August 11, 2012
NY Daily News紙のMark Feinsandは、ヤンキースのビートライターだが、今日のトロント戦で5打点を挙げて活躍したイチローについてのジョー・ジラルディのコメントを早々と紹介してくれている。
Damejima's HARDBALL:2012年2月22日、beat writerの「ビート」とは、「受け持ち区域」のこと。
これを、こんな風に訳してみた。
heatという単語をどう訳すか、ちょっと迷った。
食べ物が「辛い」ことを、 "hot" と表現することは、ホット・チリ・ペッパーズではないけれど、日本でもかなりポピュラーな表現になってきている。
だが "heat" という言葉を耳にして、「熱」ではなくて、即座に「辛さ」、「プレッシャー」へと発想を転換していくのには、たいていの場合、時間がかかる。
野球で三塁手のことを「ホットコーナー」といったりもするわけだが、サードの守備は、強烈な打球が飛んでくることを避けられないだけに、常に派手なエラーを犯す危険性にも晒されている。
アスリートの中には、そういうホットな場所に立つことを「目立つから嬉しい!」と思える人もいれば、「もう勘弁してくれ」と尻込みするプレーヤーもいる。また、「目立つのが大好きなクセに、下手クソなプレーヤー」というのも、掃いて捨てるほどいる。
ホットな場所に立つことにつきものの、選手の内面的な興奮や高揚感、圧迫感やプレッシャー、メディアやファンからの批判や非難、そういったポジティブな面とネガティブな面のすべてが集まる場所と人間を、同時に、「たったひとつの言葉」で表現するとしたら、それがジラルディのheatというひとことに集約されている。
英語というのは、ときに非常に素晴らしい表現力があって、ことに、こういう「コト」をひとまとめに抽象的なまま端的に表現する能力については、日本語にない優れた表現力を発揮することがある。
ちなみに、今日ジラルディは点さの離れたゲーム終盤にブルペン投手を注ぎ込んだ。このことは、ファンやビートライターから、けっこうな数の批判を集めたようだが、ブログ主は、そうは思わなかった。
彼は石にかじりついても勝ちたいのだが、勝ちたいのと同時に、チームにもうすこし「ファイトする習慣」を根付かせたいのだと、かねがね思っている。
だからこそ今日のトロントとのゲームで、ちょっと気の抜けた守備とバッティングをみせた一塁手のケイシー・マギーと、プレーにインテリジェンスの無かったアンドリュー・ジョーンズを、ゲーム終盤に代えた。また、気の抜けたピッチングをしそうなブルペン投手も、彼らが打たれる前にどんどん変えていった。
たしかに、彼らを代えなくても、ゲームに勝てたのかもしれない。
でも、それではダメなのだ。
それは俺の考える勝ちではない。
と、考えたジラルディの発想は、非常によく理解できる。
ヤンキースという大看板を背負っているジョー・ジラルディが、イチローといえども最初から簡単に認めるわけはないことは、イチロー自身が一番よく知っていて、だからこそ必死にプレーしているのだと思う。
そして、移籍以降のイチローの守備、走塁、打撃、練習風景、あらゆる点を観察しつつ、10数試合使ってみたジラルディが「イチローを認める発言」をしたのだから、イチローファンとしては、ちょっと嬉しく思っていいと思うのである。
イチローは非常にファイトしており、しかも、技術がある。
そうジラルディは認めはじめているのだと思う。
Damejima's HARDBALL:2012年2月22日、beat writerの「ビート」とは、「受け持ち区域」のこと。
Ichiro tied a career-high with 5 RBI tonight. Girardi isn't surprised he's made a smooth transition: “There’s ... sulia.com/c/new-york-yan…
— Mark Feinsandさん (@BloggingBombers) 8月 11, 2012
“There’s always an expectation here – whether it’s fair or not – that when you get traded for here, you’re supposed to really come and help. Some guys are going to feel that heat, and I don’t think it’s really bothered him. I think he’s probably been through a lot in his life that’s really helped him in this situation.”
Joe Girardi
Mark Feinsand's post on New York Yankees | Latest updates on Sulia
これを、こんな風に訳してみた。
「ヤンキースにトレードされてきたからには、期待というものは常に存在するし、チームの力になってくれることを心底から期待される。それがフェアなものであれ、そうでないものであれ、ね。
そのことをプレッシャーと感じる選手もいる。だけど僕はイチローがそれで思い悩むとは思わない。彼が人生において酸いも甘いも経験してきた、そのことが、いまのシチュエーションにおいて、本当に彼に力を与えていると思う。」
heatという単語をどう訳すか、ちょっと迷った。
食べ物が「辛い」ことを、 "hot" と表現することは、ホット・チリ・ペッパーズではないけれど、日本でもかなりポピュラーな表現になってきている。
だが "heat" という言葉を耳にして、「熱」ではなくて、即座に「辛さ」、「プレッシャー」へと発想を転換していくのには、たいていの場合、時間がかかる。
野球で三塁手のことを「ホットコーナー」といったりもするわけだが、サードの守備は、強烈な打球が飛んでくることを避けられないだけに、常に派手なエラーを犯す危険性にも晒されている。
アスリートの中には、そういうホットな場所に立つことを「目立つから嬉しい!」と思える人もいれば、「もう勘弁してくれ」と尻込みするプレーヤーもいる。また、「目立つのが大好きなクセに、下手クソなプレーヤー」というのも、掃いて捨てるほどいる。
ホットな場所に立つことにつきものの、選手の内面的な興奮や高揚感、圧迫感やプレッシャー、メディアやファンからの批判や非難、そういったポジティブな面とネガティブな面のすべてが集まる場所と人間を、同時に、「たったひとつの言葉」で表現するとしたら、それがジラルディのheatというひとことに集約されている。
英語というのは、ときに非常に素晴らしい表現力があって、ことに、こういう「コト」をひとまとめに抽象的なまま端的に表現する能力については、日本語にない優れた表現力を発揮することがある。
ちなみに、今日ジラルディは点さの離れたゲーム終盤にブルペン投手を注ぎ込んだ。このことは、ファンやビートライターから、けっこうな数の批判を集めたようだが、ブログ主は、そうは思わなかった。
彼は石にかじりついても勝ちたいのだが、勝ちたいのと同時に、チームにもうすこし「ファイトする習慣」を根付かせたいのだと、かねがね思っている。
だからこそ今日のトロントとのゲームで、ちょっと気の抜けた守備とバッティングをみせた一塁手のケイシー・マギーと、プレーにインテリジェンスの無かったアンドリュー・ジョーンズを、ゲーム終盤に代えた。また、気の抜けたピッチングをしそうなブルペン投手も、彼らが打たれる前にどんどん変えていった。
うわお。ケイシー・マギーの3ラン。やっぱ、自分のクビが涼しくなると、人間やることが変わる。昨日、ジラルディがゲーム終盤にAJとマギーを交代させたことの効果がこれ。
— damejimaさん (@damejima) 8月 11, 2012
たしかに、彼らを代えなくても、ゲームに勝てたのかもしれない。
でも、それではダメなのだ。
それは俺の考える勝ちではない。
と、考えたジラルディの発想は、非常によく理解できる。
ヤンキースという大看板を背負っているジョー・ジラルディが、イチローといえども最初から簡単に認めるわけはないことは、イチロー自身が一番よく知っていて、だからこそ必死にプレーしているのだと思う。
そして、移籍以降のイチローの守備、走塁、打撃、練習風景、あらゆる点を観察しつつ、10数試合使ってみたジラルディが「イチローを認める発言」をしたのだから、イチローファンとしては、ちょっと嬉しく思っていいと思うのである。
イチローは非常にファイトしており、しかも、技術がある。
そうジラルディは認めはじめているのだと思う。
Ichiro owns the most hits - 2,551 - in history for any player through his first 12 seasons.
— New York Yankeesさん (@Yankees) 8月 11, 2012