June 20, 2010
ニルヴァーナと並ぶシアトル出身のオルタナティブ系バンドの雄、パール・ジャムのデビューアルバム「 Ten 」がレコーディングされたのは、London Bridge Studioだ。マリナーズの本拠地セーフコ・フィールドから、Interstate Highway 5 (インターステイト・ハイウェイ5号線)を真北に約16マイルのところにある。
Ten
Recorded March 27 – April 26, 1991 at London Bridge Studios, Seattle, Washington
インターステイト・ハイウェイの「番号」は、「奇数」はアメリカ大陸を「南北」に走る道路、「偶数」は「東西」に走る道路、というふうになっていて、また、「5の倍数」は特に重要な道路につけられている。
だから、「5号線」といえば、「アメリカを南北に走る重要な高速道路のひとつ」という意味になる。(下の地図の赤線部分)
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インターステイト5号線は、南はメキシコ国境から、パドレスの本拠地カリフォルニア州サンディエゴ、エンゼルスのあるアナハイム、ドジャースのあるロサンゼルスを通り、さらに北上して、パドレスのマイナーのあるオレゴン州ポートランドやマリナーズのマイナーがあるタコマを通って、シアトル、さらにはカナダ国境にまで達する総全長1381.29マイル=約2200キロもの長い長い高速道路だ。
さらに、5号線はカナダ国境で終わりだが、道はその先もトランスカナダ・ハイウェイというカナダの大陸横断高速道路British Columbia Highway 1に繋がっていて、シアトルのすぐ北にある冬季オリンピックが開かれたバンクーバーを通る。この道は、はるか彼方の大西洋岸までカナダの大陸を横断する。
2つの高速道路は長大な道路だが、カナダ人はアメリカ人がフリーウェイを作るような熱心さはもたないらしく、トランスカナダ・ハイウェイ1号線は、ところどころが他の国道とダブっていたり、州ごとにナンバリングが変わったりしていて、アメリカのフリーウェイとはまた違う顔をしている。
パール・ジャムのヴォーカリスト、エディ・ヴェダー Eddie Vedderがシアトル・マリナーズの大ファンだ、という人がいるけれども、彼が熱心な野球ファンなのは間違いないにしても、一番お気に入りのチームは、たぶん生まれ故郷のシカゴ・カブスだ。
実際、カブスのための曲を書いたりしているし、リグレー・フィールドで7回裏のお約束の歌「私を野球に連れてって」(Take Me Out To The Ball Game)を熱唱してみせたり、何度もカブス関係の話題になっている。
Eddie Vedder writes song for baseball team | News | NME.COM
シアトルの有名バンドの一員とはいえ、エディ・ヴェダーはそもそもシアトルの生え抜きではないから、しかたない。彼の生まれはイリノイで、それからサンディエゴ、イリノイ、ロサンゼルスと住まいを移りながら、成功のチャンスをうかがっていたところに、シアトルのバンドがヴォーカルを探しているという話が舞い込み、元レッド・ホット・チリ・ペッパーズのジャック・アイアンズの紹介でヴォーカリストに抜擢されたという経緯があってパール・ジャムに後から入っている。
いわば、エディ・ヴェダーは「インターハイウェイを北上して」成功をおさめたわけだ。
そこへいくと、同じパール・ジャムでも、ギタリストマイク・マクレディは、セーフコを訪れてユニフォームに袖を通したこともあるくらいで、れっきとしたシアトルファンだ。彼は生まれはフロリダ州ペンサコーラだが、育ったのはサンディエゴで、いまは奥さんと2人の子供とともにシアトルに住んでいる。
そういう意味でマイク・マクレディはいまやシアトルの「ローカル」なわけで、マリナーズに対する熱意だけでいうなら、マクレディのほうがよっぽど熱心だろう。
パール・ジャムのギタリスト
マイク・マクレディ
Mariners Blog | Mariners will try to "string'' some hits together, starting with Pearl Jam guitarist Mike McCready | Seattle Times Newspaper
とにもかくにも、上に書いたようなさまざまな経緯で集まったパール・ジャムのメンバーたちは、結成にあたって、それぞれの「思惑」を抱えて、車でインターステイト5号線を行ったり来たりしたのだろう。エディ・ヴェダーがヴォーカルのオーディションのために急遽当時住んでいたロサンゼルスからシアトルにやってきたり、パール・ジャム結成後セッションやレコーディングのためにセーフコの北にあるLondon Bridge Studioに通ったり。
逆に、元ガンズ・アンド・ローゼス(現ジェーンズ・アディクション、ヴェルヴェット・リヴォルヴァー)のベーシストダフ・マッケイガンは、シアトルの「生え抜き」だが、エディ・ヴェダーやマイク・マクレディと逆に、シアトルからロサンゼルスに出て成功を収めた。
シアトル出身のマッケイガンは、ダブル・ボブルヘッド・デーにわざわざVIP席ではなく、ごく普通のスタンドに座って観戦に来るくらいだから、マリナーズファンなのは間違いない。
彼は、エディ・ヴェダーと逆に、「インターハイウェイ5号線を南下して」成功を手にしたことになる
。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年6月18日、イチローとグリフィーのダブル・ボブルヘッド・デーにふらりとやってきた元ガンズ・アンド・ローゼスのダフ・マッケイガンは「レイカーズが大嫌いなんだ」と言った。
インターステイト5号線、それは
90年代ロックの熱を運んだroot(道、根っこ)でもあるのだ。