June 17, 2018
NPB西武対中日戦で、膝痛のために試合中に倒れた敷田直人球審の件で、中日の投手、木下雄介君を無意味に叩いてる人が一部にいたらしいが、そういう人はたぶん中継とか動画を見ないで根拠なくモノを言っているに違いない。
動画で確かめれば明らかなように、敷田審判の異変に「最初に気づいた」のは、ほからなぬ木下投手であり、彼が異変を示してくれたからこそ、キャッチャー中村奨太とバッター秋山翔吾が「普通なら振り返らない後方」を振り返り、中村奨太が立ち上がってタイムを明確にかけ、関係者による迅速な対応がとるという一連の流れが発生したのである。
この件で不思議なのは、「野球における投手という仕事は、マウンドを簡単には降りない、降りたがらない、降りられないようにできている」という当たり前のことを知らない人がいまだにいる、ということだった。
2011年に、MLB投手にとって「マウンドが投手の聖域であること」を示す記事を書いた。
2011年7月6日、「MLBでは不文律を絶対に破らない」という不文律は、「どこにも無い」。 | Damejima's HARDBALL
これは、2010年4月22日OAK-NYY戦で、1塁走者のアレックス・ステロイド・ロドリゲスが、次打者ロビンソン・フロセミド・カノーのファウルでサードからファーストまで戻るときに「マウンドを横切った」という事件だ。
完全試合もやったことがあるオークランドの投手ダラス・ブレイデンはAロッドを烈火のごとく怒鳴りつけ、ダグアウトに帰った後もあらゆるものを蹴りまくって、怒りを爆発させ続けた。
いわばマウンドは、大相撲における「土俵」なのだ。
この「マウンドを勝手に横切るな」というアンリトゥン・ルールが、MLBでどの程度絶対的になっているかは別にして、少なくともいえるのは、投手として長年やってきた人たちにとって、マウンドという場所は少なくとも「非常に大事な場所」、「仕事場」であり、さらに人によって「聖地」ですらある。
投手は一度マウンドに上がったら簡単には降りられないが、それはなにも投手のプライドばかりが理由ではない。
言うまでもないが、野球というスポーツはあらゆるプレーが「投手の投球」から開始されるようにできていて、投手が投球しなければゲームが動かない。
逆にいえば、投手のケガ、体調不良、爪の割れやマメ、靴ヒモのゆるみ、サインがキャッチャーとの間で合わない、ボールの交換、打者のタイム、鳥や虫の乱入、投手交代、照明の故障、降雨など、あらゆる「投手の投球開始を妨げる要因」が発生たび、野球というゲームは「一時停止」してしまい、観客はプレー再開を待たされる。
もし敷田球審の件で、木下投手が関係者の対応を待っている間、投球練習もせず、敷田球審の真横で呆然と立ち尽くして時間を過ごし、そのせいで「肩が冷えて」しまったとしたら、たとえ敷田球審がスムーズに病院に送り出され、ゲームが短時間で再開できたとしても、こんどは木下投手が投球を再開できない。そうなれば観客は、球審交代に続いて、投手交代の間もゲーム再開を待たされることになる。
そんなことでは投手として失格だ。
(実際のゲームでは、関係者の対処の間も中村捕手が木下投手とキャッチボールして肩が冷えるのを防ぎ、ゲーム再開後、木下投手はすぐ投球できた)
投手たちが、マウンドにいる、ということは、
半分は「権利」であるが、もう半分は「義務」でもあるのである。
どんな仕事でも「現場」というものがそうであるように、投手たちにとっては「マウンドが現場」なのだ。投手は何があろうと「簡単にマウンドから降りてきてはいけない」のである。
彼らにとってマウンドは「仕事が終わるまで降りようとしない、プライドのかかった場所」であり、また、「簡単には降りてはいけない、責任のある場所」である。そういう当たり前のことくらい頭に入れて野球を見てもらいたい。安易なヒューマニズムからモノを言ってほしくない。
動画で確かめれば明らかなように、敷田審判の異変に「最初に気づいた」のは、ほからなぬ木下投手であり、彼が異変を示してくれたからこそ、キャッチャー中村奨太とバッター秋山翔吾が「普通なら振り返らない後方」を振り返り、中村奨太が立ち上がってタイムを明確にかけ、関係者による迅速な対応がとるという一連の流れが発生したのである。
この件で不思議なのは、「野球における投手という仕事は、マウンドを簡単には降りない、降りたがらない、降りられないようにできている」という当たり前のことを知らない人がいまだにいる、ということだった。
2011年に、MLB投手にとって「マウンドが投手の聖域であること」を示す記事を書いた。
2011年7月6日、「MLBでは不文律を絶対に破らない」という不文律は、「どこにも無い」。 | Damejima's HARDBALL
これは、2010年4月22日OAK-NYY戦で、1塁走者のアレックス・ステロイド・ロドリゲスが、次打者ロビンソン・フロセミド・カノーのファウルでサードからファーストまで戻るときに「マウンドを横切った」という事件だ。
完全試合もやったことがあるオークランドの投手ダラス・ブレイデンはAロッドを烈火のごとく怒鳴りつけ、ダグアウトに帰った後もあらゆるものを蹴りまくって、怒りを爆発させ続けた。
いわばマウンドは、大相撲における「土俵」なのだ。
この「マウンドを勝手に横切るな」というアンリトゥン・ルールが、MLBでどの程度絶対的になっているかは別にして、少なくともいえるのは、投手として長年やってきた人たちにとって、マウンドという場所は少なくとも「非常に大事な場所」、「仕事場」であり、さらに人によって「聖地」ですらある。
投手は一度マウンドに上がったら簡単には降りられないが、それはなにも投手のプライドばかりが理由ではない。
言うまでもないが、野球というスポーツはあらゆるプレーが「投手の投球」から開始されるようにできていて、投手が投球しなければゲームが動かない。
逆にいえば、投手のケガ、体調不良、爪の割れやマメ、靴ヒモのゆるみ、サインがキャッチャーとの間で合わない、ボールの交換、打者のタイム、鳥や虫の乱入、投手交代、照明の故障、降雨など、あらゆる「投手の投球開始を妨げる要因」が発生たび、野球というゲームは「一時停止」してしまい、観客はプレー再開を待たされる。
もし敷田球審の件で、木下投手が関係者の対応を待っている間、投球練習もせず、敷田球審の真横で呆然と立ち尽くして時間を過ごし、そのせいで「肩が冷えて」しまったとしたら、たとえ敷田球審がスムーズに病院に送り出され、ゲームが短時間で再開できたとしても、こんどは木下投手が投球を再開できない。そうなれば観客は、球審交代に続いて、投手交代の間もゲーム再開を待たされることになる。
そんなことでは投手として失格だ。
(実際のゲームでは、関係者の対処の間も中村捕手が木下投手とキャッチボールして肩が冷えるのを防ぎ、ゲーム再開後、木下投手はすぐ投球できた)
投手たちが、マウンドにいる、ということは、
半分は「権利」であるが、もう半分は「義務」でもあるのである。
どんな仕事でも「現場」というものがそうであるように、投手たちにとっては「マウンドが現場」なのだ。投手は何があろうと「簡単にマウンドから降りてきてはいけない」のである。
彼らにとってマウンドは「仕事が終わるまで降りようとしない、プライドのかかった場所」であり、また、「簡単には降りてはいけない、責任のある場所」である。そういう当たり前のことくらい頭に入れて野球を見てもらいたい。安易なヒューマニズムからモノを言ってほしくない。