October 17, 2011

3000本安打達成には、「3つのルート」があることを指摘してきた。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年9月28日、3000本安打を達成する方法(2) 3000本安打達成者の「3つのタイプ」
3つのルートのうち、第1グループ「カール・ヤストレムスキー型」は、「最も低打率」で記録を達成したグループであり、カル・リプケン的な「身体の丈夫さ」と、「息の長い選手生命をもったフランチャイズ・プレーヤー」が特徴。最初に入団したチームから一度も移籍することなく引退した選手も多い。
彼らが相対的には低打率でありながら3000本安打を達成できたのには、「ひとつの場所に根をはやして留まり、地道に努力していく、彼らの穏やかな性格や行動様式」に、そのルーツがあった。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年9月28日、3000本安打を達成する方法(3) 第1グループ「カール・ヤストレムスキー型」にみる、身体の丈夫さと、フランチャイズ・プレーヤーであることによる「幸福な長いキャリア」

3000本安打達成者の打数と安打数の関係 3タイプ分類(修正)
(クリックすると別窓で図拡大)


今回は第2グループ「ピート・ローズ型」を見てみる。
通算打率3割前後で3000本を達成するに至った「ピート・ローズ型」は、、第1グループ「カール・ヤストレムスキー型」とはかなり対称的な特徴をもつ。

それぞれの特徴を強調して言うなら、第1グループの「カール・ヤストレムスキー型」が「アットホームな農耕民族的定住」であるのに対して、第2グループの「ピート・ローズ型」は「狩猟民族的なハンティング」という特徴をもつ。
第2グループ「ピート・ローズ型」の選手たちは、第1グループの選手たちと違って「キャリア最晩年の移籍」を選択した点にひとつの特徴がある。第2グループの達成者たちのモチベーションは、「質よりも量」、「率よりも数」なのだ。
カンザスシティで全てのキャリアを終えたジョージ・ブレットを除く4人の選手が、10年以上同じチームに在籍したフランチャイズ・プレーヤーでありながら、キャリア晩年になって他チームに移籍している。
ピート・ローズ 22歳〜45歳
   CIN→キャリア晩年にPHI→MON→CIN
ハンク・アーロン 20歳〜42歳
   MIL→ATL→キャリア晩年にMILに戻る
ウィリー・メイズ 20歳〜42歳
   SFG→キャリア晩年にNYM
ジョージ・ブレット 20歳〜40歳 KC一筋
ポール・モリター 21歳〜41歳
   MIL→TOR→キャリア晩年にMIN

フランチャイズ・プレーヤーとしての道を捨ててまで、移籍によって自分のキャリアを延命させ、記録の上積みを狙う「ピート・ローズ型」の欲望のルーツは、アベレージ・ヒッターかホームラン・バッターかというバッティング・スタイルの違いより、個人的な性格の違いのほうが強く影響しているといってみてだろう。温厚なカル・リプケンと、賭博で永久追放になったピート・ローズを思い浮かべれば、2つのグループの性格の違いは誰にでもわかる(笑)


第1グループ「カール・ヤストレムスキー型」は、低打率なために、キャリアで一度も移籍しないことで安定したキャリアを送ることで、3000本安打という輝かしい記録を手にいれているが、第2グループ「ピート・ローズ型」の選手たちは、こと安打数について言えば、本来、「カール・ヤストレムスキー型」の選手たちより、かなりのゆとりをもって3000本安打を達成できる恵まれた才能を持っていたはずだ
それは、第1グループの選手たちとの通算出塁率の差などをからもわかる。第1グループのカル・リプケンロビン・ヨーントの通算出塁率は歴代ランキングでみると800位台だ。これは、3000本安打という大記録を打ちたてた選手にしては、通算打率が3割ないのと同様、思ったより低い順位に留まっている。
それに対して「ピート・ローズ型」の通算出塁率は、全員が歴代ランキング300位以内の選手ばかりと、安定した数字を残している。
「カール・ヤストレムスキー型」の
安打数と通算出塁率順位
カール・ヤストレムスキー 3419本 175位
エディー・マレー 3255本 457位
カル・リプケン 3184本 859位
ロビン・ヨーント 3142本 814位
デイブ・ウィンフィールド 3110本 593位
クレイグ・ビジオ 3060本 382位
リッキー・ヘンダーソン 3055本 55位

「ピート・ローズ型」の安打数と通算出塁率順位
ピート・ローズ 4256本 211位
ハンク・アーロン 3771 222位
ウィリー・メイズ 3283本 141位
ジョージ・ブレット 3154本 275位
ポール・モリター 3319本 281位



「執着」というものは、往々にして人の人生を変えてしまうものだ。
特に、人並み外れて異常な強い執着心をもった人間にしてみれば、「なにがなんでも、もっと記録を上乗せしたい」とか、「どこかにもっと輝かしいキャリアが待っているはずだ」と渇望する「飢えや執着」は、どうにも断ち切ろうにも断ち切れない。
ピート・ローズが野球賭博にかかわって永久追放になったことについても、彼が自制のきくタイプではなく「欲望を断ち切れない性格だった」ことにルーツがあるのだろう。

ある意味もったいないのは、「ピート・ローズ型」の3000本安打達成者の通算スタッツは、もしキャリア晩年の他チーム移籍以降の不本意な数シーズンがなかったら、もっと素晴らしい数字を残しただろう、という選手が多いことだ。
こと通算打率に関してだけ言えば、もし移籍によるキャリア延命でスタッツを低下させていなければ、もしかすると「ピート・ローズ型」の選手にも、3割2分以上のハイ・アベレージの中で3000本安打を達成した、天才的安打製造機集団、第3グループ「スタン・ミュージアル型」に匹敵する数字を残したままキャリアを終えるチャンスがあったかもしれない。

だが、彼らの強い「現役欲求」が、かえってそれを阻んだ。
「執着」が彼らの現役生活のある部分をかえって台無しにしたのである。



余談として、ポール・モリターイチローのエピソードについて。

モリターは、若い頃はセカンド、サードを守りつつ打席に立っていたが、1991年以降のキャリア後半には、主にDHとしての出場になり、それにともなってバッティングスタイルを大きく変更している。
若い頃のモリターは、三振が多い打者だったが、DHに変わったキャリア後半ではバッティングスタイルを「ボールを見ていくスタイル」に変え、三振率が下がると同時に四球率が上昇するなど、このバッティング・スタイルの変更は結果的にモリターの打撃スタッツを向上させた。
彼はシーズン200安打を4回達成しているが、うち3回はDHがメインになって以降であり、また、シルバースラッガー賞4回はいずれもDHとしての受賞である。
Paul Molitor Statistics and History - Baseball-Reference.com

モリターは2004年に招かれてシアトルで臨時打撃コーチをやり、この年にシーズン最多安打記録を塗り替えることになるイチローに「初球打ちはするな」と戒めた(笑)
だが、そのモリター自身は、たとえば最もホームランを打っているのは「初球」なのであって、指導方針とモリター自身のキャリアは、まったくもって矛盾している(笑)

モリターは、キャリア後半にDHになって以降のバッティングスタイルの変更で大きな成功をおさめた自分自身のキャリア特性から、「打ち気にはやっていた若い頃のスタイルは間違っていた。やはり、じっくりボールを見てスイングするスタイルが、打者として正しい道だ」とでも思いこんでいるのだろうが、悪いけれど、それは「若い頃は振り回してばかりで、スタッツはたいしたことはなかった」モリター個人のキャリア特性から出た考え方であって、他に類をみないイチローのプレースタイルや天才ぶりとは全く無縁の話だし、また、モリターは、自分の晩年のプレースタイルがいくら自分には向いていたとしても、それがすべての打者にあてはまるルールになるとは言えないことすら、すっかり忘れている。単に自分のスタイルを押し付けているようでは、指導者にはなれない。

イチローは、DHになって守備負担がなくなり、バッティングに専念するようになってはじめて大量の安打数を積み重ねることができた結果、はじめて大記録である3000本安打達成の道が開けたポール・モリターと違って、フルに守備をこなし、ゴールドグラブを10年連続受賞しつつ、200安打を10年連続して達成した「攻守走」揃った「スタン・ミュージアル型」の天才プレーヤーなのであり、ポール・モリターとはプレースタイルもキャリアのレベルも異なる。(もっと言えば、シアトル、あるいはアメリカの指導者やコーチの多くがイチローに対して、モリターと同じような、間違った指導を行っている可能性がある)

ともかく、こと安打製造技術に関しては、モリターにとやかく言われる筋合いではない。
The Seattle Times: The Art of Baseball: The art of Ichiro: Right hitter, right time




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