April 2015

April 19, 2015

2012年10月の『マトリクス・スライド』から、もう「2年半」。
早いものだ。
2012年10月9日、2012オクトーバー・ブック 『マトリクス・スライド』。ついに揃った 『イチロー 三種の神器』。 | Damejima's HARDBALL


あれはイチローがヤンキースに移籍してラウル・イバニェスとの久々のコンビでア・リーグ東の地区優勝をもぎとった後の、ポストシーズンでの出来事だった。
忘れもしない。2012年10月9日、NYY対BALのALDS Game 2。ボルチモアのキャッチャーはマット・ウィータース。彼はイチローに2度タッチしようとして、2度とも失敗した。




そして、2015年。
まさかのマトリクス・スライド 2が劇場公開になった(笑)


http://m.mlb.com/video/v76672583/mianym-ichiro-out-call-overturned-at-home-in-7th/?partnerId=as_mlb_20150417_43965786&adbid=588883217798664194&adbpl=tw&adbpr=18479513

こんどのキャッチャーは、2013年にNYMでメジャーデビューしたばかりの若いトラビス・ダーノー
マット・ウィータースのときもそうだったように、イチローは2度のタッチを、2度ともかいくぐって得点した。MLBのTwitterの公式サイトは The Slide と、ウィリー・メイズのThe catchになぞらえてネーミングし、Cut4は映画マトリクスになぞらえて動画にコメントしている。


プレート・アンパイアはEric Cooperだ。
彼はこの「イチローの2度のタッチ回避」について、「1度目のタッチ回避のみ」を見て、しかも「アウト」と「誤判定」した。
彼が「イチローの2度目のチャレンジ」自体をまったく考慮していないことは、以下の画像で明らかだ。イチローがまだ「2度目のチャレンジ」をしていないタイミングで、球審Cooperは既に「左手を突き出して」いる。これは「ホームプレートでのタッチアウト」をドラマチックにコールをするときの球審特有の動作だ。

「マトリクス・スライド2」におけるEric Cooperの誤判定
Eric Cooperは去年ワールドシリーズのアンパイアにも選ばれて、近年では評価の高いアンパイアのひとりではあるわけだが、こと、この判定については明らかに「早とちり」だった。
論理的に考えればわかることだが、もしキャッチャーのトラビス・ダーノーが「最初のタッチでイチローをアウトにできた」と確信するほどの手ごたえがあったとしたら、あれほど必死になって「二度目のタッチ」にいくわけがない。(実際、試合後にダーノー自身が「一度目のタッチには失敗した」と潔くコメントしている)
まぁ、イチローがらみのプレーでは「普段だったらありえない、マンガの中でしか起こらないようなことが、実際に起きる」のだから、しかたないけれども(笑)
参考記事:カテゴリー:2012イチロー・ミラクル・セプテンバー全記録 1/2ページ目 │ Damejima's HARDBALL



それにしても、このプレーはいろいろと勉強になった。

よくアクション映画では、「車をぶっとばしているヒーローが、間一髪で踏切をわたって、列車との衝突を避ける」なんていうような、「ギリギリでかわすシーン」があるわけだが、ああいう「ギリギリでの行為に成功するためのファクター」について考えたことは今までなかった。

イチローの『マトリクス・スライド2』でわかった「プロと呼ばれる人間であるために必要な判断能力」は、以下のとおりだ。
1)「正しさ」よりも、「スピード
2)「才能」よりも、「自己の能力把握
3)びっくりするほど「細かく」研ぎ澄まされた時間感覚


まず『マトリクス・スライド2』において「イチローがセーフになった理由」を考えてみるとすぐわかることだが、「足が速いこと」は、このプレーの成功にとってはそれほど重要なファクターではない

「時間をかけて判断することによって正しい判断ができる人」なんてものは、世の中にいくらでもいる。例えば、遠くに横から出てきた車が見えたために、衝突を避けるために余裕をもってスピードを落とすことなら、誰にでもできる。
だが、『マトリクス・スライド2』においては、本塁突入するかどうかを「ゆっくりと決断」していたのでは、たとえ足の速いイチローでも確実にアウトになってしまう。

つまり、『マトリクス・スライド2』からわかることは、
「判断結果の正しさには、実は、人が思うほどの価値はない」
ということだ。

はるかに価値は高いのは、判断の「正しさ」よりも、人よりも何十倍、何百倍も早く正しい判断ができる「スピード」なのだ。
(例えば、ビジネス上の判断でも、「それみたことか、俺の思った通りになっただろ」と「後から」言うことなど、誰でもできる。だが、いくら判断が正しくても、「スピードを伴った正しい判断」でないなら、そこに価値は存在しない。価値があるのは、判断の「正しさ」ではないのだ)

大事なのは、「よし! イケる!」、「いや、イケない」という「感覚」だ。
こういうとき、よく野生児の感性などという言葉を使いたがる人がいるけれども、この「イケるという感覚」は実に「論理的なものさし」であって、感性などという曖昧なものではない。



次に、なぜイチローは「正しい判断を素早く下せる」のか、について。

彼が「足が速い」のが理由なのか。
そうではない。

彼の本塁突入は、まさに「100分の1秒以下の刹那の世界」で決まる。もちろん足が速いにこしたことはない。
だが、いくら足が速いランナーであっても、「アウトになるタイミングなら本塁突入してはいけない」のであり、他方で、「いくら足が遅いランナーであろうと、セーフになるタイミングなら、絶対に本塁突入を敢行すべき」だ。

つまり、「本塁突入を実行するか、しないかの判断」にとって重要なのは
足の速さという「才能」ではなくて、むしろ「自己の能力把握」
なのだ。
それは、「自分の現在の能力から判断して、自分がいま実行しようとしているプレーは、アウトになるのか、セーフになるのかが、瞬時にわかる能力」のことであって、「足の速さ」そのものではないのだ。

例えば、足の遅いランナーが走塁を自重してしまうことが多いのは、「足が遅い」ことが根本理由ではない。
太っている人に限って自分の体脂肪率を把握していないことが多いのと同じで、「足の遅い人は往々にして自分のスピードを把握していない」。そのため自分の能力というものが理解できていない足の遅い人ほど走塁について積極的になれない、ただそれだけなのだ。(逆にいえば、野球において、どんな足の遅いランナーであっても盗塁が可能なのは、このへんに理由がある)


では、イチローはなぜ「100分の1秒以下の世界でギリギリに成否が決まるきわどいプレーを、正確に判断できる」のだろうか。

「足の遅い人」というのは往々にして「自分に出せるスピードをまるで把握していない」ものだ。だから、「物事を判断する単位」として、10秒とか、1分とか、「非常に大雑把なものさし(=スケール)」でしか判断していない。

例えば、「車を運転していて、遠くに横から出てきそうな他の車が見えた」、とする。もし自分の出しているスピードの把握が「大雑把」ならば、「ギリギリすり抜ける」なんて神業は絶対に実現できない。むしろめちゃくちゃ余裕をもって自分の車を停止させるほかない。そしてその停止タイミングが早すぎるか、遅すぎるかは、本人すらわからない。
(「ノロノロ走る自信のないドライバー」ほど、むしろ事故を起こしやすいという逆転現象があるのは、このへんに理由がある)

アクション映画でよくある「ギリギリすり抜ける」という行為が可能になるのは、判断スピードの速さとパーフェクトな速度把握をもとに、その人がもつ特有の時間感覚の「単位」が、びっくりするほど「細かく」研ぎ澄まされているからだ。そうでなければ、100分の1秒以下の世界で成功か失敗かが決まる案件を瞬時に判断することなどできない。

アマチュアの日曜大工に必要な道具の種類がせいぜい十種類ちょっとで足りるのに対して、プロの職人が100や200を軽く超える道具をもつとか、プロのハスラーのキューが非常に繊細にできている、などというようなことがあるのは、彼らのような「プロ」は「自分の仕事に対する要求度」が「素人には想像がつかないほど非常に細かくできている」からだ。


「自惚れ(うぬぼれ)」というものは、どんな人にもある。自分が「正しさ」や「才能」をもっていると自覚している人には、(特に年齢が若ければ)自惚れも自然と強くなる。
だが、「正しさ」や「才能」には、実は自分で思っているほどの価値はない。(また、かつて記事にしたように、「若さ」なんてものにも、もうかつてのほどの価値はない。 参考記事:カテゴリー:『1958年の西海岸』 アメリカにおける放浪の消滅 │ Damejima's HARDBALL

スピードの欠けた正しさ、自己把握の足りない自惚れだけの才能、大雑把すぎる時間感覚で、「伸びる前に折れてしまう芽」は多い。
なぜ自分が芽が出ず埋もれたままなのか。それを不満に思ったりする前に、自分の判断スピードの「遅さ」、自己把握の「いい加減さ」、時間感覚の「大雑把さ」を、あらためて初心にかえって修正を試みるべきだ。


イチローが41歳にしてMLBにいられて、マトリクス・スライド2のようなスーパープレーができるのは、足が速いからではない。
いま自分は何ができるのか、それをイチローは
 誰よりも早く、誰よりも正確に、誰よりも細かく
 把握している
」からだ。
彼の判断能力の「標高」は、人が想像しているより、はるかに高い。

アンパイアより、メディアより、ファンより、
イチローのほうがはるかに「イチローの能力」を把握している。

当然のことだ。

April 15, 2015

昨年29年ぶりにリーグ優勝してワールドシリーズに進出したカンザスシティ・ロイヤルズの快進撃(7試合消化時点で7勝0敗)が今年も止まらない。
かつては、春先に期待されながら夏を迎えた途端に低迷するのがお約束のチームだったわけだが、KCRのいまのチーム打率.329(2015年4月13日まで)という途方もない打撃数字が、去年の大躍進がフロックでなかったことを物語っている。
(同地区のデトロイトもチーム打率.337と、ちょっと考えられない天文学的数字を叩き出していている。この2チームのバッティングは今のところ、ちょっととんでもないレベルにある)


このカンザスシティの超絶バッティングを支えているのは、「四球をかえりみないヒット中心主義打線」で、これは他チームにみられない個性だ。

まず以下のグラフを見てもらいたい。

ブログ注:
『R二乗値』は、X軸とY軸に示された「2つの数値群」(例えば「打率」と「出塁率」)の間の「関係の程度」を示す手法のひとつだ。
四球とホームランの価値を水増しするOPSのようなデタラメ指標を盲信してきた愚かな人間たちや、出塁率の過大評価をこれまでもっともらしく垂れ流し続けてきた人間たちがずっと間違えてきたように、この単純すぎるモノサシだけを使ってベースボール全体を決定する法則性を発見したと断言する愚かな行為は、「小学生の文房具セットに入っている子供用のモノサシだけを使って、オフィスビルを建てようとする行為」に近い。
例えば、「Y軸の数値は、完全にX軸の数値群によって決定される」などと不可逆的に断言するのに必要な「R二乗値の数値」は、十分に多くのデータについて「1.0 にかなり近い、高い数値が出た場合」でなければならないし、また、そうした数値が出たからといって、X軸で示した数値群の価値が無限大になるわけでもなければ、第三の要素の関与を完全に排除できるわけでもない。
参考記事:カテゴリー:指標のデタラメさ(OPS、SLG、パークファクターなど) │ Damejima's HARDBALL


グラフ 1
X軸:チーム四球数 Y軸:チーム出塁率
R二乗値=0.3868
2015シーズン4月13日までの四球数とOBPの相関

グラフ 2
X軸:チーム打率 Y軸:チーム出塁率
R二乗値=0.8749
2015シーズン4月13日までの打率とOBPの相関


これは2015シーズンが開幕したばかりのア・リーグ各チームにおける「四球数と出塁率」、「打率と出塁率」をグラフ化したもの。X軸がどの程度Y軸の数値を決定するのかを、とりあえず直線の近似式(=線形近似)で示している。
2つのグラフの近似式の内容には「歴然とした大差」がある。その意味はもちろん、これまでブログに何度となく書いてきたように、「チーム間に出塁率の差が生じる理由のほとんどが『打率の差』であって、四球の関与はほとんど無い」ということだが、そんな既にわかりきったことより、いまや、もう一歩進んで明らかにしたいのは、「出塁率にこだわることそのものの無意味さ」だ。

そのうち記事を追加して説明するつもりだが、このことをもうちょっとわかりやすくいいかえると、「出塁率向上によって得点力をアップさせる」とか称しながら、「実は、出塁率に対してほぼ無縁の存在といえる四球を無理に増加させようと画策する行為が、どれくらいわけがわからないことなのか」をまったく理解しない人間たちの愚かさを具体的に明らかにしていきたいのだ。

困ったことに、「得点力不足に悩んだ挙句に、ボストンのマネをしだして、わけのわからないことになっているチーム」に限って、明らかに細かいシチュエーションバッティングの苦手な「フリースインガー」や「低打率の二流のスラッガー」ばかり集め、その「細かいバッティング対応ができない不器用なバッターたち」に「待球指示を出しまくる」のだから、もうほんと、「わけがわからない」としか言いようがないのだ(笑)

確かにMLBは「ビジネス的に世界で最も成功したプロスポーツ」だといつも思っているが、その一方では、「他のプロスポーツと同じくらいに、わけのわからない人たちが跋扈しているスポーツ」でもあると思っている。



さて、グラフで注目してもらいたいのは、「出塁率の異常に高い3チーム」のうち、KCRBOSの「正反対の中身」だ。
KCR:非常に高い打率、並の四球数
BOS:平凡な打率、突出した四球数

毎年のように待球率が「異常に」高いBOSが、「四球出塁の異常なほどの多さ」によって出塁率を維持しようとしている(今年TBRHOUTEXNYYTORにも同様の傾向がある)のに対して、KCRは、四球にはまるで目もくれず、ひたすらヒットを打つことに集中していて、結果として、高い出塁率を維持している。
このカンザスシティの「ヒット中心主義」が、いまチームコンセプトとして新しく見えるし、非常に心地よい。(DETは別格で、なんとKCRとBOSがやっていることの「両方」を同時に達成している。こんなチーム、見たことがない)


もちろん容易なことではないとは思うが、ぜひカンザスシティにはシーズン終了までこの「ヒット中心主義ベースボール」をできる限り維持してもらって、リーグ優勝決定シリーズあたりではボストンが掲げる、今となっては古臭い「四球中心主義」を再度ぶちのめしてもらいたいものだ。

April 13, 2015

かつてMLBを揺るがしたBALCOスキャンダルでは、バリー・ボンズを筆頭に多くのネイティブなアメリカ人選手のドーピングがミッチェル報告として指摘された。
だが近年は様相が変わり、アレックス・ロドリゲス(アメリカ国籍だが両親はドミニカ人)に代表されるバイオジェネシス事件と、それ以降も散発的に継続しているMLBのドーピング摘発では、ドミニカを中心とした多くの中米出身選手のドーピングが数多く指摘されだした。
(特に根拠もソースも無いのだが、バイオジェネシス事件での大量処罰以降も散発的なドーピング摘発が続いているのは、あの事件で得られた捜査資料、例えば「納入履歴」や「メモ」などから新たに案件が発掘され、摘発されているのではないかとブログ主は想像している)


さて、近年いったいどのくらいのドミニカンがドーピングで処罰されているのだろう。ちょっと簡単に調べてみた。

まず英語版WikiのDominican-AmericansのリストにあるMLB選手たちをピックアップして、「過去にドーピングで摘発された経験をもつ選手たち」の名前を太字で示してみる。

Pedro Alvarez
Moises Alou
Trevor Ariza
Ronnie Belliard
Julio Borbon
Manny Delcarmen
David Ortiz (まだMLBに十分なドーピング処罰規定がなかったために処罰はされなかったが、2003年の検体が同じボストンのマニー・ラミレスとともに陽性反応を示した。 ソース:Ortiz and Ramirez Are Said to Be on 2003 Doping List - NYTimes.com
Placido Polanco
Albert Pujols
Manny Ramirez
Alex Rodriguez
Sammy Sosa
List of Dominican Americans (Dominican Republic) - Wikipedia, the free encyclopedia

上記リンクに漏れているドミニカ系選手
Vladimir Guerrero
Manny Machado
Adrian Beltre
Alexi Ogando
Carlos Santana
Zoilo Almonte
Edwin Encarnacion
Marcell Ozuna
Robinson Cano
Jose Bautista
Ivan Nova
Hector Noesi
Eduardo Nunez
Alfonso Soriano
Rafael Soriano


次に、「バイオジェネシス事件」でドーピング処罰を受けた選手たちからドミニカ(ドミニカ系アメリカ人を含む)とベネズエラの選手たちをピックアップしてみる。
Alex Rodriguez
Bartolo Colon
Melky Cabrera
Nelson Cruz
Jhonny Peralta
Cesar Puello
Fernando Martinez
Fautino de los Santos
Jordan Norberto
Francisco Cervelli(ベネズエラ)
Jesus Montero(ベネズエラ)


さらにBALCOスキャンダル、ミッチェル報告を含め、過去から近年にいたるまでに散発的にドーピングを摘発されたドミニカ出身選手を挙げてみる。
Miguel Tejada
Jose Guillen
Guillermo Mota
Wilson Betemit
Ervin Santana
Jenrry Mejia


MLBの多くのチームがドミニカに選手育成組織「アカデミー」を常設しているわけで、ドミニカ(そしてベネズエラ、キューバなど)で「生産」される選手たちの増加は、いまやMLBに大きな影響を与えている。
こうしてドーピング摘発者を眺めてみると、MLBの「主役」が、徐々にアフリカ系アメリカ人を含めたネイティブなアメリカ人から、中米の選手たちにシフトしていく中で、「ドーピング事件を起こす人種層」も90年代末のホームラン狂騒時代が終わって以降あたりから中米にシフトしていっていることは明らかだ。


実際にそうなのかどうかはわからないが、「ドミニカあるいはベネズエラから非常に高い才能が次々と輩出されるようになり、MLBのどこのチームを見ても多くの中米出身の選手たちがレギュラーの一角を占めるようになったこと」が、もしも「中米の野球におけるドーピングの蔓延」が理由であるなら、ブログ主はMLBがドミニカうやベネズエラなど、関係国の選手たちに強力なドーピング検査を強制し、不正選手を徹底排除することに、強く賛成する。
ドーピングによって得た好成績で名誉もカネも手に入るような時代など、不愉快きわまりない。


勘違いする人がいそうなのであらかじめ書いておきたいが、「大金が動くMLBの『豊かさ』が、中米のスポーツ環境を汚染した」のではない。たとえ豊かさの中にあっても不正をしない人は、たくさんいる。

問題なのは、「豊かさ」ではない。

「不正」の原因は、常に、そして単純に、く個人の「モラルの低さ」によるものだ。「自分の不正」を「他者の豊かさ」のせいにするのは、単純に「逃げ」や「言い訳」でしかない。大金欲しさに不正をはたらくモラルの低い選手を許すべき理由など、どこにもない。


このブログでは、MLBでアフリカ系アメリカ人の数が減少している問題をずっと書いてきている(記事カテゴリー:『父親とベースボール』〜MLBの人種構成の変化 │ Damejima's HARDBALL)わけだが、もしベースボールが「ドーピングをしていないとレギュラーにさえなれないと感じるスポーツ」になったら、誰だって馬鹿馬鹿しくなって、そのスポーツと真剣に取り組むことなど止めてしまうだろう。

そうならないためにも、そして、あらゆる国籍の選手たちが平等にチャンスが得られる環境を維持するために、MLBはドーピング対策に決然とした強い態度で厳しく取り組むべきだ。
(もちろん、あらゆる国籍の選手たちにドーピング検査が不可欠なこと、あらゆる国籍の選手たちに不正が許されないことなど、いうまでもない)

April 07, 2015

草野球にスカウティングはある意味必要ない。なぜなら、カーブの打ち方ができていない人に「次はカーブだ」と教えたとしても、技術そのものがないなら意味がないからだ。

だが世界最高の才能集団であるMLBのバッターは違う。

どんなに速かろうが、どんなに凄い変化球だろうが、ワンバウンドだろうが、「次の球の球種とコースさえわかれば、たいていどんな球でもヒットにできてしまう」のである。(さらに天才イチローは誰も予想しないワンバウンドですらヒットにした)

いいかえると、
「誰にも絶対ヒットにできない球」「誰にも打てない投手」なんてものは、MLBには存在しない。

だからこそMLBにおいては、スカウティングに重要な意味がある。決定的な弱点は必ず発見され、きちんと改善しない限り、その選手のキャリアは短命に終わる。



この数年でみると田中将大のピッチングには「3パターン」ある。

パターン1ストレートとスプリットだけで押し切ろうとするピッチング
パターン2カットボールやシンカーを混ぜ、相手の狙いをかわそうとするピッチング
パターン32シーム中心にシフトし、相手の狙いをかわそうとするピッチング

ブログ注:
注意してもらいたいのは、どんなピッチングパターンに変わろうと、どんなに肘に負担がかかろうと、田中投手はスプリットをまったく投げないわけにはいかない、ということだ。なぜなら、彼の生命線が「スプリット」にあるからだ。


楽天対巨人で行われた2013年の日本シリーズ、2勝3敗でエース田中将大先発の第6戦を迎え、土俵際まで追い込まれた巨人は、それでも「ストレートとスプリットだけの田中将大(=パターン1)」を打ち崩すことに成功した。

巨人が当時無敗のエースだった田中を打ち崩すことに成功したことは、日本でこれまであまりにも発達しなさすぎていた「他チームをスカウティングする能力」にまがりなりにも進歩のきざしがあることを意味していた。
またこれは、日本シリーズ後のオフに巨額契約でのMLB移籍が確実視されていた田中投手の「MLB移籍後に解決すべき課題の大きさ」を感じさせる事件だった。

あのときブログではこんなことを書いた。
田中投手が今後、緩急もつけられるピッチャーに変身できるのか、カーブを有効活用するために必要な投球術を自分のものにできるか、というと、彼の「腕の振りのワンパターンさ」を見るかぎり、カーブを投げようとしたときのフォームの変化があまりにも大きくなりすぎてしまって、打者に球種を見切られそうな感じがする。それに、ある年齢に達した人間というものは、そうそう簡単に「新しい自分」に変われないものだ。

むしろ、田中投手には、今までと同じように腕を振る速度を変えないまま、違う球種を投げわけるピッチングスタイルを今後も続けられる、という意味で、2シーム、カットボール、チェンジアップなどを増やすことのほうが向いている気がする。
ただ、どうしても元アトランタのカットボール投手・川上憲伸の例を思い出してしまう。緩急の少ないタイプのアジアの投手のカットボールは、MLBで思ったほど成功を収めていないことが、どうしても気になる。また、2シームと4シームを使い分ける芸当は、どうも日本人投手に向いてない気がするし、そもそも田中投手がいま投げている2シームは、「変化の大きさ」、「キレ」、どちらをとっても「MLBでいう2シーム」ではない
だから、彼がこれからモノにするなら「チェンジアップ」がいいような気がする。
出典:2013年11月3日、楽天の日本一における嶋捕手の配球の切れ味。田中投手の「球速の緩急をあえてつけないスプリット」の意味と、MLB移籍の課題。 | Damejima's HARDBALL


その後田中投手は2014年にMLBデビューを飾る。
この年の配球パターンの推移は、簡単に要約すればパターン1」で開幕し、「パターン2」で夏を乗り切ろうとした、という感じだった。

このときは以下のような記事を書いた。簡単にいえば、スカウティングの発達しているMLBでは、田中の配球スタイルが読み切られるのに半年かからない、ということだ。

春先に田中投手の使った球種は、ストレートとスプリッター中心の構成だった。(中略)

「7月のクリーブランド戦で田中投手の投げる球種が大きく変わっている」ことは、一目瞭然だ。
  1)ストレートが大きく減少
  2)カットボール、シンカーが一気に増加
「4番目に高い球種であるスライダー」について、わずか26.7%しかスイングしてくれなくなっている。つまり、「田中投手に対する狙いが、ある程度しぼられてきている」のである。

ストレートを痛打された痛い経験のせいなのかどうなのか、詳しいことまではわからないが、田中投手(あるいはヤンキースのバッテリーコーチ、あるいは、正捕手ブライアン・マッキャン)の側が、田中投手の球種からストレートを引っ込めた理由は何なのだろう。
何度か書いてきたように、例えば田中投手にはチェンジアップがない。いうまでもなく、チェンジアップやカーブ、あるいは、キレのある2シームといった、4シーム以外の「何か」を持たない投手が、「ストレートを引っ込める」ということは、MLBの場合、打者に狙いをさらに絞られることを意味するほかない。

「打たれたから、引っ込めました」、
それだけが理由では困るのである。

出典:2014年7月10日、田中将投手の使う球種の大きな変化。「ストレートとスプリッター中心だった4月・5月」と、「変化球中心に変わった7月」で、実際のデータを検証してみる。 | Damejima's HARDBALL

2014シーズンの田中投手の、MLBにおけるスタンスを最も典型的に示した事件は、7月のクリーブランド戦でニック・スウィッシャーに「追い込んだ後にいつも投げている決め球のスプリット」を読み切られ、決勝打を浴びたことだ。
スウィッシャーは試合後のインタビューで「あのカウントで変化球がくることは、わかっていた」と、やけに誇らしげに答えていたものだ。


そして、2015シーズンのスプリングトレーニング。
田中投手がパターン1、パターン2を捨てて、2シーム主体のピッチング、つまり パターン3 に切り替えようとしていることは明白だった。

パンク寸前の肘をかかえているために、ストレートを全力投球する能力が失なわれ、さらに肘に負担のかかるスプリットも多投できなくなって、こんどは2シームに頼ろうというわけだが、2シームを投げるピッチャーが山ほどいるMLBでは、バッターたちは2シームの球筋には慣れきっている。付け焼刃程度の2シームでは、実際のゲームには通用しない。


それに、どうにも気にいらないのが、
彼の投球フォームだ。

かつて松坂投手のフォームについて書いたことの半分くらいと内容が重複するのだが、今の田中投手は横を向いたままステップしている。これでは、落ちた球速をコントロールの良さで補おうとしても、そのコントロール自体がおぼつかない。始末が悪い。

トミー・ジョン手術を受ける前の、ノーコン時代のボストン松坂大輔と、「左足の向き」を比べてみるといい。2人の投手の左足つま先は、ホームプレートではなく、「サード方向」を向いている。

2015開幕時の田中将大

ボストン松坂大輔投手のフォームボストン時代の松坂大輔

トレバー・ホフマンの「ビッシュ・ツイスト」田中投手との比較のために、名クローザー、トレバー・ホフマンのフォームをあげてみた。
「左足つま先」が完全にホームプレート方向を向き、顔もホームプレートに対してまっすぐ向いているため、ストライクゾーンをまっすぐ見て投げることができる。コントロールがつきやすいのは当然だろう。
また上半身は骨盤に対してまっすぐ直立した状態をキープしているため、ぐらつきが少ない。


遠からず田中投手はトミー・ジョン手術を受け、長期休養することになるだろう。
もう彼のスピードボールはもう90マイル後半を記録することはないかもしれない。同じスピードで来るボールが、ストレートだったり、スプリットだったりして、打者を幻惑することこそが彼の配球の持ち味だったわけだが、ストレートが死ねば、スプリットの威力も落ちる。

こういうパンク寸前の投手を開幕投手として投げさせるニューヨーク・ヤンキースは、本当に合理的な判断のかけらもないチームだ。まぁ、こんなチームは地区下位にあえぎながらアレックス・ロドリゲスのような薄汚いステロイダーの嘘臭い記録とじゃれあっているのがお似合いというものだ。

April 03, 2015

あるブログで、「アメリカでできたスポーツの多くが団体競技であるのに対して、日本起源のスポーツ(というか武道)は個人競技」と書かれているのを読んで、「なるほど。日本に個人主義はないと迂闊には言えないのだな」などと思ったものだが、さらに「アメリカのスポーツはみんなで楽しむものだ」といわれると、さすがにそこはちょっと賛成できなくなる。


ベースボール、アメリカンフットボール(以下フットボールと略)、バスケット、アメリカ起源の3つの人気スポーツでみると、ルールが固まったのはどれも19世紀末で、歴史としては若いスポーツばかりなわけだが、これら3つには「創生期の成り立ち」に若干の違いがある

3つとも「団体競技」なのは確かだが、ベースボールのルーツが草野球、つまり、いわば「ストリート」であるのに対して、フットボールは最初からアメリカ東海岸の名門大学で発展した、いわば「エリートスポーツ」であり、またバスケットも、東部のYMCAで生まれ、YMCAのネットワークを利用しながら発展してきた、というように、スポーツとしての生い立ちがベースボールとは違う。


フットボールの初期ルールは、1890年代にコネティカット出身のエール大の学生Walter Campによって骨子がまとめられ、エール、ハーバード、プリンストンなど、アメリカ東部の有名大学でプレーされた。

Walter CampWalter Camp
(1859-1925)

バスケットも同じく1890年代に、YMCAトレイニングスクール(現・スプリングフィールド・カレッジ)でカナダ出身のJames Naismithによって「冬に行える屋内スポーツ」として開発され、YMCAというネットワークを通じ、全米と世界に普及した。

James NaismithJames Naismith (1861–1939)

フットボールとバスケットの初期の歴史をたどるとわかるのは、これらのスポーツが考案された当初から「プレーヤー」(=東部の有名大学の学生やYMCA所属の若者)と「観客」が「分離して」存在していたところがあることだ。
つまり、これら2つのスポーツにとって、「プレーヤー」は、当初から「観客とは独立に存在する」ものだったのであり、「観客」は「プレーヤーではない存在」という前提が、最初からあった。

この「プレーヤーと観客がどの程度分離して存在しているか」という独特の距離感は、このブログでずっと探究してきている「外野席の成立」や、「ベースボールにおける奨学金問題」にも深く関係していると思われる。
参考記事:2014年3月29日、『父親とベースボール』 (11)「外野席の発明」 〜20世紀初頭の「新参の白人移民の急増」と「ホームラン賞賛時代」の始まり。 | Damejima's HARDBALL

というのも、「プレーヤーと観客の分離」がまったく存在していないのなら、「広大な観客席」の存在自体がまったく意味をなさないか、まったく意味が違ってくるからだ。
事実、ストリートで始まったベースボールの創生期においては「外野席」そのものが存在していなかったし、もちろん広大な観客席も必要とされていなかった。
同じようにゲームを見守っている選手たちの休憩場所にしても、今のような「観客席の下を掘って作られたダグアウト」ではなく、ただの「平らな場所に置かれたベンチ」にすぎなかった。(「「ダグアウト」と「ベンチ」の違い」は、MLBファンならもちろんわかっているはずだろうが、「両者の違いが、いったい何を意味しているのか」はほとんど理解されていない)

1859 Baseball Game at Elysian Fields, Hoboken, NJ1859 Baseball Game at Elysian Fields, Hoboken, NJ

Wst Side Grounds (1905)1905 West Side Grounds
グラウンドと同じ高さの「ベンチ」はあるが、これは「ダグアウト」ではない


逆に言うと、ベースボールの歴史において、「プレーする側と観客の側を隔てる『距離』が、すこしずつ遠くなっていったこと」と、「外野席の誕生」には、おそらく非常に密接な関係にある

当初のベースボールは「誰でもプレーできる庶民的娯楽」として始まったわけだが、それが20世紀初期ともなると、新参の移民がアメリカに大量に流入してきたことによって、プレー側と観客側に急速な「分離」が生じはじめた。
20世紀初頭のベースボールの観客席、特に外野の周囲を取り巻いていたのは、19世紀の素朴なベースボールファンたちのような「自分でもベースボールをプレーした経験のある人たち」ではなく、むしろ「プレー経験がまったくなく、彼ら自身がプレーする可能性も前提とされない、純粋な意味での観客」としての「新参移民」だったからだ。
当然ながら、「内野」と「外野」の違いは、そのまま当時の「社会的クラスター」を反映していた。
(当然ながらヤンキースタジアムの外野席にたむろしているBleacher Creaturesが内野席の観客と対立したりくヤジを飛ばしたりしてきたのは、移民の流入先であるニューヨークのクラスター間の軋轢をそのまま再現しているのである)


バスケットとフットボールが成立当初からカレッジやYMCAといった「若者を教育する場所」で発展し、それが徐々に庶民化していったスポーツであるのに対して、ベースボールは最初は「庶民的な娯楽」から出発し、それがやがて「新しい観客層」や「新しい人種」を巻き込みながら広大なナショナル・パスタイム(国民的娯楽)として発展してきた。
これらはすべて同じ「団体競技」とはいえ、ベースボールと他の2つのスポーツとの発展の道のりは、まったくの「逆向き」なのである。

April 01, 2015

平沼翔太、小林繁

この2人、姿形、フォームこそまったく違う。

けれども、どこかに「共通の匂い」が濃厚に漂っている。
師弟とは、そういうものだ。

左の若き才能はやがては道が開けたであろう。だがそれでも、若さが「遠回りの苦労を無駄に経験せず、真っ直ぐ甲子園に向かって進むことができた」のは、どういうものか、少なからず遠回りする人生を選ばざるをえなかった故・小林繁氏の慧眼によるものだ。
われわれは、小林氏と同様に遠回りした生を生きているうち、小林氏の「引退後も続いていた壮挙」にあらためて「遠回りで気づかされた」のである。

つまるところいえるのは、
われわれの誰もが実は遠回りする人生を歩くようにできており、
例外はない、ということなのだ。


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  • 2014年10月31日、PARADE !
  • 2013年11月28日、『父親とベースボール』 (9)1920年代における古参の白人移民と新参の白人移民との間の軋轢 ヘンリー・フォード所有のThe Dearborn Independent紙によるレッドソックスオーナーHarry Frazeeへの攻撃の新解釈
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
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  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
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  • 2012年6月29日、『父親とベースボール』 (1)星一徹とケン・バーンズに学ぶ 『ベースボールにおける父親の重み』。
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