February 09, 2015

MLBサイトの老舗Hardball Timesに、この100年間の「1試合あたりの得点、ホームラン、ヒット、四球、三振の数」の変化について書かれた記事がある。
The Strikeout Ascendant (and What Should Be Done About It) – The Hardball Times
記事の主旨を簡単にいうと、この100年で最も変わったのは「三振数の激増」であって、100年前は「1試合あたり2三振」くらいだったのが、いまや「8三振」と「約4倍」にもなってるから、何か手を打たねば、という話だ。
MLB100年史における三振数の激増


なかなか興味深い。

だが、「MLBの得点力低下をもたらした四球・長打の過大評価」原論にむけてという立場で参考になるのは、三振の激増よりむしろ「1試合あたり四球数が、この100年間というもの、ほとんど変わっていないこと」のほうだ。

かつて2011年ア・リーグについて、こんな記事を書いたことがある。
2011年9月3日、チームというマクロ的視点から見たとき、「出塁率」を決定している唯一のファクターは「打率」であり、四球率は無関係、という仮説。 | Damejima's HARDBALL

記事の主旨を簡単に書くと、こんなことになる。
「2011年ア・リーグ単年でみると、チーム四球数は、チーム総得点の多い少ないに関係なく、あらゆるチームに一定割合で発生している。
四球数は、チーム間の打撃格差や、チームそれぞれの打撃のタイプの違い、パークファクター等にほとんど左右されない。そのチームが稼ぎ出す「総四球数」というものは、それが得点の非常に多い強豪チームであれ、得点の非常に少ない貧打チームであれ、ほとんど変わらない。
したがって、チームという視点で見るとき、「出塁率の高低を決定するファクターのほぼすべて」 は、「打率であって、四球は関係ない。また、「四球数」は、チーム総得点数の増減に影響するファクターではない


今回はあらたにHardball Timesのまとめた「100年間のデータ」を見たわけだが、ここでも同じように
この100年の野球史において、1試合あたり四球数はほとんど変化していない
ことがわかった。

このことによって、かつてこのブログで「2011年ア・リーグ単年」に限定して書いたことは、どうやら「100年間のMLB史全体」についても拡張できそうだ。つまり、次のようなことがいえる可能性がより高まった、ということだ。

野球のルールが現在のような形に固まって以来100年間、さまざまなルール、さまざまな才能、さまざまな投打のスタイル、さまざまな分析手法が登場してきた。だが、「1試合あたりの四球数」は、どんな時代であれ、ほとんど変わってはいない。

したがって「四球」は、100年の野球史においてずっと、出塁率を左右するファクターではまったくなかったし、また、チーム総得点数を左右するファクターでもない。


さて、この100年で野球が最も大きく変わった点が「三振数の激増だ」という話だが、このことでわかってくることも、少なからずある。
例えば、100年前と今とで打者の置かれたシチュエーションの違い、100年前に4割打者がゴロゴロいた理由、投手の奪三振記録の重さの違い、試合時間が長時間化している理由など、いろいろなことに一定の説明がつけられるからだ。


野球のルールが現代的に固まる前の、19世紀中頃のルールでは、打者は「ハイボール」「ローボール」と、投手に投げるコースをおおまかながら指定できたし、四球も4ボールでなく、8ボールとか7ボールとかで歩くルールだった。
というのも、チェスで先手側が最初の一手を指さないといつまでたってもゲームが始まらないのと同じで、初期の野球は「打者がまずボールをフィールドに打つことが、ありとあらゆるプレーに先立つ大前提だった」からだ。三振も四球も、もともとこのゲーム本来の目的ではない。

だから、100年前にルールが固まった直後の野球のスタイルは、プレーも観戦も、たぶん今とは相当に違うものだ。


100年前の打者と、今の打者
100年前のバッターはほとんど三振しない。
これは、「そのバッターが非常に優れている」ということがあるにしても、それよりも「野球初期には、興行側も観客側も、『まず、何はさておきバッターがフィールドに打って、その後に何が起こるかを観戦する』、それが当たり前と考えていて、三振という現象が起こること自体にそれほど重きが置かれていなかった」と考えるほうが正しい気がする。

いずれにしても、100年前のバッターたちが、三振する心配もあまりなく、コーチやアナリストから出塁率向上をクドクド言われ続けることもなく、「早打ちするな」だのと余計な制約をつけられることもなく、バッターの手元で曲がる絶妙な変化球もなく、苦手球種をスカウティングされるも心配なく、安心してバットを振り続けられたのだから、今ではありえない4割打者がゴロゴロいたのも、ある意味当然だ。
思えば、三振が当たり前になった現代にイチローはよく3割7分も打てたものだ。やはり100年にひとりの逸材だ。

100年前の観客の見たもの
100年前は、今のようにボールの見極めにそれほど必死になる必要がない時代だっただろうから、試合経過も非常にスピーディーかつダイナミックだったはずだ。
早いカウントで好球必打。まずはガツンと打って、走って、守る。シンプルで素晴らしい。観客はそういうスカッとしたゲームを見て、スッキリ帰れたのではないか。なんともうらやましい限りだ。


「1試合あたり300球時代」の始まった1990年代後半と、
三振数激増の関係

「両チームあわせた投球数」について、1990年代後半に「1試合あたり300球」を越えるような時代がやってきて、アンパイアの疲労が急増したことを、2014年10月に記事にした。
記事:2014年10月21日、1ゲームあたり投球数が両チーム合計300球に達するSelective野球時代であっても、「球数」は単なる「負担」ではなく、「ゲーム支配力」、「精度」であり、「面白さ」ですらある。 | Damejima's HARDBALL
Hardball Timesの記事のデータをみると、この「1試合あたり300球時代」の始まった「1990年代後半」は、同時に「三振数の急増」が起きている時期と重なっていることがよくわかる。これには、非常に納得がいく。

というのは、奪三振という行為は、同時に「球数を多く投げる」という意味でもあるからだ。
やたらと球を投げなければならない今の野球では、当然ながら先発投手の投げられるイニング数はどんどん短くなる。リリーフの責任も重くなる一方だし、投手の寿命にも影響する。
そして、投球数が多くなれば、当然ながら「試合時間」も長くなる。三振の多い野球は、試合時間も長いからだ。

1990年代後半以降の「投球数の急増」
The average number of pitches thrown per game is rising ≫ Baseball-Reference Blog ≫ Blog Archive1980年代末以降の投球数の増加 via Baseball Reference


蛇足だが、この100年でMLBの三振数が激増し続けたことを考えると、「奪三振記録の重み」にしても、「より古い時代の奪三振記録のほうが、はるかに重い」とか、「奪三振が難しかった時代の記録のほうが価値がある」いうことになるかもしれない。

例えば、1910年代より、一時的に三振数の減少している1930年代〜1940年代のほうが奪三振は難しいとしたら、同じ「2500奪三振」でも、クリスティー・マシューソンの2502奪三振より、ボブ・フェラーの2581奪三振のほうが価値が高いのかもしれない。あとは例えば、数字をきちんと補正したらひょっとするとノーラン・ライアンの5714奪三振より、100完封3508奪三振のウォルター・ジョンソンの数字のほうがずっと価値が高い、なんてことが言えるようになるかもしれない。

511勝の歴代最多勝記録をもつサイ・ヤングは、三振という面でいうと、1900年以降に奪三振王になったシーズンはわずか1回しかない。彼は自責点でも被安打でも最多記録保持者でもあることもある。
20世紀初頭の奪三振王といえば、ルーブ・ワッデル、クリスティー・マシューソン、ウォルター・ジョンソン、ピート・アレクサンダー、レフティ・グローブ、ダジー・ヴァンスなどだが、20世紀初めのMLBが「打者がほとんど三振してくれない時代」だったことを考慮するなら、「サイ・ヤング賞」は今年から「ウォルター・ジョンソン賞」と名称を変更すべきだろう(笑)




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