August 05, 2012

イチローのヤンキース電撃移籍の衝撃で間隔があいたが、「父親とベースボール」という書きかけの記事の続きを書いておこうと思う。かなりめんどくさいが、やりかけた以上、しかたがない。


いうまでもなく、この種の問題は見た目より遥かに奥が深い。
もちろん正解など出ない。

だが、この問題は、当事者であるアフリカ系アメリカ人にとって重要なだけではなくて、歴史に疎いこと、そして、歴史と、単なるロマンや神話や観光とを分別し整理する能力が無いこと、この両方によって損をこうむることが少なくない我々日本人にとっても、無視することのできない重要な問題が含まれている予感がある。
やたら頭を下げてばかりいるのをやめて、背筋を伸ばしてプライドを保つためには、「自分の土俵から、世界の歴史を把握し直しておく作業」が、今は非常に大切な時代になってきている。
「歴史、特に世界とのかかわりなんてものは、ただただ小難しいだけだから、わからないままほっておいたって、どうせ現実の暮らしには困らない」なんていう、のほほんとした時代は、とうの昔に終わっている。オリンピックでの審判の不手際に対する抗議ではないが、他人に何かとやかく言われても、ひとことどころか、二言も三言も言い返せるくらいでないと、これから困ることになる。
そのためには、相手に足元を見られるのではなくて、逆に、常に相手の足元を見透かす必要があり、そのためにも歴史というものに無関心でいるのはもったいない。


歴史というのは、人の暮らしの「背骨」、昔の木造帆船でいう「竜骨」のようなものだ。
古代フェニキア人やヴァイキングが海の主になれたのは、古代エジプトで発明されたと思われる「竜骨」の発明によって船の構造を強固にでき、そのことで船体を巨大化し、さらに大きな帆を張ることもできたからだ。東インド会社のガレオン船や、映画パイレーツ・オブ・カリビアンに登場する海賊船も、まったく同じ。竜骨のある洋船は、竜骨が無い和船に比べて構造が強く、大洋さえ越えることができ、その広大な行動力こそが海の制覇と飛躍に繋がった。

(ちなみに、「竜骨の発明時期」に関してさまざまな記述がネット上にあるが、紀元前数千年前の古代エジプトの船に既に竜骨があったことは、壁画から明らかだ。
また、英語版Wikiでは、古代エジプトに歴史的起源をもち、木造帆船において「竜骨」といわれてきた構造材の歴史にまったく触れないまま、ヨットなど、今の船でいう「センターボードとしてのKeel」を説明することで、昔の竜骨が今のkeelと同じものであるかのように扱っているが、その解説はまったく正しくない。
昔からの木造帆船でいうところの「竜骨」とは、船底の中央を縦に貫通する非常に大きくて強い部材であり、文字どおり船の「背骨」にあたる中心構造材だ。
だが、今のヨットなどでいう「keel」とは、いわばサーフボードでいう「フィン」のような脇役的存在であり、古代フェニキアや古代エジプトに起源をもつ「竜骨」という骨太の訳語には、まるでふさわしくない。一刻も早く「keel」と呼ぶのを止め、「センターボード」とでも呼称を変更してもらいたいものだ)

古代エジプトのハトシェプスト女王がプント交易に使った船古代エジプトのハトシェプスト女王がプント交易に使った船
木造帆船の典型的な「竜骨」クレーンに吊り下げられた「竜骨」。1745年9月12日に座礁して沈没し、近年再現されたスウェーデン・東インド会社所属の「イエーテボリ号」(2003年進水)のもの。
最近のヨットでいう”keel”(実際にはセンターボード)現在ヨットで "keel" と呼ばれているものが、これ。 "keel" という呼称で呼ばれるのは、単に昔の名残りに過ぎない。かつてのkeelが持っていた構造上の重要性を失ったこの部材に、keelという言葉を使うのは、誤解を呼ぶだけで、どうみても正しくないし、ふさわしくない。どうみても、「センターボード」と改名してくれたほうが、いらぬ誤解を生じないのは明らか。


どうせ誰も正解が出せない問題なら、正解が出せないことくらい、気にする必要などない。こじんまりしたつじつま合わせをして、無理にまとめる必要もない。
むしろやるべきことは、風呂敷を広げられるだけ広げておいて、せめて、その広げた風呂敷のどこかに、奥の奥にある問題の一端を少しでも多く引きずり出しておくことだろう。そのほうがずっと有益だし、またブログ主の能力の乏しさにもふさわしい。


再開にあたって、ここまで書いてきた4つの記事の、意味や繋がりについて、自分なりにまとめ直しておこう。



出発点は、こういう話だった。

1940年代のジャッキー・ロビンソンの加入以降、MLBにおけるアフリカ系アメリカ人の存在は、プレーヤーとしてその優れた運動能力を轟かせ、ファンとしてプレーヤーを支えてきた。アフリカ系アメリカ人は、選手、ファン、GMや監督・コーチ、さまざまな立場からMLBを支える原動力のひとつとなってきたのである。
だが、現在のところ、アフリカ系アメリカ人とベースボールの距離は、ジャッキー・ロビンソン加入直後の熱をすっかり失って、遠く離れてきてしまっているように思える。
それはなぜなのか?


とりあえず考えられる要因は、アフリカ系アメリカ人にみられる「異常に高いシングルマザー率」。このブログでは、家庭における「父親の不在」が、アフリカ系アメリカ人の意識とベースボールとの距離を広げてしまう直接の原因になっているのではないか、と考えた。
これは、「野球という文化は、どこの国でも父親が子供に伝えていく家庭的な文化である」というブログ主の基本発想からきている。同じような指摘は、アメリカのサイトにもみられる。
Damejima's HARDBALL:2012年6月29日、「父親」とベースボール (1)星一徹とケン・バーンズに学ぶ 『ベースボールにおける父親の重み』。

この「父親の不在という、家庭の構造変化が影響している」という仮説は、すぐ次の壁に突き当たる。なぜ「アフリカ系アメリカ人家族の構造、コミュニティの屋台骨は、これほど大きく揺らでしまったのか?」という新たな疑問だ。

現代のアフリカ系アメリカ人を取り巻く社会環境は複雑だ。「古くからある人種問題」は、公民権運動の成果などによって、見た目だけは解消されたように見えるが、もちろん根本的な解決には至っていない。その上、インナーシティなどにみられる都市問題などもからまり、現実のアフリカ系アメリカ人は結果的に、新旧入り乱れた重層的な社会問題の束縛を受けている。

それを貧困や失業などからありきたりに説明することはたやすいが、それでアメリカという国全体が経験してきた喜びと苦しみの両方が入り混じった歩みを謙虚に学んだとはいえない。なにも、アメリカを全否定するために、こんなことを書いているわけではないのだ。むしろ、深く理解して、対等にモノを考えていくことが大切だから、やっている。


南北戦争が終わって移動の自由を得たアフリカ系アメリカ人の一部は、南部での奴隷生活を逃れ、北や西の都市への移住、いわゆるGreat Migrationを開始した。移住先の都市で彼らは、「ベースボールというアメリカ文化」と新たに遭遇し、経験し、夢中になった。

独立戦争や南北戦争の尊い犠牲によって、アメリカはイギリス(およびヨーロッパ諸国)の束縛から自由になり、その結果、北部の都市で近代的な経済成長が始まって、やがて経済成長につきもののサバーバナイゼーション(郊外化)が進行していく。
これを、南部の隷属を脱出して北へ向かったアフリカ系アメリカ人の立場からみると、アメリカ市民として北部の都市に安住し、南部では味わえなかった人並みの自由や豊かさを得るはずだったわけだが、やがて「ゲットー」や「インナーシティ」といった都市問題にからめとられたことで、南部で奴隷として味わった隷属とはまた別種の「新たな冷遇」の時代を迎えることになった。
アメリカに古くからある人種問題と、20世紀以降に新たに発生した都市問題が複雑にからまりあう中、アフリカ系アメリカ人は新たな冷遇と不自由さを経験する。

そしていつしか、かつて保持されていたアフリカ系アメリカ人特有の家族同士の絆や、アフリカ系住民同士のコミュニティの緊密な係わりは崩れていく。そして、自由と豊かさを求めて都市に移住したはずのアフリカ系アメリカ人の中に、南部に回帰する者も現われはじめる。
こうした「南部回帰」の流れの中で、アフリカ系アメリカ人と野球との間にできはじめた「ギャップ=距離感」は必ずしも縮まっていく方向にはない。

Damejima's HARDBALL:2012年7月3日、「父親」とベースボール (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。

Damejima's HARDBALL:2012年7月6日、「父親」とベースボール (3)サバーバナイゼーションと都心荒廃を、アフリカ系アメリカ人の移住が原因のwhite flightと説明するレトリックの呪縛を解く。


アフリカ系アメリカ人が経験してきた苦難の道のりについて記述する行為は、往々にして、人種差別の善悪についての道徳的判断に終始してしまうことが多い。
だが、人種問題のような、モラルを最初から無視した問題について、モラル面からの反論や価値判断を試みることは、方法として有効とはいえない

ならば、こうした問題を、「根=root」の所在を明らかにすることで「根を枯らす=葬り去る」という意味でいうなら、アフリカ系アメリカ人冷遇の歴史を招き続けてきている「白という色を絶対的なものとする価値観」が、いつ、どこで、生まれてきたのか、という問題について把握しておく必要がある、と考えた。


白という色を絶対とする近世の歴史観」を見直す流れが、近年の歴史学でようやく根付きつつある。アメリカ国内はじめ、さまざまな研究者の努力によって、近世以降にできあがった「白という色を絶対とする近世の歴史観」が生産されてきた「発生源」「動力源」は、特定されつつある。
例えばマーティン・バナールの著書『ブラック・アテナ』のように、「白という色を絶対とする歴史観」をくつがえすこれまでになかったタイプの古代史研究が発表されたことによって、18世紀のヨーロッパが必死になって作り上げた「白を絶対としたがる歴史観」の捏造ぶりが明らかになりつつある。(だからといって、逆に黒を絶対的なものとしても、意味がない)
Controversies in History: Black Athena Debate

例えば、近年の科学技術の進歩によって、「イギリスの誇る大英博物館に収蔵されている「白いと思われ続けてきた古代ギリシア彫刻」の表面には、実は、かつてオリジナルな彩色がほどこされていた」ことが判明している。
また、大英博物館で、本来は彩色されていた古代ギリシア彫刻の表面を、人為的に削って「もともと白い彫刻だったようにみせかける」インチキな彩色除去作業が、なんと100年もの長きにわたって行われてきたという、スキャンダラスな行為も明らかになった。

こうした「白色礼賛主義」に基づいて行われた歴史捏造のルーツのひとつに、18世紀ドイツの歴史家ヨハン・ヴィンケルマンの著作にみられた古代ギリシア芸術の「白さ」に対する礼賛がある。
ヴィンケルマンの誤った著作に強い影響を受けた人々によって、「白いギリシアこそ、唯一無二のヨーロッパの文化的ルーツである」という歴史観は、日々拡張されていき、やがて、大英博物館でのギリシア彫刻の彩色除去作業のような「歴史的事実を完全に無視した、無理矢理な証拠固め」すら行われるようになった。
Damejima's HARDBALL:2012年7月16日、「父親」とベースボール (4)アメリカにおけるドイツ系移民の増大。18世紀ドイツの美術史家ヨハン・ヴィンケルマンが欧米文化のルーツとして捏造した「白いギリシア」。


そうなると、知りたくなるのは、ひとつには、「白いギリシアという価値観が、果たしてアメリカにも持ち込まれたのかどうか」という点であり、2つ目には、「白いギリシア」という価値観がアメリカに持ち込まれたとするなら、それはアフリカ系アメリカ人の冷遇とどういう関係にあるのか、という点だ。

「白いギリシア」という価値観は、ドイツで生まれ、イギリス(当時イギリスはドイツ系王朝であるハノーヴァー朝だった)が世界貿易の主導権を握った近世のヨーロッパで固められていった。
このブログでは、「アメリカにおけるアフリカ系アメリカ人に対する人種差別が、あまりにファナティックなレベルに行き着いてしまう原因のひとつは、ヨーロッパ移民(その中には、独立戦争でアメリカと戦ったイギリス国王ジョージ3世が、ドイツの親戚筋で買い付けてアメリカに大量に持ち込んだドイツ人傭兵も含まれる)が独立後のアメリカに持ち込んだ『白いギリシア』という価値観に、ルーツのひとつがある」との仮説を立ててみた。

建国前のアメリカは独立国ではなく、ヨーロッパ諸国から送り込まれる集団的な移民がネイティブ・アメリカンを大地の片隅に追いやりながら住みついた「植民地」として出発している。アメリカが国家として独立するのは、18世紀末にイギリスとの独立戦争が終わって以降のことだ。
こうしたアメリカ独立の過程において、アメリカが「価値観」という面においても、イギリスの価値観から決別、独立できたか、というと、とてもそうは思えない。
むしろ逆に、アメリカは、イギリスからの独立に前後して、ヨーロッパの価値観から抜け出すのではなくて、むしろ、当時のヨーロッパの閉塞した貴族的価値観(もっと詳しくいってしまえば、フィルヘレニズムや、イギリス経由のドイツ的価値観)に急速に染まった面が、少なからずあるように見える。

つまり、「自由を尊び、のびやかに、おおらかにふるまう開拓者的な気質」は、アメリカのオリジナルな長所として、たしかにアメリカが古き良き時代から受け継いできた資産、遺産だと思うが、残念なことに、別の面には、「やたらとセコい、自己愛に満ち満ちた部分」も存在する。
この「自己愛成分」は、最初から植民地アメリカに存在していたのではなくて、18世紀の独立戦争に前後して、当時の「白いギリシアという価値観が大流行していたヨーロッパ」から、はからずも吸収してしまったものであるように見えるのだ。
独立戦争は、それまでとても牧歌的だったはずのアメリカに、「なにか異常にアクの強い、自己愛成分」をもたらした。
(こうした「アメリカの理想の劣化」については、「ミンストレル・ショーの変質」をテーマに、別記事として近いうちに書く →Damejima's HARDBALL:2012年8月5日、父親とベースボール (6)アフリカ系アメリカ人史にみる「都市と田舎の分離」。ミンストレル・ショーの変質と、「ジム・クロウ」誕生


したがって独立戦争以降のアメリカには、常に「二面性」が感じられる。
ひとつは、「自由さと開放感を求めるおおらかな部分」、もうひとつが、「自己愛に満ちた、制約好きな部分」だ。
この「ものすごく自由で、ものすごく不自由なアメリカ」という「アメリカの二重性」は、そうなるに至った経緯や理由まではわからないが、明らかにいまやアメリカの奥深くに二面性として共存してしまっている。
やがて、この「二面性」は南北戦争を導くことになるわけだが、北軍と南軍の軋轢は、単に経済上の利害を代表しているのではなく、実は「アメリカの精神構造上の二面的分裂」を表現しているものと思われる。
こうした分裂は、実は南北戦争の終結によっては、ほとんど解消されることはなかったし、だからこそ、奴隷制が建前上は無くなった南北戦争後も、隔離政策という形でアフリカ系アメリカ人の苦境が残存し続けることになった。


アメリカという国は、最初「ヨーロッパの出張所のようなもの」として誕生しているわけだが、やがて成長を遂げたことで、イギリスから分離独立することに成功した。その成長過程においてアメリカは、さまざまな「異質な成分」を内部に取り込んできた。
「人種」という「成分」からみれば、アメリカに流入したのは、なにも三角貿易によってアメリカにもたらされた肌の黒いアフリカ系アメリカ人だけでなく、ヨーロッパからの白人移民も大量に入ってきている。
そうした白人移民がアメリカに持ちこんだのは「アメリカ起源でない、閉鎖的な自己愛の匂いの強い文化」だった可能性が大いにある。
「白人移民の文化」が本来おおらかだったはずのアメリカ文化にもたらした強い悪影響について、アメリカ史家はもっと明確に究明すべきだろう。(もしかすると、今のアメリカの「ある部分」は、「本来のアメリカではない、アメリカ」になっている可能性すらある)

また「独立戦争から南北戦争までの時代のアメリカを支える財政基盤」について、当時の世界史からみて根本的なのは、アフリカ系アメリカ人に隷属を強いたアメリカ南部のプランテーションの生み出す農産物の収益ではなくて、むしろ、イギリスが東方貿易で得た金や銀のような「ヨーロッパとアジアとの間の貿易」がベースなのは、明らかだ。言い換えると、「18世紀におけるアジアの重要性は、アメリカで起きていた人種間のトラブルの推移よりも、はるかに重要な位置を占めていた。
通常のアメリカ史には、ヨーロッパとの関係はさんざん書かれている割には、「アフリカ系アメリカ人を無給の働き手として経営されるプランテーションは、ヨーロッパ側から見れば、それは単に数あるサブシステムのひとつに過ぎなかった」という視点が欠けている。
アメリカ通史においてこれまでほとんど無視され続けてきた「ヨーロッパとアジアの関係」は、もっと重く扱われていいし、建国時代のアメリカと、遠いアジアとの関係は、アメリカ通史の一部にもっときちんと埋め込まれるべきだ。(この点についても、そのうち別記事を書く)



散漫な話のわりにこみいっていて申し訳ないが、ここらへんが「父親とベースボール」というシリーズが今のところ到達している「大風呂敷」である。

もし「自由」という美徳がアメリカの培ってきた美徳のひとつであり、独立戦争、南北戦争で多大な犠牲を払ってまで樹立しようとした理想のひとつであるとして、その美徳の良さをすっかり劣化させつつアメリカの内部に二面性を定着させたのが、ヨーロッパ由来で輸入された「白さへの信仰」だとするなら、それは大変に残念なことだ。

たいへん入り組んだ話なので、野球ファンにはまったく興味がないと思う(笑) だが、シアトルという田舎からニューヨークという都市にイチローが移籍せざるをえなかったことのアメリカ史的な本質を誰もやらないような角度からきちっと辿る意味でも、ブログへのアクセス数の激減などおかまいなしに書き続けてみるつもりだ。


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