日本のプロ野球

2018年9月26日、「落合博満の築いた2020年代中日」という観点からみた浅尾引退論。
2018年6月16日、投手にとってマウンドにいることは、権利であると同時に、義務でもある。
2017年3月20日、王貞治の「寝かす」スイングは誰が考案したか。
2016年10月29日、敗者の矜持。
2015年10月25日、暇なので日本シリーズのデータ観察。「昔どこかで嗅いだことのある匂い」のするヤクルトの中村という若いキャッチャー。
2015年4月6日、2013年日本シリーズ第6戦で巨人に「パターンを読まれた」時点からすでに始まっていた田中将大の「試練」。
2015年3月31日、遠回りする、ということ。
2013年11月3日、楽天の日本一における嶋捕手の配球の切れ味。田中投手の「球速の緩急をあえてつけないスプリット」の意味と、MLB移籍の課題。
2013年3月22日、ヤディア・モリーナを知らなかった日本のドメスティックな野球人。ある意味「国際試合」をわずか1試合しか経験していない2013WBC日本代表。
2011年11月14日、落合博満の居合。
2011年11月5日、パ・リーグCS Game3、10回裏の長谷川選手「4球目の判定」について、拾いモノの写真をしつこく眺めてみた。
2011年10月18日、落合・中日優勝に見る、「野球ファンが視線を共有する時代」と、マス・メディアの「時代の読めなさぶり」や「限界」。
2011年7月18日、去年より低かった2011オールスターの視聴率 (番外編)「プロ野球は年寄りのもの」と、自分の親世代を『オヤジ呼ばわり』して嫌っていたはずが、自分自身もオヤジ臭くなっている、わけのわからない人間たちの理屈。
2010年9月29日、砲丸投げと、野球と、徳島県。
2010年4月15日、「城島が加入したから阪神タイガースのチーム防御率がリーグ1位」とかいう低レベルな印象操作を腹の底から笑ってみる(笑)

September 27, 2018

落合博満については、何度か記事にしている。

2011年10月18日、落合・中日優勝に見る、「野球ファンが視線を共有する時代」と、マス・メディアの「時代の読めなさぶり」や「限界」。 | Damejima's HARDBALL

2011年11月14日、落合博満の居合。 | Damejima's HARDBALL

当時こんなことを書いた。長い引用をする。

勝ちを求める人は多い。
それはそうだ。
勝てば、褒美がついてくる。

だが、「勝ち方」を愚直に求める人はどうだ。多いか。
いや。多くない。
スティーブ・ジョブズを見てもわかる。自分にしかない道を歩く定めを自分に課して生きる人は、ほんの一握りしかいない。

自分なりの勝ち方を、時間をかけ、手間をかけ、追求し続けることに、どれほどの価値があるのか、誰も確信が持てない。もしかすると無駄に終わるかもしれないことを、誰もがやりたがらない。
勝ち方より、勝ちそのもののほうが価値が高い、高く売れると思い、誰もが日々を暮らしている。

(中略)

「勝ちと勝ち方は似ているが、まったく違う。勝ちを追い求めるより先に、勝ち方を身につけろ」


今読んでも、自画自賛になるが、まったく間違いがない。

だが、就任当初から落合は、理解力のない地元ファンや、プロスポーツをわかっていない親会社の中日新聞のホワイトカラーのアホウによって、やれ生え抜き選手をコーチに使わないだの、なんだのかんだのと、いわれのない批判を受け続けた。


今シーズンかぎりの引退を前にした中日・荒木雅博が、2003年秋季キャンプで落合に受けた「ノック」の苛烈さについて、こんなことを語っている。
(引用元:「僕は野球を二度なめたことがある」中日・荒木雅博、41歳の告白(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
それまで中日の特守は約30分。ノック中、時計を見るんですが、30分経っても終わらない。1時間を過ぎても。この辺りから時計を見る余裕がなくなる。汗が出なくなる。思考も停止する。すると、不思議な現象が起きるんです。グラブの音がパンと高くなる。これは無駄のない動きで打球に入って、芯で捕っている証拠。もう動物の本能です。

技術も体力も向上しましたが、一番大きかったのは甘えを削ぎ落としたこと。



たしかに、いい記事ではある。

だが、1点だけ、この記事は「大事なこと」を書きもらしている。
忘れてもらっては困る、非常に大事な点である。

それは、このノックが、「落合が中日の新監督に就任した直後」の2003年10月に行われたという点である。この記事には、落合が「新監督就任直後」に荒木にこういう苛烈な特守を課したことの「意味」が書かれていない。

落合が監督に就任した2003年オフ、中日はロクに補強をしなかった。その理由は荒木のインタビューで明らかだ。落合が「外部からの補強」ではなく、「既存の選手のレベルアップに主眼を置いたから」である。

そして落合は、就任1年目の2004年、チームをいきなりのリーグ優勝に導く。それが偶然ではないことは、荒木のインタビューで明らかだ。さらに2006年優勝、2007年日本一、2010年優勝、2011年球団初のリーグ連覇と、落合中日の黄金時代は続く。


荒木の言葉と、2004年にいきなりリーグ優勝した事実から、落合が中日において成し遂げた「これまで目にみえにくかった巨大な業績」がハッキリする。

2003年以降、落合が中日の監督として成し遂げた業績とは、当時の地元ファンや中日新聞などが期待し、公言もしていた「既に引退している生え抜きのOB選手を、指導能力とは無関係にコーチとして採用する」というような、生ぬるい、将来性の無いことではない。

中日というチームの将来を担う中心選手を、あえて選手に容赦しない外部の人材を使って「内部の選手を鍛えぬくこと」にこだわり、未来に使えるホンモノの人材を量産すること」だったのである。

素質こそあったが、とかく甘えの多かった二流の野球チーム、中日の「贅肉」をとことん削り、毎年のように優勝にからむ一流チームに仕上げたのは、ほかならぬ落合の豪腕である。



浅尾についてだが、「落合中日の黄金期における浅尾の位置」について勘違いしている人が実に多い。

勘違いの例を挙げると、浅尾は最初から落合中日の黄金期の中心にいたわけではない。
例えば、落合中日が初のリーグ優勝を果たして黄金期を歩み始めるのは「2004年」だが、そのとき浅尾はまだ「大学生」で、プロの投手ですらない。浅尾がドラフトで中日に入団したのは「2006年」なのである。
また浅尾はデビュー当時からセットアッパーとして酷使され続けてきたわけではない。浅尾のプロデビューは、落合中日が晴れて日本一になる「2007年」だが、このシーズンの後半に浅尾は肩を痛めており、2007年の優勝に不可欠といえる貢献を果たしたわけではない。
浅尾が「年間通じて活躍できるリーグトップのセットアッパー」という他に類をみない独自の地位を築きはじめたのは、落合中日が3度目のリーグ優勝を果たす2010年以降だが、チーム全体として見ると、2010年には既に中日にはリーグ優勝を毎年争えるだけの投打の戦力は整っていた。


にもかかわらず、浅尾拓也の引退について、「落合が浅尾を潰した」などと、根本的に間違った意見をいまだにネットで公言しているアホウが多数いる。そういう了見の狭い地元ファンと、2004年当時から落合を批判し続けてきた中日新聞のアホウは、いまこそ真剣に落合博満に謝罪すべきだ。


確かに、浅尾は2011年シーズンに79登板して、「セットアッパーにして、最優秀選手」という「野球史に残る偉業」を達成し、ピークを迎えた。そして、それは同時に、落合中日の黄金期のピークでもあった。

だが、「2011年のピーク」に至るまでの間、落合が「選手が潰れるほどの練習」、「選手が潰れるほどのゲーム出場」を課した選手は、なにも荒木や浅尾だけではない。

そうしたハードな経験なくして、やがて引退していくことになる中日の選手たちが得た「日本一経験者」あるいは「日本シリーズ経験者」という「永久に消えない栄光ある業績」、そして、彼らがこれから経験する第二のステージにおける「指導者としての権威」が存在しえたと、ブログ主はまったく思わない。


ファンはチームに日本一になることを期待して、夢を見る。

だが、夢を見るだけで、「方法論」がない。方法論として、どこをどうすると、日本一になれる「本物のチーム」「一流のチーム」ができるのか、それを考え、実行するのは、ファンではない。指導者だ。


ツイッターでも書いたが、「頂点に立つ」ということは、「一度きりしかない人生を、自分の信じた道に賭し、その課程に必ず立ちはだかる激烈な痛みに耐えぬく」ということだ。

「日本一になれ、だが、そっと丁寧に選手を扱え」などという矛盾した戯言(たわごと)は、あらゆるプロスポーツ、ことに中日という甘えたチームにおいては、単なる「おとぎ話」に過ぎない。そのことを忘れてもらっては困る。

落合は、「勝てる選手、勝てるチームになることと引き換え」に、限界を超えて選手を鍛えた。「限界を超えた経験」のない人間は成長しないことがわかっていたからだ。
浅尾についても同じように、落合はゲームにおいて、2011年に79試合も登板させた。もし浅尾がいなかったらあの年の日本シリーズには出られなかっただろう。それは、言い換えるなら浅尾を酷使してでも日本一に出てやる、日本一になるという強い意思がなかったら、チームを日本シリーズに出してやれなかったのである。

落合なくして、日本一なし。そして
浅尾なくして、落合中日のピークなし、である。



誤解されても困るので公言しておけば、ブログ主は死ぬほど浅尾の大ファンだ。落合の監督時代が、日本シリーズどころか、優勝にもまったく縁がない、浅尾の肩も壊れました、というブザマな結果なら、誰よりも先に落合をクソミソに言ったことだろう。

だが、落合は責任を果たした。
浅尾は2011年に、チームとして、そして選手として、「リーグの頂点」にたどり着いている。このことで、このことだけでも、浅尾には十分な報いがあった、そう思いたいのである。

damejima at 16:02

June 17, 2018

NPB西武対中日戦で、膝痛のために試合中に倒れた敷田直人球審の件で、中日の投手、木下雄介君を無意味に叩いてる人が一部にいたらしいが、そういう人はたぶん中継とか動画を見ないで根拠なくモノを言っているに違いない。

動画で確かめれば明らかなように、敷田審判の異変に「最初に気づいた」のは、ほからなぬ木下投手であり、彼が異変を示してくれたからこそ、キャッチャー中村奨太とバッター秋山翔吾が「普通なら振り返らない後方」を振り返り、中村奨太が立ち上がってタイムを明確にかけ、関係者による迅速な対応がとるという一連の流れが発生したのである。





この件で不思議なのは、「野球における投手という仕事は、マウンドを簡単には降りない、降りたがらない、降りられないようにできている」という当たり前のことを知らない人がいまだにいる、ということだった。


2011年に、MLB投手にとって「マウンドが投手の聖域であること」を示す記事を書いた。
2011年7月6日、「MLBでは不文律を絶対に破らない」という不文律は、「どこにも無い」。 | Damejima's HARDBALL
これは、2010年4月22日OAK-NYY戦で、1塁走者のアレックス・ステロイド・ロドリゲスが、次打者ロビンソン・フロセミド・カノーのファウルでサードからファーストまで戻るときに「マウンドを横切った」という事件だ。
完全試合もやったことがあるオークランドの投手ダラス・ブレイデンはAロッドを烈火のごとく怒鳴りつけ、ダグアウトに帰った後もあらゆるものを蹴りまくって、怒りを爆発させ続けた。


いわばマウンドは、大相撲における「土俵」なのだ。

この「マウンドを勝手に横切るな」というアンリトゥン・ルールが、MLBでどの程度絶対的になっているかは別にして、少なくともいえるのは、投手として長年やってきた人たちにとって、マウンドという場所は少なくとも「非常に大事な場所」、「仕事場」であり、さらに人によって「聖地」ですらある。



投手は一度マウンドに上がったら簡単には降りられないが、それはなにも投手のプライドばかりが理由ではない。

言うまでもないが、野球というスポーツはあらゆるプレーが「投手の投球」から開始されるようにできていて、投手が投球しなければゲームが動かない。
逆にいえば、投手のケガ、体調不良、爪の割れやマメ、靴ヒモのゆるみ、サインがキャッチャーとの間で合わない、ボールの交換、打者のタイム、鳥や虫の乱入、投手交代、照明の故障、降雨など、あらゆる「投手の投球開始を妨げる要因」が発生たび、野球というゲームは「一時停止」してしまい、観客はプレー再開を待たされる。

もし敷田球審の件で、木下投手が関係者の対応を待っている間、投球練習もせず、敷田球審の真横で呆然と立ち尽くして時間を過ごし、そのせいで「肩が冷えて」しまったとしたら、たとえ敷田球審がスムーズに病院に送り出され、ゲームが短時間で再開できたとしても、こんどは木下投手が投球を再開できない。そうなれば観客は、球審交代に続いて、投手交代の間もゲーム再開を待たされることになる。
そんなことでは投手として失格だ。
(実際のゲームでは、関係者の対処の間も中村捕手が木下投手とキャッチボールして肩が冷えるのを防ぎ、ゲーム再開後、木下投手はすぐ投球できた)



投手たちが、マウンドにいる、ということは、
半分は「権利」であるが、もう半分は「義務」でもあるのである。

どんな仕事でも「現場」というものがそうであるように、投手たちにとっては「マウンドが現場」なのだ。投手は何があろうと「簡単にマウンドから降りてきてはいけない」のである。
彼らにとってマウンドは「仕事が終わるまで降りようとしない、プライドのかかった場所」であり、また、「簡単には降りてはいけない、責任のある場所」である。そういう当たり前のことくらい頭に入れて野球を見てもらいたい。安易なヒューマニズムからモノを言ってほしくない。

damejima at 21:54

March 21, 2017

かつて王貞治のスイングについて、こんなことを書いたのだが、もう少し詳しく書いておきたくなった。

王貞治のバッティングは、バットがミートポイントに向かって「ものすごく直線的に向かうダウンスイング」だ、だから凄いんだと、思い込んでいる人が数多くいる。「一本足打法」というネーミングの直線的なイメージから、バットも「スイングの開始時点では、直立したまま」でスイングしていると思われているわけだ。
だが、いちど動画で確認してもらうとわかるが、この人のバットは「いちど大きく寝て」、それからカラダの後ろを回りこむような軌道でスイングが始まっている。「ドアスイング系のスイングをする落合や張本は、バットを一度寝かせてから振っているけれど、王のバットは一度も寝ないダウンスイングだ」と思い込んでいる人は非常に多いわけだが、もう一度、自分の目で確かめるといい。
2016年11月17日、「回転」に特徴をもつ人間の身体と、「直進するボールのスピードや制御」を要求するベースボールというスポーツの関係を明確化する | Damejima's HARDBALL


右翼席方向からの動画で確認すれば、王貞治のバットがいかに「寝て」いるかは一目瞭然だ。以下の画像でいえば、2番目から3番目のプロセスに至る過程でバットは一度大きく寝かされており、それから「すくい上げるような動き」で、ボールをたたいている。

かつては、こういうスイングをなんの検証もせず「ダウンスイング」と断定した人が数多くいて、そればかりか近所の子供に「自分の考える理想のダウンスイング」とやらを指導したりしていたのだろうから、人間の眼力や判断力なんてものは案外いい加減なものなのだ。

王貞治のスイング全体像


バットヘッドの動きからみると、王のスイングは以下のような「いくつかのプロセス」に「分割」できる。以下の画像に色わけして示す。

王貞治のスイング全体像(色わけ)

)上の画像の赤色部分(以下同じ)
片足を上げながら、バットヘッドが投手に向かって前傾する。「重心」はいちど投手側に片寄る。
水色
投手側に動かした重心を、こんどはバックネット側に戻す。同時にバット全体を後ろに引く。グリップは腰元まで下げられる。
黄色
バット全体を一度寝かす
白色
体全体を水平に時計回りの回転をさせつつ、バットヘッドを水平に回転させ、バットをボールにぶつける感じでミート。
ピンク
スイングの最終部分。バットから左手を離し、右手1本だけでハイフィニッシュしてボールにバックスピンをかける



プロセス1)赤色の部分

王貞治のスイング(1)

1本足で立った王貞治のバットヘッドは、最初「投手側に倒れる」。これは「わざと重心を、一度投手側に傾けておく」ことを意味する。目的は、2番目以降のプロセスで重心をバックネット側に戻すことによって、「重心移動の反動」を生じさせ、その「反動」をスイングパワーに利用するためだ。つまりこれは、いわば「体全体を使ったヒッチ」なのだ。

若き日の王貞治のグリップ位置

上の画像は、若い頃の王貞治の「グリップ位置」だ。1本足打法でのグリップ位置とは、高さも位置も違う。

彼は若い頃から「大きくヒッチするクセ」があった。そのためグリップは、ともするとヒッチするには早すぎる段階で、腰のあたりにまで下がった
ヒッチそのものは悪いことばかりではないが、若い時代の王貞治の場合、ヒッチするタイミングが早すぎる上に、ヒッチしたときのバットが立ったままなので次の動作に移りにくく、バットヘッドがスムーズに出てこない。

そういえば、師匠の故・荒川博氏と王の練習中の写真には、うっかりすると「グリップを顔より投手寄りに置いて」に構えている風景があったりする。この「グリップ位置の変更」は明らかに「指導と練習の成果」だ。

王貞治のバッティングというと、「1本足」の代名詞のとおり、足を上げることに主眼があると思われがちだが、故・荒川博氏自身は、たしかどこかの記事で「グリップ位置を直すことに主眼があった」という意味のことを言っておられたように記憶する。

王貞治のフォームを直す故・荒川博氏(写真キャプション)
王のグリップを抱え持って固定している故・荒川博氏。おそらく王は荒川氏が制約を与えないとグリップを体の後ろ側に引きたがる。そのため、こうしてしっかりグリップが移動しないように固定しているのだろう、と思われる。いわば「1本足打法養成ギプス」だ(笑)

では、若い頃からあった王貞治の「グリップが下がるクセ」は、打者として大成する過程で直ったのか、というと、以下にあげる写真群からわかるとおり、けして直ったわけではない。
例えば、上にあげた「色分け画像」で、「水色で示したバットヘッドの移動」は「右にいくほど垂れさがって」いる。これは「打とうとすると、どうしてもグリップ位置が下がる」のが原因だ。

だから、むしろ故・荒川博氏が王貞治の欠点を矯正するためにやったことは「スイングのどこかでグリップが下がるのは防げないにしても、むしろ、それをバットヘッドのスピードやパワーに変換することができないか」という「実験」だったように思える。(具体的には「体全体を使ったヒッチ」で生まれるパワーを、バットを寝かすことで、その後の水平な回転運動のエネルギーに変換しやすくしている)


プロセス2)黄色からプロセス3)水色にかけての動き

王貞治のスイング(2)

フラミンゴのような華麗なイメージのある王貞治の打撃フォームだが、上の画像の真ん中などはむしろ、かなりの「へっぴり腰」で、華麗なイメージとはかけ離れている。

かつてダウンスイングの代名詞みたいに、つまり、立たせたバットをその状態から動かさずにダウンスイングしていると思われがちだった王貞治だが、実際には上に挙げた画像のとおり、バットを一度かなり寝かしておいて、それから「体全体を水平に回転させるのにあわせてスイング」しているのである。(もちろん水平に回転するわけだから右肩はかなり開くし、右足のつま先は投手方向をまっすぐ向く)

最初と2番目のプロセスで行う「体全体を使ったヒッチ」で得られた体重移動の反動エネルギーがスイングのパワーとして使われるわけだが、もしここでバットを寝かさないと、その後の水平な回転運動にスムーズに移れない。
ただ、バットを単純にパタンと寝かして打っているわけでもない。黄色で示した軌道の「複雑さ」を見てもらうとわかるが、「スイングを開始する時間帯」にバットヘッドは「S字の軌道」を描きながら、ムチをふるうように抜け出ていく。ここに「体全体を使ったヒッチで得たエネルギーを、無駄なく水平な回転に変換する動作」の要点というかコツがある。
ルアーフィッシングをやったことがある方ならわかると思うが、カーボンロッドをムチのようにしならせてルアーを遠くへ飛ばすときに使う「ロッドをくねらせる動作」と同じで、王貞治のバットヘッドは単純に寝かされているのではなく、「S字の軌道」を描かせることで「反動をつけながら」振り出されている。


プロセス4)白色 〜 プロセス5)ピンク色

寝かしたバットを水平に(実際にはややアッパー気味に)回転させて打って、それからハイフィニッシュ。右肩はかなり開く。そのため、当然ながら右足のつま先は投手方向を向く。

もしスイングを高い位置で終わらせるのではなく水平回転のみで終わるとしたら、(日本のボールでは)ライナーは打てるが、ホームランは打てない。
だから回転の向きこそ違うものの、テニスプレーヤー、ビヨン・ボルグがトップスピンを打つために用いたハイフィニッシュと同じやり方で、王貞治はスイングの最後を「ハイフィニッシュ」し、ボールを長い時間かけてバットで逆向きにこすりあげることで、打球に「バックスピン」を与えてている。王のホームラン特有の「高い軌道」は、この「バックスピン」から生まれるのである。(ただし、MLBではこの打ち方ではホームランは打てない)

バットを寝かした瞬間、バットのエネルギーと重力はおそらく左手首に集中してかかる。だがハイフィニッシュでは左手は離している。これはいわば、「バットを左手から右手に渡して、持ち替えている」わけだ。

王貞治のスイング(3)

王貞治のスイング(4)



問題は、「体全体を使ったヒッチ」、「バットをいちど寝かすこと」、「S字軌道」、「ハイフィニッシュによるバックスピン」、「バットの持ちかえ」など、これらすべてを王貞治自身が考えついたのか、それとも、故・荒川博氏が考案したのか、だ。

ブログ主は、とくに理由もないが(笑)、「故・荒川博氏による考案」とみる。

グリップを下げたがる癖のある打者が、バットを立たせたままスイングに入ろうとしたら、バットヘッドが抜けず、ただただタイミングが遅れがちなスイングにしかならなかっただろう。そのバットを立たせたままヒッチして振りはじめる癖の「改善」を、頑固で一徹な性格の王貞治が自分自身で達成できたとはとても思えないのである。

damejima at 14:43

October 30, 2016

日本シリーズに敗れた広島の監督で、緒方という人が、試合後にこんな意味のことを言ったらしい。

ゲーム後の勝利監督インタビューで日本ハムの監督である栗山氏が言ったように、自分もこのシリーズでは「いろいろなことを学ばせて」もらった。


酷いものだ。

本人、自分の吐いた言葉の「酷さ」に気づかないまま、クチを開いているのである。自分はこのチームのファンでもなんでもないが、もし自分がこのチームのファンだったら罵倒する程度では済まさない。


形を変えて考えてみればわかる。
例えば、この「戦い」が戦争だったとする。
もし、負けた側の代表者が、敗北の直後に「いろんなことを学ばせてもらった」などと軽率に語ったら、どう感じるか


『敗者は、勝者と同じ言葉、同じ土俵で語ってはならない』のである。それが敗れるということの「重さ」だ。

敗北の重さにまみれること、それは敗者に求められる「矜持」とか「モラル」であり、また同時に、「勝つためのオリジナリティ」に深くかかわる。
近年ワールドシリーズに勝ったカンザスシティ・ロイヤルズの独特の戦い方(参照:2015年4月14日、昨年のワールドシリーズ進出がフロックでなかったことを証明し、ア・リーグ中地区首位を快走するカンザスシティ・ロイヤルズの「ヒット中心主義」。 | Damejima's HARDBALL)を見てもわかることだが、いまや勝利のために必要なものは、おざなりな戦力補強や月並みなデータ分析ではなく、『オリジナリティ 』だ。
(間違ってもらっては困るが、「オリジナリティ」という言葉にビリー・ビーンは含まれない。あれは単に「もともとチームスポーツの才能のまったくない数字オタク」にすぎない)


考えてみてもらいたい。
勝者が 「相手から学ばせてもらった」 と語るのは、「余裕」のあらわれであり、「謙虚さ」でもある。

だが、それは「敗者に用意されたポジション」ではない。ありえない。

本来、敗者は、土砂降りの雨で消えた焚き火から泥まみれの炭を指で拾い上げるように、自分の敗北そのものの中から言葉を見つけるべきだ。

敗北を喫した立場であるにもかかわらず、勝者の弁を二番煎じする」ような安直な人物に、矜持も、モラルも、戦略も、プライドもない。プライドの欠片すらないから、そういう安直な言葉を吐けるのである。そういう人間は「自分が負けた理由」が骨身にしみてわかっていない。だから勝者の弁を二番煎じするような、馬鹿げたことができる。


立派に敗者たる、ということは、自分独自の言葉を持たない、プライドを持たない、ということではない。
むしろ、自分の言葉を持たず、持とうと常に努力することの意味を知ろうともしない、だから『敗者』なのである。

damejima at 15:14

October 26, 2015

MLBもあとはKC対NYMのワールドシリーズを残すのみで、やることは何もない(笑)暇なので、日本シリーズのデータを眺めてみた。ちょっと気になることがあった。


まず、大づかみに言うと、いまソフトバンクがホームで連勝し、早くもヤクルトを圧倒しかかっているわけだが、データだけ眺める限り、ソフトバンク側のヤクルト打線に対するスカウティング「だけ」が正確で、ヤクルト側のそれは「雲をつかむように曖昧かつワンパターン」で、両者にはすでに雲泥の差がついているようにしか見えないのだが、どうだろう。
例えば、ヤクルトの投手側の対応で「なるほど」と思わせられた点は、ただひとつ、「ソフトバンクの中軸のひとりである柳田に、インハイのボール球でポップフライを打たせるという攻めを発見していること」という点くらいで、あとは「何もない」のである。
対してソフトバンク側は、どうも「ヤクルト打線の欠点をすべて把握して戦っている」ように見えるのである。


なぜこんなに「戦いの中身に差がついている」のだろう。

ブログ主は「配球」についつい目がいくわけだが(笑)、なんせ日本シリーズのデータを見るまで、ヤクルトの正捕手が相川でなく中村悠平という選手であることを知らなかったくらい、いまの日本野球にうとい(笑)
まして、彼が『世界野球プレミア12』代表に選出されるほど将来が期待されている日本でも指折りの若手キャッチャーであることなど、まったく知らなかった(笑)無知のくせに記事を書いて、ほんとうに申し訳ない(笑)


それにしても、中村悠平の出すサインの「リズム」に、「昔どこかで嗅いだことのあるデジャビュ感が非常に強くする」。このことに、ちょっと驚かされた(笑)
おそらく同チームの先輩・相川や、例のダメ捕手さんにも通じる「同じ系統のなにか」(笑)を持っているからだと思うのだが、それでも、以下の記事にみられるように、日本の野球メディアや評論家には「中村悠平のリードのセンスの良さ」が「絶賛」されているようだから、わからないものだ。

これはいよいよブログ主の時代は終わったのかもしれない(笑)


さて、冗談はさておき、以下の4月22日神宮球場のヤクルト対巨人戦のスポニチ記事を見てもらおう。
3対2とヤクルトのリードで迎えた6回表、一死満塁でバッターは長野だ。カウント2-0から、ストライクが欲しい3球目にシンカー。これを長野が空振りすると、続く4球目5球目もシンカーで、結局長野は「3球連続の空振り」で三振に打ち取られた、らしい。

この「3球連続シンカー」というリードが、「意外性のある、センスのいいリード」と絶賛されている。

ブログ注
これまで何度も書いてきたことだが、もしこれがMLBなら「カウント2-0」のような「ボール先行カウント」は「典型的なファストボール・カウント」なのだから、「投手がストレート系を投げる確率」は非常に高いと断定できる。
参考記事:2013年3月8日、Fastball Count、あるいは日米の野球文化の違いからみた、WBCにおける阿部捕手、相川捕手と、田中将投手との相性問題。 | Damejima's HARDBALL
だが、なにせ上の記事が扱っているヤクルト対巨人戦は「日本のプロ野球」の話なのだから、たとえ「ボール先行カウント」であっても、「投手が変化球を投げてくる確率はけして低くない」と思うが、どうだろう。
また、問題は他にもある。「バッターが、アウトコースの変化球に超弱い長野だ」という点だ。この長野というバッターが外の低めの変化球に泳いで簡単に凡退するクセのある非常に安っぽい打者であることは、いまや子供だって知っている。追い込んで「外の変化球」さえ投げておけば、このバッターは泳いだスイングで簡単に空振り三振か、内野ゴロに凡退してくれる。そういう打者を変化球で三振させたとしても、それを絶賛する必要がどこにあるだろう。


上の記事に中村悠平のこんなコメントがのっている。これだけを読むと「なるほど」とか思いかねないが、日本シリーズ第1戦の結果に照らして読むと、非常に辻褄があわないことがわかる。

「高校のリードはシンプルで、打者が合っていない球を続けるのが基本でした。でもプロは1球目に遅れても同じ球を続けたらドンピシャのタイミングで打ち返されることも珍しくない。前の反応を鵜呑みにはできないし、同じ球を続ける時はより慎重にならないとダメ」

「リードに正解はないけど、抑えるポイントとしてはっきりしているのはインコースの使い方。どれだけバッターに内を意識させられるかで攻め方の幅も大きく変わってくる」
【プロ野球】解説者たちが絶賛した好リード! 好調ヤクルトに中村悠平あり|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Baseball (ライター:谷上史朗)


4月にこういうコメントをしていた中村悠平捕手だが、この日本シリーズ第1戦で彼は、以下にみるような目に遭って、敗戦を喫している。ぜひ、上の記事と下の記事を連続で読んでもらいたい。

1回裏・李大浩の二塁打
カウント1-0から、2球目・3球目と「同じ変化球」を連投。2球目こそ空振りだったが、3球目はライト線に軽打され、ツーベース
4回裏・松田のソロホームラン
カウント1-1からの3球目は、内角に食い込むスライダーで、しっかり腰を引かせた。だが直後の4球目、松田は、けして甘いコースではない「外角低めのシンカー」に踏み込んでホームラン
ヤクルト中村が得た2つの収穫 デホの駆け引きと松田の決め打ち ― スポニチ Sponichi Annex 野球 (ライター:山田忠範)


ブログ主の考えでは、上の2つの「事件」のうち、「第1戦で、松田にアウトコース低めの変化球をホームランされた」ことは、中村悠平が「自分の手の内の引き出し」がまったくプロに通用していないことがはじめて彼自身にもわかって、萎縮した、という意味で、ヤクルトの日本シリーズにとっての「致命傷」になったと思う。
その理由を以下のデータから感じとってもらいたい。「日本シリーズ第2戦」における松田選手への配球だ。

ヤクルトバッテリーは第1戦で松田に「インコースに捨て球を投げてえぐってみせた直後に、勝負にいった弱点であるはずの『アウトコース低めシンカー』をホームランされている」わけだが、その後、中村悠平が「松田のインコースにまったく配球しようとしていない」ことは、このデータからして明白だ。
(7回裏オンドルセクが2球目にたった1球、松田のインコースを突いているのだが、これは明らかに単なるカウント稼ぎの意味しかなく、勝負球ではない。勝負は次の3球目、ありきたりなアウトローのフォークだった)

20151025日本シリーズGame2 4回裏 小川 vs 松田4回裏
2ランホームラン直後
無死走者なし
センター前ヒット

20151025日本シリーズGame2 5回裏 秋吉 vs 松田5回裏
2死満塁
三振

20151025日本シリーズGame2 7回裏 オンドルセク vs 松田7回裏
1死2、3塁
レフトフライ


中村悠平が「松田のインコース」に絶対に配球しようとしない理由は、子供でもわかる。「データ上、松田が『右投手のインコース』に非常に強いバッター」だからだ。
と、同時に、「データ上、松田は『右投手のアウトコース』の球で合計43三振もしているバッター」でもある。だからアウトコースばかり投げて「逃げ」たがる。(データ例:松田 宣浩【ソフトバンク】 コース別(ゾーン別)打率・成績


だが、である。

現実の野球では、どうだ。

ヤクルトバッテリーは、「データ上、アウトコース低めでうちとれるはずの松田」に、その「アウトコース低め」を「ホームランされている」のである。


その理由は、これまた子供でもわかる。

「インコースをえぐってみせた直後に、『アウトコース低めの変化球』を勝負球として投げてくることが、打者・松田にバレていた」からだ。
そして中村悠平は、第1戦でホームランされて失敗しているわりに、第2戦でもまったく同じ配球をしている。第2戦の5回裏、満塁の場面で「ど真ん中に入ってしまった投球ミスのまっすぐ」をタイムリーされなかったのは、単にバッター松田が「びっくりして打ち損じた」、ただそれだけのことだ。

ちなみにソフトバンクの柳田も、松田と同じ「データ上、インコースの得意なバッター、インコースを苦手にしないバッター」だが、にもかかわらず、ヤクルトの投手のインコースで凡退してくれている。
これは、インコース好きの柳田にインハイの「ボール球」を振らせることに「たまたま」成功しているからだけのことであって、もし中村悠平が意図的にインコースに「ストライク」を集中したら、柳田もインコースを打つようになる。


リードに「絶対」なんてものは、「ない」。
なぜなら、好調時のプロは、たとえ苦手球種、苦手なコースであろうと、「来るのがわかっている」なら、その球をヒットやホームランにできてしまうからだ。
「インコースをえぐってみた」程度のことで鼻高々になって、どうする。「ああ、次は『アウトコースの変化球』だろうな。このキャッチャー、ものすごく単純なタイプだからな」くらい、誰でも考えるのが、『プロ』(とプロの観察者)というものだ。高校野球だの、直らない欠点をもっている二流打者・長野などと一緒くたに語ってもらっては困る。

先日のALCSで「あらかじめ左足を引いておいて、だが体はまったく開かず、わざとヘッドを遅らせてインコースを打ちぬいた」トロントのホセ・ボティースタのホームランの素晴らしいフォームじゃないが、中村悠平には当分「世界レベルのプロの凄さ」は「理解不能」だと思う。



まぁそんなわけで、「こういうパターン配球をすれば打者はひっかかってくれるだろう」なんて鉄則なんてものは「ない」にもかかわらず、強情に同じ「自分の好きな配球パターン」を繰り返したがる中村悠平が「名捕手」だとは、ブログ主には到底、まるっきり、思えない

よくいわれるように、「仕事」というものは「自分のやりたいことをする」ことではなく、「相手が『してもらいたい』と望むことを探りあて、それを実際にやってあげる」ことだ。
それと同じく、「配球」というものの極意は、「自分の好きな、あるいは自分の得意な配球パターンやセオリーをくりかえし実行すること」ではなく、また「相手のデータ上の弱点を突くこと」だけでもなく、「相手の予想や期待に絶対につかまることなく、飄々と裏切り続けること」にある。

damejima at 15:32

April 07, 2015

草野球にスカウティングはある意味必要ない。なぜなら、カーブの打ち方ができていない人に「次はカーブだ」と教えたとしても、技術そのものがないなら意味がないからだ。

だが世界最高の才能集団であるMLBのバッターは違う。

どんなに速かろうが、どんなに凄い変化球だろうが、ワンバウンドだろうが、「次の球の球種とコースさえわかれば、たいていどんな球でもヒットにできてしまう」のである。(さらに天才イチローは誰も予想しないワンバウンドですらヒットにした)

いいかえると、
「誰にも絶対ヒットにできない球」「誰にも打てない投手」なんてものは、MLBには存在しない。

だからこそMLBにおいては、スカウティングに重要な意味がある。決定的な弱点は必ず発見され、きちんと改善しない限り、その選手のキャリアは短命に終わる。



この数年でみると田中将大のピッチングには「3パターン」ある。

パターン1ストレートとスプリットだけで押し切ろうとするピッチング
パターン2カットボールやシンカーを混ぜ、相手の狙いをかわそうとするピッチング
パターン32シーム中心にシフトし、相手の狙いをかわそうとするピッチング

ブログ注:
注意してもらいたいのは、どんなピッチングパターンに変わろうと、どんなに肘に負担がかかろうと、田中投手はスプリットをまったく投げないわけにはいかない、ということだ。なぜなら、彼の生命線が「スプリット」にあるからだ。


楽天対巨人で行われた2013年の日本シリーズ、2勝3敗でエース田中将大先発の第6戦を迎え、土俵際まで追い込まれた巨人は、それでも「ストレートとスプリットだけの田中将大(=パターン1)」を打ち崩すことに成功した。

巨人が当時無敗のエースだった田中を打ち崩すことに成功したことは、日本でこれまであまりにも発達しなさすぎていた「他チームをスカウティングする能力」にまがりなりにも進歩のきざしがあることを意味していた。
またこれは、日本シリーズ後のオフに巨額契約でのMLB移籍が確実視されていた田中投手の「MLB移籍後に解決すべき課題の大きさ」を感じさせる事件だった。

あのときブログではこんなことを書いた。
田中投手が今後、緩急もつけられるピッチャーに変身できるのか、カーブを有効活用するために必要な投球術を自分のものにできるか、というと、彼の「腕の振りのワンパターンさ」を見るかぎり、カーブを投げようとしたときのフォームの変化があまりにも大きくなりすぎてしまって、打者に球種を見切られそうな感じがする。それに、ある年齢に達した人間というものは、そうそう簡単に「新しい自分」に変われないものだ。

むしろ、田中投手には、今までと同じように腕を振る速度を変えないまま、違う球種を投げわけるピッチングスタイルを今後も続けられる、という意味で、2シーム、カットボール、チェンジアップなどを増やすことのほうが向いている気がする。
ただ、どうしても元アトランタのカットボール投手・川上憲伸の例を思い出してしまう。緩急の少ないタイプのアジアの投手のカットボールは、MLBで思ったほど成功を収めていないことが、どうしても気になる。また、2シームと4シームを使い分ける芸当は、どうも日本人投手に向いてない気がするし、そもそも田中投手がいま投げている2シームは、「変化の大きさ」、「キレ」、どちらをとっても「MLBでいう2シーム」ではない
だから、彼がこれからモノにするなら「チェンジアップ」がいいような気がする。
出典:2013年11月3日、楽天の日本一における嶋捕手の配球の切れ味。田中投手の「球速の緩急をあえてつけないスプリット」の意味と、MLB移籍の課題。 | Damejima's HARDBALL


その後田中投手は2014年にMLBデビューを飾る。
この年の配球パターンの推移は、簡単に要約すればパターン1」で開幕し、「パターン2」で夏を乗り切ろうとした、という感じだった。

このときは以下のような記事を書いた。簡単にいえば、スカウティングの発達しているMLBでは、田中の配球スタイルが読み切られるのに半年かからない、ということだ。

春先に田中投手の使った球種は、ストレートとスプリッター中心の構成だった。(中略)

「7月のクリーブランド戦で田中投手の投げる球種が大きく変わっている」ことは、一目瞭然だ。
  1)ストレートが大きく減少
  2)カットボール、シンカーが一気に増加
「4番目に高い球種であるスライダー」について、わずか26.7%しかスイングしてくれなくなっている。つまり、「田中投手に対する狙いが、ある程度しぼられてきている」のである。

ストレートを痛打された痛い経験のせいなのかどうなのか、詳しいことまではわからないが、田中投手(あるいはヤンキースのバッテリーコーチ、あるいは、正捕手ブライアン・マッキャン)の側が、田中投手の球種からストレートを引っ込めた理由は何なのだろう。
何度か書いてきたように、例えば田中投手にはチェンジアップがない。いうまでもなく、チェンジアップやカーブ、あるいは、キレのある2シームといった、4シーム以外の「何か」を持たない投手が、「ストレートを引っ込める」ということは、MLBの場合、打者に狙いをさらに絞られることを意味するほかない。

「打たれたから、引っ込めました」、
それだけが理由では困るのである。

出典:2014年7月10日、田中将投手の使う球種の大きな変化。「ストレートとスプリッター中心だった4月・5月」と、「変化球中心に変わった7月」で、実際のデータを検証してみる。 | Damejima's HARDBALL

2014シーズンの田中投手の、MLBにおけるスタンスを最も典型的に示した事件は、7月のクリーブランド戦でニック・スウィッシャーに「追い込んだ後にいつも投げている決め球のスプリット」を読み切られ、決勝打を浴びたことだ。
スウィッシャーは試合後のインタビューで「あのカウントで変化球がくることは、わかっていた」と、やけに誇らしげに答えていたものだ。


そして、2015シーズンのスプリングトレーニング。
田中投手がパターン1、パターン2を捨てて、2シーム主体のピッチング、つまり パターン3 に切り替えようとしていることは明白だった。

パンク寸前の肘をかかえているために、ストレートを全力投球する能力が失なわれ、さらに肘に負担のかかるスプリットも多投できなくなって、こんどは2シームに頼ろうというわけだが、2シームを投げるピッチャーが山ほどいるMLBでは、バッターたちは2シームの球筋には慣れきっている。付け焼刃程度の2シームでは、実際のゲームには通用しない。


それに、どうにも気にいらないのが、
彼の投球フォームだ。

かつて松坂投手のフォームについて書いたことの半分くらいと内容が重複するのだが、今の田中投手は横を向いたままステップしている。これでは、落ちた球速をコントロールの良さで補おうとしても、そのコントロール自体がおぼつかない。始末が悪い。

トミー・ジョン手術を受ける前の、ノーコン時代のボストン松坂大輔と、「左足の向き」を比べてみるといい。2人の投手の左足つま先は、ホームプレートではなく、「サード方向」を向いている。

2015開幕時の田中将大

ボストン松坂大輔投手のフォームボストン時代の松坂大輔

トレバー・ホフマンの「ビッシュ・ツイスト」田中投手との比較のために、名クローザー、トレバー・ホフマンのフォームをあげてみた。
「左足つま先」が完全にホームプレート方向を向き、顔もホームプレートに対してまっすぐ向いているため、ストライクゾーンをまっすぐ見て投げることができる。コントロールがつきやすいのは当然だろう。
また上半身は骨盤に対してまっすぐ直立した状態をキープしているため、ぐらつきが少ない。


遠からず田中投手はトミー・ジョン手術を受け、長期休養することになるだろう。
もう彼のスピードボールはもう90マイル後半を記録することはないかもしれない。同じスピードで来るボールが、ストレートだったり、スプリットだったりして、打者を幻惑することこそが彼の配球の持ち味だったわけだが、ストレートが死ねば、スプリットの威力も落ちる。

こういうパンク寸前の投手を開幕投手として投げさせるニューヨーク・ヤンキースは、本当に合理的な判断のかけらもないチームだ。まぁ、こんなチームは地区下位にあえぎながらアレックス・ロドリゲスのような薄汚いステロイダーの嘘臭い記録とじゃれあっているのがお似合いというものだ。

damejima at 15:58

April 01, 2015

平沼翔太、小林繁

この2人、姿形、フォームこそまったく違う。

けれども、どこかに「共通の匂い」が濃厚に漂っている。
師弟とは、そういうものだ。

左の若き才能はやがては道が開けたであろう。だがそれでも、若さが「遠回りの苦労を無駄に経験せず、真っ直ぐ甲子園に向かって進むことができた」のは、どういうものか、少なからず遠回りする人生を選ばざるをえなかった故・小林繁氏の慧眼によるものだ。
われわれは、小林氏と同様に遠回りした生を生きているうち、小林氏の「引退後も続いていた壮挙」にあらためて「遠回りで気づかされた」のである。

つまるところいえるのは、
われわれの誰もが実は遠回りする人生を歩くようにできており、
例外はない、ということなのだ。

damejima at 19:37

November 04, 2013

素晴らしいゲームばかりだった2013日本シリーズについては、たくさんのプロ野球ファンが書くだろうし、門外漢があれこれいう必要もないとは思うが、「配球」を考えながら野球を観るのが好きな人が時間が過ぎた後で、このシリーズをあらためて考察するときに必要な記録を残しておきたいと思うし、MLB移籍後に予見される「田中将投手の課題」という問題にも関係するので、メモを残すことにした。わかりきった内容が多いことについてはご容赦願いたい。

第5戦までの嶋捕手の「インコース突き配球」
第5戦までに2013日本シリーズにおける楽天優勢が明らかになった理由は、楽天・捕手のインコースを突きまくる配球と、それを可能にする楽天先発投手陣の力のある速球、コントロールの良さにある。
インコース主体のスピードとパワーのある速球をヒットにするだけのスイングスピードをもたない打者(例・松本)ばかり並べた巨人打線では、大半の打者が打率2割以下に抑えこまれた。
特に、このインコースを突きまくる配球の成果は、本来ならインコースに強いはずの巨人・阿部捕手の打撃不振を決定づけたことにある。阿部はインコースの速い球に対応しようとする意識が強くなりすぎた結果、右腰の開きが早すぎるカラダの初動の悪さを、自力では制御も修正もできなくなり、そのまま凡退し続ける結果になった。

第6戦、第7戦の巨人の「ストレート狙い」
大雑把にいえば、戦力の均衡したシリーズの行方を決めた第6戦・第7戦で、レギュラーシーズン無敗だった田中投手が負けた理由も、美馬投手以下の楽天の投手が打たれずに済んだ理由も、まったく「同じ理由」だ。
それは「巨人打線が、この大事な2試合でずっと「チーム方針として、ストレートばかり狙い続けた」からだ。

第6戦では、田中・嶋バッテリーは、巨人打線に狙い球を絞り込まれたことで、無敗のエースがピンチを招き続けるという「予想外の事態が起きたこと」にすっかり我を忘れてしまい、使う球種が「ストレート」と「スプリット」の2つに完全に偏ってしまい、バッターにことごとく球種を読まれた。
特に、インコースのストレート待ちで二塁打を打つのが特徴の高橋由に、嶋捕手が「第5戦までに多用していたインコースを突く配球を続けたこと」は、明らかにキャッチャーが配球を主導する日本野球のキャッチャーとしては大失敗であり、高橋由に投げミスしたインコースのストレートを打たれ、さらに投げる球が無くなって変化球を置きにいっては打たれて、楽天バッテリーに逃げ場はなかった。スプリットの投げ過ぎの結果、スプリットが抜けるようになったゲーム中盤には、スプリットが抜けた高めの棒球を、好調時の田中なら打てるわけのないホセ・ロペスにさえホームランを許した。

その一方で、カーブやスライダーを主体に投げられる美馬は第7戦で、主にスライダーを多投することで打者をかわし続けた。巨人打線がストレート狙いなのだから、美馬がMVPに選ばれるのも、楽天の日本一も、当然の結果だ。

第6戦、巨人の打線組み替えの成功
第6戦だけみれば、巨人・原監督の「打線組み換え」という戦術は非常によく機能し、無敗のエース・田中将大を打ち崩すことに成功した。特に、インコースのストレートに異常に強い高橋由を3番起用したことに意味がある。
他方、楽天・嶋捕手は、巨人打線の組み替えの意図を理解せず、インコースをストレート系で突き続ける第5戦までの配球を修正しないままゲームに臨んで巨人打線の痛打の連続にあい、優勝を決めるべく田中先発で臨んだ第6戦を落とす原因を作った

ただ、原監督の打順変更が「遅きに失した」ことは、残念ながら後世の人に特筆して書き残しておくべき点であり、もし原監督が、楽天バッテリーにおける嶋捕手の配球傾向、巨人打線が抑え込まれている理由について、もっと早く把握し、なおかつ、もっと柔軟かつ俊敏に対応策を講じていたら、シリーズの結果は違うものになっていた可能性がある。(ちなみに、負けた巨人の戦略コーチは、敗退した第3回WBCでデータ分析を担当し、ヤディア・モリーナ相手に行った無謀なダブルスチールについて「絶対にできた」と負けた後でタラレバ発言した橋上秀樹)


第7戦、「変化球多用」による楽天の逆襲
田中先発で必勝を期した第6戦を失った後、第7戦を戦うにあたって楽天・嶋捕手は、「なぜ第6戦で楽天は負けたのか」について的確な判断を下して、第7戦では「徹底して変化球を増やす」という対策を立ててゲームに臨んだために、勝利した第6戦に続く第7戦でも同じオーダー、同じ戦術をとった巨人側の「意図」は完全に「裏目」に出た。
第7戦での試合結果について、楽天の先発投手が「カーブやスライダーを多用する美馬投手」だったことで、「偶然に、美馬投手と、ストレート狙いに徹する巨人打線とのミスマッチが起きた」ように思う人がいるかもしれないが、それは違う。

理由は2つある。

ひとつは、嶋捕手が、田中以上にストレートを多投したがる則本に対しても、「変化球、特に『打者の初球にスライダーを投げ、しかも、ストライクをとっておくこと』を徹底させ、巨人打線にいやおうなく変化球を意識させた」こと。
則本という投手は、いい投手ではあるが、ストレートを多投すると、10球に1球くらいの高確率で、高めに甘い球がいってしまう悪癖がある。第1戦8回表に村田にホームランを浴びたのも、ストレートの失投だ。(初球・アウトコース高め)
この「失投確率のかなり高い投手」を、わざわざ負けられない第7戦で、「ストレート狙いの巨人打線」相手にリリーフ登板させた楽天・星野監督の投手起用は、そもそも人選とタイミングを両方とも間違えている
たとえ信頼できるブルペン投手がいなくて則本をリリーフ起用せざるえないような状態だとしても、変化球にキレがあって巨人打線のストレート狙いをかわすことができる美馬をもう1イニング引っ張るほうが、よほど理にかなった戦術だったはずであり、巨人側も変化球のいい美馬が降板してくれて正直ホッとしたはずだ。

ふたつめに、嶋捕手が、則本と同じくストレートを投げたがる緩急のない田中投手にも、「スプリット連投を指示し、ほとんどストレートを投げさせなかった」ことだ。

こうして嶋捕手が、第7戦では「ストレートをむやみに多投しない」、「無理にインコースばかり突こうとしない」という風に、それまでの配球傾向を一新したことで、楽天は、「巨人打線のストレート狙い」と、そのキーパーソンである高橋由の3番起用をはじめとする「打線変更の効果」を、2つとも打ち消すことに成功した。
この「第7戦における配球傾向の一新」を主導したのは、明らかに監督の星野仙一ではない。なぜなら星野は、第7戦で楽天が巨人打線を抑えることに成功していたキーポイントが美馬の投げる「変化球」にあり、しかもまだ美馬が投げられるにもかかわらず、「ストレートを投げたがる則本」に、それも1イニング早くスイッチしている「わけのわかってない指導者」だからだ。


最後に、MLB移籍後の田中将大について、ちょっとしたメモを残そう。

かつて、2011年にフェリックス・ヘルナンデスについて書いたことがあるし、たしかダルビッシュについてもツイートしたことがある気がするが、MLBでは「4シーム(日本でいうストレート)がいいと言われる投手に対する、典型的な攻略パターン」がある。
それはとても単純な方法論で、「その投手の最もいい球種である4シームを、打線全体で徹底的に狙い打って投げられなくさせ、配球の構造そのものを壊す」というものだ。

「4シームだけを狙い打つ」なんていう単細胞な(笑)投手攻略戦術が、MLBで可能なのにはもちろん理由があって、MLBには「たとえ他の球種は不得意でも、こと速球だけなら確実に打てる」というハンパな打者が死ぬほどたくさんいるからだ。(特にアメリカ国内の大学出身者)
ただ、この「4シーム狙い打ち戦術」、もし日本でやったとしても、思ったほど効果はないと思う。なぜなら、例えば日本シリーズの巨人・松本のように、パワーのあるインコースの速球をヒットにできない打者がたくさんいる世界だからだ。(比較でいうなら、イチローはホセ・バルベルデのようなMLB有数の速球派投手のインコースの4シームを狙い打ちしてホームランにできるレベルのバッターであり、速球だけしか打てない二流打者とはまったく違う)
MLBなら、たとえ変化球はまるで打てない下位打線のバッターであっても、こと「速球」に関してだけは、いつでもホームランできる可能性がある。

Damejima's HARDBALL:2011年5月13日、「打者を追い込むところまで」で終わりの投球術と、「打者を最終的にうちとる」投球術の落差 (2)「ストレートを投げる恐怖」と「外の変化球への逃げ」が修正できないヘルナンデスの弱さ。

Damejima's HARDBALL:2011年7月31日、もはやストレートで押せるピッチャーでも、グラウンドボール・ピッチャーでもない、フェリックス・ヘルナンデス。ちなみに、ダグ・フィスターのストレートは、MLB全体11位の価値。


MLBでは「速球だけは打てる打者」「速球だけ速いピッチャー」なんてものは、腐るほどいる。たとえバーランダーやチャップマンのように、4シームの球速が160キロ出ようと、「甘い4シームを打てるだけのバッター」でいいなら、それこそ、どこにでもころがっているし、「4シームの速いピッチャー」というだけでいいなら、どこのマイナーにもいる。

むしろ、バッターが一流になれるかどうかは、カーブ、チェンジアップ、シンカー、ナックルカーブなどの「ブレーキのある変化球」、スライダーや高速シンカーなどの「スピードも兼ね備えた変化球」や、2シームやカットボールのような球速のある「動くスピードボール」を加えた、「ストレート以外の球」がどれだけ打てるかにかかってくる。
それはピッチャーでも同じで、一流になるには、4シームのキレだけでは不足で、最低でも「もうひとつ何か別の得意球種」を持つ必要がある。
(チェンジアップが武器のジェイソン・バルガスのように、コントロールが並み外れてよければローテーション投手にもなれるが、球速そのものが衰えたヤンキースのサバシアがもはやどうにもならない地点にさしかかっているように、球速の無い投手がエースの座を維持できるわけではない。たったひとつの球種では、世界から才能が集まるMLBで成功することは絶対にできない。だから、かつてイチロー在籍時代のシアトルのマイナーが、4シームしか持ち球のないワンパターンな速球派の若手投手ばかり生産し続けたことは、本当に無意味な行為だった)


田中将大投手が「いざとなると頼る球種」が、「4シーム」と「スプリット」なのは、この日本シリーズでよくわかったわけだが、では、その「2つの球種だけ」でMLBでやっていけるものかどうかは、よく考えないといけない。
MLBの場合、「4シームとスプリットだけでやっていく投手」というのは、ジョナサン・パペルボンのような「クローザー」だけであり、田中投手がローテーション投手として長く活躍したければ、球種を増やす必要がでてくるのは間違いないし、その球種は「空振りをとれるような、レベルの高い球」である必要もある。

現状の田中投手の配球上の特徴は、いい意味でも悪い意味でも、「緩急をあえてつけないこと」にあると思う。

彼のスプリットには「かなりの球速」があるため、彼の「ストレート」と「スプリット」は簡単には見分けづらい。だから、日本のプロ野球の打者は、田中投手のスプリットをストレート系のタイミングで振りにいく打者が非常に多い。
そして、ランナーを出した後でもストレートに準じた球速で落ちるボールを投げられるからこそ、スプリットで簡単に空振りがとれ、簡単に三振がとれて、ピンチでも動じないでいられる。(逆にいうと、第6戦で寺内に打たれたヒットのように、ピンチの場面でスプリットを狙い打ちされると、途端に苦しくなる)

だが、中には、日本シリーズのロペスの2ランホームランのように、スプリットをストレートのタイミングで振りにいったが、スプリットがほとんど落ちなかったのがかえって幸いし、長打することに成功する打者も、少なからずいる。
田中投手のピッチングスタイルにとって、「スプリットの球速が、ストレートに比べて遅すぎないために、ストレートとスプリットを見分けづらいことに意味があり、無理に緩急をつける必要はない」のは確かであるにしても、この「緩急なし戦略」は「両刃(もろは)の剣」でもある。

ブログ主は、昔からクリフ・リーやダグ・フィスターのような「カーブを投げる投手」が大好きだが、では、緩急をつけすぎないことを逆利用してきた田中投手が今後、緩急もつけられるピッチャーに変身できるのか、カーブを有効活用するために必要な投球術を自分のものにできるか、というと、彼の「腕の振りのワンパターンさ」を見るかぎり、カーブを投げようとしたときのフォームの変化があまりにも大きくなりすぎてしまって、打者に球種を見切られそうな感じがする。それに、ある年齢に達した人間というものは、そうそう簡単に「新しい自分」に変われないものだ。

むしろ、田中投手には、今までと同じように腕を振る速度を変えないまま、違う球種を投げわけるピッチングスタイルを今後も続けられる、という意味で、2シーム、カットボール、チェンジアップなどを増やすことのほうが向いている気がする。
ただ、どうしても元アトランタのカットボール投手・川上憲伸の例を思い出してしまう。緩急の少ないタイプのアジアの投手のカットボールは、MLBで思ったほど成功を収めていないことが、どうしても気になる。また、2シームと4シームを使い分ける芸当は、どうも日本人投手に向いてない気がするし、そもそも田中投手がいま投げている2シームは、「変化の大きさ」、「キレ」、どちらをとっても「MLBでいう2シーム」ではない。
だから、彼がこれからモノにするなら「チェンジアップ」がいいような気がする。


まぁ、何にしても、田中投手が今後どういう球種を自分の持ち球に加えるかが、彼のMLBでの成功のカギを握っていると思う。

damejima at 13:53

March 23, 2013

国際大会を経験するとか、海外でプレーするとか、野球の国際化についてファン同士が語るのを見かけるわけだが、なにやらお互いの「ものさし」の違いが漠然としたまま話していることが多い。
なので、国際化のステップをもっと具体的に示して「ものさし」を見えやすくするために、段階を細分化し、順序をつけてみる。身勝手におおまかに分けただけだが、段階はかなりの数ある。
このステップの可視化という作業は、いろんなことを一気に見えやすくしてくれる。

野球の海外経験における簡易グレード表
© 2013 damejima

0)海外の野球のゲームをテレビや動画で観戦する
--------------------------------------------
1)ボールが変わる
2)国内での外国チームとのゲーム経験
3)国内での外国人アンパイアのゲーム経験
--------------------------------------------
4)海外の球場でのゲーム経験
--------------------------------------------
5)海外で継続的に生活する
6)海外の野球チームに所属する
7)海外チームのレギュラーになる
--------------------------------------------
8)MLBチームとマイナー契約
9)MLBチームとメジャー契約
10)MLBチームのロスター入り
11)MLBチームのレギュラーになる
--------------------------------------------
12)MLBで3年以上連続してレギュラーを経験
13)MLBで3年以上活躍
--------------------------------------------
14)MLBで10年超の活躍
15)レジェンド化。または野球殿堂入り

この野球の海外経験における簡易グレード表は、同時に、「野球選手のキャリア設計図」を示してもいる。つまり、「その選手がどれだけ国際化できたか」という「国際化グレード」は、同時に、その選手のピーク時のキャリアの高さにほぼ比例する、ということだ。
この図の特徴は、選別基準を海外経験のみに特化したことで、その選手が投手か野手か、プレースタイルの違い、体格の違い、優勝経験の有無など、雑多な差異が捨象される
そんな雑多な細部などにとらわれず、それぞれの選手の海外でのキャリアだけを上の図に照らせば、かえって、過去に、どの選手が、どのレベルのキャリアグレードに到達していたかが、ひとめでわかる。(また同時に、野球の場合、「オリンピックやWBCがゴールではない」ことも、非常によくわかる)
やっているのは誰しも同じ「野球」というスポーツではあるが、キャリアのグレードをひとつでも上に押し上げるためには、ステップアップごとに毎回違う、新たな情報、新たな経験値が必要とされる
もし、新たな情報や経験を身につけて、自分を変えることができなければ、そこでその選手のキャリアのピークは終わる

どうだ。わかりやすいだろう。


この身勝手に分類した図を見ると、2013WBCの「国内の監督コーチ選手だけで構成された日本代表チーム」に関して次のことがわかる。
2013WBC日本代表チームは、海外の球場で行われるという意味での「国際試合」を、わずか1試合しか経験していない。決勝ラウンドは、上の図でいう「グレード4」なわけだが、1次ラウンド、2次ラウンドはアンパイアと対戦相手は外国人だが、国内の球場、国内のファンに応援されての試合だから、上の図でいう「グレード3」なのだ。

そして彼らはその「初めて海外でやる国際試合」で負けた。

非常にもったいない。なぜなら、技術上の実力を発揮できないまま、負けているからだ。(日本の工業製品が、技術は世界最高なのに、海外で販売戦略で負けているのと似ている)
では、なぜ技術上の実力を発揮することなく負けるのか。野球におけるステップアップとは、イコール、技術の高さが海外で認められることだ、と自分勝手に思いこんでしまう人が多いわけだが、そうではない。
2013WBC日本代表は、相手チームや球審の分析に失敗し、相手チームの日本チームに対する分析にしてやられ、ゲーム中の戦略修正スピードがあまりにも遅く、最後は、間違ったギャンブル戦術を採用したことからもわかるように、チーム全体が経験したことのないアメリカの球場のもつ独特の雰囲気に「のまれた」。だから負けた。技術の上手い下手は、この際、関係ない。
もっと圧縮した言い方をするなら、明らかに、情報不足、経験不足、そして、ゲーム中の修正の遅さが原因だ。

(ことわっておくが、日本を代表して戦ってくれた監督コーチ選手スタッフの多大な苦労をねぎらい、彼らをリスペクトする気持ちに変わりはない。だが、だからといって、WBC解説をつとめた野球評論家やマスメディアのライターまでも含めた日本国内の野球関係者の、海外経験の不足、その割にビッグマウスで厚顔無恥な不遜な態度、情報不足と海外経験の不足を補ってくれるスタッフを用意しないまま本番に臨む慢心ぶりなど、あらゆる「マーケティング不足」を指摘しないわけにはいかない。指摘しないで放置すれば、日本野球は進歩していかないし、国際化もしない)


2013WBC日本代表の主要ゲームのスコア

001 100 030 ブラジル 逆転勝ち(福岡)
000 000 003 キューバ 負け(福岡)
000 000 0211 台湾   逆転勝ち(東京)
151 311 4   オランダ コールド勝ち(東京)
080 000 02× オランダ 勝ち(東京)
000 000 010 プエルトリコ 負け(サンフランシスコ)

2013WBCのゲームスコアを並べてみれば、誰の眼にも一目瞭然とわかることがある。「日本の得点イニングの遅さ」だ。
苦戦した台湾戦、負けたキューバ戦、プエルトリコ戦に特徴的に表れているが、2013WBC日本代表は、「序盤にリードを許して、後がない切羽詰まった状態になったままゲーム終盤を迎えてケツに火がつくまで、球審の判定傾向を把握できず、相手バッテリーの配球傾向をつかまえられず、不用意なバッティングを繰り返した結果、十二分な得点を得られないゲームを繰り返した」。非常に単純な話だ。

苦戦したブラジル戦、台湾戦になんとか勝てたのは、遅れに遅れたとはいえ、ゲーム終盤にかろうじて把握や修正が間に合ったからだ。
というか、もっと正確に言えば、慣れない外国人球審の判定や、外国人バッテリーの配球パターンや球種をなんとか把握できていた野手の打順に、偶然逆転チャンスが回ってきたからだ。(例えば井端選手は、球審のゾーンをかなりきわどいところまで見抜いていた)

逆に、プエルトリコ戦で負けたのは、監督コーチを含め、日本チームの大半が、相手チームの分析も自分たちのプレーの修正もできないまま8回を迎え、誰もやるはずのないギャンブルプレーに走って、自らの手で最後のチャンスを潰し、外国で行われる初めての国際試合の慣れないスピーディーなゲームテンポや、慣れないアメリカの空気にのみこまれたまま、ゲームが終わってしまったからだ。



例のダブルスチールについてだが、
書きたくもないが、いちおう書く。

あんなものは単なる「苦しまぎれのギャンブル」だ。戦術でもなんでもない。
テキサスの監督ロン・ワシントンは「自分なら絶対にやらない」とコメントしていたが、ワールドシリーズでいつも迷采配を連発して失笑をかっている彼に指摘されるまでもなく、「負けたら終わりのゲームの8回、2点差で負けていて、おまけに、キャッチャーが世界で指折りの強肩捕手ヤディア・モリーナだというのに、普段から一緒にプレーしてもいない寄せ集めの代表メンバーで、成功するかどうかわからないダブルスチールに挑戦する」なんてギャンブルは、そもそもあの失敗の許されない場面でトライすべき戦術ではない。当り前の話だ。

往生際の悪いデータ分析担当のWBC戦略コーチの橋上秀樹とやらが、「100%走れた」だのなんだのとメディアにコメントしているわけだが、くだらないにも程がある
「焦りまくった人間のやるギャンブルプレー」に、「100%」なんて、あるわけがない。倒産寸前の会社が、本業と関係ない不動産投資やゴルフ場経営に手を出して失敗するようなものだ。そういうことをする人間に限って、倒産した直後に「あれは100%成功するはずだった。間違いなく本業を立て直せた」なんてタラレバ言いたがるのと、少しも変わらない。
そもそも橋上は、投手フアン・カルロス・ロメロの手を離れた球がキャッチャーに届くのに1.8秒かかるだのなんだの、もっともらしく意味の無い言葉を盛っているわけだが、では、「プエルトリコ側のキャッチャーの強肩」「日本側のランナーの足の遅さ」「ダブルスチール時に特有の、1塁走者のスタートの遅れ」については、計算に入れてなくてもいい、とでもいうのか。笑わせるな、といいたい。
三盗は100%だったはず、と、橋上は言うが、たとえ三盗が成功していたとしても、2点差なのだから、モリーナはセカンドに送球して同点のランナーを刺し、アウトカウントを増やしてくる。そして次打者は、アウトコースのスライダーで簡単に空振り三振させられるのが濃厚な阿部なのだ。2アウトになって、犠牲フライでは得点できない状況をまねいて、何がダブルスチールだ。

さらに橋上とやらは、負けた後に「ツーシームが内角ではなく外に来たのがデータと違った。外に制球すれば長打はないという、球場の特性を考えたリードだと思う」などという、わかった風なコメントまでしている。
そんなこと、負けた試合の後で偉そうに語る暇があるのなら、なぜゲーム中の、それも早いイニングにそれに気づいて、チーム内に情報を発信して、打線を修正しなかったのか。チーム内で発言力が低いのなら、試合後に選手批判になるような無駄グチたたかず、黙ったままでいたほうが、よほど人間としてマシだ。

プエルトリコ戦は、観戦していた素人ですら、大半が「日本チームの打者が、アウトコースのボール球に手を出し続けて空振り三振していること」に気づいている。
もちろん、プエルトリコ側も試合中に気づいていた
私は98、00年の日米野球で日本に行ったことがある。その時にも感じたことだが、日本の打者はパワーはないかもしれないが本当に粘り強い。日本の一流選手は選球眼がいいうえに、厳しい球はファウルで粘る能力も備えている。だから、日本の打者は徹底的に打席で粘って、投手の球数を増やす策に出ると思っていた。
実際は違った。初回から、日本の打線は積極的に打ちにきてくれた。おかげで、我々の先発投手はリズムをつかみ、五回(途中)までほとんど安打も許さず投げられた。これも仮定の話だが、日本の打線が一丸となって、もっと打席で粘っていたら、我々は投手の継投を考えざるを得なかっただろう。そうなれば劣勢に立たされたはず。それが、予想とは全く逆の展開になった。これも勝敗のカギになったと思う」
プエルトリコ代表打撃コーチ カルロス・デルガド
出典:プエルトリコ代表打撃コーチが侍ジャパンをボロカス(上) (日刊ゲンダイ) - Yahoo!ニュース


ゲーム終盤に追い詰められて、苦しまぎれのギャンブル策で無駄にアウトカウントを増やすより先に、なぜもっと早いイニングに「打者の大半がアウトコースのボール球の変化球に手を出して空振り三振し続けていること」に気づいて、打者にバッティングの修正を求めなかったのか。橋上の言っていることのほとんどがタラレバに過ぎない。
議論すべきなのは、目先の問題としては、後のなくなった8回に出た2人のランナーをどうすれば確実に(最低でもひとりは)ホームに帰すことができたかであって、どうすればダブルスチールが可能だったか、なんて枝葉末節の話じゃない。
それに、そもそもダブルスチールだけが得点する方法だったわけじゃない。プエルトリコの打撃コーチのコメントに迎合するのではなく言うが、もし阿部が大振りしてマグレでもホームランを打ってくれれば、逆転まであった。彼の場合の「4番」は、それが仕事だ。


プエルトリコ戦の根本的な課題は、早いイニングからハッキリしていた。日本の打者が「キャッチャー、ヤディア・モリーナの決める配球を、どう掴まえるか」という問題だ。
日本ではいまだに「MLBでは投手がサインを決める。キャッチャーはただの壁」という「古臭い俗説」だけが正しいと思い込んでいる人が大勢いるかもしれないが、プエルトリコ先発マリオ・サンチアゴは「モリーナのサイン通り投げた」と明言している。
日本の打線を最初から最後まで翻弄し続けたのは、プエルトリコの投手陣ではなく、「ヤディア・モリーナ」だ

だが、結論からいって、(自称元メジャーリーガー桑田も含めて)日本国内のドメスティックな野球人は結局、ヤディア・モリーナを知らなかった。おそらく彼が守備の賞であるFielding Bible賞を5回受賞していることどころか、Fielding Bible賞そのものを知らないことだろう。(もちろん、決勝でドミニカと対戦しても、ロビンソン・カノーも誰も、「知らないまま」負けて終わっただろう)
盗塁阻止で最も高い評価を得ているのはヤディア・モリーナだが、Fielding Bibleにおける彼の評価は「Earned Runs Savedでの評価はイマイチだが、Stolen Basesで最高評価を得ている」キャッチャー、つまり盗塁阻止を評価されているキャッチャーである。
出典:Damejima's HARDBALL:2009年12月26日、Fielding Bibleが2008年までの過去6年間、および過去3年間について「メジャー最低」と酷評した「城島の守備」。盗塁阻止は「並」で、Earned Runs Savedは「メジャー最低」。

プエルトリコは、スイッチヒッターを上位打線にズラリと並べ、キャッチャーがチームを牽引するという、まるでキャッチャー出身の分析大好き監督マイク・ソーシア率いるロサンゼルス・エンジェルスをコピーしたかのようなチーム構成だったわけだから、ソーシアがイチローを研究し尽くして向かってくるのと同じように、プエルトリコが日本を分析していないわけがないわけだが、マイク・ソーシアにも、エンゼルスにも、触れた人間はいなかった。


WBCの解説をした桑田真澄は、試合中こんなことを言った。耳を疑うようなレベルの話だ。ヤディア・モリーナさえ知らずに、この自称MLB経験者は、よくMLBがどうのこうの語れるものだ。(下記のツイッター上のコメントを、もうちょっと正確を期して書いておくと「こういうキャッチャーいるんですね。はじめてみました」と言った)

こういうキャッチャーって、どういう意味だ(失笑) まさか「MLBのキャッチャーは壁だ」なんて、素人みたいに間違った俗説を正しいと思い込んでいたんじゃないだろうな。
ヤディア・モリーナの「MLBでの格」やプレー内容すらわからない、知らないくせに、よく元メジャーリーガー気取りで物事を語れるものだ。
この人、自分はモリーナの凄さの意味をまるで知らなかったクセに、試合後になると、阿部とモリーナを比較して「両者の差が出た試合でした」なんて知ったかぶり発言までしている。
しょせん箔をつけるために行っただけのMLBで、1シーズンどころか、2007年にたったの21イニング投げただけでお払い箱になったマイナーレベルのセットアッパーだったくせに、よくも、まぁ、いけしゃあしゃあと言えるものだ。(当時桑田はナ・リーグ所属だったわけだが、同リーグのヤディア・モリーナのセントルイスとのゲームは、2007年8月のたった1試合しか経験してない)
Masumi Kuwata 2007 Pitching Gamelogs - Baseball-Reference.com

過去に桑田は、2012年の開幕を日本で迎えたシアトルが巨人とオープン戦をやったとき、解説者としてMLBで岩隈の調子が良くないことの一因として、MLBのキャッチャーの構えの下手さをあげつらっていたらしいが、まぁ、それについても笑うしかない。
伝統的にキャッチャーの指導が下手で、しかもピッチャーにストレートに頼りきった単調なピッチングばかりさせたがるシアトルを元ネタにして、MLB全体のキャッチャー、それもトップレベルを含めた全体を一緒くたに喋れるほど、桑田のMLBでのキャッチャー経験は多くない。
経験不足の「自称」メジャーリーガーだからこそ、2013WBCで「モリーナの本当の姿」を初めて見て驚いたのだ。よく恥ずかしげもなく、としか言いようがない。


プエルトリコは伝統的に名キャッチャーを輩出してきた国だ。そんなことは、MLBファンならかなりの割合の人間が知っている。同じプエルトリコの名手イヴァン・ロドリゲスが、かなり長い間ゴールドグラブ賞を独占し続け、MLBキャッチャー界のトップを独走してきたわけだが、その後継者が、ヤディア・モリーナだ。


なぜ橋上の「100%ダブルスチール成功予定でした赤っ恥発言」と、桑田の「モリーナはじめて見ました赤っ恥発言」を並べてとりあげるかといえば、「100%」橋上、「モリーナ知りませんでした思い出づくり」桑田、そして「モリーナのゲームでダブルスチールのサインを出すほどの世間知らず」山本浩二のような、「井の中の蛙のドメスティック野球人」が、ヤディア・モリーナのゲーム支配力について何も知らずに、2013WBCで、監督をやり、コーチづらをし、解説者をやっていた、ということを指摘するためだ。
かつてNBAのジェイソン・キッドイチローについて語ったように、球技においてはキープレーヤーがゲームを作る。ヤディア・モリーナは、プエルトリコ代表でも、MLBのセントルイス・カージナルスでも、ゲームを支配するキーパーソンであることは、いうまでもない。
参考記事:Damejima's HARDBALL:2011年6月12日、NBAで初優勝したダラス・マーヴェリックスのジェイソン・キッドが言う『イチローの支配力』という言葉の面白さ。「ランナーとして1塁に立つだけで、ゲームを支配できる」、そういうプレーヤー。
結局のところ日本国内の野球しか経験したことがないドメスティック野球人は、モリーナの存在の意味に気づくこともなく、むしろ橋上の「100%成功した発言」でわかるように、モリーナを軽視すらしてプエルトリコ戦を戦った。
こんな程度の情報レベルで、勝てるわけがない。


最後に球審のストライクゾーンの把握の遅れについて書こう。

2013WBC日本代表チームが球審のゾーンをどれだけ把握するのが遅れていたかについては、既に多少ブログ記事を書いた。それにしても日本チームは、偉そうに戦略コーチなんてものを名乗る橋上なんていう分析担当者まで用意しておきながら、なぜあれほど球審のストライクゾーンの把握が遅いのか。

Damejima's HARDBALL:2013年3月3日、WBCファースト・ラウンドにみる「MLB球審のストライクゾーン」とゲーム内容との関係 (2)ゲーム編

Damejima's HARDBALL:2013年3月8日、Fastball Count、あるいは日米の野球文化の違いからみた、WBCにおける阿部捕手、相川捕手と、田中将投手との相性問題。

ブラジル戦、中国戦の2人のMLB球審、Chris GuccioneとGerry Davisは、「試合中に判定傾向が変化していかないタイプの、堅実なアンパイア」だから、ちょっと事前に調べておきさえすれば、試合当日のゾーンがどんなものになりそうか、あらかじめ把握しておくことができたはずだ。
また、たとえ事前に把握できていないとしても、球審側が「ゾーンを試合途中で変えたりしないタイプ」なのだから、ゲーム中にゾーンを把握して、ゲーム中にバッティング修正が可能だった。

だが、プエルトリコ戦は違う。
プエルトリコ戦のBill Millerは、「球審として、試合途中で判定がブレる可能性のあるアンパイア」だったために、非常にやりにくい面があった。

だが、「判定がブレる」からといって、日本代表がプエルトリコ戦の球審Bill Millerについて「つかみどころのないゾーンで判定する、やっかいなアンパイアだ」ということ自体を把握しないままゲームをやっていていい、ということにはならない。
日本チームはBill Millerが、Chris GuccioneやGerry Davisと同じタイプのアンパイアか、それとも違うタイプか、そもそもどういうタイプのアンパイアなのか、ほとんど把握していなかったように見える。
日本チームは、日本の福岡や東京でのゲームと同じように、いつもと同じ「手探り状態でゲームを開始」し、「迷いながらゲームをすすめ」て、結局プエルトリコ戦では、ブラジル戦、台湾戦と違って、ゾーンについて何もつかめないまま負けた。


最後に余談。能見投手の2ラン被弾
阿部捕手と能見投手のバッテリーについて、「スプリット(日本風にいうとフォーク)の使い方が上手い」と一度書いたのだが、プエルトリコ戦で能見投手は勝負どころでチェンジアップを投げていて、スプリットを使っていない。そのチェンジアップが浮いて、2ランを打たれた。
これはどういうわけなのか。ど真ん中のコース低めにスプリットを投げておけば、空振り三振させることができた、と思う。もったいない。
Damejima's HARDBALL:2013年3月8日、Fastball Count、あるいは日米の野球文化の違いからみた、WBCにおける阿部捕手、相川捕手と、田中将投手との相性問題。

damejima at 07:42

November 15, 2011

武将・落合は、屈んで刀を脇に構え、
絶妙な間合いで抜刀しては、つど、鞘に収める。

イチローが投手との立合においてバットを一度立てる「正眼」の使い手であるのに対し、落合は脇構えからの「居合」の使い手である。いつ抜くか、わからせない。剣の長さも見せない。
どちらもまったくもって日本。侍の振舞いである。見事であるというほかない。


面白いものだ。
中日ドラゴンズ落合博満監督の評価が、ポストシーズンの試合を1試合1試合経過するたび、日増しに高まっていく。それも、とりわけ落合中日に負けた他球団ファンの間で。中日ドラゴンズの社長さんと一般の野球ファンとの間で、これだけ180度違う評価がついたのだから、なんとも愉快だ(笑)

ブログ主も、この秋、武将・落合がやってきた「戦」(いくさ)には圧倒的な感銘を受けた。特に、その刀の扱い方。



勝ちを求める人は多い。
それはそうだ。
勝てば、褒美がついてくる。

だが、「勝ち方」を愚直に求める人はどうだ。多いか。
いや。多くない。
スティーブ・ジョブズを見てもわかる。自分にしかない道を歩く定めを自分に課して生きる人は、ほんの一握りしかいない。

自分なりの勝ち方を、時間をかけ、手間をかけ、追求し続けることに、どれほどの価値があるのか、誰も確信が持てない。もしかすると無駄に終わるかもしれないことを、誰もがやりたがらない。
勝ち方より、勝ちそのもののほうが価値が高い、高く売れると思い、誰もが日々を暮らしている。


言葉の少ない落合博満だが、滲み出るオーラはむしろ雄弁だ。彼の戦ぶりは饒舌に彼の信念を物語っている。
「勝ちと勝ち方は似ているが、まったく違う。勝ちを追い求めるより先に、勝ち方を身につけろ」
武将・落合の兵の身体にはなにやら、8年かけてしみついた、勝ちに向かう習性が常に匂う。勝つかどうかは結果でしかないが、彼らの心の内には常に仁王立ちした戦装束が見える。


アイデンティティという便利な言葉がある。中高生でも知っているくらいの便利な言葉なわけだが、たいてい誤解されて理解されている。「アイデンティティは、誰にでも、最低ひとつは備わっているだろう」という、安易な理解からくる誤解だ。

ブログ主はアイデンティティや自分のスタイルというものは誰にでも備わっていると思ったことが、一度もない。むしろ、アイデンティティの無いままオトナになり、無いままに年老いて、無いまま死んでいく人が大半だ、という理解のもとに世界をずっと眺めてきた。

自分、というものを持つに至る人が、世の中にはほんの少ししかいない、ということを、ヒトはなかなか気づけない。また、言われても、それを信じることができない。中日ドラゴンズの社長さんなども、おそらく自分というものが無いままオトナになった哀れな人間のひとりだが、こういう人にいくら説明してもわからない。それはそれで、しかたがない。黒船が来たとき初めて、「あぁ、これで江戸の時代は終わるのか」と呟くのが、こういう人の役回りだ。そしてもうその頃には、船は舵を切っている。


武将・落合の戦には物語がある。物語を持てる武将は少ない。大半は時間の波間に消えていく。
人は中日の地を這うごとくの進撃にようやく、勝ちの味ではなく、勝ち方というものの真髄を知って目が離せないのだろう、と思っている。野球ファンは、落合中日の何によって負けたのかを、8年たってようやく知るのである。

damejima at 16:04

November 06, 2011

このブログは、いつも球審の判定に文句ばかりつけているブログではあるわけだが(笑)、今年のプロ野球パ・リーグのクライマックスシリーズ第3戦の10回裏に実質決勝タイムリーとなる二塁打を打った長谷川という選手の打席での「4球目の判定」について、なにやら世間が騒いでいたようなので、ネットで拾ったキャプチャー画像を少しばかりいじってみた。

場面は、先攻の西武が1点リードで迎えた10回裏のソフトバンクの攻撃。2死2塁で、カウント1-2からの4球目の判定は「ボール」。この「4球目」をストライクと感じた人が少なからずいたようだ。
もしこれがストライクなら、ゲームセットで西武の勝ちになり、シリーズの決着は翌日以降に持ち越されていたわけで、この判定がどの程度きわどい判定だったかは別にして、試合結果に大きく影響した判定ということにはなる。

2011年11月5日 ソフトバンク対西武 第3戦 10回裏 打者;長谷川


2011年11月5日 パ・リーグCS第3戦 10回裏長谷川 4球目判定


上の画像はクリックすると別窓で開いて、出てきた画像をさらにクリックすると、かなり大きな画像として見ることができる。気をつけるべきポイントが、以下のとおり、たくさんある。

)元画像自体が本当に100%信用できると言えるとは限らない
この意味は、いちおう「元画像自体が拾いものである以上、誰かが悪意で画像処理ソフトなどで作った『こしらえモノ』である可能性は絶対にゼロだ、とは言い切れない」という意味もあるが、それだけではない。
カメラ越しにとらえられた画像というものは、「必ずしも現実をフラットに見せているわけではない」という点にも留意しなくてはならない、という意味でもある。
例えば、普段メガネをかけているとか、カメラ好きの人なら、わかると思うが、「カメラのレンズ越しに見る世界」は、魚眼レンズほど極端に歪まないにしても、実際よりもずっと近く見えたり、歪んで見えたり、多少なりともレンズの影響があることが多いものだ。カメラのレンズ越しの視野を、プレートの真後ろで判定している球審の視野とまったく同じ、と、考えてはいけないのである。

)画像の中のA〜Dって?
上の画像のアルファベットのA、B、C、Dで示した4本のラインは、元の画像にはなく、全てブログ側が新たに書き込んだものだ。(もちろん元画像そのものはいじっていない。また1番目〜3番目の画像に、A、B、C、Dのラインをつけ加えるにあたっては、まったく同じ画像を、同じ位置になるようにペーストしてある)
この4本のラインを新たに書き入れてみた目的は、パースペクティブを検証するためだ。
4本とも、左右のバッターボックス前と後ろのライン、つまり縦方向のラインを、プレートからマウンドに向かって延長してみただけのものであり、厳密なものではないし、まして、ストライクゾーンの両端を示す線ではない。

)無視すべきラインD
A、B、C、D、4本のラインは厳密なものではないとは言ったが、相互比較すれば、右バッターの後ろの「ラインD」だけが、他の3本のラインA〜Cと、まったくパースペクティブが異なっていることは、容易にわかる。
ラインDが歪んでいる原因はおそらく、カメラのレンズの「収差」(=カメラやメガネのレンズそれぞれがもつ固有の歪み)が原因ではなく、ゲーム途中にラインを引き直す時に、方向も何も考えずに適当に引き直したのが原因と思われる。
ラインDは「4球目の判定」の検証に、何の役にも立たない。それどころか画像を見る人の印象をいたずらに歪める可能性すらあり、「4球目の判定」を考える上では、意識からラインDの存在を消去して考える必要がある。(ラインDがどうしてこうなっているのかについては、「4球目の判定」の検証には関係ないので、議論を省く)

)重要なラインB、ラインC
最も「4球目の判定」に関係するはずなのが、ラインBとラインCだと思う。
たぶん中継カメラは、センターバックスクリーン周辺からプレート周辺をズームアップして撮っているはずだから、画像上でラインBとラインCがまったく平行になっているようだと、この画像は後から手を加えられている可能性がある。絵画の遠近法でもそうだが、ラインBとラインCの幅は、「バックネット方向に接近していくにつれて、だんだん狭くなる」のでないと、理屈にあわない。
幸いなことに、画像を見てもらうとわかるが、元画像上のラインBとラインCは、マウンドからプレートに向かって少しずつ幅が狭くなっていっており、画僧自体の信頼性には問題がないように思える。

)左バッターのアウトコースのゾーンの広さは
  右バッターとは違う
このブログで何度も書いてきたことだが、MLBのアンパイアの場合、左バッターと右バッターとでは、アウトコースのストライクゾーンの広さがまるっきり違う。また、アンパイアごとの個人差も、非常に激しい。人によっては、ゾーンがほぼルールブック上のストライクゾーンどおりにであることさえある一方で、人によってはボール2個分を遥かに越える広いゾーンで判定している人すらいる。
日本のプロ野球の場合の球審の判定については、MLBのように十分なサンプル数をふまえた集計データが存在しているのかどうかがわからないため、プロ野球の球審の場合のアウトコースのゾーンの広さが、右バッターと左バッターとではどのくらい違うのかが、さっぱりわからない。だから確かなことは言えない。
だが、少なくとも問題の「4球目の判定」が「左バッターのアウトコース」である以上、アウトコースの判定を「ゾーンの広さは、右バッターとまったく同じ」と最初から断定して考察することはできないことくらいは、念頭に置いておくべきだろうと思う。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年10月29日、MLBのストライクゾーンの揺らぎ (2)2007年の調査における「ルールブックのストライクゾーン」と、「現実の判定から逆測定したストライクゾーン」の大きな落差。

)ボールから地面に向かって引いた垂直線の
  下端の終点は「簡単には決められない」
各画像で、ボールから地面に向かって垂直に引かれた線は、ブログ側で後から書き込んでいる。目的はもちろん、その瞬間に「ボールがマウンドからプレートまでの、どの位置にあるか?」を推測するため。
この「垂直線の下端の終点が、必ずしもラインCの上になるとは限らない」。この点は非常に重要だ。
なぜなら、もし検討を始める前から「垂直線の下端が、常にラインCにある」と思い込んでしまうと、「4球目は、常にラインCの上空だけを通過した後、キャッチャーミットに収まった」と、先入観で決めつけることになってしまう。
もちろんそれは、この投球を最初から「ボール」と決めつけてかかることを意味するわけで、それはおかしい。

)垂直線の下端を決めるファクターは無いのか
前項で説明した「垂直線の下端がどこなのか?」を決められる材料は、非常に乏しい。だが、唯一の確実な要素といえるのは、たぶん、ボールがキャッチャーのミットに収まる寸前と思われる3番目の画像での、「キャッチャーの足のつま先の位置」だろう。3番目の画像で、
  a)ボールの位置から、地面に下した垂直線
  b)キャッチャーの左右のつま先を結んだ線
  c)ラインC
この3つの資料から考えると、3番目の画像に限っては、他の画像と違ってボールから地面に下した垂直線の終点が、おおまかになら決められる。
おおまかにいって、キャッチャーのミットに収まる寸前、ボールは「最低でも、右バッターボックスの最内ラインである「ラインC」の上、もしくは、ラインC上よりもさらにアウトコース側」にあるように見える。

)打者の視線の方向は、それなりに重要
あくまで補助的なものだが、「打者の目の位置とボールとを結んだライン」も、元画像に書き入れてみた。
もし打者の顔の向き、つまり視線の方向と、後から書き込んだこの「打者の目とボールを結んだライン」があまりにもかけ離れているとすれば、この「打者の目とボールを結んだライン」はまったく役立たずなわけだが、画像から判断するかぎり、そこそこ矛盾の無い範囲にあるように見える。
この「打者の目とボールを結んだライン」は、「ボールから伸ばした垂直線の下端を、どれくらいの長さと推定すればいいか?」という問題について、不完全ではあるものの、少しは判断材料にできる。(だが、「打者の視線方向」を、鵜呑みにすることはできない。下で説明するが、ボールがミットに収まろうとしている瞬間にも、打者の視線は遅れて、自分の真ん前あたりを見つめていたりする。100数十キロの速度で移動する物体を目で追いかけているのだから、遅れて当然だ)

)ピッチャーの球種がもし「シュート」だったら
Yahooでみかけた投球データによると、西武・涌井投手は、この「4球目」に「ストレートを投げた」ことになっている。
だが、画像だけを見て判断するかぎり、右投手である涌井投手が投げようとしたのは、ストレートではなく、「シュート」であるように思えるのだが、どうなのだろう。
というのも、画像を見るかぎり、投球後に涌井投手の左足位置が、「ラインB」よりかなりファースト側に踏み出していることから、涌井投手はプレート左端を踏み、かなりアウトステップして投球していると思われるからだ。おそらく左バッターのアウトコース一杯を、逃げるようにスライスしながらギリギリに通過するシュートを投げようとしたのではないか。
カウント1-2からの「4球目」の意図は、左バッターのアウトコースをまっすぐ通過して完全にボールになる「見せ球」(あるいは空振りを誘う釣り球)のストレートではなく、見逃し三振をとろうとした「勝負球」で、この球はかなり意図的に角度をつけられている。
そうなると、ボールはアウトコースに多少スライドしながら、キャッチャーのミットに収まったことになるわけで、意図したシュートか、シュート回転のストレートかは別にして(ステップの方向からして意図的なシュートだろうとは思うが)、「多少なりともボールがスライドしている」と仮定すると、球審の位置から見るのでもかぎり、この3枚の画像だけでボールがプレートのどの位置を通過したのかを正確に判定することは、残念ながら、かなり難しくなる。

10)1番目と2番目の画像で、
   ボールからの垂直線の下端が「やや短め」にしてある理由
実は、1番目と2番目の画像で、ボールからの「垂直線」は、ラインCに届かない程度に、わざと短めにしてある。これは、涌井投手の投球が「多少なりともシュートしている」ことを、いちおう考慮に入れた結果だ。
もしこれがプレート右端を踏み、まっすぐステップして投げたアウトコースの「見せ球」なら、この投球の判定が「ボール」であることに疑いの余地は無いし、これほど野球ファンがとやかく言うことでもない。

11)球審がストライクゾーンを広げたり、狭くする
   「特定のカウント」がある
この件とは直接関係ないのだが、MLBの球審は、特定カウントでゾーンを故意に広くしたり、狭くしたりする傾向がある。このことは、以前一度記事として取り上げた。
具体的にいうと、カウント0-2と、打者が一方的に追い込まれると「ゾーンは狭く」なり、また、カウント3-0と、投手が四球を出しそうになると「ゾーンは広く」なって、結果的に「球審が判定の厳しさを恣意的に変えることで、三振と四球を避け、バッターとピッチャーの対決を長く観客に見せようと仕向ける傾向がある」ことを、データの集積から発見した人が、メジャーにはいるのだ。
今回の「4球目の判定」は、カウント1-2での出来事だから、これらのケースには該当していない。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年7月11日、MLBのストライクゾーンの揺らぎ (5)カウント3-0ではゾーンを広げて四球を避け、カウント0-2ではゾーンを狭めて三振を避ける。あらためて明らかになったアンパイアの「故意にゲームをつくる行為」。


前置きばかり長くなったが(笑)、画像それぞれを見てみよう。

1番目の画像
何もいじっていない元の画像だけ見ると、「ボールがバッターの手元近くに来た瞬間の画像」と見えなくもない。
だが、「ボールから引かれた垂直線」「ラインC」「打者の視線」など、線を引いておいてから判断しなおすと、印象がまったく違ってくる。どうやらボールはまだ「グラウンドの芝が、土に切り替わるあたりまでしか来ていない」のである。
問題は、このときボールがどのくらいアウトコース側を通過したのかを見極められるかどうかだが、それを知るためにボールから引かれた垂直線の下端の位置を特定できるかどうかについて考えてみたが、特定のための材料に乏しく、ちょっと特定は難しいと思う。

2番目の画像
これも元画像だけを見ると、「ボールが打者のヒッティングポイントを通過した瞬間」にも見える。
だが1番目の画像と同じように、「ボールから引かれた垂直線」「ラインC」「打者の視線」などから印象を修正してみると、ボールがまだ「バッターボックスの、投手寄りの最先端部分あたり」にあることがわかる。打者のヒッティングポイントよりは、ほんのわずかではあるが、まだ投手側にある感じなのだ。
ここでも、ボールから引かれた垂直線の下端の位置を特定するのは難しいのだが、ボールとバッターボックスの位置関係が多少は見えてきていることを考慮すると、「ボールが、バッターボックスの最前部に来たときには、プレートの右端と、ラインCの中間あたりを通過している」といえるようには思う。

3番目の画像
これなども、他の画像同様で、元画像だけ見ると「ボールが、打者のまさに真ん前を通過した瞬間」に見えなくもない。
だが1番目、2番目の画像と同じように、「ボールから引かれた垂直線」「ラインC」「打者の視線」などをもとに印象を修正していくと、ボールは「すでに打者の前を通過し、バッターボックスの後端あたり、すでにキャッチャーミットに収まる寸前まで来ている」はずだ。
このとき打者の視線は「プレート上あたりを見ている」わけだが、3番目の画像においてが、他の画像と違って、打者の視線とボールの位置は「少しズレている」のである。
ここでは、最初の2枚の画像と違って、キャッチャーの位置、バッターボックスとの位置関係などから、ボールの位置を多少なりとも推定できる。
「ボールから引かれた垂直線」、「キャッチャーが左腕をめいっぱい伸ばしていること」、「キャッチャーの左右のつま先を結んだ線」、「ラインC」等々の要素からして、「ミットに収まる寸前のボールは、どう少なく見ても、ラインC上よりアウトコース寄り(=三塁側)に位置している」ように見える。
2番目の画像の時点ではボールはプレートとラインCの中間にあったと思われるから、3番目の画像でボールは「アウトコース側にスライドした」ことを意味する。


やたらと長くなったが、ストライクボールの判定は、上に書いたさまざまな理由から確実なことは言えないわけであって、実際にゲームを見ていた人それぞれの判断にまかせたい。
(まぁ、こっそり小声で(笑)いうなら、この球は最低でもボール2個、実際には2個半くらいは、はずれていただろうとは思う。ただ、左バッターのアウトコースのゾーンが右バッターより広いこと、投手が意図的に角度をつけていると思われる投球であることを考慮すると、実際にどう判定するかについては、アンパイアの個人差にも左右される。もしブログ主が球審なら、たとえプレートの左端を踏んで投げ、しかもシュートしているにしても、プレート付近に到達するまでの途中段階で、「ボールの軌道が外に寄りすぎている」という根拠で、躊躇なく「ボール」と判定する)

まぁ、そんなことより、わざわざこんな長文を書いたのは、スタジアムのバックスクリーンから見た映像は、テレビの画面で投手と打者の勝負を観戦するには大変わかりやすい角度だが、同時に、かなりパースペクティブがついたアングルからの映像でもあるために、球審の判定については、見た目の印象と判定結果が異なるというやっかいな現象が起こりうるアングルであることを、自分でも一度確認しておきたかったからだ。それさえわかれば、この件は十分だ。こういうことも、野球の楽しさの一部だ。

この球がストライクに見えた人がたくさんいたこと自体は、とてもよくわかる。だが、たとえ静止画であっても動画であっても、画像や動画と、自分が自分の目で見た印象が、かけ離れていることは、十分ありうるのだ。


資料:元画像
いちおうウイルススキャン済みですが、
開くかどうかは自己責任でどうぞ(笑)

2011年11月5日 元画像



damejima at 23:43

October 19, 2011

これは落合・中日の優勝がビジターの横浜で決まった瞬間の名古屋・大須での興奮を記録したYoutube動画。
いやあ、日本人はシャイだのなんだの言うけれど、興奮すりゃ、ここまでデカい声が出せるんだねぇ。と、変な感心の仕方をした(笑) (でも、イザとなったらデカい声出せることは、今の時代、重要だけどね)
動画を見るとき、もしも普段からパソコンのヴォリュームを一杯に上げている人がいたら、音量を絞ってから見たほうがいいかもしれない。それくらい、叫び声が凄い(笑)






落合博満監督と、一部の球団幹部、一部の地元メディアの間に確執があることはもちろん知っているが、近年目立つ野球とマス・メディアの関係の歪みについては色々言いたいことがある。


ひとつ思うのは、「今と昔で、マス・メディアの位置はとっくに大きく変わっていて、同じではないのだ、ということに、マス・メディアはいつになったら気づくのか?」、ということ。

野球ブログのくせに、門外漢としてスティーブ・ジョブスの死去について記事を書いたのにも、似たモチベーションがある。今という時代のリアリティを理解していない、読めない、わけのわからない人が、今どれだけたくさんいるか、多少はっきりさせておかないと話が進まないのだ。「パソコンがどれほど世界を変えたか」という時代意識と、野球とマス・メディアの関係がどれほど変わらなければならないときに来ているか、という話には、多少なりとも共通点がある。

パソコンやインターネットの登場によって、人と人のコミュニケーションのスタイルや方法は大きく変わったわけだが、マス・メディア自身はいまだにそのことを認めようとしてない部分がある。(この点については、シアトル・マリナーズの地元メディアなども同様だ)
彼らはいつまでたっても「マス・メディアは、ファンの意見を主導している」だの、「マス・メディアはファンの意見を代表している」だの、「自分たちこそ、ご意見番だ」だの、いろいろと勘違いし続けている。
言い換えれば、一度マス・メディアに就職したら一生安泰だと勘違いしている「公務員根性丸出しマス・メディア」の人間がマス・メディアにはたくさんいて、彼らの多くは「パソコンとインターネットが、どれだけ世界を変えたか?」ということの意味を、まるでわかっていない、ということでもある。
彼らは、通販番組と韓国ドラマを大量に増やす程度のことで、この複雑な時代に適応できると思っているのかもしれないが、認識が甘いにも程がある(笑)


たとえ、広告主に野球の魅力について効果的なアプローチもロクにできないような地上波テレビ局の無能社員が、スポットCMがとれず、シーズンの行方が決まる大事なゲームですら地上波中継が無くなってしまう事態を招いているとしても、上の動画を見てもわかるが、今の野球ファンの熱気はまったく衰えてなどいない。
勘違いした今のマス・メディアが野球ファンの興奮を上手に集約することができないのは、野球ファン側の責任ではない
Public ViewingYoutubeTwitterストリーミングアップローダー動画音声ファイル。今どきの野球ファンは、「パソコンとインターネット」を駆使しつつ、「見知らぬ他人と野球の興奮を分かち合うことができる、マス・メディア以外の手段を持っている」ものだ。

この「見知らぬファン同士で、野球の高揚感を一緒に分かち合うスタイル」は、とっくに某巨大掲示板だけの専売特許ではなくなっていて、「新しい野球の楽しみ方」として定着してきていると思う。

この「見知らぬファン同士で、野球の楽しさを分かち合う観戦スタイル」は、「スタジアムに足を運んで、たまたまシートが近い人たちと一緒に応援する」というのとは、ちょっとニュアンスが違う。また、ひとりでビールを飲みながら見ているテレビの前で、無言でするガッツポーズとも、また違う(笑)。
この新しい楽しみ方には、常に主導権をとっていないと気が済まないらしい古臭い目立ちたがりの地元マス・メディアによる無意味な意見誘導も、球団による半強制的なファン誘導も、必ずしも必要ない。
そして、もっと言ってしまえば、もはや「試合映像の独占放送」も、もはや必要ない。試合の中継は、なんなら別にストリーミングでもなんでもいいのだ。


ブログ主は、日本のプロ野球の地上波中継が減少したことについて、野球人気そのものが低迷したからだ、なんていう根拠の薄い説明を信じたことがない。また、ファンの熱気が、地上波で放送するのに量的に足りていないなんてことも、全く思わない。そんなこと、あるわけない。
むしろ、いつまでたっても社員に桁外れのサラリーを払っている地上波局の「設定が高すぎる採算ライン」に野球中継があわない、とかいってくれたほうが、むしろドラスティックな金の話だけに、よくわかる。

たいした営業努力もしてない人間に、いまどき、安定して大金を払ってくれる超優良CMスポンサーを簡単に見つけてこれるわけがない。「スポンサーがみつからなかった」などというのは、低次元な言い訳にすぎない。しょうもない理由で「野球中継ができなません」などと言い訳するのなら、そんな野球に対する熱意も、営業能力も無い地上波局の営業社員などクビにするか、そういう営業できない放送局には野球放映権を渡さなければいいだけのことである。
自分本来の仕事もできないクセに、野球の現場の監督にはアレコレ文句ばかり垂れているようなテレビ局側の都合なんてものは、どうでもいいのだ。


実際、これまでスポーツの放送は、メディア側の思惑にかなり左右されてきた。
どんな都合があってそういうことをするのかは知らないが、地上波での放映権をもっているコンテンツなのに地上波で放送しないケースがあるし、また、せっかく現地で試合映像をカメラに収めたクセに、実際には放送しない、などというケースだってある。
オリンピックや世界選手権などをきっかけに水面下で一時的な人気が沸騰するスポーツはよくあるのだが、そういう隠れ優良コンテンツは、もし地上波で放送していれば結構な視聴率がとれたかもしれないのに、民放では放映されない、というケースだって少なくない。
そうした可能性を秘めたコンテンツというか、ポテンシャル・コンテンツを、よく放送するのが国営放送であるNHKのBS放送であることは、日本のスポーツ好きならよくわかっていることだが、NHKのBSは、困ったことに、税金の一種みたいなものである受信料を大量投入して無料放送してしまっているわけだから、地上波やCSのスポーツビジネスを非常に圧迫しているわけだが、この記事の趣旨とは違う話だし、その話は別の機会にゆずる。



話が横道にそれた。

野球を、テレビとスポーツ新聞だけで楽しむ時代なんて、とっくに終わっている。テレビのスポーツニュースなんて、ハイライト程度しかやらないし、新聞だって情報のカケラしか教えてはくれない。野球本来の緊張感や爆発的な感動、かけひき、喜怒哀楽、ミスやファインプレー、失意や復活、あらゆるストーリーがわからない。

しかし、ファンの脳裏には、こうして優勝が決まったとき、「あのゲームの、あの打席、あの1球が結局分かれ目だったな・・・」とか、「あのゲームで引き分けになったことで、シーズンの展開が大きく変わったんだよな・・・・」とか、さまざまな感慨、個々の場面が、まるで走馬灯のように思い出されるものだ。
そういう「走馬灯のようなファン感情」に、テレビとスポーツ新聞だけで応えられるなら、こんな野球ブログ風情など必要ない。


野球の楽しみは、結果だけ見て楽しむのもけして間違いだとは言わないが、ゲームのプロセスにたくさんの楽しみがあるし、このブログが配球にこだわるのも、別に配球マニアだからではなく、「どういうプロセスを経て、その決定的な場面が生まれたのか」を、球団の意向の追認に走りがちな既存メディアでは「ファンの経験や感慨に沿った形」できちんと残してくれないから、しかたなく自分でやりはじめただけのことだ。

日本のプロ野球にも、ファンの「走馬灯のようによみがえる感情」をきちんと「整理して記録くれる方法」があったら、どんなに新たなファン獲得につながることだろう、と思う。
今回の中日の優勝でいえば、9回の浅尾投手の、あのセカンド送球ホースアウト、ブランコのあのひと振りだけでなく、投手交代の謎、配球、凡退、この試合に至る勝敗の流れ、記録にとどめておきたいことは誰もが大量に抱えているはずだ。

だが、残念なことに、その全てを記録に留めておく方法や、他人と一緒に味わう機会は、テレビと新聞だけでは足りない。
例えばブログ主だって、イチローの全ヒットについて、どういうヒットだったか、どういう配球だったか、そりゃできることなら自分の無限ではない一生が終わってしまう前に書き留めておきたいと思わないでもないが、ひとりでできることには限界がある。ブログに思ったことのほんの一部を書き留めておくのだって、時間をみつけるのが難しいときがある。


残念なことに、野球ファンは、いくら最高の感動の場面でも、その出来事をあらゆる角度から眺めることはできない。このことは、誰もが経験からよくわかっている。
しかし、パソコンやインターネットのある時代だからこそ、誰かの知恵と他人の目線を借りつつ、お互いの情報を補完しあうことで、自分ひとりだけの経験では特定の角度からしか見えないゲームの全体像を、俯瞰的に再構築して、もっともっと全体像を楽しめたら、と望んでいると思う。
その気持ちは、非常によくわかる。

それは、「戦争」「原爆」「大震災」など、多くの人がかかわった出来事を、様々な人の記憶とまなざしを集めることで、全体像が結ばれてはじめて、ようやく「自分の立ち位置が理解でき、アイデンティティが確認・回復される」作業にちょっと似ている。


野球の記憶は、ひとりの視線からではキレギレの記憶でしかないが、個々の視線を分かち合うことで全体像を共有することもできるし、共有することで大きくはじける。そういう共有する瞬間を持てたとき、人は、自分でも思いがけないくらいの大声で叫ぶことも可能になる。



damejima at 10:05

July 21, 2011

最近こんな記事を書いた。
某巨大掲示板にしても、スポーツ新聞の記者にしてもそうだが、MLBのオールスターの視聴率が「6.9%」とかいうだけで、野球に対するわけのわからないバッシングをやり続けている多くの馬鹿がいることを笑った記事だ
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年7月18日、去年より低かった2011MLBオールスターの視聴率 (1)6.9%だからMLBは衰退しているとかいう、くだらない議論。呆れた今の日本の「議論能力」の無さ。

彼らは、テレビ全盛時代が終わりを告げ、音楽がミリオンセラーにならなくなった今の時代に、全米視聴率「6.9%」がどういう重さをもつのか、まるでわかっていない。
彼らは、日本で人気ドラマの視聴率が20%を越えるのが当たり前だったバブル時代や、紅白歌合戦を日本の60%以上の人がテレビの前に座って、みかんの皮をむきながらコタツで見るのが当たり前だった昭和の時代の、「視聴率20%を越えて、はじめて人気番組」とかいう、古臭くて、カビの生えた「テレビ全盛時代」の感覚をもとに、「6.9%」という数字をわけもわからずに「MLBの衰退」とか野球バッシングをやり続けて、失笑を買い続けている。


そんな彼らの想定する「野球イメージ」は、「お年寄りだけが好むスポーツ」というものらしいが、この「年寄りの好む野球」という決めつけは、他のどんな決め付けや、どんな思い込みより、笑わせてくれる(笑)もう、たまらなくおかしい(笑)
なぜああいう「野球叩きのための古臭いロジック」が無意味なのか? について、以下に、少し説明しておく。これからはそういう人を見かけたら、腹を抱えて笑ってもらっていい(笑)
(なお、以下に書くことが、日本だけでなくアメリカでもまったく同じことが言える、というわけではないことは、ことわっておく)


結論をあらかじめまとめて書いておく。

1)スポーツが商売として成り立つのは、政治経済がともに安定している先進国だが、そういう社会が安定している先進国では高齢化が進むのが常識。

2)だから、もしナショナル・スポーツ、国民的スポーツと呼ばれたいのなら、そのスポーツはむしろ「年齢層の高い人たちをも、ファン層としてコア層に抱え込めるスポーツ」でなければならない。
いやおうなく高齢化の進む先進国で、一定以上の資産や財産を常時キープしつつ、スポーツのシーズンシートを買う、というような消費行動で、そのスポーツの主要収入源になってくれるような世代は、明らかに「収入が乏しく、不安定な若年層」ではなく、一定以上の所得を既に得た層だ。
バブル崩壊後、若い人間に仕事もチャンスもほとんど与えてこなかった日本では特に、一定以上の所得を持つ層とは、一定以上の年齢層をほぼ意味する。

3)ゆえに「野球はオヤジ臭いスポーツ」という言い方は、実は、ほとんど何のマーケティング的な中身も意義も持たない。むしろ、あらゆるスポーツは「オヤジ臭くならなければならない」 というのが正しい。

4)広く安定した人気を確保し、財政的にも安定したスポーツになるために求められる条件は、正しくは、「オヤジ臭いスポーツになること」、つまり、「オヤジ世代、オバサン世代に愛好される文化」になることで、それが達成できなければ、そのスポーツは安定したマーケットには絶対にならない。日本の音楽でミリオンセラーが出なくなったのも、意味はまったく同じ。

5)たとえばサッカーだが、よく言われるように「サッカーは、野球とは対称的に、若い人の好むスポーツになった」のでは、まったくない。
サッカーという「商品」は、90年代に日本のサッカーがプロ化された当初から、マーケティング的な意味で、「団塊世代において野球が市場を形成した。であるなら、団塊の次の大きな人口ボリュームである団塊ジュニア世代に対して、新たに何を売れば、新たな市場として開拓できるのか?」というシーズ発想から考案された「団塊ジュニア世代向け商品」なのである。
短く言うと、「サッカーは最初から、特定世代をターゲットに考案された商品」なのである。

6)サッカーという商品は、「団塊ジュニア世代」という「団塊世代の次に大きな人口ボリューム」をターゲットに考案されたために、最初に売り込まれた「団塊ジュニアとともに、年老いていく」。スタジアムに足を運んでくれるコアなサッカーサポーターが「年々高齢化していく」というデータ的現実が、それを如実に示している。



上に書いたことを実感してもらうために、以下に2つの時代の人口ピラミッドを用意した。緑色が「団塊世代」赤色が「団塊ジュニア世代」
人口ピラミッドというものは、ある年のものだけを見ていては何の意味もない。時間とともに、これまでどう推移してきたか、これからどう推移するかが、最も重要だ。
たった2つの図を見るだけで、上に書いた「ナショナルスポーツは、オヤジ臭いスポーツでなければならない」「90年代に始まった日本のプロサッカーは、団塊ジュニア向け商品である」という文章の意味が、説明しなくても、実感できるはず。
団塊ジュニアは、1995年には20代前半だったが、2010年には30代後半になった。そしてこれから、ますます年齢を重ねていくわけだが、勘違いしてはいけないのは、「団塊ジュニア世代」に、「団塊世代とまったく同じ老後」が待っているわけではないということだ。
団塊世代は終身雇用の最後の輝きの中でキャリアを積み、資産を形成し、高い消費税もまぬがれ、やがて高額な年金をもらう世代だが、そのどれも期待できないのが、団塊ジュニア世代だからである。


よく、「団塊ジュニア世代は、『団塊世代の子供』を意味する」という前提で話す人がいるが、それは単なる勘違いであり、思い込みにすぎない。この2つの世代間に、必ずしも密接な親子関係が存在するとは限らない。
ただ、とはいうものの、「最初からサッカーを世代文化として売り込まれて20代、30代を通過した団塊ジュニア世代」が、「野球を文化的ベースとして戦後をのりきってきて、いまや年金をもらう時期にきた団塊世代」のことを、「オヤジ呼ばわり」することには、文化的にもマーケティング的にも、何の意味もないことは、この図から、明らかすぎるくらい、明らかだ。
なぜって、実際「団塊ジュニア」の親にあたる世代が「団塊」なのであって、金を握っている自分の親のことを、子供の側がいくら「オヤジ!」と罵倒してみせたところで、金が子供の財布に降ってくるわけでもなんでもないからだ。

1995年の人口ピラミッド

1995年の人口ピラミッド


2010年の人口ピラミッド

2010年の人口ピラミッド



不思議なもので、ある一定の年齢を過ぎると、人はたいてい新しい音楽を受け入れることができにくくなる。

まして「新しい音楽」を、「買う」「漁る」「踊る」「口コミする」というような、「音楽を全身全力で消費する行動」、もっと平たく言えば「音楽に命を賭けるような日々」は、普通はある一定の年齢でピタリと停止する。大人という生き物は、常に新しい音楽から距離を置いて生きるものだ。(もちろん世界的に、新しい音楽に良い音楽が少なくなってきていることも事実でもあるが)


世界のどこでもそうなのではないが、日本では一般的にいうなら、「音楽は、若い人間だけのための文化」と、思われていることが多い。
だからこそ、毎年のように同じような子供向けポップソングが、手を変え品を変え売り込まれ、だからこそ、その人の歌える歌、好きな歌で、その人の年齢をだいたい言い当てることができたりもするわけだが、そういう「若いうちだけしか聞かない音楽マーケット」は、放置しておけば、社会の高齢化とともにどんどん尻すぼみになっていくことは、誰にでもわかるはずだ。
日本で先進国特有の高齢化が進んだときに、日本の音楽からミリオンセラーがパタリと消え、ヒット曲は100万枚売れて当たり前という時代は、社会の高齢化とともに終わっていった。

テレビで人気番組というのは視聴率20%を越えるような番組だ、なんて常識が通用したのは、そういう古いメディア全盛期の昔話だが、MLBオールスターの視聴率6.9%という数字を「低い」と笑うようなタイプの人は、自分の基礎データのカビ臭さ、古さにまるで気づかないまま意見を言うクセがある。


「団塊ジュニア世代」だけが永遠に若者でいられるわけでもなんでもない。現に、日本にプロサッカーができた当初、「団塊ジュニア世代」は20代だったが、あれから15年ほどたったいま、彼らも「30代後半」の立派な「オヤジ」だ。
スタジアムにはいま、大人になりきれないまま、いまだに「自分の親世代のことをいまだに『オヤジ呼ばわり』して激しく嫌うくせに、自分自身も既にオッサンくささ満載の団塊ジュニア世代」が、わんさかいることだろう。スタジアムでの調査でも、実際そういう結果は出ている。



やれやれ。
たまにはスポーツを見るのを止めて、音楽でも聴いて一日を過ごすべきだ。

あなたが自分の好きなスポーツとともに年老いていくのは、あなたの勝手だ。だが、感覚はものすごく古くさいクセに、年齢、もしくは見た目だけは、どういうわけか、とても若い、そんな気味の悪い矛盾満載の人間たちの馬鹿げた主張に煩わされつつ、自分は年をとりたくなどない。






damejima at 21:34

September 29, 2010

まだ未成年の子だけに氏名を挙げていいものかどうか迷ったが、既にたくさんのメディアで取り上げられていることだし、将来楽しみな逸材として挙げてみることにした。(だから、記事タイトルには彼の名前を故意に入れてない)
千葉国体・投てき、期待かかる県勢 悲願の総合制覇目指す - 徳島新聞社


武田歴次君は現在、徳島県美馬中学の3年生で、身長190センチ90キロ。2008年10月26日に横浜の日産スタジアムで行われた「陸上ジュニアオリンピック」という大会で優勝している。当時の身長は184僂肇ΕД屮汽ぅ箸竜録にあるが、それから2年でさらに6センチも伸びたらしい。
砲丸投げ選手の彼がユニークなのは「本来の所属が野球部で、ポジションはキャッチャー。将来の夢はプロ野球選手だ」という点だ。あるウェブサイトでの紹介によると、野球の練習後に砲丸投げの練習を毎日約1時間欠かさず行っているらしい。

190センチを越える強肩の大型キャッチャーなんて、そうそう出てくるとも思えない。キャッチャーのスローイングの基本としては「砲丸投げのように投げる、いわゆる担ぎ投げが基本」といわれるだけに、砲丸投げの選手として既に名選手であるらしい彼が、野球選手として将来どうなるのか、ちょっと楽しみがある。
というのも、野球選手と砲丸投げ、というと、やはり、江夏豊氏の名前を思い出さないわけにはいかないからだ。(以下、基本的に敬称略)


江夏豊氏は中学時代、最初野球部に入部しているものの、いろいろと複雑な経過を経て、陸上部で砲丸投げの選手になった。なんでも、県大会で2位になったこともあるらしく、地肩は相当強かったに違いない。
そんな元・砲丸投げ選手、江夏がプロ野球選手になったのは1967年・阪神だが、最初は誰に教わってもカーブが投げられなくて困っていた。
だが翌68年に、パ・リーグで初のノーヒット・ノーランを達成した林義一さんが投手コーチになり、林さんとの出会いによって江夏は「砲丸投げの担ぎ投げのクセ」を矯正してもらい、カーブも投げられるようになって、大投手への道を歩み始めた、というのは有名な話。
(もちろん担ぎ投げは、キャッチャーのスローイングには向いていても、投手としてはやはりスナップをきかせたスローイングをきちんとマスターすべきだったわけだ。だが、もちろん晩年の西武・伊東のように、キャッチャーでもスナップスローをすることはある)

林義一さんは、徳島県立徳島商業の出身の元・投手。かのスタルヒンと並んで投げる様子がYoutubeに残っている。
1952年4月27日の阪急戦で、パ・リーグ初のノーヒット・ノーランを達成。通算防御率2.66。2008年に残念ながら病没されている。
徳島商業はいうまでもなく、元・池田高校野球部監督の蔦文也さん(2001年4月28日逝去)、元・中日の板東英二氏はじめ、数多くの野球関係者を輩出してきた野球の名門高校だが、林義一さんはその徳島商業からプロへの道を開いたパイオニアの存在である。



現在徳島県の現役中学生である砲丸投げ選手、武田歴次君にとって、徳島の生んだ名選手である林義一さんは、野球選手として超のつく大・大先輩にあたり、また、江夏豊氏は、中学生の砲丸投げの選手として、また、野球選手として、大先輩にあたるわけだが、もしも武田君が徳島商業の正捕手にでもなって甲子園に出場できるような日が来るとしたら、野球はますます面白くなる。

徳島の野球界は、2001年に蔦さん、2008年に林義一さんと、貴重な先人を病魔で続けて失っている。それだけに、ここらへんで新しい選手が伝統ある徳島野球を引き継いで、盛り立てていくべき時期に来ていると思う。
ぜひ、武田君には、ウェイトがあまりにも重くなりすぎないよう気をつけつつ、砲丸も、野球も、しっかり練習してもらいたいものだ。






damejima at 17:12

April 16, 2010

結論は簡単だ。
この10年、阪神タイガースというチームのチーム防御率は毎年1位か2位で、城島が加入したこととは、まったく何の関係もない。むしろ、チーム防御率が4点台に近づくような現状があれば、それこそ阪神タイガースにおける「城島問題」である。


ひさしぶりにあちこちの掲示板を覗いてみて、笑ってしまった(笑)
このところ日本のプロ野球を扱う掲示板等や、ネットのスポーツ記事で、なにかというと「阪神タイガースの防御率がリーグトップ。これは城島が加入して安定したため」とか、なんとか(笑)関西の小学生でもそのレベルの低さがわかる意味不明なキャンペーンが盛んなようだ。
たぶん野球も、野球のデータも知りもせず、また移籍先の阪神タイガースというチームの過去の来歴も知りもしないで間の抜けた発言を繰り返す城島オタクたちの妄言もここまで来たか、としかいいようがない(笑)

まぁ、掲示板の素人ファンが自分の思い込みを掲示板などに晒して世間で恥をかくだけならまだしも、ネットメディアにもこんなアホウな文章を書いて恥を晒している記者もいる。
「現在のチーム防御率はリーグトップで、今季から加わった捕手・城島健司を中心に安定している。」
記事例:圧倒的攻撃力の巨人と防御率1位の阪神が激突=見どころ(スポーツナビ) - Yahoo!ニュース


はっはっは。なんだ、これ(失笑)

日本に逃げ帰っても打率が.250にしかならないと、こんな嘘を書くことしか逃げ道が見つからない、というのも哀れな話だが(笑)、それにしたって、10年も続けて防御率が1位か2位というチームの特性を世間が知らないとでも思って書いているのだろうか。
下手をすると、野球をほとんど知らない人間が書いているのかもしれない。もちろんデータを調べる習慣もないのだろう、可哀想に。どこかのスポーツマネジメント事務所の無能なライターでも雇って書かせているのかもしれない。


もう一度いうと、この10年の阪神タイガースというチームは、そもそもチーム防御率がリーグ1位か2位から落ちたことがない。そして、チーム防御率が4点に近い3点台になったことも、ほとんどない。
そのチームの防御率が4月15日現在で3.75。これの、どこを称して「城島が加入したから安定した」とか意味のわからないことがいえるのか(笑)子供じみた嘘を書いていると人に笑われるだけなのがわからないのだろうか。


ちょっと阪神タイガースの歴史を、チーム防御率から振り返ってみる。
データブック|チームデータ|阪神タイガース公式サイト

(1)2リーグ制以降の「投手王国時代
日本のプロ野球が2リーグに分立した1950年以降、1970年代にかけてのおよそ25年間の阪神タイガースのチーム防御率は、なんと、ほとんどのシーズンのチーム防御率が2点台で、3点台になったすら、ほとんどない。素晴らしい数字である。
これは小山正明(キャリア防御率2.45)、村山実(キャリア防御率2.09)という2人の大投手を擁したことによるものらしい。

(2)1970年代後半以降の「投手暗黒時代
小山・村山の両投手が相次いで移籍あるいは引退した後、1977年から1991年までの10数シーズン、阪神のチーム防御率はほとんどのシーズンで4点台の惨状が続く。1978年には球団創設以来初の最下位に沈んでいる。長い目で見て、投手陣の非常に長い低迷期といえる。
阪神ファンの人たちの中には、1985年には21年ぶりの優勝、そして日本一に輝いたじゃないか!と思う人もいるかもしれない。だが、その1985年すらチーム防御率は4.16である。防御率のいいチームが優勝しやすい近年の野球では、4点台での優勝はとてもとてもありえない。

(3)2000年代以降の「防御率リーグトップ時代
野村克也氏が監督に就任した1999年以降、チームカラーは1980年代とはガラリと変わる。2000年代の10年間でみると、阪神のチーム防御率が4点台になったことはわずか1度しかなく、毎年あたりまえのようにチーム防御率はリーグ1位か2位を記録し続けている。
ただ、もちろん投手陣の全てが良かったわけではない。例えばチーム防御率が3.56でリーグ1位だった2007年でみると、ブルペンの防御率が2.45でリーグ1位なのに対して、先発投手の防御率は4.45でリーグ最下位であったように、チーム内の投手力に大きな偏りがあったことは有名である。

この10年の阪神タイガースのチーム防御率
2010年 3.75 (2010年4月15日時点)
2009年 3.28(防御率1位・リーグ4位)
2008年 3.29(防御率1位・リーグ2位)
2007年 3.56(防御率1位・リーグ3位)
2006年 3.13(防御率2位・リーグ2位)
2005年 3.24(防御率1位・リーグ優勝)
2004年 4.08(防御率2位・リーグ4位)
2003年 3.53(防御率1位・リーグ優勝)
2002年 3.41(防御率4位・リーグ4位)
2001年 3.749(防御率4位・リーグ最下位)
資料:日本プロ野球機構公式HP 年度別成績ほか

もちろんシーズンごとに見れば、防御率3点台前半を記録したチームですら優勝できない投手力優位のシーズンもあれば、1985年のように防御率4点台なのに優勝できてしまう、そういう打力優位なシーズンもある。
そこで2009シーズンの阪神タイガースで「最もイニング数を投げた投手たち10人」の防御率を、今年の数字と比べてみる。

    2009  2010
能見 2.62  5.51
安藤 3.90  6.91
久保 3.75  3.79
下柳 3.62  2.65
岩田 2.68
アッチソン 1.70
福原 4.84
江草 2.71  9.00
藤川 1.25  0.00
筒井 3.71  5.40
(メッセンジャー  6.48
資料:Yahoo!スポーツ - プロ野球 - 阪神タイガース - 投手一覧ほか

説明するまでもない。
大半の投手の防御率が悪化していて、特に昨シーズンに最もイニングを食ってくれた能見安藤両投手が揃って大幅に悪化しているのが、このチームの近い将来の致命傷になるだろう。
先発投手に難があると言われ続けているチーム特性があるとはいえ、2009シーズンに最もイニング数を投げた阪神の投手たちの防御率は、先発・ブルペン問わず、ほとんど全員が3点台以下である。「先発投手の防御率が良くないのが阪神タイガースというチームのもつ大きな欠陥」という言い訳は通用しない。
また、今シーズンになって大幅に悪化した投手もいる一方で、昨年と同じレベルの投手もいることから、防御率の悪化を「飛ぶボール」のせいにしても何の説明にもならない。そういうくだらない言い訳を思いつく暇があったら、仕事しろといいたい。






damejima at 11:05
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  • 2014年10月31日、PARADE !
  • 2013年11月28日、『父親とベースボール』 (9)1920年代における古参の白人移民と新参の白人移民との間の軋轢 ヘンリー・フォード所有のThe Dearborn Independent紙によるレッドソックスオーナーHarry Frazeeへの攻撃の新解釈
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年6月1日、あまりにも不活性で地味な旧ヤンキースタジアム跡地利用。「スタジアム周辺の駐車場の採算悪化」は、駐車場の供給過剰と料金の高さの問題であり、観客動員の問題ではない。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年6月29日、『父親とベースボール』 (1)星一徹とケン・バーンズに学ぶ 『ベースボールにおける父親の重み』。



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