September 20, 2013
2013年秋、ヤンキースで「やたらと起用されだしている若手選手」には、共通の特徴がある。
そう。キーワードは、「ドラフト」だ。
全員が全員、ヤンキースがドラフトで獲得してきた生え抜き選手たちばかりなのだ。この中に「トレードのおまけ」とかでヤンキースに来た選手はひとりもいない。
つまりは、だ。
ヤンキースは、いまさらながら、「自前の若い選手」を前面に押し立ててみようとしているらしいのだ。(そういう意味では、2013年のポストシーズン進出をヤンキースはかなり早い段階から本気で考えてはいなかった、といえる)
最初にハッキリ言っておく。
「植物を種とか苗から育てあげた経験がない人間」には、たぶんわからないだろうが、「もともと育ちの悪かった植物」に、突然、大量の肥料を与えるなんてことをすれば、最悪の結果を招くだけだ。育ちが改善されたりはしないし、まして立派な作物が実ったりはしない。枯れるだけだ。
こうした「実験の秋」を過ごしているヤンキースに、「いまさらながら」と、わざわざ皮肉めいた前置きをあえて付け加えさせてもらったのには、もちろん、ハッキリした理由がある。(そもそもハッキリ把握してないものを書こうとは思わない)
それは、最初に名前を並べた生え抜き選手たちのなかに、「ドラフト1巡目の、それも、上位30位以内での指名」というような、「まさにドラフト1位指名選手。まさに金の卵」といえる選手は、せいぜいフィル・ヒューズくらいしかいないからだ。
つまり、いくらヤンキースが慌てて「若手という畑」を必死にたがやすことにしたからって、その「畑」とやらの実態は、実は、将来性がまったく見当がつかないような「ドラフト下位指名選手ばかりでできた畑」なのだ。
育ちの悪い畑にヒョロヒョロ生えている植物の芽の群れが果たして、素材として良質なのか、将来の伸びしろは本当にあるのか。それを見極めもしないで、「全部の芽が育てよ」とばかりに、突如として「出場機会という肥料」を大量に与え続けたとしても、全部の芽が育つわけがない。
明らかにこれは、「猫の額ほどの家庭菜園をやり始めたばかりの素人」が「最初によくやる失敗」のひとつだ。
「今までほったらかしだった将来性のわからない畑を、いまさら掘り返し、肥料を撒きまくること」に、ヤンキースが「いまさら」必死になったりするから、ついつい、「いまさらながら」と揶揄したくなる。当然の話だ。
もっとハッキリ言わないとわからない人もいるだろうから、もっとハッキリ書いておこう。
この10年、ヤンキースは、いつかはジーターなどヴェテランたちの後継者として、若手を育てるプロセスに注力しておかなければならなかったはずだが、それをずっと怠ってきた。
そして、なお悪いことに、ヤンキースはこの10年というもの、ドラフト1位指名において将来のチームの骨格となる選手を、誰ひとり育てあげてこれなかった。
つまり、2013年秋になってヤンキースが、「いまさらながら」に、耕し、肥料を撒きはじめた「畑」の中身は、実は、過去10年の間、ずっと失敗ばかり続けてきたドラフトの結果、チーム内に溜まりに溜まってしまっている「賞味期限のあやしい、ドラフト下位指名の選手たち」を、一斉にゲームに出しっぱなしにして鍛え直そうとするような、そういう「ドタバタな若手育成の三文芝居」でしかないということだ。
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では、
そもそもこの10年でヤンキースがドラフト1位指名した、
「ヒューズ以外の選手たち」は、
いったいどこに行ってしまったのか?
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2012年に『父親とベースボール』のシリーズなどで書いてきたように、近年のMLBでは、アフリカ系アメリカ人が減少する一方で、ドミニカ、ベネズエラ出身選手が大幅に増加し、多国籍化が日増しに進み、優秀な選手の「供給源」も、非常に多様化してきた。今年などは新しいトレンドとして、セスペデス(OAK)、プイグ(LAD)、ホセ・フェルナンデス(MIA)などのキューバ出身選手が注目を集めた。
Damejima's HARDBALL:「父親とベースボール」 MLBの人種構成の変化
Damejima's HARDBALL:2012年4月5日、MLBのロスターの3.5人にひとりは、メインランド(アメリカ大陸の50州)以外の出身選手、というESPNの記事を読む。(出身国別ロスター数リスト付)
Damejima's HARDBALL:2012年6月4日、恒例の全米ドラフトは高校生が主役。
Damejima's HARDBALL:2012年6月11日、MLBにおけるアフリカ系アメリカ人プレーヤーの減少について書かれたテキサス大学ロースクールの記事を訳出してみた
だから、2000年代中期までのように、「ドラフト」、つまり、ドラフトという名の、「大学生中心のアメリカ人プレーヤーのマーケット」こそが、「MLBで最も優れた選手を獲得できる、最高にして最大の市場である」とは、必ずしも言い切れなくなりつつあるわけだ。
例えば、かつては、空前のドラフト豊作イヤーだった2005年ドラフトや(Jアップトン、ジマーマン、トゥロウィツキー、マッカチェン、ステロイダーのライアン・ブラウン、エルズベリーなど)、投手の素晴らしい当たり年だった2006年ドラフト(カーショー、シャーザー、リンスカム、モローなど)のように、すぐにチームのコア・プレーヤーになれるほどの才能を備えた選手が同じ年度に10人前後も集結するような「爆発的なドラフト豊作年」があった。
だが、2008年以降になると、そうした豊作年ほとんどない。たしかにポージー(2008)、トラウト(2009)、ハーパー(2010)と、それぞれの年の目玉選手はいる。だが、全体の豊作度としては「小粒」であり、2005年や2006年の豊作ぶりには比べようもない。
だから、ぶっちゃけ、いまのドラフトで「大当たり」を引くことができるのは、全体1位からせいぜい全体4位くらいまでの「優先くじ」を持っているチームか、よほど運のいいチームだけということになってしまっている可能性が高い。
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さて、2013シーズンのいま、ア・リーグ東地区をみると、チーム間にこれまで存在しなかった「選手層の厚みの格差」ができつつある。
その理由のひとつに、以下にみるような2000年代中期までのドラフトでの巧拙の影響がある。つまり、ア・リーグ東地区(それと参考までにデトロイトを加えた)では、ドラフトによる選手獲得の成否がまだチームの将来を左右していた「2000年代中期までのドラフトにおける巧拙」が、2010年代における選手層の「厚み」というか、選手層の骨格の「太さ」を左右した、ということだ。(言い換えると、ドラフトに最も優秀な選手が集まらなくなってきた2000年代終盤のドラフトでの巧拙は、ほとんど選手層の厚みに関係してない)
もう少し具体的にいうと、「2000年代中期までのドラフト」でうまく立ち回ったチームでは、ドラフト豊作年の2005年や2006年に、確実に「大当たり」を引いていることが多い。ここで獲得できた将来性豊かな才能ある選手たちは、「2000年代中期までに大当たりを引けたチームと、引けなかったチームとの間の、選手層格差」を産む「最初のきっかけ」となった。
また「2000年代中期までのドラフト」で成功したチームでは、たとえ豊作年でない年でも、下位指名選手から「当たり」を「発掘」することに成功していることが多い。
さらには、デトロイトのように、「ドラフト1位指名選手を、FA選手獲得のためのトレードの駒にする」という思い切った手法によって、他チームの有名プレーヤーを「釣り上げる」ことに成功し、選手層の骨格を太くすることに成功したチームもある。
こうして、「2000年代中期までのドラフトの巧拙」は、まだアメリカ国内の選手層が十分豊かだった2000年代が終わらないうちに、若くて分厚い選手層を十分に築き終え、次世代である「2010年代」に備えることができたチームと、そうでないチームの間に、「選手層格差」を産んだ。
それは必ずしも「地区優勝したチームは、翌年のドラフトで成功できっこない」ということを意味しない。例えば、ボストンは2004年にバンビーノの呪いを解いてワールドシリーズを制覇したが、それでも2005年ドラフトにおいてきちんと戦力補強に成功している。
では、チーム別にみていこう。
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この10年、ドラフトでの成功例がないヤンキース
リストを見ると一目瞭然だが、ヤンキースの2000年代のドラフト1位指名選手は、ほとんどリーグを代表するような選手に育っていない。ほとんどの年度で、メジャーにさえ上がれなかったり、契約そのものができなかったりしている。
例えば、実はヤンキースは豊作年の2005年にダグ・フィスターをドラフトで指名しているのだが、サインに至らなかった。また、今年ついにひさびさの地区優勝しそうなピッツバーグで中心投手になったゲリット・コールも、2008年に指名しているが、サインできなかった。2006年にドラフト1位指名してサインしたイアン・ケネディを放出してまでして獲得した選手たちが結局活躍しなかったことといい、この10年、ヤンキースのドラフト1位指名は成功したためしがない。
今年、かろうじて戦力になっているのは、ヒューズ(2003)、チェンバレン(2006)、ロマイン(2007)くらいだが、スタッツなどみなくても、彼らがリーグを代表するプレーヤーに育ちつつあるわけではないことは誰でもわかる。
前にも一度書いたが、ヤンキースは2006年に、それまで長い間保持してきて、ジーター、リベラ、ペティットなどの有望新人を数多く輩出してきたマイナーチーム、「Columbus Clippers」を手放してしまっている。こうした育成組織の軽視が、ヤンキースのドラフトが10年ほど成果を産んでいないことと無関係なはずがない。
Damejima's HARDBALL:2013年8月5日、「生え抜きの成長、黄金期、ステロイド、そして衰退」 正しいヤンキース30年史。
だからこそ、2013年秋にヤンキースが必死に出場機会を与えている若い選手たちは、こうしたヤンキースの「失敗続きのドラフト10年史」の、いわば「残り物」だというのだ。
ヤンキース関連のフロガーやニューヨークメディアは、よく若い選手への過剰な偏愛をクチにしたがる。それをヤンキース愛だとかいえば、聞こえはいい。
だが、「もともと育ちの悪い植物」に突然、大量の肥料を与えたりしても、畑はよくならないし、立派な作物は実らない。むしろ枯れてしまう。ヒョロヒョロとはえた芽の段階で肥料をやりすぎて枯らしてしまうのは、家庭菜園で非常によくある間違いだ。そんな田舎くさい、素人くさいことをやっていて、ヤンキースが強くなれたりはしない。
ダメな苗は見切る、間引く。強い苗だけを育てる。それが本気の農業というものであり、それが「プロ」だ。
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選手層の太い骨格をドラフトで作ったボストン
ボストンがドラフト1位指名で成果があったのは、2000年代中期までだ。2000年代後期には、トレードではいろいろと成果があったにしても、ドラフトでは成功例がない。
今のボストンの強さを支えている「生え抜きの選手層の厚み」が形成されたのは、「2000年代中期までのドラフト」で獲得したペドロイア、バックホルツなど、「選手層の太い骨格」を形成している選手層が常に盤石なことからきている。
そのためボストンは、2012年シーズン終了後のように、チーム再編の必要性に直面したとしても、「選手層の基本骨格」を全くいじらなくても、トレードによる小手先の修正でチームを簡単に「再起動」できる。実際、2000年代終盤以降、このチームは、トレードによる主軸打者の入れ替えやクローザーの入れ替えのような部分修正で、チームを再起動してきた。
攻守に才能ある野手を得たボルチモア
2000年代、まだ弱かったボルチモアは、常にドラフトの上位指名権をもっていた。だが、2005年と2006年のドラフト豊作年、何の成果を得ていないことでわかるように、必ずしもドラフトの上手いチームだったとはいえない。
だがそれでも、この10年のうちにマーケイキス、ウィータース、マチャドと、攻守に優れた野手をドラフトで獲得できたことで、近年のこのチームにはじめて「選手層の骨格」と呼べるものが形成された。
こうした「打てて守備もできる野手の連続的な獲得」は、かつてエラーだらけのザル守備で有名で、打撃にしか取り柄のない大雑把なチームを大きく変貌させた。
ただ、このチームにアダム・ジョーンズがいるといないとでは、全く意味が違ってくる。もちろん、2011年夏に思い切って上原を放出して、クリス・デービスを獲得したことも大きいとしても、それよりなにより、シアトルが育てきれなかったアダム・ジョーンズを獲得したトレードは、ボルチモアの「未来」を一変させる重要な出来事だった。エリック・ベダードのトレードがボルチモアの一方的な勝ちであることは、いうまでもない。
最低限の主力をキープしたタンパベイ
タンパベイも必ずしもドラフトが上手いとはいえない。
だが、それでも、2006年のロンゴリア、2007年のプライスの獲得があまりに存在として大きいために、それだけで十分な成果だったとさえいえる。
特に、投手におけるドラフト豊作年だった2006年に、クレイトン・カーショーやティム・リンスカムでなく、あえて野手のロンゴリアに白羽の矢を立てたのは慧眼だった。
1位指名選手をトレードの駒にするデトロイト
ドラフトで獲得した生え抜き選手を育て上げるのが上手いボストンのようなチームと違って、デトロイトでは、2004年のバーランダー、2007年のポーセロを除いて、ドラフト1位指名選手を惜しげもなくトレード要員にする手法によって、「選手層の太い骨格」を形成してきた。
ミゲル・カブレラはじめ、マックス・シャーザー、ダグ・フィスター、オースティン・ジャクソンのような選手はすべてドラフト1位指名選手を放出して成立させたトレードによる獲得だ。特に、ミゲル・カブレラ獲得は、ドラフト豊作年である2005年、2006年のドラフト1位指名選手を思い切って同時に放出することで実現させた。
ドラフトで「他チームにとって魅力的な選手」を1位指名していなければ、こうしたトレード戦略はとれないわけで、デトロイトはある種のドラフト巧者だといえる。
かつての「生え抜きのカーティス・グランダーソン放出」という事件も、当時いろいろ議論があったわけだが、長い歳月を隔てて眺めてみると、長い目でみてデトロイトが「生え抜きにそれほどこだわらない体質のチーム」なのだとわかると、それはそれで自然な成り行きだったのかもしれないと思えてくる。
2004 フィル・ヒューズ
2005 ブレット・ガードナー
2006 チェンバレン、ロバートソン
2007 オースティン・ロマイン
2008 デビッド・アダムス、デビッド・フェルプス
2009 J.R.マーフィー、アダム・ウォーレン
2010 プレストン・クレイボーン
そう。キーワードは、「ドラフト」だ。
全員が全員、ヤンキースがドラフトで獲得してきた生え抜き選手たちばかりなのだ。この中に「トレードのおまけ」とかでヤンキースに来た選手はひとりもいない。
つまりは、だ。
ヤンキースは、いまさらながら、「自前の若い選手」を前面に押し立ててみようとしているらしいのだ。(そういう意味では、2013年のポストシーズン進出をヤンキースはかなり早い段階から本気で考えてはいなかった、といえる)
最初にハッキリ言っておく。
「植物を種とか苗から育てあげた経験がない人間」には、たぶんわからないだろうが、「もともと育ちの悪かった植物」に、突然、大量の肥料を与えるなんてことをすれば、最悪の結果を招くだけだ。育ちが改善されたりはしないし、まして立派な作物が実ったりはしない。枯れるだけだ。
こうした「実験の秋」を過ごしているヤンキースに、「いまさらながら」と、わざわざ皮肉めいた前置きをあえて付け加えさせてもらったのには、もちろん、ハッキリした理由がある。(そもそもハッキリ把握してないものを書こうとは思わない)
それは、最初に名前を並べた生え抜き選手たちのなかに、「ドラフト1巡目の、それも、上位30位以内での指名」というような、「まさにドラフト1位指名選手。まさに金の卵」といえる選手は、せいぜいフィル・ヒューズくらいしかいないからだ。
つまり、いくらヤンキースが慌てて「若手という畑」を必死にたがやすことにしたからって、その「畑」とやらの実態は、実は、将来性がまったく見当がつかないような「ドラフト下位指名選手ばかりでできた畑」なのだ。
育ちの悪い畑にヒョロヒョロ生えている植物の芽の群れが果たして、素材として良質なのか、将来の伸びしろは本当にあるのか。それを見極めもしないで、「全部の芽が育てよ」とばかりに、突如として「出場機会という肥料」を大量に与え続けたとしても、全部の芽が育つわけがない。
明らかにこれは、「猫の額ほどの家庭菜園をやり始めたばかりの素人」が「最初によくやる失敗」のひとつだ。
「今までほったらかしだった将来性のわからない畑を、いまさら掘り返し、肥料を撒きまくること」に、ヤンキースが「いまさら」必死になったりするから、ついつい、「いまさらながら」と揶揄したくなる。当然の話だ。
もっとハッキリ言わないとわからない人もいるだろうから、もっとハッキリ書いておこう。
この10年、ヤンキースは、いつかはジーターなどヴェテランたちの後継者として、若手を育てるプロセスに注力しておかなければならなかったはずだが、それをずっと怠ってきた。
そして、なお悪いことに、ヤンキースはこの10年というもの、ドラフト1位指名において将来のチームの骨格となる選手を、誰ひとり育てあげてこれなかった。
つまり、2013年秋になってヤンキースが、「いまさらながら」に、耕し、肥料を撒きはじめた「畑」の中身は、実は、過去10年の間、ずっと失敗ばかり続けてきたドラフトの結果、チーム内に溜まりに溜まってしまっている「賞味期限のあやしい、ドラフト下位指名の選手たち」を、一斉にゲームに出しっぱなしにして鍛え直そうとするような、そういう「ドタバタな若手育成の三文芝居」でしかないということだ。
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では、
そもそもこの10年でヤンキースがドラフト1位指名した、
「ヒューズ以外の選手たち」は、
いったいどこに行ってしまったのか?
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2012年に『父親とベースボール』のシリーズなどで書いてきたように、近年のMLBでは、アフリカ系アメリカ人が減少する一方で、ドミニカ、ベネズエラ出身選手が大幅に増加し、多国籍化が日増しに進み、優秀な選手の「供給源」も、非常に多様化してきた。今年などは新しいトレンドとして、セスペデス(OAK)、プイグ(LAD)、ホセ・フェルナンデス(MIA)などのキューバ出身選手が注目を集めた。
Damejima's HARDBALL:「父親とベースボール」 MLBの人種構成の変化
Damejima's HARDBALL:2012年4月5日、MLBのロスターの3.5人にひとりは、メインランド(アメリカ大陸の50州)以外の出身選手、というESPNの記事を読む。(出身国別ロスター数リスト付)
Damejima's HARDBALL:2012年6月4日、恒例の全米ドラフトは高校生が主役。
Damejima's HARDBALL:2012年6月11日、MLBにおけるアフリカ系アメリカ人プレーヤーの減少について書かれたテキサス大学ロースクールの記事を訳出してみた
だから、2000年代中期までのように、「ドラフト」、つまり、ドラフトという名の、「大学生中心のアメリカ人プレーヤーのマーケット」こそが、「MLBで最も優れた選手を獲得できる、最高にして最大の市場である」とは、必ずしも言い切れなくなりつつあるわけだ。
例えば、かつては、空前のドラフト豊作イヤーだった2005年ドラフトや(Jアップトン、ジマーマン、トゥロウィツキー、マッカチェン、ステロイダーのライアン・ブラウン、エルズベリーなど)、投手の素晴らしい当たり年だった2006年ドラフト(カーショー、シャーザー、リンスカム、モローなど)のように、すぐにチームのコア・プレーヤーになれるほどの才能を備えた選手が同じ年度に10人前後も集結するような「爆発的なドラフト豊作年」があった。
だが、2008年以降になると、そうした豊作年ほとんどない。たしかにポージー(2008)、トラウト(2009)、ハーパー(2010)と、それぞれの年の目玉選手はいる。だが、全体の豊作度としては「小粒」であり、2005年や2006年の豊作ぶりには比べようもない。
だから、ぶっちゃけ、いまのドラフトで「大当たり」を引くことができるのは、全体1位からせいぜい全体4位くらいまでの「優先くじ」を持っているチームか、よほど運のいいチームだけということになってしまっている可能性が高い。
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さて、2013シーズンのいま、ア・リーグ東地区をみると、チーム間にこれまで存在しなかった「選手層の厚みの格差」ができつつある。
その理由のひとつに、以下にみるような2000年代中期までのドラフトでの巧拙の影響がある。つまり、ア・リーグ東地区(それと参考までにデトロイトを加えた)では、ドラフトによる選手獲得の成否がまだチームの将来を左右していた「2000年代中期までのドラフトにおける巧拙」が、2010年代における選手層の「厚み」というか、選手層の骨格の「太さ」を左右した、ということだ。(言い換えると、ドラフトに最も優秀な選手が集まらなくなってきた2000年代終盤のドラフトでの巧拙は、ほとんど選手層の厚みに関係してない)
もう少し具体的にいうと、「2000年代中期までのドラフト」でうまく立ち回ったチームでは、ドラフト豊作年の2005年や2006年に、確実に「大当たり」を引いていることが多い。ここで獲得できた将来性豊かな才能ある選手たちは、「2000年代中期までに大当たりを引けたチームと、引けなかったチームとの間の、選手層格差」を産む「最初のきっかけ」となった。
また「2000年代中期までのドラフト」で成功したチームでは、たとえ豊作年でない年でも、下位指名選手から「当たり」を「発掘」することに成功していることが多い。
さらには、デトロイトのように、「ドラフト1位指名選手を、FA選手獲得のためのトレードの駒にする」という思い切った手法によって、他チームの有名プレーヤーを「釣り上げる」ことに成功し、選手層の骨格を太くすることに成功したチームもある。
こうして、「2000年代中期までのドラフトの巧拙」は、まだアメリカ国内の選手層が十分豊かだった2000年代が終わらないうちに、若くて分厚い選手層を十分に築き終え、次世代である「2010年代」に備えることができたチームと、そうでないチームの間に、「選手層格差」を産んだ。
それは必ずしも「地区優勝したチームは、翌年のドラフトで成功できっこない」ということを意味しない。例えば、ボストンは2004年にバンビーノの呪いを解いてワールドシリーズを制覇したが、それでも2005年ドラフトにおいてきちんと戦力補強に成功している。
では、チーム別にみていこう。
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この10年、ドラフトでの成功例がないヤンキース
リストを見ると一目瞭然だが、ヤンキースの2000年代のドラフト1位指名選手は、ほとんどリーグを代表するような選手に育っていない。ほとんどの年度で、メジャーにさえ上がれなかったり、契約そのものができなかったりしている。
例えば、実はヤンキースは豊作年の2005年にダグ・フィスターをドラフトで指名しているのだが、サインに至らなかった。また、今年ついにひさびさの地区優勝しそうなピッツバーグで中心投手になったゲリット・コールも、2008年に指名しているが、サインできなかった。2006年にドラフト1位指名してサインしたイアン・ケネディを放出してまでして獲得した選手たちが結局活躍しなかったことといい、この10年、ヤンキースのドラフト1位指名は成功したためしがない。
今年、かろうじて戦力になっているのは、ヒューズ(2003)、チェンバレン(2006)、ロマイン(2007)くらいだが、スタッツなどみなくても、彼らがリーグを代表するプレーヤーに育ちつつあるわけではないことは誰でもわかる。
前にも一度書いたが、ヤンキースは2006年に、それまで長い間保持してきて、ジーター、リベラ、ペティットなどの有望新人を数多く輩出してきたマイナーチーム、「Columbus Clippers」を手放してしまっている。こうした育成組織の軽視が、ヤンキースのドラフトが10年ほど成果を産んでいないことと無関係なはずがない。
Damejima's HARDBALL:2013年8月5日、「生え抜きの成長、黄金期、ステロイド、そして衰退」 正しいヤンキース30年史。
だからこそ、2013年秋にヤンキースが必死に出場機会を与えている若い選手たちは、こうしたヤンキースの「失敗続きのドラフト10年史」の、いわば「残り物」だというのだ。
ヤンキース関連のフロガーやニューヨークメディアは、よく若い選手への過剰な偏愛をクチにしたがる。それをヤンキース愛だとかいえば、聞こえはいい。
だが、「もともと育ちの悪い植物」に突然、大量の肥料を与えたりしても、畑はよくならないし、立派な作物は実らない。むしろ枯れてしまう。ヒョロヒョロとはえた芽の段階で肥料をやりすぎて枯らしてしまうのは、家庭菜園で非常によくある間違いだ。そんな田舎くさい、素人くさいことをやっていて、ヤンキースが強くなれたりはしない。
ダメな苗は見切る、間引く。強い苗だけを育てる。それが本気の農業というものであり、それが「プロ」だ。
2003年以降の
ヤンキースのドラフト1位指名選手リスト
2003 全体27位で3B指名。モノにならず
2004 全体23位でフィル・ヒューズ指名
全体37位でC指名、モノにならず
2005 全体17位でSS、全体29位でRHP指名
いずれもモノにならず
2006 全体21位でイアン・ケネディ指名。
後にピッツバーグへトレード。獲得選手は活躍せず
全体41位でジョバ・チェンバレン指名
2007 全体30位でRHPを指名。モノにならず
全体94位でオースティン・ロマイン指名
2008 全体28位でGerrit Cole指名。サインできず
(2011年にピッツバーグに入団、活躍)
全体44位でLHP指名、モノにならず
2009 全体29位でCF指名、モノにならず
2010 全体32位でRHP指名、2巡目全体82位SS指名。
いずれもマイナー
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選手層の太い骨格をドラフトで作ったボストン
ボストンがドラフト1位指名で成果があったのは、2000年代中期までだ。2000年代後期には、トレードではいろいろと成果があったにしても、ドラフトでは成功例がない。
今のボストンの強さを支えている「生え抜きの選手層の厚み」が形成されたのは、「2000年代中期までのドラフト」で獲得したペドロイア、バックホルツなど、「選手層の太い骨格」を形成している選手層が常に盤石なことからきている。
そのためボストンは、2012年シーズン終了後のように、チーム再編の必要性に直面したとしても、「選手層の基本骨格」を全くいじらなくても、トレードによる小手先の修正でチームを簡単に「再起動」できる。実際、2000年代終盤以降、このチームは、トレードによる主軸打者の入れ替えやクローザーの入れ替えのような部分修正で、チームを再起動してきた。
2003 全体17位でデビッド・マーフィー指名(後にエリック・ガニエとトレード)全体32位でマット・マートン指名(後に4チームのからむトレードでカブスへ)4巡目全体114位でジョナサン・パペルボン指名
2004 1位指名なし
(2巡目全体65位でダスティン・ペドロイア指名)
2005 全体23位でジャコビー・エルズベリー指名
全体42位でクレイ・バックホルツ指名
全体45位でジェド・ラウリー指名
2006 全体27位でOF指名。モノにならず
(2巡目全体71位でジャスティン・マスターソン指名。後にビクター・マルチネスとトレード。17巡目全体523位でジョシュ・レディック指名。後にアンドリュー・ベイリーなどとトレード)
2007 全体55位でLHP、全体62位でSSを指名。モノにならず (5巡目全体174位でミドルブルックス指名)
2008 全体30位でSS指名
2009 全体28位でCF指名
2010 全体20位で2B、全体36位でLF、全体39位でRHP指名
攻守に才能ある野手を得たボルチモア
2000年代、まだ弱かったボルチモアは、常にドラフトの上位指名権をもっていた。だが、2005年と2006年のドラフト豊作年、何の成果を得ていないことでわかるように、必ずしもドラフトの上手いチームだったとはいえない。
だがそれでも、この10年のうちにマーケイキス、ウィータース、マチャドと、攻守に優れた野手をドラフトで獲得できたことで、近年のこのチームにはじめて「選手層の骨格」と呼べるものが形成された。
こうした「打てて守備もできる野手の連続的な獲得」は、かつてエラーだらけのザル守備で有名で、打撃にしか取り柄のない大雑把なチームを大きく変貌させた。
ただ、このチームにアダム・ジョーンズがいるといないとでは、全く意味が違ってくる。もちろん、2011年夏に思い切って上原を放出して、クリス・デービスを獲得したことも大きいとしても、それよりなにより、シアトルが育てきれなかったアダム・ジョーンズを獲得したトレードは、ボルチモアの「未来」を一変させる重要な出来事だった。エリック・ベダードのトレードがボルチモアの一方的な勝ちであることは、いうまでもない。
2003 全体7位でニック・マーケイキス指名
2004 全体8位指名でRHP指名。モノにならず
2005 全体13位でC、全体48位でLHP指名 いずれもモノにならず (2巡目全体61位でノーラン・ライモールド指名)
2006 全体9位で3B、全体32位でRHP指名。いずれもモノにならず (3巡目全体85位でザック・ブリットン指名)
2007 全体5位でマット・ウィータース指名
2008 全体4位でブライアン・マットゥース指名
(同年2月トレードでアダム・ジョーンズ、クリス・ティルマンをSEAからトレードで獲得)
2009 全体5位でRHP指名
2010 全体3位でマニー・マチャド指名
最低限の主力をキープしたタンパベイ
タンパベイも必ずしもドラフトが上手いとはいえない。
だが、それでも、2006年のロンゴリア、2007年のプライスの獲得があまりに存在として大きいために、それだけで十分な成果だったとさえいえる。
特に、投手におけるドラフト豊作年だった2006年に、クレイトン・カーショーやティム・リンスカムでなく、あえて野手のロンゴリアに白羽の矢を立てたのは慧眼だった。
2003 全体1位でデルモン・ヤング指名
2004 全体4位でジェフ・ニーマン指名
2005 全体8位でRHP指名。モノにならず
2006 全体3位でエヴァン・ロンゴリア指名
2007 全体1位でデビッド・プライス指名
2008 全体1位でSS指名
2009 全体30位で2B指名
2010 全体17位でRF、全体31位でC、全体42位でRF指名
1位指名選手をトレードの駒にするデトロイト
ドラフトで獲得した生え抜き選手を育て上げるのが上手いボストンのようなチームと違って、デトロイトでは、2004年のバーランダー、2007年のポーセロを除いて、ドラフト1位指名選手を惜しげもなくトレード要員にする手法によって、「選手層の太い骨格」を形成してきた。
ミゲル・カブレラはじめ、マックス・シャーザー、ダグ・フィスター、オースティン・ジャクソンのような選手はすべてドラフト1位指名選手を放出して成立させたトレードによる獲得だ。特に、ミゲル・カブレラ獲得は、ドラフト豊作年である2005年、2006年のドラフト1位指名選手を思い切って同時に放出することで実現させた。
ドラフトで「他チームにとって魅力的な選手」を1位指名していなければ、こうしたトレード戦略はとれないわけで、デトロイトはある種のドラフト巧者だといえる。
かつての「生え抜きのカーティス・グランダーソン放出」という事件も、当時いろいろ議論があったわけだが、長い歳月を隔てて眺めてみると、長い目でみてデトロイトが「生え抜きにそれほどこだわらない体質のチーム」なのだとわかると、それはそれで自然な成り行きだったのかもしれないと思えてくる。
2003 全体1位でRHP指名 モノにならず
2004 全体2位でジャスティン・バーランダー指名
2005 全体10位でOF指名
(=ミゲル・カブレラ獲得の際のトレード要員)
2006 全体6位でLHP指名
(=ミゲル・カブレラ獲得の際のトレード要員)
2007 全体27位でリック・ポーセロ指名
全体60位でRHP指名
2008 全体21位でRHP指名
(5巡目全体163位でアレックス・アビラ指名)
2009 全体9位でRHPジェイコブ・ターナー指名
(同年12月、三角トレードでグランダーソンを放出し、マックス・シャーザー、オースティン・ジャクソンを獲得)
2010 全体44位で3B、全体48位でRHP指名(=ダグ・フィスター獲得のトレード要員)2巡目全体68位でドリュー・スマイリー指名