April 11, 2018

ようやくアタマの中で「2010年代の姿」がクリアになった。
以下の話を、オカルトと思うか、なるほどと思うかは、あなたの知識と経験次第だ(笑)


2014年12月から2015年1月にかけて、
以下の2つの記事群を書いた。
2014年12月21日、「MLBの得点力低下をもたらした四球・長打の過大評価」原論に向けて (1)MLB25年史からわかる「2000年代以降、特に2010年代のホームランの得点効率の質的劣化」 | Damejima's HARDBALL

2015年1月22日、「MLBの得点力低下をもたらした四球・長打の過大評価」原論に向けて (2)原論の骨子と目標、打者の「均質化」、ビヘイビアの変化 | Damejima's HARDBALL
ホームラン数と得点総数の関係 4グループ推移(1990-2014)


2つの記事で確認したことは、
主に以下のようなことだ。
「MLBの得点スタイル」は、それぞれの時代における「ホームラン総数」に影響を受ける。(といっても、それは「ホームランの本数がゲームの性質すべてを決定する」という意味では、まったくない)

MLB全体の各シーズンごとのホームラン総数の「増減傾向」は、少しずつ連続的に変化するのではなく、ある特定シーズンに「突如として、大きく変化」し、変化した後はその「新しい傾向」が続く。

「2010年代のMLB」における「総得点とホームランの関係」は、ステロイド全盛の「1990年代中期」に似ている。

「2010年代のMLB」におけるホームランの価値は、暴落といっていいほどに著しく低下した一方で、ホームランバッターの価格は暴騰した。


読んでもらえばわかるが、2014年冬の段階では、自分の第六感が「何かをとらえた」ことはわかっていたものの、「いったい何をキャッチしたのか」はそれほどハッキリしていなかった。

原因は「事実の不足」である。
例えば、2014年冬の時点では、例えばロイヤルズの快進撃を予想はしていても、翌2015年のワールドシリーズを勝つという事実はまだ確定したわけではないし、まして「2010年代全体のワールドシリーズ」が異様ともいえる結果になることも、まだわかってない。

ただ、いまから読み返してみると、「2014年12月段階」の記事で「2014年のMLBで最もホームラン数の少ないチームは、2014年ワールドシリーズを戦ったロイヤルズである」と、「2010年代を決定づける重要な事実」を指摘している。このことの意味をもっと早く、深く、掘りさげていれば、もっと早く結論が出ていたかもしれない。
参考記事:2015年4月14日、昨年のワールドシリーズ進出がフロックでなかったことを証明し、ア・リーグ中地区首位を快走するカンザスシティ・ロイヤルズの「ヒット中心主義」。 | Damejima's HARDBALL



だが、2010年代終盤になり、ようやく2010年代全体を見渡せる位置に来てみると、「このディケイド特有の異常さ」が見えてきた。例えば、「2010年代の異常な三振数増加」が見えてくることによって、「2010年代という時代全体の異様さ」をひもとく大きなヒントになった。
参考記事:
2017年2月4日、「三振の世紀」到来か。2010年代MLBの意味するもの。 | Damejima's HARDBALL

2017年2月1日、41本ホームラン打ったクリス・カーターに再契約オファーがなかったことからわかる、「ホームランバッターは三振が多くて当たり前」という話の真っ赤な嘘。 | Damejima's HARDBALL
シーズン三振数年代別比較


他にも、「2010年代ワールドシリーズの奇妙な結果」が以下のように集積されたことで、2010年代MLBの「奇妙な姿」はますますハッキリしてきた。
2012年のワールドシリーズ制覇は、リーグ最高ホームラン数245本を記録したヤンキースではなく、30球団最低ホームラン数(103本)のジャイアンツだった。

2014年のア・リーグ優勝をもぎとったのは、30球団最低のホームラン数(95本)のロイヤルズだった。また、ワールドシリーズ制覇も、ホームラン総数わずか132本のジャイアンツだった。

2015年のワールドシリーズ制覇は、ホームラン数30球団中24位(139本)のロイヤルズだが、彼らの打率はMLB3位の.269だった。

2017年ワールドシリーズを勝ったのは、MLB最高のチーム打率、最少のチーム三振数、そしてMLB20位の少ない四球数のアストロズだった。

参考記事:
2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。 | Damejima's HARDBALL


いまから思うと、2011年のファン投票でホセ・バティースタが「前年にくらべて異様な数の得票」で選出されたときに気づくべきだったのかもしれないが、まぁ、しかたない。
2011年のオールスターの「投票数」に関しては、今も「明らかに人為的に操作されたものだった」と思っている。
参考記事:
2011年7月3日、「ここまでするか」と感じる、2011年オールスター投票の作為。 | Damejima's HARDBALL

2011年7月8日、デレク・ジーターのオールスター欠場という事態を招いた「歪んだファン投票結果」に怒りを覚える。 | Damejima's HARDBALL

2011年7月10日、600万票以上得票したプレーヤーが何人もいるにもかかわらず、20%以上プレミア価格が下がっても、いまだに4000枚以上売れ残っている今回の「恥ずべき」オールスターのチケット。 | Damejima's HARDBALL

2011年7月18日、去年より低かった2011MLBオールスターの視聴率 (2)700万票以上集めた選手すら出現したオールスターの「視聴率が下がる」現象は、どう考えても納得などできない。 | Damejima's HARDBALL



まとめる。

2010年代とは

MLBの「意図」と、
実際に「成功した野球」が「大きく乖離」した
特殊な時代


だったのである。
「2010年代」という時代に、コミッショナーがバド・セリグからロブ・マンフレッドに変わったMLBが意図したのは、かつての「ホームラン依存ベースボール」の「再現」である。
そのモデルはおそらく「1990年代」であり、「イチロー以前の野球」と言い換えてもいい。

だが、「2010年代MLBで実際に成功をおさめた野球」は、「限られた数のチーム」が、「あえて」MLBの意図とは異なる方向に作り上げ、実行した「ホームランにまったく依存しない野球」だった。


今から思うと、やはり2001年イチローのMLB登場は長いMLBの歴史に巨大な楔(くさび)を打ちこんだ「歴史のターニング・ポイント」だった。
参考記事:
2010年9月9日、盗塁とホームランの「相反する歴史」。そしてイチローのメジャーデビューの歴史的意義。 | Damejima's HARDBALL

機構の意図、それは主にヤンキースなど「ホームラン依存野球の再現に積極的なチーム」の意図を政策に反映したものだっただろうが、今から思えば、2011年以降シアトル・マリナーズがイチローを冷遇し、2012年にチームから追い出したプロセスは、マリナーズが「意図」に対して従順な「しもべ」であり、「飼い犬」だったから起きた事件だった。

以下の記事で、2017年に「1300三振以上したチーム」が大量に増加したことを指摘したが、これは「たくさんのチームが、非常に遅れたタイミングで、『ホームランの世紀というトレンド』に追随し、なおかつ、失敗したこと」を意味している。
2017年ワールドシリーズを勝ったのは、そうした「1300三振以上した」どのチームでもなかった。
参考記事:
2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。 | Damejima's HARDBALL


イチロー移籍後、ジョー・ジラルディの仕事は「2000年代野球」の象徴だったイチローを飼い殺しにして引退に追い込むことであり、マリナーズの仕事は、イチロー不在となったチームとスタジアムを「ヤンキース風」に改造することだったが、どれもこれも失敗に終わる。
その結果、ジャック・ズレンシック、エリック・ウェッジ、ジョー・ジラルディはチームを去り、マリナーズは(正直、いまでも理由がよくわからないが)再びイチローを呼び戻すことになった。
参考記事:
2013年9月9日、イチローのバッティングを常に「冷やし」続けてきたジョー・ジラルディの不合理な起用ぶりを、この際だから図に起こしてみた。 | Damejima's HARDBALL

2013年9月18日、ニューヨーク・ポストのケン・ダビドフが書いた「2012年冬のヤンキースの失敗」についての浅はかな記事を紹介しつつ、ジラルディの選手起用のまずさがチームバッティングを「冷やした」証拠となるデータを味わう。 | Damejima's HARDBALL

2015年1月29日、2014年版「イチローのバッティングを常に冷やし続けたジョー・ジラルディの不合理な起用ぶり」。 | Damejima's HARDBALL


「2010年代のMLBを1990年代風に回帰させる意図」が失敗に終わったことがハッキリした段階で、ボストン・レッドソックスは監督をアレックス・コーラにすげかえた。
このことの意味は、2017年に「ボストンが長年やり続けてきた『過度なまでの待球をバッターに強いる、出塁率重視戦術』がピリオドを迎えた」と書いたが、この観点には確信がある。ボストンは「変わり身が早い」からこそ、2018年も強いままなのである。
参考記事:
2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。 | Damejima's HARDBALL


この記事で書いたことは、2011年あたりからここまで、7、8年もの歳月をかけてこのブログに書いてきたことに、常に一定のストーリーがあった、ということを、自分自身に「確認」するためのメモ書きでもある。信じる信じないは他人の勝手であり、自分が関知するところではない。


ただ、自分に言わせれば、「これだけたくさんの、事実、結果、失敗を目のあたりにしても、まだ『扇風機とフォアボールと三振の野球』が好きならば、どうぞ勝手におやりください」ということである(笑)

damejima at 21:22
三振の世紀 

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