March 2018
March 26, 2018
Breaking: Munenori Kawasaki will finish his baseball career via Yahoo Japan
— damejima (@damejima) 2018年3月25日
信じられない。ムネノリ・カワサキ引退。
素晴らしいという言葉ではとても足りないMLBキャリアだから、「過去形」で語ることができない。辛い一日。
ムネノリ・カワサキの存在は明らかに「ベースボールについての意識」を変えた。保証する。間違いない。
というのは、野球というチームスポーツに必要な要素というのが、技術やパワーや指標やペイロールやホットドックだけではないということを、彼が「身をもって」教えてくれたからだ。
技術やパワーや指標やペイロールやホットドック以外に、野球に必要なのは、「ムネノリ・カワサキ・ファクター」だ。
「ムネノリ・カワサキ・ファクター」がどんなものか。
わかる人にはわかる。説明なんて無粋なことなどしない。わからない人は、わからないまま人生を終えてもらってかまわない。
自分の想像では、「ムネノリ・カワサキという仕事」はかなりの重労働だ。川崎宗則のメンタルは「ムネノリ・カワサキという仕事の重さ」によってひどく損傷した部分があるのではないかと心配している。
March 08, 2018
こういうことが起こるのは、アーシュラ・K・ル=グウィンのファンタジー小説の中だけだと思っていた。
しかし、違った。
まったく説明できないが、イチローのシアトル復帰に関するあれこれを眺めているうち、彼が今回のシアトル復帰によって、さまざまなことに「帰結」をもたらしたことが感覚的にわかったのである。
永久欠番が予想される背番号の問題も、「帰結」のひとつだ。
これまでずっと「シアトルの51番」は、同じ番号をつけていたランディ・ジョンソンとの「共有物」みたいに思われてきた。
だが、今回の復帰で誰もがわかったことだろう。ランディ・ジョンソンがつけていたのは、「イチローがつける前の51番」にすぎなかったのである。(ランディはアリゾナのユニフォームで殿堂入りするだろう)
もはやシアトルの51という背番号はイチローのものであって、他の誰のものでもない。イチローより前に誰がつけていたかは、あくまで「イチローが51番をつける前の話」であって、もはやなんの意味も持たない。
イチローがシアトルを去って以降、ずっと死んでいた「ただの数字に過ぎないもの」に、文字どおり「生命」をふきこんだのが、ほかならぬ「イチロー」であるのをまのあたりにすれば、議論の余地など、どこにもない。
なにも背番号のことだけ言っているのではない。あらゆる「複雑すぎて、もつれた何か」に解決がもたらされたのである。
だからこそ、その独特のオーラが、多くのライターを刺激して名文を書かせる。
なんだろう、このフィーリング。
言葉ではまったく説明できない。
例えば、エリック・ウェッジとジャック・ズレンシックはもうマリナーズにはいない。ジョー・ジラルディはもうヤンキースにはいない。だが、ヤンキースで一緒だったロビンソン・カノーはイチローと一緒にいて、マイアミで一緒だったディー・ゴードンも、デイビッド・フェルプスも、イチローと一緒にいる。そのことだけでも十分だ。
Ichiro Era 2.0 begins.
まさに新しい世紀が始まったのである。
しかし、違った。
まったく説明できないが、イチローのシアトル復帰に関するあれこれを眺めているうち、彼が今回のシアトル復帰によって、さまざまなことに「帰結」をもたらしたことが感覚的にわかったのである。
僕はいま自信をもっていえる。シアトルの51という番号はイチローのものであって他の誰のものでもない。誰がつけていたかを言っているのではない。今回の復帰で「死んでいた、ただの数字に過ぎないもの」に、「イノチ」、そう、文字どおりの「生命」をふきこんだのが、ほかならぬ「イチロー」だからだ。
— damejima (@damejima) 2018年3月8日
永久欠番が予想される背番号の問題も、「帰結」のひとつだ。
これまでずっと「シアトルの51番」は、同じ番号をつけていたランディ・ジョンソンとの「共有物」みたいに思われてきた。
だが、今回の復帰で誰もがわかったことだろう。ランディ・ジョンソンがつけていたのは、「イチローがつける前の51番」にすぎなかったのである。(ランディはアリゾナのユニフォームで殿堂入りするだろう)
もはやシアトルの51という背番号はイチローのものであって、他の誰のものでもない。イチローより前に誰がつけていたかは、あくまで「イチローが51番をつける前の話」であって、もはやなんの意味も持たない。
イチローがシアトルを去って以降、ずっと死んでいた「ただの数字に過ぎないもの」に、文字どおり「生命」をふきこんだのが、ほかならぬ「イチロー」であるのをまのあたりにすれば、議論の余地など、どこにもない。
なにも背番号のことだけ言っているのではない。あらゆる「複雑すぎて、もつれた何か」に解決がもたらされたのである。
だからこそ、その独特のオーラが、多くのライターを刺激して名文を書かせる。
https://t.co/s2rtqvGyOB
— damejima (@damejima) 2018年3月7日
writer : Wright Thompson
Illustration : Yuta Onoda
The clarity of Ichiro: How a confluence of lessons, and a return home, led him to a place of comfort and as much peace as a perfectionist can know. Column: https://t.co/Uk1x2FS6HQ pic.twitter.com/TZ9qLzh9sm
— Jeff Passan (@JeffPassan) 2018年3月8日
なんだろう、このフィーリング。
言葉ではまったく説明できない。
例えば、エリック・ウェッジとジャック・ズレンシックはもうマリナーズにはいない。ジョー・ジラルディはもうヤンキースにはいない。だが、ヤンキースで一緒だったロビンソン・カノーはイチローと一緒にいて、マイアミで一緒だったディー・ゴードンも、デイビッド・フェルプスも、イチローと一緒にいる。そのことだけでも十分だ。
Ichiro Era 2.0 begins.
まさに新しい世紀が始まったのである。
ESPNのWright Thompsonの記事読んでわかることは、イチローが生きてる時の流れが「マンガの中の出来事にしか思えない人生」だってこと。彼がまるでDCコミックの登場人物みたいに思えることがあるのは、そのせい。
— damejima (@damejima) 2018年3月7日