February 09, 2014
(キャプション)ボードの裏側にクロスする形で書かれた "Dog Town" という文字が見える。1967年に閉園したサンタモニカのPacific Ocean Parkを、ローカルの人たちは "Dog Town" と呼び、Z-Boysのメンバーたちの遊び場のひとつだった。
-------------------------------------------
実をいうと、この写真、いつも見ているのである(笑)
たぶん見ない週はないと思う。
そして、見るたびに毎回毎回
「カッコいい・・・・!!」と、
脳がため息をつく。何度見ても、色褪せたことがない。
しかも何度見ても、見るたびに、スケートボードのタイヤがプールの壁を駆け上がっていくときのベアリングの軋む音すら「聞こえる」のである。
写真を見ることは、趣味のひとつといっていいくらい好きだ。だが、見るたびに毎回カッコいいと思える写真なんて、多くない。古いボールパークの写真もよく見ているが、だからといって、カッコいいという感情だけで見ているわけではない。資料として見ている部分もある。
ところがこの写真は、見るたびに、ただひたすらカッコいいとしか思えないで眺めているのである。
-------------------------------------------
被写体は、Shogo Kubo(=久保祥吾さん)という方だ。
1975年にカリフォルニアでできた伝説のスケートボードチーム、Z-Boysのオリジナルメンバーで、スケートボード・レジェンドのひとりだ。
Z-Boys - Wikipedia, the free encyclopedia
Z-Boysのメンバーには「それぞれのロゴマーク」があり、これはShogo Kuboさんを表すロゴ
Z-Boysがどういう存在だったかについては、門外漢が言うウロ覚えの間違った話を聞くより、ネットでカッコいい写真を漁ってもらうなり、Z-BoysのメンバーStacy Peraltaが作った映画 "Lords of Dogtown" でも見てもらうなりして調べてもらったほうがいい。
ひとつだけ言えることは、スケートボーダーやサーファー、スノーボーダーをはじめとする「横乗り系スポーツのライダー」に、「翼」を与え、空中を飛べるきっかけのひとつを作ったのが、Z-Boysだということだ。
(もっと具体的にいうなら、彼らが空いている家庭用のプールの滑らかなフェイスを利用してスケーティングするテクニックを開拓したことで、横乗りスポーツのスピード感やトリックの可能性が急激に拡大された。それまでのスケートボーディングはスローに行うフィギュアスケートのようなものだった)
-------------------------------------------
ただ、あらかじめ断っておきたい。
Z-Boysのスケーティングのスピード感は、「写真」から想像するのと、「動画」で見るのとで、まったく違う。というのは、当時のスケートボーダーの実際の速度は、「写真から想像するイメージ」よりも、「ずっと遅い」からだ。
しかし、写真で切り取ったスピードが動画よりはるかにスピーディーに見えるという事実こそが、むしろZ-Boysのスケーティングの「クリエイティビティ」を如実に表現してくれているといえる。
なぜなら、Z-Boysが表現したのは可能性という意味の「刹那」だからだ。
-------------------------------------------
仮に速度というものに、「静止画的スピード」と「動画的スピード」があるとする。
「動画的スピード」というものは、テクノロジーの発達によって、ほかっておいてもどんどん「速く」なっていく。例えば、自動車の最高速度というものは、テクノロジーの発達によって年々早くなっていく。
では、速度の向上によって、よりクルマが静止画で見ても速く見えるようにはなっていくかというと、そうはならない。
むしろ、今のクルマは、昔のクルマより物理的な速度では速く走れるが、それと静止画で見ると、速くなったように見えないどころか、まるで止まっているかのように見えることすらある。
瞬間瞬間でみると、かえって最高速度が今よりずっと遅かった時代の流線型のクルマが全力疾走する姿のほうが、速く見える。
「静止画的スピード」が、「動画的スピード」(別の言い方をするなら「物理的な速度」)を凌駕し、はるかに「速く見える」ことは、人間の歴史において往々にしてあるのである。
-------------------------------------------
なぜ、「静止画的スピード」が、「動画的スピード」を凌駕することがあるのか。Z-Boysの例でちょっと考えてみた。
Z-Boysを撮った写真に写っているのは、「スピード」だけでない。
単なるスポーツ写真を越えた、「彼らの日常のライフスタイルの『自由さ』」、「彼らに聞こえているはずの『音』」、「彼らが仲間に向ける『スマイル』」がそこにはあって、静止画だというのに見る者の文字通り五感にありありと訴えてくる。(例えば以下に挙げたリンク先の写真。どれもこれも素晴らしい)
THE UNLOCKING OF AMERICA’S CEMENT PLAYGROUND | DOGTOWN & Z-BOYS | Bar Hopper Challenge.com
つまり、Z-Boysのスケーターたちを撮った静止画には、彼らが表現しようとしている「刹那」が写っているのだ。そして、その「刹那」には、ものすごく多彩な「未来で花開く可能性」が詰め込まれている。それが見る人にハッキリ伝わってくる。(実際、当時の彼らがプールでのスケーティングで産みだした技術のほとんどは、現在のスケートボード、サーフィン、スノーボードをはじめとする「横乗り系スポーツ」に継承されて、さらなる発展が続けられている)
つまり、手作りコンピューターをガレージで発売した若き時代のスティーブ・ジョブズに見えていた「ビジョン」が未来の可能性に溢れていたのと同じように、当時のZ-Boysに見えていた「ビジョン」には「未来で花開く多彩な可能性」がひそんでいた、ということだ。
そうした「ビジョン」が、人間の目に「静止画のスピード感」として映るのではないか。
(こうした「ビジョン」は、必ずしも「動画的スピード」では判別できない。例えば、ジョブズの発売した初期のパソコンは「経済性という視点だけからしかみない人」には、幼稚すぎるガラクタにしかみえなかった)
Z-Boysのみせてくれた「新しいビジョン」は、「人間に翼を与える行為」だったといっていいと思う。
-------------------------------------------
これらは、ソチ五輪でスノーボード・ハーフパイプに出場し、有力なメダル候補になっている若き天才平野歩夢君の写真だ。
引用しておいて言うのもなんだが、残念なことに、ここに挙げた2枚の写真も含めて、ネットに流通している写真のほとんど全部が、彼の「スケール感」、彼の「スピード感」をまるで表現しきれていない。平野君のプレーを一度でも見たことがある人は理解できると思うが、彼の「キレ」はこんなもんじゃない。
最初に引用したShogo Kuboの写真と見比べてみてもらいたい。明らかに40年前のShogo Kuboの写真のほうが、はるかに「スピード感」に溢れている。
なぜこんなことが起きるのだろう。
可能性はいくつかある。
1)平野君の「現在」にはまだ、この記事で説明してきた「静止画的スピードによってしか表現できない、未来ビジョン」が欠けている。
2)フォトグラファー側に、平野君の凄さを静止画で表現しきるために必要な、新しい技術、新しいテクノロジーがまったく備わっていない。
3)スノーボードがうまくないフォトグラファーが撮っている
4)平野君は、とうとう出現した「動画的スピード感でしか表現できないアスリート」である。
選択肢の1番が「わざと挙げたもの」であることは、もうおわかりだろう。ブログ主としては、2番から4番を、「平野君を撮った写真にロクなのがない理由」として挙げておきたい。
ならば、かつてZ-Boysを撮った人が、なぜあんな素晴らしい写真を撮れたのか。それについては自分なりに把握している。
それは、撮影者が、普段からZ-BoysでShogo Kuboと一緒に遊んでいる誰かであり、一緒に遊び、同じ時代を生きていた仲間が撮ったから撮れたのだと思う。
仲間は、例えばShogoがプールのどこで、どういうトリックを見せ、どこで最もカッコいいと感じるかを、同時に感じとることができる。そうした「ビジョンの共有」が存在しなければ、「決定的な刹那」にシャッターを切ることなんてできない。
少なくとも、今まで平野君を撮ってきた人たちはまだ、「平野君が感じているビジョン」をきちんと共有できていないと思う。
それにしても、ハーフパイプの中継は、ディレクターもダメなら、カメラマンもダメときてる。選手がトリックを決めた瞬間が撮れないのは日常茶飯事、フレームアウトするのもザラ。馬鹿かといいたい。Xゲームのスタッフを連れてこいっつうの。
— damejima (@damejima) 2014, 2月 11