September 26, 2013
以下にwOBAのデータを挙げるように、平均的な野手編成は、いくら生き馬の目を抜くMLBとはいえど、いまだに基本的には「ファーストとサードに強打者を置いて中心に据え、外野手を肉付けし、最後に守備重視のキャッチャー、ショート、セカンド」というようなものだが、それにくらべて、1990年代末から2000年代にかけてのCORE4世代のヤンキース打線の構造は「非常に特殊」だった。
というのは、教科書的にいえば守備的なポジションとして扱われていて、打てなくてもおかしくないはずの「キャッチャー」と「ショート」に、2人も「打てるプレーヤー」が揃っていたからだ。
今のア・リーグで、これら2つのポジションにポサダやジーターレベルのバッターを揃えたチームは存在しない。せいぜいボストンとオークランドの数字が多少マシな程度だ。(だからこそ、この2チームの打線は「穴が少ない」ともいえる。逆にいえば、「穴がなく、繋がりのいい打線」を作ろうと思えば、「打てるキャッチャー、ショート、セカンド」が必要になるという意味にもなる)
まぁ、逆にいえば、ヤンキースをセンチメンタルに後ろ向きで語りたがるメディアやファンが、「キャッチャーだろうが、ショートだろうが、ヤンキースでは打てて当たり前だ」などと、いまだに「根拠のない勘違い発言」を繰り返す理由も、かつての「かつての、ショートやキャッチャーでさえ打てる、特殊なヤンキース打線」を、「常に実現できているのが当たり前」の現象だと勘違いするところから始まっている。
彼らは、かつてのヤンキース打線の特殊性やアドヴァンテージがなぜ生じていたのか、その理由をほとんど分析も理解しないまま、あれこれ語ってきたのである。
イヴァン・ロドリゲスはじめ、マウアー、マッキャン、ポージーのような、「バッティングとディフェンスの両方が優れた、長期にわたって活躍できるキャッチャー」なんてものは、リーグ単位でみても「10年にひとりかふたり」程度のペースでしか出現しない。
ニューヨーク・ポストのケン・ダビドフが主張するような「ラッセル・マーティンとの再契約」程度のせせこましい対策で、かつてのアドヴァンテージを完全に失ったヤンキース打線の没落が防げたわけがないし、ヤンキースの打線崩壊の主原因は、「キャッチャーの打撃成績が下がったこと」ではない。なのに、いまだにマーティンとの契約がどうこう言っているアホなライターやブロガーがいまだにたくさん存在することには、ほとほと呆れるばかりだ。
「ポジション別」に今のア・リーグ各チームの打線をみてみると、野手について、どのチームが、どういうタイプの野手を、どのポジションに揃えて他チームとの競争に勝とうとしているのかという編成戦略については、おおむね以下の2つの原則、「常識的な原則」と「常識を超えた原則」が働いていることがわかる。
例えば2013ア・リーグ東地区の勝率5割越えチーム(BOS、TB、NYY、BAL)のポジション別の打撃成績(例えばwOBA)をみると、全チーム共通で、キャッチャーとショートの数字が悪く、ファーストやサードの数字がいい。つまり、基本的に常識的な教科書どおりのチーム編成がとられているわけだ。
ただ、「キャッチャーとショートは守備負担の重いポジションだから、打てない」という教科書的な説明なんてものは、誰でもできるし、そういう「教科書的な常識」をきっちり守ってチームを編成したからといって、「打撃で他チームに差をつけるられるチーム」が出来上がるわけではない。
哲学者ジル・ドゥルーズなどのいう「差異」と、どの程度共通性があるのかはわからないが、プロの世界における「差異」とは、できて当たり前、やって当たり前の常識的なことを実行するのは当然で、むしろ「常識を超えたプレーヤー」「常識を超えた才能」が出現し、「常識を超えた布陣」が成立して、はじめて、選手と選手の間、チームとチームの間に、「明確な差異」が生じるようにできている。
これは、マーケティング上の「あらゆる市場価値が生まれる基本原則」と同じ原理だ。
DHは、「守備負担が無いから打てるポジションだ」と思われがちだ。しかし、実は、デビッド・オルティーズのいるボストンのような数少ない例外を除くと、DHの打撃成績がいいチームは想像よりはるかに少ない。
このことは、DHについては、「守備負担が軽いポジションでは打てる」「守備負担の重いポジションでは打てない」というような教科書的な原則が当てはまらないことを示している。
かつてヤンキース打線に「打てるキャッチャー、打てるショート」がいたことで、他チームに対する大きなアドヴァンテージが生まれたのと同じように、オルティーズのいるボストン打線は、「思ったよりたいしたことがないDHの打撃において、他チームに大差を築くことに成功」するによって、もともとあるボストンと他チームとの打撃格差を、さらに拡大することに成功している。
こうした見えにくい打撃格差をきちんとつかまえておくことには、今後大きな価値がある。
2013年に優れた打線の構築に成功したチームでは、ファースト(フィルダー、ナポリ、デービスなど)やサード(ミゲル・カブレラなど)のような「打てて当たり前と思われているポジション」に、「リーグを代表するスラッガーを配置する」という、ごく当たり前のチーム編成の基本がきちんと踏襲されている。(もちろんヤンキースはできていない)
だが、そうした「常識的な編成戦略」だけが全てか、というと、そうでもない。
たとえば、ファーストやサードが他チームの同ポジションの選手と同じ程度に打てても、他チームに「大差」などつけられないという可能性もあるからだ。
だが、かつてのヤンキース打線がそうだったように、「ファースト」や「サード」が人並み以上どころか爆発的に打てて、さらに、普通のチームなら打てなくてもおかしくない「キャッチャー」や「ショート」までもが、かなり打てるとなれば、話はまったく違ってくるのは当たり前だ。打撃面で他チームに大差がつかないわけがない。
これは、たとえとしていうと、280円の同じ価格の牛丼で、各チェーン間の売り上げに「差異」が生じる理由が、「価格」や「食事としてのおいしさ」といった「最優先に思える選択項目」にあるのではなくて、むしろ、「店員の対応の良さや礼儀」「店や制服の清潔感」「味噌汁がついている」「生姜がタダ」「食器が使いやすい」というような「二次的な選択」と思われている項目のどこかに、実はマーケティング上の「本当の差異」が隠れていることにかなり似ている。
「人並み外れて打てて、守れるキャッチャー」、「人並み以上に打てて、守れるショート」は、野球界全体で探しても数は限られる。それだけに、その両方をスタメンに置くことができていた、かつてのCORE4時代のヤンキースの「優位性」は、いまさらもういちど再現しようとしても、無理がある。よほどの運の良さでもない限り、そういう状態はもう再現できないと思ったほうが、よほど現実的だ。
(そう考えると、いまの日本のプロ野球の巨人は、打てるキャッチャーと打てるショートがいるわけだから、かつてのヤンキースが持っていたのと同じ「特殊なアドヴァンテージ」を保った状態ではある)
さて、具体的にポジション別wOBAをみてみる。
数値の高さによって、3グループに分かれる。
1B、3B、DH
外野手
C、SS、2B
2013シーズンにポストシーズン進出を果たしそうなチームと、ヤンキースの選手編成とでは、どこに違いがあるだろう。
どんなチームでも、これら3つのポジション(特にファーストとサード)に、最低でも「ひとりの強打者」、有力チームの多くでは「2人の強打者」を確保した上で、レギュラーシーズンを戦った。
ボストンなら、オルティーズとナポリ。デトロイトなら、ミゲル・カブレラとフィルダー。ボルチモアなら、マニー・マチャドとクリス・デービス。他にロンゴリア。トロントですら、2人そろえている。
だが、かたやヤンキースは『ゼロ』だ。
DHについてだが、「守備負担がないのだから、打てて当たり前」という教科書的な考えを抱きがちだが、実は、wOBAでみるかぎり、リーグ全体でみても「優秀なDH」は非常に限られた数しかいない。このことは、数字からハッキリしている。
だからDHを、「守備負担がないこと」にとらわれて「打てて当然のポジションだ」と思い込むのは、そもそも出発点からして間違っている。
かつてのエドガー・マルチネスのような優秀なDHが払底している今のア・リーグでは、「打てる打線をつくるための基本」は、あくまでファーストとサードであり、DHは必ずしも含まれない。DHだからクリンアップを打つべき、DHだから上位打線に置くべきという考え方は、現実の野球に即していない。
2013ヤンキースは、こうした「打線づくりの基本原則」をまるで踏襲しなかった。グラフを見てのとおりだ。
「打線低迷は、Aロッドとマーク・テシェイラを怪我で欠いたせいだ」などと平凡に説明する人がほとんどだが、では、もし仮に、彼らが怪我を経験せず、体調万全でシーズンを過ごしていたとしたら、この2人はミゲル・カブレラ並みに打てていただろうか? ヤンキースは他の有力チームに打撃で遅れをとらずに済んでいたか? 悪いけれど、ブログ主はそんな楽観論など、まったく信じる気にならない。
たとえAロッドとテシェイラの体調が完璧だったとしても、2人の打撃はマニー・マチャドにすら到底及ばず、2013ヤンキースは「ファーストとサードにおける大きな打撃格差」を抱えたまま、他チームに打撃面で大きく遅れをとっただろう。
というのは、ア・リーグで唯一の「外野手依存チーム」であるエンゼルスのように、「MLBでは外野にスラッガーが2人くらいいるのが常識が」だのなんだのと、データも見ないで自分勝手に信じ込んでこんでいる人が少なくないからだ。
だが、現実には、外野にスラッガーの並んでいるチームなど、ほとんどない。
いまやア・リーグにおける外野手というポジションには、ファーストやサードを守っているスラッガーのようなタイプはほとんどいないというのが、データの示す「現実」だ。
おそらく、このブログで何度となくジョシュ・ハミルトンとカーティス・グランダーソンの打撃面の衰えについて書いてきたように、スカウティングの発達は、どんな球種、どんなコースを狙っているかを推定されやすい「外野手のスラッガーのワンパターンなホームラン狙い」が長期にわたって成功し続けられる安易な時代を、とっくに終わらせてしまった、と思われる。
ジョシュ・ハミルトン、カーティス・グランダーソンは(あるいはニック・スイッシャーもそうなるかもしれない)、その典型なのだ。
今の外野手に基本的に求められるのは「走攻守のトータル・バランス」であって、「ホームラン量産」などではない。
守って、走って、打つ。そういうバランスのとれたプレーが今の外野手の基本であり、「多少は打てるが、守備の下手な外野手」には、ファーストなどへコンバート以外は、短い選手生活しか待っていない。その程度の外野手なら、「かわりになる給料の安い若手」がいくらでもいるからだ。
逆にいえば、走攻守に優れたヤシエル・プイグの活躍で明らかになったように、今の外野手には、ブレット・ガードナーやフランクリン・グティエレスのような「キャッチングのいい外野手」はいても、プイグやイチローのような「走攻守のバランスがとれているだけでなく、強肩でもある外野手」は非常に数が限られている。
だが、逆にいえば、これらのポジションが、チームの打線を編成する上での「常識を超えた原則」だといえるのは、「打てなくてもしょうがないと思われているポジション」だからこそ、もし「人並み外れて打てるキャッチャーや、ショートや、セカンド」が手に入ったらたら、他チームには同じポジションに「打てない守備だけの選手」しかいないのだから、大きな差をつけることができるからだ。
かつて「キャッチャーとショートに打てる選手がいたヤンキースが、他チームの打撃に大差をつけ続けることができた理由のひとつも、ここにある。
ポサダの引退とジーターの故障と不調が、ヤンキースの打撃面のアドヴァンテージを奪い、打撃成績に多大な悪影響を及ぼすことを、当のヤンキース自身がほとんど理解していなかったことは、GMブライアン・キャッシュマンがファーストとサードにロクな選手を連れてこなかったことと並んで、はかりしれない長期的な損失をヤンキースにもたらした。
2013シーズンのヤンキースのキャッチャーとショートが、「守備負担が重いために、打てない」などという「ごく平凡なポジション」に戻ってしまうこと、そして、それを短期間でリカバリーすることは難しいことは、最初からわかりきっていた。
だから、ヤンキースは、かつてのヤンキースがもっていたキャッチャーとショートで保持してきた「他チームでは、ありえないようなアドヴァンテージ」を補完できるような「何かもっと別の対策」をあらかじめ用意しておくべきだったわけだが、実際には何も用意できていなかった。
もちろん、本来の対策は、チームが奇跡的に地区首位だったシーズン序盤に、きちんとサードやファーストに予備のスラッガーを獲得しておくことでなければならなかったはずだが、ヤンキースは若いユーティリティ・プレーヤーを重用してみるような「その場かぎりの、場当たり的対応」だけを繰り返しつつ2013シーズン後半を迎えてしまい、ポストシーズン進出のチャンスを自ら潰す結果を招いた。
こうして書き並べてみて、ヤンキースというチームが、かつての自分たちが、どういう意味で、どこのポジションにアドヴァンテージを持っていたか、ほとんど理解していなかったことは、ほとんど明白だ。
第一に、2013ヤンキースは、打線を編成する上での「常識的な原則」をまったく踏襲しなかった。つまり、Aロッドとテシェイラの怪我で欠けたサードとファーストに、必要なレベルでの補強をきちんと行うのを怠って、場当たり的な補強ばかりやった。かといって、マグレで活路を見出せるかもしれないDHをみつけてくるようなチャレンジもやろうとしなかった。
第二に、2013ヤンキースは、打線を編成する上での「常識を超えた原則」を持とうとしなかった。
ヤンキースは、ポサダ引退とジーターの故障で、かつて他チームに対して持ち続けてきた「打てなくてもおかしくないポジションでの優れた打撃」というアドヴァンテージを完全に喪失するのはわかりきっていたが、にもかかわらず、ヤンキースは他チームとの間に「常識を超えた差異」を築くことのできるプレーヤーを優遇しなかった。イチローの奇妙な起用ぶりでわかるように、チーム体質の改善にマトモに取り組もうとしなかったし、十分可能性のあったポストシーズン進出も、わけのわからない突然の若手起用でみずから潰す結果を招いた。
Damejima's HARDBALL:2013年9月9日、イチローのバッティングを常に「冷やし」続けてきたジョー・ジラルディの不合理な起用ぶりを、この際だから図に起こしてみた。
ここまで書いたことでわかるように、今シーズンの打線強化のための補強ポイントが「内野手」であるべきだったことなど、いまさら言うまでもない。これほど明確な話もない。
なのに、ヤンキースは的はずれに外野手ばかり補強して、選手をダブつかせ、かわるがわる起用してはバッティングを「冷やし」続け、また一方では、本来もっと補強すべきだった内野手について場当たり的な対症療法ばかり繰り返して、意味のわからないユーティリティプレーヤーを使ったりしたことは、今シーズンのヤンキースのチーム編成上の大失態だ。説明するまでもない。
シーズン終盤に、かつて打てるショートだったジーターのポジションを、どこにでもいる打てない守備専門プレーヤーにくれてやるような応急措置で、曲がり角を曲がりつつあるヤンキースの深部の何かが変わるわけではない。その理由は、この文章を読めばわかるはずだ。
というのは、教科書的にいえば守備的なポジションとして扱われていて、打てなくてもおかしくないはずの「キャッチャー」と「ショート」に、2人も「打てるプレーヤー」が揃っていたからだ。
今のア・リーグで、これら2つのポジションにポサダやジーターレベルのバッターを揃えたチームは存在しない。せいぜいボストンとオークランドの数字が多少マシな程度だ。(だからこそ、この2チームの打線は「穴が少ない」ともいえる。逆にいえば、「穴がなく、繋がりのいい打線」を作ろうと思えば、「打てるキャッチャー、ショート、セカンド」が必要になるという意味にもなる)
まぁ、逆にいえば、ヤンキースをセンチメンタルに後ろ向きで語りたがるメディアやファンが、「キャッチャーだろうが、ショートだろうが、ヤンキースでは打てて当たり前だ」などと、いまだに「根拠のない勘違い発言」を繰り返す理由も、かつての「かつての、ショートやキャッチャーでさえ打てる、特殊なヤンキース打線」を、「常に実現できているのが当たり前」の現象だと勘違いするところから始まっている。
彼らは、かつてのヤンキース打線の特殊性やアドヴァンテージがなぜ生じていたのか、その理由をほとんど分析も理解しないまま、あれこれ語ってきたのである。
イヴァン・ロドリゲスはじめ、マウアー、マッキャン、ポージーのような、「バッティングとディフェンスの両方が優れた、長期にわたって活躍できるキャッチャー」なんてものは、リーグ単位でみても「10年にひとりかふたり」程度のペースでしか出現しない。
ニューヨーク・ポストのケン・ダビドフが主張するような「ラッセル・マーティンとの再契約」程度のせせこましい対策で、かつてのアドヴァンテージを完全に失ったヤンキース打線の没落が防げたわけがないし、ヤンキースの打線崩壊の主原因は、「キャッチャーの打撃成績が下がったこと」ではない。なのに、いまだにマーティンとの契約がどうこう言っているアホなライターやブロガーがいまだにたくさん存在することには、ほとほと呆れるばかりだ。
「ポジション別」に今のア・リーグ各チームの打線をみてみると、野手について、どのチームが、どういうタイプの野手を、どのポジションに揃えて他チームとの競争に勝とうとしているのかという編成戦略については、おおむね以下の2つの原則、「常識的な原則」と「常識を超えた原則」が働いていることがわかる。
常識的な原則
打てて当たり前のポジションには、打てる主軸打者を置くことで、他チームに「後れをとらない」ようにする。
常識を超えた原則
打てなくても当たり前のポジションで打てる選手を発掘して、他チームの打撃に「差」をつける。打線の穴をより少なくする効果もある。
例えば2013ア・リーグ東地区の勝率5割越えチーム(BOS、TB、NYY、BAL)のポジション別の打撃成績(例えばwOBA)をみると、全チーム共通で、キャッチャーとショートの数字が悪く、ファーストやサードの数字がいい。つまり、基本的に常識的な教科書どおりのチーム編成がとられているわけだ。
ただ、「キャッチャーとショートは守備負担の重いポジションだから、打てない」という教科書的な説明なんてものは、誰でもできるし、そういう「教科書的な常識」をきっちり守ってチームを編成したからといって、「打撃で他チームに差をつけるられるチーム」が出来上がるわけではない。
哲学者ジル・ドゥルーズなどのいう「差異」と、どの程度共通性があるのかはわからないが、プロの世界における「差異」とは、できて当たり前、やって当たり前の常識的なことを実行するのは当然で、むしろ「常識を超えたプレーヤー」「常識を超えた才能」が出現し、「常識を超えた布陣」が成立して、はじめて、選手と選手の間、チームとチームの間に、「明確な差異」が生じるようにできている。
これは、マーケティング上の「あらゆる市場価値が生まれる基本原則」と同じ原理だ。
DHは、「守備負担が無いから打てるポジションだ」と思われがちだ。しかし、実は、デビッド・オルティーズのいるボストンのような数少ない例外を除くと、DHの打撃成績がいいチームは想像よりはるかに少ない。
このことは、DHについては、「守備負担が軽いポジションでは打てる」「守備負担の重いポジションでは打てない」というような教科書的な原則が当てはまらないことを示している。
かつてヤンキース打線に「打てるキャッチャー、打てるショート」がいたことで、他チームに対する大きなアドヴァンテージが生まれたのと同じように、オルティーズのいるボストン打線は、「思ったよりたいしたことがないDHの打撃において、他チームに大差を築くことに成功」するによって、もともとあるボストンと他チームとの打撃格差を、さらに拡大することに成功している。
こうした見えにくい打撃格差をきちんとつかまえておくことには、今後大きな価値がある。
2013年に優れた打線の構築に成功したチームでは、ファースト(フィルダー、ナポリ、デービスなど)やサード(ミゲル・カブレラなど)のような「打てて当たり前と思われているポジション」に、「リーグを代表するスラッガーを配置する」という、ごく当たり前のチーム編成の基本がきちんと踏襲されている。(もちろんヤンキースはできていない)
だが、そうした「常識的な編成戦略」だけが全てか、というと、そうでもない。
たとえば、ファーストやサードが他チームの同ポジションの選手と同じ程度に打てても、他チームに「大差」などつけられないという可能性もあるからだ。
だが、かつてのヤンキース打線がそうだったように、「ファースト」や「サード」が人並み以上どころか爆発的に打てて、さらに、普通のチームなら打てなくてもおかしくない「キャッチャー」や「ショート」までもが、かなり打てるとなれば、話はまったく違ってくるのは当たり前だ。打撃面で他チームに大差がつかないわけがない。
これは、たとえとしていうと、280円の同じ価格の牛丼で、各チェーン間の売り上げに「差異」が生じる理由が、「価格」や「食事としてのおいしさ」といった「最優先に思える選択項目」にあるのではなくて、むしろ、「店員の対応の良さや礼儀」「店や制服の清潔感」「味噌汁がついている」「生姜がタダ」「食器が使いやすい」というような「二次的な選択」と思われている項目のどこかに、実はマーケティング上の「本当の差異」が隠れていることにかなり似ている。
「人並み外れて打てて、守れるキャッチャー」、「人並み以上に打てて、守れるショート」は、野球界全体で探しても数は限られる。それだけに、その両方をスタメンに置くことができていた、かつてのCORE4時代のヤンキースの「優位性」は、いまさらもういちど再現しようとしても、無理がある。よほどの運の良さでもない限り、そういう状態はもう再現できないと思ったほうが、よほど現実的だ。
(そう考えると、いまの日本のプロ野球の巨人は、打てるキャッチャーと打てるショートがいるわけだから、かつてのヤンキースが持っていたのと同じ「特殊なアドヴァンテージ」を保った状態ではある)
さて、具体的にポジション別wOBAをみてみる。
数値の高さによって、3グループに分かれる。
1)ファースト、サード、DH
2)外野手
3)キャッチャー、ショート、セカンド
1B、3B、DH
外野手
C、SS、2B
2013シーズンにポストシーズン進出を果たしそうなチームと、ヤンキースの選手編成とでは、どこに違いがあるだろう。
ファースト、サード、DH上で書いた「チーム編成上の常識的な原則」がここだ。
どんなチームでも、これら3つのポジション(特にファーストとサード)に、最低でも「ひとりの強打者」、有力チームの多くでは「2人の強打者」を確保した上で、レギュラーシーズンを戦った。
ボストンなら、オルティーズとナポリ。デトロイトなら、ミゲル・カブレラとフィルダー。ボルチモアなら、マニー・マチャドとクリス・デービス。他にロンゴリア。トロントですら、2人そろえている。
だが、かたやヤンキースは『ゼロ』だ。
DHについてだが、「守備負担がないのだから、打てて当たり前」という教科書的な考えを抱きがちだが、実は、wOBAでみるかぎり、リーグ全体でみても「優秀なDH」は非常に限られた数しかいない。このことは、数字からハッキリしている。
だからDHを、「守備負担がないこと」にとらわれて「打てて当然のポジションだ」と思い込むのは、そもそも出発点からして間違っている。
かつてのエドガー・マルチネスのような優秀なDHが払底している今のア・リーグでは、「打てる打線をつくるための基本」は、あくまでファーストとサードであり、DHは必ずしも含まれない。DHだからクリンアップを打つべき、DHだから上位打線に置くべきという考え方は、現実の野球に即していない。
2013ヤンキースは、こうした「打線づくりの基本原則」をまるで踏襲しなかった。グラフを見てのとおりだ。
「打線低迷は、Aロッドとマーク・テシェイラを怪我で欠いたせいだ」などと平凡に説明する人がほとんどだが、では、もし仮に、彼らが怪我を経験せず、体調万全でシーズンを過ごしていたとしたら、この2人はミゲル・カブレラ並みに打てていただろうか? ヤンキースは他の有力チームに打撃で遅れをとらずに済んでいたか? 悪いけれど、ブログ主はそんな楽観論など、まったく信じる気にならない。
たとえAロッドとテシェイラの体調が完璧だったとしても、2人の打撃はマニー・マチャドにすら到底及ばず、2013ヤンキースは「ファーストとサードにおける大きな打撃格差」を抱えたまま、他チームに打撃面で大きく遅れをとっただろう。
外野手「ア・リーグにおける外野手の役割」について誤解している人が、いまだに呆れるほど多い。ほとんどの人がそうだといってもいいかもしれないくらいだ。
というのは、ア・リーグで唯一の「外野手依存チーム」であるエンゼルスのように、「MLBでは外野にスラッガーが2人くらいいるのが常識が」だのなんだのと、データも見ないで自分勝手に信じ込んでこんでいる人が少なくないからだ。
だが、現実には、外野にスラッガーの並んでいるチームなど、ほとんどない。
いまやア・リーグにおける外野手というポジションには、ファーストやサードを守っているスラッガーのようなタイプはほとんどいないというのが、データの示す「現実」だ。
おそらく、このブログで何度となくジョシュ・ハミルトンとカーティス・グランダーソンの打撃面の衰えについて書いてきたように、スカウティングの発達は、どんな球種、どんなコースを狙っているかを推定されやすい「外野手のスラッガーのワンパターンなホームラン狙い」が長期にわたって成功し続けられる安易な時代を、とっくに終わらせてしまった、と思われる。
ジョシュ・ハミルトン、カーティス・グランダーソンは(あるいはニック・スイッシャーもそうなるかもしれない)、その典型なのだ。
今の外野手に基本的に求められるのは「走攻守のトータル・バランス」であって、「ホームラン量産」などではない。
守って、走って、打つ。そういうバランスのとれたプレーが今の外野手の基本であり、「多少は打てるが、守備の下手な外野手」には、ファーストなどへコンバート以外は、短い選手生活しか待っていない。その程度の外野手なら、「かわりになる給料の安い若手」がいくらでもいるからだ。
逆にいえば、走攻守に優れたヤシエル・プイグの活躍で明らかになったように、今の外野手には、ブレット・ガードナーやフランクリン・グティエレスのような「キャッチングのいい外野手」はいても、プイグやイチローのような「走攻守のバランスがとれているだけでなく、強肩でもある外野手」は非常に数が限られている。
キャッチャー、ショート、セカンドいまのア・リーグで「セカンドとショートに、打って守れる選手が2人揃っているチーム」は、ほとんどない。せいぜいクリーブランドがそういえるくらいで、あとはボストン程度だ。
だが、逆にいえば、これらのポジションが、チームの打線を編成する上での「常識を超えた原則」だといえるのは、「打てなくてもしょうがないと思われているポジション」だからこそ、もし「人並み外れて打てるキャッチャーや、ショートや、セカンド」が手に入ったらたら、他チームには同じポジションに「打てない守備だけの選手」しかいないのだから、大きな差をつけることができるからだ。
かつて「キャッチャーとショートに打てる選手がいたヤンキースが、他チームの打撃に大差をつけ続けることができた理由のひとつも、ここにある。
ポサダの引退とジーターの故障と不調が、ヤンキースの打撃面のアドヴァンテージを奪い、打撃成績に多大な悪影響を及ぼすことを、当のヤンキース自身がほとんど理解していなかったことは、GMブライアン・キャッシュマンがファーストとサードにロクな選手を連れてこなかったことと並んで、はかりしれない長期的な損失をヤンキースにもたらした。
2013シーズンのヤンキースのキャッチャーとショートが、「守備負担が重いために、打てない」などという「ごく平凡なポジション」に戻ってしまうこと、そして、それを短期間でリカバリーすることは難しいことは、最初からわかりきっていた。
だから、ヤンキースは、かつてのヤンキースがもっていたキャッチャーとショートで保持してきた「他チームでは、ありえないようなアドヴァンテージ」を補完できるような「何かもっと別の対策」をあらかじめ用意しておくべきだったわけだが、実際には何も用意できていなかった。
もちろん、本来の対策は、チームが奇跡的に地区首位だったシーズン序盤に、きちんとサードやファーストに予備のスラッガーを獲得しておくことでなければならなかったはずだが、ヤンキースは若いユーティリティ・プレーヤーを重用してみるような「その場かぎりの、場当たり的対応」だけを繰り返しつつ2013シーズン後半を迎えてしまい、ポストシーズン進出のチャンスを自ら潰す結果を招いた。
こうして書き並べてみて、ヤンキースというチームが、かつての自分たちが、どういう意味で、どこのポジションにアドヴァンテージを持っていたか、ほとんど理解していなかったことは、ほとんど明白だ。
第一に、2013ヤンキースは、打線を編成する上での「常識的な原則」をまったく踏襲しなかった。つまり、Aロッドとテシェイラの怪我で欠けたサードとファーストに、必要なレベルでの補強をきちんと行うのを怠って、場当たり的な補強ばかりやった。かといって、マグレで活路を見出せるかもしれないDHをみつけてくるようなチャレンジもやろうとしなかった。
第二に、2013ヤンキースは、打線を編成する上での「常識を超えた原則」を持とうとしなかった。
ヤンキースは、ポサダ引退とジーターの故障で、かつて他チームに対して持ち続けてきた「打てなくてもおかしくないポジションでの優れた打撃」というアドヴァンテージを完全に喪失するのはわかりきっていたが、にもかかわらず、ヤンキースは他チームとの間に「常識を超えた差異」を築くことのできるプレーヤーを優遇しなかった。イチローの奇妙な起用ぶりでわかるように、チーム体質の改善にマトモに取り組もうとしなかったし、十分可能性のあったポストシーズン進出も、わけのわからない突然の若手起用でみずから潰す結果を招いた。
Damejima's HARDBALL:2013年9月9日、イチローのバッティングを常に「冷やし」続けてきたジョー・ジラルディの不合理な起用ぶりを、この際だから図に起こしてみた。
ここまで書いたことでわかるように、今シーズンの打線強化のための補強ポイントが「内野手」であるべきだったことなど、いまさら言うまでもない。これほど明確な話もない。
なのに、ヤンキースは的はずれに外野手ばかり補強して、選手をダブつかせ、かわるがわる起用してはバッティングを「冷やし」続け、また一方では、本来もっと補強すべきだった内野手について場当たり的な対症療法ばかり繰り返して、意味のわからないユーティリティプレーヤーを使ったりしたことは、今シーズンのヤンキースのチーム編成上の大失態だ。説明するまでもない。
シーズン終盤に、かつて打てるショートだったジーターのポジションを、どこにでもいる打てない守備専門プレーヤーにくれてやるような応急措置で、曲がり角を曲がりつつあるヤンキースの深部の何かが変わるわけではない。その理由は、この文章を読めばわかるはずだ。