セイバーメトリクス

2014年12月11日、ビリー・ビーンの手下たちのGM遍歴を眺めながら、「経営者と経営コンサルタントの違い」を考える。
2014年11月27日、新たなMLBルールの提案。「数字」という名のステロイド。
2012年11月17日、ア・リーグMVP論争から垣間見えてきたセイバーメトリクスの「未完成なままの老化」。
2012年11月11日、いまだに「チーム総四球数とチーム総得点の間には、何の関係もない」ことの意味が理解できず、「すでに自分が死んでいること」に気づかないない人がいる、らしい。
2012年7月28日、Fielding Award投票者John Dewanの今年のイチローの守備に関する賛辞と、元マリナーズ監督ルー・ピネラが数年前に答えた 「イチローに関する10の質問」 by Jack O’Connell
2012年1月3日、オトナの無意味な決めつけをやりすごすための、エーリヒ・ケストナー風、新年処方箋。
2011年12月2日、マット・ウィータースのバックアップとして、テキサスからテイラー・ティーガーデンを獲得したバーズのダン・デュケットに、「ボストンやタンパベイとは、ちょっと違う野球」を期待する。
2011年11月8日、ボストンの2004年ワールドシリーズ制覇におけるダン・デュケットの業績を振り返りつつ、テオ・エプスタイン、ビル・ジェームス、マネーボールの「過大評価」を下方修正する。
2011年8月18日、『アウトでないもの』〜ヒットの副次性。
2011年2月24日、四球数をヒット数に換算する発想はベースボールにとって意味が無い、と考えるいくつかの理由。
2009年3月30日、スポーツ・イラストレイテッドのJoe Posnanskiが、「非自責点」について語ったのを読んで、「日米の自責点の考え方の差異」についても勉強してみる。
2010年3月25日、日本での開幕初イニングが被ホームラン、打ってはダブルプレーと聞いて、飛んできましたさ(笑)

December 12, 2014

ビリー・ビーンとその関連の人物たち、サンディ・アルダーソンポール・デポテスタJ.P.リッチアーディーファハーン・ザイディの「GM遍歴図」を作ってみた。

黄色のセルは「そのチームがポストシーズンに進出できた年」を示している。1990年代末以降、ビリー・ビーンから次々と独立し、さまざまなチームのGMに就任した「ビーンの手下たち」が、今はメッツでサンディ・アルダーソンのもとにふきだまっていることが、よくわかるように図にしたつもりだ(笑)
よくは知らないが、「野球の秀才たち」が大集結したのだ、きっとメッツはこの数年、ポストシーズンに出まくってきたどころか、何度もワールドシリーズを制覇して黄金時代を過ごしているに違いない。

さすがビリー・ビーン。人を見る目も天才級だ。

ビリー・ビーン一派のGM遍歴

これを作りながらつくづく考えさせられたことは、彼らはつまるところ、
「経営コンサルタント」であって、「経営者」そのものではない
ということだ。


では、「経営者と経営コンサルタントの違い」とは何だろう。

「この問いに『言葉』で答えられないのが経営者というものであり、スラスラ即答しやがるのが、経営コンサルタントだ」とも思うが(笑)、それはさておき、少なくとも言えることは、「もしも美容師の仕事がボサボサに伸びきった髪を無造作にカットするだけなら、それは『誰でもできる仕事をしている』に過ぎない」ということだ。


投資ファンドであれ、経営コンサルタントであれ、経営に行き詰まった企業に入り込んだ人間なら誰でもまず手をつけるのは、「不採算部門の整理」だ。

それくらいのことは、誰でも思いつく。
では、その「誰でも思いつくようなこと」を、なぜ「既存の組織や、既存の管理者」には「できない」のか。問題はそこにある。
硬直した組織の場合、組織の構成と管理者の脳が「硬直化」していて身動きがとれない。組織の立て直しが最初の目標なら、従来のしがらみにとらわれた人間には改善できないのだ。だから「外部」から人を呼ぶ。

「外から人を入れる意味」は案外、再建のための商売上のアイデアにあるのではなくて、単純に「しがらみのない外部の人間だからこそ、大胆な手術がやりやすい」という、たったそれだけの点にある。だから、経営コンサルタントが言う提言の多くが、実は「内部の誰もが、いつかやらなきゃな、と思っていたことばかり」だったりすることがある。
「やらなきゃとわかっていても、できない」ことは、オトナにもある。それを実行に移させるためには、外部から言ったほうが、効果があるのだ。「江戸幕府と黒船の関係」と同じ理屈だ。


外部の経営コンサルタントが最初にやることは、「雑草が伸び放題のまま、ほったらかしになっていた森」で、「無駄な枝葉や雑草を刈りまくる」ことだ。この「草刈りの時期」は、コンサルタント導入の「成果」が視覚的に見えやすい。伸び放題だった背の高い雑草を刈り取っていればいいのだから、成果が見えやすくて当然なのだ。
一般企業でいう「不採算部門のカット」は、野球チームの場合、そのほとんどが「不要な選手の削減」を意味するわけだが、新しいGMがそれに着手したからといって、それを別に「経営の天才」と呼ぶ必要もなければ、「褒めちぎるような手並みの良さ」でもない。やって当たり前のことをやっている、ただそれだけのことだ。


だが、しばらくすると、チームの改良は目にみえて止まる。
なぜなら、「雑草を刈りとる時期」なんてものはすぐに終わるからだ。

すぐにやってくるのは、「チームをつくる時期」だ。
何を目指して、どこを、どうやって成長させ、その結果、何を、誰に売って食っていくのか。何に再投資していくのか。それは、「その組織が何を新しく目指すのか、そのビジョンと方法を、社会と投資家に示す行為」である。
そして「草刈りがうまいだけの人間が失敗を犯す」のは、決まって、この「チームづくりの時期」だ


あらためて、
「経営者と経営コンサルタントの違い」とは何だろう。

「草刈りがうまいだけ」なら、経営コンサルタントにすぎない。

だが「経営者」は、海に出て巨大マグロをとってくるとか、畑で何か作るとか、森を育てるとか、少なくとも「なにかを生産し、利益を生み出す立場」でいなくてはならない。欲をいうなら、消費者(ファン)に愛される立場にまで到達できたなら、もっといい。


バーノン・ウェルズ、アレックス・リオスはじめ、さんざん大型契約に失敗した挙句に、トロントGMを2009年に首になったJ.P.リッチアーディがこんなことを言っている。彼がいわんとしたことは「トロントには予算がない。だから、常に予算を潤沢に持っているヤンキース、レッドソックスがいるア・リーグ東地区で優勝しようだなんて、どだい無理なことだ。誰がGMやったって、俺と同じ問題に直面するだけの話さ」ということだった。
But until those two factors change, the next guy sitting in this role, whether that’s five years from now or 10 years from now, is going to be faced with the same problem: How do you get by the Red Sox and the Yankees?”
Ricciardi Says His Successors Will Face Same Challenges He Has In AL East | CityNews

後になってこんなこと言うくらいなら、最初から引き受けるべきじゃない。リッチアーディは「金がないから勝てない」なんてことを言い出せばマネーボールの名が泣くとは思わなかったのか。
そもそもトロントは、「たとえボストンやヤンキースのような額の予算がとれないチームであっても、ビリー・ビーンの手下ならなんとかしてくれるに違いない」という期待感からリッチアーディーにGMを任せたというのに、当の本人は失敗した後になってわけのわからない言い訳に終始したのだから、無責任きわまりない。


ビリー・ビーン自身とその手下のGM経験者たちが、お得意の数字とやらをあやつって得点力を上昇させて得失点差を改善し、「強いチーム」をつくりあげ、さらには「地域のファンに愛されるチーム」になったとでもいうのならともかく、強いチームになるでもなく、まして、地域のファンにも愛されないなら、彼らの仕事は、雑草が伸びて始末におえないときにだけオーダーするのが適任の「草刈り業者」でしかない。

damejima at 19:32

November 28, 2014

割と真剣に、MLBはそろそろこういうルールを作るべきだろうと思っている。競争原理の導入というやつだ(笑)
地区最下位を5シーズン経験したGMは、問答無用にクビ
(別に4シーズンでも、6シーズンでもいい)

そういう無能なGMを「2人続けて」雇ったオーナーがいたら、
そのオーナーも問答無用で交代


2014シーズン地区優勝したドジャースが、新たにコンサルティング会社出身のGMを雇った。これはちょっとした驚きだった。MLBの風向きが少し変わったのかもしれない、とまで思ったほどだ(笑)

というのも、
これまでのMLBでは、「ジェネラル・マネージャーの責任を問うスピード」があまりにも遅すぎることが原因で、チーム側(それは同時にファンの側でもある)が致命傷を負うことが、当然のように行われ続けてきたからだ。

これまでは、地区優勝のような「結果」さえ出していれば、たとえ優勝にたどりつくための「方法」があまりに劣悪であっても、(よほどの内紛でもないかぎり)GMがクビにされるようなことはなかった。
それどころか、長期にわたって結果を出せていない能無しGMであっても、すぐクビになることはよほどのことがない限り、無い。たいていの場合は、チームが「取り返しのつかない致命傷を負う」まで、たとえ劣悪なGMであってもチャンスが与えられ続けてきた。
それどころか、ジャック・ズレンシック(シアトル・マリナーズ)やブライアン・キャッシュマン(ニューヨーク・ヤンキース)のように、チームが致命傷を通り越し、「既におまえは死んでいる by ケンシロー」状態に至っているのに、そのGMとの契約をさらに延長し、チャンスを与えるチームすらあるのである(笑)(日本のことわざに「盗人に追い銭」という言葉がある)

近年のドジャースが使った予算とその投資結果をみれば、地区優勝したとはいいながら、その投資があまりに非効率だったことは、MLBファンなら誰でもわかっていた。
だから、ドジャースが今回「たとえ地区優勝したGMでも、手法が酷ければクビにする」という「新たな選択肢」をクリエイトしてくれたことには、その結果が吉とでるかどうかはともかく、決断そのものに心から拍手を送りたい。


それにしても、あくまで想像だが、ドジャース以外のチームでも、またMLB機構のありとあらゆる場所で、「野球以外の畑の出身者」がますます増加していることは、たぶん間違いない。

特に根拠となる記事や資料を発見したわけではないが、そうした「野球をよくわからないまま、野球界に入った人々」の「不可解なお買い物ビヘビア」を助長しているのが、「セイバーメトリクスなどのデータ数値を、十分な検討も経ないで、単純適用することによる、あまりにもお粗末な選手評価」である可能性は高いと、ブログ主はいつも思っている。

もちろん野球にとって「数字」が便利で不可欠な存在になっているのは確かだが、OPSというデタラメな数字や、パークファクターの未熟さ、守備補正のデタラメさなどのデタラメさ、未成熟さを見てもわかる通り、データ分析手法そのものが十分成熟しているとは、お世辞にもいえない。

にもかかわらず、「野球を知らない責任者」、あるいは、「数字がもともと苦手なくせに、データ野球に手を出して失敗した責任者」にとっては、「数字」があらゆる行動の「ものさし」になるどころか、あらゆることを数字で決めがちなのではないか、と想像する。

つまり、数字「だけ」が彼らの「売買の基準」であり、さらには「数字が、自分たちの売買の意味を、チームの投資家たちにプレゼンするためのツール」であるのはもちろん、「「数字」を、自分の過去の買い物(売り物)の正しさを正当化するための言い訳ツール」にもしているのではないか、と思うのだ。

どうしても誤魔化したい失敗を犯したとき、人はやたらと頭を下げたり、むしろふんぞり返ったり、いろいろな対処をするものだが、近年のトレンドが「数字とグラフを駆使して、自分の失敗を言い訳しまくること」なのは、リーマンショックを経験して以降、もはや誰でもわかっている。


上は、セイバーメトリクスの流行とともにMLBライターのひとりになったRob Neyerのツイートだ。
彼はこのツイートで、イチローがこれまでヤンキース移籍後も含めて左投手を問題なく打ちこなしてきたという基本データさえ見ずに、自分の「臆断」だけで「イチローには右投手専門の代打くらいの価値しかない」と断定している。

ブログ主はこれを見て「おまえは左右病患者ジョー・ジラルディか?(笑)」と即座に笑い飛ばしたわけだが、ファンならずとも「おいおい・・何言ってんの」と笑われるような幼稚なレベルの話を、データ派と目されてきたライターが公然と断言してもらっては困る。
Rob Neyerはかつて「数字という流行」にのっかってメディア入りしたデータ派の書き手だった人だが、Twitterやブログ記事から眺める限り、彼はこの数年、到底彼の得意分野とは言えない野球以外のジャンルに手を出し、迷走を繰り返し、自分の活躍の場を自分から狭め、なおかつ、筆力を衰えさせてきた。近年彼がデータを駆使して凡人の気づかない視点を独自に発掘する姿など、見たことがない。
そうした自分自身の近年の「迷走」と「衰え」に無自覚なまま、根拠の無い、しかも平凡な批判を羅列する行為は、このうえなく迷惑だ。


Rob Neyerのような古株のデータ派ライターの「衰えぶり」「干されぶり」から察するに、「データに強いというだけで、メディアで大きな顔ができた時代」はようやく「終わった」のだろう。
ただしそれは、データ派の居場所が限定されたという意味ではまったくないだろう。むしろ、活躍場所がメディア、アナリスト、エヴァンジェリストといった「野球の周辺部」に限定されていた時代が終わって、いまやGMや球団経営そのものといった「野球のコア」にまで活躍場所が拡大したと考えるべきに違いない。


データに強い人間が増えるそのものはもちろん「いいこと」だ。
だが、哀しいことに、人間はいちど手に入れた「権威」を手放そうとはしない。また人間は、「失敗」を認めようとしない動物であり、さらには「衰え」を認めたがらない動物でもある。そして、データ上で眺めるのと、実際に金を動かすのとでは、かかってくるプレッシャーは別次元になる。

たとえデータ・エリートの出身だろうと、自分がそれまで動かしたことのない大金を投資する恐怖に押しつぶされ、こわごわ大金を投じては失敗を繰り返し、失敗した投資をデータによるプレゼンで投資家に言い訳しまくり、地位を守ろうとする人間が登場するに終わるならば、これまでのMLBの「温室的なGMの扱い」と、どこも、なにも、変わりない。

「データに強いこと」を「自分を売りこむためのセールスポイント」として使った後は、プロスポーツの発展に貢献するどころか、泣かず飛ばずの成績で、それでもGMという地位にしがみついて、結局はチームの不振を法外な大金でFA選手を獲得してくる程度のことで解決しようとするなら、彼らの得意分野である「数字」は、「結局、自分を売り出したのみで、中身なしに終わった、数字という名のステロイド」に過ぎない、ということになる。

damejima at 09:43

November 18, 2012

11月はMLB各賞の発表シーズンなわけだが、どういうものか、今年のア・リーグMVPを巡っては、「受賞すべきなのは、三冠王ミゲル・カブレラではなく、マイク・トラウト」と、執拗に主張したがる人たちがいて、細々と論争が行われた。(結果は、いうまでもなくカブレラが受賞)

ブログ主に言わせれば、こんな論争に意味などない。今年のア・リーグMVPは他の誰でもなく「ミゲル・カブレラ」で決まりであり、議論の余地など最初からなかったからだ。
2012年のヤンキースは、もしシーズン終盤のイチローラウル・イバニェスの貢献がなかったら地区優勝すら無かったわけだが、もしデトロイトにカブレラがいなかったら、たとえバーランダーがいても、地区優勝もワールドシリーズ進出も無かった。
こうした「印象度の強さ」に加えて、カブレラの打撃の穴の無さは、「主観を数字に置き換えただけの指標ごっこ」よりもずっと雄弁に、カブレラの仕事のスケールの大きさを物語ってくれた。

フィルダーとカブレラを比べるだけも、わかりそうなものだ。『オクトーバー・ブック』というブログ記事で書いたように、カブレラが今シーズン果たした仕事の大きさは、打撃の欠点が露呈したフィルダーとは比べものにならない。
もし仮に、守備負担の少ない一塁手であるフィルダーがカブレラを上回るホームラン数を残して、カブレラが三冠王達成を逃していたと仮定しても、ブログ主は、トラウトではなく、カブレラがMVPに選ばれるべきだと思う。


トラウトがア・リーグMVPを受賞すべきだという主張を頑として曲げたがらない人々が本当に主張したがっていたことは、実は「ア・リーグMVPを誰が受賞すべきか」という話ではなくて、しかも非常に手のこんだロジックが使われている。
彼らが主張したかったことは、本当は「トラウトがMVPを獲得すべきだ」という単純なことではなくて、「『WARの数値が最も高いトラウト』にMVPを受賞させるべきだ」ということであり、これはつまるところ「自分の信じている『WAR』という指標の価値を、もっと高く評価せよ」という意味になる。
つまり彼らは「指標で野球を語っている自分の『正当性』を、他人に押し付けようとしている」わけで、これではまるで宗教の押し売りのようなものだ。


最初にハッキリ言っておくと、「WARというシステムが、現状であまりにも不完全すぎるのが原因で、今シーズンのミゲル・カブレラの活躍度を正確に測定できない」としても、それを理由にカブレラのMVP受賞を執拗に批判するのは、完全に筋違いである。
カブレラの受賞はなにも、セイバー系でない野球記者の野球についての思考方法があまりに古いためではない(そういう印象を植え付けようとするネット上の言動も感心しない)。また、セイバーメトリクス関係者だけが数字の本質をわきまえていて、野球という謎の解読に有史以来はじめて初めて成功したわけでもない。


いつのまに、「数字を知っていることが、最も偉いことだ」などという勝手な思い込みがひとり歩きするようになったのか。

言わせてもらえば、今のWARの完成度の低さなら、その測定精度は、セイバーメトリクス派ライターたちが主張したがる「WARの正当性」より、ずっと、はるかに、低い。そしてWARには出来損ないの部分がいまだに多い。
なのに、どうしてまた「この完成度の低い指標を使う人間だけが、野球を正しく語っていることになる」と思いこめるのか、そこが理解しかねる。


数字になっていさえすれば、それがイコール客観的という意味になる、わけではないのである。
たとえ「ある事象を数字に還元して表現できた」としても、もしそれが未熟な測定システムなら、それは単に「『個人の主観』を『数字』に置き換えて、客観的にみせかけているだけの未完成品」に過ぎない。
「数字」が発達している(と思われがちな)MLBですら、実はこうした「主観を数字におきかえただけ」という指標が、いまだに掃いて捨てるほどある。それらの「未完成な数字」は、いつのまにか自分勝手に権威をふりかざすようになってきているわけだ。

つまりはこれ、「老化」が始まっているということなのだ。



WARという指標が、チーム貢献度をあますところなく数字におきかえて表現できている、とは、まったく思わない。(以下にいくつか理由を書く)

WARは、レギュラーシーズン中の活躍をシチュエーションを捨象して走攻守にわたってとらえ、量的に示そうとする数値なわけだが、ことMVPという賞に関しては、シチュエーション、つまり「その選手の活躍がどのくらい重要な場面で行われたか」という観点や、「その選手の活躍時期がどのくらい重要な時期にあたっていたか」という観点は重要だ。

いいかえると、「WARキング=シーズンMVP」とする観点には、もともと無理がある。というのも、WARはプレーそれぞれの重要度抜きに数値が決定されているからであり、そのWARをもとに決めるMVPこそが「本当の客観的なMVPだ」なんて、わけのわからないことを言われても、「まったくそうは思わない。アホか」としか言いようがない。
「WARキング=MVP」だと、どうしてもいいたい人は、自分で勝手に「WARキング」という賞でも作っておけば済む。ただそれだけの話だ。

そもそも、例えば併殺打をいくつか打つと、それで決勝タイムリーの数値すら消されてマイナスになるようなわけのわからない指標は、そもそもMVP選考に使うのには明らかに向いてない。

もし将来、WARがもっと発達して「レギュラーシーズンを通じた、走攻守のチーム貢献度を100パーセント示せる指標」なんてものが完成したとしても、だからといって、「数字を元に選ぶのが客観性というものであり、客観性に基づくのが本当のMVPというものだ」なんていう歪んだ発想を、全員が共有しなくてはならないなどとは、まったく思わない。

いや、むしろそういう「硬直しきった発想」に断固反対していきたい。
野球とは、必然と偶然のゲーム、カオス的な事象を含むゲームだ。ならば、野球のすべてがリニアかつ量的に表現される時代など、来るわけがない。



例えば、セイバーメトリクス系ライターのひとり、Joe Poznanskyは、このところこんな主旨の記事を書いている。
American League MVP vote was going to be close between Triple Crown winner Miguel Cabrera and WAR winner Mike Trout.
Joe Blogs: MVP (The Aftermath) 太字はブログ側で添付


Joe Poznanskyは好きなライターのひとりで、クレバーな人だと思っているが、こと「マイク・トラウトこそ、ア・リーグMVPにふさわしい」という執拗な主張の中身には、ちょっとこじつけが多すぎる。

たとえばPoznanskyはテッド・ウィリアムズの例を挙げて、こんなことを言っている。
1942年にボストンのテッド・ウィリアムズは三冠王になった。だが、この年のア・リーグMVPを獲得したのは、ヤンキースのジョー・ゴードンだった。MVPはテッド・ウィリアムズが受賞すべきだったし、もっと言わせてもらえば、1941年と1947年のMVPも彼が獲得するべきだった。
What's known about measuring value -- and what isn't. | SportsonEarth.com : Joe Posnanski Article
もうちょっと詳しく書くと、Poznanskyは、ボストンの打撃専門外野手で守備の上手くないテッド・ウィリアムズを、「三冠王を獲得したのにリーグMVPを受賞できなかったサンプル」として挙げておいて、さらに「テッド・ウィリアムズは三冠王達成シーズンの1942年にMVPを獲れなかったが、1942年のMVPは彼が獲るべきだったし、他の年度でも彼がMVPであるべきだったシーズンがある」と主張している。

ならば、Poznanskyは三冠王ミゲル・カブレラについても、「三冠王を獲ったカブレラは、テッド・ウィリアムズのケースと同じように、彼こそがリーグMVPにふさわしい」とでも主張するのか、と思えばそうではないのだから、困ったものだ。
Poznanskyが主張しているのは、こうだ。
2012年カブレラは、1942年三冠王のテッド・ウィリアムズとは違う。なぜならカブレラのWARはリーグ最高ではないからだ。1942年のテッド・ウィリアムズはMVP受賞にふさわしいが、2012年のカブレラはふさわしくない」という、ややこしい話になる。

Poznanskyがこのロジックにおいていかに巧妙に「WAR最高!」と主張しているか、理解できただろうか。非常に『ズルさ』を感じさせるやり方を彼はしている(以下に書く)。



WARは本来、走攻守を総合評価できる評価手法だったはずだが、そもそもたかが「フェンウェイのレフト」に過ぎなかった平凡な外野手テッド・ウィリアムズが、WARの数値が本当に高かった選手、つまり「走攻守揃った選手」だとは、とても思えない
「1942年のテッド・ウィリアムズのWARが高すぎる原因」はたぶん、WAR算出において、テッド・ウィリアムズの守備面のマイナス評価をあまりにも低く抑制し過ぎている、つまりテッド・ウィリアムズの守備が過大評価されていることにあるだろう。

要するにPoznanskyは、2002年以降にUZRがWAR算出に使われだす何十年も前の「算出手法が怪し過ぎるテッド・ウィリアムズの過大評価のWAR」を引き合いにして、ちゃっかり、カブレラのMVP受賞に反対し、裏ではWARの正当性を補強する材料として利用しているのだ。こういうのを「マッチポンプ」という。


かなり手のこんだギミックだが、まったく感心しない。
論理として、都合が良すぎる。



たしかに、1942年のテッド・ウィリアムズは三冠王であると同時に、WAR数値も高い。
Fangraph版では、テッド・ウィリアムズ12.1に対し、ジョー・ゴードン9.3。Baseball Reference版では、テッド・ウィリアムズ10.2で、ジョー・ゴードン7.8。
つまり、三冠王テッド・ウィリアムズは、打撃スタッツだけでなく、WARでもゴードンを上回っていた。だからこそ、Poznanskyはこの何十年も前の古いサンプルを持ち出してきて、「テッド・ウィリアムズはオッケーだが、ミゲル・カブレラはダメだ」と言っているのだ。


だが、三冠王テッド・ウィリアムズが1942年のリーグMVPを受賞できなかったのには、ジョー・ゴードンこそリーグMVPにふさわしく、テッド・ウィリアムズはふさわしくない、と多くの野球人が考えるに至る理由が、「数字以外にも存在した」からであり、それは打撃タイトルの数や、WARの数値とは関係ない。
ちなみに、テッド・ウィリアムズが高い打撃スタッツを残しながらもリーグMVPを受賞できなかった1940年代の数シーズンの原因は、打撃成績ではなく、野球記者との不仲が原因だったといわれている。他にも、もちろん、1942年にゴードンのヤンキースがボストンに9ゲームもの大差をつけてリーグ優勝したことや、ゴードンの守備ポジションが、「フェンウェイのレフト」程度の「楽なポジション」ではなく、苦労の多いセカンドであったことなども関係しているだろう。
いくら同じ「フェンウェイのレフト」だったカール・ヤストレムスキーが7回もゴールドグラブを受賞しているとはいえ(ヤストレムスキーの7回のゴールドグラブにしたって、補正を厳密に適用して測定しなおせば、必ずしもゴールドグラブに値する守備だったと言えるかどうかわからない)、大飛球を必死に追いかけてキャッチする必要もなく、外野手が試合を左右するミスを犯す可能性も非常に低い「フェンウェイの安易なレフト」で、それも平凡以下レベルの外野手といわれたテッド・ウィリアムズの「フェンウェイのレフト守備」を高く評価する人間などいない。


問題を絞ってみよう。
テッド・ウィリアムズとカブレラの違いがWARにあるとPoznanskyは暗に示唆しているわけだが、WARは本当にテッド・ウィリアムズの走攻守を正確に測定できているだろうか。
そして彼のWARは本当に高かったのか?



そもそも、WAR算出に使われる守備指標のひとつUZRは、レンジ・ファクターを改良する意味で2001年に提唱されたわけだから、それ以前の時代にはない。
例えば、FangraphのWARでは、2002年より前のWAR算出についてはUZRを適用していない。だから厳密にいうなら、UZRから算出することのできる近年のWARと、古い時代のプレーヤーについて計算したWARに、「完全なデータ連続性」が保証されているわけはないのだ。
Baseball Referenceにも、第二次大戦前のプレーヤーについてWARを掲載しているわけだが、テッド・ウィリアムズの1942年当時の守備データのかなりの部分は「空欄」になっている。つまり、この当時のWARは「詳細なデータが欠落しているのを承知したまま、仮のものとして算出している」のである。

ブログ主は、この10年間にUZRから算出されたWARでさえ、それが確かなものだとは思わないし、まして、1942年のWARが今のWARと同じ精度をもつ、なんて思わない。
それはそうだろう。昔のMLBプレーヤーの守備データなんてものについて、詳細かつ正確なデータが存在するわけはないのだ。当然のことだ。
言わせてもらえば、「1942年のテッド・ウィリアムズのWAR」なんてものが正確に計算できたわけがない。古い時代の選手のWARなんてものは、「後世の人間が、仮に計算した参考数値の域を出ない」のである。
にもかかわらず、WARを産出するにあたっては、正確な守備指標も必要なはずだが、各データサイトは、守備数値が必ずしも明確に算出できそうにない時代のプレーヤーについてもWARというやつを計算しているわけだ。
大昔のプレーヤーのWARとかいう「アテにならない数値」をもとに、テッド・ウィリアムズとミゲル・カブレラを比べてアレコレ言ってみても、何もはじまらない。


むしろ、UZRができて以降の例でいうなら、なぜPoznanskyはテッド・ウィリアムズなどではなく、イチローを挙げないのか、と思う。

イチローがシーズン最多安打記録を更新した2004年のWARは、Fangraph版で7.1だが、この年ア・リーグMVPになったウラジミール・ゲレーロのWARは、6.3しかない。「イチロー以下」だ。
もしPoznanskyのような人たちが「WARはリーグMVPを数字的に説明できる唯一の根拠だ」としつこく主張したいのなら、ステロイダーのミゲル・テハダはそもそも論外だという意味で2002年のミゲル・テハダ、WARが低い2004年のウラジミル・ゲレーロ、同じくWARが低い2006年ジャスティン・モーノーは「リーグMVPにふさわしくない」こと、そしてイチローはこれまで、まだUZRがWARの算出に適用されてなかった2001年のア・リーグMVPだけでなく、2002年、2004年、2006年と、合計で4回リーグMVPに選ばれていてもおかしくなかった、とでも、強く主張してもらわなければ困る。
Fangraph版 WAR
年度 イチロー リーグMVP受賞者
2001  6.1  6.1(イチロー 同じ年のAロッドは7.8)
2002  4.5  4.7(テハダ)
2003  5.6  9.3(Aロッド)
2004  7.1  6.3(ゲレーロ)
2005  3.4  9.1(Aロッド)
2006  5.4  4.0(モーノー)
2007  6.0  9.7(Aロッド)
2008  4.6  6.7(ペドロイア)
2009  5.4  7.9(マウアー)
2010  4.7  8.4(ハミルトン)
Ichiro Suzuki » Statistics » Batting | FanGraphs Baseball


この際だからハッキリしておきたいが、
そもそもWARという「未完成な指標」の算出方式には不備が多すぎる。

例えば、「ポジション補正」。

WARの算出においては、その選手の守備ポジションによって、数値をプラスしたりマイナスしたり、「補正」を行うわけだが、この「補正」は基本的に、どんな形状のボールパークであっても「同じ数値を補正する」のがスタートラインになっている。センターが「プラス2.5」、レフトとライトは「マイナス7.5」だ。

この補正手法にブログ主は納得してない。あらゆる外野手について同じ補正をして計算を開始する行為は、今となっては「あまりにも時代遅れ」だ。
あらゆる地域に、どれもこれも似たような形のボールパークが次々と建設されていった1970年代頃の「クッキーカッタースタジアム時代」ならいざ知らず、新古典主義以降のボールパークは、球場ごとに、「形状」も「広さ」も異なる
とりわけ、外野手に関して言えば、ボールパークの形状によって、守備の難易度は大きく変わる。ボールパークごとに、「守りの難易度」はまるで違ってくるのである。
レフトが広くて守りにくい球場もあれば、逆にライトが広大な球場もある。フェンスが固い電光掲示板になっていて非常に危険な球場もあれば、フェンス形状が複雑な球場、いろいろある。

にもかかわらず、WARは、算出のスタートラインとして、センター「プラス2.5」、レフトとライトは「マイナス7.5」と、一律に同じ補正数値を適用して算出を開始するのだが、これでは出発的からして、そもそもおかしい。いかにも野球をやったことがない人が考えそうなことだ。
補正設定が大きく間違っていれば、補正をさらに補正しても、修正しきれないケースが当然出てくる


実際、この「ポジション補正の基本的欠陥」を、どう後処理しているかというと、ポジション補正を、さらにシーズンごとに手を加えて再補正している。つまり「補正の補正」を加えている。
例えば外野手テッド・ウィリアムズの1942年の「ポジション補正」は、基本は「マイナス7.5」だが、「補正の補正」後は「マイナス6.5」になっている。つまり「補正の補正」で、プラス1ポイントを「こっそり加算」しているわけだ。

同じく、二塁手ジョー・ゴードンは、基本が「プラス2.5」で、「補正の補正」をプラス3.9ポイント受けて、「プラス6.4」になっている。いかにゴードンの守備が上手かったかが、わかる。
ゴードンの「補正の補正」の数値の大きさから、「ただ打てるだけの打撃専門レフト、テッド・ウィリアムズ」と違って、ゴードンが「打てて、守備もいいバランスのとれた選手だった」ことがわかるわけだ。


もしWARが走攻守を正確に判定できるのなら、本来はジョー・ゴードンのWARはもっと高いはずで、テッド・ウィリアムズより高くても妥当だと思う人がいても、まったく不思議ではない。
もし、仮にだが、詳細な守備データの存在しない古い時代のWARを算出した人間が、テッド・ウィリアムズの1942年の守備について「もっと大きなマイナス評価」を下していれば、「1942年のテッド・ウィリアムズとジョー・ゴードンのWARの差」なんてものは、やすやすと逆転するのである。
ここらへんがWARの「主観的な」ところだ。この程度のものを絶対視だなんて、とんでもない。


イチローに関しても、「あれだけ広大に広いセーフコでプレーし、しかも神業的守備を披露し続けてきたのだから、さぞかし守備の補正が効いてプラス補正されているだろう」と思うかもしれない。
だが、そんなことはない。Fangraph版WARをみればわかる。
WAR算出において、イチローの大半のシーズンの守備評価は、あれだけ守備で貢献したというのに、ライトの基本数値である「マイナス7.5」からほとんど「補正の補正」によるプラスはされていないのだから、腹が立つ。
2007年の補正値がプラス1.6になっているのは、このシーズンはセンターを守っていたからで(1339.1イニング)、センターの基本数値は「プラス2.5」なわけだから、2007年のイチローの守備補正値「プラス1.6」は、なんと基本数値「プラス2.5」から、0.9もの「マイナス評価」を受けていることになるのだ。(センターとライトを半々くらい守った2008年に関しても似たようなものだ)
ライトを守ったシーズンでも、イチローの守備に関する最終評価値は、ライトの基本数値「マイナス7.5」からほとんどプラス補正されていない。2004年、2005年などにいたっては、「マイナス7.5」と「マイナス7.6」であり、ライトの基本数値である「マイナス7.5」から、まったくプラス補正されていないのである。
これは数値上、名手イチローのこれまでの守備が、たかが「フェンウェイのレフト」でしかないテッド・ウィリアムズ以下だった、という評価になっているのだから、WARの守備評価なんてものがいかに馬鹿馬鹿しいかがわかる。まったくもって腹立たしいかぎりだ。

上のほうで、もし「WARでMVPを決めるべき」だというのなら、そもそも2002年、2004年、2006年にMVPを獲るべきだったのはイチローだ、という話をしたが、WARという指標がプレーヤーの「守備」について、いかにきちんと評価していないか、いかに誤った主観的な補正が行われているか、イチローの例でわかろうというものだ
たとえで言えば、イチローの強肩を頭にいれた対戦チームのランナーがホーム突入を最初からあきらめた(いわゆる「抑止力」というやつ)などという事象を、WARなんて曖昧で主観的なものが、きちんと算入できている、わけがない。

WARは、走攻守を総合的に評価している「フリをしている指標」だが、むしろ、WARで「走塁」や「守備」についての基本評価、あるいは「走塁」や「守備」の補正値があからさまに低く抑えこまれているのなら、WARという指標はかえって「単に打てるだけの選手」を高く評価する指標にしかならない。これでは、まったく意味がない。

そのくらいのこと、気づかいないで、どうする。

Fangraph版 WARにおける
イチローのポジション補正値

年度 イチロー
2001 -7.2
2002 -7.0 (WAR イチロー4.5 MVPテハダ4.7)
2003 -7.0
2004 -7.6 (WAR イチロー7.1 MVPゲレーロ6.3)
2005 -7.5
2006 -5.1 (WAR イチロー5.4 MVPモーノー4.0)
2007 1.6
2008 -3.2
2009 -6.7
2010 -7.5



さらに「パークファクター」という補正手法について書く。
「パークファクター」は非常にフェアな補正手段であり、指標算出には不可欠な存在、と思いこんでいる人が多いかもしれない。
だが、以前に書いたように、「パークファクター」というもの自体がいまだに対戦チームの影響なのか自軍の影響なのかが区別がつかないあやふやなものなのだから、これさえ補正に使っておけば、あらゆる数値がフェアにできる、などと言えるわけではない。そこを多くの指標が忘れている。
Damejima's HARDBALL:2011年11月10日、「パークファクター」という数字の、ある種の「デタラメさ」。


テッド・ウィリアムズの例、イチローの例からわかるのは、むしろ、「しょせん今の時点のWARの完成度は相当に低い」ということだ。


数値の構造全体にしても、WARが「走攻守をトータルに評価する」と標榜していながら、実際のところは、打撃に置かれている重心はいまだに重いものがあって、守備は補正が大きすぎて軽視されがちだ。

「補正」すること自体はいいとしても、バランスを大きく欠いた大きな数値を適用している「ポジション補正」の例からわかるように、数値レンジの大きすぎる補正行為は、WARの算出結果そのものを大きく左右する。

たとえば、WARの最大数値は大きくプラスに振れるMVPクラスの選手でも、「プラス10」程度くらいにしかならないが、その一方で「ポジション補正」は「プラス12.5」から「マイナス17.5」まで、「プラスマイナス30もの広い数値レンジ」を持っている。
本数値と補正値をくらべると、補正値のほうが振幅がずっと大きいわけだから、これは「選手の活躍そのものよりも、指標の補正行為のほうが、WARに対する影響が大きい」ということを意味しかねない。
これでは「いくら選手が1年間必死に活躍しても、その活躍の評価は、WARの構造そのものにある歪みと、補正計算にひそんでいる主観性によって、簡単に消されてきたのではないか?」ということになる。

長々と書いたが、いいたいことをまとめよう。
ミゲル・カブレラのMVPにグダグダ文句つける前に、
まず自分たちがWARの欠陥を直せ。

考える、という行為には、かなりのエネルギーを要する。
今セイバー・オヤジたちのやっていることは、まがりなりにエスタブリッシュに成功したが、いまだに指標は未完成なままなのに老化が始まってしまったという、奇妙な「未完成な子供の老化現象」だ。世間はいまだにOPSだのWARだのパークファクターだの言っているわけだが、数字で語りたいならグダグダ言ってないで、アタマ使って、もっとマトモなものを持って来い、と、言いたい。

damejima at 04:29

November 12, 2012

2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ホーム)
2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ビジター)

2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ビジター)
2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ホーム)

これは2012年4月に書いた以下の記事に挙げたデータである。
Damejima's HARDBALL:2012年4月8日、チームの「総得点」と「総四球数」の相関係数を調べた程度で、「四球は得点との相関が強い」とか断言する馬鹿げた笑い話。


これらのデータが意味するところは、こうだ。
そのチームが稼ぎ出す「総四球数」というものは、それが得点の多い強豪チームであれ、得点の少ない貧打のチームであれ、ほとんど変わらない。

このことから、チームデータを観るかぎりにおいて、
次の事実が確定する。

チームという視点で見るとき、「四球数」は、チームの総得点数にまったく影響しない



一方、打撃指標において「四球」が、いかに「誇大」に扱われてきたかについて、既に大量に書いてきた。
いまやMLBのいくつかのチームでは、OPSとかいうデタラメな基準を信じ込み、大金を注ぎ込んでフリースインガーを集めてきてしまい、ホームランと四球だけで点を取ろうとした結果、「深刻な得点力不足に悩むハメになっている」のだから、これはもう、腹を抱えて笑うしかない(笑)

「四球」を無理矢理にまぎれこませるどころか、二重にカウントしたり、どこかの国の自動車の燃費のように、水増しされてカウントされているOPSだの、SLGだのという指標は、ただのデタラメでしかない。

出典:Damejima's HARDBALL:指標のデタラメさ(OPS、SLG、パークファクターなど)など



最初に挙げたデータは、誰でも作れるグラフだ。当時さりげなく挙げておいたわけだが、大袈裟でなく、こうした簡単な指摘でも、「数字で野球を語っている『つもり』になっていた日本のウェブサイト」の90パーセント程度は死ぬ(つまり、その存在意味を失う)と、当時から考えていた
なぜって、多くの野球サイトは、「どこかで聞きかじってきた『モノゴトを見る視点』」を使って、その視点そのものの根底にある間違いにまるで気づかないまま、あれやこれや語っているに過ぎないからだ。

実際、数字で野球を語っていたあるウェブサイトが閉鎖したことを知っている。そのサイトは一時セイバー的視点からコラムをさかんに連載していたが、やがて更新が滞るようになり、停止し、今では某選手のファンサイトに鞍替えしてしまい、とっくにセイバーの影もカタチもない。

その一方で、いまだに「自分がすでに死んでいること」に気づいていないサイトもある。こんな単純な、小学生でもわかることを、あれだけわかりやすく説明したというのに、「自分の主張の根底がすでに死んだこと」をいまだに理解できない人がいる、というわけだ。


こうしたことから常々思っているのは、頭の悪い世間というものを相手するのは、最終的には無駄だということだ。

根底的な間違いが修正できにくい理由は、簡単だ。自分が「受け入れたくない」、だから「理解したくない」し、「理解できない」、たったそれだけだ。彼らは、根底では、正しいとか正しくないとかいうことに、まったく関心がない。
日本のどこかの不振にあえぐ大手電機メーカーではないが、周囲からいくら正しいことを言われても、それを受け入れ、「カイゼン」して自分を作り直し、進路を修正することなど到底できずに、たいていは間違ったプライドを死守して自分から滅ぶ。

まぁ、モノゴト間違えたまま死んでいくのも、その人間自身の責任だ。「根底にある間違い」だけ指摘しておけば、十分だろう。あとはそういう人々が勝手に滅びていくのを遠く眺めるのみだ。「根底の間違い」を最初に指摘するのは多少骨が折れるが、しかたがない。間違いに気づけない人間は、最後は無視するしかない。
誰が引退しようと、アホなチームが身売り、移転、縮小に追い込まれようと、なんの関係も関心もない。


最初に挙げた2つのグラフは、実は、そういう「ヒトの気づきたがらない『認識の根底にある間違い』の指摘」のひとつなのだが、そういうことをわざわざ指摘するようなムダな行為も、そろそろ最後にしたいと思っている。

OPSだの、四球だの、ここに書いたことの大半は、自分の中では、とっくの昔に「理由と証明つきの決着」がついている。


ロックが死んだって? ジャズも死んだって?
いやいや。死んでるのは、音楽じゃなく
「おまえ自身」さ。

damejima

Rock It !


damejima at 00:57

July 29, 2012

ツイートもしておいたが、New York Timesを中心に、イチローの名を最初にMLB中に轟かせた、あの2001年の「レーザービーム」に触れる記事の数が増えている。(まぁ背景には、外野守備がけしてほめられたレベルのものじゃないという、ヤンキース独特のディフェンス面の課題があるわけだが)
2001年4月11日オークランド戦で、ライト前ヒットでサードまで進もうとした一塁ランナー、テレンス・ロング(1994年メッツ ドラフト1位。2006年メッツで引退)を、イチローが信じられない送球でサード手前で刺し、MLBにおけるキャリア初の補殺を記録した、例のアレだ。




ちなみに、以下の記事では、イチローの3回のFielding Bible award受賞回数が、ヤディア・モリーナアルバート・プーホールズに次いで多いことを挙げながら、Fielding Award投票者でもあるJohn Dewanのイチローに関するコメントを引き出すことに成功している。
賞を選ぶ投票者が、投票結果が出る前のシーズン中に投票対象プレーヤーについてコメントするのは、ちょっと珍しい。まぁ、それほど、誰が見ても今年のイチローの守備指標は素晴らしい、というわけだ。
“Most people think his biggest asset is his throwing arm, but it’s not,” Dewan said. “It’s just simply the amount of ground that he covers out in the field, being alert and making plays that other right fielders don’t make.”(中略)
「多くの人が、イチローの最大の資産は、その強肩にあると思っているが、それは間違いだ。
イチローの強肩というのは、単に、彼がフィールドでカバーしている守備範囲が広大に広いことから導かれる結果に過ぎない。彼が 「ランナーの進塁抑止力」 を発揮し、他の右翼手にはできないプレーを成功させているのは、その守備範囲の広さのゆえだ。」
“He’s having a great defensive year,” Dewan said. “Think of it like a hitter having a good year when he’s older. You don’t expect it, but it’s happening.”
「イチローは今シーズン素晴らしい守備をみせている。打撃で考えてもらうとわかることだが、年齢のいったプレーヤーが好調なシーズンを迎えるなんてことが考えられるだろうか。普通なら期待できない。だが実際に起こっている」
Suzuki’s 2001 Throw Made Baseball Take Notice - NYTimes.com
ブログ注:John Dewanは、スポーツデータ分析会社スタッツ社の元・社長で、守備系セイバーメトリクスの代表的人物。野球における守備力を測るための指標のひとつであるプラス・マイナス・システムの考案者でもあり、Fielding Bibleの発行や、MLBの守備をゴールドグラブとはまた違った視点から評価するFielding Bible賞も主催する。
資料:Damejima's HARDBALL:dewan を含む記事


さすが、John Dewan。
よくわかってらっしゃる。


The Cutoff Manは、ブロンクスとロングアイランドで育ったニューヨーカーで、野球記者として30年を越えるキャリアをもつベテランであり、BBWAA、全米野球記者協会メンバーでもあるJack O’Connellが書いているブログだ。
About Jack O’Connell « The Cutoff Man

そのO’Connelが、ヤンキースで現役を終え(1984年)、ヤンキースで初めて監督を経験し(1986年-1988年)、後にマリナーズの監督にもなった(1992年-2002年)、ルー・ピネラに「イチローに関する10の質問」という形式で数年前に行ったというインタビューを、イチローのヤンキース移籍にあわせて掘り起こす形で掲載している。
イチローがヤンキースに移籍した今見ると、この記事、2001年からのシアトルでのいろいろな出来事が思い出されて、なかなか感慨深い。

ただ、この記事のピネラの解答、どれもこれも、どこかで一度見たような気がするのはブログ主だけだろうか?
ただ、それを、いつ、どこで見たのかが、どうしても思い出せない。単なるデジャブかもしれない(笑) それとも、もしかすると、昔から読んでいる「ピネラのイチローに関するコメント」のほとんどすべてが、実は、このインタビューが元ネタだというオチかもしれないが、ちょっと明言はしかねる(笑)
Piniella talks about Ichiro « The Cutoff Man


断わっておくと、この記事、ちょっと困った点がある。
いつインタビューが行われたのかが、実はハッキリしていない」のである。こういうのは、メディア記事として信頼性に欠けるといわざるをえない。



Jack O’Connellがこの記事をブログにアップした日時は、記事に、Posted on July 28, 2012 at 10:53 AMと明記されていることから、投稿タイミングが「イチローのヤンキース移籍以降」なのは間違いないわけだが、肝心の元ネタのインタビューが実施された時期が正確にわからない。

記事の冒頭で、A couple of years ago, I did a lengthy question-and-answer session with longtime Yankees favorite Lou Piniella about Ichiro Suzuki.と書かれていることから、インタビューが行われたのは数年前、つまり、「イチローのシアトル在籍時代」、ということになっている。
また、質問項目4に「イチローのシーズン200安打達成が10年続いた」という記述がある以上、インタビュー実施時期は、「2010年の秋以降」ということになる。
この2つの条件からすると、2010年の冬くらい、つまりルー・ピネラがシカゴ・カブスの監督を辞めて引退したあたりということにはなる。
イチローのヤンキース移籍をきっかけに、2010年に収録しておいたが、お倉入りになってホコリをかぶっていたインタビューを再掲載しただけかもしれないが、どうも、もうひとつ、しっくりこない。


ひとつ、問題がある。

本文中、7番目の質問項目「3000本安打について」のピネラの解答部分に、こんな記述がある。"When you get to his age [38], you start to deal with some injuries." 「もし彼の年齢(38歳)になったら、いろいろと怪我に直面し始めるものだ」。
もしピネラにインタビューしたのが、本当に「2年前の冬」なのなら、イチローの年齢を「38歳」と補足するのは、絶対におかしい


当然のことだが、38という数字に「他の箇所には存在しないsquare brackets(=角括弧、[ ] )」がついていることからわかるように、この[38]という部分は、ピネラの発言ではなく、インタビュアーであるブログ主、Jack O’Connellのつけくわえた補足部分だ。

Jack O’Connellが昔のインタビューに手を加えて記事にするときに、単純にタイプミスしただけかもしれないが、性格が悪いせいか(笑)、どうもひっかかる。
なぜまた、Jack O’Connellほどの記者歴30年を越えるヴェテラン記者が、この「間違えそうもない単純ミスを犯している」のか。なぜまた、この古い記事を再掲載するとき気をつけるべき「イチローのシアトル時代とヤンキース時代の混同」という単純ミスを犯したのか。それがわからない。どうしてもひっかかる。

わざと極端に詮索するなら、この記事の出処(でどころ)、実は、シアトルの関係者の誰かではないか、という気さえしないではないのである。
なんせ、Jack O’Connellはニューヨーク地区専門のビートライターだ。、そのニューヨーク専門のライターさんが、いくらアクの強いヤンキース動物園(Bronx Zoo)の名物選手のひとりだったピネラが引退したからとはいえ、シカゴ・カブス監督から身を引いたばかりのピネラに、シアトルの選手であるイチローのことを聞くという、ニューヨークとあまり関係のないシチュエーションが、どうも腑に落ちないのである。

(ついでにいうと、この10個の質問と回答集の、特に後半の部分の読後感は、質問項目10で、当時たぶん90本くらいだったはずのイチローの通算ホームラン数を「約100本」と表現していることなど、なんつうか、こう、シアトル時代のイチローについてではなくて、ヤンキース移籍という事件が発生して以降に語っている空気の匂いが微かにするのである。まぁ、いくら鼻には自信があるとはいえ(笑)、これについては、さすがに気のせいかもしれないとは思う。性格の悪さがこういうところに出る 笑)



加えて、もうひとつ指摘しておきたいのは、
以下の考えは、あくまでルー・ピネラの考えだ、ということ。いつも言うことだが、鵜呑みにしてしまわないことだ。

ピネラのマリナーズ時代のチーム運営については、当時のチーム成績の良さを理由にした多くの賛辞もあれば、当時の選手獲得、特に投手の弱体化批判など、批判も多数ある。
ブログ主にしても、このルー・ピネラの発言を紹介したからといって、では、このピネラ発言が自分の考えを100%パーフェクトに代表してくれている、などと思って書いてはいない。
発言の中には、「なるほど」と思うこともあれば、「やっぱりアンタ、本当はイチローの価値をそれほど信用してなかったんだな」と、あきれる部分もある。それが人間と人間の付き合い方というものだ。

リスペクトはもちろんするが、ブログ主は別にピネラの発言だからといって、盲従するつもりはまったく無い。



(以下、質問者はJack O’Connell。回答者はルー・ピネラ。以下でパーレン(丸括弧)内におさめられた部分は、すべてdamejimaによる補足

Q1. Can you remember your first impression of Ichiro?
イチローの第一印象を覚えていますか?
A: Ichiro first came to the Mariners as an exchange player in the spring of 2000. He was with us during the pre-exhibition period because he was not allowed to play in games. Watching him work out, I could tell that he could run, he could throw and he had good bat control. But we didn’t see him under game conditions.
イチローが最初に(提携球団のオリックスから)マリナーズに来たのは2000年のスプリングトレーニングだ。彼は(レギュラーシーズンの)ゲームには出られないから、オープン戦期間に帯同した。彼が練習するのを見て、走れるし、肩もいいし、バットコントロールもいいとわかった。でもメジャーのゲームに出られるコンディションだとまでは思わなかったね。


Q2. Before the 2001 season began, did you expect Ichiro to have as much success in the majors as he has had? Why?
イチローはこれまで(=2001年イチローのメジャーデビューから、Jack O’Connellによるピネラへのインタビュー時点までの、約10年間)数々の成功を達成してきましたが、あなたは2001年のシーズンが始まる前、それを期待していましたか? (もしそうなら)理由は?

A: I could not predict all that would happen, but no, it does not surprise me. He was a disciplined hitter with great physical tools. That spring with us in 2001, he put the ball in play, utilized his speed and didn’t strike out much. We got the feeling we had something special here. He was already a star player in Japan, so really the only question was how he would do in the 162-game schedule.
I remember our general manager, Pat Gillick, worked very hard to sign Ichiro. We thought it we got lucky that we might have a really good player for six or seven or maybe eight years. And look, he’s still playing at a high level in his 10th year in the big leagues.
そうなるのが予測できてたらいいんだけど、答えは「ノー」だな。(その後の成功を見て)驚きはしなかったけどね。彼は偉大な身体能力を備えていて、よく訓練されたバッターだった。2001年のスプリングトレーニングで、繋ぎのバッティングができてたし、スピードを生かしたプレーができ、あまり三振しない。チームに特別な選手が来た、そんな感覚があったね。彼は日本では既にスターだったし、ほんとに唯一といえる課題といえば、162ゲームというハードスケジュールの中で、彼がどうすればうまくやっていけるかという点、それだけだったんだ。
GMのパット・ギリックがイチローと契約するためにとてもハードに仕事してたのを覚えてるよ。我々は6,7年働いてくれる好素材が得られればラッキーだと思ってた。でも、見てのとおり、彼はメジャー10年目でもいまだにハイレベルのプレーをしてる。


Q3. I heard you were so worried about Ichiro’s power part because he hit only to the opposite field during preseason games in 2001 until you asked him to pull the ball. Is that a true story?
2001年のプレシーズンマッチで、あなたが引っ張って打ってみてくれと彼に要請するまで、イチローが流し打ちのヒットしか打たなかったために、彼のパワーについて、たいへん心配なさったと聞いたのですが、本当ですか?

A: Yes. The first few games for us that spring Ichiro hit the ball to left field exclusively. I remember talking to his translator and asking him if Ichiro could try to pull the ball so we could get a better idea of what he could do. The next day, Ichiro led off and pulled the first pitch over the right field wall for a home run. I saw what I needed to see and left him alone after that.
本当さ。あの春の最初の何ゲームか、イチローはレフト方向にしかヒットを打ってなかった。通訳を通じてイチローに頼んだのを覚えてるよ。「できたら引っ張ってみてくれないか。そしたら我々も、君に何ができるのかについて、もっとよく理解できると思うから」ってね。
翌日、イチローは先頭打者として最初の球を引っ張って、ライトスタンドにホームランをかっとばした。僕は何を理解しておく必要があるかわかったんで、それ以降、彼を好きなようにさせておくことにしたんだ。


Q4. Can you analyze the reasons why Ichiro was able to have 200 hits for 10 consecutive seasons? Which part of Ichiro’s hitting is impressive to you?
イチローが10シーズン連続で200本ヒットを打てた理由を分析していただけますか? イチローのバッティングのどの部分が印象的ですか?

A: He has great hand-eye coordination, which is important for a hitter, and he keeps himself in great physical shape. He can expand the zone a bit by chasing the ball up, but he puts the fat part of the bat on the ball so consistently and gets out of the batter’s box so quickly that infielders have to cheat on him. He actually is moving to first base often when he hits the ball, but he keeps his upper body straight and follows through on his swing. You don’t see anyone else do that.
彼は素晴らしい反射神経の持ち主なんだ。それは打者にとても重要なことだ。体調の自己管理も素晴らしい。ボールを最後まで見極めて打つから、ゾーンは広めだけど、彼は非常にコンスタントにボールをバットの芯でとらえてる。打席をとても素早く飛び出せるから、内野手はどうしても(打球より)彼の動きのほうに気をとられて(焦ってミスをして)しまう。彼は実際、ボールを打つのと同時にファーストに動き出してるくらいなんだが、にもかかわらず、上半身をまっすぐにキープして、きちんとフォロースルーの効いたスイングもしてる。
あんなことができる選手は、他にいない。


Q5. From the manager’s point of view, Ichiro should have selected more pitches to hit? Or he should have taken more walks?
監督という視点から、イチローはもっと選球すべきだと思いますか? また、彼はもっと四球を選ぶべきだと思いますか?

A: He is not going to walk much, that’s true, but he won’t strike out that much, either. His on-base percentage is not as high as maybe it should be for someone with a high batting average, but look, he gets on base with hits, so why worry about walks? His eyesight is superb, so it is not a matter of pitch recognition. He is just so adept at putting the ball in play. He’ll foul off a lot of pitches, but he does not swing and miss very much. Pitchers don’t want to walk him because of his speed on the bases. So if they get behind in the count, he still may get something to hit.
彼は四球をそんなに選ぶほうじゃない。それは確かだ。でも、彼は同時に、あまり三振しないバッターでもある。彼の出塁率はハイアベレージヒッターによくみられるほど、高くはない。
でも見てごらん。彼はヒットで出塁するんだから、なぜ四球について心配する必要がある? 彼の視力は素晴らしいから、選球眼そのものに問題があるわけじゃない。彼はたくさんの球をファウルにしようとするけど、空振りや打ち損じは少ない。ピッチャーは、彼が出塁したときの足の速さをよく知ってるから、彼を歩かせてもいいとは考えない。だからこそ、もしピッチャー不利なカウントでも、彼にはまだヒットを打つチャンスが残されてるんだ。


Q6. Do you have any specific memory of Ichiro during your managing career with the Mariners?
マリナーズ監督時代に、イチローに関して何か特別印象に残ったことはありますか?

A: It was during his first season, a game in Oakland. I don’t remember the hitter or runner, but I do know that the runner was very fast. He was on first base when the hitter drove the ball into the gap in right-center. Ichiro chased down the ball, and I was thinking I hope he throws the ball to second base to keep the hitter from advancing because I didn’t think he had a prayer of getting the other runner going from first to third. He made a perfect throw to third and got the guy. It surprised the runner, my third baseman, the coaches, me and even the umpire. It’s still one of the greatest fielding plays I have ever seen.
あれはメジャー最初のシーズンのオークランド戦だったかな。バッターとランナーが誰だったか、覚えてないけど、私はランナーがとても足が速いってことを知らなくてね。ランナー1塁で、バッターが右中間に打って、イチローがボールを追いかけた。
僕は、バッターランナーが(セカンドに)進むのを防ぐために、イチローがボールをセカンドに返球してくれるといいなと思ったんだ。まさかイチローが、三塁に進もうとしてる一塁ランナーをアウトにできるチャンスがあると考えるなんて、思いもしなかった。
ところがイチローは完璧な送球で、サードでランナーをアウトにしてみせたんだ。あれは、ランナーも、三塁手も、コーチも、僕も、そしてアンパイアでさえも、腰を抜かしたね。あれはいまだに、これまで見た中で最高の守備のひとつだよ。(=いわゆる2001年4月11日の「レーザービーム」のこと)


Q7. Do you think he can reach 3,000 hits in the majors?
あなたは彼がメジャーで3000本安打を達成できると思いますか?

A: The key is for him to stay healthy. He stays in great shape physically, which he will have to continue to do to get to 3,000 hits. I think it’s possible, but it won’t be easy. I figure it would take him at least four more years. When you get to his age [38], you start to deal with some injuries. If he can avoid that, he has a good shot at it.
鍵となるのは、彼が健康でいられるかどうか、だね。彼の体調は申し分ない状態にあるけど、彼は3000本安打に達するまで維持し続けなきゃならないだろうね。僕は可能だと思ってるけど、かといって、簡単なことでもない。僕の判断では、あと最低でも4年かかるだろう。彼の年齢 [38歳=ライターJack O’Connellによる補足。この補足自体は間違いである可能性が高い] くらいになれば、いろいろと怪我に遭遇するもんさ。もし彼がそれを回避することができたなら、3000本安打達成の見込みは大きいね。


Q8. Did you see any differences on Ichiro between now and the time when you were the manager?
あなたが監督だった頃と、今とで、イチローは何か違いますか?

A: The only thing I see is that he doesn’t score as many runs, but the Mariners are a much different team from the one I had when we had a strong offensive club. Put some good hitters around him, and he’ll score 100 runs again on a regular basis. He still runs very well, has great instincts in the outfield and plays with so much pride.
唯一違うと思うことは、彼があまり得点してないという点だな。でも、今のマリナーズは、非常に攻撃力があった私の時代のマリナーズとは全く違うチームだからね。彼の前後に良いバッターを置けば、彼は再びレギュラーシーズン100得点できるようになるはずだよ。彼にはまだ得点力も、外野手としての偉大な才能もあるし、他人に誇れるプレーができる選手だよ。


Q9. What do you think about how Ichiro’s speed helps his hit record?
イチローのスピードが、彼の安打記録にとってどう役立っているかについて、お考えを聞かせてください。

A: It’s a great asset. As I said before, infielders have to be on their toes with him. You see them often hurrying their throws on what are otherwise routine ground balls for any other hitter.
そりゃ大きな利点さ。以前も言ったように、内野手はいつでも動けるように構えてなきゃならない。誰かほかのバッターなら、ありふれたゴロだとしても、(バッターがイチローなら)内野手がスローイングするのにあわてるのを、よく見るだろ?


Q10. Should Ichiro make it to Hall of Fame? Why?
イチローは殿堂入りすべきでしょうか? その理由は?

A: Absolutely. He is one of the greatest leadoff hitters in the history of the major leagues. He has excelled at nearly every aspect of the game. Ichiro is not a power hitter, but he has still hit his share of home runs, almost 100, I think. He’s a great hitter, a great base runner, a great fielder with a great arm, a game breaker. All of those qualities add up to me as a Hall of Fame player.
当然イエスさ。彼はMLB史上、最も偉大な先頭打者のひとりだ。彼はゲームのあらゆる場面で卓越したプレーをしてきた。イチローはパワーヒッターじゃないが、僕は約100本というホームラン数は彼相応の十分な数字だと思う。彼は偉大なバッターであり、偉大なランナーであり、偉大な肩を持った偉大な野手であり、偉大な成功者だ。それらすべてのクオリティを積み重ねて考えて、私は彼を殿堂入りプレーヤーにふさわしいと思うよ。

damejima at 02:53

January 04, 2012

今まで考えてみたこともなかったが、インターネットには年齢は関係ない。ならば、このブログを、まだ分別のない子供が読むかもしれない。(ペアレント・コントロールで、このクチの悪いブログを親が読ませないかもしれないが)

だとしたら、子供たちの世の中に対するいらぬ誤解を避ける意味で、書いておかなければならない、気になることが、ひとつある。

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あなたはたぶん、虫歯になったことがあるだろう。
誰でも虫歯にはなる。

じゃ、虫歯を治療する方法は知っているだろうか?
そう。歯医者さんに行けばいい。それだけのこと。
(虫歯と発車しそうなバスを糸で結んでおくのも、
 ひとつの手だが、あまりすすめられない)



虫歯になったことがあるなら
次の話も理解できるはずだ。

「人間は虫歯になるものだ。」という話と、
「虫歯を、治せるか、治せないか」
「虫歯は、治すべきなのか、どうか」
「虫歯を治す方法は、あるのか、ないのか」
という話は、まるで違う話。


人間はたしかに虫歯になる。なるけれど、もし虫歯が痛ければ、治す方法はとっくにあるんだから、歯医者さんに行けばいい。
「人間は虫歯になるものだ」という言葉は、見た目は、みょうに立派だ。だけど実をいうと、中身はぜんぜん無いんだ。


オトナはよく、こういう「ヒトは虫歯になる」的な、「中身のぜんぜん無い決めつけ」から話をはじめたがる。そのことに、すこし注意を払うべきなんだ。



たとえばMLBで、ライアン・ブラウンのドーピング疑惑が明らかになったとき、FOXのローゼンタールさんは吐き捨てるように、こう書いた

「スポーツはクリーンには、ならない。」


そう。
もし虫歯の話が本当に理解できたなら
何が言いたいか、もうわかるはずだ。
(わからないなら、最初から読み返しなさい)

「スポーツは往々にしてクリーンではない」ということと、
「スポーツを、クリーンにできるか、できないか」
「スポーツを、クリーンにすべきか、どうか」
「スポーツをクリーンにする方法は、あるのか、ないのか」
という話は、同じじゃないんだ。


たぶん、ローゼンタールおじさんの心には、「ひどく悲しくて、取り除けない思い出」でも詰まってるんだろう。オジサン、時々ひどく口が悪いが、悪い人じゃない。たぶん、やりきれない気持ちを吐き出すための良い方法が他にみつからないだけなんだ。だからモノを書く仕事をして、気を紛らせている。


オトナは「人間は虫歯になるものだ」的なリクツで、みょうに雄弁になるときがある。子供はそれを、マトモにとっちゃいけない。

オトナがいくら「スポーツはクリーンじゃない」とか、自分のおかれた現実に絶望したフリをしてみせても、、たとえ「スポーツにはときどきクリーンじゃないときがある」としても、それでスポーツをクリーンにできる方法が無くなるわけじゃない。
そのことを、子供は間違えないで、覚えておいてほしいんだ。



ついでだから、言っとこう。
よくこんなことを言う、頭の悪い人がいる。

「野球は得点の多いほうが勝つスポーツだ」

うん。まぁ、そうだね。
で。だから、なに?


もうわかるだろ。

「野球は、たくさん点をとったほうが勝つスポーツだ」っていう話はみょうに立派だけど、実は現実の野球でどう勝つかっていう話とは、まるきり関係ないんだ。だから、そこから勝つためのゼッタイの方法なんて、導けたりしないんだ。



めんどくさくなるとオトナはよく、こういう「人間はいつか死ぬ」だの、「地球はどうした、こうした」だの、「電気が足りないから野球はやるな」だの、大げさなことを言う。そういうのを聞いても、子供は心を柔らかくして、一度やりすごすべきなんだ。

けしてオトナを真似て、絶望にとらわれちゃ、いけない。
虫歯があれば、治しておけばいいだけなんだ。



ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年12月10日、ライアン・ブラウン事件の衝撃で珍しく感情的で悲観的な記事を書いたFOXのローゼンタール。

damejima at 15:29

December 03, 2011

もともとシーズンオフのトレード騒ぎや噂話には、ほとんど興味がない。
春になってシーズンが始まったら、そのときにいる人間が誰かをチェックすれば、そのほうがよほど手っ取り早い。実現しもしない馬鹿なライターの飛ばし記事や、決まるかどうかもわからない噂話を毎日追っかけて貴重な時間をムダにするくらいなら、書きたいことは他に山ほどある。


ちょうど全く別の記事を準備していたところなのだが、ボルチモアの編成責任者(日本のスポーツ紙などはGMと呼称しているが、実際の肩書はExecutive Vice-President of Baseball Operationsで、GMではない。だが、実権の内容からGMとして扱われる、というのは、MLBではよくある。日本の記者もそういうことには慣れているので、めんどくさいからGMと呼んでいるわけだ)に就任した元ボストンGMのダン・デュケットによるテキサスの若いキャッチャー、テイラー・ティーガーデン獲得のニュースを聞いた。(テキサスGMジョン・ダニエルズのトレード後のコメントでは、ティーガーデンには数チームが関心を寄せていた、とのこと)
どうやら、ティーガーデンはマット・ウィータースのバックアップをつとめることになるらしい。まさかこの2人がチームメイトになるとはねぇ。さすがにこれはメモを残さねば。

ちょっと興味深いニュースだ。ブログの性格上、キャッチャーに関する話題を多く扱ってきたこともあるし、この2人、所属地区は違うが、デビュー以来ずっと出世を競いあってきた同世代のキャッチャーでもある。
Rangers send catcher Taylor Teagarden to Orioles for right-hander | Texas Rangers | Texas Ran...


この2人がデビューした2008年〜2009年頃は、まだシアトルが「城島問題」の渦中にあった時代だったから、この2人のキャッチャーのことも何度か触れた記憶がある。
テキサス大学出身で、2005カレッジ・ワールドシリーズ優勝経験をもつテイラー・ティーガーデンは、同世代に有名キャッチャーの揃った1983年生まれで、出身地テキサスの地元プレーヤーとして2008年7月デビューした。
大西洋岸のジャスティン・スモークと同じ高校の出身で、ACCで主に打撃面で有名だったマット・ウィータースは、1986年生まれで、2009年5月デビュー。
ティーガーデンはウィータースより3つ年上だが、デビューは1年しか違わない。ティーガーデンは、例の「1983年世代」に属している。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:「1983年世代」、MLBキャッチャー世代論
1982年生まれ
ヤディア・モリーナ

1983年生まれ
ジョー・マウアーカートスズキラッセル・マーティンジェフ・マシステイラー・ティーガーデンロブ・ジョンソンミゲル・モンテーロクリス・アイアネッタ

1984年生まれ
ブライアン・マッキャン


この2人の若いキャッチャーは、かつてのジェフ・クレメントと同じように、少なくとも地元ファンからはずっと次世代のメインキャッチャーと期待され、チームに大事に育てられてきた。
2008年当時のテキサス地元記事:Baseball Time in Arlington: A Texas Rangers Blog - Home - The BBTiA Top 25 Prospect Rankings: Fall '08 Edition
(それにしても、2008年のテキサスのプロスペクトは壮観のひとこと。当時のプロスペクトのうち、今もテキサスに残っているのは、デレク・ホランドネフタリ・フェリースエルビス・アンドラスミッチ・モアランドなど。そしてトレードで出したのは、トミー・ハンター、ジャスティン・スモーク、ブレイク・ビーバンなど。
テキサスがこの数年でチームに残した若手のその後の活躍ぶりとワールドシリーズ進出、そして、トレードで外に出した若手の「その後」を比較すれば、テキサスが、将来に期待できる若手はけしてトレードせず、チームに残してゲームで使いつつ手塩にかけて育ててきた育成方針の確かさと、難のある選手を思い切りよく切ってきたトレード巧者ぶりは一目瞭然。ジョン・ダニエルズと、無能なジャック・ズレンシックでは、役者が違いすぎる)

両者のデビュー当時の評価は、最初から大差があったわけではない。むしろ、カレッジ・ワールドシリーズ優勝経験をもつだけに、ティーガーデンのほうが高評価だった気がする。(これにはティーガーデンのメジャー初ヒットがホームランで、多少華々しかったせいもある。2008年7月20日ミネソタのスコット・ベイカーから)
一方のウィータースは、かつて日本のMLBファンから「多少打てるけれども、守るほうはまるでたいしたことない。トータルにみれば非常に平凡なキャッチャー」と、もっぱら思われてきた。
同世代のキャッチャーには、ジョー・マウアーやヤディア・モリーナ、ブライアン・マッキャンがいて、彼らは既にオールスターにファン投票で選出されるほどのスターであり、MLBを代表するキャッチャーになっているわけだが、彼らに比べると、ウィータースとティーガーデンの2人は「出世の遅れたキャッチャー」だったわけだ。
実際、デビュー後1年か2年が経つ頃には、両者とも「たいして打てないし、守りもたいしたことはない」という低評価しか与えられなくなっていた。

だが、結果的に言うと、2011シーズンに年の若いウィータースのほうが急速な変身を遂げ、年上のティーガーデンを大きく抜き去った。
2011シーズンは139ゲームに出場し、ホームラン22本、打率.278で、一時は打率が3割に迫っていた。最近ジョー・マウアーが故障だらけになったこともあって、オールスターにも初選出。また、従来たいしたことがないと思われていた守備面でも、2011年にFielding Bible賞とゴールドグラブを同時初受賞した。
特に、Fielding Bible賞受賞は、MLB全体でたったひとりしか選ばれない賞であることと、例年この賞の常連になっている典型的な守備型キャッチャーで、ワールドシリーズ優勝のヤディア・モリーナを抑えての初受賞だから非常に価値が高いし、ゴールドグラブとの同時受賞にも意味がある。


MLBでのウィータースの評価が非常に高まったことは、いくら彼を評価してこなかったボンクラな日本のファンでも理解できるようになったことだろうが(笑)、むしろそんなどうでもいいことより、気になるのは、元ボストンGMで、2000年代の強いボストンを実質的に用意した、あの慧眼のダン・デュケットが、ボルチモアでの初仕事として、攻守に成長著しいウィータースのバックアップに、トレード巧者のテキサスが見限ったテイラー・ティーガーデンを選んだことの「意味」だ。
ダン・デュケット(あるいは、元テキサス監督で、ティーガーデンをデビュー時からよく知るショーウォルター)にいわせると、「ティーガーデンにはまだまだ伸びしろがある」ということなのか? もしくは、守備の評価は良くなかったマット・ウィータースの開花に成功したボルチモアには、よほど有能なキャッチャー育成スタッフが揃っているのか。 この点が非常に気になる。

バーズに詳しいボルチモアのローカルサイトも、ボルチモアのキャッチャーの陣容は常に「若いウィータースに、ベテランのバックアップをつけるというパターン」だったのが、今回、若いティーガーデンを控えにしたということに驚いている。ボルチモアのファンにしても、ちょっと意外なトレードだったらしい。
O's trade for Teagarden


ボルチモアというチームが面白いなと思うのは、明らかにセイバー的な手法に染まりきっている今のボストンやタンパベイといった同地区のチームと一線を引いているように見えるところだ。
例えば打線は、まるっきり待球せず、初球からガンガン打ってくる。これは待球を奨励して、やたらと四球を増やしたがるボストン、タンパベイにはない非常に大きな特徴で、ボルチモアはヴェテラン監督ショーウォルター就任後も、これを変えようとしていない。

ボルチモアの監督が、「ちょっと前」のヤンキースやテキサスの監督だったバック・ショーウォルター、そしてGMが、「ちょっと前」のボストンのGMだったダン・デュケットと、「ちょっと前の野球」を築いたコンビになったところをみても、ボルチモアにはどこか「ウチは、近年のボストンやタンパベイとは、『ちょっと違う野球』をやりたい」という強い意思を感じるのが、非常に面白いのである。

バーズには是非、セイバー的な手法に染まりきったチームとはまったく別の方向性の野球を目指してもらいたい。



それにしても、ア・リーグ西地区の来シーズンのキャッチャーは面白い。テキサスだけが着々とチームに手を入れ続けて、戦力アップをはかっている(笑)
テキサスは、とうとう若いティーガーデンに見切りをつけ(トレードの見返りは投手)、元LAAのマイク・ナポリと、元シアトル・元コロラドのヨービット・トレアルバの、2人のワールドシリーズ経験者。たぶんノーラン・ライアンは、来シーズンもポストシーズン進出は固いと思っているのだろう。
ジェフ・マシスに賭けて失敗したエンゼルスのマイク・ソーシアは、来シーズンどうするつもりなのだろうか。
シアトルは、先日タンバベイが放り出した若いジョン・ジェイソを獲得したが、無能なロジャー・ハンセンに育てられるわけはない。そのタンパベイは、というと、さっそくトロントからFAになっていたベテランのホセ・モリーナを獲得した。たぶんタンパベイはまったく予定通りの行動だったのだろう。いつもどおり無能なズレンシックは、ここでもタンパベイの廃品回収を行う無能ぶりを発揮した(笑)
オークランドは、カート・スズキで変わりなし。なんの変化も見えない。

damejima at 09:14

November 09, 2011

2002年に新しいオーナーの決めた新しいGMとして、弱冠20代のテオ・エプスタインがやってくる前に、1994年から2002年までボストンGMだったダン・デュケットが、ボルチモアの編成責任者として3年契約したらしい。
なんで今ごろこんな映画をやるのか、まるで意味がわからない「マネーボール」とやら(笑)が日本で封切りになることでもあるし、色褪せつつあるビル・ジェームスやボストンのこの10年間の足跡の「過大評価」を、もうちょっとマトモに、というか、大きく下方修正する良い機会だろう。


テオ・エプスタインは最近ボストンのGMから、5年契約でシカゴ・カブスのGMに就任したばかりだが、彼のwikiには、誰が書いたのか知らないが(笑)、こんなことが書かれている。
レッドソックスは客観的データに基づく統計学であるセイバーメトリクスを重視する方針を打ち出し、セイバーメトリクスの産みの親であるビル・ジェームスをアドバイザーとして招聘する。この結果、2003年にはメジャーチーム最高得点を叩き出し、チーム長打率4割8分9厘はブロンクス・ボンバーズと恐れられた1927年のヤンキース打線を上回る結果となった。
2004年のシーズン中にはチームの人気者であったノマー・ガルシアパーラ遊撃手を放出してまで守備力、走塁力の強化に力を入れ、周囲から大変な非難を浴びた。しかし、結果的にはこのトレードで獲得したオルランド・カブレラ遊撃手、ダグ・ミントケイビッチ一塁手、デイブ・ロバーツ外野手はチーム86年ぶりのワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。この成果からボストンでは一躍人気者となった。


これだけを読むと、あたかも「テオ・エプスタインとビル・ジェームスが敏腕だったために、素晴らしい選手が集結し、それで2004年ワールドシリーズを制覇できた」と言わんばかりの持ち上げぶりだが(笑)、いやはや、馬鹿馬鹿しい(笑)


そもそも、上の引用文中で名前を挙げられているカブレラ以下の3選手は、ワールドシリーズ制覇した2004年シーズンに50ゲーム前後しか出場してないわけで、控え選手の彼らのおかげで優勝できた、などという記述は、明らかに妄言。言い過ぎ。ウソ八百。守備要員として彼らを獲得したのかなにか知らないが、出塁率にやたらとうるさいセイバー球団にしては、この3選手、出塁率もまるでたいしたことがない。
だいたい、そもそもこれらの控え選手を獲得できたのは、ボストン側に交換ピースとして、ダン・デュケットがボストンGMに就任した94年のドラフトで1位指名したノマー・ガルシアパーラがいたからにすぎない。

同じような話は他にもある。
ボストンがフロリダ・マーリンズから、現在も主力先発投手のひとりであるジョシュ・ベケットと、サードの名手マイク・ローウェルを獲得できたのも、ダン・デュケット時代の2000年に国際FAで獲得したハンリー・ラミレスという交換ピースが手元にあったからだ。
ハンリー・ラミレス獲得については当時、相場に合わない高額すぎる契約としてデュケット批判を招き、デュケットをクビにする理由のひとつにされてしまうわけだが、あらためて振り返れば、結果的にハンリー・ラミレスと交換にベケットとローウェルを手に入れ、2000年代の10年を戦っていく骨組みを作るコストだったと思えば、ムダ金使いやがってという当時の批判は、今となっては的はずれだ。


まぁ、言いたいのはつまり、2004年のワールドシリーズ制覇はじめ、2000年代のボストンで「最も太い基本骨格として投打に機能した選手たち」の大半は「ダン・デュケット時代に獲得した選手」であること、そして、その「太い基本骨格」の肉付けとなった控え選手でさえ、デュケット時代の有名プレーヤーを交換ピースに獲得して成立したチームなのだから、「テオ・エプスタインの手腕など、2004年のワールドシリーズ制覇とほとんど関係ない」ということだ。
2004 Boston Red Sox Batting, Pitching, & Fielding Statistics - Baseball-Reference.com
「太い骨格」となった主力選手は、投手で言えば、ペドロ・マルチネス(97年モントリオールから獲得)、ティム・ウェイクフィールド(95年ピッツバーグから獲得)、デレク・ロウ(97年シアトルから獲得)。(エースのカート・シリング獲得にしても、交換ピースになったのはケイシー・フォッサムホルヘ・デラロサといったデュケット時代に獲得していた投手たちである)
野手でいえば、ジェイソン・バリテック(97年シアトルから獲得)、マニー・ラミレス(2001年FAで獲得)、ジョニー・デーモン(2001年FAで獲得)、ケビン・ユーキリス(2001年ドラフト)。(他にも、デュケット時代の獲得野手は、アダム・エベレット、デビッド・エクスタインなどがいる)
こうして名前を並べていけば、2007年に松坂大輔投手がボストンに入団したあたりで、日本で広く知られるようになり人気も出たボストンの投打のヒーローたちの大半は、ダン・デュケット時代末期の2000年代初期には既にピースとして出そろっていて、そこに後からドラフト組のペドロイアエルズベリーバックホルツなどが加わっただけだという、ボストンの近年の「選手構造」が一目瞭然にわかるはず。
テオ・エプスタインとビル・ジェームスはダン・デュケット時代に蓄えられていた遺産を継承し食い潰しただけ、と整理したほうが、よほど脳内がスッキリする。


2011年シーズン終盤のポストシーズン進出失敗の歴史的大失態があって、テオ・エプスタインとテリー・フランコーナがボストンを去ったのをいい機会に、この2人、特にエプスタインの業績については、シカゴ・カブスがエプスタインの何をどう評価して5年もの長期契約を与えたのか知らないが、評価を大きく下方修正するのが妥当というものだ。
エプスタインになってからのトレードといえば、ミッチェル報告でステロイダーとして名指しされたのがわかっていたはずのエリック・ガニエ獲得のために、デビッド・マーフィーなどをテキサスに手放したことなどは十分すぎる汚点といってよく、デビッド・オルティーズの薬物使用に関する処分の甘さ軽さといい、どうもボストンはステロイドに寛容すぎるきらいがあるのがどうも好きになれない。
他に、エドガー・レンテリア、フリオ・ルーゴ、松坂、J.D. ドリュー、マイク・キャメロン、ジョン・ラッキー(2011オフにTJ手術予定)、カール・クロフォード。エプスタインがGMとして獲得してきたFA選手は地雷だらけ(笑)


マネーボール」という映画にしても、既に知られているように、この映画の企画が最初に持ち上がってから紆余曲折がありすぎたことが原因で、とっくに旬が過ぎている。映画として封切られるまでに「マネーボール」という話題そのものの賞味期限が終わってしまっているのは明らかだ。
ブラッド・ピット自体は大好きな俳優のひとりで、「ファイトクラブ」なんてのはマジにお気に入りの1本だが、こと野球に関しては安易に譲るわけにはいかない。野球をほとんど知らないとか、興味がないとか公言する映画監督と主演俳優が、旬の過ぎた題材を映画にしたとしても、ブログ主はまったく関心が湧かない。

知らんがな。古臭い。
とだけ、言わせてもらおう。


むしろ今の今、ボストンとマネーボール(さらにオークランドのビリー・ビーンも含めて)に関して、最もリアルでコンテンポラリーなアプローチと言えるのは、「セイバーの再評価」だろう。今のヨーロッパの財政危機における国債の格付けの変動になぞらえていうなら、セイバーの評価の「格下げ」、「ダウングレード」だ。



damejima at 11:57

August 19, 2011

前の記事を書いているときに気づいたのだが、投手の被BABIPとDERの関係が非常に強い相関関係にある、てなことを、さもひとつの大発見のように書いたり、BABIPという指標がどのくらい「運」を示すか、なんて無意味な議論に随分と執着している人がいる。
ブログ主は、よくまぁそこまで中身のない議論に時間を浪費できるものだと、ある意味、感心した(笑)


XとYという2つの要素の関係がグラフ上で「完璧に右下がりの直線として表現される」場合、普通はこの2つの要素の間に「なにか世界がひっくり返ったと感じるような神秘的な関係」など存在しないし、ありえない。

こういう場合に考えられるのは、単に「元々ひとつである全体現象を、代表的な2つのカテゴリーに分類した上で話を進めている」とか、「全体総量が決まっている現象において発生している2種類の結果が、相互に極端なパレート最適状態になっている」とか、「Xを算出するのに使ったのと全く同じ基礎データを、Yの算出時にも同時に使ってしまっているため、XとY、2つの数値同士にはもともと非常に強い相関が不可避的に存在している」とか、何かそういうハッキリした原因があって起きているだけのことだ。

被BABIPとDERの関係は、明らかに3番目のケース。
つまり、「2つの指標は、同じデータ群から出発して計算されているため、もともと非常に強い相関関係があるわけだが、それに気がつかない人がこれら2つの指標を比べてみたときには、2つの指標の間に『なにか偶然とはとても思えない、奇跡とでもいいたくなるほど強固な相関関係を発見できたように感じてしまう』という、ほぼ『錯覚』に近い現象」だと思う。

わかりづらいと思うので、たとえ話をしよう。

たとえば、人類全体に占める「女性の割合をX」、「男性の割合をY」、どちらにも属さないひとを定数Rとする。この場合、(男性の割合X+女性の割合Y)は、0.998とか、常に一定の数値になることは、誰にでもわかるはず。こういうXとYの関係をグラフで表現すると「右下がりの直線」にしかならない。
この場合、XとYが意味するのは、「人間」というもともとひとつだった全体現象を、「性別という視点」で2つのカテゴリーに分類してみただけの「分類ラベル」であって、(X+Y)は常に一定数値になるのが当たり前なのだ。これは神秘でもなんでもない。
そんな「いじりようがないデータ」を出発点にして、突然思考の落とし穴にはまって、いったい自分が男として(あるいは女として)生まれたことが「偶然」なのか、「必然」なのかを考え出したとしても、いくら必死に考えたところで結論など出るわけがない(笑)


もう少し別の角度から考えてみる。
いまたとえば、投手が打者に投げたボールをバッターが打ち、ボールがフィールドに飛んだとする。(つまり、四球でも、三振でもなく、またエラーは全体からみれば無視できるほど小さいとする)
変数X=野手が守備によって打球をアウトにした割合
変数Y=打球がヒットになった割合 (ホームラン除く)
定数R=ホームラン

注:変数XをDER、変数Yを被BABIPと、頭の中で置き換えてみてもらってもかまわない。

ホームランが出る確率をほぼ2%くらいの定数とみると、「ヒットになる確率Y」は、係数aを使って Y=1−(aX+0.02)みたいな単純な式として簡単に表現され、XとYの関係は「右下がりの直線」として非常に単純にグラフ化される。もしアウトになる割合が30%くらいの数値になるなら、ヒットになる割合は自然と70%くらいの数値に落ち着くことになるのは当然の話だ。

この場合、ヒットになる確率Yに、どのくらい偶然性が含まれるかを考える議論は、単に人類を男と女に分類していたときに、ふと自分はなぜ男に生まれてきたのか?と考え出して思考停止してしまう落とし穴現象と同じで、数式自体の意味とはまったく別の場所に存在している。
この数式自体が示しているのは、単に、「フィールドに飛んだ打球」というひとつの現象を、「現象X=守備によるアウト」と「現象Y=ヒットの発生」、2つのラベルに分類してみました、というシンプルな意味でしかない。

ただ、そのシンプルさは、野球というゲームのレベルの低さを意味するのではなくて、こういう単純さ、シンプルさこそ、野球というゲームの本質であり、野球のタクティクスの面白さのルーツになっていることを教えてくれる。
「バッテリーが、野手が守っていないところに打球がいかないように配球する」、「野手が、打球がいきそうな場所で守る」、「打者が、その場面で野手がいない場所に打球を打とうとする」、「野手が、誰も守っていない場所に飛んだ打球に、できる限り早く追いつこうとする」などなど。どれもこれも数字マニアが新たな指標を作る動機になりうる基本タクティクスだ。
こうした基本戦略は、複雑に表現しようと思えばいくらでも細分化できるし、細分化の過程で「指標とやら」をいくらでも発明できる(笑)たいていは、いつのまにか指標同士こんがらがって、出発点がどこだったかを忘れてしまい、ひょんなことから同じデータから計算した別の指標同士を比べて、同じデータから計算した双子の指標なのだから似ていて当たり前なのに、それを忘れて、世界の神秘を発見したような錯覚をおぼえたりする(笑)
だが、元を正せば、出発点は常に単純明快で、野球が「守備するプレーヤーがいるところに飛んだ打球はアウトであり、そうでないのがヒット」というシンプルな原則から出発している。


そもそも野球というゲームにおける「ヒット」について、「偶然性を100%排除して、完全に意図されたヒットだけを抽出し、それだけをヒットと呼びたい」と自分勝手に望むことは、なにかと押し付けがましいデータマニアがたいていたどり着く、単なる「個人的願望」でしかない。
個人レベルで何を考え、何を望もうとそれは自由だが、そういう「個人的願望」が、野球という歴史的ゲームの本質をまったく何も左右しないし、左右できもしないことや、野球の本質とは何の繋がりも持たないことくらい、いい加減にわかってもらわないと困る。
なのに、どうも最近、日米問わずだが、自分の「個人的願望」を、野球というゲームの本質と勝手に取り違えて発言している人が、あまりにも多い。日本人もアメリカ人も含め、いい加減、自分の考えを他人に押し付ける「計算ごっこ」が無価値なことくらい、わかってもよさそうなものだ。


これは卑下でもなんでもなくて言うのだが、野球におけるヒットの定義とは、もともと本質的には「フィールド上で、守備プレーヤーのいない場所に飛んだ打球」というくらいの意味しかもたされていない。つまり、「守備によってアウトにできないものを、ヒットといってみただけ」なのだ。「Xでない」と相対的に定義されたものに対して、いくら絶対的定義を求めようとしても、その作業は最初から無意味だ。

言い方を変えてみる。
ひとつのイニングに打っていいヒットの数には、上限はない。何十本ヒットを打とうが、かまわない。なぜなら、「イニングとは3つのアウトになるまでのプレーとして定義されている」のであって、「ヒットの数で定義されているわけではない」からだ。単純な話だ。
ここで頭に入れておかなければいけないのは、「アウトという存在が、いかに絶対的であるか」ということだ。
アウトになる行為は3つまでしか許されない。だが、ヒットはいくらでも、好きなだけオーケーで、「アウトでないもの」はいくら数多く存在していても大丈夫なのだ。そして、守備プレーヤーがアウトに「できる」確率から相対的に、守備プレーヤーがアウトに「できない」確率が計算でき、その大半がヒットと呼ばれる現象になる。
だからこそ、ヒットがどのくらい偶然に生まれるかが気になってしかたがない神経質すぎる人間が、いくらヒットの偶然性をゼロにできる数式をあみだそうと必死になっても、光の速度を誰も越えられないことをアインシュタインが相対性原理で証明してみせたように、そんな数式はもともとこの世のどこにも存在しないのだ。

アウトの絶対性から副次的に定義されるヒットは、アウトの絶対性を越えることは絶対にない」。野球においてこれまで誰も証明しなかったことだが、この記事でここまで書いてきた内容でほぼ証明が終わったように思う。


こんな単純な話がわからない人は
「野球盤」を思い出してみればいい。

フィールドに守備の選手が一定間隔を置いて並んでいる。守備の選手がいるところに打球が飛べば、その打球が、どんなに遠くに飛ぼうが、どんなにきわどいライン際に飛ぼうが、どんなに強烈なライナーが飛ぼうが、そこに守備の選手がいさえすれば、エラーでもしないかぎり、それは単純に「アウト」なのだ
つまり守備するプレーヤーがいるところに飛んだ打球がアウトであり、ヒットの本質とは、アウトにできない打球を放つこと、つまり、「守備でアウトにできない場所に打球が飛ぶこと」なのだ。
例えば、左打者と対戦しているピッチャーにインコースいっぱいだけを
投げさせ、同時に、ライトを守っているプレーヤーをライン上に立たせるとする。バッターがいくらライン際に強烈なライナーを打ったとしても、その打球は、普通ならツーベースヒットかスリーベースヒットだが、実際には「よくあるアウトのひとつ」になるだけのことだ。これは偶然でもなんでもない。
これはイチロー封じを目的に、かつてエンゼルスのマイク・ソーシア監督が実際のゲームでとった守備戦略だ。「守備している場所に打球を打たせる」戦略は、「アウトとは、守備プレーヤーがいるところに打球が飛ぶことだ」という「野球の本質」にダイレクトに根付いている。さすがソーシア。素晴らしい。


そして、「アウトでないもの」の成分は必ずしも偶然性100%ではない。なぜなら、「アウト」がかなりの部分で絶対的な成分でできている以上、「アウトでないもの」にも、かなりの絶対性がつきまとうはずだからだ。打球の質に絶対性が存在しないのは、例えば守備するプレーヤーがアウトにできる確率の問題があるからであって、運とは関係ない。
物事すべて単純化してからでしか思考を始められないような人が、アウト=必然だからといって、ヒット=偶然、そして(アウト+ヒット+ホームラン)=野球、とか、遠くに飛んだ打球だけが本物のヒットだとか、ミトコンドリア並みに単細胞なオツムで単純化しないとモノを考えられないのは勝手だが、その恥ずかしい子供じみた、間違った考えを、他人に押し付けるだけでなく、他人も自分と同じように考えるべきだ、自分だけは正しいと勝手に決め付けるのは、単なる馬鹿だ。

実際に野球の現場で起こっているのは
守備するプレーヤーのいる場所に飛んだ打球+守備のいない場所に飛んだ打球=野球
というシンプルな図式のゲームで、この図式は野球ができたときから変わってない。
「バッターがアウトになるのは、偶然か、必然か」など、考えたければ勝手にどうぞ(笑)いくら統計のチカラで歴史から逸脱できたつもりの計算馬鹿が、数字に溺れて死にかけたとしても、野球がもともと持っているシンプルなルールは何も変わらない。こんなシンプルなルールすら織り込めない計算などに、たいした意味などない。






damejima at 12:27

February 25, 2011

500個の四球が350本のヒットに相当する、というセイバー流の試算から、四球をヒットに換算する行為を「愚かしい」と感じる理由をいくつか書き留めて残しておこうと思う。
打率.280の打者でも沢山の四球を選んだ打者の成績は「四球を全部ヒットに換算すると打率.320くらいに相当する」とかいう「アナリストの視線からの発想」は、ブログ主に言わせば、あまりにも貧相だし、ベースボール的でない。


(1)数式と現実の混同

まず言いたいのは、「A=B」だからといって、「AとBの互換性、可逆性を完全に想定してはいけない」のが、現実世界というものだ、ということだ。

たとえば、数式で「A=B」という等式が成立したとする。

しかし、そのことは、現実の世界において、現象Aと現象B、商品Aと商品Bの可逆性とか互換性を保証する根拠になどならない。現実の世界には、そういう例は数かぎりなくある。

例えば、世界的に非常に評価が低い通貨Aと、世界的に流通している強い通貨B、2つの通貨があり、両方の通貨の為替レートがあらかじめ「500A=350B」などと決まっているとしよう。
為替レートが決まっているのだから、この2つの通貨は世界のどこでも常に無限に交換できるか、というと、そうでもない。弱い通貨Aから基軸通貨Bへの換金は簡単でも、基軸通貨Bを弱い通貨Aに戻す行為が商取引で必ずしも歓迎されるとは限らない。

また化学反応で、物質Aと物質Bを化合させ、第三の物質Cができるとする。
この場合、いちど化合させてしまった物質Cを、簡単に元の物質Aと物質Bに戻せるとは限らない。たとえばプラスチックは石油からつくられるが、プラスチックを簡単に石油に回生できるわけではない。

つまり言いたいのは、A=B(あるいはA+B=Cでもいいのだが)とかいうような「ある条件の下で成立しているギミック」が存在するからといって、それが「AとBは、どんな条件でも常に等価であり、互換性が完全に保証されたものとして扱っていい」とか「世界のどこでも、BをAに常に換算していい保証になる」わけではないのである。

そもそも「500個の四球=350本のヒット」という考えかたの根は、そもそも「空論」であって、中身がない。根本にある思考方法が、あまりにもベースボールの現実から離れている。


(2)プレーヤー目線からみた「四球とヒットの大差」

さて、論理的なことはさておき、あなたは野球で打席に立ったことがあるだろうか。あるとしたら、あなたは四球とヒットを「同じもの」「同じ価値のプレー」と感じ、同じように実現できるだろうか? また、四球を選んだチームメイトと、ヒットを打ったチームメイトを、「同じ視線」でッ評価するだろうか?

「アナリスト目線」ではなく「プレーヤー目線」から見れば、「350本のヒットを打つ」という行為と、「500の四球を選ぶ」という2つの違った行為を相互に換算できないのは明らかだ。


ほとんどのMLBの打者は、早いカウントでの打率が高い。言い換えると、ヒットを多く打てるカウント、というのは、「早いカウント」なのがベースボールである。たとえそれが、選球眼が非常に良く、多くの四球を選ぶことで知られたヤンキース時代のボビー・アブレイユであろうと、2−2が得意カウントであるような特殊な待球型打者のひとりであるジョー・マウアーであろうと、例外ではない。
打者がヒットを打てる確率が高いのは、「早いカウント」である。
こういうとき、フルカウントのような追い詰められたカウントでも通算打率3割打ててしまうイチローを念頭に置いてはいけない。イチローのような打者は、もしかすると地球上の生物ではないかもしれない(笑)といっても過言でないほど例外中の例外の天才であり、ほとんど全ての打者は、「早いカウント」に比べて、「煮詰まったカウント」ではかなり打率が下がるのである。


何が言いたいかというと、ヒットを打つ行為の大半は早いカウントでの打者側のチャレンジ、冒険する行為であり、「バットを振るのを自重する行為である四球」とは、全く目的の異なる行為だ、という、ごくごく当たり前の話だ。


歴史的にも、ベースボールというゲームができた当初、ルールブックには「四球」というプレーは存在していない。
ベースボールができた当初、打者は、投手に対して「自分の打ちたいコース」を指定できたし、ボールは何球でも見逃してよかった。ベースボールは、塁に出て、やがてホームに帰ってくることを目的に出発したゲームなのであって、「四球を目的にしたゲーム」として出発してはいない。
ヒットは、ベースボールが出来た当初からあり、打席に入る「そもそもの目的」、ベースボールというゲームのゆるぎない「根幹プレー」である。だが、四球は、後日つけ加えられた蛇足的なルールであり、また、打席に入る「目的」ではなくて、「結果」に属する。

ヒットと四球、両者は、プレーのもつ「質」が、根本的に違う。

四球は「待つ行為」「プレーの自重」であり、ある意味「冒険の自重」だが、ヒットを狙ってバットを振ることは、ある種の「冒険」であり、「未知のフロンティアへの大いなる挑戦」である。
そしてファンは、プレーヤーのチャレンジを見に、スタジアムに足を運ぶのである。


(3)ファン目線からみた「四球とヒットの違い」

仮に、1シーズンで500も四球を選ぶ選手と、1シーズンに350本もヒットを打てる選手、2人の個性的な選手がいたとしよう。メジャーで打席数が常にトップになることの多いイチローでも、シーズン打席数は700ちょっとだから、500も四球を選ぶ選手の大半の打席は、四球による出塁ということになる。

問題にしたいのは、この年間500もの四球を選ぶ選手を見るために「わざわざスタジアムに行いつめる気持ちになれるかどうか」、だ。

ブログ主なら、500の四球を選ぶ選手より、1シーズンに350本のヒットを打つ選手のほうを見に行く。つまり、「ファン目線」から言うなら、500個の四球と350本のヒットは等価ではない、のである。



ここで3つほどポイントを書いてみて気づいたのは、「アナリスト目線」「数字だけからみた野球」が、必ずしも、「プレーヤー目線」でもなければ、「ファン目線」に立脚して野球をプランニングしているいない、という事実だった。
実は、このことに気づいたことが、ブログ主にとって、最も意味のあることだった。これ、単純なようだが、実はこれからのベースボールを考える上で、とても大事である。
そういえばMLBでも、数字に頼ったチームづくりに着手した結果、そのチームの野球が、色気もなく、味もそっけもなく、かといって強くもない、意味のわからないチームになってしまったチームが、いくつもある。彼らはいったい誰のため、何のために野球をやっているのだろうと思っていたが、その「味気無い野球」の原因は、こういうところにあったのか、と、ハタと膝を打ったのである。
プレーヤー目線でも、ファン目線でもない数字の野球は、やはり何か重要な部分が欠けるのである。

「数字」を扱う行為は、それが誰の目線から見たものか? というシンプルな論点が往々にして欠けている。
だが、ヒトはなかなかそのことに気づくことができない。そして、ヒトはすぐに数字に溺れ、数字に騙される。




ブログ主も、数字をいじること自体は好きなほうだし、
このブログでも、よく自分の主張を補強するために、言いたいことの意味を数字に置き換えるという手法で、数字を「主張の道具」にしている。
だが、それはあくまで主張を数字におきかえるだけの行為だ。まるで乾いた雑巾を無理矢理絞るように、既存の数式から更に考えられることを無理矢理引き出して、数式を主張にかえるような本末転倒なことはしない。

主張は数式に置き換えられる。だが、逆の「数式を主張にみせかける行為」は本末転倒で、愚劣だ。

近年のMLBは、球団経営だけでなく、選手の能力評価、その選手に与えるべきサラリーの計算、獲得すべき選手の選定、チーム編成、ゴールドグラブなど賞の選考基準に至るまで、セイバーメトリクスに代表されるような「数字」が非常に幅をきかせるような時代になってきていると思うわけだが、「数字好きの人々」が自重しなければいけないと強く思うのは、「四球数を無造作にヒット数に換算する」ようなデリカシーの無さと、自己中心的な姿勢だ。それは「数字いじり」で、ベースボールではない。

数字に、選手とファンへのリスペクトが欠けてはならない。
選手は、コンピューターゲームの中でプレーしているわけではなく、実際にフィールドでプレーでそれを実現している。また、ファンは日頃の生活の中に野球に対する興味を持続しつつ、時間とお金をさいてスタジアムに足を運び、お気に入りの選手やチームを応援する。
野球を支えているのは数字ではなく、プレーヤーとファンだ。その彼らに対する敬意やデリカシーがなければ、数字いじりは非常に愚かな作業になるとしかいいようがない。四球はヒットの65%の価値とみなす、とか、勝手に決められても、困る。

四球に価値がないと言いたいのではない。四球とヒットには、換算しきれない根本的な差異もあることを忘れて、数字だけいじくってメディアでモノを言われても困るのだ。スタジアムの現実とかけ離れすぎた数字に、意味などない。


(4)数字によるチームづくりの「勘違い」

ここからは蛇足。
例えば、シーズン40個のファインプレーができる守備の名手の価値が、年間に180本のヒットを打てる選手の価値ど同等とみなせる、というデータが仮にあったとしよう。

では、だとしたら、チームは、40個のファインプレーが期待できるが、打率がたったの.200しかない選手に、年間180本ヒットを打つ打者と同じサラリーを払うのか? また、チームに守備の名手を9人揃えて野球をやれば、それは180ヒット×9人=1620本のヒットに相当するから、間違いなくチームは地区優勝できるのか?

そんなわけがない。

堅い守備に価値がないというのではない。数字に埋没した「内輪ウケのアナリスト目線」だけに頼って、ベースボールをやろうとするな、ということだ。

たとえ、500個の四球が350本のヒットに相当するデータがあったとしても、500個の四球を選ぶバッターが、350本のヒットを打てるバッターと同じサラリーをもらえるようなおかしな事態を、ブログ主は望まない。

まるで異なる通貨同士の為替レートを決めるように、四球とヒット、守備と攻撃の間の「換算レート」をいくら決めても、そんなものにたいして意味はないのである。
数字を扱うのはいい。だが、その数字が、「プレーヤーと、ファン、そしてベースボールというゲームにとって、意味のあるもの」でなければ、それはベースボールをつまらなくするだけのガラクタだ

カロリーばかり気にしてメシを食っても、ちっともメシはうまくならない。大事なのはカロリーを気にしなくてすむ代謝のいいカラダづくりなはずだが、カロリー(数字)ばかり気にする人に限ってデブ(カラダを動かさない人間)だったりする。

そしてブログ主はデブが大嫌いだ。






damejima at 06:30

March 31, 2010

先日イチローを絶賛した文章(参照→ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年3月26日、The Fielding Bible Awards選考委員で、2007年CASEY Awardを受賞しているスポーツ・イラストレイテッドのJoe Posnanskiがイチローを絶賛した記事の翻訳を読んでみる。)を書いたスポーツ・イラストレイテッドのJoe Posnanskiの筆が活発だ。

こんどは非自責点 unearned runsについて、雑感を書いている。
The NL-champion Phillies allowed the fewest unearned runs in 2009 - Joe Posnanski - SI.com



この記事でのJoe Posnanskiの趣旨は、「非自責点 unearned runsの多い少ないで、そのチーム全体の守備がうまいかどうかは、判断できない」というものだ。
彼は、その例証として、「メジャーで最も守備のいいシアトル・マリナーズにおいて『非自責点の得失点差』が、大きくマイナスしている」という事実を引用している。ちょっと、彼のシアトル贔屓が垣間見えて、面白い。


2009年のメジャーでは、チーム単位でみた非自責点 unearned runsはこんな風らしい。

最も非自責点を得たチーム      エンゼルス  87点
最も非自責点を獲得しなかったチーム オリオールズ 39点
最も非自責点を与えないチーム    フィリーズ  36点
最も非自責点を与えたチーム     ナショナルズ 83点

「非自責点の得失点差」、つまり「チームの得た非自責点」から、「相手に与えた非自責点」を引き算した数値が、シアトル・マリナーズにおいては、大きくマイナスになっていて、メジャー30球団で27位なんだそうだ。
Joe Posnanskiに言わせると、メジャーで最も守備のいいマリナーズが、「非自責点の得失点差」がこんなにマイナスなんだから、unearned runsという数値そのものは、チームの守備力を測る指標としては弱点がある、というのである。
Seattle was actually minus-25 in unearned runs last year despite the widespread belief (one I firmly hold) that it had the best defensive team in the league and perhaps in all of baseball. This probably tells you more about the weaknesses of the unearned runs stat than anything else, but it's interesting.


この点について、日本のシアトルファンに言わせれば、Joe Posnanskiがマリナーズの守備を持ち上げてくれるのはたいへん嬉しいかぎりで感謝はするが、「ちょっといい面だけを見すぎだよ」と、苦笑いしたくなる(笑)
そりゃ、イチロー、グティエレスはじめ、ジャック・ジョンソン、エイドリアン・ベルトレ(2010からボストン)など、守備の名手がシアトルの内外野に揃っていたのは事実だ。
だが、残念なことに、シアトルには、ポロリの多いプレーヤー、失点につながるプレーヤーも、同時に、しかも豊富に(笑)揃っていたことを、Joe Posnanskiは見ていない。

例えば(個人的にはそれぞれ好きな選手たちだが)、ショートのベタンコート、セカンドのロペスの二遊間コンビ。彼らのエラーや判断ミスで、どれだけ失点に結びついていたことか(苦笑)
ロペスはセンターに抜ける当たりを捕球するのが苦手で、記録上ではセンター前ヒットになったが、あれがペドロイアなら・・・と、何度思ったことか。これなども記録には現れないが、2009までの二遊間守備の欠陥である。
Joe Posnanskiがいくら2009年のシアトルの「非自責点の得失点差」が大きくマイナスであることに納得いかなくとも、シアトルファンのほうは、むしろ、それは非常に納得のいく話なのである。
だからこそ、ベタンコートをカンザスに放出し、フィギンズを獲ったともいえるわけで、シアトルの守備がホンモノのメジャー・ナンバーワンになるのは、2009年ではなくて、むしろ、2010年以降だと、シアトルファンの誰もが思っていると思う。


自責点 Earned Runsについてもそうだ。
以前に、ダメ捕手城島がDefensive Runs Savedランキングで常にメジャー最悪のキャッチャーとしてランキングされていたことを紹介した。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2009年12月26日、Fielding Bibleが2008年までの過去6年間、および過去3年間について「メジャー最低」と酷評した「城島の守備」。盗塁阻止は「並」で、Earned Runs Savedは「メジャー最低」。

ダメ捕手城島がDefensive Runs Savedランキングで常にメジャー最下位だった理由は、Earned Runs Savedが常にメジャー最下位ランクだったからである。つまり、城島がキャッチャーを続けている限り、自責点 Earned Runsは、けして「守備のチカラ」によって減ることなどなく、むしろ野放図に垂れ流されるということだ。
このへんが、2009シアトルがメジャー最高の防御率を誇る先発投手陣、サイ・ヤング賞候補の投手を抱える投手陣でありながら、チーム勝率は5割程度をうろうろするという不可思議な現象を起こす最大要因のひとつである。
これは、シアトルが内外野にメジャー屈指の守備の名手を何人も揃えていながら、どういうわけか、チームの守備の巧拙をよく表現していそうな「非自責点の得失点差」が大きくマイナスな現象と、非常によく似た現象である。

この2つの現象、簡単にいってしまえば、
チームの「穴」が、チームに大きなマイナスを与え、チームの足を引っ張り続けていた、ということだ。

Joe Posnanski風にいえば、
チーム防御率/b>の良い悪いだけで、そのチームの投手陣が全体としてうまくいっていたかどうかは、判断できない」。

イチロー、グティエレスがいくら好守備を連発しようとも、ベタンコートが守備でエラーを重ねて非自責失点を増やしたのと同じように、先発3本柱とロブ・ジョンソンがいくら勝ちを重ねても、城島が自責点を垂れ流し、負けを量産していては、チームはリーグ優勝とか、そういう勝率レベルに浮上することができない。2009年のシアトルは、まだまだ守備のチームとして一環してはいなかったのである。


ちなみに、日米の配球論に差があるのと同様に、自責点 earned runsについても、日米で考え方に大きな差がある。これは投手、特に軟投派の投手をどう見るかにかなり影響してくる。
Wikipediaにこんなことが書いてあった。

「日本のプロ野球とMLBでは、投手自責点の決定時期が異なる。
日本では得点が記録された時点でその得点が自責点かそうでないか決定されるのに対し、メジャーでは、そのイニングの終了時まで決定が保留される。イニング終了後、エラーその他の野手のミスプレイが無かった場合に走者はどこまで進むことができたかを検討・推定し、イニングを再構成して、投手の自責点かどうかを決定するという手順をとる。

たとえば、
走者三塁のケースで、パスボールで三塁走者がホームインした場合、日本では即時に非自責点として記録される。それに対し米国では、イニング終了まで自責点 / 非自責点の判断を保留する。これはパスボールの後に打者が安打した場合、たとえパスボールがなくても得点できたことになり、この得点を投手の自責点とするためである。
捕手の打撃妨害により打者が一塁を得たケースなど、それが無かったら打者はどうなっていたかの推定が困難な場合には、投手に有利となる方向で検討・再構成が行われる。」
(以上 Wikipediaの文章に多少手を入れてみた)


加えていえば、いくら日本と自責点の決定方式の異なるアメリカ方式で非自責点が投手側につかなかったケースといえども、ゲームに負けてしまえば、負け数そのものは投手につく。これは忘れてはいけない。
たとえば、2008年から2009年にかけてのウオッシュバーンのゲームでは、自責点が2点以下でQSしているにもかかわらず、非自責点が何点かあって試合に負けたことで、彼が敗戦投手になっているゲームが、シーズンに何試合もある。
だから、見た目の勝ち負けの数だけで、その投手の真価を決定することはできない部分もあることを、頭に入れておくべきだと思うわけである。






damejima at 13:24

March 26, 2010

やっぱり、こんなもんなんだな(笑)
守っては、いきなりホームランを打たれ、
打っては、いきなりダブルプレー(笑)

で、インコースのシュートをホームランされると、こんどはアウトコース一辺倒のリードになるんだろうな(笑)

ははは。笑いが止まんねーわ。


対戦相手は、先日、城島の打撃について「あらためて分析する必要はない」と語った尾花監督率いる横浜。案の定、第一打席の城島をダブルプレーに仕留めた。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年3月13日、逃げ帰った国内のオープン戦ですら「同じ球種、同じコース連投のリード癖」でホームランを浴びるダメ捕手のあいかわらずぶりを笑う。リードもバッティングも、メジャー帰りどころか、ダイエー時代のまま。

村田がホームランを打ったカウントは0-1からの2球目だが、前の記事でも書いたが、好打者が早いカウントで振ってくる場合の決定力はハンパない。






damejima at 18:36
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