October 04, 2018

バック・ショーウォルターがボルチモアを去ることになった。

彼と彼のスタッフが2010年代初期のボルチモアで実践した「バランスの整ったチームづくり」は、長年にわたって投守打のバランスを欠いた雑な野球ばかりして低迷し続けたこのチームにとって、とても意味のある仕事だったと思う。


だが、残念なことに、「2013年あたり以降のボルチモア」は、それまでの野球を忘れたかのように、ネルソン・クルーズクリフ・デービスなどのステロイダー(ブログ主はマニー・マチャドもそのひとりだと思っている)に依存するチームになってしまい、かつてのような「投手はまったくもって酷いものだが、強力な打線に依存して、なんとか帳尻つける」という、昔の「雑なパワー野球」に戻ってしまった。


2010年〜2012年あたりまで、ブログ主はこのチームについて熱心に記事を書いた記憶があるが、2013年以降はどういうものか、あまり関心をもてなくなっていき、記事を書くこともめっきりなくなった。

2012年に以下の2つの記事を書いているが、今読みかえしてみても、当時のボルチモアの「バランスのとれたチームづくりにかける熱意」を感じさせる、意味のある記事だった。

今のボルチモアに、そのはまったくない。

参考記事:
2012年4月29日、長年の課題だった投手陣再建を短期で実現しア・リーグ東地区首位に立つボルチモア (1)ボルチモアはどこがどう変わったのか? | Damejima's HARDBALL

2012年4月29日、長年の課題だった投手陣再建を短期で実現しア・リーグ東地区首位に立つボルチモア (2)ジェイソン・ハメルはどこがどう変わったのか? | Damejima's HARDBALL


上の2つは、投打のバランスを長年欠き、長打重視の雑な野球ばかりして低迷を続けたボルチモアが、なぜバック・ショーウォルター監督以降に投打のバランスが整ってきたのかについて、当時のピッチングコーチ、リック・アデアが、冴えないエースだったジェレミー・ギャスリーをようやくトレードしてコロラドから獲得したジェイソン・ハメルに2シームを習得させた話を中心に、「ボルチモアの投手陣整備」を眺めた記事だ。

リック・アデアがコメントした、シアトルでピッチングコーチだった時代に育てたダグ・フィスターと、ハメルが似ているという話など、いま読むと、とても懐かしい。シアトル時代のブランドン・モローにカーブを投げるよう勧めたのも、リック・アデアだ。(だが、そのアイデアは実現しなかった)



そのリック・アデア、2013年に突如としてボルチモアのピッチングコーチを辞めている。理由は、当時の記事を検索しても、英語版Wikiをみても、なぜかほとんどわからない。

O's pitching coach Rick Adair takes personal leave of absence | Baltimore Orioles



これはあくまでMLBファンとしてのブログ主の想像だが、細かい事情はともかく、「2013年以降のボルチモア」は「2010年〜2012年あたりのボルチモア」と何かが大きく違ってきてしまい、投手の粘り強い育成にチカラを入れようとしなくなった、あるいは、有能なピッチングコーチを必要としなくなって、そのことが投手を育てることに熱心なリック・アデアを呆れさせ、ボルチモアを離れる理由になったのではないか、と思っているのである。


そんなことを思う理由はいくつかあるが、最大の根拠は「2013年7月の自軍投手の放出トレード失敗による戦力低下」だ。

2013年7月、ボルチモアはジェイク・アリエッタペドロ・ストロップジョシュ・へイダーと、自軍の若い才能ある投手陣をベイト(=英語でいう「餌」「エサ」)にして、カブスからスコット・フェルドマン、ヒューストンからバド・ノリスを獲得した。
結果的に、この「2013年7月の駆け込みトレードでの若手投手放出」は、それまでのボルチモアの投手育成の努力を「台無し」にし、ボルチモア投手陣の極端な劣化につながったと、ブログ主は見る。


ジェイク・アリエッタは、移籍先のカブスで2年連続ノーヒットノーランをやり、いまはフィラデルフィアで3年75Mもの高額契約を得て将来を確約されているわけだが、かつては2007ドラフト5位で入団し、数年にわたってボルチモアのマイナーが欠点を我慢しながら育ててきたたボルチモアの生え抜きプロスペクトだった。(2010年6月にメジャーデビューして、翌2011年に10勝。その後ヒジの手術で戦列を離れたが、2012年の開幕投手になっている)

ペドロ・ストロップは、2013WBCドミニカ代表で、いまはカブスで年間70試合弱を投げる優秀なブルペンピッチャーに育っている。

同じく、いまはミルウォーキーの堂々たるブルペン投手になっているジョシュ・へイダーは、ヒューストンのバド・ノリス獲得のために放出された。



アリエッタにストロップまでつけて獲得したスコット・フェルドマンだが、ボルチモアではまったく使い物にならなかった。いまは故障を抱えながらチームを渡り歩くジャーニーマンに過ぎない。
バド・ノリスにしても、良かったのは2014年だけ。フェルドマンと同じく、ジャーニーマンとしてMLBにぶら下がっているだけの投手に過ぎない。


リック・アデアが、まるで若者が突然無断欠勤して会社を辞めるように、突然として職を離れた理由は、おそらくはアデアが、「2013年7月の一連の駆け込みトレードによる、自軍投手放出」に、責任あるピッチングコーチとして断固反対したのにもかかわらず、GMダン・デュケットがトレードを強行したからではないかと、ブログ主は想像する。

なぜなら、アデアの辞職が、「2013年7月の駆け込みトレード」直後の、「2013年8月」だからだ。

もし自分が高いプライドをもってコーチ業をやってきて、ようやく若手が育ってチームの明るい未来を思い描けるようになってきたとしたら、こんなトレードには断固反対する。

それはそうだ。

ボルチモアのマイナーは時間をかけて、「これから長い活躍が見込める、若くて、健康で投手たち」をズラリと揃えたのだ。
にもかかわらず、プロのピッチングコーチとして、あの投手はステロイドで成績をもたせているだけだろう、とか、投げ方がおかしいとか、この投手のコントロールはどうやっても直せないとか、きっと故障を抱えているに違いない、などと感じる「将来性の乏しい中堅投手」を、その場かぎりの目的で獲得するだけのために、「これから長期に活躍できそうになってきた若手たち」を次々と放出させられたら、コーチとして、たまったものじゃない。



ボルチモアは、この「2013年7月の駆け込みトレード」の後、さらにマニー・マチャドジョナサン・スクープといった野手も失って、ネルソン・クルーズやクリス・デービスといったステロイド系打者に依存する姿が顕著になる。
ステロイドが疑われるマチャドはともかく、もし「2013年7月の駆け込みトレード」の失敗によって投手陣が崩壊することなく、ボルチモアがずっと優勝争いに常時加われるチームだったら、ジョナサン・スクープがチームに残ってくれる可能性があったかもしれない。


長い話になった。
かつてあれほど強いボルチモアの再建に熱心だったダン・デュケットは、これほど酷い成績に終わった2018年も、まったくといっていいほど何もしないまま、チームの惨状を放置した。
おそらくはこのシーズンが終わったらボルチモアを去って、どこかのチームに行く腹積もりじゃないかと想像する。酷い話だ。


もしブログ主の想像があまり間違っていないとしたら、だが、こんな悪い流れの中で監督をやらされていたバック・ショーウォルターには、責任はない。ぜひ来シーズンには違うチームで指揮をとってもらいたい。


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