June 03, 2013

かつて同種の記事を書いた。2011年1月、そして2013年6月だ。
月日が過ぎ、変われた人も、変わりたいのに何も変われない人もいる。
Damejima's HARDBALL:2011年1月22日、ポジション別 GMズレンシックの「ミスでミスを補う」かのような、泥縄式のこれまでの仕事ぶり。

正直、最近のマリナーズに興味など、全くない。ゲーム自体見ないし、見たいとも思わない。
だが、このチームがその後どうなったか、後世の事情のわからない人たちのための情報は必要だろうから、そのためだけに情報を集めて2011年のこの古い記事を更新し、資料として残しておくことだけはする。
この「常に道を踏み外し続けた常識の無いチーム」が犯し続けてきたチームマネジメントの壊滅的な失策の数々は、ポジションごとの選手推移を示すことでより具体的に見えるはずだ。
「守備重視」。それと矛盾する「先発投手セール」。先発投手を売って得た「若手重視」。「イチローバッシング」。「球場改修」。若手重視を放棄した「ベテラン回帰」。どれもこれも不合理な戦略ばかり。そして、あまりに無礼過ぎる言動の数々。どの策略をとっても、成功していないどころか、MLB始まって以来の壊滅的な失敗に終わっているのは誰の目にも明らかだ。


以下、まずジャック・ズレンシックのGM就任以降の「チームコンセプトの度重なる変更と放棄の歴史」をまとめ、次に、ポジション別プレーヤーの推移をメモとして残す。
以下の「あまりにもずさんな選手獲得履歴の数々」を読めば、このGMには「ちょっとおかしいとしか思えない、この人にしかない特有の病的な行動パターン」があることがわかるはずだ。例えば、「そのポジションに既に別の選手が在籍しているにもかかわらず、さらに、同じタイプ、同じ守備位置の選手を獲得してきてしまい、選手がダブってしまう」という、ちょっと「病的な癖」が、ズレンシックにはある。
簡単にいえば、この人物は、野球のジェネラル・マネージャーなのではなくて、自分の好きなオモチャだけ収集して机の上に並べたがる、単なる「コレクター」に過ぎない。「コレクター」は、自分の好きなものを収集したがるから、たとえ収集物がダブろうと、気にしないのである。


「守備重視」戦略選手編成は打撃壊滅によって破綻
ジャック・ズレンシックがGM就任以降コレクションしてきた選手のパターンのひとつは、ジャック・ウィルソン、ブレンダン・ライアン、フランクリン・グティエレスなどでわかる通り、「貧打の守備専用野手」だ。
この「守備専用選手コレクション」に始まった「守備重視」という奇想天外なチームコンセプトは、シアトル・マリナーズにMLB創設以来というレベルの「打線壊滅」をもたらし続け、シアトル・マリナーズは実質メジャーレベルのチームではなくなった。
にもかかわらず、チーム戦略の破滅的失敗が続いていることを認めたがらないシアトル・マリナーズは、見せかけだけの戦略を、しかもコロコロと変え続け、しかもそのすべてに大破綻を繰り返して、迷走につぐ迷走をし続けて、現在に至っている。

「守備重視」の放棄を意味する「先発投手セール」と、
先発投手セール失敗の責任逃れのための「若手重視」

誰がどうみても、広いセーフコフィールドでは、「優れた先発投手」、特に、ダグ・フィスターのような「ゴロアウトをとるのが得意なグラウンドボール・ピッチャー」は、チーム戦略の要となるキー・プレーヤーであるはずであり、実際、2000年代末には、イチローの存在と先発投手陣の優秀さがシアトル・マリナーズの唯一無二の財産だった。
だが、ズレンシックが無意味な「先発投手セール」をやり続けたことにより、チームは守備重視どころか、むしろ、守りの要であるはずの先発投手陣を自らの手で再起不能なまでに壊滅させていった。
ズレンシックは、彼がシアトルGM就任前から在籍していた主力先発投手のほとんど全てを放出したが、そのトレード条件はまるで釣り合わない破格の条件下での「安売り」であり、しかも、トレード相手は往々にして同地区ライバルチームだったから、結果的にライバルを利して、自軍には大損害を与え続けた。
こうした「先発投手の安売りトレード」が失敗の連続に終わり続けた結果、マリナーズのロスターには、「打てるわけではないが、かといって、守備がうまいわけでもない。ただ『若いというだけ』の選手」が大量にコレクションされていった。
だがそれでもシアトル・マリナーズは、GMの不始末の連続をなんとか誤魔化そうと、「若手重視」という「まやかしの戦略」を打ち出した。

苦しまぎれの「若手重視」。イチローに全ての責任をかぶせようとした卑怯極まりないシアトル
ズレンシックの「先発投手安売りセール」のせいで、マリナーズのロスターには「メジャーレベルではない、ただ若いだけの選手」が大量コレクションされるという不合理きわまりない現象が出現した。
しかし、それらの使えない若い選手たちの集団が、「自らの犯した不手際のなによりの証拠だという事実」を認めたくないズレンシックと飼い犬監督エリック・ウェッジ、シアトル・マリナーズ、彼らを支持するシアトル地元メディアは、不良在庫の若手を苦しまぎれにスタメンに並べただけの若いチームを称して、まるでそれが「シアトルを若手中心のチームに変えるための、新たな成長戦略」ででもあるかのように地元メディアとブロガーを使って吹聴しはじめた。
チームは、この「みせかけだけの、実は廃品のかたまりの若手重視チーム」をマネジメントの失敗と受け取られないようにするために、やがて地元メディアやブロガーと結託して、昔ながらの地元ファン感情を逆撫でまでして、レジェンドでありフランチャイズプレーヤーでもあるイチローに、選手適性を無視した役割を、それも不調期にすら繰り返し押し付け続け、さらにはチーム運営の不手際の責任をイチローに押し付けるような言動を繰り返した挙句、最後はチームから追い出した。
その一方でズレンシックは、明らかに衰え始めたフェリックス・ヘルナンデスと無謀な長期大型契約を結んだが、もともとヘルナンデスに観客動員力などあるわけもなく、セーフコの観客動員数が減少に向かっただけでなく、客層の決定的な質的低下をも招いた。

「若手重視」の放棄と、ヴェテラン路線再開
相手チームを利しただけに終わった「球場改修」の大失敗

GMと地元メディアの度重なる大失態をごまかすだけのために、若い選手を並べただけの野球チームがただ試合をやって負け続けるだけという、不毛きわまりないチーム運営が馬脚をあらわすのに、もちろん時間はかからなかった。
何の育成もされないまま、ただ試合に出され、監督ウェッジにフルスイングをそそのかされているだけの技術不足の若手選手たちの打撃はやがて低迷し、シアトルの打撃成績は底辺を這いずりまわった。何の特徴もない未熟な選手たちが、ただただバットを強振して、負け続けるだけのシアトル野球のつまらなさに、当然ながら観客の足はスタジアムから遠のいた。
すると、無責任さの権化ジャック・ズレンシックは、「守備重視戦略」を放棄したときと同じように、「若手重視戦略」すら放棄し、チームの中心にベテランを導入し始めた。
ズレンシックはさらにセーフコフィールドを狭く改造することで、あまりにも貧しいチーム打撃をホームラン量産で改善するという「奇策」にうって出た。
だが、結局シアトルの貧打にはなんの変化も見られず、対戦相手のホームランや長打だけが増加し、セーフコ改修は「宇宙レベルの大失敗」に終わった。

標榜した「若手重視路線」の選手を、ほぼ総入れ替え
「ホーム改修」の大失敗と重度の守備崩壊

打撃力アップをもくろんで無理をして獲得してきたマイク・モースや、イバニェスの「消耗ぶり」が象徴するように、ヴェテラン路線への転換にしても、しょせんGMの延命のためのカンフル剤でしかなく、その効果は非常に短期で消滅した。
2013年初夏、過去の数シーズンと同じように、クリーブランド戦で惨めなサヨナラ負け3試合を含むスイープを食らい、その後、連敗していくワンパターンな展開で、シーズンが5月には終了するという「いつもどおりの展開」に、何の変化もない。2013シーズンも、ズレンシックのミスの連続によるマリナーズの「弱体化」があたかもイチローのせいででもあるかのような「嘘八百」を主張し続けていたシアトル・マリナーズとシアトル地元メディアのぶざまな姿だけが晒され続けた。
チームはやがて、かつて若手育成のためと称して「イチロー外し」に利用したアクリー、モンテーロ、スモークらの大成を諦め、さらにブレンダン・ライアンのスタメン維持も諦めて、これらの選手に変わるプレーヤーとして、さらなる若いフランクリン、ミラーをメジャーに投入するが、これらの選手の守備がまるでダメなことが明確になり、大失態を続けてきたGMズレンシックが、あれだけ失態を繰り返しながらも人目憚らずに大言壮語してきた「マイナーの充実」すら、「すべてのカード」を使い果たし、マイナーすら空っぽになって全てが終了した。

イチロー追い出しに加担した人物たちの「退場処分」と
無能すぎたGMズレンシック時代の終焉

2013年には、イチロー追い出しに加担した地元紙シアトル・タイムズのスティーブ・ケリー(退社)、ジェフ・ベイカー(異動)が去り、さらにズレンシックのお気に入りの、監督ウェッジ、ブレンダン・ライアン(トレード)、フランクリン・グティエレス(契約延長オプションを破棄しFA)がいなくなって、「無能なくせにプライドだけは高い人間が跳梁跋扈してきたシアトル・マリナーズのあまりに無能なズレンシック時代」は実質終焉した
Damejima's HARDBALL:2013年9月30日、シアトル・タイムズのスティーブ・ケリー退社、ジェフ・ベイカー異動、そして、マリナーズ監督エリック・ウェッジ退任。


ファースト

マイク・スウィニー
2009年1月、GMズレンシックがオークランドから獲得。イチローがマリアーノ・リベラからサヨナラ2ランを打ったゲームで、リベラから値千金のツーベースを打ってイチローに繋いだ場面は忘れがたいハイライト。間違いなく頼れる男だったが、残念なことに腰痛の持病があり、たびたび試合を休んだ。2010シーズンは、スウィニーとグリフィー、2人のDH要員がベンチにいたため中継ぎ投手のロスター枠がひとつ足りず、疲労でブルペンが崩壊する結果を招いた。もちろんそれは選手の責任ではなく、そういう歪な選手編成にしたGMズレンシックの責任だ。2010シーズン途中にフィラデルフィアへ移籍。幸せなNLDSを経験して引退。
ケイシー・コッチマン
2010年1月、ズレンシックがビル・ホール他との交換でボストンから獲得。2010年に125試合も出場させてもらったにもかかわらず、打率.217と惨憺たる打撃成績。逆にいえばチームは、これだけ酷い打撃成績を放置してコッチマンを起用し続けたわけで、2008年に打率2割に終わった城島を起用し続けたのと似たミスを、シアトルは犯した。
ちなみに彼を守備の名手とする人が多いが、それは誤解でしかない。この一塁手は、配球がどんなコースだろうと、打者がプルヒッターであろうとなかろうと、常に「ライン際」しか守らないから、1、2塁間の強いゴロは大半を見送るだけで、手を出さない。だから、どれもヒットになってしまい、コッチマンのエラーにならなかった、それだけのことだ。彼の守備は単なる手抜きで、けしてマーク・テシェイラ級の名一塁手だったわけではない。
ラッセル・ブラニヤン
2010年6月、グリフィー引退とスウィニーの腰痛で欠けた主軸の穴を補う形で、ズレンシックがクリーブランドから獲得。だが、ブラニヤンは、スウィニーと同様の腰痛持ちであり、「腰痛持ち選手のフォローのために腰痛持ちの選手を獲得してくる」という、意味のわからないトレードだった。2010年シーズン終了後、シアトルはブラニヤンとは契約せず、FA。2013年を無所属で過ごした後、メキシカン・リーグでプレーしている。
ジャスティン・スモーク
ただでさえ一塁手がダブついていた2010年7月に、ズレンシックがクリフ・リーとの交換でテキサスから獲得してきたプロスペクト。一塁しか守れないにもかかわらず、打てない。いちおうスイッチヒッターだが、左投手が全く打てないため、スイッチである打撃メリットはまるでない。
クリフ・リーがトレード先のテキサスでワールド・シリーズ第1戦の先発に登場する活躍を見せた一方で、スモークはシアトルに来た2010年夏、大振りばかりで空振り三振が多く、打撃不振から一時マイナー落ちした。シーズン終盤復帰するが、2011年以降も打撃が大成する気配はまったくなく、2013年にもマイナー落ち。2014年オフにはウェイバーにかけられてトロントにクレームされ、シアトルを去った。移籍後はトロントのレギュラー。


セカンド

ホセ・ロペス

ズレンシック就任前からいた生え抜き。セーフコでは不利な右打者だ。ズレンシックが2010年にフィギンズを獲得したため、セカンドを守りたいフィギンズの主張を優先したシアトルは、ロペスをサードにコンバートした。セカンド守備では不安があったロペスだが、サードではなかなかシュアな守備をみせ、周囲を驚かせた。2010年オフ、コロラドへ放出。
シアトル在籍終盤のロペスは、グリフィーのシーズン途中での突然の引退、スウィニーの腰痛による欠場などで、主軸打者がいない非常事態の中で4番を「打たされた」が、彼に4番は荷が重すぎて打撃低迷を招いた。そもそも本来は、GMズレンシックが主砲を補充すべきだった。後に日本のプロ野球巨人などで活躍。
ショーン・フィギンズ
もともとエンゼルスではユーティリティ扱いで、さまざまなポジションを守った。にもかかわらずGMズレンシックは、4年3600万ドルもの大金、18位のドラフト指名権を同地区ライバルに明け渡してまで獲得し、さらにセカンドを守っていたロペスをサードにコンバートし、「2番セカンド、フィギンズ」にこだわり続けた。
だがフィギンズのセカンド守備は、大事な場面のダブルプレーのミス、ポップフライの深追いなどによる落球など、ポカが非常に多く、期待はずれに終わる。加えて、打撃も惨憺たる成績で、いちおう「スイッチヒッター」だが、実際には左打席はまったく使い物にならなかった。
2010年7月23日ボストン戦で、レフトのソーンダースのセカンド返球がそれたのを二塁手フィギンスが漫然と見送ったことに、当時の監督ワカマツが激怒。フィギンスに懲罰代打を送ったことで、テレビ放映中にもかかわらず両者がベンチ内でつかみ合いをする事態に発展した。その後フィギンズはチームに謝罪せず、またチームも彼を処分しなかった。結局シアトルは契約を残したまま2012年11月に解雇。だが、サラリー支払いはいまだに終わっていない。2013年3月にマイアミとマイナー契約。後に解雇。
ブレンダン・ライアン
ズレンシックの「守備重視戦略」とやらが破綻しつつあった2010年オフ、同じショートにまったく同タイプのジャック・ウィルソンがいて、ショートがダブるのがわかりきっているにもかかわらず、セントルイスから獲得した選手。ジャック・ウィルソンとポジションがかぶったライアンは、トレード当初だけセカンドを守った。ライアンの守備は、MLBトップクラスの守備評価がある一方で、ここぞという場面での単純ミスも目立つ。
問題は打撃の酷さだ。ほとんどのシーズン、2割ちょっとの打率しかない。ジャック・ウィルソン移籍後、本職のショートに戻ってスタメン定着したが、打てないことには変わりなく、2013年スタメン落ち。つまり、この選手は単に、守備だけが突出した選手であり、本当はメジャーでやっていける選手ではないということ。2013年9月ヤンキースにトレードされたが、打てない守備専門選手という位置づけに変わりはなく、2015年放出。
アダム・ケネディ
2010年冬のシアトルはやたらと「守備系内野手」を貯め込み、守備位置がかぶりまくっていた。2010年冬にGMズレンシックが獲得してきたケネディもそのひとりだ。
本職はセカンドだが、それ以外に、ファースト、サードも守った。2011年にライアンがショートの守備位置をジャック・ウィルソンから奪った後、セカンドはウィルソン、ケネディなどが、かわるがわる守った。2011年オフにFA。2012年ドジャースで引退。
ダスティン・アクリー
2009年ドラフト1位(全体2位)。シアトルが、打てない若手をスタメンにズラリと並べて貧打に泣くチームになった元凶のひとり。ズレンシックの
「まやかしの若手重視戦略」のもとで、アクリーも十分な育成期間を経てないにもかかわらず、2011年に早くもメジャーデビューさせた。
マリナーズはアクリーを「イチローにとってかわるスター候補」にしようとしたため、アクリーをメジャーデビュー以降に出場した300試合の約3分の1で、かつて「イチローの定位置」だった「1番打者」として出場させた。
だが、そうしたマリナーズの「もくろみ」は完全に失敗に終わる。打てないアクリーは、153ゲームもの出場機会をもらったメジャー2年目に打率.226と失速。さらに3年目の2013年は打率をさらに下げ、マイナー落ち。後に、外野手にコンバートされ、セカンドを守ることはなくなった。後にセカンドのポジションはニック・フランクリンを経て、ロビンソン・カノーのものになった。
アクリー、スモーク、モンテーロは、いまやむしろシアトルのチームマネジメントの「失態の象徴」である
ニック・フランクリン
2009年ドラフト1位(全体27位)。期待のプロスペクトとの触れ込みで、マイナーで育てられていたが、アクリーがセカンド失格の烙印を押されて外野手にコンバートされたことで、2013年5月以降にメジャーのセカンドの位置をあてがわれた。当初は華々しい打撃成績にチームは糠喜びしたが、7月2割、8月に1割と、打率は一気に低下。それだけでなく、守備の要であるセカンドとして、おびただしい数のエラーを犯すヘボ・プレーヤーであることが判明。
ロビンソン・カノー
総額2億4000万ドルの10年契約という超高額で獲得。1年目の2014年にそれまでの5シーズンに25本以上放っていたホームランが14本まで減少したのを皮切りに、翌2015年は、メジャー昇格以降初めて三振数が100を超え、打率3割も途切れ、盗塁数自己ワースト、セカンドの守備評価も著しく下がるなど、あらゆる指標で低下をみせ、これからの長い契約に暗澹たる影を落としている。

サード

ホセ・ロペス
ズレンシック就任前からの生え抜き選手。2009年シーズン後にズレンシックが獲得したフィギンズをセカンドにねじこんだため、サードへコンバート。予想に反し、セカンド時代よりシュアな守備をみせた。
上にも書いたが、もし当時ズレンシックが頼れる主軸打者をきちんと補強していれば、なにもロペスにまだ荷の重すぎる4番を打たせ続けるようなこともなかったはず。2010年シーズンの主軸打者不在は、ロペスだけの責任ではない。主軸打者をきちんと用意するのはGMの仕事。
ショーン・フィギンズ
セカンド守備に同意して入団し、ロペスをサードに追いやったクセに、2011年になるど、こんどはサード守備を主張して、再度ロペスの守備位置を奪った。しかし、81ゲームに出場して打率.188。アクリーのおまけとして入団したカイル・シーガーにポジションを奪われた挙句、最後は契約期間を残したままシアトルをクビになった。
カイル・シーガー
期待されずに入団。ドラフト1位アクリーの、ヴァージニア大学時代のチームメイトで、当初アクリーの話し相手くらいに思われていたが、結果的に3番サードに定着。当然ながら、ズレンシックがシーガーの将来性を確信して獲得したわけではない。
ヴィニー・カトリカラ
2009年ドラフト10位。マリナーズは、ヴェテランピッチャー、ジェレミー・ボンダーマンをロスター入りさせる、ただそれだけのために、カトリカラをDFAした。(オークランドがクレーム)「若手路線」が聞いてあきれる話だ。


ショート

ユニスキー・ベタンコート

ズレンシック就任前からいた選手。ちなみに、入団当時ショートを守っていたBALのアダム・ジョーンズが外野手に転向したのは、このベタンコートを獲得したため。外野にコンバートされたジョーンズがその後、センターの名手としてゴールドグラブを獲得するようになったのだから、人生わからない。もちろん若手を大成させる能力などないマリナーズは、ジョーンズをボルチモアに放出するという大失策をしでかした。
ベタンコートはキューバ出身のラテン系気質が災いしてか、欠点と長所が両方現れる凹凸の激しいプレーヤーだ。守備のポカや、打撃での併殺打の多さ、早打ちなど、プレーに粗さがある反面、シアトル時代の彼は、9番打者として1番イチローに繋ぐバッティングで多大な貢献を果たした。セーフコでは活躍しにくい右打者として、十分な打撃成績を残してもいる。
GMズレンシックは、その愛すべき悪童ベタンコートを2009年7月に、マイナー選手2人との交換でカンザスシティに放出。移籍後のベタンコートは2010年カンザスシティでチーム最多となる16本塁打・78打点を記録した。2011年はサイ・ヤング賞投手ザック・グレインキーとともに、ミルウォーキーへ移籍。2014年からオリックスでプレー。
ロニー・セデーニョ
2009年1月28日、GMズレンシックがカブスから投手ギャレット・オルソンとともに獲得。だが、わずか半年後、2009年7月末、ズレンシックはジャック・ウィルソン、イアン・スネルを獲得するために、セデーニョをジェフ・クレメントなどとともにピッツバーグに放出した。
移籍後2010年のセデーニョは、139試合出場で、打率.256。二塁打29本は、キャリア・ハイ。一方で、ピッツバーグから獲得したイアン・スネルは使いモノにならず、2010年6月に戦力外、ジャック・ウィルソンも怪我だらけで、たいして使い物にならないまま終わった。後にヒューストンのショートの控えだが、そこそこの打率を残した。
ジャック・ウィルソン
2009年7月末に、GMズレンシックが、セデーニョ、クレメントなどとの交換で、スネルとともに獲得。とにかく故障の多いスペランカー体質で、2010年8月には自宅バスルームで転倒し、利き手の指を骨折している。シアトル入団以降もシーズン通してプレーできた試しがなく、守備の名手と言われることも多いが、実際にはライアン同様に凡ミスもけして少なくなかった。2012年9月引退。
ジョシュ・ウィルソン
シーズン通しての出場こそないが、ジャック・ウィルソンの穴を埋めた苦労人。2010年にはスウィニーの穴を埋めるため1塁手すらやらされたこともある。長期にわたっての起用経験がなく、一時的に起用されては、調子が上向く頃にベンチ要員に戻されるという悪いパターンを繰り返されているうち、守備ミスで落ち込み、打撃低迷するという残念な結果に終わった。
ブレンダン・ライアン
上の同名項目参照。単なる貧打の守備要員の内野手。あまりにも打てないこの選手がスタメンを続けることができたのは、単に「GMズレンシックのお気に入り」だったからにすぎない。
しかし、あまりにも打てなさ過ぎることから、2013シーズンに、ついにスタメン落ち。後にヤンキースにトレードされ、グティエレスとともに、「スタメンをズレンシックのお気に入りで埋める無意味な時代」が終焉した。
ブラッド・ミラー
2011年ドラフト2位(全体62位)。改修で狭くなった後のセーフコでメジャーデビュー。打てないライアンに変わる「打てるショート」として1番に定着させようとしたが、「ショートはファインプレーができて当たり前のMLB」にあって、エラー多発のヘボ守備ぶりで、ショートとして使い物にならない選手であることが判明。外野手にコンバートされた後、タンパベイへ放出。


レフト

エリック・バーンズ

GMズレンシックがアリゾナから獲得。2010年4月、延長11回1死満塁のサヨナラの場面で、スクイズのサインに従わず、一度出したバットを引いて見逃して、サヨナラ勝ちの絶好機をつぶした。バーンズは監督ワカマツに何の釈明もせず、それどころか、自転車で自宅に逃げ帰って、同年5月2日解雇処分となった。その後引退して、なんとソフトボール選手になった。
ケン・グリフィー・ジュニア
2009年にGMズレンシックが古巣シアトルに復帰させ、ファンの喝采を受けた。だが、それで欲が出て、チームも本人も、1シーズン限定で、いい印象だけ残して引退させることをせず、翌年もプレーさせてしまい、最悪の結果を招いた。
2010年は加齢による衰えから打撃成績が極端に低迷。「試合中、居眠りしていた」との報道からトラブルとなり、2010年6月2日に突如現役引退を宣言。ファンが楽しみにしていたはずの引退関連行事さえ本人不参加でマトモに開催できず、22シーズンにもわたるキャリアの晩節を汚す残念な結果になった。
ミルトン・ブラッドリー
GMズレンシックが、バベジ時代の不良債権のひとり、カルロス・シルバとのトレードで、カブスから獲得。もともと問題行動で有名だった選手で、シアトルでも2010年5月の試合途中に無断帰宅し、メンタルな問題からそのまま休養。2010シーズンは打率.205と低迷。また2010年オフには、女性に対する脅迫容疑でロサンゼルス市警に逮捕され、2011年5月16日付で解雇。そのまま引退。
マイク・カープ
2008年12月の三角トレードでメッツから獲得。先発投手放出トレードの大失策の連続をなんとしても糊塗したいズレンシックが、単なる「つじつまあわせ」で始めた若手中心路線のひとり。ズレンシックは結局まやかしの若手路線を放棄したため、カープを2013年2月にボストンに放出。ボストンから来るトレード相手の名前すらわからない安易なトレード(いわゆるPTBNL)だったが、カープは移籍したとたん3割を打つ活躍ぶりで、一時ボストンのレギュラーだったが、後にDFA。テキサスを解雇。
キャスパー・ウェルズ
2011年7月末のダグ・フィスター放出でデトロイトから獲得。2012年に93ゲームも出場したが、打率.228と低迷。2013年にDFA。ウェイバーでトロントが獲得したが、その後チームを転々とし、2014年に独立リーグ行き。GMズレンシックの無能さと、先発ダグ・フィスターの放出の無意味さを、全シアトルファンに思い知らせた選手のひとり。
ジェイソン・ベイ
シアトルが若手路線をタテマエにしてイチローを追い出したクセに、その若手路線すら放棄して、ヴェテランのジェイソン・ベイを獲得したのだから、開いたクチがふさがらない。おまけに、2012年冬にFAで獲得したこの選手は全く使い物にならず、2013年シーズン途中DFA、その後引退。
ラウル・イバニェス
2012年ポストシーズンに、ヤンキースで奇跡的なホームランを打ち続けて名前を上げたラウルだったが、ヤンキースが契約を更新しなかったため、2012年12月古巣シアトルと275万ドルで契約。ホームランが打てるメリットはあるが、打率が低く、加えて守備に難がある。何事も諦めない素晴らしい選手だが、シアトルの暗い雰囲気に呑みこまれつつある。2014年に事実上引退。


センター

フランクリン・グティエレス
2008年12月の複雑な三角トレードでクリーブランドから獲得。ズレンシックの「守備重視」戦略を象徴する選手のひとりで、ブレンダン・ライアンと並ぶGMのお気に入りだった。
いつも身体のどこかが悪い「典型的なスペランカー」であり、シーズンをマトモにプレーし続けられたことは一度もない。打てない、試合にも出ない選手に、2012年550万ドル、2013年700万ドルも払ったのだから、よほどこのプレーヤーこそ「不良債権」である。2013シーズン後にオプションの行使をチーム側が拒否、FAに。2015年、2016年にシアトルと1年契約。
マイケル・ソーンダース
ズレンシック就任前からの生え抜き。スペランカー、グティエレスが不在のときセンターを守った。生真面目なカナダ人プレーヤーであり、イチローのところによく質問しに来ていた。その研究熱心さで日本にもファンが多い。健康面も問題ない。
ズレンシックが、問題児であることがわかりきっているバーンズやブラッドリーを獲得し、その彼らが次々問題を起こして引退していったため、皮肉にも結果的にソーンダースの出場経験が増え、インコース低めの変化球に弱いというバッティングの弱点に多少改善がみられた。本来なら将来のシアトルの骨格になるべき生え抜き選手だった。
2014年1月15日にマリナーズと1年契約。故障から78試合の出場に終わったものの、打撃面では打率.273、出塁率.341、長打率.450と、自己最高の数値をたたきだした。
ダスティン・アクリー
かつては2009年ドラフト1位(全体2位)の期待の星だったが、既にそれはもう過去の話。セカンド失格の烙印が押され、外野手にコンバート。育成能力皆無なチームと、プライドだけは高いくせに変われない選手との出会いは、結局、不幸の連鎖にしかならなかった。
センターを守るはずのズレンシックお気に入りのグティエレスが、極端なスぺランカーであるため、かわりにシアトルのセンターを守ってきたのはソーンダースだったが、シアトルはアクリーにセンターの守備位置を与えた。だからといってそれは「アクリーの外野手としての守備能力が高いから」ではない。


ライト

イチロー
長年チームに貢献したレジェンドが周囲の圧力でやむなくヤンキースに移籍した後、地元紙記者が「シアトルで長く降り続いていた雨が止んだ」などと、正気とは思えない言いがかりを書き連ねたことは、ファンとして一生忘れるつもりはない。シアトルタイムズを許すつもりも、毛頭ない。
そうした言論を主導してきたひとりは、シアトル・タイムズのスティーブ・ケリーだが、この野球音痴の無礼な老人は、定年かなにか理由は知らないが、2013年2月にシアトルタイムズを退職している。
マイク・モース
2009年6月に、マイク・モースをトレードで放出したのは、他の誰でもない、ズレンシック自身だ。その後のマイク・モースはナショナルズで打率.294、ホームラン67本を打った。
放出された後のモースがナッツで活躍する間にマリナーズは崩壊を続け、やがてズレンシックは自分から言い出した「守備重視」、「若手重視」を両方とも放棄して、モースを三角トレードで2013年1月に再獲得して呼び戻す。年棒675万ドル。古巣に戻ったモースだが、ズレンシック・マリナーズの暗黒に呑みこまれてしまい、2013年8月ウエイバーにかけられ、ボルチモアがクレーム。
エリック・テムズ
2012年7月にスティーブン・デラバーを放出してトロントから獲得したが、2013年6月にDFA。ズレンシックの数えきれない負けトレードのひとつ。デラバーは移籍先のトロントで31ゲーム投げてERA1.75、34番目の選手として2013年オールスターに出場したのだから、ズレンシックの見る目の無さにはほとほと呆れるばかりだ。

キャッチャー

ロブ・ジョンソン
「城島問題」でチーム全体が揺れ、主力先発3人が城島とのバッテリーを拒否した2009年シーズンを支え、フェリックス・ヘルナンデスのサイ・ヤング賞獲得に貢献した功績から、2010年正捕手に選ばれた。だが、2010年のチーム低迷の責任を押し付けられる形でシーズン途中マイナー送りになり、シーズンオフにサンディエゴと契約。
アダム・ムーア
使い物にならないキャッチャーだが、シアトルの3Aタコマのコーチ、ロジャー・ハンセンのゴリ押しによって、何の実績もないまま正捕手に居座った。惨憺たる打撃成績、たび重なるパスボールやエラーにもかかわらず、起用され続けた。2012年7月にウェイバーにかけられ、カンザスシティに移籍。
リンク:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年9月14日、過去に城島擁護者だったベンチコーチ、ロジャー・ハンセンが現在も続けている無意味な捕手トレーニング手法。マイナーコーチ時代から続けてきた「手抜きのスパルタ方式」でプロスペクトを壊し続けてきた責任を徹底批判する。
ジョシュ・バード
2010年1月に契約。ロブ・ジョンソンやアダム・ムーアの穴を埋める役割を務めた。
エリエセル・アルフォンゾ
2008年5月に薬物で50試合の出場停止処分になった捕手。2010年6月、シアトルに来てわずか3ヶ月でDFAになった。
ミゲル・オリーボ
バベシ時代の2005年7月末、ミゲル・オリーボは、守備面の問題などを理由にシアトルからサンディエゴに一度放出されている。移籍後はHR16本、打点58をたたき出し、主に打撃面で貢献。シアトルはランディ・ウィンとの交換でセントルイスからヨービット・トレアルバを獲得するが、すぐに放りだし、日本から城島を獲得した。城島は2006年以降ずっと「城島問題」によってチーム全体を悩ますことになる。コロラドに移籍したトレアルバは2007年に自己最多113試合に出場、ワールドシリーズを経験した。
結局、シアトルは回りまわって、一度手放したオリーボを三顧の礼で迎え入れるという、なんともお粗末な結果になった。現在はマイアミに在籍。
ヘスス・モンテーロ
2012年1月マイケル・ピネダとのトレードで、ヘクター・ノエシとともにヤンキースから獲得。クリフ・リーを犠牲に獲得したスモークにならんで、「貴重な先発投手を犠牲にして獲得したにもかかわらず、まるで期待はずれな若手プロスペクト」の代表格のひとり。2013年は60日間のDL入りもしている。
バイオジェネシス事件で、ライアン・ブラウン、ネルソン・クルーズなどともに、出場停止処分が確定。これにより、ヘスス・モンテーロが単なる「ステロイダー」だったことが判明。2014年のスプリングトレーニングでは18キロもの体重オーバーで人前に現れて、即座にマイナーに落とされた。どうしようもない選手。
2015年オフにウェーバー公示され、トロントがクレーム。
ジョン・ジェイソ
2011年11月シアトルがジョシュ・ルークを放出したトレードで、タンパベイから獲得。シアトルにおける108ゲームの出場で50打点あげているように、勝負強いバッティングに魅力があった。しかし選手を見る目の無いズレンシックが彼の打撃面の才能に気づくことはなく、キャッチャーをマトモにできるはずもないモンテーロの控えとして起用され続けた挙句、2013年1月マイク・モースを獲得した三角トレードで、ズレンシックがオークランドに放出。その後のシアトルは、というと、いまだに貧打にあえいでいるのだから、まるで話にならない。
マイク・ズニーノ
2012年ドラフト1位(全体3位)。自分自身の度重なる不手際が原因の観客激減に悩むズレンシックが、2013年6月12日にメジャーにコールアップ。しかもスタメンで使いだしたのだから、笑わせてくれる。ここまで来ると、もう批評の域を超えている(笑)2013シーズンの打撃成績は当然ながら何も見るべきものがないレベルで終わった。
なんの育成もしないまま、いきなりメジャーデビューさせてモノになるなら、誰もMLBで苦労しない。ごく一部の地元メディアはさっそく批判を浴びせたが、このブログとしては「いまさら批判しても遅い。アンタたちは今までロクにズレンシックを批判しないどころか、むしろバックアップし続けてきたのだから、これからも我慢しとけ」と言わせてもらおう。
ケリー・ショパック
2013年2月7日に獲得。ズニーノのメジャー昇格と入れ替わりに、同6月20日DFA。シアトルは、このほんの短期間在籍しただけのキャッチャーにシアトルは1.5Mもの金額を支払った。

追記:2013年6月17日
この記事、あまりにも長いので、2つに分割した。
投手編はこちら。
Damejima's HARDBALL:2013年6月2日、GMズレンシックの仕業によるシアトル・マリナーズ 「2013年版 ポジション別 崩壊目録」 (2)投手編


Play Clean
日付表記はすべて
アメリカ現地時間です

Twitterボタン

アドレス短縮 http://bit.ly/
2020TOKYO
think different
 
  • 2014年10月31日、PARADE !
  • 2013年11月28日、『父親とベースボール』 (9)1920年代における古参の白人移民と新参の白人移民との間の軋轢 ヘンリー・フォード所有のThe Dearborn Independent紙によるレッドソックスオーナーHarry Frazeeへの攻撃の新解釈
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年6月1日、あまりにも不活性で地味な旧ヤンキースタジアム跡地利用。「スタジアム周辺の駐車場の採算悪化」は、駐車場の供給過剰と料金の高さの問題であり、観客動員の問題ではない。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年6月29日、『父親とベースボール』 (1)星一徹とケン・バーンズに学ぶ 『ベースボールにおける父親の重み』。
Categories
ブログ内検索 by Google
ブログ内検索 by livedoor
記事検索
Thank you for visiting
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

free counters

by Month