October 11, 2018

何度も書いているように、2010年代MLBは「三振の世紀」だ。

参考記事:2017年2月4日、「三振の世紀」到来か。2010年代MLBの意味するもの。 | Damejima's HARDBALL

参考記事:2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。 | Damejima's HARDBALL



いまでは信じられないかもしれないが、2000年以前には「1年に1300三振するチーム」など、ひとつもなかった

それが2001年にミルウォーキーが初めて「1399三振」を記録して以来、2000年代に「1300三振」が毎年1〜2チームずつ出現するようになった。
これが2010年代前半になると、全体の1/4〜1/3の球団が「1300三振」するようになり、さらに2016年以降の急増で、2017年には全体の2/3が、2018年にはなんと全体の90%が「1300三振」を超えてしまい、とうとう「1300三振するのが当たり前の時代」が2010年代後半に到来してしまった。


1400三振」が初めて登場するのは2010年アリゾナだが、それでも2010年代前半は1年に1チームか2チームでしかなかった。だが2010年代後半になって激増し、今では全チームの1/3が「1400三振」するようになって、「1400三振」はもはや珍しくない。

さらに「1500三振」は、いくら「三振の世紀」2010年代とはいえ、かつては登場しても年に1チームの「例外」に過ぎなかった。だが2016年以降、複数のチームが「1500三振」するようになり、2018年に史上初めて3チームが「1500三振」を越え、「史上初の1600三振チームが登場するのは時間の問題」となっている。

1500三振以上(計10チーム)

2018年 CHW(1594) SDP(1523) PHI(1520)
2017年 MIL(1571) TBR(1538)
2016年 MIL(1543) SDP(1500)
2015年 CHC(1518)
2014年 なし
2013年 HOU(1535)
2012年 なし
2011年 なし
2010年 ARI(1529)


1400三振以上(計34チーム)
2018年 CHW SDP PHI TEX SFG ARI MIL LAD NYY BAL NYM
2017年 MIL TBR SDP TEX OAK ARI PHI BAL COL CHC
2016年 MIL SDP TBR HOU ARI MIN
2015年 CHC
2014年 CHC HOU MIA
2013年 HOU MIN
2010年 ARI


1300三振以上(計103チーム)
2018年 CHW SDP PHI TEX SFG ARI MIL LAD NYY BAL NYM COL CHC CHW NYY LAD STL MIN CIN TOR MIA OAK STL CIN DET MIN KCR LAA
2017年 MIL TBR SDP TEX OAK ARI PHI BAL COL CHC CHW NYY LAD STL MIN CIN TOR WSN DET
2016年 MIL SDP TBR HOU ARI MIN PHI COL BAL LAD ATL
2015年 CHC HOU WSN SEA BAL SDP PIT ARI TBR
2014年 CHC HOU MIA ATL CHW BOS MIN PHI WSH
2013年 HOU MIN ATL NYM SEA PIT SDP BOS
2012年 OAK HOU PIT WSH TBR BAL
2011年 WSN SDP PIT
2010年 ARI FLA
2008年 FLA
2007年 FLA TBR
2005年 CIN
2004年 CIN MIL
2003年 CIN
2001年 MIL



たぶん、世の中には三振なんかいくらしても得点できればいいのさ、などと、いまだにタカをくくっている人が数多くいると思う。

だが、2018年MLBで「最も三振数が少なかったチーム」は、最も少ない順に、CLE、HOUで、BOSが5位であることくらい覚えておいて損はない。

ちなみに今年のチーム打率は、良かった順に、BOS、CLE、CHC、TBR、ATL、COL、HOUである。この中に「ポストシーズンに行けたチーム」「勝率の高いチーム」「チーム力が回復したチーム」が何チームあるか。2010年代の中期以降に打率のいいチームが活躍する例は、カンザスシティやヒューストンのワールドシリーズ制覇など、枚挙にいとまがない。
フライボール革命などといった嘘くさい話など、どうでもいい。「打率重視」こそ真のトレンドである。



2017年の記事で、ボストンが地区優勝監督ジョン・ファレルをクビにしたことについて、こんなことを書いた。

ボストンが、地区優勝し、なおかつ2018年まで契約が残っていた監督ジョン・ファレルをあえてクビにし、ワールドシリーズを勝ったヒューストンのベンチコーチ、アレックス・コーラを監督に迎えた。
もちろん、チーム独自の個性にこだわりたがる目立ちたがりのボストンがヒューストンとまったく同じ戦術をとるとは思えないが、少なくとも、これまでボストンが長年やり続けてきた「過度なまでの待球」をバッターに強いる「出塁率重視の戦術」がピリオドを迎えたことだけは間違いないだろう。でなければ、ここまで書いてきたことでわかるように、四球を重視しない2017ヒューストンのベンチコーチを、地区優勝監督をクビにしてまでして、わざわざ監督に迎える必要がない。

2018年にボストンの打撃スタイルがどう変わるかを見ることで、2017年のヒューストン・レボリューションがどういうものだったか、逆算的に眺めることになるかもしれない。

2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。 | Damejima's HARDBALL



かつてのボストンは、待球が大好きで四球数の多い、出塁率超重視のチームだったが、チーム三振数は、2013年、2014年と「1300」を越え、三振数トップから数えたほうが早い「三振の多いチーム」でもあった。四球数の多さは、けして三振数激減を意味しないのである。

だが、今年のボストンの打撃スタイルは、ホームラン数こそ全体9位だが、ダスティン・ペドロイア不在にもかかわらず、打点、得点でMLBトップ、打率でもMLBトップ。そして三振数1253は全体5位の「少なさ」と、中身が濃い。

ボストンが、思い切りのいい監督交代で、チーム内のケミストリーとオフェンスの質を劇的に変え、「より多くのヒット、より多くのタイムリーを打っていくことで、着実に打点を稼ぐヒューストン流に転向した」ことは明らかだ。


いま思うに、ジム・リーランド時代のデトロイトがシャーザー、バーランダー、ポーセロと、3人ものサイ・ヤング級投手を揃え、ミゲル・カブレラやビクター・マルチネスなど強打者をそろえても、ワールドシリーズを勝てなかったのは、たとえ個人それぞれに類まれな才能があっても、「チームの強さ」がそれを支えなければ、ワールドシリーズを勝てないという、単純な理屈だった。

そのことは、2018年ボストンの「変わり身の成功」が証明している。





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