音楽と野球とアメリカのスポーツ文化

2016年6月14日、ニューヨーク・ポスト紙ジョエル・シャーマン記事のdamejima版訳。かわいい魔女ジニーから、リチャード・ライト、バリシニコフ、モーツァルト、ヒッチコックまで。
2014年6月23日、「友達の誰より先にフェンダーを買った子供がプロになりやすい」現象と、ベースボール
2014年6月15日、Joanna Hallの素晴らしい木曜日。
2014年3月23日、映画 『ドラゴンタトゥーの女』のリサベット・サランデルのバイクが、「ブロックタイヤ」を履いている理由。
2014年2月8日、Z-BoysのShogo Kuboからハーフパイプの平野歩夢まで、日本人横乗りライダーの40年。「写真」が追いつけないほどの平野君の「ビジョン」。
2013年7月1日、太く乾いた、それでいて、優しい。ニューヨーク・スタインウェイのアメリカ。
2013年5月29日、1999年に若いリベラやジーターに『ミセス・ロビンソン』を歌ってきかせたポール・サイモンが、新ヤンキースタジアムのサブウェイ・シリーズで観たイチローの2本のヒットに香る「過渡期ヤンキースでアイデンティティを探す難しさ」
2013年3月16日、カリビアン・ベースボールの音色。
2013年2月16日、野球という「開催日数の多いスポーツ」だからこそ、専用スタジアムを持つ意味も、公費投入の意味もある。
2012年4月5日、MLBのロスターの3.5人にひとりは、メインランド(アメリカ大陸の50州)以外の出身選手、というESPNの記事を読む。(出身国別ロスター数リスト付)
2012年2月22日、beat writerの「ビート」とは、「受け持ち区域」のこと。
2012年2月19日、「10 & 5 ルール」と、一般的なノートレード条項との違い。
2012年2月11日、スタジアム・サイト、ベスト3。
2012年2月2日、Hutch賞を受賞したビリー・バトラーが「お手本にした」と語るマイク・スウィニーの素晴らしい足跡。スウィニーの苦境を救った「タンデムの自転車」。
2012年1月28日、2011年Hutch賞受賞者は、カンザスシティ・ロイヤルズのビリー・バトラー。
2011年12月16日、ダフ・マッケイガン、ガンズ・アンド・ローゼスのシアトル公演で、オープニングアクトだけでなく、本公演にも飛び入り参加。
2011年10月9日、「iPodの原型は『パソコン』であって、ウォークマンではない」ことが瞬時にわかるのが、「パソコン以降の文化的視点」。
2011年8月25日、台風銀座日本の地勢とそっくり。ハリケーン銀座アメリカ東海岸。
2011年7月18日、去年より低かった2011MLBオールスターの視聴率 (2)700万票以上集めた選手すら出現したオールスターの「視聴率が下がる」現象は、どう考えても納得などできない。
2011年7月18日、去年より低かった2011MLBオールスターの視聴率 (1)6.9%だからMLBは衰退しているとかいう、くだらない議論。呆れた今の日本の「議論能力」の無さ。
2011年7月7日、ジョシュ・バードがなぜ「せかせかした印象を与えるキャッチャー」なのかという疑問に、糸口を与えるデータ。
2011年7月6日、「MLBでは不文律を絶対に破らない」という不文律は、「どこにも無い」。
2011年6月12日、NBAで初優勝したダラス・マーヴェリックスのジェイソン・キッドが言う『イチローの支配力』という言葉の面白さ。「ランナーとして1塁に立つだけで、ゲームを支配できる」、そういうプレーヤー。
2011年3月17日、震災のいまこそ再認識されるべき歌うたい、「坂本九」。坂本九ソングの、この、あまりの素晴らしさ。
2011年3月11日、「神戸スタジアムから東北に向けて笑顔で歌うシンディ・ローパー」を見たい。
Hutch賞と、フレッド・ハッチンソン・ガン研究センター。野球と医学の架け橋。
2010年9月13日、 移籍後のクリフ・リーが打たれる原因を考えてみる。(4 )1950年代の名捕手シュローダー君の考える「球種の少ない投手の球を受ける捕手に欠かせない、サインのひと工夫」。または谷啓さんの大きな文化的足跡。
2010年6月19日、 90年代ロックの熱を運んだroot、「インターステイト5号線」 〜 パール・ジャム、ガンズ・アンド・ローゼズ
2010年6月18日、イチローとグリフィーのダブル・ボブルヘッド・デーにふらりとやってきた元ガンズ・アンド・ローゼスのダフ・マッケイガンは「レイカーズが大嫌いなんだ」と言った。
センチメンタルなフロリダ・ドライブのための音楽。
2010年1月5日、ランディ・ジョンソン引退を喜ぶ。 理由:この冬の間に西新宿で見られる確率アップ(笑)

June 15, 2016

ニューヨーク・ポスト紙のジョエル・シャーマンピート・ローズをたしなめた記事は、かのケン・ローゼンタールもほめちぎっている。
Don’t let Pete Rose’s hater dig ruin Ichiro’s milestone moment | New York Post


もちろんこの記事は速攻で日本語記事にもなっているのだが、細かい点で気にいらない。しょうがないから自分で訳した。


ジョエル・シャーマンはテレビ、映画、音楽、バレエなど、アートっぽいことが大好きとみえて、文章のあちらこちらに作品やアーティストに関連した言葉が散りばめられている。

例えば、日本語記事には訳出されていないのだが、文中に "I Dream of Jeanie" という言葉がある。これは1965年〜1970年に放送された古いコメディのタイトルで(邦題:『かわいい魔女ジニー』)、イチローのニックネームがWizard(=魔法使い)であることにちなんで筆者ジョエル・シャーマンはわざと使っている。
I Dream of Jeanie


2つ目は、これはあくまでブログ主の想像でしかないのだが、a native sonという表現はたぶん、アフリカ系アメリカ人作家リチャード・ライト(Richard Wright, 1908-1960)の1940年作品 "Native Son" を連想させるようにわざと書いているではないかと思う。
この作品はアフリカ系アメリカ人がこうむった不幸を題材にしているのだが、ジョエル・シャーマンは遠まわしにピート・ローズの発言の根底に流れる「無用な優越感と日本野球への差別意識」があからさまになることをたしなめたのではないか。(この話を理解するには、ジェームズ・ボールドウィンとか、そういうたぐいの本を読む必要があるかもしれない)



シャーマンはイチローを、ニューヨーク・シティ・バレエ団に所属したこともあるロシア出身のバレエダンサー、ミハイル・バリシニコフにたとえている。
これはもちろん、イチローの動作の「優雅さ」をバリシニコフにたとえて表現しているわけだが、それだけでなく、おそらくロシア出身のバリシニコフが1974年に亡命し、さらに1986年にはアメリカに帰化していることをふまえていて、アメリカのネイティブではないイチローが、アメリカの地元ファンの喝采を浴びてプレーし、今では将来の殿堂入りを約束されるほどアメリカに馴染んでいることを、バリシニコフと重ねあわせた表現だろうと思う。

Mikhail Baryshnikovミハイル・バリシニコフ

バリシニコフ風イチローのカーテンコールバリシニコフ風イチローの
カーテンコール

4257安打を祝福するペトコ・パークの観客にヘルメットを脱いで礼をするイチロー。立ち方がバレエダンサー風に見えるのは、「姿勢の良さ」のためだ。「姿勢」はアスリートの選手生命を左右する。


他に、モーツァルトをひきあいに出した箇所がある。これはシャーマンに限らず、アメリカのメディアでは最上級の褒め言葉のひとつといえるだろう。
というのは、その昔シリコンバレーのIT関係者の間でモーツァルトを聴くことが大ブームだった時代があったように(その後、モーツァルトを聞き飽きてしまい、ブームはベートーベンに移ったらしい)、モーツァルトはアメリカのインテリ層にとても人気が高く、モーツァルトにたとえられるということ自体が「褒め言葉」を意味するという側面が彼らにはあると思うからだ。まぁ、そのへんは日本の小林秀雄と、たいした差はない(笑)


また文末あたりで、ピート・ローズに関して "Frenzy" という単語が使われているわけだが、これはもしかするとロンドンのシリアル・キラーを扱った1972年のアルフレッド・ヒッチコック映画 "Frenzy" からのもじりで、ピート・ローズの下品さを皮肉った表現かとも思ったが、さすがにそこはハッキリしない(笑)




When a spring training game is played on the road, those who stay behind - mainly veterans - go through a workout. But there is a substitute teacher feel to it.
スプリング・トレーニングで、ロードゲームが行われる場合、遠征先に帯同しない選手(主にヴェテラン選手)はトレーニングにいそしむ。だが、それは臨時教員のような、腰の座らない感覚のものだ。

The manager and the main coaches are usually on the trip. The stands are empty. Reporters generally follow the team. The on-field work, therefore, is completed in quicker fashion with one eye on the first tee or jumping into the pool with the kids or some other free-time activity. It is a perk of being a veteran.
監督と主要なコーチは普通ロードに帯同し、スタンドは空っぽ。記者たちもたいていはチームに帯同する。フィールドワーク組は(=遠征に帯同しなかったヴェテラン選手たち)ゴルフの1番ティーとか、子供たちと飛び込むプールとか、自由に過ごせるオフシーズンならではのアクティビティに気をとられながら、グラウンドでの練習をそそくさと切り上げる。これはヴェテランならではの特権だ。

On one of these days I was the lone reporter who stayed behind at Steinbrenner Field. I was writing about a player who did not go on the trek, but up in the press box after the workout, I was not writing. I was entranced watching the lone figure who did not rush out to one of those free-time activities.
その日、記者では私だけが遠征に帯同せず、スタインブレナー・フィールド(=タンパベイにあるヤンキースの春キャンプ地。ニューヨークではない) にいた。遠征に行かなかったあるプレーヤーについて記事を書いていたのだが、練習後に(フィールドを眺めわたせる高い場所にある)記者席に上がっていったときには、記事を書いていなかった。オフシーズンの自由な娯楽に飛びつかなかった唯一の人物を眺めることに夢中だったからだ。

For 45 minutes, Ichiro Suzuki stood at home plate, pantomimed his swing and then raced at pretty much full clip to each base. A single, back to home. A double, back to home. He finished the whole tour, and then did it again. And again.
45分間、イチローはホームプレートのところに立ち、スイングの真似をして、それからフルスピードでそれぞれの塁打を想定した走塁を練習していた。シングルヒット。ホームプレートに戻る。こんどは二塁打。ホームに戻る。というように。全パターンを練習し終えると、すべてをもう一度やる。それが終わると、また繰り返す。

This was 2014. Suzuki was 40, already a legend in Japan, already accomplished enough to be a Hall of Famer here. And he was sweating alone inside a rather empty stadium practicing, well, practicing what exactly? Hitting an inside-the-park homer?
これは2014年の出来事で、イチロー40歳。既に日本のレジェンドであり、MLBでも既に野球殿堂入りに十分な実績をうちたてている。それでも彼は、すっからかんのスタジアムで練習に汗を流していた。練習であるにしても、それは何のための練習? ランニングホームランを打つためか。

When I asked the next day, Suzuki mentioned the need to stay vigilant to game possibilities. He had quick-twitch athleticism and hand-eye coordination at the peak of humankind. But to those blessings he added precision and economy of movement through hundreds and thousands of hours of what I viewed that day from the Steinbrenner Field press box. He was a genius not squandering his skills - Mozart playing his piano alone.
翌日イチローに尋ねてみたら、「ゲームで起きるあらゆる可能性に備えておくため」だという。人類最高レベルの鋭敏な運動神経とハンド・アイ・コーディネーションを持つ彼だが、それでもなお、私がスタインブレナー・フィールドの記者席から見たように、何百、何千もの時間を費やして、天性の才能にさらに「正確な動作」や「無駄のない動作」を付け加えていくのである。彼は、技能を無駄に浪費しないという面においても、たぐいまれな才能を持っている。それは、モーツァルトがひとりでピアノ練習をするようなものだ。

Suzuki running the bases in his prime was breathtaking, more of an “I Dream of Jeanie” stunt - a magical blink transporting him from one base to wherever he would stop next - rather than something an actual person could do.
全盛期のイチローの走塁といえば、それはもう、驚異的なものだった。まるで、魔法使いが登場するテレビ番組『かわいい魔女ジニー』でも見ているかのように、まるで何か瞬時の魔法みたいなものが彼を次に止まりたいと思うベースまで運んでるんじゃないか、などと思わせるようなレベルで、現実の人間にできるレベルをはるかに凌駕していた。

Seeing him still honing finer points when he could have rested on greatness just elevated my appreciation for him. It was such an obvious love letter to the game and why I feel good for him now as he approaches milestones not as just as accumulator, but somehow as a top-flight hitter again.
既に偉大な足跡に安住することが可能な地位にある彼が、なおもプレーの細部に磨きをかけ続けているのを見ると、私のリスペクトはより高まる。それは彼の野球に対する変わらぬ愛情であり、また、私が彼の野球に好感をもつ理由でもある。彼は、単にエスタブリッシュメントとしてではなく、最高の打者たらんとする努力を続けながら、マイルストーン到達に向かって歩み続けているのである。

(2ブロック省略)

Which led Rose to tell USA Today Sports: “It sounds like in Japan, they’re trying to make me the Hit Queen. I’m not trying to take anything away from Ichiro, he’s had a Hall of Fame career, but the next thing you know, they’ll be counting his high-school hits.”
ピート・ローズがUSA Todayにこんなふうに語った。「日本では私を『ヒットの女王』(=2番手)にしようとしているらしいな。僕はなにもイチローの価値をおとしめようなんて思ってない。彼は殿堂入りするに足るキャリアの持ち主さ。でも、気づいたら彼らは、イチローの高校時代のヒットまで数えだす始末になりそうじゃないか。」

So, I want to state this: Rose was my favorite player growing up, making me the rare Reds fan in Brooklyn. Pretty much everything since has offered disappointment, including these words. Serious baseball people recognize the inferiority of the Japanese league, Rose didn’t need to put words to it. No one equates Suzuki’s hit totals with those of Rose, though as an aside I believe if Suzuki began his career here, he would have been a 4,000-hit man - the evidence being he hit as well in the US as in Japan, despite the rise of talent around him.
私はこのことを言っておきたいと思う。
ローズは、子供時代に私がブルックリンで数少ないレッズファンになったくらい、大好きな選手だった。だが、この発言も含め、とてもガッカリさせられてばかりだ。シリアスな野球関係者が日本のリーグが(MLBに比べて)劣っていることを認識しているにしても、ローズがそのことについて言及する必要などない。誰もイチローの日米通算ヒット数がローズと同等とまで考えないが、その一方で、もしイチローがアメリカでキャリアを始めていたなら、おそらくヒットを4000本以上打っただろうと確信してもいる。それが証拠に、イチローは(MLBに来て)彼をとりまく選手のレベルが上がったにもかかわらず、アメリカで日本と同じようにたくさんのヒットを打ったではないか。

Is Rose really upset that Japan is celebrating a native son? Through his suspension, Rose has cloaked himself in love of the game as a defense mechanism. So why soil a moment when a baseball-loving nation is fascinated by our national pastime?
ローズは本当に日本が日本出身の選手を祝福しようとしているのを、かき乱してやろうとしているのだろうか。永久追放になっている間、彼は保身のために野球を愛してやまない人間を装ってきたわけだが、ならばなぜ、野球を愛する国のひとつが我々の国民的娯楽に魅了されている瞬間にケチをつけようとするのだ。

Suzuki’s achievements do not diminish Rose; they remind us how great he was. I mean, 4,256 hits, freaking wow. They played the game differently - Rose with lunch-pail frenzy, Suzuki with Baryshnikov grace. But at their core their souls were filled with the game, with the willingness to invest thousands of lonely hours to seek perfection.
イチローの偉業でローズが矮小化されるようなことはなどない。むしろ、それはいかにローズが偉大だったのかを思い起こさせるものだろうに。4265本のヒット、「すげぇ」としか言いようがない。2人はプレースタイルが異なる。ローズを「熱血な肉体労働者」とするなら、イチローは「優雅なバリシニコフ」だ。だが両者の魂のコアは野球でいっぱいであり、完璧な自分を追い求める孤独な時間をすすんで積み重ねる情熱で満たされている。

Rose should be at the front of the line celebrating a kindred spirit who would practice hitting inside-the-park homers alone after a spring training workout.
ローズは、スプリングトレーニングの練習の後で、たったひとりランニング・ホームランを打つ練習をするような、自分と同じ場所に属す人物を祝う列の「先頭」にいるべきだ。


damejima at 22:15

June 24, 2014

いまでも、よせばいいのに初めて買ったフェンダーのピックを持っている。よくある、どこにでもある茶色のピックだ。

Fender Medium


ロックを知った子供にとっては、ギターでもベースでも、アンプでもいいが、「フェンダーを手に入れること」は憧れのひとつになるわけだが、すぐに手に入れられる金額でもない高価な楽器だけに、最初どうするかというと、「フェンダーのピック」を買ってお茶を濁すわけだ(笑)(それでもまぁ、本人は「ほぉ・・・これがフェンダーかぁ・・・」などと、しげしげとピックを眺めてしまうわけだが 笑)

そのうちプレーがだんだんうまくなってくる。
すると、たいていの場合、仲間の中に実際にフェンダーのギターなんかを買うヤツが出てくる。

すると、長い目でみると(ブログ主のまわりだけかもしれないが)どういうわけか不思議なことに、仲間うちで、誰よりも早くフェンダーの楽器を買ったヤツに限って、のちのち自主制作CDなんかを出したり、さらにはプロミュージシャンになったりするという現象が生まれてくる。

もちろん、フェンダーの楽器を買いさえすれば誰でもプロになれる、という意味ではない(笑)だが、それにしたって、誰よりも早くピックでなくフェンダーを実際に買うところまで行けた人間のほうが、それだけ「プロになる確率が高い」という側面がある。誰だって、ピカソになる前に、油絵の道具を買うべきなのだ。
たくさんの子供たちが音楽に手を出す。だが、ほとんどの子供はフェンダーを買うほど音楽にのめりこまないし、そこまでプレーも上手くならない。


こうした「フェンダーのピックを買う大勢の子供たちの中に、フェンダーのギターを買う子供が出現し、そうした子供の中からプロミュージシャンにまでなる若者がうまれる現象」があることを思うと、「フェンダー社がピックを売ること」は、高価な商品を販売するフェンダー社の長期的な販売戦略にとって、最大のプロモーション戦術のひとつになっているといえる。


これをベースボールで考えると、どの行為、どのプロモーションが、この「フェンダーのピックを買った子供たちの中から、のちのちプロが出現する現象」にあたるか。

やはり、つまるところ
球場で野球を見ること
これに尽きる気がする。

つまり、球場で実際の野球を見て衝撃を受けたり、興味をひかれた子供たちの中から、価格の高い本物の硬式野球のグローブを手に入れたいと思う子供が出てきて、その「本物のグローブ、本物のボールで練習した子供たち」の中から、「プロをめざす子供」が出てきて、さらに「プロになる子供」が出てくるという図式だ。
そして、この図式においてもフェンダーのギターと同じで、「他の子供より早く、ちゃんとした本物のグローブを使って練習した子供の中からこそ、プロになれる子供が出現する」という現象がある気がする。(実際MLBでも、メジャーリーガーの父親がプレーヤーとか大学のコーチだったり、野球の熱狂的なファンだったりすることは、よくある)


ベースボールカードを集めたり、パソコンやゲーム機で野球ゲームをやることもまったく否定しないし、たいへんいいことだとは思うが、やはり、球場でナマのゲームを見てもらうことの大事さは、野球というスポーツの発展を考えるとき、やはり他と比較にならないほど大事なことだと思う。

damejima at 10:29

June 14, 2014

ヤンキースがセーフコでゲームした木曜日、素晴らしい出来事があった。ひとりの野球ファンが長年の念願を果たしたのだ。
Lifelong M’s fan finally meets her hero (PHOTOS) | Q13 FOX News





Q13 FOXのライター、Lauren Padgett嬢が書いた心温まる記事によると、Joanna Hallさんは脳性まひと白内障をわずらっているようだ。


でも、そんなこと、断じて関係ない。

誰だって、自分が好きなプレーヤーに近くで会える日が来ることを祈っているものだし、まして、そのプレーヤーと握手できて、声までかけてもらって、さらにサインボールまでもらったら、有頂天になる。天にのぼるような気持ちになる。誰だって。
彼女がうれしいのは、そして、そんな幸せそうな彼女を見ていて微笑ましいのは、彼女が僕とまったく同じ、熱烈な野球ファンだからだ。ジョアンナがどういうシチュエーションにある人かなんて、関係ない。

おめでとう。
Joanna。

僕は心から、心から、あなたがうらやましいよ。

Needless to say, the surprise was a home run for Ichiro’s number one fan. by Lauren Padgett

Absolutely!

damejima at 11:13

March 24, 2014

キアヌ・リーヴスノートンのバイクの横にひとりで座っている写真を見ていて、2012年暮れに書いた記事に、いくつか書き漏らしたことがあることに気が付いた。
映画 『ドラゴンタトゥーの女』で、リスベット・サランデル (Lisbeth Salander)が乗り回しているバイクについて書いた記事である。
2012年12月21日、ニューヨークまみれのクリスマス・キャロル(2) NFLニューヨーク・ジャイアンツとティム・マーラとポロ・グラウンズ | Damejima's HARDBALL


キアヌはノートンを、手を加えないオリジナルのまま乗っているわけだが、よく知られているように、ノートンやトライアンフといった「英国メーカーの2ストロークの単気筒バイク」は、よくカフェレーサーのカスタマイズベースになる。
もともとカフェレーサー自体が、1960年代にロンドン北西部のAce Cafeという名前のロードサイドレストランで生まれたスタイルが元祖なわけだから、「英国製バイクであるノートンやトライアンフをベースにカフェレーサーを作る行為」は、カフェレーサー発祥の地イギリスの伝統的スタイルを忠実に再現しているという意味では、首尾一貫しているという意味に、とりあえずはなる。

Ace Cafe ロゴ
Ace Cafe
Ace Cafe in London

バイクをカフェレーサーに改造する場合、「ハンドル位置を低くできるハンドルバー」が採用されるわけだが、そうしたハンドルには、clip-onsと呼ばれる「セパレートタイプ」と、ace bars、あるいはclubmansと呼ばれる「ワンピースタイプ」がある。

clip-onsclip-ons
左右セパレートのハンドルがそれぞれ独立して前輪フォークに固定される。ハンドルが1本の棒として作られるone-pieceとは、構造自体がまったく異なっている。

ace barsace bars
clip-onsと違い、バーは1本。バーエンドをカットすることでclip-ons風になる。スイッチ類の移動の必要がなく、バーエンドミラーも取り付けられるのが利点。



さて、『ドラゴンタトゥーの女』でリサベット・サランデルが乗っているカフェレーサーだが、このバイクにつけられたハンドルを、「セパハン」(=セパレート・ハンドルの意味)、つまり、英語でいう "clip-ons" と決めつけて記事を書いているブログをやたら多くみかける。

だが、下の写真で明らかなように、このバイクのハンドルはセパレートのclip-onsではない。ワンピースのace barsだ。

カフェレーサーのハンドルはどれもこれも clip-ons と思い込んでいる人が多いのかもしれないが、歴史的にレストランの店名である Ace Cafe が「カフェレーサー」 というジャンル名や、パーツである「ace bars」のネーミングの由来なのだから、あらゆるカフェレーサーのハンドルがclip-onsなわけがない。

映画『ドラゴンタトゥーの女』の中でも、バイクに乗ったリサベット・サランデルがバーエンドに取り付けたバックミラーを見るシーンが何度もあったと記憶しているが、それは、「このバイクのハンドルバーが、バーエンドミラーをつけることができるace barsが装着されている」からこそ、わざわざ意味ありげにミラーを見るシーンが何度も挿入されているのである。(そういう意味でいえば、デビッド・フィンチャーはかなりのバイク好き監督なのかもしれない)

Motorcycle in



次に、このバイクのタイヤを見てもらいたい。

映画を見ても気づかない人が大半かもしれないが、このバイクは、「オンロード」を走るカフェレーサーであるにもかかわらず、「オフロード」用のブロックタイヤを履いている。

今の価値基準(というか、カフェレーサーに改造するなら英国製バイクをベースにしていなければダメだという硬直した考え)からすれば、カフェレーサーはスリック系タイヤを履きそうなものだが、このカフェレーサーはなぜ「ブロックタイヤ」なのか。

Motorcycle in

その理由は、おそらくこのバイクのカスタマイズのベースになったバイクが、Hondaの有名なCBシリーズのscrambler(スクランブラー)タイプである「CLシリーズ」(日本未発売)だからだろう。
(「このバイクのベースはCB」と書いているブログをたまに見ることがあるが、以下に書いた理由から、ブログ主は、このバイクのベースはCBではなく、CLで間違いないと確信している)

 The Scramblerと呼ばれたHonda CL-350のカタログ


scramblerといえば、最も初期のオフロードレース用のバイクを指す。(scrambleという単語は、この場合「オフロードレースで横一線に並んでスタートする方式」のことをさす)

上の写真を見てもらってもわかる通り、CL 350というバイクの形状は、今の時代のバイクの価値基準から考えるなら、とてもとてもモトクロスに使われるバイクとは思えない。

だが、初期のオフロードレースでは、オンロード・オフロードの区別は現在のように明確だったわけではなかった。そのため、かつては、今の価値基準からするとオンロード用のレーサーにしかみえないスタイリングのバイクが、オフロード用に改造されることがあった。
だからメーカー側でも、「scrambler」というカテゴリーを設け、「オン・オフ兼用」というような摩訶不思議なカテゴリーのバイクを開発・発売していた時代があったのだ。

つまり「scrambler」は、「タイヤを、不整地を走るのに向いたブロックタイヤにはき替えるなど、オフロード用に改造されることも想定に入れて開発された、デュアルパーパスなオンロードバイク」なのである。


『ドラゴンタトゥーの女』の撮影用にバイクをカスタマイズしたのは、ロサンゼルスのファクトリー、Glory Motor Worksだが、彼らがやった仕事というのは、単に見た目のカッコよさを追及する行為ではない。
ベースにしたCLシリーズという独特なバイクだけがもつ「scramblerという歴史」に深い敬意を払っているからこそ、彼らは、カフェレーサーでありながらも、あえてスリックタイヤではなく、ブロックタイヤを選んだのだろう。


このバイクの乗り手「リスベット・サランデル」という女は、けして「ワイルド」なだけではなくて、映画のエンディングで男へのプレゼントを用意して待っていたように、「古風」な部分を心の奥底に大事に隠し持っている。
そのことを考えあわせると、彼女のような現代的なハッカー技術を持ちながら、同時に古風な趣味も理解する個性的な女なら、スマートなスリックタイヤを履いただけの「ある意味、個性に欠けた、どこにでもあるカフェレーサー」に乗るではなく、人が忘れかけたオールドバイクを自分なりのスタイルにカスタマイズし、ゴツゴツとワイルドなブロックタイヤを履いた「他にちょっと類をみない、個性的な美をもったカフェレーサー」を乗りこなすだろう。Glory Motor Worksのオヤジさんたちが考えたのは、そういうことだった。

Rooney Mara as Lisbeth Salander

蛇足としてもうひとつだけ、つけ加えると、カフェレーサーのベースとして、よくある英国製のノートンやトライアンフではなく、Hondaを選んだことや、カフェレーサーにありがちな「2ストロークの単気筒バイク」ではなく、「4ストロークのバイク」を選んだことも、ちゃんと映画製作上の理由があってのことだと思う。

というのは、この『ドラゴンタトゥーの女』という映画自体が、もともと2009年に公開されたスウェーデン版 『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』をハリウッドでリメイクした作品だからだ。
もし、ハリウッド版 『ドラゴンタトゥーの女』が、このバイクのベースにノートンやトライアンフを採用したなら、映画の骨格が「ヨーロッパ的テイスト」に傾きすぎる。それでは、わざわざハリウッド版を作る意味がないし、オリジナリティが出せない。

だからこそ、Glory Motor WorksのJustin Kellは、カフェレーサーの定番であるノートンやトライアンフをあえて避け、ハリウッド映画としてのアメリカン・テイストを多少なりとも漂わせておくことができるHondaを、あえて選んだのではないか、と思うのだ。


あえて、ちょっとだけ、定型から外す」とか、「わざと、ちょっとだけズラしておく」といった行為は、日本の伝統文化が得意としてきた高度な「さじ加減」の手法のひとつだが、アメリカ映画におけるこういう「意図的なヨーロッパ文化の崩し的な手法」の見事さは敬服に値する。(ベースボールも、初期はクリケットの「くずし」ではあったのだろうし)

damejima at 03:22

February 09, 2014

Shogo Kubo
(キャプション)ボードの裏側にクロスする形で書かれた "Dog Town" という文字が見える。1967年に閉園したサンタモニカのPacific Ocean Parkを、ローカルの人たちは "Dog Town" と呼び、Z-Boysのメンバーたちの遊び場のひとつだった。

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実をいうと、この写真、いつも見ているのである(笑)
たぶん見ない週はないと思う。

そして、見るたびに毎回毎回
「カッコいい・・・・!!」と、
脳がため息をつく。何度見ても、色褪せたことがない。

しかも何度見ても、見るたびに、スケートボードのタイヤがプールの壁を駆け上がっていくときのベアリングの軋む音すら「聞こえる」のである。

写真を見ることは、趣味のひとつといっていいくらい好きだ。だが、見るたびに毎回カッコいいと思える写真なんて、多くない。古いボールパークの写真もよく見ているが、だからといって、カッコいいという感情だけで見ているわけではない。資料として見ている部分もある。
ところがこの写真は、見るたびに、ただひたすらカッコいいとしか思えないで眺めているのである。

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被写体は、Shogo Kubo(=久保祥吾さん)という方だ。
1975年にカリフォルニアでできた伝説のスケートボードチーム、Z-Boysのオリジナルメンバーで、スケートボード・レジェンドのひとりだ。
Z-Boys - Wikipedia, the free encyclopedia

Z-boysにおけるShogo KuboのキャラクターZ-Boysのメンバーには「それぞれのロゴマーク」があり、これはShogo Kuboさんを表すロゴ

Z-Boysがどういう存在だったかについては、門外漢が言うウロ覚えの間違った話を聞くより、ネットでカッコいい写真を漁ってもらうなり、Z-BoysのメンバーStacy Peraltaが作った映画 "Lords of Dogtown" でも見てもらうなりして調べてもらったほうがいい。

ひとつだけ言えることは、スケートボーダーやサーファー、スノーボーダーをはじめとする「横乗り系スポーツのライダー」に、「翼」を与え、空中を飛べるきっかけのひとつを作ったのが、Z-Boysだということだ。
(もっと具体的にいうなら、彼らが空いている家庭用のプールの滑らかなフェイスを利用してスケーティングするテクニックを開拓したことで、横乗りスポーツのスピード感やトリックの可能性が急激に拡大された。それまでのスケートボーディングはスローに行うフィギュアスケートのようなものだった)

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ただ、あらかじめ断っておきたい。
Z-Boysのスケーティングのスピード感は、「写真」から想像するのと、「動画」で見るのとで、まったく違う。というのは、当時のスケートボーダーの実際の速度は、「写真から想像するイメージ」よりも、「ずっと遅い」からだ。

しかし、写真で切り取ったスピードが動画よりはるかにスピーディーに見えるという事実こそが、むしろZ-Boysのスケーティングの「クリエイティビティ」を如実に表現してくれているといえる。

なぜなら、Z-Boysが表現したのは可能性という意味の「刹那」だからだ。

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仮に速度というものに、「静止画的スピード」と「動画的スピード」があるとする。

「動画的スピード」というものは、テクノロジーの発達によって、ほかっておいてもどんどん「速く」なっていく。例えば、自動車の最高速度というものは、テクノロジーの発達によって年々早くなっていく。
では、速度の向上によって、よりクルマが静止画で見ても速く見えるようにはなっていくかというと、そうはならない。
むしろ、今のクルマは、昔のクルマより物理的な速度では速く走れるが、それと静止画で見ると、速くなったように見えないどころか、まるで止まっているかのように見えることすらある。

瞬間瞬間でみると、かえって最高速度が今よりずっと遅かった時代の流線型のクルマが全力疾走する姿のほうが、速く見える。

「静止画的スピード」が、「動画的スピード」(別の言い方をするなら「物理的な速度」)を凌駕し、はるかに「速く見える」ことは、人間の歴史において往々にしてあるのである。

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なぜ、「静止画的スピード」が、「動画的スピード」を凌駕することがあるのか。Z-Boysの例でちょっと考えてみた。

Z-Boysを撮った写真に写っているのは、「スピード」だけでない。
単なるスポーツ写真を越えた、「彼らの日常のライフスタイルの『自由さ』」、「彼らに聞こえているはずの『音』」、「彼らが仲間に向ける『スマイル』」がそこにはあって、静止画だというのに見る者の文字通り五感にありありと訴えてくる。(例えば以下に挙げたリンク先の写真。どれもこれも素晴らしい)
THE UNLOCKING OF AMERICA’S CEMENT PLAYGROUND | DOGTOWN & Z-BOYS | Bar Hopper Challenge.com

つまり、Z-Boysのスケーターたちを撮った静止画には、彼らが表現しようとしている「刹那」が写っているのだ。そして、その「刹那」には、ものすごく多彩な「未来で花開く可能性」が詰め込まれている。それが見る人にハッキリ伝わってくる。(実際、当時の彼らがプールでのスケーティングで産みだした技術のほとんどは、現在のスケートボード、サーフィン、スノーボードをはじめとする「横乗り系スポーツ」に継承されて、さらなる発展が続けられている)

つまり、手作りコンピューターをガレージで発売した若き時代のスティーブ・ジョブズに見えていた「ビジョン」が未来の可能性に溢れていたのと同じように、当時のZ-Boysに見えていた「ビジョン」には「未来で花開く多彩な可能性」がひそんでいた、ということだ。
そうした「ビジョン」が、人間の目に「静止画のスピード感」として映るのではないか。
(こうした「ビジョン」は、必ずしも「動画的スピード」では判別できない。例えば、ジョブズの発売した初期のパソコンは「経済性という視点だけからしかみない人」には、幼稚すぎるガラクタにしかみえなかった)

Z-Boysのみせてくれた「新しいビジョン」は、「人間に翼を与える行為」だったといっていいと思う。

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Ayumu Hirano
Ayumu Hirano

これらは、ソチ五輪でスノーボード・ハーフパイプに出場し、有力なメダル候補になっている若き天才平野歩夢君の写真だ。
引用しておいて言うのもなんだが、残念なことに、ここに挙げた2枚の写真も含めて、ネットに流通している写真のほとんど全部が、彼の「スケール感」、彼の「スピード感」をまるで表現しきれていない。平野君のプレーを一度でも見たことがある人は理解できると思うが、彼の「キレ」はこんなもんじゃない。

最初に引用したShogo Kuboの写真と見比べてみてもらいたい。明らかに40年前のShogo Kuboの写真のほうが、はるかに「スピード感」に溢れている。


なぜこんなことが起きるのだろう。
可能性はいくつかある。

1)平野君の「現在」にはまだ、この記事で説明してきた「静止画的スピードによってしか表現できない、未来ビジョン」が欠けている。

2)フォトグラファー側に、平野君の凄さを静止画で表現しきるために必要な、新しい技術、新しいテクノロジーがまったく備わっていない。

3)スノーボードがうまくないフォトグラファーが撮っている

4)平野君は、とうとう出現した「動画的スピード感でしか表現できないアスリート」である。

選択肢の1番が「わざと挙げたもの」であることは、もうおわかりだろう。ブログ主としては、2番から4番を、「平野君を撮った写真にロクなのがない理由」として挙げておきたい。


ならば、かつてZ-Boysを撮った人が、なぜあんな素晴らしい写真を撮れたのか。それについては自分なりに把握している。

それは、撮影者が、普段からZ-BoysでShogo Kuboと一緒に遊んでいる誰かであり、一緒に遊び、同じ時代を生きていた仲間が撮ったから撮れたのだと思う。
仲間は、例えばShogoがプールのどこで、どういうトリックを見せ、どこで最もカッコいいと感じるかを、同時に感じとることができる。そうした「ビジョンの共有」が存在しなければ、「決定的な刹那」にシャッターを切ることなんてできない。

少なくとも、今まで平野君を撮ってきた人たちはまだ、「平野君が感じているビジョン」をきちんと共有できていないと思う。




damejima at 17:38

July 02, 2013

Steinway & Sons

1853年にマンハッタンで産声を上げたスタインウェイ社を傘下にもつSteinway Musical Instrumentsが投資ファンドに身売りすることになったと聞いて、すぐ聴きたくなったのは、エリス・マルサリスのソロだ。
だが困ったことに、一度聴きたいと思いだすと、なにがなんでも聴きたくもなるにもかかわらず、どうしたものか、あったはずのディスクがどうしても見つからない。しかたないから、頭の中に残っている彼の音を思い出しながら書く。

Ellis MarsalisEllis Marsalis
1934年
ニューオーリンズ生まれ

聴きたかったアルバムはたぶんSolo Piano Reflectionsというアルバムだと思うが、なぜまたスタインウェイの身売りのニュースを聞いて彼の音を思い浮かべたかというと、たぶん理由はエリス・マルサリス独特の「音質」にある。

太く乾いた、
それでいて優しい、
明晰な「低音」。


他の人はどうかわからないが、ブログ主にとってスタインウェイのピアノの音質イメージは、エリス・マルサリスのような「太く乾いた、それでいて優しい、クリアな低音」なのだ。

演奏中のエリス・マルサリススタインウェイを演奏中のエリス・マルサリス。


他のピアニストで、「エリス・マルサリスと同じ系統の音だ」と感じるのが誰のどの音か、ちょっと思い出してみると、グレン・グールドのシェーンベルク、セロニアス・モンクのソロアルバム "Solo 1954" (=いわゆる『ソロ・オン・ヴォーグ』)、あるいは、ニーナ・シモンのNina Simone in Piano! など。
(ピアニスト以外のジャンルでは、ジョニー・キャッシュの歌声や、レイナード・スキナードの "Sweet Home Alabama" のイントロのギターの低音弦のリフにも、同じような「太く乾いた感じ」がある)


スピーカーでも、ロジャースのように薄くできた外箱(エンクロージャー)自体が音楽に共振して鳴ることで良い音が出るように設計されているタイプもあれば、エンクロージャーを堅牢に作って、箱鳴りをむしろ期待しない設計のものもある。
現代のピアノの祖先にあたるチェンバロのような楽器の構造は前者と同じで、楽器自体が鳴り響くために耳ざわりなほどの華やかな音が出るが、スタインウェイはどちらかといえば後者の発想でできているため、コンサートホールのような広大な空間でもくっきりと聞き取れる明晰な音が出せるらしい。
だから、同じバッハの曲でも、バッハ自身が中世の宮廷でチェンバロで弾いたのと、グレン・グールドがカーネギーホールでスタインウェイを、それもテンポも変えて弾くのとでは、別の曲に聞こえてしまうほど違う音が鳴るわけだ。


スタインウェイの製造は、ニューヨークとドイツのハンブルクで行われているが、それぞれに構造も違っているらしい。グールドが好んで弾いたのはニューヨーク・スタインウェイだ。(晩年にはヤマハも弾いた)
グールドはトロント生まれのカナダ人、モンクはノースカロライナ州生まれだが、2人ともスタインウェイのあるニューヨークと縁が深いピアニストだ。

グールドが、レコーディングに関する終身契約をしたのは、1955年1月11日のニューヨーク公演をディレクターが聴いたからだし、若いグールドの才能を認めたバーンスタインが彼を急遽フィーチャーして演奏させたのは、カーネギーホールのニューヨーク・フィルだった。
セロニアス・モンクも、生まれこそニーナ・シモンと同じノースカロライナだが、6歳くらいで家族とともにニューヨークに移住しており、亡くなった後でニューヨークのFerncliff Cemeteryという墓地に埋葬されているくらいだから、ニューヨーク育ちといっていい。キャリア初期に仕事にありついたジャズクラブも、ニューヨークのMinton'sだったりする。

ちなみに、Ferncliff Cemeteryには、Over the Rainbowのハロルド・アーレンやSmoke Gets in Your Eyesを書いたジェローム・カーン(2人ともニューヨーク生まれ)、バルトークなどの音楽家のほか、ジェームズ・ボールドウィンコーネル・ウールリッチなどの作家、ネルソン・ロックフェラー、ジョセフィン・ベイカーの入店を拒否した1951年の『ストーク・クラブ事件』で有名なナイトクラブオーナー、シャーマン・ビリングスリー、数えきれない俳優女優、たくさんの有名人が眠っている。

ちなみに、この2人のピアニストが亡くなったのは、グールドが1982年10月4日で脳卒中(50歳)、モンクが1982年2月17日で脳梗塞(64歳)だ。つまり2人の不世出のピアニストが奇しくも、同じ年に同じ脳の病で亡くなっている。


思い付くまま書いてみたが、自分が「『アメリカらしさ』を感じる音」のある部分が、実は「スタインウェイ独特の明晰さで作られた音」であることがわかって、ちょっと面白い。


追記:



damejima at 15:13

May 30, 2013

ポール・サイモンの歌をスタジアムで聴くリベラとジーター(1999)

これは1999年4月ジョー・ディマジオ・トリビュート・デイのためにヤンキースタジアムに来たポール・サイモンが、ギター1本で『ミセス・ロビンソン』を呟くように歌いかけ、フィールドを埋め尽くした大観客を魅了する魔法のような瞬間を、「指をくわえるように」じっと見つめる「若き日のマリアーノ・リベラと、デレク・ジーター」だ。

熱心なヤンキースファンでもあるポール・サイモンがスタジアムで『ミセス・ロビンソン』を歌った1999年は、リベラとジーターを含むコア・フォーと呼ばれた若い才能の登場でヤンキースが10数年ぶりに強さを取り戻した「幸福な時代」にあたっている。


Where have you gone, Joe DiMaggio?
Our nation turns its lonely eyes to you, woo woo woo
What's that you say, Mrs. Robinson?
Joltin' Joe has left and gone away, hey hey hey
Hey hey hey


マリアーノ・リベラの初登板は、まだバック・ショーウォルターがヤンキース監督だった時代の1995年5月23日エンゼルス戦だが、当時のリベラはまだ、これといってハッキリした特色の無い、どこにでもいる若い先発候補生でしかない。彼がクローザーになったのは、監督がジョー・トーリに交代した96年の翌年、1997年だ。

ヤンキース、というと、この100年間ずっと、ホームランを大量生産し続け、ずっとポストシーズンに進出し続けて、ワールドシリーズを100回くらい勝っているかのように勘違いしたままの人も多いわけだが(笑)、このチームが「ポストシーズンの常連」の位置に返り咲いたのは、91年デビューのバーニー・ウィリアムスが本格化し、生え抜きのリベラ、ジーター、ペティット、ポサダが一斉にデビューした「1995年以降」のことで、「1982年〜1994年のヤンキース」は、10数年もの間ポストシーズンに縁がないという、まるで近年強くなる前までのまるで不甲斐ないボルチモアに似た立ち位置のチームでしかなかった。

ショーウォルターの若手育成手腕を評価する人が多いのは、90年代後期のヤンキースもそうであるように、「ショーウォルターが監督をやった時期に育てられた生え抜きの若手」がその後チームを強くした例が、ヤンキースやテキサス、ボルチモアなど、いくつもあるからであり、今のショーウォルター率いるボルチモアの強さには、「90年代中期のヤンキース復活劇」に多少似た部分がある。


クローザーとしてのリベラの初登板となったのは、アンディ・ペティット先発の1997年4月2日シアトル戦だが(アレックス・ロドリゲスにツーベースを打たれている)、16対2とヤンクスの一方的な勝ちゲームだったために、セーブはつかなかった。

その後リベラは、新米クローザーとして、6度もらったセーブ機会のうち3度も失敗している。
4月8日ビジターのアナハイム戦では、9-8と1点リードの9回裏に同点タイムリーを打たれ、その後チームは延長で敗れた。4月11日オークランド戦では、1-0と1点リードした9回表、マーク・マクガイアに同点ホームランを打たれてしまい、これも延長で負け。さらに4月15日のホームのアナハイム戦では、5-4と1点リードで迎えた9回表に逆転2点タイムリーを浴び、負け投手になってしまっている。(アナハイム8回のセットアッパーは長谷川滋利)



先日、サイモン&ガーファンクルの "America" という曲の新たな歌詞解釈にトライしたばかりだが (Damejima's HARDBALL:「1958年の西海岸」 特別な年、特別な場所。参照)、今日のサブウェイ・シリーズ第3戦で、奇しくもポール・サイモンがヤンキースタジアムにやってきて、前ニューヨーク市長ルドルフ・ジュリアーニや、『サタデー・ナイト・ライブ』で知られる有名テレビ・プロデューサー、ローン・マイケルズと一緒にゲームを観戦していた。(観戦だけで歌は歌っていない)


東海岸生まれの若いサイモン&ガーファンクルが映画『卒業』のサウンドトラックとして "Bookend" をリリースしたのは、1968年だ。それから押しも押されぬ大スターになったポール・サイモンは、 "Bookend" から約30年もたった1999年に、ヤンキースタジアムでニューヨークを象徴するレジェンドのひとりとして、 "Mrs. Robinson" を歌った。
当時それをダグアウトで聴いていた若いリベラやジーターは、10数シーズンの活躍を経て、自分自身もニューヨークのレジェンドに加わり、さらにMLBを『卒業』して殿堂入りする日も近づいている。


ヤンキースは1995年から2000年までの6シーズンで3連覇を含んで4度ワールドシリーズに勝っているが、リベラやジーター、バーニーなどがかつて築いた「90年代後半の強いヤンキース」は、2000年代中期のステロイドまみれのヤンキースと、けしてイコールではない。

リベラやジーターは、「2000年代ドーピング・ヤンキース」を支えた選手たちよりも先にデビューして「90年代後期の黄金時代」を築いたが、彼らは「2000年代ドーピング・ヤンキース」の選手たちが副作用にありがちな故障などで引退や移籍に追い込まれていったのよりも長く選手生活を続けてきた。
今シーズンを戦っているヤンキースのダグアウトに、かつてのステロイドまみれ時代の選手たちの大半は消え失せて、影も形もないし、また、そうした選手の誰ひとりとして野球殿堂入りを果たす気配などない。
いいかえると、「2000年代のドーピング・ヤンキース」は、90年代後半にリベラやジーターが作った「ヤンキースの強さのベース」の上に、単にのっかっていただけに過ぎないのである。


今日ポール・サイモンが観た「ヤンキース」は、90年代後半以降ヤンキースを長年プッシュアップしてきたリベラ、ジーターなどがチームを去る日をカウントダウンしつつある「過渡期のヤンキース」だ。サッカーにも手を出す、なんて言い出したヤンキースが、近い将来大きく形を変えることになるのは間違いない。


5月24日の記事で「今のヤンキースは攻守のバランスで首位を保っているチーム」と書いたように、過渡期には過渡期の野球スタイルというものがある。
Damejima's HARDBALL:2013年5月24日、「ボールを振らず、かつ、ストライクだけ振れるチーム」など、どこにも「存在しない」。ボールを振るチームはストライクも振り、ボールを振らないチームは、ストライクも振らない。ただそれだけの話。
「過渡期のスタイル」は、90年代後期の「若い才能に恵まれたヤンキース」ではもちろんないし、かといって、2000年代中期の「ドーピングでパワーを人工的に増幅させたヤンキース」でもない。


とはいえ、アイデンティティのハッキリしないものを維持し続けながら次のスタイルを模索することは、けして容易な仕事ではない。

「過渡期にあるヤンキース」が、オーナー、監督、メディア、ポール・サイモン、イチロー、ジーター、リベラ、ヴェテラン、新人、ファン、ありとあらゆる立場の人それぞれにとって、「アイデンティティを非常に見つけにくい状態にある」のは間違いない。(そして、「アイデンティティが定まらない状態に全員が置かれて、もやもやしている」という状態は、「確固としたアイデンティティ同士がぶつかりあう競争社会である」ということと、意味は同じではないことは、言うまでもない)


ジョー・ジラルディはたぶん「チームのアイデンティティ」を、毎日探して、毎日作っては、毎日壊れて、そして、毎朝つくりなおしていることだろう。

ほんと、同情を禁じ得ない。

damejima at 15:31

March 17, 2013

カリブ海ベースボール文化圏

日本以外の2013WBCの4強は、ドミニカプエルトリコ、カリブ海に浮かぶキュラソー出身者を中心に構成されるオランダと、実質的にカリブの国々が占めたおかげで、日頃は日本のプロ野球しか見ない方々の間に、カリブ海沿岸国のプレーヤーたちが、いかに今のMLBで重要な位置を占めているかについて、知れ渡ったのではないかと思う。


こういう状況を説明するとき、中南米諸国出身者を指して、「ヒスパニック」「ラテン系」という言葉がよく使われるわけだが、ほかに「カリビアン」という、音楽的な響きに溢れた言葉があるのに、あまり使われないのは残念だ。


現在MLBでは、アフリカ系アメリカ人プレーヤーが減少傾向にある。
原因としてよく言われるのは、「MLBへの人材供給源であるアメリカのカレッジベースボールにおけるスカラシップ(=奨学金)支給額が、あまりに少なすぎるために、身体能力の高いアフリカ系アメリカ人プレーヤーがバスケットやフットボールなど、スカラシップの多い競技に流れてしまっている」という経済的な観点の説明だ。
だが、これまで「父親とベースボール」シリーズを含め、いくつかの記事で20世紀のアメリカ社会の変遷を描いてきた記事でわかるように、コミュニティ崩壊や南部回帰など、アフリカ系アメリカ人社会の変化は、金銭的な理由だけでは説明できない。大学スポーツにだけ起きている変化なら奨学金で説明がつくが、変化ははるかに広範囲に起きている。
Damejima's HARDBALL:「父親とベースボール」 MLBの人種構成の変化
こうしたMLBを取り巻く変化は、もちろん2013WBCの結果にも少なからず反映されており、残念ながらその影響はWBCアメリカ代表の相対的な弱体化傾向にも繋がっているといわざるをえない。


アフリカ系アメリカ人選手が減少する一方、増加の一途をたどってきたのは、ドミニカベネズエラ出身の選手たちだ。彼らは数だけでなく、質の高さにおいても群を抜きつつあり、メジャーリーガーを構成する人種地図は確実に塗り替えられつつある。
背景には、目先のきくMLBチームがアメリカ以外の国に育成組織を置き、現地での選手の発掘・育成を行いつつ、有望選手と安価にマイナー契約を結んで、メジャーで通用する人材を育て上げるといった、選手育成手法の変化がある。
例えば2013年MLBドラフトでは1位指名が高校生に集中し、大学生の指名が少なかったが、その理由は、単に今シーズン大学に有望選手数が少なかったということではなくて、おそらくアメリカ国内の大学卒業選手に対するメジャー側の期待度が年々下がっているということがあると、個人的には思っている。


ポジション別にいうと、かつてはカリビアンのメジャーリーガーというと、キャッチャー、ショート、パワー系ヒッターなどが伝統的に多く、逆に、投手は少ない、などと言われてきたものだが、今は違う。先発から、セットアッパー、リーグを代表するクローザーに至るまで、投手部門でも優秀な選手が出ている。
とりわけ、MLBで人材不足が著しいクローザーは、いまやカリビアンだらけである。
フェルナンド・ロドニー、ホセ・バルベルデ、カルロス・マーモル、ラファエル・ソリアーノ(以上ドミニカ)、フランシスコ・ロドリゲス、ラファエル・ベタンコート(以上ベネズエラ)、ホアキム・ソリア、アルフレッド・アセベス(以上メキシコ)、マリアーノ・リベラ(パナマ)、アロルディス・チャップマン(キューバ)、エルネスト・フリエリ(コロンビア)etc.
カリビアン系のクローザーはいまや、MLBに不可欠なのだ。(ちなみに2012ワールドシリーズを制したサンフランシスコのクローザー、セルジオ・ロモにしても、メキシコ移民二世)
Damejima's HARDBALL:2012年11月10日 2012オクトーバー・ブック 投げたい球を投げて決勝タイムリーを打たれたフィル・コーク、三冠王の裏をかく配球で見事に見逃し三振にしとめたセルジオ・ロモ。配球に滲むスカウティングの差。


ウィンターリーグは、カリブのドミニカ、ベネズエラ、プエルトリコ、メキシコ、パナマ、5か国のプロの野球組織の総称で、パナマを除く4か国の優勝チームはカリビアンシリーズに出場し、カリブ海ナンバーワンを決定する。
Caribbean Series - Wikipedia, the free encyclopedia

Winter Leagues: Caribbean Series | MLB.com: Events


延長18回に及んだ2013カリビアンシリーズ・ファイナルを制したのは、18回表に元メジャーリーガーのDoug Clarkのソロホームランで挙げた虎の子の1点を守り抜いて強豪ドミニカを破ったメキシコのヤキス・デ・オブレゴン(2度目の優勝)だ。

2013WBC本戦が始まるにあたって、日本のマスメディアでは誰もカリビアン・シリーズのことなど報道しようとしないものだから、カリビアン・ベースボールの情報に疎い野球ファンにしてみれば、1st Roundでアメリカを苦しめたメキシコの健闘ぶりが、まるでトーナメントにありがちな「マグレ」のように思われていたかもしれない。
だが、よくよく情報が与えられていれば、今年のカリビアン・シリーズでメキシコが、いまやMLBの寵児となっているドミニカとすら対等に近いところまで渡り合ったことがわかり、2013WBC本戦で強豪と対戦しても、好勝負になるだろうということ、ベネズエラあたりが相手なら軽く一蹴してしまいかねないことは、想像がついたはずだ。
2013 Caribbean Series - Wikipedia, the free encyclopedia

MLB.com At Bat | MLB.com: Gameday



これはアメリカのコロラド州に住んでいるとプロフィールに書かれている野球ファン(彼がカリビアンかどうかまではわからない)が、テレビ画面を家庭用ビデオで撮影してYoutubeにアップしてくれている2013年カリビアンシリーズのファイナルの様子だ。
動画の9分30秒過ぎ、試合が決まった瞬間に、興奮した観客が怒涛のごとくグラウンドになだれこんで、ルチャ・リブレよろしく飛び跳ねながら選手と抱き合ってソンブレロの乱れ飛ぶリアル過ぎる姿(笑)が映っている。
そりゃ、WBCもなにも、2月初旬に終わるカリビアンシリーズで既にこれだけの熱い戦いをしておいて、それからWBC本戦に来てるんだから、カリビアンが4強に残るのはしょうがないわけだ(苦笑)

もちろん映像としての完成度は低いし、お洒落でもない。
だが、そんなどうでもいい細かいことよりも、むしろ、日頃は日本国内野球だけを楽しんでいる人に確かめてもらえればと思うのは、地球上には、真冬の日本のちょうど裏側で、スペイン語放送(この場合はESPN)で、メキシコ対ドミニカなんていう組み合わせのゲームを見て、スペイン語で興奮している熱い人たちが、こんなにもたくさんいるという事実だ。

テレビ画面を映しただけの粗い映像ではあるが、かえって、わからない言葉で興奮している人たちを眺めることで、「同じベースボールといっても、言語が違うだけで、こんなにも響きやリズムが違うもんなんだな・・・。同じスポーツか?(笑)」と、「強い酒を飲みながら、ちょっと蒸し暑い音楽を聞くみたいな感覚」が伝わってくるのが、なんともたまらなくいい、と思うのだが、どうだろう(笑)


それこそ東京スタジアムではないが、大昔の映像を見ると、昔の日本野球でも、チームの優勝が決まった瞬間に観客がグラウンドになだれこむ、なんてシーンがあった。
もちろん、もし今のMLBでそんなことがあったら、安全面で非常に問題だし、運営管理上のありえない大失態なわけだが、逆にいうと、こうした昭和っぽい出来事が今でも現実に行われている「カリビアン・ベースボール」が今、いかに「熱い音色で鳴っているか」、とてもよくわかる映像だと思うのだ。



damejima at 11:43

February 17, 2013

元サンフランシスコ・ジャイアンツのピーター・マゴワンが自費でパシフィックベルパークを建設したことをほめちぎるのは間違いだ、という話に関連して、近年建設されたMLBのボールパークの建設費において、Public Finacing、いわゆる公費の負担割合を、簡単に調べることのできた9つのボールパークについて、とりあえずリストにしてみた。
9つのうち7つのボールパークでは、建設費の約70%以上が公費負担でまかなわれている
資料例:http://www.ballparks.com/(この記事の最下段に資料詳細へのリンク

この「70%」という数字、思ったよりずっと低い
というのは、後でもうちょっと詳しく書くが、日米にかぎらず、ことプロのベースボールに関しては「スタジアム建設の公費負担率」はもっとずっと高くていい、と考えるからだ。他のビジネスモデルが実は脆弱なプロスポーツはいざ知らず、野球というのは「『年間の施設使用日数が桁外れに多い』という意味で、他に類を見ないプロスポーツ」なのだから、なんならボールパークの建設費は、100%近い公費負担でも、自然だ、と思う。

Turner Field 100%だ
U.S. Cellular Field 100%
Great American Ball Park 86%
Coors Field 78%
Rangers Ballpark in Arlington 71%
Chase Field 68%
Minute Maid Park 68%
Progressive Field 48%
Comerica Park 38%

引用元:ballparks.comによるMLB30球団のボールパーク建設費の内訳
アメリカンリーグ
American League ballparks
ナショナルリーグ
National League ballparks

上のリストを作るための資料を検索していて、ちょっと面白い資料を見つけた。ミルトン・フリードマンの母校でもあるニュージャージー州のラトガース大学Judith Longによる研究だそうだ。(Long氏は現在はハーバードの大学院のひとつ、デザインスクール在籍らしい)

Judith Long氏の話の一部は、こんな話だ。
「20世紀初頭から100年ほどの間に建設された186のスタジアムを調べてみると、建設費の『61%』が公費で負担されていた。そして、このパーセンテージは、1991年以降、2004年までの10数年に建設された、約20か所のMLBのボールパークを含む全米78のスタジアムの建設においても、実は、『61%』で、まったく変わっていない」

出典:Animated Infographic: Watch As America's Stadiums Pile Up On The Backs Of Taxpayers Through The Years

These 186 stadiums cost $53.0 billion in 2012 dollars, of which $32.2 billion―or 61 percent―was publicly financed. That's a shitload of taxpayer money.

The 1990s and early 2000s, on the other hand, were absolutely insane. From 1991 to 2004, a whopping 78 stadiums―5.6 per year―were built or underwent major renovation. This came to a cost of $26.0 billion (61 percent public).



Judith Long氏によれば「アメリカのスタジアム建設の歴史において、建設費に占める公費負担の率は、いつの時代でも『61%』だった」とのことだが、これを近年に建設されたMLBのボールパークに絞って調べてみると、アメリカ平均の61%どころか、「かなりの数のボールパークが、さらに高い『70%以上の公費負担』で建設されている」。
まとめ
MLBのボールパークでみると、その建設費に占める公費負担の割合は、全米のこの100年および近年の一般的なスタジアム建設費における公費負担割合61%より、ずっと多くの公費が投入されて、MLBのボールパークは建設されている。



この『70%』という数字、MLBにしてみると、高いだろうか、それとも、低いだろうか。

いろいろな考えがあるだろうが、個人的には、次のように思う。
MLBのボールパーク建設にあたっては、全米のスタジアム建設における『61%』という平均的なパーセンテージを考慮する必要は、まったくない。
こと野球というプロスポーツにおいては、本拠地建設における公費負担率は、もっとずっと高くていいはずで、もしすべてのボールパークが『公費100%による建設』だったとしても、けしておかしくはない。


こんなことを言うのも、
プロフェッショナルな野球は、年間のゲーム開催日数が非常に多い、いいかえると、年間のスタジアム使用日数が非常に多いにもかかわらず商業的に成立できた、他に類を見ない、稀有なプロスポーツだから」だ。



他のスポーツ、例えば、日本でやたらと野球と比較したがる人の多いプロサッカーを例にとって説明してみよう。

日本であれ、ヨーロッパであれ、プロサッカーチームが、年間に行う「リーグ戦」は、せいぜい年間30数試合程度だ。
そうしたプロチームでさえ、本拠地でゲームしてスタジアムの収支を潤すのがわずか年間20試合から30試合しかないとすれば、ブログ主は、こと「スタジアムの建設と、その後の維持管理」という観点だけからいうと、サッカーという「年間試合数の非常に少ないスポーツ」において、専用スタジアムを維持できるビジネスモデルは、実は、最初から成立していない、と考える。
(「カップ戦」「チャンピオンズリーグのような地域チャンピオンシップ」などを入れれば、「プロサッカーチームの年間試合数」はもっと多いとおっしゃりたい方もいるかもしれない。
だが、そうした、より多くのゲームに参加できて、入場料収入や放映権収入をそれなりに加算できるクラブは、それぞれの国にごく少数、それも、いつも決まりきった「特定クラブ」だけしかない、というのがプロサッカーの常だ。大半のクラブはリーグ戦とごくわずかなカップ戦しか収入の機会がない。つまり、どんな国でも、平均的なプロサッカーチームにおけるスタジアムの収益規模なんてものは、たかがしれている、ということだ。そして、リーグ内での戦力の平均化も、ほとんど行われない)

たとえ世界に名の知れたヨーロッパの有力クラブであっても、年間30試合程度のリーグ戦の数で、専用スタジアムの年間スケジュール表を真っ黒になどできない。それは、たとえリーグ戦の全試合で10万人ずつ観客を集められたとしても、変わらない。プロサッカーチームの収支は、運よく欧州チャンピオンズリーグの決勝リーグに進出することで億単位といわれる放映権収入の分配でも受けないかぎり、最初から赤字は避けられない。(というか、チャンピオンズリーグの分配金を受け取ったとしても、プロサッカーチームはたいてい赤字になる)
有名クラブは、放映権収入をアテにして有名選手の獲得やクラブ運営を行い、メディア側も視聴率確保のために人気クラブの存在を前提にしたがる。だから、サッカーにおいては「常にごく少数の人気クラブだけが、常にリーグ上位を占めるという狭い硬直した構造」を無くすことなどできない。(この西欧らしい「狭さ」「硬直ぶり」は過去、八百長事件の温床ともなってきた)

まとめ
サッカー専用スタジアムにおける収支は、最初から決定的に破綻している。それはサッカーのビジネスモデルの基本構造の弱さから来ている。


サッカーに限らず、シーズンの長さ、試合数、スタジアムへの観客収容数が十分でないスポーツにおいては、そのスポーツ専用のスタジアムを建設しても、建設費と維持費が、観客動員による収益(入場料、ユニフォーム、売店、周辺施設などの売り上げ等)から十分に補填される可能性は著しく低い。

つまり、言い方を変えれば、実は、ほとんどあらゆるスポーツにおいて、「巨大な専用スタジアムを維持できるビジネスモデル」などというものは、ほとんど成り立ったことはない、ということだ。
まとめ
専用スタジアムを建設し、さらに継続的に維持・管理していくための収入源が、継続的に確保できているビジネスモデルを確立できたスポーツは、ほとんどない。



もしビジネスとして成り立っていないスポーツが、無謀にも「専用スタジアムを持ちたい」と考えたら、どんなことが起こるか。


そのスポーツ単独で、スタジアム維持費を負担し続けることができる可能性は、最初からほとんど無い」。さらに、たいていの場合、スタジアムを建設するカネも、最初から無い。にもかかわらず、毎年発生する人件費を含めたスタジアム維持費すら捻出できる見通しがまったくたっていない「ド田舎の高速道路のようなスタジアム」を建設することになる。(例えばJリーグでいうと、多少なりともクラブ側の自費負担で建設できたスタジアムは、ほとんど無い)
にもかかわらずスタジアムを建設しようとすれば、「スタジアム建設」に最初から「100%の公費負担」を求めることになり、さらにそれだけでおさまらず、「スタジアム維持費」についても、億単位の建設費におとらぬ多額の公費を、何十年もの長期にわたって投入し続けることになる。それはなまやさしい金額ではない。

当然ながら、建設されるのが「専用スタジアム」(たとえばサッカー専用スタジアム)ではなく、「他スポーツとの併用施設」(たとえば陸上とサッカーの兼用スタジアム)になることも、少なくない。
結果として、「スポーツ文化」とかいう美名のもとに「平日にはまったく使用する見込みの無い『陸上兼サッカースタジアム』」が、日本中に大量生産されることになる。

始末が悪いことに、たとえば地方都市に「兼用スタジアム」「多目的スタジアム」として建設したからといって、そのスタジアムの使い道はたいして増えたりしない。「スタジアムを多目的化する」程度の浅知恵で、平日のスタジアムのスケジュールは埋まらないし、年間収支も黒字にはできたりはしない。
地方都市に住む人たちのライフスタイルというものは、余暇時間が本当の意味で分散化しきっている都市民のライフスタイルとは根本が違う。もともと「平日にスタジアムに来れる人を多数確保すること」などできるわけがない。
勤め人が平日にスタジアムには来れないのはもちろんだが、地方で「週末が忙しい人」、例えば、週末に都市などから来る観光客相手の商売をしている人や、週末であっても田畑の面倒を見る必要がある人たちが、週末に兼用スタジアムに来れないからといって、では平日はスタジアムに来れるかというと、平日には平日の仕事(あるいは副業)がある、地方とはそういうものだ。
だから、「田舎に建設された兼用スタジアム」なんてものに、「平日の観客動員」など、最初から期待できるわけがないのである)

使い道の無い兼用スタジアムなんてものこそ、公費の無駄使いというものだ。
こういう、わけのわからないことが起きるのは、サッカーがその国で人気があるとか、ないとか、根付いていないとか、そういうこととまったく関係ない。
そもそも「専用スタジアムなんてものが成り立つビジネスモデルを持てたスポーツは、本来限られている。なのに、誰もが歴史の積み重ねや経営努力も積み重ねないまま、専用スタジアムを持ちたがって、失敗を繰り返す」、ただそれだけの話だ。


繰り返しになる。
野球というスポーツは、年間試合数が非常に多いわけだが、それでもファンの暖かい理解と関係者の長年の努力が積み重ねられてきた結果、一定の年間観客動員数が確保されてきた。観客からの入場料収入のみで野球チームが維持できてきたわけでもないが、こと「そのチームが、本拠地スタジアムのスケジュールを年間、何日埋めることができているか」、そして「胸を張って、地元自治体に『公費でスタジアムを建設してくれ』と言えるかどうか」という観点で言うなら、野球というスポーツに肩を並べられるプロスポーツは、ほとんどない


専用スタジアムの年間使用日数が1ヶ月に満たない程度のスポーツが、専用スタジアム(あるいは兼用スタジアム)の建設に踏み切ったら、どうなるか。
当然ながら、スタジアムの年間スケジュールはほとんど真っ白なまま。そのスポーツだけでは、スタジアム建設費を入場料収入から事後回収するどころか、1年を通してスタジアムを使うことすら、ほとんどないわけだ。
結果として、その自治体は、誰も使わないスタジアムの、維持費、メンテナンス費などを、公費で、しかもずっと、しかも全額、負担し続けることになる。
そして、それだけでは済まない。公費を投入し続けるスタジアム側としては、なんとかメンツを保とうとする。たとえディスカウントしまくってでも、たとえスタンドがまるっきりガラガラだったとしても、スタジアムを有料使用してくれる奇特な主催者を探し続けるハメになり、そのムダなスタジアム専用職員の人件費と、ディスカウントしてまでして貸し出した日のゴミ処理などにかかる無駄な経費で、スタジアム収支はさらに深く墓穴を掘り続けることになる。


「最初からスタジアムをほとんど使わないことがわかりきっているスポーツなのに、全額公費による巨大スタジアムの建設を望んで、墓穴を掘り続けること」と、「十分な日数スタジアムを使用し、一定の観客動員があらかじめ想定できるスポーツに、公費を投入し、維持する」のとでは、まったく意味が違う。いうまでもない。
野球が、十分な年間ゲーム数があり、なおかつ定常的な観客動員を維持できるメドが歴史的に成り立ってきた稀有なスポーツだからこそ、スタジアムのネーミングライツも、スタジアム建設への公費投入も、ムダにならずに済む。

プロのベースボールチームが本拠地のスタジアムを建設する場合だからこそ、胸を張って地元自治体に、「100%近い公費負担をお願いしたい」と、言い切っていいと思うのである。


まぁ多少細かい誤解をされようが、どうでもいいから、明言しておこう。

野球というのは、「かなり特別なスポーツ」だ。
野球だからこそ、専用スタジアムを作る意味がある

以下にMLBのボールパークの建設費内訳資料を添付→続きを読む

damejima at 05:39

April 06, 2012

ESPNによると、2012年の開幕をアクティブ・ロスターとして迎えたMLBプレーヤー856人のうち、243人が、いわゆる「メインランド」以外出身(=「アメリカのハワイを除いた50州」以外、という意味。元記事の表記は born outside the 50 states)の選手であり、これを割合でいうと28.4%で、2011年の27.7%から「増加」したらしい。(故障者等を含む)
Percentage of foreign Major League Baseball players rises - ESPN
記事によれば、この「28.4%」という数字は、2005年の29.2、2007年の29.0に次ぐ高い数字。
おおよそ、MLBのロスターの3.5人にひとりが、メインランド以外の選手という計算になる。これは1チームのアクティブ・ロスター25人、平均7人前後のメインランド以外の選手がいる、という勘定だ。

(よくこういう記事で、「アメリカ以外の選手」というふうに訳出してしまうサイトがあるわけだが、元記事の表記はあくまで、born outside the 50 statesであり、「アメリカ以外」とは言っていない。もちろんそれは、プエルトリコはアメリカ領であり、またハワイはれっきとしたアメリカの51番目の州だから、である。だから例えば、ハワイのマウイ島出身のカート・スズキは、もちろんれっきとしたアメリカ人だが、メインランド出身ではないので、ESPNの記事ではplayer born outside the 50 statesにカウントされてしまうことになる)

また、マイナーにいる選手7,278人に占める「50州以外のプレーヤー率」は46.47%で、これは昨年の47.41%からややダウン。それにしても、MLBのマイナーで、いかにたくさんのメインランド出身でない選手が夢のメジャー昇格をうかがっているかがわかる。


国別メジャーロスター人数
ドミニカ 95人
ベネズエラ 68人
カナダ 15人
日本 13人
キューバ 11人
プエルトリコ 11人
メキシコ 9
パナマ 7 (マリアーノ・リベラなど)
キュラソー 4
オーストラリア 4
ニカラグア 3
台湾 2
コロンビア 1
イタリア 1 (アレックス・リディ
韓国 1
参考:Player Place of Birth and Death - Baseball-Reference.com (Baseball Referenceの州別・出身国別リスト)

別資料:Major League Baseball Players by Birthplace

チーム別外国人ロスター数
カンザスシティ 13人
コロラド 12人
ニューヨーク 12人
(ヤンキースは2011年に16人で、2000年以来11年ぶりにトップだったが、今年は4人減少。ロスターのイメージが入れ替わりつつある)


メジャーのロスターの人数が少ないからといって、その国の野球が弱いとは限らない。だが、こういう数字を見せられると、マイナー契約だった川崎宗則がアクティブ・ロスターを獲得したことが、いかに凄いことかわかる。

また、先日ドラフトに関してのツイートで、「好投手をアメリカ国内から調達することはこれからますます難しくなると思う。」と書いたのは、細かく説明しなくても、国別のロスター人数を見てもらえばわかると思う。
人数の多いドミニカベネズエラにはもちろん、まだまだ多くの未だ見ぬ好素材が眠っているだろうし、また、カナダ日本キューバなどの有力国の場合も、たとえ見た目のメジャーのロスター人数が少なくても、少数精鋭がメジャーで有力レギュラーとして活躍しているわけだから、それぞれの国にまだまだ粒選りの才能ある選手が眠っている可能性が高い。

だから、「投手の時代」を迎えてますます需要が高まる「本当に質のいいローテ投手」を発見したいと思えば、供給源として、玉石混合のアメリカのメインランド出身ピッチャーだけを見ていては、本当のダイヤモンドは見つからないと思うのだ。



ちなみに、メインランドではどんな州でもメジャーリーガーが多い、というわけではない。
元記事にはないデータだが、アメリカの出身州別メジャーリーガー数ランキングを挙げておこう。このリストと、カレッジ・ワールドシリーズの優勝校リストを並べてみると、西部のカリフォルニア、東部のニューヨーク周辺、五大湖周辺、南部のテキサス、フロリダなど、特定の野球が盛んな州、野球の強い州というのがあることがわかると思う。

California (2,012)
Pennsylvania (1,379)
New York (1,165)
Illinois (1,021)
Ohio (1,002)
Texas (812)
Massachusetts (649)
Missouri (585)
Florida (420)
New Jersey (415)

Player Place of Birth and Death - Baseball-Reference.com(2012年4月5日現在)





damejima at 08:02

February 23, 2012

MLBについての英語サイトを眺めることの多い人は、たまにbeat writer (ビート・ライター)という言葉に出くわすことがあると思う。


beatという言葉には、「叩く」とか、マイケル・ジャクソンの名曲Beat It!で有名になった「逃げる」とかいう意味以外に、「受け持ち区域」とか「担当エリア」、あるいは転じて「専門ジャンル」という意味がある。

例えば、シアトルを舞台にした『Police Beat』(2005年)
というタイトルの映画がある(ブログ主はその映画自体は見てない)。
この映画の主人公は担当エリアを自転車で巡回する警官なのだが、ここでいうbeatとは、警官にとっての「担当エリア」を指している。(なんでも、警官が自転車に乗って担当エリアを巡回するカジュアルな行動スタイルを近年全米に広めたのはシアトルの警官が発祥らしい)

またジャーナリストの最高の栄誉のひとつであるピューリッツァー賞には、2006年までPulitzer Prize for Beat Reportingという部門があった。
記者にも、例えば医事記者、政治記者のように、特定の専門ジャンルを掘り下げるタイプの記者が存在するわけだが、ここでいうbeatは記者の「専門分野」という意味で、特定分野=beatについて取材して記事を書く記者のことを、beat reporterと言ったりする。
The Pulitzer Prizes | Beat Reporting



だからMLBでいうbeat writerは、日本のスポーツ新聞やテレビのスポーツニュースでいう「番記者」に近い意味になる。この場合、beatは、「ローカルメディアのスポーツ記者の担当チーム」ということになる。

ただ、beat writerが、日本でいう「番記者」と完全にイコールかというと、ちょっと違う。

というのも、
日本のプロ野球の「番記者」というと、日本全国をカバーするキー局や全国紙から派遣された番記者もいれば、球団それぞれの地元のメディアの番記者もいて、ローカルと全国メディアの間の役割分担がハッキリしていない。

(ちなみに世界の新聞購読者数ランキングでは、ベスト5を日本の新聞が独占(読売、朝日、毎日、日経、中日)している。日本人は世界でダントツの新聞好きなのだ。世界5位の中日新聞ですら、全米ベスト2社、Wall Street JournalやUSA Todayの倍以上の購読者層をもつ。例えば中堅ローカル紙のSeattle TimesやSan Francisco Chronicleは、そのUSA Todayの7分の1以下の規模なのだから、日米で新聞の発行規模にいかに大差があるかがわかるし、また、メディアとしての権威は新聞社の規模には比例しないこともわかる 笑)

それに対して、
MLBでいうbeat writerは、基本的に「ローカルメディアの記者」とイコールになる。

全米における新聞別購読者数ランキング List of newspapers in the United States by circulation - Wikipedia, the free encyclopedia
例:SFジャイアンツ  サンフランシスコ・クロニクル
  ロイヤルズ     カンザスシティ・スター
  レッドソックス    ボストン・グローブ
  フィリーズ      フィラデルフィア・インクワイラー
              (エンクワイラーとも表記される)

だからbeat writerは、「特定チームの取材を担当する、ローカルメディアの記者」ということになる。
他方、ESPNやFOX、CBSのような全米をカバーするメディアは、それぞれのチームの細かい情報集めはローカルメディアにまかせて、自分たちはMLB全体を担当する。日本の大手スポーツ新聞のように、野球チーム全部をカバーできるだけの人数の番記者を雇って番記者として張りつけるようなことはしない。


例を挙げると、シアトルのローカルメディアであるSeattle Timesの記者であるGeoff Bakerは、シアトルの、それもMLBシアトル・マリナーズだけを追いかける典型的なbeat writerだが、MLB全体を扱う立場にある全米メディアのライター、FOXのKen Rosenthalは、beat writerではない。
Ken Rosenthalのツイッターの使い方を見ていればわかるように、全米メディア所属のライターは、チーム個別の細かい情報提供はローカルのbeat writerたちが発信するツイートのリツイートなどでまかなって、(それを集約したり、情報を補ったり、意見をつけ加える作業はしつつも)、基本的に自分たちはMLB全体に関係する情報を取材し発信する。(もちろん必要と感じれば、ローゼンタールが直接ズレンシックに電話取材してツイートしたりするように、個別チームを直接取材する場合もある)


ちなみに、以前ツイートしたことだが、ローカルメディアの野球ライターが、本来の職分であるローカルの野球の仕事を忘れて、例えばスーパーボウルのような、全米レベルの、それも畑違いのスポーツのトピックに興奮して、自分の個人的な興奮を一日中ツイートしまくるなんていう行為は、ジャーナリストとして非常にスジ違いな行動だと思う。
beat writerには、beat writerが本来守るべき狭いテリトリーがあってしかるべきだ。
beat writerのツイッターのアカウントというのは、スポーツにとって既にひとつのメディアになっていて、「ローカルに強味を持つbeat writerからしか得にくいスポーツの情報」を集める戦力のひとつになっている。
だから、全米で誰も彼もが似たり寄ったりなことをつぶやく大イベントの個人的感想を発信する必要など全くないことを、beat writerは自覚すべきだ。個人的な感想をどうしても言いたいのなら、個人用のアカウントでも作って、そっちでやってもらいたい。
また、全米メディアのライターであるRob Neyerのマネーボールに関するしつこいツイートが揶揄されるのも、似たような理由だ。彼が興行成績がさえないくせにゴールデングローブを獲りたがっている映画マネーボールの関係者にプロモーションを依頼されてツイートを繰り返しているのかどうかは別にして、才能ある彼のツイートに常に求められているのは、あくまで全米メディアとしてのMLBの情報であって、中身の薄っぺらな映画の個人的感想などで貴重な情報空間であるツイートを埋め尽くすべきじゃない。
damejimadamejima
こういう日でも、誰かに返事するとき以外、基本的に野球のツイートしかしないケン・ローゼンタールを尊敬したい。これが全米を相手にするライターとローカルライターの違いでもある。読みたいのは興奮して当たり前のスーパーボウルだの、飲んだワインがうまいだの、そんなくだらない話ではない


「beat writerと、全米メディアのライターとの間の、立場の違いや役割分担」は、もうおわかりのように、「独立した体系をもつアメリカの州それぞれと、合衆国連邦政府との間の独特の関係」に通底している。
だから、アメリカでの「州と連邦政府との関係」が、日本の「県と国との関係」と同じではないように、アメリカのbeat writerと日本の番記者の微妙な立ち位置の違いには、2つの国の文化や歴史の違いが背景にあるわけだ。
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damejima at 11:57

February 20, 2012

この冬、日本人プレーヤーの移籍が多かったせいもあって、たまに見かけることがあるのが、ノートレード条項だのなんだの、いわゆる野球選手の身分に関する権利についての単語。
だがブログ主は、何度も書いているように、ストーブリーグにあまり関心がないし、そもそもこういうMLBの複雑な仕組み自体が苦手分野だ(笑)


例えば、10 & 5 ruleというルールがあるが、どうもよくわからないことがある。
というのは、日本では、10 & 5 ruleと、一般的なトレード拒否権、この2つの異なるルールが混同されて扱われているように思えてならないのである。(しかも、そのことがどこにもハッキリ指摘されていない)

10 & 5 ruleは、「10フルシーズン以上メジャーのアクティブ・ロスター、つまり、25人枠に在籍した選手で、なおかつ、最近の5シーズン同じチームに在籍し続けている選手は、本人の同意なしにトレードすることはできない」というルールだ。

もう少し言い変えると、「10シーズン以上、それもフルシーズン、25人枠のロスター経験を積んで、しかも、同じチームに5年在籍している選手」のことを、ロスターやトレードのルール上の定義として特別に「ヴェテラン」と呼び、プレーヤーがこの「ヴェテランになってはじめて発生する、特別なトレード上の権利」のことを、10 & 5 ruleというのだ。


だから、10 & 5 ruleは、「誰でも彼でも、契約書に文言を盛り込みさえすれば効力が発生する、一般的なノートレード条項」とは、まったく別のルールだ、とブログ主は理解している。


例えば日本のWikiにおいて、10 & 5 ruleと、「一般的なノートレード条項」は、ノートレード条項という項目において、十分な区別のないまま、一緒くたに説明されてしまっている(ように見える)。

だが、アメリカのWikiでは違う。
下記資料が前半部・後半部とハッキリ分けて書かれていることからわかるように、いわゆる10 & 5 ruleと、選手とチームの契約に条項として盛り込むことで効力が発生する一般的なトレード拒否権は、「2つの異なるルール」として、きちんと分離されて説明されている。
また、これも重要な定義だが、10 & 5 ruleの適用に必要な10シーズンのアクティブロスター在籍という条件が、あくまで「フルシーズンでなければならないこと」も、日本のWikiは曖昧だが、アメリカのWikiにはきちんと明記されている。(太字はブログ側による)
If a player has been on an active major league roster for ten full seasons and on one team for the last five, he may not be traded to another team without his consent (known as the 10 & 5 rule).
Additionally, some players negotiate to have no-trade clauses in their contracts that have the same effect.
Major League Baseball transactions - Wikipedia, the free encyclopedia


しつこいが、いちおうもう一度書いておこう。

10 & 5 ruleというのは、(ブログ主の理解の範疇では)「10年、それもフルシーズン、メジャーのアクティブロスターに在籍して、しかも、5シーズン現在所属している同じチームでプレーしている『ヴェテラン』にだけ与えられる、特別なトレード拒否権」のことで、それを俗に10 & 5 ruleという。
この非常に特別なルールと、選手がチームとかわす契約に書き加えられることで効力が発生する「一般的なトレード拒否権」とは、両者に同じような効力が発生するにしても、このルールが成立した背後にあるMLB史やアメリカ史の重みは、まったく異なる次元のものだ。

10 & 5 ruleが成立した歴史的背景には、1966年から1982年までMLBPA(=メジャーリーグ選手会)会長をつとめたマービン・ミラーの足跡、あるいは1969年から72年まで争われた有名なカート・フラッド事件によるMLBの制度変更の経緯があるわけで、10 & 5 ruleは、こうした長いMLB史の中で培われてきたルールなのだ。
(カート・フラッド事件は、セントルイスに所属していたフラッドが、フィラデルフィアへのトレードを嫌がったことに端を発した事件で、最後は訴訟になり、形の上では選手会側が敗訴したものの、結果的には選手の権利の整備につながった)



10 & 5 ruleでいう「シーズン」とは、もちろん「フルシーズン」を意味するわけだが(このこと自体、日本のサイトではハッキリ表記されていないことも多い)、日本のWikiによると、「MLBにおけるフルシーズン」とは「アクティブロスター未登録の期間が、20日以内のシーズン」のことを指す、とある。
たしか先日決まったMLBとMLB選手会の新しい労使協定においては、近いうちに「フルシーズンの定義」そのものが変更になって、「A full season is defined as being on an active pro roster for at least 90 days in a season. アクティブロスターに少なくとも90日在籍していること」と、従来より緩和された定義になると思う。
だから、これまでは10年間もの長期にわたって活躍を続けてこれた、それも5年同じチームにいるごく限られた有名選手だけに適用されてきた10 & 5 ruleは、今後はもう少し広い範囲の選手に適用されるようになるんじゃないか、と思う。(だが正確なところは、今後のMLBのリリースで確かめる必要はある)


また、細かいことだが、ちょっと困ったことに、この10 & 5 rule、アメリカのいくつかのサイトで、5 & 10と、数字を逆にして表記している例がある。(ESPNのロブ・ナイアーなど)
厳密にどちらが正しいのかは調べてないが、このブログではいちおう、「10 & 5」という表記のほうを、「よりポピュラーな、より正しい表記」と考える。

10-5と表記する例

アメリカ版Wikiの項目、"Major League Baseball transactions"における表記例
the 10 & 5 rule
Major League Baseball transactions - Wikipedia, the free encyclopedia

アメリカ版Wikiの項目、"Trade (sports)"における表記例
the "Ten and Five" rule
Trade (sports) - Wikipedia, the free encyclopedia

アメリカ史をまとめたサイト"The People History"での「MLB史の概説」ページにおける表記例
the 10 and 5 rule
History of Major League Baseball From Early Beginnings to Current

英語圏で最も有名なイスラエル系百科事典サイト"Answer.com"での質問者の使用例
"ten and five rule"
What is the "ten and five rule"?: Information from Answers.com

逆に5-10と表記する例

ESPNのライター、Rob NeyerによるMLBの諸ルールの解説
注:5 & 10という表記はともかく、"Veteran Players"の項目におけるロスタールールの解説は、他のサイトより、ずっとよくまとまっている。
"the five-and-ten rule."
ESPN.com: MLB - Transactions Primer

MLBのトリビアをまとめたサイト"Recondite Baseball"における表記例
"Five-and-Ten" rule
Recondite Baseball: Five-and-Ten Players


もちろん言うまでもないことだが、この10 & 5 ruleが適用されるプレーヤーは、長期間にわたって安定した実績を残して長くメジャーに君臨することのできた、ごくわずかなプレーヤーに限られる。
イチローは今年MLB12年目のシーズンを迎え、野茂英雄さんのメジャー経験年数に並んだが、彼はこの10 & 5 ruleで厳密に定義される、真の意味の「ヴェテラン」であり、そんじょそこらのGMや監督にあれこれ言われるような安い存在ではない。
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damejima at 11:46

February 12, 2012

東京スタジアムのことを書こうと思って野球のスタジアムのことを調べるサイトを探していたら、いつのまにかスタジアムを扱ったサイトそのものにハマってしまい、ミイラとりがミイラになってしまっていた(笑)
ついでだから、今の時点での「スタジアムを扱ったウェブサイト」のベスト3を挙げておこう。
この3つ、あまりにも素晴らしくて甲乙つけがたいので、順位はつけない。(どうせまた、新しいサイトを見つければ入れ替わるし 笑)


スタジアム・アトラス
Stadium Atlas | The unique world sports stadium guide

網羅している、という点で言えば、このサイトの右に出るサイトはたぶん無いだろうと思う。まさにスタジアムの百科事典である。
まず扱っているスポーツのジャンルが異常に広い。野球、フットボールはもとより、自転車、ゴルフ、ラグビー、テニス、果てはクリケット、ドッグレース、競馬、ラクロス、ロデオまで扱っている。
また、このサイト、国別検索もできるのだが、扱っている国の数が、もうハンパない。アルファベットの最初のAのアフガニスタンから、Zのジンバブエまで、扱っている国がなんと153か国というのだから、いやはや、もう呆れるしかない(笑)
いったい、どこの誰がこんな膨大な作業をやっているのだろう。


Clem's Baseball
Clem's Baseball ~ Introduction / navigation page

オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ2Dの図の美しさといえば、やはりこのサイトになってしまう。このブログでも何度も引用させてもらっている。本当に素晴らしいグラフィックには、このサイトを管理している方のスタジアムへの愛着が十二分に表現されている。
コンピューターとインターネットの発達で、行ったこともない街でもグーグルマップでバーチャルに散歩できる、そんな時代ではあるが、それでもやはり、こういう簡潔で美しい2Dグラフィックには惚れ惚れさせられてしまうし、自然と作った人への敬意が湧く。
このサイトはカラートーンも、天然芝を意識した緑色を中心にしたカラーリングで本当に綺麗だから、見ていて目が疲れない。
野球というスポーツのスタジアムが天然芝を多く使っていることは、プレーヤーの足腰に対する影響を減らすわけだが、長時間プレーを見つめ続ける観客にとっても、緑色は目が疲れない、というメリットがあるわけだ。


スタジアム・サンプル
Stadiums Sample

スタジアム・サンプル by Google Earth

正式なサイトではなく、あくまでサンプルだが、立体性というか、スタジアム特性を立体的に眺めたいときに便利だし、また、ただ眺めているだけでもインテリア的に楽しい。(ただ、やたらとメモリーが消費されるのは、この手のサイトの大きな難点だ。非力なパソコンだと非常につらいだろう)
Google Earthのプラグインを紹介するページからリンクが張られているているところをみると、このサンプルをグーグルが作っているのかどうかは、ちょっとわからないが、Google Earthの利用のしかたにはこういう素晴らしい楽しい方法がありますよ、と、Googleのプロモーションのために作られたサイトサンプルのようだ。
下に並んでいるスタジアム名を書いたボタンをポチっと押すと、あっという間にAT&Tパークや、フェンウェイヤンキースタジアムがレンダリングされ、しかも、目の前でグルングルン勝手に回転してくれる。
同じリンクページにはハワイ観光を紹介する3Dページが紹介されているが、これもGoogle Earthの良さを利用していて、本当によくできている。(こちらのサイトも非常にメモリを消費する。非力なパソコンではちょっと無理だろう)
3D Hawaii | Hawaii Vacation Planning - Vacations - Hotels - Activities


Google Mapも、Google Earth同様に様々な新しい使い方がユーザーの創意によって日々開発され続けているわけだが、その名もGoogle Maps Maniaというサイトがあって(笑)ここには、日々発見され続けるGoogle Mapの新しい使い方が、それはもう、膨大な数アップされている。
これを見ると、「膨大な情報量と手際のいいデザインが両立したときにだけ成り立つ独特の美しさがあること、そして、その独特の美の実現のには膨大な手間がかかること」の両方が非常によくわかる。
Google Maps Mania


結局のところ、どのサイトも、細かい手作業への集中を可能にしているのは、「対象に対する度はずれた熱心さと、しつこいほどの好奇心」だ。時間を忘れて作業に没頭してしまう熱意と飽くなき創意がないと、やはり面白いサイトは作れない。
ハンディGPSであるガーミンを独自の工夫で使いたおすヘビーユーザーたちに独特のワールドがあるように(ブログ主もガーミンは大好きだ。スマートフォンにGPSが搭載されたにしても、ガーミンにはやはりガーミンにしかない良さがある)、スマートフォンやブログなども、本当はインターネット上のマップデータともっと連動させるような工夫をすると、もっともっと面白い使い方が発見できていくのだろうと思うが、使い方を研究しているうちに短い一生が終わってしまう危険もある(笑) 
パソコンにかじりついてマップをいじりたおすか、それとも海に行って、のんびりビールでも飲むか、そこがなかなか悩ましいところだ。


宇宙ステーションから見たオーロラ





damejima at 04:25

February 04, 2012

第47回Hutch賞の受賞セレモニーで、ビリー・バトラーは、カンザスシティ・ロイヤルズの先達で、同じカソリックでもあるマイク・スウィニーが行ってきたスタジアム外での偉業に触れて、次のようなスピーチを行った。

このスピーチを紹介したMLB公式サイトの記事タイトルには、「人のかしこまった様子」を表すhambleという言葉が使われているが、この言葉はバトラーがマイク・スウィニーから受け継いだ何かをとてもよく表していて、このスピーチにふさわしい優れた言葉のチョイスだと思う。 (公衆の前でのスピーチの言葉だから、いちおう敬語の文章として訳してみた)

"Mike Sweeney was the portrait of what you want to be as a man," Butler said. "He does everything right, so to win this award after he's won it means a lot to me. ... ."

マイク・スウィーニーは、人としてこうありたいという、お手本でした。彼は、彼にできるあらゆる正しい行いをしていました。だから、(自分に先立って2007年にこの賞を受賞している)彼の後に続く形でこの賞を受賞できたことは、私にとって、とても意味のあることです。」
Billy Butler humbled, thankful for Hutch Award | MLB.com: News

Sweeney wins 2007 Hutch Award | MLB.com: News



マイク・スウィニー

こんなところで彼の名を聞くことができるとは。喜ばしいことだ。
だが、スウィニーの野球におけるスタッツの高さはわかっていても、彼の「人間としてのスタッツの高さ」を、正直言うとこの記事を読んで調べるまで知らなかった。いまさらながら申し訳なく思い、この記事を書いている。

ビリー・バトラーはこんなことも言っている。

"One of the joys of playing baseball is to be able to give back as much as possible. It's almost the least you do, because without fans, baseball isn't anything."

バトラーの言葉を直訳するのは簡単だ。だが、直訳するだけでは何の意味もない。バトラーの発言は短いものだが、その意図の背後にある歴史を遡っていくことはなかなか膨大な作業になる。そして、それを読み解く作業は、解釈する人それぞれの生き方のバックグラウンドに、大きく左右される。
ならば、単純に日本語に訳すより、原語のまま頭に入れるほうがずっとマシだ。

例えば、バトラーの言うgive backという言葉はもちろん、「与えられた恵みを、やがて地にかえす」行為をさす。
スポーツには「恵まれた才能」という、よく使われる言葉があるが、「恵まれた」という言い方は、「誰がその恵みを与えたのか」という主語が曖昧なままの、ぼんやりとした言葉使いなわけで、ホームインしたとき、天を見上げて十字を切る国の野球選手たちにしてみれば、「誰によって、才能という恵みが自分にもたらされたのか」は、言葉にするまでもない自明のことだろう。
また、without fans, baseball isn't anythingという部分にしても、彼が「野球にgive backする行為を含ませることで、野球というものが意味のあるもの、価値あるものになることができる」と言外で言っていることを思えば、背後にworthという意識が非常に強く働いていることは明らかだ。

英語にworth one's saltというイディオムがあるが、これはworth one's pay(給料にみあった働きをする)というイディオムと同じ意味で使われる。
塩と給料が同じ意味で使われるのには理由があって、salaryという言葉は語源として、もともとラテン語のsalarium、さらに言葉を分解すれば「塩」を意味するsalというラテン語から来ていて、古代ローマ時代の兵士の給料が、現代のように紙幣や貨幣ではなく、「塩」で支払われていたという歴史的なバックグラウンドがあるからだ。

だが、「地の塩」という言葉があるように、中世ヨーロッパの人々の意識の中で、「saltは、自分が働いて得た稼ぎであるが、それを日々の暮らしの中で消費して終わるだけではなく、社会へ還元することによって、そこに新たに、worth=自分の価値が生まれてくる」と、saltとworthを結びつけて考える意識が生まれた。(こうした「地の塩の解釈」それ自体が、おそらくは中世以降、近代における解釈だろうとも思うが、それはともかくとして)
saltとworthの結合の意識はやがて、起業や投資などによって社会を繁栄に導く経済行為の正当性や倫理の感覚としても発展を遂げ、それがアメリカにも流れこんで発展していくわけだが、こうした人間の意識の変化がいかに経済や社会の発展に寄与したかを知るには、単に「サラリーの語源は塩だ」と知るだけではとても足りない。それはまさにマックス・ウェーバーが名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で描こうとした世界であり、(ビリー・バトラーとマイク・スウィニーはプロテスタントではなくカソリックではあるにしても)それはアメリカがどういう風に成り立ってきたかという歴史の理解にも結びつく。
(「地の塩」という言葉の解釈にしても、古代ローマ時代における「塩」の意味を知るだけではなく、14世紀以降にラテン語聖書を英語に訳すに至った経緯や、産業革命とのかかわりをふまえると、単に中世以降に成立した英語の訳文をそのまま日本語に直訳すれば済むというわけではなくて、むしろ本来なら最低でも英語訳以前のラテン語段階くらいまでは遡って解釈するような慎重さが必要になると思うが、その長い話をここで書き切ることなど到底できない)


マイク・スウィニーは、1991年ドラフトで10巡目(全体262位)でカンザスシティに指名され、1995年のセプテンバーコールアップでメジャーデビューしている。初ホームランは、1996年8月12日にジェイミー・モイヤーから。
1999年に殿堂入りしたカンザスシティ黄金期の名リードオフマン、ジョージ・ブレットが引退したのは93年で、スウィニーのメジャーデビューはその2年後だから、スウィニーのデビュー時には、1980年代まで続いたロイヤルズの全盛期は既に終焉していた。
2010年に引退したスウィニーは、2011年ロイヤルズのホームパーク、カウフマン・スタジアムでのオープニングゲームで始球式を行っているが、そのとき捕手として球を受けたのは、ホール・オブ・フェイマー、ジョージ・ブレットだった。
Mike Sweeney Statistics and History - Baseball-Reference.com

Mike Sweeney » Statistics » Batting | FanGraphs Baseball

ことにスウィニーが素晴らしい打撃成績を挙げたのは、腰痛が持病になる前の1999年から2005年で、7シーズンの平均打率が.313、打点97、OBP.383。2000年と2002年には、wOBAがなんと.400を越えている。後輩ビリー・バトラーも真っ青の凄まじい打撃成績だ。この間、5回のオールスター選出も当然の話。
ちなみにイチローに関して話題になるシーズン200安打だが、スウィニーも一度だけ2000年に206安打を打っている。(この年のトップはANAのダーリン・エルスタッドの240本、2位がジョニー・デーモンの210本)
1999年から2005年の間の彼の平均ホームラン数は23本だが、OPSのデタラメさを批判した記事で何度も指摘している通り、平均打率で.313を打ってくれて、同時にホームランを20本以上も生産してくれる素晴らしい打者が、このブログでいう「OPSで甘やかされた低打率のハンパなスラッガー」なわけはない。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:指標のデタラメさ(OPS、SLG、パークファクターなど)

2000 American League Batting Leaders - Baseball-Reference.com

Sweeney purchases full-page ad to thank fans, organization - MLB - ESPN


マイク・スウィニーが運営するThe Mike and Shara Sweeney Family Foundationの活動については、非常に多岐に渡る事業が行われていることもあり、このブログであれこれ不正確なことを言うより、自分でウェブサイトを参照して確かめてもらいたい。
The Mike and Shara Sweeney Family Foundation - Mike Sweeney, Kansas City Royals 1B
一例だけ挙げておけば、都市のスプロール化による都心部の退廃が問題化して久しいカンザスシティのダウンタウンにおいて、ドラッグ売買に使われるような治安のよくない空き地を買い取り、野球場として整えて提供する、というようなことも行っている。
Sweeney has impact on life in KC | royals.com: News


彼の腰痛前のスタッツを眺めていると、もし腰痛さえなかったら彼がいったいどんなプレーヤーになっていたことかと思うが、The Mike and Shara Sweeney Family Foundationで、マイク・スウィニー自身が書いているところによれば、彼が野球のキャリアにおいて最も追い詰められた気持ちになったのは、むしろ腰痛ではなく、メジャーデビュー後なかなか芽が出なかった時代に経験した「トレードの噂による心痛」らしい。
Mike's Story - The Mike and Shara Sweeney Family Foundation - Mike Sweeney, Kansas City Royals 1B

スウィニーはデビュー当初、強打のキャッチャーとしてデビューしており、まるでかつてのジェフ・クレメントや、今のヘスス・モンテーロのような立場にあったわけだが、打撃が開花したのは1999年に一塁手にコンバートされて以降のことで、その後オールスターに5回出場を果たすまでの素晴らしい選手になったわけだが、それでもデビュー後数年は芽が出ず、スウィニー自身の言葉を借りると、「もしトレードされたら、という『仮定』の問題ではなくて、それはもう、いつトレードされるのかという『時期』の問題」だったらしい。

傷ついていた彼の心がいかに立ち直ることができたかについては、これも拙い日本語訳によって、彼の最も伝えたい「ストーリー」を妨げたくはない。
(彼は、自分の半生を綴る文章で、I believe there is power in a story. Jesus told a lot of stories. と語り、「ストーリー」と出会う大切さを説いている。彼の言うstoryとは、単なる「物語」というより、「必然的な出会い」に近い)

どうか、英語の苦手な人も自分の自助努力で、彼の大切にしている「ストーリー」を読んでみてほしい。タンデムの自転車、つまり、2人乗りの自転車がマイク・スウィニーが与えてくれた「インスピレーション」と「心の平安」についてのノンフィクションが、彼の穏やかで開放的な性格そのまま、てらいのない語り口で綴られている。 (マイク・スウィニーがカンザスシティ・ロイヤルズを去らなければならなくなった2007年にスウィニーの出した新聞広告と、ラストゲームのドラマについても、どこかで目にする機会を持っていただければ幸いだと思う)
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サヨナラホームランを打ったイチローを出迎えるマイク・スウィニー


damejima at 09:25

January 29, 2012

2011年Hutch賞受賞者が、カンザスシティ・ロイヤルズのフランチャイズプレーヤーで、愛くるしいオッサン顔(笑)のDH、ビリー・バトラーに決まった。(昨年の受賞者はアトランタ・ブレーブスの投手ティム・ハドソン
Billy Butler - Hutch Award Winner

Billy Butler humbled, thankful for Hutch Award | MLB.com: News

Hutch賞の歴史 ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:Hutch賞と、フレッド・ハッチンソン・ガン研究センター。野球と医学の架け橋。

Billy Butler

冗談さておき、弱冠25歳と若い彼がこの栄誉を授けられたということは、いかに彼が若い頃から他者への思いやりを持って生きてきているかという証である。(ビリー・バトラー自身は「チームの大先輩であるマイク・スウィニー積極的な慈善活動の姿勢から受けた薫陶のお蔭」と言っている)
心から彼の栄誉をたたえ、また、彼の名前がMLB史と医学史の一部となることを心から喜びたい。

本当におめでとう、ビリー・バトラー。

Royals DH Butler Named Hutch Award Winner | Baseball Digest

Billy Butler Statistics and History - Baseball-Reference.com

The Mike and Shara Sweeney Family Foundation - Mike Sweeney, Kansas City Royals 1B

Hutch Award Logo

以前Hutch賞について詳しく書いたように、Hutch賞受賞者は殿堂入りプレーヤーにエスコートされる形でシアトルにあるフレッド・ハッチンソン・ガン研究センターHutch Schoolを訪問することは、MLBとシアトルの、そして、野球と医学の2つの分野にまたがった歴史の上に成り立ったイベントである。
昨年のティム・ハドソンのシアトル訪問をエスコートしたのは、Big Red Machineの名二塁手ジョー・モーガンだったが、今年のビリー・バトラーをエスコートするのは、先日、来シーズンのイチローの打順について質問されて「彼は1番を打つプレーヤーだ。僕ならそうする」と答えたボルチモア・オリオールズの殿堂入りフランチャイズ・プレーヤー、名ショートのカル・リプケンである。
ビリー・バトラーは、リプケンにともなわれて2月1日にHutch Schoolを訪問する予定。

damejimadamejima
カル・リプケン (今季イチローは何番を打つべきと思うか?と聞かれ)「イチローはリードオフマンだと思う。僕なら、そうする」 http://t.co/0tABwiWF

Hutch賞の由来と歴史についての記事:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:Hutch賞と、フレッド・ハッチンソン・ガン研究センター。野球と医学の架け橋。


OPSを批判するシリーズで書いていることだが、「低打率で、ホームランも20本程度のハンパなスラッガーのコストパフォーマンスの悪さ」は、OPSのような古くてデタラメな数値ではつかまえきれない。(とはいえ、これまでOPSに騙されてきた球団関係者の多くがこのことに気づきはじめているからこそ、多くのハンパなスタンスのDHがMLBをクビになりつつあるわけだが)

だが、ビリー・バトラーは、そういうOPS詐欺のバッターたちとは違う。

彼は2007年にデビュー後5年間たつわけだが、デビュー後5年間の平均打率は.297、フルシーズン出場するようになった最近3年間に限って言えば、平均打率.303と、3割を打っている。2009年から2011年の3年間に打ったホームランは平均18本だが、一方で年平均186本ものヒットを打ち、2011年には95打点を挙げている。
Billy Butler Statistics and History - Baseball-Reference.com
wOBAはキャリア通算.354で、これはイチローの通算wOBA.348並みの数字。最近3年間でいえば、.361、.372、.359と、数字をさらに押し上げてきている。同じようなホームラン数のバッターでも、例えば2011年に19本打ったミゲル・オリーボのwOBAが、たった.273しかないのと比べてみるといい。
Billy Butler » Statistics » Batting | FanGraphs Baseball

ビリー・バトラーは本当にシュアなバッターだ。
カンザスシティのチーム力を考えれば、このチームで95打点を挙げることの素晴らしさ、価値の高さは、NYYやボストンの中軸で同じ打点を挙げるのとは意味が違う。サンディエゴで活躍したエイドリアン・ゴンザレスがボストンに迎えられたように、ビリー・バトラーがFAになったときにはコンテンダーがほっておくはずはない。(それにしても、Aゴンザレスといい、バトラーといい、これからは「丸顔の時代」なのかもしれない 笑)
イチローがかつて「3シーズン通して活躍できてこそ、その選手はホンモノといえる」という意味の言葉を残しているが、ビリー・バトラーのバッティングスタッツのこの3年間の安定ぶりをみれば、今後の彼の成績にも大いに期待が持てると思う。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:指標のデタラメさ(OPS、SLG、パークファクターなど)

damejima at 06:41

December 18, 2011

去年の6月に行われたイチローとケン・グリフィー・ジュニアのダブル・ボブるヘッド・デーにふらりと現れたダフ・マッケイガンは、シアトル出身で、ガンズ・アンド・ローゼスのオリジナルメンバー。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年6月18日、イチローとグリフィーのダブル・ボブルヘッド・デーにふらりとやってきた元ガンズ・アンド・ローゼスのダフ・マッケイガンは「レイカーズが大嫌いなんだ」と言った。

16日シアトルのキーアリーナ(KeyArena)で行われたガンズ・アンド・ローゼズのシアトル公演で、オープニング・アクトを務めたダフ・マッケイガンが、ガンズのパフォーマンスにもジョイント。
ダフが去年のガンズのロンドン公演にが飛び入り参加して17年ぶりの共演を果たしたのに続くハプニングを、ダフの出身地であるシアトル公演にも期待した地元ファンに応えた。さっそくYoutubeのほうに動画が上がったが、削除される前に見ておくべし。
来年ガンズはロックの殿堂入りが予定されているが、そのときのギグにダフが参加することになるのは、このジョイントぶりを見るかぎりは、ほぼ決定的と思われる。

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シアトル市街地の北にあるキーアリーナ(旧シアトル・センター・コロシアム ネーミングライツを持っているKeyBankはクリーブランドに本拠を置く銀行)は、以下の地図のB。南にあるセーフコ・フィールドは、地図のAで、セーフコからキーアリーナは3マイル弱。




ちなみに、セーフコ・フィールドの南側の道路はエドガー・マルチネスの名前がつけられた「エドガー・マルチネス・ドライブ」だが、西側の道路は1st Ave. Southという名称だが、亡くなったデイブ・ニーハウスを弔う意味で、Royal Brougham Wayと「エドガー・マルチネス・ドライブ」に挟まれた部分が臨時に「デイブ・ニーハウス・ウェイ」と呼ばれている。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年4月8日、シアトル開幕戦。デイブ・ニーハウス トリビュート、「ホワイトシューズ」の日。

セーフコ・フィールドと「デーブ・ニーハウス・ウェイ」

Safeco Field


まったく、ガンズにも、ダフ・マッケイガンにも関係ない話だが、キーアリーナは、かつてNBAシアトル・スーパーソニックスの本拠地だったわけだが、スーパーソニックスのオクラホマシティ移転により、メインの「テナント」を失い、KeyBankはネーミングライツに関する契約を更新しないことを決定している。
このため、キーアリーナはやがて名前をかえることになる。
Name change coming to KeyArena | Public Spaces | Queen Anne News
NBA、NFL、MLBの1シーズンのホームゲームの数を考えると、例えばフットボールの1試合当たりの観客動員数がいかに多くとも、ホームゲームの試合数そのものが少ない。
そういったことを考えると、年間ゲーム数の多い「野球」というスポーツが、いかにスタジアムの経営・維持にとって効率のいい「テナント」かがわかる。
ちなみに、セーフコ・フィールドのオーナーは、Washington-King County stadium authority。ネーミングライツ契約は、シアトル地元の保険会社Safecoと2019年までの20年総額4000万ドルで、1年あたり200万ドル。(この契約額について、日本語Wikiには「20年180万ドル」と書かれている(笑)こんな書き方では「1年あたり9万ドル」と誤認されかねない。英語資料では大抵の場合、年200万ドルという数字になっている)

damejima at 07:21

October 10, 2011

スティーブ・ジョブズが亡くなる直前にほとんど書き終えかけていた文章がある。冒頭部分は次のような感じの書き出しになっている。今から思うと、あのときはまだ内容が中途半端であり、未成熟な内容のまま公開しなくて本当によかったと、今では思う。
最近、ある記事の一節をネットでみかけて、驚いた。
iPodの原形は、ソニーのウォークマンだ」とメディアで主張する人が、いまだにいるのだ。


iPodの原形は、ウォークマンではない」と、ハッキリ断言できる理由は簡単だ。
iPodの原型は『パソコン』であって、ウォークマンではない」からだ。同じように、スマートフォンの源流も、『パソコン』であって、携帯電話ではない。
iPodやiPhoneは、「音楽プレーヤー」でも「電話機」でもなく、元をただせば「キーボードの無いパソコン」だ。キーボードというインターフェイスを無くし、そのかわりにタッチパネルになっているから、見た目がパソコンに見えないだけの話だ。

スティーブ・ジョブス自身も、iPadのようなデバイスのことを「post-PC devices(=ポストPC端末)」、あるいは「the next PC(=次世代PC)」と呼んでいる。
このことからも、最近のアップルの製品戦略が「『パソコン時代』を、さらにまた越えた、ポスト・パソコン時代のデバイスの創造」であったことは明らかであり、また、逆に言えば、アップルの製品群がどんなに進化しようと、それらは常に「パソコン」をルーツに持つことは、このジョブスの言葉に明確に示されている。



ジョブズが亡くなる前、偶然にも数日かけて「iPodの原形は、ウォークマンではない」ことを説明するために、冒頭の文章の続きを長々と書いていたのだが、書いている途中でジョブズが亡くなったことを知り、あらためて根本的に書き直すことになった。彼の「生」と同様、「死」にも大きなインスピレーションを受けた。

と、いうのは、
「iPodの原形が、ウォークマンか、どうか」という議論を突き詰めていけば、必然的に、「iPodとウォークマンの、何が同じで、何が違うのか?」などと、「カブトムシとクワガタの違いを、角(つの)の形だけで見分けて喜んでいる夏休みの子供」のような低レベルの観察で終わるわけにはいかず、「今という時代と前の時代を決定的に分割した、根本的な技術や製品は何か?」という設問に行き着くことに気づいたからだ。
そして、その解答は「ジョブズが後世に残した功績とは何か?」という設問にダイレクトにつながっていく。



最初に記事を書きはじめてからだいぶ時間が経ったが、
今ならもっと正確に書きなおすことができる。

「今という時代と前の時代とを決定的に分割した技術、製品は何か?を考えると、最重要なもののひとつが『パソコン』だ。(他に『インターネット』を挙げてもいいが、話がこんがらがるので置いておく)
そして『パソコン』の発展形のひとつがiPodやiPhoneである。
だからiPodの生みの親は『パソコン』であり、パソコン以前の「ディスクに依存する時代」、もっと言うと「ソースとディスクと再生装置の『1対1の対応関係』が世界の脳を縛っていた、パソコン以前の文化」に属するウォークマンではない。

当然のことだが、「ウォークマンはたいした技術でもなければ、立派な製品でもない」と言いたいのでは、まったくない。
そうではなく、「どっちも音の出る、持ち運べる箱だろ?」だのと、両者のわずかな、しかも重要ではない共通点を子供じみた論法で強調するより、多すぎるくらいたくさんある「両者の相違点」のほうを明確に認識し、意識していかない限り、今のポスト・パソコン時代なんて見えてこないんだぜ、という意味だ。
いつまでたっても「iPodはウォークマンと基本的に同じだ」などという視点でしかモノを考えられない、古くさい構図に縛られた脳では、とてもじゃないが、今という時代にあった製品など生み出せるわけもない。
「iPodとウォークマンの根本的な違い」の認識は、まさに「パソコン以前と、パソコン以降で、技術や製品、人の生活がどう変化したか」についてきちんと認識できているか?という試金石なのであって、この程度の判断くらい瞬時に切り分けられなくて、どうして日本でiPodやiPhoneを越える「パソコン時代らしい製品」を独自に作れるようになるか、という話だ。
(と、いうか、その程度の切り分けができなかったからこそ、いくつかの企業の残念な「今」がある、とも言える。「ウォークマンをいくら発展させてみたところで、結局のところ、パソコンにはなりえない」という言い方をしたら、もっとわかりやすいかもしれない。この点はゲーム機も実は同じだ。ゲーム機は、いくら機能を付加していっても、パソコンにはなれない。ゲーム機は「パソコン以前の時代」に属する文化とみなすのが正しい判断だと思う)


そして「今という時代と前の時代とを決定的に分割した技術、製品は何か?」を考える作業は、「スティーブ・ジョブズの偉業とは何か?」を考え、特定する作業にも行き着く。
なぜなら、「パソコンという、世界を変えた製品」の基本フォーマットを完成させたのは、ジョブズとウォズニアックの「アップルのパソコン」の功績だと思うからだ。


判断を間違える原因はいくつもある。
例えば、「アナログ、デジタル」という二分法がそうだ。
「ソフトとハード」という二分法と同じで、誰もがその「思考方法の陳腐化」に気がつかずに今でも使っている。「パソコン全盛の時代なのだから、『デジタル』という基準でモノを見てさえいれば、何事を判断するにしても間違えることはありえない」などと、勝手に思い込んでいる輩(やから)が大勢いる。

だが、それは間違いだ。

ゲーム機もそうだが、デジタル技術をたくさん使っているからといって、その製品が必ずしも「パソコン以降の文化」に属しているとは限らない。 「デジタル技術を使ったすべての製品が現代的だ」、などと考えていたら、あらゆる判断に過ちを犯すことになる。
「アナログとデジタル」という二分法は、「アナログ時代に作られた論法」であって、実はあまり役に立たないのだ。
「アナログ、デジタル」という二分法は、「どの技術、どの商品が、今という時代を前の時代と決定的に隔てたのか?」という設問に、決定的な解を与えることができない。


パソコン以前と、パソコン以降。
こうスッパリと切り分けることが、今の時代(=「ポスト・パソコン時代」)を理解するのには最もわかりやすい切り分けだ。

(続く)

damejima at 01:21

August 26, 2011

いまアメリカ大西洋岸にはハリケーン「アイリーン」が接近しているわけだが、こういうニュースを見るとあらためて日本とアメリカの大西洋岸、アトランティック・コーストの気候が非常に似ていることに気づかされる。


下の図は、ウォールストリートジャーナル電子版から拝借した地図をさらに加工し、日本とアメリカ大西洋岸を同じ緯度に並べてみたものだ。東側に大きな海があること、偏西風の影響とモンスーンの襲来コースの関係など、日本とアメリカ大西洋岸とで、それぞれの「地勢と気候の関係」が非常に似ていることがよくわかる。
日本の地形とそっくりなアメリカ東海岸
左図 アトランティック・コースト(アメリカ大西洋岸)
右図 日本
N.C.=North carolina
S.C.=South Carolina
左図内の青線=過去の巨大タイフーンの進路
Evacuations Begin Off North Carolina as Irene Strengthens - WSJ.com


日本では10分間平均の最大風速が34ノット、約17m/秒以上の熱帯低気圧を「台風」と呼び、アメリカでは1分間平均の最大風速が64ノット、約33m/秒以上の熱帯低気圧を海域別に「タイフーン」や「ハリケーン」などと呼ぶ
日本の「台風」でいうと、フィリピン沖などで熱帯低気圧が発生して北上しつつ発達し、やがて日本列島に沿って弓なりに北東に進路を変えるわけだが、これがアメリカ東海岸の「ハリケーン」では、島国ドミニカ周辺で発生した熱帯低気圧が北上しつつ発達し、やがてハリケーンとなって、2005年にアメリカのニューオーリンズを襲ったハリケーン・カトリーナのようにガルフコーストからアメリカ南部にかけての地域を襲ったり、今回のアイリーンのようにアメリカ東海岸にそって弓なりに北東に進路をかえていったりする。

日本でいう台風の元になる熱帯低気圧が次々に生産される「巣」である「フィリピン沖」は、緯度でいうと、ちょうどアメリカのハリケーンにおける発生源の「ドミニカ」にあたっている。
また、日本の台風が最初に接近する「九州」にあたっているのが、アメリカでは「フロリダ」、日本の台風が最初に上陸する「四国・東海・関東」は、アメリカでは「フロリダからサウスカロライナにかけて」にあたっている。

ハリケーン「アイリーン」


日本とアメリカ東部の大西洋岸は、陸の形が似ているだけではなくて、「海底の形」も似ている。どちらも広大な大陸棚が広がっているからだ。水深の浅い大陸棚の地形が、海水を温まりやすくさせており、台風やハリケーンの発達の原因となり、日本やアメリカ東海岸における湿潤な気候をもたらしている。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年10月9日、アメリカ東海岸からGulf Coastまでの気候と野球文化に大きな影響を与えている「大陸棚」について、もっとよく知ってみる。
アメリカの大陸棚(更新画像)

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年10月8日、ブログ過去記事を参照しながら味わうドジャース黒田の興味深いコメント (2)西海岸と東海岸、気候の違いと「配球文化」の差。または「湿度が高いとボールが飛ばない」という誤解。


先日、100何十年ぶりかにヴァージニア州で地震があって、アメリカ人を仰天させたわけだが、タイフーンでも、2004年3月26日に今まで一度も熱帯低気圧が発生したことのないブラジル沖で、観測史上初めての台風が発生した。

アメリカでのハリケーンの増加、大型化の原因については、いわゆる「地球温暖化」が原因との指摘がある一方で、そうではない、という指摘もある。
全米科学アカデミー(PNAS)は、2006年の会報で「1970年に比べ海面温度が0.5度上昇したことで、同時期のハリケーン、サイクロンの規模が1.5倍から2倍に押し上げられた」としている。
ENVIRONMENT: New Data Erases Doubt on Storms and Warming - IPS ipsnews.net
だが、別の研究者はスーパーコンピューターによる計算結果をもとに、「海水に急速な温暖化が起きたとしても、ハリケーン増加にはほとんど影響ない」との異説を発表している。
Hurricane expert reconsiders global warming's impact - Houston Chronicle

かつて一世を風靡した「地球温暖化」説にさまざまな異論が唱えられるようになったことで、いまではClimate Change(気候変動)という言い方で、干ばつや異常高温のような現象だけでなく、異常低温、局所的な大雨や大雪などを広く包含するようになってきている。
近年のアメリカのハリケーン増加や大型化の真の原因が何かはともかく、地球温暖化という単純な指摘で、いまの気候変動のすべてを説明できるとは限らないことに気をつけていなければいけないのは確かだ。
だからといって、「今のトレンドは、Climate Change(気候変動)という言い方だよ」とか、さも得意気に指摘して喜んでいるだけでは、巨大ハリケーンによる被害を何も解決できない。
パソコンが買った瞬間から性能的に過去の遺物になって古びていくのと同じで、学説などというものは常に陳腐化するのが普通だ。

研究者でない一般人にとって大事なことは、ネットで読んだ程度の耳学問をふりかざして古びた学説をあれこれ揶揄することではなくて、シンプルに、ハリケーンで被害を受けた人たちに思いを寄せることだ。

damejima at 06:21

July 19, 2011

テレビがメディアの不動の中心だった時代が終わったことで、全米視聴率が簡単には10%を越えられなくなったのは普通のことだし、MLBのオールスターの6.9%という数字自体は、他の主要スポーツの大規模イベントや人気ドラマシリーズの最終回などと比べても、けして遜色ない数字であることを、前回書いた。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年7月18日、去年より低かったオールスターの視聴率について (1)6.9%だからMLBは衰退しているとかいう、くだらない議論。いまの日本人の「議論能力」の無さに呆れる


しかし、だ。

この記事 (ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年7月3日、「ここまでするか」と感じる、2011年オールスター投票の作為。) で、書いたとおり、
例年、250万票から、多くても400万票ちょっとで決まっていたオールスターの外野手の投票数が、700万を越えるような得票を得た選手が出現し、他にも何人か600万票を越える得票を得た選手が数人出現するようなシーズンのオールスターで、「視聴率が前年より下がる」などという事態は、どう考えてもおかしいとしか言いようがない。

2000年代MLBオールスター視聴率の推移
MLB All-Star Game Earns Record Low 7.9 Overnight | Sports Media Watch


あらためて書く。

例年の2倍もの得票を獲得したプレーヤーが出現したオールスターなら、本来なら視聴率が上がるはず。ガクンと下がるわけがない。どうみてもおかしい。
なにか投票結果に「歪み」があったとしか思えない



以下に、「今回のオールスターで、視聴率が伸びた都市」と、その年を含む州を、アメリカの地図にプロットしてみた。
わざわざこんなめんどくさい作業をした意味は、もちろん、「大量に投票があったにもかかわらず、全米で視聴率が下がった『歪んだオールスター』を、テレビで熱心に見たファン層は、どこの街に存在するのか?」を、ちょっと地図上に並べてみて、今回の投票が異常なのかどうか調べたい、ということだ。

もし、「視聴率が急激に上がった都市と、例年にはありえないほどの大量得票を得てオールスターに出場した選手の所属チームのフランチャイズが、一致する」のなら、それは明らかに、自分の応援したい地元のスターを応援するためにファンが大量投票し、その選手がオールスターに出られることになった後は、テレビにかじりついてオールスターを観戦した、という「まっとうな流れ」が確認できることになる。

2011年オールスターで視聴率の上がった地域・都市

都市別のオールスター視聴率
ミズーリ州セントルイス 17.8%
ペンシルベニア州フィラデルフィア +11% up(14.7←13.3)
アリゾナ州フェニックス        +45% (10.6 ←. 7.3)
オハイオ州クリーブランド      +42% (9.5 ← 6.7)
テネシー州ノックスビル       +42% (4.7 ← 3.3)
カリフォルニア州サンフランシスコ +28% (11.1 ← 8.7)
ヴァージニ州リッチモンド      +23% (7.5 ← 6.1)
ペンシルベニア州ピッツバーグ  +21% (8.6 ← 7.1)
サウスカロライナ州グリーンビル  +16% (8.6 ← 7.4)
テキサス州オースティン       +16% (5.7 ← 4.9)
ノースカロライナ州グリーンズボロ +14% (8.3 ← 7.3)


上の結果を見てもらうとわかるが、正直言って、いくつかのハッキリした特徴とともに、オールスターに選出された選手のフランチャイズと、高視聴率の地域がまるで一致しないことを指摘しないわけにはいかない。


数字上の特徴

1)オールスターの視聴率が伸びたのは、THe South Atlantic States(フロリダ州、ジョージア州、ノースカロライナ州、サウスカロライナ州、バージニア州、ウェストバージニア州 ワシントンD.C.など)のうち、北のエリアに位置する州(ノースカロライナ州、サウスカロライナ州、バージニア州)で集中的な視聴率アップがみられる。これらはいずれも「アメリカ南部」と言われる地域の州。

2)ノースカロライナ州、サウスカロライナ州、バージニア州には、メジャーの球団のフランチャイズはまったく無い。だが逆に、マイナーは非常にたくさんある。また、これらの州のカレッジベースボールは近年非常に盛んになっており、野球自体は非常に盛んな地域。

2)サウス・アトランティック以外で視聴率が上がった都市として、サンフランシスコと、テキサス州の州都オースティンがあるが、これらはいずれも去年ワールドシリーズ出場チーム(ジャイアンツ、レンジャーズ)の地元

4)たくさんのオールスター・プレーヤーを輩出した東地区のニューヨークやボストンには、オールスターの視聴率アップとかいう現象は見られない

5)同じく、ボティースタの所属するブルージェイズの地元トロントで大幅な視聴率アップがみられた、という報告は、今のところ発見できない。



数字から推定できること

1)セントルイスはこの9年ほどの間、オールスター視聴率が最も高い数値を示す都市であり続け、「全米で最もMLBオールスターが好きな都市」である。だからセントルイスについて「投票の歪みへの関与」を考慮する必要は全くない。また、サンフランシスコとテキサス州オースティンは、明らかに去年のワールドシリーズの影響から視聴率がアップしたのだと思われるので、これらの都市も考察から除外できる。

2)パイレーツが何シーズンかぶりの首位争いを演じているピッツバーグは、オールスター観戦もひさしぶりに盛り上がって当然のような気もするが、断言できるわけではない。

3)どうしてもオールスターで活躍するボティースタを見たいトロント市民が、オールスターの当日、テレビ中継をテレビにかじりついて見た、と断定できるような視聴率データは、今のところ見つからない。(といっても、カナダの視聴率データを見たわけではない。見たのはアメリカのニールセン程度)
だが、今のところ、トロント市民がオールスター出場がどうみても確定的なボティースタを、オールスターになんとしても出場させようという意図で大量投票するとは、考えにくい。そんな無駄な苦労などしなくても、今年のオールスターで彼は選ばれるだけの成績を残していた。

4)ボストン、ヤンキースファンの大量投票の可能性
大量のオールスター出場者を輩出したボストンやニューヨークはどうだろう。それらの州で「視聴率がハネ上がった」というデータは見られない。
考えられるのは、「彼ら大都市の住民は、大量投票を行って投票結果を左右した事実はあるものの、実際にテレビでオールスターを見ることはしなかった」、もしくは、「数百万票単位の大量投票自体、大都市の住民によるものではない」という可能性が考えられる。
なんせボストンやヤンキースのファンは全米にいるわけだし、なにもボストンやニューヨークの市民がシャカリキに大量投票をするとも思えない。

5)アメリカ南部での謎の視聴率アップ
メジャーの球団がないアメリカ南部のいくつかの都市(ノースカロライナ州、サウスカロライナ州、バージニア州など)で、視聴率がグンとアップしているのは、目を引く。
理由として思いつくことがあるとしたら、近年のカレッジ・ワールドシリーズにこれらの州がたくさんの有力校を送りだすようになってきていて、これらの州の野球熱がこれまでになく高まりつつある可能性があること。それと、サウス・アトランティックの大学同士の対戦になった今年のカレッジ・ワールドシリーズとオールスターの日程が近接していたことで、これらの州でMLBオールスターへの関心がより高まった、という可能性も考えられなくもない。
だが、その一方で、メジャー球団がある都市での近年のオールスター視聴率がけして改善されてない状況の下で、「メジャーの球団の無い州の視聴率だけが異常に改善される」というのも、違和感が残る。
簡単に言えば、「不自然」だ。

6)外国からの大量投票の可能性
オールスターの投票は大量にあった、にもかかわらず、全米視聴率は下がった、ということは、単純に、「オールスターへの大量投票が行われたのが、アメリカ国内からの投票ではない」という可能性もある。
オールスターの投票は、オンラインでできるために、アメリカ国内からではなく、中米のスペイン語圏はもちろん、中国や韓国、日本など、アジアからでもできる。(今年はMLBが中国マーケットの開拓のために中国国内からのMLBのネット中継を無料開放している、という事情もある)
もし、「アメリカ以外のどこかの国から異常な大量投票があった」という仮説は、「オールスターの投票は非常に多かったのに、アメリカ国内の視聴率は下がってしまう」という矛盾した現象を、スムーズに説明することができる。


まぁ、当然のことながら、何も断定できるわけではない。
だが、こうした邪推ととれないこともない推定は、マスメディアでハッキリ表明されることはない。それでは「自由」ではない。



ブログとしてあらためて言わせてもらう。

これだけ異常な量の票が集まったのに視聴率が下がるのは、納得できない。公開されることなどないだろうが、「州単位」、「国単位」でいいから、投票数を自分の目で確かめてみたいものだ。たぶん、ひと目で「歪み」がわかるんじゃないか。






damejima at 18:55

July 18, 2011

多忙なためになかなかブログを更新できなかったので、扱う話題がしばらくはちょっと古い話になりそうだ。申し訳ない。


まずは、6.9%に下がったMLBオールスターの視聴率について。(去年は7.5%)

この件について、このブログ本来の意見を言う前に、まず「地ならし」のために言っておかなければならないことがある。(自分の意見だけ言い放って済ませるのがブログの快感なのに、世間には本当に馬鹿な人が多くて、自分の意見を言う前にまず整地して平らにしておかなくてはならないのだから、やれやれである)


某巨大掲示板がまさにそうだが、なんというか、テレビの視聴率についてよくもあれだけ馬鹿げた、根拠のない思い込みだけを元に、野球が終わっただのなんのと、くだらないバッシングをデッチ上げることができるものだ。
MLBオールスターの視聴率が6%台であること、ただそれだけを理由にあげつらって、野球人気だの、アメリカのスポーツ人気だのをあれこれ語るなど、あまりにも馬鹿らしい。くだらなさすぎて、語りたくもない。

だが、ああいう議論とはまるで呼べない低レベルの雑談ですら、きちんと馬鹿にできる人間、クズなものをクズと言い切れる人間が見当たらないのだから、しかたない。自分で書かざるをえない。


たとえば日本の新聞記者などは、数字の意味も頭に入れないまま、あたかもMLBがひどく低迷しているかのようなイメージで、思いつきで記事を書いていい気になっているのだから、これはもう、どうしようもない。彼らはもはやプロのモノ書きのレベルではない。
年老いた彼らの頭の中では、いまだにアイドルの出す黒い塩化ビニールのLPレコードが100万枚以上売れ、いまだに年末の紅白歌合戦を日本の60%以上の人がテレビの前に座って、みかんの皮をむきながら見ているのだろう。
マジに、脳のポンコツさ加減にも程がある。


日本のマスメディアのおめでたいガラクタと、掲示板で必死に野球をバッシングしているガラクタは、ちょっと考えただけも、2つの点で間違っている。
まず、いわゆる「テレビ視聴率で全てを把握できた時代」など、とっくの昔に終わっていること。そして、「全米6.9%という視聴率の意味」がまるでわかってないこと。


アメリカでは、Broadcast Programs、いわゆるオープンエアーで放送されるテレビの番組の人気、あるいは3大ネットワークだけがメディアを牛耳れた時代など、とっくの昔に終わっている。
ケーブルもインターネットもない1960年代に、ビートルズThe Ed Sullivan Show(エド・サリバン・ショー)に出て、全米で45.3%と、スーパーボウル並みの視聴率を集めることができた、そういう「テレビ全盛時代」はとっくに終わったのだ。
こんな誰でもわかっていることを書くだけで貴重な時間が潰れていくのが実に馬鹿らしくて嫌になる。
World Series television ratings - Wikipedia, the free encyclopedia

ケーブル、ネット上の違法ストリーミング、Youtube、Facebook、Twitterなど、メディアの役割は分散しながら、新しい時代を迎えている。最近の中近東の政治情勢の変化にFacebookが果たした役割はよく知られている。
アメリカでWWE(プロレスの一種)やNBAを見るのはケーブルテレビだが、ケーブルテレビは日本以上に発達している。アメリカを旅行してホテルでテレビを見たことのある人ならわかるだろうと思うが、旅行者ですら100を越えるプログラムから自分の見たいものを選択することができる。

また、テレビ全盛時代が終わったということは、視聴者の行動のすべてをニールセンなどの視聴率調査会社が完全把握できた時代も終わったということだ。
今は、テレビやケーブルだけが情報ソースではなく、インターネット上に違法なスポーツ観戦ストリーミングなども無数にあり、見たいスポーツイベントの大半は、ネット上で、しかも無料で見ることができる。こういう違法な視聴のあり方は、もちろん視聴率には現れてこない。
また、アメリカの人気テレビシリーズについて言えば、視聴率は低くとも、世界マーケットに展開した後でのDVDレンタルでの凄まじい収益や人気は、ニールセンの数字には表れてこない。(そのため、人気ドラマHeroesなどは、放送するNBC自身が、見逃しても無料で見られるネット上のストリーミングサイトを開設して、人気のキープに励んでいた。もちろん、放送終了後の世界展開での収益を見込んでいるのである http://www.nbc.com/Heroes/)
単に視聴率が下がったからといって、関心が下がったなどとは必ずしも言い切れないし、むしろ、そんな単純なことを言っているヤツは、ただの馬鹿だ。


あらためて歴代のテレビ視聴率のランキングを見ると、大半が1960年代から1990年代前半までの、しかも、ほとんどがNFLスーパーボウルのデータであり、いかにインターネットが普及する2000年前後以降にメディア環境が変わったか、よくわかる。
いくらスーパーボウルが人気があるとはいえ、2001年以降に視聴率45%を越えることができたのはセインツ対コルツの2010年しかないのだ。スーパーボウルがコンスタントに45%を稼ぎ出せたのは、1970年代後半から80年代にかけての「テレビ時代」の話だ。
その一方で、Britain's Got Talentで世界に知られたスーザン・ボイルの動画がそうであるように、Youtubeのちょっとした動画が億単位のアクセスを集める、そういう時代なのだ。
6.9%だから野球は終わったとかどうとか、くだらないにも程がある。

たとえば、今年の春から夏にかけてのスポーツイベントの視聴率を見てみる。
ケンタッキーダービー 6.7%
NCAAトーナメント 6.4%
FOX NASCAR SPRINT CUP-02/27/2011 5.9%
NHLスタンレーカップ ファイナル第7戦 4.8%
ゴルフ 全米オープンのファイナルラウンド 4.5%


野球を叩きたがる数字音痴が口癖のように言いたがるのは、アメリカで人気があるのはNFL、NBA、NHLで、MLBはその次だとかいう、お決まりの陳腐なセリフだが、例えばNHLは、MLBのワールドシリーズにあたるスタンレーカップの、それもファイナル第7戦ですら、全米視聴率は5%も無いのである。
また、詳しくは書かないが、ケーブルにおけるNBAの数字は、1%台から3%台であることが珍しくない。
当然のことだが、これらの低い数字は、それらのスポーツが人気低迷状態にあることを意味する数字ではなく、「テレビ視聴率で何か言えた時代など、とっくに終わっている」という単純な話だ。


スポーツ以外のテレビ番組にも目を向けてみる。

America's Got Talentは、携帯電話のセールスマンだったポール・ポッツや、ただのオバサンだったスーザン・ボイルをスターにしたイギリスのBritain's Got Talentの元ネタになったオーディション番組で、週間視聴率全米トップ5に入るほどの人気番組だが、この人気番組America's Got Talentですら、視聴率は7.2〜8.8にしかない。

2010年に終了した全米人気テレビシリーズで、
日本でもヒットした作品の最終回視聴率

Lost       7.5%
24         5.2%
Ugly Betty  4.2%
Heroes     2.8%


2000年〜2009年に終了した
全米人気テレビシリーズで、
日本でも大ヒットした作品の最終回視聴率

ER         10.4% 2009
The X-Files   7.9% 2002
Nash Bridges 6.3% 2001



視聴率7.5%で終了したLostや、視聴率5.2%で終了した24を「全米大ヒット」ともてはやす一方で、視聴率6.9%のMLBが低迷とか言っているヤツは、それが日本のスポーツメディアのガラクタ記者であれ、一般人であれ、根本的に馬鹿だ。
そもそも「インターネット時代に、テレビがどういう位置にあるか?」 という、今の時代には誰でもが頭に入れていなければならないことすら、まるでわかってない。
MLBのチームでも、白人の多いチームもあれば、多国籍なチームもあり、地域性がマーケティングに反映する。アメリカには、たくさんの人種がいて、それぞれがある種の文化的な意味のタコツボに入っていて、文化的なコミュニティを持っている。
いくら誰でも楽しむことができるのがスポーツの良さではある。だが、大半の人気ドラマシリーズの最終視聴率すら10%どころか5%にも満たずに終わってしまうこの時代に、特定のスポーツの特定のイベントが全米の人口の10%以上を確実に楽しませることは、もう昔のテレビ全盛時代のように簡単な話ではないのだ。


こんな当たり前のことすら、こうして時間を費やしてブログに書かなくてはならないのだから、日本のスポーツをめぐる言説のレベルも、本当にたかがしれている。

今の日本では、こんな、言わなくてもよさそうなことでさえ、きちんと言っておかなくてはならない。どうしてまた、こんなに言説のレベルが下がっているのか。
下がったのは、MLBのオールスターの視聴率以上に、日本の言葉と議論のレベルだ。






damejima at 19:18

July 09, 2011

2010年春に、ベテランアンパイア、Joe Westが、ヤンキースvsボストン戦の「ゲーム進行の遅さ」を批判する発言をしたことで、さまざまな反響が沸き起こったことを紹介したが、その中のひとりに、Phil Birnbaumというセイバー系の人物がいた。(まぁ、ぶっちゃけ、アナリストというより「純粋な数字マニア」と思ったほうがいい人物のようだが 苦笑)

Phil Birnbaumの調査がものすごいのは、「ゲーム進行が遅いというのなら、具体的に試合進行を遅らせているのが、どの選手の、どんなプレーかを調べてしまおう」という発想のもとに、さまざまな選手のプレーを「秒単位」で調べてランキング化しているからだ。よくもまぁ、ここまで調べるものだと思う(笑)
Sabermetric Research: Why are Yankees/Red Sox games so slow?

例えば、彼が調べた数字のひとつに、「キャッチャーがピッチャーに返球する速度」というのがある。こんな数字を調べた人、初めて見た(笑)
彼の説明によれば、「キャッチャーの返球は、1試合につき140回くらいはある。だから、もしそれがトロトロしていれば、当然のことながらゲーム遅延の原因になる」というのである。

たしかに。
言われてみればそのとおりだ。非常に論理的である(笑)だが、そこにあえて着目してしつこく調べるあたりが、なんとも「数字オタク」っぽい(苦笑)

ともあれ、彼が(たぶん)苦労して調べた「ピッチャーへの返球の遅いキャッチャー、早いキャッチャー ランキング」をみてやってもらいたい。
ただ、気をつけなければいけないと思うのは、彼がMLBのあらゆるキャッチャーを調べた、とは思えないこと。かなりマイナーなキャッチャーもランキングに登場しているから、かなり調べているのだと思うが、それにしたってここまで詳細な数字は、一生かかっても全員分は調べきれないだろうと思う。
眉間に皺を寄せたりせず、「なるほど。返球といえども、キャッチャーによってこんなに違うんだな」くらいのゆったりした気分で気楽に眺めるべきだろう。
(トップ3の名前の後にある2つの数字は、キャリア打率と、キャリアCERA。オリジナル記事にはなく、後からブログ側で付け加えた)

slow catchers: ゆっくりタイプ

+6.01 Gary Bennett   .241 4.65
+5.63 Benito Santiago .263 3.92
+4.73 Einar Diaz      .259 4.88
+4.43 Tom Wilson
+4.12 Ryan Hanigan
+3.76 Doug Mirabelli
+3.05 Javier Valentin
+2.87 Eliezer Alfonzo
+2.44 Kelly Shoppach
+2.40 Mike Piazza

fast catchers: せかせかタイプ

-4.67 Eddie Perez  .253 3.81
-4.09 Josh Bard   .256 4.13
-3.88 Omir Santos  .253 4.44
-3.88 Chris Coste
-3.58 Jeff Clement
-3.35 Ken Huckaby
-3.33 Charles Johnson
-2.97 John Flaherty
-2.97 Tom Lampkin
-2.61 Ben Davis

このランキングに注目したのは、実は理由があって、いまシアトルで控え捕手になっているジョシュ・バードの名前があったからだ。

バードが今シーズンプレーしたゲームは数試合しか見ていないが、「せかせかしたテンポでゲームを進める、せっかちなキャッチャーだな・・・・」と、反射的に思ったのを覚えている。

実は、ジョシュ・バードの名前は昔から頭にあった。
というのも、ダメ捕手城島がシアトルに在籍していた2007年のCERAランキングで、常にトップにいたのが、当時サンディエゴに在籍していたジョシュ・バードだったからだ。

2007年6月30日時点のCERAランキング
(ソース:ブログ資料)
●2点台
バード    2.56 SD
アルフォンゾ 2.91 SFG
●3点台前半
ヒル    3.03 CHC
ケンドール 3.21 OAK
バーク   3.25 SEA
ミラー   3.27 MLW
ボーエン  3.46 SD
スナイダー 3.47 ARI
●3点台後半
マーティン  3.56 LAD
カストロ   3.58 NYM
マウアー   3.60 MIN
ロ・デューカ 3.67 NYM
バリテック  3.72 BOS
マッキャン  3.77 ATL
ミラベリ   3.82 BOS
フローレス  3.86 WSN
ナポリ    3.87 LAA
モリーナ   3.92 SFG
フィリップス 3.99 TOR

城島     4.98 SEA

バードのキャリアのCERAは4.56。同時期のMLB平均は4.69だから、特筆すべき数字でもなんでもない。だが、こと2007年に限ってだけいうと、3.40と、CERAランキングの常に上位につけていたドジャース時代のラッセル・マーティンを上回るような数字だったので、よく覚えているのである。
Josh Bard Fielding Statistics and History - Baseball-Reference.com


「返球テンポの非常に早いキャッチャー」が、ゲームにどういう影響を与えるかについては、想像では色々言えるものの、間違いなくそうだ、と言いきれるほどの確証はない。

投球テンポがいいことで知られているクリフ・リーはかつてシアトル在籍時代に、ピッチングのアドバイスを求めたジェイソン・バルガスに対して「投球テンポを早くして、打者に考える暇を与えるな」と言ったものだが、「ピッチャーがテンポよく投げる」ことと、「キャッチャーがせかせかとしたテンポでプレーする」のは、意味がまったく違うとしか思えない。

ピッチャーのテンポの良さには、キャッチャーがせっかちに見えるほど早く返球し、光速でサインを決め、即座に投げるとか、そういう投手と捕手のやりとりの物理的速度などより、「ストライクを初球からビシビシ投げこむことができる、コントロールとクソ度胸の2つ」が投手に備わっていなければ意味がない。

ボール球ばかり、テンポ早くどんどん投げていたのでは、それだけで大量失点してしまい、まったくゲームにならない。
また、ボルチモアのような打線全体が早打ちしてくるチームとの対戦の場合、「打者が打ってくる早いテンポ」に「バードの早いテンポ」が合ってしまうと、途方もない連打を食らう可能性は考えられる。


投球テンポの主導権はやはり、ピッチャーが握っていてもらいたい、と思う。だから、キャッチャーがあまりにもせかせか、せかせか返球していたのでは、中には「迷惑だ」と感じる投手がいてもおかしくないと思ってしまうのだが、どうだろう。

「せっかち」と「テンポの良さ」は、やはり違うと思う。






damejima at 08:50

July 07, 2011

MLBにはたくさんの不文律(unspoken rule, unwritten rule, "Baseball Code")が存在するが、ヤンキース対ボストン戦のいつもながらの試合展開の遅さにクレームをつけたアンパイア、ジョー・ウエストに対して、"Go Home"と口汚く罵倒したボストンのジョナサン・パペルボンではないけれど、「不文律」を破る例もまた、数多く存在する。
2011年7月5日、ゲームの進行が遅いとクレームをつけた最年長ベテランアンパイア、ジョー・ウエストに、ジョナサン・パペルボンが放った"Go Home"の一言。 | Damejima's HARDBALL

不文律は本当に存在するのか、しないのか。

この結論の出にくい疑問をあれこれ考え続ける人もいてもいいのだが、たぶんそれだけで一生が終わってしまう。それはさすがにもったいない。
それよりも、「自分の中で、これは不文律であり、絶対にゆずれない」と思うタブーを犯す人間が出てきたときに全力で怒りまくること、それと同時に、もし自分がタブーを破ったことがわかっても「絶対に簡単に謝ったりしないこと」、この両方のルールを同時に存在させることが、ある意味でアメリカはじめ欧米における「不文律」だ、ということが理解でき、自分でも実行できることのほうが大事だ(笑)
なんともややこしい話だ。


「相手投手のマウンドを横切った」アレックス・ロドリゲス
2010年4月22日
OAK vs NYY 6回表 スコア3対2
New York Yankees at Oakland Athletics - April 22, 2010 | MLB.com Gameday
1死ランナー無しの場面で、ヤンキースの4番Aロッドが、オークランド先発ダラス・ブレイデンからシングルヒット。次打者5番ロビンソン・カノーは、2球目のシンカーをレフト線へ長打性のファウルを打った。このとき、ランナーのAロッドは既にサードを回っていた。
ファウルだから、Aロッドはもちろんファーストベースに戻るわけだが、このときAロッドがサードからピッチャーズ・マウンドを横切ってファーストに帰ったことから、問題が起きた。
ブレイデンは、その次の3球目ストレートでカノーをファーストゴロに仕留め、ブレイデン自身でファーストにベースカバーに入ってダブルプレーを成立させ、イニングをリードしたまま終えることに成功したのだが、彼は既に「Aロッドに自分のマウンドを横切られたこと」で相当に激高していて、セカンドでアウトになり三塁側ダグアウト方向に戻りかけているAロッドとニアミス状態になったとき、声を荒げて“Get off my mound!” 「俺のマウンドだっ! 失せやがれっ!」と、怒鳴り散らした。
ブレイデンは1塁側ダグアウトに戻ったときも、ベンチに自分のグラブを叩きつけ、目の前にあるモノ全てを蹴りまくって、怒りを爆発させ続けた。(なお、この事件の起きた日付を日本のWikiは4月29日としているが、正しくは4月22日)



MLB公式サイト記事:A's Braden exchanges words with A-Rod | MLB.com: News

MLB公式サイト記事:Unwritten rules reflect baseball's protocol | MLB.com: News


この「Aロッド マウンド侵入事件」について、日本のWikiのような国内にある資料だけを読むことしかしないでいると、あたかも「不文律を厳格に遵守するMLBでは、この件については関係者全員が『Aロッドが絶対的な悪者』と考えている」かのように思ってしまうかもしれない。

だが、それは間違いだ。
この件についての判断は、さまざまな立場の意見が入り乱れて存在していて、必ずしも「AロッドはMLBの絶対的タブーを犯した! 罰するべき!」なんていう空気にはならなかった。

例えばNBC Sportsの以下の記事では、90年代に2度のワールドシリーズ優勝を経験し 239勝を挙げた左腕David Wellsの「まったくもってブレイデンが正しい」との意見を紹介する一方で、南カリフォルニア大学で1998年にカレッジ・ワールドシリーズに優勝し、ヒューストンでプレーした三塁手Morgan Ensbergの「ホームベースをカバーした投手がマウンドに戻るとき、『打席の中を絶対に踏むな』とは言われないだろ? ランナーはマウンドに絶対に入るなって話のほうがおかしいよ」という意見も紹介している。
(ちなみに、Morgan Ensbergは引退間際にほんのちょっとだけヤンキースでプレーして引退したというキャリアの選手だから、その「身贔屓な部分」を差し引いて考えないと判断を間違える)
A code to play by: Baseball's unwritten rules - Baseball- NBC Sports
この記事では、他に、ロブ・ジョンソントロイ・トゥロウィツキーライアン・ブラウンマット・ホリデーなどの意見を掲載しているが、彼らは現役選手だけに、けして歯切れのいい意見は聞こえてこない。トロイ・トゥロウィツキーなどは「まぁ、よくわからんけど、冷静にプレーすりゃいいんじゃないの?」などと、当たりさわりの無いことを言って、きわどい質問をかわしている。

だが、実際のゲームで「自分の思っているアンリトゥン・ルールを誰かに破られたとき」に、トゥロウィツキーが激高して殴りかかってこない保障はどこにもないのが、MLBである(笑)


もうひとつ例を挙げておこう。


「5点リードした8回に2連続盗塁した」カルロス・ゴメス
2011年4月9日
CHC vs MIL 8回裏 スコア0対5
Chicago Cubs at Milwaukee Brewers - April 9, 2011 | MLB.com Classic
5点リードで8回裏を迎えたミルウォーキーは、1死走者なしでマーク・コッツェイが四球を選び、代走として、1985年生まれの俊足の外野手カルロス・ゴメスを送った。
Carlos Gomez Statistics and History - Baseball-Reference.com
次打者ウィル・ニーブスの打席で、問題は起きた。
1塁ランナー、カルロス・ゴメスが二盗、三盗を決めたのである。これは明らかに「大量リードの終盤には、盗塁してはいけない」という不文律に反している。

おまけに、この2盗塁は、ただの盗塁ではない。
ゴメスは、1死1塁のニーブスの打席中に盗塁してセカンドに行っただけでなく、打者ニーブスが四球で歩いた瞬間に、2アウト・フルカウントの自動スタート状態でもないのにスタートを切って三盗まで実行し、1死1、3塁にしているのだ。これはさすがに、えげつない。
その後四球と三振で二死満塁になり、2番ナイジェル・モーガンが押し出し四球を選んだことで、三塁走者カルロス・ゴメスは生還を果たし、6-0。このスコアのままゲームは終わった。
動画(MLB公式):Baseball's wnwritten rules apparently open to interpretation | brewers.com: News


と、まぁ、ここまで書くと、よくある若い選手の不文律破りのエピソードのひとつに聞こえるかもしれないが、実はそうでもない。もう少し書く。

この「カルロス・ゴメスの5点差での2連続盗塁」について、彼を代走に出したミルウォーキーの監督Ron Roenickeは、こういう趣旨の発言をした。
20年前じゃあるまいし、5点差なんて、いまどきセフティ・リードとは言えない。満塁ホームランを打たれれば、すぐに追いつかれちまう。だから5点差で盗塁したって、問題ない
Ron Roenickeは、「不文律だって時代とともに変わるのさ」というロジックで、「8回5点リードでの2連続盗塁」を肯定したのである。
"Today's game is not 20 years ago. You can get five runs in one inning. ... People used to say you're not supposed to run in the seventh, eighth or ninth when you're up by more than a grand slam. That is completely out of this game today. It's not even close.
Brewers Late Baserunning Renews Questions About How Much is Too Much | The Baseball Codes



「11点差の場面で故意に2盗塁して乱闘を引き起こした」ナショナルズ時代のナイジェル・モーガン
2011年4月9日に、「不文律を破って2盗塁したカルロス・ゴメス」を生還させる四球を選んだミルウォーキーの外野手ナイジェル・モーガンについても書こう。
彼は今はミルウォーキーだが、前年2010年にはワシントン・ナショナルズの選手で、彼自身2010年9月1日、14-3の大差でリードされている4回表に、故意に2盗塁を決めて、その結果、6人が退場する乱闘騒ぎのトリガーを引いた。
要は血の気の多いモーガンは「不文律」を故意に破ることで「喧嘩のネタ」にしたわけで、これは不文律の悪用だ。
Washington Nationals at Florida Marlins - September 1, 2010 | MLB.com Wrap

2010年8月30日から、ナショナルズは、フロリダ・マーリンズ戦を迎えたのだが、外野手ナイジェル・モーガンが、マーリンズのキャッチャー、ブレット・ヘイズにタックルし、左肩を脱臼させた。



そして翌日。9月1日。
ナショナルズは、3回には既に3-14の大量リードを奪われていたが、4回表、マーリンズ先発クリス・ヴォルスタッドが、ナイジェル・モーガンにデッドボールを与えた。これは前日のゲームでキャッチャーの肩を脱臼させられたマーリンズ側のモーガンに対する「報復死球」とみられた。
ぶつけられたモーガンは、二盗、三盗を立て続けに決めた。もちろん「大量点差のゲームでは盗塁はしない」という「不文律」を故意に破ったわけで、モーガンの「報復死球への、報復盗塁」というわけだ。

ここまでされたらマーリンズも黙ってはいない。
6回に再び、モーガンが打席に立つと、マーリンズ先発ヴォルスタッドは再びモーガンの背中を通過する危険球を投げた。つまり、「報復死球への、報復盗塁への、報復」というわけだ。血相を変えたモーガンは一気にマウンドに駆け上がっていき、投手ヴォルスタッドをぶん殴り、あっという間に大乱闘に発展し、4人の退場者が出た。
この乱闘中、モーガンを地面に押さえつけたのは、マーリンズの一塁手ゲイビー・サンチェスだが、なんと7回にナショナルズのリリーフ投手ダグ・スレイトンは、このサンチェスにまで「報復死球」を与えたことで、ナショナルズ監督リグルマンなど、さらに2人の退場者が出た。
こうして報復が報復を呼ぶ遺恨試合の結果、6人が退場処分になった。



「不文律」は、なまじ「明文化されていないルール」だけに、たとえばメジャーとマイナーではルールが違うらしいし、また、選手の年齢によっても何を不文律と感じるかは異なる。「これは不文律だから守って当たり前、と、自分で思いこんでいるルール」は、実は、選手やシチュエーションによって異なっているのである。


少なくとも書きたかったのは、
「MLBでは不文律を絶対に破らない」という不文律、アンリトゥン・ルールだけは「無い」ということだ。

あらゆる選手、あらゆる監督が、いつでも「不文律を破る」可能性をもっている。

damejima at 19:00

June 13, 2011

何か、ハッキリしたいのにモヤモヤしていて言えなかったことが形にできたときは、まるで流鏑馬(やぶさめ)で、矢が的を真っ二つに割るような、そんなスッキリした気持ちになるものだ。

NBAファイナルで、2006年に一度ファイナルで敗れているマイアミ・ヒートを破って初優勝したが、ダラス・マーヴェリックスの38歳「ミスター・トリプルダブル」ジェイソン・キッドが使った「支配」という言葉が、まさに、的を射抜いてくれた。



ジェイソン・キッドは3度目のトライで遂に栄冠を手にした。試合直後にインタビューされていたが、同じマイアミ・ヒートに2006年に決勝で敗れたことだし、さぞ感激したことだろう。
相手のヒートには、キッドがガキの頃から近所で一緒にプレーしてもらった同じポイントガードのゲイリー・ペイトンがいたとか、ジェイソン・キッドは実は野球もやっていたとか、そういうことはまぁ、どこかのサイトが書くだろう。そういうのはほっとこう。
ジェイソン・キッドがイチローについて語った「支配」という単語が非常に興味深い。

イチローが将来、殿堂入りすると思うかと聞くと、「殿堂入りするはずだ。彼はバットのひと振りと足で試合を変えることができる。あれだけの支配力がある選手は、キャリアが終わったときには殿堂入りするべき」と主張した。そう言うキッドも、将来は間違いなくバスケの殿堂入りを果たす選手だ。
【NBA】ジェイソン・キッドが語る「オレとイチローの共通点」 - 雑誌記事:@niftyニュース


「支配」ね。
なるほど。


彼の言う「支配力」を、もうちょっと自分流にわかりやすくしてみたい。
ジェイソン・キッドの言う「支配」はたぶん「ゲームを支配すること」を指していると思う。
この「ゲーム支配力」という説明手法は、これまで「流れ」とか、そういう曖昧な説明に終始してきたスポーツの意味的な仕組み、かけひきの構造を、もっとクリアでわかりやすい構造にして、目にみえるものにしてくれる。少なくとも、単なる利益最大化をめざす古くさいゲーム理論程度は軽く超越してもいる。
いろいろなスポーツで、いままで曖昧なまま放置され、曖昧に説明されてきた事象はたくさんあるが、それらをもっとわかりやすい言葉に変換し、誰でもが説明できる、ひとつのツールにできる可能性がある。


うまく例がみつかるかどうかわからないが、
別の角度で説明してみよう。


「ボール・ポゼッション」とか「ボール支配率」というサッカー用語がある。そこでいう「支配」という言葉の意味は、単に「ボールを持っている時間の長さ」のことであって、ジェイソン・キッドの言う「支配」とはまったく別だ。
サッカーでは、ボール・ポゼッションに関して、相手チームにボールをわざと「持たせる」という表現もある。だが、それがどういう状態をさすのか、誰でも頭ではわかってはいても、曖昧にしか説明されてない。

だが、「ゲームの支配」という発想を導入すると、こういう曖昧な表現にもっとクッキリした形を与えることができるようになる。

「相手チームにわざとボールを持たせる」というのは、「ボール支配権は相手にわざと渡すが、逆に、ゲームの支配を高めようとするマジカルな戦術」だ。別の言い方をすると、「たとえボールを長時間保持しようと、ゲームそのものはまるで支配できていない状態にさせる」という意味だ。
もっと具体的な例でいえば、ユーロ2008で優勝したスペインとロシアのゲームのように、ボールを『相手に持たせる』展開になった場合、「ゲーム支配権」があるのは、「ボールを持って、意味の無い横パスを繰り返して、時間を無駄にしているロシア」ではなく、逆に「ボールを持たずに、悠然と守備しているスペイン」にある。


話を野球に戻してみる。
野球は、攻守がイニングごとに交代するスポーツなわけだから、サッカーの「ボールを持たさせる」展開にあてはまるような場面は「無い」と、たいていは思われている。

いやいや。そんなこと、絶対ない。むしろ、そういうかけひきは野球の昔からある発明品だ。思うに、誰もきちんと言葉で説明できてこなかっただけのことだ。

ボールをただ保持するだけなのが「ボールポゼッション」なら、「ゲームを支配する戦術力」は「ゲーム・ポゼッション」とでもいえばいいか。
「ゲーム・ポゼッション」という発想で見なおしてみると、野球というスポーツには昔から「ゲーム・ポゼッション」的戦術はたくさん存在しているわけで、「ゲームを支配する」という発想からいろいろなことを説明しなおすと、もっとそういう昔からあった戦術の意味や目的、手法がクリアになり、もっと整理されてくるような気がする。


なにかわかりやすい「ゲーム支配」に関する例はないだろうか?
いくつか無理矢理あげてみる(笑)


1)「やたらランナーは出るが、得点できないゲーム」
よく「むやみにランナーを出すが、得点がほとんど無くて、負けてしまうゲーム」がある。たいていは「タイムリーが出ないのがダメ」とか、「バントしろ」とか、当たり前のことばかり言われて、話は終わりになってしまう。つまり、こういうゲームの構造は、これまであまりきちんと考察も対策もされてこなかった。

だが、「ゲーム支配」という発想を入れてくると、話はもっと明確な部分がでてくる。
要は、野球というボールゲームにおいては「いくらチャンスがたくさんあって、優勢に見えても、それで『ゲーム支配』ができているとは限らない」という話なわけだ。
こういうモヤモヤした事象を理解するには、今までにないくらい切れ味のある切り口が必要になる。じゃあ、どうすればこういうゲームでゲーム支配への突破口が切り開けるか? 言われても困るが(笑)

例えばバント。クロスゲームでのバントは、「もしゲームの支配につながる」のならバントすればいい。だが一方では、「バントに成功しても、ゲームポゼッションにまるで変化が起こらない」こともありうる。
つまり、「ゲーム支配」という観点からすれば、バントという戦術自体が有益か、そうでないか、絶対的に価値を議論することには、ほとんどなんの意味もないのだ。

2)敬遠で満塁にして、凡退を誘う
野球には「敬遠で、わざと満塁にする」という独特のタクティクスがあるが、これも一種の「ゲーム支配」なのは間違いない。
案外、満塁は点が入りにくいものだ。守備がしやすくなるという具体的なメリットもあるが、ものすごく有利な場面をポンと与えられるとかえってプレッシャーを感じて凡退してしまうのが人間というものだ(笑)

3)わざとボール先行カウントを作って凡退させる
イチローをバッテリーが攻める場合に、「わざとボールを2つ続けて投げて、カウントをわざと悪くしておき、次の球をわざと振らせて凡退させる」なんてオークランド風味の配球戦術もある。
これもどこか「ゲーム支配」の匂いがする。あきらめたようにみせかけているが、実は全然あきらめてない。


話が、本題から離れまくってしまった(笑)

ジェイソン・キッドがイチローについて言う「バットのひとふり」「走塁」は、誰がやっても「ゲームの支配力」を上げることができるだろうか。

もちろん、そんなことはない。

ゲームを支配するひとふり。
ゲームを支配する盗塁。
ゲームを支配するキャッチング。
それが誰にでもできるのなら苦労はしない。

サヨナラホームランはたしかに劇的だ。
だが、サヨナラホームランを1本も打たずに10年やって全米のスターになって、10年続けてオールスターに出続けることとの難しさを考えたら、サヨナラホームランを打つほうが、やっぱり簡単だ。誰でも人生に一度くらいサヨナラホームランは打てるが、10年続けてオールスターに出られるプレーヤーはいない。


もっと簡単に言おう。
イチローは、「ランナーとして1塁に立つだけでゲームを支配できる」そういうプレーヤーだ。






damejima at 21:11

March 18, 2011

SUKIYAKI

先日シンディ・ローパーのことを記事にしたが、日本人で、いまの日本を勇気づけられるシンガーがいるとしたら、この人以外、思いつかない。


坂本九さん。


坂本九さんは、1985年8月12日、あの日本航空123便墜落事故に巻きこまれて亡くなられている。(この事故、野球関係者では、阪神タイガース社長中埜肇氏も亡くなられている。遺体の身元確認が難航する中、中埜氏の遺体が確認できたのは、決定的遺留品として、この1985年に阪神タイガース球団が創立50周年を迎えたことを記念して作られた虎のロゴマーク入りのネクタイピンだった。同1985年10月16日、阪神タイガースは1964年以来となる21年ぶりのセ・リーグ優勝を遂げ、そのウイニングボールは中埜氏の霊前にたむけられた)
奇しくも、この1985年はシンディ・ローパーも参加したWe Are The Worldがレコーディングされた年でもある。


この震災にみまわれた2011年に、九さんの歌をYoutubeで聞いてみた。

昭和の歌だが、リクツ抜きにカラダに歌のチカラがしみわたってくる。
なぜ日本人坂本九さんの「上を向いて歩こう」が、「スキヤキ」として全米を席捲し、かのエド・サリバンショーにまで招かれたのか、その理由が、嫌というほどわかる。(ちなみに、たいへん残念なことだが、九さんは当時スケジュールがあわないという理由で、オファーがあったにもかかわらず、エド・サリバンショーに出演していない)

他のどの曲も、どうしてこんなに「せつな明るく」、素晴らしいのだろう。


   「二人なら 苦しくなんかないさ」


もう言葉にならない。


日本のミュージシャンはつまらないレコード会社の枠など越えて、日本版We Are The Worldプロジェクトとして、「上を向いて歩こう」をレコーディングし、世界に向けて発売すべきだと思う。(ただし泉谷しげるを除外)

ブログ主のどうでもいいリクツより、動画をクリックして曲を聴いて歌を胸に刻み、今日という、二度と来ない1日を、精一杯頑張ってほしい。



上を向いて歩こう

1961年4月からNHKで放送されていたテレビ番組「夢であいましょう」の10月、11月の「今月のうた」として発表され、同年10月にレコードが発売された。作詞永六輔、作曲中村八大。
春のセンバツ高校野球大会の入場行進曲に、日本国内で流行した曲が使われるようになったのは1962年の第34回大会からだが、その第1号の曲が、この「上を向いて歩こう」である。
坂本九さんは、67年70年と2度行進曲に選ばれている競作の「世界の国からこんにちは」を除いても、単独で発売した曲が、「明日があるさ」を含め4曲もセンバツの入場行進曲に選ばれており、この最多記録は今も誰にも破られていない。

下記のYoutubeのクリップの冒頭、英字新聞のカットで、この曲のタイトルを、SUKIYAKIではなく、SUKIYAKAと表記しているのは、間違いではない。むしろ、これがある意味、正しい。
なぜなら、アメリカで最初にこの曲を紹介したのは、ワシントン州パスコのラジオDJリッチ・オズボーンで、前年にイギリスでSUKIYAKIというタイトルで発売されていた「上を向いて歩こう」をオズボーンがラジオ番組内で紹介して評判になり、レコードとして発売されることになった経緯があるのだが、このときSUKIYAKAと、最後の一文字が誤記されたまま発売された、という歴史があるからだ。

ちなみに、2009年5月に亡くなった忌野清志郎は、1979年に「上を向いて歩こう」をカバーしている。
忌野清志郎がユニットを組んだことのある坂本龍一が畏敬する70年代の天才サックスプレーヤー阿部薫は、坂本九さんの甥(坂本さんの姉の息子が阿部薫)にあたり、坂本さんと阿部薫は、ともに神奈川県川崎市の出身なのだ。
また、R&Bの聖地テネシー州メンフィスは、リズム&ブルースに傾倒していた忌野清志郎の憧れの地で、2006年にレコーディングも行っているが、震災のなか来日して公演中のシンディ・ローパーもニューアルバムをメンフィスでレコーディングしており、さらには、「上を向いて歩こう」をカバーしようとしていたらしいエルビス・プレスリーが育ったのも、この街だ。

上を向いて歩こう - Wikipedia
Sukiyaki (song) - Wikipedia, the free encyclopedia

 上を向いて歩こう
 涙がこぼれないように
 思い出す春の日 一人ぼっちの夜

 上を向いて歩こう
 にじんだ星をかぞえて
 思い出す夏の日 一人ぼっちの夜

 幸せは 雲の上に
 幸せは 空の上に

 上を向いて歩こう
 涙がこぼれないように
 泣きながら歩く 一人ぼっちの夜

 思い出す秋の日 一人ぼっちの夜

 悲しみは 星のかげに
 悲しみは 月のかげに

 上を向いて歩こう
 涙がこぼれないように
 泣きながら歩く 一人ぼっちの夜

 一人ぼっちの夜
 一人ぼっちの夜





見上げてごらん夜の星を

大阪労音が1960年に制作・公演した同名のミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の劇中主題歌。作詞永六輔、作曲いずみたく。
見上げてごらん夜の星を (曲) - Wikipedia

 見上げてごらん 夜の星を
 小さな星の 小さな光りが
 ささやかな幸せを うたってる

 見上げてごらん 夜の星を
 ぼくらのように 名もない星が
 ささやかな幸せを 祈ってる

 手をつなごう ぼくと
 追いかけよう 夢を
 二人なら 苦しくなんかないさ

 見上げてごらん 夜の星を
 小さな星の 小さな光りが
 ささやかな幸せを うたってる

 見上げてごらん 夜の星を
 ぼくらのように 名もない星が
 ささやかな幸せを 祈ってる




明日があるさ

日本テレビのテレビドラマ『教授と次男坊』主題歌。作詞青島幸男、作曲中村八大。
明日があるさ - Wikipedia

 いつもの駅でいつも逢う
 セーラー服のお下げ髪
 もうくる頃もうくる頃
 今日も待ちぼうけ
 明日がある明日がある
 明日があるさ

 ぬれてるあの娘コウモリへ
 さそってあげよと待っている
 声かけよう声かけよう
 だまって見てる僕
 明日がある明日がある
 明日があるさ

 今日こそはと待ちうけて
 うしろ姿をつけて行く
 あの角まであの角まで
 今日はもうヤメタ
 明日がある明日がある
 明日があるさ

 思いきってダイヤルを
 ふるえる指で回したよ
 ベルがなるよベルがなるよ
 出るまで待てぬ僕
 明日がある明日がある
 明日があるさ

 はじめて行った喫茶店
 たった一言好きですと
 ここまで出てここまで出て
 とうとう言えぬ僕
 明日がある明日がある
 明日があるさ

 明日があるさ明日がある
 若い僕には夢がある
 いつかきっといつかきっと
 わかってくれるだろ
 明日がある明日がある
 明日があるさ




damejima at 09:35

March 13, 2011

1985年の「USAフォー・アフリカ」として集結したミュージシャンたちが歌った名曲 We Are The Worldの最初の歌いだしは、マイケル・ジャクソンとともにこの曲の作詞・作曲をしたライオネル・リッチー

There comes a time
when we heed a certain call
When the world must come together as one


と、静かに歌い出すところから始まる。
(heed:他動詞 〜に気を付ける、〜を気に掛ける、注意{ちゅうい}を払う、〜を心に留める、留意{りゅうい}する)



ライオネル・リッチーが口を開いて歌い出すその瞬間、瞬時に鳥肌が立つ。声を張り上げるわけでもない。なのに、正確だし、なによりハートが熱くなる。
これが、いわゆる「歌のチカラ」というやつだ。聞く人は、彼が「本当のなにかをもって生まれてきた歌手」のひとり、であることがわかる。そして、この曲に参加している天才シンガーたち全員が、空間に解き放つ「声」は、世の中には、天性ならぬ「天声」とでもいうべきものが存在していることを、まざまざと教えてくれる。
ウィ・アー・ザ・ワールド - Wikipedia

この曲のメイキングでは、狭いスタジオに一同に会したミュージシャンたちが、深夜どころか朝になるまでレコーディングを繰り返したことが記録されているが、数ある有名なシーンの中に、シンディ・ローパーがジャラジャラつけていたアクセサリーについて、エンジニアか誰かに「録音にジャラジャラ音が入る」と言われて、シンディが笑顔でアクセサリーをはずしてOKテイクを歌う、というシーンがある。

当時のシンディは、前年84年にソロ歌手としてGirls Just Want to Have Funでメジャーデビューを果たして大ヒットをぶっ飛ばしたばかりの新人だったわけだが、We Are The Worldの録音においては、アメリカの名だたる大御所だらけの中、遠慮なく自分のスタイルで堂々とシャウトしまくり、名録音を残した。
(大ヒット曲Girls Just Want to Have Funは当初、日本での曲名は『ハイスクールはダンステリア』とかいう、わけのわからないタイトルだったが、後にガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファンと、原曲名どおりのカタカナ表記に訂正された)


シンディ・ローパーは、新幹線の中でビール片手にスルメ(笑)をかじるほどの親日家として知られている。
彼女が親日家になった理由については、彼女が1989年に日本の番組に出演した際に、以下のエピソードを披露した。
なんでも、シンディが定職もなくブラブラしていた時、ニューヨークで『ミホ』というジャパニーズレストランを経営しつつ、売れないアーティストの支援もしている鈴木サクエさんという日本人女性から、「それじゃ駄目だから自分の店で働きなさい」と誘われ、鈴木さんは常にシンディに、「いつか売れる日が来るから頑張りなさい」と激励した。この出会いがシンディを日本贔屓にさせるきっかけとなった、らしい。

その後シンディは、We Are The Worldから10年たった1995年の阪神淡路大震災の折にも、寄付を行ったのみならず、1996年2月3日に震災チャリティーとして行われた生田神社震災復興節分祭の「豆まき神事」に、「この豆まきに参加する、ただそれだけのためだけ」に来日している。

いかに、シンディの親日家としてのパフォーマンスがホンモノであるかがよくわかる。
シンディ・ローパー - Wikipedia


さて、日本の東北地方での大震災が起きる約1週間前、2011年3月4日にシンディはブエノスアイレスの空港にいた。そのとき空港ではフライト遅延や欠航が続出、怒りに燃える乗客から空港側に抗議が殺到して、非常に殺伐とした雰囲気に満たされていたらしい。

たまたまその場にいたシンディがとった行動は、なんと、「空港のアナウンス用マイク」をひっつかんで、『Girls Just Wanna Have Fun』を歌い出す、というものだった。

世界的ミュージシャンの突然の「空港ライヴ」が始まったことで、乗客や乗務員が大合唱。みんなの表情は一変して歓喜の笑顔になったという。
このときのシンディの雄姿は、たまたまその場に居合わせた幸運な人々が家庭用ビデオカメラで撮った映像として、何種類もYoutubeにアップされている。
興が乗ったのか、シンディは、Girls Just Wanna Have Funだけで終わらず、名曲True Colorsまで歌ってみせた(笑)
Cyndi Lauper : シンディ・ローパー、怒りを一瞬で笑顔に / BARKS ニュース




「さすがシンディ」と思わせたブエノスアイレス空港での心温まるエピソードが某巨大掲示板などで紹介され、大きな話題になったのは、つい先週の、それも、東北で巨大地震が起きる前のことだ。
ブログ主も先週の時点ですでにこのニュースを知っていて、これをどうにかMLBと関連づけて記事にできないものか考えていたのだが、まだ記事にしないうちに、この巨大地震が起きたのだ。


そのシンディ、今の今、いる場所は
どこだろう。

日本、である。


どこまで日本に縁のある人なのだろう。
15年前、あの神戸の地震において、あれほど日本を気にかけてくれたシンディが、ブエノスアイレスのハプニングの後、どうやら日本でコンサートのために来日していて、偶然この東日本大震災に遭遇したらしいのだ。

この人、ほんとうに
「なにかもっている」。


こんな状況のもとだし、多数の人数を集めてコンサートを開くことは簡単ではないだろうし、もしかしたらコンサートは中止になるのかもしれない。

だが、ばかばかしい妄想とのそしりを承知、無理も承知でブログ主は妄想したいと思う。
15年前に大地震にみまわれた、あの神戸のスタジアムで、テレビカメラを前に、あの笑顔で、日本の「さくら」を、日本全国に向けて歌うシンディの姿を見てみたい。
余震も多いことだし、安全を考えれば無観客なのはやむをえない。また、ブログ主の好みからいうと、本当はシンディのヒットソング、たとえばTime After Timeなんかを聞きたいところだが、残念なことに、日本のお年寄りの方にはおわかりにならないだろう(苦笑)。神戸スタジアムが無理なら、シアトル・マリナーズの開幕戦で歌うのも、可、である(笑)


シンディが口を開いて、
さくら」と、
歌いだした瞬間に、
1985年にWe Are The Worldの最初の歌いだしをライオネル・リッチーが歌い出したときと同じように、「歌のもつチカラ」は、人々の心の奥深くに刻まれるのではないか。そう思うのだ。

さくら さくら
やよいの空は
見わたす限り
かすみか雲か
匂いぞ出ずる
いざや いざや
見にゆかん

さくら さくら
野山も里も
見わたす限り
かすみか雲か
朝日ににおう
さくら さくら
花ざかり


Girls Just Wanna Have Fun

I come home in the morning light
my mother says when you gonna live your life right
oh mother dear we're not the fortunate ones
and girls just want to have fun
oh girls just want to have fun

the phone rings in the middle of the night
my father yells what you gonna do with your life
oh daddy dear you know you're still number one
but girls they want to have fun
oh girls just want to have--

that's all they really want some fun
when the working day is done
girls-- they want to have fun
oh girls just want to have fun

some boys take a beautiful girl
and hide her away from the rest of the world
I want to be the one to walk in the sun
oh girls they want to have fun
oh girls just want to have

that's all they really want
some fun when the working day is done
girls--they want to have fun
oh girls just want to have fun,
they want to have fun,
they want to have fun...






damejima at 15:58

January 28, 2011

以下、説明したいのは、今年のHutch Award受賞者アトランタ・ブレーブスのティム・ハドソンが、なんでまた、わざわざシアトルの子供たちのもとを訪れたのか、その理由や歴史をきちんと知っておいてほしい、と思ったからだ。

話が異様に長い。このブログはいつも長いが(笑)
申し訳ない。

Mariners | Atlanta pitcher Tim Hudson accepts Hutch Award | Seattle Times Newspaper
The Hot Stone League | Hutch Award winner Tim Hudson remembers Mariner glory days | Seattle Times Newspaper


それと、ブログ主からHutch Schoolの子供たちにひとつ、説明しておきたいと思うことがある。
フレッド・ハッチンソン・ガン研究センター内にあるHutch Schoolの子供たちの何人かは、地元の野球チームであるマリナーズの選手の活躍を心の糧に日々の過ごしているかもしれない。
そんな彼らの日常を支えているベースボールについて、先日このブログをやっているいい年のオトナは、ちょっと暗めの気分で記事を書いた。そういうオトナから、子供たちに説明をしておきたいと思うのである。
君たちの大事なものをけなすつもりで書いたのではない。大事なものであっても、キツいことを言わなければならないときもある。わかってほしい。

結局、勇気を与えてくれるのは、いつも偉そうにしているクセに、人に暴力をふるったり、自転車で家に逃げ帰ったりする心の弱い野球選手や、つまらない文章をブログに書いた挙句に自分で落ちたりして、右往左往してばかりいるオトナの僕らではなくて、野球に目を輝かせる子供たちのほうだ、と思う。きっと。
頑張らなくちゃ、申し訳ない。


Sicks' Stadiumシックズ・スタジアム

シアトルを代表する地ビールのひとつ、レイニア・ビールのオーナー、エミル・シック(Emil Sick)は、20世紀初めにマイナーのパシフィック・コースト・リーグに所属するシアトル・インディアンスを買収して、球団名を「シアトル・レイニアーズ」(Seattle Rainiers)に変更した。シックは1938年には新球場を開場し、シックズ・スタジアム(Sick's Stadium)と名づけた。「シアトル・レイニアーズ」は消滅する68年まで、そのシックズ・スタジアムを本拠地として使い続けた。「レイニアーズ」という名称は、いまの3Aタコマ・レイニアーズに受け継がれた。

Sick、という英単語にはもちろん、「病気」という意味もあるわけだが、このことは後世、不思議なドラマを生むことになる。
Seattle Rainiers - Wikipedia, the free encyclopedia
SICKS
Mount RainierMount Rainier
シアトルの南東54マイル(87キロ)にあり、標高4,392m。富士山より500m高い。
Mount Rainier - Wikipedia, the free encyclopedia



フレッド・ハッチンソンは、1919年にシアトルで生まれた右腕投手である。彼は地元のワシントン大学を経て、当時シアトルにシックズ・スタジアムが新設されたばかりの1938年に、シアトル・レイニアーズに入団した。彼は地元のレイニアーズでいきなり25勝を挙げ、スポーティング・ニューズの選ぶマイナー最優秀選手に選ばれた。

フレッド・ハッチンソン

フレッドは翌1939年に、故郷のシアトルではなく、デトロイトのタイガースでメジャーデビューする。まるでシアトル生まれのティム・リンスカムのように、地元シアトルで活躍するために生まれてきたような生い立ちの男だが、当時シアトルにはメジャーの球団が無かったのだ。こればかりはしかたがない。
彼はデトロイトでの在籍11シーズンで引退して、通算防御率3.73、95勝71敗と、かなりの好成績を挙げたが、途中21歳から25歳までの若い時期に、5年間のキャリアが存在していない。これはもちろん、第二次大戦による中断という不運があったからだ。もし不幸な戦争がなければ、フレッドはどんな成績を残しただろう。
Fred Hutchinson Statistics and History - Baseball-Reference.com
Fred Hutchinson - Wikipedia, the free encyclopedia

フレッド・ハッチンソンは、53年にデトロイトで現役引退したが、引退前年の52年には既にプレーイング・マネージャーとして監督を兼任しており、引退後はそのままデトロイトの監督になった。その後、セントルイス、シンシナティの監督を歴任し、セントルイスで監督をしていた57年に最優秀監督賞を受賞、61年にはシンシナティでワールドシリーズ出場も果たした。(例のピート・ローズがデビューしたのは、このハッチンソン監督時代のシンシナティである。ローズは第4回のハッチ賞受賞者でもあるが、この際ハッキリ言っておく。野球賭博に関係したピート・ローズはハッチ賞の名誉にふさわしくない
監督としても順風のキャリアを積んだフレッドだが、不幸なことに、彼は肺ガンから1964年に45歳の若さで急逝した。
翌1965年メジャーリーグは、フレッドの早すぎる死を悼んで、ファイティング・スピリッツ旺盛な選手に与えられるハッチ賞(Hutch Award)を創設した。第1回の受賞者は、61年のワールドシリーズでフレッドのシンシナティを破ったヤンキースの主砲、ミッキー・マントルだった。
Hutch Award - Wikipedia, the free encyclopedia



フレッド・ハッチンソンの兄ウィリアム・ハッチンソンは、1909年生まれの医師だ。どことなくロバート・デ・ニーロに似た渋い風貌である。
日本ではあまり知られていないが、ウィリアムは優れた医師であるとともに、ベースボールプレーヤーでもあった。その素質はプロとしてもやっていけないことはないレベルで、医師になるか野球選手になるか迷うほどだったらしい。
ウィリアムは、1950年代後半に、かつて弟フレッドが所属していたシアトル・レイニアーズのチームドクターをつとめており、野球と医学を横断する非常に個性的な人生を送った。

ウィリアム・ハッチンソン

ウィリアムは、弟フレッドの死の10年前の1956年に、連邦政府の援助をとりつけて、ガンや心臓手術の医療研究財団the Pacific Northwest Research Foundationを設立していたが、65年にMLBが弟フレッドの早すぎる45歳の逝去を悼んでHutch Awardを創設したのに呼応するように、75年に連邦の援助や民間の寄付、ヤンキースの人気スター選手ジョー・ディマジオなどの協力を得て「フレッド・ハッチンソンガン研究センター Fred Hutchinson Cancer Research Center」を創立した。開所式にはセンター創設に尽力した功労者ジョー・ディマジオも出席した。
ウィリアムは1997年10月26日に亡くなったが、この日はなんと97年のワールドシリーズ(クリーブランド・インディアンズ対フロリダ・マーリンズ)の最終ゲームが行われ、マーリンズが優勝を決めた日で、医学者ウィリアム・ハッチンソンと野球との不思議な深い縁を、当時の地元シアトル・タイムズが記事にしている。
HistoryLink.org- the Free Online Encyclopedia of Washington State History


ウィリアム・ハッチンソンが弟フレッドにちなんで設立したフレッド・ハッチンソン・ガン研究センターFred Hutchinson Cancer Research Center)は、シアトルにあって、白血病治療の骨髄移植(bone marrow transplantation)などで世界的に有名な医学研究所のひとつに発展し、ノーベル賞科学者を含め数多くの才能がシアトルに集まることになった。
元ビートルズのドラマー、リンゴ・スターの最初の妻で、離婚後にハードロックカフェのオーナーと再婚したモーリン・コックスが94年に白血病治療の最中に亡くなったのも、このセンターである。モーリンがこのセンターに来たのも、息子のザックからこのセンターの得意とする骨髄の移植手術を受けるためだった。
現在のフレッド・ハッチンソン・ガン研究センターでは、2000数百名のスタッフが稼動しているという。1997年に創設者ウィリアム・ハッチンソンが高いしてからは、2001年に出芽酵母を用いた細胞周期の遺伝学的解析でノーベル医学・生理学賞を受賞したリーランド・ハートウェル博士がこのセンターの所長をつとめている。
Fred Hutchinson Cancer Research Center - Wikipedia, the free encyclopedia
リーランド・ハートウェル - Wikipedia


2004年にノーベル医学・生理学賞を受賞したリンダ・バック博士は、第二次大戦が終わってMLBが再開された46年の翌年、1947年にシアトルで生まれた。

リンダ・バック

博士がワシントン大学で心理学と微生物学の理学士号を取得したのは、フレッド・ハッチンソン・ガン研究センターが創設された、ちょうどその1975年である。
才能に溢れた彼女は、その後の素晴らしい業績によってハーバード大学終身教授にまでなったが、2002年に故郷シアトルのフレッド・ハッチンソン・ガン研究センターに籍を移して、2004年のノーベル賞を、シアトルの学者として受賞した。リンダ・バックは、センターで基礎医学を研究するとともに、母校ワシントン大学の生理学、生物物理学教授もつとめている。故郷とはいえ、ハーバードのノーベル賞学者がわざわざリターンしてくるのだから、いかにこの研究所の権威が高いかがわかる。
リンダの専門分野は、嗅覚や味覚といった感覚の研究だが、嗅覚細胞の受容体を説明するのに、彼女は「キャッチャーミット」と、野球的な表現をすることがあるらしい。また彼女は、味覚を5種類に分類するが、その5つは、辛い(bitter)、甘い(sweet)、塩辛い(salty)、すっぱい(sour)、うまみ(Umami)で、日本語の「うまみ(Umami)」を日本語の発音のまま、固有名詞として使用しているようだ。
Linda B. Buck - Wikipedia, the free encyclopedia
リンダ・バック博士にノーベル賞-フェロモンと寿命の関わりを描く--健康情報



ボストン・レッドソックスの左腕ジョン・レスターは、1984年にシアトル・マリナーズのマイナー、タコマ・レイニアーズのあるシアトル近郊のワシントン州タコマで生まれた。
レスターはメジャーデビューした2006年に、血液のガンである「悪性リンパ腫」の一種を患ったことは日本のMLBファンの間でも知らない人はいない話だが、彼のガンが判明したのは、2006年6月下旬に故郷シアトルに遠征している最中のことだったらしい。
彼は2006年冬までに化学療法を受けて病気に打ち勝つのだが、その化学療法を受けた場所というのが、彼の故郷シアトルのフレッド・ハッチンソン・ガン研究センターなのである。
彼は2007年のシーズン途中、7月に復帰を果たす。このシーズンこそ4勝に終わったが、翌2008シーズンに16勝6敗を挙げ、ノーヒット・ノーランも達成した。
この2008年のハッチ賞受賞者となったのが、フレッド・ハッチンソン・ガン研究センターでの治療で復活を遂げたジョン・レスターであり、彼は受賞にあたって、センター付属のHutch Schoolを訪問している。ちなみに彼をエスコートしてスピーチを行ったのは、ホール・オブ・フェイマー、トム・シーバーである。大病を体験した後だけに、受賞のときのレスターのコメントは何度も読める感慨深いものになっている。
Larry Stone | Jon Lester wins Hutch Award | Seattle Times Newspaper
Jon Lester wins 2008 Hutch Award - USATODAY.com
Lester will visit children at the Hutchinson Center's Hutch School and receive his award at the annual Hutch Award Luncheon on Jan. 21 at Safeco Field in Seattle. Hall of Fame pitcher Tom Seaver will be the keynote speaker.(中略)
He's received chemotherapy treatments at the Fred Hutchinson Center during the winter for the rare form of the disease, and doctors there declared him cancer free before the 2007 season.


そう。
Hutch賞を受賞したプレーヤーが、殿堂入り選手にエスコートされる形でフレッド・ハッチンソン・ガン研究センターにあるHutch Schoolを訪問することは、MLBとシアトルの、そして野球と医学の、長い歴史の上に成り立ったイベントなのである。

2010年のHutch賞を受賞したのは、アトランタの右腕ティム・ハドソン。彼をシアトルでエスコートした殿堂入り選手は、ジョー・モーガンであった。ティムはこの受賞によるシアトル訪問で、彼がオークランドに在籍していた時代に対戦したシアトルにまつわる思い出話をしているのだが、これがなかなか面白い。
彼は、いままでシアトルで経験した中で最も印象に残るゲームとして2000年、2001年のシアトルを挙げ、当時のシアトルのファンがいかに盛り上がっていたかを楽しげに語っている。

なんせ、2001年4月2日イチローの記念すべきメジャーデビューのゲームで、イチローが最初の最初に対戦したピッチャーというのが、このティム・ハドソンなのである(結果はセカンドゴロ)。そして、ティム・ハドソンはメジャーで10年を過ごしたイチローがメジャーで最も打てていない、打率の低い投手でもある。(だいたい2割1分台の打率のはず)
The Hot Stone League | Hutch Award winner Tim Hudson remembers Mariner glory days | Seattle Times Newspaper
Hudson said he's proud of the fact that he was the first pitcher to face Ichiro in the major leagues, on Opening Day of the 2001 season at Safeco Field. In his major-league debut, Ichiro grounded out to second base against Hudson.


たしかに長すぎる話だ。
だが、話が長いのには理由があることがわかってもらえただろうか。書いていて、Hutch賞にまつわる人々の「縁(えにし)」というものは、尋常じゃないものがあるとしか思えない。


この長い長い時間の流れをどう感じるかは読む人の勝手だが、間違ってほしくないことが、ひとつだけある。

Hutch賞を受賞した選手がHutch Schoolを訪問するのは、それが受賞の「おまけ」だから、ではない、ということ。まして、有名人だからかわいそうな人を慰問するとか、そういうたぐいのものでは、絶対にない。

そうじゃない。
Hutch賞はそもそも、その成り立ちからして、単なる野球の賞ではない。
フレッドとウィリアム、野球好きのハッチンソン兄弟の物語に始まって、ガンと闘うフレッド・ハッチンソン・ガン研究センターでの現代医学の発展と常に深い関係にあり、病気という人生の上で乗り越えなければならないハードルに立ち向かう患者と医師、そして野球というスポーツ、シアトルという場所、ぞれぞれのアクロバティックとさえ言える不可思議な結びつきとともに、この賞は創設され、発展を続けてきた。

シアトル生まれのフレッド・ハッチンソンは地元シアトルでメジャーデビューすることはなかった。60年代末になるまでシアトルにメジャー球団がなかったからだ。
シアトルにメジャー球団を持つことは悲願と言われ続けていたが、長年にわたって実現しなかった理由は、シックズ・スタジアムの設備の脆弱さのせいだといわれている。
だが、そのシックズ・スタジアムが世に送り出した選手のおかげで、シアトルには医学界の超メジャー施設といえるフレッド・ハッチンソン・ガン研究センターができ、そういう有力な研究所がシアトルにあるおかげで、シアトル生まれのノーベル賞学者リンダ・バック博士は医学者として故郷に戻ってくることができた。

本当に、人生に何が起きるかなんて、わからない。
人生に偶然なんてない、と、よく言うが、たしかにそれは本当かもしれないと思わせてくれるのが、Hutch賞の長い長い物語である。






damejima at 10:11

September 14, 2010

クリフ・リーの配球に「一定のクセ」があることを指摘するこのシリーズ(3)では、次のような話をした。
「クリフ・リーの持ち球は少数精鋭主義で、それぞれ非常に優れている。しかし、球種の少なさから、配球パターンのバリエーションには限度があり、それを打者に見抜かれる可能性も高い。
これまではカーブを決め球にして、球種の少なさを『緩急』で補うことで、打者をかわしてきたが、カットボール主体に切り替えたこと、さらに移籍によって気のあわないキャッチャーと組まされたことで、配球の効果が大きく損なわれ、打者に痛打される場面が数多く出てきた。
だからこそ彼にとっては『少ない球種でも打者を翻弄できる配球がわかる、頭のいい、自分と気のあうキャッチャー』が必要不可欠だ。」
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年9月12日、移籍後のクリフ・リーが打たれる原因を考えてみる。(3)典型的な「クリフ・リー パターン配球」で打ちこまれたミネソタ戦、「例外パターン」を数多く混ぜて抑えたヤンキース戦の比較と、クリフ・リーがキャッチャーにこだわる理由の考察

ちょっと他に、この記事を補強する良い例がひとつ見つかったので、挙げてみることにする。

キャッチャーの役割に関するシュローダー的意見
P (監督): チャーリー・ブラウン
C シュローダー
1B シャーミー
2B ライナス
3B ピッグ・ペン
SS スヌーピー
LF パティ
CF フリーダ
RF ルーシー

この野球チームはジョー・ディマジオが活躍した1950年代に生まれた。ショートストップのスヌーピーは守備の名手である(彼は1957年4月12日には外野をやったという記録もある)


え?なになに。
「それ、漫画でしょ?」って?

馬鹿なこと言ってもらっちゃ、困る。
かのMLBのデータサイトとして超・超有名なBaseball Referenceにも、ちゃんと、このチームと、そのロスターのプレーの特色について記述・解説した専用ページがある。馬鹿にしちゃ、いかん。キャッチャーのシュローダー君などは、ちゃんとマスクとプロテクターをつけたボブルヘッド人形だってあるくらいだ。
あなた自身がBaseball Referenceに掲載してもらえるほどの有名野球チームの一員になって、さらに、ボブルヘッド人形をつくってもらえるほどの選手になってから、そういう生意気なことを言ってもらいたい。
Peanuts - BR Bullpen


さて、このチームの中心プレーヤーチャーリー・ブラウンだが、彼はかつては外野とキャッチャーも経験しているが、50年代後半からはピッチャーと監督を兼任するプレイング・マネージャーである。
持ち球は、遅いストレートと、曲がらないストレートと、落ちないストレートと、コントロールの悪いストレート。
なかなか球種が多い。

主戦投手の持ち球にそういう「特殊事情」があるため、ピアニストでもあるキャッチャーのシュローダー君は、「チャーリー・ブラウンに出すサインに、あるちょっとした工夫」をしている。

それが上の画像だ。

シュローダー捕手
「いいかい、チャーリー。
 指1本は、速球だぜ?(速くないけど)
 指2本は、カーブだ。(曲がらないけど)
 で、指3本は、ドロップ(落ちないけど)
 4本がピッチアウトだ。
 わかったかい?」

チャーリー・ブラウン投手
「もしサインを忘れちゃったら、どうしたらいい?}

シュローダー捕手
「心配いらない(キッパリ)。
 サイン出すのはね、チャーリー。
 敵に、キミがストレート以外に、
 なにか別の球種を投げられるんじゃ?
 と思い込ませる
ために出すだけなんだから、さ。」

チャーリー・ブラウン投手
「キミ、んっとに頭いいね!」


どうだろう。
球種の少ない投手にサインを出さなければならないキャッチャーが、どのくらいのクレバーさをもっていなければならないか、これで、よーくわかったことだろう。

キャッチャーとして苦労の絶えないシュローダー捕手は、ベートーベンを贔屓にするピアニストでもあるが、彼の気をひこうとするライトのルーシー選手に2度ばかり大事なピアノを壊されたことがある。
そのたび彼は新しいピアノを注文したのだが、新しいピアノが届くときに、どういう理由からか、セントルイス・カージナルスのJoe Garagiola選手のサイン入りブロマイドを手に入れている。

Joe Garagiolaは、1926年にセントルイスで生まれて、1946年に地元のカージナルスに入団した(実在の)プレーヤー。1951年にナ・リーグの守備率1位に輝いたが、パスボールも多かった。通算CERAは4.91、平均失点数5.62。通算打率.257。1954年引退。
Joe Garagiola Statistics and History - Baseball-Reference.com
シュローダー捕手が、いったいどういうわけでこの大スターとも思えないキャッチャーのサインをもらう気になったかはわからないが、少なくとも、キャッチャーというポジションが気に入っている、ということだけは確かなようだ。


---------------------------------------------


と、まぁ。
つまらないギャグにつきあってもらったのにも、理由がある。

チャールズ・M・シュルツさん原作の漫画「ピーナッツ」が日本で日本語吹き替え版アニメとして初めて放映されたのは1972年だが、初代チャーリー・ブラウン役の声優が、つい先日亡くなられた谷啓さん、その人なのである。


歴史を調べてみると、この作品は間違いなく、日本における地上波テレビ黎明期の傑作といえるテレビ番組のひとつであり、また、アメリカ文化を日本に紹介したコンテンツという意味でも、バットマンやサンダーバードに並ぶ歴史的作品だから、谷啓さんの死を追悼する意味で「ピーナッツ」を再放送すればいいのにと思うのだが、どうもそういう声が聞こえてこない。
それどころか、テレビの歴史を作った谷啓さんが亡くなったというのに、彼の業績の全体像がきちんとメディアで紹介されているとは、とてもとても思えない。日本のメディアって、本当に馬鹿だと思う。


谷啓さんの多大な業績をひとことで言うのは難しい。それでもあえて言わせてもらうなら「日本人(特に東京人)の流儀による、外来のアメリカ文化のエッセンスの紹介と、その日本流リメイク」だと思う。

そもそも谷啓さんの芸名そのものが、アメリカの有名コメディアン/俳優/シンガーのダニー・ケイ、Danny Kayeの名前をもじったものであり、また髪型や芸風は1940年代の大人気2人組コメディ・コンビ「アボット&コステロ」のルー・コステロに似せているのだから、念が入っている。

アボット&コステロアボット&コステロの
野球ギャグ

谷啓さんが所属していたクレイジーキャッツは、コミックバンドだと思っている人が多い。谷啓さん以外のメンバーは「ミュージシャン志望」であって、ひとり谷啓さんだけが「コメディアン志望」だったという。
この「コメディアン志望」というのは、なにも、いまのような「有名お笑い芸人になりたい。金持ちになりたい」という単純な意味では、たぶん、ない。
谷啓さんの「コメディアン志望」はおそらく「日本に入ってきたばかりのアメリカ文化と一体化したい願望」とでもいうか、「『異文化への憧れ』的な意味」であり、それをわからないとたぶんまったく理解できないと思う。
ちなみに、谷啓さんが「アメリカ流のコメディアン志望」だったから音楽テクニックがなかったかというと、それは逆で、ジャズ評論誌「スイングジャーナル」で彼のトロンボーンが高く評価されていたように、ミュージシャンとしてのテクニックも、クレイジーキャッツの中では谷啓さんが一歩ぬきんでていた。


アメリカのコメディの独特のセンスやリズム感。アメリカのオリジナルな音楽であるジャズ。アメリカのアニメ「ピーナッツ」。谷啓さんの周囲にあったのは、40年代から50年代にかけてのアメリカ文化そのものである。

クレイジー・キャッツがかつてレギュラー出演していた番組に「シャボン玉ホリデー」という当時の超有名番組があるが、そのレギュラーのひとりが「ザ・ピーナッツ」という60年代にスターだった2人組の女性ボーカルグループだった。

セブンス・イニング・ストレッチに歌われる "Take Me Out to the Ball Game"(わたしを野球に連れてって)でも、
Buy me some peanuts and Cracker Jack,
と歌われているように、ピーナッツとアメリカ野球は縁が深い。ピーナッツはMLBのスタジアムでもよく売られているし、シュルツさんの漫画「ピーナッツ」でも、野球が最も重要なスポーツシークエンスとして扱われている。
フリトレー社のピーナッツ
フリトレー社のピーナッツ

フリトレー社は、"Take Me Out to the Ball Game"でも歌われている「クラッカージャック」という糖蜜がけポップコーンの登録商標を現在保有しているアメリカの会社。

なにかにつけて、谷啓さんは「アメリカ」と「ピーナッツ」に縁のある人だった。

ピーナッツ(=アメリカ文化)と谷啓さんの深いかかわり。
これがこの記事のオチだ。

アメリカ野球も含め、谷啓さん世代が紹介してくれたアメリカ文化に、僕らは浸りきって毎日をおくっている。異文化をうまい具合に日本風にアレンジして世間に広めてくれた谷啓さんの業績は、けして小さくなんかない。

ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。


谷啓版チャーリー・ブラウン



オリジナル版

Peanutsは単なるアニメではなく、たくさんの音楽が使われたアニメ・ミュージカルでもある。BGMに使われている数多くの素晴らしいナンバーを聴くのも、ひとつのPeanutsの楽しみ。これは"You're a Good Man, Charlie Brown!"から、"T-E-A-M"。ミュージカル仕立てのナンバー。


"Take Me Out to the Ball Game"


damejima at 11:39

June 20, 2010

セーフコとLondon Bridge Studio

ニルヴァーナと並ぶシアトル出身のオルタナティブ系バンドの雄、パール・ジャムのデビューアルバム「 Ten 」がレコーディングされたのは、London Bridge Studioだ。マリナーズの本拠地セーフコ・フィールドから、Interstate Highway 5 (インターステイト・ハイウェイ5号線)を真北に約16マイルのところにある。

シアトルで録音されたパール・ジャムのデビューアルバム TenTen

Recorded March 27 – April 26, 1991 at London Bridge Studios, Seattle, Washington

インターステイト・ハイウェイの「番号」は、「奇数」はアメリカ大陸を「南北」に走る道路、「偶数」は「東西」に走る道路、というふうになっていて、また、「5の倍数」は特に重要な道路につけられている。

だから、「5号線」といえば、「アメリカを南北に走る重要な高速道路のひとつ」という意味になる。(下の地図の赤線部分)
Interstate Highway 5>


Interstate Highway 5の標識トランスカナダ・ハイウェイ British Columbia Highway 1

インターステイト5号線は、南はメキシコ国境から、パドレスの本拠地カリフォルニア州サンディエゴ、エンゼルスのあるアナハイム、ドジャースのあるロサンゼルスを通り、さらに北上して、パドレスのマイナーのあるオレゴン州ポートランドやマリナーズのマイナーがあるタコマを通って、シアトル、さらにはカナダ国境にまで達する総全長1381.29マイル=約2200キロもの長い長い高速道路だ。

さらに、5号線はカナダ国境で終わりだが、道はその先もトランスカナダ・ハイウェイというカナダの大陸横断高速道路British Columbia Highway 1に繋がっていて、シアトルのすぐ北にある冬季オリンピックが開かれたバンクーバーを通る。この道は、はるか彼方の大西洋岸までカナダの大陸を横断する。

2つの高速道路は長大な道路だが、カナダ人はアメリカ人がフリーウェイを作るような熱心さはもたないらしく、トランスカナダ・ハイウェイ1号線は、ところどころが他の国道とダブっていたり、州ごとにナンバリングが変わったりしていて、アメリカのフリーウェイとはまた違う顔をしている。



パール・ジャムのヴォーカリスト、エディ・ヴェダー Eddie Vedderがシアトル・マリナーズの大ファンだ、という人がいるけれども、彼が熱心な野球ファンなのは間違いないにしても、一番お気に入りのチームは、たぶん生まれ故郷のシカゴ・カブスだ。
実際、カブスのための曲を書いたりしているし、リグレー・フィールドで7回裏のお約束の歌「私を野球に連れてって」(Take Me Out To The Ball Game)を熱唱してみせたり、何度もカブス関係の話題になっている。
Eddie Vedder writes song for baseball team | News | NME.COM



シアトルの有名バンドの一員とはいえ、エディ・ヴェダーはそもそもシアトルの生え抜きではないから、しかたない。彼の生まれはイリノイで、それからサンディエゴ、イリノイ、ロサンゼルスと住まいを移りながら、成功のチャンスをうかがっていたところに、シアトルのバンドがヴォーカルを探しているという話が舞い込み、元レッド・ホット・チリ・ペッパーズジャック・アイアンズの紹介でヴォーカリストに抜擢されたという経緯があってパール・ジャムに後から入っている。
いわば、エディ・ヴェダーは「インターハイウェイを北上して」成功をおさめたわけだ。

そこへいくと、同じパール・ジャムでも、ギタリストマイク・マクレディは、セーフコを訪れてユニフォームに袖を通したこともあるくらいで、れっきとしたシアトルファンだ。彼は生まれはフロリダ州ペンサコーラだが、育ったのはサンディエゴで、いまは奥さんと2人の子供とともにシアトルに住んでいる。
そういう意味でマイク・マクレディはいまやシアトルの「ローカル」なわけで、マリナーズに対する熱意だけでいうなら、マクレディのほうがよっぽど熱心だろう。

<b>パール・ジャム</b>のギタリスト マイク・マクレディ パール・ジャムのギタリスト
マイク・マクレディ

Mariners Blog | Mariners will try to "string'' some hits together, starting with Pearl Jam guitarist Mike McCready | Seattle Times Newspaper



とにもかくにも、上に書いたようなさまざまな経緯で集まったパール・ジャムのメンバーたちは、結成にあたって、それぞれの「思惑」を抱えて、車でインターステイト5号線を行ったり来たりしたのだろう。エディ・ヴェダーがヴォーカルのオーディションのために急遽当時住んでいたロサンゼルスからシアトルにやってきたり、パール・ジャム結成後セッションやレコーディングのためにセーフコの北にあるLondon Bridge Studioに通ったり。


逆に、元ガンズ・アンド・ローゼス(現ジェーンズ・アディクション、ヴェルヴェット・リヴォルヴァー)のベーシストダフ・マッケイガンは、シアトルの「生え抜き」だが、エディ・ヴェダーやマイク・マクレディと逆に、シアトルからロサンゼルスに出て成功を収めた。
シアトル出身のマッケイガンは、ダブル・ボブルヘッド・デーにわざわざVIP席ではなく、ごく普通のスタンドに座って観戦に来るくらいだから、マリナーズファンなのは間違いない。
彼は、エディ・ヴェダーと逆に、「インターハイウェイ5号線を南下して」成功を手にしたことになる

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年6月18日、イチローとグリフィーのダブル・ボブルヘッド・デーにふらりとやってきた元ガンズ・アンド・ローゼスのダフ・マッケイガンは「レイカーズが大嫌いなんだ」と言った。


インターステイト5号線、それは
90年代ロックの熱を運んだroot(道、根っこ)でもあるのだ。

damejima at 20:55

June 19, 2010

シアトルは、あの伝説のギタリスト、ジミ・ヘンドリックスの生まれた街で、彼の墓もシアトルにある。またニルヴァーナカート・コバーンが自殺したのも、彼のシアトルの自宅だった。シアトル出身バンドのひとつパール・ジャムがデビューアルバム「Ten」のためのセッションを行ったのは、セーフコ・フィールドから真北に16マイルほどのところにあるLondon Bridge Studio。シアトルは実はロックの歴史と切っても切れない街のひとつなのだ。

野球にしか興味のないマリナーズファンからはシアトルは保守的な街というイメージを持たれているが(保守的な街だからこそ、かもしれないが)パンクに影響を受けたグランジやオルターナティブ系のアーティストを続々と輩出した街でもある。
(一度ロックファンであることでも有名なランディ・ジョンソンが日本にプライベートでレコード漁りに来ることを書いたが、彼はたぶんオーソドックスなハードロック〜メタル系のファンで、グランジ、オルターナティブ系はあまり聴かないんじゃないかと想像する。ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年1月5日、ランディ・ジョンソン引退を喜ぶ。 理由:この冬の間に西新宿で見られる確率アップ(笑)
シアトルのバンド、ニルヴァーナが、ロサンゼルスのガンズ・アンド・ローゼスと対立関係にあったことは有名だが、イチローグリフィー・ジュニアのダブル・ボブルヘッド・デーのゲームが行われたシンシナティとの第1戦のスタンドに、その元ガンズ・アンド・ローゼスのベーシストで、アクセル・ローズと対立してバンドを辞めたベーシスト、ダフ・マッケイガンがスタンドに現れインタビューを受けていた。
Baseball Video Highlights & Clips | CIN@SEA: Former Guns N Roses star praises Mariners - Video | MLB.com: Multimedia

ゲームはクリフ・リーが先発し、110球79ストライク、7三振の力投でシンシナティを完封して、シアトルがひさびさの連勝。
ストライクを集めて打者をうちとるクリフ・リーらしいピッチングで、三振のほとんどは高めにはずれるストレート系と、ワンバウンドするくらい低いカーブの2種類で、打者に空振りさせて三振させる強引さがとてもクリフ・リーらしい。
Cincinnati Reds at Seattle Mariners - June 18, 2010 | MLB.com Gameday

シアトル生まれのベーシスト ダフ・マッケイガンダフ・マッケイガン(Duff "Rose" McKagan)は、1964年シアトル生まれ。ロサンゼルスに移り、ロスで結成されたガンズ・アンド・ローゼスのオリジナルメンバーになり10数年活動したが、やがてアクセル・ローズとのどうにもならない対立などを経て、1998年に脱退した。
Duff McKagan - Wikipedia, the free encyclopedia
ダフ・マッケイガンはトレイシー・ガンズが脱退する前からのガンズ最初のベーシストであり、ガンズ・アンド・ローゼスの文字通りのオリジナルメンバー。
ガンズは、そもそもバンド名の由来ともなったオリジナルメンバーのトレイシー・ガンズ(g)とロブ・ガードナー(ds)が全米デビュー前にあっさり脱退し、かわりにスラッシュスティーブ・トレイシーが加入して以降に全米デビューして、アルバム『アペタイト・フォー・ディストラクション Appetite For Destruction』発売後50週目で全米1位になっている。



ダフは今はseattleweekly.comのレギュラーコラムニストでもあり、ハワイのサーファーなどがいう「地元民」という意味で「ローカル」になったわけだが、クリフ・リー先発の今日のゲームをスタンド観戦しているところに現れたインタビュアーの質問に答えて
I am a huge Mariners fan.
I hate the Lakers.

俺は熱烈なマリナーズファンだよ。(中略)
 レイカーズなんて大嫌いさ
なーんて意味深なことを言っている(笑)

シアトル生まれのベーシスト ダフ・マッケイガン意味深というのは、もちろん、ダフが長年在籍したガンズ・アンド・ローゼスがマリナーズにとってはライバルチームの本拠地であるロサンゼルスで結成されたバンドであること、ダフがアクセル・ローズと対立してガンズから脱退したこと、ロサンゼルスにあるレイカーズがつい先日ファイナルの第7戦でボストン・セルティックスを下して連覇を果たして、コービー・ブライアントがMVPに輝いたばかりであることなどなどをまとめてひっかけて
「ロサンゼルス? しらねーよ、そんなの。だいっきらいだ」
なんて言っているわけだ。

まぁスタジアムにわざわざ足を運ぶくらいだから、ダフはイチローとグリフィーのダブル・ボブルヘッド人形は大事に家に持ち帰ったに違いない。
ただ最近の彼のseattleweekly.comのコラムには映画評はあってもスポーツ記事はなく、最近彼が加入したバンド、ジェーンズ・アディクション Jane's Addictionの記事ばかりで埋めつくされている。まぁ、それはそれでご愛嬌ということで。
Seattle Music - Reverb - "Duff McKagan" Archives


そんな「ロサンゼルスという街」に複雑な感情をもつダフだが、彼がもうひとつやっているコラムが、なんとあのPlayboy誌(日本版ではない)の「金融関連コラム」だ。
Duffonomics - Duff McKagan - Playboy Money Article
ダフは、カート・コバーンと同様に高校中退だが、アルコールやドラッグ乱用、さらには膵臓破裂という大病も経験した後に更生して、シアトル大学に入学して金融を専門的に学んだという異色の「金融系ロック・ベーシスト」だからである(笑)
ウォールストリートジャーナル電子版を購読し、ブラックベリーで金融情報を常にチェックしながら、投資信託を買い、を買い、不動産も買い、ロサンゼルスやシアトル、ハワイなどに不動産を持ち、グーグルには早い段階から投資して、ヴィンテージギター市場にも投資するというのだから、「不思議なベーシスト」ではある(笑)
彼がいうには、「バンドを食い物にされたくないから、金融のことを勉強するんだ」、とのことである。


ダフ・マッケイガンは、ジェーンズ・アディクション以外に、ヴェルヴェット・リヴォルヴァー Velvet Revolverのベーシストでもある。
いってみれば「アクセル・ローズと喧嘩別れしたガンズのメンバーばかりで作ったバンド」であるヴェルヴェット・リヴォルヴァーなのだが、どういうものか知らないが、ガンズの曲もやれば、ガンズと対立していたニルヴァーナの曲もやる。ヴェルヴェット・リヴォルヴァーのお金関連のことをやっているのは、もちろん、ダフ・マッケイガンである。



「ガンズ・アンド・ローゼスは金儲けのためにロックをやっている」と常々批判していたカート・コバーンが、(読む可能性はゼロだろうが)ダフの金融コラムを読んだら、なんと言うだろうか。また彼がヴェルヴェット・リヴォルヴァーが演奏するニルヴァーナのカバー曲を聞いたら、いったい何と言うだろう。

だからこそ、今日セーフコでダフ・マッケイガンに聞いてみてほしかったのは
「レイカーズが嫌いはわかったけどね、いったいどのくらいの本気度で、レイカーズが嫌いなの?」
ということだ(笑)

ニルヴァーナ






damejima at 19:25

June 04, 2010

アムトラック シルバーサービスLynyrd Skynyrd レイナード・スキナードというフロリダ出身のサザン・ロックのバンドがある。フロリダ北東部のジャクソンビルで育った幼馴染が集まって1964年に結成された。創設メンバーの多くが1977年の不幸な飛行機事故で亡くなっていることでも音楽ファンの間では有名なバンドだが、一般にはあまり馴染みがないのかもしれない。


レイナード・スキナードの故郷ジャクソンビルは、マイアミタンパオーランドなどに次ぐフロリダの中核都市のひとつで、フットボールがさかんな街だ。

タンパはフロリダ第2の都市だが、タンバベイ・レイズの本拠スタジアムのトロピカーナ・フィールドはタンパにあるわけではなくて、タンパに近いセントピーターズバーグにある。タンパやセントピーターズバーグ、クリアウォーターといった街が形成する都市圏が「タンバ・ベイエリア」なのである。

レイナード・スキナードの先輩格のバンドに、1958年結成(バンド名は1968年から)のCreedence Clearwater Revival(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル 略称CCR)があるが、彼らのバンド名の「クリアウォーター」は、なにせサザンロックの先駆者でもあることだし、フロリダ出身のバンド、レイナード・スキナードと同じように、タンパ・ベイエリアの街のひとつフロリダ州クリアウォーターの出身であることに由来するのか、と思うと、彼らはサンフランシスコのバンドで、フロリダ州ではない。

どちらもちょっとややこしい。



オーランドは、フロリダ中央部の都市で、引退したケン・グリフィー・ジュニアの自宅がここにある。NBAオーランド・マジックの本拠地で、また長距離鉄道アムトラック Amtrakの駅がある。
フロリダ州のアムトラックというと、マイアミとニューヨークを結ぶシルバーサービスという路線以外に、かつてはオーランドとロサンゼルスを結ぶサンセット・リミテッドという路線があったのだが、今はハリケーンの影響のために路線が短縮され、オーランドまで来なくなってしまった。
Amtrak - Routes - Northeast - Auto Train
Amtrak - Routes - Northeast - Silver Service / Palmetto
ニューヨークを出発してフロリダを目指すアムトラックは、レイナード・スキナードの出身地、北東部のジャクソンビルを通り、ケン・グリフィー・ジュニアの自宅のある中央部のオーランドを経由して、マイアミを目指し、南へ南へと下る。
ジム・ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」は無鉄砲な若者3人がニューヨークから、クリーブランドを経てフロリダを目指すという素晴らしい出来栄えのロード・ムービーだが、彼らはアムトラックではなく、車を使って憧れのフロリダを目指した。


現役引退をチームに電話で知らせた後、グリフィーは、すぐにフロリダ州オーランドの自宅へ車で向かったらしい。
このドライブはアメリカの左の上、つまり北西の端から、右の下、南東の端まで斜めに大陸を横断するのだから、その距離はもう、果てしなく遠い。日本を北海道から九州まで走るのより遠い。
いったい彼がどういう気持ちでこの長い長いドライブのステアリングを握っていたのかはわからないが、とても音楽を聴きたいような気分ではなかったかもしれない。考えごとでもしながら家族の待つホームタウン、オーランドを目指したのだろうか。


やがて彼はシアトルに、選手としてではなく、別の立場で戻る日が来るという。シアトルに彼が戻る長い長いドライブのための音楽として、グリフィーの好きな音楽かどうかはわからないが、フロリダ出身のレイナード・スキナードの曲を、すすめておこうと思う。サザン・ロックの傑作だ。
この曲がかつて、アメリカ南部の文化というものについて物議をかもした曲だということは承知している。レイナード・スキナードがフロリダで生まれ、また、かつて人種差別で苦しんだグリフィーの自宅が、北のニューヨークや西のロサンゼルスといった都会にではなく、南部フロリダにあるのだから、アメリカ文化というものはなかなかこれで複雑で、けしてフラットではないのである。

レイナード・スキナード
Sweet Home Alabama(1974)
レイナード・スキナード Second Helping






damejima at 12:17

January 06, 2010


ランディの好きなもの


ビッグユニット」こと、300勝投手ランディ・ジョンソンがFAのまま引退を表明した。
あらためて彼のサイ・ヤング賞5回、という記録が痺れる。2009シーズンのヘルナンデスを見てもわかることだが、この賞、獲るのはどれだけ大変か。ランディは、そのサイ・ヤング賞を5回(95年にシアトルで受賞。その後1999年〜2002年にアリゾナで4年連続受賞)も獲っているのである。
また、試合中に鳥にデッドボールを与えたのは、たぶんメジャーでも、ランディ・ジョンソン、ただひとりだろうと思う。あれはあれで、たいへん懐かしい。あの鳥は出塁率100%のまま昇天した。

ランディ・ジョンソンの22年間のキャリアの記録

とか、なんとか、ねぇ・・(笑)頭の悪い新聞記者かライターなら、こういう誰でもわかること書いてお茶を濁しとけばてすむところだろうが、そうはいかない(笑)
ランディが現役を退いたことで、日本のMLBファンとしてはランディ・ジョンソンの実物に会って、握手のひとつもしてもらえる確率がかえって高まったことになる。喜ばしいことである。ランディ・ジョンソンにRock on!!!!、とでもいいたいところなのである(笑) 今後、新宿に行くMLBオタクは常に色紙を持参しとくべきだ(笑)
Big Unit officially ends 22-year career | SFGiants.com: News


ちなみに、上の記事には、さまざまな動画へのリンクがはられているが、MLB Tonight制作のランディ・ジョンソンのキャリア全体を眺めるA Randy Johnson retrospectiveというムービーは、一度みておく価値があると思う。
大投手になる前のモントリオール時代と初期のシアトル時代のランディが、いかにノーコンなヨレヨレ投手だったか。また、ランディが大投手になる道を歩みはじめることができたのが、ノーラン・ライアンにコーチされてピッチングを矯正してもらって以降であること、などなど、彼の素晴らしい投手成績を眺めているだけではわからない内容がドキュメント風にわかりやすく詰め込まれているからだ。さすがMLB Tonightである。

ノーラン・ライアンのコーチを受ける若き日のランディ・ジョンソンノーラン・ライアンの指導を受けるノーコン時代のランディ・ジョンソン
Baseball Video Highlights & Clips | MLB Tonight looks back at the career of Randy Johnson - Video | MLB.com: Multimedia

ランディ・ジョンソンの動画(公式サイト)
Multimedia Search | MLB.com: Multimedia

ランディ・ジョンソンのキャリア・スタッツ
Randy Johnson Stats, Bio, Photos, Highlights | MLB.com: Team


引退を表明したランディが、メタルはじめ、ロックミュージック・オタクであることは、一部ではよぉぉーーーーく知られている。
よく、彼が最も好きなアーティストがZEP、つまり、レッド・ツェッペリンだとか書いているサイトもあるが、そうでもない。
ランディが複数回行ってオトモダチ常連さん状態になっている某静岡県浜松のレコ屋さん(この方の名前、偶然だけど「スズキ」さんなんだよね。浜松らしい苗字だ(笑))のウェブサイト等の資料サイトを見れば、ランディのコレクションがジューダス・プリースト、ブラック・サバス、スコーピオンズ、ラッシュ、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトンなどなど、たいへん幅広いものであることがわかる。

まぁ、ランディ・ジョンソンもこれでスプリング・トレーニングに行かなくてよくなったことだし、心置きなくレコ屋漁りができることになったわけだ(笑)だから、この冬には西新宿浜松に現れても、ぜんぜんおかしくない。これらの街に突然、身長2メートルを越す巨大なヒゲ面のアメリカ人がぬっと現れる確率が相当に高まったものとみていいのではないだろうか?(笑)
今年の冬はさすがに覚えている人がいるだろうから彼のコレクション選びの時間を邪魔しては悪いだろうけど、来年以降ともなれば彼のことを覚えている人はだいぶ減るだろうから、よけいにランディから直々にサインを貰えるチャンスは高まったんじゃないだろうか(笑)

ちなみに。
野球しか見ない人やMLBファンの場合、レッド・ツェッペリンというと、すぐにボストン・レッドソックスを思いだすかもしれないが、ZEPの「レッド」のスペルはLEDであって、RED SOCKS、赤靴下のREDとは違う(笑)
70年代バンドであるレッド・ツェッペリンのライヴが19年ぶりに実現したのは、2007年12月10日にロンドンで行われたアトランティック・レコード創設者アーメット・アーティガンの追悼コンサート。ランディはこのコンサートに、「ファンのひとりとして」行っていたらしい。
ランディ・ジョンソンが浜松のレコード店にふらりと現れたのは、その数日後、12月15日(日本時間)。某レコ屋さんのウェブサイトで「ジミー・ペイジはすごい、今まで見たなかでベストのライヴだった!」とランディ・ジョンソンが興奮しながら店主に話したというのは、もちろん、このコンサートのことだ。
たぶんランディは、コンサートのためにロンドンに行き、その興奮をキープしたまま日本に立ち寄ってレコード漁りをしまくり、それからアメリカに帰ったのだろう。つまり、ランディは、ロックのために「地球を一周」したのだ(笑)
ロックで世界一周旅行!・・ってアンタ・・・(笑)
本当にロック好きなんだなぁ。ロック馬鹿のランディ、大好き(笑)

2008年以降もあれこれとツェッペリン復活の噂はあるけれど、ソロ活動に専念したいロバート・プラントが「邪魔をするな」とカンカンになって否定しつづけているため、ツェッペリンの一時的な復活ライブが、次にいつ、どこで行われるのかは、ロバート・プラントのご機嫌次第という話。
だが、次のツェッペリンのライヴが、たとえ南極であろうと、宇宙ステーションの中であろうと、どこであろうと、ランディ・ジョンソンは必ず行くと思う(笑)
Led Zeppelin : レッド・ツェッペリン、21世紀に完全復活 / BARKS ニュース

ツェッペリンのギタリストといえば、もちろんジミー・ペイジだが、このジミー・ペイジも、ロック・オタクのランディ・ジョンソン同様に、西新宿の中古レコード屋でブートレグを漁りに来たのを目撃されたことがある。ジミー・ペイジの場合はどうも自分の演奏をコレクションしているようだ。
ジミー・ペイジがランディと大きく違うのは、ミュージシャンでなくMLBの投手であるランディは店でブートレグを買うのにお金を払うのに対し、そもそも原著作者であるジミー・ペイジの場合は、「自分の演奏しているブートレグをタダでもっていく」という点であるらしい(笑)やれやれ、ジミー・ペイジ(笑)

今回のランディ・ジョンソンの引退を記念して、ジミー・ペイジがランディになにか贈呈したりしないかねぇ。そしたらジミー・ペイジをもっと尊敬するんだが(笑)






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  • 2014年10月31日、PARADE !
  • 2013年11月28日、『父親とベースボール』 (9)1920年代における古参の白人移民と新参の白人移民との間の軋轢 ヘンリー・フォード所有のThe Dearborn Independent紙によるレッドソックスオーナーHarry Frazeeへの攻撃の新解釈
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年6月1日、あまりにも不活性で地味な旧ヤンキースタジアム跡地利用。「スタジアム周辺の駐車場の採算悪化」は、駐車場の供給過剰と料金の高さの問題であり、観客動員の問題ではない。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年6月29日、『父親とベースボール』 (1)星一徹とケン・バーンズに学ぶ 『ベースボールにおける父親の重み』。
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