落合博満

2018年9月26日、「落合博満の築いた2020年代中日」という観点からみた浅尾引退論。
2011年11月14日、落合博満の居合。
2011年10月18日、落合・中日優勝に見る、「野球ファンが視線を共有する時代」と、マス・メディアの「時代の読めなさぶり」や「限界」。

September 27, 2018

落合博満については、何度か記事にしている。

2011年10月18日、落合・中日優勝に見る、「野球ファンが視線を共有する時代」と、マス・メディアの「時代の読めなさぶり」や「限界」。 | Damejima's HARDBALL

2011年11月14日、落合博満の居合。 | Damejima's HARDBALL

当時こんなことを書いた。長い引用をする。

勝ちを求める人は多い。
それはそうだ。
勝てば、褒美がついてくる。

だが、「勝ち方」を愚直に求める人はどうだ。多いか。
いや。多くない。
スティーブ・ジョブズを見てもわかる。自分にしかない道を歩く定めを自分に課して生きる人は、ほんの一握りしかいない。

自分なりの勝ち方を、時間をかけ、手間をかけ、追求し続けることに、どれほどの価値があるのか、誰も確信が持てない。もしかすると無駄に終わるかもしれないことを、誰もがやりたがらない。
勝ち方より、勝ちそのもののほうが価値が高い、高く売れると思い、誰もが日々を暮らしている。

(中略)

「勝ちと勝ち方は似ているが、まったく違う。勝ちを追い求めるより先に、勝ち方を身につけろ」


今読んでも、自画自賛になるが、まったく間違いがない。

だが、就任当初から落合は、理解力のない地元ファンや、プロスポーツをわかっていない親会社の中日新聞のホワイトカラーのアホウによって、やれ生え抜き選手をコーチに使わないだの、なんだのかんだのと、いわれのない批判を受け続けた。


今シーズンかぎりの引退を前にした中日・荒木雅博が、2003年秋季キャンプで落合に受けた「ノック」の苛烈さについて、こんなことを語っている。
(引用元:「僕は野球を二度なめたことがある」中日・荒木雅博、41歳の告白(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
それまで中日の特守は約30分。ノック中、時計を見るんですが、30分経っても終わらない。1時間を過ぎても。この辺りから時計を見る余裕がなくなる。汗が出なくなる。思考も停止する。すると、不思議な現象が起きるんです。グラブの音がパンと高くなる。これは無駄のない動きで打球に入って、芯で捕っている証拠。もう動物の本能です。

技術も体力も向上しましたが、一番大きかったのは甘えを削ぎ落としたこと。



たしかに、いい記事ではある。

だが、1点だけ、この記事は「大事なこと」を書きもらしている。
忘れてもらっては困る、非常に大事な点である。

それは、このノックが、「落合が中日の新監督に就任した直後」の2003年10月に行われたという点である。この記事には、落合が「新監督就任直後」に荒木にこういう苛烈な特守を課したことの「意味」が書かれていない。

落合が監督に就任した2003年オフ、中日はロクに補強をしなかった。その理由は荒木のインタビューで明らかだ。落合が「外部からの補強」ではなく、「既存の選手のレベルアップに主眼を置いたから」である。

そして落合は、就任1年目の2004年、チームをいきなりのリーグ優勝に導く。それが偶然ではないことは、荒木のインタビューで明らかだ。さらに2006年優勝、2007年日本一、2010年優勝、2011年球団初のリーグ連覇と、落合中日の黄金時代は続く。


荒木の言葉と、2004年にいきなりリーグ優勝した事実から、落合が中日において成し遂げた「これまで目にみえにくかった巨大な業績」がハッキリする。

2003年以降、落合が中日の監督として成し遂げた業績とは、当時の地元ファンや中日新聞などが期待し、公言もしていた「既に引退している生え抜きのOB選手を、指導能力とは無関係にコーチとして採用する」というような、生ぬるい、将来性の無いことではない。

中日というチームの将来を担う中心選手を、あえて選手に容赦しない外部の人材を使って「内部の選手を鍛えぬくこと」にこだわり、未来に使えるホンモノの人材を量産すること」だったのである。

素質こそあったが、とかく甘えの多かった二流の野球チーム、中日の「贅肉」をとことん削り、毎年のように優勝にからむ一流チームに仕上げたのは、ほかならぬ落合の豪腕である。



浅尾についてだが、「落合中日の黄金期における浅尾の位置」について勘違いしている人が実に多い。

勘違いの例を挙げると、浅尾は最初から落合中日の黄金期の中心にいたわけではない。
例えば、落合中日が初のリーグ優勝を果たして黄金期を歩み始めるのは「2004年」だが、そのとき浅尾はまだ「大学生」で、プロの投手ですらない。浅尾がドラフトで中日に入団したのは「2006年」なのである。
また浅尾はデビュー当時からセットアッパーとして酷使され続けてきたわけではない。浅尾のプロデビューは、落合中日が晴れて日本一になる「2007年」だが、このシーズンの後半に浅尾は肩を痛めており、2007年の優勝に不可欠といえる貢献を果たしたわけではない。
浅尾が「年間通じて活躍できるリーグトップのセットアッパー」という他に類をみない独自の地位を築きはじめたのは、落合中日が3度目のリーグ優勝を果たす2010年以降だが、チーム全体として見ると、2010年には既に中日にはリーグ優勝を毎年争えるだけの投打の戦力は整っていた。


にもかかわらず、浅尾拓也の引退について、「落合が浅尾を潰した」などと、根本的に間違った意見をいまだにネットで公言しているアホウが多数いる。そういう了見の狭い地元ファンと、2004年当時から落合を批判し続けてきた中日新聞のアホウは、いまこそ真剣に落合博満に謝罪すべきだ。


確かに、浅尾は2011年シーズンに79登板して、「セットアッパーにして、最優秀選手」という「野球史に残る偉業」を達成し、ピークを迎えた。そして、それは同時に、落合中日の黄金期のピークでもあった。

だが、「2011年のピーク」に至るまでの間、落合が「選手が潰れるほどの練習」、「選手が潰れるほどのゲーム出場」を課した選手は、なにも荒木や浅尾だけではない。

そうしたハードな経験なくして、やがて引退していくことになる中日の選手たちが得た「日本一経験者」あるいは「日本シリーズ経験者」という「永久に消えない栄光ある業績」、そして、彼らがこれから経験する第二のステージにおける「指導者としての権威」が存在しえたと、ブログ主はまったく思わない。


ファンはチームに日本一になることを期待して、夢を見る。

だが、夢を見るだけで、「方法論」がない。方法論として、どこをどうすると、日本一になれる「本物のチーム」「一流のチーム」ができるのか、それを考え、実行するのは、ファンではない。指導者だ。


ツイッターでも書いたが、「頂点に立つ」ということは、「一度きりしかない人生を、自分の信じた道に賭し、その課程に必ず立ちはだかる激烈な痛みに耐えぬく」ということだ。

「日本一になれ、だが、そっと丁寧に選手を扱え」などという矛盾した戯言(たわごと)は、あらゆるプロスポーツ、ことに中日という甘えたチームにおいては、単なる「おとぎ話」に過ぎない。そのことを忘れてもらっては困る。

落合は、「勝てる選手、勝てるチームになることと引き換え」に、限界を超えて選手を鍛えた。「限界を超えた経験」のない人間は成長しないことがわかっていたからだ。
浅尾についても同じように、落合はゲームにおいて、2011年に79試合も登板させた。もし浅尾がいなかったらあの年の日本シリーズには出られなかっただろう。それは、言い換えるなら浅尾を酷使してでも日本一に出てやる、日本一になるという強い意思がなかったら、チームを日本シリーズに出してやれなかったのである。

落合なくして、日本一なし。そして
浅尾なくして、落合中日のピークなし、である。



誤解されても困るので公言しておけば、ブログ主は死ぬほど浅尾の大ファンだ。落合の監督時代が、日本シリーズどころか、優勝にもまったく縁がない、浅尾の肩も壊れました、というブザマな結果なら、誰よりも先に落合をクソミソに言ったことだろう。

だが、落合は責任を果たした。
浅尾は2011年に、チームとして、そして選手として、「リーグの頂点」にたどり着いている。このことで、このことだけでも、浅尾には十分な報いがあった、そう思いたいのである。

damejima at 16:02

November 15, 2011

武将・落合は、屈んで刀を脇に構え、
絶妙な間合いで抜刀しては、つど、鞘に収める。

イチローが投手との立合においてバットを一度立てる「正眼」の使い手であるのに対し、落合は脇構えからの「居合」の使い手である。いつ抜くか、わからせない。剣の長さも見せない。
どちらもまったくもって日本。侍の振舞いである。見事であるというほかない。


面白いものだ。
中日ドラゴンズ落合博満監督の評価が、ポストシーズンの試合を1試合1試合経過するたび、日増しに高まっていく。それも、とりわけ落合中日に負けた他球団ファンの間で。中日ドラゴンズの社長さんと一般の野球ファンとの間で、これだけ180度違う評価がついたのだから、なんとも愉快だ(笑)

ブログ主も、この秋、武将・落合がやってきた「戦」(いくさ)には圧倒的な感銘を受けた。特に、その刀の扱い方。



勝ちを求める人は多い。
それはそうだ。
勝てば、褒美がついてくる。

だが、「勝ち方」を愚直に求める人はどうだ。多いか。
いや。多くない。
スティーブ・ジョブズを見てもわかる。自分にしかない道を歩く定めを自分に課して生きる人は、ほんの一握りしかいない。

自分なりの勝ち方を、時間をかけ、手間をかけ、追求し続けることに、どれほどの価値があるのか、誰も確信が持てない。もしかすると無駄に終わるかもしれないことを、誰もがやりたがらない。
勝ち方より、勝ちそのもののほうが価値が高い、高く売れると思い、誰もが日々を暮らしている。


言葉の少ない落合博満だが、滲み出るオーラはむしろ雄弁だ。彼の戦ぶりは饒舌に彼の信念を物語っている。
「勝ちと勝ち方は似ているが、まったく違う。勝ちを追い求めるより先に、勝ち方を身につけろ」
武将・落合の兵の身体にはなにやら、8年かけてしみついた、勝ちに向かう習性が常に匂う。勝つかどうかは結果でしかないが、彼らの心の内には常に仁王立ちした戦装束が見える。


アイデンティティという便利な言葉がある。中高生でも知っているくらいの便利な言葉なわけだが、たいてい誤解されて理解されている。「アイデンティティは、誰にでも、最低ひとつは備わっているだろう」という、安易な理解からくる誤解だ。

ブログ主はアイデンティティや自分のスタイルというものは誰にでも備わっていると思ったことが、一度もない。むしろ、アイデンティティの無いままオトナになり、無いままに年老いて、無いまま死んでいく人が大半だ、という理解のもとに世界をずっと眺めてきた。

自分、というものを持つに至る人が、世の中にはほんの少ししかいない、ということを、ヒトはなかなか気づけない。また、言われても、それを信じることができない。中日ドラゴンズの社長さんなども、おそらく自分というものが無いままオトナになった哀れな人間のひとりだが、こういう人にいくら説明してもわからない。それはそれで、しかたがない。黒船が来たとき初めて、「あぁ、これで江戸の時代は終わるのか」と呟くのが、こういう人の役回りだ。そしてもうその頃には、船は舵を切っている。


武将・落合の戦には物語がある。物語を持てる武将は少ない。大半は時間の波間に消えていく。
人は中日の地を這うごとくの進撃にようやく、勝ちの味ではなく、勝ち方というものの真髄を知って目が離せないのだろう、と思っている。野球ファンは、落合中日の何によって負けたのかを、8年たってようやく知るのである。

damejima at 16:04

October 19, 2011

これは落合・中日の優勝がビジターの横浜で決まった瞬間の名古屋・大須での興奮を記録したYoutube動画。
いやあ、日本人はシャイだのなんだの言うけれど、興奮すりゃ、ここまでデカい声が出せるんだねぇ。と、変な感心の仕方をした(笑) (でも、イザとなったらデカい声出せることは、今の時代、重要だけどね)
動画を見るとき、もしも普段からパソコンのヴォリュームを一杯に上げている人がいたら、音量を絞ってから見たほうがいいかもしれない。それくらい、叫び声が凄い(笑)






落合博満監督と、一部の球団幹部、一部の地元メディアの間に確執があることはもちろん知っているが、近年目立つ野球とマス・メディアの関係の歪みについては色々言いたいことがある。


ひとつ思うのは、「今と昔で、マス・メディアの位置はとっくに大きく変わっていて、同じではないのだ、ということに、マス・メディアはいつになったら気づくのか?」、ということ。

野球ブログのくせに、門外漢としてスティーブ・ジョブスの死去について記事を書いたのにも、似たモチベーションがある。今という時代のリアリティを理解していない、読めない、わけのわからない人が、今どれだけたくさんいるか、多少はっきりさせておかないと話が進まないのだ。「パソコンがどれほど世界を変えたか」という時代意識と、野球とマス・メディアの関係がどれほど変わらなければならないときに来ているか、という話には、多少なりとも共通点がある。

パソコンやインターネットの登場によって、人と人のコミュニケーションのスタイルや方法は大きく変わったわけだが、マス・メディア自身はいまだにそのことを認めようとしてない部分がある。(この点については、シアトル・マリナーズの地元メディアなども同様だ)
彼らはいつまでたっても「マス・メディアは、ファンの意見を主導している」だの、「マス・メディアはファンの意見を代表している」だの、「自分たちこそ、ご意見番だ」だの、いろいろと勘違いし続けている。
言い換えれば、一度マス・メディアに就職したら一生安泰だと勘違いしている「公務員根性丸出しマス・メディア」の人間がマス・メディアにはたくさんいて、彼らの多くは「パソコンとインターネットが、どれだけ世界を変えたか?」ということの意味を、まるでわかっていない、ということでもある。
彼らは、通販番組と韓国ドラマを大量に増やす程度のことで、この複雑な時代に適応できると思っているのかもしれないが、認識が甘いにも程がある(笑)


たとえ、広告主に野球の魅力について効果的なアプローチもロクにできないような地上波テレビ局の無能社員が、スポットCMがとれず、シーズンの行方が決まる大事なゲームですら地上波中継が無くなってしまう事態を招いているとしても、上の動画を見てもわかるが、今の野球ファンの熱気はまったく衰えてなどいない。
勘違いした今のマス・メディアが野球ファンの興奮を上手に集約することができないのは、野球ファン側の責任ではない
Public ViewingYoutubeTwitterストリーミングアップローダー動画音声ファイル。今どきの野球ファンは、「パソコンとインターネット」を駆使しつつ、「見知らぬ他人と野球の興奮を分かち合うことができる、マス・メディア以外の手段を持っている」ものだ。

この「見知らぬファン同士で、野球の高揚感を一緒に分かち合うスタイル」は、とっくに某巨大掲示板だけの専売特許ではなくなっていて、「新しい野球の楽しみ方」として定着してきていると思う。

この「見知らぬファン同士で、野球の楽しさを分かち合う観戦スタイル」は、「スタジアムに足を運んで、たまたまシートが近い人たちと一緒に応援する」というのとは、ちょっとニュアンスが違う。また、ひとりでビールを飲みながら見ているテレビの前で、無言でするガッツポーズとも、また違う(笑)。
この新しい楽しみ方には、常に主導権をとっていないと気が済まないらしい古臭い目立ちたがりの地元マス・メディアによる無意味な意見誘導も、球団による半強制的なファン誘導も、必ずしも必要ない。
そして、もっと言ってしまえば、もはや「試合映像の独占放送」も、もはや必要ない。試合の中継は、なんなら別にストリーミングでもなんでもいいのだ。


ブログ主は、日本のプロ野球の地上波中継が減少したことについて、野球人気そのものが低迷したからだ、なんていう根拠の薄い説明を信じたことがない。また、ファンの熱気が、地上波で放送するのに量的に足りていないなんてことも、全く思わない。そんなこと、あるわけない。
むしろ、いつまでたっても社員に桁外れのサラリーを払っている地上波局の「設定が高すぎる採算ライン」に野球中継があわない、とかいってくれたほうが、むしろドラスティックな金の話だけに、よくわかる。

たいした営業努力もしてない人間に、いまどき、安定して大金を払ってくれる超優良CMスポンサーを簡単に見つけてこれるわけがない。「スポンサーがみつからなかった」などというのは、低次元な言い訳にすぎない。しょうもない理由で「野球中継ができなません」などと言い訳するのなら、そんな野球に対する熱意も、営業能力も無い地上波局の営業社員などクビにするか、そういう営業できない放送局には野球放映権を渡さなければいいだけのことである。
自分本来の仕事もできないクセに、野球の現場の監督にはアレコレ文句ばかり垂れているようなテレビ局側の都合なんてものは、どうでもいいのだ。


実際、これまでスポーツの放送は、メディア側の思惑にかなり左右されてきた。
どんな都合があってそういうことをするのかは知らないが、地上波での放映権をもっているコンテンツなのに地上波で放送しないケースがあるし、また、せっかく現地で試合映像をカメラに収めたクセに、実際には放送しない、などというケースだってある。
オリンピックや世界選手権などをきっかけに水面下で一時的な人気が沸騰するスポーツはよくあるのだが、そういう隠れ優良コンテンツは、もし地上波で放送していれば結構な視聴率がとれたかもしれないのに、民放では放映されない、というケースだって少なくない。
そうした可能性を秘めたコンテンツというか、ポテンシャル・コンテンツを、よく放送するのが国営放送であるNHKのBS放送であることは、日本のスポーツ好きならよくわかっていることだが、NHKのBSは、困ったことに、税金の一種みたいなものである受信料を大量投入して無料放送してしまっているわけだから、地上波やCSのスポーツビジネスを非常に圧迫しているわけだが、この記事の趣旨とは違う話だし、その話は別の機会にゆずる。



話が横道にそれた。

野球を、テレビとスポーツ新聞だけで楽しむ時代なんて、とっくに終わっている。テレビのスポーツニュースなんて、ハイライト程度しかやらないし、新聞だって情報のカケラしか教えてはくれない。野球本来の緊張感や爆発的な感動、かけひき、喜怒哀楽、ミスやファインプレー、失意や復活、あらゆるストーリーがわからない。

しかし、ファンの脳裏には、こうして優勝が決まったとき、「あのゲームの、あの打席、あの1球が結局分かれ目だったな・・・」とか、「あのゲームで引き分けになったことで、シーズンの展開が大きく変わったんだよな・・・・」とか、さまざまな感慨、個々の場面が、まるで走馬灯のように思い出されるものだ。
そういう「走馬灯のようなファン感情」に、テレビとスポーツ新聞だけで応えられるなら、こんな野球ブログ風情など必要ない。


野球の楽しみは、結果だけ見て楽しむのもけして間違いだとは言わないが、ゲームのプロセスにたくさんの楽しみがあるし、このブログが配球にこだわるのも、別に配球マニアだからではなく、「どういうプロセスを経て、その決定的な場面が生まれたのか」を、球団の意向の追認に走りがちな既存メディアでは「ファンの経験や感慨に沿った形」できちんと残してくれないから、しかたなく自分でやりはじめただけのことだ。

日本のプロ野球にも、ファンの「走馬灯のようによみがえる感情」をきちんと「整理して記録くれる方法」があったら、どんなに新たなファン獲得につながることだろう、と思う。
今回の中日の優勝でいえば、9回の浅尾投手の、あのセカンド送球ホースアウト、ブランコのあのひと振りだけでなく、投手交代の謎、配球、凡退、この試合に至る勝敗の流れ、記録にとどめておきたいことは誰もが大量に抱えているはずだ。

だが、残念なことに、その全てを記録に留めておく方法や、他人と一緒に味わう機会は、テレビと新聞だけでは足りない。
例えばブログ主だって、イチローの全ヒットについて、どういうヒットだったか、どういう配球だったか、そりゃできることなら自分の無限ではない一生が終わってしまう前に書き留めておきたいと思わないでもないが、ひとりでできることには限界がある。ブログに思ったことのほんの一部を書き留めておくのだって、時間をみつけるのが難しいときがある。


残念なことに、野球ファンは、いくら最高の感動の場面でも、その出来事をあらゆる角度から眺めることはできない。このことは、誰もが経験からよくわかっている。
しかし、パソコンやインターネットのある時代だからこそ、誰かの知恵と他人の目線を借りつつ、お互いの情報を補完しあうことで、自分ひとりだけの経験では特定の角度からしか見えないゲームの全体像を、俯瞰的に再構築して、もっともっと全体像を楽しめたら、と望んでいると思う。
その気持ちは、非常によくわかる。

それは、「戦争」「原爆」「大震災」など、多くの人がかかわった出来事を、様々な人の記憶とまなざしを集めることで、全体像が結ばれてはじめて、ようやく「自分の立ち位置が理解でき、アイデンティティが確認・回復される」作業にちょっと似ている。


野球の記憶は、ひとりの視線からではキレギレの記憶でしかないが、個々の視線を分かち合うことで全体像を共有することもできるし、共有することで大きくはじける。そういう共有する瞬間を持てたとき、人は、自分でも思いがけないくらいの大声で叫ぶことも可能になる。



damejima at 10:05

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