3000安打、安打記録、野球殿堂
● 2016年7月29日、イチローのロケットスローでアウトになったコルテン・ウォンの「非凡すぎる走塁死の歴史」。
● 2016年7月28日、「ライト前ツーベース」の攻守における意義。イチローシフトをかいくぐった2998安打からわかる、「セントルイスの強さ」と「現代野球におけるライトの守備の重要さ」。
● 2016年7月26日、イチロー vs フィリー 「3000安打 全力阻止シフト」。3000安打目前のイチローから長打2本を奪い去ったピーター・ボージャスへの拍手。「他チームのセンターには手を出すな」という負の法則。
● 2016年6月13日、ピート・ローズの弱弱しい反撃と、Cut4のくだらない3504本という予測をへし折っておくための4つのツイート、プラス1。
● 2016年4月27日、「手打ち」と「イチロー」の違い。MLB通算2943安打にみる今シーズンのイチローのコンタクト率が異常に高い理由。
● 2014年9月28日、2012年9月に書いた「3000安打達成者予報」を、2014年9月版に修正する。
● 2014年7月11日、40歳以上で打率3割を記録した10人のリストと、はるかなる3000安打への道。
● 2013年6月25日、もし2001年新人王の2人が同時に殿堂入りを果たすと、「1977年のエディ・マレー、アンドレ・ドーソン以来」という話から、「新人王の才能が、殿堂入り選手クラスに育つほどの開花をみせるために必要な何か」を考える。
● 2013年6月4日、イチロー・スーパーカウントダウン(1)MLB通算2654安打目の先制タイムリーを放ち、テッド・ウィリアムズの記録に並ぶ。
● 2012年9月28日、3000安打達成のための「38歳」という最初の壁。これからのイチローの数シーズンが持つ、はかりしれない価値。次の3000安打達成者予報。
● 2011年10月16日、3000本安打を達成する方法(4) 第2グループ「ピート・ローズ型」にみる、果てしなき欲望の旅。
● 2011年9月28日、3000本安打を達成する方法(3) 第1グループ「カール・ヤストレムスキー型」にみる、身体の丈夫さと、フランチャイズ・プレーヤーであることによる「幸福な長いキャリア」
● 2011年9月28日、3000本安打を達成する方法(2) 3000本安打達成者の「3つのタイプ」
● 2011年9月26日、3000本安打を達成する方法(1) 4打数1安打ではなぜ達成不可能なのか。達成可能な選手は、実はキャリア序盤に既に振り分けが終わってしまうのが、3000本安打という偉業。
● 2011年1月7日、名GMパット・ギリック氏と、彼のお気に入りの名二塁手ロベルト・アロマーの同時殿堂入り。そしてイチロー。
August 09, 2016
3000安打を目前にしていたイチローが、2016年7月末に、抜けていればおそらく三塁打だっただろうという「2本の長打」を、フィラデルフィアのライト、ピーター・ボージャスの好プレーと守備シフトに阻まれたことは、以下の記事に書いた。
2016年7月26日、イチロー vs フィリー 「3000安打 全力阻止シフト」。3000安打目前のイチローから長打2本を奪い去ったピーター・ボージャスへの拍手。「他チームのセンターには手を出すな」という負の法則。 | Damejima's HARDBALL
イチローのMLB3000安打達成が、野茂さんがかつてノーヒット・ノーランを達成したクアーズで、それも、ホームランではなく、三塁打だったことは、昔から「三塁打こそ野球の華」と思ってきた自分にとって非常に嬉しいことだったのはもちろん、信貴山縁起ではないが、野球というスポーツにはやはり何か「縁のつながり」のようなものがあることを感じたのだ。
3000本が三塁打ってとこに因縁を感じる。2本阻止されてた三塁打がやっと出た。福本さん抜いて、イチローが日本イチの116三塁打。おめでとう #Ichiro3000 #Ichiro116
— damejima (@damejima) 2016年8月7日
イチローと縁のあるHOFポール・モリターの3000安打達成が「三塁打」だったことは日米のメディアがさんざん伝えたわけだが、同じく忘れてもらっては困るのは、日本の「三塁打王」福本豊さん(イチローの116本は日米通算だから、記録上は今も福本さんが日本の三塁打王)は「通算2543安打」で引退なさっているわけだが、その福本さんの節目となった2500安打も、イチローの3000安打達成と同じ、「三塁打」だったことだ。
他にもある。
福本豊さんが「最後の三塁打」を打ったのは「1988年4月8日」の近鉄バファローズ戦5回裏(投手:阿波野秀幸 場所:阪急西宮球場)だが、この1988年というのは、いうまでもなく阪急ブレーブスという球団の最終年でもあった。
この球団の衣鉢を受け継いだのはいうまでもなく今のオリックスであり、そのオリックスの黄金期を作った仰木彬さんが育てたのがイチローなのだから、簡単にいえば福本さんとイチローという2人の「三塁打王」は、球団史的にも「先輩後輩の間柄」にあるわけだ。
さらにいえば、日本プロ野球の「三塁打史」には福本豊さんだけでなく、他にも何人かの阪急ブレーブスの選手が登場する。
例えば、1936年に阪急で「3イニング連続 かつ 3打席連続 三塁打」という、日本プロ野球における唯一無二の三塁打記録を樹立したのは、ハワイ出身で、日本プロ野球「最初の外国人選手」にして、柴田勲に先立つ「スイッチヒッター第1号」でもあった堀尾文人(ジミー堀尾)だ。
堀尾は、プロデビューとなった大日本東京野球倶楽部(=後の巨人)の一員として、沢村栄治やスタルヒンなどとともに1935年の第一回アメリカ遠征に参加していることからもわかるように、草創期の日本野球の第一人者のひとりで、かのBaseball Referenceにも経歴紹介ページがあるほどの選手だ。
ちなみに、当時メジャーデビューの夢を持っていた堀尾は、1936年にパシフィックコースト・リーグのシアトル・インディアンスの入団テストを受けるなどしたが、メジャーデビューの夢はかなわなかった。(1949年に42歳で病没)
Jimmy Horio - BR Bullpen
後列右端が堀尾文人。後列左端から2人目が沢村栄治。前列左端がスタルヒン。Photo courtesy of the City of Vancouver Archives, photographer Stuart Thomas
また、1948年11月1日に「1試合3本の三塁打」という珍しい記録を持っていた川合幸三も、阪急ブレーブスの選手だ。(おまけに川合幸三はイチローと同じ愛知県出身の選手)
こうした「阪急ブレーブスと三塁打」の関係はけして偶然ではない。
プロ野球で1シーズンのチーム最多三塁打の日本記録を持っているのが、ほかならぬ、阪急ブレーブス(66本 1955年)であり、「3者連続三塁打」などという珍しい記録が生まれたのも、同じ「1955年の阪急」(河野旭輝、原田孝一、バルボンで記録。他に1987年ヤクルト、1990年阪神)であり、とにかく「福本豊さんが入団するはるか前から、阪急というチームは、1955年はじめ、神がかったかのごとく三塁打を打ちまくってきた『三塁打の王国』だった」のである。
こうして「三塁打王国の歴史」を追ってみると、むしろピーター・ボージャスがイチローの長打性のライナー2つを捕ってくれていなければ、「ちょうど3000安打で三塁打を打ったイチローが、ちょうど2500安打で三塁打を打った福本豊さんの三塁打記録を抜く」なんていう「劇的展開」にはならなかった気もしてくるわけで(笑)、ボージャスにはむしろ感謝しなくてはならない(笑)ありがとう、ピーター。
いうまでもなくイチローの3000安打という記録は「MLBデビュー後の記録」であり、たったの16シーズンでその大記録を達成できてしまったイチローは「天才」以外の何物でもない。
以前書いたように、イチローがこれほど短い間に3000安打を達成できたのは、「1番打者だったために打席数が多かった」のが理由ではない。それはただの「いいがかり」にすぎない。
2015年8月24日、「ヒット1本あたりの打席数」ランキングでみれば、イチローの通算ヒット数の多さは「打順が1番だから」ではなく、むしろピート・ローズの安打数こそ単なる「打数の多さによるもの」に過ぎない。 | Damejima's HARDBALL
だが一方でイチローの「通算三塁打116本」という記録は、3000安打と違って「イチローが日本でプロデビューして以来の、すべての三塁打の数」なわけだから、「試合数がMLBよりはるかに少ない日本の野球環境の中で、通算115本もの三塁打を打った福本豊さんの「三塁打王としての能力」がいかに凄いか、あらためて驚かされる。
通算打席数/通算三塁打数
イチロー 約122打席(NPB+MLBの打席数で計算)
福本豊 約88打席
いずれにしても、三塁打王国・阪急ブレーブスから、福本豊さん、オリックス、そしていまイチローへと、「三塁打王」の「王冠」が無事受け継がれたことを喜びたい。
Ichiro 's 3000th
— Daren Willman (@darenw) 2016年8月7日
92.6 MPH
Home to 3rd: 12.6 seconds pic.twitter.com/EJNqwNLzup
Congratulations to Ichiro on being named NL Co-Player of the Week! #Ichiro3000 pic.twitter.com/TnzrgDZJpP
— Miami Marlins (@Marlins) 2016年8月8日
July 30, 2016
2013年10月27日 ブッシュ・スタジアム
ワールドシリーズ Game 4
スコア:BOS 4-2 STL 9回裏2死1塁
走者:代走コルテン・ウォン 打者:カルロス・ベルトラン
投手:上原浩司
October 27, 2013 World Series Game 4, Red Sox at Cardinals | Baseball-Reference.com
2点差を追うセントルイスは9回裏1死から代打アラン・クレイグのライト前ヒットで、代走にコルテン・ウォンが起用される。打席はシリーズ打率.300のカルロス・ベルトラン。カウント1-1で、ボストンのクローザー上原がファーストに素早い牽制球、1塁手マイク・ナポリが走者ウォンにタッチして、ゲームセット。
牽制死でのゲームセットはワールドシリーズ史上初。この日の敗戦から3連敗したセントルイスはワールドシリーズ制覇を逃すことになった。
2014年5月26日 ブッシュ・スタジアム
スコア:NYY 1-1 STL 2回裏1死2塁
走者:コルテン・ウォン 打者:マット・アダムス
キャッチャー:ブライアン・マッキャン
May 26, 2014 New York Yankees at St. Louis Cardinals Play by Play and Box Score | Baseball-Reference.com
1点差を追うセントルイス。コルテン・ウォンのタイムリー・ツーベースで同点に追いついた。打者がマット・アダムスにかわって、1死2塁。ここでコルテン・ウォンがサードへの盗塁を試みる。サードにはこの年引退したデレク・ジーターがカバーに入った。
タイミングはぎりぎりセーフ。ところが、走者ウォンが1メートル以上もオーバーランしてしまい、アウトに。
2死走者なしとなって、ここでマット・アダムスにレフト前ヒットが飛び出す。もし盗塁死がなければ、1死1、3塁になった場面。同点に追いついたばかりの1死2塁で、サードへ無理に盗塁する必然性はない。
2014年9月16日 ブッシュ・スタジアム
スコア:MIL 0-2 STL 2回裏
走者:コルテン・ウォン 打者:マット・カーペンター
キャッチャー:ジョナサン・ルクロイ
September 16, 2014 Milwaukee Brewers at St. Louis Cardinals Play by Play and Box Score | Baseball-Reference.com
先頭のコルテン・ウォンがヒットで出たが、2つアウトが重なって、2死1塁。ウォンはカーペンターの打席で盗塁を試みるが、セカンドベースの1メートル手前でアウト。
2016年7月29日 マーリンズ・パーク
スコア:STL 3-1 MIA 4回表
走者:コルテン・ウォン 打者:グレッグ・ガルシア
レフト:イチロー
July 29, 2016 St. Louis Cardinals at Miami Marlins Play by Play and Box Score | Baseball-Reference.com
2016年ナ・リーグのワイルドカードを争っている2チームの直接対決。4回表、セントルイスはコルテン・ウォンのスリーベースで無死3塁と、絶好のチャンス。
1死となって、1番ガルシアのレフトフライは、この日マッティングリーの粋なはからい(笑)で3番スタメン出場、3000安打まであと2本と迫っているイチローのもとへ。
けして浅くないフライだったが、イチローは91.6マイル(時速約147.4キロ)、距離238フィート(=72.542メートル)のロケットスローをキャッチャーにストライクで返す。キャッチャーのJ.T>リアルミュートが走者ウォンに素早くタッチし、アウト。
http://m.mlb.com/video/topic/73955164/v985113283/stlmia-ichiro-nabs-wong-at-home-on-916mph-throw/?c_id=mlb
こうして眺めてみたとき、今日のコルテン・ウォンを「俊足の」と形容していいものかどうなのか、考えてしまう(笑)
彼はおそらく、足は速いのだ。
だが、野球というゲームにおける「走塁のうまさ」とは、やはり「足の速さそのもの」ではない。結局のところ、コルテン・ウォンは足は速いが、走塁は下手なのだ。
July 29, 2016
ある意味で、これが「イチロー」なのだ。
相手にシフトをしかれれば、こんどは「そのシフトの裏をかく打球を打つ」のである。
「シフトの裏をかく」などと、言葉で言うのは簡単だ。だが、プロの、それも「MLBの投手の球を打って、データ分析に基づくシフト守備の裏をかく打球を打てるだけのバットコントロールをもった選手」など、歴史的にみても、そうはいない。
2016年7月28日
STL vs MIA 7回裏 1死1塁
フィリー同様、イチローシフトをしいてきたセントルイスだが、カウント1-0からジョナサン・ブロクストンの2球目をしっかりヒットした代打イチローの打球は、一塁手マット・アダムスの右を抜け、ライト線への強烈なゴロ。「イチローシフト」であらかじめセンターに寄っていたライトのスティーブン・ピスコッティがふとフェンス到達前に追いついた。
この「フェンス到達前に追いついた」というプレーが結局ゲームの趨勢を分けた。
このプレーは、イチローの2998安打の陰にかくれた形になって目立たないが、セントルイスのライト、スティーブン・ピスコッティの隠れたファインプレイだ。
もしイチローの鋭い打球がフェンスに到達していれば
どうだったか。
まず前提としてアタマに入れておくべきなのは、セントルイスはいま、ポストシーズンに向けて地区首位カブスを6.5ゲーム差の2位で追っているわけだが、カブスの強さからいって、地区優勝を狙うというよりはワイルドカード争いをしているわけで、その対象チームは、ほかならぬ今日の対戦相手マーリンズなのだ、ということだ。(他にドジャース、メッツ、パイレーツ)
だから、このセントルイス対マイアミ戦は、両チームにとって今シーズンのポストシーズン進出のために絶対に勝ち越さなければならない「ガチの決戦シリーズ」なのだ。
代打イチローの打席のシチュエーションを確かめでおこう。
「スコアは3-5」「1死1塁」だ。
ということは、もしライトのスティーブン・ピスコッティが緩慢な守備で打球のフェンス到達を許してイチローを三塁打にしていれば、マイアミ側には「スコア4-5、1死3塁にイチロー」というまたとない同点のチャンスがころがりこむ。
もし「1点リードされた1アウトで、走者はサードにイチロー」というシチュエーションが実現できていたら、走者が足の速いイチローだけに、内野ゴロ、外野フライ、パスボール、ボーク、エラー、どんなプレーでもマイアミが同点にできた可能性はとても高い。
セントルイスはその「潜在的な大ピンチ」を、「外野がシフトの逆をつかれたが、打球のフェンス到達は許さないという、ライトの俊敏な守備」で「スコア3-5のまま、1死2、3塁」と、「リスクを最小限に抑える」ことに成功したわけだ。
マイアミは、その後ヘチャバリアのショートゴロの間にランナーがひとりだけ還り、「スコア4-5で、2死2塁」とした。だが、セントルイスは「イチローの三塁進塁」を許さず、それが「マイアミの同点を許さないこと」につながった。
というのは、ブロクストンがマイアミの8番打者、右のヘチャバリアのインコースだけを2シームで徹底して攻めて、絶対にライト方向の打球を打たせず、レフト方向に引っ張らせてゴロを打たせる配球をしたからだ。
右投手のブロクストンの2シームは右打者ヘチャバリアのインコースに食い込むように動く。ヘチャバリアにはこの厳しい攻めをライト方向に返すだけの技術がない。
かつて、イチローは1点差のランナー2塁でインコース攻めにきたマリアーノ・リベラの初球のカットボールをサヨナラホームランしてみせたわけだが、あのひと振りがどのくらい凄いか、このヘチャバリアのショートゴロと比べてもわかる。
data:http://www.brooksbaseball.net/pfxVB/pfx.php?s_type=3&sp_type=1&year=2016&month=7&day=28&pitchSel=455009&game=gid_2016_07_28_slnmlb_miamlb_1/&prevGame=gid_2016_07_28_slnmlb_miamlb_1/&pnf=&prevDate=728&batterX=57
説明するまでもないことだが、もしヘチャバリアの同点内野ゴロが「ショートゴロ」でなくセカンドゴロとかファーストゴロだったら、「二塁走者イチローがサードに行けていた可能性」があった。
そうなればシチュエーションは「1点差、2死3塁」だから、マイアミ側はパスボール、ボーク、エラーのような「相手側のミス」でも同点にできる可能性が出てくる。
だが実際には、「ショートゴロの結果、イチローは進塁できなかった」わけだから、「2死二塁」の場面で後続のマイアミの9番打者クリス・ジョンソンはヒットを打つか四球出塁しないといけなくなる。打撃のよくないジョンソンにヒットは期待できない。(実際の結果:ジョンソン三振)
シフトをしく
シフトをかいくぐる
三塁打になるのを防ぐ守備
サードに進塁させない配球
内野ゴロを打たせる
同点にさせない
こうしてプレーをトランプのように並べてみると、何度もワールドシリーズ制覇してきたセントルイスというチームの「強さ」の意味がひしひしとわかる。
野球における「強さ」とはなにも、「ホームランをたくさん打つこと」などでは、まったくない。そしてまた、野球というゲームにおける「面白さ」とは、プレーを断片として味わうことのみではなく、「プレーとプレーのつながり」や「プレー相互の関係」を連結して考えてみることでもある。
ここまで丁寧に説明すれば(笑)、7回裏のセントルイスが「イチローがサードに行くのを全力で避けた」ことがゲーム結果に直結していることが誰にでもわかる形になった、と思う。
ちなみに、7月26日フィリーズ戦でピーター・ボージャスのファインプレーに阻まれた右中間のライナーと同様に、もし今日の打球がフェンスに到達していれば、おそらく「三塁打」だった。そして、三塁打ならイチローはあの福本豊さんの記録を抜き、「日本人通算三塁打数のトップ」になれたところだった。
ボージャスのファインプレーに続いて、こんどはセントルイスのライト、スティーブン・ピスコッティに三塁打記録を阻まれたわけだ(苦笑)長い長い道のりである。
こうしてゲームメイクの観点からみたとき、「ライトの守備」が現代野球にとっていかに大事なものかがわかる。
野球というゲームにおいては、「無駄な進塁、特にサードへの進塁を防ぐ」という意味で、ライトの選手の守備位置や肩、落下点を読む洞察力などは、特に僅差で試合が決まるようになった現代野球においては、ますます大事なファクターとなっている。
かつてMLBデビューしたばかりの時期に、イチローがライトからのレーザービームで走者の三塁進塁を阻んだプレーの意味は、他に例をみないほどの強肩を自慢するためのプレーではない。あのプレー以降、どれほどの数の打者が「ライトをイチローが守っているときの、ライト線三塁打を諦めた」ことか。
フライキャッチに執念を燃やすセンターの守備とはまったく違う意味で、これまでの「イチローのライト守備」の歴史的価値はもっとずっと高く評価されるべきだ。(だからこそ、せっかくのイチローの守備力をゲームに生かそうとしないで代打起用ばかりしているマッティングリーは監督として無能だと思う)
July 27, 2016
Ichiro 2991th hit @ St. Louis , No.1 Baseball Town in the World. pic.twitter.com/vGBvoO29lN
— damejima (@damejima) 2016年7月16日
7月のセントルイスでは、ヤディア・モリーナとアダム・ウェインライトの素晴らしいアクションをはじめ、セントルイスの選手とファンが示してくれたイチローへのリスペクトは、イチローファン史に永久に残るほどの素晴らしい記念碑になったわけだが、別の視点からいうと、フィリーが示してくれた「イニング先頭の代打のイチローにさえ容赦なくシフト守備をしくというフェアプレイの精神」も、「3000安打達成のプロセスでの、忘れえぬモーメント」として、最大の敬意を払いたくなる。
やはりスポーツというものはこうでなくてはいけない。全力全霊で立ち向かってくれてこそ大記録の価値も上がるというものだ。
7月20日 MIA vs PHI 8回表
このゲームでのイチローは「代打」。しかも「イニング先頭」「走者なし」だったのだから、それでも容赦なくシフトをひいたフィリーは、「本気」だった。
フルカウントに粘って、8球目、根負けしたジェレミー・ヘリクソンの真ん中の失投を振りぬいたイチローだったが、右中間への長打性の強烈なライナーは、ライトのピーター・ボージャスに難なく捕られてしまう。
というのも、以下のツイートの画像からわかるように、フィリーは「対イチロー外野シフト」をしいていたのだ。
リツイートみてもううとわかることだけど、今日のイチローは「ライトセンター間のライナー」で、「シフト」で二塁打を1本損したわけだ。フィリー、なかなか研究してきた。
— damejima (@damejima) 2016年7月21日
Look at this odd OF alignment vs Ichiro, batting lefty. And Phillies were right! A liner to right center, caught. pic.twitter.com/fxZpBwuFbX
— Mike Petriello (@mike_petriello) 2016年7月21日
7月26日 PHI vs MIA 1回裏
場面変わって、5日後。こんどはホームゲーム。ようやく1番センターでスタメン出場したイチローは、1回表のジェラド・アイクホフの初球をたたき、打球を右中間フェンス際まで飛ばした。
飛距離およそ119メートル。右中間が平らで369フィート(≒112.471m)しかないシチズンズ・パークと違って、マーリンズパークの右中間は23フィート(約7メートル)も長く、392フィート(≒119.482m)。右中間の狭いボールパークなら100%確実に「先頭打者、初球ホームラン」の飛距離だった。
だが、またしても、「ピーター・ボージャス」だ。フェンス激突しながらの大ファインプレイ。
もちろん、偶然の産物などではない。チームのスカウティング担当者との共同作業による「意図的なファインプレイ」だ。
もしボージャスがこの打球を捕り損なって打球がフィールドに転がっていれば、先頭打者だし、イチローの足からしても明らかに三塁打。
7月はじめイチローは福本豊さんに115三塁打(日米通算)で並んでいたわけだから、抜けていれば「日本選手の通算三塁打数 歴代1位」に踊り出ていた。ボージャスに拍手するしかない。
ボージャスはフェンス激突で肩を痛め、途中交代。ある意味、「2本のイチローの長打」と「ボージャス自身」がひきかえになる形になった。
Ichiro makes hard contact on the first pitch, but he is robbed. Watch the @Marlins live now on FOX Sports Floridahttps://t.co/hlDnFw791t
— FOX Sports Florida (@FOXSportsFL) 2016年7月26日
ボージャスはエンゼルス時代、当時ゴールドグラブの常連で、アナハイム不動のセンターだったトリー・ハンターをライトにコンバートさせているくらいだから、センター守備には定評があった。
Article | Arkansas Travelers News
いまエンゼルスのセンターといえば、2012年Fielding Bible賞を受賞しているマイク・トラウトがいるわけで、エンゼルスのセンターは、ハンターからボージャス、そしてトラウトと、名手に受け継がれてきたことになる。
いまフィリーのセンターといえば、2015年新人王のオデュベル・ヘレーラだ。ボージャスがかつてエンゼルスでハンターをライトに押しやったように、ヘレーラは、デビュー以来センターしかやったことがなかったボージャスをライトに押しやったわけだ。
さかのぼると、近年のフィリーのセンターには、ゴールドグラブ1回受賞のアーロン・ローワンド、4回受賞のシェーン・ビクトリーノがいた。
2000年代のビクトリーノ全盛期は、チェイス・アトリーがいた2008年ワールドシリーズ制覇を含む、5シーズン連続地区優勝と重なるのが思い出される。やはり、アトリー、コール・ハメルズ、ビクトリーノなど、役者がズラリと揃ったフィリーこそがフィリーだった。
そういえば、こうして並べてみるとボージャス含め、どういうわけかフィリーのセンターは怪我に悩まされる人が多いのはどうしてか。
フィリー時代が全盛期だったシェーン・ビクトリーノは、その後ボストンに移籍し、2013年に自身2度目のワールドシリーズ制覇を経験したわけだが、当時ボストンのセンターにはジャコビー・エルズベリーがいたから、ボストン時代のビクトリーノはライトだった。そのライトでのビクトリーノは鳴かず飛ばず。
そのエルズベリー、ボストンがなぜか慰留しなかったため、ワールドシリーズ制覇の翌2014年にライバルのヤンキースに移籍。ボストンのセンターは2011年ドラフト1位ルーキーのジャッキー・ブラッドリーに変わった。この数年、MLBのセンターの若返りが進んでいるが、フィリー同様、ボストンも「センターが若返った」というわけだ。
エルズベリーが来る直前、ヤンキースのセンターはブレット・ガードナーの定位置だったわけだが、ガードナーには肩が弱いという致命的欠陥があって本来ならセンターの器ではなく、外野を守るならレフトくらいしかない。
ヤンキースのセンターは、2000年前後のチーム全盛期のバーニー・ウィリアムズが目立つわけだが、バーニー引退以降はステロイダーのメルキー・カブレラ、ガードナー、エルズベリーと、チームの地区順位同様、もうひとつパッとしない。
こうして「有名センターの移籍」を並べてみると、「センターの選手が大型契約を得て移籍した場合、移籍先でパッとしない成績に終わる」ことは、まったく珍しくないことがわかる。
例えばヤンキースにはそういう「センター出身のろくでなし外野手」が掃いて捨てるほど、ゴロゴロいる(笑) デトロイトが全盛だったカーティス・グランダーソンなど、まだマシなほうだ。(それでもメッツ移籍直前のグランダーソンはベンチに座ったまま高額サラリーをもらっていた無駄メシ食いだった)
例えば、バーノン・ウェルズだが、センターで活躍できたのは給料が非常に安かった2000年代トロントのみ。移籍して20Mを越える身分不相応な高額サラリーをもらうようになったLAAとNYYでは、一度たりともマトモな成績を残さず引退している。
アンドリュー・ジョーンズにしても、センターを守って10年連続ゴールドグラブに輝いたアトランタを離れて以降、ロクな成績を残さないまま引退した。
カルロス・ベルトランも、全盛期はセンターを守った2000年代メッツであり、移籍してライトを守るようになった2010年代は給料に見合った成績とはけしていえない。
こうした数々の失敗例を経験したにもかかわらず、それでも懲りずにヤンキースはエルズベリーに大金を払ったのだから、馬鹿としか言いようがない。
ニューヨークではこういう「無能GMが毎年集めてくる、名前ばかりでロクに働かないクセに、ポジションだけは確約されている外野手たち」とポジションを競わされ、打席数を減らされ続けたイチローが、いかに迷惑したか。本当に無駄なキャリアだった。
他にもドジャースがうっかり大型契約を結んでおいて、後から大失敗に気付いて、あわててサンディエゴに押し付けた(笑)マット・ケンプも、移籍先ではライトを守っているが、成績はパッとしない。ケンプのサンディエゴでの給料は、いまだに一部をドジャースが払っていて、2019年までドジャースは毎年3.5Mを負担し続けなければならない。
センターが本職ではないが、いまのドジャースでたまにセンターも守るアンドレ・イーシアーにしても、たとえドジャースを出たとしても活躍できるとはとても思えない。ライトのヤシエル・プイグにしても似たり寄ったりだろう。
ちなみに、過去にセンターでゴールドグラブを何度も受賞しているトリー・ハンターやアダム・ジョーンズの「守備評価」だが、近年のデータ分析で検証すると、かなり「低い評価」にしかならない。
こうした「センターの選手の守備の過大評価」は、「ゴールドグラブの権威が揺らぐ原因」や、「センターの選手のサラリーが、実情に見合わない高額になる理由」のひとつにもなっている。
(もちろん、新興のFielding Bible賞にしても、ビル・ジェームス自身がそうであるように、特定の審査員がデータではなく「自分個人の好き嫌い」を審査結果にそのまま反映させていたり、守備範囲の狭いアレックス・ゴードンが何度も受賞するするとか、Fielding Bible賞がそれほど公平な賞ともいえないことは近年判明しつつある)
アレックス・ゴードンの守備範囲2012-2014
まぁ、数々の実例から察するところ、「センターの名手」といわれた選手は、実は「特定のチーム」、特に「ドラフトされ育成されたチームの専用選手」なのであって、他チームは、いくら触手が動いたとしてもけして大型契約などすべきではない、という「負の法則」があるようだ。
この「センター移籍の負の法則」、マイク・トラウトが打ち破れるかどうか。彼がFAになったときがちょっと楽しみではある。
June 14, 2016
ピート・ローズの「日米のプロでの通算安打というなら、俺がマイナーリーグで打った427本も記録(4256安打)に加えるべきではないか」」とかいう発言は意味ないし、論理がおかしい。まさか、わからない人、いないだろうね?(笑)
— damejima (@damejima) 2016年6月11日
野球選手の「通算成績」というものは「2軍」とか「マイナーリーグ」でのものを「1軍」とか「メジャー」と合算したりはしない。したがって、ピート・ローズがマイナーで、あるいは、イチローがオリックス2軍で、何本ヒットを打とうが関係ない、のである。以上。証明終わり(笑)
— damejima (@damejima) 2016年6月11日
もちろんピート・ローズのいわんとするところの真意は「日本の野球なんてメジャーのマイナー程度じゃん」ということだ。ならば、だ。そのマイナー出身クラスの選手がなぜMLB1年目でMVPと新人王とれるというのだ、ということになる。ローズの論理は元から破綻してるし、弱い。
— damejima (@damejima) 2016年6月11日
落合博満が1999年に喝破しているように、イチローはMLB1年目どころか渡米前から既に「メジャーレベルを超えた選手」だったことはもはやハッキリしているわけであり、その話と、「日本野球がMLBの3Aクラスであるかどうかという議論」を混同していているようでは話にならないのである。
— damejima (@damejima) 2016年6月11日
参考までに、上の最後のツイートでいう「落合が1999年に喝破」というのをご存じない人のために、Youtubeのリンクを挙げておこう。
落合博満は、「渡米前の」イチローとの対談において、「イチローに匹敵するような打者は、今のアメリカにはいない」という意味の断言をしている。
この「落合の断言」は後日、「渡米直後の」イチローが、MLBで通用するとか、しないどころの騒ぎではなく、渡米1年目にして新人王、首位打者、盗塁王、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞、リーグMVPに輝いた事実によって、文字通り「証明」されることになった。
イチローはさらにその後、10年連続して200安打、ゴールドグラブ、オールスター出場などを継続したわけだが、その「継続」は2001年の成績が「フロック」ではないどころか、むしろ「実力どおりの結果」だったことを証明した。
つまり、ブログ主が言いたいのは、
イチローの「野球の実力」が、「渡米前」の時点で既に、MLBの平均レベルをはるかに凌駕した高いレベルにあったことは、火をみるより明らかだということであり、なおかつ、
このことは当時、わかる人にはとっくにわかっていたということだ。
賭博で永久追放になった元・選手が、「日本の野球なんて、しょせんメジャーのマイナー程度のレベルじゃん」と自分勝手に思うのは、個人の自由で、別にそれを止めさせようとはまったく思わない。
だが、もしピート・ローズと、その同調者が、「渡米前のイチローの実力は、しょせんMLBのマイナーレベルだったから、カウントに値しない」などと事実に反する発言をする、これからもしたい、のだとしたら、その議論は根本的に間違いであり、今後ともそうした暴論を許すわけにはいかない。
「渡米前のイチローがどういうレベルにあったかという議論」と、「日本の野球がMLBと比較してどのくらいのレベルにあるかという議論」は、まったく次元の違う議論なのだ。
にもかかわらず、これら2つの、次元の異なる議論を故意に混ぜて議論することによって、イチローの記録の意味や重さをこきおろすツールにするような行為は、アンフェアであり、また、スポーツマンシップに反する。
ちなみに、かつてCut4が「イチローがもし最初からMLBでデビューしていたら何本ヒットを打てるか」を試算して、「2014年終了時点で3504本」だのなんだのと予想したわけだが、ブログ主は「まるで予測になってない。馬鹿なこと、言うな。」としか思わない。
日本で1200本もヒットを打った人間が、MLBデビューで数百本のヒットで終わているはずもない。
計算を間違える原因は簡単だ。
Cut4の計算した「3504本」などという数字が「まったく科学的に根拠のない設定で計算した、なんの根拠もないデタラメ」からだ。
Cut4がやった「計算」というのは、シアトルマリナーズの1995年ドラフト1位指名選手だったプエルト・リコ出身の外野手ホセ・クルーズ・ジュニア(Jose Cruz)を「仮想イチロー」に見立てて「1990年代にMLBデビューしたイチローの、2000年までのヒット本数を計算する」という、まるで根拠のない手法だ。
よくこんな無礼な試みをするものだ。
なぜなら、以下のデータで明らかなように、ホセ・クルーズとイチローは、タイプがまったく違う選手だからだ。そして、選手としての「格」も「レベル」もまったく違うし、活躍の長さもまったく違う。
どこをどうすると、低打率のフリースインガーを、レジェンドクラスのコンタクトヒッターになぞらえられるというのだ。馬鹿げている。
Jose Cruz Statistics and History | Baseball-Reference.com
ホセ・クルーズ・ジュニアとイチローの違い
●ホセ・クルーズは大卒。イチローは高卒。
●ホセ・クルーズは1997年にようやくメジャーデビュー。イチローは1992年NPBデビューで、高卒3年後の「1994年」には既に打率.385を記録して首位打者
●ホセ・クルーズはメジャーデビュー後、数年の打撃成績だけがよかっただけのジャーニーマンで一発屋。イチローは将来の殿堂入りが約束されたレジェンドで打てて、守れて、走れる万能選手
●ホセ・クルーズは、シーズン100三振を5年連続で記録しているフリースインガーで、ホームラン20本前後(好調時)の中距離ヒッター。イチローは、1番打者で典型的なコンタクトヒッター
イチローは、なんと高卒3年後の「1994年」に打率.385を記録して首位打者になっている大打者だ。
にもかかわらずCut4は、仮想イチローのMLBデビュー年について、「もしイチローが最初からMLBデビューしていたら、ホセ・クルーズがデビューした1997年にメジャーデビューし、2000年まで、3シーズンちょっとのメジャーキャリアを積んでいたはず」だのとくだらない予測をしているのだから、笑ってしまう。
こんなの、何の根拠もない。
実際、仮想ではない現実の野球では、大卒ジャーニーマン、ホセ・クルーズのMLBデビューが1997年であるのに対して、高卒レジェンドのイチローの1軍デビューは1992年であり、イチローのほうが「5年も」デビューが早く、活躍の開始年齢もイチローのほうがずっと早い。
こうした「大差」をまったく考慮せずに、Cut4は、1994年には打率.385を打っている実力の持ち主が、「1997年までマイナーでくすぶって、メジャーデビューを待つ」だのと間違った設定をして、2000年までのヒットの本数を予測した「つもり」になっているのだ。
そんな「馬鹿な予測」に
信憑性など、あるわけがない。
過去に3000安打関連記事でも書いたことだが、タイ・カッブが18歳デビューであるように、3000安打達成者の多くは、20代前半どころか、18とか19、20歳あたりでメジャーデビューしているのである。それくらい、3000安打とは、「デビュー当初から選ばれた選手のみがトライできる、偉大な記録」であり、言いかえれば、「若い頃から数字を積み上げ始めなければ、間に合わない」、「途方もなく達成に時間のかかる記録」なのだ。
2011年9月26日、3000本安打を達成する方法(1) 4打数1安打ではなぜ達成不可能なのか。達成可能な選手は、実はキャリア序盤に既に振り分けが終わってしまうのが、3000本安打という偉業。 | Damejima's HARDBALL
MLB歴代ヒット数ランキング上位打者のMLBデビュー年齢
ピート・ローズ 22歳
タイ・カッブ 18歳
ハンク・アーロン 20歳
スタン・ミュージアル 20歳
トリス・スピーカー 19歳
キャップ・アンソン 19歳
ホーナス・ワグナー 23歳
カール・ヤストレムスキー 21歳
ポール・モリター 21歳
エディ・コリンズ 19歳
Cut4が、イチローだけを「高卒以降、5年間マイナーでくすぶって、23歳MLBデビュー」などと、わけのわからない「設定」を押し付けて、それが正しい、などといえる根拠など、どこにもないのである。
追加:
イチローの日米通算2000安打達成は、榎本喜八よりさらに1年早い「30歳7か月」。日米野球における打率が、榎本喜八さんが2割を切っているのに対し、イチローは4割を超えている。こうしたことからも、他の選手はともかく、イチローだけはたとえ日米通算であっても記録を祝福される権利がある。
— damejima (@damejima) 2015年8月21日
April 28, 2016
こんなに肩がこる作業だとは思わなかった(笑)
よくこんなめんどくさいこと、1000本以上やったものだ(笑)
2016年4月26日 at Dodger Stadium
最初の写真はドジャー・スタジアムでフランク・ロビンソンに並ぶMLB2943安打を打ったときのイチローだ。この写真の「意味」というか「凄さ」は、わかる人には誰もがわかっていることなのだが、中にはわからない頭の悪い人もいる。今回はそういう、わけがわからない人のために書く(笑)
まず、先日マーリンズ・パークで8号ホームランを打ったときのブライス・ハーパーの写真とイチローを並べてみる。下半身のカタチに注目してもらいたい。
2016年4月21日 Marlins Park
まだ意味がわからない?
そういう人のためだけに、もう少しだけ書く(笑) ほんと、めんどくさいな(笑)
上のイチローとハーパーの比較写真は、「下半身のカタチがまったく同じ」だ。これは誰にでもわかる。
だがひとつ、「決定的な違い」がある。
なぜなら、ハーパーの画像が「スイング前」であるのに対して、イチローのほうは「スイング後」だからだ。
そう。2943安打のイチローは、
「スイング後」のはずなのに、
下半身は「スイング前の基本位置のまま」
なのだ。
さて、その意味を知るために同じ打席のブライス・ハーパーで、通常パターンのバッティング・フォームの推移を見てみる。
この連続写真で、最も重要な、野球好きなら誰もが気づかなくてはいけないと思う点のひとつは、踏み出した「右足のピント」がブレていない、という点だ。
逆にいえば、右足以外、つまり「上半身」と「左足」のピントは常に「ブレて」いる。つまり、それらは「高速移動している」状態にある。
にもかかわらず、「右足」、特に「右膝から下のピントだけ」が、常にあっている。つまり「動いていない」。
これはもちろん、熱心な野球ファンなら誰でもわかっていることだが、左打者の場合、「踏み出した右足」をできるだけ開かないようにしながら「左足と上半身だけを旋回」してバットをスイングしているからだ。(ただし右打者の場合は、左足と右足の股関節の可動域の違いから、必ずしも左打者と同じ動作になるとはいえない)
文字で読むと簡単にできそうに思うかもしれないが、実際にはそうではない。「身体の右半分は回さず、左半分だけ回す」というような、不自然な、無理のある動作は簡単に実現できるものではない。
次にブライス・ハーパーの3枚の写真の「ベルトの位置」(というか臍の位置)を見てもらいたい。
野球における臍下丹田の重要性を熱心に語ったのは、2012年に亡くなった、かの榎本喜八翁なわけだが、スラッガー系の打者はよく「伸び上がるチカラ」とか「スウェイするチカラ」をバットパワーに利用している。
ハーパーの「ベルト位置」を3枚続けて見ると、彼が「少し伸び上がってスイングしている」ことがわかる(他に彼はファースト方向に下がりつつ長打を打つことも多々ある)。
面白いことに、定規をあててハーパーの「眼の高さ」を調べてみると、彼の「眼の高さ」はほとんど変わっていないことがわかる。
伸び上がっている、なのに、眼の高さは変わっていない、のだ。
もちろん、ボールを最後までしっかり見るために視線はあまりブレないほうがいいに決まっているから、スラッガーとしては「伸び上がりながらも、同時に、眼の高さは変えないようにしたい」わけだ。
だがこれも、実際やってみると簡単ではない。人間、伸び上がって動作すれば、眼の高さも当然変わるものだ。
それを防ぐというか、矛盾を解消するには、例えば次のような2つの動作を同時にこなすような「工夫」が必要になってくる。
1)体幹を急激に伸ばして、伸び上がりながらも加えて、左打者なら
2)身体を弓なりに曲げて傾け、目線は上がらないようキープ
3)右足はミートまで固定しながらもさせなければならない。
4)左足と上半身は激しく回転
ややこしいこと、このうえない。
だが、こんなことはあくまで野球のイロハであり、打者はこうした複雑な動作を若い頃から練習で身につけている。
複雑な動作というのをもう少し詳しく書くなら、打者は「無理な姿勢と無理な動作をわざと身体に強いる」ことで、カラダ全体、特に骨が一時的に蓄える「窮屈なチカラ」を、スイング、特にバットヘッドの回転に向けて急激に開放することでボールを弾き飛ばそうとする。
だが、この「窮屈なチカラの開放」というやつは、概して「途中で止めることが難しく、途中で止めると溜めたチカラが発散して消え、無力化してしまう」という難点がある。
だからこそ、投手にとって打者とのかけひきで重要なのは、打者が長年の習慣として身にしみつかせた「連続的なチカラの開放動作」を、途中で止めさせたり、変更させたりすることで、チカラを分散・発散させ、バットヘッドに集中させないという点に真髄があるわけだ。
ここまでくれば最初に挙げたイチローの写真の「意味」は、もう説明しなくてもいいはずだ。彼は
1)「スイング初期の下半身」を基本に忠実な位置のまま中断して、スイング終了後にまでキープし続けたままのである。
2)上半身だけを鋭く回転させて、まるで「鎌で稲穂を刈り取るように」バットを振り切ってライナー性のヒットを打ち
3)そのくせ、顔(目線)だけは、スイングが終わりかけてもずっとミートポイントを見続ける位置に残っている
こんなこと、腰痛持ちの老人にはとても無理だ(笑)
投手の投球術によって打者がバランスやタイミングをズラされて「下半身のカタチを崩されて」しまい、やむなく「手だけ」でバット操作してボールを無理矢理当てにいくのが、「手打ち」だ。
だが2943安打のイチローは、見てのとおり下半身はまったく崩されていない。これは手打ちではない。まったく違う。
普通ならば、バットを止めるか、通常のヒッティング状態に移行していきそうなものだが、イチローは「顔」と「下半身」を「バットを振り始める前の位置」に止めたまま、上半身の回転だけでバットを振り切ってしまうという独特の荒業(笑)を行っている。
身体とバットのすべてを止めるというのならともかく、下半身に加えて顔まで残したままバットだけ振り切る、なんてことは、普通なら筋肉も関節も脳もついていけない。
自分はやれると思う人は、どうぞバッティングセンターででも試すといい。
こういうのを見れば、今シーズンのイチローがコンタクト率が異常に高いのも当然の話で、説明するまでもない。イチローだからこそ、あんなボール球をレフトにライナー性の打球が打てるし、ボールもストライクも関係ない。
いつぞや2012年にヤンキースで地区優勝した年にマット・ウィータースのタッチをかいくぐってホームインした「マトリクス・スライド」もそうだったが、自分の身体を自分の思ったように動作させる能力と、それを支えてきた技術と身体能力とトレーニング、これこそが「イチロー」だ。
2012年10月9日、2012オクトーバー・ブック 『マトリクス・スライド』。ついに揃った 『イチロー 三種の神器』。 | Damejima's HARDBALL
September 28, 2014
2012年9月28日、3000安打達成のための「38歳」という最初の壁。これからのイチローの数シーズンが持つ、はかりしれない価値。次の3000安打達成者予報。 | Damejima's HARDBALL
当時はイチローより通算ヒット数の多い打者が、既に3000安打を達成していたジーター以外にも、Aロッド、オマー・ビスケール、イヴァン・ロドリゲス、ジョニー・デーモン、チッパー・ジョーンズと、5人もいたが、イチローと、ドーピングで資格停止になっているAロッドを除いて、全員が引退した。
あのとき名前を挙げていた選手たちが、その後どうなったのか。ちょっと見てみたい。
2012年9月時点での3000安打達成候補選手
(カッコ内は 2012年当時の年数/年齢/通算安打数/年平均安打数)
Derek Jeter (18年 38歳 3296本 180本/年)達成済
----------------------------------------------
Alex Rodriguez (19 36 2894 186)ステロイダー
Omar Vizquel (24 45 2876 157)出場機会減
Ivan Rodriguez (21 40 2844 181)引退
Johnny Damon (18, 38) 2769 154 出場機会減
Chipper Jones (19, 40) 2724 142 引退予定
Ichiro Suzuki (12 38 2597 213)
Albert Pujols (12 32 2241 183)
Michael Young (13 35 2224 168)年齢に問題
Adrian Beltre (15 33 2218 145)
Paul Konerko (16 36 2177 165)年齢に問題
Juan Pierre (13 34 2140 176)
Carlos Beltran (15 35 2058 136)ペース遅い
Jimmy Rollins (13 33 2020 152)ペース遅い
Miguel Cabrera (10 29 1773 175)
Carl Crawford (11 30 1642 149)トミージョン手術
Mark Teixeira (10 32 1579 157) ケガがち
上は、2012年に書いた「3000安打達成候補者リスト」だ。当時のリストには、2014年9月末時点で引退している選手の名前が多数ある。デレク・ジーター、オマー・ビスケール、イヴァン・ロドリゲス、ジョニー・デーモン、チッパー・ジョーンズ、マイケル・ヤング、ポール・コネルコ、ホアン・ピエール。
引退した選手たちをリストから除いてみると、こうなる。
Alex Rodriguez (19 36 2894 186)ステロイダー
Ichiro Suzuki (12 38 2597 213)
Albert Pujols (12 32 2241 183)
Adrian Beltre (15 33 2218 145)
Carlos Beltran (15 35 2058 136)ペース遅い
Jimmy Rollins (13 33 2020 152)ペース遅い
Miguel Cabrera (10 29 1773 175)
Carl Crawford (11 30 1642 149)トミージョン手術
Mark Teixeira (10 32 1579 157) ケガがち
3000安打候補はさらに減らすことができる。
なぜなら、いまイチローより年齢が低い選手たちの「選手としての失速ぶり」がハッキリしてきているからだ。2012年版予報の時点ではわからなかったことだが、2014年9月末時点でいうと、ジミー・ロリンズ、カルロス・ベルトラン、カール・クロフォード、マーク・テシェイラなどの3000安打達成は、たぶんないだろう。(それにしても、最近の選手はどうしてこうも怪我で休んでばかりの選手が多いのだろうか)
そんなわけで「2014年版 3000安打達成予測」は、こうなった。
次の3000安打達成者予測 2014年9月版
(カッコ内は達成時の年齢)
2015 イチロー(41歳 打席数によっては2016年)
2016
2017 ベルトレ(38歳)プーホールズ(37歳)
2018
2019 ミゲル・カブレラ(36歳)
2012年版との比較でいうと、ヤンキースとジョー・ジラルディの姑息な飼い殺しのせいで2013年と2014年のイチローの打席数が故意に抑制されたために、2015年の打席数によっては、イチローの3000安打達成年度が1年繰り下がって、2016年になる可能性が出てきた。もちろん、イチローがフルシーズン出場できれば、100数十本くらいのヒットくらいは2012年からの予定通り「2015年」に打ててしまうことは、いうまでもない。
また、2014年に素晴らしいペースでヒットを量産し、9月末時点で通算2600安打を越えたエイドリアン・ベルトレの3000安打達成年度が、1年繰り上がって、最近DL入りが多くなったアルバート・プーホールズと同じ2017年に達成できる可能性が濃厚になってきた。
2012年当時、こんなことを書いた。2012年の状況は、2年たった2014年の今も、まったく変わっていない。
「こうして並べてみると、2010年代中期に3000安打を達成できそうな打者は、イチロー、ただひとりしかいない。」
何度も書いてきたように、3000安打というのは、「38歳以降にどれだけ打てるかで、達成できるかどうかが決まる」という大変に厳しい記録なのだ。平均年180本くらいのハイペースだったジーターですら38歳での達成だというのに、ジーター以下のペースでヒットを打っている打者は、38歳を前に引退してしまうようでは、3000安打達成は絶対に達成できない。
なにはともあれ来年のイチローが楽しみだ。
ありとあらゆる記録を塗り替えてもらいたい。
July 12, 2014
資料:Baseball Reference
いまヤンキースで40歳を越えたイチローが打率3割をキープしているわけだが、これまでMLBで40歳以上で打率3割(400打数以上)を記録した選手は、10人いる。(Sam Riceが2度、Luke Applingが3度達成)
Sam Rice (通算ヒット数2987本=歴代29位 殿堂)
Paul Molitor (3319本 10位 殿堂)
Luke Appling (2749本 54位 殿堂)
Ty Cobb (4189本 2位 殿堂)
Johnny Cooney (965本)
Rickey Henderson (3055本 22位 殿堂)
Stan Musial (3630本 4位 殿堂)
Pete Rose (4256本 1位)
Harold Baines (2866本 43位)
Lou Block (3023本 24位 殿堂)
言うまでもないが、シングルシーズンでさえ打率3割を達成すること自体が難しいわけだが、さらに40歳以上での達成ともなると、これほど限られたリストになってくる。記録大好きなブログ主(笑)としては、イチローにぜひとも達成しておいてもらいたい記録のひとつではある。
イチローMLB通算2800安打(動画)
Video: Ichiro's 2,800th career hit | MLB.com
ちなみに、この10人のうち、「3000安打」達成選手となると、さらに減って、サム・ライス、ポール・モリター、タイ・カッブ、リッキー・ヘンダーソン、スタン・ミュージアル、ピート・ローズ、ルー・ブロックの7人しかいない。どれもこれも、MLB史に名前を残した選手ばかり。もちろん野球賭博に加担して永久追放になっているピート・ローズ以外の全員が全員、殿堂入りしている。
「40歳以上400打数以上で、打率3割を達成した選手」は、MLB史上でもわずか10人しかいない。だが、その全員が3000安打達成者ではないのだ。
というのも、2012年に何度か書いたように、「通算3000安打」という記録は、デビュー時からヒットを積み重ね、なおかつ、衰えの来る38歳以降にも十分すぎる数のヒットを打って、しかも、その間ずっと長期休養しないという、とてつもない条件を達成できた選手のみに許される大記録だからだ。
だから、野球選手としてのキャリアをかけて3000安打にチャレンジできる可能性のある選手というのは、実はデビュー直後にほぼ決まってしまう。「3000」という数字は、若いときだけ打てばいいとか、38歳以降、40歳以降だけ打てば達成できるとかいう、なまやさしい記録ではないのである。
2011年9月26日、3000本安打を達成する方法(1) 4打数1安打ではなぜ達成不可能なのか。達成可能な選手は、実はキャリア序盤に既に振り分けが終わってしまうのが、3000本安打という偉業。 | Damejima's HARDBALL
2012年9月28日、3000安打達成のための「38歳」という最初の壁。これからのイチローの数シーズンが持つ、はかりしれない価値。 | Damejima's HARDBALL
June 25, 2013
2001年の両リーグの新人王であるプーホールズとイチローが殿堂入りを果たすと、1977年のEddie Murray、Andre Dawson以来となる。
1977年新人王は、ア・リーグが、後にミッキー・マントルをしのぐ史上最高のスイッチヒッターともいわれ、史上3人目となる3000本安打・500本塁打を達成しているボルチモアの永久欠番Eddie Murray。ナ・リーグ新人王には、MLB史上4人しか達成していない400本塁打・300盗塁を達成したモントリオールのAndre Dawsonが栄冠に輝いた。
だが、1946年に創設されたSporting News Rookie of the Year awardでみると、ナ・リーグ新人王は同じアンドレ・ドーソンだが、ア・リーグはエディ・マレーではなく、Mitchell Pageが選ばれている。
(資料:Sporting News Rookie of the Year Award - Wikipedia, the free encyclopedia)
1977年新人王投票の中身をみてみる。
via 1977 Awards Voting - Baseball-Reference.com
ア・リーグだが、1位投票が割れているのがわかる。
27票のうち、エディ・マレーは過半数に届かない12票しか獲得しておらず、新人王投票2位のMitchell Pageに9票が投じられている。
この「1位12票、2位9票」という投票結果は、奇しくも1942年のア・リーグMVPにおけるジョー・ゴードンと、この年の三冠王テッド・ウィリアムズの得票数差と一致している。
ちなみに2001年プーホールズは満票、イチローもCCサバシアに投じられた1票を除けば満票だから、2人とも圧倒的な支持を受けての新人王だった。
1977年のア・リーグ新人王投票で票が割れた理由は、
数字を見るとわかる。
1977年新人王 レギュラーシーズン打撃記録
Eddie Murray 21歳
出場160試合(DH111試合 一塁手42試合)
打率.283 27HR 48四球 88打点 併殺打22
出塁率.333 wOBA.350 RE24 20.01
Eddie Murray » Statistics » Batting | FanGraphs Baseball
Mitchell Page 25歳
出場133試合(外野手131試合)
打率.307 21HR 78四球 75打点 42盗塁
出塁率.405 wOBA.404 RE24 38.89
Mitchell Page » Statistics » Batting | FanGraphs Baseball
参考:Andre Dawson
打率.282 19HR 65打点 21盗塁
WARという指標を別にそれほど信用できる指標だと思っているわけではないが、目安として言うと、マレーとペイジの数値は2倍近い差がある。
Baseball Reference:マレー3.22、ペイジ6.03
Fangraph:マレー3.1、ペイジ6.2
参考記事:Damejima's HARDBALL:2012年11月17日、ア・リーグMVP論争から垣間見えてきたセイバーメトリクスの「未完成なままの老化」。
1977年のMLBは、現在のようにセイバーのような便利な選手評価ツールがない時代だ。だから、ホームランと打点しか見ないような表層的なモノの見方が主流だったはずで、だからこそ、1977年新人王に僅差でエディ・マレーが選ばれるのもしかたないと思う人がかもしれない。
しかし、当時ですらスポーティング・ニューズは、1977年新人王にエディ・マレーを選ばなかった。
つまり、「ホームランを27本打ってはいるものの、総合的な打撃成績で明らかにミッチェル・ペイジに劣っていて、そもそも守備をしてないDH専業のエディ・マレー」より、「走れて打てる外野手として、3割を打ち、21本のホームラン、8本の三塁打を打ち、78個の四球と出塁率.405、42個の盗塁を決めてみせたミッチェル・ペイジ」のほうが、はるかに新人王にふさわしいと考えた人は、セイバーメトリクスがあろうが、なかろうが、WARが正しかろうが、そうでなかろうが、そんなことと関係なく、1977年当時からいたということだ。
人間、きちんと目を開いて見ていれば、なにも「数字」なんていう「色つきメガネ」を通さなくても、モノを見ることができる、というわけだ。
ただ、エディ・マレーの名誉のために、以下の後日談をつけ加えたい。
まず、盗塁だが、1977年当時のボルチモアの監督は、監督として殿堂入りしているアール・ウィーバーだ。野球の戦術について独特のポリシーをもつ彼の方針と選手育成の手腕からして、たとえエディ・マレーの足が速かったとしても、マレーを盗塁を頻繁に試みるような選手には育てなかっただろう。
そして守備をしないDHのエディ・マレーが1977年新人王をかろうじて獲ったにしても、その後のマレーは、80年代前半以降に大きく成長を遂げている、ということがある。エラーが多かったとはいえ、まがりなりに82年から3年間続けてゴールドグラブを獲って、守備をこなし、またMLB歴代記録となる128本の犠牲フライを打っているように、荒っぽいだけのバッティングからも脱皮。何度も3割を打ち、WARも大きく改善した。
つまり、エディ・マレーがホール・オブ・フェイマーにふさわしいキャリアを送ったことに異議は全くない。
だが、しかし。
こと1977年の新人王、これに関してだけは、ふさわしいのはエディ・マレーではなくて、ミッチェル・ペイジだった。ミッチェル・ペイジが選ばれるべきだったと、ブログ主も思う。
このことは、以下のHardball TimesのBruce Markusenの記事はじめ、他のさまざまな人が明言している。(例:Mitchell Page Baseball Stats by Baseball Almanac)
下のリンク記事は悲運に終わった運にミッチェル・ペイジのどこか痛々しいキャリアに触れた味のある文章だ。一読を勧めたい。
Murray would have the far better career―a Hall of Fame ledger at that―but Page was the better player in 1977.
Murray would have the far better career―a Hall of Fame ledger at that―but Page was the better player in 1977.
三塁打数の歴代ランキング261位に名前を連ねているイチローのシーズン平均三塁打数は7本であることでわかるように、1977年ミッチェル・ペイジの三塁打数、8本というのは、かなりいい数字だ。ちょっとやそっとの才能で実現できる数字でもない。
この三塁打の数字でもわかるように、この選手が、もし怪我やメンタル面のトラブルなどで調子を崩さず、長く健康なキャリアをまっとうできていたら、どれほど素晴らしいキャリアを送っていたのだろう。きっとMLB史に残る活躍をみせてくれたに違いない。
そう真剣に思わせるほどの素晴らしい数字が、1977年のミッチェル・ペイジのスタッツには並んでいる。
ミッチェル・ペイジは2011年に59歳で早世している。死因は明らかになっていない。野球というスポーツのフィールドには、熱狂と興奮ばかりがころがっているわけではなく、こういう、ちょっともの悲しい、書いていてちょっとつらくなるストーリーも少なからず眠っている。ミッチェル・ペイジほどの才能ですら、長く輝くことができず終わってしまうこともあるのが、ベースボール、そして、人生というものだ。
いま、去年の新人王のブライス・ハーパーが怪我でDL入りしている。またドジャースのヤシエル・プイグのような、いい意味で常識外れのプレーのできる驚異的な新人も現れた。確かに新人王をとるような選手の大胆なプレーは、野球ファンの醍醐味のひとつなのは確かだ。
だが、ミッチェル・ペイジのエピソードなどをみると、つい、重大な怪我で才能ある選手のキャリアそのものが終わってしまうような無理なプレー、無理な選手の使い方だけは避けてもらいたい、などとも思ってしまう。
確かに、怪我に気をつけていてはスケールの小さいプレーになってしまうというのも、一面の真実でもあるし、なかなか簡単には判断できない。
だが、まだ粗さばかりが目立つ21歳の若いエディ・マレーが「デビューしていきなりDH」だったのは、もしかすると、彼に無理に守備をさせず、DHとして試合経験を積ませ、まずバッティング面を開花させようという、当時のボルチモア監督アール・ウィーバーの思慮深い配慮だったのではないか、と思うのだ。
エディ・マレーは「シーズン40本以上のホームランを一度も打っていないにもかかわらず、通算500本塁打を達成できた」という類まれなキャリアをもつ選手として知られているわけだが、彼がそういう長く安定したキャリアを実現できたについては、アール・ウィーバーのような名伯楽の下でキャリアをスタートできたからこそだ、という面もあったに違いないと思うのだ。
いまアール・ウィーバーの写真を眺めていても、「こういうひとが自分のそばにいて見守っていてくれたらな」と思わずにいられない、そういうオーラが、彼のまなざしには溢れている。
選手と一緒にビールを飲み、
煙草をふかしたアール・ウィーバー。
こういう親父さんが、野球には必要なんだ。
こういう親父さんがいないと。
本当にそう思う。
"The Earl of Baltimore" Earl Weaver
1996年殿堂入り。2013年1月19日、82歳で亡くなった。奇しくも球聖スタン・ミュージアルが亡くなったのと同じ日だった。
June 05, 2013
記事:Ichiro even with Williams on all-time hits list | yankees.com: News
動画:http://wapc.mlb.com/play?content_id=27727087
イチローの動画リスト(チーム公式バージョン):Search Results | MLB.com Multimedia(イチローの動画リストには、これ以外にMLB公式サイトのバージョンもある)
このニュースは、MLB公式サイト、および、アメリカの4大プロスポーツの最新情報を伝えるSports CenterのTwitterによってさっそくツイートされた。
これからのイチローの通算安打数記録は、抜いていくプレーヤーのひとりひとりが、ほぼ全員『殿堂入りしてMLB史に残る選手ばかり』になるから、よけいに楽しみだ。
To be mentioned with the "Splendid Splinter"...Ichiro's 2,654 career hits are the same number in MLB as Ted Williams (via @espnstatsinfo)
— SportsCenterさん (@SportsCenter) 2013年6月5日
Ichiro ties Ted Williams on all-time hits list: atmlb.com/13EantI
— MLBさん (@MLB) 2013年6月5日
最近なにかと話題の増えつつあるイチローだが、Yankees Publicationが月に1回(3月〜10月)、年に8回発行しているYankees Magazineの6月号の表紙を飾った。(表紙を飾るのは通算2回目。1回目は昨年2012年の10月号)
Yankees Magazine 2013年6月号表紙
Published by Yankees Publications
また毎週木曜日に発行されている老舗のクオリティ・マガジン(といっても、もうかつてのような栄光はなく、パルプマガジンのような体裁になってしまっているが)、The New Yorkerの2013年4月8日号の表紙にも、他の「高齢選手」にまじって(笑)杖をついた姿のイチローが表紙を飾った。
まず、Yankees Magazineだが、紙に印刷された実物の雑誌である『印刷バージョン』と、オンラインでダウンロードしてパソコンなどで楽しむバーチャルな『デジタルバージョン』の2種類がある。
いずれも、ヤンキース公式サイトを訪れて、そこに書かれた懇切丁寧な説明をしっかり読んで理解し、きちんと手続きすれば、アメリカ・カナダ以外の国からでも購入できる。
1シーズン分の購入価格は、アメリカ国内での購入した場合が$49.99であるのに対し、カナダが$100ちょうど、アメリカ・カナダ以外の国の場合が$120となっている。
ちょっとお高いと感じる人がいるかもしれないが、これは料金に海外発送のための送料が含まれているためで、実際には特に高くはない。(価格はすべてUSドル。購入にあたっては、無用なトラブルを避けるため、公式サイトに丁寧に説明されている案内をくれぐれも熟読されたし)
Yankees Magazine FAQより
Yankees Publications | yankees.com: Fan Forum
Q: How much is a subscription to Yankees Magazine?
A: A one-year subscription (eight issues from March to October) to Yankees Magazine costs $49.99 (includes subscription and shipping). Subscribers in Canada will be charged a total of $100 (includes subscription and shipping). All other international subscribers will be charged a total of $120 (includes subscription and shipping).
次にThe New Yorkerだが、表紙イラストを描いたのは、アメリカ出身のイラストレーター、Mark Ulriksen(マーク・ウーリクセン)。カバーストーリーが、The New Yorker電子版に掲載されているので興味のある方はどうぞ。
Cover Story: Mark Ulriksen’s Baseball Art : The New Yorker
『ニューヨーカー』のような洋雑誌も、今は日本国内にいながらにして年間購読できる。ウェブサイトを検索してみれば、そうした年間購読サービスについて案内している業者がわんさかみつかるはず。
ブログ注:ちなみに、いうまでもないことだと思うが、このブログで「日本からYankees MagazineやNew Yorkerを購入購読する方法」について触れたのは、日本のイチローファンでこれらの雑誌を購入し、手元に置いておきたいと思った方のために簡単なインフォメーションを記しておくのが目的であり、このブログは、この記事に書き記したサイトや業者とまったく何の利害関係もないし、またアフィリエイトによる関係もまったく無い。
September 29, 2012
だが今年、40歳のイヴァン・ロドリゲスが2844本で引退し、同じく40歳のチッパー・ジョーンズが3000本を達成しないまま2700本台で引退することが確実になり、さらに、かつて3000本達成に最も近い打者と思われていたジョニー・デーモンやウラジミール・ゲレーロの所属球団がなかなか決まらずプレータイムが減少する事態が起きたことで、これからの時代の「3000安打予想図」は、非常に大きく塗り替えられた。
当り前のことだが、「通算安打数が3000本に近づく」ということは、「その選手のキャリアが終盤にさしかかる」という意味だ。この大記録の達成は、キャリア終盤から引退までの厳しい道のりの過程でのみ、達成される。
例外はない。
今から思えば、2000年代中期に行われていた3000安打達成者の予測は、プレーヤーの記録達成を決定的に阻む要素が数多く存在することを忘れているものが多く、予測としての現実味に乏しかったものが多かった。
というのも、「年齢」、「評価の低下によるプレータイム減少」、「大きな怪我による長期休養」など、3000安打達成を阻害する要素を、あまり考慮に入れて語ってなかったからだ。
これらの阻害要因は、特に30代後半のプレーヤーには、選手の不摂生による怪我を除けば、どれも逃げようにも逃れられない要素ばかりだ。
このブログでかつて、「38歳という年齢」が、「年齢による衰えの始まるキーポイント」と書いたことがある。
これまでのさまざまな名選手のスタッツを見るかぎり、たとえ30代後半まで活躍できた名選手であっても、38歳以降に37歳以前の成績が維持できた選手は少ないし、逆にいうと、3000安打が本当に達成できるかどうか、そして3000本を越えて、どこまでの高みに達することができるかは、実は「38歳以降の、衰えが目立ちだした時期に、どれだけヒットを打てたか」によって決まるのである。
球聖タイ・カッブも、ピート・ローズも、最晩年になってもかなりの数のヒットを打っている。また、今年38歳になるジーターが200安打を達成したことは、彼が不世出の才能の持ち主であることを証明している。
5人のホール・オブ・フェイマーが
「37歳以降」に打ったヒット数
キャリア通算ヒット数の多い選手ほど、「キャリア晩年のヒット数」も多い傾向がある。
近年、メディアの3000安打達成予測では、以下の最近の記事例でわかるとおり、イチローの37歳シーズンでの失速をふまえて、イチローを飛び越えて、予測の照準を、より年齢の若いアルバート・プーホールズやミゲル・カブレラに修正しはじめている。
もしそれらの予測が正しいと、(ステロイダーのアレックス・ロドリゲスの3000本をあえて無視することにして)、次の3000安打達成者は、なんと2010年代後半にならないと出現しないことになる。
NY Times 2011年6月予測
After Jeter Reaches 3,000 Hits, Who's Likely Next? - NYTimes.com
Hardballtalk 2011年7月予測
Who will be next to reach 3,000 hits? | HardballTalk
SB Nation 2012年2月予測
Which Players Will Join The 3,000-Hit Club? - Baseball Nation
このブログでも、3000安打達成の可能性がある現役選手を予測してみることにした。
まず、「現在の年齢」や「これまでのキャリアにおける、1シーズンあたりのヒット本数」などを考慮して、候補者リストを作ってみる。
本来なら、「38歳以降に顕著になることが多い、年齢からくる衰え」と、それによる「プレータイムの減少」をあらかじめ考慮して候補者を選ぶべきだろうが、それでは候補者がいきなり少なくなり過ぎてつまらない(笑)
だから、最初はあえて「38歳以降も、それまでのシーズン平均ヒット数くらいは打てる」との甘い想定から候補選手を選んだ。(それでも大多数の選手は候補リストから脱落する)
3000安打達成 候補選手名
(カッコ内は 年数/年齢/通算安打数/年平均安打数)
Derek Jeter (18年 38歳 3296本 180本/年)達成済
----------------------------------------------
Alex Rodriguez (19 36 2894 186)ステロイダー
Omar Vizquel (24 45 2876 157)出場機会減
Ivan Rodriguez (21 40 2844 181)引退
Johnny Damon (18, 38) 2769 154 出場機会減
Chipper Jones (19, 40) 2724 142 引退予定
Ichiro Suzuki (12 38 2597 213)
Albert Pujols (12 32 2241 183)
Michael Young (13 35 2224 168)年齢に問題
Adrian Beltre (15 33 2218 145)
Paul Konerko (16 36 2177 165)年齢に問題
Juan Pierre (13 34 2140 176)
Carlos Beltran (15 35 2058 136)ペース遅い
Jimmy Rollins (13 33 2020 152)ペース遅い
Miguel Cabrera (10 29 1773 175)
Carl Crawford (11 30 1642 149)トミージョン手術
Mark Teixeira (10 32 1579 157) ケガがち
次に、上の候補者リストから、出場機会の少なさと年齢による衰えから3000本達成が困難そうな選手(ジョニー・デーモン、オマル・ビスケール)、達成ペースが明らかに遅くて引退までに達成できなさそうな選手(カルロス・ベルトラン、ジミー・ロリンズ)、怪我の多すぎる選手(カール・クロフォード、マーク・テシェイラ)、達成時の年齢が高すぎる選手(マイケル・ヤング、ポール・コネルコ)など、年齢を厳しめに考慮して、候補から外していく。
(マイケル・ヤングは、明らかに3000安打に値する才能のある選手で、大好きな選手でもあるだけに、非常に迷った。だが、候補から外した。彼はもしかすると近い将来、移籍してプレータイムを確保することが必要になる時代が来るかもしれない。もしそうなったら、テキサスをこよなく愛する選手だけに、進路に非常に迷うことだろう。今から彼のことをとても心配している)
次に、候補リストから、最終的に3000安打達成の可能性がかなり高いと思える選手のみを抜き出して、達成予想年度順に並べてみる。
日本人イチロー。ドミニカ人であるプーホールズ、ベルトレ。ベネズエラ人のミゲル・カブレラ。アメリカ以外の選手ばかりなことが、最近のMLBにおけるアメリカ人プレーヤー、特に白人プレーヤーの地位低下を如実に表わしている。
ピエールはアラバマ州出身のアフリカ系アメリカ人。彼の達成予測年齢は「39歳」と高いわけだが、アベレージヒッタータイプなだけに3000安打達成の可能性は残る、とみた。ベルトレの達成時の年齢もちょっと高すぎるとは思うが、「アーリントンのような打者有利球場でプレーし続ける」なら、なんとか達成にこぎつけることができるかもしれない、と考えた。
次の3000安打達成者予測
(カッコ内は達成時の年齢)
2013
2014
2015 イチロー(41歳)
2016
2017 プーホールズ(37歳)、ピエール(39歳)他
2018 ベルトレ(38歳)
2019 ミゲル・カブレラ(36歳)
こうして並べてみると、2010年代中期に3000安打を達成できそうな打者は、イチロー、ただひとりしかいない。
そしてもうひとつ、わかることがある。それは
実は、今の若いバッターで、3000安打という大記録に手が届ききそうな選手は、アルバート・プーホールズやミゲル・カブレラのような天才バッターを除くと、他には全くといっていいほど見当たらないということだ。
つまり、若ければ3000安打を達成できる、というものでもない、ということ。
前にも書いたことだが、3000安打という記録を「不世出の大記録」のひとつだと断言できるのは、この記録が、メジャーデビュー直後から引退の間際まで、ずっとハイペースでヒットを打ち続けらなければ達成できない大記録だからだ。しかも、大きな怪我による長期休養は許されない。
Damejima's HARDBALL:2011年9月26日、3000安打を達成する方法(1) 4打数1安打ではなぜ達成不可能なのか。達成可能な選手は、実はキャリア序盤に既に振り分けが終わってしまうのが、3000安打という偉業。
Damejima's HARDBALL:2011年9月28日、3000安打を達成する方法(2) 3000安打達成者の「3つのタイプ」
いまの20代後半のバッターには、そうした「デビュー直後から天才バッターであり、なおかつ、怪我による長期休養の非常に少ない健康なバッター」は、ほとんど見あたらない。
たとえ今年の新人王がほぼ間違いないLAAのマイク・トラウトが将来3000安打を達成するとしても、それは、今シーズンの驚異的な打撃成績を、大きな怪我なしに、あと17シーズン連続で達成しなければならない。それでも彼の3000本達成は、2020年以降どころか、2030年以降と、はるか遠い将来の話になってしまう。
しつこいようだが、こんな大記録は、ほんの一部の、限られた天才にしか達成できないのだ。
したがって、「天才が出現しない時代」には、当然ながら3000安打達成者も出現しないのである。勘違いしている人が多いが、3000安打という大記録の達成者は、毎年のように必ず出現するわけではない。これだけの大天才が一堂に会して野球をやっている時代が、いつでもあったわけではないのだ。
今後の3000安打達成予報としては、2010年代後半にプーホールズ、ベルトレ、カブレラなどが達成したとして、それ以降は、3000安打達成者がまったく出現しない時代が長く続く可能性は、非常に高いと思っている。
だからこそ、MLBプレーヤーの長期的な質的変化傾向からみて、2010年代中期に向けて、大記録達成のニュースが枯渇していくと予測されるMLBにおいて、そのときのイチロー所属球団がどこになるかわからない今の時点で言わせてもらうなら、ヤンキース移籍による復活によって、2015年頃の達成が予測される「イチローの3000安打」と、それに向かってヒット数を伸ばしていく今後数シーズンのイチローの達成プロセスは、彼の所属球団にとって「非常においしい価値がある」と断言できる。
イチローのヤンキース移籍による復活劇は、MLBに関わるたくさんの人にとってはもちろん、このところ様々な軋轢でなにかと疲弊しがちな日本人にとっても、非常にポジティブな意味を持っている。
3000安打達成者の「打数と安打数の関係」の
タイプ分類
3000安打達成者の打席数と安打数の関係
October 17, 2011
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年9月28日、3000本安打を達成する方法(2) 3000本安打達成者の「3つのタイプ」
3つのルートのうち、第1グループ「カール・ヤストレムスキー型」は、「最も低打率」で記録を達成したグループであり、カル・リプケン的な「身体の丈夫さ」と、「息の長い選手生命をもったフランチャイズ・プレーヤー」が特徴。最初に入団したチームから一度も移籍することなく引退した選手も多い。
彼らが相対的には低打率でありながら3000本安打を達成できたのには、「ひとつの場所に根をはやして留まり、地道に努力していく、彼らの穏やかな性格や行動様式」に、そのルーツがあった。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年9月28日、3000本安打を達成する方法(3) 第1グループ「カール・ヤストレムスキー型」にみる、身体の丈夫さと、フランチャイズ・プレーヤーであることによる「幸福な長いキャリア」
(クリックすると別窓で図拡大)
今回は第2グループ「ピート・ローズ型」を見てみる。
通算打率3割前後で3000本を達成するに至った「ピート・ローズ型」は、、第1グループ「カール・ヤストレムスキー型」とはかなり対称的な特徴をもつ。
それぞれの特徴を強調して言うなら、第1グループの「カール・ヤストレムスキー型」が「アットホームな農耕民族的定住」であるのに対して、第2グループの「ピート・ローズ型」は「狩猟民族的なハンティング」という特徴をもつ。
第2グループ「ピート・ローズ型」の選手たちは、第1グループの選手たちと違って「キャリア最晩年の移籍」を選択した点にひとつの特徴がある。第2グループの達成者たちのモチベーションは、「質よりも量」、「率よりも数」なのだ。
カンザスシティで全てのキャリアを終えたジョージ・ブレットを除く4人の選手が、10年以上同じチームに在籍したフランチャイズ・プレーヤーでありながら、キャリア晩年になって他チームに移籍している。
ピート・ローズ 22歳〜45歳
CIN→キャリア晩年にPHI→MON→CIN
ハンク・アーロン 20歳〜42歳
MIL→ATL→キャリア晩年にMILに戻る
ウィリー・メイズ 20歳〜42歳
SFG→キャリア晩年にNYM
ジョージ・ブレット 20歳〜40歳 KC一筋
ポール・モリター 21歳〜41歳
MIL→TOR→キャリア晩年にMIN
フランチャイズ・プレーヤーとしての道を捨ててまで、移籍によって自分のキャリアを延命させ、記録の上積みを狙う「ピート・ローズ型」の欲望のルーツは、アベレージ・ヒッターかホームラン・バッターかというバッティング・スタイルの違いより、個人的な性格の違いのほうが強く影響しているといってみてだろう。温厚なカル・リプケンと、賭博で永久追放になったピート・ローズを思い浮かべれば、2つのグループの性格の違いは誰にでもわかる(笑)
第1グループ「カール・ヤストレムスキー型」は、低打率なために、キャリアで一度も移籍しないことで安定したキャリアを送ることで、3000本安打という輝かしい記録を手にいれているが、第2グループ「ピート・ローズ型」の選手たちは、こと安打数について言えば、本来、「カール・ヤストレムスキー型」の選手たちより、かなりのゆとりをもって3000本安打を達成できる恵まれた才能を持っていたはずだ。
それは、第1グループの選手たちとの通算出塁率の差などをからもわかる。第1グループのカル・リプケン、ロビン・ヨーントの通算出塁率は歴代ランキングでみると800位台だ。これは、3000本安打という大記録を打ちたてた選手にしては、通算打率が3割ないのと同様、思ったより低い順位に留まっている。
それに対して「ピート・ローズ型」の通算出塁率は、全員が歴代ランキング300位以内の選手ばかりと、安定した数字を残している。
「カール・ヤストレムスキー型」の
安打数と通算出塁率順位
カール・ヤストレムスキー 3419本 175位
エディー・マレー 3255本 457位
カル・リプケン 3184本 859位
ロビン・ヨーント 3142本 814位
デイブ・ウィンフィールド 3110本 593位
クレイグ・ビジオ 3060本 382位
リッキー・ヘンダーソン 3055本 55位
「ピート・ローズ型」の安打数と通算出塁率順位
ピート・ローズ 4256本 211位
ハンク・アーロン 3771 222位
ウィリー・メイズ 3283本 141位
ジョージ・ブレット 3154本 275位
ポール・モリター 3319本 281位
「執着」というものは、往々にして人の人生を変えてしまうものだ。
特に、人並み外れて異常な強い執着心をもった人間にしてみれば、「なにがなんでも、もっと記録を上乗せしたい」とか、「どこかにもっと輝かしいキャリアが待っているはずだ」と渇望する「飢えや執着」は、どうにも断ち切ろうにも断ち切れない。
ピート・ローズが野球賭博にかかわって永久追放になったことについても、彼が自制のきくタイプではなく「欲望を断ち切れない性格だった」ことにルーツがあるのだろう。
ある意味もったいないのは、「ピート・ローズ型」の3000本安打達成者の通算スタッツは、もしキャリア晩年の他チーム移籍以降の不本意な数シーズンがなかったら、もっと素晴らしい数字を残しただろう、という選手が多いことだ。
こと通算打率に関してだけ言えば、もし移籍によるキャリア延命でスタッツを低下させていなければ、もしかすると「ピート・ローズ型」の選手にも、3割2分以上のハイ・アベレージの中で3000本安打を達成した、天才的安打製造機集団、第3グループ「スタン・ミュージアル型」に匹敵する数字を残したままキャリアを終えるチャンスがあったかもしれない。
だが、彼らの強い「現役欲求」が、かえってそれを阻んだ。
「執着」が彼らの現役生活のある部分をかえって台無しにしたのである。
余談として、ポール・モリターとイチローのエピソードについて。
モリターは、若い頃はセカンド、サードを守りつつ打席に立っていたが、1991年以降のキャリア後半には、主にDHとしての出場になり、それにともなってバッティングスタイルを大きく変更している。
若い頃のモリターは、三振が多い打者だったが、DHに変わったキャリア後半ではバッティングスタイルを「ボールを見ていくスタイル」に変え、三振率が下がると同時に四球率が上昇するなど、このバッティング・スタイルの変更は結果的にモリターの打撃スタッツを向上させた。
彼はシーズン200安打を4回達成しているが、うち3回はDHがメインになって以降であり、また、シルバースラッガー賞4回はいずれもDHとしての受賞である。
Paul Molitor Statistics and History - Baseball-Reference.com
モリターは2004年に招かれてシアトルで臨時打撃コーチをやり、この年にシーズン最多安打記録を塗り替えることになるイチローに「初球打ちはするな」と戒めた(笑)
だが、そのモリター自身は、たとえば最もホームランを打っているのは「初球」なのであって、指導方針とモリター自身のキャリアは、まったくもって矛盾している(笑)
モリターは、キャリア後半にDHになって以降のバッティングスタイルの変更で大きな成功をおさめた自分自身のキャリア特性から、「打ち気にはやっていた若い頃のスタイルは間違っていた。やはり、じっくりボールを見てスイングするスタイルが、打者として正しい道だ」とでも思いこんでいるのだろうが、悪いけれど、それは「若い頃は振り回してばかりで、スタッツはたいしたことはなかった」モリター個人のキャリア特性から出た考え方であって、他に類をみないイチローのプレースタイルや天才ぶりとは全く無縁の話だし、また、モリターは、自分の晩年のプレースタイルがいくら自分には向いていたとしても、それがすべての打者にあてはまるルールになるとは言えないことすら、すっかり忘れている。単に自分のスタイルを押し付けているようでは、指導者にはなれない。
イチローは、DHになって守備負担がなくなり、バッティングに専念するようになってはじめて大量の安打数を積み重ねることができた結果、はじめて大記録である3000本安打達成の道が開けたポール・モリターと違って、フルに守備をこなし、ゴールドグラブを10年連続受賞しつつ、200安打を10年連続して達成した「攻守走」揃った「スタン・ミュージアル型」の天才プレーヤーなのであり、ポール・モリターとはプレースタイルもキャリアのレベルも異なる。(もっと言えば、シアトル、あるいはアメリカの指導者やコーチの多くがイチローに対して、モリターと同じような、間違った指導を行っている可能性がある)
ともかく、こと安打製造技術に関しては、モリターにとやかく言われる筋合いではない。
The Seattle Times: The Art of Baseball: The art of Ichiro: Right hitter, right time
September 29, 2011
(「3つのタイプ」の分類については、ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年9月28日、3000本安打を達成する方法(2) 3000本安打達成者の「3つのタイプ」を参照)
(1)「カール・ヤストレムスキー型」
カール・ヤストレムスキー (3419本)43歳
エディー・マレー (3255本)41歳
カル・リプケン (3184本)40歳
ロビン・ヨーント (3142本)37歳
デイブ・ウィンフィールド (3110本)43歳
クレイグ・ビジオ (3060本)41歳
リッキー・ヘンダーソン (3055本)44歳
(数字は、通算安打数と引退年齢)
この第1グループに属するプレーヤーの最大の特徴は、カル・リプケン的な身体の丈夫さと、(全員がそうだとはいえないが)「地元の声援を受けて長くプレーすることができたフランチャイズ・プレーヤーである」という点だろう。
第1グループの打者たちは、3000本安打達成者としてみた場合、通算打率が.285前後と、低い。(もちろん、3000本安打達成者としては低いというだけで、そんじょそこらの凡庸な打者よりは、ずっと高い) だから必然的に、通算打率.285あたりの打者が3000本安打を達成するには、大きな怪我が少なく、長いキャリアを実現できた選手であることは必須条件になる。
第1グループの引退年齢をみると、44歳までプレーできた伝説の盗塁王リッキー・ヘンダーソン、歴代連続試合出場記録、連続試合フルイニング出場記録をもつカル・リプケンをはじめ、ロビン・ヨーントを除く全員が、40代までプレーしている。
連続試合出場記録をもつカル・リプケンがこのグループに属していることからもわかるのは、やはり、何事か大きなことを成し遂げることのできる長いキャリアを実現するには、丈夫な身体が必要だというシンプルな話だ。
単純なようだが、やはり身体の頑健さは人並み外れた成果を残すには必要不可欠。大事なことだ。
さらに趣深い特徴は、彼らの多くが最初に入団した球団のみでキャリアを終えた、スペシャルなフランチャイズ・プレーヤーであることだ。
ヤストレムスキー(ボストン)、リプケン(ボルチモア)、ヨーント(ミルウォーキー)、ビジオ(ヒューストン)と、第1グループはまるでMLBの代表的なフランチャイズ・プレーヤーの優良見本市のような趣がある。彼らは「近年の代表的な有力フランチャイズ・プレーヤー」という話題になったら、間違いなく名前が挙がる選手たちばかりだ。(第2グループにも、カンザスシティ一筋でキャリアを終えたジョージ・ブレットなどの例があるが)
3000本安打達成者の中では比較的低打率なバッターである彼らが、「地元の声援があったから、長いキャリアを維持できた」のか、それとも逆に、「長いキャリアが可能なほど、高い才能に恵まれた選手だったからこそ、フランチャイズ・プレーヤーとしてひとつの球団にとどまり続けることが可能だった」のか。
この「長いキャリア」と「地元の声援」の、どちらかニワトリで、どちらがだったのか、さすがに明言できないのだが、少なくとも言えることは、彼らのケースでの3000本安打達成については、「地元の声援」も大きく貢献しただろう、ということだ。
これは野球というスポーツのスピリッツをこれから見たり考えたりする上で、とても深く考えさせられる。
(逆にいうと、これから3000本安打という、途方もない大記録に挑もうとしているフランチャイズ・プレーヤーの「放出」を煽りたてているシアトル地元メディアなどは、あまりにも馬鹿で、まったくお話にならない。3000本安打の意味も重みもわかってない。ケン・バーンズのほうがよほど野球というものの本質をわかっている。
時間があれば以下の記事を参照するといい。ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年9月20日、シアトル・タイムズのスティーブ・ケリーが、"The Tenth Innning"のケン・バーンズと共同監督のリン・ノビックが行った「イチローインタビュー」について当人に取材して書いた記事の、なんとも哀れすぎる中身とタイトル。)
3000本安打達成者の3つのグループの中では、低打率である第1グループの「ヤストレムスキー型」の達成プロセスが、彼らの「キャリアの長さ」に基づいているという話は、もちろん理にかなった話だ。打率が低いのだから、長いキャリアやらなければ、3000本安打達成には至らなかっただろう。
だが、そういうリクツ上の話はともかくとして、彼らの長いキャリアを支え、3000本安打達成に至らしめた原動力が、単に、彼らの恵まれた非凡な才能や身体の丈夫さだけではなかった、というのが、ヒューマン・ストーリーとして非常に面白い。「記録というものの、別の意味や重み」を考えさせられる。
野球選手に必要なものは、プレー技術だけではないのである。
イチローはこの第1グループに属すプレーヤーではなく、第3グループのプレーヤーだが、2011年9月まで、シーズン全体を棒に振るような長い休養もなく、11シーズンシアトルでプレーしてきて、イチローは、この第1グループの3000本安打達成者たちが発揮した「身体の頑丈さ」、「フランチャイズ・プレーヤー」という点からみても、申し分ない3000本安打達成者候補だ。
X軸(横軸)=通算ヒット数(1目盛=500本)
Y軸(縦軸)=1本のヒットを打つのに必要な打数=通算打数÷通算ヒット数(1目盛=0.2)
四角=低打率グループ。通算打率.285以下。
三角=中位グループ。通算打率.300前後。
円形=高打率グループ。通算打率.320以上
黒い線はそれぞれのグループの線形近似曲線
資料:Career Leaders & Records for Hits - Baseball-Reference.com
前の記事で「なぜ4打数1安打では絶対に3000本安打を達成できないのか?」を書いた。4打数1安打というレートでのヒット生産では、3000本達成前に、確実に選手としてのキャリアが終わってしまうからだ。
3000本安打を達成には、「かなり若いうち、できればデビュー直後から」、最低でも「3.5打数に1安打くらいのパーセンテージでヒットを打ち続け」、それも「かなり長期間(実際には20シーズン前後)にわたって持続する」ことが、必須条件になる。これらの条件のどれが欠けても、達成は難しくなる。
上の図は、2011年9月段階でMLB歴代ヒット数ランキング110位近辺にいるイチローより多くのヒットを打ったMLB歴代100人ちょっとの打者全員の通算安打数と、それにかかった打数の関係をプロットしたものだ。(もちろんこれからもヒットを打つ現役打者も含まれるから、あくまで暫定的な図だ)
ちょっと複雑な感じがするかもしれないが、横軸はその打者の通算安打数、縦軸は「1本のヒットを打つのに必要だった打数」。
つまり、右にいくほど「通算安打数の多い打者」であり、下にいくほど「少ない打数でヒットを打っている優秀な打者」という意味になる。
また、縦に上下に並んだマーカーを見ていく場合、最も下にある打者が「最も優秀」ということになる。例えば、横軸の2400本のあたりをずっと上方向に見てもらうと、イチロー(MLBのみ)を含め、10数人の打者のデータが縦に並んでいるのを見ることになるわけだが、これは「現役と歴代あわせて、2400本ちょっとのヒットを打った打者のうち、イチローがもっとも少ない打数で2400本打った」ということを意味している。
単に「イチローよりたくさんのヒットを打った打者」を並べるだけだと、データは図の上にまんべんなく分布するだけで、なんの特徴もみられない。特に、3000本をまだ達成してないか、達成できず3000本を目前にキャリアを終えた選手たちには、ハッキリした特徴を抽出することができない。
だが、面白いことに、「3000本安打達成者のみ」と限定すると、とたんに「3つのグループ」にハッキリと分布が分かれるのである。
上の図でいうと、楕円で囲んだ、3つの部分がそうであり、それぞれのグループは、お互いに距離をとるかのように、離れて存在している。
結局3000本安打を達成できなかった選手たちと、これから達成を目指す選手たちは、ドングリの背比べでハッキリした特徴がないが、「3000本安打達成者」には、ハッキリ「3つのタイプ」に分かれる
図の分類によって、3000本安打という名山の登頂に成功するには、3つのルートがあることがわかった。
3000本安打という大記録において、「達成できた選手」には特徴がハッキリあり、「そうでない選手」にはハッキリした特徴がないのは、実は、「若いうちから『3000本安打を達成するための3つの特定ルートのどれか』を着実に歩みながら、長いキャリアを過ごせた選手」と、達成のためのルートを歩めなかった選手の「差」が存在するからだ。
(1)通算打率.285以下 「カール・ヤストレムスキー型」
1本のヒットを打つのに、3.5以上の打数が必要。通算打率に換算すると、.285以下。3000本安打達成者の中では、低打率グループといえる。
(2)通算打率.300前後 「ピート・ローズ型」
1本のヒットを打つのに、3.3くらいの打数が必要。通算打率に換算すると、ちょうど.300あたり。3000本安打達成者の中では中位の打率グループになる。
(3)通算打率.320以上 「スタン・ミュージアル型」
1本のヒットを打つのに、およそ3.1以下の打数でヒットを量産できる安打製造機。通算打率に換算すると、.320から.330以上が必要。3000本安打達成者の中では高打率グループ。
September 27, 2011
X軸(横軸)=通算ヒット数(1目盛=200本)
Y軸(縦軸)=通算打数(1目盛=1000打数)
黒い直線は線形近似曲線
赤い直線は、上が4打数1安打のライン、下が3打数1安打のライン。
資料:Career Leaders & Records for Hits - Baseball-Reference.com
これは、過去から現在にいたるまで、2011年9月時点で3000本安打を達成している全打者の安打数と通算打数を図にプロットしたもの。
見れば、ひと目でわかるように、3000本安打を達成するということは、イコール、「たいていの場合、3.5打数でヒットを1本打つ以上のパーセンテージで、ヒットを打つことが必要になる」ということを意味する。
数多くのヒットを打った記録なのだから当たり前といえば当たり前の話ではあるが、実は、これはこれでなかなか面白い。
なぜ4打数1安打では3000本安打は達成できないのか、考えてみよう。
仮に、4打数1安打を延々と継続していく、とする。
現実無視の計算では、12000打数で3000本安打を達成できる。それに必要な時間は、1シーズンの打数を仮に「フル出場162試合×4打数=648打数」とすると、12000÷648≒18.5で、約18シーズン半での達成になる計算だ。
つまり、のらりくらり、19シーズンほど野球選手をやっていれば、4打数1安打のバッターでも20年かからずに3000本安打を達成できてしまう、という「机上の」計算になる。
だが、もちろんそれは空論だ(笑)
当然、四球やデッドボール、犠牲バント、犠牲フライなどによって、打数は打席数より少なくなることを考慮に入れるべきだ。
例えば、キャリア20年で569本のホームランを打った「耳栓」スラッガー、ラファエル・パルメイロは、10472打数でヒット3020本と、ギリギリで3000本安打を達成した打者のひとりだが、通算打席数は12046。四球1353、死球87、犠牲フライ119などによって、全打席数のうち、約13%が打数にならなかった。
Rafael Palmeiro Statistics and History - Baseball-Reference.com
(なお、パルメイロはミッチェル報告書でステロイド使用を告発されたプレーヤーのひとり。3000本安打を達成者ではあるが、パルメイロと野球賭博で永久追放になったピート・ローズは野球殿堂入りすることはないだろう。 資料:The List of Players Named in the Mitchell Report - ABC News 資料:Palmeiro docked 10 days for steroids - MLB - ESPN)
また、パルメイロと同じように3010本と、ギリギリで3000本安打を達成したアベレージ・ヒッター、ウェイド・ボッグスは、キャリア18シーズンの通算打席数10740に対し、通算打数は9180で、打席数の約14.5%が打数にならなかった。
Wade Boggs Statistics and History - Baseball-Reference.com
そんなわけで、いま仮に「打席数の10%が打数にならない」と仮定すると、12000打数を打つためには、13333以上の打席数が必要になる。
これは、「シーズン162ゲーム、1ゲームあたり4打数をフル出場する」と仮定しても、13333÷162÷4≒20.6で、4打数1安打で3000本安打を達成するには、約21シーズンもかかる計算になる。
これが10%の仮定をもう少し上げて「13%」にすると、必要な打席数は約13800に増加してしまい、記録達成に必要な年数は21.3と、10%の時より1年増えて、約22シーズンかかる計算になる。
もちろん本来は、打数減少の大きな原因であるこの「四死球、犠打などによる打数の減少」だけでなく、「打数を減少させてしまう3000本安打の阻害要素」は、他にも、現実の野球選手のキャリアにたくさんある。
例えば、怪我などによる休養期間は誰にでもありうる。骨折や靭帯損傷、筋肉の断裂などの大きな怪我なら長期の休養だろうし、デッドボールや捻挫などによる短期の休養もありうる。さらに誰しも経験するスランプもある。(4打数1安打程度の打者のスランプはおそろしく長いことだろう) また、キャリア晩年のベテランになってくれば、シーズンフル出場ともいかず、チーム側が選手のリフレッシュのために休養させるゲームをつくる。
だが、しばらくは机上の空論を楽しみたいので、それらすべては「無いこと」にしてしまおう(笑)
だが、「怪我」も、「スランプ」も、「休養ゲーム」さえも無いことにしてしまうという、現実を徹底無視した仮定をしたとしても、それでもなお、3000本安打達成には20年どころか、21年とか、22年とか、かかる計算になるのである。
これらの「打数の減少をまねく、あらゆる条件」を、きちんと計算に組み込むなら、実際には4打数1安打による3000本安打達成には、最低でも23シーズン以上、実際にはもっとかかることだろう。
いやはや、気が遠くなる(笑)
23年以上とか、簡単に書いてしまったが、これはメジャーの選手のキャリアとしては、おそろしく長い。
というのも、高卒投手がいきなり1軍で登板したりする日本の野球のように、18歳で1軍デビューできるのならともかく、メジャーでのデビュー年齢はたいていの場合、20代半ばになるのが普通だからだ。
たとえ、もし仮に、日本の大卒プレーヤーのように、22歳でメジャーデビューさせてもらえて、しかも、いきなりスタメンに定着し、それから20数年フルシーズン使ってもらえたと、殿堂入り選手レベルの無理矢理な仮定をしたとしても、それでも、4打数1安打で3000本安打を達成できるのは45歳以降、ということになる。
実際には22歳でデビューなんかできないし、デビューできたとしてもいきなりスタメンとか、なかなかありえないわけだから、達成年齢はもっともっと遅くなる。
現実を無視せず、多少なりとも現実的な計算をしていくと、25歳メジャーデビューの選手が4打数1安打をひたすら続けて3000本安打を達成できるのは、23年たった48歳以降、ということになってしまう(笑)
これではどうみても、3000本安打を達成する前に引退しなくてはならなくなる。
つまり、言いたいのは、3000本安打という大記録の達成にとって、「年齢」という条件は、あまりにデカすぎて無視できないどころか、決定的条件ですらあるということだ。
別の言い方をすると、3000本安打という偉業を達成できるか否かは、実は、その選手のキャリア序盤に既に決まっている、と言い換えてもいい。
つまり、非常に長い期間に渡ってハイ・アベレージな安打生産を維持しなければならない過酷な記録だけに、もしもその選手が、MLBデビュー後のキャリア序盤にシーズン100安打くらいの低い成績が数シーズン続いたとすれば、もうその時点で既に3000本安打達成に必要なキャリアの長さ自体が足りなくなってしまっている、という意味で、その選手の3000本安打達成は難しくなってしまうのだ。
3000本安打という記録は、一見すると、ただただ長年にわたって安打数を積み重ねた記録のように思われがちだが、実はそうではない。むしろ「キャリア序盤にどれだけいきなりメジャートップクラスの成績を残せたか」という、瞬発力勝負である。
やはり3000本安打は、4打数1安打のバッターが、ただただ長年野球をやっても達成できる記録ではないのだ。「ひたすら積み上げれば、いつか達成できる記録」ではなく、むしろ、3000本安打という記録は、「デビュー直後すぐに分かれ目がやってきて、デビュー直後の若いうちに幸福すぎるキャリアを実現することができた『約束された、ほんのひとにぎりの選手』のみがトライ可能な、未曾有の大記録」なのだ。
無限ではない選手寿命の範囲内で、3000本安打を「20年程度」で達成するためには、「四球などによる打数の減少」、「怪我」、「スランプ」、「休養」など、あらゆる障害物を含めて考えると、3.5打数でヒットを1本打つ以上のハイ・アベレージがどうしても必要だ。
そして、本当の問題は、ほんの数シーズン、3.5打数でヒット1本打ち続ければ達成できる記録ではなく、そういうハイ・アベレージ期間を最低でも20年近く継続しなければならない、ということだ。
それは、打率でいうと、最低でも.285以上を長期間継続しなければならないし、実際には達成者の大半の通算打率は、3割を超えている。
(次の記事で書くが、3000本安打達成者には3つくらいの達成パターンがあり、通算打率でいうと、(1).285あたりの達成者、(2).300あたりの達成者、(3).320以上の達成者ということになる。1番目のタイプの典型はカール・ヤストレムスキー、2番目のタイプの典型はピート・ローズ、3番目のタイプの典型はスタン・ミュージアル)
だが、本当の話(笑)は、実はここからだ。
なぜなら、ここまで書いてきたことは、あくまで、「20年前後の長い長いキャリアで、3.5打数1安打以上をキープし、やっとの思いで3000本安打を達成する」という、「ごく野球常識的な3000本安打達成」の話でしかないからだ。
ハッキリいって、3000本安打自体は、並レベルのプレーヤーには絶対に達成不可能な大記録だし、たとえ名選手と呼ばれるプレーヤーであっても、なかなか達成できない超絶的な大記録ではあり、達成者は超のつく名選手、殿堂入り選手ばかりなのだが、言い方を変えれば、けしてわずか数人だけが達成できた記録ではなく、「20年にもわたる長い歳月をかけ、達成するような、地道な3000本安打達成のプロセス」という意味でなら、今まで両手両足では足りない数、つまり、それなりの数の選手たちが達成できてきた記録だ。
これまでの3000本安打達成者の大半は、20歳前後と、非常に若くしてMLBデビューしており、キャリア晩年まで「特別なプレーヤーだけに許された長い時間」をかけて3000本安打を達成している。
20年にもおよぶ長い時間をかけることを許されていた、という意味では、彼らは野球100数十年の常識を越えてはいないのである。
MLB歴代ヒット数ランキング上位打者
メジャーデビュー時の年齢
ピート・ローズ 22歳
タイ・カッブ 18歳
ハンク・アーロン 20歳
スタン・ミュージアル 20歳
トリス・スピーカー 19歳
キャップ・アンソン 19歳
ホーナス・ワグナー 23歳
カール・ヤストレムスキー 21歳
ポール・モリター 21歳
エディ・コリンズ 19歳
だが、である。
もしあなたが、野球の歴史も、常識も超え、28歳で、遅咲きのメジャーデビューを果たした後、12年か13年くらいの、「とてつもなく短いキャリア」の中で大記録3000本安打を達成しようと思ったら、選手としてのライフプランをどういう形に「設計」しておかなければらないか、考えたことがあるだろうか?
20歳の若さでメジャーデビューし、通算打率.331、キャリア22年で3630本ものヒットを打ってヒット数歴代4位になった中距離ヒッター、スタン・ミュージアルでさえ、3000本安打を達成したのは、彼が今のイチローと同じ37歳になった1958年5月であり、達成には17シーズンもの長いキャリアを要した。達成時前後の彼の通算打率は、なんとおよそ.345前後もあったのだが、そんなハイ・アベレージの選手でも3000本安打達成に17年もかかったのである。 (逆に言えば、20歳の若さでデビューして高打率を維持できた彼だからこそ、37歳で達成できた、ともいえる)
大打者スタン・ミュージアルでさえ17年もかかった記録を、イチローはそれをずっと短いシーズン数で達成しようとしている。この意味を、よく考えてもらいたい。
本来なら、イチローの3000本安打達成への道すじという話になるはずの3000本安打という話題に、わざわざ「4打数1安打ではなぜ達成できないのか?」という遠回りな入り方をしたのは、3000本安打という記録が、実は「デビュー当初から選ばれた選手のみがトライできる、偉大な記録であること」、そして日本の野球を経由した後でMLB3000本安打にトライするイチローの3000本安打への挑戦は「イチローだけしかなしえないとハッキリ言い切れるような、これまで3000本安打を達成してきたごく一般的な名選手レベルを、さらに超えた、超・超人的な道のり」であることを、あらかじめ理解してもらいたいからだ。
こういうことを何も考えもせずモノを語る人の、なんと多いことよ(笑)
では、次回。
January 08, 2011
元マリナーズGMでもあるパット・ギリック氏と、カル・リプケンや、オマル・ビスケールとのコンビで知られる名二塁手ロベルト・アロマーがそろって殿堂入りを果たした。今年は春から非常に目出度い。
Pat Gillick - Wikipedia, the free encyclopedia
2011 Hall of Fame Voting - Baseball-Reference.com
日本のマリナーズ・ファンは誰もが知っている話だが、ギリック氏はマリナーズに来る前に、トロント・ブルージェイスのGMとして、地区優勝5回、2年連続ワールドチャンピオン、またボルチモアのGMとして地区優勝するなど、既に大きな成功をおさめていた。
マリナーズのGMになってからも、チームをシーズン勝利数のMLBレコード116勝を記録するような強豪にし、また、マリナーズの年間観客動員数を当時のMLBトップにもしており、さらに最近ではフィラデルフィアのGMとしてワールドチャンピオンになっているわけで、彼のGMとしての手腕の素晴らしさは言うまでもない。
ブルージェイズは、MLBがチーム数を増やした1977年のエクスパンジョンで、マリナーズなどとともにできた新しいチームなわけだが、ブルージェイズでの前任GMは、あのビル・バベジの兄のピーター・バベジ(苦笑)。ピーター・バベジ時代のトロント・ブルージェイズは創設されたばかりで、創設翌年の78年から3年連続100敗以上、82年まで6シーズン連続の最下位を記録している。
もちろん、マリナーズでのギリックの後任は、ピーターの弟の、あのビル・バベジなわけで、名伯楽ギリックはどういうわけかバベジ兄弟と縁が深い(笑)
創設されたばかりの球団はどうしても負けてばかりの時期を経験するものだが、ギリックは(どこかの兄弟と違って 笑)新興球団を2つ渡り歩いて、どちらでもきちんと実績を残しているのだがら、その足跡には本当に文句のつけようがない。
もともとスカウト出身のギリックが、良い選手を見つけてくるケタはずれの才能を持っていたことは有名なわけだが、今年90%以上もの高い記者得票率でギリックと同時に野球殿堂入りを果たした名二塁手ロベルト・アロマーを90年冬にトロントに獲得してきたGMは、まさにギリック、その人だ。
このときの2対2のトレードでトロントが放出したのは、かつて.322打ったことのあるトニー・フェルナンデスと、89年にホームラン王になったフレッド・マグリフの主軸打者2人だから、ギリックはこのトレードによほどの自信があったに違いない。
さかのぼってみると、ギリックは、シアトルではマイク・キャメロンなどと交換にケン・グリフィー・ジュニアを放出しているし、またフィラデルフィアでもジム・トーミを放出している。
つまりギリックは、「実は盛りを過ぎた強打者に早めに見切りをつける」のが非常に上手い人なのである。
トロントでのアロマーは、移籍してきた91年以降、6年も連続してゴールドグラブを受賞し、92年には初の3割を打ってシルバースラッガー賞も初受賞した。若いアロマーがGMギリックの期待通りの活躍をみせたことなどもあって、ブルージェイズは92年、93年と、2年連続してワールドチャンピオンになった。
95年以降ギリックは、こんどはボルチモアのGMになったわけだが、95年のシーズン後にブルージェイズからFAになったアロマーをボルチモアに獲得してきて、名遊撃手カル・リプケンと黄金の二遊間を組ませた。つまり、ギリックは、グリフィー・ジュニアやトーミは思い切りよく手放したが、アロマーはむしろ手元に置きたがったわけだ。
ギリックのボルチモアは、1996年にワイルドカードを獲得し、1997年には地区優勝している。
何が言いたいかというと(笑)、要は、そのギリックがシアトルにGMとして君臨していた時代に、彼の眼力にかなったのが「イチロー」という選手だ、ということ。
ギリックの眼鏡にかなって活躍し、ついに殿堂入りを果たした名選手ロベルト・アロマー同様に、イチローの殿堂入りも、もはや確実といわれているわけで、キャリア通算10回のゴールドグラブを獲得したアロマーが2004年を最後に引退した今となっては、イチローが2011年シーズンに11回目のゴールドグラブを獲得して、回数でもアロマーを抜くことだろう。
これもなにかの縁とか、偶然とかいうより、名伯楽ギリックに言わせれば「必然的な出来事」であり、彼の眼力には狂いがなかった、ということなのだろうと思う。
Potential Hall of Fame players take stage in 2011 | MLB.com: News