February 13, 2014

ソチ五輪で素晴らしいメダリストが何人も誕生しているが、月並みな賛辞を言ってもしょうがない。記念に記事でも書いて贈っておこう。


英国のダーウィニストが「世代間の文化伝達」を以下の「3パターン」に分類している。
Vertical   (垂直:親子間の伝達)
Oblique   (斜め:親子ではない異なる世代間の伝達)
Horizontal (水平:同世代間の伝達)

父親とベースボール』というシリーズ記事の根底にあった意識のひとつは、「野球」という文化が人から人へ伝達されるにおいて、『親から子へ』 という特徴的な伝達パターンがみられる、ということだった。


とりわけ20世紀初期における『野球』という文化は、日米問わず「親から子へ垂直に継承され続けてきた」という面があり、そうした「バーティカルな世代間の文化伝達」は、この100年ほどの間、野球文化の発展の基礎になってきた。

上で紹介した3つの分類に沿っていうなら、マンガ『巨人の星』で星一徹が星飛雄馬に行った文化伝達は、パターン1の「バーティカルな文化伝達」、つまり、「親子間の垂直的な文化伝達」ということになる。
日本の阪神ファンなどもまさに典型だが、「親が熱心な野球ファン」だと、その「子供」はかなりの確率で「熱心な野球ファン」になって、野球という文化が継承・伝達されてきたのである。


だからドキュメント作家ケン・バーンズが、彼の有名なドキュメンタリー作品 "BASEBALL" の制作にあたって、ベースボール史を「家族の文化」として描く視点を持ったことは非常に的確な判断だったといえる。
Damejima's HARDBALL | 2012年6月29日、『父親とベースボール』 (1)星一徹とケン・バーンズに学ぶ 『ベースボールにおける父親の重み』。


星一徹の息子に対する文化伝達手法は、あまりにも強引すぎて、伝達というより「強制」ではある(笑)
だが、ちょっと考えてみると、職人仕事であれ、古典芸能であれ、伝統の継承において「親が子に、親方が弟子に、技能習得を頭ごなしに強いることがある」のはむしろごく普通にある話であって、それはなにも、日本だけに限ったことではないし、野球だけどころか、あらゆるスポーツにみられる。
例えば、ソチ五輪でハーフパイプで銀メダリストになった平野歩夢君にしても、父親はスケートボードパークを経営するほどスポーツ熱心な方で、そういう家庭に生まれ育ち、父親の影響を強く受けて始まっている彼の人生は、文化伝達のパターンだけから見るなら、「典型的な星飛雄馬型」なのである。
たとえホリゾンタルな同世代意識が強い「横乗りスポーツ」だからといっても、本当のエキスパートは、「ホリゾンタルな同世代間の文化伝達」、平たくいえば、「仲間うちの遊び」から、自然発生的に生まれてくるわけではないのだ。

「バーティカルな文化の強制は、非民主的で保守的だからよくない。ホリゾンタルな文化伝達こそ、民主的で自由で素晴らしい」などと、硬直したことを言いたがる人がよくいる。
しかし、もともとなんの色ももたない場所に、何の根拠もなくヒューマニズムだのイデオロギーだのをもちこんで、これは善、これは悪と、むりやり善悪で色を塗り分けて「マップ化」しようとする行為は、文化を自分の考えを正しく見せかけるために利用しているだけに過ぎない。


さて、『父親とベースボール』を書いていて気がついたことのひとつは、『家族』という「システム」がいつの時代でも同じではなかったこと、「近代の家族システム」は「近代以降にできた、過去に例を見ない特殊な制度」であり、そして、『家族』という制度は近代の成立と発展において、ある種の『文化伝達装置』として重要な役割を果たしてきたということだ。

ブログ注:
Greece Architecture「古代ギリシアにだって、アリストテレスのいう「オイコス」のような「家庭」があったように、『家庭』なんてどんな時代にもあっただろ」と、議論を吹っ掛けたくなる人もいるだろう。
だが、ここではまだ詳しく書かないが、その議論はまるで的外れだ。
なぜなら、古代ギリシアに限らず、近代以外における「家族」というものは「共同性の維持」を前提にして成立している。他方、「近代における家庭」は、内部に風呂から台所まで、あらゆる「装備」が内蔵され、共同体から独立して存在する特殊な閉鎖空間、いわば「家族だけのシェルター」なのであって、コミュニティーの共同性維持を、実はまったく前提にしていない。この点において、「近代における家庭」は、それまでの時代のものとは全く違う、特別な存在なのだ。


ところが近年、この近代を支えてきた家族システムに「ほころび」が生じてきている。「近代における家族」というシステムが十分な機能を果たさなくなってきているのである。

例えば、かつて『父親とベースボール』で書いたように、データでみる「アフリカ系アメリカ人におけるシングルマザー率」は非常に高い。
資料:2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。 | Damejima's HARDBALL

こうしたアフリカ系アメリカ人家庭における「父親不在」は、おそらくアフリカ系アメリカ人コミュニティが瓦解に向かう要因のひとつであり、また、ベースボールという文化が親から子へバーティカルに伝達されるのを阻害する要因にもなっていると、ブログ主はますます思うようになってきている。

アフリカ系アメリカ人とMLBのつながりが希薄になりつつあることについて、シングルマザー家庭の経済力の弱さや野球用具の価格の高さといった経済的な理由から説明を試みる人たちもいる。
記事:2012年6月11日、MLBにおけるアフリカ系アメリカ人プレーヤーの減少について書かれたテキサス大学ロースクールの記事を訳出してみた | Damejima's HARDBALL
だが、かつて寺山修司が、日本が貧しかった時代にキャッチボールが人と人の心を結びつける接着剤になった、という意味のことを言ったように、「生活の困窮」だけでは必ずしも「野球をやらない理由」や「野球を遠ざける理由」を説明できない。

ブログ主としては今のところ、「文化伝達装置としての家族が機能不全を起こしていること」が、アフリカ系アメリカ人におけるベースボール文化の継承を最も妨げている要因であるように思えてならないのである。


例えば、「テレビ」や「視聴率」にしても、それは「家庭という単位にそれぞれテレビがあること」、「テレビから家庭に向けて情報が発信されること」、「家族がテレビを見ながらメシを食うとかして、共通の話題をもち、親子が文化を共有し、文化を相互伝達しあうこと」などを前提に成立してきた。
つまり、根本をただせば「マスメディア、マスプロダクトを含む20世紀初頭に成立したマス社会そのものが、『家族という生活単位』が社会全体にまんべんなく分布・成立していて、なおかつ、家庭が安定的に機能し続けていることを前提にしていた」のである。
だから、家族という固まりが個人に細分化されていくこの時代にあって、「テレビ」だの「視聴率」だのという制度が昔のような機能を果たせなくなっているのは当然の話であり、いまさら巨人戦の視聴率を議論する時代でないのは、野球ファンの立場からいっても、当然なのだ。


そこに歴史的な必然性があるにせよ、ないにせよ、近代社会の構成単位として機能してきた「家族という構成単位」が、まるで手紙や書類をシュレッダーにかけるかのように、「個人という単位」というものに細分化されていくと、当然ながら、文化伝達のスタイルに非常に大きな影響が出る。
例えば、近代を特徴づけていた「バーティカルな親子間の文化伝達」がやや廃れていき、同時に「ホリゾンタルな同世代間の文化伝達」がよりパワーをもつようになっていく可能性は、たぶん高い。(ホリゾンタルな繋がりから成り立っているTwitterやFacebookなどのコミュニケーションツールは、まさにホリゾンタルな文化伝達の典型だ)


だが、そうだとしても、
文化というものは、世代間伝達される手法が、タテだろうと、ナナメだろうと、ヨコだろうと、そんなことよりも「伝承され続けること」そのものによって、より強くなるという面が確実にある。これを忘れてほしくない。(気を付けてほしい。伝達ではない。「伝承」だ)


1970年代のスケートボード・レジェンドのひとりShogo Kuboと平野歩夢について書いたばかりだが、両者の間に40年の歳月と世代の隔たりはあるにしても、トリックの底に流れるモチベーションにまったく差はない。
Damejima's HARDBALL | 2014年2月8日、Z-BoysのShogo Kuboからハーフパイプの平野歩夢まで、日本人横乗りライダーの40年。「写真」が追いつけないほどの平野君の「ビジョン」。
日本のノルディック複合にしても、20年前も前に悔しさを味わった荻原兄弟のような人たちが、発展を諦めることなく、Oblique(斜め)の文化伝達、つまり「親子ではない異世代間の文化伝達」に献身し続けてきてくれたことによって、日本のノルディック複合の「強い遺伝子」が途切れることなく「継承」された。

だから結局のところ、
文化を強める決め手とは、タテ・ヨコ・ナナメとかという「伝達方向」ではなくて、「積み重ねられた伝承回数」なのではないか、などと思うのである。



蛇足として、野球における文化伝達に影響を与えているアメリカの地域社会の変質について、もう少し注釈を加えておきたい。

ベースボールはアメリカ東海岸で生まれ、スケートボードのような横乗りスポーツは西海岸で発展した。確かに2つのスポーツの印象は違う。
それは「文化伝達のスタイルが、バーティカル(親子間)か、ホリゾンタル(同世代間)か」という違いからくるのではなく、むしろ、「アメリカのどこで生まれたか?」という「地域差」のほうがはるかに大きいはずだ。

例えば、ドジャースには、かつてニューヨークにあった時代にジャッキー・ロビンソンをMLBに受け入れ、そして、1958年に西海岸に移転してからも、徒手空拳でMLBにトライした野茂英雄を快く受け入れてくれた「おおらかさ」があった。そのドジャースの鷹揚な文化と、イチローを自分たちの成金文化にあくまで従わせようと必死になるヤンキースを比べれば、両者の「文化の差」は歴然としている。
こうしたヤンキースの文化的な狭量さは、ベースボール全体が抱える問題ではなく、単にヤンキース独自の問題にすぎない。ベースボールのすべてが「バーティカル」で「成金」なわけではないのである。


かつてアメリカ東海岸は、大量の移民を受け入れながら、おおらかでエネルギッシュだった時代を過ごしてきた。移民たちの膨大なエネルギーは20世紀初頭のアメリカの産業発展の基礎を担って、アメリカを大国に押し上げると同時に、MLBの発展についても多大な貢献を果たした。
ブルックリン・ドジャースやニューヨーク・ジャイアンツは、そういう時代のニューヨークで生まれ育ったチームだ。
記事:2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史) | Damejima's HARDBALL

だが、サイモン&ガーファンクルが "America" という曲の歌詞で "All gone to look for America" と歌ったように、東海岸に暮らす大量の移民層は、当初こそ移民ばかりが暮らす都心のゲットー(=注:ナチスドイツ占領下のヨーロッパの「ユダヤ人ゲットー」のことではないので注意)やダウンタウンで不安定な生活に耐えつつ、近所にある「地元のボールパーク」での野球観戦などを楽しみにして暮らしていた人も多かった。
だが、やがて収入が安定し、徐々に離陸を果たして中流層になっていくと、数十万人という規模で「都心を去って郊外に移り住む人」が激増し、野球の聖地ブルックリンでさえエベッツ・フィールドに空席が目立つようになる。(ニュージャージー・ターンパイクなど、ニューヨーク周辺のフリーウェイの渋滞激化も、そうした「都心の白人たちの郊外移住と、郊外から都心に通う人々の増加」を示している)
2013年5月4日、「1958年の西海岸」 特別な年、特別な場所。アメリカにおける「放浪」の消滅(3) サイモン&ガーファンクルの "America"の解読〜ニュージャージー・ターンパイクの渋滞の中で気づく「若者を必要としないアメリカ」 | Damejima's HARDBALL

こうした移民の質的変貌とニューヨークの変質ぶりは、例えばニューヨーク市立大学シティカレッジの輩出する人材の変化にもよく表れている。
20世紀初期、この大学は授業料が無料だったために、ヨーロッパでの迫害を命からがら逃れて来た貧しいユダヤ系移民(=下記の記事で指摘しておいた「第4波のユダヤ系移民」)が大挙して集まった。
資料:ユダヤ系移民史/2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史) | Damejima's HARDBALL

ニューヨーク市立大学シティカレッジが送り出す人材の届け先は、当初はThe New York Intellectuals(=「ニューヨーク知識人」)と呼ばれるリベラルなグループだったが、やがて新・保守主義(=ネオ・コンサーバティズム、いわゆる「ネオコン」)に変わり、その翼は大きく旋回した。
彼らの指向の変化を、知的彷徨だのなんだのと褒めちぎりつつイデオロギーの上から追いかけまわすと、わけがわからなくなって道に迷うだけだが、旋回の根底にあるエネルギー源が「移民層の社会的地位の向上」であることに気付くと、話は一挙にわかりやすくなる。
簡単にいえば、「経済的離陸を果たした移民層が、社会的な地位の向上によって、考え方を大きく変えた」のである。
(残念なことに、人は社会の底辺にいれば「社会を壊せ」などといい、浮上すればこんどは「社会を守れ」などといいだす。まことにやっかいな生き物なのだ。猪瀬直樹なども、ジャーナリストだった時期と、東京都知事である時期とで、別人のようなふるまいをしていたに違いない)

こうしてアメリカ東海岸が、移民時代に培った「おおらかさ」を失い、よくある保守的な土地のひとつとしての性格を帯びていくと、東海岸の住民であるジャック・ケルアックが1940年代に古きよきアメリカを探して東海岸を抜け出し、西海岸に向かって北米横断の放浪をしたように、移民時代以前にあった昔のアメリカのおおらかな空気は、こと東海岸では、図書館の書物の中にしか存在しなくなっていく。(実は、ケルアックが放浪旅を決行したときには、アメリカ国内における「放浪という文化」はほとんど根絶やしにされつつあった
Damejima's HARDBALL | カテゴリー : 『1958年の西海岸』 アメリカにおける放浪の消滅

Damejima's HARDBALL | 2013年5月4日、「1958年の西海岸」 特別な年、特別な場所。アメリカにおける「放浪」の消滅(3) サイモン&ガーファンクルの "America"の解読〜ニュージャージー・ターンパイクの渋滞の中で気づく「若者を必要としないアメリカ」

ブルックリン・ドジャースとニューヨーク・ジャイアンツが新興チームであるヤンキースに押し出されるように西海岸に転出することになった背景には、こうした「20世紀以降のアメリカ社会の質的変化」が隠れているのである。

自由の女神は今もたしかにニューヨークにあり、そしてヤンキースはあいかわらずあたかも自分こそがニューヨークとMLBの盟主であるかのようにふるまいたがっている。
だが、だからといってニューヨークという街が、いつまでも永遠に本来の意味のアメリカらしさを失わず「アメリカらしい自由の象徴」であり続けているわけではない。

「90年代からすでに(ニューヨークの)保守化は進んでいるよ。ジュリアーニが市長になってからはずっとそう。今のNYは昔よりもずっと安全なぶん、ずっと退屈。ただの金持ちのための街になってしまった。」
----ジェームズ・チャンス(ミュージシャン)



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