住宅建設、他)
→→→→→国の財政的被害(復興の財源問題、財政の不健全さの拡大)
→→→→→個人、企業の経済的被害(増税)

資料:3月の新車販売37%減=震災響き、大きく落ち込む―自販連 (時事通信) - Yahoo!ニュース

<日銀>景気判断引き下げ検討へ 大震災被害、原発深刻化で (毎日新聞) - Yahoo!ニュース


今回の地震被害を大雑把に箇条書きしてみた。
被害は、直接の被害、つまり地震と津波による人命・家屋の被害に留まらず、「派生する災害が大きい」のが最大の特徴。近未来にこれから発生すると予想される被害も含め、けして小さいものではない。環境、経済、被害の及ぶ範囲も、種類も、これまでになく多い。国内の被害レベル、被害が今後継続する時間、復興にかかるコスト、どれもが第二次大戦を除けば、たぶん日本人がこれまで経験したことのない未曾有の規模の災害になるのは間違いない。
こうした被害のさまざまな種類がある中で、

首都圏は被災地でない、のか。
首都圏だけで負担しきれる被害なのか。
首都圏の停電した工場や店舗は、スイッチさえ戻せばすぐに生産力、収入が復活できるとでも思っているのか。
首都圏にある2000万世帯で、毎日使う飲み水を多少なりともミネラルウォーターでまかないだしたとしても、ミネラルウォーターの流通在庫は永遠に無くならないとでも思っているのか。
首都圏に、日本の子供の半数が住んでいるが、自分の子供に飲ませられる安全な水が蛇口から出ていると、すべての親を納得させられる説明を東京電力や自治体ができていると、本気で思っているのか。


ようやく決着をみたセ・リーグの開幕時期の問題そのものの中身についても、納得などいかない。
経済観念ないまま野球批判に便乗した大臣たちの安っぽい批判。毅然としてないだけのに正義感ぶっている選手会。世論対策を最初のステップからして間違えたオーナー。そして、4月12日開幕という曖昧な着地点。ほとんどわけがわからない。
なぜ「3月末」はダメで、「4月12日」ならOKなのだ。
ひとりで行くのが怖い低学年の小学生がトイレに行くのに友達を誘うごとくに、セ・パが同時開幕したほうがいいとかいう理由は何だ。
ホウレンソウの出荷停止に補償金を出すというのなら、なぜ野球に補償という話を出して自粛を求めないのか。


納得がいかない理由をどう説明したらいいか迷ったが、一番いいのは、
「首都圏」という単語を、「野球」という単語におきかえてみることだと思ったわけだ。(あるいは「被災地」という単語を、「田舎」という単語におきかえてみてもいい)

いいたいことが伝わるように、わざと物議をかもしそうな書き方をしてみる。「こんなこと、誰も書かないだろう」と思って書くくらいだから、読んで不快に思ったら謝ることにする。だが、野球と都市を重ねあわせて執拗に批判するロジックの歪みとズルさを指摘するためには、このくらい書かないとわからないと思う。

「首都圏は被災地でない。同じような意味で、野球はこの災害の被害者ではなく、むしろ加害者」
「田舎だけが、今回の真の被災地。都市は、節約もしながら、募金やモノを援助すべき」
「本当の意味の被災地は田舎だけ。そこでは、いま電気が通じていない。だから、首都圏はとにかく節電して、似たような生活を体験すべき。電気を無駄使いする野球を楽しむなど、もってのほか。当分やめておけ」
「福島のたくさんの原発は、もともと首都圏の生活を支えるために作られた。それが壊れて田舎の被害が甚大な以上、首都圏はこんどの災害の被災者ではありえない。都市民は節電して当たり前だし、電気料金もたくさん払え」


どうだろう。
「都市」と「野球」をイメージ的に故意にダブらせ、「田舎」を唯一の被災地に仕立てあげ、都市や野球に責任と道徳をなすりつけていく、こういうロジックのあくどさ。都市バッシング。野球バッシング。

節電は都市経済の健全さを阻害するのでやめておけ、節電など必要ない、などと、馬鹿げたことを言いたいわけではない。電力需要が急増する真夏が来てしまう前に、首都圏全域で節電生活の基本スタイルをあらかじめスタンバイしておくことは絶対達成しなくてはならないことくらい、いうまでもない。
だが、あえて言うと、野球をやろうと、やらまいと、都市の節電は達成しておかなくてはならないメトロポリスの使命であって、野球だけを「節電スケープゴート」にして「節電の義務感」を都市住民のマインドに無理矢理植えつけようとするあからさまなプロパガンダは醜悪としかいいようがない。都市民はそもそも災害の被害者であって、加害者でもなんでもない。これもいうまでもない。


プロの野球は、仕事だ。仕事としてトマトや米やホウレンソウを作るのと、まるで変わりない。野球を仕事にすることを、野球では「プロ」になるというわけだが、家庭菜園とプロの農家の違いのように、なにかを仕事にしたプロの大変さは、どんな仕事でもかわりはない。

こういうことを言うと、テレビが板のように薄くなった現代になってさえ、「農業と娯楽は、同等の業種なわけがない」などと、旧石器時代のような古い発想でモノを考える人がいる。今回の地震はどこからどこまでが被災地か?という基本的なことについて、よくわかってもいないクセに、他人様の節電意識や寄付行為に横からクチをはさんで憤る人も、大勢いる。
そういう「都市」と「田舎」を対比的に考えた上で、「偉いのは、お米を作る田舎のヒトだけ」みたいな古くさい発想が、いまだに日本人の脳内の片隅にこびりついていることには、本当に驚く。

もうそんな時代ではない。

「コメだけは特別」「野球だけは特別」なんて単細胞な発想で世の中を渡っていけた昭和の時代がとっくに終わった。だから、野球のオーナー企業だって、かつての鉄道や新聞が中心の時代から、IT・通信業などの新興産業にシフトしていったのだ。サラリーマンだって、農家だって、漁師だって、ウェブ・デザイナーだって、なんだって、お金を稼ぐのはたいへんだ。


被災地の定義を大きく拡大せざるをえないのは、もちろん原発事故の存在があるからだ。

今回の災害は、地震だけの被害だけだったら、被害はもっとびっくりするほど小さかったはずだ。だが、津波が原発事故を生んだことで、すべての様相が変わった。電力不足による計画停電、放射能汚染と、立て続けに被害の種類とエリアが拡大して、被害の規模と、被害の継続時間は、ありえないレベルに拡大している。
逆にいえば、「被災地の定義をなんとしても東北限定、津波限定におしとどめよう」というプロパガンダは、ある意味で、「原発事故によるさまざまな影響は、たいした被災ではないし、直視すべき現実ではない。そのうち消えるから心配するな」とまやかしを言っているのと変わらない部分がある。

そんなこと、ありえない。

東北の被害は「タテに深い」が、首都圏の被害は「ヨコに広い」。だからわかりにくいだけだ。
首都圏をはじめとする住民は、さまざまな脅威に怯えながら、外出を控えたり、ミネラルウォーターを買いこんだりしている。24時間フル生産しているミネラルウォーターを作る会社は儲かるかもしれないが、トータルでみれば日本全体の消費は減退しているだろう。
現に、飲食業やタクシーなど、都市の夜を支えてきた業種では収入が減少しているらしい。都市でヨーグルトが食べられないのは、計画停電でヨーグルト工場の生産が安定しないためらしい。東日本のあらゆる観光地では観光客が減少していることだろう。
漁業なども影響は必至だ。たとえ東北以北の港が修理され、出漁できるようになったとしても、消費地の首都圏で魚が敬遠されるようになっていれば、長期的な打撃を受ける。事実そうなりつつある。

これは誰もが言いづらいことだと思うが、「東北」の、それも「農家や漁師」だけが、この大震災と原発事故の被害にあったわけではない。「東北以外」、「農家や漁師以外」だって、もし誰かに金銭的補償を受けられるものなら、どれだけ生活あるいは経営が助かるか、と思っている人が大勢いる。
だが、こんな時代にお互い無理は言えないのはわかっている。だから、みんな我慢をしている。それだけだ。



首都圏だけでなく、各地に飛び火してもいるらしい買占めについても一言いいたい。

ミネラルウォーターはなくなるのが当たり前だ、と思う。

「買占めはやめよう」というお題目で戒めたり、批判だけする行為には、まったく賛成しない。それは「節電」というお題目で野球をバッシングしたのと、図式としてまったく同じだ。指摘するだけなら誰でもできる。その程度のことを指摘したくらいで安っぽいヒーロー気分に浸るのは滑稽だ。

思わず水のペットボトルを見るたびに買ってしまう家庭の奥さんたちは、もともと別に、ミネラルウォーターを買いおきしておきたいわけじゃない。むしろ無駄な出費など、したくもないだろう。だが、自分の子供や暮らしを守るためになら、買わないわけにはいかない。当然の話だ。

問題なのは「首都圏に住む人口の多さ、あるいは子供の集中度」だ。都市の現実を理解もせず、ズレたテンポで腰くだけの道徳ばかりを書きつらねている東北在住の作家がいるが、都市の現実をわかっていない人間の批判は的はずれもいいところだ。

たしか記憶では、
子供の2人に1人は、首都圏に住んでいる」。
だとしたら、子供のいる世帯が毎日必要な量だけ、つつしみ深くミネラルウォーターを買うだけでも、毎日、万という単位のペットボトルが売れていくことになる。
放射能の心配から、店頭からあっさりミネラルウォーターが消えてなくなってしまうのは、むしろ当たり前なのだ。
買占め? そりゃ一部にはあるかもしれない。だが、そんなのは全体から見たら、たいした量ではない。コンテナ単位で買っているわけじゃない。また、店側が店頭で1人1本とか、きちんとルールを決めないようなルーズな店で、箱単位で買っていくのを黙認していてはどうしようもない。そういうケースでの問題は店側のモラルと知恵にあるのであって、消費者の責任ではない。

買わざるをえない理由がある消費者が首都圏に大勢いる。
それが「現実の都市」だ。

首都圏の消費規模は大きい。人口の集中し、情報も早い首都圏で、日用品のどれかが足りなくなるとわかれば、その商品はあっという間に店頭から消えてしまうのが当たり前だ。

批判の前に、水の量が足りないのなら、首都圏の乳児、子供たちにもっと潤沢に水を供給するように、なぜあらかじめ手を打っておかないのか。「この放射線量では、ただちに健康に、どうのこうの」とモグモグ言っているだけで、水の供給問題に手を打たないのでは、人が水道水を信用しなくなる速度は加速していくだけだ。
道徳の押し付けより、必要なのは対策であり、工夫だ。対策が被災拡大の速度に追いつけないところに問題がある。

そもそも首都圏の水不足は、単なる道徳違反なのではなくて、一種の「被災」だ。なのに「こういう見えにくいタイプの被災者」に対する対策は何も手を打たず、「買占めはやめよう」だの、「戒め」だけを押し付けるのか。「戒め」だけでは、なんの解決にもならない。


よく外国メディアの人の記事で「日本人は政府を信用しすぎている」なんていう記事がある。だが、首都圏の消費者はおそらく、水、魚、野菜、そういう、いままで当たり前にあったモノを信用しなくなりつつあると思う。
非情なように聞こえるかもしれないが、いま東北で魚を獲るより、たくさんの東北の漁師さんに臨時で西日本で漁ができるように政府や自治体が話をつけて、安全な西日本から首都圏に魚を供給できるようにでもしたらどうか、とか思う。
「首都圏で魚が売れないのは、風評被害が原因だ」と主張しつつ、その一方で、魚は無理矢理獲って、廃棄処分にせざるをえない結果を招くけれども、金銭の補償はしてほしい、では、誰も浮かばれない。資源も無駄になる。
魚だって命がある。無駄にしていいわけはない。
まぁ、こういうアイデアは極端な思いつきにすぎないわけだが、いま獲っても消費されにくい海域で無理矢理に魚を獲っては、含まれる放射能を測定して一喜一憂するより、なにか東北の漁師さんの生計をたてながら、首都圏の消費者の魚の消費も復活できる方法論を、誰か頭のいい人が考えるべきだ。
でないと節電フリークのイカレた人間が、首都圏の消費者は東北の魚を食え、とか、馬鹿馬鹿しいことを言い出しかねない。


災害による支出の増加、収入の減少は、個人にもあり、企業にもあるわけだが、補償の一線はどこで引かれるのか。

プロの野球はビジネスだ。停電で仕事ができなくなって収入が減る床屋さんと同じように、プロ野球も、れっきとしたビジネスで、停電で収入面で被害を受けていることを忘れて話をする節電フリークがたくさんいる。首都圏の話と同じで、野球はこの震災の被害者であって、あたかも加害者のようにウダウダとバッシングされ続けたこと自体、そもそもおかしい。

では、なぜ首都圏の野球がなぜ被害者としてきちんと扱われなかったのか。
一部の野球人が「ドーム球場でナイターを開催したい」などと世論への初期対応を間違えたことで、ちょうど節電アピールのためのスケープゴートを探していた行政に「つけこまれた」感は否めない。

「つけこまれた」とは、ちょっと穏やかな言い方ではないように聞こえるかもしれない。

だが、いま日本は非常にセンシティブになっている。もっといえば、「静かなるパニック」の真っ最中だ。そのことを読まなければいけなかった。
被災地におけるちょっとした善意が非常に賞賛される空気は「やはり日本はいい国だ」という感慨を生むけれども、それは逆に言えば、ちょっとした失言、わずかなミスが針小棒大に扱われ、大きな失地を招くナーバスな時代だ、という意味でもある。困ったことに、善意を自分のモノサシで測定して、それが十分だと感じない相手はひどくバッシングするような悪質なロジックが、大手を振ってネット上を闊歩している。

本来なら被害者のひとりである「野球」というビジネスに携わり、牽引している方々は、こういうデリケートな時期に、どうすれば穏便にコトが進んで開幕にこぎつけることができるか、それをもっとよく考えて行動していなければならなかった。4月の開幕前にチャリティゲームを開催するくらいのことは素人でも考えつくのだから、ナーバスな世論環境のもとで何を、どういうタイミングでアピールしていくべきか、十分考慮すべきだった。
なのに、「プロ球界は、災害に配慮して、これこれ、これだけの寄付をし、節電の工夫もこういう風にしていく予定でいますよ」と好印象を与えおくことも、「野球も大きな被害を受けているのですよ。ご理解ください」とさりげなくアピールしておくこともせず、「無理やり開幕を強行しようとしている」という第一印象だけを与えれば、そりゃ批判をまねくに決まっている。
「たとえばなし」として言うなら、災害直後、今シーズンのスタートを1ヶ月か2ヶ月、まとまった期間遅らせます、シーズン全体の試合数も減るかもしれません。しかし、そのかわり、東京電力にゲーム開催で得られたはずの金銭の補償を求めていきますよ?、とでもいうようなスタンスを毅然とした態度でいちおう表明しておいて、その後、世の中の推移によって臨機応変に対応していっていたら話は違っていた。



風邪を引いて、出た症状ごとに薬を飲んでいくようなやり方を「対症療法」という。頭が痛くなったら頭痛薬、熱が出たら解熱剤、特効がないだけに、症状の数だけ、たくさんの薬が処方される。
今回の地震でも、ホウレンソウに放射能が検出されたら、ホウレンソウを出荷停止にして、そのかわり補償を約束し、ブロッコリーが出荷停止になったらブロッコリーに補償を約束し、被害が出た作物と地域の順序にそって、いちいち「補償する」などと耳ざわりのいいことを言う大臣がいるが、そんな場当たり的なことを続けていては、最終的にどうみても莫大になるはずの震災被害への対策費が、各産業、各地域に、しかも「先着順」にばらまかれてしまい、復興をみないうちに予算の破綻をまねきかねない。文句を先に言った者勝ち、先着順ではダメだ。

なにも困っているのは「ホウレンソウ」だけではないし、東北だけでもない。津波で家が流された地域だけが被災地ではなく、首都圏のサラリーマン家庭だって、企業だって、地盤の流動化で苦しむ断水継続中の浦安市だって、被災地であり、困っている。
こと「福島」「ホウレンソウ」にかぎって表立って補償とか言い出したのは、ある意味、単に「原発問題によるパニック」を避けたいだけ、それだけの「対症療法」だった。

「ホウレンソウ作り」が「営利によって暮らしを支える仕事」で、出荷自粛を求めるかわりに政府が収入を補償するのだとしたら、かたや「野球」という、基盤の弱い小さいビジネスに対しても、もし「節電」というお題目で自粛を求めるのなら、同時に、日程の変更やゲームの中止などで発生する損害の金銭的補償も頭に入れつつ発言するのが、スジであり礼儀というものだろう、というのが、ブログ主の発想である。
野球の経済被害をまるで考慮せず、節電だけしろ、は、ない。

先手を打つ才が無く、毎日起きる予想外の事態に、コトが起きた順番に対症療法だけしか策が打ち出せない、そんな余裕の無い人たちに、「つけいるスキ」を与えてはいけないのである。






damejima at 19:35

March 21, 2011

プロ野球の開催問題に関して、こんなデータが出回っている。各球場での1試合あたりの消費電力である。
このデータをどう読むかだが、日本の球場の電力消費について、いくつか捻じ曲げた理解が広まっていると思う。

別にブログ主は、明らかに電力を食うドーム球場を擁護したいわけではない。だが、「野球は、ナイター照明が大量に電力を食うから、当分の間、やるべきではない」とかいう、「もっともらしくみえる」だけで、実際には何の根拠もない批判で、野球というスポーツをいわば「吊るし上げる」行為は、まるで感心しない。
こういうかなり曲がった理解をした人につられて、弱気になっている野球人も、世間にはいらっしゃるようだから、ひとこと言いたい。
ナイター照明だけをネタに野球そのものを批判できた気になるような世間やメディアは、総じて言えば、球場というものの仕組みへの理解が低く、災害に感傷的になっているか、ヒロイズムに酔っているだけの場合が多い、と思うのだ。

マツダスタジアム  4000〜5000kw/時
神宮球場      7000〜8000kw/時
千葉マリン     ナイター 16000kw/時
             デーゲーム 11000kw/時
横浜スタジアム   21000kw/時
東京ドーム      50000〜60000kw/時
             (40000kw/時というデータもある)
資料;asahi.com(朝日新聞社):東京ドーム消費電力、一般家庭の6千世帯分「対策検討」 - 東日本大震災
資料;時事ドットコム:節電難しいドーム=プロ野球


最初に指摘しておくと、
「オープンエアの球場の電力消費は、ドーム球場より小さい。悪いのはドーム球場だ」というのは、球場の現状を知らない人の思い込みであり、単なる「決め付け」だ。必ずしも正しくない。
むしろ、表現として正確なのは
ドームであれ、オープンエアであれ、消費電力の非常に大きい球場と、そうでない球場がある
球場の電力消費量は、照明だけで決まるのではない。照明、大型スクリーン、空調など、さまざまな要因から球場ごとに決まる
というのが正しいと思っている。
エネルギー効率のいい電化製品もあれば、そうでない電化製品もある。燃費のいいクルマもあれば、悪い車もある。球場も同じだ。
燃費規制はわかるとしても、「車は燃費が悪いから、車全体が当分走るのを自粛しろ」などという論理が暴論なことくらい、わからないのか。

また最近、マス・メディアは「野球1試合の開催に必要な電力は、家庭6000世帯分にあたる」などと書きたがるが、その割りには頭を使いたがらない。
野球を見に来た人は、家を出るときに、部屋の照明をつけっぱなしにし、テレビをつけっぱなしにし、エアコンをつけっぱなしにしたまま、家を出るわけではないのである。


このごろ、こんな無根拠なことを平気で言う人もいる。
「屋根がない球場であればデーゲーム(昼間の試合)はライトをつけない分だけ節電になるかもしれないが、東京ドームはもともと室内なのでデーゲームもナイターもライトをつけなくてはならない。確かに、消費電力は変わらない……
石原「ナイター野球じゃなく日中にやるべき」/ 球場「日中も消費電力は同じです」 ? ロケットニュース24(β)

一見もっともらしいが、実はあまり球場のことがわかってない人だろう。印象操作でもしたいのだろうか?
「ナイター照明」だけを根拠に野球に反対してみよう、批判しようなどと、浅はかなことをするから、人に失笑される議論になる。言っていることに正しい部分がないこともないが、基本的には最初から結論ありきで、「野球はやるな」と決め付けたいだけで議論を開始したにすぎないとしか思えない。

例えば甲子園球場のようなオープンエアの球場でも、照明以外の消費電力があまりにも大きいことで、電力消費量に問題を抱えた球場もある。また、東京ドームのように、そもそも電力消費の大きいドーム球場の節電の課題は「照明」だけにあるわけではない。
球場の使う電力の問題を「照明」だけに矮小化しては、球場の節電について十分な議論ができるわけがない。


甲子園については、こんなデータがある。誰でも手に入るネット上の資料である。
「年間計画発電量の193Mwhは、1年間のナイター照明の電力をまかなう量ですが、阪神甲子園球場の年間使用電力の約4%とのことで、ナイター以外にも結構電力を使う
甲子園球場の太陽光発電量がナイター照明の電力量を超えた 太陽光発電の徹底検討

甲子園球場はもちろんオープンエアの球場である。そのオープンエア球場で、「ナイター照明が消費する電力が、年間総消費電力のわずか約4%」だと、この資料はいうのだ。この意味がわかるだろうか?

つまり、こういうことだ。
マリンスタジアムのナイターとデーゲームの電力消費量の差が「5000kw/時」であるから推定すると、(もちろん球場ごとに違うだろうが)照明点灯に必要な電力は数千kw/時なのではないか、と思われる。
そして、千葉マリンがナイターをデーゲームにすると電力消費を3分の2に抑えることができるにもかかわらず、甲子園球場では「照明が消費する電力は、年間消費電力のわずか数%にすぎない」というのなら、甲子園での「1試合あたり」の消費電力量は、明らかに「数万kw/時の単位」と推定されることになる。
この数字は神宮や千葉マリンなど、エネルギー消費の少ないオープンエアの球場と比べて、はるかに大きい
オープンエアの甲子園の、いったいどこで、そんな大量の電力を消費する必要があるのか。理解しかねるが、少なくとも、ちょっとばかり太陽電池を設置したからといって甲子園球場をベタ褒めする必要などない、のである。(ドーム球場については、後で書く。そもそもが消費電力が大きくなりがちな構造物なのは確かだが、その原因は「照明」だけにあるわけではない)

甲子園をホームにする阪神の新井選手会会長が野球開催に及び腰だからといって、彼をあたかもヒーローのように扱いたがる人がいるが、オープンエアの甲子園球場で、なぜこんなに照明目的以外の電力を大量消費しているのか? そこを選手会でもきちんと把握し、甲子園のエネルギー効率の酷さを意識しつつ発言してもらわないと、野球開催の是非を議論するようにみせかけつつ、その実、暗にドーム球場での野球開催を批判するようなことでは困る。そういう報道や議論は、それを公平ということはできない。(ドーム球場での開催に問題がない、という意味ではない)

ちなみに、太陽光発電の採用は、甲子園だけだと思っている人もいるようだが、それも違う。なにも甲子園だけの専売特許ではない。
広島の本拠地マツダスタジアムでも、年間10万4,800kWの発電能力を持つ太陽光発電システが導入され、すでに甲子園球場と同時期の2010年春に稼動している。
そのマツダスタジアムでのナイターの消費電力は4000〜5000kw/時と非常に小さいわけで、もし仮に甲子園の1試合あたりの電力消費が「数万kw/時」だとしたら、マツダスタジアムに比べ、照明以外に使う電力消費量があまりにも大きすぎる甲子園球場は、たとえナイターをデーゲームに振り替えても大量に電力を浪費するから、一切の試合を開催すべきでないという計算になる。

ドーム球場だけを槍玉に挙げて野球開催を批判するのはお門違いである、くらいのことは理解しなければ、本当の意味で節電をベースにした野球開催の是非を議論することなど、できるわけがない。



メディアはいま、災害時にありがちな一時の正義感をふりかざしてヒロイズムに酔いたいのか何か知らないが、根の浅い正義感だけであれこれ言うのは、ある種の言葉の暴力でしかない。
こんなときだからこそ、感情や感傷に流されず、きちんと整理した話をすべきだ。

もういちど言うと、
プロ野球がゲームをやるときの電力消費の課題は、「照明」だけが問題なのではない。このことがきちんと把握されていなさ過ぎる。
球場の電力消費に大きな割合を占めるのは、「照明」以外に、「大型スクリーン」、「ドーム球場特有の空調」などいろいろあって、電力をあまり消費しない試合の開催を実現するには、それらの課題を総合的に議論すべきだし、しかも球場ごとに条件が大きく違うことを頭にいれ、スタジアムごとに課題を切り分けて考えないとダメなのだ。
ドーム球場の、それも「ナイター照明」だけを槍玉にあげて批判するだけの報道は、単なる悪意ととられてもしかたがない。


ちなみに野球のスタジアムでは、照明以外のどんな設備に電力を大量消費しているのだろう。
ひとつは、「大型スクリーン」だ。

千葉ロッテ関係者は「大型スクリーンが毎時4000〜5000キロワットを消費する」と言っている。わかりやすい。
ならば、大型スクリーンを使わずに試合すればいい、それだけのことだ。それだけで、たぶんどこの球場でも、数千kw/時を節電できることになり、試合開催にまた一歩近づける。必要なのは工夫だ。まなじり釣り上げた議論じゃない。
ロッテ、西武は開幕ナイターやらない - プロ野球ニュース : nikkansports.com


次に、「ドーム球場の空調」。

前にこのブログで、 MLBの「クッキー・カッター・スタジアム」について記事を書いたことがある。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年8月21日、ボルチモアのカムデンヤーズは、セーフコのお手本になった「新古典主義建築のボールパーク」。80年代のクッキーカッター・スタジアムさながらの問題を抱える「日本のスタジアム」。

「クッキー・カッター・スタジアム」というのは、MLBで、1960年代中盤から80年代にかけて野球の黎明期からある古い球場の老朽化が問題になりMLBで、マーケティング上の理由もあって、ボールパーク(野球場)に「多目的スタジアム Multi-purpose stadium」、特にアメリカンフットボール用のスタジアムとの兼用化を求める時代が来て、全米各地に数多く作られたドーム球場のことだ。
東京ドームがお手本にしたミネソタ州ミネアポリスのメトロドームも、その「クッキー・カッター・スタジアム」のひとつで、総重量が340トンもある屋根を、内部の空気圧で押し上げる方式になっている。(空気圧で押し上げるエアドーム式を採用するメリットは、柱を作る必要がないために、工期が短く、建設費も安上がりにすむため)
2010年12月には、このドーム屋根が雪の重さで崩壊してしまい、屋根に積もっていた大量の雪がドーム内に落下する映像が有名になったが、エアドームは常に内圧が必要な構造だ。

メトロドームをお手本にした東京ドームも、総重量400トンもある屋根を空気圧で押し上げている。だから東京ドームは「野球のゲームがない日でも、空調を動かしてドーム内部の圧力を保ち、屋根を押し上げておく必要がある」のである。
野球開催派であれ、野球延期派であれ、「デーゲームにすれば、照明を使わないから、なんとかなる」などと、トンチンカンな議論をする人がわかっていないのは、こういう点だ。
東京ドーム関連の記事で、「東京ドームのナイターでは、試合がない日の3、4倍の電力を消費する」という記述があるが、これは、逆にいうなら、「ナイターがない日」でも、試合の日の3分の1か、4分の1、つまりナイター時には数万千kw/時の電力を消費する東京ドームの場合、試合のない日でも数千kw/時の電力を消費している、という意味だ。それは、こうしたドーム球場特有の柔構造の屋根に原因があるのである。

現在のMLBでは、さまざまな理由からこうしたエアドーム式で人工芝の「クッキー・カッター・スタジアム」が絶滅しつつあるが、ドーム式球場そのものがなくなったわけではない。
例えばシアトル・マリナーズの本拠地セーフコ・フィールドは開閉式ドームだが、セーフコの屋根の構造はエアドームではなく、フィールドも人工芝ではなく天然芝だ。鉄骨による硬い構造の屋根を、レールの上を移動させて開閉する。ドームの構造も進化しているのだ。
だが、日本のスタジアムは、野球においては、いまだに人工芝エアドーム全盛であり、サッカーにおいても、陸上競技とサッカーの兼用スタジアムが大半なのであって、日本のスポーツスタジアム環境はかなり遅れたままであることは、すでに何度も指摘してある。


個人が通常の生活で消費する電力量との比較

最後に、これはブログ主の発見でもなんでもないが、ネット上での指摘を読んでうなづくものがあったので、書いておく。
「人は家にいても、電力を消費する。彼らが家庭にいて消費する電力量は、明らかに球場で野球見に来ていて消費される電力量より、大きい。」という指摘だが、ブログ主もそれに賛成したい。

あるネット上の指摘では「大人1人が、1時間に消費する電力量は、1kw強」らしい。
野球のゲームがはじまって終わるまでの約2〜3時間、そして球場への往復の2時間程度を合わせると、野球を球場で見るのには、観客1人当たり4〜5時間ほどの時間を取られている。
入場者数を2万人と仮定すると、もしも彼らが球場に来ずに家にいた場合の電力消費の総量は、1kw/時×20000人×4時間=8万kw/時、あるいは、1kw/時×20000人×5時間=10万kw/時、ということになる。入場者数1万人なら4〜5万kw/時、入場者数3万人なら12〜15万kw/時の電力が家庭で消費される。
一方、球場でナイター1試合に使う電力量は、球場によって違い、4000kw/時から60000kw/時のレンジだから、球場ごとの平均入場者数の違いを考慮すると、それぞれの球場の消費電力は、そこに来る観客が家で消費する電力量に見合うか、下回ったものになっている。
さらには、ナイトゲームがデーゲームになり、大型スクリーンを使わず、売店なども照明に配慮するなどすれば、「大多数の人にとって、野球の試合に見に来ることは、家庭で消費するはずの電力消費を、球場で消費するだけの意味だ」そう言い切れる可能性だって、計算上は出てくる。

「野球1試合の開催に必要な電力は、家庭6000世帯分にあたる」などと書きたがる人が多いが、頭は生きている間に使えとはよくいったものだ。
もういちど書こう。
野球を見に来た人は、家を出るときに照明をつけっぱなしにし、テレビをつけっぱなしにし、エアコンをつけっぱなしにしたまま、家を出るわけではない

人は、野球場以外では電気を使わない、なんてことはありえない。生きているかぎり、どこにいても、なにかしら電気を使う。それが電気で生きる現代人である。だから、節電の問題は、球場にだけ発生するわけではない。これからのライフスタイルの問題だ。
野球の開催だけを問題視する人に、ブログ主は、「そこまで反対したいのなら、夜、節電のためにまったく電気をつけずにジッとしていろ」と言えるとは思わない。そういう間違ったニセモノの道徳は、ある種の暴力だ。だが、その反面で「野球開催には絶対反対だが、自分は家で、エアコンをつけて、パソコンをしながら、冷えたビールを飲んで、テレビを見ていたい。車で近所に買い物にも行きたい」などという人とは、議論にならないし、友人にもなれない。
3万人の人間が集まった場所を一挙に照明するための1人あたりの電力が、1人の人間、あるいは家族が過ごす部屋を、暖房し、明るくし、テレビを見て泣いてみるための電力と、どれほど違うのか。同じなのか。ちょっとは考えてみた上で、発言すべきだし、記事を書くべきだと思う。

球場だけが電力を消費している悪者なわけはない。そういう、球場だけを悪者にしたヒステリックでニセモノの道徳風レトリックは、よく見れば、静かなパニックであり、自分勝手なギミックの押し付けに過ぎない。
非常時、災害時には、感傷だけでモノを言い、それを他人にもニセ道徳として押し付けようとする人が出てくる。くれぐれも流言に惑わされないことだ。


今のわれわれは、electrical creature、電気がないと生きられない生物、だ。
原発事故が提起しているのは、これからの100年をどう生きるかのライフスタイルの問題であって、チマチマした節電道徳などではない。






damejima at 14:36

January 06, 2010


ランディの好きなもの


ビッグユニット」こと、300勝投手ランディ・ジョンソンがFAのまま引退を表明した。
あらためて彼のサイ・ヤング賞5回、という記録が痺れる。2009シーズンのヘルナンデスを見てもわかることだが、この賞、獲るのはどれだけ大変か。ランディは、そのサイ・ヤング賞を5回(95年にシアトルで受賞。その後1999年〜2002年にアリゾナで4年連続受賞)も獲っているのである。
また、試合中に鳥にデッドボールを与えたのは、たぶんメジャーでも、ランディ・ジョンソン、ただひとりだろうと思う。あれはあれで、たいへん懐かしい。あの鳥は出塁率100%のまま昇天した。

ランディ・ジョンソンの22年間のキャリアの記録

とか、なんとか、ねぇ・・(笑)頭の悪い新聞記者かライターなら、こういう誰でもわかること書いてお茶を濁しとけばてすむところだろうが、そうはいかない(笑)
ランディが現役を退いたことで、日本のMLBファンとしてはランディ・ジョンソンの実物に会って、握手のひとつもしてもらえる確率がかえって高まったことになる。喜ばしいことである。ランディ・ジョンソンにRock on!!!!、とでもいいたいところなのである(笑) 今後、新宿に行くMLBオタクは常に色紙を持参しとくべきだ(笑)
Big Unit officially ends 22-year career | SFGiants.com: News


ちなみに、上の記事には、さまざまな動画へのリンクがはられているが、MLB Tonight制作のランディ・ジョンソンのキャリア全体を眺めるA Randy Johnson retrospectiveというムービーは、一度みておく価値があると思う。
大投手になる前のモントリオール時代と初期のシアトル時代のランディが、いかにノーコンなヨレヨレ投手だったか。また、ランディが大投手になる道を歩みはじめることができたのが、ノーラン・ライアンにコーチされてピッチングを矯正してもらって以降であること、などなど、彼の素晴らしい投手成績を眺めているだけではわからない内容がドキュメント風にわかりやすく詰め込まれているからだ。さすがMLB Tonightである。

ノーラン・ライアンのコーチを受ける若き日のランディ・ジョンソンノーラン・ライアンの指導を受けるノーコン時代のランディ・ジョンソン
Baseball Video Highlights & Clips | MLB Tonight looks back at the career of Randy Johnson - Video | MLB.com: Multimedia

ランディ・ジョンソンの動画(公式サイト)
Multimedia Search | MLB.com: Multimedia

ランディ・ジョンソンのキャリア・スタッツ
Randy Johnson Stats, Bio, Photos, Highlights | MLB.com: Team


引退を表明したランディが、メタルはじめ、ロックミュージック・オタクであることは、一部ではよぉぉーーーーく知られている。
よく、彼が最も好きなアーティストがZEP、つまり、レッド・ツェッペリンだとか書いているサイトもあるが、そうでもない。
ランディが複数回行ってオトモダチ常連さん状態になっている某静岡県浜松のレコ屋さん(この方の名前、偶然だけど「スズキ」さんなんだよね。浜松らしい苗字だ(笑))のウェブサイト等の資料サイトを見れば、ランディのコレクションがジューダス・プリースト、ブラック・サバス、スコーピオンズ、ラッシュ、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトンなどなど、たいへん幅広いものであることがわかる。

まぁ、ランディ・ジョンソンもこれでスプリング・トレーニングに行かなくてよくなったことだし、心置きなくレコ屋漁りができることになったわけだ(笑)だから、この冬には西新宿浜松に現れても、ぜんぜんおかしくない。これらの街に突然、身長2メートルを越す巨大なヒゲ面のアメリカ人がぬっと現れる確率が相当に高まったものとみていいのではないだろうか?(笑)
今年の冬はさすがに覚えている人がいるだろうから彼のコレクション選びの時間を邪魔しては悪いだろうけど、来年以降ともなれば彼のことを覚えている人はだいぶ減るだろうから、よけいにランディから直々にサインを貰えるチャンスは高まったんじゃないだろうか(笑)

ちなみに。
野球しか見ない人やMLBファンの場合、レッド・ツェッペリンというと、すぐにボストン・レッドソックスを思いだすかもしれないが、ZEPの「レッド」のスペルはLEDであって、RED SOCKS、赤靴下のREDとは違う(笑)
70年代バンドであるレッド・ツェッペリンのライヴが19年ぶりに実現したのは、2007年12月10日にロンドンで行われたアトランティック・レコード創設者アーメット・アーティガンの追悼コンサート。ランディはこのコンサートに、「ファンのひとりとして」行っていたらしい。
ランディ・ジョンソンが浜松のレコード店にふらりと現れたのは、その数日後、12月15日(日本時間)。某レコ屋さんのウェブサイトで「ジミー・ペイジはすごい、今まで見たなかでベストのライヴだった!」とランディ・ジョンソンが興奮しながら店主に話したというのは、もちろん、このコンサートのことだ。
たぶんランディは、コンサートのためにロンドンに行き、その興奮をキープしたまま日本に立ち寄ってレコード漁りをしまくり、それからアメリカに帰ったのだろう。つまり、ランディは、ロックのために「地球を一周」したのだ(笑)
ロックで世界一周旅行!・・ってアンタ・・・(笑)
本当にロック好きなんだなぁ。ロック馬鹿のランディ、大好き(笑)

2008年以降もあれこれとツェッペリン復活の噂はあるけれど、ソロ活動に専念したいロバート・プラントが「邪魔をするな」とカンカンになって否定しつづけているため、ツェッペリンの一時的な復活ライブが、次にいつ、どこで行われるのかは、ロバート・プラントのご機嫌次第という話。
だが、次のツェッペリンのライヴが、たとえ南極であろうと、宇宙ステーションの中であろうと、どこであろうと、ランディ・ジョンソンは必ず行くと思う(笑)
Led Zeppelin : レッド・ツェッペリン、21世紀に完全復活 / BARKS ニュース

ツェッペリンのギタリストといえば、もちろんジミー・ペイジだが、このジミー・ペイジも、ロック・オタクのランディ・ジョンソン同様に、西新宿の中古レコード屋でブートレグを漁りに来たのを目撃されたことがある。ジミー・ペイジの場合はどうも自分の演奏をコレクションしているようだ。
ジミー・ペイジがランディと大きく違うのは、ミュージシャンでなくMLBの投手であるランディは店でブートレグを買うのにお金を払うのに対し、そもそも原著作者であるジミー・ペイジの場合は、「自分の演奏しているブートレグをタダでもっていく」という点であるらしい(笑)やれやれ、ジミー・ペイジ(笑)

今回のランディ・ジョンソンの引退を記念して、ジミー・ペイジがランディになにか贈呈したりしないかねぇ。そしたらジミー・ペイジをもっと尊敬するんだが(笑)






damejima at 13:23

December 11, 2009

どうでもいい話なのだが、シアトルに新加入した「ショーン」・フィギンズの名前表記を、どういうものか、サンケイスポーツや日刊スポーツはじめ、多くの日本の新聞では、「チョーン」・フィギンズと表記しているようだ。
チョーン フィギンズ - Google ニュース


だがそれは間違い。ローマ字読みでもしてるのか、としか、いいようがない(笑)
チーム公式サイトのフィギンズのバイオグラフィにも、下記のように明記されている。(どういうわけか、3度も繰り返し説明してある(笑)よほど間違われることが多いのだろう(笑))

Desmond DeChone (Chone) Figgins (first name is pronounced 'SHAWN')...Desmond DeChone (Chone) Figgins (first name is pronounced 'SHAWN')...Desmond DeChone (Chone) Figgins (first name is pronounced 'SHAWN')

出展:Chone Figgins: Biography and Career Highlights | Mariners.com: Players(太字はブログによる)


耳で聞かないと確信が持てない人は、単語を入力すると発音を音で聞かせてくれる便利なサイトがあるから、実際にshawnという単語の発音を聞くといい。これは、アメリカでも発音がまちまちなNYYのテシェイラなどとは違って、「ショーン」としか書きようがない。
Pronunciation of shawn - pronounce shawn correctly in English.






damejima at 09:19

January 05, 2009

http://mlb.yahoo.co.jp/
例の異様な城島びいきで知られる丹羽氏はじめ、「迷文」「迷翻訳」「迷・固有名詞」の迷人ぞろいで、MLBファンを笑わせてくれていたMAJOR.JPがサイト閉鎖した。
中傷といわれても困るので説明しておく。
このサイト、MLBファンの間では、あまりにも酷い表現、間違った表記が多いことで有名だった。指摘しているブログ、掲示板なども数々あり、このブログでも何度か、現地記事の引用の我田引水さや、その記事の品性の無さについて、理由をあげて書いたことがある。このブログだけが指摘しているわけではない。むしろ衆目一致する失笑サイトだったのである。
例:2008年09月07日のこのブログの記事 

それにしても過去の記事が、すべてサイト閉鎖のお知らせにリンクされて隠されたのはどうしたものか。著作権のからみもあるというのか。だが、本音ではサイト閉鎖の原因のひとつになった駄文を、もう恥ずかしくて人に見せられないとでもいうところか。


この駄目サイトができた経緯はこのリリースに詳しい。2003年3月24日のリリースである。

http://www.pressnet.tv/release/1687

当社(=株式会社サイバーエージェント)はメディア・コンテンツ事業強化の一環として、昨年、米国MLBのインターネット部門子会社であるMLB Advanced Media, L.P.(本社: ニューヨーク、CEO: Bob Bowman)より、MLB.comコンテンツの日本語に関する独占ライセンスを取得いたしました。

2003年4月5日付けの日経ネットでは、その動きをこんなふうに経済的観点からとらえている。
http://www.nikkei.co.jp/weekend/news/sp20030405.html
サイバーエージェントは日刊スポーツ・朝日新聞社と提携し、i-mode公式サイト上で有料課金するMLB.comモバイル をすでに展開している。
スポーツサイトはネットバブル時代のころから「人は集まっても儲からない」といわれてきた。(中略)
スポーツサイトの運営は最小限に縮小させるか、手を引いてしまったケースも多い。昨年のW杯以後に資金枯渇でヤフーに吸収されたスポーツナビや、親会社のソフトバンクの戦略転換によりスポーツのコミュニティーサイトから動画コンテンツの配信元に変身したライバルズのように、業態転換に迫られたケースもある。
MAJOR.jpにしても、23万部発行しているメールマガジンとの広告面での共同展開以外に、動画コンテンツやグッズ販売、そして携帯電話のコンテンツ課金を事業の柱としている。


ただでさえ採算のとれにくいスポーツ系サイトを携帯コンテンツからの利潤でなんとかしよう、ということだったようだが、あんなレベルの低い記事を、わざわざ金を払ってまで読む人がいるはずはなかった。
MLB.comコンテンツのライセンスといっても、大量にある現地記事をスポーツにも詳しいプロの翻訳家が機械的に「日本語化」していたならまだしも、ゆるゆるの、英語にも疎いライターさんがやっつけ仕事で毎日お茶を濁して紙面を埋めていただけのことなのだ。

閉鎖?お気の毒(笑)としか言いようがない。



damejima at 09:58

December 16, 2008

3月に行われる第2回ワールドベースボールクラシック(WBC)について、Yahoo Japanが「日本代表の4番に座ってほしいのは?」というアンケートを行ったのだが、困ったことに、その後このアンケートがどういう結果になったのか、それがわからない。

たまたま検索がヘタなせいでリンクが見つからないだけならこちらの不手際だが、もし結果を公表してないとしたら、サイト閲覧者にアンケート協力させておいて、結果を知らせないとはどういう了見か。アンケートをビジネス化するのもほどほどにしてもらいたい。

それにしても、この経過。誰ももう城島のバットになど期待などしてないことを改めて示した。

12月16日9時25分現在の数値
2008年12月11日より 計 33782 票
(以下はアンケートサイトより。当ブログで投票の多い順に修正済)

12月15日には日本代表候補45人が発表予定です。
以下に挙げた選手のなかで、日本代表の4番に座ってほしいのは?


松中信彦(福岡ソフトバンク) 27% 8984 票
小笠原道大(巨人) 21% 7011 票
村田修一(横浜) 12% 4010 票
栗原健太(広島) 10% 3324 票
そのほかの選手 8% 2646 票
イチロー(マリナーズ) 8% 2560 票
中村剛也(埼玉西武) 5% 1704 票
中島裕之(埼玉西武) 4% 1306 票
城島健司(マリナーズ) 3% 1169 票
福留孝介(カブス) 3% 1068 票



damejima at 11:07

September 09, 2008

うまい料理を食い、いい音楽を聴いて、楽しく海でも眺めながら毎日を過ごしたいものだ。だが残念なことに、スポーツというやつは、やみつきになるクセに、嫌な面もみせつけられる。最近週末になると、このブログの更新が止まることが多いのには理由がある。誰かさんのあまりの感性の悪さに悪寒がするからだ。


http://mlb.yahoo.co.jp/headlines/?a=16531
「ヤンキースなんかは、全部勝ちに来てたでしょうからね。
×××・×××××にやられたらきついでしょうね」

城島がこの言葉(あえて伏せる)を使うのは、これが初めてではないのはわかっている。前回は故意にスルーしておいた。理由はある。この言葉のもつ、無責任さ。気持ちの悪い語感。自虐的な気配。陰湿さ。なにもかもが気持ち悪いからだ。こんなものがスポーツ?そんなわけがない。
自分のブログに載せるだけでも、汚らわしい。伏字で結構だ。2度目の発言なのでしかたなく記事にしておくが、伏字でさえ非常に気分が悪い。

よく懲りないものだ。つくづく思う。こういう言葉をギャラもらってまで使う感性の無さ。
こういう感覚的なことの是非は、そもそも真正面から説明するものではない。音楽のわからないひとに言葉では説明できないものだ。九鬼周造や坂口安吾だって、さすがに説明はできないだろう。
この悪質さ、何かいいたとえ話で説明できないだろうか?ちょっと考えようとも思ったが、それすら馬鹿馬鹿しくなった。あんまり気持ちが悪いので、たとえ話もやめる。自分の脳を無駄に消費することもない。

結果も出さないクセに、デリカシーやモラルもない。そんな男がスプリングキャンプのときに、番記者に何を食事に食わせたのかは知らないが、あれこれチームリーダー気分の発言をしていたのだから、虫酸が走るとはこのことだ。


さて、このまったく和製英語にしか見えないタチの悪い造語は、日本人では、城島一人が使っているのではない。使っているのは、正確には2人いる。Major.jpなどでライター業を営む、Nとかいうライターと、城島、この2人である。
なにかと辛辣な記事、批判的な記事ばかりを書くアメリカのライター陣でも、こんな言葉を使って記事を書くのはトリビューンのLarry LaRueくらいだろう。

以前、このNという人物のことを書いたことは一度だけある。そのときも、わざとイニシャルで書いておいた。匿名でブログを書く立場を自認して自重する、ということもある。だが、別に実名あげて批判するほど中身のある話を書いている相手ではない、という理由のほうが大きい。

実をいうと、この記事、あまりにも虫酸が走るので、最初Nのことは実名で書いていた。だが、今あらためてイニシャルに書き換えているところである。書き直していて、名前を載せる価値すらないことに気づいたからだ。


以下の記事が8月26日の記事で、例の言葉は記事タイトルに使われている。(日時は現地時間。このブログではすべて現地時間表記)ギャラをもらっている立場でこんな質の悪い言葉を堂々と書けるのは、日本ではこのライターだけである。
この男、これまでの記事の流れからして、シアトル番というより、ほぼ城島番なのだろう。城島とこの記者だけで同じ言葉遣いで仲良しごっことは、癒着というか、呆れてモノがいえない。
よく某巨大掲示板で某日本人選手と番記者の記事の癒着ぶりが問題視されることがあるが、城島とこの記者さんとの関係も大差ない。
デンバーで行われたワールドシリーズについて「ロッキーズは、ここで豪華な食事を用意すれば、メディアの印象もぐっと良くなる。記者なんて、その程度のことで、好意的にも、好戦的にもなるのだから。」と正直なことを書いたのは、このNなのである。
ノーマン・メイラーからポールギャリコ、三島由紀夫から寺山修司、山際淳司氏にいたるまで、スポーツライターにも色々なタイプの名人がいたが、こんな恥ずかしい文章、人前に出したりはしない。


「×××・×××××」、プレーオフ狙うツインズ下す
http://mlb.yahoo.co.jp/headlines/?a=16202
マリナーズのラインナップには、開幕をマイナーで迎えた選手が4人も並んだ。そんな半ば3Aのような「×××・×××××」に打たれて負けたら、ベーカーとしては情けない限りだろうが、先制の2点は、やはりシーズン途中に昇格してきたジェフ・クレメントに適時打を許したものだった。



damejima at 12:02
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  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年6月29日、『父親とベースボール』 (1)星一徹とケン・バーンズに学ぶ 『ベースボールにおける父親の重み』。



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