January 2014

January 29, 2014

Baseball Analyticsが1月22日付の記事で、ヤンキース黒田について記事を書いている。
記事の要旨は要するに、「2013シーズン、黒田は、4月から7月まではストライクゾーンで勝負できていたが、8月以降にゾーンで勝負する率が劇的に下がってしまい、その結果、投手としての成績がガタガタになった」と言いたいらしい。
Hiroki Kuroda and Throwing in the Strike Zone - Baseball Analytics Blog - MLB Baseball Analytics

いつものように結論からいわせてもらえば、少なくとも、こんな出来そこないの無根拠な話から 「黒田という高給取りのピッチャーのピッチングの質が悪い理由」 がみえてきたりはしない


たいていの場合、こういう「ごたいそうなグラフ」を見せられると、「ほほぉ・・・・。そうなんだ」と思って信じてしまう人が大勢いる。困ったものだ。
相関係数なんていう取扱いに独特のクセのあるものを安易に野球にあてはめて、鼻高々に野球というゲームのファクターを説明したつもりになっている馬鹿がひとりでも減るように、簡単に説明しておくことにする。
(なお以下のグラフは、オリジナルをより見やすいように改造している。オリジナルはY軸の位置が上下で揃っていないのと、軸の太さが細すぎるため、非常にわかりづらい)

2013MLB BABIPとゾーン率の相関マップ


図中に、やや右下がりの赤い直線がある。
これはおそらく「近似直線」だろう。

近似直線や近似曲線は、グラフ上にマッピングされたデータの細部を思い切って捨象することで、「事象Aと事象Bの相関関係の様相や濃さ」などを可視化して見えやすくするために用いられる表現手法だ。(グラフに近似直線を書き加える機能は、例えばパソコンソフトのエクセルなどにも備わっているので、誰でも取り扱うことができる)

例えば野球ブログで、「得点とOPSの相関関係」や「得点と四球の相関関係」のような「2つの事象の相関」を取り扱う場合、使われてきた手法は、そのほぼ全てが「直線という表現を使う『線形近似』」であり、ブログ側の人間はその程度の曖昧な数字を根拠に鼻高々に語ってきた(笑)

だが、「近似の程度」を示す表現手法には、多項式近似によって「曲線」として表現するなど、さまざまなパターンがあるのであって、相関関係を「直線」として表現する方法なんてものは、たくさんある近似の表現のひとつに過ぎない。


さて、上の図の場合でいうと、X軸の事象であるZone%と、Y軸の事象BABIPとの相関関係は、やや右下がりの、平坦な直線として表現されている。
これは、どういう意味になるかというと、Zone%とBABIPという2つの事象の間に、「Zone%が上昇すると、BABIPが低下するという関係が、ほんのわずかならありうること」を示している。
もっと平たく言うと、「投手がストライクゾーンにより多く投げれば投げるほど、バッターに打たれないですむ傾向」が、「ほんのわずかならありうること」を意味している。


いま、「ほんのわずかなら」と書いたことには、もちろん重要な意味がある。

というのは、上の図の上にマッピングされた個別データの分布には、「個別データが、グラフ全体に、しかも、まんべんなく広がっている」というハッキリした特徴があるからだ。


こうした「法則性がほとんどみられないデータ分布」が意味するのは、「なにもわざわざ線形近似などみなくても、X軸とY軸で示された2つの事象の間に明瞭な相関が存在しないのは、明らかだ」ということだ。
つまり、「Zone%とBABIPとの間に、強い相関関係などそもそも存在していない」という意味であり、もっと具体的にいえば、「MLBの投手において、ストライクゾーンに投げれば投げるほど、それがそのまま、より多くの打者を凡退させられるという好結果につながる、という関係が成立する可能性は、非常に低い」という意味だ。

もしZone%とBABIPの間に強い相関関係があるなら、データの分布は、例えば「データが、右下がりに45度傾いた直線に沿って、右下がりにきれいに並ぶ」というように、ハッキリした「傾向」を示す。
だが実際には、こういうふうにデータがグラフ全体にまんべんなく広がって分布している。明確な相関関係が存在するわけがない。
上の図はそもそも、「世の中にはいろんなタイプのピッチャーがいる」という、ごく当たり前のことを言っているにすぎず、Zone%とBABIPの相関関係の強さを保障したりするどころか、まったく何も証明できていないまま、勝手に結論を導きだしているのである。


だから、この「Zone%とBABIPの関係を示したグラフ」とかいう「いい加減な基準」を使って、「2013黒田の成績がシーズン後半に大きく崩れたのは、彼がストライクゾーンに投げなくなったからだ」だのなんだのと、ごたいそうに結論づけるのは、いい加減なものさしを使って、長さを測定し、結論を導いていることにしかならない。
このロジックは「ものさし」そのものがいい加減なのだ。だから、そこから引き出された結論など、信じるわけにはいかない。当然のことだ。


このブログでは、2013シーズンの黒田のピッチングの「質の悪さ」については2013年9月にとっくに書いている。
Damejima's HARDBALL:2013年9月13日、黒田という投手を評価しない理由。そして、なぜジラルディは満塁ホームランを打たれるような場面を自ら演出してしまうのか、について。

このブログの記事では「黒田が先取点を安易に取られ過ぎるピッチャーだ」という論点から書いたわけだが、月別にみると、「黒田が先取点を取られる傾向」は、Baseball Analyticsが黒田のZone%が良かったとする「4月から7月」にも存在するし、また、Zone%が悪化したとする「8月以降」にしても、同じようにみられる。
だから、「4月から7月までの黒田と、8月以降の黒田は、まったく別人のような投球をしていた」というBaseball Analyticsの主張には、なんの説得力も感じない。単に7月だけが異常に良かっただけの話だ。
(以下の自作グラフでみてもらうとよりわかりやすいが、青色のセル部分は、4月から6月にも大量にあるし、また8月以降にもある。黒田が給料にみあう仕事をしていたのは、7月のみに過ぎない)

資料:2013黒田 全登板 ©damejima

図で、青色のセルで示したのは、「黒田が先取点をとられたゲーム」。(4月8日クリーブランド戦含む。この試合では、1回表ヤンキースが3点先制したが、1回裏に3失点している) また赤色のセルは、「ヤンキースが先制しながら、黒田が打たれて逆転負けした試合」を意味している。
黒田登板ゲームの詳細data generated by Hiroki Kuroda 2013 Pitching Gamelogs - Baseball-Reference.com


何度も書いてきたことをまた書くのは本当にうんざりだが、MLBのピッチャーにはたしかに「ものすごくストライクばかり投げて、なおかつ打たれないピッチャー」や、「ものすごくボールを投げて、それでも失点しないピッチャー」がいる。前者の代表はクリフ・リーであり、後者の代表は引退したマリアーノ・リベラだ。
Damejima's HARDBALL:2013年7月8日、グラフひとつでわかる「ボール球を振らせる投球哲学」と、「ストライクにこだわりぬく投球哲学」 常識に縛られることなく投球術の両極を目指すマリアーノ・リベラと、クリフ・リー。


だが、何度も書いてきたことだが、ストライクの鬼神クリフ・リーのような「非常に特別な投手」は、野球世界の頂点であるMLBにさえ、ほんのわずかしか存在していない。
他の投手たちの「投球術」というものは、どれも似たり寄ったりで、たいして違わない。たとえ好投手といえど、十分すぎるくらい「平凡」なのが普通なのだ。

昔の記事に次のような記述をしておいた。気になる人はあらためて読み返してもらいたい。
2013ア・リーグで「ボール球を振らせる率の高い投手ベスト20」のほとんど全員は、「非常に狭いエリア」に固まって存在している。そして、その大半は「ア・リーグ奪三振ランキングベスト20」とダブっている。

一部例外を除き、大半の投手の数値は似たり寄ったりであり、全投球に占めるストライクは42〜46%、「32〜35%前後のボール球」をバッターに振らせている。
つまり「ボール球を振らせることのできる率の高い優秀な投手」のほとんどは、「奪三振数の多い投手」でもあり、しかも彼らの投げるストライクとボールの比率はかなり共通した数値になる。
彼らのような奪三振系ピッチャーの投球術には、実は思ったほど相互に差異はなく、似たり寄ったりである

O-Swing%とZone%

X軸:O-Swing%(ボール球を振らせる率)
Y軸:Zone%(ストライクゾーンに投げる率)
青い点:O-Swing率の高いア・リーグ先発投手ベスト20
ソース:Fangraph(データ採集日:2013年7月5日)


投手にとって大事なことは、Baseball Analyticsのおざなりな記事がいうような「ストライクゾーンにどれだけ投げられるか」などという、低次元な話ではない。
ほんと、よくそんな素人分析で野球を解析できると思い込めるものだ。そんな低レベルの話でいいなら、誰も苦労なんてしない。

とりあえず、MLBでいい投手になるための出発点は、
ゾーンに投げても痛打されない、質のいいストライク
思わず打者が手を出したくなる、質のいいボール球
この「2つ」を持った投手になることだ。

もちろん、この「2つ」をモノにできたからといって、そのピッチャーがなれるのは、ごく普通の「三振がとれるピッチャー」に過ぎない。その程度の、どんな時代にも3人や5人はいるピッチャーに、みんながみんな殿堂入りされたんじゃ、たまったもんじゃない。

平凡な先発ピッチャーが、配球の天才ロイ・ハラデイやストライクの鬼クリフ・リーのような、個性ある名投手になろうと思えば、まったく別次元の高さのハードルが待っている。ちょっとくらい三振が人より多くとれた程度のことで、その投手が天才や名投手になれるわけじゃない
それは、Baseball Analyticsがいうような「ストライクゾーンに投げれば投げるほど、打者を打ち取れる」などという、子供じみた、嘘くさい分析で理解できるレベルの話ではない。

January 21, 2014





身近にある100円ショップで買った安っぽいプラスチックを捨て、同じ機能をもった木製の道具にかえてみる。それだって、ひとつのWood & Seaだ。

森にも、海にも水がある。それが日本という場所。
Wood & Sea, I Love Japan.

January 17, 2014



上のツイートをしたMLBcathedralsは、MLBのボールパークの写真を紹介しているアカウントだが、その紹介スタンスが素晴らしい。というのは、やみくもになんでもかんでも紹介するのではなく、MLBのボールパーク史のターニングポイントとして意味がある写真や場面を掘り起こしてくれているからだ。
例えば、もう現存しない20世紀初頭に建設されたボールパーク(例えばエベッツ・フィールド)などは、カラー画像など存在しないだろうなどと思っていると、どこからか「非常に貴重なカラー画像」とかいって掘り起こしてきてくれる。(とはいえ、その写真がもともとカラー画像なのか、それとも最新技術でモノクロ写真をカラー化したものなのかまでは、残念ながらわからない)


上の写真をもう少し丁寧に説明しておこう。

これはアメリカの古いボールパークファンにはよく知られた1929年の空撮写真で、「数ブロックしか離れていなかったフィラデルフィアの2つのボールパーク」が同時に写っている。
上にチラリと見えているのが、1938年までフィリーズの本拠地だったBaker Bowl。(1887年4月30日開場 俗称としてPhiladelphia Baseball Groundsや、Huntingdon Street Groundsといった別の呼び名もある)
そして下に大きく写っているのが、フィラデルフィア・アスレチックス(現在のオークランド・アスレチックス)の本拠地だったShibe Park(1909年4月12日開場)。

c9aa1249.jpg
Burns-Eye Views of Big Time Parks, #6 – Shibe Park | behind the bag

草創期のボールパークは木製だったため、1911年4月のPolo Groundsの火災など、数多くの有名球場が火災で焼失しているわけだが、Baker Bowlも1894年の火事で全焼している。また再建された後も、1903年の事故(外野席が崩落し死者12名)、1927年の事故(ライトポール際の崩落で1名が死亡)などが続き、結局フィリーズは1938年6月30日のジャイアンツ戦を最後に、数ブロック先のコンクリート製の球場、Shibe Parkに移転することになる。

1909年開場のShibe Parkは、世界で初めて鉄骨と鉄筋コンクリートを用いて建設された球場だ。
クリーブランドにあったLeague Parkが木製からコンクリート製になったのが1909年シーズン終了後。デトロイトの木造のBennett Parkがコンクリート製のNavin Fieldに建て替えられたのは、1911年。コンクリート製のエベッツ・フィールドが開場したのが1913年だから、Shibe Parkはまさしく、「木造のボールパークがコンクリートに変わっていき、ボールパークが一新されていく時代の先陣を切った記念碑的モニュメント」ということになる。
だからこそ、これら2つの球場が同時に写された写真は、ただ単に「球場が2つ写っている、だから珍しいでしょ」というだけの写真ではないのである。
参考)Polo Groundsの1911年の火災に関する記事:Damejima's HARDBALL:2012年3月21日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」  (1)エベッツ・フィールド、ポロ・グラウンズの閉場

ちなみに、1909年4月12日のShibe Park開場当日の大混乱ぶりは、写真として残されている。
外野の広告看板の上の、ほんとに危なっかしい場所に観客が鈴なりになっているが、さらに拡大して見てもらうと、看板の後ろ側のフェンスが破壊され、誰でも勝手に球場内に入りこめるようにされてしまっているように見えるし、また、球場周辺の家屋の窓や屋上に数多くの人がいて、球場で行われているゲームを入場料金を払わないまま「覗き見している」のが見てとれる。
1909年4月12日Shibe Park開場の日の外野席の混雑ぶり

Connie Mack日本のWikiに、「当時のShibe Park周辺の球場内を覗き見できる高さの家では、やがて屋上に座席を設けて金を取るようになったため、激怒したフィラデルフィア・アスレチックスのオーナー兼監督Connie Mackが、覗き見をやめさせるために近隣住民に対する訴訟を起こしたりしたが、敗訴し、最後は1933年に右翼フェンスの高さを12フィートから一気に33フィートに引き上げて覗き見を防止した」ことが記載されているが、この写真を見ればわかるように、「Shibe Parkにおける球場内の覗き見行為」は、実は、球場がオープンしたその日から既に存在していた


また、最初に挙げた空撮には、ほんのわずかな違いではあるが、下記に挙げたようなアングルの異なる写真も現存している。(via テンプル大学ライブラリー Aerial North Philadelphia :: George D. McDowell Philadelphia Evening Bulletin Photographs
アメリカ版Wikiでみると、「ノース・フィラデルフィアにあった2つのボールパークが同時に写った空撮写真」として紹介されているのは、記事冒頭の写真ではなく、別アングルのほうの写真が採用されている。(スタジアムの影や車の位置などから判断する限り、2枚の写真はまったく同じ日に空撮された別カットと思われるが、詳しいことはわからない)
Shibe Park - Wikipedia, the free encyclopedia

テンプル大学所蔵の1929年のShibe Park空撮


この例のように、アメリカでは古いボールパークの写真が公開のライブラリーなどにも残されていて、古きよき時代のベースボールの空気を現代のファンに語りかけてくれる。素晴らしいことだ。
日本でも、こうした野球にまつわる写真コレクションやストーリーが、もっときちんとした形に整理され、ファンの目に触れるようにできるといいのにと、常々思っている。
たとえ素晴らしい資料であっても、人目に触れる場所になければ、結局はその価値を十二分に発揮することはできない。

stadiums│George D. McDowell Philadelphia Evening Bulletin Photographs

Connie Mack Stadium - Air Views │ Digital Collections




January 07, 2014

これまで「父親とベースボール」シリーズでやろうとしたことのひとつは、1977年にヒットしたテレビドラマ「ルーツ」がやったように、「アフリカ系アメリカ人がアメリカ内部をどう移動してきたか」を簡単にたどってみることで、時代によって彼らの目に「アメリカ」がどう見えていたのかを垣間見ることなわけだが、住んでいる場所の移動にはいくつかの「ポイント」があって、それぞれが彼らの歴史のターニングポイントになっている。

例えば、三角貿易の時代に西アフリカから奴隷船でアメリカに連れてこられ、到着したサウスカロライナ州チャールストンのような奴隷交易港。南部の綿花畑のようなプランテーション。Underground Railroadによる北部への脱出。Great Migrationにおけるニューヨークのような北部の大都市への移住。そして、南部回帰。

おそらくアフリカ系アメリカ人は、場所を移動するたび、それぞれの街で、さまざまな「白人」と出会っただろう。
奴隷商人。プランテーションの主人。Underground Railroadをこっそり支援してくれる進歩的と呼ばれる白人。ニューヨークのダウンタウンに住んでいる白人。大都市でアフリカ系アメリカ人と職をどりあうような立場の、貧しい白人。


これまで「父親とベースボール」シリーズに欠けていた視点のひとつは、肌の黒いアフリカ系アメリカ人が運命に流され、アメリカ国内を流転し続ける中で出会った「さまざまな立場の白人たち」の多くが、アメリカ以外の場所から来た「移民」であるという視点だ。

例えば、アメリカ史の資料を読んでいると、移民の国だけあって、よく「アメリカにはドイツ系移民が多い」とか、「この人はアイルランド系」といったふうに、「なになに系」という記述に非常に頻繁に出くわすことになる。
こうした場合に、例えば「ドイツ系」と書かれている文章をもう少し掘り下げて読んでみると、その記述が意味する「ドイツ系」が一定のパーセンテージで「ドイツ系ユダヤ移民」を指す場合がある。
また、同じように「東ヨーロッパ系移民」という表現が、実際には「東欧系ユダヤ移民」を指すと考えて読むと、意味がはるかにわかりやすくなる場合もある。

一例をあげると、例えば映画『ドラゴンタトゥーの女』でリサベット・サランデルを演じたルーニー・マーラの曽祖父にあたるNFL ニューヨーク・ジャイアンツの創始者ティム・マーラについて書いた記事で、彼の経歴を「ロウワー・イーストサイドの貧しい家庭に生まれ、13歳で映画館の案内係になり、通りで新聞を売る仕事を経てブックメーカーの使い走りになり、さらに18歳のとき彼自身がブックメーカーになった」と書いたわけだが、かつて東欧系の貧しいユダヤ系移民が「ニューヨークのロウワー・イーストサイド」に多数住んでいたことを考慮すると、ティム・マーラのキャリアが、東欧系ユダヤ移民の典型的すぎるくらい典型的なサクセスストーリーであることに気づく。
Damejima's HARDBALL:2012年12月21日、ニューヨークまみれのクリスマス・キャロル(2) NFLニューヨーク・ジャイアンツとティム・マーラとポロ・グラウンズ

また、MLB サンフランシスコ・ジャイアンツの元オーナー、ピーター・マゴワンについて、「かつてアメリカの三大投資銀行のひとつとして名を馳せた、かのメリル・リンチの創業者、そして全米屈指のスーパーマーケットSafewayの創業者でもあるチャールズ・メリル (1885-1956)の孫」と書いたことがあるが、このチャールズ・メリルの「投資銀行で成功するというサクセスストーリー」もまた、ユダヤ系移民の典型的なサクセスストーリーだ。
Damejima's HARDBALL:2013年2月11日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」 (8)番外編 三代たてば、なんとやら。「ステロイド・イネーブラ」と呼ばれたピーター・マゴワン。


アフリカ系アメリカ人ばかりに関心を向けて書いていたときには、明らかに注意不足だったわけだが、アメリカに流入した移民は、なにもイギリスの主導する三角貿易によってアメリカに連れてこられたアフリカ系アメリカ人だけではなく、ヨーロッパからの白人移民も新移民・旧移民入り乱れて、大量に入ってきている。
だから、アフリカ系アメリカ人とさまざまな立場の白人、特に「マイノリティ白人」といわれる貧しい白人移民との間には複雑な関係があるわけだが、これについては、この勉強不足なブログ程度で書き切れるような話ではないにしても、「父親とベースボール」ではあまりにボンヤリとしか記述できていなかった。
Damejima's HARDBALL:2012年8月4日、父親とベースボール (5)アメリカが抱えこんだ二面性の発見 「とても自由で、とても不自由なアメリカ」


自省の意味をこめて、少しは「アフリカ系アメリカ人と白人移民との関係」について、情報を書き加えておかなくてはならない。

例えば、アフリカ系アメリカ人の北部へのGreat Migrationで、例えばニューヨークに移住したアフリカ系アメリカ人は「職にありつこうとしても熟練した技術が必要な職人仕事にはなかなかつけなかった」などという記述がよくある。なにごとも技術の熟練にはとかく時間がかかるわけだが、それ以外にも、東欧から移住してきた貧しいユダヤ系移民に職人が多かったために、ニューヨークの職人系の仕事が東欧系ユダヤ移民に流れたということも関係している。
また、アイルランド系移民は、南北戦争では奴隷制維持を支持し、ニューヨークでアフリカ系住民の家を襲撃することさえ行っている。その理由のひとつは、奴隷解放が実現すれば自分たちの仕事が減るという危機意識だ。また、1880年代に盛んになった労働運動や労働組合はアイルランド系移民の社会的地位の向上に非常に大きな役割を果たしたが、それらの組織は他方で、アフリカ系アメリカ人をアイルランド系移民が多くを占める仕事から締め出すという作用も果たした。





January 04, 2014

ミハイル・シューマッハ氏のスキー事故が時速10キロ程度の低速のときに起きたと聞いて、なるほど、と思った。(事故の詳細な経緯は知らないし、かつ興味があるわけでもないが)


よく思いだしてみれば、自分もMTBなどで何度も酷いコケかたを経験してきた中で、最も強烈なコケかたをしたのは、高速走行時ではなく、むしろ、超低速でコケたときだった。
油断してよそ見しながら走っていて突然コケたのだが、もう本当に、受け身どころか、考える間もなく「あっ」と思った瞬間にはもう、顔面がアスファルトに激突していた。

その激突がどれほど強烈だったか、どう表現すると他人様にわかってもらえるだろう。コケた直後に最初にやったことといえば、今でも忘れない。「指で鼻の隆起がまだ残っているかどうか確かめた」ほどなのだ。
どういう角度で自分が落下したのかすら、まるで記憶にない。ただ、「鼻が無くなってしまっているかもしれない」と真剣に思えたほど、顔面がまっすぐ地面に叩きつけられたことだけはわかっていた。
幸いなことに鼻は「ついていた」。顔を血だらけにしたまま、地面にへたりこんでいるしかなかったが、鼻がついていたことに心からホッとしたのを、よく覚えている。


いままでは、なぜあのとき顔面から地面に激突しなければならなかったのか、理解できていなかった。だが、シューマッハ氏のおかげでやっと多少理解できた。

高速走行時にコケたケースを思い返してみると、なんだかんだいっても「カラダ全体で転がる」ことができた。また、カラダ全体で投げ出されて地面に「着地」するまでの間、ほんのわずかな瞬間ではあるが「考える時間」があるから、カラダ全体で転がる事態に備えて多少なりとも「カラダを丸めること」や「アタマを保護するように転がること」ができていた。

つまり、高速走行時にコケるときには「カラダ全体が一気に前方に投げ出される」から、「パワー」や「加速度」がカラダに残されている。だから「高速走行時にコケたときのほうが、かえってカラダ全体で転がってショックを分散することが可能になる」ことがあるわけだ。
(もちろん、だからといって、高速でコケるほうが安全だ、などとは口が裂けてもいえない。高速でコケることそのものは非常に危険だ。だが、運動神経の非常に優れたシューマッハ氏のことだから、もし高速滑走中のゲレンデでの転倒なら、むしろ上手に転がって大事故を避けていたのではないかと思うわけだ)


対して、「超低速の自転車で突然コケること」は
原理がまるで違う。

超低速の自転車で突然コケるケースでは、「足がペダルにのった宙ぶらりんな状態のまま、コケる」ことになる。この、「足のふんばりがまったくきかなくなっている状態で、超低速でコケること」が、非常に危険なのだ。

超低速走行時の足のふんばりがまったくきかない状態で、もし突然自転車が停止する(あるいは足元がすくわれる)と、カラダ全体に十分な加速度が蓄えられてはいないわけだから、アタマの重量が非常に重い人間のカラダは、意識する間もなく頭部から瞬時に地面に叩きつけられてしまいかねない。たぶん、バイク乗りのいう「握りゴケ」にちょっと近い。
高速走行時なら、コケた後、カラダ全体でゴロゴロ転がってショックを分散することが可能だが、超低速だからこそ、それができないのだ。

スケートでいえば、もし速度がついている状態でコケたなら、加速度を利用し、カラダ全体で氷上を滑っていけば、身体に大きな衝撃が加わるのを避けられる可能性がある。
だが低速でコケると、足元をすくわれたカラダは宙を大きく舞って、腰や頭部など、重量のある部分から固い氷の上に落ちてしまう。これは、雪に慣れていない都会人が1年に1度あるかないかの積雪の時に恐々ゆっくり歩いているとき、カラダ全体が宙に舞い上がるようにコケて骨折するのと似ている。スノーボードでの死亡事故も緩斜面での事故が圧倒的に多いと聞く。


いままで、足元のおぼつかないお年寄りが風呂場やキッチンなどでコケて骨折したというニュースを何度も聞いたことがある。性格のよくないブログ主などは、正直に言うと、ゆっくりしか歩けないはずのお年寄りがどうして骨折するほどのコケかたをするのだ、骨が弱ってるのが本当の骨折の原因じゃないのか、などと、いままで無責任に思ってきた。
だが、やっと「超低速で突然コケるがゆえに危険であること」が多少は理解できたように思う。

新春早々、コケるのなんのと、縁起でもない記事を受験生には申し訳ないとは思うが(笑)、今までの自分の無理解を反省するためと、世間に注意を喚起して少しでもお役に立つためだから許してもらいたい(笑)


超低速だから大怪我しないのではない。
「超低速だからこそ、大怪我しやすい」のである。
油断めさるな。心の備えあれば、憂いもなくなる。

2014年が皆様にとって家内安全で無病息災な年であることを、心からお祈り申し上げたい。


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  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
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