December 2016

December 08, 2016

地方都市の駅前などによく、衰退した商店街がある。「シャッター通り」とか「シャッター商店街」などと呼ばれるものだ。

こうした「駅前商店街の衰退」が、無謀運転をする高齢ドライバーの出現日本の高齢者の「質的変化」と、どう関係するか。日本中の駅前商店街の全てを調べて歩くわけにもいかないので、ロジックのみで推察してみた。


「シャッター商店街」というのは、なかなかに不思議な現象だ。なぜなら、「衰退」というからには、「駅前商店街が繁栄できた時代があった」という意味だからだ。

これは今の広大な駐車場をもつ郊外型ショッピングモール全盛時代からみると、なんとも理解しにくい。「商店街」とは「商店と商店が隙間なく軒を並べている場所」なのだから、ほとんどの場合、「広い駐車場」など存在しないからだ。

東京のような過密都市なら、駅前商店街の繁栄が今でも成り立つケースがあることは理解できる。なぜなら駅の近隣に「徒歩や自転車で買い物に来る客」や「駅の日常的な利用者」が「大量にいる」からだ。

わからないのは、地方都市の駅前商店街だ。
なぜ、かつて「広い駐車場を持たないにもかかわらず、繁栄できた時代があった」のか。


単純に考えれば、それはやはり「かつては駅近くに十分な数の客がいたから」だ。
もう少し詳しく書けば、「その地域の最も主要な駅の駅前商店街に、徒歩自転車で来れる距離」、あるいは、「その駅に、バス電車などの公共交通機関を使って短時間に通ってこれる、近接した市町村」に、「それなりの数の住民」がいて、主要駅の駅前商店街は近くに住んでいる人々を相手にしているだけで、「たとえ駐車場がなくても商売できた時代」が、たぶんあったのだ。


では、なぜ地方都市の駅前で
「駐車場がなくても商売できた時代」は終わったのか。

モータリゼーション、クルマの低価格化、郊外農地の宅地転用、広大な駐車場をもつ郊外型ショッピングモールやロードサイド店の進出など、さまざまスプロール化の理由が考えられる。だが、駐車場がなくても商売できた時代が終わった理由を追求することはこの記事の主題ではないし、そんな記事はどこにでも転がっているので、そこの分析は省略させてもらうことにする。


理由はともかく、「公共交通機関が集約された駅前に立地し、駐車場をもたない商店街でも繁栄できた時代」は終わり、「郊外に立地し、広大な駐車場をもつモールの時代」になった。そのことで、どんな影響が人々の暮らしにあったのか。

ひとつには、地方住民は、若者だろうと高齢者だろうと、買い物客は全員がいやおうなくクルマに乗らなくてはならなくなったということがある。ここに、高齢ドライバーがあらゆる場所に出現しだした理由のひとつがある。

遠まわしな話になったが、結局何が言いたいかというと、
高齢者が昔からクルマをひとりで運転して出かけていたわけではなく、むしろ、後期高齢者ですら、誰も彼も毎日運転する「クルマ依存生活」が普通になったのは、実は、「ごく最近のこと」なのではないか
ということだ。


いうまでもなく、高齢化社会が到来する前から高齢者はいた。
だが当時、彼らが必要な買い物は、駅前商店街のような「家の近くの商店」で済ませることができたり、家族や親戚や友人の誰かがかわりに買ってきてくれたり、家の近くの畑で作ったりできたため、高齢者自身が、毎日、それも単独でハンドルを握って買出しに行くようなことをせずに済んでいたのではないか。

だが、前の記事でも書いたように、地方の家族制度は西日本を起点に崩壊が始まり、息子・娘は都市に出たまま故郷に戻らなくなる。高齢の両親は田舎のムダに広い家(あるいは都市の、息子・娘と離れた場所)に住んだまま、単身高齢者、あるいは、高齢夫婦という形で「ポツンと」暮らすようになる。(だからといって、高齢世帯全体が経済的に困窮しているという意味ではない。むしろ、事実は「まったく逆」だろう)
前の記事:2016年12月6日、高齢者の無謀運転が毎日のようにニュースになる理由。〜身にしみて理解されていない日本の高齢者の「質的変化」 | Damejima's HARDBALL

そうこうするうちに、駅前商店街が衰退して郊外型ショッピングモールの時代になると、自宅と「目的の場所」(例えばショッピングモール、病院など)の間をつないでいる交通機関が、クルマ以外存在しない地方都市住民が、急激かつ大量に生み出される。
そして、やがてその「クルマだけが頼りという地方住民」の中に、大量の「後期高齢者ドライバー」が出現する。すると、ブレーキとアクセルを踏み間違えた高齢ドライバーによる死亡事故の多発が、当たり前のように社会問題化しはじめるわけだ。


もっと言えば、高齢者のみならず地方都市の住民全員が「クルマ依存」になったのであり、それはある意味で、遅れてやってきた「周回遅れのモータリゼーション」(© damejima)といえる。

だが、地方都市は、自分の町がこの「周回遅れのモータリゼーション」の渦中にあることに気づいていない

都市の道路というものは、直線になるように整備され、住宅の隅切りなども徹底され、見通しがよく、また、運転者のモラルも高い。

だが、田舎道は直線にできていないし、隅切りもされない。見通しが悪く、ドライバーのモラルも低い。
道路構造の近代化と交通モラルの近代化が「放置」され、渋滞や飛び出しへの対処、歩行者や自転車との共存、交差点に面した住宅の隅切り、狭い駐車場での駐車テクニックなどといった、「都市の道路やドライバーなら、当たり前の話として、とっくの昔に対処し終わっている事態」について、地方都市はロクな準備をしていない。
そんな田舎の整備されていない道路に過度なスピードで突っ込めばすぐに事故につながるわけだが、そんなことおかまいなしに、曲がりくねった道を、運転のおぼつかないドライバーが運転するスピードオーバーの軽自動車が行き交い、渋滞、違反、事故を繰り返して、空気を排気ガスまみれにしている。それが、今の田舎の現実だ。

健康面でも、地方の人間ほど「クルマ依存によって、足腰が弱っている」可能性もある。もしかすると地方都市の「歩かない」高齢者はいまや、都会の「歩くのが当たり前」の高齢者より、足腰が弱いかもしれない。そして、人の足腰の弱さは、その「街の弱さ」そのものだ。

こうした事態はまぎれもなく、日本の高齢者の「質的変化」のひとつである。


さて、以下は蛇足で、「バス路線の駅前中心主義の馬鹿馬鹿しさ」について書く。

1958年封切 『駅前旅館』(キャプション)1958年封切の映画『駅前旅館』。原作は井伏鱒二の小説「駅前旅館」。「駅前」という単語に意味があった昭和の遺物。


本来なら、シャッター商店街をかかえる地方都市が時代の変化に応えてやるべきことといえば、「古い駅前中心主義」を一度完全に捨てることだったはずだ。

具体例を挙げれば、ショッピングモールの真横にその地方都市最大の総合病院を作り、役所もバス会社もモールの真横に移転し、モールを起点・終点とする小型循環バスを数多く配備して、都市内を可能な限り網羅するように走らせるのが、合理的発想というものだ。「後期高齢者にできるだけ運転させない街づくり」のためには、それくらいやってしかるべきだ。

だが、現実の地方都市でそうしたシンプルな合理性が実現しているとは、到底思えない。青森駅前の再開発ビル「アウガ」の失敗でわかるように、実際に地方都市がやっているのは、あいもかわらずの陳腐な駅前再開発にすぎない。
だが、ここまで書いたことからわかる通り、駅前再開発なんてものを劇的に成功させる可能性があるのは、いまや「鉄道駅それぞれに、駅の周囲にに密集した住民を維持できている東京だけ」なのであって、数十年遅れのクルマの時代に突入した地方都市で、駅前再開発が成功することなど、そもそもありえない。

にもかかわらず、おそらく融通のきかない地方のバスはいまだに「駅前を起点にした、それも大型バスを使った非効率な路線」を数多く組んだまま、赤字と排気ガスを垂れ流し続けているに違いない。地方バス会社のそうした「怠慢さ」は、危険な高齢ドライバーの氾濫を許す遠因になっている。

もし「駅前」という場所がそんなに大事ならば、駅前復権のために必要なのは、駅前ロータリーでも、無駄な植栽でも、コーヒーの不味い喫茶店でも、暇つぶしばかりしている駅前タクシーでもなく、「広大な駅前駐車場」だ。実際、駅前に駐車場が広がっている駅は大都市郊外にはよくある。
だが、地方ではそういう思い切った駅前改善策も実現しない。かといって、寂れた駅前に集約した無駄なバス路線も減らさない。それが、身動きのとれない地方都市の「挙動の遅さ」「勘違い」というものだ。

いいかえると、「あらゆる挙動が遅く、かつ、核心を突かない」のが、地方都市という場所の欠陥なのだ。そういう無駄だらけで、やるべきことをやらない「地方」という場所に、国が補助金を注ぎ込むのは本当に馬鹿げている。


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