March 01, 2009
http://blog.seattletimes.nwsource.com/mariners/2009/02/28/ms_tell_beltre_no_wbc.html
Mariners GM Jack Zduriencik told us moments ago that it's a decision he tried not make, given how badly Beltre wanted to play in the WBC. But in the end, he said, he felt he had to step in and do what was best for the ballclub.
"If it was up to him, he'd be going,'' Zduriencik said. "We need this player and we need this player badly to be a very competitive club this year.''(中略)
Zduriencik has allowed every other M's player wishing to play in the tourney to do so. The M's had stated that it would be totally up to the player, even though some, like Kenji Johjima and Carlos Silva, are coming off horrible seasons and need to re-establish themselves this year.
(簡訳)ほんの少し前のマリナーズGMジャック・ズレンシックは、ベルトレがWBCでのプレーをどれほど渇望しているかという話題を振られて、(彼を行かせるかどうか)自分では決めたくない決断だと(記者である)我々に語っていた。だが結局のところ彼は、その問題に介入し、球団にとっての最善の判断を下すべきと感じたようだ。
「もし彼(ベルトレ)の判断にまかせたなら、WBCに行っただろうね。」とズレンシックは言う。「我々にはこのプレーヤーが必要なんだ。今年非常に競争力があるクラブにするために、どうしても必要なのさ。」(中略)
ズレンシックはトーナメントでプレーしたがっている他のどんなマリナーズのプレーヤーにも、それを許した。たとえそれが城島やシルバのように、最悪のシーズンを過ごし、今年は彼ら自身の手で再起する必要があるプレーヤーであったとしても、マリナーズは、WBC参加はすべてプレーヤー次第だと、ずっとコメントし続けてきた。
短い中で2度も使われているbadlyという単語がキーポイント。センテンスの中で同じ単語を使うことを嫌う英語表現においては、これは珍しいことで、当然故意に使われているはずだ。
needとかwantという動詞と一緒に使われる場合のbadlyは、「bad=悪い」とかいう意味では無く、願望の強さ、それもかなり強い願望を強調するために使われる。つまり、いうなれば「あまりにも熱望しすぎて気分が悪くなる。それくらい、切望している」というような意味である。
badlyが2度使われたのは、「ベルトレがWBCに出たい気持ち、それもbadlyだろう。だが、マリナーズが彼を出したくない気持ちも負けず劣らずbadlyなのだよ」と、球団とベルトレ、両者の異なる強い願望が同等に強い一方で、方向性がまったく逆で矛盾した困った事態を、badlyという単語をわざと両者ともにまたがって使って表現したのである。
メジャーのWBC参加において、故障を抱えている選手の辞退は当然ながら、移籍したばかりの選手のようなケースでも、WBCへの参加は、球団側からではなく選手側から辞退することが多い。
前年GGを獲得したベルトレは「どうしても今シーズンも活躍してもらわないと困る」と明言されて引き止められたが、一方で、あまりにも酷いシーズンを過ごした城島やシルバは「君次第だ」と自主性にまかされた。
もちろん、代わりになる選手のいないプレーヤーと、城島のような、そうでない期待されないプレーヤーの差であることは言うまでもないし、球団の期待度がベルトレと城島では違い過ぎる。
しかし、このベルトレのWBC引きとめの例でもわかるように、「参加はプレーヤー次第」と表向きは言いながら、「行くのは選手の勝手だ。それもアメリカ流の自主性ってやつだろ」と選手側が判断するしたら、それは大間違い、完全な勘違いだ。
オトナの慇懃さ、遠まわしな言い方は、日本でも英語圏でも変わりない。理由は簡単だ。相手を尊重した公式発言をするのが礼儀だからである。だから管理者側は「プレーヤー次第だよ」と言う。
しかし、その言葉を表面だけ真に受けて「じゃ、WBC行きます。よろしく」と簡単に言って許されるプレーヤーと、そうでないプレーヤーがいる、というのは、アメリカでも日本でも、野球でもビジネスでも、同じことなのだ。
頭の悪いダメ選手のためにもう少し言い足すと、オトナは「行くか行かないか、決めるのはプレーヤー次第。全部まかせたから、行きたいなら行ってきなさい」などと言うわけはない。
本来は「自分が行っても許されるプレーヤーか、そうでないプレーヤーか、それくらい自分で判断できるだろう?自分のすべきことを、自分で判断してくれ。それがプレーヤー次第ということだ」というのが、正確な中身である。
実績のない選手が自主性とかいう分不相応な言葉を使って、勘違いしてはいけないのである。
城島のWBC参加自体、シアトルでまったく歓迎などされていないことは言うまでもないが、かといって、今期の戦力として多くの改善を期待されているわけでもない。チームにとって、いまやその程度の存在なのだ、ということが、この記事からわかるのである。
そして、自分がどう行動すべきだったかも、城島はわかっていない。せいぜいお祭りに参加したつもりになって、はしゃいでいるのがお似合いのプレーヤーである。
Mariners GM Jack Zduriencik told us moments ago that it's a decision he tried not make, given how badly Beltre wanted to play in the WBC. But in the end, he said, he felt he had to step in and do what was best for the ballclub.
"If it was up to him, he'd be going,'' Zduriencik said. "We need this player and we need this player badly to be a very competitive club this year.''(中略)
Zduriencik has allowed every other M's player wishing to play in the tourney to do so. The M's had stated that it would be totally up to the player, even though some, like Kenji Johjima and Carlos Silva, are coming off horrible seasons and need to re-establish themselves this year.
(簡訳)ほんの少し前のマリナーズGMジャック・ズレンシックは、ベルトレがWBCでのプレーをどれほど渇望しているかという話題を振られて、(彼を行かせるかどうか)自分では決めたくない決断だと(記者である)我々に語っていた。だが結局のところ彼は、その問題に介入し、球団にとっての最善の判断を下すべきと感じたようだ。
「もし彼(ベルトレ)の判断にまかせたなら、WBCに行っただろうね。」とズレンシックは言う。「我々にはこのプレーヤーが必要なんだ。今年非常に競争力があるクラブにするために、どうしても必要なのさ。」(中略)
ズレンシックはトーナメントでプレーしたがっている他のどんなマリナーズのプレーヤーにも、それを許した。たとえそれが城島やシルバのように、最悪のシーズンを過ごし、今年は彼ら自身の手で再起する必要があるプレーヤーであったとしても、マリナーズは、WBC参加はすべてプレーヤー次第だと、ずっとコメントし続けてきた。
短い中で2度も使われているbadlyという単語がキーポイント。センテンスの中で同じ単語を使うことを嫌う英語表現においては、これは珍しいことで、当然故意に使われているはずだ。
needとかwantという動詞と一緒に使われる場合のbadlyは、「bad=悪い」とかいう意味では無く、願望の強さ、それもかなり強い願望を強調するために使われる。つまり、いうなれば「あまりにも熱望しすぎて気分が悪くなる。それくらい、切望している」というような意味である。
badlyが2度使われたのは、「ベルトレがWBCに出たい気持ち、それもbadlyだろう。だが、マリナーズが彼を出したくない気持ちも負けず劣らずbadlyなのだよ」と、球団とベルトレ、両者の異なる強い願望が同等に強い一方で、方向性がまったく逆で矛盾した困った事態を、badlyという単語をわざと両者ともにまたがって使って表現したのである。
メジャーのWBC参加において、故障を抱えている選手の辞退は当然ながら、移籍したばかりの選手のようなケースでも、WBCへの参加は、球団側からではなく選手側から辞退することが多い。
前年GGを獲得したベルトレは「どうしても今シーズンも活躍してもらわないと困る」と明言されて引き止められたが、一方で、あまりにも酷いシーズンを過ごした城島やシルバは「君次第だ」と自主性にまかされた。
もちろん、代わりになる選手のいないプレーヤーと、城島のような、そうでない期待されないプレーヤーの差であることは言うまでもないし、球団の期待度がベルトレと城島では違い過ぎる。
しかし、このベルトレのWBC引きとめの例でもわかるように、「参加はプレーヤー次第」と表向きは言いながら、「行くのは選手の勝手だ。それもアメリカ流の自主性ってやつだろ」と選手側が判断するしたら、それは大間違い、完全な勘違いだ。
オトナの慇懃さ、遠まわしな言い方は、日本でも英語圏でも変わりない。理由は簡単だ。相手を尊重した公式発言をするのが礼儀だからである。だから管理者側は「プレーヤー次第だよ」と言う。
しかし、その言葉を表面だけ真に受けて「じゃ、WBC行きます。よろしく」と簡単に言って許されるプレーヤーと、そうでないプレーヤーがいる、というのは、アメリカでも日本でも、野球でもビジネスでも、同じことなのだ。
頭の悪いダメ選手のためにもう少し言い足すと、オトナは「行くか行かないか、決めるのはプレーヤー次第。全部まかせたから、行きたいなら行ってきなさい」などと言うわけはない。
本来は「自分が行っても許されるプレーヤーか、そうでないプレーヤーか、それくらい自分で判断できるだろう?自分のすべきことを、自分で判断してくれ。それがプレーヤー次第ということだ」というのが、正確な中身である。
実績のない選手が自主性とかいう分不相応な言葉を使って、勘違いしてはいけないのである。
城島のWBC参加自体、シアトルでまったく歓迎などされていないことは言うまでもないが、かといって、今期の戦力として多くの改善を期待されているわけでもない。チームにとって、いまやその程度の存在なのだ、ということが、この記事からわかるのである。
そして、自分がどう行動すべきだったかも、城島はわかっていない。せいぜいお祭りに参加したつもりになって、はしゃいでいるのがお似合いのプレーヤーである。