April 2018
April 25, 2018
"Maybe number of hits is enough for narrow person in view." 〜 Ken Burns
とりあえず、まずはBBWAA(全米野球記者協会)宛にツイートしておいたのだが、最近のシアトル・タイムズのイチロー記事の「失礼さ」は、いくらなんでも目に余る。
自分は「根拠が何も示されない、あるいは、スポーツのデータやセオリーとなんの関連性もない、『個人の好き嫌い』のみに基づくヘイト記事によって、アスリートの尊厳を傷つける行為」を、「スポーツ・ジャーナリズム」だ、だから許される、などと、看過したりはしない。
今後も必要であると感じたら、しかるべき相手にツイートして意図を伝達するなり、ブログ記事を書くなりして、反撃する。
@officialBBWAA
— damejima (@damejima) 2018年4月24日
As one of Ichiro fans, I would like to say with huge anger about silly articles of the Seattle Times in these days. They always write about Ichiro with rudeness and racism without clear cause or respect for athlete. It is not journalism, but only personal hate.
最初に確認しておくが、2018年3月に何度かツイートしているように、ブログ主は2018シーズンのイチローのシアトル復帰について「賛成していない」。
だが、だからといって、自分と根本的に立場の異なる「イチローのシアトル復帰を諸手を挙げて喜ぶファン」たちを、無根拠に批判したり、ディスったり、煽ったりは、一切してこなかった。また、かつてのシアトル・マリナーズの若手再建路線が大失敗に終わったことについても、(それは、ただ単に「めんどくさい」という理由からではあったが)特に強い批判を加えてはこなかった。
だが、このところの「イチローの去就」をめぐると「自称」している記事群と、それを書いている三流ライターたちの「無礼さ」「無神経さ」は目に余る。
それらはもはや「スポーツ記事」でも「ジャーナリズム」でもなく、単なる個人の「好き嫌い」でしかない。「嫌い」という日本語を英語に直訳した場合、「ヘイト」という言葉になるわけだが、こういう「無根拠さ」こそ「ヘイト」と呼ぶにふさわしい。
最初に、日本のメディア記事の「印象操作」について書く。
まず最初に確認しておいてもらいたいことは、このところ「イチローの退団」「イチローのDFA」うんぬんを扱った記事を日米で頻繁にみかけるわけだが、こうした「煽り記事」を必死に生産しているのが、「球団」ではなく、「シアトル・タイムズを筆頭にしたローカルメディアの一群のライターたちに過ぎない」、ということだ。
今後どういう展開になるかはわからないが、少なくとも2018年4月段階でいえば、「シアトル・マリナーズの球団サイド」が(水面下での動きはともかく)表だって「イチローはシアトルにはもはや必要ないから、早くいなくなってほしい」などと表明した「事実」は、どこにもない。
にもかかわらず、日本のスポーツメディアの一部は、彼らの情報源が「シアトルのローカルメディアが連発するヘイト記事」の「聞きかじり」でしかないことすら明示しないまま、あたかも「イチローがシアトル・マリナーズを退団させられるのが、球団の公式な規定路線になっている」かのような無礼な報道を、2018年4月に、複数回にわたって掲載している。
これは明らかに印象操作であり、無責任かつ無根拠な情報の垂れ流しである。
次に、シアトル・マリナーズ球団のイチロー獲得における「責任」について書く。
これは既にツイートしたことの繰り返しだが、ブログ主は、イチローをシアトルに呼び戻した人間には「責任」があると考えている。
なぜなら、ブログ主が2018年3月に行った「Twitterの投票機能を利用した調査」の結果でも明らかなように、「イチローのシアトル復帰を心から喜んだファンが、日本にも、アメリカにも、そして他の国にも、非常に数多く存在する」ことが明らかだからだ。
イチローのシアトル復帰について。
— damejima (@damejima) 2018年3月5日
あなたの考えを、どうぞ。
言うまでもないが、もし「シアトル以外」の他のMLB球団が、イチローを一時的にロスターに入れ、「怪我をしている外野手の復帰まで、ギャップを埋めてもらう」というケースなら、特にエモーショナルになる責任論は発生しない。
だが、ことマリナーズについては、話が違う。
イチローの復帰に対するファンの過剰なまでの反応に、球団が責任を負うことになるのは明らかだ。
「もしシアトルがイチローを呼び戻すようなことをすれば、ファンの間でどういう反応が起こるか」は、マリナーズ経営陣も、そして、無反省なローカルメディアも、あらかじめ理解しておくべきであり、そして、これが他のなにより重要なことだが、「一度契約したならば、それを単に理解するだけでは足りず、イチローとの再契約という行為がもたらすさまざまな結果をも『受け入れる覚悟』でコトに臨まなければならなくなる」、そういう「特別な行為」だったはずだ。
もし、そうした「世界のMLBファンに反応を起こさせることに対する『責任』を負う羽目になる覚悟」が「ない」のなら、シアトル・マリナーズはイチローを呼び戻すようなことをすべきではなかった。
だが実際には、FA市場に外野手などいくらでもいたにもかかわらず、あえて「イチローとの契約」に踏み切ったのだから、当然ながら、マリナーズ側に責任は「ある」のである。
イチローとの契約という「ファンの期待を煽る行為」にあえて踏み切ったシアトル・マリナーズには、イチローのシアトル復帰に賛成か反対かに関係なく、ファン感情を「明瞭な理由なく破壊する」ような無礼な行為は許されないし、あえて契約にふみきったレジェンドに対して、最低限のリスペクトにすら欠けた、ぞんざいな扱いはけして許されない。
そして、事実、2018年4月のイチローは、実際にシアトル・マリナーズの外野のギャップを埋め、スタジアムに客を呼び戻すようなプラスの働きをしたし、他方、ここがこの項目の最も重要な点のひとつだが、シアトル・マリナーズは、(少なくとも契約以降、4月段階まで)球団としてイチローに対する無礼な言動は「なかった」のである。
むしろ、シアトル復帰に賛成しなかったブログ主にすら、むしろマリナーズは今回「イチローをとても丁重に扱っていた」ようにみえている。
だからあらためて確認しておくが、イチローのDFAを必死に主張しているのは、球団ではなく、シアトルのローカルメディアである。このことをファンはよく確認しておくべきだ。
次に、復帰に賛成したファンの「安易さ」について。
今でもブログ主はイチローのシアトル復帰に賛成ではない。そのブログ主に言わせれば、イチローファンのマジョリティや、マリナーズファンとやらの大半がイチローのシアトル復帰を万歳三唱して喜んだ行為は「あまりにも安易だ」と考える。
なぜなら、シアトル復帰というドラマに酔いたいだけの彼らは、「イチローという、50歳現役を目指すアスリートにとって、何が最も良い選択なのか」をきちんと見据えていないからだ。
今回シアトルがイチローをロスターに加えた理由は、「レギュラー外野手が怪我で開幕に間に合わないから」というシンプルなものでしかない。「レギュラー外野手が戻ってくればイチローの立場が微妙なものになること」は、「最初からわかりきって」いたのである。
(もちろんブログ主は、だからといって、マリナーズ側がイチローという選手をぞんざいに扱っていいなどとは、まったく思わないし、また、シアトルの「怪我していたレギュラー外野手」が「イチローより優れている」なんてことは、まったく、1ミリも、思わない)
にもかかわらず、ブログ主のTwitterでの調査で明らかなように、大多数のイチローファン、マリナーズファンは、「イチローのシアトル復帰」を無条件に喜んだのである。ブログ主に言わせれば、それはあまりに「安易」すぎる。
イチローがシアトル退団に追い込まれた2011年から12年にかけ、球団から受けた酷い扱いや、シアトル・タイムズを筆頭にしたローカルメディアの悪質で無根拠なヘイト・キャンペーンを考えれば、シアトル復帰など考えられないとブログ主は思うわけだが、もし今回も、「世間の自称イチローファン」や「マリナーズファン」とやらが、自分たちのレジェンドがローカルメディアに酷い扱いを受けている事実を、「ふたたび」放置し、看過するなら、それはファンとして、あまりに無責任だ。
最後に、シアトルのローカル・メディアの「無礼さ」について書く。
怒りを通りこして、呆れかえる話だが、あるライターがイチローについて「チケットを売るためのサクラ」などと書いたらしいが、無礼にもほどがある。
イチローと契約することを決めたのは、他ならぬ、「シアトル・マリナーズ自身」である。だからローカルメディアがイチロー獲得に同意できない点があるなら、まず「球団を批判すべき」なのであって、ファンの目に触れる公式な場所でマスメディアが無根拠にイチローに対する無礼きわまりない発言をする権利は、どこにもない。
発言に責任がともなうのが、ジャーナリズムというものだ。もし、そういうヘイト発言をどうしてもやりたいなら、シアトルの三流ライターたちはマスメディアを退社し、個人ブログでも始めて、そこでやるべきだ。
アスリートはプレーするために存在するのであって、「チケットやジャージーを売るために存在している」わけではない。もし「レジェンドをチケット販売にだけ利用しようとする、ゲスすぎる球団」があるとしたら、「そういうゲスな球団にまとわりついて、メシを食ってる」のは、おまえら、ローカルメディアのほうだ。
彼らがイチローのシアトル復帰にあたって今回のような無礼きわまりない態度をとるであろうことは、一部の熱心なイチローファンなら誰もが予想していた。
なぜなら、彼らは前回2012年のシアトル退団のときにも「まったく同じイチロー・ヘイト・キャンペーン」をやってのけたからだ。(ありもしない襲撃計画だのをでっち上げることまで彼らはしたのである。このことは球団が公式に否定している)
「海外の報道を受け売りしているだけの日本メディア」しか見ていない無知な「自称MLBファンたち」がそうした事実を知らないとしても、それは彼ら自身の責任であって、ブログ主の責任ではない。
前回のイチローのシアトル退団以降に、シアトル・マリナーズは、GMジャック・ズレンシックの首を切り、監督エリック・ウェッジの首を切り、シアトル・タイムズはかつてのマリナーズ記事責任者を配置転換し、一部ライターが退社した。
それらの一連の事実は、かつてシアトル・マリナーズがやった「方針転換」とやらが「巨大な失敗」だったこと、そして、その方針転換を支持し、無批判な態度に終始して失敗を助長したシアトル・タイムズをはじめ、シアトルのローカルメディアが大きな間違いを犯してきたことを意味する。
そうした数々の間違いをあえて刺激的な批判記事にもせず、看過してやったにもかかわらず、シアトル・タイムズがかつてのようなイチロー・ヘイト・キャンペーンを続けるなら、こちらも、球場のリニュアルなどを含めた球団の2012年以降の政策の大半が「いかにして巨大な失敗」に終わってきたかの批判も含め、それ相応の対応をとるつもりだ。
既にツイートしたことの繰り返しになるが、アスリートのプレイについての批判は、それがきちんとした根拠、データ、論理を示したものであるなら、それを攻撃しようなどとは思わない。
だが、シアトル・タイムズのやっていることは、2012年に彼らがやったことと同じで、何の根拠もデータもなければ、なんの倫理もなく、アスリートに対するリスペクトの欠片すらない。
自分はそういう「無秩序な、マナーに欠けた行為」を
許容したり、看過したりしない。
過去の参考記事:
2009年8月24日、ジャーナリスト気取りのクセに認識不足だらけのシアトル地元記者のイチローへのやっかみを笑う。 | Damejima's HARDBALL
2010年9月20日、シアトル・タイムズのスティーブ・ケリーが、"The Tenth Innning"のケン・バーンズと共同監督のリン・ノビックが行った「イチローインタビュー」について当人に取材して書いた記事の、なんとも哀れすぎる中身とタイトル。 | Damejima's HARDBALL
2012年6月11日、「見えない敵と戦う」のが当り前の、ネット社会。 | Damejima's HARDBALL
2013年9月30日、シアトル・タイムズのスティーブ・ケリー退社、ジェフ・ベイカー異動、そして、マリナーズ監督エリック・ウェッジ退任。 | Damejima's HARDBALL
April 12, 2018
「2010年代」を最も特徴づけるファクターのひとつが、「三振の急増」であることは、これまでも何度も書いている。
2010年代に三振急増をもたらした要因のひとつは、明らかに「ストライクゾーンの拡張」だが、それをデータとして明示する記事が、The Hardball Timesにある。
The 2017 Strike Zone | The Hardball Times (an article written by Jon Roegele, The Hardball Times)
詳しいことは記事を読んでもらえばいいが、この記事、残念なことにデータがグラフ化されていないために、「要素それぞれの関係」が把握しづらい。
なので、記事中にある「ストライクゾーンの拡大」「三振率」「四球率」の変化を「無理矢理に、ひとつのグラフに表示してみた」ところ、以下のようになった。
この「図」をみたら、誰もが「ストライクゾーンの拡大は、三振率と四球率の変動に非常に大きな影響を与えている」などと思いこむことだろう。
だが、実は上のグラフには「ゴマカシ」がある。
以下にその「ゴマカシ手法」を説明して、「安易に数字を見ることの怖さ」の一例としようと思う。
わかる人はとっくに気づいているだろうが、上の折れ線グラフは「縦軸のつくり」が根本的におかしい。というのは、上の3本のグラフは、それぞれの縦軸の「数値の刻み」がまるで異なるデータなのだ。
上の「ゴマカシのグラフ」では、縦軸の数値の刻みを無理矢理に揃えることによって、3つのデータ」を無理矢理にひとつにまとめて図示し、「3つの数値があたかも常に連動して変化し、非常に深い関係にある」かのように、「みせかけている」のである。
ここまで書いてもまだわからない人がいることだろう。
もっと目にみえる形で説明してみる。
以下に、縦軸を共通の数値の刻みにして表現した、「ゴマカシのないグラフ」を図示した。赤い線が「三振率」、緑の線が「四球率」である。
わかるひとにはすぐ意味がわかるはずだ。三振率と四球率は、どちらも縦軸は「パーセント」だが、「縦軸の刻み」がまったく違うため、本当は「変化のレンジ」がまったく異なっていたのである。
図からわかることを端的に表現すれば
同じことを、こんどは「数字」で表現しなおしてみる。
三振率の変化は「平均19.81、標準偏差1.23」、四球率の変化は「平均8.16、標準偏差0.42」であり(標準偏差は不偏分散からみたもの)、三振率の「分散」のほうが、四球率の「分散」よりずっと大きい。
平易な言葉でいいかえると、三振率の変化の「バラつき」のほうが四球率よりはるかに大きいのである。
三振率が±4%の範囲で「大きく変化している」のに対して、四球率の変化は±1%と「分散の1倍の範囲内での小規模な変化」にとどまっている。このことは、「ストライクゾーンの変化に対する三振率の変化」が有意である可能性があるのに対して、「ストライクゾーンの変化に対する四球率の変化」はむしろ単なる誤差でしかない可能性が高いことを意味する。
このブログでは、これまでずっと、
2015年2月に書いたように、たとえ「100年くらいの長期」でみても、四球というファクターは、得点や出塁率はもちろん、「他のあらゆるゲームファクターの増減とはまったく無縁」の「独立したゲーム要素」である可能性が高いのである。
今回の「2010年代のストライクゾーンの変化」による三振や四球への影響をみても、「ストライクゾーンの変化によって、三振率も四球率も、同じ割合で、平行して変化する」などと考えることが馬鹿げた錯覚に過ぎないことがわかる。
記事例:
2011年2月24日、四球数をヒット数に換算する発想はベースボールにとって意味が無い、と考えるいくつかの理由。 | Damejima's HARDBALL
2012年4月8日、チームの「総得点」と「総四球数」の相関係数を調べた程度で、「四球は得点との相関が強い」とか断言する馬鹿げた笑い話。 | Damejima's HARDBALL
2012年11月11日、いまだに「チーム総四球数とチーム総得点の間には、何の関係もない」ことの意味が理解できず、「すでに自分が死んでいること」に気づかないない人がいる、らしい。 | Damejima's HARDBALL
2013年10月9日、2013ポストシーズンにおける「待球型チーム vs 積極スイングチーム」の勝負のゆくえ。 | Damejima's HARDBALL
2015年2月8日、「MLBの得点力低下をもたらした四球・長打の過大評価」原論にむけて(3)100年もの長期でみても「四球数」は、「得点」や「出塁率」はもちろん、他のゲームファクターの増減と無縁の存在である可能性は高い。 | Damejima's HARDBALL
だが、もしこのデータを、ごまかしのないグラフではなく、「数字だけ」で見せられ、「ほら、な。ストライクゾーンが変化すると、三振も四球もこんなに変化するんだぜ?」などと主張する記事なり、ネットの書き込みなりを見たとしたら、あなたは即座にその「作為」「デタラメ」「ウソ」を見抜くことができるだろうか? というのが、この記事の本当の主旨である。
ブログ主が思うに、大半の人は「信じ込んでしまう」のではないか。
そして「ストライクゾーンが変化すんだからよぉ、三振も四球も大きく変化するに決まってんだろ!」などと信じ込む安易な人間に限って、他人に議論をふっかけたがる。本当に始末が悪いのである。
参考記事:2017年2月4日、「三振の世紀」到来か。2010年代MLBの意味するもの。 | Damejima's HARDBALL
2018年4月11日、意図的に「ホームランの世紀」をつくりだそうとした2010年代MLB。実際に起きたのは、「三振とホームランの世紀にさからったチーム」によるワールドシリーズ制覇。 | Damejima's HARDBALL
2010年代に三振急増をもたらした要因のひとつは、明らかに「ストライクゾーンの拡張」だが、それをデータとして明示する記事が、The Hardball Timesにある。
The 2017 Strike Zone | The Hardball Times (an article written by Jon Roegele, The Hardball Times)
詳しいことは記事を読んでもらえばいいが、この記事、残念なことにデータがグラフ化されていないために、「要素それぞれの関係」が把握しづらい。
なので、記事中にある「ストライクゾーンの拡大」「三振率」「四球率」の変化を「無理矢理に、ひとつのグラフに表示してみた」ところ、以下のようになった。
この「図」をみたら、誰もが「ストライクゾーンの拡大は、三振率と四球率の変動に非常に大きな影響を与えている」などと思いこむことだろう。
だが、実は上のグラフには「ゴマカシ」がある。
以下にその「ゴマカシ手法」を説明して、「安易に数字を見ることの怖さ」の一例としようと思う。
わかる人はとっくに気づいているだろうが、上の折れ線グラフは「縦軸のつくり」が根本的におかしい。というのは、上の3本のグラフは、それぞれの縦軸の「数値の刻み」がまるで異なるデータなのだ。
上の「ゴマカシのグラフ」では、縦軸の数値の刻みを無理矢理に揃えることによって、3つのデータ」を無理矢理にひとつにまとめて図示し、「3つの数値があたかも常に連動して変化し、非常に深い関係にある」かのように、「みせかけている」のである。
ここまで書いてもまだわからない人がいることだろう。
もっと目にみえる形で説明してみる。
以下に、縦軸を共通の数値の刻みにして表現した、「ゴマカシのないグラフ」を図示した。赤い線が「三振率」、緑の線が「四球率」である。
わかるひとにはすぐ意味がわかるはずだ。三振率と四球率は、どちらも縦軸は「パーセント」だが、「縦軸の刻み」がまったく違うため、本当は「変化のレンジ」がまったく異なっていたのである。
図からわかることを端的に表現すれば
三振率のほうが、四球率よりはるかに鋭敏に「ストライクゾーンの変化」に反応しているのである。
同じことを、こんどは「数字」で表現しなおしてみる。
三振率の変化は「平均19.81、標準偏差1.23」、四球率の変化は「平均8.16、標準偏差0.42」であり(標準偏差は不偏分散からみたもの)、三振率の「分散」のほうが、四球率の「分散」よりずっと大きい。
平易な言葉でいいかえると、三振率の変化の「バラつき」のほうが四球率よりはるかに大きいのである。
三振率が±4%の範囲で「大きく変化している」のに対して、四球率の変化は±1%と「分散の1倍の範囲内での小規模な変化」にとどまっている。このことは、「ストライクゾーンの変化に対する三振率の変化」が有意である可能性があるのに対して、「ストライクゾーンの変化に対する四球率の変化」はむしろ単なる誤差でしかない可能性が高いことを意味する。
このブログでは、これまでずっと、
「四球という現象の出現度は、他のプレー要素によってほとんど左右されることはない。という考え方を貫いてきた。
むしろ四球の出現度は、チームの強弱に関係なく、あらゆるチームにおいてほとんど一定であり、四球という現象があたかもチームの優劣を左右するかのような発想には、実はまったく意味がない。
出塁率にしても、その増減を決定づけているファクターは、そのほぼすべてが『打率』であり、四球数ではない」
2015年2月に書いたように、たとえ「100年くらいの長期」でみても、四球というファクターは、得点や出塁率はもちろん、「他のあらゆるゲームファクターの増減とはまったく無縁」の「独立したゲーム要素」である可能性が高いのである。
今回の「2010年代のストライクゾーンの変化」による三振や四球への影響をみても、「ストライクゾーンの変化によって、三振率も四球率も、同じ割合で、平行して変化する」などと考えることが馬鹿げた錯覚に過ぎないことがわかる。
記事例:
2011年2月24日、四球数をヒット数に換算する発想はベースボールにとって意味が無い、と考えるいくつかの理由。 | Damejima's HARDBALL
2012年4月8日、チームの「総得点」と「総四球数」の相関係数を調べた程度で、「四球は得点との相関が強い」とか断言する馬鹿げた笑い話。 | Damejima's HARDBALL
2012年11月11日、いまだに「チーム総四球数とチーム総得点の間には、何の関係もない」ことの意味が理解できず、「すでに自分が死んでいること」に気づかないない人がいる、らしい。 | Damejima's HARDBALL
2013年10月9日、2013ポストシーズンにおける「待球型チーム vs 積極スイングチーム」の勝負のゆくえ。 | Damejima's HARDBALL
2015年2月8日、「MLBの得点力低下をもたらした四球・長打の過大評価」原論にむけて(3)100年もの長期でみても「四球数」は、「得点」や「出塁率」はもちろん、他のゲームファクターの増減と無縁の存在である可能性は高い。 | Damejima's HARDBALL
だが、もしこのデータを、ごまかしのないグラフではなく、「数字だけ」で見せられ、「ほら、な。ストライクゾーンが変化すると、三振も四球もこんなに変化するんだぜ?」などと主張する記事なり、ネットの書き込みなりを見たとしたら、あなたは即座にその「作為」「デタラメ」「ウソ」を見抜くことができるだろうか? というのが、この記事の本当の主旨である。
ブログ主が思うに、大半の人は「信じ込んでしまう」のではないか。
そして「ストライクゾーンが変化すんだからよぉ、三振も四球も大きく変化するに決まってんだろ!」などと信じ込む安易な人間に限って、他人に議論をふっかけたがる。本当に始末が悪いのである。
April 11, 2018
ようやくアタマの中で「2010年代の姿」がクリアになった。
以下の話を、オカルトと思うか、なるほどと思うかは、あなたの知識と経験次第だ(笑)
2014年12月から2015年1月にかけて、
以下の2つの記事群を書いた。
2つの記事で確認したことは、
主に以下のようなことだ。
読んでもらえばわかるが、2014年冬の段階では、自分の第六感が「何かをとらえた」ことはわかっていたものの、「いったい何をキャッチしたのか」はそれほどハッキリしていなかった。
原因は「事実の不足」である。
例えば、2014年冬の時点では、例えばロイヤルズの快進撃を予想はしていても、翌2015年のワールドシリーズを勝つという事実はまだ確定したわけではないし、まして「2010年代全体のワールドシリーズ」が異様ともいえる結果になることも、まだわかってない。
ただ、いまから読み返してみると、「2014年12月段階」の記事で「2014年のMLBで最もホームラン数の少ないチームは、2014年ワールドシリーズを戦ったロイヤルズである」と、「2010年代を決定づける重要な事実」を指摘している。このことの意味をもっと早く、深く、掘りさげていれば、もっと早く結論が出ていたかもしれない。
参考記事:2015年4月14日、昨年のワールドシリーズ進出がフロックでなかったことを証明し、ア・リーグ中地区首位を快走するカンザスシティ・ロイヤルズの「ヒット中心主義」。 | Damejima's HARDBALL
だが、2010年代終盤になり、ようやく2010年代全体を見渡せる位置に来てみると、「このディケイド特有の異常さ」が見えてきた。例えば、「2010年代の異常な三振数増加」が見えてくることによって、「2010年代という時代全体の異様さ」をひもとく大きなヒントになった。
他にも、「2010年代ワールドシリーズの奇妙な結果」が以下のように集積されたことで、2010年代MLBの「奇妙な姿」はますますハッキリしてきた。
いまから思うと、2011年のファン投票でホセ・バティースタが「前年にくらべて異様な数の得票」で選出されたときに気づくべきだったのかもしれないが、まぁ、しかたない。
2011年のオールスターの「投票数」に関しては、今も「明らかに人為的に操作されたものだった」と思っている。
まとめる。
今から思うと、やはり2001年イチローのMLB登場は長いMLBの歴史に巨大な楔(くさび)を打ちこんだ「歴史のターニング・ポイント」だった。
機構の意図、それは主にヤンキースなど「ホームラン依存野球の再現に積極的なチーム」の意図を政策に反映したものだっただろうが、今から思えば、2011年以降シアトル・マリナーズがイチローを冷遇し、2012年にチームから追い出したプロセスは、マリナーズが「意図」に対して従順な「しもべ」であり、「飼い犬」だったから起きた事件だった。
以下の記事で、2017年に「1300三振以上したチーム」が大量に増加したことを指摘したが、これは「たくさんのチームが、非常に遅れたタイミングで、『ホームランの世紀というトレンド』に追随し、なおかつ、失敗したこと」を意味している。
2017年ワールドシリーズを勝ったのは、そうした「1300三振以上した」どのチームでもなかった。
イチロー移籍後、ジョー・ジラルディの仕事は「2000年代野球」の象徴だったイチローを飼い殺しにして引退に追い込むことであり、マリナーズの仕事は、イチロー不在となったチームとスタジアムを「ヤンキース風」に改造することだったが、どれもこれも失敗に終わる。
その結果、ジャック・ズレンシック、エリック・ウェッジ、ジョー・ジラルディはチームを去り、マリナーズは(正直、いまでも理由がよくわからないが)再びイチローを呼び戻すことになった。
「2010年代のMLBを1990年代風に回帰させる意図」が失敗に終わったことがハッキリした段階で、ボストン・レッドソックスは監督をアレックス・コーラにすげかえた。
このことの意味は、2017年に「ボストンが長年やり続けてきた『過度なまでの待球をバッターに強いる、出塁率重視戦術』がピリオドを迎えた」と書いたが、この観点には確信がある。ボストンは「変わり身が早い」からこそ、2018年も強いままなのである。
この記事で書いたことは、2011年あたりからここまで、7、8年もの歳月をかけてこのブログに書いてきたことに、常に一定のストーリーがあった、ということを、自分自身に「確認」するためのメモ書きでもある。信じる信じないは他人の勝手であり、自分が関知するところではない。
ただ、自分に言わせれば、「これだけたくさんの、事実、結果、失敗を目のあたりにしても、まだ『扇風機とフォアボールと三振の野球』が好きならば、どうぞ勝手におやりください」ということである(笑)
以下の話を、オカルトと思うか、なるほどと思うかは、あなたの知識と経験次第だ(笑)
2014年12月から2015年1月にかけて、
以下の2つの記事群を書いた。
2014年12月21日、「MLBの得点力低下をもたらした四球・長打の過大評価」原論に向けて (1)MLB25年史からわかる「2000年代以降、特に2010年代のホームランの得点効率の質的劣化」 | Damejima's HARDBALL
2015年1月22日、「MLBの得点力低下をもたらした四球・長打の過大評価」原論に向けて (2)原論の骨子と目標、打者の「均質化」、ビヘイビアの変化 | Damejima's HARDBALL
2つの記事で確認したことは、
主に以下のようなことだ。
「MLBの得点スタイル」は、それぞれの時代における「ホームラン総数」に影響を受ける。(といっても、それは「ホームランの本数がゲームの性質すべてを決定する」という意味では、まったくない)
MLB全体の各シーズンごとのホームラン総数の「増減傾向」は、少しずつ連続的に変化するのではなく、ある特定シーズンに「突如として、大きく変化」し、変化した後はその「新しい傾向」が続く。
「2010年代のMLB」における「総得点とホームランの関係」は、ステロイド全盛の「1990年代中期」に似ている。
「2010年代のMLB」におけるホームランの価値は、暴落といっていいほどに著しく低下した一方で、ホームランバッターの価格は暴騰した。
読んでもらえばわかるが、2014年冬の段階では、自分の第六感が「何かをとらえた」ことはわかっていたものの、「いったい何をキャッチしたのか」はそれほどハッキリしていなかった。
原因は「事実の不足」である。
例えば、2014年冬の時点では、例えばロイヤルズの快進撃を予想はしていても、翌2015年のワールドシリーズを勝つという事実はまだ確定したわけではないし、まして「2010年代全体のワールドシリーズ」が異様ともいえる結果になることも、まだわかってない。
ただ、いまから読み返してみると、「2014年12月段階」の記事で「2014年のMLBで最もホームラン数の少ないチームは、2014年ワールドシリーズを戦ったロイヤルズである」と、「2010年代を決定づける重要な事実」を指摘している。このことの意味をもっと早く、深く、掘りさげていれば、もっと早く結論が出ていたかもしれない。
参考記事:2015年4月14日、昨年のワールドシリーズ進出がフロックでなかったことを証明し、ア・リーグ中地区首位を快走するカンザスシティ・ロイヤルズの「ヒット中心主義」。 | Damejima's HARDBALL
だが、2010年代終盤になり、ようやく2010年代全体を見渡せる位置に来てみると、「このディケイド特有の異常さ」が見えてきた。例えば、「2010年代の異常な三振数増加」が見えてくることによって、「2010年代という時代全体の異様さ」をひもとく大きなヒントになった。
参考記事:
2017年2月4日、「三振の世紀」到来か。2010年代MLBの意味するもの。 | Damejima's HARDBALL
2017年2月1日、41本ホームラン打ったクリス・カーターに再契約オファーがなかったことからわかる、「ホームランバッターは三振が多くて当たり前」という話の真っ赤な嘘。 | Damejima's HARDBALL
他にも、「2010年代ワールドシリーズの奇妙な結果」が以下のように集積されたことで、2010年代MLBの「奇妙な姿」はますますハッキリしてきた。
2012年のワールドシリーズ制覇は、リーグ最高ホームラン数245本を記録したヤンキースではなく、30球団最低ホームラン数(103本)のジャイアンツだった。
2014年のア・リーグ優勝をもぎとったのは、30球団最低のホームラン数(95本)のロイヤルズだった。また、ワールドシリーズ制覇も、ホームラン総数わずか132本のジャイアンツだった。
2015年のワールドシリーズ制覇は、ホームラン数30球団中24位(139本)のロイヤルズだが、彼らの打率はMLB3位の.269だった。
2017年ワールドシリーズを勝ったのは、MLB最高のチーム打率、最少のチーム三振数、そしてMLB20位の少ない四球数のアストロズだった。
参考記事:
2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。 | Damejima's HARDBALL
いまから思うと、2011年のファン投票でホセ・バティースタが「前年にくらべて異様な数の得票」で選出されたときに気づくべきだったのかもしれないが、まぁ、しかたない。
2011年のオールスターの「投票数」に関しては、今も「明らかに人為的に操作されたものだった」と思っている。
参考記事:
2011年7月3日、「ここまでするか」と感じる、2011年オールスター投票の作為。 | Damejima's HARDBALL
2011年7月8日、デレク・ジーターのオールスター欠場という事態を招いた「歪んだファン投票結果」に怒りを覚える。 | Damejima's HARDBALL
2011年7月10日、600万票以上得票したプレーヤーが何人もいるにもかかわらず、20%以上プレミア価格が下がっても、いまだに4000枚以上売れ残っている今回の「恥ずべき」オールスターのチケット。 | Damejima's HARDBALL
2011年7月18日、去年より低かった2011MLBオールスターの視聴率 (2)700万票以上集めた選手すら出現したオールスターの「視聴率が下がる」現象は、どう考えても納得などできない。 | Damejima's HARDBALL
まとめる。
2010年代とは
MLBの「意図」と、
実際に「成功した野球」が「大きく乖離」した
特殊な時代
だったのである。
「2010年代」という時代に、コミッショナーがバド・セリグからロブ・マンフレッドに変わったMLBが意図したのは、かつての「ホームラン依存ベースボール」の「再現」である。
そのモデルはおそらく「1990年代」であり、「イチロー以前の野球」と言い換えてもいい。
だが、「2010年代MLBで実際に成功をおさめた野球」は、「限られた数のチーム」が、「あえて」MLBの意図とは異なる方向に作り上げ、実行した「ホームランにまったく依存しない野球」だった。
今から思うと、やはり2001年イチローのMLB登場は長いMLBの歴史に巨大な楔(くさび)を打ちこんだ「歴史のターニング・ポイント」だった。
参考記事:
2010年9月9日、盗塁とホームランの「相反する歴史」。そしてイチローのメジャーデビューの歴史的意義。 | Damejima's HARDBALL
機構の意図、それは主にヤンキースなど「ホームラン依存野球の再現に積極的なチーム」の意図を政策に反映したものだっただろうが、今から思えば、2011年以降シアトル・マリナーズがイチローを冷遇し、2012年にチームから追い出したプロセスは、マリナーズが「意図」に対して従順な「しもべ」であり、「飼い犬」だったから起きた事件だった。
以下の記事で、2017年に「1300三振以上したチーム」が大量に増加したことを指摘したが、これは「たくさんのチームが、非常に遅れたタイミングで、『ホームランの世紀というトレンド』に追随し、なおかつ、失敗したこと」を意味している。
2017年ワールドシリーズを勝ったのは、そうした「1300三振以上した」どのチームでもなかった。
参考記事:
2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。 | Damejima's HARDBALL
イチロー移籍後、ジョー・ジラルディの仕事は「2000年代野球」の象徴だったイチローを飼い殺しにして引退に追い込むことであり、マリナーズの仕事は、イチロー不在となったチームとスタジアムを「ヤンキース風」に改造することだったが、どれもこれも失敗に終わる。
その結果、ジャック・ズレンシック、エリック・ウェッジ、ジョー・ジラルディはチームを去り、マリナーズは(正直、いまでも理由がよくわからないが)再びイチローを呼び戻すことになった。
参考記事:
2013年9月9日、イチローのバッティングを常に「冷やし」続けてきたジョー・ジラルディの不合理な起用ぶりを、この際だから図に起こしてみた。 | Damejima's HARDBALL
2013年9月18日、ニューヨーク・ポストのケン・ダビドフが書いた「2012年冬のヤンキースの失敗」についての浅はかな記事を紹介しつつ、ジラルディの選手起用のまずさがチームバッティングを「冷やした」証拠となるデータを味わう。 | Damejima's HARDBALL
2015年1月29日、2014年版「イチローのバッティングを常に冷やし続けたジョー・ジラルディの不合理な起用ぶり」。 | Damejima's HARDBALL
「2010年代のMLBを1990年代風に回帰させる意図」が失敗に終わったことがハッキリした段階で、ボストン・レッドソックスは監督をアレックス・コーラにすげかえた。
このことの意味は、2017年に「ボストンが長年やり続けてきた『過度なまでの待球をバッターに強いる、出塁率重視戦術』がピリオドを迎えた」と書いたが、この観点には確信がある。ボストンは「変わり身が早い」からこそ、2018年も強いままなのである。
参考記事:
2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。 | Damejima's HARDBALL
この記事で書いたことは、2011年あたりからここまで、7、8年もの歳月をかけてこのブログに書いてきたことに、常に一定のストーリーがあった、ということを、自分自身に「確認」するためのメモ書きでもある。信じる信じないは他人の勝手であり、自分が関知するところではない。
ただ、自分に言わせれば、「これだけたくさんの、事実、結果、失敗を目のあたりにしても、まだ『扇風機とフォアボールと三振の野球』が好きならば、どうぞ勝手におやりください」ということである(笑)
April 09, 2018
MLBで「1試合に4回三振する」ことを、スラングで "Golden Sombrero" (ゴールデン・ソンブレロ)という。
"Golden Sombrero" のMLB歴代ランキング1位は、「26回」(プラチナも1回記録)のライアン・ハワードがダントツだが、シーズン三振記録でMLB第2位の222三振(2012年)をもつアダム・ダンが「19回」、名誉あるMLBレコード、シーズン223三振(2009年)をもつマーク・レイノルズが「16回」記録していることからわかるとおり、 "Golden Sombrero" は、「アダム・ダン的バッター」、つまり「ホームランばかり狙って強振して三振を繰り返す低打率のホームランバッター」の勲章でもある(笑)
参考記事:2014年10月20日、やがて悲しきアダム・ダン。ポスト・ステロイド時代のホームランバッター評価の鍵は、やはり「打率」。 | Damejima's HARDBALL
「MLB全体でのシーズンGolden Sombrero回数」が最高に達したのは、「2016年の172回」であり、今のMLBがありえないレベルの『三振の世紀』に突入していることがよくわかる。
参考記事:2017年2月4日、「三振の世紀」到来か。2010年代MLBの意味するもの。 | Damejima's HARDBALL
Golden Sombrero
MLB歴代ランキング BEST 5
ライアン・ハワード 26回(他にプラチナ1回)
レジー・ジャクソン 22回(他にプラチナ1回。通算2597三振は歴代第1位)
ジム・トーミ 20回(通算2548三振 歴代第2位)
アダム・ダン 19回(通産2379三振 歴代第3位)
ボー・ジャクソン 19回
Golden sombrero - Wikipedia
これがさらに、「1試合5三振」となると、「ゴールドより上」ということで、 "Platinum Sombrero" (プラチナ・ソンブレロ)というネーミングになる(笑)
オリンピックのマークが「五つのリング」でできていることにひっかけて "Olympic Rings" という言い方もあるらしい。
これまでこの名誉ある "Platinum Sombrero" を「キャリアで3回以上達成した野手」は、100年の長い歴史をもつMLBでも「たった2人」しかいなかった。サミー・ソーサと、1990年代のセントルイスでプレーしたRay Lankfordである。
だが今年、新たにひとりの「精鋭」が加わるかもしれない。
ジャンカルロ・スタントンである。
「複数回」のPlatinum Sombrero達成者
「通算3回以上達成」は過去2人のみ
サミー・ソーサ 4回 通算回数のMLB記録
Ray Lankford 3回
1998年に1シーズン3回記録。「1シーズンの記録」としてMLB記録。Ray Lankford Stats | Baseball-Reference.com
2回
ジャンカルロ・スタントン、ジム・トーミ、マーク・テシェイラ、ロン・スヴォボダ、リッチー・セクソン、ジョージ・スコット、アレックス・リオス、ベニー・カウフ、アンドリュー・ジョーンズ、クリス・デイビス、ディック・アレン
「1シーズン2回のPlatinum Sombrero」は他にも達成者が10数人いるが、シーズン始まって「わずか1週間での達成」は他に例がない。スタントン、「期待」を裏切らない男である。
なお、これまでわずか8人しかいない「1試合6三振」を "Titanium Sombrero" (チタニウム・ソンブレロ)、「1試合7三振」を The Diamond Sombrero”(ダイヤモンド・ソンブレロ)、「1試合8三振」を "The Plutonium Sombrero" (プルトニウム・ソンブレロ)と表記しているサイトがあるが、それぞれが本当にそういう名称で呼ばれているかどうか定かでない(笑)
(ただし、メジャーの記録ではないものの、「1試合8三振」という記録自体は実在していて、ロイヤルズ傘下のsingle A, Lexington LegendsのKhalil Leeが2017年に記録している)
データサイトの老舗Baseball ReferenceにもGolden Sombreroという言葉の説明ページが存在していて、1試合6三振のTitanium Sombreroという単語が記載されているところを見ると、「チタニウム・ソンブレロ」まではオーソライズされているのかもしれない。
ジャンカルロ・スタントンがこの2018シーズンに、あと1回「1試合5三振」を記録すると、Ray Lankfordと並んで「1シーズン3回のPlatinum Sombrero」で、MLBタイ記録となる。
また「今シーズン中に、あと2回」記録すると、MLB史上初の「1シーズン4回のPlatinum Sombrero」となり、また「キャリア通算4回」はサミー・ソーサと並んでMLBタイ記録となる。
さらには、「引退までに、あと3回」記録すると、「キャリア通算5回」となって、これはサミー・ソーサすら抜き去り、堂々MLB新記録となる(笑)
今シーズン、ジャンカルロ・スタントンのバットから目が離せない(笑)
April 07, 2018
「糖質制限」という言葉、近年本当によく聞く言葉のひとつだ。
要するに、肥満とか現代病の主な原因は「糖質」にあるので、可能な範囲で止めよう、ということらしい。
この話の真偽を論じること自体は、このブログの主旨ではないので置いておく。ブログ主が「共感できない。アホか」と感じるのは、この手の話によく出てくる「人間とチンパンジーの遺伝子は99%同じ。だからチンパンジーの健康な食生活を真似ましょう」とかいう「奇怪なロジック」と、そこから導きだされる健康法だ。(以下、「人間とチンパンジーの遺伝子は99%同じ」という説を、「99%共通説」と略す)
まず最初に、以下の例文を読んでもらおう。
人間とチンパンジーのDNAは99%一致するというのは本当なのか? - GIGAZINE
記事によると、「99%共通説」は、人間のゲノム25%とチンパンジーのゲノム18%の間に存在する「DNAの大きな違い」を故意に無視し、残りのDNA、つまり「似ていると最初からわかっているDNA」だけ比較して出された「まやかしの数字」であるといい、(この話が本当なら)「99%共通説」そのものが眉唾なデタラメということらしい。
次に、以下のサイトを読んでもらおう。
遺伝子の99%が同じでも、人間とチンパンジーの消化器官の構造は違う
長い話を簡単にまとめると、「消化器官の構造が、人間とチンパンジーとで大きく異なる」ということだ。
もう少し詳しく書くと、草食中心で生きていく動物には、食物を長い時間腸内にとどめておくための「長くて大きい腸」、または「体内で発酵を行う器官」が必要になる。
チンパンジーは消化器官の「50%程度」が大腸で、草食に適している。だが人間の大腸は消化器官の「20%程度」にすぎず、構造として「草食動物とライオンのような肉食動物の中間」あたりにあたる。つまり人間の消化器官は、チンパンジーよりはるかに「肉食寄り」にできているのである。
次に、「脳の進化と食物の関係性」に触れてみる。
脳の栄養 〜ブドウ糖(砂糖)とトリプトファンを中心として〜|農畜産業振興機構
簡単にまとめると、脳の発達度合いは、人間とチンパンジーとで大きく異なっていて、チンパンジーの脳は約400グラムで、摂取カロリーの10%しか消費しないが、人間の脳は約1250グラムで、チンパンジーの3倍の重さであり、摂取カロリーの約25%、酸素とブドウ糖の摂取量の約24%を消費している。
脳はブドウ糖など多くのエネルギーを必要とする臓器であるが、ことに脳が巨大に進化したホモ・サピエンスの場合には、「大食漢な臓器」である脳を健全な状態に維持するためには、それ相応の量の、カロリー、酸素、ブドウ糖が必要不可欠なのである。
3つの話を勝手にまとめてみる。
人類は進化の過程で、消化器官の変化や脳の巨大化など、身体の変化を経験してきたが、それにともなって「草食から狩猟への移行」によって「食生活を変化させること」を選択したようだ。
ホモ・サピエンス独特の身体のしくみである「脳」が、食生活によって摂取するエネルギーやブドウ糖のかなりのパーセンテージを消費する「大食漢」であることを考えると、この「草食から狩猟への移行」には合理性がある。
つまり、人間の暮らしにおいて「脳の発達による巨大化と、食生活が草食から遠ざかる方向に進んだことは、平行して起きた」のである。
さらに話をすすめる。
ジャレ・ド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』でも触れられているが、人類は、数十万前とか数百万年前に「草食から狩猟への移行」を経験したあと、1万数千年だか前に、こんどはさらに「農耕生活への移行」を経験した。
脳と穀物栽培のどちらが卵でどちらがニワトリかといえば、人間の脳の発達は1万年前どころではなく、何十万年、何百万年とかいう話だから、「穀物を食べるようになったから、脳が発達した」のではない。
むしろ、「巨大な脳が要求する多大なエネルギー需要を満たすためもあって、人類は必死に狩りに明け暮れる暮らしをおくっていたが、あるとき、農耕という『安楽なエネルギー獲得方法』を発見し、そちらに移行した」と考えるほうが、理にかなっている。
皮肉なことに、この「狩猟から農耕への移行」によって、人類の脳は「人間の進化史上、初めて縮小を経験した」ようだ。というのも、「2万数千年前まで存在したネアンデルタール人の脳容量は、現代人より10%程度大きい」ようなのだ。
と、いうことは、農耕への移行で穀物を豊富に食べられるようになって、人間は、縮小ではないにしても、少なくとも「脳をもっともっと巨大化させるという進化を選択しなくなった」ということになる。(今ではスマホやコンピューターの出現で、もっと「縮小」するかもしれない 笑)
おおまかにまとめると、以下のようになる。
農耕の開始以降の糖質の摂りすぎが人類の食生活がかかえる大問題なのは確かだとしても、だからといって人間のカラダの仕組みがたった1万年やそこらで変わるわけではない。
消化器官が草食動物と異なる人類は、草だけ食べる生活はできない。脳がデカすぎる人類は、ブドウ糖の大好きな脳に十分な栄養が来なくなって、メンタルがやられることもあるから、糖質の摂取を全面的にやめるわけにもいかない。肉食を敵視する考えの人もいるらしいが、人類のカラダが肉食向きというのも事実で、それをすぐに変えることはできない。
こうして人類の食生活の変化の歴史をざっと並べてみると、ヴィーガンとかヴェジタリアンとかいう話をする以前の問題として、現代の人間の食生活に異論をとなえるだけでなく、極端すぎる健康感を他人におしつけたがる人たちのメンタルには、どこか「強烈な自己嫌悪」、とりわけ「自分の身体に対する嫌悪感」が充満していて、それが自分の容姿や食生活への強い否定につながっているように思えてならないのだが、どうだろう。
はっきり言わせてもらって、ブログ主は個人の自己嫌悪が人間の文化を発展させ、進化させるとは、まったく思わない。食生活を改善する以前に、自分のメンタルを健康にしたほうがいいと思う。
人間はうまいものをうまく食う。
そのためにこそ、必死に脳を使う。
本来そういう動物なのだ。
要するに、肥満とか現代病の主な原因は「糖質」にあるので、可能な範囲で止めよう、ということらしい。
この話の真偽を論じること自体は、このブログの主旨ではないので置いておく。ブログ主が「共感できない。アホか」と感じるのは、この手の話によく出てくる「人間とチンパンジーの遺伝子は99%同じ。だからチンパンジーの健康な食生活を真似ましょう」とかいう「奇怪なロジック」と、そこから導きだされる健康法だ。(以下、「人間とチンパンジーの遺伝子は99%同じ」という説を、「99%共通説」と略す)
まず最初に、以下の例文を読んでもらおう。
人間とチンパンジーのDNAは99%一致するというのは本当なのか? - GIGAZINE
記事によると、「99%共通説」は、人間のゲノム25%とチンパンジーのゲノム18%の間に存在する「DNAの大きな違い」を故意に無視し、残りのDNA、つまり「似ていると最初からわかっているDNA」だけ比較して出された「まやかしの数字」であるといい、(この話が本当なら)「99%共通説」そのものが眉唾なデタラメということらしい。
次に、以下のサイトを読んでもらおう。
遺伝子の99%が同じでも、人間とチンパンジーの消化器官の構造は違う
長い話を簡単にまとめると、「消化器官の構造が、人間とチンパンジーとで大きく異なる」ということだ。
もう少し詳しく書くと、草食中心で生きていく動物には、食物を長い時間腸内にとどめておくための「長くて大きい腸」、または「体内で発酵を行う器官」が必要になる。
チンパンジーは消化器官の「50%程度」が大腸で、草食に適している。だが人間の大腸は消化器官の「20%程度」にすぎず、構造として「草食動物とライオンのような肉食動物の中間」あたりにあたる。つまり人間の消化器官は、チンパンジーよりはるかに「肉食寄り」にできているのである。
次に、「脳の進化と食物の関係性」に触れてみる。
脳の栄養 〜ブドウ糖(砂糖)とトリプトファンを中心として〜|農畜産業振興機構
簡単にまとめると、脳の発達度合いは、人間とチンパンジーとで大きく異なっていて、チンパンジーの脳は約400グラムで、摂取カロリーの10%しか消費しないが、人間の脳は約1250グラムで、チンパンジーの3倍の重さであり、摂取カロリーの約25%、酸素とブドウ糖の摂取量の約24%を消費している。
脳はブドウ糖など多くのエネルギーを必要とする臓器であるが、ことに脳が巨大に進化したホモ・サピエンスの場合には、「大食漢な臓器」である脳を健全な状態に維持するためには、それ相応の量の、カロリー、酸素、ブドウ糖が必要不可欠なのである。
3つの話を勝手にまとめてみる。
草食動物は、食物である草の分解に長時間をかけるため、消化器官が独特の構造をしている。ホモ・サピエンスの消化器官の場合は、「草食動物よりずっと短時間で食物を分解する構造」になっており、「草食・肉食の併用に向いた形態」といえる。
また、人類の脳はチンパンジーよりはるかに巨大であり、常に「一定量のカロリーとブドウ糖」を必要としている。
トータルにいえば、人類とチンパンジーとは、異なる進化経験してきたために、身体の構造や生活習慣に異なった部分が数多くある。人間とチンパンジーは「食生活も異なるのが自然だ」といえる。
人類は進化の過程で、消化器官の変化や脳の巨大化など、身体の変化を経験してきたが、それにともなって「草食から狩猟への移行」によって「食生活を変化させること」を選択したようだ。
ホモ・サピエンス独特の身体のしくみである「脳」が、食生活によって摂取するエネルギーやブドウ糖のかなりのパーセンテージを消費する「大食漢」であることを考えると、この「草食から狩猟への移行」には合理性がある。
つまり、人間の暮らしにおいて「脳の発達による巨大化と、食生活が草食から遠ざかる方向に進んだことは、平行して起きた」のである。
さらに話をすすめる。
ジャレ・ド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』でも触れられているが、人類は、数十万前とか数百万年前に「草食から狩猟への移行」を経験したあと、1万数千年だか前に、こんどはさらに「農耕生活への移行」を経験した。
脳と穀物栽培のどちらが卵でどちらがニワトリかといえば、人間の脳の発達は1万年前どころではなく、何十万年、何百万年とかいう話だから、「穀物を食べるようになったから、脳が発達した」のではない。
むしろ、「巨大な脳が要求する多大なエネルギー需要を満たすためもあって、人類は必死に狩りに明け暮れる暮らしをおくっていたが、あるとき、農耕という『安楽なエネルギー獲得方法』を発見し、そちらに移行した」と考えるほうが、理にかなっている。
皮肉なことに、この「狩猟から農耕への移行」によって、人類の脳は「人間の進化史上、初めて縮小を経験した」ようだ。というのも、「2万数千年前まで存在したネアンデルタール人の脳容量は、現代人より10%程度大きい」ようなのだ。
と、いうことは、農耕への移行で穀物を豊富に食べられるようになって、人間は、縮小ではないにしても、少なくとも「脳をもっともっと巨大化させるという進化を選択しなくなった」ということになる。(今ではスマホやコンピューターの出現で、もっと「縮小」するかもしれない 笑)
おおまかにまとめると、以下のようになる。
・人間の食生活は、草食寄りのチンパンジーと違って、「草食と肉食の中間形態」にあって、草食だけで生きていけるようにはできていない
・巨大化していく脳をかかえながら、人類は必死に「狩猟による肉食」などを発達させ生き延びてきた
・1万数千年前あたりに「農耕」という新しいエネルギー獲得法を発見した(そのことはジャレ・ド・ダイアモンドによれば世界の地域格差が生じた原因である)
・農耕の開始によって、人間の脳の巨大化はむしろ止まった
・農耕という新しいエネルギー源の発見は、他方で人間にガンなどの成人病、肥満や虫歯など、あらゆる現代病をもたらした
・だが、だからといって現在でも人類のカラダは「草食オンリーでも生きていける」ようには、まったくできていない
農耕の開始以降の糖質の摂りすぎが人類の食生活がかかえる大問題なのは確かだとしても、だからといって人間のカラダの仕組みがたった1万年やそこらで変わるわけではない。
消化器官が草食動物と異なる人類は、草だけ食べる生活はできない。脳がデカすぎる人類は、ブドウ糖の大好きな脳に十分な栄養が来なくなって、メンタルがやられることもあるから、糖質の摂取を全面的にやめるわけにもいかない。肉食を敵視する考えの人もいるらしいが、人類のカラダが肉食向きというのも事実で、それをすぐに変えることはできない。
こうして人類の食生活の変化の歴史をざっと並べてみると、ヴィーガンとかヴェジタリアンとかいう話をする以前の問題として、現代の人間の食生活に異論をとなえるだけでなく、極端すぎる健康感を他人におしつけたがる人たちのメンタルには、どこか「強烈な自己嫌悪」、とりわけ「自分の身体に対する嫌悪感」が充満していて、それが自分の容姿や食生活への強い否定につながっているように思えてならないのだが、どうだろう。
はっきり言わせてもらって、ブログ主は個人の自己嫌悪が人間の文化を発展させ、進化させるとは、まったく思わない。食生活を改善する以前に、自分のメンタルを健康にしたほうがいいと思う。
人間はうまいものをうまく食う。
そのためにこそ、必死に脳を使う。
本来そういう動物なのだ。
April 06, 2018
1959年から1965年にかけての南海ホークスは、三冠王野村克也を中心にした重量打線が売りで、1959年と1964年の2度、日本シリーズを制している。その重量打線のネーミングが「400フィート打線」で、この「400フィート(=約122メートル)」という数字はいうまでもなく「打球がホームランになるのに十分な飛距離」を意味している。
先日、大谷翔平がサイ・ヤング賞投手コーリー・クルーバーからセンターに打ったメジャー2号がやはり「400フィート」というので話題になったが、MLBのボールパークの大半でセンターの最深部は400フィートちょっとだから、大谷はとりあえず南海の400フィート打線でもやっていけるはずだ(笑)
2007年のオールスターでイチローが打ったランニングホームランの飛距離も、飛距離はだいたい「400フィート」だった。
2007年オールスターの会場はサンフランシスコのAT&Tパークだ。
このスタジアムの右中間の「最深部」は、421フィート(=約128.3メートル)もある。(以下の写真で、Aと書かれた円形の中に「421」という数字が書いてある部分)
センターの最深部は「399フィート」(=121.6メートル)だから、AT&Tは「センター最深部より、右中間奥のほうがはるかに広い、特殊なスタジアム」なのだ。
イチローの打球が直撃したフェンスは下記の写真のB、つまり「オレンジ色の広告」の部分だが、写真のCの部分、つまり右中間の中間部は「365フィート」(=111.2メートル)だから、この打球の飛距離はだいたい「400フィート」ということになる。
AT&T Park
ソース:
Clem's Baseball ~ AT&T Park
右中間、左中間がまっすぐ平らになっていて、右中間がたった370フィート(約112メートル)しかないアナハイムと比べると、AT&Tの右中間の「異常さ」(笑)がよくわかる。
Angel Stadium of Anaheim
ソース:
Clem's Baseball ~ Angel Stadium of Anaheim
いまだにイチローのランニングホームランを「偶然の産物」だと思っている人がいるかもしれないが、それは間違いだ。
たいていのボールパークはどこも右中間、左中間が潰れたカタチをしていてホームランが出やすくなっているから、「右中間が400フィート以上もあるボールパーク」なんてものは、普通はありえない。
だからイチローの打った「400フィートという飛距離」は、「普通のボールパークの右中間」なら、スタンド最前列に飛び込むどころか、フェンスから10メートルほど奥に届いている。
つまり、イチローのランニングホームランは、「本来はホームランになるべき、十分すぎる飛距離の打球」だったのだが、打った場所がたまたま「AT&T」だったためにスタンドに届かなかった、ただそれだけのことなのである。
当時の外野手ケン・グリフィーJRが、頭上を越えていく打球に心の備えがないまま前進守備していて、あわてふためいて送球が遅れたのも、AT&Tならばこそだ。
ちなみに、センターが広大なので有名なのは、デトロイトのコメリカパークだ。センター最奥は、AT&Tの右中間の奥と同じ、「420フィート」もある。
大谷がアナハイムでセンターに打った400フィートのホームランも、コメリカパークでなら、よくて三塁打、普通は二塁打で、ホームランにはならない。もし大谷の打撃データをもとにシフトが敷かれていた場合なら、ホームランどころか、下手すると外野フライだった可能性だって、ないわけではないのである。
先日、大谷翔平がサイ・ヤング賞投手コーリー・クルーバーからセンターに打ったメジャー2号がやはり「400フィート」というので話題になったが、MLBのボールパークの大半でセンターの最深部は400フィートちょっとだから、大谷はとりあえず南海の400フィート打線でもやっていけるはずだ(笑)
2007年のオールスターでイチローが打ったランニングホームランの飛距離も、飛距離はだいたい「400フィート」だった。
2007年オールスターの会場はサンフランシスコのAT&Tパークだ。
このスタジアムの右中間の「最深部」は、421フィート(=約128.3メートル)もある。(以下の写真で、Aと書かれた円形の中に「421」という数字が書いてある部分)
センターの最深部は「399フィート」(=121.6メートル)だから、AT&Tは「センター最深部より、右中間奥のほうがはるかに広い、特殊なスタジアム」なのだ。
イチローの打球が直撃したフェンスは下記の写真のB、つまり「オレンジ色の広告」の部分だが、写真のCの部分、つまり右中間の中間部は「365フィート」(=111.2メートル)だから、この打球の飛距離はだいたい「400フィート」ということになる。
AT&T Park
ソース:
Clem's Baseball ~ AT&T Park
右中間、左中間がまっすぐ平らになっていて、右中間がたった370フィート(約112メートル)しかないアナハイムと比べると、AT&Tの右中間の「異常さ」(笑)がよくわかる。
Angel Stadium of Anaheim
ソース:
Clem's Baseball ~ Angel Stadium of Anaheim
いまだにイチローのランニングホームランを「偶然の産物」だと思っている人がいるかもしれないが、それは間違いだ。
たいていのボールパークはどこも右中間、左中間が潰れたカタチをしていてホームランが出やすくなっているから、「右中間が400フィート以上もあるボールパーク」なんてものは、普通はありえない。
だからイチローの打った「400フィートという飛距離」は、「普通のボールパークの右中間」なら、スタンド最前列に飛び込むどころか、フェンスから10メートルほど奥に届いている。
つまり、イチローのランニングホームランは、「本来はホームランになるべき、十分すぎる飛距離の打球」だったのだが、打った場所がたまたま「AT&T」だったためにスタンドに届かなかった、ただそれだけのことなのである。
当時の外野手ケン・グリフィーJRが、頭上を越えていく打球に心の備えがないまま前進守備していて、あわてふためいて送球が遅れたのも、AT&Tならばこそだ。
ちなみに、センターが広大なので有名なのは、デトロイトのコメリカパークだ。センター最奥は、AT&Tの右中間の奥と同じ、「420フィート」もある。
大谷がアナハイムでセンターに打った400フィートのホームランも、コメリカパークでなら、よくて三塁打、普通は二塁打で、ホームランにはならない。もし大谷の打撃データをもとにシフトが敷かれていた場合なら、ホームランどころか、下手すると外野フライだった可能性だって、ないわけではないのである。
April 05, 2018
イチローの第一打席の5球目の判定(結果:見逃し三振)が酷い。
— damejima (@damejima) 2018年4月5日
球種はツーシーム。どこをどうとったって、これが「ストライク」なわけがない。球審は、Lance Barksdale。ふざけんな。 pic.twitter.com/LWSM8GkPy2
2018年4月4日は、AT&TでのSFG戦だが、第一打席で球審のおかしな判定のせいでイチローが見逃し三振「させられた」のが非常にアタマにきた。
データ集めと画像編集がめんどくさいせいせいで(笑)、最近アンパイアとかストライクゾーンについて記事を書かなくなっていたことも反省としてあるし、「この数年のアンパイアの新しい傾向」にも触れながら怒りの記事を書いてみた。
このブログでは「MLB独特のストライクゾーン」について何度も書いてきた。その主なものを箇条書きにしてみると、こうなる。
・右バッターと左バッターでは、ゾーンがかなり異なる
・左バッターのゾーンは、「アウトコース側」に大きくズレている。
参考記事:
2010年10月29日、MLBのストライクゾーンの揺らぎ (2)2007年の調査における「ルールブックのストライクゾーン」と、「現実の判定から逆測定したストライクゾーン」の大きな落差。 | Damejima's HARDBALL
2007年時点のゾーン
しかし、これからMLBを見ようとする人はぜひ知っておくべきことでもあるが、「2010年代以降のストライクゾーン」は、かつての「アンパイアの個人差が許容されていたゾーン」とはまったく違うものになりつつある。
The 2017 Strike Zone | The Hardball Times via Jon Roegele, Hardball Times
左バッターに関する2007年と2017年のゾーンの違い
上の図で一目瞭然だが、かつてあれだけ広かった「左バッターのアウトコースのゾーン」がほぼ無くなっているかわり、今では「低めを非常に広くとるようになった」のである。(もちろん、このことは、低めの球をすくい上げるようにしてフライを打つ近年のMLBバッターの傾向とも、深く関係している)
そのベクトルを簡単にいえば、
2010年代以降のMLBのストライクゾーンはということになる。
意図的に「ルールブック通り」に変えられてきている
「MLBのストライクゾーンがルールブック通りのものになっていく傾向」の一方で、「アンパイアの判定の正確さ」も急激に変化しはじめている。
詳しくは別の機会に書くが、簡単にいえば、2010年代に入ってアンパイアのストライク判定は「どんどん正確になってきている」のである。
これには、MLBが「判定精度は多少悪いが個性の強いヴェテランアンパイアを引退させ、ルールブック通りに判定したがるせいで個性はないが判定精度の高い新人に入れ替えはじめた」ことも関係している。(これは別の言い方をすれば、2010年代に入ってストライクゾーンがリニュアルされるのと同時に、アンパイアの顔ぶれも、どんどん個人差のない、単調で機械的なものに「リニュアル」されつつある、という意味でもある)
参考記事:Umpires Are Less Blind Than They Used To Be | FiveThirtyEight
こうした最近のMLBのストライクゾーンの傾向とアンパイアの変化をまずアタマに入れ、その上で、2018年4月4日のSEA対SFG戦でのLance Barksdaleのイチローの見逃し三振判定をみれば、その意味はわかると思う。
たしかにLance Barksdaleは、2010年代に求められはじめた「判定精度の高いアンパイア」のひとりで、年々精度の上がっているひとりではあるが、その一方、以下のサイトの2013年の判定例からわかるように、かつては「左打者のインハイをストライク判定したがる、奇妙なアンパイア」だった。
2013_06_12_Lance_Barksdale.mia_mil.norm | Strike Zone Maps
もしMLBに「左バッターのインハイをストライク判定したがるアンパイア」がたくさんいるのなら、「MLBの判定傾向は左打者のインハイをストライク判定するのが普通なのだから、しかたがない」といえなくもないが、実際には、そんなアンパイアなどMLBにはほとんどいない。
で、あるならば、だ。
これだけMLBのストライクゾーンが「ルールブックどおり」になりつつあり、アンパイアの精度が飛躍的に上がってきていて、個人差も減って(というか、「減らされ」)きている2018年現在、MLBアンパイアの中でも指折りの判定の正確さのはずのLance Barksdaleのが、イチローに対する判定だけがこれほど酷いままでも許される理由は、どこにもない。
Lance Barksdaleが「かつての自分の判定の好みを、イチローにだけ押しつける」なんてことは、判定が画一化されつつある2018年となっては、もはやなんの意味もないのである。
あえて汚い言葉を使わせてもらうなら、
「特定の選手を差別して判定してんじゃねぇよ、クソ野郎。」
って、話になるのである。
April 02, 2018
大谷初先発ゲームについてのマイク・ソーシアのコメントで、彼がなぜ名監督といわれるか、そして彼の才能が、とてもよくわかった。彼は「考えるチカラ」があるが、そこで終わらず、「伝えるチカラ」がある。そこが素晴らしい。キャッチャー出身監督、それだけが彼の才能の理由ではない。
— damejima (@damejima) 2018年4月2日
メジャー初登板の大谷が3ランを打たれたとき、マイク・ソーシアは『ここから抑えれば何も問題ないから』と声をかけ、まだMLBに慣れていない若者を落ち着かせた。
初登板をなんとかホームランの3失点だけで乗りきった大谷が、試合後「野球を始めて、はじめてマウンドに行くときのような気持ち」で楽しかったとコメントしたと聞いて、マイク・ソーシアの「度量」の大きさを感じた。
ソーシアが、『ここから抑えれば何も問題ないから』とあっさり言える理由はハッキリしている。
「ショウヘイ。ウチのチームは、だな。あのマイク・トラウトも、アルバート・プーホールズもいるチームなんだぜ。心配しなくてもヤツラがそのうち逆転してくれるさ。だからオマエは自分の仕事さえしてくれれば、それでいいんだ。』
もっと短く言うなら、
「オマエはひとりで野球やってるわけじゃない。心配すんな。」ということだ。
「ひとりじゃない」という意味の言葉が「ある特別なタイミング」で耳に入れば、ヒトの傷んだココロを一瞬で救える魔法の言葉になることは、わかる人にはわかると思う。
うがち過ぎの推測かもしれないが、日本にいるときの大谷は、エースでクリーンアップとでもいうような「1人2役」的な立場にあったわけだから、いってみれば、「ひとりで野球やっているような感じ」がぬぐえなかったのではないかと、この話を聞いて思った。
大谷という選手は、他人から「2刀流という自分独自のスタイルばかり追い求めている」とみなされることが、たぶん多い。
けれど、だからといって、彼は「ひとりで野球やりたい」と思って野球をやっているわけでもなければ、「ひとりでできるのが野球というスポーツだと、心の中で思っている」わけでも、おそらくない。
もしかすると、大谷は2刀流がやりたくてアメリカに渡ったばかりではなく、「ひとり野球がつまらなくて」アメリカに渡ったのかもしれないのである。
ならば、マイク・ソーシアに「肩のチカラを抜いて」もらって、長年たまっていた「ひとりで野球やっている感」から「解放」してもらえば、そりゃ野球が楽しいに決まっている。そして、「選手に楽しく野球をやらせることができる監督」は、「指導者として一流」に決まっている。
ちなみに、このオフの話題の中心だった大谷とジャンカルロ・スタントン、どちらがシーズンが進むにつれて成績を残すか、といえば、たぶん大谷のほうだろうと思う。
投手としての大谷は、これからMLBの環境や打者データへの順応がますます進んでいく立場にある。つまり、「のびしろがある」わけだ。
対してスタントンは逆に、2017シーズン前半しか活躍できず後半に大きく失速したアーロン・ジャッジと同じで、これからスカウティング好きなア・リーグ東地区各チームの研究対象になって、「のびしろがどんどんなくなっていく立場」にある。
だから、スタントンが、投手がまだスタントンの十分なデータを得られない春から夏にかけて、あの狭いヤンキースタジアムのホームゲームでいくらホームランを量産したとしても、それは単に「想定内」の出来事にすぎない。
他方、投手・大谷が春先に打たれる場面が多くみられたとしても、それもまた想定内の出来事にすぎない。いくらオークランドの新人君たちが「オオタニからホームランを量産できる自信があるぜ」と(笑)オオグチたたいてみせても、春先に1本や2本ホームランを打てるかもしれないが、長期的にはほとんど何の意味もないのである。
たかがスプリングトレーニングや、春先の投手有利なゲームの中で、新聞を売りたいだけのせっかちなメディアがどんなことを書こうと、短気なファンが「大谷はマイナースタートが似合い」とツイートしまくろうと、そういう「余計なお世話」など、何の意味もない。そんなことくらい、長年監督をやってきたソーシア自身が誰よりもわかっているのである。