新・国立競技場問題と2020東京五輪

2017年9月1日、国立霞ヶ丘陸上競技場は、なぜ「明治神宮外苑」にあったか。
2015年8月20日、たとえ外観は簡素でも、中に入ったとたん、素晴らしい「野球の空気」が一瞬にしてあなたを包み込んでくれる「美しいフィールドのある場所」、それこそが本来の意味のスタジアム建築。
2015年8月14日、結局日本の広告デザイン界をコネに頼った実力のないパクリ・デザイナーであふれかえらせる結果になった「長年の広告タニマチ企業サントリーの責任」。
2015年8月10日、2020東京五輪の不安点はカネではなく「デザイン」。デザインワークで表現すべきは、「日本の再構築」。
2015年7月23日、新・国立競技場のザハ案の前提になった「8万人収容という採算度外視の規模」をゴリ押しし、予算規模を異常な金額に押し上げた「日本サッカー協会の責任」。
2015年7月16日、新・国立競技場のザハ案が白紙撤回になったことについての「東京都の責任」。
2013年12月19日、猪瀬直樹の選挙責任者で、当選の見返りに猪瀬が「2020東京五輪の要職」と「首都大学東京理事長」の座をくれてやった川渕三郎は、不祥事に連座して職を辞すべし。また「新・国立霞ヶ丘陸上競技場のデザインコンペ」はやり直すべし。
2013年11月5日、「8万人収容のモンスターレベルの陸上競技場」を、「8万人収容のフットボール場」と同列に語っている国立霞ヶ丘陸上競技場建て替え話の馬鹿馬鹿しさ。
2013年10月29日、国立霞ヶ丘陸上競技場は、「同じ場所で建て替える」などという二番煎じのお茶をさらに温め直すような発想を止め、違う場所に新設すべき。

September 02, 2017

「場所」には、気候風土の違いも含めて「歴史」がある。

例えば、東京でない場所が東京を真似て東京になれるか。なれない。日本でない誰かが日本を真似ても、日本そのものにはなれない。




国立霞ヶ丘陸上競技場、いわゆる国立競技場の建て替え問題で廃案になったザハ案は、「場所の歴史をまったく考慮しない机上の空論」だった。ザハ案は結局実現せずに終わり、ザハ自身もこの世を去った。他人の真似しかできない無能なデザイナーがデザインしたエンブレムも葬られた。

日本のマスメディアは、膨大な建設費の問題こそ、さかんに報道したものの、「なぜあの場所に陸上競技場があったのか」という根本的な部分をまるで理解しようともしていなかったし、「明治神宮外苑の意義ある歴史」という原点にきちんとたちかえって、新・国立競技場のあるべき姿を論じたメディアなど、まるで皆無だった。



かつての国立霞ヶ丘陸上競技場は「理由」があって、あの場所にあった。それには大きくわけて遠いもの、近いもの、2つの歴史の流れがあり、2つの歴史はか細い接点によってひとつの場所に結ばれている。

なにはともあれ、まず年表で確認してもらいたい。
遠い歴史とは、江戸時代に大名屋敷だったあの場所は、明治時代に練兵場になったことだ。近い歴史とは、大正・昭和時代にはずっと陸上競技場だったことだ。
あの場所は、この100年以上にわたって個人所有だったことは一度もない。ずっと「公(おおやけ)の場所」という立ち位置にあった場所であり、そういう意味で「特別な場所」だった。

年表1 練兵場時代

1871年(明治4年)日比谷・霞が関の武家屋敷跡に陸軍操練所設置
1885年 (明治18年)陸軍操練所が「日比谷練兵場」と改称
1888年 (明治21年)日比谷練兵場が青山に移転。「青山練兵場」と改称
1894年(明治27年)青山練兵場内に青山軍用停車場が開業
1909年(明治42年)青山練兵場が代々木に移転。「代々木練兵場」と改称(=後の代々木公園)

「明治神宮外苑」という地域は、もともと日比谷にあった陸軍の練兵場が移転して1888年にできた「青山練兵場」が前身である。
この練兵場には、(当時は甲武鉄道という私鉄だったが)現在の中央線の千駄ヶ谷あたりから分岐した鉄道がひかれていた時代があり、練兵場内には青山軍用停車場という駅も設置されていた。この駅から日清・日露戦争時に日本の若き精鋭たちが出陣していった。

余談ではあるが、青山練兵場と青山軍用停車場の存在がわかれば、第二次大戦時に明治神宮外苑競技場で出陣学徒壮行会、いわゆる「学徒出陣」が行われる伏線になっていることがわかる。
学徒出陣について、すぐに「第二次大戦特有の悲劇」だ、などと勝手に思い込んでいる「戦後のオジサンたち」が数多くいるわけだが、それは間違いだ。「東京・青山を起点に、年端も行かない若者たちが戦争にかりだされていった」のは、なにも「第二次大戦時だけだった」わけではないのである。日清・日露戦争時以来ずっとこの場所は「若者を鍛え、そして、送り出す場所」だった。

戦争を賛美しよう、というのではない。

勝った戦争のお祭り騒ぎは看過し、負けた戦争の若者の犠牲は徹底して批判するというのでは、まるで「スジが通らない」と言いたいのである。

日本が戦勝国となった日清・日露戦争時には、出征はまるでお祝い事ででもあるかのように扱われ、戦争が終わってからは戦勝を祝う数々の石碑が日本中で建てられ、その多くはいまも現存している。
かたや、敗戦に終わった第二次大戦の若者たちの出征については、戦後になって悲劇の主人公のように扱われてきた。第二次大戦の若者たちの出征を批判的に扱う人は数多くいるが、日清・日露戦争時の戦勝記念行為を批判したなんて話は、ほとんど聞いたことがない。

勝った戦争においても、負けた戦争においても、犠牲は、後世の人間にとって常に厳粛に受け止めてなくてはならないものなのだ。

戦争をなくす、ということは、負けた戦争についてだけ批判を繰り返す、というようなハンパな行為によって成就するものではないはずだ。



年表2 陸上競技場時代

1924年 青山練兵場跡に明治神宮外苑競技場 開場
1924年 第一回 明治神宮競技大会 開催(〜1943年)
1926年(大正15年/昭和元年) 青山練兵場跡地に神宮外苑完成
1930年 第九回極東選手権大会 開催
1957年 明治神宮外苑競技場 取り壊し
1958年 国立霞ヶ丘陸上競技場 完成
1964年 東京オリンピック開催
2015年 国立霞ヶ丘陸上競技場 取り壊し
2020年 東京オリンピック開催予定


青山練兵場が明治神宮外苑に改組された契機は、1912年の明治天皇崩御であり、第二次大戦とはまったく何の関係もない。
明治神宮には「内苑」と「外苑」があり、「内苑」である明治神宮本殿が国費で造営されたのに対し、「外苑」は民間有志により結成された明治神宮奉賛会が、国民の寄付や献木、全国青年団の勤労奉仕によって造営され、その後「明治神宮に奉献」されたという違いがある。(日本青年館というホールがこの地にあるが、この施設は「外苑の造営に大きな貢献をした青年団へのご褒美」であり、偶然できたわけではない)

明治神宮外苑の中心は当然絵画館だが、他にたくさんのスポーツ施設があり、施設全体は政治的でも宗教的でもなく、文化的なものとしてできている。
明治神宮外苑競技場は、日本初の、そして当時東洋一の本格的陸上競技場として建設され、明治神宮競技大会のメイン会場だった。
明治神宮競技大会は、現在でいえば「国民体育大会」にあたる総合スポーツイベントであり、時代とともに主催者、名称、競技種目を変えながら、1924年(大正13年)から1943年(昭和18年)まで計14回開催された。陸上・水泳など夏季五輪の競技だけではなく、スキー、スケートなどの冬季競技も含まれていて、当時の日本にとっては「国内版総合オリンピック」だった
明治神宮競技大会 - Wikipedia


第二次大戦時に、明治神宮外苑競技場が出陣学徒壮行会に使用された。が、それは偶然ではなく、むしろこの地では古くから壮行会が開催された歴史がある。

出征兵士を送り出す臨時線・駅が特設された
1894年 青山(明治27年)▷日清戦争時の青山練兵場の特設駅
https://jaa2100.org/entry/detail/052541.html


damejima at 20:50

August 21, 2015

東京スタジアムのゴンドラシート今はなき東京スタジアムのゴンドラシート

参考記事:2012年3月30日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」 (5)番外編 元祖「安打製造機」 榎本喜八にとっての『故郷』、東京スタジアム。 | Damejima's HARDBALL


最初にあげた画像は、テネシー州ナッシュビルのファースト・テネシー・パークだ。音楽の街ナッシュビルにちなみギターの形をしたスコアボードがあることで有名だったハーシェル・グリア・スタジアムが老朽化したため新設された。
Best Minor League Baseball Stadiums To Catch A Game « CBS New York
score board of Herschel Greer Stadiumハーシェル・グリア・スタジアムのスコアボード



ハーシェル・グリア・スタジアムにしても、ファースト・テネシー・パークにしても、この美しさでメジャーの球場ではなく、トリプルAのスタジアムなのだから本当に参ってしまう。

こういう素晴らしいボールパークは、「新・国立競技場のザハ案」とか「パクリスト佐野研二郎の東京五輪エンブレム問題」とか、本当の意味でのデザインができない、わかってもいない「デザイン音痴なデザイナーたち」が作った、「勘違いだらけのスポーツデザインもどき」でキリキリ舞いさせられている我々日本人に、本当のスタジアム建築、本当のスポーツデザインとは、何かを、ピンポイントで教えてくれる。


「スタジアム建築」で、最も大事なこととは、何だ。
MLBのボールパークを見ればわかる。

スタジアム建築で最も大事なことは、
フィールドが素晴らしく美しく見えること」だ。

下に例として挙げたのはハーシェル・グリア・スタジアムの「外観」だ。びっくりするほど簡素で、うっかりするとアメリカの片田舎の小さなドラッグストアかスーパーマーケットと間違えかねない。
だが、中に入ったとたん、素晴らしい「野球の空気」が一瞬にしてあなたを包み込んでくれる。

これこそが「本当のスタジアム」だ。

Herschel Greer Stadiumの簡素な外観


スタジアム建築にとって大事なことは、「施設の外観」ではない。

フィールドこそがプレーの場であり、
人はフィールドでのプレーを見にやって来る。

ならば、
「内部のフィールドこそが最も美しく見える場所として作られている」のでなければ、それはスタジアムとは言えない
のである。


新・国立競技場のザハ案のメディア報道でわかることだが、「スタジアムの美の真髄」を理解できていない馬鹿モノたちは、建築家だけでなく、審査員やメディアも含めて、マトモなスタジアムを作った経験も、見たこともないくせに、「鳥瞰図」だけでスポーツのスタジアムをデザインし、議論した「つもり」になっている。本当に馬鹿馬鹿しいかぎりだ。

鳥瞰的にスタジアム全体を見て、外見がどれだけ個性的に見えるか」なんてことは、ほんと、どうでもいい。

クソくらえだ。

そういう「見てくれの個性にこだわる上っ面な安物のデザイン」は、ラブホテルでも、成金の別荘でもいいから、スポーツ以外の場所でやってもらいたい。


こんな簡単なことを気づかないまま来た日本の「スタジアム文化」は、いまだに発達途上だ。NPBの球場にしても、セントラルリーグを中心に、アメリカの80年代クッキーカッター時代の画一的な球場をコピーしただけの「人工芝ドーム球場」(東京ドーム、名古屋ドームなど)が点在している。
参考記事:2010年8月21日、ボルチモアのカムデンヤーズは、セーフコのお手本になった「新古典主義建築のボールパーク」。80年代のクッキーカッター・スタジアムさながらの問題を抱える「日本のスタジアム」。 | Damejima's HARDBALL

日本はそろそろ、「美しいフィールドを持った球場」を作ることの意義を真剣に考えるべきだ。



damejima at 16:04

August 15, 2015

東京五輪のエンブレム問題の本質は、佐野研二郎という人間が、どれほど無能でコネ依存症か、とか、そのデザイン手法そのものがどれほどいいかげんなものか、だけではない。(もちろん、それらも重要な批判要素ではあるが)
もっと本質的な問題は他にもあって、ひとつが広告出稿量の多いスポンサーと大手広告代理店の制作部門との長年の慣れ合いによって育てられてきた「日本の広告デザイン業界」の慣れ合い体質とコネ体質で、日本のデザインパワーそのものも低下していることだと、ブログ主は考える。(もちろん、そういう日本の質的な混濁を丁寧に是正していくことは、ひとつの「日本の再構築、リ・コンストラクション」になる)


なぜ「日本のデザイン業界内のズブズブ慣れ合い体質」が生まれ、「広告賞の空洞化」や「虚構の談合スターシステム」が生まれてきたのか、その背景について、ブログ主の考えを以下に書くわけだが、ひとまずここまでの「東京五輪エンブレム問題の経緯」を整理しておかないとこの問題の発端を理解できないだろうから、まずそちらからまとめておこう。

東京五輪エンブレム問題
1)佐野研二郎のデザインした東京五輪エンブレムが、ベルギーのリエージュ劇場のシンボルマークに酷似していると、ネット上で指摘。該当デザインを制作したベルギーのデザイナーが関係機関に提訴。
2)佐野研二郎が記者会見し、パクリを完全否定
3)佐野のパクリ完全否定がネット上での怒りに油を注ぎ、「パクリ行為の元ネタ探し」が激化することで、佐野作品多数に「剽窃とみられる行為」がかなり多数散見されることが判明。

サントリーのトートバッグ問題
4)東京五輪エンブレムそのもののパクリ行為の真偽がまだ決していない中、ネット民が「サントリーのプレミアムグッズ(トートバッグ30種類)について、かなりの数のデザインにパクリ行為がある」と指摘
5)サントリーが、30種類のトートバッグのデザインのうち、8つのデザインを差し替えると突如発表。後日、佐野研二郎サイドがパクリ行為を認める


東京五輪エンブレムの決定経緯は、組織委員会が故意に回答を避けているらしく、詳細が判明していない。
わかっている点は、あの見苦しいザハ案の新・国立競技場と同じように、2014年9月に応募が始まったという「コンペ」の形式で、104件の応募の中から決まったという程度のざっくりした概略でしかない。

その「東京五輪エンブレムのコンペ」とやらだが、
以下のような「応募条件」があった。

五輪組織委員会が指定する7つのデザインコンペのうち、
2つ以上で受賞しているデザイナー

東京ADC賞
(ADC=アート・ディレクターズ・クラブ 選考委員例:浅葉克己)
TDC賞
(TDC=東京タイプディレクターズクラブ 理事長:浅葉克己)
JAGDA新人賞
(JAGDA=日本グラフィックデザイナー協会 会長:浅葉克己)
亀倉雄策賞
(亀倉雄策=1964年東京オリンピック時のポスター等を作った日本の歴史的なデザイナーのひとり。選考委員:浅葉克己)
ニューヨークADC賞(東京ADC賞の元ネタになった賞)
D&AD賞(英国の広告賞。1962年創設)
ONE SHOW DESIGN
(カンヌ、クリオ賞と並ぶ世界の三大広告賞といわれる賞)

「7つのうち、2つ」という応募資格が、ミソだ(笑)
下の3つは「海外の賞」だから、リクツからいうと「海外で仕事している外国人デザイナーで、海外の賞のみ2つ以上とった人」でも応募はできる。(だが、なぜか理由はわからないが、「外国人の応募」は非常に少ない)
他方、「4つの国内の賞」のうち2つをとっていれば、たとえ「海外での評価がまったくない国内のデザイナー」でも応募はできる。別の言い方をすれば、国内の賞を2つとれていない人間は、才能があろうがなかろうが、応募そのものができない。(ちなみに浅葉克己氏は、国内の4つの賞すべてに関わっている関係者のひとりだ 笑)


では、「国内の4つの賞のうち、2つをとること」は、どういう「難易度」にあるのか。
結論を先に言えば、特に「国内の賞の4つのうち、2つをとること」は、「ある立場にいる人たち」にとってはさほど難しくない。

以下のリンク先に、大手広告代理店・博報堂が2015年に海外の広告賞であるD&ADで、9つの賞を受賞したというニュースリリースがある。 博報堂グループ、D&AD 2015で9賞を獲得 | 博報堂 HAKUHODO Inc.
どんな「スポンサー」がD&AD賞を受賞したのか見てみると、9つの受賞作品のうちに、こういう「変わったスポンサー名」がある。
広告主:東京コピーライターズクラブ

これ、どういうことかというと、デザイナー系の業界団体に「アートディレクターズクラブがある」のと同じように、広告の文字部分の制作を担当するコピーライターの業界団体に「東京コピーライターズクラブ」というのがあって、そこが「広告主」になっている、ということだ。

コピーライターの協会が「広告主」?
意味が理解できない人のために、もう少し詳しく説明しよう。

広告クリエイターの業界団体は各年度の代表的な作品を年鑑として発行し、販売もしている。そのブックデザインは、「身内の仕事」なだけに、デザイナー側にしてみれば「かなり自由にデザインさせてもらえる、おいしい仕事」のひとつ、という位置づけになる。
だから上のリリースの意味は、9つのD&AD賞受賞のうちに、「身内の年鑑のブックデザイン」という「おいしい仕事」があり、それを担当したのは「大手広告代理店・博報堂内のデザインチーム」だった、という話なわけだ。
では、そういう「おいしい仕事」は、誰でも手を挙げればやらせてもらえるのか? 考えれば誰でもわかる(笑)もしコピーライタークラブが業界全体のスキルアップを目的としているならば「デザインを公募」しているはずだ。

こうした事例を「どう評価するか」は、人による。
ブログ主はこう見る。

こういう「身内仕事」の場合、それだけが目的ではないにせよ目的のひとつは明らかに「賞をとらせることによる、大手代理店内の自社クリエイターへの箔(ハク)づけ」であり、別の言い方をすれば、これは単なる「賞とりハクづけ行為」だ。

つまり、業界内の身内であるコピーライターズクラブが「広告主」となって『デザイナーが比較的自由にデザインできる場所』を作ってやることで、「広告につきものの、広告主の制約やビジネスの制約」がほとんどない場所がひとつでき、そこではデザイナーは他人の制約の少ないデザインができることになる。
こうした「賞とりパターン」は、なんせ「身内の広告」を作るのだから、大手広告代理店に直接・間接に所属するクリエイター特有の「特権」なのだ。(こういう「北京ダック的な賞とりパターン」ですら広告賞がとれないようなクリエイターは、はるかに制約の多い一般広告での広告賞受賞など、そもそもありえない)


だが、広告制作とは本来、「一定の制約が課せられた環境」で制作されるのが当然のジャンルであるはずだ。
したがって「本来の広告賞」とは、こうした「ハクをつけるのための、身内のデザイン遊び」を評価対象にするのではなく、「現実の広告として、課せられた制約をこなし、メディアで実際に広告として使われたデザインワーク」にのみ与えられてしかるべきだ。
広告賞が「非現実的な仮想のお遊び」をことさらに評価すべきではなく、「現実のビジネスに寄与したデザインワークのみ」に限定して与えられるのでなければ、足腰の強い広告クリエイターなんてものは育たない。


話をさらに進める。
こうした「賞とり北京ダック行為」を支援しているのは、なにも、広告クリエイターの業界団体だけではない。むしろスポンサー(業界内でいう「クライアント」)そのものが、そうした「賞とりチャンス」をクリエイター側に提供することが多々ある。
例えばだが、「ほんのごくわずかな機会でしか使われない」のに、60秒とか長い尺をとった企業CMや、15段とか見開きとかいった広いスペースを用意した新聞広告などがそれにあたる。それは広告というより、「お祭り」に近い。
(実際には、大量の広告出稿をしてもらっているスポンサーに対する「お中元やお歳暮」のような意味で、大手広告代理店側がメディアからスペースを格安で(下手するとタダで)用意し、社内クリエイターに制作させ、それをスポンサーに提供して「カッコいいお祭り」を演出し、その裏では広告賞もゲットして自社クリエイターのハクづけをする、というような手法がとられるに違いない。簡単にいえば「広告賞談合」だ)

そうした「賞とりタニマチ行為」ができる (というか、したがる)スポンサーというのは、ほとんどの場合、「日頃から大手広告代理店に大量に広告を発注する、代理店にとっての 『お得意さん』 であり、そうしたお得意さん企業は往々にして内部に「宣伝部」を持ち、かつて広告クリエイターを企業内部に常時在籍させてきた歴史もあるような、「クリエイティブに理解のあるスポンサー」であることがほとんどだ。
(通常、広告に多額の予算を割けないような企業では、独立した宣伝部など存在せず、総務部とかに「おまけ」のような形で広報セクションがあって、そこが広告も担当する、というような中途ハンパな状態にあることがほとんどだ)

こうした「広告タニマチ的スポンサー」にしてみれば、広告賞の受賞は「その企業がクリエイティブに理解のある、クリエイティブな企業だという印象を広める」ことによって企業イメージ向上につながるだけでなく、将来有望な広告クリエイターの発掘・育成にもつながるなど、「たくさんのメリット」がある、ということに、いちおうはなっている(笑)


だが、話はここで終わるわけではない。

ここで説明した意味での「賞とり」は、「大手広告代理店の内部に所属しているタイプのクリエイター」にとっては、単なる「名誉」というより、むしろ「必須の仕事のひとつ」だからだ。

調べてみると、「大手広告代理店が自社内部のクリエイターに積極的に「賞とり」をさせ、ハクをつけさせて、それを売り物にする行為」は、広告制作業がブームになるずっと前から行われてきた行為らしい。
つまり大手広告代理店は長年にわたって「賞をとれるチャンス」を自社の社員に向けて提供し、「ハクつけ行為」を行ってきた、ということだ。

それほど長くもない日本の広告クリエイター史だが、これまでいくつかの時代の変遷があった。
古くは一般企業内に置かれた宣伝部に所属する企業内クリエイターが活躍した時代(例:サントリー宣伝部時代の開高健)があり、また70年代から80年代にかけては「フリー」とか「フリーランス」と呼ばれる雑草タイプの制作者が才能を輝かせた時代もあったが、それらの時代は長い目でみるとあくまで「短期的に生じたアダ花的現象」にすぎなかった。

日本クリエイター史において一貫して続いてきたのは、むしろ「大手広告代理店所属のクリエイターが、会社に賞を獲得させてもらった後で独立し、事務所を構えて大手広告代理店の仕事をさらにこなし続けることによって、受賞数がさらに増える」という、「大手広告代理店所属クリエイター賞とり北京ダック・スターシステム」だ。

これは、「マラソン」でたとえるなら、市民ランナー出身の川内君(彼も学連選抜で箱根駅伝には出ているが)がトップランナーになってマラソン界に風穴を開けたような現象は、こと「広告クリエイターの世界」では、ほんの短い時代にあった「わずかな例外」であり、ほとんどの場合は、箱根駅伝出身のエリート駅伝ランナーたちが企業ランナーの「席」を占め続けているのと同じような現象が、広告クリエイターの世界にもまったく同じようにある、というような意味になる。


たとえが適切でないかもしれないが、箱根駅伝出身のエリートランナーが「駅伝練習のおまけとしてマラソンを走る現象」が、必ずしも日本のマラソンを強くしなかったのとまったく同じように、サントリーのような「広告タニマチ」が広告クリエイターに、あからさまな賞とりチャンスを与え続ける「広告クリエイター北京ダック行為」は、けして日本のクリエイティブパワーを育ててはこなかったことが、今回の佐野研二郎・東京五輪エンブレム問題で明らかになった、というのがブログ主の意見だ。


たしかに、サントリーに代表される「広告業界のタニマチ企業」は広告黎明期において「広告を文化にかえた旗手」ではあった。それはたしかだ。
(だが、当時のサントリーの広告の評価は、単に当時の開高健の個人評価を企業評価にすりかえていただけのものに過ぎないという点もぬぐえない。なぜなら、かつてのサントリーのウイスキーの味そのものは、「開高健の書く広告コピー」や、「彼自身が登場するCMから受ける印象」ほど「美味いものではなかった」からだ。だからこそ、当時のサントリーの酒、例えば「ダルマ」は、いまや日本の酒屋にも一般家庭にも残っておらず、広告史に当時の広告だけが残った結果になっている。「商品が消え、広告だけが歴史に残る」ような広告が「優れた商品広告」なわけはない

だが、日本の広告の歴史と、「クリエイターの登場パターン」を継続して見ていくと、「企業の広告タニマチ行為が、多数の有能クリエイターを生み出してきた」とは、まったく、全然、言えない。

むしろ、「広告タニマチ行為」は単に、タニマチ企業と大手広告代理店とのズブズブの慣れ合いを生み、それにクリエイター業界団体上層部を加えた広告業界全体の狭いコネ体質をより一層強化することにしか繋がっていないことは、今回の佐野研二郎という「自分のアタマと手を使ってデザインするという、基本能力そのもののが完全に欠如した無能デザイナー」の登場で明らかになったと、ブログ主は断定せざるをえない。

佐野自身と、佐野と同じ自称デザイナーたちがやっている「自称デザイン行為」(実際には剽窃そのもの)は、Pinterest (https://t.co/ZwRpsM5pLe =ネット上の画像収集ツール) のような「ネットツール」を使って、ネット上から元ネタ画像を掘り起こし、それにちょっと加工だけして、スポンサーに「自分の作品と称して」提出するという単純で卑劣な手法だ。
もちろん五輪エンブレムも同じ手法で制作された可能性がある。可能性があるからこそ問題にもなっている。こうした「剽窃常習者の作ったオリジナリティに欠けた加工品」が、日本を代表するデザインのひとつとして世界に発信されることなど、けして許されない。


これから何度でも書くが、いまの日本が迎えているのは「再構築、リ・コンストラクションが必要とされる時代」だ。
佐野という「北京ダックみこし」をかつぎ上げてきたのは、「ただのコピー・ペーストに過ぎない剽窃行為を、文化だの、クリエイティブだのと呼んで、鼻高々になっているような、無能すぎる人間どもの、見かけ倒しで慣れ合いだらけの風土」だ。こういうまがいもの、ニセモノ、カッコつけこそ、日本から消えてなくなるべきだし、今後ブレイクすべき形骸化したシステムだと思う。
本当の意味での世界レベルのデザイナーを育成したければ、今の古臭くて機能してない慣れあいの談合スターシステムを排除しないとダメだろう。

「賞をとったデザイナーを起用」したら、その広告が「クリエイティブになる」なわけではない。そんなことくらい気づけないようでは、その企業(あるいは、コンペやオリンピック)は馬鹿で、文化がわからないと言われてもしかたがない。
もともと内輪で回しているに過ぎなかった「賞」を「コンペの応募資格制限」に使うという行為は、そのコンペの質を維持し、高めるのに役立つはずはない。それはむしろ、「談合スターシステムにのっかっただけの無能デザイナーを保護するための参入障壁を設けている」に過ぎない。





damejima at 16:02

August 11, 2015



ダサい新・国立競技場ザハ・ハディド案と安藤忠雄
東京都観光ボランティアのダサいユニフォーム
ダサい東京五輪エンブレムと佐野研二郎


上に挙げた、新・国立競技場、東京都観光ボランティアのユニフォーム、東京五輪エンブレム、3つの「デザイン」は、以下の3つの点において共通点がある。

1)「場」に対する不似合いさ
デザインは、目的に沿うものである必要があるわけだが、3つのデザインそれぞれが「ダサい」という印象を人に与える原因のひとつは、「」に「あっていない」ことだ。
新・国立のザハ案は明治の森という「場」に「あっていない」し、東京都観光ボランティアのダサいユニフォームは東京という街の現在の空気に「あっていない」し、佐野研二郎のエンブレムは日本がいま目指す方向性にも、東京五輪そのものにも、「あっていない」。

2)時代に対する共有感の無さ
3つのデザインは、方向性において相互に統一感がない。このことは逆説的な意味でいうなら、共通点でもある。つまり、3つが3つとも、「いまという時代への共有感」がまったくなく、デザインコンセプトの共有もディレクションの共有もほとんどされておらず、ただそれぞれがてんでんバラバラに存在しているに過ぎない。

3)非コンペティティブな選考方法
上の項目で指摘したように、3つのデザインには意匠における共通性はないが、その一方で、「決定の仕方」だけはソックリであり、「コンペ(=競争、競合)」とは名ばかりの「非コンペティティブな選考方法」で決定されたことに著しい特徴がある。
ザハ案は安藤忠雄のほぼ独断で決まっただろうし、残り2つも、コンペとは名ばかりの密室での談合みたいなもので決まったに過ぎず、そこには、閉塞しきっているマラソン界に市民ランナー川内優輝が突然登場して「常識を塗り替えた」事実にみられるような、「時代の転換を感じさせる驚き」は、カケラもない


なぜ、日本を代表するイベントのひとつとなろうとしている2020東京五輪に、こういう、場にあっていない、不揃いな、非コンペティティブなものが、提案され、決定されかかっているのだろう。
原因を簡単にいえば、いまの日本の内部には、「場に沿うものを作りだすことの大事さを忘れた」、「不揃いで、バラバラな」、「競争原理が働いていない非コンペティティブな部分」が、多々ありすぎるからだ。

逆に言えば、外野フライを追うイチローのように、2020東京五輪に真っ直ぐ向かうために必要なのは、「場に沿うこと」だったり、「方向を揃えること」だったり、「コンペティティブな競争」だったりする。


1964年の東京五輪には、高度経済成長という時代のキーワードがあり、五輪そのものが日本が先進国の仲間入りをするイベントであるという共通理解があったことなど、「なぜいま五輪を開催するのかについての、全国民共通の理解」があった。
だから、当時の亀倉雄策をはじめとするデザイナーは仕事はしやすかったはずだ。なぜなら、当時の日本では「日本そのものをシンプルに、強く描写する」という、わかりやすいデザインコンセプトが明確に共有できていたからだ。


だが、2020東京五輪においては、上の3つのデザインを眺めてもわかることだが、どれを見ても、今の日本を共有できていない。つまり、今の日本が目指すものについて、理解もされていなければ、新しい発見も提示されていない。

誰も彼もコンセプトが無いまま作っているのだから、
作品はどれもこれも弱いし、ダサい


では、いま日本で起きている最大のモメンタムは何だろう。


日本はひとつの「大きな転換期」を迎えている。それはディスカバー・ジャパンという、1970年代のキャンペーンと似ているようでいて、根本からして違う。
いま求められているのは、1970年代に流行した「忘れられかけている日本の良さの再発見」ではなく、「日本の内部的な再構築、reconstruction:リコンストラクション)」だからだ。

こう書くと、わかる人には何のことを言っているのか、説明しなくてもわかるわけだが、「わからない人と、わかりたくない人」には、まったく理解されない。
少なくとも東京五輪のデザインについて言えることは、最初の3つの小手先のデザインとそれを決定した人たちは、「今の日本が向かっている方向をわからない人」や「今の日本をわかりたいと、そもそも思わない人」だということだ。
そういう基本的なことを、理解できない人、理解したくない人が、グランドデザインに関わってはいけないのである。ピント外れなものしか作れず、梯子を外されるのは当たり前だ。


もう一度書いておこう。
これからの日本が迎えようとしているのは、「再構築の時代」だ。

日本が再構築に向かうことが意に沿わない人は、グランドデザインから退場してもらって、まったくかまわない。自分の位置が時代からかけ離れているからといって、桑田佳祐のようにデザインに黒々とした暗黒を塗り込むような心の暗い人に、時代をデザインすることなど、できはしないし、やってもらっては困る。


1964年よりもはるかに複雑な今の時代の「気分」を「明るく描ける人」をなかなか思いつかないのが困るが、少なくとも、再構築に通じるドアのノブを最初に回したのは、宮崎駿の映画「風立ちぬ」であったと、ブログ主は確信している。
なので、このブログとしては、2020東京五輪のグランドデザインとか演出は、彼、宮崎駿に任せてみるべきではないか、と提案しておきたい。
参考記事:2013年9月2日、空を飛ぶ夢。 | Damejima's HARDBALL

あの作品におけるご本人の意図は、もしかするとブログ主の思うところとはまったく違うところにあったかもしれないが、少なくとも、「天の岩戸」のように錆びたドアを押し開き、長く狭い場所に閉ざされていた戦後日本をオモテに出したのは、あの作品の空気に満ちている「何か」だった気がしてならないのだ。






damejima at 15:49

July 24, 2015

国立霞ヶ丘陸上競技場の建て替え、いわゆる新・国立競技場建設について、ようやくあの醜悪きわまりないザハ案が白紙に戻って、誰もがやれやれと思っているとき、誰よりも先に「8万人収容という規模は守ってくれ」と声を上げた、周囲に多大な迷惑をかけまくっていることを理解しない、厚顔無恥なスポーツ団体があった。

日本サッカー協会である。


こんなときに、よくまぁ恥ずかしげもなく、こんなくだらない、無知で、無謀なことが言えたものだ。と、思うのが、普通人の常識というものだが、収穫も、たったひとつだが、あった。
それは、ザハ案を含めた新・国立競技場コンペにおいて、建設費を無駄に押し上げる原因になっている「8万人という、採算を無視した、身の丈にあわない規模」を、いったい誰がゴリ押しし、予算規模を膨張させているのかがハッキリしたことだ。

8万人という「規模」をゴリ押ししているのは、
日本サッカー協会」である。

(「東京都とサッカーの奇妙な癒着」など論議するまでもないことだが、もういちど書いておくと、汚職がバレかけて都知事を自分から辞めた猪瀬直樹の選挙参謀は元日本サッカー協会会長・川渕三郎。またザハ案を決定したJSCの有識者会議にも、日本サッカー協会理事の鈴木寛がいた)


以下、順を追って、
いかに日本サッカー協会が主張している「8万人規模の陸上競技兼用サッカースタジアム」なんてものを(それも公費で)建てることが、いかに馬鹿げた行為か、いかに壮大な無駄使いか、説明していきたい。



まず最初アタマに入れておくべきことは、手狭な旧・国立霞ヶ丘陸上競技場には「国際基準のサブトラックが存在しなかった」ということだ。(注:ザハ案にも存在しない)
つまり、旧・国立霞ヶ丘陸上競技場はもともと、国際的な陸上競技イベントを開催することのできない「ハンパな中古の陸上競技場」だったのだ。

だから、もし大金(というか、多額の税金)を拠出して、この「ハンパな中古の陸上競技場」を大々的に建て替えるというなら、夏目漱石の『虞美人草』の主人公、甲野さんのいうところの「第一義」、つまり、「最優先事項」とは、「どうすれば旧・霞ヶ丘陸上競技場が、国際的な陸上競技イベントを開催できるスタジアムになるか」を検討することで、それ以外にはありえない。
(注:それが手狭な旧・霞ヶ丘の立地では達成不可能だとわかっているからこそ、ブログ主は「同じ場所での建て替え」に再三再四反対している)

長く「ハンパな中古の陸上競技場」であり続けてきた旧・国立霞ヶ丘陸上競技場の建て替えの「最優先事項」は、「どうすれば国際的な陸上競技イベントがこの場所で開催できる陸上スタジアムになるか」を検討すること、である。

そして、当たり前のことだが、次のことも、あなたがたの脳にクッキリと刻みつけておいてもらいたい。旧・国立霞ヶ丘陸上競技場は、設備に不備があろうが、なかろうが、そんなことに関係なく、そもそも国営のスポーツ施設、国営の陸上競技場であって、サッカー場なんぞではない、ということだ。

旧・国立霞ヶ丘陸上競技場は、そもそも国営の陸上競技場であり、サッカー場でも、ラグビー場でもない。


ところが、困ったことに、この「ハンパな中古の陸上競技場」には「やっかいすぎる居候(いそうろう)」がいた。

日本サッカー協会だ。


何度でも言ってやるが、この施設はもともと「国営の陸上競技場」だ。民間のスポーツ団体のひとつに過ぎないサッカーの優先施設でも、なんでもない。サッカーは、旧・霞ヶ丘陸上競技場にとって、単なる「後からおそるおそるやってきた、カネの無い、ただの居候」に過ぎないことを忘れてもらっては困る。

なのに、この「居候」、いつのまに「霞ヶ丘が自分の場所であるかのようなツラ」をしだした。李承晩ラインで不法占拠した竹島を自分の領土と偽り続けるどこかの国と同じヘリクツだ。
ツイッターでも書いたことだが、いつからそういう話になったのか知らないが、まったく不愉快きわまりない。霞ヶ丘陸上競技場も、明治の森も、サッカーなんてもののために作られた場所ではない。当然のことだ。

もともと陸上競技場である旧・霞ヶ丘陸上競技場を球技用スタジアムとして使ってきたのは、単にいつまでたっても貧しいままのサッカー界のわがままであり、自分を立派にみせかけたがるサッカー界のご都合に過ぎない。我が物顔にふるまうのは、金輪際やめてもらいたい。

旧・霞ヶ丘陸上競技場も、明治の森も、「サッカーのために作られた場所」ではない
Jリーグサッカーは、単なる旧・霞ヶ丘陸上競技場の「居候」でしかなく、いうまでもなく新・国立競技場への建て替えは、「サッカースタジアムの建て替え」ではない。


次に、「陸上競技場とサッカー場の兼用」が、いかにカネだけ法外にかかる馬鹿馬鹿しい行為かを説明しよう。

かつてニューヨークから西海岸に移転したばかりのMLBドジャースが、オリンピックの陸上競技場Los Angeles Coliseumをホームグラウンドにしていた時代があった(1958-1961年)。
MLB史上、公式戦における最多観客動員記録は、このスタジアムで行われた1959年ワールドシリーズ第5戦の92,706人だ。(他にこの球場の動員記録には、ドジャース西海岸移転50周年を記念した2008年のレッドソックスとのオープン戦の11万5300人、1959年5月7日ヤンキースとのエキシビジョンゲームの9万3103人などがある)

ボールパーク時代のLos Angeles Memorial Coliseum
Los Angeles Coliseum

写真からわかるように、カタチの違いをあえて度外視して「面積だけ」を比べたとき、「陸上競技場は、野球場よりも大きい」のである。

陸上競技場の競技部分の面積は、
野球場の面積よりも大きい


次に野球場とサッカー場の面積を比べてみる。

例えば以下のデータ例では、「埼玉スタジアム2002は、東京ドームより39%ほど大きい」などというようなことが数字を使って記載されている。
引用元:「東京ドーム何個分」ではなく「フクアリ何個分」で面積を表す:爆走357
だが、こうした比較は数字のレトリックに過ぎない。なぜならこれは「観客席を含めた、スタジアム全体の大きさを比較」しているのであって、「野球とサッカーのフィールド(サッカーでいう「ピッチ」)の広さの比較」にはなっていないからだ。

競技フィールドの面積だけの比較でいうと、「野球場は、サッカー場の約2倍くらいの広さがある」と考えて、それほど誤差はない。(だからこそ、ヤンキースタジアムのオフシーズンに、フィールド内でサッカーのゲームができてしまうのである)

つまり、こういうことだ。

サッカー場のピッチ部分の面積は、
陸上競技場のフィールド面積より、驚くほど小さい

言い換えると、「同じ収容人員なら、サッカー場は、陸上競技場に比べてはるかに小さくて済むはずだ」ということだ。
このことが、何を意味するか。

アタマのいい人なら、もう説明しなくてもわかるだろう。
例えば、「5万人収容の陸上・サッカー兼用スタジアム」と、「5万人収容のサッカー専用スタジアム」とで比べれば、「必要な敷地面積」は、前者の「陸上兼用スタジアム」のほうが「はるかに、べらぼうに、大きくなってしまう」 のである。

「8万人規模の陸上・サッカー兼用スタジアム」なんてものは、ムダな公共事業で批判される典型的な「ハコモノ」そのものであり、そんなわけのわからないものを建設しようとしたりするからこそ、ザハ案が示したような、異常に広い土地、ムダに巨大な建造物、ムダに莫大な資金が必要になるのである。
(もしこれが「3万人収容のサッカー専用スタジアムの建設」なんて、ちっぽけな話だったら、ザハ案なんて、もともと必要ない。そんな専用スタジアムくらい、日本サッカー協会が、どこか田舎に「自分のカネ」で建てたらいい。今回のように、長期的な採算を無視して多額の税金を浪費しようとしない限り、邪魔はしない)


旧・霞ヶ丘陸上競技場は、ただでさえ過密な都心に存在していた。周囲は閑静な森に囲まれている。もともと非常に手狭な土地で、風致地区、歴史地区でもあるという「制約の多い場所」であり、だからこそ簡単にサブグラウンドすら作れない。
まして、広大な面積のスタジアムなど簡単に建設できるわけがない場所だったのである。そんな場所に「8万人の兼用スタジアム」? 馬鹿を言うなと言いたい。そんな広い土地が、この場所のどこにあるというのだ。


では、なぜ日本サッカー協会やJSCは、国際的な設置基準に基づくサブグラウンドつきの陸上競技場や、サッカー「専用」スタジアムを作ろうとしないで、「巨大な陸上競技場兼用スタジアム」を作ろうと必死になっているのか?

答えは簡単だ。

自分たちだけでは将来の採算を支えきれない、つまり、サッカーだけでは採算がとれないことが、わかりきっている」からだ。専用スタジアムでは採算がとれないから、最初から逃げ腰で、日本サッカー協会は「陸上兼用のハンパなサッカースタジアムを、日本プロサッカーの発足以来の歴史と同じように、他人のふんどし(=税金)を使って作らせようとしている」のである。(これはおそらくザハ案が選択された理由の骨子でもある)

日本サッカー協会はザハ案が白紙撤回されたにもかかわらず、「8万人規模は維持してほしい」などと寝言をほざいたわけだが、それが「公言された」ところを見る限り、自分たちがどのくらい身勝手な話をしているか、彼ら自身わかっていない。

もともとハンパだった中古の陸上競技場を、ハンパに使っていた「ただの居候」のクセに、さらにまた、ハンパなスタジアムを巨大サイズで作ってくれと、その「居候」風情が言うのである。


実は、日本サッカー協会会長の大仁邦彌という輩(やから)は、サラリーマン時代(三菱重工)に「スタジアムの開閉式屋根の営業をやっていた人物なのである。これは「利害関係そのもの」だ。(元資料:JFAサイト 大仁会長バイオグラフィー|JFA|JFA|日本サッカー協会
よほど新・国立プロジェクトで、自分がかつて所属していた会社に屋根を作らせたいのだろう。ザハ案の無謀な巨大スタジアムに開閉式の屋根をつけるよう主張し続けていたのも、たぶんコイツに違いない。利害関係者がからむと、ロクなことがない。
今からでも遅くない。大仁邦彌は、安藤忠雄、石原、猪瀬と一緒に土下座して、「8万人規模は維持してほしい」などと寝言をほざいたことについて、ひとこと詫びるべきだ。顔洗って出直してこい。





damejima at 17:08

July 17, 2015

国立霞ヶ丘陸上競技場の建て替え、いわゆる新・国立競技場建設について、ようやくあの醜悪きわまりないザハ案が白紙に戻った。めでたし、めでたし、だ。
もちろんブログ主は、新・国立を元と同じ場所に建てることそのものに反対しているわけで、すべての課題が解決したわけではないのだが、とりあえずは前進したといえる。


それにしても、この新・国立をめぐるメディア報道は、いまやひどく不快なものになっている。
というのも、自分たちの政治的な退潮、支持の喪失を、どんな手を使ってでも防ぎたいと考えている「一部の必死な人たち」が、この新・国立競技場問題を「政権批判の道具」として使おうとしはじめているからだ。

こういう人々はスポーツには実はまったく何の関心もない。ただ「他人を批判するのに都合がいい道具」が安易に手に入るのを、鵜の目鷹の目で探しまわっているだけだ。
こういう愚行は、ある種の「スポーツの政治利用」であって、やってることはロンドン五輪・男子サッカーでの韓国の五輪憲章違反と、まったく変わらない。

同じく世間の支持を失いつつある日本のマス・メディアだが、彼らも、最後のあがきとばかり、こうしたスポーツの政治利用を煽り立てている。
メディアはかつて新・国立競技場問題について、しっかり報道するどころか、むしろこの件をやけに熱心に報道し続けていた東京新聞を除けば、ほとんどのメディアはおざなりな報道しかしてこなかった。なのに、いまや多くの報道機関がこの件を伝えることで意気揚々としているのだから、空いたクチがふさがらない。


この新・国立競技場問題、特に資金面の経緯については、いくつもアタマに入れておかなくてはならないポイントがあるのだが、大半の人は、忘れているか、最初から何も知りもしないまま、議論に参加したつもりになっている。


まず確認しておくべきなのは、東京五輪の「言いだしっぺ」である石原慎太郎氏が、都知事時代に「五輪のメイン会場の建設費900億円を、東京都の全額負担とする」ことを了承している、という「事実」だ。
(当時東京都が用意していた五輪資金の額は、石原氏が何度も「4000億」円という数字を挙げているので、おそらく間違いない。ゆえにメイン会場に東京都が用意できるとした900億円は、東京都がメイン会場に負担できる資金の「上限値」ではない)

「都には当時から4000億円の基金があった。そこで国が「(主会場の)国立競技場を造ってくれ」と頼んできた。「なぜ都が国立競技場を造る?」と苦笑いしたが、基金があったので「分かった」と、建設費(約900億円)は都の全額負担にした
ソース:2015年7月東京新聞 石原慎太郎氏インタビュー


上記の記事のタイトルは、奇妙なことに「石原元知事 『費用の話は一切していない』」となっているわけだが、実際にはこの記事は、「石原氏が国とカネの話をしていて、具体的な負担金額も決めていた」ことを証拠だてる内容になっている。(国が石原氏にメイン会場の建設費負担を要請したのは、「石原氏が2016年五輪の誘致活動に奔走していた2006年から2009年のどこか」だろう)


2009年9月には日本国内で政権が交代し、民主党鳩山内閣が誕生しているわけだが、同2009年10月のIOC総会で東京は2016年五輪誘致に敗れ、この五輪はブラジルのリオデジャネイロに決定している。
この2009年誘致失敗ののち、東京都にとってのオリンピック誘致という悲願は、言いだしっぺである石原氏から、石原氏のブレーンで、彼から禅譲された後任の都知事「猪瀬直樹」にひきつがれたのである。

石原氏の後任である猪瀬は、都知事就任後、国立競技場のある明治の森周辺が風致地区指定を受けているために高さのある建築物がまったく建てられないことから、東京都の風致地区条例を改正してまでして、安藤忠雄が選んだザハ案実現に邁進した。


以下に、2012年11月あたりの「あまりにも奇妙な年表」を挙げてみる。
2012年11月 猪瀬直樹 東京都知事選出馬。選挙参謀は、サッカー利権の代表者、川渕三郎。
2012年11月6日 猪瀬、神奈川県鎌倉市の病院で徳田虎雄前理事長と面会。選挙資金提供要求
2012年11月15日 安藤忠雄がザハ案を最優秀に選択
2012年11月20日 猪瀬、衆議院議員会館で、徳田虎雄氏の次男で当時衆議院議員だった徳田毅氏から5000万円受領
2012年12月16日 東京都知事選 猪瀬当選(史上最多433万8936票)
2012年12月 民主党政権が倒れ、自民党・安倍政権が誕生
2013年9月7日 アルゼンチンの首都ブエノスアイレスでのIOC総会で、2020年五輪が東京に決定
2013年12月 猪瀬 都知事辞任

まずひとつ、気をつけてもらいたいことは、勘違いしている人が非常に多いと思うが、ザハ案に決まったタイミングは、「オリンピックが東京に決まってからコンペをやり、ザハ案に決まった、という順序ではない」ということだ。
ザハ案が決まったのは、2013年ブエノスアイレスでのIOC総会で2020年五輪が東京に決まる「10か月も前の話」なのだ。

いいかえると、安藤忠雄は2020年五輪が東京に決まるかどうかまるでわからないタイミングで「審査とやら」を行ったのであり、彼は熱心に(というか必死に)この荒唐無稽な、立地をまるで考慮しないザハ案を推した、ということだ。このことから、新・国立のデザインについての安藤忠雄の発言と行動のほとんどすべてが、いかに無責任きわまりないものだったかがわかる。


ザハ案が検討・決定されたのは、文部科学省の天下り団体である日本スポーツ振興センター(JSC)内に設けられた「有識者会議」だが、この「ザハ案決定時のJSCの有識者会議」の東京都代表者は、2016五輪立候補以来、五輪開催を執拗に追及してきた「石原慎太郎氏」であって、「猪瀬直樹」ではない。

上の年表でわかるように、ザハ案が選ばれた時、猪瀬はまだ都知事選の真っ最中で、まだ知事にすらなっていない。このことは単純なことだが、新・国立を議論したいなら当然わかっていなくてはならない事実関係のひとつのはずだが、新国立問題を議論する人の大半の人がそれを忘れているか、知りもしない。(だから本来は、この案件にひどく熱心な東京新聞がやったように、この新・国立問題についてメディアとして取材すべき相手が、ほかの誰でもない、石原氏なのは当然なのだ)

猪瀬は、東京都知事になる前から、徳洲会による東京電力病院買収の斡旋に関わった形跡があるように、副知事の立場から東京都のかかえる巨額案件の数々にクチバシを突っ込めるだけの権限があったにしても、こと2020東京五輪に関しては、当初は「直接の推進者」「代表者」ではない。
(ただ、だからといって都知事選真っ最中の猪瀬が、コンペが安藤忠雄の主導でザハ案に決まりそうだという内部情報をもたらされていなかったわけはない。だからこそ猪瀬は、都知事に就任するやいなや、早々にザハ案実現に向け、風致地区条例の改正などに矢継ぎ早に取り組んだのだろう)


有識者会議といっても、以下のメンバーを見ればわかるように、安藤忠雄を除くと、メンバー全員は「建築については何もわからない超党派のド素人」ばかりであり、採用案の選択はおそらく「安藤忠雄の一存で決定された」確率はかなり高いとみなしていいだろう。
有識者会議メンバー
佐藤禎一(元:文部科学省事務次官)
安藤忠雄
石原慎太郎(東京都知事/当時)
森喜朗(自民 ラグビー連盟会長/当時)
鈴木寛(民主 現・日本サッカー協会理事)
遠藤利明(自民)
-----------------------------
JSC理事長 河野一郎
(石原都知事時代の2016五輪招致委員会で事務総長、
 現・日本ラグビー連盟理事)

ちなみに、有識者会議の参加者だった元民主党の鈴木寛は、実は現・日本サッカー協会理事現JSC理事長・河野一郎は、石原都知事時代のの2016五輪招致委員会の事務総長であり、さらに同時に、現役の日本ラグビー連盟理事でもある。また、猪瀬直樹の選挙参謀は、元Jリーグの川渕三郎。(さらに言えば、安藤忠雄は大阪の橋下徹のブレーンのひとりで、橋下と石原はかつて共同代表をつとめた間柄だ)
つまり、ザハ案を決定したJSCと有識者会議は、ラグビー、サッカーといった「特定スポーツの利権代表者だけ」で構成されていたということだ。このことも、この問題を議論するとき必ずアタマに入れておくべき事実のひとつなのはいうまでもない。


石原慎太郎氏が、都知事在任時代に「2016五輪メイン会場の建設費の全額負担を約束していた」こと、東京五輪という悲願が石原氏から猪瀬にそっくりそのまま引き継がれたものであること、2000年代末には東京都に「数千億もの五輪資金」が蓄えられていたらしいこと、ザハ案採用を決定した有識者会議の東京都側出席者は猪瀬ではなく石原氏であること、ザハ案の決定がおそらくは安藤忠雄の一存であったこと。
これらの流れから判断して、「安藤忠雄がザハ案を決定した場に直接居合わせた人間たち、および、その背後に控えている人々」の暗黙の了解は、「メイン会場の建設費は、2016年五輪誘致の際に石原氏が行った『全額負担の約束』が引き継がれて、そのかなりの部分が東京都の負担となる」というものであったに違いないと、ブログ主は考える。


当然ながら、まだ東京に五輪が来るかどうかも決まっていない時期に、全体予算の規模がまるで見えないまま、必要な予算規模のまったく見えない荒唐無稽なザハ案を強く推したであろう安藤忠雄の「暴挙」を、かつて五輪誘致で900億円の全額負担を約束した石原氏が悪く言うはずがないし、また建築素人として悪く言えるはずもない。今となっては必死に擁護するほかないのであろうことくらい、容易に想像がつく。


ここまで時系列で整理してくれば、東京都の現在の代表者たる舛添要一がまるで他人事のように五輪メイン会場の費用負担を煙たそうに語ることは絶対に許されないことなのがわかる。

かつて都知事だった石原氏の「メイン会場建設費の全額負担の約束」、この10年ほどの間の東京都の五輪誘致追求、蓄えてきた五輪資金、石原ラインの猪瀬の五輪誘致追随、猪瀬の東京都の立場を利用したパワハラ的カネもうけ。
こうした流れを知る者にしてみれば、舛添知事の「新国立についての上から目線の、他人事のような発言」は、「どうかしている」といえるほどの悪質で酷いレベルだったはずだ。


「東京都」は、2020東京五輪の、首謀者、当事者、主催者そのもの、なのであって、傍観者でもなければ、協力者でもない。東京都にメイン会場建設のための多額の費用負担が発生することなど、当然のことなのだ。

ザハ案の決定についての責任者が誰だったのか。そんなことを「自分の勢力拡大のための思惑」から議論する前に、せめて時系列だけでも頭に入れておいてしゃべることだ。





damejima at 21:22

December 20, 2013

ニンゲンの脳で考えられる中では最悪のなりゆきで、世にも情けない辞め方をした猪瀬直樹だが、猪瀬が退陣にあたって相談したという「2人の人物」のうち、ひとりが自分の親分である石原慎太郎なのはともかくとして、もうひとりが、どういうわけか「川淵三郎」だというのには、誰でも奇異な感じを受ける。

さかのぼると、猪瀬は、2012年11月の東京都知事選挙出馬にあたって、どういうものか「政治の専門家でもなければ、まして、選挙対策の専門家でもない」、いわば「素人そのもの」に見える川淵三郎を自分の選挙対策責任者に指名している。
もちろん、このこと自体が「不自然きわまりない話」なわけだが、さらに今回の辞任でわかったのは、「猪瀬にとって、川淵は、自分の進退まで相談するような『非常に比重の重いパートナー』だった」ということだ。
この「猪瀬と川淵の関係の不自然さ」は、誰の想像をも上回る。


猪瀬は、都知事選に楽勝した後、自分のブレーンたちに、いわば「選挙協力の見返り」として、多くの「東京都がらみの仕事」を回してやっている。明らかに、「あっせん行為」である。(この行為は同時に、「非・猪瀬」である人間を東京都がらみの仕事から締め出す行為でもあった)

特に、選対責任者だった川渕に対して、猪瀬は、それが「都知事選に勝たせてもらった報酬」であることが、あまりに「あらからさますぎる」といえるほどの、「東京にまつわる要職」を報酬として与えている
報酬のひとつが、東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会の「副理事」の座(2013年1月30日付承認)であり、そしてもうひとつが、公立大学法人首都大学東京の「理事長」の椅子(2013年4月1日付)だ。
2つとも、「東京に深く関わる仕事」という点であり、明らかに「猪瀬の任命権限」に基づく「指名」だ。

こうした「東京都の仕事を自分のブレーンに優先してあっせんする行為」が、「人事という形で行う 『キックバック』」なのは明白だ。

東京の五輪招致活動に対して、日本サッカー協会は、JOCのような直接オリンピックとかかわる組織でもないというのに、協会トップをわざわざ南米のブエノスアイレスくんだりまで派遣したりして、「異常なほどの協力ぶり」をみせている。これは当時すでに周囲から奇異の目で見られ、新聞ネタにもなっている。
こうした「サッカー協会の東京都に対する異常な献身」は、徳洲会の選挙手法と同じで、言うまでもなく「川淵の指示」によるものだろう。つまり「都知事選のキックバックの、そのまた恩返し」というわけだ。謎さえ解ければ、話はわかりやすい。
猪瀬にとっての日本サッカー協会が、いわば手足のごとくに使える手下みたいなものであるとするなら、猪瀬がサッカー協会が頻繁に利用する「国立霞ヶ丘陸上競技場の建て替え」案件にクチを挟まないわけがない。

記事:異例!日本サッカー協会、代表戦より五輪招致優先 - スポーツ - SANSPO.COM(サンスポ)

資料:東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会 第3回評議会の内容/2013年1月30日付
資料:東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会 理事リスト
資料:公立大学法人首都大学東京 - Wikipedia


猪瀬が川淵に与えた2つの「東京にかかわる仕事」、オリンピック・パラリンピック招致委員会副会長と、首都大学東京理事長の「任命権」が、はたして「東京都知事」にあるのかどうか、そこまでは残念ながらわからないのだが、この2つのポストがどちらも「東京」に非常に深く関係する仕事であることからして、なにも調べなくとも、猪瀬が最低でも「事実上の任命権」(実際には、たぶんハッキリとした「任命権限」)を持ち、猪瀬の直接の意向から任命した人事であることは、おそらく間違いない。

この「2つの猪瀬人事」で特に驚くのは、オリンピック・パラリンピック招致委員会の人事に関する「猪瀬の発言力の大きさ」だ。
オリンピック、といえば、東京都単体の事業というより、「国の事業」というイメージをもつ人が多いだろう。
だが実際はそうではない。東京都知事である猪瀬は、招致委員会がすでに旗揚げしてしまっている後からでも「招致委員会副会長という要職に、自分の選挙対策責任者という、いわば『身内』の人物を押し込むことができる」、そういう「発言力」、「人事決定権」を持っていたのである。
資料:2013年10月時点の猪瀬発言
「(組織委員会の)人選は首相がやるわけではなく、僕のところでやる」
「組織委というのは都とJOCでつくるもの」


このように、猪瀬が東京都の事業、特に五輪招致に関して、かなり強力な人事決定権を持ち、実際かなりの頻度で人事を決めてもいただろうと推測できるからこそ、国立霞ヶ丘陸上競技場の新築のためのデザインコンペについても、猪瀬は相当の「発言力」を行使していただろうと思われるのだ。
この事業は本来なら、文部省の外郭団体である日本スポーツ振興センター(JSC, Japan Sports Council)が主導する仕事のはずだが、おそらく実態としては、かなりの部分が、都知事である猪瀬とそのブレーンたちに振り回されていたに違いない。

猪瀬の都知事当選を祝うパーティーの記事によれば、この席に出席したのは、選対責任者である川淵はもちろんだが、後に新・国立霞ヶ丘陸上競技場のデザインコンペ審査委員長となる安藤忠雄の姿もある。つまり、彼はコンペがある前から、もともと「猪瀬のブレーン」のひとりなのである。
そしてさらにいえば、安藤忠雄は、川淵同様、「東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会」のメンバーのひとりでもある

だから当然ながら、国立霞ヶ丘陸上競技場の新築のためのデザインコンペには、都知事である「猪瀬の意向」が少なからず働いていた、と考えるのが自然だ。この建て替えに先んじて「風致地区における建築物の高さ制限を大幅に緩和した」のが、ほかならぬ東京都であることからも、それはうかがえる。
たとえ国立霞ヶ丘陸上競技場が、国の外郭団体である日本スポーツ振興センターの管轄施設であろうと、そこには五輪招致がらみのデザインコンペには、十分すぎるくらい「都知事である猪瀬の意向」が働いていたのはおそらく間違いないだろう。


こうして眺めてみると、ある意味、どこかの独裁国家や時代劇の悪代官のような「コネにまみれた政治手法」だが、このことは、もし今回の猪瀬の不祥事がなかったなら、誰もたぶん詳しく調べなかったと思うし、また、指摘されることさえなかっただろう。
残念ながら、自分自身も含めて、「人間の監視力」というものは、実は、ことほどさように「甘い」のである。


だからこそ、あらためて次のことを提案したい。
目的は、2020年の東京オリンピックから「猪瀬のコネの影響力」を「誰の目にも明らかな形」で排除することである。猪瀬だけを排除しても、「猪瀬のコネで招致委員会に入った人物たち」が大量に現場に残るのでは、まるで意味がない

1)川淵三郎は、任命者である猪瀬が「責任から逃げた」のだから、のうのうと要職の座に居座ることなく、さっさと全部の職を辞退すべき。

2)猪瀬の意向が働いていたのが明らかな「国立霞ヶ丘陸上競技場の新築のためのデザインコンペ」は、審査員を変え、新たにやり直すべし。

参考記事:Damejima's HARDBALL:2013年10月29日、国立霞ヶ丘陸上競技場は、「同じ場所で建て替える」などという二番煎じのお茶をさらに温め直すような発想を止め、違う場所に新設すべき。

参考記事:Damejima's HARDBALL:2013年11月5日、「8万人収容のモンスターレベルの陸上競技場」を、「8万人収容のフットボール場」と同列に語っている国立霞ヶ丘陸上競技場建て替え話の馬鹿馬鹿しさ。



ちなみに、猪瀬が徳洲会がらみの不祥事に際して、すでに売却予定だった「東電病院」にまつわる便宜供与を図ろうとしていたかどうかについて、いろいろと憶測記事が出ている。
徳田虎雄氏が東電病院の取得意向伝達 猪瀬知事、虚偽答弁か:朝日新聞デジタル

この件については、なぜまた突然「東京電力」という名前、あるいは病院の売却話が、都知事である猪瀬に関連して出てくるのか、理解できない人も多いだろう。
しかしながら、その一方では、「電力各社とサッカーとの深いつながり」を知っていて、ハハンとうなづいた事情通の人もいる。


例えば、2002年に日本で行われたサッカー・ワールドカップの「組織委員会」を構成した「人物たち」について、国立国会図書館の行っているインターネット資料保存事業の一環として、当時のウェブデータが保存されて残っているから、見てみるといい。この「サッカーイベント」に、どれほど多くの「電力会社幹部」が幹部として関わっていたか、わかるはずだ。
当時のJAWOCのウェブサイト : 国立国会図書館アーカイブ

(まぁ、だからこそ、かつて東日本大震災のときに、蓮舫のような「電力が足りないから、野球のナイターを止めろ」と大合唱したアホな連中に、即座にこのブログで「馬鹿なこと言うな」と言い返した、ということがある。
そもそも原発事故で結果的に電力が足りなくなったことの責任の一端が、サッカーやコンサートホールなどを「エサ」にしながら、原発を自然災害の被害の及ぶ可能性のある危険な場所に作り続けてきた電力会社自身にあったとするなら、電力供給量低下の責任を、まず最初に「野球」に負担を求めるのは「お門違いも甚だしい」のである)
Damejima's HARDBALL:2011年3月20日、極論に惑わされず、きちんと議論すべき日本の球場の電力消費。


電力会社とサッカーのつながり」は、例えば、東日本大震災における福島第一原発の事故で有名になった、サッカーのトレーニング施設である「Jヴィレッジ」や、九州電力玄海原発のある佐賀の「サガン鳥栖」というJリーグのチームをみても、ある程度わかる。

原子力発電所の建設される「土地」に、さまざまな形で「国や電力会社からカネが落ちる仕組み」があることは、原発事故後の報道のおかげで知られるようになったわけだが、実はこうした「原発の立地する地元に対する恩恵」は、なにも「現ナマ」ばかりではなく、陸上競技場などの「スポーツ施設」や、コンサートホールや公民館などの「公共施設」の建設費や維持費についても、かなりの額の援助が出ている。
というより、もっとハッキリいうと、かつて福島県知事が証言しているように、電力会社は、原発を建設したい土地の地元自治体に対して「あんたたちの土地にプロサッカーチームを作ってやる。だから、その見返りに『原発』を作らせてくれ」というオファーまで、実際に行っているのである。
つまり、「何が欲しいのか、言ってくれ。サッカースタジアムでも、陸上競技場でも、公民館でも、こっちで全額負担で作ってやる。だから、そのかわりに原発を作らせろ」という、なんとも凄まじいオファーをしているのだ。(そして実は、そうした原発の立地する地元に建ててやる公共建築物の費用というのは電気料金に上乗せされている。だから、実は電力会社は最終的には何の負担もしていない

こうした「電力会社の腹の痛まないオファー」の結果、故意に生みだされてきたプロサッカー選手は数多くいる。たとえば、今はもう廃部になっている東京電力女子サッカーチームの選手は、スポーツ選手でありながら福島の原発で働かされてもいた。また、福島のJヴィレッジの建設費は、最終的に首都圏の電気料金に上乗せされ、首都圏の一般人が知らない間に電気代の名目で強制負担させられた。
Jヴィレッジ18年再開へ サッカー施設で、東電検討 東京五輪での活用視野 - MSN産経ニュース

こうして電力会社の意向に沿って作られた地方のJリーグのチームでは、練習場所として使う天然芝のスポーツ施設の利用料が「異様に安く」設定されているケースもある。
税収からの補填を除いた経営実態としていえば、Jリーグのチームは赤字チームだらけだが、もし本番さながらの練習ができる天然芝のグラウンドが「スタジアムの建設費や維持費を度外視した価格」で非常に安く確保できるなら、当然ながら、そのチームは限られた予算を選手確保や遠征費に回せるわけだから、当然、そのチームは躍進する。まぁ、いってみれば「予算上のドーピング」みたいなものだ。
つまり、「市場原理に基づかない破格のグラウンド使用料」のような、「見えない原発関連の補助」があるということは、電力会社がサッカーチームを、言葉は悪いが、「間接的に飼いならしている」ことになるわけだ。もっとハッキリ言わせてもらえば、「原発がサッカーチームを支えているようなケース」が実際にあるのである。

また、電力会社が地元プロサッカーチームのスポンサーになることもある。これなどは、スポンサードといえば聞こえはいいが、電力会社は別にサッカーに広告効果など期待してはいない。実際にやっているのは「プロサッカーチームという、地元の人たちが騒ぐための『宴会』の経費を負担してやっている」ようなものなのだ。

もちろん、例えばサガン鳥栖ファンの方々に責任はない。
だが、心証を害する可能性を考慮しても、あえて明言させてもらうと、鳥栖という土地の人口や税収の大きさを冷静に考慮するなら、もし原発関連の「出資」や「投資」の支えがなければ存在しえないプロスポーツチームではある。
九州電力やらせメール事件 - Wikipedia


東電病院の件は、こうした、猪瀬と猪瀬のブレーンたちの人間的なつながり、サッカーと電力会社の利権のやりとりの構図の中で起きている。

そもそも、東京都は東京電力の筆頭株主なのだ。(東京電力[9501] - 大株主 | Ullet(ユーレット) そして、猪瀬は、都知事になって以降、東京電力に株主総会で東電病院売却を迫っていた、と聞く。
と、なると、これはただの推測に過ぎないが、もしかすると猪瀬は、東京電力の筆頭株主である東京都知事の立場を利用して、福島第一原発で事故を起こした東電の社会的責任を追及する裏側で、東電病院の売却先を決める「利権」を手にし、徳洲会に「東電病院の買収をあっせん」しようとしていた可能性があるのではないか。
そうなると、例の「5000万円のカネ」は、単なる選挙資金の貸し借りなどではなく、実は東電病院を売買する「あっせん料」として受け取った「手数料」だった可能性
が浮上してくる。
もしこの邪推が正しければ、この「5000万円の授受」は、公職選挙法違反などではなく、立派に「贈収賄事件」だ。


なんせ、猪瀬が最も大好きな政治手法は、
コネ」と「バーター」だ。
可能性はゼロではない。

damejima at 11:01

November 05, 2013

先日、国立霞ヶ丘陸上競技場(通称:国立競技場)の建て替えについての記事を書いたわけだが、ちょっと気になることがあって、追加でこの記事を書くことにした。

というのは、あの記事をさらっと読まれてしまうと、まるで「建て替え費用は、東京都が想定しているような『8万人規模で1500億円』なんて予算規模では、いいスタジアムなんてできない。世界に誇れる8万人規模のスタジアムを作るべきだから、文部省がとりあえず試算した『3000億円』かかるかどうかはともかく、1500億円以上は絶対にかけて事業を進めるべきだ」、などと読まれかねないと思ったからだ。
Damejima's HARDBALL:2013年10月29日、国立霞ヶ丘陸上競技場は、「同じ場所で建て替える」などという二番煎じのお茶をさらに温め直すような発想を止め、違う場所に新設すべき。


そもそも、東京都のいう「8万人収容、1500億円」という数字がどこから湧いて出てきたのか、推定してみると、たぶん以下のようなデータがあることからして、「世界一カネがかかったMetLife Stadiumが費用1600億円・8万人収容だから、東京でもそれくらいの費用でできるだろう」程度の大雑把な推論が話の出発点に違いない。

まずは、今の時点で、「世界で最もカネのかかったスタジアム」のベスト5を見てもらいたい。(以下「B=billion=10億」。例:US$1.6B=16億ドル≒約1600億円)

1位 MetLife Stadium
   US$1.6 B (ニュージャージー・NFL)
2位 新ヤンキースタジアム
   US$1.5 B (ニューヨーク・野球)
--------------------------------------------
   Olympic Stadium(モントリオール・多目的)
   AT&T Stadium(テキサス・NFL)
   Wembley Stadium(ロンドン・サッカー場)
3位〜5位のスタジアムの建設費は、1.25〜1.4 billion


上位2つのスタジアムの順位は、どの資料をみても変わらない。だが、3位以下のスタジアムの順位は資料によって変動する。カナダ、アメリカ、イギリスと、それぞれが異なる国のスタジアムで、差が小さく、為替レートによっても順位が変動するレベルだから、ここは細かいことなど気にせず、「3位タイが3つあって、ドングリの背比べだ」とでも思っておけばいいだろう。
「建設費」だが、これは、初期費用は変わらないにしても、Olympic Stadiumがそうであるように、追加改修が必要になると完成後にも膨れ上がっていったりする。また「収容人員」については、どんなスポーツを開催するかによって大きく異なる。野球と比べ、サッカーやアメリカン・フットボールの開催は、フィールドに臨時のシートを増設することもできるため、より多くの観客をスタジアムに収容できる。
上記5つのスタジアムは、それぞれの主な使用目的が違う(NFL、野球、サッカー)。そのため収容能力を横一列で単純比較することは難しい。
AT&Tというと、MLBファンはどうしてもサンフランシスコのAT&T Parkを思い浮かべてしまうわけだが、ここではかつてCowboys Stadiumと呼ばれていたテキサスのNFLのスタジアムをさす。

収容人員数
1位 MetLife Stadium 82,566人(NFL)
2位 新ヤンキースタジアム 約5万人(MLB)
   Olympic Stadium 66,308人(NFL)
   AT&T Stadium 10万5千人(NFL)
   Wembley Stadium 86,000人(サッカー)


USドルでの比較(2011年12月付):The 5 Most Expensive Stadiums In The World

USドルでの比較(2011年10月付)11 Most Expensive Stadiums In The World

ユーロでの比較:世界のスタジアム建設費TOP10 |FootballGEIST


「8万人収容・1500億円」の意味

論点1)競技によって大きく異なる
    「8万人収容スタジアム」の「規模」


日本の新聞メディアは国立霞ヶ丘陸上競技場の建て替えについて、「どういう意味の『8万人』なのか?」を全く定義することなく、ダラダラ、ダラダラ報道を垂れ流しているから、まるで議論にならない。
上でも書いたことだが、ひとくちに「8万人収容」といっても、「陸上競技の観客8万人」、「野球の8万人」、「サッカーの8万人」、「アメリカン・フットボールの8万人」では、それぞれに必要な土地面積、スタジアムの規模、かかる維持費の全てが、まるっきり違ってくる。

「陸上競技の8万人規模のスタジアム」というと、野球以上に広大な「敷地」が必要になる。だが、年間通しての集客など期待できるはずがない陸上競技では、8万人なんていうモンスター・スタジアムを作るなんてことは、まさに自殺行為でしかない。
サッカーというスポーツについては、テレビ中継画面の広角なアングルの「イメージ」のせいで、「広大なグラウンドを走り回ってプレーするスポーツである」だのと思いこんでいる人はやたら多いことだろうが、実際には、サッカー場の面積なんてものは、たとえピッチ外のスペースを含めたとしても、野球のフィールド面積のせいぜい半分程度にしかならない。アメリカン・フットボールはさらに狭い。
だから例えば、野球場のインフィールドに臨時の席を設営することを想定する場合、野球の開催で「6万人」くらいの収容規模のスタジアムは、アメリカン・フットボールでなら「8万人収容」くらいの規模のスタジアムであることを意味する。


もし東京都が、国立霞ヶ丘陸上競技場の建て替えで想定している「規模」が、「8万人の観客を、それも『常設席』に収容できる、陸上競技場」なんてものだとしたら、そんなスタジアムは「とてつもなくデカいモンスターになる」に決まっているし、そして当然ながら、「モンスターの建設には、とてつもない費用がかかる」。(というか、たぶんあのデザインを設計した人間は、「そもそもスポーツ観戦とか、スタジアムというものを理解してない人間」だ)

だが、上のスタジアム・ランキングでわかる通り、そんな「とてつもなく馬鹿デカいスタジアム」など、世界の(というか、アメリカの)どんな採算のとれているプロスポーツで探しても、どんなスポーツ先進国で探しても、「ない」し、「ありえない」
そして、そういう「ありえないもの」を現実に作ろうとすれば、間違いなく「世界で最も建設費のかかったスタジアム」になり、さらに同時に、「世界で最も維持していけない陸上競技場」になるだろう。

イメージしておかなくてはならないのは、「野球よりはるかに狭いフィールドでプレーしているスポーツ」であるサッカーやアメリカン・フットボールを前提に考える「8万人収容のスタジアム」のイメージというのは、「野球でいうなら、6万人収容程度の大きさ」だ、ということだ。
例えば、8万人以上収容できるMetLife Stadiumは、世界で最もカネのかかったスタジアムで、建設費はおよそ「1600億円」もかかっっているわけだが、このスタジアムはそもそも「アメリカン・フットボール用」なのだから、野球場に換算するなら、「6万人収容の野球場」程度の大きさという意味でしかない。
「6万人収容の野球場」というと、野球場として大きいのは確かだが、想像を絶するほど大きさではないし、モンスターでもない。そして、そんな程度の大きさでも、建設には1600億円もかかったのだ。

もしこれが、「8万人を常設の席に収容できる陸上競技場」なんてものになったらどうなるか、想像できるはずだ。巨大なモンスター級スタジアムの建設の費用は、1500億とか1600億とかで収まるわけがない。そんなものを、1年にたった数週間しか使わないマイナーなプロスポーツだの、アマチュア競技のための常設施設だのとして作れば、どうなるか、わかりそうなものだ。
既に何度も書いていることだが、日本では「野球以外の競技」で、「6万人を超える規模のスタジアム」を作れば、間違いなく採算のとれない無用の長物になる。いうまでもない。

ここらへんの「スケール感」をきちんとアタマに入れた話をしていかないと、ウワモノの建設費が巨大になるくらいでは済まない。取得すべき土地の面積も、更地にする費用も、ランニングの経費も、人件費も、ありとあらゆる費用が膨大なものになることは、ここまでの話でおわかりいただけただろう。
東京都は既に国立霞ヶ丘陸上競技場周辺の立ち退きが予想される住民にある程度の説明を行ないつつあるようだが、そもそも彼らの想定する建て替えに必要な土地面積のイメージは、ぶっちゃけ「とんでもなくデカすぎる」ものだ。


論点2)MLBのスタジアムで、建設費が10億USドルを越えているのは、実は「新ヤンキースタジアムだけ」

MLBスタジアムの建設費ランキング

上で「収容人数」について書いたことでわかるのは、国立霞ヶ丘陸上競技場の建て替えが、もし「8万人を常設席に収容できるモンスター級の陸上競技場をつくる」という意味であるなら、「1500億でできるわけがない」ということ、さらにそういう「モンスター級の陸上競技場など、日本には必要ないし、仮に作ったとしても、到底維持できない」というようなことだ。

さらに、MLBのボールパークの建設費ランキングを見てもらえばわかると思うが、「5万人収容くらいで、屋根が開閉式のドーム球場を作る費用は、少なくとも近年のアメリカでは、1000億以上かかることは、滅多にない」。そして、「場所にもよるが、500億円ちょっとでも十分作れる」。(資料:MLB Ballparks - Construction Cost Rankings
新ヤンキースタジアムは世界第2位の約1500億円もかかった金満スタジアムだが、これはカネがかかりすぎというものであって、MLBで2番目にカネのかかった、同じニューヨークのシティ・フィールドは、前身のシェイ・スタジアムの駐車場に作ったせいか、わずか900億円しかかかっていない。(もちろん、900億でも、MLBのボールパークの建設費としては超高額だが)
そして、他の球場は、開閉式ドームのセーフコ・フィールドなども含めて、ほとんど全てのボールパークが、わずか「600億円以下」で建設されているのである。


上で書いたように、「6万人を収容できる巨大野球場」は、サッカーやアメリカン・フットボールでいえば、「8万人を収容できる巨大スタジアム」を意味する。
もし日本に「8万人収容で、屋根が開閉式のスタジアム」を新たに作るとしても、それが「8万人を、しかも常設席で収容できる、世界に前例のないモンスター級の陸上競技場」などという、わけのわからない無謀な話ではなくて、「6万人収容できるかなり大きな野球場、とでもいうような規模イメージのスタジアム」である限りは、「3000億円」どころか、「1500億円」もかけずに建設可能なはずだ。(もちろん、前に書いたように、同じ場所で建て替えようとするから、余計に費用がかさむということはある。だからこそ、同じ場所でなく、場所を変えるべきだ、というのである)


話が長くなった。
東京都が「8万人収容で、1500億円」と言っている「スタジアムの想定」が、結局のところ、いったい、どこの、何を、「模範」としてイメージされたかといえば、いうまでもなく、「1600億円という世界一のコストをかけて建設され、8万人以上を収容できるアメリカのMetLife Stadiumのレベル、つまり、世界トップレベルのスタジアムを、わが東京にも作るんだべ」程度のアバウトさ、ないしは、「世界一のMetLife Stadiumが1600億でできたんだから、オラも1500億くらいかけりゃ、東京にも、つくれるだろ」程度のアバウトさから発言されているに過ぎないであろうことは、ここまで長々と書いてきたことでわかってもらえると思う。

だが、彼らは、自分たちが企画書で目にして飛びついた「1600億かけて建設された、8万人収容の、世界でいちばんカネのかかったスタジアム」というのが、そもそも競技スペースが狭くて済む「アメリカン・フットボール場」であって、「陸上競技場ではない」ということを、たぶんわかってない。
もし、わけのわからない人間たちが、わけもわからず「8万人を、常設席で収容可能な、モンスタークラスの陸上競技場」なんてものを想定しているのだとしたら、国立霞ヶ丘陸上競技場は、ただでさえサブトラックの再整備が必要で、さらに、現にある陸上競技場を更地に戻す費用もかかり、既存の周辺住民を立ち退かせる費用など、さまざまな経費もかかった上に、さらに本題の広大な面積の土地を収用し、地上70メートルにも達する巨大なウワモノを、しかも「風致地区」に建設して、さらに膨大なレベルの維持費と人件費が何十年もかかり続けるのだから、「1500億円程度の費用」で建てられるわけがない。


「1500億でできますよ」だのというが
ほんと、「できもしないことを言うな」と、
猪瀬氏に言いたくなる。

damejima at 23:49

October 30, 2013

東京の2020年五輪開催が決まったのは非常にめでたいにしても、1964年の東京オリンピックで作られた国立競技場(=国立霞ヶ丘陸上競技場)の建て替えどうのこうのという話が、どうにもよろしくない。


オリンピック誘致の成功で「浮かれている人間たち」は、50年も前につくられた旧式の施設である国立霞ヶ丘陸上競技場の「立地の限界」と、神宮外苑という施設の本来の目的である「静かなる顕彰」の意味を根本的に理解していないまま、無理に無理を重ねて建て替えを進めようとしている。

現状の国立霞ヶ丘陸上競技場の「限界」を頭に入れていない東京都や猪瀬知事は建て替えに必要な金額を安易に考えているようだし、巨大な競技施設を「神宮外苑」に無理にでも建てたいから、風致地区が風致地区でなくなってもそれはそれでしかたないとのお考えのようだが、そもそも50年も前に建てられた国立霞ヶ丘陸上競技場の「手狭な立地」では、非常に多数のアスリートが参加するオリンピックでは、国際的な陸上競技場としては「失格」なのだ。
そして内苑である明治神宮を控えた「神宮外苑」という場所の本来の目的は「心静かに顕彰すること」なのであって、この旧式の競技場を無理にでも陸上競技場の国際規格にあうよう「拡張」しようと思えば、「現在の手狭な場所」では「もともと無理」なのだ
ということを、関係者は根本的に忘れている。

ブログ注:
ここでいう「国立競技場」とは、あくまで「通称」でいうところの「国立競技場」であって、具体的に正式名称でいうなら、「国立霞ヶ丘陸上競技場」単体のことを指している。

だが本来、正式な意味での「国立競技場」というのは、文部省の外郭団体である独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)が運営・管理する「国立霞ヶ丘陸上競技場」「国立代々木競技場」「国立西が丘サッカー場」の総称を意味するのであって、国立霞ヶ丘陸上競技場単体を指してはいない。

さらにいえば、「国立霞ヶ丘陸上競技場」という施設単体について考えるとき、この施設が抱えている「周辺施設の整備」という問題を甘く見てはいけない。
というのは、そもそも国立霞ヶ丘陸上競技場というのは、陸上競技施設としては、オリンピックのような国際競技を開催する施設としては「サブトラックが遠いうえに、狭すぎる」という重大な問題を抱えた劣悪な陸上競技場だからだ。
野球のスタジアムでも「外野のポールまでが100メートル以上」などといった国際規格があるわけだが、同じように「陸上競技場」にも国際規格があり、一流アスリートを世界中から集めた国際試合を開催できる第一種公認を受けるためには、さまざまな「条件」をクリアしていなければならない。
その国際規格のひとつが「ウォーミングアップのためのサブトラックの設置」だが、国立霞ヶ丘陸上競技場は、現在のところ、千駄ヶ谷駅前にある東京体育館の脇にある200mトラックをサブトラックとして使用するという「タテマエ」でギリギリ公認されてはいるものの、現実には、国立競技場から東京体育館まで距離がありすぎることに加え、そもそも200mの狭いトラックでは直線が短すぎて十分なウォーミングアップができず、また、200mトラックでは狭すぎて、数多くのアスリートが同時にウォーミングアップすることができないという重大な問題点を抱えている。
そのため、近年の日本の陸上競技界では、多くの国際競技が、この国立霞ヶ丘陸上競技場ではなく、他の施設、例えば神奈川県の横浜国際総合競技場(日産スタジアム)などで行われるようになってきている

つまり、東京都が考えているような「国立霞ヶ丘陸上競技場さえ建て替えれば、周囲の施設はそのままでも、オリンピックという国際競技は開催できる」というような考えは、実は「安易」かつ「甘い」のである。

したがって、文部省が想定する「国立競技場の建て替え」事業の意味するところが、「通称されている国立競技場」である国立霞ヶ丘陸上競技場のみの建て替えなど意味していないのは、むしろそちらのほうが当然なのであって、さすがに場所が北区で霞ヶ丘から離れている西が丘サッカー場の整備は含まないにしても、建て替えの「見積もり」の対象が、国立霞ヶ丘陸上競技場だけではなく、周辺施設の再整備を含む金額になるのは、むしろ当たり前のことなのだ。
対して、国立霞ヶ丘陸上競技場の直接の管轄者でもなんでもない東京都や猪瀬知事などは、単純に「国立競技場の建て替え=国立霞ヶ丘陸上競技場のみの建て替え」としか想定していないから、そもそも国立霞ヶ丘陸上競技場の「限界」を理解していない。

したがって、文部省が行った建設費見積もりが、「国立霞ヶ丘陸上競技場のみの建て替え」だけしか想定していないスポーツ素人集団の東京都の想定金額よりも大きくなるのは当然であり、むしろ見積もりが「周辺施設の整備」も含んだものになるべきであることを、スポーツ音痴の東京都もマスメディアも、最初からアタマに入れて議論・報道すべきだ。


大きな地図で見る

ちなみに神宮外苑は1926年完成で、東京では初の風致地区に指定され、これまで建築物の高さが「15m」に制限されるなどの法的規制によって、穏やかな景観が長年にわたって守られてきた。(ただ、「外苑」は元来、有志によって「寄贈」された施設であり、「内苑」である明治神宮が直接管轄する統合的な施設ではない)
だが、国立霞ヶ丘陸上競技場の建て替え完成時には高さが「70m」にも達するとみられたことから、東京都はなんと、2013年6月に神宮外苑エリアの建築における「高さ規制」を「15m」から一気に「75m」へ、5倍も緩和した
この場当たり的な「高さ規制緩和」でまず何が起きたかというと、すかさず周辺エリアで周囲の景観にそぐわない民間の「高層マンション」が建設されたのである。この高層マンションの「高さ」に反対する地元住民との間に摩擦が生まれたのは、いうまでもない。(ただ、おそらく、高層マンションの建設に反対した地元住民も、この高層マンション建設が可能になったそもそもの原因が「東京都が、国立霞ヶ丘陸上競技場の建て替えを可能にするため、建設物の高さ制限を大幅に緩和したことにあること」は、理解していないか、知らされてないのではないだろうか)


言いたいことを先に言えば、
現在の立地では、国際的な陸上競技場のための拡張と長期にわたる施設維持も、スポーツと顕彰の両立も、あらゆる点で無理なのだから、新・国立競技場は、「場所」自体を変えて再出発すべきだ
ということだ。
(それだけが建て替えの目的ではないが、別の場所に新築するなら、「顕彰」のための風致地区である神宮の森周辺の「建設物の高さ制限」を「75メートル」などという「とんでもない数字」にせずに済む。また、ここではあえて書かないが、「どうせ建てるなら、更地に戻すカネが少なくて済んで、人も集まりやすい、ここしかないでしょ」という「場所」のアイデアはもちろんある。さらには、現在の国立競技場の「跡地」、さらには外野が100メートルないことがわかった老朽化した神宮球場の「跡地」をどう再利用するかについても具体案はある)


明治維新の東京遷都でもわかることだが、「場所をかえる」とか、「場所を選ぶ」という、「場所」にまつわる行為は、時代が動いたときに求められる非常に大きな決断、「おおごと」、グランドデザインなのであって、それにくらべれば建築物の見た目のデザインなんてものは、些細なこと、トリビア、表層、小手先でしかない。
(そもそも「同じ場所に建て替える大規模公共建築物のデザインコンペ」なんてものは、その建て替え事業そのものが都市計画としてウェル・デザインされていない「ハンパな計画」と受け止めるべきであって、よくもまぁコンペに参加しようなんて気になるものだ。「場所自体も変えてしまいましょう!」と大胆に提案できてこそ、本気のデザイン、本気の都市計画というものだ。安藤忠雄には悪いが、やはり渋沢栄一のほうがはるかに天才だ)

イチローはかつてWBC監督が星野仙一に決まりかけたとき、「WBCは五輪のリベンジの場所ではない」とそれを退ける画期的発言をして、WBC日本代表は結果的にイチロー発言によって「人心の一新」に成功し、輝かしい連覇を果たすことになるわけだが、それに習っていわせてもらうなら、「2020年東京オリンピックは、1964年東京五輪の二番煎じをやる場所ではないし、二番煎じでは何の国益ももららさない」、と言いたい。
たとえ国立競技場が外観と規模を一新しようが、そんな建て替え程度のせせこましい変化では「老朽化したオフィスビルを取り壊して、建て替えるだけの行為」と何も変わらない。同じ場所で建て替えたのでは、本来オリンピックという国際的な大イベントで期待される経済効果や国益が、十二分な質と量で得られるとは到底思えない。

例えばもし、フジテレビがかつてあった曙橋の「フジテレビ下通り」で建て替えられただけだったなら、スカイツリーがかつての東京タワーと同じ場所で建て替えられただけだったなら、もっといえば、もし江戸時代が終わっても首都が京都のままだったなら、どうだったか、本当に人々が新鮮な驚きをもって新しい時代を受け入れたか、考えてみるといい。


そもそも問題なのは、
国立競技場がある今の「場所」に、何のパワーも無いことだ。

建設費が予定よりはるかに多いだの、収容人数が多すぎるだの、ドタバタ劇が当分続くらしいが、ブログ主に言わせれば、「パワーが無い「場所」に建った建造物が、老朽化したからといって、「高いカネをかけて更地にし、同じ場所に再び建て替える」などという二番煎じな発想の「陳腐さ」を指摘する声がないことのほうが、よほど理解できない。


2012年11月に行われた「第1回富士山マラソン」(旧名『河口湖日刊スポーツマラソン』)で起きた「不祥事」について書いた記事がある。
記事リンク:Damejima's HARDBALL:2013年1月27日、マラソンブームに便乗した、あまりにもずさんな「富士山マラソン」から、「日本の新しい景観美」に至る、長い道のり。

このマラソンは、参加ランナー総数1万数千人のうち、約3分の1にもあたる5000人もの数のランナーが、スタート予定時間にスタート地点にたどり着けなかった。もう、これは不祥事というより、「事件」といっていいレベルのマラソン大会だ。
読んでもらえばわかるが、この前代未聞の事件が起きた原因は、この件を報じた新聞記事や、大会に参加していない野次馬のブログによく書かれている「渋滞」などではない。(というか、このマラソン自体が新聞社主催だったからか、この事件を報じる記事の露出自体が抑えられまくっていた)
「モビリティの確保から宿泊可能な人数に至るまで、あらゆるキャパシティに限度があることが最初からわかりきっている田舎町の、それも山間部のマラソン」において、「モビリティに制約のある場所で開催しても無理がないマラソン大会の規模の限度」というものをまるで理解していない無謀きわまりない主催者が、開催してもさしつかえない大会の規模レベルを最初から根本的に読み間違えていたこと、にある。

つまり、身の丈にあわない大会の開催を強行した「第1回富士山マラソン」の大失敗は、このマラソンが行われた山間の湖という「場所」がもっている「キャパシティ」や「限界」を過信したところに始まっているわけだ。


パワーの無い場所に建設されている「国立競技場の建て替え」も、第1回富士山マラソンと同じ、「場所」にまつわる失敗を犯す可能性は相当高いと思う。


こう書くと、国立競技場周辺のことを何も知らない人から、「何を馬鹿なことを。国立競技場(実際には「国立霞ヶ丘陸上競技場」だが)は、サッカーの聖地で、大試合も数えきれないほど開催されているし、アイドルグループの大規模コンサートだって行われるような場所だ。収容能力、交通機関、どれをとっても何の問題もない。アホなこと言うな」などと、いいがかりをつけられるかもしれない(笑)


言わせてもらうと(笑)、そういう、3年に1回とか、1年に1回しか国立競技場周辺に行かないような人の意見なんてものは、何の役にも立たない。参考にすらならない。

もし、国立競技場周辺にスポーツ施設を作るだけで、その「ハコ」が満員にできるのなら、とっくにヤクルト・スワローズは超人気球団になっていなければおかしいし、神宮球場だってとっくに資金が集まって建て替えに成功していなければおかしいし、ラグビーが日本有数の人気スポーツになっていなければおかしいのである(笑)

でも、どれひとつとして実現できてない。

そもそも国立競技場自体がすんなり建て替えられていないのは、この「場所」が思ったほど集客できる場所ではなく、スポーツやコンサートで集めた人たちにしても、試合やコンサートの直後に去ってしまうような、そういう「受け皿となる施設がまったく無い、受け皿が育たない、そして、育てるつもりもまるで無い「場所」」だったからだ。だから、国立霞ヶ丘陸上競技場は、建設から50年もたってコンクリートがどこもかしこも老朽化しているのがわかりきっているのに、ほっとかれたままだったのである。もし2020年の五輪が他の都市に決まっていたら、間違いなく「無用の長物」になっていた。

加えて、国立霞ヶ丘陸上競技場は、上でも書いたように、サブトラックが「遠すぎる」うえに「狭すぎる」という、国際的な陸上競技施設としては致命的欠陥を抱えているのだから、東京都の考えているような国立霞ヶ丘陸上競技場だけを整備すればオリンピックが開催できるというような甘っちょろいものではなく、周辺施設の整備にもカネをかけないわけにはいかない「程度のよくない中古スタジアム」なのである。


マラソン大会は少なくとも「ハコモノ」ではない。
だから、「場所」の問題をそれほど考えなくてすむ。市街地の道路だろうが、河川敷の土手だろうが、高速道路の上だろうが、どこでもいいから、42.195kmという距離を走れる「道」さえ探してくれば、あとは地域活性化とかいうお決まりのお題目で書いた企画書で地域の有力者を説得し、タダで働いてくれるボランティアをかき集め、警察の協力を仰げば、なんとか低予算でも開催できる。
たとえその大会が、「第1回富士山マラソン」のように破滅的に失敗したとしても、少なくとも「無駄なハコモノ」は後に残さずに済む。


だが、国立競技場は「ハコモノ」だ。意味が違う。

都心に大金かけて「ハコ」を作るなら、その「ハコモノ」は本来、その「場所」のバリューを増やす義務があるわけだが、そもそもこの国立競技場の場合、いま建っている「場所」がいくら都心だからといっても、「場所のバリュー」があまりにも低いまま50年もの時が過ぎたことは、わかる人にはとうの昔にわかりきっている。

東京オリンピックは1964年のイベントなわけだが、それから約50年もの歳月がたって、千駄ヶ谷外苑前など、国立競技場の周辺の街は、後背地にあれだけの数のスポーツ施設群を抱えていたにもかかわらず、街として十二分に発展してきたか? スポーツの伝統が育ったか? 風致地区にふさわしい街になったか? スポーツに関係ない人でも憩うことのできる街になったか?
まぁ、これらの街の「日常」、それも「あまりに閑散とした、わびしい日常」を理解してない人は、一度行って、自分の目で見てきたらいい。ドーナツ化のこの時代、郊外のターミナル駅のほうがよほど発展しているし、中央分離帯やガードレール、並木などにしても、よほど郊外のほうが都市らしい整備が行き届いている。


国立競技場がもし今の場所で計画通り8万人規模の施設としてオープンしたとしても、採算などとれるはずはないし、また、5万人規模に規模を縮小したとしても、年間通じてみれば採算はとれない。スケジュールの大半が空っぽで、たまに運動会でもやるのが関の山のド田舎の陸上競技兼用サッカースタジアムと、まったく同じ酷い運命をたどることになる。
国家あげての大規模イベントだった1964年の東京オリンピックですら、国立競技場周辺の街は、結局は多くの人がつどい集まる街にはなれなかったわけで、そんな「パワーの無い場所」に、8万人収容規模(あるいは5万人規模)の「1年で通算しても、1か月も満員にならないのに、屋根を開閉式ドームにして、天然芝を養生するだけで莫大な経費がかかることがわかりきっているスタジアム」を建てれば、どうなるか、なんてことは、地方の身の丈に合わない陸上競技兼用のサッカースタジアムを見ていれば、子供でも想像がつく。


そう。
今の国立競技場がいまある「場所」は、ある意味「都会のド真ん中のド田舎」なのだ。そして「田舎」には、8万人もの規模の、近未来的とか自称する図体がでかいだけのデザインのスタジアムは必要ない。長期的にみて、維持なんてできっこないし、前のオリンピックから50年たっても発展できなかった街に、期待しても全く意味がない。

新しい国立の陸上競技場を建てるなら(そして、同じように老朽化した神宮球場を建て替えるなら)、もっと別の場所に、もっとパワーと集客力があって、なにより神宮としての歴史にふさわしい場所が、ちゃんと都心にある。

damejima at 10:00

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