June 03, 2013

GMズレンシックの仕業によるシアトル・マリナーズ 「2013年版 ポジション別 崩壊目録」は、「チームコンセプト+野手編」と「投手編」の2つに分割され、それぞれ必要に応じて改訂を続けている。
投手編 Last Updated : 2014/12/02

チームコンセプト+野手編」はこちら
Damejima's HARDBALL:2013年6月2日、GMズレンシックの仕業によるシアトル・マリナーズ 「2013年版 ポジション別 崩壊目録」 (1)チームコンセプト編+野手編


ズレンシックが放出したピッチャー

ジャロッド・ウオッシュバーン
2006年にFAでエンゼルスから加入。どことなくキーファー・サザーランドに似た風貌の左投手。MLB有数のラン・サポートの少ない投手として当時有名で、2009年7月にトレードされるまで変わらなかった。
主力先発投手3人が揃って城島とのバッテリーを拒否した2009シーズンのシアトルは、7月まで優勝戦線に残れるほど好調だったわけだが、中でもウオッシュバーンは準パーフェクトゲームを含む8勝6敗、防御率2.64。数字もさることながら、投手陣のリーダーとしてチームを鼓舞し続けた。
2009年夏のウオッシュバーンは、地元メディアにひっきりなしにトレードの噂を書きたてられ続ける状態だったにもかかわらず、ごくわずか残されたポストシーズン進出の望みを捨てずに奮闘。2009年7月には「ア・リーグ月間最優秀投手」を受賞している。
ウオッシュバーン自身は常に「トレードは望まない。このチームでやりたい」と公言し続け、シアトルでのプレー続行を望んでいたが、ズレンシックは耳を貸さず、トレード期限となる7月31日に、ルーク・フレンチ他との交換で、当時中地区首位だったデトロイトにトレードしてしまった。
リンク:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2009年7月23日、ウオッシュバーンは「移籍したくない」といい、「プレーヤーが売り払われないために、頑張るしかない」と語った。
リンク:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2009年7月27日、魚釣りの好きな男の父が息子に電話してきて「トレードされたのかい?」と尋ねた。息子は言う。it's not over.「チームはまだ終わってないよ。」そして彼は家族のために魚料理を作った。
投手陣の支柱だったベテラン投手ウオッシュバーンがトレードされたことで、その後シアトル投手陣は総崩れになり、チームにごくわずか残されたプレーオフ進出の望みは断たれた。後にはウオッシュバーンだけでなく、クリス・ジャクバスカス、ブランドン・モローなど、2009シーズンを戦った投手たちも次々と放出された。
ブランドン・モロー
トロント移籍にあたって、モロー自身がシアトルの投手育成の未熟さをメディアで公然と批判。またシアトル時代、不調だったモローに、当時の投手コーチ、リック・アデアが「カーブを多投させてみよう」と提案し、バッテリーとも打ち合わせが済んでいたにもかかわらず、実際のゲームではダメ捕手城島がモローにカーブのサインを「故意に」出さなかったというありえない事件がシアトル地元メディアによって暴露され、シアトルの育成能力の無さがさらに浮き彫りになった。
リンク:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2009年12月22日、「投手コーチ・アデアとの打ち合わせを無視し、モローにカーブのサインを一切出さなかった城島」に関する記録。投手たち自身の「維新」による城島追放劇の舞台裏。
移籍後、モローはトロントのスターターに定着。146.1イニングを投げ、10勝7敗と活躍し、準パーフェクトゲームも達成。シアトルが開花させることのできなかった実力の程を示した。
クリフ・リー
フィラデルフィアからGMズレンシックが複雑なトレードに相乗りする形で獲得。春先に調子が上がらないフェリックス・ヘルナンデスのかわりに、2010年夏までエースとしてチームを支えた。
だが、2010年7月のフラッグシップトレードで、ズレンシックが、こともあろうに同地区ライバルであるテキサスへ、マーク・ロウとともに放出。シアトルは、前年2009年の同じ7月にウオッシュバーンを放出して投手陣の精神的な支柱を失った事件に続き、2年続けて投手陣の支柱を失うハメになり、一方のテキサスはワールドシリーズを戦う大黒柱を得た。その後クリフ・リーは、2010年ワールドシリーズ終了後、5年総額1億2000万ドルの大型契約でフィラデルフィアへ戻った。クリフ・リー放出で得たスモークは、後に未熟なフリー・スインガーであることが判明した。
ダグ・フィスター
ズレンシック就任前からシアトルにいた生え抜き。ズレンシックによる2009年7月ウオッシュバーン放出、2010年7月クリフ・リー放出に続き、2011年7月デビッド・ポーリーとともにデトロイトに出された。移籍先のデトロイトで、あの剛腕バーランダーに続く先発の柱として大活躍し、2012年にはワールドシリーズ(vs SFG)でも先発した。2014年からナショナルズに移籍、ここでもローテ投手の一角として16勝6敗、ERA2.41のハイグレードな成績を挙げ、2014ナ・リーグサイヤング投票8位に輝いた。
フィスター放出の一方でシアトルが獲得したのは、キャスパー・ウェルズ、チャーリー・ファーブッシュ、チャンス・ラフィンなどだが、誰ひとり者になってなどいない。このトレードが「球団史に残る最悪トレードのひとつ」であることなど、言うまでもない。
マイケル・ピネダ
2005年にドラフト外契約した生え抜きで、2011年に鮮烈な先発デビューを飾った。最初の3か月の被打率は約2割で、ただならぬ将来性を漂わせたが、シーズン最期に失速。結果的に言えば、故障を抱えたまま投げていた。
2012年1月、ズレンシックはこのピネダを、モンテーロ、ノエシなどとのトレードでヤンキースに放出。故障が癒えず、なかなか戦列に復帰できなかったが、2014年スプリングトレーニングで復活。ズレンシックの無能さが浮き彫りになったトレードのひとつ。
ジェイソン・バルガス
2008年12月、GMズレンシックが三角トレードでメッツから獲得。本来「チェンジアップ主体で投げる投手」だが、常にキロスや城島といった「彼特有のピッチングスタイルを理解できないキャッチャー」とばかりバッテリーを組まされ、当初は成績が伸び悩んだ。
だが、彼の才能にフタをしていた城島が日本に去った後、バルガスの実力の片鱗が発揮され始め、2010年は6月までに14登板して、91.1イニングを投げ6勝2敗、防御率2.66。60もの三振を奪った一方、四球は23しか与えなかった。たしか、この時期のア・リーグWHIPランキングにダグ・フィスターとともに名前を連ねていたはず。残念ながらシーズン終盤には多投からくる疲労などで成績を崩した。
復調と飛躍が期待されたが、自分で始めた若手路線をみずから放棄して打線テコ入れをはかろうとするズレンシックが、バルガスを同地区アナハイムにケンドリー・モラレスとのトレードで放出。フィスターに続くバルガスの放出により、ズレンシックはシアトルGM就任時にチームに在籍していた「ヘルナンデス以外の先発投手の全員」を放出したことになった。バルガスはLAA移籍後、2013年5月、月間最優秀投手賞を受賞した。
2013年11月にカンザスシティと4年3200万ドルで契約。2014年ワールドシリーズを経験した。
カルロス・シルバ
バベシ時代の2007年12月に、4年4400万ドルで獲得したが、当時の正捕手城島とまるで息があわなかったこともあり、ずっとお荷物と思われていた。
リンク:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年6月19日、移籍後にストレートを投げる割合が83.1%から55.7%に突然下がり、シカゴ・カブスで別人になったカルロス・シルバの不可思議な変身。
GMズレンシックは2009年12月になって、何を思ったのか、シルバに600万ドルもの大金をそえ、シルバをカブスへ放出。かわりに問題児ミルトン・ブラッドリーを獲得するというギャンブル的トレードを断行した。
そのシルバが移籍先で開幕8連勝を記録する一方、ブラッドリーは数々の事件を起こした後に、ロサンゼルスで暴行事件で逮捕された。問題児を放出できただけでなく600万ドルの現金も得たカブスがトレードに成功した一方で、故意に問題児を抱え込んでコントロールできなかったズレンシックとシアトルは、暗黒の貧乏くじを引いた。
ショーン・ケリー
2007年ドラフト13位。この投手をズレンシックが外部からトレードで獲得してきたと思っている人が多いが、れっきとしたシアトルの生え抜き。だが、ズレンシックが獲得してきた投手ではない。
投手を見る目が全くない無能GMズレンシックが2013年2月ヤンキースに放出。ヤンキースで勝ちゲームのセットアッパーとして活躍。ショーン・ケリーのトレードもズレンシックの負けが確定。

ズレンシックが獲得したピッチャー
イアン・スネル
2009年7月末にGMズレンシックが、ジェフ・クレメントなど4人との交換で、ジャック・ウィルソンとともに獲得。どこにもいいところが見られないまま、2010年戦力外。
ルーク・フレンチ
2009年7月ウォッシュバーンを放出したトレードで、ズレンシックがデトロイトから獲得。2シーズンプレーし、ERA6.63、4.83。2010年10月を最後にメジャーのゲームに出ておらず、まったく使い物にならなかった。2011年8月DFA。
ブレイク・ベバン
2010年7月クリフ・リー放出トレードでテキサスから獲得。2007年テキサスのドラフト1位指名選手。クリフ・リー放出で先発が足りなくなったシアトルは、ベバンを「クリフ・リーがいなくても先発は足りている」とでも言いたげに言い訳がましく「ニワカ仕立ての先発」として起用した。
だが、3シーズン通算のERAは4.67と、とても先発投手としてやっていける能力はなく、2013年のWHIPが1.694と成績は壊滅的。やむなくリリーフに転向させるもどうにもならず、マイナー落ちさせたが、タコマでもWHIP1.521の惨状。にもかかわらずズレンシックは、この選手に2014年の1年契約を与えた。2014年オフにFA、アリゾナとマイナー契約。
ジョシュ・ルーク
2010年7月のクリフ・リーのトレードでテキサスから獲得してきた選手のひとり。過去にレイプで告発されているが、軽犯罪を認めることによって告発をまぬがれたらしい。この危ない投手を安易に獲得してきた責任者のひとり、スカウト・マネージャーCarmen Fuscoは2010年9月にクビになっている。いわゆる「トカゲの尻尾切り」だが、このことは日本ではほとんど知られていない。
チャーリー・ファーブッシュ
2011年7月フィスターとのトレードで獲得。フィスターのトレードが失敗でないことを主張したいチーム側は、このファーブッシュをしつこく先発投手として起用し続けたが、1年目は3勝7敗と、フィスターのトレードが大失態だったことが明白になっただけの結果に終わる。結局セットアッパーに転向。
チャンス・ラフィン
2011年7月フィスターとのトレードで獲得。同年WHIP1.571という酷い成績を残した。その後の消息は不明。フィスターのトレードがGMズレンシックの大失態だったことの証明となった選手のひとり。
ヘクター・ノエシ
2012年1月ズレンシックによるマイケル・ピネダとのトレードで、ヤンキースから獲得。フィスターで獲得したファーブッシュと同様、ピネダのトレードが失敗でないと主張したいがために、チーム側は、ファーブッシュと同様、このノエシも2012シーズンに無理矢理先発として起用し続けたが、ERA5.82、2勝12敗という「宇宙の破滅的成績」に終わった。「打てない、守れないモンテーロ」ともども、ピネダのトレードが大失敗だったことの証明となる選手のひとり。2013年マイナー落ちするが、マイナーでもERAは5.83。使い物にならないまま、2014年4月テキサスに移籍。
スティーブン・デラバー
2011年にFA選手として契約。翌2012年にシアトルでWHIP0.927という、ちょっと驚異的な数字を残しつつあったにもかかわらず、なんと2012年7月に外野手エリック・テムズとのトレードで放出。ズレンシックという人物が、自分は数字に強いというフリをし続けているにもかかわらず、実は数字に非常に疎いことがモロバレになったトレード。
デラバーは移籍先のトロントで活躍し、2013年オールスターに34番目の選手として出場。一方のテムズは2013年6月にDFAとなり、デラバーのトレードもズレンシックの負けが確定。
ダニー・ハルツェン
2011年シアトルのドラフト1位(全体2位)。ダスティン・アックリーと同じヴァージニア大学の出身。大学時代からかなり奇妙なフォームで投げていたピッチャーだが、2011年のMLB入りからわずか2年で肩を故障。手術が必要なレベルの重い怪我だった。マリナーズは「フォームに問題があるのはわかっていたが、時期を見てフォームを修正するつもりだった」などと、後づけで言い訳がましいコメントを出した。2014年も早々に怪我でリタイア。


クローザーの異動

JJプッツ
就任早々のズレンシックが2008年12月に行った三角トレードで、メッツに放出。シアトルはフランクリン・グティエレス、ジェイソン・バルガスなどを獲得。
デイビッド・アーズマ
2009年1月ズレンシックがボストンから獲得。クローザーに転向して38セーブ、十分すぎるほどの活躍だった。だが、一転して2010年はストレート一辺倒の単調なピッチングに固執し始めて、成績が低迷。2011年は故障を理由に一度も登板しなかったが、この見込み違いの投手にシアトルは450万ドルも払った。
ズレンシックはトレードを画策したが、うまくいかず、ズルズルと残留し続けた後、FAにさせてしまった。このため、シアトルはアーズマを「トレードの駒」として活用する機会を失った。これは明らかにGMの大失態。
ブランドン・リーグ
2009年12月、先発ブランドン・モローとのトレードでトロントから獲得。何年も活躍できる価値ある先発投手と、どこにでもいるブルペン投手のトレードをWIN-WINだなんて言い張るのは馬鹿馬鹿しい与太話でしかないが、モローの放出が大失態でないことを隠したい人間が、日本でもアメリカでもそういう嘘八百の与太話を主張した。だがそういう人間たちはやがて、トロントでのモローの活躍でやがて沈黙。だいたい、ブランドン・リーグがクローザーとしてマトモに機能したのは、不調のアーズマにかわり37セーブ挙げた2011年だけでしかない。2012シーズン途中にドジャースに移籍して、しばらくクローザーを務めたものの、あまりの失点ゲームの多さに2013シーズン途中でクローザーをクビにされ、その後チームは優勝したが、ポストシーズンのロスターから外される憂き目を見た。
トム・ウィルヘルムセン
2010年3月ミルウォーキーからFAで獲得。そもそもこの投手を発掘したのはミルウォーキー時代のズレンシック。WHIPが1.000を切っているだけに、成績にケチをつけるほどではないが、2009年のアーズマ、2011年のリーグと同じレベルの安定感があるわけではない。やがて消費されて終わり、だろう。



もちろん、もっとたくさんのダメ選手をズレンシックは獲得してきたわけだが、書いていて疲れてきたので、もう止める。馬鹿馬鹿しくて話にならない(笑)


2011年のこの記事でも書いたことだが
念のため、もう一度書いておこう。

ベースボールはGMのオモチャではない。
ファンのためのものだ。



Play Clean
日付表記はすべて
アメリカ現地時間です

Twitterボタン

アドレス短縮 http://bit.ly/
2020TOKYO
think different
 
  • 2014年10月31日、PARADE !
  • 2013年11月28日、『父親とベースボール』 (9)1920年代における古参の白人移民と新参の白人移民との間の軋轢 ヘンリー・フォード所有のThe Dearborn Independent紙によるレッドソックスオーナーHarry Frazeeへの攻撃の新解釈
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年6月1日、あまりにも不活性で地味な旧ヤンキースタジアム跡地利用。「スタジアム周辺の駐車場の採算悪化」は、駐車場の供給過剰と料金の高さの問題であり、観客動員の問題ではない。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年6月29日、『父親とベースボール』 (1)星一徹とケン・バーンズに学ぶ 『ベースボールにおける父親の重み』。
Categories
ブログ内検索 by Google
ブログ内検索 by livedoor
記事検索
Thank you for visiting
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

free counters

by Month