July 07, 2012

資料によれば南北戦争までアフリカ系アメリカ人の約90%は南部に住んでいたが、北軍の勝利によって移動の自由を得た彼らの一部は、北東部を皮切りに、中西部、西部へ移住を開始。このGreat Migrationと呼ばれた移住現象は、その後1970年代まで続いた。(もちろん南部のアフリカ系アメリカ人全員が移住できたわけではない。1910年以降の15年間で北部移住を果たしたのは全体の1割程度という資料もある。だが、たとえ1割でも自分の意思で移住できるようになったことは、獲得した最初の自由の最初の使い道としては十分な成果だった)

その結果、アメリカ北部の大都市、たとえばシガゴ、セントルイス、ボルチモア、フィラデルフィア、ピッツバーグ、オマハ、ニューヨーク、といった街で、後にはロサンゼルス、シアトル、ポートランドで、アフリカ系アメリカ人の人口は爆発的な増加をみせた。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2012年7月3日、「父親」とベースボール (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。

一方で、時期を同じくしてSuburbanization(サバーバナイゼーション、郊外化)、つまり、大都市の都心に住んでいた人々の郊外流出が起こった。(ここでいう郊外とは、アメリカ英語でいうsuburb。ちなみにイギリス英語のsuburbには、北米的な意味は無い)
主に欧州系白人の郊外移転によって郊外開発が進んでいき、郊外から都市中心部へ自動車や鉄道で通勤するライフスタイルが定着する一方で、都市にはアフリカ系アメリカ人などの低所得世帯が密集し、周囲との交流が隔絶された住宅地である「インナーシティ」が形成されるなど都市問題は複雑化していき、都心部の荒廃は進んでいったが、高収入層の減少した都市では税収不足が深刻化して対策は常に立ち遅れた。

Levittown,NewYork
Levittown
William Levitt(ウィリアム・レヴィット 1907-1994)の設計によって建設されていった郊外型の住宅地、レヴィット・タウン。第2次大戦後、1950年代に退役軍人や労働者向けの住宅として、ニューヨークやフィラデルフィアなどで大量生産された。『パパは何でも知っている』『名犬ラッシー』『アイ・ラブ・ルーシー』など、1950〜60年代の有名なシチュエーション・コメディは、サバーバナイゼーション以降のレヴィット・タウンに代表される「郊外での欧州系白人の暮らし」を前提にして描かれていることが多い。

Pruitt-Igoe
Pruitt-Igoe (プルーイット・アイゴー)
シアトル出身の日系アメリカ人建築家ミノル・ヤマサキによって、ミズーリ州セントルイスに建設された、都心のスラム再開発のための集合住宅。都心再開発の典型的失敗例といわれている。ちなみに、ヤマサキ氏は、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の舞台となったワールドトレードセンタービルの設計者でもある。


レヴィット・タウンのような新興住宅街の開発によって、郊外ばかりが発展していく流れの中、南部から北部に移住してきたアフリカ系アメリカ人は都市内部の片隅に追いやられていく。彼らは、ヨーロッパからの移民のように、技術を要求される給料のいい職に就くことはなかなかできず、例えばニグロ・リーグの伝説的投手サチェル・ペイジがアラバマの少年時代に鉄道の駅で客の荷物を運ぶポーターをやっていたように、もっぱら低賃金の単純な仕事にしか就けなかった。
彼らは、アジア系、アイルランド系、イタリア系、ユダヤ系などが持っているような、同じ民族同士の横のつながりによって雇用を保持していくような互助会的組織が存在しなかったため、やがてコミュニティ崩壊をきたしてしまい、その結果、ますます低所得階層として都市の低家賃地域に固定化されて居住せざるをえなくなっていった。

リロイ・サチェル・ペイジ

日本のWikiに、クリーブランドの殿堂入り速球投手ボブ・フェラーが「サチェルの球がファストボールだとしたら、俺のなんてチェンジ・アップだ」と発言したと記述されているが、これは間違い
正しくは、セントルイスの永久欠番投手 Dizzy Deanの "Paige's fastball made his own look like a changeup" という発言がオリジナル、それをスポーツ・イラストレイテッド誌のJoe Posnanskiが2010年のコラムで引用した。

サチェル・ペイジ(左)と、ジャッキー・ロビンソン
サチェル・ペイジ(左)と、ジャッキー・ロビンソン



欧州系白人の郊外流出という現象について、多くのサイトでは、いまだに「南部から北部に大量に移住してきたのアフリカ系アメリカ人との混住を嫌った都市部の欧州系白人が郊外に逃げ出す「white flight(ホワイト・フライト)」が起きたことで、大都市の都心部が荒廃した」と、欧州系白人の郊外流出と大都市の都心部の荒廃をアフリカ系アメリカ人のGreat Migrationのみに直結させて、都市のスラム化の責任をアフリカ系アメリカ人に押し付ける記述が少なくない。

だが、そうした断定は、まったくもって正しくない

アメリカの大都市都心の荒廃に対する移民の影響は、たとえGreat Migrationの影響も少なからずあるにしても、南欧や東欧などヨーロッパから来た白人系移民の影響などもあって、複合的な原因がある。
また、そもそも人口の郊外流出そのものが、本質的には、単に都市の自然な成長サイクルのひとつであるSuburbanizationであり、それを人種問題のせいにするだけで説明できるものではない。そして、white flightの古くからある定義からも間違っている。


詳しく言えば、まず第一に、
都市からの脱出(urban exodus)、つまり、都市中心部から郊外への人口移転が起きるのは、都市の自然な成長サイクルや、政策的な郊外開発によるものであって、人種問題だけを原因として説明する手法は間違っている。
アメリカでは、土地を細かい区域に分け、それぞれの利用目的を厳しく規制するゾーニングという手法などによって、意図的、政策的に郊外開発が促進される一方、1956年の「高速道路法」などによって郊外から都心への道路整備も促進された。
だから、仮に人種問題が全くなかったと仮定したとしても、欧州系白人の郊外流出は進んだとみるのが自然な流れだ。いくらアメリカにはアメリカの特殊事情があるといっても、20世紀の都市の自然な成長プロセスにおいては、人口の郊外流出を、人種問題だけのせいにすることはできない。

例えば、「モータリゼーション」という現象は、植物が成長して自然と花が咲くように、GDP(国民総生産)が一定レベルの数値に達すると、どんな国でも起きる現象で、経済発展を経験すればいやおうなく経験する自然なサイクルのひとつに過ぎない。「モータリゼーション」は道路の発達バランスと無関係に起きるため、渋滞や排気ガスなど社会問題を招きやすいが、だからといって、自動車そのもの罪ではない。
同じように、都市の成長過程における「サバーバナイゼーション」(日本風にいえばドーナツ化現象)は、その国の経済発展と都市の成長サイクルから必然的に起きる現象のひとつに過ぎない。
19世紀までのギルド的都市では、都心部に手工業者の住宅が集中するが、20世紀になると、郊外から都心のオフィスにクルマや鉄道で通勤するようになる。これは産業革命後の経済発展によって都市への人口集中がより強化され、さらに収入の安定から中流家庭が大量に形成され、彼らが郊外に資産を購入すると、都心部の土地の社会的役割が「住宅地」から「オフィス街」へと変貌するからだ。
例えば、江戸時代の東京の中心部は住宅密集地だったが、高度経済成長とともに地価が上昇し、都心住民と店舗は郊外移転を余儀なくされ、千代田区、中央区など都心部の夜間人口は激減した。


第二に、
white flightのもともとの定義からして、「アメリカ北部大都市における欧州系白人の郊外流出」という現象だけを指してwhite flightと呼ぶのは、間違いだ。
white flightと名付けられた現象のもともとの定義は、気候が厳しいアメリカ北西部や中西部から、気候の温暖なカリフォルニアや、フロリダなどに移り住む現象を指していただけであって、古い定義のwhite flightは、アフリカ系アメリカ人の移住や人種問題とは無関係だ。
また、white flightと呼ばれる広義の白人移住現象にしても、アメリカだけで起きた現象ではなく、東ヨーロッパから南アフリカまで、さまざまな国でもみられる。
White flight - Wikipedia, the free encyclopedia
アメリカの大都市で、地元の白人系住民が郊外に流出していく原因のひとつが、移民との摩擦であるにしても、なにも南部出身のアフリカ系だけが原因とは限らない。他にも、ヒスパニック系白人の移民、アイルランド、南欧、東欧からの欧州系移民、人種差別政策の終焉による南アフリカからの白人系移民など、白人系もさまざまな理由でアメリカに移住して雇用を奪いあっており、それぞれが多かれ少なかれ移民問題を生じさせている。(例:古くは19世紀末に文盲率が高かったイタリア系などカソリック系移民との対立、近年ではアリゾナにおけるメキシコなどヒスパニック系移民と白人保守層との対立)


第三に、
たとえアメリカ北部大都市における欧州系白人の郊外流出が、Great Migrationの影響によって助長された面があったにしても、人種問題を悪用して、郊外の住宅地の発展で儲けようとしたデベロッパーの悪質な商法の存在は無視できない。
例えば、イリノイ州シカゴで始まったといわれ、1970年あたりまで全米各地で横行したといわれるBlockbusting(ブロックバスティング)という強引な不動産販売手法は、まずデベロッパーがアフリカ系アメリカ人に金を渡して白人系住民が大多数を占めるエリアをわざとウロつかせ、白人が嫌気がさして郊外移転を決断するのを待って、その家や土地を買い取り、その不動産を、あろうことかアフリカ系アメリカ人に売りつけるという、なんともあくどい商法だった。また、アフリカ系住民をわざと白人地区に住まわせ、周囲の土地を売らせるという悪どい不動産商法も存在していたらしい。

Robert Mosesサバーバナイゼーションの例:
ニューヨークの都市計画を担当したRobert Mosesは、移民の多いクイーンズ地区に、シェイ・スタジアムリンカーン・センターなどの「ハコモノ」、ブルックリン・ブリッジのような橋、数々のトンネル、スラム街を潰して作った高速道路などの計画と設計を指揮。ニューヨークに、「郊外から通勤する時代」をもたらした。
資料:ご案内:NYを彫刻した男−「ロバート・モーゼズ」


最近ではすっかり名前を聞かなくなったジム・ジャームッシュの1984年作品に、ニューヨークに住むハンガリー移民2世の若者がフロリダを目指す『ストレンジャー・ザン・パラダイス』という映画がある。
主人公の両親はクリーブランドに住むハンガリー移民で、その息子は寒いニューヨークから暖かいフロリダへの移住を夢見ている。この親子2種類の「移住」こそ、まさに元来の意味のwhite flightであり、両親は「貧しい東欧から豊かなアメリカへの逃避」というwhite flight、息子は「寒い土地から暖かい土地への逃避」というwhite flightだ。
東欧系移民の多いことで知られるクリーブランドやピッツバーグのような北東部の工業都市には、第一次世界大戦や、南部のアフリカ系アメリカ人のMigrationよりも前の時代から、ヨーロッパ系白人が数多く移民してきた歴史がある。(例えば、ピッツバーグ生まれのアンディ・ウォーホルの両親も旧チェコスロバキアからの移民)
この親子2つの移住、どちらも、まったく古めかしい「サバーバナイゼーション完了以前の昔のアメリカ」であり、アフリカ系アメリカ人のシリアスな人種問題とも、サバーバナイゼーション以降の欧州系白人の郊外生活における家庭崩壊とも、まったく関係がない。

この映画の公開当時のジム・ジャームッシュの評価は、その後長続きしなかった。たしかに今見ても、あの映画は映像と音楽の綺麗な「ゲージュツ」ではあるが、テーマのエグさ、現代性は、まるでモノ足りない。
かつてジャームッシュが描いた「昔ながらの牧歌的なwhite flight」には、例えば『アメリカン・ビューティー』、『ヴァージン・スーサイズ』、『ファイト・クラブ』のような作品群(3作品とも1999年公開)が描き出したような「現代アメリカの郊外生活のエグさに、ズブっと突き刺さるシャープさ」は、全く見あたらないのである。
そういう意味では、『ファイト・クラブ』に登場する荒廃した家、『パニック・ルーム』(2002年)に登場する隠れ部屋と、「家というものが持つ、独特の神経症的な不気味さ」を撮り続けてきたコロラド州デンバー生まれのアメリカ人デヴィッド・フィンチャーのリアルさと社会性のほうが、ヨーロッパ移民の子孫であるジャームッシュの個人的な芸術への憧れよりも、よほど「サバーバナイゼーション経験後のアメリカ」を描写することに成功していて、今に至るまで賞味期限を継続できている。

『ファイトクラブ』に登場した家
『ファイトクラブ』に登場した、といわれる家。オレゴン州ポートランドにあるらしい。詳細はよくわからない。


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