April 19, 2015
2012年10月の『マトリクス・スライド』から、もう「2年半」。
早いものだ。
2012年10月9日、2012オクトーバー・ブック 『マトリクス・スライド』。ついに揃った 『イチロー 三種の神器』。 | Damejima's HARDBALL
あれはイチローがヤンキースに移籍してラウル・イバニェスとの久々のコンビでア・リーグ東の地区優勝をもぎとった後の、ポストシーズンでの出来事だった。
忘れもしない。2012年10月9日、NYY対BALのALDS Game 2。ボルチモアのキャッチャーはマット・ウィータース。彼はイチローに2度タッチしようとして、2度とも失敗した。
そして、2015年。
まさかのマトリクス・スライド 2が劇場公開になった(笑)
http://m.mlb.com/video/v76672583/mianym-ichiro-out-call-overturned-at-home-in-7th/?partnerId=as_mlb_20150417_43965786&adbid=588883217798664194&adbpl=tw&adbpr=18479513
こんどのキャッチャーは、2013年にNYMでメジャーデビューしたばかりの若いトラビス・ダーノー。
マット・ウィータースのときもそうだったように、イチローは2度のタッチを、2度ともかいくぐって得点した。MLBのTwitterの公式サイトは The Slide と、ウィリー・メイズのThe catchになぞらえてネーミングし、Cut4は映画マトリクスになぞらえて動画にコメントしている。
プレート・アンパイアはEric Cooperだ。
彼はこの「イチローの2度のタッチ回避」について、「1度目のタッチ回避のみ」を見て、しかも「アウト」と「誤判定」した。
彼が「イチローの2度目のチャレンジ」自体をまったく考慮していないことは、以下の画像で明らかだ。イチローがまだ「2度目のチャレンジ」をしていないタイミングで、球審Cooperは既に「左手を突き出して」いる。これは「ホームプレートでのタッチアウト」をドラマチックにコールをするときの球審特有の動作だ。

Eric Cooperは去年ワールドシリーズのアンパイアにも選ばれて、近年では評価の高いアンパイアのひとりではあるわけだが、こと、この判定については明らかに「早とちり」だった。
論理的に考えればわかることだが、もしキャッチャーのトラビス・ダーノーが「最初のタッチでイチローをアウトにできた」と確信するほどの手ごたえがあったとしたら、あれほど必死になって「二度目のタッチ」にいくわけがない。(実際、試合後にダーノー自身が「一度目のタッチには失敗した」と潔くコメントしている)
まぁ、イチローがらみのプレーでは「普段だったらありえない、マンガの中でしか起こらないようなことが、実際に起きる」のだから、しかたないけれども(笑)
参考記事:カテゴリー:2012イチロー・ミラクル・セプテンバー全記録 1/2ページ目 │ Damejima's HARDBALL
それにしても、このプレーはいろいろと勉強になった。
よくアクション映画では、「車をぶっとばしているヒーローが、間一髪で踏切をわたって、列車との衝突を避ける」なんていうような、「ギリギリでかわすシーン」があるわけだが、ああいう「ギリギリでの行為に成功するためのファクター」について考えたことは今までなかった。
イチローの『マトリクス・スライド2』でわかった「プロと呼ばれる人間であるために必要な判断能力」は、以下のとおりだ。
まず『マトリクス・スライド2』において「イチローがセーフになった理由」を考えてみるとすぐわかることだが、「足が速いこと」は、このプレーの成功にとってはそれほど重要なファクターではない。
「時間をかけて判断することによって正しい判断ができる人」なんてものは、世の中にいくらでもいる。例えば、遠くに横から出てきた車が見えたために、衝突を避けるために余裕をもってスピードを落とすことなら、誰にでもできる。
だが、『マトリクス・スライド2』においては、本塁突入するかどうかを「ゆっくりと決断」していたのでは、たとえ足の速いイチローでも確実にアウトになってしまう。
つまり、『マトリクス・スライド2』からわかることは、
はるかに価値は高いのは、判断の「正しさ」よりも、人よりも何十倍、何百倍も早く正しい判断ができる「スピード」なのだ。
(例えば、ビジネス上の判断でも、「それみたことか、俺の思った通りになっただろ」と「後から」言うことなど、誰でもできる。だが、いくら判断が正しくても、「スピードを伴った正しい判断」でないなら、そこに価値は存在しない。価値があるのは、判断の「正しさ」ではないのだ)
大事なのは、「よし! イケる!」、「いや、イケない」という「感覚」だ。
こういうとき、よく野生児の感性などという言葉を使いたがる人がいるけれども、この「イケるという感覚」は実に「論理的なものさし」であって、感性などという曖昧なものではない。
次に、なぜイチローは「正しい判断を素早く下せる」のか、について。
彼が「足が速い」のが理由なのか。
そうではない。
彼の本塁突入は、まさに「100分の1秒以下の刹那の世界」で決まる。もちろん足が速いにこしたことはない。
だが、いくら足が速いランナーであっても、「アウトになるタイミングなら本塁突入してはいけない」のであり、他方で、「いくら足が遅いランナーであろうと、セーフになるタイミングなら、絶対に本塁突入を敢行すべき」だ。
つまり、「本塁突入を実行するか、しないかの判断」にとって重要なのは
それは、「自分の現在の能力から判断して、自分がいま実行しようとしているプレーは、アウトになるのか、セーフになるのかが、瞬時にわかる能力」のことであって、「足の速さ」そのものではないのだ。
例えば、足の遅いランナーが走塁を自重してしまうことが多いのは、「足が遅い」ことが根本理由ではない。
太っている人に限って自分の体脂肪率を把握していないことが多いのと同じで、「足の遅い人は往々にして自分のスピードを把握していない」。そのため自分の能力というものが理解できていない足の遅い人ほど走塁について積極的になれない、ただそれだけなのだ。(逆にいえば、野球において、どんな足の遅いランナーであっても盗塁が可能なのは、このへんに理由がある)
では、イチローはなぜ「100分の1秒以下の世界でギリギリに成否が決まるきわどいプレーを、正確に判断できる」のだろうか。
「足の遅い人」というのは往々にして「自分に出せるスピードをまるで把握していない」ものだ。だから、「物事を判断する単位」として、10秒とか、1分とか、「非常に大雑把なものさし(=スケール)」でしか判断していない。
例えば、「車を運転していて、遠くに横から出てきそうな他の車が見えた」、とする。もし自分の出しているスピードの把握が「大雑把」ならば、「ギリギリすり抜ける」なんて神業は絶対に実現できない。むしろめちゃくちゃ余裕をもって自分の車を停止させるほかない。そしてその停止タイミングが早すぎるか、遅すぎるかは、本人すらわからない。
(「ノロノロ走る自信のないドライバー」ほど、むしろ事故を起こしやすいという逆転現象があるのは、このへんに理由がある)
アクション映画でよくある「ギリギリすり抜ける」という行為が可能になるのは、判断スピードの速さとパーフェクトな速度把握をもとに、その人がもつ特有の時間感覚の「単位」が、びっくりするほど「細かく」研ぎ澄まされているからだ。そうでなければ、100分の1秒以下の世界で成功か失敗かが決まる案件を瞬時に判断することなどできない。
アマチュアの日曜大工に必要な道具の種類がせいぜい十種類ちょっとで足りるのに対して、プロの職人が100や200を軽く超える道具をもつとか、プロのハスラーのキューが非常に繊細にできている、などというようなことがあるのは、彼らのような「プロ」は「自分の仕事に対する要求度」が「素人には想像がつかないほど非常に細かくできている」からだ。
「自惚れ(うぬぼれ)」というものは、どんな人にもある。自分が「正しさ」や「才能」をもっていると自覚している人には、(特に年齢が若ければ)自惚れも自然と強くなる。
だが、「正しさ」や「才能」には、実は自分で思っているほどの価値はない。(また、かつて記事にしたように、「若さ」なんてものにも、もうかつてのほどの価値はない。 参考記事:カテゴリー:『1958年の西海岸』 アメリカにおける放浪の消滅 │ Damejima's HARDBALL)
スピードの欠けた正しさ、自己把握の足りない自惚れだけの才能、大雑把すぎる時間感覚で、「伸びる前に折れてしまう芽」は多い。
なぜ自分が芽が出ず埋もれたままなのか。それを不満に思ったりする前に、自分の判断スピードの「遅さ」、自己把握の「いい加減さ」、時間感覚の「大雑把さ」を、あらためて初心にかえって修正を試みるべきだ。
イチローが41歳にしてMLBにいられて、マトリクス・スライド2のようなスーパープレーができるのは、足が速いからではない。
「いま自分は何ができるのか、それをイチローは
誰よりも早く、誰よりも正確に、誰よりも細かく
把握している」からだ。
彼の判断能力の「標高」は、人が想像しているより、はるかに高い。
アンパイアより、メディアより、ファンより、
イチローのほうがはるかに「イチローの能力」を把握している。
当然のことだ。
早いものだ。
2012年10月9日、2012オクトーバー・ブック 『マトリクス・スライド』。ついに揃った 『イチロー 三種の神器』。 | Damejima's HARDBALL
あれはイチローがヤンキースに移籍してラウル・イバニェスとの久々のコンビでア・リーグ東の地区優勝をもぎとった後の、ポストシーズンでの出来事だった。
忘れもしない。2012年10月9日、NYY対BALのALDS Game 2。ボルチモアのキャッチャーはマット・ウィータース。彼はイチローに2度タッチしようとして、2度とも失敗した。
そして、2015年。
まさかのマトリクス・スライド 2が劇場公開になった(笑)
http://m.mlb.com/video/v76672583/mianym-ichiro-out-call-overturned-at-home-in-7th/?partnerId=as_mlb_20150417_43965786&adbid=588883217798664194&adbpl=tw&adbpr=18479513
こんどのキャッチャーは、2013年にNYMでメジャーデビューしたばかりの若いトラビス・ダーノー。
マット・ウィータースのときもそうだったように、イチローは2度のタッチを、2度ともかいくぐって得点した。MLBのTwitterの公式サイトは The Slide と、ウィリー・メイズのThe catchになぞらえてネーミングし、Cut4は映画マトリクスになぞらえて動画にコメントしている。
Ichiro’s slide once again proves that he’s actually playing baseball in The Matrix: http://t.co/BnviKYGXnE pic.twitter.com/TBtPTDDZjF
— Cut4 (@Cut4) 2015, 4月 17
プレート・アンパイアはEric Cooperだ。
彼はこの「イチローの2度のタッチ回避」について、「1度目のタッチ回避のみ」を見て、しかも「アウト」と「誤判定」した。
彼が「イチローの2度目のチャレンジ」自体をまったく考慮していないことは、以下の画像で明らかだ。イチローがまだ「2度目のチャレンジ」をしていないタイミングで、球審Cooperは既に「左手を突き出して」いる。これは「ホームプレートでのタッチアウト」をドラマチックにコールをするときの球審特有の動作だ。

Eric Cooperは去年ワールドシリーズのアンパイアにも選ばれて、近年では評価の高いアンパイアのひとりではあるわけだが、こと、この判定については明らかに「早とちり」だった。
論理的に考えればわかることだが、もしキャッチャーのトラビス・ダーノーが「最初のタッチでイチローをアウトにできた」と確信するほどの手ごたえがあったとしたら、あれほど必死になって「二度目のタッチ」にいくわけがない。(実際、試合後にダーノー自身が「一度目のタッチには失敗した」と潔くコメントしている)
まぁ、イチローがらみのプレーでは「普段だったらありえない、マンガの中でしか起こらないようなことが、実際に起きる」のだから、しかたないけれども(笑)
参考記事:カテゴリー:2012イチロー・ミラクル・セプテンバー全記録 1/2ページ目 │ Damejima's HARDBALL
それにしても、このプレーはいろいろと勉強になった。
よくアクション映画では、「車をぶっとばしているヒーローが、間一髪で踏切をわたって、列車との衝突を避ける」なんていうような、「ギリギリでかわすシーン」があるわけだが、ああいう「ギリギリでの行為に成功するためのファクター」について考えたことは今までなかった。
イチローの『マトリクス・スライド2』でわかった「プロと呼ばれる人間であるために必要な判断能力」は、以下のとおりだ。
1)「正しさ」よりも、「スピード」
2)「才能」よりも、「自己の能力把握」
3)びっくりするほど「細かく」研ぎ澄まされた時間感覚
まず『マトリクス・スライド2』において「イチローがセーフになった理由」を考えてみるとすぐわかることだが、「足が速いこと」は、このプレーの成功にとってはそれほど重要なファクターではない。
「時間をかけて判断することによって正しい判断ができる人」なんてものは、世の中にいくらでもいる。例えば、遠くに横から出てきた車が見えたために、衝突を避けるために余裕をもってスピードを落とすことなら、誰にでもできる。
だが、『マトリクス・スライド2』においては、本塁突入するかどうかを「ゆっくりと決断」していたのでは、たとえ足の速いイチローでも確実にアウトになってしまう。
つまり、『マトリクス・スライド2』からわかることは、
「判断結果の正しさには、実は、人が思うほどの価値はない」ということだ。
はるかに価値は高いのは、判断の「正しさ」よりも、人よりも何十倍、何百倍も早く正しい判断ができる「スピード」なのだ。
(例えば、ビジネス上の判断でも、「それみたことか、俺の思った通りになっただろ」と「後から」言うことなど、誰でもできる。だが、いくら判断が正しくても、「スピードを伴った正しい判断」でないなら、そこに価値は存在しない。価値があるのは、判断の「正しさ」ではないのだ)
大事なのは、「よし! イケる!」、「いや、イケない」という「感覚」だ。
こういうとき、よく野生児の感性などという言葉を使いたがる人がいるけれども、この「イケるという感覚」は実に「論理的なものさし」であって、感性などという曖昧なものではない。
次に、なぜイチローは「正しい判断を素早く下せる」のか、について。
彼が「足が速い」のが理由なのか。
そうではない。
彼の本塁突入は、まさに「100分の1秒以下の刹那の世界」で決まる。もちろん足が速いにこしたことはない。
だが、いくら足が速いランナーであっても、「アウトになるタイミングなら本塁突入してはいけない」のであり、他方で、「いくら足が遅いランナーであろうと、セーフになるタイミングなら、絶対に本塁突入を敢行すべき」だ。
つまり、「本塁突入を実行するか、しないかの判断」にとって重要なのは
足の速さという「才能」ではなくて、むしろ「自己の能力把握」なのだ。
それは、「自分の現在の能力から判断して、自分がいま実行しようとしているプレーは、アウトになるのか、セーフになるのかが、瞬時にわかる能力」のことであって、「足の速さ」そのものではないのだ。
例えば、足の遅いランナーが走塁を自重してしまうことが多いのは、「足が遅い」ことが根本理由ではない。
太っている人に限って自分の体脂肪率を把握していないことが多いのと同じで、「足の遅い人は往々にして自分のスピードを把握していない」。そのため自分の能力というものが理解できていない足の遅い人ほど走塁について積極的になれない、ただそれだけなのだ。(逆にいえば、野球において、どんな足の遅いランナーであっても盗塁が可能なのは、このへんに理由がある)
では、イチローはなぜ「100分の1秒以下の世界でギリギリに成否が決まるきわどいプレーを、正確に判断できる」のだろうか。
「足の遅い人」というのは往々にして「自分に出せるスピードをまるで把握していない」ものだ。だから、「物事を判断する単位」として、10秒とか、1分とか、「非常に大雑把なものさし(=スケール)」でしか判断していない。
例えば、「車を運転していて、遠くに横から出てきそうな他の車が見えた」、とする。もし自分の出しているスピードの把握が「大雑把」ならば、「ギリギリすり抜ける」なんて神業は絶対に実現できない。むしろめちゃくちゃ余裕をもって自分の車を停止させるほかない。そしてその停止タイミングが早すぎるか、遅すぎるかは、本人すらわからない。
(「ノロノロ走る自信のないドライバー」ほど、むしろ事故を起こしやすいという逆転現象があるのは、このへんに理由がある)
アクション映画でよくある「ギリギリすり抜ける」という行為が可能になるのは、判断スピードの速さとパーフェクトな速度把握をもとに、その人がもつ特有の時間感覚の「単位」が、びっくりするほど「細かく」研ぎ澄まされているからだ。そうでなければ、100分の1秒以下の世界で成功か失敗かが決まる案件を瞬時に判断することなどできない。
アマチュアの日曜大工に必要な道具の種類がせいぜい十種類ちょっとで足りるのに対して、プロの職人が100や200を軽く超える道具をもつとか、プロのハスラーのキューが非常に繊細にできている、などというようなことがあるのは、彼らのような「プロ」は「自分の仕事に対する要求度」が「素人には想像がつかないほど非常に細かくできている」からだ。
「自惚れ(うぬぼれ)」というものは、どんな人にもある。自分が「正しさ」や「才能」をもっていると自覚している人には、(特に年齢が若ければ)自惚れも自然と強くなる。
だが、「正しさ」や「才能」には、実は自分で思っているほどの価値はない。(また、かつて記事にしたように、「若さ」なんてものにも、もうかつてのほどの価値はない。 参考記事:カテゴリー:『1958年の西海岸』 アメリカにおける放浪の消滅 │ Damejima's HARDBALL)
スピードの欠けた正しさ、自己把握の足りない自惚れだけの才能、大雑把すぎる時間感覚で、「伸びる前に折れてしまう芽」は多い。
なぜ自分が芽が出ず埋もれたままなのか。それを不満に思ったりする前に、自分の判断スピードの「遅さ」、自己把握の「いい加減さ」、時間感覚の「大雑把さ」を、あらためて初心にかえって修正を試みるべきだ。
イチローが41歳にしてMLBにいられて、マトリクス・スライド2のようなスーパープレーができるのは、足が速いからではない。
「いま自分は何ができるのか、それをイチローは
誰よりも早く、誰よりも正確に、誰よりも細かく
把握している」からだ。
彼の判断能力の「標高」は、人が想像しているより、はるかに高い。
アンパイアより、メディアより、ファンより、
イチローのほうがはるかに「イチローの能力」を把握している。
当然のことだ。