ヒットと四球の関係論

2018年10月10日、2018年MLBの「チーム三振数」概況 〜 もはや時間の問題の「1600三振」。
2018年4月12日、安易に「数字」を見て、何かを信じ込むことの怖さ。 〜 2010年代のストライクゾーン拡大と、三振率、四球率の変化を例に
2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。
2015年4月14日、昨年のワールドシリーズ進出がフロックでなかったことを証明し、ア・リーグ中地区首位を快走するカンザスシティ・ロイヤルズの「ヒット中心主義」。
2015年2月8日、「MLBの得点力低下をもたらした四球・長打の過大評価」原論にむけて(3)100年もの長期でみても「四球数」は、「得点」や「出塁率」はもちろん、他のゲームファクターの増減と無縁の存在である可能性は高い。
2014年10月21日、1ゲームあたり投球数が両チーム合計300球に達するSelective野球時代であっても、「球数」は単なる「負担」ではなく、「ゲーム支配力」、「精度」であり、「面白さ」ですらある。
2014年10月20日、やがて悲しきアダム・ダン。ポスト・ステロイド時代のホームランバッター評価の鍵は、やはり「打率」。
2014年10月14日、「パスカルの賭け」の欠陥の発見と、「ホームランという神」の出現。期待値において出現確率を考慮しない発想の源について考える。
2014年10月13日、「ホームラン20本の低打率打者A」と「高打率の打者B」をwOBAでイコールにしようとすると、「打者Aのホームラン以外のヒットは、全て二塁打でなければならなくなる」という計算結果。
2013年10月9日、2013ポストシーズンにおける「待球型チーム vs 積極スイングチーム」の勝負のゆくえ。
2013年7月20日、「ストライクを振れ、ボールを振るな」というみせかけの道徳。
2012年11月11日、いまだに「チーム総四球数とチーム総得点の間には、何の関係もない」ことの意味が理解できず、「すでに自分が死んでいること」に気づかないない人がいる、らしい。
2012年4月8日、チームの「総得点」と「総四球数」の相関係数を調べた程度で、「四球は得点との相関が強い」とか断言する馬鹿げた笑い話。
2012年1月3日、率と期待値を足し算している「OPSのデタラメさ」 (4)実例にみる「四球数の、長打力イメージへのすりかえ」。数字に甘やかされたハンパなスラッガーたちのOPSの本当の中身。
2011年12月22日、率と期待値を足し算している「OPSのデタラメさ」 (3)OPSにおける四球の「二重加算」と「ホームランバッター優遇 水増し加算」のカラクリ
2011年12月21日、率と期待値を足し算している「OPSのデタラメさ」 (2)小学生レベルの算数で証明する「OPS信仰のデタラメさ」
2011年12月20日、率と期待値を足し算している「OPSのデタラメさ」 (1)「OPSのデタラメさ」の基本を理解する
2011年11月10日、「パークファクター」という数字の、ある種の「デタラメさ」。
2011年9月26日、3000本安打を達成する方法(1) 4打数1安打ではなぜ達成不可能なのか。達成可能な選手は、実はキャリア序盤に既に振り分けが終わってしまうのが、3000本安打という偉業。
2011年9月3日、チームというマクロ的視点から見たとき、「出塁率」を決定している唯一のファクターは「打率」であり、四球率は無関係、という仮説。
2011年8月18日、『アウトでないもの』〜ヒットの副次性。
2011年5月2日、「何もせず待球するのではなく、打者有利なカウントでならストライクを思い切りスイングするからこそ、むしろ四球を増やすことができる」という当たり前の現象について考える。
2011年2月24日、四球数をヒット数に換算する発想はベースボールにとって意味が無い、と考えるいくつかの理由。
2011年2月18日、「目」をダメにする「数字というメガネ」。

October 11, 2018

何度も書いているように、2010年代MLBは「三振の世紀」だ。

参考記事:2017年2月4日、「三振の世紀」到来か。2010年代MLBの意味するもの。 | Damejima's HARDBALL

参考記事:2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。 | Damejima's HARDBALL



いまでは信じられないかもしれないが、2000年以前には「1年に1300三振するチーム」など、ひとつもなかった

それが2001年にミルウォーキーが初めて「1399三振」を記録して以来、2000年代に「1300三振」が毎年1〜2チームずつ出現するようになった。
これが2010年代前半になると、全体の1/4〜1/3の球団が「1300三振」するようになり、さらに2016年以降の急増で、2017年には全体の2/3が、2018年にはなんと全体の90%が「1300三振」を超えてしまい、とうとう「1300三振するのが当たり前の時代」が2010年代後半に到来してしまった。


1400三振」が初めて登場するのは2010年アリゾナだが、それでも2010年代前半は1年に1チームか2チームでしかなかった。だが2010年代後半になって激増し、今では全チームの1/3が「1400三振」するようになって、「1400三振」はもはや珍しくない。

さらに「1500三振」は、いくら「三振の世紀」2010年代とはいえ、かつては登場しても年に1チームの「例外」に過ぎなかった。だが2016年以降、複数のチームが「1500三振」するようになり、2018年に史上初めて3チームが「1500三振」を越え、「史上初の1600三振チームが登場するのは時間の問題」となっている。

1500三振以上(計10チーム)

2018年 CHW(1594) SDP(1523) PHI(1520)
2017年 MIL(1571) TBR(1538)
2016年 MIL(1543) SDP(1500)
2015年 CHC(1518)
2014年 なし
2013年 HOU(1535)
2012年 なし
2011年 なし
2010年 ARI(1529)


1400三振以上(計34チーム)
2018年 CHW SDP PHI TEX SFG ARI MIL LAD NYY BAL NYM
2017年 MIL TBR SDP TEX OAK ARI PHI BAL COL CHC
2016年 MIL SDP TBR HOU ARI MIN
2015年 CHC
2014年 CHC HOU MIA
2013年 HOU MIN
2010年 ARI


1300三振以上(計103チーム)
2018年 CHW SDP PHI TEX SFG ARI MIL LAD NYY BAL NYM COL CHC CHW NYY LAD STL MIN CIN TOR MIA OAK STL CIN DET MIN KCR LAA
2017年 MIL TBR SDP TEX OAK ARI PHI BAL COL CHC CHW NYY LAD STL MIN CIN TOR WSN DET
2016年 MIL SDP TBR HOU ARI MIN PHI COL BAL LAD ATL
2015年 CHC HOU WSN SEA BAL SDP PIT ARI TBR
2014年 CHC HOU MIA ATL CHW BOS MIN PHI WSH
2013年 HOU MIN ATL NYM SEA PIT SDP BOS
2012年 OAK HOU PIT WSH TBR BAL
2011年 WSN SDP PIT
2010年 ARI FLA
2008年 FLA
2007年 FLA TBR
2005年 CIN
2004年 CIN MIL
2003年 CIN
2001年 MIL



たぶん、世の中には三振なんかいくらしても得点できればいいのさ、などと、いまだにタカをくくっている人が数多くいると思う。

だが、2018年MLBで「最も三振数が少なかったチーム」は、最も少ない順に、CLE、HOUで、BOSが5位であることくらい覚えておいて損はない。

ちなみに今年のチーム打率は、良かった順に、BOS、CLE、CHC、TBR、ATL、COL、HOUである。この中に「ポストシーズンに行けたチーム」「勝率の高いチーム」「チーム力が回復したチーム」が何チームあるか。2010年代の中期以降に打率のいいチームが活躍する例は、カンザスシティやヒューストンのワールドシリーズ制覇など、枚挙にいとまがない。
フライボール革命などといった嘘くさい話など、どうでもいい。「打率重視」こそ真のトレンドである。



2017年の記事で、ボストンが地区優勝監督ジョン・ファレルをクビにしたことについて、こんなことを書いた。

ボストンが、地区優勝し、なおかつ2018年まで契約が残っていた監督ジョン・ファレルをあえてクビにし、ワールドシリーズを勝ったヒューストンのベンチコーチ、アレックス・コーラを監督に迎えた。
もちろん、チーム独自の個性にこだわりたがる目立ちたがりのボストンがヒューストンとまったく同じ戦術をとるとは思えないが、少なくとも、これまでボストンが長年やり続けてきた「過度なまでの待球」をバッターに強いる「出塁率重視の戦術」がピリオドを迎えたことだけは間違いないだろう。でなければ、ここまで書いてきたことでわかるように、四球を重視しない2017ヒューストンのベンチコーチを、地区優勝監督をクビにしてまでして、わざわざ監督に迎える必要がない。

2018年にボストンの打撃スタイルがどう変わるかを見ることで、2017年のヒューストン・レボリューションがどういうものだったか、逆算的に眺めることになるかもしれない。

2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。 | Damejima's HARDBALL



かつてのボストンは、待球が大好きで四球数の多い、出塁率超重視のチームだったが、チーム三振数は、2013年、2014年と「1300」を越え、三振数トップから数えたほうが早い「三振の多いチーム」でもあった。四球数の多さは、けして三振数激減を意味しないのである。

だが、今年のボストンの打撃スタイルは、ホームラン数こそ全体9位だが、ダスティン・ペドロイア不在にもかかわらず、打点、得点でMLBトップ、打率でもMLBトップ。そして三振数1253は全体5位の「少なさ」と、中身が濃い。

ボストンが、思い切りのいい監督交代で、チーム内のケミストリーとオフェンスの質を劇的に変え、「より多くのヒット、より多くのタイムリーを打っていくことで、着実に打点を稼ぐヒューストン流に転向した」ことは明らかだ。


いま思うに、ジム・リーランド時代のデトロイトがシャーザー、バーランダー、ポーセロと、3人ものサイ・ヤング級投手を揃え、ミゲル・カブレラやビクター・マルチネスなど強打者をそろえても、ワールドシリーズを勝てなかったのは、たとえ個人それぞれに類まれな才能があっても、「チームの強さ」がそれを支えなければ、ワールドシリーズを勝てないという、単純な理屈だった。

そのことは、2018年ボストンの「変わり身の成功」が証明している。




damejima at 11:13

April 12, 2018

2010年代」を最も特徴づけるファクターのひとつが、「三振の急増」であることは、これまでも何度も書いている。
参考記事:2017年2月4日、「三振の世紀」到来か。2010年代MLBの意味するもの。 | Damejima's HARDBALL

2018年4月11日、意図的に「ホームランの世紀」をつくりだそうとした2010年代MLB。実際に起きたのは、「三振とホームランの世紀にさからったチーム」によるワールドシリーズ制覇。 | Damejima's HARDBALL


2010年代に三振急増をもたらした要因のひとつは、明らかに「ストライクゾーンの拡張」だが、それをデータとして明示する記事が、The Hardball Timesにある。
The 2017 Strike Zone | The Hardball Times (an article written by Jon Roegele, The Hardball Times)

詳しいことは記事を読んでもらえばいいが、この記事、残念なことにデータがグラフ化されていないために、「要素それぞれの関係」が把握しづらい。

なので、記事中にある「ストライクゾーンの拡大」「三振率」「四球率」の変化を「無理矢理に、ひとつのグラフに表示してみた」ところ、以下のようになった。

2010年代のストライクゾーン、三振率、四球率


この「図」をみたら、誰もが「ストライクゾーンの拡大は、三振率と四球率の変動に非常に大きな影響を与えている」などと思いこむことだろう。

だが、実は上のグラフには「ゴマカシ」がある。
以下にその「ゴマカシ手法」を説明して、「安易に数字を見ることの怖さ」の一例としようと思う。


わかる人はとっくに気づいているだろうが、上の折れ線グラフは「縦軸のつくり」が根本的におかしい。というのは、上の3本のグラフは、それぞれの縦軸の「数値の刻み」がまるで異なるデータなのだ。
上の「ゴマカシのグラフ」では、縦軸の数値の刻みを無理矢理に揃えることによって、3つのデータ」を無理矢理にひとつにまとめて図示し、「3つの数値があたかも常に連動して変化し、非常に深い関係にある」かのように、「みせかけている」のである。


ここまで書いてもまだわからない人がいることだろう。
もっと目にみえる形で説明してみる。


以下に、縦軸を共通の数値の刻みにして表現した、「ゴマカシのないグラフ」を図示した。赤い線が「三振率」、緑の線が「四球率」である。
わかるひとにはすぐ意味がわかるはずだ。三振率と四球率は、どちらも縦軸は「パーセント」だが、「縦軸の刻み」がまったく違うため、本当は「変化のレンジ」がまったく異なっていたのである。

縦軸を共通にした三振率と四球率のグラフ


図からわかることを端的に表現すれば
三振率のほうが、四球率よりはるかに鋭敏に「ストライクゾーンの変化」に反応している
のである。

同じことを、こんどは「数字」で表現しなおしてみる。
三振率の変化は「平均19.81、標準偏差1.23」、四球率の変化は「平均8.16、標準偏差0.42」であり(標準偏差は不偏分散からみたもの)、三振率の「分散」のほうが、四球率の「分散」よりずっと大きい。
平易な言葉でいいかえると、三振率の変化の「バラつき」のほうが四球率よりはるかに大きいのである。
三振率が±4%の範囲で「大きく変化している」のに対して、四球率の変化は±1%と「分散の1倍の範囲内での小規模な変化」にとどまっている。このことは、「ストライクゾーンの変化に対する三振率の変化」が有意である可能性があるのに対して、「ストライクゾーンの変化に対する四球率の変化」はむしろ単なる誤差でしかない可能性が高いことを意味する。



このブログでは、これまでずっと、
四球という現象の出現度は、他のプレー要素によってほとんど左右されることはない。
むしろ四球の出現度は、チームの強弱に関係なく、あらゆるチームにおいてほとんど一定であり、四球という現象があたかもチームの優劣を左右するかのような発想には、実はまったく意味がない。
出塁率にしても、その増減を決定づけているファクターは、そのほぼすべてが『打率』であり、四球数ではない」
という考え方を貫いてきた。

2015年2月に書いたように、たとえ「100年くらいの長期」でみても、四球というファクターは、得点や出塁率はもちろん、「他のあらゆるゲームファクターの増減とはまったく無縁」の「独立したゲーム要素」である可能性が高いのである。

今回の「2010年代のストライクゾーンの変化」による三振や四球への影響をみても、「ストライクゾーンの変化によって、三振率も四球率も、同じ割合で、平行して変化する」などと考えることが馬鹿げた錯覚に過ぎないことがわかる。

記事例:
2011年2月24日、四球数をヒット数に換算する発想はベースボールにとって意味が無い、と考えるいくつかの理由。 | Damejima's HARDBALL

2012年4月8日、チームの「総得点」と「総四球数」の相関係数を調べた程度で、「四球は得点との相関が強い」とか断言する馬鹿げた笑い話。 | Damejima's HARDBALL

2012年11月11日、いまだに「チーム総四球数とチーム総得点の間には、何の関係もない」ことの意味が理解できず、「すでに自分が死んでいること」に気づかないない人がいる、らしい。 | Damejima's HARDBALL

2013年10月9日、2013ポストシーズンにおける「待球型チーム vs 積極スイングチーム」の勝負のゆくえ。 | Damejima's HARDBALL

2015年2月8日、「MLBの得点力低下をもたらした四球・長打の過大評価」原論にむけて(3)100年もの長期でみても「四球数」は、「得点」や「出塁率」はもちろん、他のゲームファクターの増減と無縁の存在である可能性は高い。 | Damejima's HARDBALL


だが、もしこのデータを、ごまかしのないグラフではなく、「数字だけ」で見せられ、「ほら、な。ストライクゾーンが変化すると、三振も四球もこんなに変化するんだぜ?」などと主張する記事なり、ネットの書き込みなりを見たとしたら、あなたは即座にその「作為」「デタラメ」「ウソ」を見抜くことができるだろうか? というのが、この記事の本当の主旨である。

ブログ主が思うに、大半の人は「信じ込んでしまう」のではないか。

そして「ストライクゾーンが変化すんだからよぉ、三振も四球も大きく変化するに決まってんだろ!」などと信じ込む安易な人間に限って、他人に議論をふっかけたがる。本当に始末が悪いのである。

damejima at 19:00

November 15, 2017

「四球と出塁率が打撃力の要(かなめ)」とかいうアホ理論は、2017年をもって死んだ、という話のあらましを以下に書く。(実際にはこのアホ理論、とっくの昔に死んでいるのだが、ビリー・ビーンのオークランドが典型例だったように、アホなチームと無能なGMが採用し続けていたために「ウォーキング・デッド」と化している)


2017年シーズンが始まる前、2017年2月に書いたように、「三振数が1300を超えるチーム」が大量生産されだしたのは、2010年代に入ってからのことであり、2010年代のMLBの打撃面の最も特徴的なファクターのひとつが「三振の激増」である。

平たく言えば、2010年代は「クリス・カーター大量生産時代」なのだ。(ちなみにヤンキースは、クリス・カーターをクビにしたにもかかわらず、まったく同タイプであるトッド・フレイジャーを獲得し、スタメンに並べた。それがどのくらい無意味な行為か、ホームラン馬鹿には理解できないらしいから呆れた話だ)
「MLBで『三振ばかりするホームランバッター』が大量生産されだしたのは、『2000年代以降』のことであって、とりわけ『2010年代』に大量に生産されだした。彼らは、本物のスラッガーではなく、いわゆる『大型扇風機』にすぎない。」

出典:2017年2月1日、41本ホームラン打ったクリス・カーターに再契約オファーがなかったことからわかる、「ホームランバッターは三振が多くて当たり前」という話の真っ赤な嘘。 | Damejima's HARDBALL


以下にあらためて2000年以降に「大量に三振するチーム」を列挙してみた。「三振の多いチーム」が特定のチームに偏っていることがわかる。

シーズン1300三振以上のチーム(計56チーム)
2016年 MIL SDP TBR HOU ARI MIN PHI COL BAL LAD ATL
2015年 CHC HOU WSN SEA BAL SDP PIT ARI TBR
2014年 CHC HOU MIA ATL CHW BOS MIN PHI WSH
2013年 HOU MIN ATL NYM SEA PIT SDP BOS
2012年 OAK HOU PIT WSH TBR BAL
2011年 WSN SDP PIT
2010年 ARI FLA
2008年 FLA
2007年 FLA TBR
2005年 CIN
2004年 CIN MIL
2003年 CIN
2001年 MIL

元記事:2017年2月4日、「三振の世紀」到来か。2010年代MLBの意味するもの。 | Damejima's HARDBALL


では「2017年」はどうだったのだろう。
「1300三振以上したチーム」は
増えたのか、減ったのか。

答え:
大量に増えた


年間1300三振したチーム

2016年
MIL SDP TBR HOU ARI MIN PHI COL BAL LAD ATL

2017年
MIL TBR SDP TEX OAK ARI PHI BAL COL CHC CHW NYY LAD STL MIN CIN TOR WSN DET


2000年代に「年間に1300三振以上するチーム数」は、年に1チーム、多くて2チームしかなかった。だが、2016年には11チームと2ケタになり、さらに2017年には19チームにもなって、なんとMLB30球団の3分の2が1300三振する「大型扇風機チーム」になったのである。
ホームランが大量生産された2017年が、どれだけ「バッターがバットをむやみに振り回してフライを打とうとし、ホームランを狙ったシーズンだったか」がわかる。

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ところが、だ。

「2012年〜2016年まで、常にチーム三振数がMLBトップクラスで、毎年のように三振ばかりしてきた、とあるチーム」の名前が、どういうわけか、2017年の三振チームリストに見当たらない。

ヒューストン・アストロズである。

ヒューストンの今シーズンの三振数は1087
なんとこれ、2017MLB最少の三振数なのだ。

つまり、MLBで「最も三振ばかりしていたチーム」が突然、「最も三振しないチーム」になり、ワールドシリーズを勝ったのである。


話は、まだまだある。
以下のメモを見てもらいたい。

2017年 MLB30球団における
ヒューストンのチーム打撃成績ランキング

打率 1位 .282
ヒット数 1位 1581本
二塁打数 1位 346本
ホームラン数 2位 238本

出塁率 1位 .346
三振数 30位 1087
四球数 20位 509


注目に値するのは、これだけあらゆる打撃が抜きん出ていた2017ヒューストンにあって、こと「四球数」だけは「全体平均の528四球」を下回っていることだ。

言い換えると、2017ヒューストンの「出塁率 MLB1位」の中身は、「四球」とまったく関係がないのである。

もっと正確に書けば、ヒューストンの出塁率の高さは、「チーム打率が高かった」ことによって派生したオマケにすぎないのであり、出塁率が「原因」となって、チームの好調さという「好結果」を生み出したわけでもなんでもない、ということだ。

2017ヒューストンはバッターに「待球」を強制し、チーム四球数をむやみと増やすことで出塁率を高めれば、得点増加に直結して自然と勝てるようになる、というような、「アタマの悪い人間が考えだした、デタラメなヘリクツ」で野球をやっていたわけではないのである。(注:そもそもチームが選手に待球を強く指示したとしても、チーム四球数はそれほど増えたりなどしない)


2014年、2015年と2年連続でワールドシリーズに進出したカンザスシティの勝利の原動力が「ヒット中心主義による打率の高さ」だったことは、2015年4月の記事に書いている。
参考記事:2015年4月14日、昨年のワールドシリーズ進出がフロックでなかったことを証明し、ア・リーグ中地区首位を快走するカンザスシティ・ロイヤルズの「ヒット中心主義」。 | Damejima's HARDBALL

2017年ヒューストンは、当時のカンザスシティほどではないにしても、打率で他チームを圧倒したのである。
かねてからこのブログで指摘してきた「出塁率を決定しているのはあくまで打率であって、四球はほとんど関係ない」という事実を、2017年ヒューストン・アストロズは現実化してみせた。
参考記事:
2011年9月3日、チームというマクロ的視点から見たとき、「出塁率」を決定している唯一のファクターは「打率」であり、四球率は無関係、という仮説。 | Damejima's HARDBALL

2015年2月8日、「MLBの得点力低下をもたらした四球・長打の過大評価」原論にむけて(3)100年もの長期でみても「四球数」は、「得点」や「出塁率」はもちろん、他のゲームファクターの増減と無縁の存在である可能性は高い。 | Damejima's HARDBALL



アタマの悪い人間が、ホームランの多さこそ2017ヒューストン打線の特徴だ、などと言い張るかもしれないので(笑)ちょっとだけ、ヤンキースなど「打率軽視の、中身のないホームラン馬鹿打線」と比較しておこう。

ヒューストン(238本)と同じくらいのホームラン数のチームは、ヤンキース(241本)、テキサス(237本)、オークランド(234本)など、いくつかあるが、ヒューストンとそれらのチームの「打線の差」は、ホームラン数ではない。
両者の差は、二塁打の数チーム打率を比べたとき、はじめて歴然とする。つまり、ホームラン数の多さはけしてヒューストン打線の「最も際立った特徴」ではない、ということだ。「打率軽視のホームラン馬鹿打線」のオークランドやテキサスを相手にしているかぎり、ア・リーグ西地区におけるヒューストンの優位性はゆるがない。
2017 チーム二塁打数 チーム打率

HOU 346本 1位 .282 1位 (四球数 509 20位)
OAK 301本 6位 .246 24位 (四球数 565 10位)
NYY 266本 22位 .262 6位 (四球数 616 3位)
TEX 255本 25位 .244 25位 (四球数 544 13位)



では、なぜ突然ヒューストンは「最も三振するチーム」から「最も三振しないチーム」に変身できたのか。

それについては、残念ながらハッキリしたことはまだ何もいえない。

あくまで「直感」レベルとしてだが、2013年から2016年の「三振ばかりするヒューストン」は、わざと選手に「フルスイングさせて、若い選手の成長を促進してきた」のではないか、などとは思っている。


もちろんこれも今のところ根拠のない空想にすぎない話だが、ブログ主には、「2010年代のMLBが『三振か、フライか』という時代になることを予見できていたチームが、2010年代の覇権を握った」と思えてならない。
「早くからボールの変化に気づいていたチーム」であるヒューストンは2010年代の早くから「フルスイングによるフライ打ち」を奨励し、数年かかって若い打者のバッティングがまとまってきたところでワールドシリーズを勝ったのではないか、などと夢想するわけだ。
最近ボールが飛ぶボールに変わったと、よくいうけれども、それをヒットやホームランに変えるためには「準備」というものが必要であり、例えば「フライを打ちまくれる打撃フォームの確立」にはそれ相当の時間がかかる。2015年にワールドシリーズを勝ったカブスも、思い起こせば、当時「三振だらけのチーム」だったことを思い出してもらいたい。


ボストンが、地区優勝し、なおかつ2018年まで契約が残っていた監督ジョン・ファレルをあえてクビにし、ワールドシリーズを勝ったヒューストンのベンチコーチ、アレックス・コーラを監督に迎えた。
もちろん、チーム独自の個性にこだわりたがる目立ちたがりのボストンがヒューストンとまったく同じ戦術をとるとは思えないが、少なくとも、これまでボストンが長年やり続けてきた「過度なまでの待球」をバッターに強いる「出塁率重視の戦術」がピリオドを迎えたことだけは間違いないだろう。でなければ、ここまで書いてきたことでわかるように、四球を重視しない2017ヒューストンのベンチコーチを、地区優勝監督をクビにしてまでして、わざわざ監督に迎える必要がない。

2018年にボストンの打撃スタイルがどう変わるかを見ることで、2017年のヒューストン・レボリューションがどういうものだったか、逆算的に眺めることになるかもしれない。

damejima at 18:18

April 15, 2015

昨年29年ぶりにリーグ優勝してワールドシリーズに進出したカンザスシティ・ロイヤルズの快進撃(7試合消化時点で7勝0敗)が今年も止まらない。
かつては、春先に期待されながら夏を迎えた途端に低迷するのがお約束のチームだったわけだが、KCRのいまのチーム打率.329(2015年4月13日まで)という途方もない打撃数字が、去年の大躍進がフロックでなかったことを物語っている。
(同地区のデトロイトもチーム打率.337と、ちょっと考えられない天文学的数字を叩き出していている。この2チームのバッティングは今のところ、ちょっととんでもないレベルにある)


このカンザスシティの超絶バッティングを支えているのは、「四球をかえりみないヒット中心主義打線」で、これは他チームにみられない個性だ。

まず以下のグラフを見てもらいたい。

ブログ注:
『R二乗値』は、X軸とY軸に示された「2つの数値群」(例えば「打率」と「出塁率」)の間の「関係の程度」を示す手法のひとつだ。
四球とホームランの価値を水増しするOPSのようなデタラメ指標を盲信してきた愚かな人間たちや、出塁率の過大評価をこれまでもっともらしく垂れ流し続けてきた人間たちがずっと間違えてきたように、この単純すぎるモノサシだけを使ってベースボール全体を決定する法則性を発見したと断言する愚かな行為は、「小学生の文房具セットに入っている子供用のモノサシだけを使って、オフィスビルを建てようとする行為」に近い。
例えば、「Y軸の数値は、完全にX軸の数値群によって決定される」などと不可逆的に断言するのに必要な「R二乗値の数値」は、十分に多くのデータについて「1.0 にかなり近い、高い数値が出た場合」でなければならないし、また、そうした数値が出たからといって、X軸で示した数値群の価値が無限大になるわけでもなければ、第三の要素の関与を完全に排除できるわけでもない。
参考記事:カテゴリー:指標のデタラメさ(OPS、SLG、パークファクターなど) │ Damejima's HARDBALL


グラフ 1
X軸:チーム四球数 Y軸:チーム出塁率
R二乗値=0.3868
2015シーズン4月13日までの四球数とOBPの相関

グラフ 2
X軸:チーム打率 Y軸:チーム出塁率
R二乗値=0.8749
2015シーズン4月13日までの打率とOBPの相関


これは2015シーズンが開幕したばかりのア・リーグ各チームにおける「四球数と出塁率」、「打率と出塁率」をグラフ化したもの。X軸がどの程度Y軸の数値を決定するのかを、とりあえず直線の近似式(=線形近似)で示している。
2つのグラフの近似式の内容には「歴然とした大差」がある。その意味はもちろん、これまでブログに何度となく書いてきたように、「チーム間に出塁率の差が生じる理由のほとんどが『打率の差』であって、四球の関与はほとんど無い」ということだが、そんな既にわかりきったことより、いまや、もう一歩進んで明らかにしたいのは、「出塁率にこだわることそのものの無意味さ」だ。

そのうち記事を追加して説明するつもりだが、このことをもうちょっとわかりやすくいいかえると、「出塁率向上によって得点力をアップさせる」とか称しながら、「実は、出塁率に対してほぼ無縁の存在といえる四球を無理に増加させようと画策する行為が、どれくらいわけがわからないことなのか」をまったく理解しない人間たちの愚かさを具体的に明らかにしていきたいのだ。

困ったことに、「得点力不足に悩んだ挙句に、ボストンのマネをしだして、わけのわからないことになっているチーム」に限って、明らかに細かいシチュエーションバッティングの苦手な「フリースインガー」や「低打率の二流のスラッガー」ばかり集め、その「細かいバッティング対応ができない不器用なバッターたち」に「待球指示を出しまくる」のだから、もうほんと、「わけがわからない」としか言いようがないのだ(笑)

確かにMLBは「ビジネス的に世界で最も成功したプロスポーツ」だといつも思っているが、その一方では、「他のプロスポーツと同じくらいに、わけのわからない人たちが跋扈しているスポーツ」でもあると思っている。



さて、グラフで注目してもらいたいのは、「出塁率の異常に高い3チーム」のうち、KCRBOSの「正反対の中身」だ。
KCR:非常に高い打率、並の四球数
BOS:平凡な打率、突出した四球数

毎年のように待球率が「異常に」高いBOSが、「四球出塁の異常なほどの多さ」によって出塁率を維持しようとしている(今年TBRHOUTEXNYYTORにも同様の傾向がある)のに対して、KCRは、四球にはまるで目もくれず、ひたすらヒットを打つことに集中していて、結果として、高い出塁率を維持している。
このカンザスシティの「ヒット中心主義」が、いまチームコンセプトとして新しく見えるし、非常に心地よい。(DETは別格で、なんとKCRとBOSがやっていることの「両方」を同時に達成している。こんなチーム、見たことがない)


もちろん容易なことではないとは思うが、ぜひカンザスシティにはシーズン終了までこの「ヒット中心主義ベースボール」をできる限り維持してもらって、リーグ優勝決定シリーズあたりではボストンが掲げる、今となっては古臭い「四球中心主義」を再度ぶちのめしてもらいたいものだ。

damejima at 17:42

February 09, 2015

MLBサイトの老舗Hardball Timesに、この100年間の「1試合あたりの得点、ホームラン、ヒット、四球、三振の数」の変化について書かれた記事がある。
The Strikeout Ascendant (and What Should Be Done About It) – The Hardball Times
記事の主旨を簡単にいうと、この100年で最も変わったのは「三振数の激増」であって、100年前は「1試合あたり2三振」くらいだったのが、いまや「8三振」と「約4倍」にもなってるから、何か手を打たねば、という話だ。
MLB100年史における三振数の激増


なかなか興味深い。

だが、「MLBの得点力低下をもたらした四球・長打の過大評価」原論にむけてという立場で参考になるのは、三振の激増よりむしろ「1試合あたり四球数が、この100年間というもの、ほとんど変わっていないこと」のほうだ。

かつて2011年ア・リーグについて、こんな記事を書いたことがある。
2011年9月3日、チームというマクロ的視点から見たとき、「出塁率」を決定している唯一のファクターは「打率」であり、四球率は無関係、という仮説。 | Damejima's HARDBALL

記事の主旨を簡単に書くと、こんなことになる。
「2011年ア・リーグ単年でみると、チーム四球数は、チーム総得点の多い少ないに関係なく、あらゆるチームに一定割合で発生している。
四球数は、チーム間の打撃格差や、チームそれぞれの打撃のタイプの違い、パークファクター等にほとんど左右されない。そのチームが稼ぎ出す「総四球数」というものは、それが得点の非常に多い強豪チームであれ、得点の非常に少ない貧打チームであれ、ほとんど変わらない。
したがって、チームという視点で見るとき、「出塁率の高低を決定するファクターのほぼすべて」 は、「打率であって、四球は関係ない。また、「四球数」は、チーム総得点数の増減に影響するファクターではない


今回はあらたにHardball Timesのまとめた「100年間のデータ」を見たわけだが、ここでも同じように
この100年の野球史において、1試合あたり四球数はほとんど変化していない
ことがわかった。

このことによって、かつてこのブログで「2011年ア・リーグ単年」に限定して書いたことは、どうやら「100年間のMLB史全体」についても拡張できそうだ。つまり、次のようなことがいえる可能性がより高まった、ということだ。

野球のルールが現在のような形に固まって以来100年間、さまざまなルール、さまざまな才能、さまざまな投打のスタイル、さまざまな分析手法が登場してきた。だが、「1試合あたりの四球数」は、どんな時代であれ、ほとんど変わってはいない。

したがって「四球」は、100年の野球史においてずっと、出塁率を左右するファクターではまったくなかったし、また、チーム総得点数を左右するファクターでもない。


さて、この100年で野球が最も大きく変わった点が「三振数の激増だ」という話だが、このことでわかってくることも、少なからずある。
例えば、100年前と今とで打者の置かれたシチュエーションの違い、100年前に4割打者がゴロゴロいた理由、投手の奪三振記録の重さの違い、試合時間が長時間化している理由など、いろいろなことに一定の説明がつけられるからだ。


野球のルールが現代的に固まる前の、19世紀中頃のルールでは、打者は「ハイボール」「ローボール」と、投手に投げるコースをおおまかながら指定できたし、四球も4ボールでなく、8ボールとか7ボールとかで歩くルールだった。
というのも、チェスで先手側が最初の一手を指さないといつまでたってもゲームが始まらないのと同じで、初期の野球は「打者がまずボールをフィールドに打つことが、ありとあらゆるプレーに先立つ大前提だった」からだ。三振も四球も、もともとこのゲーム本来の目的ではない。

だから、100年前にルールが固まった直後の野球のスタイルは、プレーも観戦も、たぶん今とは相当に違うものだ。


100年前の打者と、今の打者
100年前のバッターはほとんど三振しない。
これは、「そのバッターが非常に優れている」ということがあるにしても、それよりも「野球初期には、興行側も観客側も、『まず、何はさておきバッターがフィールドに打って、その後に何が起こるかを観戦する』、それが当たり前と考えていて、三振という現象が起こること自体にそれほど重きが置かれていなかった」と考えるほうが正しい気がする。

いずれにしても、100年前のバッターたちが、三振する心配もあまりなく、コーチやアナリストから出塁率向上をクドクド言われ続けることもなく、「早打ちするな」だのと余計な制約をつけられることもなく、バッターの手元で曲がる絶妙な変化球もなく、苦手球種をスカウティングされるも心配なく、安心してバットを振り続けられたのだから、今ではありえない4割打者がゴロゴロいたのも、ある意味当然だ。
思えば、三振が当たり前になった現代にイチローはよく3割7分も打てたものだ。やはり100年にひとりの逸材だ。

100年前の観客の見たもの
100年前は、今のようにボールの見極めにそれほど必死になる必要がない時代だっただろうから、試合経過も非常にスピーディーかつダイナミックだったはずだ。
早いカウントで好球必打。まずはガツンと打って、走って、守る。シンプルで素晴らしい。観客はそういうスカッとしたゲームを見て、スッキリ帰れたのではないか。なんともうらやましい限りだ。


「1試合あたり300球時代」の始まった1990年代後半と、
三振数激増の関係

「両チームあわせた投球数」について、1990年代後半に「1試合あたり300球」を越えるような時代がやってきて、アンパイアの疲労が急増したことを、2014年10月に記事にした。
記事:2014年10月21日、1ゲームあたり投球数が両チーム合計300球に達するSelective野球時代であっても、「球数」は単なる「負担」ではなく、「ゲーム支配力」、「精度」であり、「面白さ」ですらある。 | Damejima's HARDBALL
Hardball Timesの記事のデータをみると、この「1試合あたり300球時代」の始まった「1990年代後半」は、同時に「三振数の急増」が起きている時期と重なっていることがよくわかる。これには、非常に納得がいく。

というのは、奪三振という行為は、同時に「球数を多く投げる」という意味でもあるからだ。
やたらと球を投げなければならない今の野球では、当然ながら先発投手の投げられるイニング数はどんどん短くなる。リリーフの責任も重くなる一方だし、投手の寿命にも影響する。
そして、投球数が多くなれば、当然ながら「試合時間」も長くなる。三振の多い野球は、試合時間も長いからだ。

1990年代後半以降の「投球数の急増」
The average number of pitches thrown per game is rising ≫ Baseball-Reference Blog ≫ Blog Archive1980年代末以降の投球数の増加 via Baseball Reference


蛇足だが、この100年でMLBの三振数が激増し続けたことを考えると、「奪三振記録の重み」にしても、「より古い時代の奪三振記録のほうが、はるかに重い」とか、「奪三振が難しかった時代の記録のほうが価値がある」いうことになるかもしれない。

例えば、1910年代より、一時的に三振数の減少している1930年代〜1940年代のほうが奪三振は難しいとしたら、同じ「2500奪三振」でも、クリスティー・マシューソンの2502奪三振より、ボブ・フェラーの2581奪三振のほうが価値が高いのかもしれない。あとは例えば、数字をきちんと補正したらひょっとするとノーラン・ライアンの5714奪三振より、100完封3508奪三振のウォルター・ジョンソンの数字のほうがずっと価値が高い、なんてことが言えるようになるかもしれない。

511勝の歴代最多勝記録をもつサイ・ヤングは、三振という面でいうと、1900年以降に奪三振王になったシーズンはわずか1回しかない。彼は自責点でも被安打でも最多記録保持者でもあることもある。
20世紀初頭の奪三振王といえば、ルーブ・ワッデル、クリスティー・マシューソン、ウォルター・ジョンソン、ピート・アレクサンダー、レフティ・グローブ、ダジー・ヴァンスなどだが、20世紀初めのMLBが「打者がほとんど三振してくれない時代」だったことを考慮するなら、「サイ・ヤング賞」は今年から「ウォルター・ジョンソン賞」と名称を変更すべきだろう(笑)



damejima at 06:56

October 22, 2014

2012シーズンを最後に引退したMLBアンパイアTim Tschidaが、引退理由のひとつとして、近年のアンパイアの仕事が激務になってきていること、自らの体力面に不安があることを挙げ、「1試合あたりの投球数が昔より激増し、両軍あわせて『300球』にも達している」ことを指摘していたのを、ふとしたことで思い出した。

When I came in, the average number of pitches in a major league game was 200. Today, it's 300.
「俺がメジャーのアンパイアになったときは、1ゲームあたりの平均投球数は200だった。今じゃアンタ、300さ。」

Former umpire Tim Tschida 'having a ball' as prep assistant coach - TwinCities.com

もちろん、投球数激増の原因は、野球のオフェンスが非常にSelectiveになったことにある。

つまり、「ステロイド使用の抑制でホームラン数が激減する一方、セイバーメトリクスなどデータ分析の普及が進んだことによって、四球や出塁率の評価が高くなった、というより、『無意味なほど過大評価されだした』ことで、各チームはバッターにやたらと無駄なスイングの抑制や、球を見極めるバッティングを要求しだした」のである。

データ野球にはいまだに未成熟、未完成な部分が多々ある。そのことも理解しないまま、データ分析手法を「生半可に導入した」チームが増えれば、OPSのような「デタラメな古い価値基準」で選手の価値を評価したり、四球の価値を実際よりはるかに過大評価するハメになる。
ときどき思い出したようにホームランを打って、あとは四球になるのを待つだけ、ただそれだけの「アダム・ダン的、超低打率パワー系ヒッター」が過剰増殖する結果を生んだのも、当然の結果というものだ。

それは、野球本来の面白さではない。

関連記事:2014年10月20日、やがて悲しきアダム・ダン。ポスト・ステロイド時代のホームランバッター評価の鍵は、やはり「打率」。 | Damejima's HARDBALL


野球のオフェンスが 「本当に得点効率向上に貢献するのかどうかわからないほど、あまりにも過剰にSelectiveになった」 結果、「投手が打者ひとりあたりに投げる球数」は多くなり、「先発投手の投げるイニング数」は短くなり、セットアッパーの負担と責任も重くなった
それだけではない。 試合をさばくアンパイアの負担も非常に増え、さらには、ゲーム進行が遅くなったり、試合時間が長くなったりしたことで観戦するファンの負担も増やした可能性もある。

(ちなみに今シーズンから始まったインスタント・リプレイの適用範囲拡大も、試合時間を長くする要素にはなっている。だが、MLBファンはそれを受け入れており、『ファンにとって試合時間は短ければ短いほどいい』とは、けして断定できない。ヤンキースやレッドソックスの試合進行が遅すぎるという批判が100年前から既にあったことからもわかるように、ゲーム進行スピードの議論は今に始まったことじゃない。
参考記事:2011年7月5日、ゲームの進行が遅いとクレームをつけた最年長ベテランアンパイア、ジョー・ウエストに、ジョナサン・パペルボンが放った"Go Home"の一言。 | Damejima's HARDBALL


過去をふりかえると、「先発投手が125球以上投げた試合」は、1990年代には「のべ100数十試合」もあった。だが2000年代以降に激減。近年では20を切るシーズンも珍しくない。
先発投手が完投しないのはもはや当たり前。先発、セットアッパー、クローザーと、投手分業システムが確立した一方で、「長いイニングを投げられる、タフで怪我の少ない先発投手」も激減した。

そして、投げられるイニング数が短くなっているだけではなく、先発投手が長期DL入りや肘や肩の手術なしに、健康な状態で投げられる期間も、ますます短くなろうとしている。

1チーム1試合あたりの平均投球数
The average number of pitches thrown per game is rising ≫ Baseball-Reference Blog ≫ Blog Archive
1980年代末以降の投球数の増加 via Baseball Reference

1試合で125球以上投げた先発投手の「のべ人数」
(1996-2007)

125球以上投げた先発投手のべ人数1996-2007
引用元:
Count on it - MLB - Yahoo! Sports Data by Jeff Passan, Yahoo! Sports 2006

1試合あたり105球以上投げた先発投手の顔ぶれ(2008-2012)
1試合平均105球以上投げる先発投手の数 2008―2012


1チームの平均投球数「約150球」のうち、先発投手の投球数はだいたい84球から100球いかないくらいで、「平均92球前後」くらいらしいが、先発投手のP/IP(=1イニングあたりの投球数)が、良い投手で「14から15」、そこそこの投手で「16から17」であることを考えると、「92球」という球数は、だいたい「6イニング」という計算になる。
となると、総投球数「150球」から「先発投手の6イニングの総投球数、90ちょっと」を引いた「50から60球前後、3イニング」はブルペンに頼ることになる。
1チームあたりの平均総投球数=150球程度
先発投手90球ちょっと(=約6イニング)
-------------------------------------------
引き算によるセットアッパー+クローザーの負担
=50〜60球
=約3イニング
=2人の勝ちゲームのセットアッパー+1人の優秀なクローザー
=6回までにリードしておける攻撃態勢

「ブルペンが50球〜60球で、3イニングを消化する」ということは、「1イニングあたり、17〜19球で終わりたい」という意味になるから、計算上「セットアッパーが、バッター1人当たりに投げてもよいと考えられる球数」は、理想的には「4球以内」、「5球」なら普通で、多くても「6球」まで、「7球」では投げ過ぎ、ということになる。フルカウントなんて、もってのほかだ。

クリフ・リーが打者にストライクをやたらと投げるピッチャーであることや、フィル・ヒューズがヤンキース時代には「打者を追い込んでからの勝負があまりに遅いダメ・ピッチャー」だったのが、ミネソタ移籍後「勝負の早いピッチャー」に変身したことでエースとして大躍進を遂げたのには、やはりこの「過剰にSelectiveな現代野球」を生き残る戦略として、大きな意味があるわけだ。

せっかく打者を追い込んだのに、その後、ボールになる変化球(例えば、アウトコース低めのボールになるスライダーやシンカー。いわゆる釣り球)ばかり、だらだら投げ続けて、自らカウントを悪くするようなワンパターンな配球は、(例えばアダム・ジョーンズや、調子の悪いときのジョシュ・ハミルトンのように、追い込んでアウトローさえ投げておけば簡単に凡退がとれるタイプの打者との対戦を除くと)今のMLBでは意味がない。
ヤンキースが典型だが、投手陣を見ていて「勝負の遅いピッチャーだらけだ」と感じるということは、そのチームの投手コーチに現代野球の目指すべきベクトルを感じ取る嗅覚がない、という意味でもある。

関連記事:
2014年9月21日、フィル・ヒューズ自身が語る「フルカウントで3割打たれ、26四球を与えていたダメ投手が、被打率.143、10与四球のエースに変身できた理由」と、ラリー・ロスチャイルドの無能さ。 | Damejima's HARDBALL

カテゴリー:クリフ・リー (ビクター・マルチネス関連含む) │ Damejima's HARDBALL

だが、いうまでもなく現実の野球は計算どおりになどいかない。
近年の野球のオフェンスが、非常にSelective、つまり、やたら「球を見る」ようになってきていて、ひとりのバッターをうちとるのに昔より多くの球数が必要になってきているにしても、人材不足の昨今、優秀なブルペンを3人揃えてチームに囲い込んでおくことは容易ではない。
少ない球数でサクッとイニングを終わらせてくれるような、頼りになるセットアッパー2人と優秀なクローザーを揃えておかなければならないことくらい、どこのチームでもわかっている。
そういう投手はどこのチームだって欲しいわけだが、実際には不完全なブルペンのまま戦わなければならないチームも多い。


そういえば最近、ローテーションを6人体制にして中4日より長い登板間隔にすべきだ、なんて議論があるが、賛成するにしても反対するにしても、「先発投手の負担軽減」だけしか議論しないのは根本的に間違っている。

なぜって、「先発投手の負担」が従来より重くなっている原因のひとつが、投球数そのものが昔の1.5倍にも増加したことだとしたら、その影響が及ぶ範囲は、先発投手だけでなく、ブルペン、アンパイア、ファンに至るまで、「野球全体に及ぶ問題」だからだ。
バッテリーが早い勝負を心がけた戦略的な配球をするような攻撃的ディフェンスへの戦術転換の必要性、技術的進歩の必要度は、ますます高まっているはずなのに、今後のゲーム戦略を何も議論せず、また、アンパイアの疲労軽減対策や、ゲームの無駄な部分を省き、中身を濃くしてファンをより楽しませていく手法の検討もせず、ただローテ投手に必要な休養の長さだけを議論するのでは、意味がない。


ブログ主は無駄に球数を投げる雑な野球が心の底から嫌いだ。

「球数」が野球というゲームの構造に対して持つ「意味」は深い。「球数」は、「ゲーム支配力」であり、「プレー精度の証」であり、「ゲームとしての面白さ」そのものを決定づける要因のひとつでもある
それを考えもせず、先発投手の負担軽減だ、怪我防止だ、そんなことばかりしゃべっても、野球は面白くならない。

近年、球数の多さを生み出してきたのは、たしかに野球自身の責任だ。だが、クリフ・リーや最近のフィル・ヒューズのように、過剰にSelectiveなオフェンスの打破を目指してピッチングを改善している投手もいる。
いまこそ「過剰にSelectiveな今の野球が、本当に得点効率向上につながっているのかどうか」について、きちんと検証しなおし、ベースボールの進むべき方向性そのものも考え直すべきときにも来ているはずだ。
そうした技術的な進歩、ゲーム戦略の改善について検討しもしないで、選手の待遇向上ばかり話すのが野球の仕事じゃない。野球選手はバケーションを楽しむためにスタジアムにいるのではないのだ。

damejima at 07:31

October 21, 2014

以下の図は、90年代以降、各シーズンごとのホームラン数ランキング上位5人を図示したものだが、今シーズン限りで引退するらしいアダム・ダンが2000年代後半以降打ってきたホームラン数が「けして少なくない数だった」ことがわかる。

にもかかわらず、アダム・ダンの「評価」は低い。
理由を以下に示してみる。

90年代以降のホームランランキングとアダム・ダン

●(赤い丸印)
で示したのは「ステロイダーのランキング位置」だ。
マーク・マグワイア、サミー・ソーサ、バリー・ボンズ、アレックス・ロドリゲス。近年ではライアン・ブラウン、ネルソン・クルーズ、クリス・デービス。こうした「ステロイダー」のランキングの高さ、数の多さをみれば、「1990年代後半から、2000年代前半にかけてのMLB」が「どれほど酷いステロイド・ホームラン時代」だったか、一目瞭然にわかる。

他方、「2000年代後半以降、ランキング上位者のホームラン数そのものが右下がりに減少し続けていること」もわかる。ポスト・ステロイド時代にホームランを量産するのは、もはや簡単なことではないのだ。


ステロイダーは絶滅していないとはいえ、今のMLBがステロイド時代からポスト・ステロイド時代への変化の中にあることを考慮するなら、アダム・ダンが2000年代後半以降に残したホームラン数は、けして少なくない。
だが、それでも彼の評価はけして高くない。それはなぜか。


以下に近年の「アダム・ダン率」ランキングを上位7人分だけ挙げてみた。
「アダム・ダン率」というのは某巨大掲示板で語られている「ネタ」のことで、指標ではない(笑)「かの三振王アダム・ダンのごとく、ホームラン、三振、四球の占める割合が異常に高いホームランバッター」を意味する。(計算は簡単で、3つの数字を足して打席数で割るだけ)
近年の「アダム・ダン率」ランキング

「アダム・ダン率」のネタとしての面白さ自体は正直認めざるをえないが(笑)、ツッコミを入れさせてもらうと、これら「アダム・ダン率の高い打者」たち同士の間には、「ある歴然とした差」が存在する。
それはホームラン数と四球数の多さでは判定できない「差」であり、「その打者が、スラッガーとみなされるか、それとも、昔シアトルにいたリッチー・セクソンのようなフリースインガーのひとりという評価で終わるかの、分かれ目」でもある。(ちなみにマグワイアはただのステロイダーであって、マトモなスラッガーではないので評価など必要ない)

そこで、アダム・ダン率ランキング上位選手たち同士の比較のためのデータとして、wOBAWARをつけておいた。(参考までにあのお笑いデタラメ指標OPSも添付した)
たとえどんな視点から眺めようと、2010年マーク・レイノルズと2012年アダム・ダンの打撃は、彼らがどれほど多くのホームランや四球を生産したにしても、そのクオリティはあまりにも低いものだったことがハッキリわかる。


アダム・ダンの「超絶的なほどのアダム・ダンらしさ」の本当の原因は、彼の「打率の低さ」にあるのである。7人を打率順に並べかえた以下のグラフを見てもらいたい。

打率によって決定される
「アダム・ダン率上位者の打撃クオリティ」
「アダム・ダン率」と、打率、wOBA


アダム・ダン的な「低打率のホームランバッター」のバッティング・クオリティは、打ったホームラン数、選んだ四球数、三振数にほとんど関係なく、『打率の低さ』によって決まる。(こうしたバッターの場合、wOBAの高低も打率のみに比例して決まる)
マーク・レイノルズ、アダム・ダンの2人が、「アダム・ダン率チャンピオン」であるはずのジャック・カストより、はるかに『アダム・ダンらしく』見える本当の原因」は、2人のホームランの多さでも、四球や三振の多さでもない。


アダム・ダンの評価が、彼のホームラン数ほど高くはないのは当然だ。
彼は、全盛期のアルバート・プーホールズや、近年のミゲル・カブレラのような、パワーもクオリティも兼ね備えた超越的ホームランバッターではない。

2014年10月13日の記事で書いたことでもあるが、「低打率のホームランバッターの評価が低い」のは当然なのだ。
単にホームランを人より多く量産しただけの「低打率、低クオリティ打者」を過大評価しなければならない理由など、もはやどこにもない。それが「ポスト・ステロイド時代に求められるクールな評価基準」というものだ。
2014年10月14日の記事で書いたように、「パスカルの賭け」に毛が生えた程度の欠陥ロジックでホームランという神を捏造する時代は、とっくに終わっている。

そもそも彼のような「アダム・ダン的 低打率のホームランバッター」が生産されはじめた原因は、ステロイド規制の強化と、データ重視野球のまだ未成熟でデタラメな部分を理解しないで思いつきに導入しだした軽薄な流行にあるだろう
MLBのいくつかのチーム、多くの指導者、多くのマスメディアは、本格的にデータ野球を理解して運用しているわけではなくて、単に近年の流行にのっかっただけだ。たとえとして言うなら、「OPSのデタラメさすら理解せずに、OPSで打者を評価したりするような馬鹿なマネをしてきた」、ただそれだけだろう。
ときどき思い出したようにホームランを打って、あとは四球を待つだけのワンパターンなパワーヒッターであっても、デタラメ指標のOPS(と、そのバリエーション)でなら「そこそこ素晴らしいバッター」と評価されたのである。

関連記事:
2014年10月13日、「ホームラン20本の低打率打者A」と「高打率の打者B」をwOBAでイコールにしようとすると、「打者Aのホームラン以外のヒットは、全て二塁打でなければならなくなる」という計算結果。 | Damejima's HARDBALL

2014年10月14日、「パスカルの賭け」の欠陥の発見と、「ホームランという神」の出現。期待値において出現確率を考慮しない発想の源について考える。 | Damejima's HARDBALL


ただ、だからといって、アダム・ダンが、このホームラン量産がますます難しくなりつつあるポスト・ステロイド時代に多くのホームランを打ってくれた素晴らしいバッターだったことに変わりはない。
ミゲル・カブレラほどの才能に恵まれなかった彼は、「打率をとるか、ホームランをとるか」という選択において、いさぎよく打率を捨て、ホームランをとった、それだけのことだろう。彼の三振の多さは、彼ならではの「正直さ」の表われだ。
アダム・ダンがステロイダーではなかった場合、という条件つきではあるが、彼の引退に心からの拍手を送りたい。

Note:
近年の「四球」についての過剰な評価が嘘八百であることの考察は、「チーム視点からみたとき、『チーム四球数』と『チーム総得点』との間には、ほとんど何の関係もないこと」を明確化した2012年4月記事も参照のこと。
Damejima's HARDBALL:2012年4月8日、チームの「総得点」と「総四球数」の相関係数を調べた程度で、「四球は得点との相関が強い」とか断言する馬鹿げた笑い話。

2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ホーム)
2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ビジター)

2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ビジター)
2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ホーム)

これらのデータが意味するところは、こうだ。
そのチームが稼ぎ出す「総四球数」というものは、それが
得点の多い強豪チームであれ、得点の少ない貧打のチームであれ、ほとんど変わらない。

このことから、チームデータを観るかぎりにおいて、
次の事実が確定する。

チームという視点で見るとき、「四球数」は、チームの総得点数にまったく影響しない


damejima at 12:02

October 15, 2014

パスカルの賭けPascal's Wager)という話をご存じだろうか。

計算1 パスカルによる「神から受ける恩恵の期待値」計算

神が実在する場合の恩恵期待値
=(神が実在する確率)×(神から受ける恩恵=無限大)
=無限大(少なくともゼロよりは大きい)

神が実在しない場合の恩恵期待値
=(神が実在しない確率)×(実在しない神から受ける恩恵=ゼロ)
=ゼロ

有名な17世紀の哲学者Blaise Pascal(ブレーズ・パスカル)は神の実在について、こんな意味のことを考えたらしい。
「何も得られないゼロより、プラスのほうがいい。計算上、神の実在を信じないより信じたほうが恩恵がある。だから、神を信じたほうがいい」

この記事の目的は「期待値」というものについて考えてみることだ。神の実在を論じることでも、パスカルの賭けへの反論でもない。だからパスカルの賭け、それ自体を深く論じることはしない。
(勘違いしてほしくないのは、たとえ「パスカルの賭け」というロジックの貧弱さがわかったとしても、だからといって超自然的な存在が実在しない証明にはならないことだ。いつの世も、破綻するのは常に人間の浅知恵のほうであって、大自然の摂理ではない)


さて、ここに「ギャンブルにおける期待値(トラップ満載版)」を用意してみた(笑)
これはロジック内部にいくつもの「論理的なトラップ」を故意に用意して、読んだ人をあざむくために作ったロジックだ。ゆめゆめ脳内が汚染されないよう、気をつけて読んでもらいたい(笑)

計算2 ギャンブルにおける期待値計算(トラップ満載版)

ギャンブルすることの期待値
=(賭けに当たる確率)×(賭けに勝つことの利益=プラス)
=少なくともゼロよりは大きい

ギャンブルしないことの期待値
=(賭けに当たらない確率)×(利益=ゼロ)
=永遠にゼロのまま

結論:「ギャンブルすることの期待値」は常にプラスであり、いつまでたってもゼロのままである「ギャンブルしないことの期待値」より、常に大きい。だから結論として言えるのは、「ギャンブルは、やらないよりも、やったほうが、間違いなく儲かる」ということだ。


さてどうだろう。
この「ギャンブルにおける期待値計算(トラップ満載版)」のどこに、どういう形の「ロジックの罠」があるか、わかっただろうか。


少し種明かしをしてみよう。
計算3 ギャンブルにおける期待値計算(修正版)

ギャンブルして、賭けに当たる期待値
=(賭けに当たる確率)×(賭けに勝つことの利益=有限のプラス)
=少なくともゼロよりは大きいが有限であることが多い

ギャンブルして、賭けに当たらない期待値
=(賭けに当たらない確率)×(賭けに負ける損失=無限のマイナス)
=理論的にいえば「限度なしのマイナス」

ギャンブルしないことの期待値
=(賭けに当たらない確率)×(賭けの利益=ゼロ)
=永遠にゼロのまま

結論:「ギャンブルをやる」ことは「必ず儲かる」ことを意味しない。また「ギャンブルをやったほうが、やらないよりは儲かる」とはいえず、そうした断定に根拠はない。

ここまで書くと、「なぜギャンブルというものが、ちょこちょこ勝って、大きく負けることが多いのか」が、多少理解できると思う。


計算2「ギャンブルにおける「期待値計算」(トラップ満載版)」には、ざっと挙げただけでも、下記のような「トラップ」、論理的な落とし穴がある。

計算2に内在している「トラップ」

・ギャンブルにおける行為選択には少なくとも、第1に「参加する、しない」、第2に「勝つ、勝たない」という、「2段階のステップ」があり、「それぞれ別の確率の発生場面」が存在するが、計算2は「2段階の行為選択」をまったく区別せず、混同して語っている。

・第1段階の行為選択における「ギャンブルに参加しない」というチョイスは、第2段階における「賭けに勝つ、勝たない」という行為とその確率とまったく無関係の事象であり、拘束されない。にもかかわらず、計算2は、関連のないもの同士を無理に関連づけて計算している。

・ギャンブルの結果には、「勝つ」以外に、「勝たない(負ける)」という選択肢がある。だが計算2は「負ける」という結果とその確率を視野から消去している。

・ギャンブルの利益は、たとえ「勝つ」場合でも、たいていの場合「有限」なものだが、「負ける」場合のマイナスの利益=損失は、理論的には「無限」である。そのため「負ける」という結果や確率を視野から消去した話においては、ギャンブルのプラスの利益ばかりが過大に評価され、イメージに焼き付きやすい。

・ギャンブルに投資できる「原資」は、例外なく「有限」であり、賭けにおける当たりに遭遇するまで「無限に投資し続けること」は不可能。しかし、計算2ではそれが想定されていない。現実には「勝つ確率が非常に低いギャンブル」の場合、大多数の人は負けのみを経験し、負債の山とともにギャンブルの場面から退場することになる。


「パスカルの賭け」というロジックに多くの誤謬、論理矛盾、トラップがあることは、ここまでの説明(というか証明)でわかると思う。
それでも、計算2のようなトラップ満載のロジックは、現代社会のありとあらゆる場面で、毎日のように実際に使われ、数多くの人がその「落とし穴」に毎日落ちてもいる。また、「パスカルの賭け」に存在する、誤謬、論理矛盾、トラップは、この有名なロジックについて書かれてきた多くの書籍やブログできちんととらえられてさえこなかった。困ったものだ。
記事例:確率1

ただ、パスカルの生きた17世紀にはまだ「確率論の土台」というものがなかったことを思えば、彼のロジックの甘さやズルさをいまさら問いただすより、むしろ、彼が後世の確率論そのものの開祖のひとりであることのほうを忘れてはいけないのだろうとは思う。
彼がやったような、「論理を、まるで建築物の構造部分でも組み上げるかのように組み立てていき、その『建築されたロジック』というメスで、あらゆる対象を例外なく解剖できる、と信じる」という、その「度外れた論理オタクぶり」(笑)が、中世を近代に引き寄せた彼の業績そのものなのだ。(もちろん現代でそれをやっても意味などない。中世にやったから意味があっただけで、現代からみたパスカルの「論理の建築」はミスだらけの「あばら家」だ)
「神」のような超自然的なものですら、「計算で発見できる」と考えた論理思考の鬼、それがパスカルなのだ。


さて、さらに話を
低打率のホームランバッター」に振ってみる。


wOBAでは「ホームランは、シングルヒットの約2倍程度の得点貢献度がある」という発想をするわけだが、これを「文字として」読んだ人は、脳内で「ホームランバッターは、すべての打席において平均的な打者の2倍の得点をたたき出す能力を持っている」だのなんだのと、勝手に脳内変換しやすい(笑) ほんと、つくづく人間の脳の仕組みって出来損ないだなと、いつも思う。

もちろん、そんなことはありえない。
「パスカルの賭け」がもっている論理矛盾をえぐりだしたことで理解できると思うが、ホームランという現象には、「打席に入る」、「ホームランを打つ」という「2つの段階」がある。このことは常に見過ごされ、忘れられやすい、ただそれだけの話だ。

わかりにくいと思うので、もう少し具体的に書いてみる。

ホームランを打つという行為は、「打席に入る」、「ホームランを打つ」という「2段階の行為」なのだ。だから「ホームラン1本あたりの得点期待値」と、「ホームランバッターの、1打席あたりの、ホームランによる得点期待値」とは、イコールではない。
もし「ホームランバッターの、1打席あたりの、ホームランによる得点期待値」を計算したければ、必ずホームランの「出現確率」を想定に入れておかなくてはならない。また、計算3でわかるように、大多数の打席が実は失敗に終わること(=たとえば三振など、打席がなんらかの意味の「凡退」に終わること)の「損失の大きさ」も、損益計算に入れておくべきだ。

だが、上に挙げた「パスカルの賭け」や、「ギャンブルの期待値計算2」からわかるように、人は「当たりの出現確率の低さ」というやつを意識したがらないし、失敗が起きる頻度の高さを想定したがらない。また、「ホームランバッターが、いとも簡単に三振するバッターでもある」ということを、最初からまるで想定しないとか、または「無様な失敗場面を全部なかったことにして話す」ことも、非常によくある。

こうした無頓着な17世紀的ギャンブル感覚(笑)が、結果的に「ホームランの出現を信じる人のほうが、信じない人より恩恵がある」などという飛躍した論理、つまり、「ホームランという神」を生み出す原因になる。

計算4 「パスカルの賭け」を無批判に鵜呑みにした
トラップと論理矛盾まみれの「ホームランの恩恵の期待値」の計算例

ホームランが実現した場合の恩恵期待値
=(実現する確率)×(恩恵=はかりしれないほど大きい)
=少なくともゼロよりは大きいプラス

ホームランが実現しない場合の恩恵期待値
=(実現しない確率)×(恩恵=ゼロ)
=ゼロ

「パスカルの賭け」的ホームラン主義の結論:何も得られないゼロよりは、プラスのほうがいい。たとえ「低打率のホームランバッター」であっても、計算上、ホームランを打たないより打ったほうが恩恵がはるかに高いのだから、ホームランを期待して打席に送りだすべきだ。

計算4の論理の、どこがどう間違っているかは、もう説明するまでもない(笑) だがこの21世紀になっても、いまだに17世紀の「パスカルの賭け」の論理を使ってモノを考えたがる人の、多いこと、多いこと(笑)

では最後に、前記事にちなんで、ちょっとした計算をしておこう。
前記事:2014年10月13日、「ホームラン20本の低打率打者A」と「高打率の打者B」をwOBAでイコールにしようとすると、「打者Aのホームラン以外のヒットは、全て二塁打でなければならなくなる」という計算結果。 | Damejima's HARDBALL

打席数600、打率.220で、ホームラン20本を打つ打者A
打席数600、打率.330で、シングルヒット198本を打つ打者B

打者Aのホームラン1本、1打席あたりの得点期待値
2×(20÷600)≒0.06666666…
打者Bのシングルヒット1本、1打席あたりの得点期待値
0.9×(198÷600)≒0.297


「0.067の神の出現」だけを延々と待ち続ける野球をするのは、その人の自由だから、勝手にすればいいが、ステロイドで「0.067でしかないものを、0.1くらいに無理矢理に引き上げる不正行為」はまったくもって感心しない。ステロイドで捏造した神はニセモノであり、野球の冒涜だ。

たしかに0.297をうまく積み重ねることだけが野球の方法論ではない。また、期待値に縛られるのがスポーツの醍醐味ではないことも間違いない。だが、「マイナス面を直視しないパスカル的ギャンブル」は、もはや過去の遺物である。
現実というものを見て実利的で効果的な打線構造を決め、その上でギャンブルすべきタイミングを見定めていくのが、「ノン・ステロイド時代の打線」というものだ。

damejima at 12:26

October 14, 2014

打者の攻撃力を測る指標のひとつに、wOBA(Weighted On-Base Average) がある。
「ホームランの価値はシングルヒットの4倍」などと(笑)、あらゆる面でデタラメな計算ばかりしているドアホなOPSと違って、例えば「得点生産力でみると、ホームランは、シングルヒットのだいたい2倍程度」という具合に、リーズナブルな比重計算をもとに「その打者の打撃面の得点貢献度の総計」を計算する。
wOBAは、シーズンごとに変わる微小な差異や、計算者ごとのポリシーの違いに基づく計算手法の違いがあるものの、いずれにせよ現在ではさまざまな指標の根幹データのひとつとして活用されている。
関連記事:Damejima's HARDBALL │ カテゴリー:指標のデタラメさ(OPS、SLG、パークファクターなど)

あるシーズンのwOBAの計算例=
0.72四球+0.75死球+0.90シングルヒット+0.92エラー出塁+1.24ニ塁打+1.56三塁打+1.95ホームラン

別の計算方式:wOBA(Speed)=
{0.7×(四死球−敬遠)+0.9×(シングルヒット+エラー出塁)+1.25二塁打+1.6三塁打+2.0本塁打+0.25盗塁−0.5盗塁死}÷(打席数−敬遠−犠打)

それにしても、指標の計算において、なぜまた「パークファクター」なんていう自軍のホームランと対戦相手のホームランの区別もつけられないような「根拠のあいまいな不完全な数値」で補正するのだろうと、いつも思っている。
例えば、あの四球とホームラン偏重のデタラメな計算で成り立っているデタラメ数字のOPSですら、パークファクターで補正すると「OPS+」になって多少マシなものになる、と、思い込んでいる人がたくさんいる。
つまり、多くの人が「パークファクターで補正した数値なら、元がどんなデタラメなものであれ、より正しいものになっているはず」と思い込んでいるわけだ。困ったものだ。根拠が曖昧な数値で補正して、何がどう「より正しくなる」というのか。さっぱりわからない(笑)


話を元に戻そう。
この記事の目的は「低打率のホームランバッターの意外なほどの価値の低さ、そして、そういう選手に大金を注ぎ込むことの無駄さ」を「数字で明示してあげる遊び」にwOBAを使ってみることだ(笑)

ここでの計算のとりあえずの目的は、
以下に仮定する「低打率のホームランバッターAが、高打率のアベレージヒッターBとwOBAで同等になるためには、『打者Aはいったいどれだけの二塁打を打たなければならないか』を、数字の上で計算してみる」ことだ。(計算式は上記の2つのうち、上の例を採用)

打者A 「ホームラン20本だが、低打率.220」
打者B 「高打率.330だが、ホームランはゼロ」

計算結果の意味を理解しやすくするため、A・B両者とも、四死球、敬遠、エラー出塁、犠打はまったく無く、打席数600とする。打者Aの三塁打はほんのわずかな数だろうから、打者Aの「ホームラン以外の長打」はすべて二塁打と仮定し、コントラストをつけるために打者Bのヒットは全て「シングルヒット」と仮定する。

打者A
600打数 20ホームラン 打率.220
ヒット総数=132本
ホームラン以外のヒット総数=132−20=112本
ホームランのみの得点貢献=20×1.95=39

打者B
600打数 ホームランなし 打率.330
ヒット数=198本(全てがシングルヒット)
得点貢献合計=198×0.90=178.2


「打者BのwOBA合計=178.2」から「打者AのホームランのみのwOBA=39」を引くと、wOBAにおいて「打者Aが打者Bと同等」となるために必要な、「打者Aのホームラン以外のヒットにおいて必要な得点貢献度」がわかる。
178.2−39=139.2

「打者Aの、ホームラン以外のヒットにおいて必要な得点貢献度の合計」が、139.2であることがわかった。

この139.2を、「打者Aのホームラン以外のヒット数」で割ってみる。すると「打者Aのホームラン以外のヒット1本あたりに必要な得点貢献度」がわかる。
139.2÷112≒1.243


wOBA計算式における「二塁打の比重」がちょうど「1.24」だ。
したがって、次のような話になる。
wOBAにおいて、打者A=打者Bとなるためには、打者Aのホームラン以外のヒット112本すべて『二塁打』でなければならない。

どうだろう(笑)

いかに野球ファンというものが、「ホームラン20本というのは、なかなか凄い数字だ」という「印象操作」、「マインドコントロール」にとらわれているか、ご理解いただけるだろう。
まぁ、こういう風に数字で明示してあげても、たぶん、誰もマインドコントロールから抜け出せないのだろうとは思う(笑)、だが現実に「ホームランを20本打つ低打率のバッター」なんてものは、明らかに『ただの見掛け倒し』にすぎないのだ。


ア・リーグのシングルシーズンの二塁打数は、トップクラスの選手でもシーズン40本くらいだから、「シーズン112本の二塁打」なんてことは絶対に達成不可能だ。だから「結論」はこうなる。
結論:「20本のホームランを打つ程度の低打率バッター」と「打率.330のバッター」と比べると、実は、前者は後者よりも得点貢献度ははるかに低く、まったく比較にならないほどだ。



おいおい。「ここまでの計算には四球とか敬遠が含まれていないじゃないか」。などと、思った人がいるとは思う(笑)
だが、記事が長くなりすぎるので細かい計算は省かせてもらうが、たとえ四球を含めて計算しなおしても、結論はまったく変わらない。(ちなみに「敬遠」はwOBAの算定からは普通除外される。それを知らないホームランマニアも多いはず)

いったい打者Aが何個くらい四球を選ぶと、「打者Aの打つべき二塁打」が現実の野球で多少は可能性のある数字レンジにおさまるか、計算してみるといい(笑)
ちなみにブログ主の計算では、「打者Bは、まったく四球を選ばない」という仮定のもとでなら、「打者Aが60個くらいの四球を選ぶと、wOBAにおいて打者A=打者B」という計算になる感じだ。

ところが、だ。
この「打者Aが四球60個を選ぶと、打者A=打者Bになる」という計算は、「打者Bのヒットが全部が全部シングルヒットで、ホームランも四球もまったくなし」という、「現実の野球ではありえない前提」での計算なのだ。だが現実には、打率.330の優秀な打者Bは、四球を選ぶし、長打も、ホームランも打つ。うっかりすると敬遠もされる。

実際ざっくり計算してみると、だいたい打者Aは、「打者Bの長打数+ホームラン数+四死球数」くらいの数の二塁打を打たなければ、wOBAにおいて打者A=打者Bにはならない。
だから「打者Aに必要な二塁打の数」なんてものは、絶対に「ゼロ」にはならないどころか、現実の野球でありえる上限の「二塁打40本」をはるかに越えていってしまう
さらにいえば、打者Bの盗塁守備貢献をプレーの貢献度として計算にいれてくる指標では、両者の「価値」はもっと違ってくる。



どこをどう仮定しなおそうと、打者Aに求められるホームラン以外の長打数(=現実には二塁打の数)は膨大な数になるのである。だから「wOBAの計算上、打者Aが打者Bと同等になることはありえない」という結論に、変化など起こらないのである。
「20本のホームランを打つだけの、低打率のバッター」が、いかにたいしたことのない存在か、そして、そうした打者をズラリと並べただけのチームが、やたらと金がかかるクセになぜ弱いのか、わかっていただければ幸いだ。
(さらに言えば「20本のホームランを打つだけの、低打率のバッター」はたいていの場合、守備もできなければ、足も遅い。ならば、打者Aは想像よりはるかに使い道の狭いプレーヤーだ、ということにほかならない)

こういうことの意味をチームとしてもっと重くとらえるべき時代が「ノン・ステロイド時代の野球」なのだが、その話は次の記事以降で書く。

damejima at 05:16

October 10, 2013

Peter Gammonsの名前を冠したGammons Dailyと、Baseball Analyticsという2つのブログに、まったく同じ10月9日付けで、この2013シーズンにおいて「最も待球している打者ランキング」と、「最もスイングしてくる打者ランキング」が別々の2つの記事として掲載された。
これら2つのサイトは姉妹サイトみたいなものなわけだが、もし2つの記事が意図的に作成されたものなら、むしろ、2つのランキングをひとつの記事の中に併記し、それについて見解を述べる「ひとつの記事」を書くはずだから、たまたま2つのランキングが「別々の意図から、別々の記事に」作られたのだろう。

それにしても、この2つのランキング、並べて眺めると、なかなか面白い。なぜって、2つを同時に眺めることでしか気がつかない点がたくさんあるからだ。

2013年ポストシーズン
待球打者ランキング ベスト15
(数字は左から、打率、wOBA、P/PA)

Daniel Nava (BOS) .200 .334 6.14
Jon Jay (STL) .154 .248 5.25
Brian McCann (ATL) .000 .135 5.00
Josh Reddick (OAK) .200 .273 4.81
Brandon Moss (OAK) .133 .278 4.72
Stephen Vogt (OAK) .231 .291 4.57
Justin Upton (ATL) .143 .279 4.56
Jarrod Saltalamacchia (BOS) .300 .342 4.55
David DeJesus (TB) .231 .329 4.50
Wil Myers (TB) .100 .120 4.48
Carlos Beltran (STL) .286 .482 4.47
Yoenis Cespedes (OAK) .389 .464 4.44
Evan Gattis (ATL) .357 .371 4.44
Austin Jackson (DET) .133 .179 4.44
Seth Smith (OAK) .417 .462 4.38

元資料:Article by Daniel Bailey Patience in the postseason; Daniel Nava leads the way - GammonsDaily.com

2013年ポストシーズン
スイング率の高い打者ランキング ベスト15
(数字は左から、Swing%、打率)

Delmon Young (TB) 70.6% .333
Juan Uribe (LAD) 65.2% .333
Stephen Vogt (OAK) 63.9% .143
Prince Fielder (DET) 61.5% .125
Jose Iglesias (DET) 61.3% .538
Evan Gattis (ATL) 59.6% .500
Yoenis Cespedes (OAK) 58.8% .500
Torii Hunter (DET) 58.3% .143
Jacoby Ellsbury (BOS) 57.1% .556
Justin Morneau (PIT) 56.7% .294
Freddie Freeman (ATL) 56.4% .333
Marlon Byrd (PIT) 54.9% .333
Chris Johnson (ATL) 54.5% .333
Starling Marte (PIT) 53.9% .188

元資料:Article by Bill Chuck - Managing Editor | Baseball Analytics Postseason Batting - It's Hanley and Everyone Else - Baseball Analytics Blog - MLB Baseball Analytics


2つのリストの比較
上の図で太字で示したのは、2013ポストシーズンにおいて「打率が.300を越えているバッター」だ。
明らかに、「スイング率ランキングの打者」のほうが、「待球打者ランキングの打者」より、打率において優れている
もちろん、短期決戦においては、たとえ打率が低くても、決定的な場面でピンポイントに出塁した打者や、決定的なタイムリーやホームランを打ってくれたバッターにも価値が認められるわけだが、2つのランキングを見ればわかるとおり、サヨナラホームランや逆転タイムリーを打ったような「劇的な打者」の数は、明らかに「待球する打者」より「スイングする打者」のほうが、はるかに多い。
まさに、このブログのスローガン通り、「スイングしなけりゃ意味がねぇ」といえそうなのが、2013ポストシーズンなのだ。

ひたすら待球するOAK
両方のリストに同時に名前が載っているのは、ステファン・ボグト、ヨエニス・セスペデス、エヴァン・ギャティスの3人だけだが、うち2人がオークランドの選手なのは、どうやら偶然ではなさそうだ。なぜなら、「待球打者ランキング」になんと全チーム最多の「5人」ものオークランドのプレーヤーの名前があるからだ。
2013ポストシーズンを戦うにあたって、オークランドが「待球する」というチーム方針を明確に打ち出しているかどうかは正確にはわからないが、少なくとも数字上からはそういう傾向がハッキリ垣間見える。
これだけチーム全体に待球傾向が強く出ているオークランドのバッターの中で、待球しながら高い打撃数字も残しているセスペデスの才能は、やはり並外れたものがある。
そうなると、ALDS第4戦、オークランド1点ビハインドの8回表、無死満塁のチャンスで、「待球打者ランキング第4位」であるはずのジョシュ・レディックが押し出しのかかったフルカウントで、リリーフ登板でコントロールが最悪だったマックス・シャーザーの投げた「インコースの明らかなボールの変化球」にうっかり手を出して空振り三振し、ゲームの流れをデトロイトに完全にもっていかれてしまったのは、明らかにチーム方針に反したミスだ、ということになる。



特徴のないSTL
「待球打者ランキング」にのみ、ジョン・ジェイ、カルロス・ベルトランの2人の選手の名前があり、「スイング率ランキング」には誰の名前もない。よくいえば、普段どおりの野球をやっている、といえるし、悪くいうと、戦略面での驚きがみられない。いつも通りのカーズである。

やたらとスイングしたがるDETPIT
「待球傾向」の強いオークランドとまったく逆で、「フリースインガー傾向」が明確なのが、デトロイトとピッツバーグだ。特に、デトロイトのギャップは酷い。
デトロイトでは、「待球ランキング」にはオースティン・ジャクソンの名前だけしかないが、「スイング率ランキング」の上位には、フィルダー、イグレシアス、ハンターと3人もの名前が挙がっている。いかにデトロイト打線がやみくもに空振りし続けているか、そして、いかに上位打線のバットが湿っているか、数字の上からもハッキリわかる。
それに、やたらと待球しているらしいジャクソンにしても、そもそも待球型打者ではなく、早いカウントからインコースを狙い打って数字を残してきたバッターなのだし、このポストシーズンに限ってあえて待球を増やさせるような指示をしたことで大スランプに陥っているフシがある。
ピッツバーグも、デトロイト同様の傾向がある。「待球ランキング」には誰も載っていないが、「スイング率ランキング」にはモーノー、バード、マルテと、3人の名前がある。モーノーがやたらとスイングしたがる打者だった記憶はないわけが、ピッツバーグは今後も彼を4番で使い続けるだろうから、彼のバッティングが浮上するか沈没するかは、チームの明暗を分けることになる。

予想外にも待球しないBOS
ア・リーグで、「チーム方針として、最も待球を野手全員に徹底しているチーム」といえば、いうまでもなくボストンだ。チーム全体のP/PAが4を越えるようなチームは、ボストン以外にありえない。
だが、2013ポストシーズンにおける「待球打者ランキング」では、ダニエル・ナバを除けば、ボストンの主軸打者たちの名前は全くない。
これは非常に面白い。なぜなら、あれだけレギュラーシーズンで待球しているチームなわけだし、「2013ポストシーズンで、これほど早いカウントからでも打ってきている」という事実は、ボストンの内部に対戦相手に関するよほどのデータ的な裏付けと確信がなければやらない戦略だろう、と思うからだ。

イラついて自分を見失ったATL
例年どおり、地区シリーズで早くも敗退したアトランタだが、「待球打者ランキング」に、ブライアン・マッキャン、ジャスティン・アップトン、ギャティス、3人の名前がある一方、「スイング率ランキング」に、ギャティス、クリス・ジョンソンの名前がある。
マッキャンとアップトンのポストシーズンでの不振は、明らかにアトランタ敗退を招いた原因のひとつだが、ポストシーズンのゲーム中のマッキャンの「イライラぶり」を思い出してみると、マッキャンとアップトンがポストシーズンでの球審の「ゾーン」や「判定」に納得できず、イラついてばかりいたことが想像できる。
だが、ゾーンに納得がいかないからといって自分のバッティングを見失ってしまっては、元も子もない。来季に向けたヤンキースの獲得リストにマッキャンを入れたがる人が多いが、同意しない。そんなに打てるバッターとも思えないし、そもそもリードにもキャッチングにも冴えがない。

勢いを殺さないのが秘訣のLAD
LADでは、「スイング率ランキング」第2位に、たったひとり、NLDS第4戦で逆転2ランを打ったホアン・ウリーベの名前があるだけだ。
彼がどれだけ「打ちたがりな性格」なのか考えると、アトランタとのNLDS第4戦、1点リードされた8回の無死2塁の打席で、監督ドン・マッティングリーはウリーベに2度も送りバントさせようとしたわけだが(2度とも失敗)、この采配がどれだけウリーベの「性格と適性」にあっていないかが、彼のスイング率データの高さからわかる。
2度バントをミスったウリーベがヒッティングに切り替えて、カウント2-2から高めのストレートを思いっきりひっぱたいたときの姿は、明らかに「無死2塁のチャンスだというのに、むいてないのがわかりきってるバントなんてものをやらされたウリーベが『鬱憤』を晴らす鼻息の荒さと大量のアドレナリン」が見てとれた(笑)




damejima at 02:15

July 21, 2013

先日、今年6月にデビューしたドジャースのヤシエル・プイグがインコースの「ボール球」を故意に狙うことで長打を量産していた、という記事を書いたばかりだが(Damejima's HARDBALL:2013年7月16日、ヤシエル・プイグは、これから経験するMLBの「スカウティング包囲網」をくぐりぬけられるか?)、バッティングについて、いまだに「ストライクだけを振れ、ボールを振るな」なんていう野球道徳モドキを、「バッティングの理想」だと思い込んでいる人は多いものだ。

くだらない。

そんな話、現実の野球に即さない、ただの「決めつけ」に過ぎない。絵に描いた餅ほどの価値すらない。なのに、多くの人の脳には、いつのまにかそれが誰もが守るべき野球常識ででもあるかのごとく脳内に組み込まれてしまっている。困ったものだ。


そんな空論、ブログ主は信じてない。
なぜなら「現実の野球」では、
ボールですらヒットにできるくらい、多様なスイングができる打者だからこそ、他人よりはるかに高い打撃成績が残せている
という事実があるからだ。
さまざまなコース・球種を打てる『スイングの多様性』を持った打者」にとっては、「その球がストライクか、ボールか」なんてことは最重要事項ではない。多様なスイングを持った選手に対して、やれストライクだけを振れだの、ボールを振るなだの、そんなせせこましい平凡な道徳モドキを押し付けても、なんの意味もない。


ひとつ例を挙げてみる。ミゲル・カブレラだ。
ネット上で誰にでも入手できる資料から、彼のバッティングに2つの事実がわかる。
1)ミゲル・カブレラは、ほぼあらゆるコースが打てるスイングを持っている。これは他人がおいそれと真似できない。

資料:Fangraphのミゲル・カブレラの驚異的なPlate Coverageについての2013年5月の記事 Miguel Cabrera’s Ridiculous Plate Coverage | FanGraphs Baseball これは各種のHotZoneデータをみても明らか。

2)同時に、ミゲル・カブレラはMLBでも有数の「ボール球をヒットにしているバッター」でもある。

資料:ミゲル・カブレラは「ボール球を打って、wOBAの高かった打者ランキング(2009-2011年)第9位 Baseball's Best, Worst Strike Zone Fishermen - Baseball Analytics Blog - MLB Baseball Analytics


この2シーズン、ミゲル・カブレラはMLBでずば抜けた打撃成績を残している。その理由は上の資料から明らかなように、彼が「ストライクだけを打ち、ボール球を全く打たないから」ではない

むしろ、逆だ。

「現実の」ミゲル・カブレラは、「自分の得意コースだけしかヒットにできない平凡な打者」ではなくて、多少ゾーンから外れた球でもヒットにできる能力があるからこそ、三冠王をとれるようなハイパーな打撃成績を残せるのだ。
彼のような打者を、「自分の得意コース・得意球種以外は、まるで打てない打者」や、「ステロイドでフルスイングできる筋肉を人工的に作っておいて、自分の得意球種だけを待ち続けるだけのインチキ打者」と同じだと思ってはいけない。彼のようなバッターを「ストライクだけ打て。ボールを打つな」などというくだらない常識で縛る必要など、どこにもない。


2013シーズン上半期のデータでみても、ミゲル・カブレラは、Z-Swing%、「ストライクゾーン内の球を振る率」においてア・リーグ2位であると同時に、O-Swing%、ボール球を振る率でも第20位に入っていて、なおかつ、ボール球を振ったときのwOBAがとても高い

O-Swing% 2013 1st Half - American leagueボール球を振っている打者ランキング
2013ア・リーグ

資料: PITCHf/x Plate Discipline | FanGraphs Baseball
Data generated in 07/18/2013


ミゲル・カブレラは、あらゆるコースをヒットにしようと積極的にスイングする狩人的バッターだ。
彼の打撃成績がずば抜けているのは、彼がボール球を含めて、ありとあらゆるコースを打てるだけの多様なスイングを持っているからだ。

もしミゲル・カブレラが、ピッチャーが自分の得意な球を投げてくれることだけをひたすら「待ち」続けているような、平凡な「バッティングセンター的バッター」だったら、打率.350を超え、同時に長打を量産するハイパーな打撃スタッツを残せるわけがない。


いちおう誤解の起きないように書いておくと、「才能があろうとなかろうと関係ないから、なんでもかんでも打て」と言っているわけではない。「多様なスイングができる選手が、あらゆるゾーンをスイングすることには、何の問題もない」と言っているのだ。
もしスイングの引き出しが少なく、自分の得意コースにボールが来るのを待つだけの「バッティングセンター的バッター」が、必死に得意でないコースに手を出し、さらにはボール球を必死にチェイスしたところで、ジョシュ・ハミルトンのようになるだけだ。


不思議なことに、ジョシュ・ハミルトンのZ−Swing%は、2013シーズン前半を終わってア・リーグ1位(77.6%)だった。
つまりハミルトンは、ア・リーグで「最もストライクを振っている打者」なわけだが、「ストライクを振れ、ボールを振るな」論からいえば理想的であるはずの彼の打撃成績が(前半終了間際に多少改善がみられたにせよ)高額サラリーを考えれば、あいかわらず破滅的に酷いのは、なぜなのか。

これだけ「ストライクを振ろうという意志がはっきりしているハミルトン」が打てない理由をきちんと突き詰めると、それは、彼が「外角低めのボール球に手を出して空振りするから」でもなければ、「選球眼が悪いから」でもなく、彼が「自分の得意コース、得意球種だけに限定された、特定のスイングしかできないこと」、これに尽きる。(そして、その事実はいまや、数多くのチームに知れ渡った)

このジョシュ・ハミルトンや、2012シーズン終盤のカーティス・グランダーソンのような、「自分の得意コース、得意球種に特化したスイングだけを用意して、ひたすら投手がそこに投げてくれるのを待っているようなタイプの打者」は、ミゲル・カブレラのような「ボール球すらヒットにできるような多様性をもったバッター」、つまり、あらゆるスタッツに数字を残せる柔軟性のあるバッターにはなれない。



野球ファンはよくこんなことを言う。
「絶好球だけ振っていればいいのに」
「ボール球は振らずに四球を積極的に選び、ストライクだけスイングしてヒットにしていれば、それが最も効率がいいんだから、そうすべきだ」

「みせかけだけの数字全盛」の嫌な時代のせいか、したり顔でこういうことを言いたがる人が大勢いるわけだが、本当に馬鹿馬鹿しい。そんな話、現実の野球に何の根拠もない。
絶好球だけ振れ、なんて、言葉でいうのはたやすいが、対戦するピッチャーが、打席で必ず1球は絶好球や自分の得意コースを投げてくれるのならともかく、打てる球が1球も来ないなんてことは、ザラにある。得意コース、得意球種が来るのをひたすら待っているような「待ち」の態度で高額サラリーがもらえるとでも思っているのか、と言いたくなる。


「ストライクだけを振れ、ボールを振るな」なんていう発想は、たとえ話でいうと、「儲かることがわかっているときだけ、投資しろ。それが最大の効率を生む」なんていう現実味のまるでない投資セミナーの教官の訓話みたいなものだ。こんな発想、どこにも現実味などない。
儲けられるタイミングがわかれば、誰も苦労しない。いつ儲け時が来るのかがわからず、しかも儲け時が来たときの対応が限定されている人間だからこそ、目の前を儲けどき(絶好球)が素通りしてしまってから気がついて後悔したり(見逃し)、とっくにトレンドに乗り遅れているのに慌てて投資を始めたり(振り遅れ)するのだ。



野球史からみても、「ストライクだけを振れ、ボール球を振るな」なんて話は、単なる「願望」、単なる「ひとりよがりな道徳感」、「机上の空論」に過ぎない。

なぜって、野球というスポーツにとって「ストライクゾーン」というものが本来「二次的」なものだからだ。
よく頭を使って考えれば子供でもわかるが、「ストライクゾーン」は、「バッターがスイングしなかった球」を、ストライクかボールか判定し、分類しておく、そのためだけに存在している二次的ルールに過ぎない。もしバッターが来た球を必ず打つとしたら、ストライクゾーンはそもそも必要ない。

実際、ベースボール黎明期のルールでは、「打者が投手に投球のコースを指定していた」。そもそも野球というゲームは「球を打つことを前提としたゲーム」として創作され、出発しているのだから、当時としては当然のことだった。

野球というゲームはその出発点からして、「球を見逃す」という「二次的行為」に、ほとんど何の価値も置いていない。
それどころか、当初はむしろ、「見逃すことにできるだけ価値をもたせないようにしよう」と明確に考えていた。野球黎明期の「四球」は、現在のような「ボール4個で、四球」というルールではなく、「9ボール」とかにならない限り、打者に「ヒットを打ちもしないで、無条件にファーストにいく権利」なんてものを与えなかった。


それが、いつのまにか、「バッターがどの球を打つべきか」を判断するためにストライクゾーンがあるだの、ストライクを打つことにだけ価値があるだの、「効率」を優先して考えることが野球だ、などと勘違いする馬鹿が増えすぎて、かえって野球の効率を下げ、なおかつ、野球をつまらなくした。

そういう、目的と手段を取り違えた、おかしなコンセプトばかり追求してきた人たちは、近年、悪びれもせず、彼らの終着駅に行き着いている。
それは、要約するなら、「できるかぎり無駄の少ないスイングで、できるだけたくさんの得点を得て、しかも、優勝したい」などという、手段のともなわないまま結果だけを求める、欲望丸出しのつまらないコンセプトだ。セイバーメトリクスの最もつまらない部分も、それにあたる。


「最小限だけスイングして、最大の得点効率を得よう」なんていう矛盾した、うまくいきもしない試みは、むしろ、かえってチーム総得点が地を這いずるほど低い、非効率的なチームを量産し続けた。

というのは、ちょっと考えればわかることだが、最小限のスイングで、できるかぎりたくさんの得点を得ようという発想は、いつしかまわり回って、結果的に「長打偏重主義」に行き着くしかないからだ。

そういうみせかけの効率重視の発想が生産してきたのは、次のような代物だ。
「特定のコースのストライクだけを狙い続けて、ほんのたまにホームランにするだけ」しか能がない打者。得点効率がけして高くないのに、守れない、走れない、超低打率で、サラリーだけ高いコストパフォーマンスの悪いスラッガー。「典型的な質の悪いDHタイプ」の打者。そして、そういう偏った打者ばかり並べた非効率的な打線。ボロボロの守備。守備の酷さをフォローするために、「攻撃専用選手と守備専用選手を同時に抱え込む」という財政上のムダ。効率の悪いサラリー構成によって産みだされる、チームのムダな投資による財政効率の低下。そして、くる日もくる日もワンパターンな野球。ワンパターンなゲームに飽きたガラガラのスタンド。
そして、「最も高い効率を実現できると主張し続けたものの、実態は、まるで非効率で魅力の無い野球を生産していること」を覆い隠すために生みだされたのが、かつての「OPS」とそのさまざまなバリエーションを含む「長打重視のデタラメな計算をする指標群」だ。
Damejima's HARDBALL:指標のデタラメさ(OPS、SLG、パークファクターなど)


「できるだけ少ないスイングで、できるだけたくさんの得点を得たい」なんていう、つまらないコンセプトは、かえってチームの得点効率を下げただけではなくて、才能の乏しい打者が自分のスイングをより向上させることで、自分の打撃能力を開発し続けようとする向上心を失わせてもいる。
もし、得意コース、得意球種だけをひたすら待って長打さえ打っていさえすれば、たとえそれが「ほんのたまに打てる長打」でしかなくても高額サラリーが得られるとなれば、当然、選手という生身の人間のモチベーションは下がり、アスリートとしての向上心が失われるに決まっている。

選手が向上しないなら、プロによる高度なプレーを期待してスタジアムに詰めかけるファンが満足するわけはない。好みにそぐわない低次元のプレーばかり見せられれば、スタンドはガラガラになり、やがてチームの財政運営もうまくいかなくなる。


「ストライクを振れ、ボールを振るな」というみせかけの道徳は、あたかもそれが最高の効率を追求する手段であるかのように見せかけているが、野球のもつ歴史的経緯を無視して効率アップをはかったつもりでも、結果的にはかえって非効率的な野球を生み出し、選手の向上心を失わせ、「非常に低確率の長打狙い」で楽をして長期契約と高額サラリーを獲得できる安易な手法を生み出しただけ、という側面がある。
そういう野球が見た目にも魅力がないことは、いつもスタンドがガラガラで低打率にあえぐどこかの球団の不人気ぶりを見れば、誰の目にも明らかだ。


話が非常に遠回りしたが、「現実の野球」にとって大事なことは、「ストライクを振れ、ボールを振るな」なんていう、実は中身の空っぽな道徳モドキではなくて、「より多くのコースを打てる対応力の高いスイングを持つ」ように向上心を持つ選手が出てくることだ。そんな当たり前のことができない選手でも高額サラリーが得られるような、なまぬるいMLBでは困る。
「たったひとつのコースしか打てないスイング」だけで成功できるほど、世の中、甘くない。「自分の得意コース得意球種だけを待っている打者」なんてものが延々と成功し続けられるほど、MLBは甘くない。そういうことを証明してくれるような、厳しいMLBでなくては困るのである。


だから言いたいのは
ボールを 『見よう』 とすることから始めるな」 そして、「打てるかどうか、感じようとしろ。 『あ、打てる』と感じたら、ストライクだろうが、ボールだろうが、かまわないから、間髪入れず、迷わずひっぱたけ」ということだ。
原始的なように思うかもしれないが、これが最も簡単で、見ていてエキサイティングな、変わらぬ野球の鉄則だと思っている。(もちろん打てないコース・球種を減らす練習をしてないのでは話にならない。練習はしていて当たり前)

打者が打席に入るのは、ヒットを打つためであって、電卓で計算するためではないのだ。

damejima at 14:00

November 12, 2012

2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ホーム)
2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ビジター)

2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ビジター)
2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ホーム)

これは2012年4月に書いた以下の記事に挙げたデータである。
Damejima's HARDBALL:2012年4月8日、チームの「総得点」と「総四球数」の相関係数を調べた程度で、「四球は得点との相関が強い」とか断言する馬鹿げた笑い話。


これらのデータが意味するところは、こうだ。
そのチームが稼ぎ出す「総四球数」というものは、それが得点の多い強豪チームであれ、得点の少ない貧打のチームであれ、ほとんど変わらない。

このことから、チームデータを観るかぎりにおいて、
次の事実が確定する。

チームという視点で見るとき、「四球数」は、チームの総得点数にまったく影響しない



一方、打撃指標において「四球」が、いかに「誇大」に扱われてきたかについて、既に大量に書いてきた。
いまやMLBのいくつかのチームでは、OPSとかいうデタラメな基準を信じ込み、大金を注ぎ込んでフリースインガーを集めてきてしまい、ホームランと四球だけで点を取ろうとした結果、「深刻な得点力不足に悩むハメになっている」のだから、これはもう、腹を抱えて笑うしかない(笑)

「四球」を無理矢理にまぎれこませるどころか、二重にカウントしたり、どこかの国の自動車の燃費のように、水増しされてカウントされているOPSだの、SLGだのという指標は、ただのデタラメでしかない。

出典:Damejima's HARDBALL:指標のデタラメさ(OPS、SLG、パークファクターなど)など



最初に挙げたデータは、誰でも作れるグラフだ。当時さりげなく挙げておいたわけだが、大袈裟でなく、こうした簡単な指摘でも、「数字で野球を語っている『つもり』になっていた日本のウェブサイト」の90パーセント程度は死ぬ(つまり、その存在意味を失う)と、当時から考えていた
なぜって、多くの野球サイトは、「どこかで聞きかじってきた『モノゴトを見る視点』」を使って、その視点そのものの根底にある間違いにまるで気づかないまま、あれやこれや語っているに過ぎないからだ。

実際、数字で野球を語っていたあるウェブサイトが閉鎖したことを知っている。そのサイトは一時セイバー的視点からコラムをさかんに連載していたが、やがて更新が滞るようになり、停止し、今では某選手のファンサイトに鞍替えしてしまい、とっくにセイバーの影もカタチもない。

その一方で、いまだに「自分がすでに死んでいること」に気づいていないサイトもある。こんな単純な、小学生でもわかることを、あれだけわかりやすく説明したというのに、「自分の主張の根底がすでに死んだこと」をいまだに理解できない人がいる、というわけだ。


こうしたことから常々思っているのは、頭の悪い世間というものを相手するのは、最終的には無駄だということだ。

根底的な間違いが修正できにくい理由は、簡単だ。自分が「受け入れたくない」、だから「理解したくない」し、「理解できない」、たったそれだけだ。彼らは、根底では、正しいとか正しくないとかいうことに、まったく関心がない。
日本のどこかの不振にあえぐ大手電機メーカーではないが、周囲からいくら正しいことを言われても、それを受け入れ、「カイゼン」して自分を作り直し、進路を修正することなど到底できずに、たいていは間違ったプライドを死守して自分から滅ぶ。

まぁ、モノゴト間違えたまま死んでいくのも、その人間自身の責任だ。「根底にある間違い」だけ指摘しておけば、十分だろう。あとはそういう人々が勝手に滅びていくのを遠く眺めるのみだ。「根底の間違い」を最初に指摘するのは多少骨が折れるが、しかたがない。間違いに気づけない人間は、最後は無視するしかない。
誰が引退しようと、アホなチームが身売り、移転、縮小に追い込まれようと、なんの関係も関心もない。


最初に挙げた2つのグラフは、実は、そういう「ヒトの気づきたがらない『認識の根底にある間違い』の指摘」のひとつなのだが、そういうことをわざわざ指摘するようなムダな行為も、そろそろ最後にしたいと思っている。

OPSだの、四球だの、ここに書いたことの大半は、自分の中では、とっくの昔に「理由と証明つきの決着」がついている。


ロックが死んだって? ジャズも死んだって?
いやいや。死んでるのは、音楽じゃなく
「おまえ自身」さ。

damejima

Rock It !


damejima at 00:57

April 09, 2012

たまにウェブを検索していると、特にセイバー系とか自称する、数字で野球を語るウェブサイトやブログで、次のような「相関係数を使ったと自称する笑い話」に出くわす。こういう「鼻高々に間違えたことを発言しているサイト」は案外多い(笑)

チームの四球数と得点数の相関係数を調べると
両者にはかなり強い相関関係がある。四球は重要。

四球とシングルヒットとで、得点との相関係数を調べると、四球の相関係数のほうがよりが大きい。だから、四球のほうが、より得点力への関連が強い。


(このネタ、さまざまなバリエーションがある。比較対象をシングルヒットではなく「打率」にするパターンもあれば、総得点を使う人、平均得点を使う人もあるようだ。まぁ、話のくだらなさに差はない。だいいち、彼らの主張する「得点と四球の相関」の相関係数は0.7以下程度しかないのだから、決定係数は0.5以下しかない。つまり事象の半分以下しか説明できないわけで、こんな低い相関関係の、どこをどう間違うと、「四球は野球の戦略上、重要」だの言い切れるのか、気がしれない)

得点総数と四球総数を照らし合わせた程度のくだらない作業、それも低い数値の相関から、何か真実が見えてくる、わけがない。


例えばこんな計算をしてみる。

チーム総得点と総RBIの相関(2011ア・リーグ)

これ、何かというと、
2011年ア・リーグ全チームの、総得点数と、総RBI(打点)数を、グラフ化したものだ。

相関係数(r)=0.996851
決定係数(r2 つまり相関係数の2乗)=0.9937


相関係数と決定係数が、ほぼ「」である。
これが何を意味するか。わかる人には、わかるだろう。
チームの得点数とRBIは、
 ほぼ完全な相関関係にある
ということだ。得点とRBIの相関関係が決定的なのがわかれば、当然のことながら、次の結論は間違いなく正しい。
チームの得点力というものは、RBI、
 つまり打点にほぼ完全に依存して決まる


相関係数で得点相関をうんぬんしたいなら、
打点こそ王道であり、打点こそ正義である。


と、まぁ、とりあえず書いてみる(笑)
すると、どうなるか。
もちろん興味の無いほとんどの人はこんな計算など無視する。それはいいとして、中には、相関係数とかいう手法の「ものものしさ」に負け、よく考えてみもせずに鵜呑みにしてしまう気弱な人もいれば、逆に、自分の先入観にまみれたまま、何も考えもせず反対してくるアタマの悪い人もいる。


「得点とRBIのほぼ完全な相関関係に、どういう意味があるか」という議論それ自体は、実は無意味ではない。それどころか、かなり面白い議論ではあるのだが、それはそれとして、上のグラフの目的は、そこではない。
単に「相関係数を使って、どれだけ、あたかも自分の出す結論が正しいように見せかけることができるか」を、「やってみせている」だけの話。まぁ、一種の「手品の種明かし」みたいなものだ。


例えば、いくら得点とRBIの相関係数が、たとえ「完全な相関」を意味する「1」に近いとしても、「野球というスポーツにおいては、RBIだけが重要」なんて子供じみた単純な結論にはならないのが、野球という現象の複雑さであり、統計とかいうやつ本来のややこしさだ。
AとB、2つの事象の相関係数が十二分に高かったからといっても、AとBの相関関係がすぐに判明するわけではない。相関係数の判定の難しさについては、Wikiにも書いてある。

AとB、2つの事象の相関関係には、少なくとも以下の3パターンある。
「A が B を発生させる」
「B が A を発生させる」
「第3の変数C が A と B を発生させる」


たとえ「得点と打点の相関係数」が「カンペキな相関関係」を意味する数値を叩きだしたとしても、例えばだが、「得点でもない、打点でもない、『第3の要素』が、得点と打点を同時に変化させている可能性」についても、きちんと検証を終えることができないかぎり、得点と打点の相関関係をパーフェクトだと言い切るわけにはいかない、のである。

まして、決定係数0.5以下という、全体の半分の事象すら説明できないような数値に無理矢理ヘリクツをつけて、得点と四球の相関が野球というスポーツの法則ででもあるかのようなことを語っているようでは、まるでお話にならない。冷笑にも値しない。


別の例をみてみる。
ここに1シーズンで、同じ四球数、同じ得点数を稼いだ2つの野球チーム、AとB、があるとする。
Aでは、四球の20%が得点にからんだ。
Bでは、四球の80%が得点にからんだ。

こういうことは、十分ありえる。
たとえ見た目の総得点数と四球数が同じでも、四球数のどの程度の割合が得点にからむか、なんてことは、そのチームの攻撃スタイルや、打線の構成によって左右される。
(もちろん、日本野球における四球に対する感覚が、そのままMLBで通用するはずもない。四球のランナーを送りバントで得点につなげようとする日本と、MLBとの間にある根本的な野球文化の違いも、大いに考慮してモノを言うべきだ)

まとめれば、得点にからむ四球もあれば、全く無関係な四球もある。そのパーセンテージは、相関係数からは、まったくわからない、ということだ。 当然の話だ。

以下に挙げる例も含めていうと、
総得点が多い(あるいは少ない)こと、
総四球数が多い(あるいは少ない)こと、
この2つの数値の数学的関係を、相関係数を使って語る(もしくは騙る)行為そのものに、実は、意味が無い
のである。

(よく考えればわかることだが、「数値と数値の間に一定の相関係数を見出す」ために必要な「2つの数値」というのは、実は全く無関係な数値同士でも全くかまわない。例えば右肩上がりの2つの数値、例えば「マグロの消費量と、リンゴの価格」をもってくれば、両者の時系列変化が右肩上がりで似ているという、たったそれだけの理由から、両者に一定の相関係数がはじき出せてしまう可能性があり、その結果、「マグロの消費にはリンゴの価格が大いに関係している」と結論づけることくらい、まったく難しくない。
言い換えると、「相関係数」は、2つの数値系列の配列パターンが相互にどれだけ「似ているか」をパーセンテージとして示しているだけで、実は「結論の正しさをまったく保証などしていない」ということだ)

また、こういうこともありえる。
1シーズンに500個の四球を挙げた2つのチーム、AとBがあるとする。
Aの総得点が500点
Bの総得点は700点

1シーズンに850得点を挙げた2つのチーム、AとBがあるとする。
Aの四球数が600個
Bの四球数は450個


実際、2011年のア・リーグにおいて、こういう対照的な2チームが存在した。
ヤンキース 867得点 627四球(リーグ1位)
テキサス  855得点 475四球(平均以下)


こういう実例を示しても、「それはヤンキースとテキサスのようなコンテンダーが、統計上の例外にあたるだけで、得点と四球の強い相関関係に『例外』は寄与しないのだから、特殊な2チームの成績など、検討する価値はない」とか、なんとか、わけのわからない反論をしてくる根っからの数字馬鹿が必ず現れるだろう(笑)
いや。ぜひ現れて、積極的に笑いモノになってもらいたい(笑)

そういう、数字だけで野球を語れると勘違いする発想こそ、スポーツを体感したことのない、ホンモノの「数字馬鹿」だ。



実際の野球の最前線は、0.5以下の弱い決定係数が想定する偏差の範囲、数値レンジなど越えた領域に、本来の価値がある。相関係数など飛び越えられるチームでなければ、優勝などできないのである。

リーグ優勝であれ、ホームラン王や首位打者などのタイトルであれ、「飛びぬけた成績を納めることで、スポーツのトップに君臨する」ことを実現するのは、まさに「積極的に『例外』を目指す、つまり、人のしてないことを実現する行為」そのものだ。
「平均的、統計的に行動する」という生ぬるい思考方法から、トップに君臨できる選手やチームなど生まれない。
「他の追随を許さない独自のチームコンセプト」や、「常識はずれの多額の予算」、「飛びぬけた天才プレーヤーの集結」、「無敵の先発ローテーション」、「飛びぬけたトレード戦略」、そういった「特別さ」をしっかりとキープできもしないチームが、「数学的平均」とやらに沿った行動様式を採用していて、他チームを置き去りになど、できるわけがない。
統計上の偏差の中に納まる生ぬるいプレイを重視すれば、得点が伸びて、順位が上がる、などという馬鹿げた発想は、ただの数字遊びであり、もはやスポーツですらない。


だが、世間によくいる「相関係数の単純な計算結果を提示することで、四球の重要性を持ち上げたつもりになっている輩」というのは、「相関係数さえ計算しておけば、四球の得点に対する影響力が全て計算し尽された」ように思いこんで世間に発表したりしているわけだから、本当に始末が悪い(笑)
古くからあるOPS信仰と同じで、これは本来「野球をネタにした、デキの悪い笑い話」のひとつで、こんなのは、ただの「薄っぺらな数字ごっこ」だ。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:指標のデタラメさ(OPS、SLG、パークファクターなど)

書いたご当人は、大真面目にこういうおかしなを信じて書いているのだとは思うが、いまだにああいう誰でも薄っぺらさが理解できるギミックを信じて野球を見ている輩がたくさんいると思うと、このブログもまったくもって安泰だ。なんの心配もいらない。好きなことだけ書いていれば、永遠に揺るぎない(笑)
こういう子供じみた数字遊びがいまだに堂々とまかり通っているのを見ると、「やっぱり『自分のアタマを使って考えることのできる人』は、実はほとんどいないのだな」と、いつも思う。



2011年にワールドシリーズに進出したテキサス・レンジャーズは、得点数はア・リーグNo.1レベルだが、そのことが特徴的なのではなくて、「ワールドシリーズ常連だったア・リーグ東地区のコンテンダーになかった、『ほとんど四球に頼らない得点パターン』を追求して、成功をおさめ、彼らからワールドシリーズ常連の座を奪い去ったこと」、ここに特徴がある。
それは、ホームランと四球の両立を追求したが、実際には得点力を大きく低下させてしまい、投手力でなんとか持ちこたえただけのタンパベイ・レイズとも、低打率ではあったがホームラン攻勢で得点数をなんとか維持できたヤンキースとも、待球を強く指示して四球と狭い球場を生かした2塁打で例年得点を伸ばすワンパターンなレッドソックスとも違った、四球大好きな東地区にない、ユニークなチーム・コンセプトだ。
(また、ヤンキースのようなチームにありがちな高い得点力と四球の多さの相関にしても、「四球が原因で、得点が結果」と、一義的に言い切れるわけではない。逆に「得点が原因で、四球が生まれる」、例えばホームランへを警戒しすぎて四球が増えるだけで、実際には、ヤンキースの得点に対する四球の本当の寄与度は、実は他チームと変わらないか、低い可能性だって無いわけではない。「事象A が 事象B を発生させている」のか、逆に「B が A を発生させている」のかは、相関係数だけで判明するわけではない)

むしろ、ユニークな攻撃パターンをとって勝ち進んだテキサスの855得点の全パターンを調べ、どの得点に、どう四球がからんだか、また、それぞれの得点において四球が果たした役割を積み上げる形で具体化することでもしないかぎり、もともと相関があるかどうかさえハッキリしない四球総数と得点総数の関係を、子供のままごとのように並べて相関係数を計算する程度の簡単なデスクワークで、「相関係数、高いでちゅね」だの、「打率より四球のほうが得点相関が高い」だのなんだの、寝言を言ってもらっては困る。


ちなみに、出塁率の高低にしても、チームごとの格差をもたらしているファクターは、四球数ではない。この点については、既に一度指摘した。もう一度書いておこう。
四球と打率とで、出塁率とより強い相関関係にあるのは、四球ではない。「打率」である

「一方で出塁率が大事だといい、他方では四球が大事だという、都合のいいデタラメな論理」は、とっくの昔に破綻していることがわかっている。もし「出塁率を向上させることが大事だ」とか言い張り続けたいのなら、打率を重視すべきと発言するのでなければ、スジが通らない。

2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ホーム)
2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ホーム)

2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ビジター)
2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ビジター)

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年9月3日、チームというマクロ的視点から見たとき、「出塁率」を決定している唯一のファクターは「打率」であり、四球率は無関係、という仮説。


あと、蛇足としていうなら、
得点の重み、必要度というものは、チームによって異なる。得点パターンも、目標とする点数も、チーム事情によって違う。いいかえると、チームによっては、無限に得点が必要なわけじゃなく、必要なだけ得点があれば十分というチームもある

例えば、先発投手に大きなウエイトを置くチームAでは、得失点1点の重みが重く、1試合あたり3点程度挙げておけば、先発投手が毎回完投してくれて、それなりの勝率が挙げられるかもしれない。
また、投手にあまりウエイトを置かず、毎日のように打撃戦を戦っているようなチームBでは、1点の重みは軽く、細かい野球など必要ないから、四球とホームランだけを狙っていく戦略が通用するかもしれない。
もちろんテキサスのように、チームによっては、四球などなくても大量点が入れられるチームもある。(だからこそ、テキサスはユニークで、ユニークだったからこそチャンピオンなのだ。マネーボールも、ボストンも、テオ・エプスタインも、もはやユニークでもなんでもない)
スラッガーを並べて四球と長打だけを狙い、大量点獲得を目指す打撃優先チームもあるかもしれないし、四球や盗塁を元に必要十分なだけの得点を狙う投手優先チームもあるかもしれない。また、四球のランナーに盗塁させるチームもあれば、そうでないチームもある。


四球の生かし方なんてものは、チーム事情によって異なる。


同地区のライバルのチームコンセプトと比較して、どう戦うとより勝ち星が増えるかも考えなくてはならないし、結局、問題なのは、非常に複雑な選択肢の中から、どれをどう選択すると最大の効果が得られるか、だ。平均的、統計的にやっていれば勝てるなんていう、なまぬるいやり方など、通用しない。
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チーム総得点と総ヒット数の決定係数
(2011ア・リーグ)

チーム総得点と総ヒット数の相関(2011ア・リーグ)

チーム総得点数と総ホームラン数の決定係数
(2011ア・リーグ)

チーム総得点数と総ホームラン数の決定係数(2011ア・リーグ)

damejima at 17:38

January 04, 2012

このシリーズでは「OPSのデタラメぶり」を書き続けてきている。

「種類も数値レンジも違う率と期待値を、足し算する」という、OPSのデタラメなコンセプトそのものが、もともとお話にならないものであることについては、もはやコメントする必要もない。

OPSの基礎数値のひとつであるSLGは、「長打率」と誤訳されることが多いが、実際には、単なる「打数あたりの塁打期待値」を計算しているに過ぎず、長打力そのものを示す数字でないのはもちろん、打者の得点力を直接示す数値でもない。(例:「塁打数」を計算するだけの数字であるSLGにおいては、ホームランを「」と価値評価するが、打者の得点力の統合的な算出を目指すwOBAの計算においては、ホームランにSLGの約半分、「1.95」の価値しか与えていない)

さらにSLGには、打数減少によって数値が動く欠陥がある。これは、たとえ長打がまったく増えなくても、例えば四球増加によってSLGおよびOPSを「みせかけだけ増加させることができる」という意味であり、指標として致命的欠陥といえる。

また「四球によるOPSの多重加算」は、単にOBPとSLGに二重加算を行うばかりではなく、バッターのホームラン数や四球数によって加算率が勝手に変化し、打者のタイプごとに違う率で「水増し加算」が行われる。

これらのどれもが指標として致命的といえる欠陥だが、これらの欠陥の全てがOPSという1点に集積された結果、OPSにおいては「バッターごとに、異なる判定基準が適用される」という異常事態になっている。これは、モノを測定する基準であるはずの「指標」というものにあってはならない決定的な欠陥であり、もはや救いようがない。
単一で偏りの無いのモノサシを使って選手のプレーを測定し、選手相互を比較するのが「指標」というものの基本的役割だが、「判定に使うモノサシそのものが、打者ごとに偏る指標」など、指標として意味がなく、OPSのようなものを指標と呼ぶことすらおこがましい。

OPSの計算プロセスは、一見すると単純そうに見えるが、その実、裏側では、「SLGにおける単なる塁打数の計算結果を、それがあたかも打者の得点力の表現ででもあるかのように読みかえつつ、ホームランバッター(あるいは四球の極端に多い打者)など、特定打者に対してのみ、数値が、多重、かつ、水増しされて加算される悪質な仕組み」になっていて、「ヒットですらない四球と塁打数を、長打力にみせかけて」いる

見かけ倒しのデタラメ指標であるOPSは、得点力や長打力を示すと詐称されてきたわけだが、OPSが実際にやっていることは「数値詐欺」、「指標ドーピング」と呼んでも、なんらさしつかえない。OPSはまさしく「汚れた数字」である。

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年12月20日、率と期待値を足し算している「OPSのデタラメさ」 (1)「OPSのデタラメさ」の基本を理解する

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年12月21日、率と期待値を足し算している「OPSのデタラメさ」 (2)小学生レベルの算数で証明する「OPS信仰のデタラメさ」

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年12月22日、率と期待値を足し算している「OPSのデタラメさ」 (3)OPSにおける四球の「二重加算」と「ホームランバッター優遇 水増し加算」のカラクリ



さて、ここまでOPSの「汚れた計算」を、主に「リクツ面」から説明してきたが、こんどは「ホームラン20本前後のハンパなスラッガーの打撃スタッツ」を例に、現実の打者において、OPSというデタラメ数字が、いかに四球数をみせかけの長打力に「すりかえているか」という実例をみてみる。
OPSという「打者によってモノサシの目盛りが変わる、デタラメな指標もどき」が多少マトモに機能するのは、ホームラン数の似た打者同士を相互比較するときくらいであることは、このシリーズの記事で書いてきたことをじっくり読み返してもらえば、誰でもわかると思うが、そのホームラン数が近いバッター同士の比較においてすら、OPSは現実にはまるで機能しない。以下に示すとおり、わかるのは単に、四球数をOPS数値にすりかえて長打力にみせかけるOPSのデタラメさだけだ。


以下の3グループは、2011シーズンのア・リーグの日本でもよく知られた打者のうち、OPSにおける四球の多重加算の恩恵を受けやすいホームラン数20本前後のバッターを取り出し、OPSの違いによってグルーピングしたもの。
(3つのOPSグループのスケール感をイメージしやすくする意味もあり、日本人打者から城島と松井を加えた。もちろんグループB以下に属する彼らの打撃成績の空疎さも、以下の記述から明確になる。また、以下では特に言及しないが、今回取り上げるホームラン20本前後のバッターにおける「四球によるOPS多重加算の率」と、ホームラン数の大きく異なるバッターのOPS加算率は、異なることに注意が必要だ。ホームラン数が多いほど加算率は高い一方、アベレージヒッターの加算率は低く抑え込まれている)

結果は見てのとおり。
いちいち説明しなくても意味はわかるだろう。

3つのOPSグループ間の「OPS格差」をもたらした要因は、OPSの特徴であると詐称されてきた長打の差ではない。「OPS格差」をもたらしたのは、「四球数」だ。

自分で計算してみれば誰でもわかることだが、例えば「二塁打数の差」程度では、これほどのOPS格差は生じない。(言うまでもなく三塁打の数の差も、さらにたかがしれている。二塁打については、詳しくは記事下部の計算例A、計算例Bをさらに参照されたい)
いいかえると、中途半端なスラッガーにおけるOPSなんてものは、打者ごとに大差のある「四球数」を、OPSのデタラメ計算を通じて、それがあたかも「長打力の差」ででもあるかのように「見せかけている」だけに過ぎないのである。


グループ A
〜OPS.600中盤まで
打率が極端に低く。四球も極端に少ないのが特徴
城島(2008)  7本 .227 19四球 19二塁打 OPS.609
リオス     27本 .227 27四球 22二塁打 OPS.613
オリーボ    19本 .224 20四球 19二塁打 OPS.641
ウェルズ    25本 .218 20四球 15二塁打 OPS.660
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グループB
OPS.700〜.800あたり
四球50〜60個。二塁打20本〜30本
セクソン(2007)21本 .205 51四球 21二塁打 OPS.694
松井       12本 .251 56四球 28二塁打 OPS.696
スモーク     15本 .234 55四球 24二塁打 OPS.719
リンド       26本 .251 32四球 16二塁打 OPS.734
城島(2007)  14本 .287 15四球 29二塁打 OPS.755
アップトン    23本 .243 71四球 27二塁打 OPS.759
ハンター     23本 .262 62四球 24二塁打 OPS.765
城島(2006)  18本 .291 20四球 25二塁打 OPS.783
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グループC
OPS.800以上
四球(60〜80)と二塁打(30〜40本)がともに多い
カダイアー    21本 .284 48四球 29二塁打 OPS.805
ゾブリスト    20本 .269 77四球 46二塁打 OPS.822
スウィッシャー 23本 .260 95四球 30二塁打 OPS.822
ユーキリス   17本 .258 68四球 32二塁打 OPS.833
クエンティン   24本 .254 34四球 31二塁打 OPS.838
ロンゴリア    31本 .244 80四球 26二塁打 OPS.850
アビラ      19本 .295 73四球 33二塁打 OPS.895



グループ間の「OPS格差」をもたらしたのが「二塁打数の差ではない」ことについて、ちょっと説明しておこう。

OPSのようなデタラメを信仰している人はいまだに多い。だから、こうして目の前に数字を見せつけられても、まだ「二塁打数に差があれば、OPSに差がつくのが当たり前だろが?」とか鼻息荒く怒鳴り散らしたがる頭の悪い人もいると思う(笑)「あらあら。残念でした」と言うほかない(笑)

なぜなら、
10本やそこらの二塁打の差くらいで、計算上、これほどのOPS格差は生まれようがない
からだ。

下記の計算例Aを見てもらってもわかることだが、「10本ちょっとの二塁打数の差」は、OPSにおいては「10を少し越える程度」の「塁打数の差」という意味にしかならない。この「10ちょっとの塁打数の増加」は、OPSの計算プロセスでいうと、「SLGを算出する割り算における分子である、総塁打数が10くらい増える」という意味なわけだが、10やそこら塁打数が増えたとしても、その程度の数字の変化では、3グループ間にこれほどの「OPS格差」がつく主原因にはならないのだ。



ここまで書いてもまだ納得がいかない人のための過剰サービスとして(笑)、以下に「OPSに影響するのが、二塁打数ではなく、四球数である」ことを示すための2つの計算例を挙げておく。

計算例Aは、二塁打の増加でSLGがどの程度の数字レンジで変化していくかを見るためのものであり、計算例Bは、四球数の増加でSLGがどう変化するかを見るためのものだ。
これら2つの計算例から、四球数の計算例Bで、OBPとSLGが同時加算され、しかもSLGが水増し加算されて増加することにより、結果的に「二塁打よりも、四球のほうが、OPS数値がはるかに大きく動くという、OPSのデタラメと異常さ」を、しっかり自分の目で確かめるといい。

計算例A 二塁打数増加にともなうSLGの変化
SLGの変化を見えやすくするため、四死球、三塁打、犠飛はゼロとし、打数600(=フルシーズン出場)、ヒット総数180、ホームラン20本の打者で、二塁打の数が、20本、30本、40本のときのSLGの変化を計算する。
現実の野球的に即して考えて、「二塁打数が増えても、ヒット総数自体は180本で、変わらない」ものとする。

二塁打20本のときのSLG
=(140+20×2+20×4)÷600
=塁打総数260÷打数600
=0.433
(このとき出塁率は180÷600=0.300だから)
OPS=OBP+SLG
   =0.300+0.433=0.733

二塁打30本のときのSLG
=(130+30×2+20×4)÷600
=270÷600
=0.450
(OBP=180÷600=0.300から)
OPS=0.300+0.450=0.750

二塁打40本のときのSLG
=(120+40×2+20×4)÷600
=280÷600
=0.466
(OBP=180÷600=0.300から)
OPS=0.300+0.466=0.766


計算例B 四球数増加にともなうSLGの変化
SLGの変化を見えやすくするため、三塁打、死球、犠飛はゼロとする。打数600、ヒット総数180、ホームラン20本、二塁打20本、シングルヒット140本の打者が、四球数ゼロ、20、40、60、80のときのSLGの変化を計算してみる。

四球数がゼロのとき
SLG=(塁打総数140+20×2+20×4)÷打数600
=260÷600
=0.433
(このときOBP=出塁数180÷打席数600=0.300)
 OPS=0.300+0.433=0.733

四球数が20のとき
SLG=(140+20×2+20×4)÷(600−20
=260÷580
=0.448
このときOBP=(180+20)÷600=0.333だから
OPS=0.333+0.448=0.781

四球数が40のとき
SLG=(140+20×2+20×4)÷(600−40
=260÷560
=0.464
このときOBP=(180+40)÷600=0.367だから
OPS=0.367+0.464=0.831

四球数が60のとき
SLG=(140+20×2+20×4)÷(600−60
=260÷540
=0.481
このときOBP=(180+60)÷600=0.400だから
OPS=0.400+0.481=0.881

四球数が80のとき
SLG=(140+20×2+20×4)÷(600−80
=260÷520
=0.500
このときOBP=(180+80)÷600=0.433だから
OPS=0.433+0.500=0.933


くどくど説明しなくても、もうわかるだろう(笑)

もういちど書く。上に挙げた3つのOPSグループに存在する「OPS格差」をもたらした主原因は、長打力の差でなく、「四球数の大差」であり、四球数の差がみせかけの長打力の差にすりかえられているだけに過ぎない。


MLBで最も多く二塁打を打てるバッターでも二塁打を10本打つには一ヶ月半以上かかるわけだが、計算Aをみればわかるように、たとえ苦労の末に二塁打を10本増やしたとしても、OPSの数値上昇はわずか0.016程度に過ぎない。
それに対して、計算Bからわかるのは、四球が20増えるごとに、OPSは0.050も増加するという「異常な事態」である。これがデタラメでなくて、なにがデタラメか。

いかにOPSというデタラメ数字が、長打と無関係な原因で増加するか、そしてひいてはハンパなスラッガーたちが、いかに「数字で甘やかされているか」が、本当によくわかる。
もし、MLBの球団が単純にOPSに応じて選手の給料を査定しているとしたら、ブログ主が打者なら、苦労してヒットや二塁打を積み重ねるより、四球だけを狙ってOPS数値を稼ぎつつ、月にほんの数本程度のホームランで体裁だけ整えて、高い給料とレギュラーポジションを確保しようと考える。そりゃ、そうだ。苦労して二塁打を40本打つより、四球を増やすほうが楽に決まっている。

まったく、くだらない。


もう一度まとめる。
四球数を、多重加算、かつ、水増し加算する「OPS計算のカラクリ」は、長打数増加など「問題にしない」くらい、四球増加によって大きくOPSを動かす。このデタラメ数字の、どこが「長打力を示す数値」なのか。
例えば上に挙げたグループAのバーノン・ウェルズ、ミゲル・オリーボと、グループCのニック・スウィッシャーでは、四球数に60以上もの大差がある。ここまでの大差になると、OPSというデタラメ数字においては、二塁打数のほんのちょっとした差などまったく意味をなさない。OPSとは、そういう指標だ。(グループCの打者が全てたいした打者ではないという意味ではない。また、個人的な好みを言っておけば、31本ホームランを打った割に低打率で四球でOPSを稼いだだけのエヴァン・ロンゴリアは別にどうでもよく、アレックス・アビラ、ベン・ゾブリスト、ニック・スウィッシャーなどの残した数字のほうこそ優れたものだと思う)

また、「現実の野球」にとって重要なことは、グループAとグループBの間に、実は本質的な差はほとんどない、ということだ。
総合的にレベル以上のスタッツを残したグループCと違い、グループBの打者は、ちょっと打撃の歯車が狂うだけで、すぐにグループAに転落する可能性がある。原因はもちろん、AとB、2つのグループ間に本質的な長打力の差などないことだ。AグループとBグループの差を作っているのは、長打力ではなく、単に「一時的な打率」や「四球数」だ。Bグループの打者は、頼みの綱にしている四球がちょっと減少すれば、たとえホームラン数が減らなくても、すぐに劣悪なグループAに転落する。こうした実例は、野球をよく見ているファンなら、両手で足りないほどの選手を思い出せるはずだ。

OPSというのは、そもそもが「ホームランをほめちぎるために作られた」指標だと思われるが、このデタラメ数字は、実は「現実の野球」においてはまるで機能していないことが本当によくわかる。



さて、ここからは今回の余談。

こうした「数字で甘やかされたハンパなスラッガー」(特にグループAとB)について考えてみてもらいたいことは、他にもある。

これらの様々な「ホームラン20本前後のバッター」のシーズンごとの打撃成績に、上昇と下降をもらたす要因は、次の2つのうち、どちらか?
1)ホームラン数の増減
(つまり、20本のホームラン数が、40本とか50本に増える、あるいは10本以下に減ること)
2)四球の増減


ブログ主の意見は、当然、「後者」だ。


よく、今年20本のホームランを打った中堅スラッガーが、来年は40本のホームラン打つ可能性がある、などと、現実離れしたことを夢想したがる人をみかける。

だが、ブログ主はそんな風に現実の野球というスポーツを考えたことは、ただの一度もない。
ホームラン20本前後がキャリアの天井である中堅スラッガーなら、上に挙げた3つのグループの間を、ただただ行ったり来たりするだけでキャリアを終わるのが「現実の野球」というものだ、と思って野球を見ている。
ミゲル・オリーボやダメ捕手城島程度の打者が、突然ミゲル・カブレラや、アルバート・プーホールズといったホンモノのスラッガーになって、ホームラン40本、打率3割の打者に変身することなど、絶対ありえないのが「現実の野球」だ、というのが、ブログ主の意見だ。
(ついでに言うなら、ドーピングでもしない限り、打率.260のバッターが突如として打率.330を打つことなど、絶対ありえないし、シーズン8勝10敗の投手がいきなり20勝投手になったりはしないのが、現実の野球だ、と、ブログ主は思っている)


たしかに「(ドーピング無しに)40本以上のホームランを打った経験のある、天性に恵まれたホンモノのスラッガー」なら、いつの日か50本、60本を打てる可能性が秘められている、とは思う。それは間違いない。

だがブログ主がよく問題にする「低打率のホームランも20本程度の平凡なスラッガー」には、そんな可能性を微塵も感じない。
彼らはホンモノではない。彼らには「天井」があるからだ。天井が低いから、バットを振り回す。振り回す割に、当たらない。
実は、彼らのコストパフォーマンスは非常に悪いのだ。
そして始末が悪いことに、ハンパなスラッガーたちの得点効率の悪さ、コストパフォーマンスの悪さは、OPSのような古くてデタラメな数値ではつかまえきれない

平凡なスラッガーは、「もしかすると、という期待感」だけで分不相応な大金を稼ぎながら、全盛期にだけホームランを20本前後打ちつつ、四球で成績をもちこたえさせながら、やがて老化によって引退に向かっていく。それが「現実の野球」のハンパなスラッガーの実態だろう。

彼らハンパなスラッガーのOPSが「それなり」に見えるのは、単に「OPSそのものが、デタラメだから」であって、20本程度のホームラン数の打者のOPSは常に四球によって偽造されている。それは、「長打率と詐称しているが、実は得点力とは直接何の関係ない、塁打期待値SLG」と「デタラメそのもののOPS」が、まやかしの高い数値をはじきだすために、まるでシーズン中に長打ばかり打って大活躍していたように見せかける「数字によるスラッガーの甘やかし」に過ぎない。


こうした「OPSというデタラメ数字によって能力が高く見せかけられているだけに過ぎない、ハンパな中堅スラッガーの打撃能力の過大評価」という問題は、もちろん球団低迷にも深く関係する。
近年、日米を問わず「数字と効率とコストを重視した球団経営」が盛んだが、頼りにするべき数字を元から間違えることによって、かえって「コストパフォーマンスが悪く、弱い、不人気低迷チームが続出している」ように見える。

例えば、球団が、ハンパなスラッガーたちの「四球でOPS数値を稼いだだけの、みせかけだけのスラッガーイメージ」を過大評価して、彼らの「みせかけだけの打撃スタッツ」に過剰なサラリーを払えば、どうなるか
中軸打者への過剰投資はチームの予算を硬直化させる原因になるだけに、大金で獲得した割に、かえって得点力の無い、弱いチームが出来て、その無様さが古くからの地元の野球ファンを失望させ続けるという「数字重視とか称するチーム運営によって、かえって、チーム力が長期にわたって損なわれるという悪循環」が生まれる。

このところ野球の現場に、数字好きの人間、というより、数字に脳をやられている人間が増え過ぎた割には、やはり彼らは、結局のところ現実の野球には疎く、まして選手の能力評価に使う数字といえば、「シチュエーションのまったく違う他人が、思いつきで昔作ったが、今となってはガラクタになりつつあるデタラメなOPSのような数字」なのでは、どうしようもない。


そう。
元をただせばは、OPSも、単に、野球好きの素人が作った「そのオッサン好みの数字」に過ぎない。OPSなどというデタラメに大金を投資するのは、馬鹿げているを通り越して、もはや球団の自殺行為だ。

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December 23, 2011

「率と期待値を足し算しているOPSのデタラメさ」を書いてきたこのシリーズ記事で何度も強調しているように、OPSには何重にも「ホームランバッターを優遇する、数字の水増しカラクリ」が仕込まれている。

そのデタラメなカラクリは、ひとつだけではなくて、むしろOPSの計算プロセス全般に何重にも折り重なって仕込まれた悪質な仕組みである。この特定打者にのみ多重加算を行なう悪質なカラクリの大半は、通称「長打率」などと、実態にまるでそぐわない名称で通称されているSLGに仕込まれている。

SLGによって算出される数字は、何度も書いているように、単なる「打数あたりの塁打期待値」に過ぎない。また、ましてやSLG、ひいてはOPSは、「得点期待値」ではない
それは、単なる塁打期待値に過ぎないSLGでは、ホームランを塁打数4と計算することから単純にわかる。SLGではホームランにシングルヒットの4倍もの評価を与えるわけだが、得点期待値におけるホームランの評価は、もっとずっと低く、例えば「wOBAにおけるホームランの得点期待値は、シングルヒットの約2倍程度」に過ぎない。得点期待値の計算においては「ホームランにシングルヒットの4倍もの数値を与える」などという馬鹿げた行為は行われていない。

以下の記事(3)では、四球の影響をこそこそと多重加算しているデタラメ指標OPSのデタラメさを、小学生でも理解できる簡単な計算によって明らかにして、「OPSは、その打者の得点力を表す」などというデタラメがウソ八百であることを示す。

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年12月20日、率と期待値を足し算している「OPSのデタラメさ」 (1)「OPSのデタラメさ」の基本を理解する

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年12月21日、率と期待値を足し算している「OPSのデタラメさ」 (2)小学生レベルの算数で証明する「OPS信仰のデタラメさ」


SLGについての日本のWikiに、こんな記述がある。
長打率は四死球による出塁数を反映しないという欠陥があり、打者の総合的な打撃評価には必ずしも当たらないとする主張もある。
長打率 - Wikipedia


誰が書いたのか知らないが、アホらしいにも程がある(笑)
「SLGは四死球による出塁を反映しない」だと?(笑)
打席数からではなく、「打数」を分母にした割り算で計算されるSLGが、「打数」を思い切り左右する「四球」の影響を受けないわけがあるかっ(笑)馬鹿なことを言うな。
以下、そのことを小学生レベルの簡単な計算でわからせて差し上げよう。


いま、仮に次のようなバッターがいるとして、四球数ゼロ、60個、120個の3ケースで、それぞれのOPSを計算してみる、とする。
ホームランバッターAのケース
打席数600 ヒット総数150本
(うちホームラは30本。余計な要素を省くため、残り120本のヒットは全てシングルと仮定。また、犠打、犠飛、打撃妨害、走塁妨害は「ゼロ」と仮定) 


四球ゼロの場合
(四死球、犠打、犠飛、打撃妨害、走塁妨害が無いため、600打席全てが打数になる)
OPS=OBP+SLG
=(150÷600)+(240÷600)
0.2500.400
0.650

四球60個の場合
(四球増加により出塁数は60増える一方で、打数は60減少し、540になる)
OPS=OBP+SLG
=(210÷600)+(240÷540)
0.3500.444
0.794

四球120個の場合
(四球増加により出塁数は120増える一方、打数は120減少し、480になる)
OPS=OBP+SLG
=(270÷600)+(240÷480)
0.4500.500
0.950

一目瞭然だ。
赤色で示したSLGの増加傾向を眺めればわかるように、四球増加によるOPS加算は、OBPについて行われるだけでなく、「打数の減少」を介して、SLGに「二重に加算」されている。

(それにしても、たとえホームランを30本打っているバッターですら、もし四球が無いとなると、こういう、しみったれたOPS数値が出る(笑) これは、「OPSはバッターの長打力を表す」とかいうOPS信仰、OPS礼賛が、いかにウソっぱちであり、また、いかにOPSが「四球によって、ホームランバッターのOPS数値だけを水増しして加算するデタラメ指標」に過ぎないか、よくわかる。
「四球のまったく無いホームランバッター」のOPSが低いのは、この四球増加によるOPSの二重加算、水増し加算の恩恵を受けないからであり、ホームランだけでは、実は、OPS数値はたいして伸びない、のである。
現実の野球において、ホームランバッターのOPS数値を大きく伸ばしているのは、実はホームランによる塁打数の増加そのものよりも、この「二重加算」「水増し加算」される「四球数」だったりする。このことは次の記事で書く)

1)四球増加によるOPSへの加算は、OBPだけでなく、打数の減少を経由して、SLGにも「二重加算」されている
2)この「四球増加によるOBP・SLGへの二重加算」は、四球1個あたりに均等に加算されているのではない。また、あらゆるバッターに均等に加算されているのでもない
3)上の例でもわかるように、「四球数が増える(=打数が減る)」につれ、「四球増加による二重加算」は、加算される数値が加速度的に増やされていく。つまり、「四球が増えれば増えるほど、加算されるSLGが大きくなって、OPSが増加しやすく」なっていく。


ほんと、OPSは呆れたデタラメ指標だ。
上の計算において青色で示したOBP(出塁率)は、四球がゼロ、60、120と増加していくにつれて、0.250、0.350、0.450と、「均等に」増加する。
それに対して、赤色で示したSLGは、まったく違う。四球数がゼロから60になるときには 0.444−0.400=0.044の増加であるのに対して、四球数が60から120になるとき 0.500−0.444=0.056と、「増加量自体が加速度的に増えて」いく。
これが「OPSの算出においては、四球が増えれば増えるほど(=打席が減れば減るほど)、SLGへの二重加算が加速されていく」ということの意味のひとつである。


話はまだまだ終わらない。


同じ計算を、さきほどはホームラン30本のホームランバッターで計算したが、違うタイプ、例えば総ヒット数は同じでホームラン10本のバッターについて計算してみると、違う結果が得られ、それによってさらに興味深い「OPSのデタラメぶり」がわかる。
こんどの計算では、ホームラン数を「10本」に減らしてみる。このバッターBでも、四球数ゼロ、60個、120個の、3つのケースで、それぞれのOPSを計算してみる。
アベレージヒッターBのケース
打席数600 ヒット総数150本
(うちホームランは、こんどは30本ではなく、「10本」とする。余計な要素を省くため、残りのヒット140本は、全てシングルヒットと仮定。また、犠打、犠飛、打撃妨害、走塁妨害は「ゼロ」と仮定)


四球ゼロの場合
(四死球、犠打、犠飛、打撃妨害、走塁妨害が無いため、600打席全てが打数になる)
OPS=OBP+SLG
=(150÷600)+(180÷600)
0.2500.300
0.550

四球60個の場合
(四球増加により出塁数は60増える一方、打数は60減少し、540になる)
OPS=OBP+SLG
=(210÷600)+(180÷540)
0.3500.333
0.683

四球120個の場合
(四球増加により出塁数は120増える一方、打数は120減少し、480になる)
OPS=OBP+SLG
=(270÷600)+(180÷480)
0.4500.375
0.825


ホームランバッターAと、アベレージヒッターBの「四球増加にともなうSLGへの加算の大差」を観察すると、このOPSというデタラメな指標がいかに「打者を歪んだ視点で評価しているか」が非常によくわかる。

ホームランバッターA
四球数ゼロ 0.400
60個    0.444(四球ゼロのときより+0.044増加)
120個    0.500(四球60個のときより+0.056増加)

アベレージヒッターB
四球数ゼロ 0.300
60個    0.333(ゼロのときより+0.033増加)
120個    0.375(60個のときより+0.042増加)

打者Aと打者Bにおける「SLG二重加算量の格差」
ゼロ→60 (打者A)0.044−(打者B)0.033=0.011
60→120 0.056−0.042=0.014

SLGの数値における「0.011の差」というのは、この仮計算の打数・ヒット数の設定においては、およそ「シングルヒット約7本分程度」に相当する。いいかえると、打者Aと打者Bがゼロから60個に四球を増やしたとき、OPSというデタラメ指標は、勝手に「打者Aにだけ」シングルヒット7本分にも及ぶアドバンテージを与えているのである。
つまり、打者Aと打者Bは「同数の60四球を増加させた」にもかかわらず、打者Aは打者Bに対し「まったく何もしてないのに、シングルヒット7本分くらいのアドバンテージをもらっている」のである。逆に打者Bは、同じ数の四球を増加させたにもかかわらず、さらにシングルヒット7本程度を加えないとSLGが追いつけない、わけのわからないハンデを押し付けられている、ことになる。



2つの異なるタイプのバッターの比較をしたことで、SLG数値の二重加算パターンが、バッターのホームラン数によって、これほどまで違っていることの意味は、誰でもわかるだろう。

四球数増加に応じてOBPとSLGが同時に加算されるのが「四球増加にまつわるOPSの水増しのカラクリ」のひとつなわけだが、この「二重加算」は「あらゆる打撃成績のバッターに均等に数値が加算されるようにできているわけではない」のだ。
(もちろん、こうしたデタラメな現象は、ホームランバッターとアベレージヒッターの間にだけ起きるわけではなく、ホームランを40本打てるバッターと、20本しか打てないバッターの間でも、同じように起きる。
だが、このホームランバッター優遇水増し加算の恩恵を最も大きく受けるのは、ホームランが40本以上打てて3冠王にも手が届くような「打率の高い、ホンモノの才能に満ち溢れた、ホンモノのスラッガー」ではなく、ホームラン10数本から20数本の低打率のハンパなスラッガーたちであることは明らか。このことは次の記事で書く)


もう一度まとめなおしておこう。

こうしたデタラメなことが起きるのは、もちろん、SLG算出のための割り算における分子(=総塁打数)が大きいバッターほど、分母(=打数)の減少による恩恵を多く受けるからだ。

1)四球が増えれば増えるほど(=SLG算出割り算における「分母」である「打数」が減れば減るほど)、SLGにおける四球の二重加算は加速していく。つまり、四球の多い打者ほど、わずか1つの四球でより多くのSLG数値が水増し加算され、OPSは「みせかけだけの増加」をみせる
2)総塁打数(=SLG算出割り算における「分子」)の多いホームランの多いバッターになればなるほど、SLGにおける四球の二重加算は加速していく。つまり、ホームランの多い打者ほど、わずか1つの四球でより多くのSLG数値が水増し加算されるようになり、OPSは「みせかけだけの増加」をみせる
3)こうした「二重加算」、「水増し加算」のカラクリによって、「ホームランバッター」「四球の多いバッター」「打数の少ないバッター」のOPSは、より有利な条件で「四球増加による、OPSの加速度的な加算」の恩恵を受ける


ちなみに、「打数が極端に少ないケース」において、このOPSのデタラメなカラクリがどう働くかを、少しだけ示しておこう。
例えば、1試合4打数におけるOPSの数値変化を、手計算してみればいい。
打数が極端に少ないケースにおけるOPSのカラクリ
仮に、4打数1ホームランの打者Aと、4打数1安打でシングルヒットの打者Bがいたとして、もし、凡退した3打数のうち、ひとつだけ四球を選んだ、としたら、OPSがどう変わるか、計算してみる。
打者Aにおいて、最初「塁打数4÷打数4」だったSLGの計算は、四球を選ぶと「塁打数4÷打数3」に変わるわけだが、このときの分母の数値の変化(=打数減少によるSLGの水増し)による打者AのOPSへの加算数値は、打者Bにおいて、4打数1安打が3打数1安打1四球になることによるOPSへの加算数値より、「はるかに大きい」のである。

打者Aの「四球によるSLG加算」
「総塁打数4」のまま、「打数」だけが4から3に減少
(4塁打÷3打数)ー(4塁打÷4打数)=0.333

打者Bの「四球によるSLG加算」
「総塁打数1」のまま、「打数」だけが4から3に減少
(1塁打÷3打数)ー(1塁打÷4打数)=0.083

打者Aが、わずかひとつの四球を選ぶことで加算されるSLG、0.333は、同じように四球をひとつ増やしただけなのにもかかわらず、打者Bに加算されるSLG、0.083の約4倍も水増しして加算される。
こんな馬鹿げたことが起きるのも、もちろん、分母である打数があまりに小さいと、計算結果に打数減少の影響があまりにも過大に表れるからだ。


こんな、出来損ないのデタラメな数字を、これまで「指標」と呼んできたのだ。呆れるほどの酷さである。四球1個の増加によって引き起こされる数値の加算が、「二重に加算され」、なおかつそれで終わらず、「バッターのホームラン数によって、著しく不均等に手心が加えられ、水増しされている」ような指標に、何の意味もない。
(こうしたOPSのデタラメさを修正するために、あまりにも過大すぎるSLGの数値を、あらかじめ整数で割り算して「小さく」しておいてからOBPに加えるOPSの改良指標がある。(たとえば、SLGを整数3で割ってOBPに加えるのがNOI(New Offensive Index
もちろん多重加算の仕組みをよく考えればわかるように、そんな場当たり的な修正を試みたところで、そんな付け焼刃の計算ではSLGへの多重加算のデタラメさはまったく修正できていないのだから、何の根本的な解決にもならないことは、言うまでもない)


つまるところ、OPSというデタラメな指標は、実は、バッターのタイプ、特にホームラン数の違いによって、バッターの評価基準がバラバラになっている。だから、タイプの違うバッターを相互に比較する能力など、OPSにはハナから無かったのである。
ホームラン数の大きくかけ離れたバッター同士、あるいは、打数の大きく異なるバッター同士について比較しようという場合、バッターによって評価基準がズレるOPSを評価基準に使うことに、まるでなんの意味もない

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(続く)

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December 22, 2011

前記事
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年12月20日、率と期待値を足し算している「OPSのデタラメさ」 (1)「OPSのデタラメさ」の基本を理解する


前記事で書いたことは、あまりにたくさんの内容を含むので、さすがにすぐには整理しきれない。要点も非常にたくさんある。
とりわけ「長打率」と間違ったネーミングをされた指標であるSLGは、どうせ馬鹿馬鹿しい間違いと思い込みを生むだけなのがわかっているから、この「率と期待値を足し算しているOPSのデタラメさ」というシリーズ記事の中では、今後は、必要がないかぎり、「長打率」とは表記せず、「塁打期待値(いわゆる「長打率」)」、もしくは単に「塁打期待値」と表記する。

OPS=出塁率(OBP)+塁打期待値(SLG)


この、「率」と「期待値」、2つの性質の違う、しかも、相互に相関を持つ数字を単純に足し算してしまう出来そこないの馬鹿馬鹿しい足し算(笑)がカバーする領域は、実は、限られたものであること、つまり、OPSが現実の野球に沿わない部分は非常に多いことは、前記事で指摘した。
まぁ、いってみれば、日本全国カバーすると口先では豪語しながら、実際には山奥しかカバーできてない携帯電話(笑)みたいなものだ。
例えば、出塁率.300、塁打期待値.500の打者は現実の野球に頻繁に出現するが、出塁率.400、塁打期待値.400の打者は、ほぼ特異点として出現することはあるものの、ほぼ非現実の存在しない打者である。

こうしたことが起きる原因のひとつは、前記事でも指摘したように、現実の打者においては、「出塁率≦塁打期待値」となることがほとんどだ、という事実を、OPSが考慮せずに、というか、意図的に無視しているからなのだが、このことをもう少し簡単な計算で示してみたい。

こんなに「OPS神話の仕組み」をわかりやすく解説するのは、たぶん、このブログが世界初だ。


OPS=OBP+SLG
OBP≦SLG

この式を変形していくと、こんな不等号の式が出来上がる。

OBP×2 ≦ OPS ≦ SLG×2

これ、なかなか面白い。
というのも、いかにOPSが「野球という現実のスポーツを、ある特定の、恣意的視点から見た、デタラメなシロモノか」がわかるからだ。上の不等号式を言葉に直してみるとわかる。こうなる。
OPSの下限はOBPで決まり、上限はSLGで決まる。

前記事で、「出塁率と長打率の数値がほぼ同じ、なんて打者は、ほぼ出現しない」ように、「OPSは最初からできている」と書いたが、まさにその通りの意味になっている。それを以下に説明しておこう。

以下の内容は本来は、ここまでの説明で子供でもわかるはずで、いちいち書くのもめんどくさいが、ここは大事だから、誤解のないように手間を惜しまず、たとえを交えながら明記しておく。


1)現実の野球で、多くのケースにおいて「出塁率≦塁打期待値」なのは、単に「出塁率」ではじき出されてくる数値のレンジが、「塁打期待値」のレンジより小さい、ただそれだけの意味でしかない。大きい数字だからといって塁打期待値SLGのほうが「エラい」わけでもなんでもない。

うまいたとえがみつからないが、たとえば年末ジャンポ宝くじの「当選確率」は、1よりもずっと小さく、小数点以下の数字になるのが当たり前だ。しかも、おそらく小数点以下にハンパない数のゼロが並ぶはずだ。
だが、宝くじ1枚あたりの「当選金期待値」は、まったく違う。「当選確率」の数字レンジよりおそらく大きい(実際に計算したことがあるわけではない 笑)。
だが、たとえ宝くじ1枚の当選金期待値がたった1円であろうと、その数字レンジは「当選確率」よりも、はるかに「数字としては」大きい
。当たり前の話だ。


2)ところが、現実の野球においてほぼ大半のケースで「出塁率」≦「塁打期待値」となることが多いにも関わらず、デタラメなOPS計算においては、「率」である「出塁率」と、「期待値」である「塁打期待値」を、単純に「足し算」してしまう。

もちろん、そこに何の合理性もありえない。
なぜなら、これは、年末ジャンポ宝くじのたとえ話でいうなら、「当選確率」と「当選金期待値」を足し算するという無茶苦茶な計算をやったことになるからだ。
そもそも小数点以下の数字である「当選確率」と、より数字として大きな「当選金期待値」の無意味な足し算なのだから、そこには何の合理性も、現実の野球に対する妥当性も生まれるはずがない。
(たまたまOPSで説明可能なエリアが、OPSのトップクラスにあるのは、「OPSが、最初からそういう有名スラッガーをほめちぎるための指標としてつくられていたから」、ただそれだけだ。だから近年のOPS関連の数値では、すっかりバレてきたOPSにおけるSLGの過大評価ぶりを修正するために「SLGを、割り算で小さくする」という、わけのわからない子供じみた修正方法(例:NOI, New Offensive Index)を導入しているのだ(笑)。もちろん、そんな小手先程度の対症療法で、OPSがもって生まれた先天的な誤謬が修正できるわけもない。まったくもって馬鹿らしい)


ところが、ここからOPSというデタラメ数式において、奇妙な神話が誕生することになる(笑)

3)上で書いたように、数式をいじると「OBPとSLGだけから計算されるOPSは、下限はOBPで決まり、上限はSLGで決まる」。
そりゃそうだ。何度も言うように、OPSはもともと、数字として小さい「率」と、数字として大きい「期待値」を足し算して作られたデタラメな指標だから、そうなって当然だ。

4)だが、そこから奇妙な逆立ちしたヘリクツが、数式から導き出されるのである。「OPSは得点期待値を決めるのだから、他の何よりも偉い神だ。そしてOPSという数字の神の「天井」をより高くしてくれる「長打率」(=実際には塁打期待値)は、他のどんなものよりも偉いんだ。ピキピキ」。
奇妙な「OPS信仰」の始まりだ(笑)たぶん彼らはいまでも焚火の周りで、腰に毛皮を巻いてみんなで奇声を発しながら踊っているんだろう(笑)

こんなワケのわからないことが起こる原因は、もちろん、OPSそのものが「デタラメな計算で作られた」からだ。
年末ジャンポ宝くじの「当選確率」に「当選金期待値」を足し算するという無茶苦茶な計算で出来た数字なのだが、そりゃ、アタマの悪いヒトには数字レンジとして大きい「当選金期待値SLG」のほうが、数字として小さい「当選確率OBP」よりも、「エラく」見えてくる(笑)
こうして、このデタラメ数字がどういう風に出来たかを覚えてない馬鹿な人々がずっとOPSを有難がり続けたために、いつのまにか、「野球では、長打が偉いんだ」「打率なんてクソくらえ」くらいの話にエスカレートする始末(笑)

ところが、話はここで終わらない。

5)実際の野球に当てはめてみると簡単にわかることだが、スラッガーといわれる打者でも、ホームラン数(あるいは長打)などというものは、そう簡単に数を増やすことはできない。それが「現実の野球」、「現実のプレーヤー」というものだからだ。
いや、それどころか、ホームラン数こそ、才能によって、それぞれの打者の上限はほぼ決まっているのが普通だ。20本打ったから、といって、その打者が40本打てるようには「ほぼならない」のが、「現実の野球」というものだ。(このことは次回このシリーズ3番目の記事で具体例を挙げて書く)中堅スラッガーたちがドーピングでホームラン数を増やそうとする事件が跡を絶たないのも、逆にいえば、いかにホームランを打つ能力に上限があり、天井があるか、という反証である。

最初に書いたOPS信仰の神話式の変形である「OPSの下限はOBPで決まり、上限はSLGで決まる」という式に、この「打てるホームラン数の上限は、ほぼ決まってしまっている」ということをあてはめてみると、どうなるか。
実は、「OPSの数字の上限を決めている塁打期待値(SLG)は、実は、そうそう簡単に引き上げることができない」のである。

そりゃそうだ。年末ジャンポ宝くじの「当選確率」と「当選金期待値」を足し算するという無茶苦茶な計算で、自分の都合のいい数字を作っただけでもデタラメな話だが、それに加えてさらに、「当選金期待値」が簡単に上げられるくらいなら、誰も苦労しない。みんな年末ジャンポ宝くじを買って生活できるようになる(笑)
焚火の周りで踊っていたOPS信仰者は、困り抜いてここでハタと踊るのをやめ、みんな、しかめっつらで考えこんだのである(笑)

6)だが、ここで、考え込んでいた一人のOPS信仰者が、ピンとひらめいて叫んだ。
天井が上がらないなら、床を上げてやればいいじゃないか!!!
長打神話に続く、四球神話の誕生である(笑)(なぜ、貧打のオークランドにダリック・バートンみたいな1シーズンかぎりの奇妙な四球専用打者が誕生するか、ジョン・マドンのタンパベイの打者がホームランと四球だけでOPSを稼ごうとする理由、これですべて説明がつく)

彼らの考えはこうだ。
OPSの下限はOBPで決まり、上限はSLGで決まる、だが、SLGが簡単には上げられないなら、四球を増やしてOBPを意図的に上昇させれば、チームとしてのOPSの数字レンジを上昇させて、チームの得点を意図的に上昇させることが可能になるんじゃないか?


そして、悪質なことに、四球数の増加は、「たとえ長打を1本も増やさなくても」、OPSを「みせかけだけの意味で」上昇させる

なぜなら、四球数が増加すると、当然OBPが加算される。これ自体は当然だ。

だが、問題なのは、このOBP増加に平行して打者の「打数減少」が発生するために、「OBPへの加算と平行して、こっそりSLGにも加算が行われる」ことだ。これは明らかに、「四球増加によるOPSの加算」を、見えないところで「二重加算」していることになる。
「塁打期待値SLG」は「総塁打数を、『打数』を分母とする割り算によって算出する数値」だ。だから、なんと、四球数が増えれば、打数減少によってSLG算出のための割り算の分母が減少する結果、「OBPと平行して、SLGにも同時に加算されていく」というデタラメな「二重加算」現象が起きるのだ。
しかも悪質なことに、この「四球数増加によるOPS二重加算」は、あらゆるバッターに均等に二重加算されるのではなくて、むしろ、バッターが長打を打つタイプであるほど加算率が大きく加算されるという意味不明の「不均等加算」のである。(詳しく言うと、「ホームランバッター」や「打数の少ない打者」ほど、この「四球数増加による打数減少で起きるSLG加算」の恩恵を受けるのだが、このデタラメな仕組みについては次の記事で書く)

つまりデタラメ指標OPSには、もともと、「四球増大におけるOBP・SLG同時平行加算によって、四球数増加の影響ををOBPとSLGに二重加算するカラクリ」があるだけでなく、さらには、「ホームランバッターや打数の少ない打者ほど高くOPSを二重加算する「不均等加算するカラクリ」すら備わっているのである。

こんな馬鹿げたことが起きるのも、その原因はもちろん、相互に相関があり、また、数値レンジに差のあるOBPとSLG、2つの指標を、単純に足し算するという馬鹿げた計算方法をとる「OPSのデタラメさ」そのものに根本原因がある。
OPSというデタラメな指標においては、四球数増加の効果は、OBPにだけではなく、SLGにもこっそり二重に加算されている。そればかりか、この「四球増加による二重加算」は、ホームランバッターになればなるほど「加算率が高くなるように」設計されている。
その結果、「四球増加によるOPSの増大があった場合、あたかもホームランバッターが長打を生産したことによって発生するSLG増大がいかにもOPSを押し上げる主要因であるかのようにみせかけるOPS上昇カラクリ」を、OPSというデタラメ指標は常に隠蔽してきたのである。

いってみれば、この「四球増加で、みせかけだけSLGを伸ばすテクニック」は、まさに「数字によるドーピング」といっていい。
こんなまやかしが可能になるのは、OPSという指標が「ほんのちょっと床を上げると、自動的に天井が大きく上がるように出来た、まやかしだらけの家」だからだ。


(笑)

だが残念でした(笑)
既にこのブログで一度書いたように、実は現実の野球における「チーム出塁率」は、「四球」にはほとんど依存しない。現実の野球における「チーム出塁率」を大きく左右しているのは、「四球」ではなく、むしろOPS信仰が排除しようとやっきになってきた「打率」にほとんどを依存しているのである。
だからチーム打率が上昇してこないかぎり、通常、チームの出塁率は上がってこないし、「四球増加によるSLG上昇とOPS上昇のような、みせかけとまやかし」でない本当の意味の打撃の底上げはありえない
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年9月3日、チームというマクロ的視点から見たとき、「出塁率」を決定している唯一のファクターは「打率」であり、四球率は無関係、という仮説。

この不可能とも思われた「チームの四球を無理矢理に増加させる道」を選んだのは、2011シーズンのタンパベイのジョン・マドンだ。彼は確かに、四球数増加とそこそこのホームラン数を同時に実現することを、ほとんどのチームの中軸打者たちに強要したことで、地区2位のボストンを逆転し、ポストシーズン進出をモノにしたが、その結果としてチーム打率は崩壊し、チーム打率の低迷の結果、OBPの上昇はたいしたものならず、またポストシーズンでは惨敗した。当然の結果だ。数字で選手個人の能力と野球そのものを「狭い型に閉じ込めた」のだ。
この記事の最後の部分は、シアトルのズレンシックもウェッジもまったく理解してない。彼らは、主軸にホームラン20本程度打てて選球もできる打者をズラリと揃えているタンパベイと同じ野球ができると、ありもしない夢ばかり見ている。

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(続く)

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December 21, 2011

11月に書いた記事で、ビル・ジェームステオ・エプスタイン過大評価ぶり、そして現状の単純すぎるパークファクターの数値としてのいい加減さと、その使われ方のデタラメさについて書いた。

こんどはホームランをもてはやすのによく使われる指標、OPSの「デタラメさ」について、ちょっと書いてみる。

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年11月8日、ボストンの2004年ワールドシリーズ制覇におけるダン・デュケットの業績を振り返りつつ、テオ・エプスタイン、ビル・ジェームス、マネーボールの「過大評価」を下方修正する。

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年11月10日、「パークファクター」という数字の、ある種の「デタラメさ」。


ブログ主は、ホームラン20本程度の打者のうち、低打率で、ただただバットを振り回したがるだけの低脳スラッガーが非常に嫌いだ。
この手のハンパ打者を甘やかすモノの見方をしたがるタイプのハンパな野球ファンは、日本でもアメリカでも、またファンであれメディアの記者であれ、実に多い。彼らは、たとえ打率が2割ちょっとか、2割半ばくらいしかなく、週に1本打つか打たないかのホームラン数でも、なにかシーズン中ずっと活躍していたかのように言いたがる。実にアホらしい。

こういう「デキそこないの子供に大金を与えて甘やかす、デキそこないの、ダメ親」みたいな現象が起きる原因は、たとえばOPSのような、「出来た当初こそ、画期的な部分があると思われたが、時間がたってから見てみると、作った人間の好みの野球の反映にすぎないシロモノであることがバレバレの、まるで都会に戻ったら相手がいかに不細工だったかがわかるリゾラバみたいなギミック(笑)」が、ああいう輩に意味不明の自信をつけさせ増長させた点も見逃せない。
あたかも「現実を数多くプロファイリングし、その積み重ねから野球という現実全体に通用する有用な法則を作りあげた」ように見せかけていたわけだが、実際にやっていることといえば、「単に長打を礼賛したいだけ」のために、「現実は最初から無視して、最初から長打を礼賛したい自分の好みに都合のいいレトリックを作っただけ」だったりするのは、本当に困りものである。



例えばOPSに関する日本のWikiに、次のような記述がある。
「例えば出塁率.400、長打率.400の打者でも、出塁率.300、長打率.500の打者でも、同じ.800という数値が出る。」


もっともらしく書いてある(失笑) 多少野球の数字をかじった人は、「その記述どおりでしょ。何か問題でも?」とか思って読むに違いない(笑)いやー、笑える(笑)馬鹿か、と言いたい。

この記述、実は現実の野球にあてはめると、非常に馬鹿馬鹿しいのである。特に「出塁率.400、長打率.400の打者」なんていう記述の馬鹿馬鹿しさ、数字のまやかしに、これまで誰も気づかなかった。
ちょっと、いつぞや書いた「iPodの原型は、ウォークマンである」というロジックの単純さに似てなくもない。(この「ウォークマンとiPodの件」についても、そのうち続編を書く)
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年10月9日、「iPodの原型は『パソコン』であって、ウォークマンではない」ことが瞬時にわかるのが、「パソコン以降の文化的視点」。


この手の「現実離れした、粗末なヘリクツ」が、日本でもアメリカでも、大手を振ってまかり通ってきた原因は、Wikiを書いた人間のロジックがあまりにも巧妙だから、言っていることの「矛盾」や「あまりにも辻褄が合わない部分」に気づかないのではなくて、むしろ、こういう風に、「数字の側から、野球という現実を見て判断することは、常に正しい」と自分勝手に思いこんでいる馬鹿があまりにも多くなりすぎた、という点にある。
表向きでは「野球という現実を、データとして数多く統計的に蓄積、プロファイルして、その結果の精密な分析からみえてきた法則性を、指標という形式にとりまとめた」ように見せかけているが、その実、実際の算出手法と、その根底にある思考回路は、まるっきり逆だ。
この『数字』にあてはまる『現実』は、野球というスポーツのほんの一部でしかない」のである。


例えば「出塁率.300、長打率.500」という部分だが、それに近いタイプの打者を、この2シーズンのア・リーグの打者から探してみると、2011年でいうと、この設定にかなり近いバッターは、ネルソン・クルーズ(出塁率.312/OPS.509)を筆頭に、J.J.ハーディー(.310/.491)、マーク・レイノルズ(.323/.483)、マーク・トランボ(.291/.477)と、まぁ、けしてサンプル数が無限にあるとまでは言えないにしても、「探せば、有力プレーヤーに何人かサンプルを見つけられる」レベルにはある。また2010年ア・リーグの例では、多少「出塁率.300、長打率.500」という設定からは遠ざかるが、カーティス・グランダーソン(.324/.468)、マイク・ナポリ(.316/.468)と、なんとか数字的に近い打者を見つけることができる。(しかも近年のペナントの行方を左右した選手の名前も多い)

つまり、言いたいのは、「出塁率.300、長打率.500の打者」というレンジ設定は、「野球という現実を、多少なりとも反映している」ということだ。


これに対して、「出塁率.400、長打率.400の打者」という部分については、OPSは同じ.800でも、話はまったく異なる。なぜなら、出塁率.400、長打率.400という設定にあてはまる打者を、ほとんど見つけることができないからだ。
理由はハッキリしている。
出塁率.400、長打率.400なんていう打撃スタッツの打者は、現実の野球には、ほとんどありえない
からだ。出塁率.400、長打率.400などというレンジ設定自体が現実離れしているのである。
(たとえば「出塁率.400、長打率.400の打者」といえるのは、2010年のオークランドの一塁手ダリック・バートンだが、OBP.393、SLG.405 四球110と、あまりにも奇妙な打撃スタッツだ。たぶんこの「ダリック・バートン」なんて名前、おそらく日本のMLBファンの大半が記憶に無く、またこの選手がOPS.800を記録したからといって、ほぼ同じOPSのネルソン・クルーズに匹敵する打者だとは、誰も思わない。さらにダメなのは、バートンが2010年以降も似たような打撃スタッツを続けられるわけがないことだ。つまりバートンの成績には「再現性」が全く無いのである。「再現性」がない現象は、単なる偶然か、ドーピングによる作為でしかなく、それを「法則の一部」とみなことなどできるわけがない。)


どうしてまた、こういう奇妙なことが起きるのか。


これを検討するためには、以下のような諸点などを十分に検討して話を進めていかなければならないので非常にめんどくさい。(だからすべての議論を一度にひとつの記事に詰め込むことは、すぐにはできない)

1)「長打率(Slugging Percentage)」とか「自称」している数字は、そもそも「打数あたりの塁打期待値」である。
長打「率」なんて完全に間違ったネーミングのせいで誤解されているだけで、長打率は「長打だけに関する打率」でもなんでもないのだ。
だいたい、そもそも長打率は「率」ですらない。「期待値」は「率」ではないのだ。また、「長打のみについて抜き出して算出された数字」ですらない。

1の余談)ちょっと細かい話になるが、「シングルヒットでも長打率が上がるから、OPSには欠陥がある」だのなんだのいう「OPS批判にみせかけたシングルヒット批判」は、長打率が本当は塁打期待値で、得点期待値ではないことの意味をちょっと考えれば、それがある種の大ウソに過ぎないことは、すぐにバレる。
塁打数を計算する数値である長打率は、当然ながら「どの種類のヒットを打つか」によって、数値の変化度合は違うわけだが、仔細に見てみると、長打率の仕組みそのものが、主にホームランだけが数値を押し上げる要素になるように「仕組まれた数値」でもある。例えばある打者がある試合で4打数1安打でシングルヒット1本だとして、たとえそのシングルが試合を決める2点タイムリーだったとしても、その日の塁打期待値そのものはたった.250に過ぎない。シングルヒットは長打率を押し下げる要素としてしか計算されないし、また、シングルヒットは塁打計算においては得点期待計算より半分の評価しか与えられない。
そのため、打者の長打率によっては「シングルヒット、場合によっては二塁打を打ってさえも、長打率は下がりさえする」のである。だから、ヒットを打てば打つほどOPSも大きく上昇する、とは限らない。
原因は簡単だ。塁打数としてだけの意味では、ホームランの「4」に対し、シングルヒットは「1」、二塁打は「2」としか評価されず、その一方でそれぞれのイベント発生頻度、つまり、シングルヒットや二塁打の発生度数の多さはまったく考慮されない。だから「シングルヒットが塁打期待値を押し下げる方向にだけしか働かないように設計された数値」においては、「シングルヒットを打てば打つほど、数値が下降」していく珍現象が起こる。逆に「ホームランは、発生頻度が非常に低いのに、数値が大きく上昇する」。そういう風に設計されている塁打期待値を、発明者は恣意的に『長打率』と呼びならわし、しかもあたかも得点期待値でもあるかのような印象づけを試みた、のである。
現実の野球では、シングルヒットに意味がないなどということは有り得ないことなど、あえて言うまでもない。シチュエーションと打者によっては、ホームランより出現頻度の高いヒットのほうが得点期待値が高いことすらある。(例えば第2回WBC決勝)
得点期待値の算出においては、ホームランとシングルヒットの比重が現実の野球に近くなるように考慮されているため、長打率のようなこうしたデタラメは起こらない。

2)長打率の算出根拠は、「塁打数」であるために、近年の打撃スタッツの得点貢献度の算出における計算手法より、ずっとホームランを過大に計算している
そのため、あたかも「長打率 イコール 得点期待値」と他人に思いこませたいだけの悪質なスラッガー好き人間と、ホームランを礼賛したいだけの無能ライターの格好のエサになって、根本的に間違えた議論の格好の材料になっている。
例えばOPSの基礎になる長打率では、ホームランを4、二塁打を2、ヒットを1などとして、打数あたりの「塁打数」を計算するわけだが、こうした「塁打数」は「得点期待値」とイコールではない。例えば「シングルヒットで2点入る」こともあれば、「ホームランで1点しか入らない」こともあるように、「塁打数は、得点期待値には、直結しない」。
例えば近年WARのような指標の計算も盛んだが、ここでも0.72BB+0.75HBP+0.90単打+0.92エラー出塁+1.24ニ塁打+1.56三塁打+1.95HRなどという計算式(これはwOBAの計算方式だが、この加重の方法を絶対的なものと考える必要はまったくない。あくまで例に過ぎない)があるように、得点貢献度の計算においては、ホームランとシングルヒットの得点貢献度の比率は、およそ「2対1」であり、長打率のように、ホームランを「4」、シングルヒットを「1」などと、ホームランとシングルヒットの比率を「4対1」とか、ホームランについて過大な計算をしてはいない。

3)OPSは、2種類の性質も母数も違う数字同士を、単純に足し算しているが、その「違う種類の数字を、足しても問題ない、足しても意味が成り立つ、という根拠」が、まるで明確でない。2種類の性質の異なる数字を、「補正も何もせずに、ただ単純に足し算する行為の正当性がほとんど不明であること」は、数値として「デタラメをやっている」としか言えない。
「出塁率」は「率」であり、「長打率」はグロスの「期待値」である。だから、それぞれの数値の性格がまったく違う。また、この2つの数値は、数値算出のための母数が異なる。また数値がカバーしている現実の野球のレンジも異なる。

4)OPSは、母数が違う数字同士を単純に足し算している。
出塁率の計算における母数は「打数+四球+死球+犠飛」などと、ほぼ「打席数」に近いものだが、長打率の計算の母数は「打数」であり、打席数ではない。

5)OPSは、相互に相関のある数字同士を足し算している。ちょっと考えれば誰でもわかることだが、相互に独立しておらず、相関の存在する2種類の数値同士を、単純に足し算する行為は、数値の算出の元になる素材の「ダブり」を生む
たとえ話として、企業会計にたとえるなら、「打撃能力による収益を、特定部分だけ、重複して計上する」行為だ。当然のことながら、「重複して計上された素材(=例えばホームラン)については、明らかに帳簿上の収支が高く見せかけられている」ことになる。
これは、明らかに「出塁率と長打率の間に隠れて存在する計算素材のダブりを利用したデタラメな手品」である。

また、四球数の増加によって、当然、打数は減少するが、そうなれば当然、「打数を母数に計算される塁打期待値」である「長打率」はモロに影響を受け、増大する。つまり、「たとえ長打数に変化がなくても、四球を増やすことで打数を減らすことによっても、みせかけの長打率を上昇させることができる」し、OBPよりも数値上昇が大きく表現されやすいSLGが上昇すれば「OPSを増加させたようにみせかけることができる」のである。(それはチーム戦略として、勝つためにプレー内容の質と量を向上させる戦略的行為では、まったくなく、単に見栄えのいい数字を得るために数字そのものをいじるだけの「帳簿上の見かけの操作」に過ぎない)

6)OPSは打率を欠陥指標として「打率」を排除したとよく言われる。だが、OPSの計算式の内部では、排除どころか、むしろ打率に依存した一面も持ちあわせている。
例えば、出塁率についてだが、一度このブログで書いたように、「現実の野球におけるチーム出塁率は、実はチームの四球数にほとんど無関係で、大半はチーム打率に依存している」。つまり、「出塁率を左右するのは、結局は打率」なのである。また現実の野球において長打率の意味するところは、実際には打席あたりの出塁可能性でもあることを考えると、現実の野球においては、長打率が打率とまったく無関係と考えるのは馬鹿げている。
つまり、OPSは、タテマエとして打率を欠陥指標として排除したように見せかけているが、裏ではこっそり依存している部分が多々ある
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年9月3日、チームというマクロ的視点から見たとき、「出塁率」を決定している唯一のファクターは「打率」であり、四球率は無関係、という仮説。

7)「出塁率.400で、長打率.400」というバッターがほとんど実在していないことからわかるように、OPSという数字の仕組みで、現実の野球全体が説明できるわけではない。むしろそれどころか、OPSで非常にうまく説明される打者は、実は、非常に限られている。
あたかもOPSが現実の野球のすべてを説明するかのように思われがちだが、実際には逆であり、おそらくOPSの作者は自分好みのリーグのトップクラスのバッターだけしか着目せず、彼らの優秀さを礼賛するのに都合のいい数値を作ってみただけのことであると推定される。

8)細かいことを言えば、現実の野球においては塁打数の計算においてすら、打率が大きく関係してくる。打席ごとに長打を打てるかどうかは、毎打席ごとの確率の問題であり、打率が無関係になることなど、ありえない。
例えば、「600打数の打者が、20本程度のホームランを含め、ヒットを180本打つ」、という行為は、「あらかじめ1から4の数字が書かれた当たりくじ180個を含む600個のくじを入れた箱に、手を突っ込んで、1個だけを取り出し、そのくじを元に戻さないで、順に全てのくじを引いていく」という意味のわからない予定調和ではない。
現実の野球はむしろ、「まず、600個のうち180個の当たりの入った箱に手を突っ込んで、幸運にも当たりを引くことができたら(=ヒットを打てたら)、その『一度目のくじ』を元に戻して、こんどは、1から4、4つの数字の入った箱に手を突っ込んで、数字を決めるための『二度目のくじ』を引き、獲得できた数字(=塁打数)を確定する」という感覚のほうが近い。この2つの行為の差が、OPSにはまったく反映されていない。


OPSのWikiでの記述の話に戻る。

そもそも「出塁率.400前後の打者」といえば、近代野球の場合、各リーグにほんの数人しか出現しない素晴らしい出塁率である。そして、その素晴らしい数字だからこそ、むしろ問題になる。
というのは、「出塁率.400前後の、出塁率がリーグで5本指に入るようなトップクラスのバッター」というのは、ほぼ例外なく「それなりの数のホームランや二塁打を打ち、それなりの数の四球も選ぶのが、むしろ当たり前」だからだ。
つまり、OPSの言う「出塁率.400、長打率.400の打者」というのは、「野球という現実」を、まるで反映してない
現実の野球」に実在するのは、現実にはありえない空想といっていい「出塁率.400、長打率.400のバッター」ではなく、「出塁率.400、長打率.500前後のバッター」なのだ。

さらに、それだけではない。
ここまで書いてきた「出塁率と長打率の両方に隠れて存在する計算素材のダブりをこっそり利用したデタラメな手品」によって、大半の打者の打撃スタッツにおいて、「出塁率よりも、長打率のほうが大きい」という状態が成立する
これは、現実の打者がそうなることが経験上多いというリアルな意味ではない。計算上のみせかけのレトリックによってそうなる、のである。
数字の成り立ちからして、出塁率と長打率との間には相関関係が存在していて、2つの数字は相互に独立していない。上でも書いたことだが、相互に独立していない数値同士を足し算すれば、「多数の四球が長打率を押し上げてしまうという例」があるように、出塁率と長打率に内在する相関関係が原因で、「みせかけだけのOPS上昇」が発生し、「出塁率をやや上回る長打率が、自動的にはじき出されて」きてしまう。
常に「出塁率よりも、長打率のほうが大きい」という状態が成立するのは、単なる「計算上のまやかし」に過ぎない。

そりゃそうだろう。
率より塁打期待値のほうが、普通、数値としてデカいに決まっている。

OPSが「デタラメ」になっている主な原因は、「ホームランについて過大な評価が与えられていて、実は「率」ですらない長打率を、なんの補正せず、そのまま計算に採用し、「率」である出塁率と故意に、なんの理由もなく混ぜ合わせる「まやかしの手品」によって、あたかもホームランだけが得点を大量生産できる有効かつ最良の手段ででもあるかのように、「数字的にみせかけていること」にある。
だからこそ、「出塁率と長打率の数値がほぼ同じ、なんて打者は、ほぼ出現しない」ように、「OPSは、最初からできている」のである。この「巧妙なまやかし」が理解できないかぎり、この「OPSのデタラメさ」を理解できないだろう。


言い変えると、OPSという指標は、ある日突然「得点相関の高いと思われた2つの数字、出塁率と長打率(=実際には打数あたりの塁打期待値)を足し算してみることを、突然思いついたオッサン」が、「野球という非常に幅の広い現実のうち、自分好みの特定部分(たぶんそれはトップクラスのホームランバッター数名)を故意にクローズアップし、大好きな彼らのバッティングを褒めちぎるのに最も都合のいい恣意的な数値を作り上げた」ということでもある。

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(続く)

damejima at 09:43

November 11, 2011

最近野球の話題でよく「パークファクター補正」なんて言葉を耳にすることがあると思うが、この「パークファクター」という指標は「2つの要素」がごちゃごちゃに混ざった数字であって、ある意味「単なるデタラメな数字」に過ぎない。

例えばホームランについてのパークファクター(以下、適宜PFと略す)の計算において「分母」になっているのは「特定スタジアムでの、1ゲームあたりのホームラン数」だが、この数字には、以下の2つの要素が、何の基準もないまま混ざってしまっている。
1)自軍バッターが「打った」ホームラン
2)自軍ピッチャーが相手チームに「打たれた」ホームラン

中学生でもわかることだが、これでは「自軍が「打った」ホームラン、相手チームに「打たれた」ホームラン、その2つの数値のうち、どちらが増加しても、結果的にそのシーズンのパークファクター数値は大きくなってしまう」という、妙な現象が生じてしまう。

これではあまりにも雑すぎる。

よく、「パークファクターはスタジアムごとの物理的な構造の差異、特にスタジアムごとに違う外野の広さや外野フェンス高さの違いによって生じる、『ホームランやヒットの出にくさ』を表現した、人間の主観の入り込む余地の無い、非常に理論的な数値」だと思いこんでいる人がいる(笑)
だが、実際にはパークファクターはスタジアムの物理的特性だけで変化するわけではなく、スタジアムの物理構造にまったく関係ない「チームの戦力の変化という『人的要因』」によって大きく左右される数字でもあり、また、戦力、つまり投打のどちらに依存して変化したのかがきちんと定義も明示もされていない数字だ。
そういう意味では、現状のパークファクターなんてものは、理論的どころか、非常に恣意的な数字にすぎない。

たとえば、改修などをまったく行わず、スタジアムの構造がまったく変化しなくとも、シーズンによっては、打線が異常に大活躍して「ホームランを打ちまくる」こともあれば、投手陣があまりにも酷すぎて「ホームランを打たれまくる」ことも、それぞれ逆もありうる。
その、どのケースでも、パークファクターは上昇(あるいは下降)するわけだが、パークファクターから「数値の変化をもたらしたのが、いったい打線なのか、投手なのか」を見分けることができない。
また、同一シーズンに、投手陣が壊滅していてホームランを打たれまくったAチームと、打撃陣が異様に絶好調でホームランを打ちまくったBチームがあったとすると、AとBの本拠地のパークファクターは、どちらも上昇をみせる。この場合、2つのスタジアムAとBとでパークファクターの上昇が見られるわけだが、その数字の変化の意味がまったく違うのにもかかわらず、それをパークファクターから読み取ることができない。
さらにいけないのは、例えばたとえ「パークファクターの上昇が投手陣の壊滅でもたらされた場合」であっても、それを打者の打撃スタッツの補正に用いたりすることだ。そういう行為にはほとんど何の意味もない。逆もまたしかり。


実際、下記に挙げたテキサス・レンジャーズの例でわかるように、「パークファクターの数値の増減には、シーズンによって、自軍の打ったホームランが大きく寄与するシーズンもあれば、相手に打たれたホームランの多さが寄与するシーズンもある」。
そのため、「パークファクターだけでは、自軍の投・打、相手チームの投・打、この4つのうち、どれが主に寄与してその数値が成立したのか、さっぱりわからない」。
なのに、数字オタクどもときたら、「打者が寄与したのか、投手が良かったのか、自軍の戦力アップのおかげなのか、はたまた相手チームにやられたせいなのか、まるで確かめようがない恣意的な数字を使っている」くせに、「あらゆるシーズンの数字を十把ひとからげに『パークファクター』と呼んですませて」、なおかつ、「パークファクターとやらを、スタッツ補正にも使いまくって、あらゆるスタッツを誰よりも正確に把握できていると自称して、鼻高々になったりしている」のである(笑)


これだけでは何を言っているのかわからないと思うので
ちょっと、実例を見てみよう。

以下に、テキサス・レンジャーズのホームグラウンド、レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントンのホームランに関する2001年から2011年のパークファクターと、テキサス自軍の打者のホームラン率(=1ゲームあたりのホームラン数)をグラフにしてみた。
ここでいうホームラン率はホームだけの数字ではなく、ビジターも含めた数字であることに注意してもらいたい。また、以下で特に注釈を設けない限り、パークファクターといえば、「ホームランについてのPF」のみを指す。またアーリントンの外野フェンス等の改修工事の有無については検討から除外する。さらに、年度別のPFを相互比較するのは無意味という議論は、この際あえて無視してもらいたい(笑)
Texas Rangers Team History & Encyclopedia - Baseball-Reference.com
赤い折れ線=アーリントンにおけるホームランのパークファクター
緑の折れ線=テキサス打線の「打った」1ゲームあたりホームラン数
テキサスのPFとHR率 2001年から2011年まで

このグラフの上がり下がりの方向の一致・不一致と、変動幅の大きさを見るだけで、テキサス・レンジャーズのパークファクターが、次の2つの時期に大別できることは、中学生でもわかると思う。(さらに詳細に見れば、「2004年以降」というカテゴリーが、さらに「2004年2005年」と「2006年以降」の2つに細分化することができることもわかるだろう)
1)2001年〜2003年まで
2)2004年以降

2003年までのグラフは、パークファクター()と自軍のホームラン率()の上下動が、まったく逆向きになっている。
明らかにこの時期のパークファクターを左右しているのは、「自軍バッターの打ったホームラン」ではなく、おそらく「自軍ピッチャーの打たれたホームラン数」だろう、という推測が成り立つ。
実際、2001年から03年までのテキサスのチーム防御率は、5.71、5.15、5.67と、それはもう酷い数値であり、シーズンで打たれたホームラン数は、その3年間それぞれ、222本、194本、208本で、2001年の被本塁打222本、被ホームラン率1.39などは、1961年のテキサス・レンジャーズ創設以来、最悪の数値を記録している。

ところが、2004年以降になると様相がガラッと一変してくる

まず2004年に、パークファクターと自軍のホームラン率の「数値の上げ下げの向き」が、同じ方向に揃った。これは、打線の改善によって「自軍の打ったホームランがパークファクターを左右する時代が到来した」と推測される。(具体的に言うと、2003年終了後にFA移籍したラファエル・パルメイロ、ヤンキースにトレードしたアレックス・ロドリゲス、2人のホームランバッターの移籍でできた穴を、2004年のアルフォンソ・ソリアーノや、生え抜きのマイケル・ヤングマーク・テシェイラが埋めたために、チームのホームラン数を思ったほど減らすことなく、新生テキサス打線が生まれ、育てられていった)

ただし、2004年から2005年までは、パークファクターと自軍バッターのホームラン率の変動の「向き」は同じとはいえ、2つの数字の「変動幅」にはまだまだ大きな差がある。
このことは、これら2シーズンが、「たしかに自軍のバッターもホームランをたくさん『打った』が、同じように、相手チームにもホームランをしこたま『打たれた』シーズン」だったことが、なんとなく想像できる。(実際、2003年の先発5人をみると、ディッキーベノワパク・チャンホの3人が揃ってERA 5点台と、まだまだ酷い投手陣だった。セットアッパーレベルの投手を3人も先発させているのだから、この当時のテキサスの投手陣は火の車なのだ)

これが2006年以降になると、2004年2005年と同様に、パークファクター()と自軍の「打った」ホームラン率()のグラフの上げ下げの向きが同じ方向に揃っている状態が維持されただけでなく、2つの折れ線グラフの振幅がお互いに近くなってきていて、2つの数字の乖離は非常に小さくなってくる。
これは、明らかに、2000年代中期の打線改良に引き続いて、こんどはテキサスが先発投手陣のリフォームに手をつけ、「ホームランを打てる打線、なおかつ、ホームランを打たれない投手陣」という理想的なバランスが多少もたらされつつあったことを意味する。(具体的には、2006年にケビン・ミルウッドビンセント・パディーヤを補強したことで、先発投手陣の立て直しに光明が見出された時期にあたる)

そして2年連続でワールドシリーズに進出した2010年、2011年のテキサスのチーム防御率は、3.933.79と、2年続けて4点台を切っている。そこにはもう最悪の投手陣だった2001年の陰はない。
この「2年連続防御率3点台」は、1989年〜1990年以来、20年ぶりに達成された出来事で、2009年からテキサスの投手コーチをしているマイク・マダックス(名投手グレッグ・マダックスの兄)がテリー・フランコーナの後任としてボストンの監督候補に名前が上がるほど高い評価を得ているのは、こうした点なのかと思わせる数字だ。(だが、以上の記述からもわかるとおり、テキサスの投手陣の改革が始まったのは、2009年のマイク・マダックスの投手コーチ就任以前の、2006年あたりから既に始まっているのであって、マイク・マダックスだけの功績とは言い難い)


もう少し説明を加えるために、
上の「パークファクターと、自軍の打ったホームラン率」のグラフに、さらに被ホームラン率、つまり「ホームランを打たれた率」を加えてみる。
赤い折れ線=パークファクター
緑の折れ線=テキサス打線「打った」1ゲームあたりのホームラン数
青色の折れ線=テキサス投手陣の「打たれた」ホームラン率(HR/9)
テキサスのPFとHR率・被HR率 2001年から2011年まで

2001年から2003年の赤と緑のグラフの「上下動の方向」と「変動幅」が一致しているのがわかるだろう。この3年間のパークファクターは「打ったホームラン」だけでなく、「打たれたホームランの多さ」にも大きく左右されている。
これが、2005年になると、赤と緑の線、つまり、パークファクターと、「打った」ホームラン率が揃って急上昇しているにもかかわらず、青の線、打たれた」ホームラン率だけが急激に低下しているのが、実に印象的だ。
青い線の動きをトレースしてみればわかるように、2001年に球団創設以来最悪の酷い状態にあったテキサスの投手陣の被ホームラン率は、2000年代中期以降に改善し、その状態を現在までなんとか維持し続けている。
たとえ本来はホームランの生まれやすいホームパークであっても被ホームラン数を極力抑え込むことに成功したテキサスは、長い時間をかけて投打のバランスを修正したことで、ワールドシリーズに行けるチームに変貌したのである。


ちょっとまぁ、いつものように話が長くなってしまった(笑)が、「打った数字」も「打たれた数字」もいっしょくたのパークファクターなんてシロモノが、どれだけ「データとしてだらしない」か、わかってもらえたら、それで十分だ。
これからは、その頼りない数値で補正、補正と、鬼の首をとったように喜んでいる馬鹿を見つけたら、思い切りせせら笑っておけばいい(笑)

2011年のセーフコのホームランのパークファクターは1.037という数字らしいが、それが「チーム打率が2割ちょっとしかないシアトル打線の打ったホームランによるものなのか」、それとも「ヘルナンデスをキングとか称して持ち上げまくった一方で、フィスターを安売りしたシアトル投手陣の打たれたホームランによるものなのか」、そしてこの10年のセーフコのパークファクターの軌跡の意味くらいは、それぞれが自分の頭を使って考えたらいい。
2011 MLB Park Factors - Home Runs - Major League Baseball - ESPN
さらに言えば、投手有利と言われてきたホームパークを持ち、超守備的チーム編成を目指すと自称しながら、このパークファクターとは、いったいシアトルのGMは何をやっているのか、こんなGMに複数年契約をくれてやって、馬鹿なのか、と言われて当然だ、くらいのことも、ついでに頭に入れておくといいだろう。



damejima at 09:35

September 27, 2011

3000本安打達成者の打数と安打数

X軸(横軸)=通算ヒット数(1目盛=200本)
Y軸(縦軸)=通算打数(1目盛=1000打数)
黒い直線は線形近似曲線
赤い直線は、上が4打数1安打のライン、下が3打数1安打のライン。
資料:Career Leaders & Records for Hits - Baseball-Reference.com

これは、過去から現在にいたるまで、2011年9月時点で3000本安打を達成している全打者の安打数と通算打数を図にプロットしたもの。

見れば、ひと目でわかるように、3000本安打を達成するということは、イコール、「たいていの場合、3.5打数でヒットを1本打つ以上のパーセンテージで、ヒットを打つことが必要になる」ということを意味する。

数多くのヒットを打った記録なのだから当たり前といえば当たり前の話ではあるが、実は、これはこれでなかなか面白い。
なぜ4打数1安打では3000本安打は達成できないのか、考えてみよう。


仮に、4打数1安打を延々と継続していく、とする。
現実無視の計算では、12000打数で3000本安打を達成できる。それに必要な時間は、1シーズンの打数を仮に「フル出場162試合×4打数=648打数」とすると、12000÷648≒18.5で、約18シーズン半での達成になる計算だ。
つまり、のらりくらり、19シーズンほど野球選手をやっていれば、4打数1安打のバッターでも20年かからずに3000本安打を達成できてしまう、という「机上の」計算になる。

だが、もちろんそれは空論だ(笑)

当然、四球やデッドボール、犠牲バント、犠牲フライなどによって、打数は打席数より少なくなることを考慮に入れるべきだ。
例えば、キャリア20年で569本のホームランを打った「耳栓」スラッガー、ラファエル・パルメイロは、10472打数でヒット3020本と、ギリギリで3000本安打を達成した打者のひとりだが、通算打席数は12046。四球1353、死球87、犠牲フライ119などによって、全打席数のうち、約13%が打数にならなかった。
Rafael Palmeiro Statistics and History - Baseball-Reference.com
(なお、パルメイロはミッチェル報告書でステロイド使用を告発されたプレーヤーのひとり。3000本安打を達成者ではあるが、パルメイロと野球賭博で永久追放になったピート・ローズは野球殿堂入りすることはないだろう。 資料:The List of Players Named in the Mitchell Report - ABC News 資料:Palmeiro docked 10 days for steroids - MLB - ESPN

また、パルメイロと同じように3010本と、ギリギリで3000本安打を達成したアベレージ・ヒッター、ウェイド・ボッグスは、キャリア18シーズンの通算打席数10740に対し、通算打数は9180で、打席数の約14.5%が打数にならなかった。
Wade Boggs Statistics and History - Baseball-Reference.com


そんなわけで、いま仮に「打席数の10%が打数にならない」と仮定すると、12000打数を打つためには、13333以上の打席数が必要になる。
これは、「シーズン162ゲーム、1ゲームあたり4打数をフル出場する」と仮定しても、13333÷162÷4≒20.6で、4打数1安打で3000本安打を達成するには、約21シーズンもかかる計算になる。
これが10%の仮定をもう少し上げて「13%」にすると、必要な打席数は約13800に増加してしまい、記録達成に必要な年数は21.3と、10%の時より1年増えて、約22シーズンかかる計算になる。


もちろん本来は、打数減少の大きな原因であるこの「四死球、犠打などによる打数の減少」だけでなく、「打数を減少させてしまう3000本安打の阻害要素」は、他にも、現実の野球選手のキャリアにたくさんある。
例えば、怪我などによる休養期間は誰にでもありうる。骨折や靭帯損傷、筋肉の断裂などの大きな怪我なら長期の休養だろうし、デッドボールや捻挫などによる短期の休養もありうる。さらに誰しも経験するスランプもある。(4打数1安打程度の打者のスランプはおそろしく長いことだろう) また、キャリア晩年のベテランになってくれば、シーズンフル出場ともいかず、チーム側が選手のリフレッシュのために休養させるゲームをつくる。
だが、しばらくは机上の空論を楽しみたいので、それらすべては「無いこと」にしてしまおう(笑) 

だが、「怪我」も、「スランプ」も、「休養ゲーム」さえも無いことにしてしまうという、現実を徹底無視した仮定をしたとしても、それでもなお、3000本安打達成には20年どころか、21年とか、22年とか、かかる計算になるのである。
これらの「打数の減少をまねく、あらゆる条件」を、きちんと計算に組み込むなら、実際には4打数1安打による3000本安打達成には、最低でも23シーズン以上、実際にはもっとかかることだろう
いやはや、気が遠くなる(笑)

23年以上とか、簡単に書いてしまったが、これはメジャーの選手のキャリアとしては、おそろしく長い。
というのも、高卒投手がいきなり1軍で登板したりする日本の野球のように、18歳で1軍デビューできるのならともかく、メジャーでのデビュー年齢はたいていの場合、20代半ばになるのが普通だからだ。
たとえ、もし仮に、日本の大卒プレーヤーのように、22歳でメジャーデビューさせてもらえて、しかも、いきなりスタメンに定着し、それから20数年フルシーズン使ってもらえたと、殿堂入り選手レベルの無理矢理な仮定をしたとしても、それでも、4打数1安打で3000本安打を達成できるのは45歳以降、ということになる。
実際には22歳でデビューなんかできないし、デビューできたとしてもいきなりスタメンとか、なかなかありえないわけだから、達成年齢はもっともっと遅くなる。

現実を無視せず、多少なりとも現実的な計算をしていくと、25歳メジャーデビューの選手が4打数1安打をひたすら続けて3000本安打を達成できるのは、23年たった48歳以降、ということになってしまう(笑) 
これではどうみても、3000本安打を達成する前に引退しなくてはならなくなる。


つまり、言いたいのは、3000本安打という大記録の達成にとって、「年齢」という条件は、あまりにデカすぎて無視できないどころか、決定的条件ですらあるということだ。

別の言い方をすると、3000本安打という偉業を達成できるか否かは、実は、その選手のキャリア序盤に既に決まっている、と言い換えてもいい。
つまり、非常に長い期間に渡ってハイ・アベレージな安打生産を維持しなければならない過酷な記録だけに、もしもその選手が、MLBデビュー後のキャリア序盤にシーズン100安打くらいの低い成績が数シーズン続いたとすれば、もうその時点で既に3000本安打達成に必要なキャリアの長さ自体が足りなくなってしまっている、という意味で、その選手の3000本安打達成は難しくなってしまうのだ。
3000本安打という記録は、一見すると、ただただ長年にわたって安打数を積み重ねた記録のように思われがちだが、実はそうではない。むしろ「キャリア序盤にどれだけいきなりメジャートップクラスの成績を残せたか」という、瞬発力勝負である


やはり3000本安打は、4打数1安打のバッターが、ただただ長年野球をやっても達成できる記録ではないのだ。「ひたすら積み上げれば、いつか達成できる記録」ではなく、むしろ、3000本安打という記録は、「デビュー直後すぐに分かれ目がやってきて、デビュー直後の若いうちに幸福すぎるキャリアを実現することができた『約束された、ほんのひとにぎりの選手』のみがトライ可能な、未曾有の大記録」なのだ。


無限ではない選手寿命の範囲内で、3000本安打を「20年程度」で達成するためには、「四球などによる打数の減少」、「怪我」、「スランプ」、「休養」など、あらゆる障害物を含めて考えると、3.5打数でヒットを1本打つ以上のハイ・アベレージがどうしても必要だ。
そして、本当の問題は、ほんの数シーズン、3.5打数でヒット1本打ち続ければ達成できる記録ではなく、そういうハイ・アベレージ期間を最低でも20年近く継続しなければならない、ということだ。
それは、打率でいうと、最低でも.285以上を長期間継続しなければならないし、実際には達成者の大半の通算打率は、3割を超えている。
(次の記事で書くが、3000本安打達成者には3つくらいの達成パターンがあり、通算打率でいうと、(1).285あたりの達成者、(2).300あたりの達成者、(3).320以上の達成者ということになる。1番目のタイプの典型はカール・ヤストレムスキー、2番目のタイプの典型はピート・ローズ、3番目のタイプの典型はスタン・ミュージアル



だが、本当の話(笑)は、実はここからだ。


なぜなら、ここまで書いてきたことは、あくまで、「20年前後の長い長いキャリアで、3.5打数1安打以上をキープし、やっとの思いで3000本安打を達成する」という、「ごく野球常識的な3000本安打達成」の話でしかないからだ。

ハッキリいって、3000本安打自体は、並レベルのプレーヤーには絶対に達成不可能な大記録だし、たとえ名選手と呼ばれるプレーヤーであっても、なかなか達成できない超絶的な大記録ではあり、達成者は超のつく名選手、殿堂入り選手ばかりなのだが、言い方を変えれば、けしてわずか数人だけが達成できた記録ではなく、「20年にもわたる長い歳月をかけ、達成するような、地道な3000本安打達成のプロセス」という意味でなら、今まで両手両足では足りない数、つまり、それなりの数の選手たちが達成できてきた記録だ。

これまでの3000本安打達成者の大半は、20歳前後と、非常に若くしてMLBデビューしており、キャリア晩年まで「特別なプレーヤーだけに許された長い時間」をかけて3000本安打を達成している。
20年にもおよぶ長い時間をかけることを許されていた、という意味では、彼らは野球100数十年の常識を越えてはいないのである。
MLB歴代ヒット数ランキング上位打者
メジャーデビュー時の年齢

ピート・ローズ 22歳
タイ・カッブ 18歳
ハンク・アーロン 20歳
スタン・ミュージアル 20歳
トリス・スピーカー 19歳
キャップ・アンソン 19歳
ホーナス・ワグナー 23歳
カール・ヤストレムスキー 21歳
ポール・モリター 21歳
エディ・コリンズ 19歳


だが、である。
もしあなたが、野球の歴史も、常識も超え、28歳で、遅咲きのメジャーデビューを果たした後、12年か13年くらいの、「とてつもなく短いキャリア」の中で大記録3000本安打を達成しようと思ったら、選手としてのライフプランをどういう形に「設計」しておかなければらないか、考えたことがあるだろうか?

20歳の若さでメジャーデビューし、通算打率.331、キャリア22年で3630本ものヒットを打ってヒット数歴代4位になった中距離ヒッター、スタン・ミュージアルでさえ、3000本安打を達成したのは、彼が今のイチローと同じ37歳になった1958年5月であり、達成には17シーズンもの長いキャリアを要した。達成時前後の彼の通算打率は、なんとおよそ.345前後もあったのだが、そんなハイ・アベレージの選手でも3000本安打達成に17年もかかったのである。 (逆に言えば、20歳の若さでデビューして高打率を維持できた彼だからこそ、37歳で達成できた、ともいえる)
大打者スタン・ミュージアルでさえ17年もかかった記録を、イチローはそれをずっと短いシーズン数で達成しようとしている。この意味を、よく考えてもらいたい。


本来なら、イチローの3000本安打達成への道すじという話になるはずの3000本安打という話題に、わざわざ「4打数1安打ではなぜ達成できないのか?」という遠回りな入り方をしたのは、3000本安打という記録が、実は「デビュー当初から選ばれた選手のみがトライできる、偉大な記録であること」、そして日本の野球を経由した後でMLB3000本安打にトライするイチローの3000本安打への挑戦は「イチローだけしかなしえないとハッキリ言い切れるような、これまで3000本安打を達成してきたごく一般的な名選手レベルを、さらに超えた、超・超人的な道のり」であることを、あらかじめ理解してもらいたいからだ。

こういうことを何も考えもせずモノを語る人の、なんと多いことよ(笑)

では、次回。

damejima at 11:54

September 04, 2011

経済学にはミクロ経済学とマクロ経済学があって、それぞれに固有のロジックがあることはよく知られているわけだが、野球のスタッツの評価方法やチームマネジメントのロジックについても、「プレーヤー個人」から見る場合と、「チーム」や「リーグ」など鳥瞰的、俯瞰的な視点から見る場合とでは、大きく違うわけだが、実際にはどうかというと、常に非常に混同されたまま、さまざまな話題が混乱のうちに語られて続けている。

たとえば出塁率がそうだ。

プレーヤー個人だけで見ると、あたかも、大から小から、さまざまなタイプがいるように思われている。
例えば、2007年のリッチー・セクソン(打率.201 出塁率.295)や、2011年のジャック・カスト(打率.213 出塁率.344)のように、打率がわずか2割ちょっとしかないにもかかわらず、四球数が多いために、出塁率が.300を越えているバッター、つまり、出塁率と打率に大きなギャップのあるバッターがいる。
一方で、2011年のウラジミール・ゲレーロ(打率.280 出塁率.311)のように、打率がいちおう.280あるのに、出塁率が.311と、出塁率と打率の差が小さいバッターもいる。
(前者のケースの打者は、打率が低すぎることも多いわけであって、本来はスタメンにいられるレベルじゃないのに加えて、「出塁率と打率に大きなギャップのある打者」が必ずしも長打力があるという意味にはならないし、そういう打者の長打力がサラリーや打順にみあうなんて意味にはならないのに、そこを無視して、出塁率、つまり四球数を評価すべきだのなんだの、自分の思い込みのみで主観的に語る人があまりにも多い。
個人で同じ出塁率なら、打率の高い人のほうを評価すべきだが、その理由の一端は以下にも書くので読み取ってもらいたい)


こういうプレーヤーごとのバラつきのようなミクロ的な差異を、チーム全体、リーグ全体からマクロ的に見ると、ようやく「プレーヤー個人の良し悪し」をファンやアナリストが自分の好き嫌いを自分勝手に織り交ぜながら混乱した評価を下すのではなくて、チームとしての法則性からきちんと評価できる視点も見えてくる。
以下に簡単な例で示してみる。


以下に、とりあえず2011年ア・リーグのチーム別出塁率とチーム打率の関係を、ホームゲームとビジターに分けて示してみた。(他の年度や、ナ・リーグのデータ、日本のデータなども調べてみないと、以下の話はまだ「常に、そうだ」と断言できる段階ではないことには注意してもらいたい)
元資料:American League 2011 Batting Splits - Baseball-Reference.com

ホームとビジターで比例関係の強さにわずかな差はあるものの、ひと目で、「出塁率と打率とが、非常に綺麗な比例関係にある」ことがわかる。つまり上のグラフは「チーム出塁率は、チーム打率のみによって決定されている」ということを示している。2つの数字の関係は、相関を計算する必要がまったく無いほど、強い。
「チーム出塁率」は、「チーム打率」に、「定数」として、6分から7分、数字でいうと0.06から0.07を加えた数字になっている。「チーム出塁率」と「チーム打率」の比例関係を数式にすると、こうなる。
「チーム出塁率」=「チーム打率」+「定数」
(定数=0.06〜0.07 四球や犠飛を意味する)

定数部分をもう少し詳しく言うと、チームバッティングにおいて、四球や犠飛の占める割合(チームのIsoDといいかえてもいいが)は、どんなチームでも常に一定の割合、すなわち、全体の6から7%であって、ほとんど変動しない、という意味。
このチームバッティングにおける四球率が一定になる現象は、打席全体に占めるホームラン率における現象に似ている。ホームラン率も、個人でみるとバラバラだが、チームでみるとほぼ一定になる。ホームランや四球は「十分たくさんの打席を検証すると、一定割合で出現する事象」というわけだ。
簡単なたとえ話で言うなら、「むやみやたらとフライばかり打っていると、一定の割合のフライは必ずホームランになる」ということだ(笑)

チーム出塁率の定数部分の中身は、実際のゲームでは四球や犠飛なわけだが、この定数部分は、2011ア・リーグの数字を見る限り、チームごとの打撃力の差や、そのチーム戦力のタイプの違い、あるいはパークファクターに、まったく左右されない。
だからこそ「チーム出塁率は、チーム打率に完全に比例する」なんて大胆なことが言える(笑)

2011 ア・リーグ
チーム別「出塁率と打率の比例関係」(ホーム)

2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ホーム)

2011 ア・リーグ
チーム別「出塁率と打率の比例関係」(ビジター)

2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ビジター)


様々なタイプのパークファクターをもったたくさんの球場でのゲームデータを集計した「ビジター」データは、当然のことながら、単一球場のデータである「ホーム」のデータより、チーム間格差が平準化、平らに均(なら)されるわけだから、ホームよりもビジターのほうが、グラフの右下がりの傾斜はより緩くなって、より平らなグラフになる。
別の言い方をすると、データの「右下がりの傾き」が強い「ホームゲームのデータ」は、「各チームのチーム出塁率の絶対値は、それぞれのチームのホームスタジアムのパークファクターに大きく影響される」ことを示している。四球率はパークファクターには左右されないが、出塁率はパークファクターに大きく左右される。

それはそうだろう。
前提として「チーム出塁率が、チーム打率にほぼ完全に比例する」として話をしているのだから、「ヒットの出やすいホームスタジアムのチームほど、チーム出塁率が高くなる」、「ヒットの出にくいホームスタジアムのチームほど、出塁率が低くなる」のは当然だ。
この説明手法を使うと、例えば、ボストンのチーム出塁率がア・リーグトップなのは、ボストンの打者たちが待球ができて、選球眼もよく、たくさんの四球が選べるから、なんて、もっともらしい理由(笑)では全くなくて、単に「フェンウェイパークが、あまりにもヒットが生まれやすいヒッターズ・パークだから、打者の打率が高く、その結果、チーム出塁率が良いというだけ」、ということになる(笑)


ただ、問題はこれだけでは済まない。
チーム運営という視点から、あるいは選手の評価という面からも、これまでの指導常識を疑う疑問が数多く派生してくるからだ。


●もし「チームの出塁率がチーム打率によってほぼ決まる」としたら、チームの監督が四球増加を目的に、自分のチームのプレーヤーに待球を強制する戦略は、実は「まるで無意味」なのではないか?

●もし「チームの出塁率がチーム打率によってほぼ決まる」としたら、出塁率向上のために最も意味のあるチーム方針とは、「打率を上げることのみだけしかない」のではないか?(実際には、もうひとつ、パークファクターを変えるためにスタジアムを改装する、という手もあるが 笑)

●よく、四球を積極的に選ばないアベレージタイプの打者をむやみに批判する人がいるが、「チームの出塁率がチーム打率によってほぼ決まってしまう」としたら、チームの打率を向上させないと話にならないのだから、そうした批判は「根本的に的外れ」なのではないか?

●もし「チーム出塁率からチーム打率を引いた数字が、ほぼ0.06から0.07の間で一定」なのだとしたら、チームの総打席数に占める四球や犠飛の割合は、どんな戦力のチームであっても一定割合になるのだから、「GMが、四球増加を目的に、四球を選べるプレーヤーを獲得してきた」としても、そのことでチームの出塁率が劇的に上昇することは、全くありえないのではないか?

●チームを支配しているマクロの論理は、どのくらいプレーヤー個人に影響を与えているものなのか。マクロ的野球とミクロ的野球との、接点、違い、お互いの影響力はどうなっているのか。


こうして書いてても、湧き起ってくる疑問点は実は非常に多くて、シアトル・マリナーズってチームはホントにチームマネジメントの失敗だらけなのがよくわかって、書いていて疲れるほどなのだ(笑)
なんかこう、難しいことを書いているように見えるかもしれないが、実はそうではない。言いたいことは、ひとつしかない。

「チームというマクロ的視点から見ると
 ヒットを打てない打者をいくら揃えても、
 出塁率は向上したりはしない」


イチロー
天才に決まってるじゃん。議論なんか必要あるわけない。

前に書いたように、「ヒット」っていう事象は、ベースボールが出来た創世記からもともとあったプレー要素で、それは「アウトにならないこと」を指す、最も重要で根源的なプレーであったわけで、なにもセイバーの数字オタクたちがまるで自分たちが見つけた新発見みたいに自慢しなくたって、もともと野球というゲームでは「アウトにならないこと」は「最重要プレー」だったわけね。
その一方で、もともと「四球」が4ボールではなく、9ボールだったように、四球ってものは歴史的に重要視なんかされてこなかった「サブ的なゲーム要素」だった。
「ヒット」はプレーの目的そのものだけど、「四球」はプレー結果のひとつなだけであって、野球をやる目的じゃない。
四球が無意味だと言いたいわけじゃなくて、正確にいうと、「出塁率、出塁率って、いちいち、うっさいよ。100年も前からある野球ってゲームで、100年後にあらためて『アウトにならないこと』を重視したいと思ったんなら、歴史的にもデータ的にも重要なのは、四球じゃなくて「ヒット」なんだから、なぜヒット絶対主義にならないのか、不思議でたまらない。ヒット絶対主義で、まったく問題ないでしょ。あんたら、アホなの? 」ということ、なんだな。
イチローが四球を選ぶとか選ばないとか、重箱の隅つついてんじゃねぇよ。くだらない。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年8月18日、『アウトでないもの』〜ヒットの副次性。

まぁ、読んだ人が自分なりに自分の問題意識に照らして読んだらいいと思うが、この指摘、単純なように見えて、けっこう噛めば噛むほど味のでる指摘なのだ、よく読んでもらいたい(笑)



damejima at 05:55

August 19, 2011

前の記事を書いているときに気づいたのだが、投手の被BABIPとDERの関係が非常に強い相関関係にある、てなことを、さもひとつの大発見のように書いたり、BABIPという指標がどのくらい「運」を示すか、なんて無意味な議論に随分と執着している人がいる。
ブログ主は、よくまぁそこまで中身のない議論に時間を浪費できるものだと、ある意味、感心した(笑)


XとYという2つの要素の関係がグラフ上で「完璧に右下がりの直線として表現される」場合、普通はこの2つの要素の間に「なにか世界がひっくり返ったと感じるような神秘的な関係」など存在しないし、ありえない。

こういう場合に考えられるのは、単に「元々ひとつである全体現象を、代表的な2つのカテゴリーに分類した上で話を進めている」とか、「全体総量が決まっている現象において発生している2種類の結果が、相互に極端なパレート最適状態になっている」とか、「Xを算出するのに使ったのと全く同じ基礎データを、Yの算出時にも同時に使ってしまっているため、XとY、2つの数値同士にはもともと非常に強い相関が不可避的に存在している」とか、何かそういうハッキリした原因があって起きているだけのことだ。

被BABIPとDERの関係は、明らかに3番目のケース。
つまり、「2つの指標は、同じデータ群から出発して計算されているため、もともと非常に強い相関関係があるわけだが、それに気がつかない人がこれら2つの指標を比べてみたときには、2つの指標の間に『なにか偶然とはとても思えない、奇跡とでもいいたくなるほど強固な相関関係を発見できたように感じてしまう』という、ほぼ『錯覚』に近い現象」だと思う。

わかりづらいと思うので、たとえ話をしよう。

たとえば、人類全体に占める「女性の割合をX」、「男性の割合をY」、どちらにも属さないひとを定数Rとする。この場合、(男性の割合X+女性の割合Y)は、0.998とか、常に一定の数値になることは、誰にでもわかるはず。こういうXとYの関係をグラフで表現すると「右下がりの直線」にしかならない。
この場合、XとYが意味するのは、「人間」というもともとひとつだった全体現象を、「性別という視点」で2つのカテゴリーに分類してみただけの「分類ラベル」であって、(X+Y)は常に一定数値になるのが当たり前なのだ。これは神秘でもなんでもない。
そんな「いじりようがないデータ」を出発点にして、突然思考の落とし穴にはまって、いったい自分が男として(あるいは女として)生まれたことが「偶然」なのか、「必然」なのかを考え出したとしても、いくら必死に考えたところで結論など出るわけがない(笑)


もう少し別の角度から考えてみる。
いまたとえば、投手が打者に投げたボールをバッターが打ち、ボールがフィールドに飛んだとする。(つまり、四球でも、三振でもなく、またエラーは全体からみれば無視できるほど小さいとする)
変数X=野手が守備によって打球をアウトにした割合
変数Y=打球がヒットになった割合 (ホームラン除く)
定数R=ホームラン

注:変数XをDER、変数Yを被BABIPと、頭の中で置き換えてみてもらってもかまわない。

ホームランが出る確率をほぼ2%くらいの定数とみると、「ヒットになる確率Y」は、係数aを使って Y=1−(aX+0.02)みたいな単純な式として簡単に表現され、XとYの関係は「右下がりの直線」として非常に単純にグラフ化される。もしアウトになる割合が30%くらいの数値になるなら、ヒットになる割合は自然と70%くらいの数値に落ち着くことになるのは当然の話だ。

この場合、ヒットになる確率Yに、どのくらい偶然性が含まれるかを考える議論は、単に人類を男と女に分類していたときに、ふと自分はなぜ男に生まれてきたのか?と考え出して思考停止してしまう落とし穴現象と同じで、数式自体の意味とはまったく別の場所に存在している。
この数式自体が示しているのは、単に、「フィールドに飛んだ打球」というひとつの現象を、「現象X=守備によるアウト」と「現象Y=ヒットの発生」、2つのラベルに分類してみました、というシンプルな意味でしかない。

ただ、そのシンプルさは、野球というゲームのレベルの低さを意味するのではなくて、こういう単純さ、シンプルさこそ、野球というゲームの本質であり、野球のタクティクスの面白さのルーツになっていることを教えてくれる。
「バッテリーが、野手が守っていないところに打球がいかないように配球する」、「野手が、打球がいきそうな場所で守る」、「打者が、その場面で野手がいない場所に打球を打とうとする」、「野手が、誰も守っていない場所に飛んだ打球に、できる限り早く追いつこうとする」などなど。どれもこれも数字マニアが新たな指標を作る動機になりうる基本タクティクスだ。
こうした基本戦略は、複雑に表現しようと思えばいくらでも細分化できるし、細分化の過程で「指標とやら」をいくらでも発明できる(笑)たいていは、いつのまにか指標同士こんがらがって、出発点がどこだったかを忘れてしまい、ひょんなことから同じデータから計算した別の指標同士を比べて、同じデータから計算した双子の指標なのだから似ていて当たり前なのに、それを忘れて、世界の神秘を発見したような錯覚をおぼえたりする(笑)
だが、元を正せば、出発点は常に単純明快で、野球が「守備するプレーヤーがいるところに飛んだ打球はアウトであり、そうでないのがヒット」というシンプルな原則から出発している。


そもそも野球というゲームにおける「ヒット」について、「偶然性を100%排除して、完全に意図されたヒットだけを抽出し、それだけをヒットと呼びたい」と自分勝手に望むことは、なにかと押し付けがましいデータマニアがたいていたどり着く、単なる「個人的願望」でしかない。
個人レベルで何を考え、何を望もうとそれは自由だが、そういう「個人的願望」が、野球という歴史的ゲームの本質をまったく何も左右しないし、左右できもしないことや、野球の本質とは何の繋がりも持たないことくらい、いい加減にわかってもらわないと困る。
なのに、どうも最近、日米問わずだが、自分の「個人的願望」を、野球というゲームの本質と勝手に取り違えて発言している人が、あまりにも多い。日本人もアメリカ人も含め、いい加減、自分の考えを他人に押し付ける「計算ごっこ」が無価値なことくらい、わかってもよさそうなものだ。


これは卑下でもなんでもなくて言うのだが、野球におけるヒットの定義とは、もともと本質的には「フィールド上で、守備プレーヤーのいない場所に飛んだ打球」というくらいの意味しかもたされていない。つまり、「守備によってアウトにできないものを、ヒットといってみただけ」なのだ。「Xでない」と相対的に定義されたものに対して、いくら絶対的定義を求めようとしても、その作業は最初から無意味だ。

言い方を変えてみる。
ひとつのイニングに打っていいヒットの数には、上限はない。何十本ヒットを打とうが、かまわない。なぜなら、「イニングとは3つのアウトになるまでのプレーとして定義されている」のであって、「ヒットの数で定義されているわけではない」からだ。単純な話だ。
ここで頭に入れておかなければいけないのは、「アウトという存在が、いかに絶対的であるか」ということだ。
アウトになる行為は3つまでしか許されない。だが、ヒットはいくらでも、好きなだけオーケーで、「アウトでないもの」はいくら数多く存在していても大丈夫なのだ。そして、守備プレーヤーがアウトに「できる」確率から相対的に、守備プレーヤーがアウトに「できない」確率が計算でき、その大半がヒットと呼ばれる現象になる。
だからこそ、ヒットがどのくらい偶然に生まれるかが気になってしかたがない神経質すぎる人間が、いくらヒットの偶然性をゼロにできる数式をあみだそうと必死になっても、光の速度を誰も越えられないことをアインシュタインが相対性原理で証明してみせたように、そんな数式はもともとこの世のどこにも存在しないのだ。

アウトの絶対性から副次的に定義されるヒットは、アウトの絶対性を越えることは絶対にない」。野球においてこれまで誰も証明しなかったことだが、この記事でここまで書いてきた内容でほぼ証明が終わったように思う。


こんな単純な話がわからない人は
「野球盤」を思い出してみればいい。

フィールドに守備の選手が一定間隔を置いて並んでいる。守備の選手がいるところに打球が飛べば、その打球が、どんなに遠くに飛ぼうが、どんなにきわどいライン際に飛ぼうが、どんなに強烈なライナーが飛ぼうが、そこに守備の選手がいさえすれば、エラーでもしないかぎり、それは単純に「アウト」なのだ
つまり守備するプレーヤーがいるところに飛んだ打球がアウトであり、ヒットの本質とは、アウトにできない打球を放つこと、つまり、「守備でアウトにできない場所に打球が飛ぶこと」なのだ。
例えば、左打者と対戦しているピッチャーにインコースいっぱいだけを
投げさせ、同時に、ライトを守っているプレーヤーをライン上に立たせるとする。バッターがいくらライン際に強烈なライナーを打ったとしても、その打球は、普通ならツーベースヒットかスリーベースヒットだが、実際には「よくあるアウトのひとつ」になるだけのことだ。これは偶然でもなんでもない。
これはイチロー封じを目的に、かつてエンゼルスのマイク・ソーシア監督が実際のゲームでとった守備戦略だ。「守備している場所に打球を打たせる」戦略は、「アウトとは、守備プレーヤーがいるところに打球が飛ぶことだ」という「野球の本質」にダイレクトに根付いている。さすがソーシア。素晴らしい。


そして、「アウトでないもの」の成分は必ずしも偶然性100%ではない。なぜなら、「アウト」がかなりの部分で絶対的な成分でできている以上、「アウトでないもの」にも、かなりの絶対性がつきまとうはずだからだ。打球の質に絶対性が存在しないのは、例えば守備するプレーヤーがアウトにできる確率の問題があるからであって、運とは関係ない。
物事すべて単純化してからでしか思考を始められないような人が、アウト=必然だからといって、ヒット=偶然、そして(アウト+ヒット+ホームラン)=野球、とか、遠くに飛んだ打球だけが本物のヒットだとか、ミトコンドリア並みに単細胞なオツムで単純化しないとモノを考えられないのは勝手だが、その恥ずかしい子供じみた、間違った考えを、他人に押し付けるだけでなく、他人も自分と同じように考えるべきだ、自分だけは正しいと勝手に決め付けるのは、単なる馬鹿だ。

実際に野球の現場で起こっているのは
守備するプレーヤーのいる場所に飛んだ打球+守備のいない場所に飛んだ打球=野球
というシンプルな図式のゲームで、この図式は野球ができたときから変わってない。
「バッターがアウトになるのは、偶然か、必然か」など、考えたければ勝手にどうぞ(笑)いくら統計のチカラで歴史から逸脱できたつもりの計算馬鹿が、数字に溺れて死にかけたとしても、野球がもともと持っているシンプルなルールは何も変わらない。こんなシンプルなルールすら織り込めない計算などに、たいした意味などない。






damejima at 12:27

May 04, 2011

長年問題になっていながら改善されていないシアトルのチーム体質の大問題といえば、打線でいうなら、「OBP(On-base percentage)=出塁率の低さ」、これに尽きていた。 (もちろん問題は出塁率以外にも、長打力の無さなど、言い出したらきりがないくらいある。いまだに欠陥だらけの打線なのは間違いない。低すぎる長打と得点力を、四球と犠打でかろうじて補っているのが現状だ)

ダメ捕手城島も含め、ビル・バベシ時代に積極的に獲得しまくっていた右のフリースインガーたちは、ベタンコートロペスベルトレ、誰も彼も、四球を選ばず、好機で三振ばかりするような、シチュエーション・バッティングが死ぬほど苦手な打者ばかりだった。あんなパークファクターにそむいているような打者ばかり獲得していてはチームが強くなるはずもない。
だが、ここ数年のシアトルの異常な出塁率の低さをバベシだけのせいだと思っている人もいるかもしれないが、バベシの時代の選手を次々にクビにしていっているズレンシックがGMになって、守備しかできない選手ばかり獲った2010年の打撃スタッツは、バベシ時代よりずっと酷い
2010年の出塁率などは、なんと.298と、3割を切ってしまい、イチローの打率を下回ってしまったほどで、ついにはチーム歴代最低出塁率を記録した。
しかも、である。
同時にチーム歴代シーズン最多三振数(1184三振)、チーム歴代1ゲームあたりの三振数(7.31三振)と、2つもチームワースト記録を更新しているのである。
なにもバベシだけがアホウだったわけではない。 

シアトルのシーズン歴代最低出塁率
2010年 .298
1983年 .301
1980年 .308
参考)チーム最高出塁率
    1996年 .366
    2000年 .361
    2001年 .360
1996年、エドガー・マルチネスはOBP.464を記録。(彼のキャリアハイは前年95年の.479) 2000年は、Aロッド、エドガーの2人がOBP.420越えを果たし、チームは歴代最高四球数775を記録。2001年はイチロー入団、優勝。

シアトルのシーズン最多三振数
2010年 1184 グティエレス137、フィギンズ114。
1986年 1148
1997年 1110
参考)チーム最小三振数
    1981年 553
    1994年 652
    1978年 702

ちなみにエドガー・マルチネスの通算出塁率は.4178。ゆうゆう4割を越えている。
この通算出塁率4割以上(3000打席以上)というレコードは、長いMLBの歴史でもたった61人しか達成していない大記録で、しかも、歴代1位のテッド・ウィリアムス(4817)を含め大半のプレーヤーは第二次大戦前後以前の古い選手たちであり、近年のプレーヤーだけを抜き出すと、ほんのわずかしかいない。
近年の打者の中で四球数が異様に多いことで知られている典型的な待球型打者のボビー・アブレイユでさえ、通算出塁率はかろうじて.400に届いているにすぎない。
このことからして、エドガーの.4178という通算出塁率がいかに素晴らしい記録で、いかに彼が偉大なプレーヤーだったかが、あらためてよくわかる。

近年のプレーヤーのOBPランキング
(現役選手含む。カッコ内はステロイダー。
 ステロイダーに名誉は必要ない)
(1位 バリー・ボンズ .4443)
2位 アルバート・プーホールズ(現役)
3位 トッド・ヘルトン(現役)
4位 フランク・トーマス .4191
5位 エドガー・マルチネス .4178
6位 ウェイド・ボッグス .4150
(7位 マニー・ラミレス .4106)
8位 ランス・バークマン(現役)
9位 ジョー・マウアー(現役)
(10位 ジェイソン・ジオンビー(現役))


さて、
今年2011年のシアトルのバッティングはここまでどうか?

結論からいうと、残念ながら、劇的に改善されたとは、到底いえない。
SLG(長打率)は、あの最悪だった2010年すら超えて、チーム歴代最低の.334で、ア・リーグ13位だし、OPSはチーム歴代ワースト2位の.647、ア・リーグ13位と、なんとも酷いものだ。


しかしながら、あいかわらず酷い打線の2011年には、どういうわけか、ここまでア・リーグ1位をキープしている打撃スタッツがある。

それが四球である。


四球数は、ここまで116で、なんとア・リーグトップ。(2位はボストンの110、3位トロント109。最少は、ボルチモアの66)四球116個のうち、22個は、DHジャック・カストが稼ぎ出している。
また四球率 10.6%は、例年四球の多いボストンと並んでトップ。(最低はまたしてもボルチモアの7.0%)
さらにSO/BBは1.72で、これは、リーグ最高の三振率の低さを誇る非常に優れた打線をもつテキサスの1.70や、四球の多いスラッガーを常に打線に揃えているヤンキースの1.72に次いで、リーグ3位なのである。
最初に「低すぎる長打と得点力を、四球と犠打でかろうじて補っている」というのは、こういうことだ。


こうした四球数増加、待球型打線への変身の背景にあるのは、
どんな要因なのだろう。


まずひとついえるのは、シアトルの打者が、四球になるかならないかはともかく、非常にたくさんの球を投手に投げさせていることだ。
チーム別に、対戦相手の投手に何球投げさせたか、という数字を、Baseball Referenceのデータで見てみよう。
資料:2011 American League Pitches Batting - Baseball-Reference.com

ア・リーグ チーム別 総ピッチ数
1位 シアトル 4424
2位 カンザスシティ 4256
3位 デトロイト 4224
(最少 ボルチモア 3577)

ア・リーグ チーム別 Pit/PA(打席あたりピッチ数)
1位 シアトル 4.03
2位 ボストン 3.96
3位 デトロイト 3.90
(最少 ボルチモア 3577)

今年のシアトルはどうかしているんじゃないか?と思えるほど、投手に球数を投げさせていることがわかる。
打席あたりのピッチ数が4を越えたのは、この数年では2010年ボストンの4.02くらいしかなく、近年にはほとんど前例がない。ボストンは毎年このPit/PAがア・リーグ1,2を争っている典型的な待球型打線のチームなのだが、シアトルは突然そういうチームに肩を並べたことになる。



上のデータは、素晴らしいデータの充実ぶりで知られているBaseball Referenceだが、この「チーム別データ」というやつ、なかなか見ていて飽きないだけでなく、配球論の観点からも、非常に有益で重要なデータを含んでいる

たとえば、投球数全体におけるストライク率は、強いチームであろうと、弱いチームであろうと、60%から64%の一定の範囲におさまっている。
これは、MLBで配球の理想配分といわれる「ストライク2に対して、ボール1」という割合が、MLBのほとんどのチームにおいてきっちりと守られていることを示している。
どんなに素晴らしいピッチングスタッフが揃った強豪チームであれ、逆に、先発投手の貧弱さに泣いている投手力の貧弱なチームであれ、配球の上でのストライク・ボールの配分には、ほとんど大差ない、のである。

別の言い方をすると、
四球が多いとか少ないという話には、どうも、投手側のボールコントロールのファクターの影響は少ないのではないか?」という推論が成り立つかもしれない、ということだ。


これは非常に面白い。
ちょっと強引にまとめると、こういうことになる。

1) 投手の投げる球がボールになる割合、というものは、そのチームの投手力にあまり左右されることなく、どんなチームであっても一定の狭い割合の中におさまる。ストライク2に対してボール1という配球理論が、MLBではかなりきちんと守られている。
2) したがって、いくら投手力の弱いチームとの対戦だからといっても、それが理由で、ボールになる球が非常にたくさん増えて、その結果、四球数が異常に増えるとか、四球によるランナーがたくさん出せるとかいうことには、ならないことになる。

と、なると。
問題は、いったいどういうファクターが四球数を増やすのか?ということになってくる。投手側に理由がなければ、打者側に何か理由があるのだろうか。


同じBaseball Referenceから、ちょっとこういうデータを見てもらおう。
3-0、2-0、3-1という、いかにも「四球になりそうな、打者有利なカウント」の、チーム別の出現データである。

カウント 3-0の出現割合(全打席あたり)
最高 6%(NYY、CWS)
最低 3%(BAL)
リーグ平均 5%(=2010年と同じ)
シアトル 5%(=2010年と同じ)

カウント 2-0
最高 17%(NYY、CLE)
最低 11%(BAL)
リーグ平均 15%(=2010年と同じ)
シアトル 16%(2010年の14%から、やや増加)

カウント 3-1
最高 11%(CLE、SEA、LAA、TEX)
最低 7%(BAL)
リーグ平均 9%(=2010年と同じ)
シアトル 11%(2010年の9%から、やや増加)

これらのデータからいえることをまとめてみる。

1) 2011年のシアトルは、四球になりそうなカウントシチュエーションが、他のチームに比べて異常に突出して多くなっているわけではない
2) したがって、2011年のシアトルの四球数の増加や、打席あたりのピッチ数の大幅な増加は、対戦相手の投手があまりにも調子が悪いとか、あまりにもコントロールの悪い投手との対戦が多かったことなどが原因して、シアトルにだけ「四球になりそうなカウント」が増えた結果、シアトルの四球数が増加したとは言えない。
3) とはいえ、3-0のカウントシチュエーションは増えていないが、2-0、3-1は、多少だが、増えている


この表には他にもたくさんのデータがのっている。
ストライクを見逃した率、ストライクを振った率、ストライクをファールした率、初球を振った率、見逃し三振率。
これらのデータの中に、今シーズンのシアトルの四球数が急増した理由があるだろうか? つまり、「初球から振るのを止めた」とか、「見逃しの三振が減った」とか、「ファールするのがうまくなった」とか、シアトルの打者のバッティングの傾向がよほど変わったと明瞭にわかるデータが、ここにあるだろうか?

2010年と2011年の数値を比較してみる。

ストライクを見逃した率 → 変化なし
2010年 28%(リーグ平均28%)
2011年 28%(リーグ平均28%)

ストライクを振った率 → 変化なし
2010年 15%(リーグ平均14%)
2011年 15%(リーグ平均14%)

ストライクをファールした率 → 変化なし
2010年 28%(リーグ平均27%)
2011年 28%(リーグ平均27%)

初球を振った率 → 変化なし
2010年 26%(リーグ平均26%)
2011年 26%(リーグ平均26%)

見逃し三振率 → 増加
2010年 25%(リーグ平均26%)
2011年 29%(リーグ平均26%)


困ったことに、2010年と2011年のデータの間にほとんど変化が見られない。初球をスイングせずに我慢しているわけでもなく、ストライクを見逃す率が急激に改善したわけでもなく、三振をファールで逃れる率が突然上がったわけでもないらしいのだ。

困った(笑)


あらためて、四球になりやすいカウントのデータに戻って、2010年と2011年をしつこく比較してみる。

3-0でスイングした数
2010年 7(リーグ12位)
2011年 9(リーグ1位

2-0でスイングした数
2010年 348(リーグ7位)
2011年 65(リーグ5位)

3-1でスイングした数
2010年 296(リーグ7位)
2011年 78(リーグ1位


ようやく、2010年と2011年の違いのようなものが出てきた(笑)

ドン・ワカマツが監督をしていた2010年には、3-0、2-0、3-1といったシチュエーションでは、シアトルの打者はほとんどバットをスイングしなかった。
それに対し、今年2011年のシアトルの打者は、こうした「四球が生まれやすいカウント」で、リーグ1位といっていいくらい、バットを振ってくる。これが、エリック・ウェッジ監督就任以降のシアトルの打者だ。


四球を選ぶ率を高める方法、あるいは、四球をよく選ぶ打者、というと、野球をあまり見ない人であれ、よく見る人であれ、「要は、バットを他の打者より振らないから四球を多く選ぶ打者のことだろ?」とか、思われがちだ。
だが、実際には、
四球というのは、ただ漫然とバットを持ってバッターボックスの中に立っているだけで、自動的にもらえる、タダ同然の安上がりなプレゼントなどではないのだ。


結論を先に言うと、
投手が、対戦している打者のことを、『いざとなったらカウント3-1だろうと、2-0だろうと、必ずバットを振ってくる打者だ』と思うからこそ、かえって四球は増える。
逆に、『この打者はバットを振ってこない、待球してくる』とバレてしまう打者は、実は投手にとってまったく怖くない」
のである。


たとえば、待球打者の典型ボビー・アブレイユの2011年のカウント別データを見てみよう。(2011年5月2日現在)
2011 American League Pitches Batting - Baseball-Reference.com

初球を振る率 5% リーグ最小

カウント3-0の出現率 16% リーグ最多
カウント2-0の出現率 27% リーグ最多
カウント3-1の出現率 25% リーグ最多

カウント3-0でスイングした回数 0回
カウント2-0でスイングした回数 9回
カウント3-1でスイングした回数 14回(リーグ1位)

ア・リーグで最も多くの打者有利カウントを出現させる典型的待球打者ボビー・アブレイユが、「ア・リーグで最も初球を振らない打者」であり、また、「カウント3-0で、最もスイングしない打者」なのは、まぁ、誰でも想像するとおりのデータだ。

だが逆に、そのアブレイユが同時に「ア・リーグで、カウント3-1で最もスイングしてくる打者だ」という事実は、ほとんど知られていない。
今年の彼のカウント3-1以降、つまり、スタッツでいうAfter 3-1の打撃成績は、84打席で、45打数12安打39四球、打率.607(2011年5月2日現在)というのだから、なんともすさまじい。このカウントで荒稼ぎしているといっていい。
Bobby Abreu 2011 Batting Splits - Baseball-Reference.com

初球からスイングしてくる打者の多いMLBだが、選球眼が良く、四球が選べるボビー・アブレイユにとっての「稼ぎ場所」は、他人とまったく違う。
「打者有利な、遅いカウント」にこそ、彼の「稼ぎ場所」がある

だからクレバーな彼は、「もし初球が、自分がスイングしようと思わない球種やコースであるなら、無理に振って凡退するような馬鹿なことはしない」のはもちろんだが、また同時に、「カウントが、3-1、2-0のように、打者有利なカウントになっていて、投手がカウントを稼ぐために甘い球を投げてきているのに、それをスイングしないで呆然と見逃すような、馬鹿な真似はしない」のである。


ボビー・アブレイユのこうしたカウント別バッティングのスタイルは、極端なようだが、非常によく計算され、彼独自のスタイルに仕上がっている。
だが、こうした打撃コンセプトは、彼だけが実行しているわけではなく、ミネソタの待球型打者ジョー・マウアーや、シアトルのDHジャック・カストにも、ほぼそっくりそのままあてはまる。
カストが、今年のシアトルの四球数の多さを牽引している四球王であることは言うまでもない (打率がもっと上がってくるといいのだけれども 笑)。
Seattle Mariners 2011 Batting / Hitting Statistics - ESPN


アブレイユやカストは、四球を目的にバットを振るのを控えるような、無意味なことはしない。むしろ「打者有利なカウント」になれば、必ずといっていいほど、バットを強振してくる。(そしてボール球は振らない)
この「アイツ、打者有利なカウントになったら、まず間違いなくストライクをスイングしてくるぞ・・・」という恐怖感を投手に持たせることこそが、いまのシアトルや、ボビー・アブレイユの四球数、出塁率の高さの原動力のひとつになっているのだと思う。


四球が生まれる原因は、投手側の技術的理由ではないだろう。
投手がボール球ばかり投げるから、四球が増え、打者の出塁率が上がるわけではけしてない。
どんな投手であっても、そこはそれ、MLBのメジャーに上がってこれるような選手たちだ。イザとなれば打者をうちとるボールくらい、誰でも持っている。でなければ、メジャーに上がってはこれなかったはずだ。投手の技術は、本来は安定しているものだ。
投手側の理由ではなく、打者側が、ベースボールという「打者と投手との心理ゲーム」における駆け引きに勝ってこそ、投手のもともと安定している技術に「乱れ」や「迷い」を生じさせたり、投手・キャッチャー・ベンチに「打者有利なカウントでの、このバッターとの勝負だけは避けておこう」と「弱気」にさせることができてはじめて、打者は投手との勝負を優勢に持ち込むことができ、出塁率が上がる。

逆説的なようだが、単純な話で、バットを持って打席に立っているだけで四球は生まれきたりしない。
もちろん、バベシ時代のシアトルのように、ただただ、何も考えずに早いカウントからやみくもにバットを振るとか、逆に、守備型の選手ばかりを揃えて、スイングするのを無理に控えさせて消極的になるだけでは、どちらも結局、出塁にはつながらない。


極端な言い方をすれば、
スイングするから四球になる
弱気になったら、負ける。
技術もないのに強気なのは、馬鹿だ。
技術があるのに弱気なプレーヤーは、もったいない。
技術かあるなら自信を持つべきだ。


野球はやっぱり、本当に面白い。








damejima at 04:09

February 25, 2011

500個の四球が350本のヒットに相当する、というセイバー流の試算から、四球をヒットに換算する行為を「愚かしい」と感じる理由をいくつか書き留めて残しておこうと思う。
打率.280の打者でも沢山の四球を選んだ打者の成績は「四球を全部ヒットに換算すると打率.320くらいに相当する」とかいう「アナリストの視線からの発想」は、ブログ主に言わせば、あまりにも貧相だし、ベースボール的でない。


(1)数式と現実の混同

まず言いたいのは、「A=B」だからといって、「AとBの互換性、可逆性を完全に想定してはいけない」のが、現実世界というものだ、ということだ。

たとえば、数式で「A=B」という等式が成立したとする。

しかし、そのことは、現実の世界において、現象Aと現象B、商品Aと商品Bの可逆性とか互換性を保証する根拠になどならない。現実の世界には、そういう例は数かぎりなくある。

例えば、世界的に非常に評価が低い通貨Aと、世界的に流通している強い通貨B、2つの通貨があり、両方の通貨の為替レートがあらかじめ「500A=350B」などと決まっているとしよう。
為替レートが決まっているのだから、この2つの通貨は世界のどこでも常に無限に交換できるか、というと、そうでもない。弱い通貨Aから基軸通貨Bへの換金は簡単でも、基軸通貨Bを弱い通貨Aに戻す行為が商取引で必ずしも歓迎されるとは限らない。

また化学反応で、物質Aと物質Bを化合させ、第三の物質Cができるとする。
この場合、いちど化合させてしまった物質Cを、簡単に元の物質Aと物質Bに戻せるとは限らない。たとえばプラスチックは石油からつくられるが、プラスチックを簡単に石油に回生できるわけではない。

つまり言いたいのは、A=B(あるいはA+B=Cでもいいのだが)とかいうような「ある条件の下で成立しているギミック」が存在するからといって、それが「AとBは、どんな条件でも常に等価であり、互換性が完全に保証されたものとして扱っていい」とか「世界のどこでも、BをAに常に換算していい保証になる」わけではないのである。

そもそも「500個の四球=350本のヒット」という考えかたの根は、そもそも「空論」であって、中身がない。根本にある思考方法が、あまりにもベースボールの現実から離れている。


(2)プレーヤー目線からみた「四球とヒットの大差」

さて、論理的なことはさておき、あなたは野球で打席に立ったことがあるだろうか。あるとしたら、あなたは四球とヒットを「同じもの」「同じ価値のプレー」と感じ、同じように実現できるだろうか? また、四球を選んだチームメイトと、ヒットを打ったチームメイトを、「同じ視線」でッ評価するだろうか?

「アナリスト目線」ではなく「プレーヤー目線」から見れば、「350本のヒットを打つ」という行為と、「500の四球を選ぶ」という2つの違った行為を相互に換算できないのは明らかだ。


ほとんどのMLBの打者は、早いカウントでの打率が高い。言い換えると、ヒットを多く打てるカウント、というのは、「早いカウント」なのがベースボールである。たとえそれが、選球眼が非常に良く、多くの四球を選ぶことで知られたヤンキース時代のボビー・アブレイユであろうと、2−2が得意カウントであるような特殊な待球型打者のひとりであるジョー・マウアーであろうと、例外ではない。
打者がヒットを打てる確率が高いのは、「早いカウント」である。
こういうとき、フルカウントのような追い詰められたカウントでも通算打率3割打ててしまうイチローを念頭に置いてはいけない。イチローのような打者は、もしかすると地球上の生物ではないかもしれない(笑)といっても過言でないほど例外中の例外の天才であり、ほとんど全ての打者は、「早いカウント」に比べて、「煮詰まったカウント」ではかなり打率が下がるのである。


何が言いたいかというと、ヒットを打つ行為の大半は早いカウントでの打者側のチャレンジ、冒険する行為であり、「バットを振るのを自重する行為である四球」とは、全く目的の異なる行為だ、という、ごくごく当たり前の話だ。


歴史的にも、ベースボールというゲームができた当初、ルールブックには「四球」というプレーは存在していない。
ベースボールができた当初、打者は、投手に対して「自分の打ちたいコース」を指定できたし、ボールは何球でも見逃してよかった。ベースボールは、塁に出て、やがてホームに帰ってくることを目的に出発したゲームなのであって、「四球を目的にしたゲーム」として出発してはいない。
ヒットは、ベースボールが出来た当初からあり、打席に入る「そもそもの目的」、ベースボールというゲームのゆるぎない「根幹プレー」である。だが、四球は、後日つけ加えられた蛇足的なルールであり、また、打席に入る「目的」ではなくて、「結果」に属する。

ヒットと四球、両者は、プレーのもつ「質」が、根本的に違う。

四球は「待つ行為」「プレーの自重」であり、ある意味「冒険の自重」だが、ヒットを狙ってバットを振ることは、ある種の「冒険」であり、「未知のフロンティアへの大いなる挑戦」である。
そしてファンは、プレーヤーのチャレンジを見に、スタジアムに足を運ぶのである。


(3)ファン目線からみた「四球とヒットの違い」

仮に、1シーズンで500も四球を選ぶ選手と、1シーズンに350本もヒットを打てる選手、2人の個性的な選手がいたとしよう。メジャーで打席数が常にトップになることの多いイチローでも、シーズン打席数は700ちょっとだから、500も四球を選ぶ選手の大半の打席は、四球による出塁ということになる。

問題にしたいのは、この年間500もの四球を選ぶ選手を見るために「わざわざスタジアムに行いつめる気持ちになれるかどうか」、だ。

ブログ主なら、500の四球を選ぶ選手より、1シーズンに350本のヒットを打つ選手のほうを見に行く。つまり、「ファン目線」から言うなら、500個の四球と350本のヒットは等価ではない、のである。



ここで3つほどポイントを書いてみて気づいたのは、「アナリスト目線」「数字だけからみた野球」が、必ずしも、「プレーヤー目線」でもなければ、「ファン目線」に立脚して野球をプランニングしているいない、という事実だった。
実は、このことに気づいたことが、ブログ主にとって、最も意味のあることだった。これ、単純なようだが、実はこれからのベースボールを考える上で、とても大事である。
そういえばMLBでも、数字に頼ったチームづくりに着手した結果、そのチームの野球が、色気もなく、味もそっけもなく、かといって強くもない、意味のわからないチームになってしまったチームが、いくつもある。彼らはいったい誰のため、何のために野球をやっているのだろうと思っていたが、その「味気無い野球」の原因は、こういうところにあったのか、と、ハタと膝を打ったのである。
プレーヤー目線でも、ファン目線でもない数字の野球は、やはり何か重要な部分が欠けるのである。

「数字」を扱う行為は、それが誰の目線から見たものか? というシンプルな論点が往々にして欠けている。
だが、ヒトはなかなかそのことに気づくことができない。そして、ヒトはすぐに数字に溺れ、数字に騙される。




ブログ主も、数字をいじること自体は好きなほうだし、
このブログでも、よく自分の主張を補強するために、言いたいことの意味を数字に置き換えるという手法で、数字を「主張の道具」にしている。
だが、それはあくまで主張を数字におきかえるだけの行為だ。まるで乾いた雑巾を無理矢理絞るように、既存の数式から更に考えられることを無理矢理引き出して、数式を主張にかえるような本末転倒なことはしない。

主張は数式に置き換えられる。だが、逆の「数式を主張にみせかける行為」は本末転倒で、愚劣だ。

近年のMLBは、球団経営だけでなく、選手の能力評価、その選手に与えるべきサラリーの計算、獲得すべき選手の選定、チーム編成、ゴールドグラブなど賞の選考基準に至るまで、セイバーメトリクスに代表されるような「数字」が非常に幅をきかせるような時代になってきていると思うわけだが、「数字好きの人々」が自重しなければいけないと強く思うのは、「四球数を無造作にヒット数に換算する」ようなデリカシーの無さと、自己中心的な姿勢だ。それは「数字いじり」で、ベースボールではない。

数字に、選手とファンへのリスペクトが欠けてはならない。
選手は、コンピューターゲームの中でプレーしているわけではなく、実際にフィールドでプレーでそれを実現している。また、ファンは日頃の生活の中に野球に対する興味を持続しつつ、時間とお金をさいてスタジアムに足を運び、お気に入りの選手やチームを応援する。
野球を支えているのは数字ではなく、プレーヤーとファンだ。その彼らに対する敬意やデリカシーがなければ、数字いじりは非常に愚かな作業になるとしかいいようがない。四球はヒットの65%の価値とみなす、とか、勝手に決められても、困る。

四球に価値がないと言いたいのではない。四球とヒットには、換算しきれない根本的な差異もあることを忘れて、数字だけいじくってメディアでモノを言われても困るのだ。スタジアムの現実とかけ離れすぎた数字に、意味などない。


(4)数字によるチームづくりの「勘違い」

ここからは蛇足。
例えば、シーズン40個のファインプレーができる守備の名手の価値が、年間に180本のヒットを打てる選手の価値ど同等とみなせる、というデータが仮にあったとしよう。

では、だとしたら、チームは、40個のファインプレーが期待できるが、打率がたったの.200しかない選手に、年間180本ヒットを打つ打者と同じサラリーを払うのか? また、チームに守備の名手を9人揃えて野球をやれば、それは180ヒット×9人=1620本のヒットに相当するから、間違いなくチームは地区優勝できるのか?

そんなわけがない。

堅い守備に価値がないというのではない。数字に埋没した「内輪ウケのアナリスト目線」だけに頼って、ベースボールをやろうとするな、ということだ。

たとえ、500個の四球が350本のヒットに相当するデータがあったとしても、500個の四球を選ぶバッターが、350本のヒットを打てるバッターと同じサラリーをもらえるようなおかしな事態を、ブログ主は望まない。

まるで異なる通貨同士の為替レートを決めるように、四球とヒット、守備と攻撃の間の「換算レート」をいくら決めても、そんなものにたいして意味はないのである。
数字を扱うのはいい。だが、その数字が、「プレーヤーと、ファン、そしてベースボールというゲームにとって、意味のあるもの」でなければ、それはベースボールをつまらなくするだけのガラクタだ

カロリーばかり気にしてメシを食っても、ちっともメシはうまくならない。大事なのはカロリーを気にしなくてすむ代謝のいいカラダづくりなはずだが、カロリー(数字)ばかり気にする人に限ってデブ(カラダを動かさない人間)だったりする。

そしてブログ主はデブが大嫌いだ。






damejima at 06:30

February 19, 2011

大事なのは、野球そのもので、数字などではない。

たしかに数字という道具は便利だ。「野球の見えづらい部分に、より正確にピントをあわせるためのメガネ」や、「自分なりに野球を測定するための定規」、「野球を別の角度から見るための双眼鏡」になってくれたりする。
だが、忘れてならないと思うのは、どこまでいっても「メガネや定規は、野球そのものではない」ことだ。ボールはバットでなら打てるが、定規では打てない。


いままで、こういう当たり前のことは、誰かが説明しなくてもハッキリしていた「はず」だった。
だが、これだけ数字が幅をきかせる時代になってくると、いつのまにやら「数字をいじくること」が、ヒットを打つことと同等だとか、それより偉いとか、大きな勘違いをするようにもなってくる。人間ってのは、ほんとうにそういう「心の弱い動物」で、困ったものだ。


数字という「メガネ」をかけてモノを見ることに慣れると、いつのまにか「裸眼」で野球を見れなくなってしまう。

そうすると、もう、その人の「目」はダメだ。

「メガネをかけ続けるようになって、目をダメにした人」の意見は、時代を牽引しない。むしろ、発展にフタをして、成長に邪魔をするようになる。(もちろん、ここで言いたいのは、「たとえばなし」である。メガネをかけた人たちを差別しているわけではない)



イチロー好きなスポーツライターJoe Poznanskiは、数字だけにとらわれないライターだとは思っているし、好感をもっている。
だが、だ。「500の四球は、350本のヒットに相当する」なんていう雑すぎる論点から、「打率.280で四球をたくさん選んだバッターは、打率.320のバッターに匹敵する」なんてことを軽々しく、公共の場(この場合はSI.com)に書いてはいけない。
たまにはJoe Poznanskiも「メガネ」をはずしてみるべきだろう。師匠のビル・ジェームズのような「Fielding Bibleの投票で、ロクにゲームに出てないのに、自分のお気に入りの選手だからという、くだらない理由だけでジャック・ウィルソンに高い点数を入れてしまうほど、耄碌したメガネ親父」のことなど忘れて野球を見るべきだ。
Joe Posnanski » Posts Trading 500 for 325 «


ブログ主は複数の理由から
500個の四球が、350本のヒットと「同じもの」だ、「同等」だ、
なんて思ったことは、一度たりとも、ない。四球はヒットとは根本的に違う性格のプレーである。

数字は、ヒットを打ったり、カーブを投げたりはしない。ヒットを打つのはバッターで、カーブを投げるのはピッチャーの仕事である。数字は、盗塁したり、ファインプレーしたりもしない。
数字も、数字を扱う人も、ヒットを打つことより偉くなんかない。


打率.280あたりで四球をたくさん選んだバッターは、打率.320のバッターにも匹敵する、なんて与太話は、「メガネ親父の好きな、つまらない『数字の上のお遊び』」だということくらい、瞬時に見抜けなくてはいけない。
こういうくだらないギミックは毎日のようにメディアに大量に流布され続けているわけだが、こういうのを見ても、まるで疑問も抱かず、即座にうなづいてしまうほどアタマが弱ったら、ブログ主は野球ブログなんてやめたほうがマシだと思っている。






damejima at 06:14

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