February 13, 2013
1958年に西海岸に移転したサンフランシスコ・ジャイアンツは、当初は臨時の本拠地としてサンフランシスコ・シールズのホームグラウンドだったシールズ・スタジアムを使っていたが、1960年に新しいキャンドルスティック・パークに移った。
キャンドルスティック・パークは、ジャイアンツ移転を熱烈に招致したサンフランシスコ市側が用意したボールパークで、日本では大映の永田雅一オーナーが夢を描いて東京南千住に私財を投じて建設した東京スタジアムのモデルになったことでも知られている。
Damejima's HARDBALL:2012年3月21日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」 (2)ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム、シールズ・スタジアムの一時使用と、チェニー・スタジアムの建設
Damejima's HARDBALL:2012年3月21日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」 (3)キャンドルスティック・パーク、ドジャー・スタジアム、シェイ・スタジアムの開場
Damejima's HARDBALL:2012年3月23日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」 (4)夢の東京スタジアムの誕生
Damejima's HARDBALL:2012年3月30日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」 (5)番外編 元祖「安打製造機」 榎本喜八にとっての『故郷』、東京スタジアム。
キャンドルスティック・パークは、1960年から1999年までの約40年間もの長きにわたってサンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地だったわけだが、寒さや強風などで評判は良くなかった。ジャイアンツは2000年にようやくセーフウェイ社長ピーター・マゴワンが自費で建設したパシフィックベル・パーク(現在のAT&Tパーク)に移ることができた。
その後、キャンドルスティックはNFLサンフランシスコ49ersのホームスタジアムとして使われた。そのサンフランシスコ49ersも、2014年8月にはサンフランシスコから南へ70キロほど行ったシリコンバレーに近いサンタクララに開場する予定の新スタジアムに移ることになっている。
49ersがサンタクララに移転した後は、キャンドルスティック・パークは取り壊しになる。ドジャースとジャイアンツが切り開いたMLBの西海岸進出を支えてきたキャンドルスティック・パークの長い役目は、もうすぐ終わりを迎えるのである。 今年のスーパーボールにサンフランシスコ49ersが進出したのも、何かの縁というものだろう。
キャンドルスティック・パークの座席表
当然ながら、グラウンドが円形に出来ている野球や陸上競技では、観客席は「グラウンドを丸く取り囲むような形」で作られている。
対して、グラウンド自体が四角いアメリカン・フットボールやバスケットでは、観客席も「四角形」になっている。
キャンドルスティック・パークは、もともと野球専用として建設されたボールパークがフットボールに流用されていただけに、フットボールのグラウンドとして使われる場合でも、座席配置は野球場時代の痕跡がありありと残った独特の並びになっていた。
角度Aから見た
フットボール開催時のキャンドルスティック・パーク
写真左側に見える弓なりに曲がった部分は、野球でいう「バックネット」にあたる円形部分だ。フットボール場として設計されたスタジアムなら、選手がプレーする四角いフィールドに沿って、直線で設計されているところだが、元・野球場のキャンドルスティック・パークでは「円形」なのだ。
右側に目を向けると「張り出した感じの観客席」が見える。ここは野球場だった時代には「ライト側の外野」にあたる。フットボール場として使うにあたって、「ライト側の外野」を覆い隠すような形で新設されたシートなわけだ。
それにしても、この「新設の張り出しスタンド」は、フットボールのグラウンドと平行にできていないのが、なんとも不思議だ。まぁ、たぶん構造か強度か、なにか建築上の理由でもあって、やむをえない配置になっているのだろうが、それにしてもなんとも収まりの悪い座席配置ではある。
角度Bから見た
フットボール開催時のキャンドルスティック・パーク
写真右端に、ほんのわずかだが、アンツーカー部分が見える。これはもちろん、キャンドルスティックが野球場だった時代、バックネット手前にあったウォーニングゾーンの名残りだろう。
右側の観客席は、野球場だった時代の内野席をそのまま使っているために、スタンド全体が大きく弧を描いた丸い形になっている。
ちなみに、サンフランシスコ49ersのサンタクララの新スタジアムの完成予想図を挙げておこう。みてのとおり、四角いフットボールのフィールドを取り囲むように、「四角い観客席」がつくられた、非常に常識的なスタジアムになっている。
キャンドルスティック・パークは、ジャイアンツ移転を熱烈に招致したサンフランシスコ市側が用意したボールパークで、日本では大映の永田雅一オーナーが夢を描いて東京南千住に私財を投じて建設した東京スタジアムのモデルになったことでも知られている。
Damejima's HARDBALL:2012年3月21日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」 (2)ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム、シールズ・スタジアムの一時使用と、チェニー・スタジアムの建設
Damejima's HARDBALL:2012年3月21日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」 (3)キャンドルスティック・パーク、ドジャー・スタジアム、シェイ・スタジアムの開場
Damejima's HARDBALL:2012年3月23日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」 (4)夢の東京スタジアムの誕生
Damejima's HARDBALL:2012年3月30日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」 (5)番外編 元祖「安打製造機」 榎本喜八にとっての『故郷』、東京スタジアム。
キャンドルスティック・パークは、1960年から1999年までの約40年間もの長きにわたってサンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地だったわけだが、寒さや強風などで評判は良くなかった。ジャイアンツは2000年にようやくセーフウェイ社長ピーター・マゴワンが自費で建設したパシフィックベル・パーク(現在のAT&Tパーク)に移ることができた。
その後、キャンドルスティックはNFLサンフランシスコ49ersのホームスタジアムとして使われた。そのサンフランシスコ49ersも、2014年8月にはサンフランシスコから南へ70キロほど行ったシリコンバレーに近いサンタクララに開場する予定の新スタジアムに移ることになっている。
49ersがサンタクララに移転した後は、キャンドルスティック・パークは取り壊しになる。ドジャースとジャイアンツが切り開いたMLBの西海岸進出を支えてきたキャンドルスティック・パークの長い役目は、もうすぐ終わりを迎えるのである。 今年のスーパーボールにサンフランシスコ49ersが進出したのも、何かの縁というものだろう。
キャンドルスティック・パークの座席表
当然ながら、グラウンドが円形に出来ている野球や陸上競技では、観客席は「グラウンドを丸く取り囲むような形」で作られている。
対して、グラウンド自体が四角いアメリカン・フットボールやバスケットでは、観客席も「四角形」になっている。
キャンドルスティック・パークは、もともと野球専用として建設されたボールパークがフットボールに流用されていただけに、フットボールのグラウンドとして使われる場合でも、座席配置は野球場時代の痕跡がありありと残った独特の並びになっていた。
角度Aから見た
フットボール開催時のキャンドルスティック・パーク
写真左側に見える弓なりに曲がった部分は、野球でいう「バックネット」にあたる円形部分だ。フットボール場として設計されたスタジアムなら、選手がプレーする四角いフィールドに沿って、直線で設計されているところだが、元・野球場のキャンドルスティック・パークでは「円形」なのだ。
右側に目を向けると「張り出した感じの観客席」が見える。ここは野球場だった時代には「ライト側の外野」にあたる。フットボール場として使うにあたって、「ライト側の外野」を覆い隠すような形で新設されたシートなわけだ。
それにしても、この「新設の張り出しスタンド」は、フットボールのグラウンドと平行にできていないのが、なんとも不思議だ。まぁ、たぶん構造か強度か、なにか建築上の理由でもあって、やむをえない配置になっているのだろうが、それにしてもなんとも収まりの悪い座席配置ではある。
角度Bから見た
フットボール開催時のキャンドルスティック・パーク
写真右端に、ほんのわずかだが、アンツーカー部分が見える。これはもちろん、キャンドルスティックが野球場だった時代、バックネット手前にあったウォーニングゾーンの名残りだろう。
右側の観客席は、野球場だった時代の内野席をそのまま使っているために、スタンド全体が大きく弧を描いた丸い形になっている。
ちなみに、サンフランシスコ49ersのサンタクララの新スタジアムの完成予想図を挙げておこう。みてのとおり、四角いフットボールのフィールドを取り囲むように、「四角い観客席」がつくられた、非常に常識的なスタジアムになっている。