July 26, 2012

イチローのヤンキース電撃移籍が発表になった直後のセーフコ・フィールドでのシアトル3連戦が終わった。観客動員数は、以下の通り。
23日(月曜日) 29,911
24日(火曜日) 31,908 ヘルナンデス登板
25日(水曜日) 36,071
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3ゲーム平均 32,630人
2012 Seattle Mariners Schedule, Box Scores and Splits - Baseball-Reference.com
これらの数字を、かつてこのブログで作った1999年から2011年までのヤンキース戦限定の曜日別観客動員数グラフ(=セーフコフィールドにおけるシアトルの対ヤンキース戦、つまりホームでのヤンキース戦)に組み込んでみた。それが、上の図だ。
元記事:Damejima's HARDBALL:2011年9月16日、球団のドル箱であるヤンキース戦ですら1試合あたり観客2万人を切る事態を招いた無能GMズレンシック。もはや「内側に向かって収縮する白色矮星」のシアトル・マリナーズ。
このカードでセーフコに集まった多くの観客の大半は、いうまでもなく、去っていくイチローを観ようというシアトルファン、あるいは、全米に存在しているヤンキースファンで、イチローのヤンキース加入に強い興味をひかれセーフコに来たヤンキースファン、つまり、観客の大半が「イチローを観に来た観客」で占められている。
そして、この「イチローを観るためにセーフコに来る」というモチベーションこそが、「セーフコフィールドに野球観戦に来る理由そのものだった」のだ、という話を以下に書きとめる。
ちなみに、月曜日以降、徐々に観客数が増えていっているのは当然で、イチローのヤンキース移籍があまりにも突然発表されただけに、ファンの側がすぐに自分の都合を繰り合わせてスタジアムにかけつけるのは難しかったという理由からだろう。
もしイチローの移籍があらかじめわかっていれば、3日間の平均観客数は3万5000どころか、おそらくイチローがシアトルに加入した2000年代初頭のように、4万人に迫る数字になったに違いない
以前から何度も記事に書いてきたように、セーフコの観客はヘルナンデスを観に来るのではない。
そのうち、スタンドがガラガラなのに、キングスコートだけ満員という、異常な状態がセーフコに実現することになる。それを見れば、セーフコの観客がこれまで何を観に来ていたのか、いくら馬鹿でもわかるだろう。そういう日は遠からず確実にやって来る。
Damejima's HARDBALL:2009年9月14日、平日月曜から木曜のスタジアムに陣取るコアな観客層が落胆し、拒絶した「2009年8月のシアトル野球」。(2)
他のどの球場のヤンキース戦も同じだが、セーフコ・フィールドにおけるヤンキース対シアトル戦も、シアトル・マリナーズにとって、ボストン戦と並ぶ、いわゆる「ドル箱カード」だった。
2001年にイチローが加入したことでシアトル・マリナーズの年間観客動員数は350万人を越え、「全米で最も観客数の多い球団」になった。(この事実をいまだに知らない人もいるかもしれないが、2012年の日本開幕戦にもみられるように、イチローの観客動員力はハンパなものではない)当時のヤンキース戦は、常に4万数千人の大観客でセーフコフィールドは隙間もないほど埋め尽くされていた。
チーム強化の成功から大観衆を集め続けてきたテキサスでさえ、2011年の年間観客動員数は294万人で、300万人すら超えてないのである。イチローというスーパースターを迎えた2001年のシアトルがどんな沸騰状態だったか、わからない人にはわからないだろう。
また、たとえシアトルの順位が最下位ばかりになって観客数が減り続けた時代になって以降も、ことヤンキース戦に限っては、平均3万5000人以上の観客でスタジアムが満たされるのが普通だった。
こうした状況に大きな異変が起きたのは、イチローが成績を落とした昨年2011年だ。
マリナーズの年間観客動員数が、189万6000人と、イチローがシアトルに来て以来、初めて200万人を割り込んだこの年、「ドル箱カード」のはずのヤンキース戦ですら、2万人程度しか観客が集らない異常事態になった。
2011年9月(61勝85敗)
9月12日月曜日 22,029 ヘルナンデス登板
9月13日火曜日 18,306
9月14日水曜日 20,327
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3ゲーム平均 20,221人
2011 Seattle Mariners Schedule, Box Scores and Splits - Baseball-Reference.com
その2011年に比べて、2012年7月のヤンキース対シアトル戦の観客動員数の大幅な増加をみせたことから、
イチロー加入以降のセーフコ・フィールドの観客は単に、
イチローを観に来ていたのだ
というシンプルな事実が確定できた。
とっくにわかりきっていたことではあるが、こうして数字になったことで、事実を事実として認めたがらないアホなファンや馬鹿なメディアと無駄に論争せずに済むのは、ありがたい。人と議論などしている暇があったら、書きたいことをもっと書いて、自分をもっと先に進めたい。
以下の記事に挙げた20歳前後と思われる若いセーフコのシアトルファンは、イチローのヤンキース移籍に際して、こんなせつないストーリーをブログに書いている。
I remember staying up late to watch him break the single-season hits record, how gracious he was to the crowd―a crowd that had lacked anything to root for during a progression of 90- and 100-loss seasons. He was the only reminder of our glory days.
観客は、90敗とか100敗とか大敗シーズンが続く中で、何に対して熱くなればいいかわからなくなっていた。彼、イチローだけが、栄光の日々を思い起こさせるものだったんだ。彼は、たとえ衰えを感じさせはじめたときですら、僕の目には前向きの希望と興奮を感じさせる、唯一のプレーヤーだった。
Damejima's HARDBALL:2012年7月23日、イチローのヤンキース移籍でわかる、「感情を表現する場所の変化」。子供時代にイチローを知った世代にとっての「イチローの特別さ」
この文章からわかることは、若い世代のシアトルのファンは、実に冷静にチーム状況の推移を見守ってきた、ということだ。
彼らは馬鹿ではない。モノを見る目もある。
そして、近未来の球団の支えとなるはずだった(過去形)こうした地元の若い野球ファンにとって、唯一の希望だったのは、「イチロー」だったのである。
自分の手でチームを破壊しておきながら、チームのレジェンドに移籍圧力をかけるような矛盾まみれで、馬鹿げた自己保身しかできないシアトルのオトナぶった無能な人々、たとえば馬鹿げたチーム運営コンセプトを乱発し、トレードでもドラフトでも致命的な大失敗ばかり犯して、チーム自体を破壊し続けた張本人のGMズレンシック、そして、そんな誰の目にも明らかな事実関係すら理解できず、指摘もしない無能なシアトル・タイムズに代表される地元メディアの偏向したライター。
彼らがファンに押し付けようとしてきた自分たちの失敗を覆い隠す言い訳、そして彼らの「オトナの都合」など、イチローのクレバーさを見習って育ってきた、頭がよくて礼儀もわきまえているクレバーな子供たちの耳にはまったく届かない。届くわけがない。
「常識が無いクセに、常識人ぶろうとするオトナ」、「メンツを守りたがるクセに、まともなロジックのカケラすらないオトナ」が、いったい「何を壊したのか」、骨身に沁みて思い知ることになるのは、まだまだこれからだ。
もういちど、骨に刻むように書いておこう。
セーフコ・フィールドのごく普通のファンは、この10数年、
「イチローを観るためにスタジアムに通い続けていた」
のである。
(追記)
この記事を書き、イチローが去ったシアトルで2012年7月26日にカンザスシティ戦が行われた。ブログ主のお気に入りのジェイソン・バルガスの素晴らしいピッチングがあったが、それでも観客数は、15,014人。イチロー移籍の余韻のある時点でこれだ。これからの下り坂に何が待っているのか、シアトルのチーム関係者は思い知るといい。