July 09, 2013

ESPNのシニアライター、ジェイソン・スタークのツイートによれば、もしカンザスシティ初戦でヤンキースにホームランが無ければ、5試合連続ホームランの無いゲームとなり、「1996年6月」以来の出来事らしい。
ホームランの無かった4試合のうち、3試合に勝っているというのに、神経質な人だ(笑)

人はメンタルの非常に弱い動物だ。

「1996年6月以来」とか、ちょっと人に言われると、それだけでデータに弱い人などは、「ああ、1996年も貧打だったのか・・・・。いったい地区何位だったんだ? 4位くらいか・・・?」などと思ってしまう。


だが、1996年ヤンキースにとって、「5試合連続でホームランがない」という記録をつくった「1996年6月」は、実際には、「18勝11敗、勝率.621」と、このシーズンにおける「最も勝率の高かった月」である。
しかも、だ。月別ホームラン数が最も多かったのが8月の40本、月別チーム打率が最も高いのが7月の.294であるにもかかわらず、シーズンで最も勝率がよかったのは「6月」で、この「1996年6月」は、チームホームラン数が最も少なく、かつ、チーム打率が最も低い月だったのだ。
1996 New York Yankees Batting Splits - Baseball-Reference.com


簡単なことだ。
野球はホームランの数で決まるのではない
たったそれだけのことだ。


1996年ヤンキースの総ホームラン数は「162本」しかない。
これは、2012年ア・リーグでたとえると、リーグ平均「179本」に達しない数字であり、この年に貧打の汚名をほしいままにしたシアトルの「149本」とそれほど大差ない。
1996 American League Season Summary - Baseball-Reference.com
1996年ア・リーグのチームホームラン数トップは、ボルチモアの「257本」だから、ヤンキースは約100本もの大差をつけられている。リーグ最下位だったミネソタから数えて、下から3番目のホームラン数なのだ。
個人単位でみても、チーム最多のホームランを打ったバーニー・ウィリアムスでさえ29本で、30本打てたバッターはひとりもいない。


この「ホームランが打てない1996年のヤンキース」、
シーズン最後にどうなったか。

2位ボルチモアに4ゲーム差をつけて地区優勝。ALDSでテキサス、ALCSでボルチモアを蹴散らし、ワールドシリーズで4勝2敗でアトランタも退けてワールドチャンピオンになっているのである。

もういちど書いておこう。
野球はホームランの数で決まるのではない

勝てばいい。それだけのことだ。

近年のヤンキースの黄金時代を築いたのは、バーニー・ウィリアムス、若いデレク・ジーター、シンシナティから来たポール・オニール、シアトルから来たティノ・マルチネス、ボストンから来たウェイド・ボッグスなど、ハイアベレージで打てて、しかもそれが長期に持続できる選手たちが一堂に会したことによって生まれた90年代後半ヤンキースの「濃密な」野球スタイルであり、2000年代以降にステロイド・スラッガーをズラリと並べ、毎年200本以上ホームランを打ちまくったわりに、わずか1度しかワールドシリーズを勝てなかった「まやかしの」ヤンキースではない。(もちろん2013年ヤンキースが1996年ヤンキースと同じだ、などと野暮なことを言うつもりはない。選手層の厚みがあまりに違いすぎる)


ちなみに、1996年ヤンキースで、キャッチャーとしてワールドシリーズ優勝を経験したのは、他の誰ならぬ、現監督ジョー・ジラルディ、その人だ。
ジラルディはコロラドから移籍してきた1996年にヤンキースでワールドシリーズ優勝を経験。その後4シーズンの在籍中に運よく3度のワールドシリーズ優勝を経験している。
Joe Girardi Statistics and History - Baseball-Reference.com


人はキャリアによってつくられる。
こうしてあらためて眺めてみると、ジョー・ジラルディの経験にある「ヤンキース」とは、ホームランがそれほど打てなくてもワールドシリーズに勝ち続けられた90年代のヤンキースの黄金期であるだけに、ブログ主ですら、監督としての彼の野球にときとして「あまりの小ささ」を感じ、その「細かさ」を不満に思ったりするのも、ある意味、彼ならではのキャリアのなせる業かもしれない。


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